「タイ」カテゴリーアーカイブ

バンコク・ハジャイ旅2024(6)

部屋は先ほどより狭かったが、電気ポットなど必要なものはちゃんとそろっており、十分だった。夕飯を食べようと再び外へ出たが、アテがない。ネット検索すると少し離れた場所に良さそうなレストランがあったので、そこまで歩いて行く。途中華人系寺院などに寄り道する。夕日が西に傾いてきた。

そのレストランはオープンな感じでとても良かった。オーナーも華人で愛想がよい。何か面白い物はないかと探していると『日本人なら天ぷらを食べれば。ついでに地元の野菜炒めもお勧めだよ』といってくれたので、それを注文してみる。料理が出て来るとビックリ。海老の天ぷら?エビが7本も皿に載っている。だが天つゆはないので、塩を貰いつけて食べると旨い。野菜も卵と絡まって実に旨い。気さくなオーナーと英語で言葉を交わして、名残を惜しんで店を後にした。

それからまた街の中心に戻る。中華公会の建物があったので、覗いてみると、何と絵の展示が行われている。何とも優しい絵で、ちょっと見入る。2階に上がると、そちらにも展示があったが、壁には公会歴代会長の写真が飾られており、ここが今も華人の集まりに使われていることが分かる。絵を描いた女性は、ここの生まれでバンコクで長く暮らしていたが、やはり故郷が良くて戻ってきたという。サトゥーンの街の特性など、色々と教えてくれた。こういう何気ない交流は温かい。

1月27日(土)ペナンを目指して

夜は風が強くて、5階にある部屋の窓枠がガタガタ鳴っていたように思われたが、翌朝は気持ちよく目覚めた。天気は上々。9時前に宿を出て、言われた通り、大通りを南へ向かう。セブンのところまで来ると、ちゃんとソンテウが1台おり、タマラン港まで、というと、100バーツで行ってくれた。ソンテウは一路南下して10分ちょっとで、港に着いてしまった。

まずはマレーシアのランカウイ行きフェリーが11時半に出ることを確認した。その上で旅行会社の人に『他にマレー半島に行く方法はないか』と聞いてみたが、全員が首を横に振る。コロナ以前はボートさえ確保できれば、越境して半島を南下で来た、ランカウイへ行く必要はなかった、との情報もあったが、今や完全に閉ざされているようだ。

もう一つ、ランカウイからペナンへ行くフェリーはあるか、と尋ねてみたが、こちらも首を傾げられたのには驚いた。もしランカウイ経由でペナンへ行くとしたら、もう一度フェリーに乗って対岸のクアラパリスへ行き、そこからバスで向うしかないらしい。いやもう一つあるのは飛行機で飛ぶことだというが、それは面白くない。

調査は簡単に済み、ランカウイ行きフェリーチケット(450バーツ)も簡単に買ってしまうと、もうやることもない。周囲をフラフラしていると、地元のおじさんは桟橋まで出て釣りをしている。その辺にボートはないかと未練を残したが、無駄だった。仕方なくお茶を飲みながら、じっと待つことにする。

表示では11時にならないとイミグレは始まらないとなっていたが、意外や10時半には人が並び始め、すぐに出国審査が行われた。後は船に乗るだけだった。フェリーは中型船、乗客は半分ぐらいか。その多くがマレー系に見えたが、どちらの国の人だろうか。勿論観光と思われる人はいない。そこからダラダラと乗船していき、11時半になっても船が出る気配はない。何しろ1日にこの一本しかないのだから、多少は待っているのだろう。10分過ぎて船が動き出す。さあ、マレーシアへ渡るぞ。しかしそこからどうなるのだろうか。

バンコク・ハジャイ旅2024(5)初めてのサトゥーンで

『ペナンに行くには?』と窓口で聞いてみると『フェリーはランカウイ行きしかない。それも1日1便だけだ』といい、それ以外の手段はなく『早く行きたいならハジャイに戻れ』とまで言われてしまう。更に『もし今から行くなら200バーツ出せば送ってやる。フェリーの出航時間は11時半だぞ』とも。時計を見るともうすぐ11時。ここから港まで10分、チケットを買い出国審査はちょっと面倒なので、一度サトゥーンの街へ行くことにした。この街は陸の孤島だったのだ。

出口にはおじさんがぽつんと座っていた。バイタクのおじさんだったので40バーツで行ってもらう。街の真ん中の宿で部屋を頼むと680バーツ。部屋からの眺めも良いのでここに泊まることにした。しかも何と洗濯機が置いてあったので、まずは洗濯に励む。天気が良く風も吹いているので気持ちがよい。部屋に電気ポットが無いのでおばさんからお湯を貰う。ついでにペナン行きの相談をしたが、やはり答えは一緒だった。どんづまりに来てしまったわけだ。

