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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(5)テレビのインタビューを受ける

TTMの家

ホテルを出て、TTM家へ向かう。ここから近いと思ったのだがタクシーで行くといい、寺までチャーターしたタクシーをそのまま使った。少し行くと橋がある。ちょうど工事中のようで非常に混んでいた。TTMは『ここから1時間掛かります』というではないか。何故だ?

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しかも橋まで行かないうちに何と車のタイヤがパンクした。これはチャンスと車を下り、歩いて行く。橋の袂まで埃が凄い。路肩もデコボコ。これは歩く場所ではなかった。更に橋を渡り始めると、下が見える木の板。これは高所恐怖症の私にはかなりの恐怖。車に乗ればよかったと思ったが、後の祭り。兎に角渡るしかない。車は両方向からどんどんやってくる。そして動かない。これなら1時間かかる訳だ。

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向こうに新しい橋の建設現場が見える。既に1年以上工事しているがいつできるか分からないという。まあ年内に出来れば御の字だろう。何とか橋を渡ってもまだ歩かなければならない。雨も降りだした。野菜や果物を売っている屋台がいくつか出ており、そこでTTMは買い物をした。そして半年前に会ったミャンマー人女性がそこに居たのには驚いた。同じ住宅地に住んでいるのだという。彼女は日本人Tさんの秘書。これもまた面白い。

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古い開発地区に入る。20年以上前に中国企業が住宅開発したと聞く。かなり広い。一戸建てが並ぶ道を入口から5分以上歩いてようやくTTM家に到着。下の階は広いリビングと台所、上の階には3部屋あるという。実際は仏間もあるのでそれなりに広い。さすが昔の住宅だ。

 

SSは大きなおなかを抱えて、韓流ドラマを見ている。衛星テレビが入っているので、NHKワールドプレミアも見ることができる。ミャンマーでは今やお金がないとそれなりの生活が出来ない。

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雨季なので小雨が続く中、すぐに辺りが暗くなる。SS旦那がシティマートに買い物に行くというので付いていく。こんなところにまでシティマートがあるというのが驚き。行ってみるとお客もそこそこいる。確かにこの辺りで適当な買い物場所はなく、ここへ来るしかない。インスタント麺のコーナーを見ると、韓国の『辛ラーメン』がズラッと並んでいた。中国の康師傅はないかと聞くと『中国製を食べる人は殆どいない。食の安全が問題となっている』という。今やアジアのどこでも中国食品の安全性が問われている。日本製は日清と明星が端の方にあったが、韓国に圧倒されている現状は残念だ。

 

夕飯はSS旦那が作ってくれた。昔から自分で自炊していたといい、簡単に料理した。SSは涼しい顔でテレビに見入る。どうなっているんだ?この家には普段はTTM、SSそしてTTM姪のムアが住んでいるが、ムアは実家に帰っているので4人で夕飯を囲む。夜9時半頃になり、SS旦那が車でホテルへ送ってくれた。早く出て行っても渋滞になるので空いている時間帯まで待っていたわけだ。これもまた面倒だ。確かに橋の上の車は多くはなかった。そうなるとあっと言う間にホテルに着く。

 

8月16日(土)

お湯が出ない

昨晩は疲れた中でネットにトライしたが駄目だった。夜は繋がりにくいのかと思い、翌朝もチャレンジしたがやはり駄目だった。仕方なく、シャワーを浴びようと湯を出してみたが出なかった。フロントへ行くと部屋を替われ、というので、荷物を持って移動した。だがそれでも湯は出なかった。フロントのオジサンは『そんなはずはない。ちょっと待てば出るんだ』と言い張った。出発の時間も迫っており、朝ごはんを掻き込む。

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再度フロントを通るとオーナーらしい男性がいたので、この状況を訴え、『あまりにひどいので金を返せ』と言ってみた。彼は『状況を確認するから待て』というので、時間がないと部屋へ戻る。チェックアウトの準備をしてまたフロントへ行くとTTMも来ており、オーナーが英語でソーリーと言い、何と10ドルを返してきた。今までホテルで色々とトラブルがあったが、金を返せと言って返してきたホテルは初めてだ。

 

再びお寺 TVインタビュー

SS旦那の車に荷物を積み込み、何となく吹っ切れないままホテルを後にした。今日もまたお寺へ行く。寺に着くと本当に入り切れないほど、車が停まっており、かなり離れた道路脇に停めるしかなかった。今日は一体何なのだろうか。何も分からず2日も来る方がどうかしているのだが。

 

既に沢山の参詣者が来ていた。そしてお坊さんが沢山入って来た。何と750人もの僧侶を招いての大法要だという。この寺の住職には一体どんな力があるというのか。しかも今日は現役の大臣まで参詣に来ていた。法要が終わって僧侶が一団となって歩いてくる。SSとTTMは持っていた紙幣をどんどん渡している。偉いお坊さんにはお付きがおり、どんどん受け取って行く。

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TV局のクルーが取材に来ていた。突然私を取材したいという。良く分からないまま、SSが私に紙幣を渡し、その紙幣を通って行くお坊さんに配ることになった。その様子をテレビカメラが捉えていた。それってやらせ?結構長い時間やっていると、今度は本堂へ行き、TV局が住職の許可を取っている。住職はニッコリして、OKを出したようで、急に私の横に来て一緒に写真に納まる。この辺は宣伝上手である。

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テレビ局1社、新聞社1社がインタビューを始める。TTMが通訳する。『僧侶にお布施をしてどうでしたか?』などあたりさわりのない質問が多かったように思うが、よく覚えていないし、何と答えたかも覚えていない。兎に角『なぜこのお寺に来たのですか?』という質問がなくてよかった。もし『食事が美味しいから』などと答えたらどうなっただろうか?テレビは『ミャンマーのお寺に通う奇特な日本人』をニュースにしようとしているのだから、困ったことだろう。

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この日も美味しいごはんにあり付いたが、インタビューのこともあり、何となく悪いことでもしているかのような感覚にとらわれ、良く味が分からなかった。まあ僧侶だけでも凄い人数であり、一大セレモニーに列席したことだけは確かだったが。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(4)寺の法要と水中寺院

ナッセンダヤ寺院の法要

TTMが迎えに来た。今日はお寺へ行く。あの食事が美味しいお寺だ。前回訪問した際、住職より『毎月ミャンマーの地方へ出向き、10万人に施しをいている』と聞き、とても興味を持った。そういうと住職は『だったら、お前も行ってみればよい。飛行機代は寺で出してあげるよ』というではないか。そんなお寺があるのだろうか。益々興味を持つ。

