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タイ南部を歩く2019(5)ハジャイへ、そして国境へ

8月13日(水)
ハジャイに戻る

翌朝雨は降っておらず、ホッとする。バスターミナルへの道をどのように行くかが気がかりだったのだ。ホテルで車を頼むと高いだろうと思い、近所でトゥクトゥクを探す。待合場所に車はあったが運転手がいなくて焦ったが、すぐにやってきたので、それに乗ってターミナルへ向かった。これも僅か50バーツで済む。

 

予約したハジャイ行きのバスは10時にきちんと出発する。さすがに乗客は半分ぐらいだろうか。大型バスで座席もゆったりしており、ミニバスより快適に過ごせる。バスは先日スラッタニーから来た道をひたすら逆走する。半島横断のところにはプーケットまで200㎞の表示がある。プーケットから飛行機という手もあったかな、とは思うが、それもまた遠い。

 

このバスはあまり停まらないで、どんどん進んでいく。風景は特に見るべきものもなく、途中から寝入る。半島の反対側に辿り着き、南下を開始する。その頃ようやくトイレ休憩があったが、食事休憩は何と午後3時ごろになっていた。そこで軽く麺をすする。本当にハジャイまでは遠かったのだと実感する。そしてスラッタニーからハジャイまで思い付きで行ったことが嘘のように思える。

 

スラッタニーなどの街には寄らず、国道本線をひた走る。さすがに車内にじっとしているのは退屈になる。途中工事などもあり、車が渋滞していつハジャイに着くのか心配になる。日は傾き、そして落ちていく。列車で北上した場所を南下しているのだろうが、もうどこを走っているのかさえ、分からなくなる。そうして9時間かけて、ついにハジャイの郊外までやってきた。

 

荷物はあったが、大丈夫というのでバイタクを拾って、駅まで行く。意外と距離があるんだな。これも60バーツ。そして事前に下見した駅にあるステーションホテルにチェックインした。かなりたくさん部屋があるようだが、泊っている人は多くはない。部屋は結構広いが特に備品は何もない、殺風景な部屋だった。それでも電気ポットもあるし、Wi-Fiの問題もないので便利である。何より明日列車に乗るのは何とも楽だ。

 

兎に角腹が減ったので、前回行った食堂へ向かう。何と団体客で満員だったが、端っこに座り、海南チキンライスを食べる。この団体、年寄りの華人が多いが、態度がかなり横柄な人がおり、従業員も困っていた。言葉が通じると途端に横柄になる人、日本人にもいるな。

 

8月14日(木)
アロースターヘ

翌朝は列車の音で目覚める。如何にもステーションホテルだ。今日乗る列車は午前7時半に出るので、7時過ぎまでゆっくりしてからチェックアウト。そしてそのまま切符を買い、ホームへ向かえるのが何とも良い。でも、なぜかこの列車、電光掲示板には表示されていなのでちょっと不安になる。

 

だが列車は既にホームにあり、すぐに乗り込めた。マレー系と思われる人々がかなり乗っており、これがマレーシア方面に向かうという雰囲気を出していた。車体は前回乗ったのと同じかな。固い椅子席に座る。定刻には出発して、すぐにのどかな田園風景になる。昨日の疲れもあり、ウトウトしているといくつか駅を過ぎる。

 

パダンブサールという国境の駅に着いたが、殆どおりない。ここはタイ側の駅であり、マレーシアに行く人はマレーシア側のパダンブサールで乗り換えなければならない。この辺は知らないと焦る場面だ。同じ名前の駅が二つあるのは、何ともややこしい。そしてハジャイから40分ちょっとで、マレーシア国境まで辿り着いた。

 

駅を降りると、そのホームから直接、タイ出国審査が受けられるようになっている。更にはそこを越えて少し行くと、今度はマレーシア入国審査まで受けられる。初めての外国人はちょっと戸惑うが、何とも便利である。無事マレーシアに入国すると、2階に上がり、チケットを買いに行く。私はマレーシアリンギを持っており、アロースターまで簡単に買える。

 

多くの乗客はクアラルンプールまでの早い電車に乗るため急いでいるが、私が乗るバターワース行きはさっき行ったばかりで約1時間待ちとなる。KL行きが出てしまえばのどかな駅となる。外に出ることも可能だが、国境以外何もなさそうだったので、待合室で待つ。ようやくやってきた電車はコミューター。確か佐賀県あたりで何回も乗った車両に似ている。ハリラヤ避難のタイ南部の旅は予想外の展開となったがこれで終了した。

タイ南部を歩く2019(4)ボートに乗ってミャンマー コータウンへ

8月12日(火)
コータウンへ

翌朝は一転、よく晴れていた。ハジャイに戻るのは明日にしていたので、今日はダメもとでミャンマーを目指すことにした。というのは、ホテルのフロントの感じの良い女性に聞くと『ここからミャンマーに渡るのは、今は雨期だからダメで10月以降解禁だ』と言われたからだ。

 

まずはどうやって港まで行くのか。ネットで検索すると、ソンテウの番号まで出てきたので、市場まで歩いて行き、それを探す。運転手に『ミャンマー』と叫んでみると、これに乗れ、と指さされたので、ソンテウに乗り込む。一緒に乗っている人々はほぼミャンマー人だったから、彼らについて行けば何とかなるだろうと思った。

 

30分ぐらいでソンテウは港に入った。乗客はどんどん降りて行き、向こうで待っているボートに乗り込んでいく。なんだ、誰でも行けるんだ、と安心したが、私はタイを出国しなければならない。イミグレオフィスはすぐ横にあり、そこに入っていくと『あなたはここに戻りもう一度タイに入国しようとすれば、これで今年2回目の陸路入国になるので、今後は陸路では入れませんよ』と念を押される。こんなことは初めてだが、承諾する以外に出国の道はない。

 

手続きが済むと、ボートの客引きがやってくる。どれに乗ってよいか分からず、とりあえず聞いてみると、100バーツだという。もっと安いボートはないかと聞いたが見つからず、適当に乗ったボートは客が集まらず、なかなか出発しない。他のボートはお客までが客引きして、出発を早めようとしている。

 

