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アンコールへの旅2014(3)ロリュオスの遺跡で何かを感じる

ランチ

アンコールワット見学が終わり、ランチへ。車ですぐのところにあるカフェ・モイモイ(http://cafemoimoi.com/)というガーデンレストランに入る。吹き抜けの建屋にいい風が入ってくる。このカフェは自然環境に配慮し、衛生的な食材を使って、カンボジア料理を楽しむ、というコンセプトらしい。団体のランチということで、名物料理を少しずつ盛った特製プレートが出てきた。

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日本人の口に合うマイルドな味が特徴のカンボジア料理。タイなどの辛い料理とは一線を画しており、お隣同士なのに、なぜこんなに違うのか、と思うほど。かぼちゃの起源もカンボジア、ということでかぼちゃのコロッケも皿に乗っている。因みにここでは日本食も提供しているようだ。

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10年前にできたこのカフェ、売上金の一部をアンコール周辺の植林活動に寄付しているという。ボランティア活動を前面に出しているプロジェクトが多いカンボジア、勿論その活動状況を見たわけではないが、まずはカフェの収益第一ということであれば、良い活動かもしれない。ただなぜカンボジアでボランティア活動をする日本人が多いのか?『自己満足ではないのか』『まずは自分の国に救うべき人がいるのではないか』と正直思ってしまう。このお店は知らないが、アジアに対する上から目線がチラつくこともあり、正直賛成できない部分が多い。http://www.shukousha.com/column/suga/3646/

 

午後はアンコール王朝の前の都、ロリュオス遺跡群、3つの遺跡を回った。団体だから自分で勝手に歩いていると、ガイドの説明も耳に届かず、どこにいるのかも分からなくなる。最初に行ったのは仏教系の遺跡か?お坊さんたちがいたな、と思ったが、ヒンズー寺院、ロレイだった。修復工事中で、よく見えない部分もあったが、4つの建物の真ん中にリンガが目立っていた。リンガに聖水を注ぐと水が四方に流れ出す仕組みだったとか。クメールの治水技術の民衆へのアピール、当時は乾季に水が来れば、神を信じたことだろう。

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2つ目はプリアコーという最古の寺院。かなり立派な建物が並んでいたが、崩れかけてもいた。如何にも遺跡という感じだ。入口の門があり、聖なる牛(プリアコー)ナンディが鎮座していた。6つの建物があった。アンコールにはこんな遺跡が沢山あるようだ。ここを訪れている観光客は極めて少ない。ただそれにより静寂が保たれ、相応な雰囲気が醸し出される。

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それから手工芸品の研修センターを見学した。地元の人たちが陶器を焼き、織り物を織っていた。これもどこかのNPOがやっているのだろう。ちゃんと移設内に窯があるのだが、お土産に持って帰るには重そうな花瓶などが並んでおり、手が出ない。皆さん、スカーフなどに人気が集中した。

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最後にロリュオス遺跡で最大のバコンを見学した。881年建造と聞いたが、これがアンコールワットの原型なのだろうか。前の2つとは明らかに違う権力の集中、ピラミッド型の建物も五層になっており、何となくだが、26年前に行ったインドネシアのボルブドールを思い出すものがあった。周囲には環濠も巡らされていたらしい。ちゃんと門を潜り、上に登って行く。

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ところがその上には奇妙な一団がいた。踊りを踊っているようでもあり、ヨーガを行っているようにも見える。どうやら撮影をしているらしく、皆が同じ動きを繰り返し、一向に退く気配がない。ハッキリ言ってこれは新興宗教かなにかではないか。全く周囲の迷惑も顧みず、自分たちの世界に入っている。迷惑な中国人かという声が聞かれたが、あとで聞くと台湾人だとか。どういうつもりなのだろうか。

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彼女たちがようやく立ち去り、上に上った。周囲が良く見渡せた。この程度なら高所恐怖症の私でも何とかなる。ここには観光客が来ており、皆太古に思いをはせているよう表情に見えた。このような感覚に国籍はない。すると先ほどの奇妙な一団が更に奇妙に思えてくる。

 

後ろ側へ降りていく。そのまま道は続いている。フランスが修復したというが、なぜか良く分からないが、ここバコンは実に貴重な遺跡に思える。池もあり、集落もあったのだろう。これと言って目を惹くものはないが、クメール王朝はこの辺りから始まった、ということだろうか。

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本日の見学は終了し、バスでホテルへ戻る。一日中、見学していた割に疲れは少ない。いつもの私の旅なら、徹底的に歩くのだが、団体行動だと歩く量が格段に少ないことが分かる。頭の中は全く整理できていない。整理しようという思考も沸かない。ただ、見た、行った、というだけだが、何かは感じていた。

 

夜は自由行動。マッサージに行く人、マーケットへ買い物に行く人などがいたが、私はA師たちと、ホテルの近所で麺を食べた。素麺みたいな細くて柔らかい麺、スープが美味かった。A師は肉を食べないので、私もそれに倣い、卵だけを入れてもらった。そんな麺が似合う今日一日であった。

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アンコールへの旅2014(2)いざ、アンコールワットへ

今回は団体さん

指定されたホテルに着いた。すると向こうから女性が歩いてきた。突然サレンが彼女に声を掛ける。今回のコーディネーター役のKさんだった。彼女の横には小さな女の子、Sちゃんも一緒だ。サレンは直ぐにSちゃんを抱き上げて嬉しそうだ。そう、Kさんのご主人はサレンのお兄さん、Sちゃんは姪に当たる。元々私がサレンと知り合ったのも、Kさんの紹介だったが、Kさんと直接会うのは今回が初めてだった。

 

ホテルはこじんまりして庭もあり、雰囲気は良かった。ロビーも広く、清潔感がある。偶にはこんなホテルに泊まるのもよいな、と思う。実はこのホテルの部屋、当初は以前穂高合宿で一緒だったMさんが予約してくれ、私がそこへ転がり込む予定だった。だが直前に彼が不参加となり、予約名はMさんのまま、私が使うことになった。この辺の事情も彼がメールでちゃんと説明してくれており、問題なくチェックインできた。実は後からK和尚も参加を表明しており、彼との相部屋を希望したのだが、Mさんの部屋にキャンセル料がかかることが判明し、我々は個別に泊まることになったという事情がある。

 

部屋は質素だが十分。ネットがちょっと繋がり難く、ロビーまで行って拾ってみるのが、不便。食事は機内で済ませたので、ダラダラと過ごす。以前ならすぐに街に飛び出して、徘徊を始めたりするのだが、疲れているのだろうか。あまり元気が出ない。シェムリアップもメインの通り以外は、夜が暗い。そんなことも心理的に影響していたのかもしれない。

 

夜10時頃、本隊が到着した。A師を先頭に、バンコックでヨーガ合宿を終えた面々が、やって来た。総勢約20人。Kさん以外にカンボジア人ガイドも付いており、これはもう立派な団体旅行だ。なんかちょっとイメージと違う旅になりそうだった。チェックインにもかなりの時間が掛かる。そして夜も遅いので解散となったが、K和尚と二人、ロビーで話し込み、気が付くと12時を過ぎていた。やはり同じ部屋の方がよかった?いや、同じ部屋なら朝まで眠れなかったかもしれない。