仕方なく外へ出てランチを探す。日差しが何となく強く、暑さを感じたので、時計台の横で早々に見つけたマレー系料理屋に入る。言葉は通じないので、魚と野菜を指さしてよそってもらう。ちょっとスパイシーだが、十分に美味しい。また外へ出ると、先ほどドリンクを飲んでいなかったので、雑貨屋でコーラを買う。何と小さなペットボトルで10バーツ。景気が悪くなると小分けで売る、ということだろうか。

その先にサトゥーン博物館があった。その建物が何とも良い。元々ラーマ五世の南部視察に合わせて建てられたらしい。1902年以降は地方事務所となり、第2次大戦中は日本軍の本部として使われたとある。現在は博物館となっており、サトゥーンの歴史を学ぶことが出来る。

その近くを歩いていると、刑務所跡があった。かなり立派な壁が連なっており、ちょっと見学してみたくなる。正門を見付けて入っていくと、警備員が『どこへ行くんだ』と聞いてくる。『ちょっと中に入りたい』というと、エッという顔をして周囲の同僚に向かって『中に入りたいんだって』とおどけた表情をした。皆がどっと笑ったので、ここが刑務所跡ではなく、現役の刑務所であることを初めて悟り、私も大笑いした。

市内をフラフラ歩いていると、勿論モスクもあるが中国系寺院なども見られ、この街もまたかなりミックスされた世界であることが分かる。まあマレーシアとの国境の街だから、当然ではあろう。街は小規模なのである程度歩くと一回りできた。部屋に戻って休んでいたが、シャワーを浴びたくなる。だが何とお湯が出ない。

フロントに聞きに行くと『実は昨日から壊れていて、今日直る予定だったが、業者がチェックした結果、今晩熱いお湯は出ない』と説明される。何とも景色の良い部屋だったので、一晩ぐらいいいかとも思ったが、何だかシャワーが頭から離れず、ホテルを替わることにしてしまった。

そして裏のもう少しだけいいホテルへ荷物を引きずる。フロントで料金を聞いてみるとネットよりかなり高い。交渉していると『とにかくネットで予約すれば』というので面倒になって予約ボタンを押すと、何と料金は現金フロント払いになっているではないか。希望通りで喜ぶ。更に先ほどの宿と同様、親切なおばさんが出てきて、明日のペナン行きの方法を色々と考えてくれた。だがこちらはどうしてもいい方法は見付からない。

バンコク・ハジャイ旅2024(4)ハジャイ食べまくり

夕方また外へ出た。タイ語が読めない私は、相変わらず華人系の建物が目に付いてしまう。苦瓜麺という文字が目に入ったので、思わず注文する。外のテーブルで待っていると突如雨が降り出したので、屋内に避難。すると店のおばちゃんが話し掛けてきたが、最初は華語だったはずなのに、途中から閩南語か潮州語に変わっている。それでも身振り手振りで何となくわかるので調子を合わせていたら、最後までずっとしゃべっていた。肝心の苦瓜麺の味はよく分からず終わる。夜は佐藤優が出ていたテレビ番組を見る。

1月25日(木)ハジャイ2日目

何となくすっきりしない目覚めだった。それでも外へ出て、何と朝から肉骨茶に挑む。昨日通り掛かった時、この店だけがなぜか混んでいたので入ってみることにしたのだ。朝も混んでおり、何とか一番奥の席に潜り込む。取り敢えず肉骨茶といってみると、実に立派なものが登場した。それなりに美味しかったが、お値段もそれなりだった。

また腹ごなしに散歩する。少し郊外へ向かうと教会が見える。モスクもあるようで、華人だけの街ではないことも分かる。そこで雨が降り出し、屋根の下で雨宿り。傘はあったが雨宿りしてみたかった。本当に10分ぐらいで止んでしまい、如何にも南国を感じる。何事もなかったように歩き始めると、華人が創設した学校なども見られる。

宿に戻ってもう1泊しようとフロントへ行くと何と『今日スタンダードルームは満室なので500バーツ高い部屋しかありません』というではないか。ここから慌てて近くの宿を探し始めた。一番近い所へ行くとネット検索よりかなり高いが、まけてはくれない。もう一軒訪ねたが、やはり同じだったので、仕方なく最初のホテルをネット予約したところ、何と現地払いで150バーツ安くなってしまい、また喜ぶ。フロントの女性たちも面白がって付き合ってくれ、皆で笑う。この雰囲気がとても良い。