ようやく出発すると、助手の男がすぐに身分証を回収する。私のパスポートも預けたが、彼はずっとそれを手に持っており、落としはしないか気が気ではなかった。出発してすぐにボートのチェック基地があり、そこを過ぎると30分ぐらい揺られていく。天気が良いので特に心配はないが、海が荒れたら大変だろうな。

 

コータウンの港に着くと、乗客は我先に陸に上がり、そのままどこかへ姿を消してしまった。私は周囲をキョロキョロしたが、イミグレが見付けられず、オロオロする。密入国になってしまうではないか。何とか建物を見つけてパスポートを差し出すと、パスポートのコピーが必要と言われ、表に出てコピーして戻る。この間も入国手続きしていないのに、自由に歩き回る。もう密入国だ。

 

日本人はビザ免除なので、すぐにハンコは押された(以前は日帰りビザで10ドル支払っていたらしい)が、『いつ帰るんだ』と聞かれ、今日と答えると、何と2つハンコが押してある。『帰りはここに来なくていいよ』と言われ、すでに出国のスタンプが押されていることが分かる。何と合理的な、いやずさんなイミグレだ。ここは完全に自己責任型なのだと理解し、密入国者はいとも簡単にできる、ことも分かる。まあ国内に手引する人がいなければすぐに捕まるだろうが。何故タイの国境付近の警備が厳重化、その理由が分かったような気になる。

 

街を一周してみたが小さなところだった。取り敢えず腹が減ったので、食堂に入る。汁なし麺を頼むとこれが予想外にうまい。スープは別についてくる。そしてティーミックス。甘いがとてもいい。店の人々は華人のようだが、英語も話すので助かる。手持ちのミャンマーチャットで支払う。

 

小高い丘に登り、全体を見渡してみたが、やはり海に張り付いた狭いエリアに住居が見える。向こう側の丘には寺院が見えたので、そこまで歩いて行ってみる。この登りは意外と疲れる。しかも雨が降った後なのに、寺に入るには靴も靴下も脱がなければならず、ちょっと困る。

 

市場の中も歩いてみたが、茶葉を見ることはなかった。発酵食品系の物は色々とあり、興味深い。スーパーがあったので、そこでティーミックスを買い込んだ。私がミャンマーに来た目的はこれだったのか、と思ってしまう。でも暑い国を歩いていると無性に飲みたくなる。コーヒーではないのだ。最後は歩き疲れて休むために食堂に入った。肉まんを食べて、コーラも飲んだ。

 

僅か3時間の滞在でコータウンを離れることにした。帰りのボートを探していると、すぐに出るというのがあったので乗り込んだ。ところが乗客は私一人。大丈夫かと思っていると、ガソリン代がないから金をくれという。渡さなかったら、知り合いのボートからガソリンをとって自分のボートに入れている。ちょっと危険を感じたが、結局何事もなくラノーンまで戻ることが出来た。

 

一応入国スタンプももらい、またソンテウに乗って帰った。まさにショートトリップの国境越えだった。市場でまた腹が減り、麺を食べる。鶏肉入りで具沢山の麺、これが実にうまい。また食べたいな、と思いながら、宿に戻り休息する。夕方外へ出たが、目的はTシャツを買うこと。それを終えると、おばあちゃんが鶏肉をいい匂いを出して焼いていたので、思わず買い込む。1本5バーツ。安くて旨い。

タイ南部を歩く2019(3)雨のラノーンで温泉

ラノーンで

そのバスターミナルはとても寂しいところだった。バスもほとんどいないし、タクシーもいない。ソンテウに声を掛けられたが、どこへ行くのか自分でも分からない。この近くにホテルがあったのをバスから見ていたので、今晩はあそこにしようと歩き出すが腹が減って動けない。ちょうど麵屋があったので何とかエネルギーを補給する。

 

そのホテルは古びており、フロントには親切心が全くない、珍しいホテルだった。その割には700バーツもしたので、すぐに後悔したが、まずは休息が先決。その後暗くなる前に一応小雨の中外へ出てみる。ここはラノーンの郊外だから、街がどこにあるのか確認してみた。

 

歩いて10分ほどで到着。かなり小さなところだが、古びた中に、大きめの市場があり、ミャンマーへ運ばれるだろう物資が積まれていて国境貿易の感じはある。やはり国境の街なのだ。ちょうどよさそうなホテルもあったので、明日はここへ移ろう。ふらっと一周して、宿へ帰り着くころには真っ暗だった。

 

8月11日(月)
温泉、そしてホテルチェンジ

翌朝は雨が止んでいた。兎に角このホテルからは撤退したいと思い、昨日見たホテルにネットで予約を入れた。ただすぐチェックインできないので、先にバスターミナルまで歩いて行き、ハジャイに戻るバスの時間を確認し、そのチケットを購入した。戻れることがはっきりしたので安心したところ、ちょうどバイタクがいたので、温泉まで乗せてもらった。50バーツ。

 

バイクは郊外の道を少し走り、山に入っていく。そしてすぐに温泉に到着した。川沿いに湯気が上がっている。ここは完全な観光地となっており、料金を払わなくても足湯に浸かれる場所がいくつもあった。珍しく足湯してみる。しばらくそうしていると体がポカポカしてくる。今日は結構涼しいのだが、汗が出てきたので上がる。

 

勿論有料の温泉場もあり、また最新式のSPAもあるようだ。私は川沿いを散策する。とても気持ちがよい。お客もちらほらいる程度だが、皆車で遊びに来ており、私のように足がない人はいないようで、バイタクすらいない。仕方なく帰りは歩いていく。それでも30分もあれば宿にたどり着く。

 

部屋で荷物の整理をしているとまた雨が降り始めた。フロントにタクシーを呼んでくれるように頼むと一言『この街にタクシーはない』というではないか。そんなことがあるのか、と聞き返すと『英語は分からないからタイ語で話せ』と言って取り合わない。これは困った。この雨の中、荷物を引きずって30分も歩くことは出来ない。

 

すると別の男性がやって来て、『俺が何とかする』と言ってくれたが、『本当にこの街には通常のタクシーはなく、もし知り合いに頼めば法外な料金を取られる。ここは我慢してバイタクで行くのがよい』と説明する。本当に仕方なく、雨の中バイタクの後ろに跨り10分乗って行った。