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12月18日(木)

朝食で

翌朝は朝食時間が6時半から、ということで、6時半過ぎに行くと、A師夫妻と一緒になる。普通の旅行だと8時出発なら7時半ごろ朝食を食べる人が多いように思うが、そこはこの団体の違う所。ヨーガの先生が多数参加しており、皆さん朝が早い。既にアーサナや瞑想を終えてきているのだろう。私も合宿に参加すればそうするのだが、一人で部屋にいるといい加減になる。

 

食事はビュッフェスタイルだが、麺があり、美味しいパンがあり、卵ありで、朝から大量に食べる。コーヒーにフルーツまで取ると、動けないぐらい腹にたまる。朝はあまり食べない私、どうかしている?それとも力を蓄える必要があるのだろうか。どうも体が要求しているようだ。食は元気の源!

 

このホテルにはプールもあり、朝から泳いでいる人がいた。どう見てもインド系。最近インド人の海外旅行が増えているので、興味を持ち、声をかけてみた。すると彼はシンガポールから来たという。A師も『インド人は朝からプールで泳いだりはしないだろう』と。なるほど、インド系と言っても、今や世界中にいるのだから、インド国内からインド人が海外旅行に行く、とは限らない訳だ。

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さすが日本人の団体さん、8時の集合時間にはピタリと揃い、バスに乗って出発だ。大型バスが満員だから、30人近くがこのツアーに参加したことになる。如何に興味のある人が多いのか、が分かる。しかし女性ばかりで、男はA師と和尚、そしてガイドと私だけ。えー、どうなんだろう、この状況。

 

アンコールワットへ

バスはあっという間にアンコールワットの料金所に着いた。ここで3日間の券を購入。1人ずつ写真を撮られ、40ドルを支払う。このチケットを無くすと、中の施設に入れない。他の観光客はちゃんとケースに入れて首から下げている。濡れてもいけないらしい。中国人観光客が大挙して押し寄せ、ここでも混乱を生じさせていた。確かに彼らの声は大きい。耳障りだ。しかしなぜ大きな声を話すのか、を研究してほしい。

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何とかチケットを買い、バスでまた移動。4年前はサレンのトゥクトゥクで移動したので、小回りが利いたが、今回は何をするにも大変だ。アンコールワットの前まで来るとそれまで大人しかったSちゃんが飛び跳ねていた。彼女は日本とカンボジアのハーフ。血が騒いでいるのだろうか。

 

石が敷き詰められた橋を渡って行く。城に入るような気分だ。一人だとさっさと歩くが、団体だとゆっくり歩くことになり、石を眺める余裕が生まれる。石を運ぶ際に付けられた穴に初めて目が行く。小さな門を潜る。なぜこの門はこんなに小さいのか?王様だけが通ったのか、敵の侵入でも防いでいたのか?当然ながら中も変わっていないが、小さなことが次々と気になり始めた。

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遠くにかすむアンコール。一人なら正面からズカズカ入って行くのだが、団体さんは池の脇を通るルールのようだ。ちゃんとそこに店が何軒もあるので、その連携の関係だろうか。第一回廊でガイドから壁画の説明を受ける。戦いの場面が描き出されている。王というのも辛い者ではないか、と勝手に思う。壁画の中にはヨーガのポーズをしている人がいる。興味深い。アンコールワットはヒンズー教寺院だったが、ヨーガとはどんな関係になるのだろう。

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第二回廊で休む。首のない仏像にちょっと見入る。観光客が多いので、ここで静かに何かを眺めるのは難しい。そして第三回廊、高さ60mの祠堂、急こう配の階段を観光客が次々に上って行く。高所恐怖症の私にはとてもできない技だが、上に上がった人々は景色がよかったという。しかし簡単な手すりしかない階段、これまで一人も落ちなかったはずはない。事故に対する備えはどうなんだろうか。かなりの高齢者でも登っているので、ハラハラする。

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帰りは横道を行く。一人の時はまた正面から戻り、正面の駐車場にトゥクトゥクが待っていたが、大型バスはそれもできない。脇の駐車場へ行く。それで前回見ていなかったアンコールの脇を見ることができた。こういう時は、何となく得した気分になれる。人も少ない。

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アンコールへの旅2014(1)バンコックエアーの不思議

《アンコールへの旅2014》  2014年12月17日-22日

 

2011年、A師から『アンコールワットのスタディツアーに参加しないか』と言われたことがある。アンコールワットをインドから、そしてヒンズーから見るとどう見えるのか。とても興味深いテーマだったので、直ちに参加を申し込み、飛行機も抑えた。ところがその年アユタヤなどで大洪水が発生し、A師のバンコック、ヨーガ合宿も中止となってしまった。更にはその余波でアンコールワットツアーも中止に。

 

これは天から『行くな』という啓示であったかもしれないが、折角飛行機も抑えたし、洪水も収まったし、というので、その時は単独でシェムリアップへ行き、良い体験をした。http://www.chatabi.net/category/asiatabi/cambodia

 

今回3年ぶりにこのツアーがあると聞いたので、何を置いても行ってみようと日程をやりくりした。シェムリアップではアンコール以外にも行きたいところがあった。それは3年前に2泊した森本さんのIKTT、伝統の森。さて、どのように変わっているのだろうか。大変楽しみだ。

 

12月17日(水)

バンコックエアーの不思議

実は3月にプノンペンでお会いした方を訪ねようと思っていた。タイとカンボジアの国境付近で地雷除去をしておられるというので、バンコックからバスで国境へ行き、2₋3日滞在した後、シェムリアップを目指す作戦を立てた。だが生憎、その方は日本へ出張しており、会えないことが分かった。どうしよう、と思っている所へ、9月に関西のセミナーでお世話になったIさんから『一人でバンコック経由、シェムリアップへ行くのは心細い』との連絡があったので、これもご縁と、バンコックから一緒に行くことにした。

 

彼女のフライトはバンコックまでがJAL、そして乗継便はバンコックエアーというので、それに合わせた。バンコックエアーは今年上場も果たしたタイの航空会社。だが昨年ビエンチャンに行った時、乗客が18人しか乗っていなかったこともあり、ちょっと心配だった。今回はどうなんだろうか?またIさんのバンコックでの乗り継ぎ時間は2時間弱。もし関空からのフライトが遅れればどうなるのか、など色々とポイントがあった。

 

バンコックエアーの特徴の1つは、エコノミークラスでもラウンジが使えることだ。勿論立派なものではないが、ジュースやクッキーがあり、WiFiも利用できる。スワナンプーン空港で使うのは初めてだが、行ってみるとちゃんと使えた。本当に不思議な航空会社だ。これで経営が成り立つのだろうか、ただ皆このラウンジを知らないのか、使用率は決して高くない。PCを使い、ジュースを飲んでIさんの到着を待つ。