朝結構散財したので、お昼は質素にお粥を食べる。しかしこの魚粥、何とも旨い。なぜだろうか。その後に昔泊まったハジャイ駅を見学していると、また雨が強く振り出し、慌ててロビンソンデパートに逃げ込む。地下のスーパーでドリンクなどを買っている内に小降りになったので、帰る。

夕方また空を見ながら外出。旨そうな福建麺の店があったので食べる。やはり旨い。だがその後フラフラしていると、フライドチキンで有名な店があり、お客も多かったので食べてみたくなり、ハーフサイズを頼んで完食した。もう腹一体で何ともならない。それでも帰りフルーツを買うとこれまた甘い。ハジャイは実にいい所だが、腹は極度に重い。

1月26日(金)サトゥーンへ

朝早めに起きて8時前にはチェックアウト。宿の前のトゥクトゥクに声を掛けてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと高い。市場の方で昨日来た料金が安かったのだが、そこへ行ってみても全員が100バーツだという。完全にカルテルだ。そんな中、一人のおじさんだけがなぜか60バーツというので乗り込む。バスターミナルは私が思っていたのより遠かったが、丁寧に送ってくれ、サトゥーン行きロットゥの場所まで教えてくれた。朝からおじさんを拝む。

100バーツでチケットを買うと10分でロットゥは満員となり走り出す。今日はいい天気で気持ちが良い。これも順調で2時間ちょっとでサトゥーンの街に入る。途中一人ずつ降りたいところで降りるので、最後に私は残されてバスターミナルに着いた。だがそこはあまりにも閑散として前途が思いやられる。

バンコク・ハジャイ旅2024(3)ハジャイへ

疲れたので、カフェアメゾンに入って休む。このプロンポーンにある間口の小さい店舗、実は狭いながらも2階、3階もあるのは、初めて知る。何となくだらだらしながら過ごす。でも若者が多く、居心地はあまり良くはないので、アソーク方面に歩いてみる。駅まで来ると地下に入る。

そこにはその昔のQBハウスがあった。今は別経営ではあるが、まだ存在していた。暇なので数年ぶりに入ってみる。何と代金の現金支払いはダメで、QRコード決済だけだった。この辺もコロナの影響だろうか。僅か10分で髪を切り終わる。私はこういうスピード感が嫌いではない。

そしてプロンポーンに戻り、Sさんと会う。Sさんとは前回初めて会ったが、何となくまた会いたいと思い、連絡した。昔話に花が咲く。場所は10年以上前に何度か行ったオーガニックフードを売る店。お茶なども売られているが、殆どが茶外茶だった。ここの2階はレストランになっていて、美味しいべジタリアンフードが食べられる。チャイも飲めて、楽しい夜だった。

1月24日(水)ハジャイへ

朝まだ暗いうちに宿をチェックアウトして車を呼んでドムアン空港へ。かなり早い時間なので、スムーズに到着する。いつも使っているタイライオン、ここでトラブル発生。何と今回のチケットには預け荷物量が含まれていないので、1100バーツ払えと言われて愕然とする。これまで15㎏程度は無料だったので、今回も同じと思い込んでいたが、まさかの9㎏超過料金となる。これからはちゃんと確認しよう。因みに今回からチケットは機械で取得し、預け荷物はカウンターで。

悄然としても腹は減る。いつもの食堂でジョークを食べて息を吹き返す。荷物検査を終え、フライトを待っていると、さっき車を呼んだBoltからメールで領収書が送られてきた。驚いたのは、何と金額が支払ったものより100バーツ少ないのだ。まあ領収書は使わないので良いのだが、もしやすると私がボケて100バーツ多く渡してしまったのでは、と疑心暗鬼になる。

フライトは順調であっという間にハジャイに降りた。まだ朝10時過ぎだった。ここからGrabを呼ぼうかと思ったが、バスはないかと探してみると、出口を出た先にロットゥが停まっており、100バーツで市内へ運んでくれた。元々はミニバスが60バーツで運行していたようだが、ご多分に漏れずコロナで無くなっていた。

ロットゥはほぼ満員になり、すぐに出発した。15分ぐらいで街中に入り、殆どの人をロットゥ乗り場で降ろしてから後はゆっくり進む。私は適当なホテル名を告げてあり、そこまで運んでもらった。ホテルに入り料金を聞くと、ネット予約より高かったのでその旨を告げると、『特別価格ですよ』と言って、その料金になった。何だか気分の良いハジャイだった。

