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カンボジアご縁の旅2015(3)プノンペン 逞しく成長した25歳の店長

そして再び店に行くと『来ました』というので、見てみると、何と店長の渡辺さんがいた。確か店員の話では彼女は今日は休み、だったはずだが。『今日は休みなんでしょう』と声をかけると驚いたように私を覗き込む。昨年のイベントで会ってはいるが、あの時は人が多くて覚えていない。話している内に思い出してくれたようだ。そして『私、今日自分が休みだったことを忘れていました』というではないか。それほど開店以降、厳しい日々を送っているんだな、と分かる。私も昔こんな生活をしたことがあるので、彼女の体調が心配になる。

 

実は温井さんは事情があり、急遽帰国していた。その事情をスタッフも知らないほど急だったようだ。Facebookにメッセージが入っていたが、スマホを使わない私は気が付かずに店に行ってしまったという訳だ。渡辺さんは私が来ることなど知らされておらず、それで驚いたような顔をしたわけだ。

 

だが彼女はそんな心配をよそに、商品の説明を丁寧に始める。かなり広い店内には、デザインコンテストのデザインを使ったポーチなどの他、カンボジアの自然な素材を使ったココナッツオイルや石鹸を扱い、そして日本コーナーでは、メイクアップアーチストを呼んで、メイクを施したりもしている。日本の可愛いグッズの販売も行っている。昨年6月末に開店してから、紆余曲折を経て、今日の店があることが一目でわかる。

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『ランチはどうしますか?』と渡辺さんが聞いてくれたので、一緒に食べに行くことにした。モールの上の階に、いくつもの店が入っており、出店者たちもここで食べているので、ランチの時はお客が結構いるらしい。今回は彼女のリクエストで中華に挑戦してみた。意外や奥が深い店内、そして意外やお客がいた。地元の人か観光客かは分からないが、中国系の人が多い。

 

料理は何となく創作料理風か。スープが大きな土瓶に入って出てきた。日本料理の土瓶蒸しを想起させる。味は甘めで、癖がない。野菜炒めなども食べやすい。飲み物はタイから入ってきたペット飲料を注文したが、何でこんなにまずいのか、と思うほど、味が甘く、しかも不思議であった。無料のお茶が出てきてホッとした。このお茶、どこから来たのか、そんな興味が湧く。

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お店に戻り、石鹸とその入れ物として小袋をお土産にする。石鹸は泡立てネットがなければ泡が立たない天然物ということで、3点セットを作ってもらった。この辺も店長、渡辺さんの提案力による。スタッフが一生懸命包んでいる。このモールは朝9時から夜10時まで開いているので、店も開けなければならない。その拘束時間の長さは凄い。人繰りも大変だろう。その分、店長の負担も半端ない。昨年会った時に初めて人を採用するのだと緊張していた彼女を思い出す。店の外には自らがモデルになった写真まで貼ってある。

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記念写真を撮ろうというと、ちゃんと店の商品を持ち出し、手に持たされた。この1年の間の彼女の苦労、そして相当に成長した店長を見て、逞しくなったな、としみじみ思う。人間は与えられた環境で成長していく。私も若い頃、一人で台湾に送られて苦労したが、その時が一番成長した、と今でも思う。渡辺店長の将来、楽しみだな。

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テレビと夕飯

それから歩いて宿まで帰る。トゥクに乗ればよいとは分かっていても、またどんなに暑くても、私は歩くのが商売だから、仕方がない。と言ってもかなり遠いので疲れ果てる。部屋に戻り、しばし休息。のつもりが心地よいエアコンのお陰で寝入ってしまい、起きると午後5時になっていた。

 

NHKの7時にニュースを見る。最近見ていないな、ニュース。昔はニュースとスポーツだけは見ていたのだが、今ではニュースも嘘っぽい。そして最近は子供の誘拐や自殺の話が多い。既に世の中、見なくてよいものを沢山見る時代に入ってきたようだ。その中を如何に生きていくのか、それが課題だ。

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腹が減ったので夕飯を食べに外へ出た。外は既に暗く、周囲にレストランは見えない。古いオルセイ市場の方へ行くと、角のキャピタルから始まり、いくつもの店が軒を並べている。でも何となく美味そうに見える店がなく、市場まで来てしまう。市場の前の屋台で焼そばを注文してみる。

 

後ろのテーブルに座り、焼きそばを待っていると、横のテーブルから日本語が聞こえてきた。若者が二人で話し込んでいる。聞き耳を立てたわけではないが、聞えてきたのはサッカーの話題。それもカンボジアのプロリーグに関するもので、この2人がサッカー関係者、場合によっては選手本人である可能性が出てきた。今や日本人選手がアジアで活躍する時代、そんな話が隣であってもおかしくはない。

 

焼そばはウマかったが、一緒に出てきたスープには味の素がたっぷり入っていた。こんなスープ、久しぶりだな、と何となく懐かしいが、大量には飲めない。ここで働く人々はこの薄暗い空間で、何を思って生きているのだろうか。あるいは何も考えず、目の前のことに追われているのだろうか。

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帰りになぜか肉まんを買ってしまった。婆さんが、ウマイよ、という顔をしてからだが、実際に買うと愛想も何もない。プノンペンに華人は多く、またどこにでもいるが、皆強かに生きていることがよく分かる。この国には華人受難の歴史もある。その中を生き抜いてきた婆さんに、私が敵う訳がない、と諦めて、部屋で肉まんを噛みしめる。

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カンボジアご縁の旅2015(2)変化するプノンペン

またトゥクに乗り、向かった先はサムライカレー。昨年訪ねた時はコニーバーに併設されていたのが、今は独立して?別に店を構えていた。このプロジェクトは知り合いのとまこさんがカレーのレシピを考え、よもけんも参加していた。場所もそれほど良いところではなく、どうなったか心配したが、数人の若者がちょうど賄いメシを食べるところだったので、一緒に食べてみた。

 

とまこさんのオリジナルレシピカレーにカツを入れてみた。物凄い量になってやって来てたじろぐが、カツは好きなので、どんどん食べる。カンボジア人は辛いものを食べないようで、カレーも甘味が必要らしい。ココナッツカレーなどは良いようだ。また付近に住む欧米人もターゲットだが、このあたりの好みを掴むのが難しい。