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少しして聞いてみると、関空からの便は既に到着していた。40分も早い。待ち合わせは搭乗口なので、急いでそこへ行く。Dというターミナルは全てバンコックエアーの搭乗口のようだったが、実にひっそりしていた。搭乗口の近くに行くと、Iさんがベンチにポツンと座っていた。未だに搭乗口まで入れないらしい。掃除中だとか。まあ会えてよかった。

 

そして40分前にようやく搭乗口へ乗客が降りていくことができたが、その数は40名足らず。またしても飛行機はガラガラだった。これで料金はLCCよりかなり高い。JALなどの乗継専用便ではあるまいし、どうなんだろう。僅か50分のフライトではあるが、LCCではないので、ちゃんと食事まで出る。Iさんなどは頼んだ覚えのない、ベジタリアンメニューが運ばれてきた。サービスメニューは豊富だ。CAの対応もよかった。席は自由に使えるので、窓際へ行くと、夕日がきれいだった。これで料金が下がれば、いつでも使うのにな。

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空港で

空港に着くと、タラップを降り、歩いてターミナルに向かう。シェムリアップは本当に小さな空港だが、素朴でよい。Iさんと歩いていると、後ろから『Iさーん』と日本語で彼女のフルネームを呼ぶ声がした。何だ、と振り返ると日本人男性がIさんのパスポートを手にしていたのだ。何とIさん、機内でパスポートを落としてしまい、それをドイツ人女性が拾って日本人に渡したらしい。

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Iさんはその男性に何度も礼を言い、私に向かって『あの方、いい方なのよ』という。勿論そうなのだが、パスポートをもし無くしていたら、大変なことになっていた、ということの重大性の方にはあまり関心がないようだった。因みにシェムリアップでパスポートがなければ、警察に紛失届を出し、夜行バスでプノンペンへ行き、日本大使館で帰国の証明を貰い、すぐに帰国しなければ、ホテルに泊まることすらできない可能性がある、と説明して初めて、『それは大変だ!助かった!』と分かったようだ。

 

私はアライバルビザを取るべく、並んだが、Iさんは何と大阪で取ってきていた。その間もパスポートを拾ってくれたドイツ人を見つけて礼を言っている。律儀な人だ。普段はビザに長い列ができるこの空港だが、何しろ乗客が30人ぐらいしかいないので、すぐに取得できてしまった。有難い。そしていつもは携帯のシムカードを買うのだが、なぜか機内で無料カードが配られたので、そのまま出てきてしまった。

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ロビーではサレンが待って居た。トゥクトゥクの運転手として過去2回、私の旅を全面的にサポートしてくれた男だ。今は実家の農業を手伝っているが、連絡すると、空港に迎えに来てくれた。Iさんとトゥクトゥクに乗り込み、風に吹かれながら走って行くと、クリスマスイルミネーションが輝く。実に快適だった街。Iさんもご機嫌のようだ。こんな経験、なかなか出来ない。

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シェムリアップで考える2011(8)日本人が作るカンボジア土産

8. ベンメリア

ベンメリアはかものはしの先、5㎞の所を左に曲がって行く。その曲がり角で昼ご飯を食べる。完全なローカルフード。チキンスープに、ブタ肉と野菜炒め、ご飯が進む。2人で食べて3.5ドル。市内に比べて非常に安い。氷入りのお茶は無料。

午後の日差しを浴びながら、ベンメリアを目指す。途中何度も居眠り。サレンはしっかり前を向いて運転している。実にのどかな田園風景。気が付けば、空も実に青い。小1時間掛かって到着。入場料は5ドル。

中国人の団体客の後ろから、ベンメリアへ入る。目の前に大きく崩れた建物が見える。ここは廃墟だ。右手から中に入る階段を上る。しかし中をどのように歩いてよいか分からない。そこへおばさんが「こっちから入れ」と指示を出す。建物の中に入るとそこは瓦礫の山。その中にシバ神やラーマーヤナが描かれた壁画がわずかに残る。

おばさんに導かれて、あちこち見て回る。基本的にきちんと整った場所は殆どない。崩れた石を乗り越えて進む。建物が残っている所は図書館だという。中に4つも図書館があったとか。それ程に書物があったのだろうか。

この遺跡、アンコールワットなどと異なり、整っていない分、神秘的。森に埋もれ、修復もされない。基本的にアンコールワットと同型で、東のアンコールと言われる。遺跡の建造年代は不明、発見当時の雰囲気が味わえ、探検気分にはなる。

殆どジャングルジムのような、いや障害物競走のような見学をする。石を上って降りて、また上り。午後の日差しで遮られているにも関わらず、汗が出る。息も上がる。結構きつい。おばさんは全く疲れを知らず、どんどん進む。他の観光客もこのおばさんのような人に連れられて進む。彼女は非公式ガイドらしい。特に説明はないが、従う。

40分ぐらい掛けて、一通り見学終了。おばさんはチップとして5ドルを要求した。特に頼んでもいないが、まあ案内してもらったんだから、と渡す。実は気になっていたのは背後に居た男性。Policeと書かれた服を着ている。どうやら彼が認めて案内役が出来るらしい。こういう所は、改善した方が良いと思う。

帰りは行きと異なり、国道ではなく、農村の中を行く。最近道が整備されたらしく、道は平たん。ヤシやバナナの木が生える中、高床式の家々が点在。子供たちはトゥクに向かって盛んに手を振る。畑は収穫が終わったらしく、何もない。今はお休みなのかもしれない。実にのどかで、嬉しい。

9. 土産物     キャッサバ焼酎

基本的に旅に出ることが多いので、土産物は買わない。荷物になるからだ。但し誰かに頼まれたら、これを奇貨として、買いに行く。これが私の旅のスタイル。私の知らない世界に連れて行ってくれるものには感謝して従う。今回はキャッサバ焼酎と言う希望が寄せられた。キャッサバはイモの一種だから、焼酎にはなるだろう。でもなんで?ネットで引くと、

「ソラークマエ」、カンボジア西部バッタンバン州タサエン村で生まれたキャッサバ焼酎。地雷撤去後の大地にキャッサバを植え、村が自立発展するためにと、元地雷撤去家、高山さんの指導のもと始められた焼酎です。愛媛の酒造メーカーによる技術協力もあり、日本人にも好まれる味になっています。**キャッサバ・・・タピオカの原料になるお芋

とある。日本人にもいろんな人がいる。Khmer Yuengと言う土産物屋で買えると聞き、早々訪ねる。しかしネット情報では水曜日は休み、しかも場所がよく分からない。兎に角行ってみた。クローマーのオフィスで場所を聞くと4軒ほど向こうだった。こぎれいなショップに、カンボジア産のスカーフや小物などが並べられていた。