部屋に荷物を置いてすぐに散歩に出た。近所には福建会館、海南会館など華人の同郷会館がいくつか見られ、ハジャイも華人が多いことを示していた。何となく腹が減ったので、豚肉と鴨肉ご飯を食べる。こういうのがすぐに食べられ、普通に美味いのが良い。注文もタイ語ではなく、華語で出来るのは有難い。

食後の散歩に市場へ向かう。それから何となくお寺を見たり、時計台へ行ったりする。旧市街地はコンパクトなので、歩いて一通り行ける。最後に市場に戻り、何故か柿を買う。既に食べられるように剥かれており、久しぶりに柿を味わう。セブンでドリンクを買って宿で休息する。

バンコク・ハジャイ旅2024(2)スクンビットをうろうろ

Mさんが待っていてくれた。こんな場所を指定するとはさすがバンコクを知り尽くした男、Mさんと唸る。それからタイの中国系料理について、色々と尋ねる。実に面白いし、これまで誰もスポットを当てていない部分ではないだろうか。特に潮州系の多いタイにおいては、従来日本では見られない潮州料理に特徴が見いだされるので興味深い。

夕方になったので、カフェを出て夕飯を探す。話の流れ上、やはりタイ中華にしようと、トンローまでBTSで移動。行くべき店に6時前に到着したが、何と6時半開店と知ってショック。Mさんは開店まで待とうと言い、周囲の散歩を始める。そしてその辺の麵屋に入り、いきなりコーラだけを頼んで席に着き、時間をつぶす。この時間に麺を頼まないのは迷惑かと思ったが、店側も全然気にせず、氷なども出してくれる。こういうことは超人Mさんにしかできない技だ。

6時半過ぎに店に戻ると既にかなりの客がいる。何とか席を確保したが、後から後から客が入って来てすぐに満席となる。トンローということもあり、日本人客も結構いる。ここの料理、味付けがすごくいい。豚肉とキャベツ、タケノコ、小魚など甘くてうまい。これはやはり潮州系だとMさんは解説する。そう、この味だ。とても勉強になる。タイ人も日本人は潮州料理が好きなのだ。帰りにGrabで車を呼んだが、何故か来ない。空車は沢山通り過ぎるので、結果キャンセルして車を拾って帰る。何だか面倒だな。

1月23日(火)スクンビットをうろうろ

今朝はゆっくり起きて、Yさんとコーヒーを飲む。明日のフライト手配も終わる。昼前にまた赤バスに乗ってスクンビットへ向かう。なぜか今日の昼もトンローで待ち合わせ。Mさんとはずいぶん長い付き合いだが、とうとうバンコクを離れるらしい。それで最後のランチとなる。

ランチはなぜか韓国料理となった。昨晩も歩いたトンローの道を行く。この店にイカ炒めがあったので、すぐに注文する。韓国料理には副菜が沢山付いてくるのが良い(日本を除く)。Mさんとこの10年余りのお茶会の思い出などについて話が弾んだが、何となく寂しくなった。

夜もまたプロンポーンで約束がある。一度宿に戻るのも面倒なので、この辺をフラフラする。まずはプロンポーンまで歩いて、ユニクロへ行く。どうしてだか冬の北京の服はちゃんと持って来たのだが、夏のバンコクの服を少し忘れていたのだ。2000バーツ以上買ったら、消費税が戻るというので、初めて還付手続してみる。

そこからバンコクの60バーツ均(日本の100均)の店へ行き、耳かきを買う。これを忘れると、ちょっと困るのだが、こういうものが簡単に買えるのは、やはりバンコクだ。更には北京で余った人民元の両替をしてみようかと考え、周辺の数軒の両替所を回り、レートを比較した。

以前はあった両替所がいくつも無くなっていた。コロナで無くなったのだろうが、その後も復活しないのはやはりキャッシュレスの進行だろうか。一番レートがいいのは、ショッピングモールの地下だったので、そこで両替を終えた。それにしても、北京でも感じたことだが、中国国内で実質使えない人民元現金が、海外では普通に両替できる、というのは、何となく違和感がある。

バンコク・ハジャイ旅2024(1)30度のバンコクに到着して

《バンコク・ハジャイ旅2024》  2024年1月21₋27日

極寒の北京から暑いバンコクへ。そこから南下して久々のハジャイを経由して、ペナンを目指すことになった。ただ通常ルートは面白くないと思い、初めてサトゥーンへ行くが、そこからのルートはかなり限られてしまい、袋小路にはまり込む。さて、どうなるのか。