 

今回SSに『今月のお寺の施しはどこであるのか、いつあるのか』と聞いてもらったが、何と今月はお寺で大きな法要があるとの回答だった。ちょっと残念だったが、まあお寺へ行けばご飯も食べられるし、良しとしよう。ということで、またやって来たのだ。

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今日の法要は民間人が親孝行の為に『龍の像』をお寺に建てた、その建立式だった。お坊さんが集められ、にぎにぎしく法要が営まれる。尼僧も参加しており、TTMとSSはその背後に座り、一緒に祈る。恰幅の良い紳士が老いた両親を支えながら、龍の像にお祈りしていた。彼は政府の高官らしい。このような親孝行もミャンマーでは重視されており、功なり名を成した者のある種の義務、徳を積む行為となる。

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それから食事となる。私は外国人ということで、また一番先に席を与えられる。すると周囲にはご奉仕の女子学生がやってきて、ご飯をよそってくれ、おかずを取ってくれる。更には暑いので、団扇で扇いでくれる。これではハーレムではないか。とてもお寺とは思えないサービスだが、彼女たちはご奉仕ということで一生懸命やっているし、そんなことを考える方が間違いのようだ。

 

向こうの方で何か始まった。人々がざわめいている。それからそちらの方へ群がって行く。先ほどの紳士がお金を撒き始めた。1000チャット札。日本では建て前の儀式の時などに見たことはあるが、ここではお寺の中で、お札をばらまいている。人々は争ってそれを取る。金額ではなく、その札を財布に入れているとお金が入ってくる、という言い伝えらしい。

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我々は外から眺めていたが、老紳士が近づいてきて、私にお札を手渡ししてくれた。法要主の父親だった。続いて紳士もやって来て、英語で話し掛けながら、お札をくれた。勿論私が外国人だからだが、このような行為もまたうれしい。そして会はお開きとなり、我々も外へ出た。

 

河の対岸の寺 イェレー・パゴダ

そのまま帰るのかと思っていたが、『もう1つのお寺へ行きましょう』とTTMが言い、更に街と反対へ進む。しばらく河沿いを走ってチャウタンと言う村に着き、車は停まったが、そこに寺はなかった。何とここから渡し船で河を渡り、対岸にある寺へ行く。ボート代5000チャットを払って河へ行くと立派なエンジン付きボートが待っていた。その横には手漕ぎの小さなボートがあり、あれに乗りたかったが、ミャンマー人用だと言われてしまう。

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船で行く寺、バンコックのワットアルンを思い出すが、こちらは青空に映える浮き島、水中寺院、気持ちの良い寺だった。ボートにサンダルを預けて裸足で上陸すると結構広いお寺。スリランカから贈られた仏陀の遺髪が納められているという。台湾の仏教団体が訪れた記念プレートがあったりする。奥の方にある仏像は空を見上げており、珍しい。天気を見る仏陀なのだとか。天候は人々の生活に直結する重要なファクターだ。

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寺の周囲は河。その河には沢山の魚がいる。かなり大きい。放鳥、と同じ、放魚が行われているのかもしれない。これも徳を積む一種だ。そして参詣者がえさを与えると魚が群がってくる。これでも徳が積めるのだろうか。何だか競争を煽っているだけ、という気もするのだが。

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ヨーロッパ人の観光客も来ており、結構有名な所だと分かる。ミャンマーの大学生が友人同士でくるなど、ちょっとした郊外の遊び場なのかもしれない。帰りも同じ船に乗り、対岸へ戻る。冷たい飲み物が欲しくなり探すが、コーラが何とか見つかった。まだまだ田舎は冷蔵庫も置いていない。

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ホテルを探して

市内へ戻る。今朝ホテルはチェックアウトしており、今晩泊まるところを探す必要がある。実はTTMは3月に家を引っ越しており、かなり郊外に移っていた。ヤンゴンの家賃高騰はこんなところにも影響が出ている。今回はTTM家近くにホテルを探すことに。しかもできるだけ安く、そしてホットシャワーとWIFIを条件とした。

 

最初に行ったホテルは雰囲気があまり良くないと却下。最近ヤンゴンはホテル料金高騰に合わせてどんどんホテルができており、質もまちまち。特にちょっと郊外のホテルは外国人が泊まることも少なく、施設が充実しているとは言い難い。それでも最低30-40ドルはするから、恐ろしい。

 

次ぎに行った所は倉庫が前にあった。この付近はヤンゴンへ入るための荷物に集積地のようだった。これは面白い。ホテルの部屋もそう悪くはなく、WIFIが繋がり、お湯も出るという。しかも雨季のため、60ドルの部屋を現在45ドルで出しているというので、ここに決めた。だが夜ホテルに戻ってネットを繋ごうとしても繋がらなかった。フロントの担当は何でも『OK』というのだが、とても信じられない。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(3)ソウウイン茶荘

ティラワ開発区と中古部品

続いてティラワの開発区を見に行く。ここは日本政府肝いりで開発が進む場所。2月にも訪れたが、道路が狭くて渋滞に嵌り、すぐに引き返していた。前回同様の道を行く。聞く所に寄れば、この辺の地価もかなり上がっていたが、そろそろ一度手じまいらしい。ミャンマーの物価からすれば考えられないような値段が付いているという。

 

開発区へ行く途中でランチを食べる。今日もミャンマー料理。SSがいるとすぐにイタリアンになるが、彼女は身重で来られないため、TTMの差配となる。出て来るミャンマー料理は決して不味くはないが、特に美味いとも言えない。でも野菜は新鮮だし、魚の煮つけも悪くはない。

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ミャンマーでは、食堂の店主もお客に施しをしないといけない。ジュースを無料で配ったり、お茶を振る舞ったりする。それがひいては自分の為になる。この辺もいかに儲けるかばかりの日本や中国とは一線を画す。利益の還元の仕組み、大事なような気がする。

 

開発区はちょうど整地が終わったところのようで、かなり土台が高く作られていた。水害などに備えるのだろう。入居希望企業もあると聞くが、道は狭いし、果たしてどこまで役に立つのか、素人の私にはよく分からない。周囲は相変わらず草が生えている。いつ企業が入り、稼働できるのだろうか。