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昨日初めてカンボジアに来たという大学生から1か月ぐらい滞在している者まで、皆でこの店をどう盛り上げるか、如何にカレーを売るか、を考えて実行することが目的、いわば若者訓練所だ。今はカレー以外のメニューを検討中。既に巻き寿司にチャレンジしており、すぐにメニュー化されるらしい。半年後にはサムライカレーがサムライスシになっているかもしれない。そんな面白さがある。

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次に歩いて、近くのイタリアンへ。何と今日がオープン初日だという。お洒落な店内、日本人のオーナーシェフが緊張の面持ちで料理を作り、店員に指示を出していた。我々は食事を終えていたので、ワイン一杯ずつを頼んで様子を眺める。向こうでは日本人の団体さんが楽しそうにワインを飲んでいた。プノンペンにもイタリアンはあると思うが、日本人が作るイタリアンも良いものだ。このお店、今後が楽しみだ。

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そしてコニーバーへ。店長が到着するとすぐにお客がやって来るから凄い。私の横にはバイク屋さんが座り、カンボジアやベトナムのバイク事情を聞く。夜はスポーツバーもやっているとか。凄いバイタリティだ。反対側には食材輸入会社の人が。彼も28歳だとか。若いな、プノンペンは。最近日本食レストランが出来過ぎたこと、など事情を行く。ここに居れば、様々な人がやってきて、情報を置いて行ってくれる。店がお客で溢れてきたので、退散した。帰りもトゥクで3ドル。トゥクに慣れるとプノンペンも歩きやすい。

 

2月5日(木)

ゴールデンバイヨン

翌朝は6時に起きて、NHKでマッサンを見た。見終わるとやることがなくなり、ボーっとする。8時過ぎに明日行く予定のシアヌークビル行きバスの予約を試みる。日本人経営だというので電話してみたが、英語での対応。電話が聞き取り難く苦労したが、何とか予約で来た。でも何となく心配。フロントの女性に再度電話してもらい、確認を取る。

 

それでも心配になり、せっかく電話したのに、バス会社に行ってみることにした。セントラルマーケットの近くということで、歩いてもさほどの距離ではない。宿の前には自転車屋が数軒ある。これは珍しい。途中道路工事があり、見ると日の丸が。相変わらずODA、撒いているんだな、我が国は。

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会社に着くとちょうどバンが出る所だった。ようはバンに人を詰め込み、一人10ドルでシェムリアップやシアヌークビルに運んでいるのだ。ローカルバスよりはよさそうだ。オフィスで明日の予約を確認する。何とホテルに迎えに来てくれるという。本当か?ちゃんと宿の名刺を出すと、彼女はPCに打ち込んでいる。これなら心配ない。安心して戻る。その際、シアヌークビルの宿もこの会社のGHにすることにして、電話で予約した。バンを使っていくと宿代が10%オフになる。でもなぜか同じ会社なのにこのオフィスでは宿の予約はできない。

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そのまま南下する。イオンモールを目指して歩いたが、途中で道を誤り、だいぶん曲がってしまった。それにしても思ったより時間が掛かる。これならトゥクに乗るべきだった後悔したが、後の祭り。かなりの暑さの中、埃だらけの道をテクテクと歩き、約束の11時半を過ぎて何とか、滑り込む。

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イオンモールのWakanaショップ

昨年ここを通った時はまだ建設中だった。本当に6月にオープンするのだろうか、と思った。しかし本当に6月末にイオンモールはオープンしたとニュースで見た。フンセン首相も開業式典に出席したというから、その期待は大きい。だが平日の午前中、お客はそれほど多くはない。昨年行ったホーチミン1号店よりは多かったが。店舗はホーチミンより充実しているように見えた。ロケーションもこちらの方が良い。週末はお客が多いという話は似通っている。トイレに行ってみると日本と同じきれいさで驚く。設備はとても良いのだな。あとは時代が付いて来れば、そう思う。

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Wakanaショップを探してみる。意外と見つからないと思っていたら、ほぼ1階の真ん中にあった。店に入ると店員のカンボジア人女性が二人いたが、代表の温井さんの姿は見えない。店員の女性も『今日はまだ来ていない』と言いながら、携帯を鳴らしてみるが、応答がないという。ちゃんと行くことは伝えてあったのはずだが、どうしたのだろうか。重要な会議でもしているのだろうと、一度店を離れて20分ほど他を回ってみた。

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カンボジアご縁の旅2015(1)プノンペン 空港からふらふらとトゥクトゥクで

《カンボジア散歩2015》  2015年2月4日-10日

 

12月にシェムリアップに行ったばかりだったが、予定していたインド行が延期となったことから、再びカンボジアへ行くことにした。今回はプノンペンとシアヌークビル。プノンペンでは前回見学したデザインコンテストが形となり、店を構えたというので見に行ってみた。シアヌークビルは初めての地、そこでは劇的な転換をした人に会うことになっていた。ちょっとワクワクする旅、茶旅ではなく、ご縁の旅もどんどん広がっていく。

 

2月4日(水)

1.プノンペン

空港からふらふらと

カンボジアへ行くのは好ましいが、好ましくないのはいまだにビザの取得が必要なこと。空港に降りてアライバルビザを取ればよいのだが、その手続きは面倒だし、30ドルも払う必要もあり、そして何よりもパスポート1ページにデカデカとビザが押されるのはただでさえ、判子の多い私のパスポートには痛手だ。だが、ビザ取得もかなりスピーディーになり、イミグレも、指の指紋を取るのだが、そのスピードも速い。

 

普通は空港で携帯のシムを買うのだが、前回シェムリアップで貰った無料のカードを使ってみる。聞いてみると5ドルのお金を入れる必要があった。それが有利なのかどうかは分からないが、面倒なので従う。プリペイドのタクシーはあるが、つまらないので、今回はトゥクトゥクを探してみる。

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空港の外に出たが、タクシーしかいない。少し歩いていくと、ふらふらとトゥクが1台やってきたので、それを止めて料金を聞くと7ドルというので、飛び乗る。空港から市内の料金は統一されているようだ。空港の敷地を出ると、道には多くのトゥクがいた。今やトゥクはここまで追いやられ、乗客は外まで出て来なければならないことが分かる。タクシー全盛の時代なのだ。

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そのトゥクの運ちゃんはなかなか面白い。かなりゆっくりと走り、途中でガソリンを入れたり、飲む水を買ったりと、ふらふらと進む。特に急いでいなければ、これはこれでプノンペンらしい。カンボジアでセカセカしていては、カンボジアらしくない。だが今やカンボジアにも経済成長の波が押し寄せ、金儲けと効率が幅を聞かせてきている。トゥクは徐々に消えていくのだろうか。夕方の渋滞時、トゥクは車から邪魔にされ、バイクから疎まれながら走っていく。