1月21日(日)バンコク到着

快適なフライトでバンコクに着いた。入国審査は思ったほど時間はかからなかった。荷物は預けていないので、一目散にAISにブースに向かい、3か所目でようやく無料シムをゲットする。取り敢えずこれでスマホは繋がった。またタクシー乗り場から車に乗る。今回はいい運転手?で、メーター通りの料金で済んだ。これが普通だろうに。

いつもの宿にチェックイン。ここには随分と泊まったが、料金はどんどん上がっていく。円安もあって、もうリーズナブルな料金とは言いにくい状況だ。部屋もコロナ後は何となく格下げされた。これまでの部屋はもっと高くなっているのだろう。慣れているので居心地は良いのだが、これからどうするか、考えないといけない時期に来ている。

腹が減ったので外へ出た。まずは一食、と思うと、なぜかパッタイ屋に足が向いてしまう。おじさんとは顔が合うと挨拶する仲だ。何となくパッタイを食べてコーラを飲むとかなり落ち着く。日本人町でいつものパンを買ってから、暗い夜道を歩いて帰る。チェンマイに比べて車の多さが際立つバンコク。

1月22日(月)タイ中華の夜

朝はいつものルーティーンでコムヤーンを食べに行く。だが何と既にコムヤーンの姿はない。おばさんは『あの人が全部買って行ったよ』と指を指す。そのおじさんは大きな袋にコムヤーンサラダを詰め込んでいた。おばさんもサラダ作りに大忙しだったはずだ。それでも諦めきれない私。じっと空の籠を見ていると、コムヤーンのきれっぱしでサラダを作ってくれた。初めて食べるが、かなりスパイシーだった。それでも有り難い。

当たり前だが、北京の零下からバンコクの30度は体に堪える。部屋で休息していたが、シムカードをゲットする必要があり、外へ出る。Yさんのスタッフにタイ語で『シムカードの再発行』と書いてもらって行く。これがあれば、恐らく問題ないはずだが緊張はする。ロータスのAISブースに行って紙を見せると、担当者が流暢な英語で対応したので驚いた。そして実にスムーズにシムが再発行され、おまけに1か月200バーツの特別価格への設定までしてくれた。こういうサービスは実に有り難い。

昼はYさんといつもの食堂へ行き、いつもの物を食べる。これまで同様普通に美味しい。料金も変わらない。変化が無いのはここだけか。午後は赤バスに乗り、アソークまで出る。このバス、前より少なくなっているのか、なかなか来ない。まあ来れば速いからよいが。料金は8バーツだ。

アソークで降りると、ナナ方向に少し歩く。指定されたビルに入り、カフェアメゾンを探す。だがどこにあるのか分からない。インフォメーションの女性に尋ねると『そうですよね、分かり難いですね』と言いながら、自ら案内してくれた。それは1階の奥深く、階段の陰に隠れるように存在しており、このビルに来た人でも気が付かないだろうと思われる場所にあった。これからは隠れ家的カフェとして、使わせてもらおう。

メーソット旅2023(3)メーソット散策

次に向かったのは服のアウトレットショップ。子供たちはすぐに大きくなる。常に服を買う必要があり、安くて品質の良い服を売っているのでよく来るらしい。ここは縫製工場が直販している。見ると日曜日でも出勤した工員たちが働いている。大多数はミャンマー人で、宿舎に住み込みだという。タイもこのような労働者に支えられて、工場が成り立っている。汗水たらして働く人々、その横のクーラーの効いたカフェで美味しい飲み物を飲んでいるとちょっと複雑な気分になる。

それから車の修理場へ行く。車の修理点検もタイ側で行うという。ここの従業員もミャンマー人で会話はビルマ語だった。修理を待つ場所で、またドリンクを飲みながらゆっくりする。ガソリンはミャワディ側の方が安いとか、タイ側には新しい道路が出来たとか、そんな話を聞く。

午後2時頃になり、さすがにお腹が空いたので、やはり火鍋に行く。火鍋は昔からススが大好きであり、当然子供たちも大好きなようだ。もう食べ過ぎだと思っていても、何となく入ってしまうのが火鍋の特徴かもしれない。たらふく食べる。最後にマクロへ行く。ここでミャワディ側では手に入らない、または高い食材を大量に買い込み、車に積んで帰るのだ。そんなミャンマー人で店内は大混雑だった。

ここでタイムアップ。私のバスは夜8時半発だが、彼らの国境ゲートが先に閉まるので、その前に帰路に就く。今回も短い時間だったが、実に楽しく過ごした。疑似じいさんも堪能できてよかった。ホテルまで送ってもらい、そこで涙の別れとなる。彼らが去ると、ホテルに荷物を預け、付近の散策に出た。