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そのすぐ近くに中古車マーケットらしきものがあった。最近は見かけなくなった、日本の会社名などが入った本当の中古車がずらりと並んでいる。日本ならとっくに廃車の車、ヤンゴンでも既にそのまま使う人は少ない。どうするのかと聞くと、『部品を取り出して使える物を売り買いする』とのこと。リサイクル、ということか。勿論屑も資源である。

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S氏は疲れからか、飛行機の長旅からか、腰が痛いと言い出す。かなりしんどそうなので、マッサージに行く。前回もTTMと行った所、普通は若いマッサージ師が足を揉む程度だが、今回は先生が出てきて、S氏を診察、マッサージ師に指示を与える。そして別室で入念なマッサージを受けたようだ。私とTTMはいつもの脚マッサージを受ける。疲れていたのか、朝が早かったのか、すぐにぐっすりと寝込み、起き上がると終わっていた。それからS氏を待ち、店を出た。だがS氏の容体は良くならず、ホテルで休息することになった。

 

ソウウイン茶荘

S氏をホテルに送るとTTMが『行きましょう』という。こういう時は期待が持てる。どこへ行くのだろうか?車は少し中心部を外れた感じだ。雨が降り出している。着いたところはお茶屋さんだった。『ヤンゴンでも最大手のソウウイン茶荘です』

 

中に入ると如何にも卸、という雰囲気が漂う。何となく中国的だと思っていると、所々に漢字の表記がある。聞けば華人の経営だった。南シャン州に大きな茶畑と茶工場を持っているという。緑茶、花茶、烏龍茶、紅茶と種類も豊富だった。緑茶を飲んでみたが、味は悪くなかった。

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店を任されている若い女性との会話は初めTTMに通訳してもらったが、その後簡単な普通話を話すことが分かり、直接になった。『最近は紅茶も緑茶も需要が増えており、増産している』とのことだった。2年前に私が行った南シャンのガロー郊外は既に茶畑が荒廃していたが、華人系のしっかりした経営をしているところは、生産を伸ばしているということか。出来れば次回南シャンに行ってみたいと思ったが、『老板に聞かないと分からない』との回答だった。

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一度ホテルへ帰り、S氏の様子を見ると、何とか夕飯に行けそうだったので、SSの好きなイタリアンへ行く。ところが肝心のSSが来ない。タクシーに乗ったが、渋滞に嵌ったらしい。その間にサラダを頼み、スープを頼み、ピザが来た頃、ようやくやって来た。

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実は最近TTM家は郊外に引っ越していた。ヤンゴンの家賃は驚異的な上がり方を見せており、それまで住んでいた所の大家から、2倍以上の値上げ提示を受け、やむなく引っ越した。しかも引越し場所も容易に見つからず、予算内に収まる家は中心部にはなかったので、郊外へ。それがどのくらい郊外なのかこの時は分からなかったが、後で行ってみて大変な所だと分かった。身重のSSを一人でタクシーに乗せるような場所ではなかった。

 

ここのイタリアンは味が良く日本人も多く来るらしい。日本語フリーペーパもあった。パエイリャなどが特に美味い。本当にヤンゴンも変わったものだ、と思う。ただS氏の様子が気になっていた。

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8月15日(金)

午前4時の見送り

今朝は午前4時に起きる。S氏の日程は強行軍。本日朝6時台のフライトでバンコックへ行き、それから朝便で羽田へ。そして国内線で岡山まで一気に帰る。ロビーに見送りに行くと既にS氏は準備万端、予約したタクシーも来ており、すぐの別れとなった。だが、その様は痛々しい。腰がかなり悪くなっていた。

 

あとで聞けば、ヤンゴン空港で車いすを頼み、何とか搭乗。バンコックの空港でも頼んだが、手配してもらえず、大変な目にあった。その上東京までの長旅、相当苦しかっただろう。岡山まで帰り着いたが、翌日は週末で病院がやっていない。やむなく救急車騒ぎとなったとか。

 

私はそんなことも知らず、2度寝した。そして7時頃、また起きて朝食に。ところが昨日はあったビュッフェの食事が今日はない。『お客がいないので、食事はこれです』といって、パンや卵を供される。このホテル、新しいだけにまた経営が安定していない。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(2)祈りの姿は変わらないが

ミミさん夫妻とランチ

お昼はS氏を古くから知るミミさん夫妻とミャンマー料理屋へ。このご夫妻、2月にSSの結婚登録式でも会っているのだが、実は誰だか知らなかった。ご主人は本当に人のいい笑顔を浮かべる無口な人、ミミさんは活発におしゃべりする人だった。S氏の来訪を聞きつけて、一席持ってくれたわけだ。私にはよく分からないが昔話に花が咲く。

 

ミャンマー料理はすごく美味しいとは感じないが、何故か懐かしい味がする。今回のレストラン、カイカイチョーは最近流行のお店だとか。席でオーダーすることも出来るし、自分で行って材料を選び、調理を頼むことも出来る。席は室内もあるし、屋外もある。なかなか感じが良い。

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食後にラペソーが出た。食べるお茶、これが目的で私はミャンマーに入ってきたのだ。今ではレストランで普通に出るが、一緒に混ぜる豆や小エビなどは、1つに混ざった出来合品が供される。これはちょっと興ざめだ。しかし便利が一番、ヤンゴンは他のアジアの都市同様に資本主義に飲み込まれていく。

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ミミさんと別れて、ジャンクションスクエアーへ行く。S氏にヤンゴンの発展ぶり、変貌ぶりを見せる目的で行く。私は既に2年前、出来たばかりのこのショッピングモールへ来て驚いた。若い子はミニスカートをはき、スマホでWIFI。まるで東南アジアのどこかの大都市のそれと見まがうほどだ。

 

2年経ってここは更に大きくなっていた。立体駐車場は満員で、スペースもない。中は店舗が増えており、銀行のATMがズラッと並ぶ。今回SSご懐妊にあたり、日本からベビー服を買ってきたが、この中にもベビー服専門店が2₋3店舗あり、デザインなどは日本とそう変わらない。日本ではメイドインミャンマーの表示も見られたから、輸出用が売られているのかもしれない。ダイソーの100円ショップも健在だった。

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懐かしいボージョーマーケットへ行く。ここはS氏がヤンゴンを訪れると必ず来た場所。タッティングと呼ばれる伝統的な織物(イギリスから入ってきた物?)を買いに行く。私も10年前、お土産にいくつか買ったが、手織りで細かい作業があり、技術が必要、ということで、織り手が殆どいなくなっていると聞いていた。今回店にはまだいくつかあったが、買う人もなく、忘れられていく商品かなと感じる。値段は以前の数倍になっていたが、それでもヤンゴンの物価上昇に比べれば、まだ安いといえる。