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市内の入ると運ちゃんは型どおりに『明日は観光か?トゥクはいらないか?』と聞いてきたが、『いらない』というとそれ以上、セールスすることはなかった。『そこまであくせく働く必要はないよ』と言わんばかりに、7ドルを受け取ると、またふらふらと去っていった。

 

ナイスゲストハウス

今回はプノンペンのゲストハウスに泊まってみようと思い、在住者に聞いたところ、勧められたのがナイスゲストハウス。名前もいいので、ここに行ってみる。隣にあるキャピタルというGHが一番有名らしいが、ナイスはその横にひっそりとある所が良い。フロントのニーちゃんも親切そうで、料金も1泊13ドルを12ドルにしてくれた。

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部屋は4階になり、階段を上がるのがしんどい。下の部屋はないかと聞くと『うちの部屋は下から埋まっていく。2階は1か月ぐらい滞在する常連さんが占拠しているよ』というではないか。確かに旧市街の中心付近にあり、部屋代もリーズナブルであれば、長居する人も出てくるだろう。プノンペンは観光地ではないので、通り過ぎる旅人が多いと聞いていたが、彼らは何をしているのだろう。

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部屋は古いが個室で、トイレとシャワーも付いている。ネットも何とか繋がる。このクラスとしては珍しくちゃんと映るテレビもあり、何とNHKのワールドプレミアも受信していた。これで12ドルなら満足、ということになるだろう。長居する日本人はここでダラダラとネットをやり、テレビを見ているだけかもしれない。腹が減れば外へ出て食う。そんな生活もありかなと思う。確かにここはナイスなGHだった。

 

たかやんと

今晩は前回知り合ったカリスマバー店長、たかやんに遊んでもらうことにした。たかやんは3年前にプノンペンにやって来て、コニーバーという店をやっている。まだ28歳だとか。今の若者は、などということを言うおじさんも多いが、こういう人もいるということを認識する必要がある。

 

たかやんに電話すると『ロシアンマーケットまで来て』と言われる。どこにあるか分からないので、フロントで聞くと彼らも一瞬分からない、という顔をしたが、一人がたぶんあそこだろうと、外にいるトゥクに話してくれ、乗車した。トゥクはひたすら南下して、普通の道の脇で停まった。指示されたKFC(ケンタッキー)の前で降りたが、どこにマーケットがあるのかと不安になる。ロシアマーケットといえば、毛皮やマトリューシカを売っているとばかり思っていたのだが。そこにたかやんが登場。ロシアマーケットと言っても、今は普通の市場と分かる。昔はロシアから流れてきた物資でも捌いていたのだろう。北京にもあったな、そんなところ。

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アンコールへの旅2014(10)何気ない日常を歩く

トゥクトゥクの悲哀

帰りはまたトボトボと、自分のホテルまで歩く。トゥクトゥクの運転手から何回も何回も声を掛けられたが、全て無視した。そういえば4年前にサレンと初めて会った時、私は夜遊びをしないので、私を宿に送ると彼はこのマーケットへ来て、お客を待つと言っていたのを思い出す。一晩待っても一人も客を捕まえられない時もある。そんな時はかなり疲れるらしい。若いから体は何とかなるが、精神的な疲労は相当ある。

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彼はその生活から抜け出すことを常に考えていたと思う。そしていつの間にか、実家の畑を耕していた。今回会った彼は、随分と太っていた。彼とほとんど話をしていないので、本当のところは分からないが、気持ちにゆとりが出てきたのかな、と感じる。彼の村、彼の実家へ行って、サレンに向いているのは、運転手ではないのだと、つくづく思う。

 

そんな事を考えながらも、トゥクトゥクの誘いを断り続ける。確かに乗ってあげれば彼らは喜ぶのかもしれない。でも私は歩きたい。双方が喜ばないことをしても、きっと上手くは行かない。薄暗いシェムリアップの埃っぽい道を歩きながら、あれこれと考える。悠に30分以上かかったが、満腹の腹ごなしの運動にはちょうど良かった。そしてまた、ホテルの部屋で寝つきが悪かった。

 

12月22日(月)

散歩

翌朝も早く起きて、朝食をサクッと食べた。と言ってもかなりの量を食べている。既に食べ過ぎで胃腸が悲鳴を上げている。とにかく歩くことにしよう。昨日まではバスに乗ることが多く、歩く時間が少なかった。今日は午後の便でバンコックに戻るだけだったから、たっぷりと時間はある。

 

ホテルから6号線を越えて、東の方に歩いていく。ちょっと行くとすぐに、田舎の景色となる。車が通るたびに埃が舞い上がるが、それを気にする人などいない。ペットボトルに詰めたガソリンが売られている。ミャンマーでも昔よく見たが、今は田舎でしか見られない。

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高級ホテルの庭が広い。仏塔が再建された場所もある。観光コースにしたのだろうか。きれいな土産物屋さんがいくつか出来ている。従来のマーケットとは違う、ちょっと離れた空間に工房などを作り、その商品を売る。その横では懸命に商品作りに励む姿も見られる。脇道に入ると木々が生い茂り、道路脇には何をするでもない人々が、何となく道を眺めていたりする。この何気ない日常、本来見るべきものは、過去の遺産ではなく、現在の生活ではないのか、とちょっと考えてしまう。

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少し早いがホテルの近くに戻り、ランチを食べる。昨日気になったレストラン、どう見ても中国系がやっており、粥などのメニューがあったので入ってみた。ところが店員だけでなく、店主と目されるおばさんも普通話を解さなかった。顔は中国系なので、勉強しなかっただけだろうが、看板には中国語も書かれており、中国人観光客とコミュニケーションできなくて困ることはないのか、とこちらが心配する。いや、ここには観光客など来ないのだ。

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蛙のお粥を頼む。3米ドルもするのだが、量も滅茶苦茶多い。とても一人では食べ切れないが、この暑い中、懸命に食べる。汗がしたたり落ちる。おばさんに『暑い』というと、扇風機を2台動かしてくれた。その風を受けながら、何と最後まで完食した。何故そうするのか、自分でもわからない。ちょっとムキになってしまった。