店の奥に行くと焼酎を発見。お店は日本人女性がやっており、話を聞く。カンボジアに来て6年、旅行社に勤めていたが、日本人向けのお土産が無いことから、ショップを2年前に開店。アンコールクッキーの社長と同じようなきっかけ。カンボジア各地から日本人に好まれそうな商品を集めている。特に日本向けに加工などはせず、原則そのまま売っているとか。とかく日本仕様を求める傾向がある中、これは一つの試みではないか。ヨーロッパ人なども草木染に興味を持ち、買っていく人も出て来ているそうだ。

ちょうど店の前でNHKがカンボジア人女性の取材をしていた。この店を背景に何かを語らせていた。ついでにお店の様子も撮影していたが、これが放映されることはあるのだろうか。オールドマーケット近くにひっそりと建つお店、何だか不思議に惹かれた。

アンコールクッキー

続いてこちらも興味あり、との話でアンコールクッキーを買いに。夕方6時前、夕食前の買い物ということか、日本人観光客でごった返していた。そこそこ広い店に入りきれないほどのお客さん。その勢いは想像以上だった。シュエムリアップに来る日本人観光客は必ず寄る、という賑わい。

ここのクッキーはカンボジアの感覚ではバカ高い。日本の土産物の値段から考えても、それほど変わらない。味も日本とそうは変わらない。何故ここまでお客が来るのか。何か仕組みがありそうだが、恐らくは旅行会社とのタイアップであろう。勿論カンボジア土産が無い、というポイントは高い。また駐車場スペースが広い。オールドマーケットでは大型バスの駐車は難しいが、このショップにはバスが停まれる。これは大きい。元々この状況を想定して場所を選んだのであれば、凄い。

シェムリアップ最後の夜はサレンの意向でBBQとなる。ローカルBBQは非常に混んでいて、カンボジアの所得向上が伺われた。飲み物は飲んだだけ支払う。ビールのキャンペーンガールもおり、雰囲気はタイに近い。肉はちょっと硬いが、塩を付けて食べるとなかなかイケル。サレンは別のソースを使い、ゴマなども混ぜ、自分のソースを作って食べる。きゅうり、キャベツ、トマトなどの野菜は氷の上に乗って一緒に出て来た。一瞬大丈夫かと思ったが、何ごともなく、美味しく頂く。

ひっきりなしに物売りが来た。女の子、男の子、お姐さんなど、様々。卵やスナック、タバコなどを持って各テーブルを回る。買っている人はいないが、これで商売が成り立つのだろうか。この風景は以前も東南アジアでよく見たが、何となく物悲しく、現実を突きつけられているようでやるせない。

12月23日(金)

お別れ

何ということもなく、5つ星ホテルに3泊し、ここを離れる日が来た。午前11時にホテルをチェックアウト、サレンのトゥクで空港へ向かう。何だか直ぐに到着してしまい、呆気ないお別れ。でもまた会える気がして、お互いさらっと別れる。

空港内に入るとバンコックエアーのカウンターの前が長蛇の列。あまり待つのが気にならなくなった私でも異常さに驚く。前に行ってみてみると、何とフライトが2時間ほど遅れているらしい。そして1つ前にフライトに変更したい客の応対でてんやわんや。

結局50分ぐらい掛かってチェックイン。こういう時にヨーロッパ人の忍耐強さは発揮される。あれだけ待ってもカウンターではにこやかに「グッドアフタヌーン」などと言う。私にはできない。修行が足りない。

カウンターで文句を言ったせいか、クーポンをくれた。遅れたお詫びの食事券?行って見ると簡単なサンドイッチと飲み物が貰えた。何よりそこでネットが繋がり、旅行記が書けたこともあり、気分はすぐに転換した。実に現金な物だ。

フライトは2時間遅れてシェムリアップを飛び立ち、何事もなかったように2時間遅れてバンコックに戻った。





シェムリアップで考える2011(7)かものはしプロジェクト

マッサージ

市内で土産物を買っている内に、首がかなり重たく感じるようになる。昨日あたりから肩に張りが出ていたが、今日のボートトリップでの姿勢が悪かったのだろうか。いや、これまでの疲れが出たのだろうか。

サレンに頼んで、マッサージに連れて行ってもらう。本当は地元の人が行く所に行きたかったが、サレンが衛生面や言葉の面などを気にしてくれ、日本人もよく行くという場所に行って見た。

確かにそこはきれいで、部屋に入るとアロマの香りが心地よかった。日本語も通じるとのことだったが、ちょうど日本語の出来る人がおらず、英語でやり取りし、マッサージのおばさんに伝えられた。実際は言葉が通じなくても、肩の張りなどは揉めばすぐ分かる。丁寧に揉んでもらい、温めてもらう。

1時間でかなり良くなった。一時はかなり重症かとも思ったので、これは助かった。御代は30ドル。それでも万全の状態ではないので、早めにホテルで休むことに。だが、腹は減る。仕方がないので、前回も行ったベトナムフォーの店に行き、麺を食べ、早々に引き上げる。体を暖かすることが肝要だ。

12月22日(木)

7. かものはし  洗濯物

首の調子も一晩でかなり回復した。今朝は朝から洗濯物を出しに行く。1㎏、1ドルが基準の洗濯物やの存在は嬉しい。サレンのトゥクに乗り、出掛ける。ホテルの直ぐ近くにバスターミナルがある。ここからプノンペンなどへ行くらしい。周囲にはバスチケットを売る店が並び、トゥクに向かって、呼び掛けて来る。

サレンが調べていた洗濯屋は今日忙しいので洗濯しないという。あくまで副業。もう1軒は1つ50セントならやるという。1㎏、1ドルからすれば相当高い。断って市内へ。交通費を考えればどっちが高いのか分からないが、今は初志貫徹。

クローマーヤマト近くにはこの手の洗濯屋が山ほどあった。やはりバックパッカー御用達なのだろうか。今日中に出来るというのも嬉しい。この洗濯、ちゃんと畳んでくれるし、それなりにきちんとしている。だが、考えてみればこの料金で労働力はどうなっているのだろうか。いつまでこんな料金で洗濯してくれるのか、ベトナムにもあったが、だんだん無くなってしまうのだろうか。

かものはし

急いでホテルに戻る。9時に待ち合わせがある。かものはしプロジェクト、というNPOを訪問する。共同代表で現地駐在の青木さんが迎えに来てくれた。インターンの清水さん、昨日から仕事を始めたカンボジア人女性も同行。サレンのトゥクに4人も乗ったのは初めて。国道6号線沿いに進む。

トゥクの中で話を聞く。2002年、大学生だった青木さん他2人でこのプロジェクトに関わったこと。2008年に今の工房が出来たこと。2009年からシェムリアップに駐在したこと。「子供が売られない世界を作る」ため、寄付だけでなく、工房をビジネスとして軌道に乗せ、貧困家庭に一定の収入をもたらす仕組みを作りたい、警察官に児童買春を理解してもらう訓練を施す、など前向きな話が多く出る。

ホテルから30㎞ほど走った国道の脇に工房はあった。地域の役所の土地を一部借りている。前の建物では、地元の人々が何やら会議中。後ろにある工房の外では井草を選り分けている。井草を使った商品を製作している。