この辺は旧市街地の趣があり、木造のものや洋風のものなど、建物が面白い。国境、交通の要衝だったこともあり、当然華人も多いので、廟なども見られる。ムスリムやヒンズー様式の寺も見られ、実に多彩だ。旧バスターミナルはすぐ近くだったが、今は近郊向けのみで寂れていた。私が乗るバスは空港脇の新ターミナルから出るため、そこまでテクテク歩いて行くことにした。

コロナ禍で一度閉まったホテルなどが復活してきているが、リノベーションしてオーナーも変わったようだ。中国資本の雰囲気がある。夕日が傾く中、そちらに向かって歩いて行くのは何となく楽しい。40分ぐらいかけてゆっくり歩くとあたりは暗くなる。ようやくターミナルに着いた。

バスは頻繁に来ており、何台も見送る。私のバスはバンコク行の最終。そうしないとバンコク到着が午前3時などとなり、向こうで動けなくなることを考慮したのだが、待っている時間はすごく長く感じられた。しかも予想通り大勢の人がいる。次々に様々な方面へ向かバスに乗り込む。私はタイ語も分からないため、乗り過ごさないよう注意を払っているので疲れる。

ようやく自分のバスが着て乗り込む。シートは快適で、申し分ない。最初は山道をかなり上り、バスはゆっくりと走った。途中に検問などもあるが、夜は真っ暗でよく見えない。過去に一度乗ったはずだが、全く記憶がない。寝入っていると途中でバスが停まる。専用休憩所に着いたので、降りて無料の麺を啜る。夜中にこんなものを食べて良いかなどとは考えない。無料だと手が出てしまう。

それから数時間、いつの間にかバンコク内に入り、時々人が下りていく。こんなところで降りてどうするのかと思っていると、ちゃんとバイタクが迎えに来ている。ついにモーチットのバスターミナルに着いたのは午前5時過ぎ。雨も降っている。街へ行くバスを見ると1台出て行くところだったので慌てて乗り込む。

BTS駅まで行くと既に明かりがついていたが、私が乗りたいMRTは6時からしか入口が開かない。仕方なくBTSに乗り、一度乗り換えてプロンポーンまで行く。ところが早過ぎて当てにしていたバイタクの姿はない。しかも雨が降っておりタクシーも捕まらない。その内小雨になったので、何と歩いて行くことにした。涼しい朝のバンコク、気持ちの良い散歩となる。最後にマックに寄り、ゆっくり朝マックを食べてから帰宅した。

メーソット旅2023(2)メーソットを眺める

メーソットで

車で今日泊まるホテルへ行く。この街ではかなり良いホテルらしい。プールが大きい。だがまだチェックインはできず、ドライブに出る。といっても行くところもないので、コロナ禍に開通したタイーミャンマー国境の橋を見に行く。最近までミャンマー国内の混乱により通行が制限されていたという立派な橋は、今は開通し、貨物を積んだトラックが列をなしている。ここは貨物専用で、人の往来は相変わらず従来の橋を使っている。

ランチに行く。街道沿いのきれいで、静かなレストランで、美味しいタイ料理を頂く。カズちゃんと会うのは3年ぶり。その時は赤ちゃんで、こちらの顔など覚えていないが、徐々に打ち解けていく。アイちゃんは常に意識しており、こちらの様子をチラチラと窺っているだけ。今日のメーソットは36度と暑い。

それから今度は第一国境へ行く。ここは以前歩いて何度か越えているので思い出深いが、日中の暑さのせいか歩いている人はほぼいない。車もあまり見られない。そして数年前と特に変化は感じられない。今回は残念ながらここを越えることはなく、メーソットで1泊してバンコクに戻る予定だ。因みに日帰りであれば、パスポートを預けて手数料を払えばミャワディ側に行けるようだ。

ホテルへ行き、チェックイン。広くてきれいで見晴らしも良い快適な部屋だ。今はこんなホテルが出来ている。午後4時ロビー集合というので行って見たが、誰もやってこない。きっと子供たちのことで遅れていると思い、少し離れたセブンまでドリンクを買いに行く。するとなんと一家はそこにいた。何で集合時間に来ないのかと聞いたら、『ミャンマー時間の4時』と言われ、唖然。そうだ、タイとミャンマーには30分の時差があることも忘れていた。スス一家は大量にお菓子などを買い込んでいる。