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それにしても、ここでも時間が止まり、皆が止まったように動かない。お客も入って来ない。12月だというのに、何でこんなに暑いのだ!当たり前だ、こんなに暑いのに、熱い粥をたらふく腹に収めたら、誰だって汗がどんどん出るよ、おばさんはそんな顔をしていた。それでも乾季のこの季節、雨季に比べればマシのようなのだが。彼女はここで生まれたのだろうが、どんな人生を生きてきたのか。ちょっと興味が湧くが、それを知るすべがない。

 

ホテルに戻り、チェックアウト。空港までのトゥクトゥクを頼むと、『ここで頼むと7米ドル、外だともう少し安いかも』というので、外へ出た。これまで何度か声を掛けてきた運ちゃんだが、一度も振り向かなかった私。目が合うと向こうが『こいつは客じゃない』と目を逸らした。ところが私の方から声を掛けたのでビックリして、何だか6米ドルで行くことになった。

 

昼下がりの街中を走ると、暑い空気が抜けていき、気持ちの良いドライブとは言えない。来た時は夜だったので、実に爽やかだったのに。そういえば4月にインドのバラナシへ行った時、空港まで乗ったオーリキシャ―の暑かったこと。熱風を掻きまわし、叩き付けてくる感じで、喉がカラカラになり、死にそうになったことを懐かしく思い出す。それに比べれば今日のトゥクトゥクなど問題はないのだが、なぜか暑いと思ってしまうのは、昨晩トゥクトゥク運ちゃんたちのことを考えていたからだろうか。

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空港に着くと、2時間ちょっと前なのに、バンコックエアーのチェックインは始まっていなかった。隣のエアアジアは長蛇の列だが、こちらは乗客全員がチェックインを待っているという雰囲気。イミグレを抜けると、ここにもちゃんとラウンジが用意されており、冷たいジュースを飲んで生き返った。

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アンコールへの旅2014(9)ゆるいゆるい村でごろ寝する

ゆるいゆるい村で

ベンメリアを後にして、バスは田舎道を走る。これからサレンの実家を訪ねることになっている。途中で結婚式の披露宴をしているところがあった。カンボジアも結婚式にはお金を掛け、盛大に行う習慣がある。本日の案内役、Kさんもサレンのお兄さんと結婚、カンボジアでも式を挙げたことだろう。Kさんの娘、Sちゃんにとってはおじいちゃんやおばあちゃんが待つ、故郷なのである。

 

広い通りから狭い道は入る所におじいちゃんがバイクで待っていて、道案内してくれた。家の近くにバスが停まると、待ち切れずにおじいちゃんがバスに乗り込み、Sちゃんを抱き上げる。だが突然抱き上げられたSちゃん、大泣き。これにはおじいちゃんも困ったことだろう。私も昔、離れて暮らしていた自分の息子に大泣きされると、何とも切なかったことを思い出す。

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おじいちゃんの家には庭があり、バナナがなっていた。高床式の木造の家が、いい感じで建っていた。下では皆が寛げる台があり、親戚が集まり、我々のためにランチの用意をしてくれていた。雷魚が美味かった。何のスープか分からないが、絶品スープも登場し、人の家にも拘らず何杯もお替りした。あー幸せな生活。風すらもゆっくりと吹き抜けていく。A師は早々、ゴロリと横になる。

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皆2階に上がり、そこでゴロリとなる。そして本当に寝入る。あー、風がいい。ベストシーズン!しばらく寝てから起き上がると和尚がいない。探してみると彼は付近を散策していた。周囲は畑。サレンもトゥクトゥクドライバーを辞め、この辺の畑をやっているというが、今日は市内の奉仕活動に出掛けており、結局会えなかった。残念!

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この村の子供たちは暑くても元気で遊んでいる。Sちゃんも仲間に入れてもらい、ゆっくり動く。男の子も女の子も、小さい子も大きい子も、一緒に遊ぶ。写真を撮ると皆集まってくるし、何かあると、すぐに反応する。そう、子供らしいのだ。今の日本の子供は関心がなければ動かない子が多い。こんな自然の中で、のびのびと遊ぶ、実に月並みながら、羨ましい環境がここにある。

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昨日は伝統の森に行ったが、同じ田舎でも、だいぶん雰囲気が違う。伝統の森もゆるいが、それでも仕事場、という感じもする。こちらは完全にローカルの生活の場に入り込んだ感じだろうか。ここにいつまでも居たい、という気分が高まる。最近は電気も通ったようで、衛星放送のアンテナなども見える。実はこの村も急速に変わって行くのかもしれない。機会があれば次回は3日ぐらいここに泊まってみたい、と思う。

 

帰りのバスは何となく、皆夢見心地、気だるい雰囲気が流れていた。こんな何気ない家庭訪問、これこそが観光より重要な、現地を知る手がかりを提供してくれる。勿論いいことばかりであるはずがないが、我々が田舎の生活をいいと感じるのは、現実に何らかの不満があるからだろう。

 

ナイトマーケット

ホテルに戻ると、もう夕暮れ。A師夫妻と和尚と、今回初めてナイトマーケットへ行く。普通の観光なら真っ先に行くのだろうが、最後の晩に初めて行くのが我々だな。ホテルから15分ぐらいかけてゆっくり歩いていく。3年前に行った時より遥かにきれいになっていて驚く。というか、初めて見る、川向うの夜市。

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中国語がそこかしこに書かれており、どう見ても中国人対象のマーケット。私に中国語で声を掛けてきた店員に話を聞くと、やはり中国人が圧倒的に多い。そして売り手の彼らはカンボジア生まれの華人。華人といえども、まさか同胞がこんなに沢山カンボジアに来るとは思っても見なかった、という。中国語が出来て良かった、との声も聞かれた。

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夕飯は私が初めてシェムリアップに来た時に行った、クメールキッチンに行こうということになったが、場所など覚えていない。以前は全てサレンに任せて道を覚えようともしなかった。誰もガイドブックも持っていない。仕方なく歩き回り、他の店に入ろうとしたところ、不意に発見した。

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ただ店は小さく、店の前には人だかりができていた。こんなに人気だったんだ。恐る恐る近寄ると奇跡的に席が空いており、滑り込む。これもご縁だろうか。スープを含めてカンボジア料理を4品、そしてご飯を頼む。カンボジア料理は甘いがなぜか美味く感じる。しかも一品4米ドル、ご飯は無料。一人4ドルでたらふく食べた。これが人気の秘密だと分かった。

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アンコールへの旅2014(8)自然に崩れるベンメリア

出会い

実は今日は5月に行った沖縄伊良部島のゲストハウスのTさんから紹介を受けて、日本人女性と会うことになっていた。彼女はカンボジアで働いており、偶々シェムリアップに出張で来ていたのである。こういう出会いは何とも嬉しい。携帯で連絡を取り合い、何とか落ち合うことができた。但しこちらは団体から解放されたばかりだが、彼女は団体行動、あちらに時間がない。

