タイ最南部からマレーシア2022(5)コタバル散策

10月12日(水)コタバル散策

朝ご飯は前回同様ルーフトップで食べる。お粥が旨い。本当は外で食べたかったが、既に日差しが強くてとても暑く、座ってはいられない。9時過ぎに戦争博物館へ向かった。6年前のリベンジ、旧憲兵隊司令部。前回お休みだった博物館にとうとう入った。入場料2mr。係の女性が何処から来たのか聞くので、『日本』と答えると、彼女は大きく頷きながら中を指した。

館内の展示をゆっくりと見た。第1次大戦で英国に連れていかれヨーロッパで戦死したマレー人がいた。山下奉文の隣に牟田口廉也が登場した。銀輪部隊についても書かれており、パールハーバーより僅かに早く、コタバル上陸作戦が行われたとある。上陸戦はかなりの激戦で戦死した日本兵も多くいた。

三方より上陸してシンガポールを目指すのが日本軍の作戦だった。逃げていくイギリス軍に地元民は喝采したとあるが、それも長くは続かなかった。途中からは抗日運動も起こり、そこでまた悲劇が生まれる。博物館の後方には飛行機、戦車なども置かれている。我々はコタバル上陸作戦をもう少し知る必要があり、その後の日本軍がマレー半島で一体何をしたのか、もっと知るべきだろう。

外へ出て、何となく歩き出す。ふと、マレーシアリンギをあまり持っていないことに気が付いて、銀行を探す。銀行のATMに銀聯カードを突っ込んだが、お金は出てこなかった。慌てて銀行の人に聞いたが、よく分からない。もう一つの銀行でも銀聯が使えないことが分かり、愕然となる。と同時にこの街が中国人観光客の来るところではない証明を見た思いだった。

結局地元系銀行は無理で、かなり歩いてHSBCのコタバル支店でリンギットを何とか確保した。ついでに街の両替所の場所を聞くとKBモールという徒歩20分かかる郊外のビルにあることが分かった。折角なのでモールまで歩いて行く。途中で旧バスターミナルを発見、ここから国境行のバスの存在も発見できてよかった。それにしても市内で両替所はここしかないのか??モールにお客は殆どなく、小学生が遠足に来ている以外は、閑散としていた。 

宿まで歩いて帰り、荷物を持ってリバーサイドのホテルにチェックインした。ところがなんと5時前まで部屋のエアコンが使えないというではないか。結局10mr割引してもらい、 1泊朝食付218mr。部屋は広く、リバービュー全開。おまけに室内は冷房の残りが効いており、涼しく快適で問題なし。

外に出て昼ごはんを探すがなかなか良い所がない。よく見るとチキンが下がっている店があったので入ってみたら、食堂は隣だと言われる。隣はかなり立派なレストランで、きちんとした身なりの人々が食事している中、場違いな格好でチキンライスを食べる羽目になる。料金は11.5mrとそんなに高くはない。

食後に出てきたティーはミルクなしで、甘い。周囲を見渡すと、基本的にヒジャブを被った女性たちが食事をしているが、なぜか身なりの良い男性4人も登場し、私とは違った場違い感を出している。まあイスラム世界では酒を飲まないのが私にとってはとても良い。

午後はイスラム博物館でイスラム教がこの地に伝わった歴史などを勉強。ついでに隣の州立モスクを見ると非常に美しい。思わず何枚も写真を撮る。ここに来ている人は皆優しい顔をしているのが印象的。更にその隣は王宮博物館。その建築美は素晴らしいが、室内の展示は王室関係ばかりだった。その隣には今も使われている王宮があるがここは立ち入り禁止。もう一つケランタン州博物館まで歩いて行ってみたが、現在改装中で入れず。

疲れたので宿に戻り、大きな窓から川を眺めて休息する。これは何とも落ち着く。4時前にはエアコンも復活。少しずつ降りてくる夕日を見ているのは幸せだった。涼しくなったので夕飯を探しに外へ出たが、いい所が見付からず困る。川沿いに屋台?が出ていたが、川だけ眺めて宿に戻り、結果クラブサンドイッチをルームサービスして、部屋で夕日を眺めながら食べる。何とも贅沢な時間。6年前を思い出す。暗くなると川も見えず、川音だけが静かに聞こえてくる中、深い眠りにつく。

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