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ミャンマー北部、チン州の織物も買いに行く。ここも昔来たことがあったが、S氏には何か思い入れがあるらしい。残念ながらオーナーはアメリカ出張中とのことで、値段の交渉が出来ず、明日また来ることとなる。

 

ホットポット

夜は恒例のホットポット。以前はセブンアップという店でいつも食べていたが、今やもう無い。現在SSのお気に入りのSKへ行く。SSは重田さんの来訪ということで、個室を予約して待っていた。それにしてもSSのお腹は異常に大きい。どう見ても双子が入っていそうだが、一人だという。皆から『運動しないで食べてばかりだから』とからかわれている。

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ミミさんが孫を連れて参加していた。ミミさんの娘は今マンダレーにいるらしい。携帯電話でS氏と話している。S氏がミャンマーで築いてきた人の繋がりがこんなところに出て来る。5₋6年前までは高額だった携帯も今ではかなり安く普及しており、ミャンマーの進歩は速い。

 

TTMには妹が4人おり、たった一人の弟は既に亡くってしまっていた。その子供たちも含めてTTMファミリーが出来上がっている。長女であるTTMは家長として全ての責任を担っているように見える。今日も空港に迎えに来たヨーマは妹の娘で、東京留学に関してもTTMが相応の支援をして実現したという。ただヨーマは学費などを全て自分でアルバイトして稼ぎ、一人で頑張っている。

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もう一人のムアは弟の娘。既に父親がいないこともあり、また母親は公務員でネピドーという新しい首都の勤務となったため、ムアはTTM家に住み、仕事を手伝っている。ムアの姉、イモーがやってきた。彼女もヨーマやムアと一緒に日本語の勉強を始めたが、途中で韓国語に転向、その後縁があり、エアマンダレーという航空会社に勤務している。今日も空港からやってきた。TTM家は女系家族であり、女の比率が高い。SSのお腹の中の子も女の子だという。皆でワイワイやりながら、ホットポットを食べる、何となく嬉しい。S氏も何となく顔がほころぶ。

 

8月14日(木)

シェンダゴンパゴダ

翌朝は何となく頭が重い。特に酒を飲んだわけでもないのにどうしたことだろうか。S氏も何となく腰が痛いという。どうしたことだろうか。これはお祈りでも行かねばと、ヤンゴン最大の寺院シェンダゴンパゴダを目指す。ここに来るも10年ぶりか。雰囲気は特に昔と変わらない。

 

エレベーターもあるが、敢えて参道の階段を上がる。ここで花を買う。いつもの行事だ。基本的に右側通行なので、右側の店の売り子が一生懸命売り込む。反対側は静かだ。TTMは敢えて、いやいつも、その反対側の店へ行く。これは人間の心理だろうか。そこでゆっくり花を買う。この風景がいい。

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パゴダは更に大きくなっているように見えた。以前は軍事政権を讃える展示しかなかった展示室も普通のパゴダの歴史になっていた。これが民政への移行ということだろうか。祈りを捧げる人々に大きな変化はなかった。ショッピングモールにはミニスカートで行く若い子も、ここへ来るとなればロンジーを穿かない訳にはいかない。一部にはジーンズ姿も見られ、将来への懸念はあったが。

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自分の生まれた曜日の場所で祈り、金箔を買って、自分や家族の治したい場所を探して仏像に張る。写真屋もいたが、今は商売あがったり。皆携帯で写真を撮る。聞けばこのパゴダにはWIFIも完備しているらしい。祈りの姿に変わりはなくても、社会は変わっているようだ。

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ボージョーマーケットに寄る。昨日のチン州の織物を取りに行く。さすがにここは外国人ではなくTTMに交渉を任せて我々は外で待つ。サンダルが目に入る。私はミャンマーサンダルが欲しかったが、結構高いので、ビーチサンダルを買う。何故かミャンマーで買ったサンダルは壊れにくい。

 

服屋では、ミシンを使い、縫子が懸命に服を縫い上げている。このような光景は勿論日本では見られないが、いまだミャンマーでは、このような産業がある。安価で豊富な労働力とは、このような縫子を指すのだろうと、勝手に納得する。

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変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(1)あまりの変化に驚きの連続

《ヤンゴン散歩Ⅱ2014》  2014年8月13日-19日

 

ミャンマー、そこは自分が最もリラックスできる場所。いつも行きたいと思っているが、ご縁がない時は全くのご無沙汰。今年は運が良い、2月にトートーマさん(TTM)の娘、スス(SS)が結婚。我が娘のように可愛いSSの結婚登録式に参加する機会を得て、1年半ぶりにヤンゴンを訪れた。何となくミャンマーに親戚が出来た感じだ。

 

そして私をミャンマーに導いた男、S氏から『8月のお盆休みにヤンゴンに行きたい』との連絡を受け、私も同行することにした。2003年8月、初めてヤンゴンへ行った時、全てのアレンジをしてくれ、空港まで出迎えてくれたのもS氏だったし、S氏の仕事をミャンマーサイドでやっていたのが、その後大きなご縁となるTTMだったのだ。SSは当時19歳。何とも懐かしい。

 

更にはSSからFacebookで『もうすぐあなたもおじいちゃんになりますよ』という何とも言えない嬉しいご懐妊メッセージまで飛び込んできた。もう行くしかない。8月が待ち遠しかった。

 

8月13日(水)

1.ヤンゴンまで

S氏と再会

今回はS氏に同行するため、バンコックの空港で待ち合わせた。彼は朝5時着の夜行便で羽田からバンコックへやってきた。私は5時過ぎには宿泊先を出て、タクシーを探した。まだ暗い街、昨夜のスコールでかなり涼しく感じられたが、それでも荷物を引っ張って歩いていると、汗が出てきた。道に出るとすぐに一台のタクシーがやって来て、車の走っていない道を相当のスピードで空港へ向かった。空港にもそれほどの人影はなく、チェックイン、イミグレともスムーズだった。SSの旦那にジョニ黒を買って、お祝いにした。ミャンマーではジョニ黒が喜ばれると前回聞いたからだ。

 