 

何とシェムリアップの街で出会ったのに、カフェにも行けず、わずか10分、立ち話しただけだった。バイクのオジサンが不思議そうに我々を眺めていた。彼女はプロジェクトの関係で普段はかなり田舎に滞在しており、週末はプノンペンに出てくるという。次回は是非プノンペンでの再会を、と話して別れた。そういえば、横浜で東京電力と契約せず、自家発電で暮らす夫婦のニュースに感心し、Facebookに上げた所、彼女が『それは高校の同級生です』と言ったのには驚いた。世の中、どこで繋がっているか分からない。

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そして夕飯は一人で、懐かしのクローマーゲストハウスへ行く。3年前に泊まったところ。ここでトンカツを食べたことを思い出し、寄ってみた。ランチでもカツを食べたばかりなのに、やはり余程のカツ好きだということ。1階の吹き抜け部分のテーブルは何と満員。相変わらず結構流行っている。2階に上がると、奥の方が空いていたので、そこへ陣取り、扇風機を掛けると涼しい。

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店員がオーダーを取りに来たので、トンカツと告げると、そのまま下がる。そしてだいぶんたって、トンカツだけが運ばれてきた。え、定食じゃなかったの?ビールも頼まない日本のオジサンがトンカツだけを食べることなどあり得ない、と叫んでみても始まらない。そんな気が利くカンボジアではない。とにかく今は、ご飯と味噌汁が欲しい。すぐに持ってきてと頼んだのだが・・?

 

10分経っても来ない。ベルを鳴らしても応答がない。トンカツはどんどん冷める。ご飯とみそ汁ぐらい、すぐに持ってこられないのか、という気持ちを必死に抑える。だが他の客に料理を運んできた店員に聞くと『Coming Soon!』というではないか。もう我慢できずに階段を降り、厨房へ向かう。ご飯と味噌汁は?というと、ハッとしたように、味噌を溶き始めた。全てをオーダー通り作っていたのだろう。それは悪いことではないが。厨房から奪うように味噌汁とご飯を取り、冷めたトンカツと一緒に食べた。味噌汁だけが妙に熱かった。

 

前回は日本人のNさんと一緒だったので、黙っていても定食になったのかもしれない。決してここのスタッフが悪い訳ではない。カンボジアにはお客へのサービスという概念が乏しい。その中で、教えられた通り一生懸命作っているのだから、文句は言えない。お客も満員で忙しかったのは分かる。でもなあ、何だかなあ。

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クリスマスイルミネーションが眩しい、涼しい風が吹く6号線沿いをトボトボと帰る。急に団体から離脱した寂しさがこみ上げてきた。部屋が広いことも心なしか寂しくさせていた。電気ポットのお湯が沸く音が妙に気になった。

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12月21日(日)

ベンメリア再び

翌朝はすごく早く起きた。部屋からすぐの階段を下りると、レストランがある。プールのある脇で朝食を食べることもできたが、涼しいので、屋内へ入る。ところがこちらは冷房で寒い。でも食事をとるのが便利なので、お粥など暖かい物を取り、そこへ座る。向かいにはロシア系の女性が一人で食事をしている。一人旅なのだろうか?

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散歩がてら、昨日まで泊まっていたホテルへ向かう。今日も残ったメンバーのうち、希望者で出掛ける予定となっていた。途中に立派なホテルがあった。ハイアット、こんな街中にある。入口が目隠しされているのが面白い。ホテルに着くと、皆が揃い、ミニバスに乗り込む。今日はこじんまりしていてよい。

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3年前に通った道を南に向かう。途中にかものはしプロジェクトの工房があったな、と思いだしたが、見付からなかった。動体視力が落ちたなと感じる。今日向かうのはベンメリアの遺跡。3年前の旅でも、遺跡としてはここが最高に良かったと思えた場所であり、再訪できると聞いて喜んだ。以前より立派なチケット売り場があり、駐車場がある。観光客が明らかに増えた証拠だ。

 

その入り口にあるナーガの像には見覚えがある。正面の崩れ方は相変わらずだが、少しは整備されたのだろうか。前回来た時は本当に崩れたところばかりで、ガイドなしでは歩くのが難しかったが、今回はある程度歩道が付いており、随分と歩きやすくなっている。ここはタ・プロムよりも更に木が密生しており、遺跡の崩れ方も自然だ。いい風が吹き抜ける。とても気持ちが落ち着く場所だ。

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それでも観光客は増えてきている。この地が『ジブリ映画の天空の城ラピュタのモデルとなった』とかならないとか、という噂が流れ、一気に有名になったらしい。日本人でもアンコールワット以外にここを訪れる客が増加、また中国、韓国などでも話題になったのか、やたらにアジア系が多い。中には遺跡によじ登って記念撮影する人々もいる。

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本当に奥深い森の中にひっそりと生きてきた、という感じが強い。書物を保管した図書館に樹木が巻き付き、遺体を入れたと思われる棺がそのままに放置されている。確か3年前は途中からガイドなしでは方向すら失ったが、現在では整備され、ほぼ自分たちで歩けるようになっている。それにしても、ここにいること、それ自体が何らかの導きではないかと感じる。それほどに引きつけられる何かがある。

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アンコールへの旅2014(7)伝統の森で見えてくるもの

皆さんは説明を聞きた後、2階のショップに移動、実際に作られた作品を見る。この村はボランティアで成り立っている訳ではなく、この商品の売り上げで成り立っている。森本さんは遠く日本まで商品を担いで行商に出る。この村の活動を理解してもらい、全てが天然で作られるこの商品の素材、製造過程を丁寧に説明し、理解して買ってもらっている。『今はなんでもアマゾンで買える時代、うちの商品はアマゾンで買えない、そこに価値があるのでは』という。全くその通りだ、と感心する。因みに卸の話があっても全て断っているそうだ。

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商品の値段は以前より高くなっているような気がする。それでも買う人がいる、需給関係、いい物は必ず売れる、という信念がある。商品の裏にはデザイナーと織り手の名前が入っており、責任感も出るし、自分の目の前でお客さん(しかも欧米や日本などの遠くから来た人々)が、自らの作った商品を購入してくれる喜び、モチベーションの向上に大いに繋がる。

 

