変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(3)ソウウイン茶荘

ティラワ開発区と中古部品

続いてティラワの開発区を見に行く。ここは日本政府肝いりで開発が進む場所。2月にも訪れたが、道路が狭くて渋滞に嵌り、すぐに引き返していた。前回同様の道を行く。聞く所に寄れば、この辺の地価もかなり上がっていたが、そろそろ一度手じまいらしい。ミャンマーの物価からすれば考えられないような値段が付いているという。

 

開発区へ行く途中でランチを食べる。今日もミャンマー料理。SSがいるとすぐにイタリアンになるが、彼女は身重で来られないため、TTMの差配となる。出て来るミャンマー料理は決して不味くはないが、特に美味いとも言えない。でも野菜は新鮮だし、魚の煮つけも悪くはない。

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ミャンマーでは、食堂の店主もお客に施しをしないといけない。ジュースを無料で配ったり、お茶を振る舞ったりする。それがひいては自分の為になる。この辺もいかに儲けるかばかりの日本や中国とは一線を画す。利益の還元の仕組み、大事なような気がする。

 

開発区はちょうど整地が終わったところのようで、かなり土台が高く作られていた。水害などに備えるのだろう。入居希望企業もあると聞くが、道は狭いし、果たしてどこまで役に立つのか、素人の私にはよく分からない。周囲は相変わらず草が生えている。いつ企業が入り、稼働できるのだろうか。

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そのすぐ近くに中古車マーケットらしきものがあった。最近は見かけなくなった、日本の会社名などが入った本当の中古車がずらりと並んでいる。日本ならとっくに廃車の車、ヤンゴンでも既にそのまま使う人は少ない。どうするのかと聞くと、『部品を取り出して使える物を売り買いする』とのこと。リサイクル、ということか。勿論屑も資源である。

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S氏は疲れからか、飛行機の長旅からか、腰が痛いと言い出す。かなりしんどそうなので、マッサージに行く。前回もTTMと行った所、普通は若いマッサージ師が足を揉む程度だが、今回は先生が出てきて、S氏を診察、マッサージ師に指示を与える。そして別室で入念なマッサージを受けたようだ。私とTTMはいつもの脚マッサージを受ける。疲れていたのか、朝が早かったのか、すぐにぐっすりと寝込み、起き上がると終わっていた。それからS氏を待ち、店を出た。だがS氏の容体は良くならず、ホテルで休息することになった。

 

ソウウイン茶荘

S氏をホテルに送るとTTMが『行きましょう』という。こういう時は期待が持てる。どこへ行くのだろうか?車は少し中心部を外れた感じだ。雨が降り出している。着いたところはお茶屋さんだった。『ヤンゴンでも最大手のソウウイン茶荘です』

 

中に入ると如何にも卸、という雰囲気が漂う。何となく中国的だと思っていると、所々に漢字の表記がある。聞けば華人の経営だった。南シャン州に大きな茶畑と茶工場を持っているという。緑茶、花茶、烏龍茶、紅茶と種類も豊富だった。緑茶を飲んでみたが、味は悪くなかった。

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店を任されている若い女性との会話は初めTTMに通訳してもらったが、その後簡単な普通話を話すことが分かり、直接になった。『最近は紅茶も緑茶も需要が増えており、増産している』とのことだった。2年前に私が行った南シャンのガロー郊外は既に茶畑が荒廃していたが、華人系のしっかりした経営をしているところは、生産を伸ばしているということか。出来れば次回南シャンに行ってみたいと思ったが、『老板に聞かないと分からない』との回答だった。

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一度ホテルへ帰り、S氏の様子を見ると、何とか夕飯に行けそうだったので、SSの好きなイタリアンへ行く。ところが肝心のSSが来ない。タクシーに乗ったが、渋滞に嵌ったらしい。その間にサラダを頼み、スープを頼み、ピザが来た頃、ようやくやって来た。

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実は最近TTM家は郊外に引っ越していた。ヤンゴンの家賃は驚異的な上がり方を見せており、それまで住んでいた所の大家から、2倍以上の値上げ提示を受け、やむなく引っ越した。しかも引越し場所も容易に見つからず、予算内に収まる家は中心部にはなかったので、郊外へ。それがどのくらい郊外なのかこの時は分からなかったが、後で行ってみて大変な所だと分かった。身重のSSを一人でタクシーに乗せるような場所ではなかった。

 

ここのイタリアンは味が良く日本人も多く来るらしい。日本語フリーペーパもあった。パエイリャなどが特に美味い。本当にヤンゴンも変わったものだ、と思う。ただS氏の様子が気になっていた。

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8月15日(金)

午前4時の見送り

今朝は午前4時に起きる。S氏の日程は強行軍。本日朝6時台のフライトでバンコックへ行き、それから朝便で羽田へ。そして国内線で岡山まで一気に帰る。ロビーに見送りに行くと既にS氏は準備万端、予約したタクシーも来ており、すぐの別れとなった。だが、その様は痛々しい。腰がかなり悪くなっていた。

 

あとで聞けば、ヤンゴン空港で車いすを頼み、何とか搭乗。バンコックの空港でも頼んだが、手配してもらえず、大変な目にあった。その上東京までの長旅、相当苦しかっただろう。岡山まで帰り着いたが、翌日は週末で病院がやっていない。やむなく救急車騒ぎとなったとか。

 

私はそんなことも知らず、2度寝した。そして7時頃、また起きて朝食に。ところが昨日はあったビュッフェの食事が今日はない。『お客がいないので、食事はこれです』といって、パンや卵を供される。このホテル、新しいだけにまた経営が安定していない。

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