「自立」が一番重要、と青木さん。経済的にも精神的にも自立する必要がある。子供が売られないために、先ずは家庭の収入を増やす。工房の周囲15㎞の村々を回り、最貧困家庭より家族の一人を採用するシステムを作り、16人だったワーカーを90人まで増やした。今後は範囲を広げる必要があるが、なかなか難しい。

NPO自身の自立も重要。現在経費の半分は日本で集めている寄付金、事業はIT事業が中心で、この工房から上がる収入は僅かでしかない。それでも前年比べ収益は伸びており、今後に期待が繋がる。

チームリーダー

工房では各パートで数人ずつが作業を行なっている。チームリーダーが任命されており、彼女らが私に説明してくれた。皆、シャイではあるがしっかりした話しぶり。中には殆ど学校に行っていない人もいたが、現在はこの工房で開かれる勉強会に参加していると聞き、感心した。

工房は基本的に女性が働く場。近隣の人々で同世代であるから、何となく楽しそうに見える。ここで友達もできるらしい。楽しいかと聞くと「近所に工房があると職があり、嬉しい」という答えが多かった。農村にはやはり現金収入を得るすべがないのだろうか。

チームリーダーに成り立ての女性は「私はリーダーでなくてもよいから、他の作業を経験したい」と言う。リーダーは給料もよいはずだが、単調な作業に飽きる、または様々なことを経験したい、など色々な考えがあるのだろう。別のリーダーは一時母親が病気で出勤できずに家庭で内職のように仕事をしていたという。今は復帰し、もう一つ上のステータスを目指している。このようなキャリアプランがあるのもよい。

若い女性が殆どの中、お婆さんがいた。彼女の息子夫婦は不幸にも既に他界し、5歳の子供(孫)を一人で育てているという。目が悪くなり、ミシンが踏めず、別の作業をしていたが、それも困難になってきている。職員が「眼鏡を掛けたら」と勧めても、『村にメガネかけている人いない』と慣れないことには抵抗感がある。生活の為に働かなくてはならないが、孫のそばにもいてやりたい、『明日のコメがあればいい』という価値観に対して、このプロジェクトの難しさの一面を見た。

11時になると皆昼の休憩に入る。若い女性たちは化粧をし、ピアスをしておしゃれだ。農村にも消費社会が訪れている。携帯も皆持っているが、プリペイドのお金が入っていない子も多いらしい。携帯メール、電話の受信を楽しんでいる。





シェムリアップで考える2011(6)5つ星ホテルに泊まり、トンレサップ湖へ

豪華なホテル

そして市内に入った。今日の宿は、何と何と5つ星ホテル。どうなってるんだ?実は東京を出て来る前の日、事務所の忘年会でSさんから「シェムリアップ、行くんだったら、俺のホテル使っていいよ」と言われていた。

俺のホテル?Sさんは作家で様々な媒体に寄稿しているが、その内の一つが原稿料の代わりにホテルの部屋を提供している。なるほど、こんな仕組みもあったのか。そこで好奇心も手伝い、お言葉に甘えて泊めて頂く。

このホテルです、と現地で言われたが、どこにあるかもわからないし、どんなホテルかもわからない。住所通り、サレンに連れて行ってもらうと、何と郊外の立派なホテルだったという訳。お客は韓国と中国の団体さんが多いようで、ロビーには中国語、韓国語が飛び交っていた。その中をサンダル、短パンで入って行き、チェックインをお願いすると最初怪訝な顔をされたが、日本パスポートが効いたのか、非常に親切な対応であった。

部屋も広く、快適。シャワーを浴びて、暫し眠りに着く。夢の中で、自分が自分に聞いていた。伝統の村より、こっち方が良いだろう。と。何だか悪魔の囁きのようで怖い。勿論快適なのは快適だが、この時の私はこの部屋に満足することもなかった。心が満ち足りている限り、寝る場所はどこでもよく、食べる物も何でもよかった。

その夜は、街道沿いのホテルを出て、ガソリンスタンド横のレストランに入る。言葉が全く通じないが、何とかオーダーして食べる。夜風が爽やかだが、伝統の森の風は全てにおいて違っていたことを知る。

12月21日(水)

5. トンレサップ湖     トンレサップ湖へ行く

豪華なホテルで朝食を食べる。デニッシュあり、フォーあり、お粥あり。フルーツまでフルコース食べてしまった。体が欲していたのかどうか、その後体が重たい状況が続く。やはり自然に生きなければ、体も辛い。それでも人間、あれば食べてしまう。どうしたものだろうか。

9時にトンレサップ湖へ行く。前回行けなかった場所なので、ちょっと楽しみ。ただサレンの説明だと、どうなるのかイマイチ状況が掴めない。先ずは行って見るか。国道を南下、途中で右に折れ、村々を抜けていく。村では牛をたくさん買っていたが、何となく痩せている。これは農耕用なのだろうか。草が大量に積み上げられ、牛のえさになっていた。

1時間ほどでトンレサップ湖行きのボート乗り場に到着。17ドル支払いボートへ。10人ほど乗れる小型船に私一人。運転はまだ少年に見える若者。二人旅だ。最初は狭い溝沿いに、多くの船をかき分けて進む。乾季に入り、水位が下がっているらしい。少年は巧みに船をよけて行く。

少し行くと広くなる。川のようだ。この川を遡る感じ。警察が見え、学校も見える。するとその先は水上生活者の村。皆高床式。生活がボートから見える。交通手段も小舟。学校に行く小学生の女の子が自分でボートを漕いで行く。物を売る人もボートで家に近づく。全てが船で成り立っている。

サレンが小舟でジャングルへ行け、と言っていた。何のことか分からなかったが、ボートの運転手に伝えると、20分、5ドルと言われ、近くの家に案内される。お姐さんが小舟でやって来て乗れという。乗り込むと今度は向かいの家へ。そこで少女が乗り込む。そしてまた元へ。ドライバー交代、と言ってお姐さんは降りていく。少女は無言で漕ぎ始める。

自分の殻を破る

最初は村の中を漕いで行く。ボートの時より遥かに家々がまじかに見え、人々の表情も見える。洪水のときは大変だったと思うが、実に淡々とした生活を送っている。これが日常と言うものだ。

その内に湖上のジャングルに入り込む。これはなかなかスリリングであり、木々に覆われてヒンヤリした風が流れる。いくつものボートがこの中に入っており、すれ違う。我がボートの船頭少女、なかなかやる。かなり巧みな櫓を使う。小さい時から遊びながら学んだのだろう。

湖面にうねりがある。水が様々な変化する。やはり木があるということは変化をもたらすらしい。向こうからヨーロッパ人が乗ったボートがやって来た。何と船頭から櫓を受け取り自分で漕ごうとしている。これはかなり無茶だ。それでも声を掛けると「出来るさ、彼女にもできたんだから」と答えが返ってくる。