 

傘を差すこともできずに、ずぶ濡れになってホテルに着く。料金は60バーツ。フロントに駆け込むと何と『午後2時までは部屋に入れない』というではないか。だがここはさっきのホテルとは違う。服が濡れているなら、2階のジムで着替えて、と言ってくれる。優しい。ジムに行くとすぐに対応してくれ、更にちょっと筋トレを始めると僅か20分ほどで、部屋の用意が出来たと案内がある。このサービスは嬉しかった。このホテルが元はこの街一番だったことはよくわかる。

 

部屋はそれほど大きくはないが、居心地は良かった。窓から外を見ると、雨で池が増水していたが、雨自体は止んでいたので、急いで外へ出て食べ物を探す。通りにガバオライスの店があったので、そこでようやくランチにありつく。ところが食べている最中に強烈な雨が降り出し、座っているテーブルたりまで吹きこまれる。20分ほどして弱くなったので傘をさして逃げかえるが、その道には水が溢れていて、かなり濡れてしまった。

 

私は何でこんなところへ来てしまったのだろうか。その雨は夜まで降り続いており、夕飯を探しに外へ出るのは諦めた。ホテルの1階で売っていたパンを食べて過ごす羽目になった。外にいる時、バナナが目に入ったが、一房が多過ぎ。半分にカットして売って、とお願いしたが、ダメと言われたのは何とも恨めしい。

タイ南部を歩く2019(2)トランへ行くはずがラノーンへ

8月9日(土)
山田長政はどこ?

私がこの辺鄙な?ナコンシータマラートに来た理由、それは『山田長政が死んだ場所』と聞いたからだった。アユタヤなどには日本人町が作られ、山田の名前も出てくるのだが、彼の最後の地がここだ、というのは意外だった。それも殺されたのだ、と言われると、興味を持ってしまった。

 

まずはホテルに付いている朝ご飯を食べる。昨日はあまり食べていなかったので、カオトームの他、パンも食べてしまう。団体客は既に食べ終わって去ってしまったらしく、ゆっくり食べられてよかった。それからすぐに外へ出て、この街の散策を開始した。ここにはバスはないらしいので、歩きか。

 

最初に行ったのは宿の近く。古い仏塔があったが、観光地ではないらしく、説明書きすらない。そこから広い通りに出ると、ソンテウが走っており、博物館まで行きたいとスマホを見せると、運転手が頷いたので乗り込む。ここのソンテウ、全て10バーツらしい。バイタクより便利で、本数も多い。

 

博物館は5㎞ぐらい離れていたが、通り沿いだったので助かる。かなり立派な建物だったが、私が知りたい山田長政に関するものは勿論、その時代の展示もほとんどない。タイでは山田は知られた存在ではなかったということだろう。この街が中世の重要貿易拠点だったことは確かのようだ。展示物はかなり多いのだが、他の都市の博物館にも大体ある仏像などを眺めて過ごす。

 

それから歩いて、観光のメインと言われているワット・プラマハタートに向かう。その隣にも興味深い寺があり寄り道する。ワット・プラマハタートは確かに立派なお寺で、その仏塔もなかなか見ごたえがある。寺院内の立像もその輝きがかなり立派でしばし立ち止まる。

 

その後、またソンテウを拾い、城壁まで運んでもらう。その昔の城壁の一部が残っており、堀で仕切られていた。城壁横の廟もかなり美しい。ちょうど何か祈りが行われており、坊さんたちが食事中だった。そのままフラフラ歩いて宿方面へ帰る。昼食の場所を探すのも大変で、何とか麵屋を見つけて飛び込む。

 

宿へ帰って午後どうするか考えていると、突然強い雨が降り出して外出できなくなる。ちょっとしたスコールだろうと思っていたが、雨は3時間以上降り続き、結局午後の散策話になってしまった。夕方は未だ小雨が降っていたが、今度はこのホテルに向かって車が大挙してなだれ込んでくるのが窓から見えて驚く。どうやらここで結婚披露宴でもあるらしい。この雨の中、着飾った人々が次々に中に入ってくる。私は益々外に出られない。

 

ようやく雨が止んだのを見計らって表へ出た。とにかく何か食べたい。辺りは既に暗く、飢餓感に追い打ちをかける。昨晩とは違う道を歩いて行くと、何だかきれいな食堂が見えた。ただメニューから注文する方式らしく、タイ語が分からず注文が出来ない。そこの若者は英語ができたので、炒飯と言ってみると、おしゃれな炒飯が登場した。ここはバーにもなっているようだが、料金は普通の食堂並みで有難い。

 

8月10日(日)
トランへ行くはずが

幸い雨は降っていなかった。朝食後にチェックアウトして、道を歩き出す。今日はトランへ行くつもりだが、バスターミナルまで歩いては行けなさそうだったので、バイタクを拾う。ヘルメットを渡され、ちゃんと被ったつもりが、何と途中で抜け落ちてしまう。後続車に被害がなかったからよかったが、かなり焦る。

 

ホテルのフロントで『トラン』と言ってみたが通じなかったので発音が難しいことは分かっており、何べんも練習してきた。ターミナルの人にその成果を披露すると、すぐに通じて、チケット窓口へ案内され、120バーツ支払ってチケットをもらい、ミニバスに案内された。運のよいことにすぐに満員になり出発した。

 

ところがどう考えても行く方角が違う。最初はこちらの方から行くのが早いのだろうと思っていたが、スマホ地図で見ると完全に反対方向で、北上しているのだ。それに気が付いてもどうすることもできない。途中で降りても厄介なので、まあ到着するまで待つしかない。チケットもらっても、ミニバスの車体を見ても、タイ語が読めなければ、何の意味もない、とわかる。

 

2時間後、スラッタニーに着いた。こんなことが世の中にはあるんだな。この街は昨年訪れており、ターミナルの様子などには見覚えがあった。だがここで見るべきものはもうない。どうするか、戻るか。その時急にひらめいた。そうだ、ミャンマーへ行こうと。唐突だが、この半島の反対側にラノーンという温泉で名高い街があり、そこからミャンマー最南端に行けると聞いていた。時間的な余裕もあるので、この際ポジティブ思考、この間違いを利用して行ってみることにする。