街の中心にあるロビンソンデパートへ行く。子供たちの目当てはここで遊ぶことだった。子供向けのゲームセンターは充実しており、多くの子供がはしゃいでいる。その中にはミャンマー側から来た人々もおり、知り合いとあいさつを交わしている。建物の外にはマーケットが出来ており、その周囲にはまた遊具がある。週末の夕方、多くの子供連れが遊んでいる。これがタイ式。

夕飯もロビンソンで火鍋かと思ったが、また別のレストランへ行く。駐車場は車で溢れている。家族連れが多い。ここでもエビやカニなどご馳走を頂く。コロナ禍のこの付近の様子などを聞いていると、カズちゃんは疲れて寝込んでいる。隣のテーブルでは子供の誕生会が開かれており、ちょっとうるさいのだが、構わずぐっすり寝ている。ホテルに戻ると私も疲れてすぐにぐっすり寝た。

3月12日(日)メーソット2日目

朝早くに目覚める。朝ご飯を待っていたが、一人で先に食べることになった。子供たちの用意もあるのだろう。どう見ても昨日食べ過ぎているので、今朝はパンとコーヒーで軽く済ませた。後で聞くと、スス一家は実にぐっすりと一晩を過ごしたらしい。何と彼らの住むミャワディはここ数か月ずっと停電で、暑い夜にクーラーも使えない状況が続いている。昨晩はホテルのクーラーを思いっきり浴びて幸せだったという。それで今回、私はメーソットへ行くというと、彼らも出てきて泊った訳だ。ミャンマーのそんな状況にちょっと暗い気持ちになる。

宿を出て、お寺へ行く。ここは以前もアイちゃんと来たことがある。何ともユニークなキャラクターが沢山置かれており、子供たちも楽しめる如何にもタイのお寺だ。カズちゃんとはすっかり打ち解けたが、アイちゃんはスマホを向けても、なかなか笑顔にならない。もうお歳頃、ということだろうか。それでも写真を撮られるのは嫌がらないので、嫌われてはいないらしい。ほんの少し英語で会話する。

メーソット旅2023(1)キャンセルされたフライト

《メーソット旅2023》  2023年3月11₋12日

バンコク滞在中に、行くべく所が1つあった。それはメーソット。1月にバンコクに来た時にすれ違ってしまったスス一家に会いたいと思っていたが、何となくミャンマーには入り辛い。そこで以前のようにメーソットまで行き、そこに来てもらい週末を過ごすというプランになった。

3月11日(土)キャンセルされたチケット

メーソットまでのフライトは一社独占だった。1日2往復。以前も乗ったことがあるので、何気なく予約をして、セブンで支払いをした。だが出発2日前になって、帰りの便だけ欠航となったと知らせが来た。このフライトをどうするのかを決めるためには、コールセンターへの電話しか手段がない。

当然電話は繋がらない。何とも面倒だ。以前ならすぐに癇癪を起していただろうが、今はそれを楽しむ感じでずっと待つ。30分ぐらいでオペレーターが出た。選択肢は3つ。①行きもキャンセルしてリファンドを受ける②帰りのフライトを変更する③帰りのキャンセルしてリファンド、行きだけ搭乗する。

普通は②を選択するのだが、何と搭乗できるフライトは5日先までないという。まさかそんなにメーソットに居るわけにはいかない。オペレーターは①の方向で話し始めたが、私は③を選択し、帰りはバスで帰ると言った。そこで問題なのがキャンセル分の払い戻し。クレジットカードで買っていれば、そこに戻すだけなのだが、セブンで支払ったため、振込先が必要になる。取り敢えず銀行口座を教えて電話を切った。

ところが翌日空港会社からメールが来ており、払い戻し口座を知らせろと聞いてきた。もう昨晩伝えたので無視していると、何と電話もかかってきて、払い戻し口座を教えろとしつこい。これは新手の詐欺かとも思い、途中で電話を切った。しかしその後払い戻される気配もない。一体どうなっているのだろうか。因みにチケット代は通常の国内線料金より高いので、残念だ。

Yさんにその話をすると、『帰りのバスを予約しないと』という。確かにフライトが欠航になればバスに乗る人もいるだろうから、現地に行ってバスチケットが無かったら大変だ。バスは夜行しかないが、これも仕方がない。予約は宿のタイ人にやってもらい、飛行機よりずっと安い料金になった。

メーソットまで

いつものようにドムアン空港には相当早く着いた。そしていつものように食堂で粥を啜ってから、荷物検査を通過したが、それでもかなり時間が余る。仕方なくボーっと離発着する飛行機を眺めていた。ところが出発時間20分前になっても、全くゲートが開く気配がない。いや、それより飛行機が来ていない。