S氏ともスムーズに再会した。特に変わった感じはなかったが、現在の仕事はハードで海外出張も多く、直前もベトナムへ1週間行っていたとのこと。夜行便で来たせいもあり、疲れが見えた。それでも2年前に倉敷で会って以来久しぶりの再会、話すことはいくらでもある。S氏は以前の会社でミャンマー関連の仕事をしており、その時は2か月に1度はヤンゴンへ行っていた。当時のヤンゴンは『軍事政権下の暗黒の時代』であり、ネットも繋がらなければ携帯もない。逆にあまりに何もなく、日本の本社からの連絡も難しいので、『ヤンゴンでは実よく眠れた、健康に良かった』と懐かしそうに語る。

 

S氏のフライトがTGだったので同じ飛行機を予約した。バンコックからならエアアジアなどLCCで行けば安いのだが、空港がドムアンで不便なこと、時間帯も合わないことからTGを選んだ。朝7時55分発のその便はほぼ満員。私の横にはインド人が座っていた。

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僅か1時間のフライトでもそこはさすがTG。ちゃんと朝ご飯は出るし、コーヒーなど飲み物も出す。LCCとの差別化を図っているのだろうか。ちょっと目をつぶっている間に飛行機はヤンゴン空港に到着した。これだけ短いフライトだと時差30分と言うのが、クローズアップされる。

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2.ヤンゴン

料金は高いが

ヤンゴン空港に着くとS氏が信じられないという顔をする。『6年前とはエライ違いだ』、私も2年前にそう感じたので、その気持ちは良く分かる。空港にはTTMの他に、ヨーマとムアの2人の女の子が待っていてくれた。ヨーマは現在東京に留学中で、日本語学校に通っており、日本語を普通に話す。ムアはTTMと一緒に住んでおり、日本語を勉強しているが、あまり話そうとはしない。シャイなのか。

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空港からホテルまでの道のり、やはりS氏は信じられないという顔。私が上海留学後、9年して上海の街を車で走った時の、驚きと困惑を思い出す。全てが変わっている、と感じだろう。時々懐かしい建物やレストランが出て来ると反応する。

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ホテルは昔定宿だったミンガラガーデンではなく、新しく出来た所。広い民家を改造したホテルできれいではあるが、特に部屋がいい訳でもなく、凄く豪華なわけでもない。それでも1泊90ドル。トレーダーズホテルが50ドルだった時代のS氏、驚きを隠せない。『話には聞いていたが、これほどとは思わなかった』、率直な感想だろう。フロントでは一応英語が通じた。新規オープンしたばかりなので、従業員教育はまだまだのようだ。

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何でもあるスーパー

このホテルはTTMの前事務所のすぐ近くにあり、S氏にもなじみの場所。スーパーを見つけて『こんなところに立派なスーパーが出来ている』と。早々入ってみる。まず目についたのが両替。昔は両替1つするにも大変だったが、今や市内の至る所で両替が可能。このスーパーも外国人が利用するようで、両替所が設置されており、レートも銀行などと変わらない。100ドルを両替してみたが、すぐにチャットがもらえる。

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きれいなレストランやドーナッツ屋なども併設されており、S氏はまたまた驚きの声を上げる。そして売っている物も格段に増え、その質量ともに昔とは大違い。更には総菜コーナーも出来ており、家で料理を作るミャンマー人のイメージも崩れる。今やヤンゴンは忙しすぎるため、スーパーで買って、家でチンするスタイルまで出てきている。値段も結構高いが売れているのだろうか。

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ヤンゴン散歩2014(9)賑わうジャパンフェスティバル

ジャパンフェスティバル

今日はJETRO主催のジャパンフェスティバルへ行く。昨日のエンタメの裏側、いやこちらが表だ。入口でいきなり、キッコーマンとエースコックが試食を行っている。良いにおいがしている。中に入ると日本企業が約200社、ブースを構えていた。飲食、家電から日用品まで、これだけの有名企業が来るというのは余程ミャンマーが期待の市場なのだろう。いや、熱がまだ冷めていないということか。

 

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会場内はミャンマー人で溢れていた。こちらも日本企業への期待が感じられる。食品や文具などは結構売れている。ヤクルトなどは早々に売り切れたらしい。ケースが空だった。『昨日の日曜日はあまりに人が多くて、休む暇もなかった。今日はかなりマシだ』とある企業関係者は言う。『ミャンマーには日本滞在経験のある人たちが予想以上に多いので、彼らが懐かしんで買っていく』との話もあったが、富裕層は以前からヤンゴンのスーパーで高い日本製品を買っていたのだ。

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自動車以外の殆どの業種が売り込んでいた。ミャンマーは本当に市場になるのだろうか。韓国勢との競争に勝てるのだろうか?

 

レストランはお客にドネーション

TTMとランチ行く。最後の食事なので普通のミャンマー料理を選択。ビュッフェ形式でおかずを自分で取る。スープも無料だし、ラペソー(食べるお茶)も出て来る。結構うまい。外国人旅行客もガイドに連れられてきている。自分で選べるのが良いのだろう。

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レストランでは飲み物も無料で出されるなど、何だか得した気分。だが中国などの考え方では『これはサービスを見込んで料金を設定している』と思ってしまうが、TTMによれば、『これはオーナーのドネーション。儲けばかりを追っていては、結局儲からない。常に店のオーナーはドネーションを行うのがミャンマー流』とか。

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この考え方、今の中国と日本に欲しい!お寺に寄付する以外にも、お客に還元していく、大事なことだ。これが長く社会が回る仕組みではないだろうか。

 

お寺ライブ

そしてTさんに紹介されたお寺へ行く。既に講堂には小学生が沢山集まっていた。そこへ昨日の井上ジョーと黒宮ニイナが現れる。NHKワールドの番組収録なので、いきなり講堂には入らず、お寺の付近を歩き、住職から話を聞く。井上君は英語も流暢で、驚く。黒宮さんは勿論ミャンマー語と日本語の通訳を引き受ける。地元メディアも取材に来ており、反対に質問を受けたりしている。

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予想はしていたが、全然予定通りには始まらない。住職は自分が言いたいことをどんどん言い、黒宮さんは通訳に苦労している。そしてようやく講堂に入ると子供たちの出し物が始まった。それが延々と付き、番組ディレクターも困り果て、住職が子供たちを制した。

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そしてTさんが指導したという日本の歌、『四季のうた』を子供たち代表が歌う。何となくちょっと違うような気もしたが、先ずは歌ってくれることが嬉しい。歌い終わると井上君が一人一人にノートとお菓子を渡す。みんな誇らしげにそれを貰う。良い光景だ。