 

聞いてみると30分後にラノーン行きがあるという。トイレに行くだけで食事もとらずにそのミニバスに乗り込んだ。そこから北上して、更に半島の山道を延々と横断し、更にまた反対海岸を北上。4時間ほどかかって、何とかラノーンに着いた。正直ナコンシータマラートからトランまで2時間以内の旅を想定していたので、合計6時間以上はかなり疲れてしまった。

タイ南部を歩く2019(1)ハジャイからナコンシータマラートへ

《タイ南部を歩く2019》  2019年8月7-14日

マレーシアを旅していたが、ちょうどマレー系最大の祭りの一つ、ハリラヤの休みにぶつかった。この休みでは2年前、東海岸でひどい目に遭ったので、一度タイに脱出することを思いつく。ペナンから車で4時間、国境を越えて6年ぶりにハジャイに来た。後は風任せの旅になる。

 

8月7日(木)
ハジャイで

小型バスはハジャイ市内に入る。バスターミナルで西洋人を下ろし、後は中国人2人を駅前のホテルまで運ぶ。その途中に私が予約したホテルがあった。そこは元々フランス系ホテルだったが、今は撤退してタイ資本になっていた。とにかく直前割引で安かったので、泊ってみようと予約した。

 

確かにロビーなどは立派で、部屋も眺めは良かったが、何しろ古い。まあこの料金だとこんな感じだろうか。ペナンのホテルよりはマシかもしれないが、朝食も付いていないし、2度は泊まらないだろう。このホテルの下の階はモールになっており、地下にはスーパーも入っていて便利ではある。

 

周囲は繁華街で、賑やかだ。まずはシムカードを買わないと話にならないのだが、ちゃんとホテル近くに旅行者用シムを売っているところがあった。イスラム教徒の女性、英語も通じる。8日間、13GB 、299バーツは安い。腹が減ったので近所で鴨肉麺を食べる。懐かしいタイの味がして、思ったよりうまい。ここの店員は華語をちゃんと話す。やはりこの辺の言語仕様は、マレーシアの影響を強く受けているということだろう。

 

駅も近いので、明日の電車の時間を確認する。インフォメーションでは、きちんと英語で教えてくれた。ちょっと疲れたので午後便でナコンシータマラートへ向かうことにした。この駅、ステーションホテルも併設されているのが目に入る。今度泊まってみようかと考えて、一応料金を確認した。

 

それから街の散歩に出たが、それほど見るものもなく、1時間ほど歩いて宿に帰る。この街は6年前、ソンクラーに行くために泊まったことがあるが、その時も印象は殆どない。単なるマレーシアへの中継地ということだろうか。暗くなってから夕飯を探す。意外とうまい肉と野菜があったので、ご飯をもらってその食堂で食べる。宿の前に人だかりが出来ている。何かと思ってみると、ドリアン祭りでいくつもブースが出ており、ドリアンを買う人でごった返していた。勿論ホテルへのドリアン持ち込みは禁止だ。

 

8月8日(金)
ナコンシータマラートへ

翌朝はかなりゆっくり目覚める。ベッドは悪くないので眠りは深かったかもしれない。11時頃まで部屋でグダグダしてから、外へ出て昼ご飯を食べる。今日は豚足飯だ。ここのタイ人も片言の華語を話している。タイもこのくらい言葉が通じると楽なんだがな、とつい思ってしまう。

 

 

午後1時に宿を出て、駅に向かう。駅では普通車の切符を購入して、ホームに入る。1時40分ごろ来るはずの列車は一向に来ない。反対ホームにはバンコックから到着した列車が停まった。こちらのホームには、飲み物や食べ物を売る人々が何人も待機している。1日中、ここにいるのだろう。

 

ようやく乗るべき列車が来たのは30分以上遅れてから。そして出発時点では50分遅れていた。これがタイ国鉄だ。固い座席、乗客は多くはないので、一人で占領して外を眺める。お客にはマレー系の人もいる。外は延々と、畑か林が続く。駅があっても、どこが駅か分からない場所すらある。これは確か、ミャンマー南部でも見た光景だなと思い出す。途中パタルンという大きな駅を通過したが、それ以外は本当にのどか。

 

 

 

景色も変わらず、3時間も乗れば飽きてくる。その頃バンコックへ向かう列車との別れ駅に着く。何時目的地に着くんだろうと不安に思い始める。それから1時間は意外とスピードが出て早かった。1時間ぐらい遅れていたのだが、最終的には20分ぐらいで済んでいる。それでもまあ、よくここまで来たな、という感じだ。

 

ナコンシータマラート駅は小さくはなかったが、駅前にはあまり店も見えなかった。既に暗くなり始めたので急いで宿を探すが、やはり1㎞くらい歩かないとないらしい。何とか歩いて行くと、そこそこ立派なホテルが見え、600バーツと書かれていたので、そこへ飛び込む。すると後ろから観光バスが停まり、大勢のタイ人がこのホテルに入った。昔はいいホテルだったんだが、というあれだ。

 

部屋などには特に文句はない。急いでまた外へ出て夕飯を探す。こういう田舎町では夜7時を過ぎると食べ物屋が全て閉まることも考えられる。というか、駅から歩いてきた道に食べ物屋は一軒もなかった。結局駅まで戻るも何も見付けられず、その横道にあった麵屋で食べた。何となくかなり寂しい街に来てしまった、という印象だ。

 

 

タイ中部横断の旅2018(16)バンコックの福建会館へ

8月22日(水)
福建系を探す

今回の旅もついに最終日が来た。かなり充実していたとは思うのだが、心残りがあった。それはヤワラーが攻略できなかったことだ。今日は深夜便のため、午前中は部屋で休養して、午後はヤワラーを再訪、夜になったら空港へ向かうことにした。昼ご飯はいつものようにYさんたちと食べる。

 

そして昨晩Mさんから言われた『ヤワラーは潮州系、客家系だが、福建系は他の場所にいるのでは』との問いを解決すべく、教えてもらった福建会館を訪ねることにした。そこはファランポーン駅で降りるが、ヤワラーとは反対方向に歩いていくのだ。かなり迷ったが、周囲は確かに漢字の看板ばかりだった。