いま私たちは無理なことは極力しないことにしている。危険だから、そんなことを考えていれば、自分の殻は破れない。「出来るさ」と気軽にやってみることとこそ、次への進化ではないか。

蓮の葉が湖面に大量に浮かんでいる。そういえば、この葉を使ってロータスティが出来ないか、と言っていた人がいたが、確かに沢山ある。原料だけあっても出来るとは限らないが、チャレンジしてみるのもよい。

20分ほどのボートトリップは終わった。しかしこの間、結構考えることがあった。やはり伝統の村で過ごしてから、物を考えるようになった気がする。そして元来た道を戻り、サレンのトゥクで市内へ帰る。

6 . マッサージ    ランチ

市内に戻る途中、レストランを探してランチを取る。サレンも初めてという街道沿いのレストランはかなり立派で観光客が沢山来ていた。店員が足りないのか、皆忙しそうに働いている。私とサレンは観光客には見えないらしく、あまり良い対応はされない。

店には建物の中にテーブルがあるほか、木造の縦長の小屋で食事を取ることもできる。欧米人の子供達が喜んでハンモックで遊んでいるのを見て、そちらに向かう。寝ころんだのは良いが、食事はなかなか出てこない。ようやく出て来ても、それほど美味しくないし、何より高い。アンコールワット内の食事より高い。

何だか観光客からボッタクッている店のように見える。確かにきれいだし、英語も通じるのだが、それだけだ。すると一人の女性が猛然の抗議を始めた。相手はこの女のガイド、「どうしてこんな所に連れて来たのよ、時間がないのに食事が出てこない。お金ならあげるから、早くしてよ」。その彼女は間違いなく大陸中国人であった。

確かに彼女の言い分にも一理あるが、それにしても「金をやるから早くしろ」は、あまりに相手を見下げすぎだろう。そのガイド、終始俯いて聞いていて何だか気の毒になり、また自分がこの店に文句を言ったこともちょっと恥じた。だが、

   

彼女が物凄い剣幕で行ってしまうと、その辺のガイド仲間が一斉に苦笑いし、当の本人も舌を出して笑っていた。良くあることなのだろう。この辺はカンボジアの強かさかもしれない。





シェムリアップで考える2011(5)親の仕事を見て育つ子供達

親の仕事を見て子供が育つ環境

もう一つ伝統の村の特徴は『保育所を作らず、子供は親のそばに置く』ということ。実際に見ていると、母親が赤ちゃんを膝の上に寝かせて機を織っている。小さい子供達が、仕事場近くを走り回っている姿もある。

森本さんの説明。『敢えて保育所は作らない。母親はどうしても子供のことが気になる。それならいっそ子供を傍に置いた方が集中できる。勿論時々子供を見なければいけないが、その時間を差し引いても効率が良い』

また『女の子は5歳ぐらいで母親の真似を始める。10歳ともなればある程度の作業が出来る。15歳で一通り出来る。20歳までには一人前になる。伝統の森では20年で後継者を一人育てる感覚を持つ。小さい時から織物に触れている、この感覚は後からは養えない』とも言う。

これもまた凄いことだ。特に女性の訪問者からはこの説明には歓声が上がるという。これは究極の子育てであり、同時に職業の伝達手段でもある。息の長い、伝統の継承、これは実にすばらしい。

究極の言葉

この森に滞在しているとあらゆることが勉強になり、あらゆることに気づかされる。こんな所に日本の高校生、大学生を連れてくれば、彼らにとって大きな財産になるような気がする。と思っているとドイツ人がやってきた。聞けば大手自動車メーカーのドイツ国内のトップディーラーたちに研修旅行団がカンボジアに来るらしい。その折、この村の訪問を計画したいとの相談だった。森本さんのもとには日々こんな人々がやって来る。学生ばかりではない、大人も十分研修すべきなのだ。

普段は忙しい森本さんが奇跡的にこの2日間来客もなく、急ぎの用事もなかった。そして私と合計10時間以上に渡って向き合ってくれた。これは稀有なことではないか。私に誰かが森本さんを引き合わせ、そしてじっくり話を聞く機会を与えてくれた。

ここでその全てを書きだすことはとても出来ない。心に引っ掛かった言葉をいくつか挙げてみたい。『心のこもっていない物は手造りとは言わない』、これは何という名言か。村の人々作業を見ていると素人でも、その丁寧な動作、真剣なまなざしが伝わる。

『本当にいい物を作ればどんな不況でも売れる』現代は大量生産、消費の社会であるが、いずれは不況になったり、戦争になったり、現在の計画通りに行かないことが多い。その時でも、本当にいい物であれば、必ず買う人がいる。だから目標は高く『世界一の物を作る』。これも現代社会に警鐘を鳴らしつつ、エコなどと言いながら使い捨て全盛の世の中を批判している。

『村の人々には腕に見合った仕事をして欲しい』手仕事の素晴らしい技術をもった職人さん達が作った織物を商人が買い叩いて行く場面を見て、この村を作る決意をしたという。職人が買い手に直接売る、そしてその良さを分かち合う、これも大切なことだ。

『事業には適正規模がある』これも現代の事業拡大一辺倒に警鐘を。この村でも一時は500人まで村人が増えたが、これは適正規模を越えたと判断し、去っていく者の補充をせず。現在の200人を適正規模と考えて運営している。売り上げを伸ばすことが重要ではない、適正な利益を確保し、安定的に維持していくことが重要。

『マニュアルだけは自然は染められない』この村では化学染料を一切使っていない。自然は常に変化するもの、自然と如何に向き合い、自然を色に出来るか、これは簡単ではないが、それが実行できる環境がここにはある。

電気がある喜び

そして昼ご飯を頂き、お昼寝をし、また森本さんと話し、夕飯を頂き、また森本さんと話す。何故か話が尽きない。その内私が中国の話を披露していると森本さんが『中国勉強しようかな』と言い出す。既にタイとカンボジアに30年、還暦を過ぎた森本さんがまだ勉強しようとしている。これには驚く。

でも正直その時は森本さんが中国に行くといっても旅行程度だと思っていた。ところがその後時々連絡があると『今上海』などと来る。驚くべき行動力だと思っていると、何と言葉の勉強だけではなく、上海で無印良品とコラボして、仕事を始めていた。うーん、人間年齢ではないな。

そしてその夜『今日も電気いらないね』と言われ、素直に『要りません』と答えられた。だがスタッフの一人が可哀そうだと思ったのか、自家発電を入れてくれた。母屋から迎賓館へ、今日は薄く灯りが見える。灯りがあることがどれほど嬉しいか、感じられる瞬間だ。

更には電気があるとお湯が出る。お湯を体に掛け、汗を落とした。これはどんな名湯よりいい。現在原発再開などで揉めている日本。電気の有難味を知り、同時に電気が無くても生活できる部分を体感し、基本は電気を減らす方向で考えるのが自然であろう。今の政府、そして日本人は自らの生活を少しずつ縮小する努力こそ肝心だと思う。