私は今回の参加者の皆さんに、『この村を評価するのであれば、商品を購入することが一番』と伝えてきた。中には大量の布を買った方もいた。6年前に買った布で服を作ったと写真を見せた方もいた。大切に1つを選んで購入した人もいた。人それぞれ、この村の活動に理解を示していた。やはり何といっても、現地を訪れ、実際の状況を見て、説明を受ければ気持ちも違う。村の子供たちにとっても自分の母親が織った、お姉ちゃんが描いたデザインが評価されることは実に嬉しい、誇らしいことだろうと思う。

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ランチも用意してもらった。これも活動の一環、スタッフが作ってくれた食事を森本さんと一緒に頂く。懐かしい一口カツなどの日本食メニューもあった。今日は撮影などがあり、かなり忙しい様子だったが、それでも一緒に食べ、色々な話をしてくれた。中でもご自分の病気について率直に語り、またそこから得られたものがある、と話す姿は、これまで私がアジアで見てきた何人かの『突き抜けた日本人』と呼べる所に行き着いたと強く思う。間違いなく我々とは一段違ったステージに立っていると、痛切に感じられる。3年前に60歳を過ぎてなお、『中国語を勉強したい』と言った森本さんとも一味違っていた。

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これまでは世界中を飛び回ってきたが、これからは出来るだけこの村で過ごす、という言葉が印象的。私もいつか終の棲家を見つけ、少しの安住を求めることがあるだろうか。その時、自分には何が見えているのだろうか。実は会社を辞める直前、この村にやって来て、何かを見たはずだった。そして3年前には何かが見えた、と確信した。だが今回、私にはまた何も見えなくなってしまった。何故なのだろうか。

 

帰りはバスがそこまで来ており、乗り込むとすぐに出発した。森は直ぐに遠のいた。僅か3時間弱の滞在だった。前回のように2泊3日ぐらいできればよかったのだが、それもまたご縁。ゆっくりと流れに任せて生きていこうと、なぜかなめらかな舗装道路の帰り道で思っていた。

 

それから

帰り道、アンコール国立博物館に寄る。ここは展示物が充実しているとのことで、ゆっくり見ようと思った。まずはビデオ、ガイドが言語を日本語にしてくれ、理解が深まる。かなりの収集物があり、年代別にきれいに展示してある。数年前に改装されたとかで、実にきれいな博物館という印象。それにしても12ドルの入場料は高過ぎはしないだろうか。外国人に広く知ってもらうという意識はなく、外国人は金を払うもの、というこの国の政策が如実に出ている。

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ここでは各人思い思い過ごす。中には博物館には入らず、買い物に行く人達もいた。まあこれはスタディツアーというより、団体観光旅行だから、そんなものかと思う。皆それぞれに興味や関心が異なるのだから、仕方がない。ましてや12ドルも支払って、面白くもない物を見ても意味がない。

 

そういえば昨年プノンペンで見学したドリームガールズプロジェクトを突然思い出す。このプロジェクトの主催者はアンコールワットの壁に描かれた文様をみて、クメール人にはデザインの才能があると思い、カンボジアの若い女性からデザインを募集し、コンテストを行い、優秀作品を商品化して、その収益をデザインした人に還元する仕組みを作った。そしてついにはプノンペンにオープンしたイオンモールにそのデザインを使った商品を販売するお店まで開いてしまった。人は何を見て、何を感じ、そしてどうするのかは個人次第だ。

 

そしてホテルに戻る。ここで半数の方々が今日の夜便で帰国となる。同時に私はこのホテルを去り、S氏から頂いたホテルに移動する。これも3年前と同じパターンである。今度のホテルは地図で見ると近そうだったが、荷物を引いて歩いていくと30分以上もかかってしまった。トゥクトゥクに乗ればよかったと後悔したが、それもまたよい経験だ。途中で道路の真ん中に祠があり、何人もの男女が祈っていたのがちょっと不思議だった。

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今度のホテルは6号線沿いのこじんまりしたところだが、フロントの雰囲気が良く、WiFiが部屋で簡単に繋がったので、気にいった。因みに古いホテルなのか、部屋はかなり広かった。こういうホテルは中国でも時々見かけるが、妙に落ち着く。

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アンコールへの旅2014(6)気球、それから伝統の森に

12月20日(土)

華人経営の気球

翌朝も朝食をよく食べた。そろそろセーブしないと不調になるというサインが出ているにも拘らず、食べ捲った。これは一種のストレスではないのか、そう思えた。何に対するストレスなのだろうか?団体行動か、それともアンコールに対するものか、自分では判断しかねた。

 

今朝はまず、気球に乗りに行く。と言っても高所恐怖症の私は皆さんに付いていくだけ。気球など乗ろうものなら、即座に卒倒してしまうだろう。以前トルコの観光地カッパドキアで、絶対に乗るべきだと誘われたことがあるが、一撃で断った。その数か月後、エジプトとカッパドキアで墜落事故があった。私は墜落が怖いのではなく、そもそも上に上がって行くだけでダメなのである。

 

気球乗り場は郊外にあった。行ってみて、かなりビックリした。気球といえば、上に上がり、風任せに動いて行くもの、どこかを一周して戻ってくるものと勝手に思い込んでいたが、何とここの気球は固定式、ようは上に上がるだけで、ロープでしっかり固定されている。これなら、私でも乗れそうな感じだった。

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皆さんが上の風景を楽しんでいる頃、私はそこに中華的な財神を発見した。カンボジアには華人が沢山おり、既に同化しているので、誰が華人かよく分からないが、このような物を見ると、中国を感じてしまう。そして同時に、商売はやはり華人だ、と思ってしまう。昨晩のディナーショーレストラン同様、顧客のニーズを最大限満たし、かつリスクも抑えた結果、この固定式になったのだろう。お客は気球に乗って高いところに行き、アンコール全体を見渡したいのであり、気球で旅をしたいとは思っていないのだから、これで十分なわけだ。確か一人15ドル。

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だが降りてきた人たちは口々に不満を述べた。『朝方は霧か靄がかかり、アンコールワットがよく見えない。絶対に午後か夕方にしてもらうべきだった。急に予定が変更になったのは、気球会社の策略か』と。どうやら午後の方に人気があるので、午前に回されてしまったと思っているようだ。私は事の真相など知らないし、興味もないが、そうであるならば、それもまた華人らしい。

 