 

ようやく目の前に現れたその会館は思ったよりもはるかに立派だった。福建系もちゃんといるよ、とでも言いたげだ。中に入っていくとスタッフが応対してくれた。同郷会などの会員名簿に私が探している王さんの名前はないか、と聞いたところ、今は皆タイ語だから、タイ語名を持ってこないと分からないとあっさり言われてしまう。

 

それでも彼女は親切で福建系の人が集まっている廟の場所などを書いてくれた。彼女自身も当然福建の末裔だと思い込んでいたら、何とミャンマー、それもシャン州の外れの方から働きに来ているという。『たまたまここに仕事があったから』という雲南の末裔である。やはりきちんと北京語を話せる人材は不足しているのかもしれない。

 

帰ろうと思ったが、非常に強い雨が降ってきた。これではヤワラーの方にも歩いて行けない。仕方なく、会館内を見学する。建物は最近建て替えたのかもしれないが、何とか室内はレトロな感じがする。歴代会長の写真や氏名などが掲示されているが、私が探す歴史に関わるヒントのようなものは出てこなかった。

 

30分ほど待ったが、小ぶりにもならない。傘を忘れてきたのだが、我慢の限界が来て、道に飛び出し、運良くタクシーを拾った。ヤワラーを目指し、ちょうどよいところで降りる。まだ雨は降っていたが、まっしぐらに茶荘に飛び込む。だがそこにいたのはいつものおばさんではなく、どう見ても華人ではないタイ人男性。こちらが中国語で話しかけても反応せず、何だという顔をされる。

 

そこに奥からおばさんが出てきたので助かった。今回は彼女に具体的な茶荘の住所と電話番号を見せて、今もあるか聞いてみたが、首を振る。ただこの住所(漢字名)は近くにあると言い出し、何と自ら電話番号に電話してみてくれた。残念ながら繋がらなかったが、こういう具体性が調査には重要だとようやく分かる。

 

茶荘を出て、今度は向かいの宝石屋に入る。中国人観光客が値段の駆け引きしている中、『この辺で指輪を治せるところはないか』と変な質問をしてみる。店主は『ヤワラーにはないぞ、MBKに行け』と謎の言葉を残すが、取り敢えずここでは治らない、そして何より指の回復が先決だと思い、止める。

 

雨は一向に止まないので、近くの麺屋に入る。午後4時で夕飯には早いが、ここでいつも臓物の入った麺を食べている。これは素直に美味しい。中国人観光客が大勢で押し入ってきたので外へ出ると雨は小降りになっていた。だが、暗くなりかけたヤワラーでこれ以上手掛かりを探すのは難しいと諦める。バス通りに出て、バスに乗り、ゆっくりと宿へ帰る。

 

宿では恒例のマッサージで時間を潰す。今回の旅も意外と疲れが出ており、マッサージ早々で寝落ちてしまう。気が付くと2時間近く経っており、良い気分転換となる。預けていた荷物を取り、タクシーでドムアン空港へ向かう。今回は順調すぎるほど順調で30分で着いてしまった。

 

出発まで3時間以上あった。今回スクートの深夜便は3時間前からチェックイン可能で大いに助かる。日本人乗客も詰め掛け、結構行列が出来ていたが、捌きは早く、簡単にチェックインは終了した。出国審査にもまだ早いので、久しぶりにドムアン空港内を散策する。数年前とは様変わりしている。店がかなり違っており、ターミナル1と2の間の2階に沢山出来ていた。ただ夜10時頃には店も閉まり始め、24時間体制ではない。その空いたスペースを利用して、PCなどをいじって過ごす。

 

スクートの運行は時間通りでよかった。また行きと同じで機体は新しく、座席も広くてLCCと言う感じはしなかった。ただトイレがちょっと壊れており、困ってしまったが。まあそれも何となく解決されるのがLCCか。今回の旅を振り返る暇もなく、早朝成田に着き、いつもの電車で家路に着く。

タイ中部横断の旅2018(15)指輪を切断する

8月21日(火)
病院で指輪を

翌朝はいつものように朝Yさんとコーヒーを飲んでいたのだが、実は最近不安なことがあって思い切って打ち明けた。私の左薬指には20年以上結婚指輪が嵌ったままだが、それは指の第2関節が太くなってしまい、取れないからだった。ところが最近体重の増量に伴い、指の太さまで増量している事態となり、このままではいつか指輪で指が締め付けられ最悪壊死してしまうのではないか、と思い始めたのだ。

Yさんはすぐに検索をはじめ、指輪が取れない時の対処法を探してくれたが、その答えは何と『消防署に行く』だった。なんでだろうかと、思いながらも急に心配になってしまい、『バンコックで消防署には行けないが、有名病院なら日本語デスクもあるので対処法を教えてくれるのでは』と期待して、午後病院に行くことを決めた。石けんでこすっても無理なことは分かっていた。

 

朝はかなり溜まっていた洗濯物をいつものランドリーに出したりして、忙しかった。そして昼には何とちょうど話題の高校野球『大阪桐蔭対金足農業』の決勝戦がNHKで見られるというので、昼も食べずにそれを見ていた。太田幸司の始球式、だが試合は一方的な展開となり、Yさんに誘われ、昼飯を食いに行き、最後まで試合を見ることもなく、タクシーで病院に向かった。

 

この病院には何度かお世話になっており、日本語専用デスクの存在も分っていた。受付の若い男性は完璧な日本語を話していたが、名札はタイ姓のように見えた。きっと日本育ちなのだろう。事情を話すと取り敢えず外科に繋いでくれた。同時に『保険が効くかもしれないので電話したら』とも言ってくれたので、電話してみる。

 

外科に行くと、脈拍や血圧を測られたが、ベテラン婦長が出てきて私の指をつまんで即座に『これはあっちね』という仕草をした。そして小部屋に案内されると、そこには二人のレスキュー隊員がおり、私の指を抑えて机の上に押し付ける。まるで指詰め?の儀式のようだ。ちょっと怖い。そのまま金属のへらで指の隙間を開け、ペンチを差し込み、切ってしまった。僅か5分の出来事だった。

 