12月20日(火)   村を離れる

伝統の森に来て3日目の朝。今日も何事もないような日常が始まる。ここに泊まった2晩で、何かしら大きなものを得た様な気がしたが、森はそんなことはお構いなしに営みを続けている。

学校ではクメール語の授業が行われていたが、ここは1年生まで。2年生になると4㎞離れた学校に行かなければならない。どうして小学校過程全体が認められないのか、不思議だが、仕方がない。その4㎞の道を自転車に乗る子、歩く子、いずれにしても大変だ。

授業中、どうしても1年生なので、集中力がなく、遊びだす子もいる。すると19歳の先生は「悪いことをした子は手を出せ」と言い、一人ずつの手を軽く叩く。今日本で先生が生徒を叩くと体罰だと騒ぐ親がいる。でも子供にはこのようなけじめは必要だろう。しかもその叩き方には何となく温もりがあった。

サレンが迎えに来た。お昼の麺を頂き、村を離れる。ちょっと感傷的になる。が、村はいつもと変わらぬ。長く続いて行く村は淡々と日常をこなしていく。

トゥクトゥクに揺られていく。良く見ると、あちこちに洪水の爪痕が見えた。この付近の被害は相当な物だったろう。それでも人は生きて行く。





シェムリアップで考える2011(4)電気の無い村に滞在して

村に住む人々

到着すると日本語の出来るカンボジア女性が応対してくれた。聞けば、こちらの大学から香川県に2年間、農業研修に行っていたそうだ。ただ内容を聞けば、研修とは言っても実際には働きに行っていたと言っていい。日本は研修という姑息な名目で外国人を働かせている。このゆがんだ構造は改善した方がいい。

彼女は関空到着後、新幹線に一度乗っただけで、後日本国内の旅行も殆どせずに「研修」に励んだという。食事も日本食を食べ、特にうどんが美味かったという。そうして過ごして研修手当をため、2年後に帰国し、プノンペンに居るお母さんにその手当を渡したことが嬉しかったと言った。日本はもう少し何かを考えなければいけない。

またゲストハウスには何と日本人女性が住んでいた。既に3年ここに居るという。村の学校で日本語を教えている。これもまた凄いことだ。当初から5年計画で来ているが、なかなか思うようにはいかないという。翌日実際に授業を見学すると、7歳から11歳ぐらいの子供達が勉強していたが、直ぐには上達せず、また使う機会も限られるので難しいなと思った。この点を森本さんに聞くと、「日本人のお客さんが来た時、一言でも日本語を話し、会話することが彼らの財産」と言い、上手く話せることを目指してはいないようだ。

ただこのクラスで微笑ましかったのが、隣のクラスで1年生にクメール語を教えていた19歳の先生が、この日本語クラスでは子供達と一緒になって勉強していたことだ。これは実にすばらしい光景だった。

彼女は平日この村で暮らし、自炊している。週末はシェムリアップ市内のGHに泊まり、リフレッシュしてまた戻るという。この村には基本的に電気が無い。自家発電が点く時はいいが、そうでなければ如何に生活するのか。私もその夜、それを経験した。

電気のない夜

村には迎賓館と呼ばれるゲストハウスがある。普通の民家は木造だが、ここはコンクリート製。リビングがあり、部屋がいくつかある。部屋にはベッドと机が置かれており、快適に過ごすことが出来る。ここには一般の人も宿泊希望があれば受け入れる。ドネーション込み、1泊2食付で25ドル。

村はかなり広い。裏には池があり、夕日が落ちていく。ゆっくり眺める。森には水が必要だ。そう感じさせる何かがある。午後4時には工房では今日の作業は終了しており、村では炊ぎの煙が立つ。水浴びする人もいる。日が落ちる前に食事をし、日が落ちたら寝る。それが電気のない村の原則だ。

森本さんが村に戻り、話をする。日も暮れて来たので、私には特にやることがない。ただひたすら様々なことを話す。雑音が全く入らず、携帯もならず、ネットも繋がらない環境で、人とじっくり話すのは久しぶりかもしれない。

夕飯は母屋で森本さん及びスタッフと食べる。スタッフが作ってくれた料理だが、何とご飯に味噌汁、焼き魚、卵焼き、野菜の煮物、などが並ぶ。皆森本さんが教えたもので、食材は基本的に現地調達。非常に美味しく頂く。森づくりも食事作りも原理は同じかもしれないと思う。

夕食後コーヒーを頂きながら、また歓談。すると森本さんが「今日は電気いらないですね」と聞く。こんな会話は生まれて初めてだなと思いながら、「ええ、いりません」と自然に答える。実は母屋には自家発電があり、迎賓館にもあるのだが、今夜は母屋のみ使用するという意味。

そして迎賓館に帰る時、中国製のLED電燈を一つ渡される。母屋を離れるとそこは漆黒の闇。本当に暗い。電燈が無ければ何も見えない。このLED電燈が如何に明るいか、灯りが如何に有難いかを噛み締めながら歩く。それでも道に不慣れで、かなり戸惑う。日本では真っ暗と言っても、どこか見える物があるが、ここでは何一つ見えない。電燈から外れた所は何も分からず、進むと道が分からない。

ようやく部屋に辿りついても電気は点かないので、基本的に寝るしかない。トイレに行くにも電燈を提げて行き、歯も磨く。余計なことは何もない。実にシンプルだ。早々に就寝。

森が守ってくれる

窓から明るさが差し込んできた。いつの間にか眠り、起きることもなく、8時間ほど寝こけた。鳥が鳴いている。実に静かだが、外は既に起き出している気配が感じられる。散歩に出る。

村には森がある。今では百年も前からあったように見える木々だが、僅か10年前に植えられたもの。3か月前にはこの村を大洪水が襲ったという。一時は人の背丈ほどにも水が溢れ、工房の機織り機なども全て流された。しかし、その機器を守ったのが、この木々。洪水に流された物が皆木に引っ掛かり、流失を免れたという。これもまた貴重な体験だ。

森本さんは言う。「森が守ってくれた」と。その為にも日々、人は木々と向き合う必要がある。必要になった時だけ、頼っても何もしてくれない。私がこれまで歩いてきたアジアの村々で、同じような光景、話を何度も聞いた気がする。今の日本は災害を科学の力で防ごうとしている。

というより、日本人は今や「目に見える物しか信じられなくなっている」のだ。説明や説得力は数字など、自分の頭で理解できる範囲でしか成り立たない。人間を超えた何かが存在することをもう一度体験し、取り入れなければ何度も同じことを繰り返すだろう。

働くモチベーションとは

朝食は母屋でパンとサラダを頂く。非常にゆったりとして空間の中で、散歩後の朝食は実に美味しい。爽やかな風が吹き込む母屋は極楽だ。しかしこの極楽状態を作るのに、どれほどの苦労があったのだろうか。

食後のコーヒーを頂いていると、女の子たちが上がってきた。広いテーブルの所に座り、何かを始めている。覗きに行くと、何と絵を画いていた。何で朝からこんな所で絵を画くのか。