IKTT

それからバスに乗り、10年前に日本人の森本さんが作ったIKTT伝統の森に向かう。これが3度目の訪問だ。一番ワクワクする場所。過去2回はサレンのトゥクトゥクに乗り、物凄いアップダウンに耐えて1時間半かけて訪ねた。だが今回バス、しかも道が舗装されており、何だかスーッと眠りに入ってしまうほどスムーズ。

 

過去とは違う道を通り、かなり大回りした状況で、最後にデコボコ道に入った。ここだけが変わっていなかった。初めての皆さんはその道の悪さに驚いたかもしれないが、こちらは道が良くなり過ぎたことに驚いていた。伝統の森を一から作った森本さんの苦労を肌で知るには、デコボコ道を喘いで来るのが良い。ダンプが何台もやって来て道を塞いだ。

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伝統の森の入り口でバスを降りた。バスは村まで入れるとは思ったが、ここに来る時は歩いて入るのが良い。既にいい風が吹き抜けている。森の間の道をゆっくりと歩いていく。それが至極の喜び、というものだろう。5分ぐらい歩くと、工房や事務所のある村へ着く。『あー、帰って来たな』と思わせる何かがある。実にゆったりとした空気が微かに流れている。

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幼いSちゃんは早速歩き始める。工房には赤ちゃんや幼い子供たちがお母さんと一緒にいた。言葉はなくても交流は始まる。ましてやSちゃんは半分カンボジアの血を引いている。ある意味、故郷の大地を踏みしめているようだ。団体行動だが、期せずして工房見学がスタートした。

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そこへ日本人女性がやって来て、案内を始めた。Mさん、確か3年前も日本語の先生としてここに滞在していた。いつの間にか来客が多くなり、お世話係になったのだろうか。森本さんの所在を訪ねると、事務所脇の作業場に居た。そこでは何と繭を茹でていた。『45日に一度しかない作業、みなさんは運がいい』と森本さんの声がした。繭から糸を取り出すのだとか。皆集まって茹でている。

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それから一通り、Mさんが工房を案内してくれた。工房は心なしかきれいになり、若い女性が働いていた。その中で大きな布をハンモック代わりにして揺られている幼子がいた。Sちゃんは気になっているようで近所をウロウロしている。この子は障害を持っており、お母さんは、その横で働いている。伝統の森ではこのような障害を持つ子と親を受け入れている。保育所などは作らず、子供は親のそばで育てる、というポリシーが、ここに生きている。

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その間に森本さんはどこかのマスコミのインタビューを受けていた。本当に忙しい日々を送っている。あとで聞いてみると、それはTBSの『世界ふしぎ発見』という長寿番組の収録だった。メンバーの一人は知らないうちにその情報を掴み、ミステリーハンターと一緒に写真まで撮っていた。この番組、我が家の奥さんも大好きで30年以上見ている。私にはどこが面白いかよく分からないが、黒柳さんがいる限り、徹子の部屋と並んで続く番組だな、と話したばかりだったので驚いた。しかも今回はクイズなし、この番組も変わろうとしているのだろうか。

 

アンコールへの旅2014(5)タ・プロムのうめき

タ・プロム

一度ホテルに戻り、ランチは各自で取る。我々はホテルの前のタイ系レストランに入り、炒飯などを食べる。正直バイヨン以降の余韻、衝撃で疲れが出てきている。勿論朝4時半に起きた疲れでもある。でもベッドで昼寝をしようとしても寝ることはできなかった。かなり気持ちが動揺している。

 

午後はイオンが支援して建てたプリアノロドム・シアヌーク・アンコール博物館へ行く。ここには仏教寺院バンテアイ・クディから出土した多くの仏像が展示されている。その多くは建立者ジャヤバルマン7世没後、廃仏毀釈に遭い、首を落とされ、破壊された。それを憐れんだ民が、丁寧に埋葬したと推測されている。近年上智大学チームがこれを発掘、展示している。

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インドなど他のアジアでも見てきたが、首のない、それも夥しい数の仏像を眺めることは、ある種の苦痛である。既に信心が無くなっており、仏教徒とは言い難い私が、そう感じるのは、単なる表面的な痛々しさから来るのだろうか。宗教とは何だろう?と考える瞬間でもある。

 

中国で文化大革命があり、徹底的に宗教を破壊した頃、カンボジアでもポルポトの圧政があり、宗教を否定した。勿論この両国には連動があり、そして両国民は、宗教心を失っていった。現在カンボジアでも上座部仏教が主流だというが、その実は無宗教者が多いという現状があり、それは他の東南アジアとちょっと異なる点である。

 

タ・プロムへ行く。ここはアクションアドベンチャーゲーム、『トゥームレイダー』のモデルとなり、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画ではここで撮影も行われたということで、欧米人を中心に観光客が大挙して、訪れている場所。元々は仏教寺院で僧侶も多く住んでいたらしいが、その後荒廃し、現在では寺院とガジュマルの木が寄り添うように、支え合っている。その光景が、アドベンチャーゲームにぴったりだったのだろう。

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ここはインドの支援で修復が行われているようだが、ガジュマルの木が遺跡を浸食しているのか、どのように保護すべきなのかで議論があるとも聞く。確かにこの何とも言えない独特の樹木と建造物の融合を、切り離すことはできないし、かといってこれに全く手を付けずに、修復作業を行うことも難しいだろう。

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それにしても観光客でごった返している。満員電車に乗りながら、記念撮影しているような気分でもある。その中でも声高に叫び、遺跡によじ登る中国人観光客、中国政府も海外旅行の注意事項などの通達を出しているというが、このあたりで彼らは明らかに評判を落としている。もし自覚がないのなら、来ないほうが良いと思うのだが。勿論静かに鑑賞している中国人の若者達は、その光景を苦々しく思っていることだろう。

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裏へ抜けていくと人がいなくなる。メインの観光ルートさえ外れれば静寂が戻る。日も西に傾いてきている。誰もいない廃墟に立つ。言葉では表現できない、何かが迫ってくる。勿論我々に語りかけて来るのではなく、自ら呻いているように思える。それが何なのか、感性に乏しい私には理解できなかった。うちの息子なら、何か言い出すかもしれない。

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帰りに夕陽を眺めた。私は昔から夕陽好きであり、どこへ行っても夕陽を眺めていた。マレーシアのマラッカでは夕陽を見るためだけに3泊したことさえある。だが最近は皆が夕陽を見ようとするので(観光用になってしまったので)、その興味はかなり薄れている。夕陽は一人でボーっと見たいものだ。