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とうとう井上君の演奏が始まる。音楽があれば言葉は要らない。彼は結構なパフォーマーで子供たちの頃を掴んだ。ギターを弾きながら走り回る。大喜びだ。ちょうどのその時、私の出発の時間が来た。井上君に感想を聞きたかったが、その時間は残されていなかった。

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ネット繋がる空港

空港までは30分もあれば行く、ということだったが、かなりの渋滞に巻き込まれた。まあ、乗り遅れたら、また泊まればいいや、ぐらいな感じで焦りはなかった。出発1時間前には空港に着き、チェックイン。

 

チェックインカウンターでは、私の荷物を計り、重量オーバーで預け荷物となった。こうなることを想定して初めから20kgまでの料金を払っていたから、問題はないのだが、ドムアン空港では何の問題もなく手荷物に出来たのに、とちょっと不満。

 

ここでTTM、SSとお別れ。でもまたすぐに会えそうな気がしていたので、あっさり別れた。空港内ではネットが無料で繋がった。これはかなりの進歩だ。ミャンマーは確実に進んでいる。これからも来るたびに変わっていくのだろう。

 

日本経済研究所月報コラム「アジアほっつき歩る記」第26回「ミャンマー ヤンゴン最新事情」http://www.chatabi.net/colum/750.html

ヤンゴン散歩2014(8)ヤンゴンで上妻宏光を聞く

ジャパンエンターテイメントフェスティバル

会場に入るとお客さんがかなり入っており、ちょうど日本の松原某という歌手が『見上げてごらん夜の星を』と歌っていた。彼は演歌歌手のようだが、ミャンマー人の知っている歌を選んだのだろう。恐らくは彼の出番は既に終了していたのか。

 

司会は黒宮ニイナというミャンマー出身、日本育ちのタレント。こういう人が日本にいるんだ、と感心していたら、TTMが『うちのPPだって十分できる』とポツリ。確かに何となくPPに似ていなくもない。人生、どういう流れでそうなるか分からないもの。それからミャンマー人の有名な歌手が登場し、会場は大いに盛り上がった。

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そしてついに上妻宏光登場。彼は日本の津軽三味線奏者としてはかなり有名であり、私も家内からCDを渡され、北京で聞いていたことがある。モダンな音楽を三味線で演奏し、色々な楽器や歌手とのコラボも行うなど革命児。とにかくテンポがいい。今日もキレのある演奏を披露していた。これにはミャンマー人も唸る。そしてミャンマー人の女性歌手とのコラボも実現。

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更にはTさんが絡んで呼んだという井上ジョーという若い歌手も登場し、乾杯を歌う。長淵の乾杯は恐らくはミャンマー人が一番良く知っている日本の歌ではないか。ミャンマー語でもよく歌われている。こんなフェスティバルがヤンゴンで行われていようとは日本人は誰も思わないだろう。

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ヤンゴン住宅事情

コンサートはかなり盛り上がり、ミャンマー人の日本への関心の高さも分かった。だがTさんは言う『実は昨日の初日はお客が半分もいなかった。完全な宣伝ミス。昨日企業フェスの方で慌てて宣伝したら、今日これだけの人が来たのだから、主催者は一体何をやっていたのか?』と厳しい。

 

TさんとTTMと3人で夕飯を食べる。Tさんとは前回一度会っている。既に企業を退職しているが、ミャンマーで日本企業の仕事を請け負いながら、学生に奨学金を支給するなど、貢献している。5年以上にわたり、ミャンマー現地からの情報発信も行っている。前回は日本のマスコミ報道のいい加減さをお互い論じたりもした。

 

ヤンゴンで家賃が高騰しているのは、韓国系、中国系が数人で1つのマンションをシェアするのが理由の1つ。物件の不足もあり、家賃が多少高くても一人当たりが安いからどんどん借りてしまう。日本企業はそうはいかないから頭が痛い。ついで韓国系、中国系は現地従業員への給料安く、残業を沢山させて搾取する方法を採用している。日本企業とは根本的な競争力が違うなど、とても参考になる話があった。

 

そして明日午後Tさんの呼んだ井上ジョーがNHKワールドの取材でお寺を訪ねることを聞き、我々も参加することにして別れた。Tさん自身の家も家賃高騰で郊外に移ったという。ヤンゴンも住みにくくなった、ということだろうか。

 

2月10日(月)

ロッテリア

今日も朝から散歩に出た。このホテルの周囲には日本関係の物が沢山あった。旅行会社HISの支店、日本人経営の美容室、そしてマルハン銀行のオフィス。日本ではパチンコ屋であるマルハンはカンボジアやラオスで既に支店を開業しており、ヤンゴンでも近々開くのだろう。事務所にしては妙に立派な建物だ。

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ロッテリアもあった。日本では見る機会が限られるが、韓国勢が強いベトナムなどではよく見かける。ここヤンゴンでも韓国勢の勢いを見る思いだ。朝からそれなりにお客も入っている。ここも決して安い訳ではないが、お金のある人、若い人が食べている。お洒落なスポットなのだろう。

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ミャンマーの物としては、ゴールデンミャンマーというLCCが飛び始めたらしい。そのオフィスも見掛けた。国内線の料金がとても高いミャンマーで起爆剤になるのか?注目。次回地方へ行く際は乗ってみよう。

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ヤンゴン散歩2014(7)着実に変化するヤンゴン

お寺アゲイン

そして私の願いが叶ったのか、一昨日行ったばかりのお寺にまた行くという。どうやら今日はお寺のイベントがあるようだ。勿論ご飯も食べられるというので出掛ける。お寺に行くのが嬉しい、こういう気持ちは日本にはない、それがどんなに不純な動機であったとしても。

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お寺に着くと先ずはお布施。と言ってもお金ではなく、お坊さんが使うタオルや石鹸などの日用品を並んでいる10人程度のお坊さんに渡す。昨日スーパーで用意して来た物を取り出し、一人ずつに丁寧に拝みながら渡すのはとても重要に思われる。飲み物などはまとめて厨房へ持ち込む。

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早速食事。今日もまた美味い。特に魚の味付けが良く、ご飯によく合う。普通のお寺ならお手伝いの人が作るのだろうが、ここでは専門のコックが作っているらしい。材料もいいので、美味く出来る筈だ。何となく邪道だ、という声が聞こえてきそうだが、それでもいいではないか。日本では『寺はこうあるべき、学校はこうあるべき』とすぐに決めつけるが、それでは新しいものは何も生まれない。そして日本の寺や学校が伝統を非常に重んじているとも思えない。