もうこれで大丈夫。指輪は曲がってしまってけれど、どこかで元に戻せるのでは、とも言われる。そして『本件は医療行為ではないので、病院は一切費用を請求しません』というではないか。そして通訳の女性が小声で『よろしかったら、有難うと言って、この二人に200バーツぐらい渡しては如何でしょう』というので、喜んでお渡しした。

 

因みに奥さんには外科に来た段階で『指輪を切ってしまうかもしれないが、やむを得ない事情なので了解して欲しい』旨、ラインで送っていたが、やはり実際に切られた指輪の写真を送ると、『これはどこかで治らないのか』と言われてしまう。私としてはまずは20年締め付けられた指の回復を優先させたいと考えている。

 

日本では消防署に行くという意味もようやく分かった。消防ではなく、救急だったのか。部屋を出ると保険会社から本件請求可能との電話をもらったが、既に本件は終了したと伝えて電話を切る。こういう経験もしてみないと分からないものだ。病院からバイタクに乗り、BTSの駅へ出る。

 

プロンポーン駅から終点のサムローンという駅へ向かう。昔この路線にはよく乗ったが、当時はバンナーが終点、のちにベアリングという駅が出来たのまではしているが、サムローンはいつできたのだろうか。バンコックは1年に駅が1-2は増えているようだが、終点の名前がかわると乗る電車を間違える可能性もあり、ちょっと困っている。

 

なぜこのサムローンへ来たのか。それは以前からのお知り合いMさんが家を買って、バンコックにいる間はここに住んでいたからだ。駅に着いたが、それほど新しい、と言う感じはしない。すぐ近くにショッピングモールがあるというので、そこで待ち合わせたが、一昨日のターミナル21などとは大違いで、1階からして小さな店が沢山あり、高級感とは無縁だった。

 

聞いてみるとここはバンコック都下からほんの少しはみ出しており、バンコックではないのが大きいらしい。それで地価も安く、BTSが通って便利でもそれほどは高くないようだ。近所の市場もかなりローカルチックで広い。その昔は、日本的に言えば、バンコックを出た最初の宿場、だったのだろう。

 

ローカルチックとは言ってもちゃんとしたお店に入り、美味しいものを食べる。バンコックではないと言ってもそれほど珍しいものや名物がある訳でもないが、タイ語堪能なMさんが頼んでくれる料理は何となく美味しく感じてしまうのはなぜだろうか。またたわいもない話をして時間が過ぎる。

 

帰る時はMさんに教えてもらったバスナビを使って、バスで帰ることにしたが、何だかうまく機能せず、一本で帰れるバスを捕まえることが出来ずに、かなりの時間待った。そして結局乗り換える羽目になり、素直にBTSに乗ればよかったと反省し、やはりバスは難しいとの結論に達する。タイ語が出来なと大変だ。

タイ中部横断の旅2018(14)奇跡的に見つかった忘れ物

このホテルをチェックアウトして、昼間の暑さを避けて、トゥクトゥクで昨日見付けたホテルに移動した。もうこれまでのようにどんなところでも歩いていく、というのは止めるべきだ。郷に入れば郷に従え、タイ人のようにしよう。新しいホテルとはとても快適で、午後は外出する気力が失せてしまった。

 

このホテル、よくよく見ると、今回の旅の最初に泊まったメーソットのホテルと姉妹店だった。姉妹店と言ってもあちらは簡易なビジネス系、こちらはちょっといいホテルなので、まさか同系列とは思われなかった。タイのホテル業界も相当に変化しているのだろう、これはその一環だろうか。

 

何気なくテレビをつけると、タイ語放送だったが、ジャカルタアジア大会を中継していた。日本の放送局なら日本の注目選手の出ている競技のみを放送するのが常だが、ここでは大いに違っていて驚く。何しろ日本対モンゴルの女子バスケット予選を生中継しているのだ。恐らくは時間調整であったのだが、これを見ている人はいるのだろうか(日本人でもこの試合を見る人はほぼいないはず)、と心配になるほど点差は開き、特筆するものは何もない。日本なら前の競技の再放送とか、これからの競技の見所などを紹介するだろうに。

 

夕方になり、またフラフラ歩き出す。ホテル近くのお寺に参拝。その後腹が減ったので、屋台で炒飯を食べる。このシンプル感がよい。暗くなった頃、ホテルの道斜め向かいに建つ、ショッピングセンター、ターミナル21を見学。まさかここにバンコックと同じものがあるとは驚きだ。売っているもの、出展者もバンコックとあまり変わらず、物価水準からすれば高いかと思うが、大勢の人が来ていた。コラートも少しずつ発展の兆しがあるということか。

 

部屋に戻ると、アジア大会、サッカー男子、タイとウズベキスタンの試合を見る。この試合こそ、タイ人注目の一戦だったが、残念ながらタイは破れてしまった。U23カテゴリーでは、今やアジアはウズベクとベトナムの二強時代の様相を呈しており、サッカー界も変化が激しい。日本も相当頑張らなければならない状況だ。

 

8月20日(月)
忘れ物を探して

翌朝はゆっくり起きて、そこそこ立派な朝ご飯を食べて、ホテルをチェックアウト。すぐ近くに旧バスターミナルから出るバンコック行バスに乗り込む。新バスターミナルまで行かなくてもよいのは便利だし、バスの本数も頻繁にある。午前10時のバスに乗り込むと、乗客はそれほど多くないが定刻出発。シートも快適で、よく眠れる。

 

最近はバスも法定速度(また自社規制速度)をしっかり守っており、スピードを出して飛ばすことはない。4時間近く乗ってアユタヤを過ぎると、ちょっと渋滞に嵌り、速度が遅くなる。結局来たバスターミナルに着いたのは5時間後。意外と疲れたな、と思いながらもバスを降り、いつものようにトイレに入り、チャドチャックまで行く路線バスに乗り込んだ。

 

バスはすぐに出発したので幸先よいと思ったが、払うべき料金を取り出そうと小銭入れを探すもズボンのポケットに見当たらない。咄嗟にヤバいと思い、バスを止めて、一人下りる。バッグの中などを探しまくるも見付からず、いよいよこれはバスの中に落としてきた、とわかる。それでもこれまでカメラを落としたことは何度かあるが、小銭入れを落としたことは一度もなかったので半信半疑。