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夜はカンボジアの伝統舞踊を鑑賞しに行った。大きな会場には大勢の観光客が詰めかけ、ビュッフェのディナーが提供される。料理は盛りだくさん、各国から来たお客がどんどん料理を取って行く。この方式は完全に中国式。ここの経営も華人か中国人がやっているのだろう。とにかく質は別として、たくさんの料理を出し、お客の感覚を満足させる。料金は12ドルとそれほど高くはない。そして伝統舞踊を見せる。完全に顧客ニーズにマッチしている。

 

踊りは男女が登場し、コミカルな場面もあり、意外と楽しめた。彼らの顔立ちも完全なクメール顔から、ハーフかなと思うような洋風まで様々。アプサラダンス、アンコールの遺跡でもよく見かけるポーズ。特に手や指を反り返らせるところに特徴がある。その動きには意味があり、生命の儚さを表現していると言われている。ポルポト時代に一度消滅したこの踊りを復活させたカンボジア。そこに儚さを感じてしまう私。

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まあ、団体でやって来て、大量の食事を取り、生命の儚さを感じるのは無理かもしれない。踊りが終わると、踊り子たちと写真を撮ろうとする人々が殺到している。ダンスへの興味より、写真を撮ることが大事。どうなんだろうか。だが踊り子たちもそれで食べている。観光はビジネスだな、とつくづく思う。

 

アンコールへの旅2014(4)バイヨンで自覚する

12月19日(金)

朝のアンコールワット

翌朝は何と5時出発。アンコールワットの朝日を見に行く、というのが観光の定番らしい。この手の定番にはちょっと反感のある私。だが団体行動なのだ、と言い聞かせて付いていく。一足先にシェムリアップ入りしたメンバーは既に一度トライしたが、天気が悪く、よく見えなかったと再度やって来た。今日も天気が悪と見えない、と言われたが。

 

アンコールワットの入り口に付くと、まだ完全な暗闇にも拘らず、大勢の観光客が押し寄せていて、驚いた。彼らは一体何を見ようとしているのだろうか。橋を渡って中に入ると、池のほとりに人々が陣取り、今や遅しと、日の出を待っていた。ご来光というが、人間は光に何を見るのだろうか。本来静かな中でゆっくり昇る太陽を見るはずが、皆で押し合いながら写真に収める、というのはどうなんだろうか。

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周囲が少しずつ明るくなってきた。人は更に増えている。どうやらお目当ては、朝日を浴びたアンコールが池に映し出されるところを写真に収めることらしい。私も同類ではあるが、何かを感じるのが目的というより、写真が大事だ。中国人観光客を非難できないな、こりゃ。

 

池の一番端、人が少ない所で日の出を見た。ただ今日も完全に日の出が見えたとは言えないだろう。それでも端から見ていると荘厳な感じはする。更に反対側にあるもう一つの池の前には殆ど人がいなかった。こちらは池に映らないからだろう。それならこちらから見ようと、しばし呆然と見入る。目は池に、心はどこを見ただろうか。

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完全に明るくなると、忙しい中国人や韓国人はどんどん帰っていき、欧米人は思い思いの場所に座って寛いでいる。我々も集合場所に集まり、帰ろうとしたが、なぜかIさんが行方不明に?どこかで瞑想でもしているのだろうか、いや先日パスポートを拾ってくれた親切な日本人も来ていたから、話し込んでいるのではないか、など憶測が飛び交う。和尚と私が捜索隊として出動した。そして池のほとりで発見。聞けば『単に集合時間を間違えた』とか。あれ、もっと神秘性がある話ではなかったの?

 

ホテルに戻り、すぐに朝食に向かう。朝から活動して、腹が減った。今朝もモリモリ食べる。ご来光を拝んで、食欲が出る、現代人なのだろうか、我々は。私の嫌いな言葉『パワー貰った』のだろうか。食べたらゆっくりしようと思ったが、そうも行かないのが団体旅行。すぐに活動が始まって行く。慣れない団体さん行動に、ちょっと疲れを覚える。

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バイヨンで自覚する

午前中はバイヨンの遺跡見学だが、その前にバイヨンセンターに行き、その概略を学ぶことになっている。ここでビデオを見て、日本語の説明を聞いた。あまり予備知識を入れない私だが、勉強するという観点からは、このような試みが必要だろう。我々はそれほどに知識がなく、理解もない。

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バイヨンはクメール王朝の中心都市アンコールトムの中心。四つの顔を持つ観音菩薩の四面塔がいくつもあり、この顔を拝むのが1つのポイント。非常に穏やかでゆったりとしたお顔を見ると心が和む。回廊のレリーフも多彩。4年前にここを訪れたことを少しずつ思い出していく。ガイドが流暢な日本語で説明してくれた。日本語を勉強しているカンボジア人は多いと聞くが、最近は中国語の方が稼ぎが良いとシフトが起こっているらしい。

 

そしてバスでバイヨンへ。南の門でバスを降り、橋を渡って城門を潜る。アンコールワットより、よほどワクワクするのは何故だろうか。ずっと歩いていくと、前方に遺跡が見えてくる。確か4年前は大規模な修復工事が行われており、かなりの部分に覆いが掛かっていたような記憶があり、じっくり中を見ることもなかったように思う。

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狭い回廊に入って行くと、人が多く、歩くのに難儀した。ガイドはどんどん進んでいき、付いて行くのが大変。途中で四面塔に見入っていると、完全に迷子になる。とても横道に入り、じっくりレリーフを眺めることもできない。まあ、30分ぐらいは自由行動があるだろうと思い、裏まで一気に突き抜けた。

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ところが一行はどんどん先に進んでしまう。象のテラスなどと言う言葉が聞こえてくる。え、バイヨン、これだけ?時間の関係?単に通り過ぎただけじゃないか。我々は一体何を見に来たんだ。そんな思いは通じず、王宮の入り口に。ああ、ここは4年前、疲れたのでちょっと行っただけだった、と思っていると素通り。結局象のテラスと呼ばれる場所を一周歩いて終了してしまった。

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確かに暑いし、時間的な制約もある。かなりの不満を覚えた私がここで思い出したこと、それはその暑い中、半日歩き回って、ひたすら考え、何かを求めていた4年前の自分の姿だった。『ああ、ここで私は会社を辞めることを決意したんだ』、自覚はなかったが、ここを再訪してハッキリ分かった。ここは私にとって見学する場所ではなく、ただ歩き、何かを考え、そして方向を定める場所なのだ。そういう意味で、今回団体行動をしてみて、分かることがあった。それが収穫なのだと。