トラン、スラッタニー旅2022(2)トランを散策する

10月25日(火)トラン散策

翌朝は狙っていた近所の早茶屋へ向かう。完全な華人経営(元は旅行会社もやっていた)であり、お客も華人の顔をしているが、店員はタイ人が多く、華語を使う場面はない。点心は魚のすりみなど実にうまし。華人オーナーに話し掛けようとしたら向こうから英語が飛んできた。

食後散歩していると大きなタイ寺があり、その向かいに天福宮の文字が見えた。中に入ると管理人が出てきて、きれいな華語を話す。100年以上前に移民してきたらしいが、祖先がどこから来たのか、自らの原籍を知らないという。ここは福建系ではないのだろうか。それでも華人(年配者)はこの地でちゃんと華語を学んでいたことが分かる。今の若者は全てタイ語で話してしまうようだ。

ここから大観音が見えたので、登って行ってみる。途中道を間違えそうになったが、車に乗った華人女性が英語で道を教えてくれた。更に細い道に入ると自転車に乗った華人の老人とすれ違う。彼も普通に華語を話したので聞いてみると、姓は黄、ヤラー県生まれの潮州系で、薬屋を開くために商売に適したここに移住して数十年も経つらしい。

トランの華人勢力は広東系、福建系、潮州系の順番だと黄さんは言う。100年以上前貿易で栄えた街で、ペナン、プーケット方面から来た華人が多く住んでいる。黄さんが若い頃は華人学校で皆が華語を学んでいたが、今はバラバラになっているため、華語を話す人は確実に減っているとか。

大観音まで登る。誰が建てたのか、説明もなくよく分からない。そして特に寺があるわけでなく、人も常駐していない。ただただ街の(華人の)シンボルのように小高い丘に建っている。近所に天后廟があったので寄ってみたが、華人でなくタイ人管理人一家が廟を守っていたのは意外だった。タイ語が分からないため、その経緯などを聞くことは叶わなかった。この付近には犬が多く、吠えられるので早々に退散した。

宿まで戻ってくると隣にいい雰囲気の建物が見えた。近づくと何とホテルとして使われている。次回トランに来る機会があればここに泊まってみたい。今日の昼は昨日失敗したホッキンミーにありついた。これは濃厚なスープともちもち麺の組み合わせで確かに美味い。観光できていたタイ人若者も迷わず頼んでいた。ペナンで以前食べたのとよく似ている。50bで満足。

食後フラフラと歩いて行くと、チュワン首相生家というのがあった。チュワン・リークパイ(中国語: 呂基文)は、1938年にこの地で生まれた華人であり、タイの首相(第27・30代)にまでなった人物である。現在も政治家を続けており、ある意味でトランを象徴する人ともいえる。実は私にホッキンミーの店を教えてくれたのも、バンコクに住むチュアン一族の一人であった。

形ばかりの警護門があるが、中に入ると誰もいないので、説明を受けることもできなかった。どれが家なのか、敷地が広大でよくわからない。奥の方まで庭が続いており、小さな池もある。温室などもある。何だかトイレがとてもおしゃれだ。それから街をゆっくり歩いて宿へ帰る。途中に大きな寺などを見る。

午後はまた激しい雨が降る。スコールというべきだろうか。しかし2日続けて夕飯に行かないのも詰らないと思い、宿で傘を借りて出掛ける。マッサマンカレーも名物だと聞き、ネットで調べた店を探す。ところがその情報が正しいのかどうか、かなり歩くもなかなか見つからない。Google検索もできないので諦めかけたその時、奇跡的に目の前に現れる。ちょうど雨も上がった。

ここはイスラム教徒の経営だった。マッサマンと言うと何とか通じる。取り敢えずチキンを注文。美味しそうなカレーにきゅうりが付け合わせで付いてくる。ここではきゅうりを一緒に食べないのは反則らしい。調理場を覗くとチキンだけでなく、魚や煮卵など美味しそうなものが並んでいたので、思わず皆注文して合わせて食べる。

ちょっとスパイシーだが実に美味しく、日本人に合うお味だ。応対してくれたのは高校生ぐらいの女の子。英語ができるので、少しお話したところ、日本人がこの店に来るのは珍しいらしく、とても喜んでくれた。最後に支払いをしたら、お釣りが無いと言って、隣の店に走っていく姿が何とも愛らしい。

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