 

ところで私は何というバス会社のバスに乗って来たのかさえ、分からない。チケットはあるが全てタイ語なのだ。仕方なくまずはバスを降りたところに行ってみたが、当然ながらもうバスの姿はなかった。その付近にバス会社のオフィスもなさそうだ。その辺の人に聞いてみても言葉が通じない。どうするんだ。

 

とにかく言葉が通じる所へ、というので、チケット売り場まで歩いていき、そこのインフォメーションで聞いてみると、3階にこのバス会社のチケット売り場があるからそこで聞け、という。そこへ行くと、ここでは何もわからない、ときっぱり言われてしまう。もう方法はない。むしろホテルの部屋に忘れてきた可能性もあるので電話してみたがやはりないという答えだった。

 

もう万事休すだ。だがなぜここまで小銭入れに拘るのか。中には数十バーツしか入っていないし、入れ物もボロボロなのだ。諦めればよいはずだったが、その中にはコロコロバッグの鍵が入っており、このままだとバッグが開けられない。これは面倒だが、定宿へ行けば何とかなることは経験済みだった。問題は日本の家の鍵。こちらをもしもう一度作るとなると、2-3週間を要し、鍵代も1万円はかかる。これを機会に奥さんから鍵を取り上げられてしまうことを一番に恐れ、必死に探した。

 

ダメもとでもう一度チケット売り場へ行くと、『1階のバス乗り場に行ったらあるかも』と言われた。バス乗り場に忘れ物があるとは思えなかったが、最後の気力を振り絞り、荷物を引き摺り、下に降りた。遠くにバスが見えた。チケットをかざしながら、忘れ物、というと、そこにいた兄さんが『こっちだ』というではないか。行ってみるとそこにバスが停まっており、その運転手が運転座席から見事に私の小銭入れを取り出した。まるで魔法にかかったように動けなくなった。

 

何度もお礼を言った。日本なら、『なんでも忘れ物センターがないんだ』などとこちらが怒るような場面かもしれないが、タイではこれは奇跡に近いのではないかと思う。同時に自分の執念にも感心した。一体どれだけの時間と労力を費やしたことだろう。それからいつものように定宿に戻り、Yさんにこの話をすると、彼も『タイでは奇跡だ』と驚いていた。

タイ中部横断の旅2018(13)ピーマイ遺跡にて

ホテルを出るとちょうどバイタクにいさんと目が合う。仕方なく、それに乗ってバスターミナルへ。すごく遠い訳ではなかったが歩くにはやはり微妙な距離だった。今日は郊外のピーマイ遺跡に行ってみることにした。だがバスターミナルで簡単なはずのピーマイの発音が通じずに困る。それでも何とか探し当て、バスに乗り込む。

 

バスは空いていた。ピーマイ遺跡に行くと思われる外国人も乗っており、取り敢えず行き先に間違いはないようだ。1時間ぐらい乗っていただろうか、バスはピーマイに入り、皆が降りたので、私も降りた。すぐそこに遺跡入り口があり、入場料を払って中に入る。さすがにここ数日見てきた遺跡とは規模が違う。この遺跡を紹介する展示室も設置されており、まずはそこを眺める。ピーマイはアンコールワットのモデル、という言葉が飛び込んでくる。この付近の遺跡、アンコールワットに似ているとは思っていたが、むしろあちらより先に出来た可能性もある訳だ。いずれにしても、ここの規模から考えて、副都市的な位置づけだったのだろう。往時のクメール人の版図は凄い。20世紀に外国人によって発見されたとある。

 

外に出て遺跡を回り始める。何と目の前を日本の大学生一行が歩いていく。研修旅行だろうか。女子が多い。彼らは何を学んでいるのだろう。遺跡は確かにアンコールワットの雰囲気を漂わせ、かなりの敷地に広がっていた。多くの観光客はメインの建物付近を見て帰るが、私はむしろ、端っこの方に佇む建物の端を見ていた。細かい彫り物、細工が素晴らしい。天気は曇りでまだよかったが、それでも汗が出てくる。

 

裏門から出られたので、後ろの寺院に行ってみる。そこで突然雨が降り出し、しばし休息となる。大仏の横に犬が寝ており、私の方をチラチラ見ているが、動かない。まさににわか雨、雨の音はすぐに止む。私に休息を促したに違いない。そのお寺のお堂も雨上がりで開いたので、お参りする。

 

それから細い道を歩いていくと、辛うじて保存はされている、ピーマイ遺跡外の遺跡に出会う。普通の人が通行しているが、いつからあるのだろう、と聞きたくなってしまう。ここが裏門かな。その先は川になっている。更に歩いて博物館に入る。大きな池の向こう側まで歩いていくのは大変だ。相当に広い博物館だが、ここを見学する人は稀らしい。スタッフは私が入っていくと、そこの電気を点けてくれ、私が出ていくと消している。扇風機も同じだ。勿論豊富な展示物があるのだが、館内は意外と暑く、早々に退散してしまう。

 

そこから川を渡り、麺屋があったので休みがてら、麺を食べる。ちょうどこの交差点を右に曲がった向こうに、何かあるというので歩いて行ってみた。ところが歩くにはかなり遠い。疲れ果てた頃、その場所は突如現れた。と言ってもタイ語表記しかないので、ここかどうかも分からない。

 

中に入ると屋台が沢山あり、観光客もかなりいた。ここには100年以上前から木が沢山植わっており、その生い茂った木々が密林のように交差して、独特の自然を演出していた。ある種の芸術だ。ここなら日差しも避けられ、涼しい。しばし自然の屋根の下でお休みする。さっきの大学生もここに来ており、女子二人が何やら人生相談をしている。そんな気分になる場所かもしれない。残念ながら場所の名前はよく分からない。英語は1つもない。

 

またとぼとぼと一人、歩いて戻る。ここに歩いてくる人などおらず、さりとてバイタクすらいない。ようやく交差点まで戻り、コラート行きのバスの停留所を探すが見付からない。その辺の人に聞いてみると、流ちょうな英語で答えが返って来た。何とも有り難い。バスもやってきて無事帰還した。