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食後、ゆっくり寺の中を見学。仏像も沢山あり、意外と広い。外ではミャンマー音楽の演奏が始まっており、人々が集まり始めていた。この人たちは信心できているのか、または私のように食い物が美味いから来ているのか、そんなことはどうでもよい。先ずはお寺に集まって、ゆっくり何かを考える機会、それが貴重なのだ。時代を読んだ動き、大切だ。

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ティラワ開発区

お寺を出て、次に向かう。お寺の比較的近くに日本が開発に力を入れているティラワ開発区がある。周囲はのんびりした農村の風景だったが、トラックやクレーン車など、開発を進めている車両の通行が多く、道が狭いため、なかなか前に進めなかった。聞いてみると、この辺の地価も急激に値上がりしており、投資資金が大量に流入している様子が伺えた。

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ティラワ開発区は2012年に日本政府がミャンマー向け円借款を再開した案件。港は以前からあったが、その整備も含めてヤンゴン近郊の工業団地造成を目指している。現在は基礎工事、地ならしが終了したところ。これから本格的な作業が始まり、日本企業が誘致されるというのだが、それはいつのことだろうか。なぜ日本政府はそんなにミャンマーに肩入れするのだろうか??結局埃だらけで、何も見えなかったので、早々に戻る。今回は一応土地の地ならしが済んだことを確認した。

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帰りにみんなでまた例のケーキ屋さんに寄る。ここのアイスクリームが美味いと言われ、初めて喫茶ルームに入る。日本などにはよくある場所だが、ヤンゴンにこんなカフェがあると不思議な感じがする。裏庭はきれいに整備されており、雰囲気が良い。

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特大パフェ?を注文してもらい、上機嫌で食べる。周囲には少しお金のありそうなミャンマー人の家族連れなどが続々入店して、食べている。決して安い料金ではないので、ここで食べることは一種のステータスかもしれない。

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それから皆と別れて、ジャパンフェスティバルの会場へ。ちょうどJETRO主催のイベントがあると後輩から聞いており、行ってみる。今日はTTMのお知り合いTさんのお声掛けでエンターテイメントの方を見に行く。だが行ってみるとビデオ上映ばかりで本当の演奏は5時以降らしい。会場入り口にはみなしごハッチやハクション大魔王などが飾られており、懐かしい。

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マーケットからマッサージへ

時間があるのでタクシーに乗り、ボージョーマーケットへ。ここも10年以上前から時々来ていたが、売っている物はそれほど変わらないが、市場はきれいになっていた。以前にもまして宝石店が増えたような気がする。ディスプレーもきれいになっている。経済成長による変化か、西側諸国が流入したことによるのか。

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ロンジーは相変わらず売られているが、ロンジーを穿く人は相当に減っている。特に若者はTTMが何を言ったとしても、もう履かないだろう。時代の流れは止められない。代わりに洋服を売る店が増えている。目立つのが韓国製。韓流ブーム、ドラマなどの影響で、注目されている。価格も高くない。そして何と韓国製ロンジーまで売っている。こうなるとミャンマーは韓国に圧倒されていると言わざるを得ない。中国はどうしたんだろうか?影が妙に薄い。

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市場内の路上カフェで一休み。これもまたいい。相変わらずコーヒーを頼み、お茶は無料でポットから。どうしてもミャンマーではお茶の文化が育たない。コーヒーはどんどん入ってきているのに。お茶が儲かる、という位置づけでない限り無理なのだろう。

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マーケットの横には何とマレーシア系の百貨店パークソンが出来ていた。ショッピングモールは沢山あるが、本格的な百貨店はヤンゴンで初めてらしい。SSもこの中の店を贔屓にしているとか。モールに比べて明らかに高級感はある。お金持ちはモールではなく、デパートへ行く時代か。

 

まだ時間があるというので、マッサージ屋へ向かう。10年前にもTTMとマッサージへ行ったが、その頃は珍しかったこの手の店、今ではどこにでもある。店に入ると日本人男性が二人来ていた。横柄な口の利き方であまりいい気分にはなれない。未だにアジアを格下とみて横柄な日本人がいるのにも本当に困る。

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脚マッサージを1時間受ける。いい気分で半ば寝る。静かで、清潔、エステ感覚である。隣のTTMも疲れからか寝ていたが、突然携帯電話で起こされる。Tさんからで、何と日本人の演奏が始まったという。プログラムではまだ始まらない時間なのだが。急いで会場へ引き返す。

 

ヤンゴン散歩2014(6)ナンジー

ヤンゴンの中華料理

夜は私の希望で中華料理屋へ。2005年頃ヤンゴン市内にはフィッシュヘッドカレーの美味い中華があった。そこには中国大陸の人間が昼から白酒を飲んでいるような所だったが、飯は美味かった。今回はそこへ行きたかったが、既に無くなっていた、残念。

 

湖沿いの立派な中華レストランへ行ったが、何と結婚披露パーティーで貸し切りとなっており、入れなかった。実はミャンマー人は基本的に豚を食べないが、結婚式のディナーは中華が多いらしい。フルコース、もてなし、という意味ではミャンマー料理は向いていないらしい。見栄えがよく、それなりの味となると中華が一番とか。ここは北京ダックも美味い、とSSが言っている。

 

仕方なく街中の店を覗くと誰もいない。TTMが『この時間に誰もお客がいない店は不味い』と決めつけ、素通り。最終的に時々行くというお店へ。こちらも殆ど人はいない。中国大陸の人間が普通話を話しながら酒を飲んでいたので、まあまあか。

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私の好きな物を頼んでよい、というので酢豚を頼んだところ、他の3人がじっと私を見る。SSが『それ食べるの?』と聞くので、何故?と問い返すと『あなた以外に食べられる人はいない』という。そう、豚肉食べないと聞いていたのに。そこで酢豚を酢鶏に替えて注文。これなら皆が食べられる。これがアジアだ。

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水餃子を頼む際も、鶏肉入り餃子に。我々には違和感があるが、豚肉は使えない。あとは豆腐やイカなどの海鮮を頼む。これは中国人には不便だろうな。味は悪くないのだが、うーん、何となく不完全燃焼。

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2月9日(日)