これはおかしいと思い、掲示板に目をやると、何と私のフライトは何の知らせもなくゲート変更になっていた。慌てて移動すると、ちょうど搭乗が開始されており、間に合ってよかった。久しぶりの黄色い航空会社だが、以前ほど良いイメージはない。

フライトは完全に満員。チケット代も結構高いのに、何故か若者が沢山乗っている。しかもお世辞にも柄が良いとは言えない。隣に座ったにーちゃんはずっとゲームに興じている。手に持っているパスポートは中国だった。一体これはどういうことだろうか。中国人の若者がメーソットに何しに行くのだろうか。

フライトはあっと言う間に空港に着陸した。あの若いにーちゃんたちの姿もいつの間にか消えていた。だがススたちの到着が遅れたため、私だけがロビーに取り残された。空港はコロナ前に新しくなり、きれいで、冷房も効いているので問題はなかった。ようやく3年ぶりにアイちゃんやカズちゃんが迎えに来てくれ、ようやく感激の再会となった。

トラン、スラッタニー旅2022(4)スラッタニー散策

仕方なくGrabタクシーを呼ぶと10分ほどしてやってきた。だが街中の予約した宿までは相当に距離があり、料金も180b程度した。この街は列車で着く街ではないらしい。以前来たと言ってもタクシーの窓から見る風景にとんと覚えがない。30分近く走ってようやく川沿いの見覚えのある通りに出て、何とか宿に着いた。

目の前に現れたのはきれいなホテル。そして名前にリバービューが付く。ところがフロントで『リバービューの部屋をお願い』したところ、『我がホテルにはリバービューのお部屋は1つもございません』だと??確かにリバーから少し離れており、方角的にも見え難い位置だ。まあ部屋がきれいだったのと、清々しいまでの返答に免じて、良しとしよう。

そうこうするうち、日が暮れてしまった。私は何の目的もなくスラッタニーへ来てしまっていた。だから取り敢えず腹を満たしたい。だが宿の周辺に食堂らしきものは見られない。街の通りの方へ歩くのも億劫だ。反対に少し歩くと、チキンがぶら下がっていた店があった。ガイヤーン、何でタイ南部でとは思いながらも急に食べたくなり、その屋台に毛の生えた店に入った。大盛のご飯を貰い、大量の鶏に思いっ切り食いつく。とても満足したが、何と隣は草むらで大量の蚊に刺されて、かゆくてたまらない。店主夫妻が英語を話したのは意外だった。

10月27日(木)スラッタニー散歩

朝ご飯が無かったので、外へ出て探す。宿から直ぐのところに、小さな食堂が2₋3軒あった。ちょっと覗き込むと、何とジョークが作られていた。しかもジョークの上から団子スープのような物を掛け、半熟卵と高菜漬けも載っていた。これは思ったよりはるかに美味く、大満足。なぜか飲み物は甘いミルクティというのもタイらしい朝だった。

いい天気なので、そこから散歩に出た。すぐ近くにコーランプーパークという小島が公園になっているところを歩く。なかなか自然な雰囲気でよい場所だったが、特に見るべきものはない。歩いている内に数年前にここを散歩したことを急に思い出す。次に橋を渡ると、白いきれいなお寺が見えたので、遠方からちょっと眺める。

そのまま川沿いを歩いて行けば、華人廟などに着くだろうと歩き始めたが、なかなか見えてこない。途中には鯨のモニュメントなどがある。因みに川沿いの看板に中国領事館の注意書きがあったのは、やはりこの付近にも中国人観光客が沢山来るのだろうかと、ふと疑問に思う。最後はトイレに行きたくなり宿へ引き返した。

宿で少し休み、12時にチェックアウトして、またGrabタクシーを呼ぶ。昔は空港バスなどあったはずだが、ホテルのフロントは『バスなど知らない』というので仕方なく、Grabにした。空港は昨日の駅より更に遠く、1時間弱かかり、料金も相当かかった。何でこんなに遠いのだろうか。途中で雨も降りだす。

空港にはかなり早く着いたので、色々と眺めてみた。到着便から降りてくる乗客には欧米人も多く、リゾート島へ向かう人々の中継地がこの空港だと分かる。ここからバスとフェリーで思い思いの島へ行くらしい。出迎えの旅行業者も多く、チケットもここで買える。次回は島へでも行ってみようか。

チェックインカウンター、荷物検査ともかなり混んでおり、もうコロナの時代は終わり、観光事業が蘇ってきたことを告げていた。お気に入りのタイライオン航空に乗り、1時間ちょっとで無事にドムアン空港に戻る。空港ではきれいな夕日が出ており、気分良くバンコクの宿へ帰った。