 

一度ホテルで休み、夕方気になるお寺に行ってみた。そこの規模は大きかったが改修中で、ちょっと落ち着かない。更に歩いていくと、まだ明るいが夜市が始まっていた。ここで夕飯を食べようかと思ったが、また雨が降り出す。今度は小雨がしとしと。結局夜市は歩いただけで、その近くにあった日本料理屋に入ってしまう。私は日本料理がどうしても食べたいわけではなかったが、オーナーはきっと日本人だろうと思い入ってみた。そこで定食160バーツを食べて、満足した。たまにはこんなのもよい。お客はタイ人ばかりだった。この辺に日本人は住んでいるのだろうか。

 

 

8月19日(日)
ホテルを移動

翌朝もロビーで朝ご飯を食べ、その後お寺へ出掛ける。バスが通る道に中国語の書かれた寺があったので、そこへ行ってみたが、特に中国洋式ではなかった。その近くにひっそりと仏堂と書かれた中国廟があったが、鍵がかかっており、入れなかった。更にはイスラムのモスクもあるというので、歩いて探してみたが、道に迷い断念。最後に大きなタイ寺院に参拝して、大汗をかいてホテルに戻る。

タイ中部横断の旅2018(12)コラート散歩

8月17日(金)
コラートへ

翌朝は早めに起きて、早めに朝食を取り、目の前のバスターミナルへ行く。今日はコラート(ナコンラチャシマ)へ行くつもりなのだが、当然バスに乗っていく。何時にバスがあるのか確認したところ、午前9時ごろあるようなので、それに合わせてホテルをチェックアウトして、バスに乗り込む。さすがにバスターミナル横のホテルはこの辺の便利が実に良い。

 

バスは普通で、特に特徴はない。混んではいないが、一応席は決まっているので、そこに座る。1時間ぐらい乗っていると街に入った。ここがプリラムだった。プリラムと言えば、一時サッカーチームが強くて、頭にその地名が残っていたが、ガイドブックにも紹介されない場所だったので、通り過ぎることにしていた。ただ街をある程度走った感触では、ここも意外や面白そうなので、次回通ることがあれば下車してみたい。

 

4時間ぐらいかかってバスはようやくコラート市内に入った。バスターミナルは遠いので、街中の陸橋の付近で降りるのがよいと、ガイドブックに書かれていたので、そのようにしてみた。バイタクのおじさんが寄ってきたが無視して、荷物を引いて歩き出す。またこの街の地名が付くホテルを探してチェックインする。

 

このホテル、街中にあり、ちょっと窮屈な場所にあった。看板に英語がないので不安になったが、フロントで英語は通じた。ただ何となくこれまでのおっとりした雰囲気はなく、とてもビジネスライクで、対応はイマイチというべきだろう。部屋は思ったよりは狭く、クーラーもうまく作動しなかった。今朝までいたスリンのホテルが懐かしい。

 

昼ご飯を食べていないので、外へ出た。ホテルには裏口があり、駐車場からも出られた。むしろこちらを表玄関にすればよいのに、と思ってしまうのだが、何か事情があるのだろう、きっと。道沿いに麺屋があり、言葉は通じないが愛想のよい女性が麺を作ってくれた。最近お昼は麺が定着した。移動後も疲れが出るのだろう。

 

そのまま散策に出た。すぐ近くに中心部があり、その広場には古い門が見え、女性の像があった。その像に向かって実に多くの人がお参りしているのがちょっと不思議だった。この街を昔救った女性だというが、仏様でもない人が、ここまで崇められるのは珍しいように思う。

 

それからコラート博物館を探したが、なかなか見つからない。文字が読めないと、スマホ地図でもよく分からないことがあり、またそこに着いても、表示が読めずに立ち往生する。まさに入り口で『ミュージーアム』と言って見ると、何とか分かってもらえ、奥を指される。そこには小さな博物館、いや展示館があった。50バーツ取られたが、これまでに見慣れた仏像があるだけで、ほぼ見るべきものはない。

 

博物館の横にはお寺があり、こちらは立派。お堂を見て外に出ると、その周囲にはプレートが嵌っており、よく見ると故人の写真の横には漢字が書かれているものが多かった。これは華人のものだと分かり、街中でもひときわ漢字の看板が目立っていたことを思い出す。ここはバンコックとイーサン、ラオスを結ぶ交通の要所であり、往時は物流が盛んで華人が活躍したのだろうと思うが、今はそこまでの繁栄はないように感じる。

 

帰りにホテルの目の前のスーパーに寄ると、意外と品ぞろえが豊富で、欲しいものが手に入る。夕方はゆっくり飲み物を飲んで、部屋でくつろぐ。ホテルの方へは一応明日の延泊を申し入れたが、その対応もイマイチで、もう次はないな、と思った。気に入ったホテルを探すべきだったが、ちょっと疲れてしまい、気力がなかったのが敗因だ。それと1泊900バーツは高くない、というのが心のどこかにあったようだ。

 

夜は何とショッピングモールへ行き、ケンタッキーで夕飯を食べた。こんなことはあまり例がないのだが、139バーツのセットというのが食べてみたくて入ってしまった。先日マクドナルドに入って食べたら、かなり料金が高くなっていて驚いたことがあったので、ケンタはどうかと偵察した。結果このセットはかなりお得であることが分かり、マックが高級路線を考え、ケンタは中級路線を行こうとしているのではないかと思えた。こんな比較もたまには面白い。

 

8月18日(土)
ピーマイ

翌朝はホテルで朝食を食べたが、何とここの朝食場所はロビー。フロントのすぐ横に料理が並び、そしてテーブルが沢山置かれている。正直こんな朝食は初めてかもしれない。大人数のせいもあるが、料理は何となく冷めている。これは団体旅行客の扱いではなかろうか。今日は土曜日で食べている客も家族連れなどが多い。

 

新バスターミナルがどこにあるのか、歩いて行ってみることにした。途中まで行くとよさそうなホテルがあったので、明日の空きを確認し、ここに移る算段をする。正直これまでの旅で最高の宿代なので、ちょっと躊躇したが、まあここからバンコックに帰るのだ、という声が聞こえ、決断する。