ナンジー

今朝はホテルの食事にも飽きたので、懐かしのナンジーを食べに行く。昔SSとカンドジー湖を散歩したのち、食べたナンジーは忘れられない。今日はTTMと行く。TTMの自宅近くまで来ると、朝のランニングをしている人に抜かれた。最近はミャンマーできちんとした格好でランニングする人がいるのかと感心していると、何とその男性は日本人だった。仕事で駐在しているらしい。そんな人が急速に増えている。会社が一軒家を借りてくれているという。

 

ナンジーを食べに近くの食堂へ。ここは10年前にも来たが、殆ど変っていない。日曜日の朝ということもあり、ゆったりと食事をし、お茶を飲んで、話している人が多い。この雰囲気、それがミャンマーだったのだが。

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ナンジーはもち米から作られる麺に、豆の粉、干しエビ、ターメリックなどで下味をつけて炒めた鶏肉、玉ねぎ、香菜などを添え、全体をかき混ぜて食べる。如何にもミャンマーらしい料理だ。これは暑くてもスルスルと食べられてよい。気持ち良い朝には最高だ。

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ついでに皆に倣って、コーヒーも飲んでみる。こちらは砂糖とミルクたっぷり。ナンジーのさっぱりした味の後にはよいのかもしれない。パンが横に置かれていて思わず食べたくなるが、食べ過ぎを懸念し、控える。このパン、食べたらお金を払うシステム。これも東南アジア風。

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ヤンゴン散歩2014(5)日本人が仏像を寄進した寺

2月8日(土)

朝の散歩

翌朝は近くのインヤー湖を散策。昔はSSと散歩したこともあったな、と思い出しながら歩く。この湖は大きくはないが、景色は良い。今は散歩する人、物思いにふける人など、朝から人がそこそこにいる。

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大きな通りでは朝の通勤ラッシュか、バスに乗り込む人々が見られる。相変わらずヤンゴンの交通事情は良くない。が、それでも以前に比べるとバスもきれいになってきている。勿論車はかなりきれい。タクシーも多く走っている。

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目の前にセドナホテルがあった。ここは立派なホテルで日本企業も入居している。確かSSが『結婚式はセドナでないと嫌だ』などと言っていたのを思い出す。今ヤンゴンはホテル不足。このホテルの料金は高いのだろう。そういえば、オフィスビルをホテルに替えた、などの話もあり、中には病院がホテルに変わった例もあった。電気の確保も重要な要素だかららしい。これから立派なホテルがどんどんできる予定だが、ヤンゴンのホテル事情は当分改善されそうにない。

 

おじいさんの家

今日はどこへ行くんだろうか?TTMがホテルに迎えに来てくれ、これから実家へ行くという。TTMの実家、確か10年前に行ったことがある。あそこはいいところだ。車は郊外へ向かう。運転手は昨日と同じ女性。親戚の一人だとばかり思っていたが、実はハイヤー会社を経営している。夫婦で日本に滞在した経験があり、日本語も出来る。これからは車の時代という彼女。その見立ては間違っていなさそうだ。

 

1時間弱でおじいさんの家に着いた。特に変わった様子はなかったが、何となくきれいになってはいた。ここにゆっくり滞在するのかと思いきや、TTMは用事を済ませるとすぐに帰るという。ちょっとがっかり。

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実はTTMのお母さんは一昨日の晩、家の階段から落ちて怪我をしていた。それを押して昨日の式に参加していたのだ。痛々しかったが、それほどまでにSSに愛情を注いでいる様子が嬉しかった。当分安静が必要のようだ。この家にはTTMの妹夫婦が住んでいたが昨年妹の旦那さんが亡くなっていた。妹さんは今一人暮らし、毎日ここからバスに乗り、TTMオフィスに通う。これは大変なことだが、その時間が彼女の悲しみを忘れさせるのだろう。この妹さん、いつも周囲を気にかけており、私にもよくしてくれている。

 

市内に戻るともう昼時。車はイタリアンレストランの前に停まる。そこはこぎれいな店、SSと彼も合流する。SSは火鍋も好きだがイタリアンも大好き。ここは日本人もよく来るようで、日本語のフリーペーパーも置いてある。今日は土曜日のせいか、お客は少ない。

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サラダとパスタ、ピザも美味い。今やヤンゴンでは他のアジアの都市と同じものが食べられる。お金さえあれば、何でもできる時代が近づいている。いいことだが、一抹の寂しさがある。あのゆったりと流れる時間が懐かしい。

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アウンザップテォーヤ寺院

午後はまた郊外のお寺に行くという。親族の皆が『日本人は必ず行くべき』というので訪ねてみる。TTMも忙しくて行ったことがないという。そのお寺、アウンザップテォーヤ寺院は車で小1時間。かなり田舎にある。

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寺への参道には露店が並び、近所の農民が野菜などを売っている。寺は意外なほど大きく、その敷地は広い。そして本堂前には人がたくさんおり、中には数百人が座っていた。一体ここは何なんだ。

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実は2012年10月、この寺を一人の日本人が訪れ、301体の古代仏像を寄贈したのだという。その仏像を一目拝もうと沢山の信者がここへやって来た。最盛期は週間100万人来たこともあるという。まあ、100万人は大げさとしても、下火になった今でも、人が続々やってきている。

 

本堂でミャンマー語の講話を聴き、2階へ進む。ここは入場制限をしており、入った人は指示に従わなければならない。2階に仏像が置かれていたが、何と500年前、1000年前の仏像まであり、どうやってこんなに沢山の仏像を集めたのだろうか、どこにそんなに仏像があったのだろうか、と思ってしまう。だがミャンマー人は『尊い仏像が我々の前に姿を現した。それだけで十分だ』という。

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実はミャンマーの古い寺に安置された仏像が盗まれ、海外に売られていく現実がある。タイの骨董商などに並べられている仏像の中には、ミャンマーの物が多いらしい。私が日本人だということで、この寺の一番偉いお坊さんがわざわざ会ってくれた。だが、この仏像の由来は分からないという。寄進した日本人から話があった時、まさかこんなに大きな、古い仏像がもたらされるとは思っていなかったらしい。この件については謎が多い。

 

この寺には、瞑想施設などもあり、1週間程度ここで瞑想にふける人もいるという。外には大きな仏像も置かれており、財政的のもかなり豊かなようだ。ミャンマーのお寺もかなり変化してきている。経済が成長するとお寺も成長する。お寺経済とは。

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