森本さんが解説する。『若い内に自然と向き合い、完成を高めることは大切。彼女達が描いた絵が、デザインにすぐに使えるわけではないが、一見仕事と関係ないこのような作業を重視している。彼女達には一定の給与を払って、仕事としてきちんと画いてもらっている。』と。

そう、今や日本企業が忘れてしまったゆとり。ゆとりというと『ゆとり教育』などイメージが良くないが、企業内でも車のハンドルの『あそび』部分が必要なはずだ。そのあそびから思わぬものが生まれ、企業が活性化する。森本さんの話と活動は、企業経営そのものだ。以前彼から聞いた『減収増益』の話もそうだ。良い物を作れば必ず買う人がいる、そうなれば単価は上がって行く。薄利多売はいつか行き詰る。

実際この村ではい1つ1つの製品に誰がデザインし、誰が織ったか、名前が書かれている。そして欧米のお客さんはこの村まで来て、気に入った物を買い、更には織り手がいれば、一緒に記念撮影をして帰るという。売り上げによって給与に大きな差をつけることはないとしている所が参考になる。モチベーションとはどこから来るのか。

森本さんは手法は職人さんのそれではなく、経営者の目線で作られている。カンボジアに進出する日本企業の参考に大いになるだろう。因みにカンボジアには若い、安い労働者が沢山いるのは間違いないが、それを束ね、仕事を進めてもらう班長クラスの人材が決定的に不足している。この伝統の森では、その人材が育っているのが大きい。





シェムリアップで考える2011(3)年金オジサンと若者、横柄な中国人

日本の年金オジサン

部屋からPCを持ち出しいじっていると、変なおじさんがやって来た。日本人だが、何となく胡散臭い。ここの部屋代はいくらかなどとスタッフにつたない英語で聞いている。仕方なく、私が対応した。おじさんは興味を持ったようで、あれこれと色々聞いてくる。

どうやら定年退職し、カンボジアに遊びに来て嵌ったらしい。2回目だという。一人でふらふら安ホテルに泊まっており、こちらの条件を確認に来たようだ。年金をもらって暮らすこんなおじさんがシェムリップには沢山いると、と聞いたことがある。どこが楽しんだろうか。

そこへ日本人の若い子がやって来て、「何かお手伝いしましょうか」と聞く。聞けばここの研修生らしい。誰とでもすぐ話が出来そうなフランクさがある。元々バックパッカーで、シュエムリアップにやって来たらしい。だが泊まっていた宿は1泊1ドルと聞いて驚く。日本人の女の子もここまで行くと、凄い。が、恐らくは日本人社会では相当難しい立場になるのだろう。このような多様性を受け入れる社会は日本にはない。

おじさんは私の部屋を見て、帰っていった。どうやら自分が泊まるべき場所ではないと分かったようだ。子供が壁を登り始めた。ロッククライミングの設備がある。

横柄な中国人観光客

そうこうしている内に昼になってしまう。シェムリアップのゆっくりとした空気が私の行動も制御しているようだ。このスローな状態が心と体を癒してくれる。普通の日本人は『こんな環境に長くいれば日本に復帰できない』と思うのだろうが、こちらは復帰する必要もなく、むしろ好ましく思う。

結局ランチの約束をしていたNさんを待たせてしまう。ゲストハウス内でランチを取る。とんかつ定食が3ドル。結構立派な物が出る。このゲストハウスに泊まって、食事をここでしても月5万円は掛からないだろう。シェムリアップは私にとってロングステイの候補地である。

Nさんから最新シェムリアップ情勢を聞く。観光客は韓国、日本が頭打ち、中国人が非常に躍進しているらしい。と話していると、中国人観光客が二人、フラッと店に入ってきた。何と全て北京語を使い、横柄な物言いである。言葉が通じないと分かるとメニューを指さし、何かを注文。そして出て来た食べ物に『塩辛い』といちゃもんをつける。

私には彼らの言っている意味が殆どわかったので、困っている店員の間に入ろうかと思ったが、Nさんから止められる。店員は落ち着いた対応で、英語を使いながら上手にあしらう。最後は中国人がぶつぶつ言いながら、お金を払って退散した。

中国人観光客は態度が横柄で、特に現地人を見下している。困ったものだと思いながら、ふと、『それは日本人観光客も似たようなものだった。今でも横柄な態度を示すオジサンなど、ごろごろいる』と思ってしまう。人のふり見てわがふり直せ、ではないか。

4. 伝統の森      修行者の道

GHをチェックアウトして、いざ伝統の森へ。実は前回2月にIKTTを訪ねよ、と言われ、シェムリアップ市内の工房兼ショップを訪問。そこではクメールの伝統的な織物が再現されており、興味を惹かれた。しかもそのクメール織りはポルポト時代に廃れており、それを復活させたのが、何と日本人だと聞き、益々興味を覚えた。工房の行くとちょうどその日本人、森本さんがおり、お話を聞いた。そして『もっと知りたければ森にいらっしゃい』と言われ、2日後には伝統の森に行っていたのだ。

その時は日帰りで村を見学した程度だったが、あの印象は忘れることが出来なかった。もう一度行こう、出来ればあの村に泊まろう、連絡してみるとゲストハウスがあるとのことで2泊お願いすることになった。

その村は市内からアンコールワットの遺跡群の横を抜け北へ30㎞。途中まで遺跡の関係で道路が舗装されているが、半分は未舗装の悪路。しかも私はそこを車ではなく、サレンのトゥクトゥクで行くのだから、結構すごい。約2時間掛かるが、道のデコボコで尻は痛くなり、腰はよじれ、まるで修行の旅に出たような気分で行く。

そして到着した伝統の森、それだからこそこの村を一から開発した森本さんとカンボジアの人々の物凄い努力が実感できる。10年前は何もなかったこの場所をあるご縁で所有し、クメール織りの為の蚕、桑の木から工房、自宅まで全て自分達で作って来たという。そして今では200人が暮らす村となり、織物が見事に織られている。

 

シェムリアップで考える2011(2)アンコール王朝の水源

3. シェムリアップ   再会

バンコックエアーのカウンターはかなり混んでいた。国際線も国内線も皆一緒に受け付けていた。これで間に合うのだろうかと思ったが、淡々と待つと、20分後にチェックインできた。飛行機はあっと言う間にシェムリアップに到着。

空港では前回同様アライバルビザを取得。慣れているので直ぐに列を並び、これもまたあっと言う間に取得。イミグレは相変わらずゆっくり進んでいたが、脇の外交官用のゲートを開放してくれ、これまた直ぐに抜けた。

今回は空港で携帯のシムカードも取得。10ドルで十分使えるカードをゲット。何故かおまけのストラップまで付いていた。店員は流暢な英語を話し、外国人に慣れている。日本でもこのようなサービスがあれば便利なんだけど。

外に出ると笑顔でサレンが待っていた。2月以来、10か月ぶりの再会だ。こんなに早く再会するとは正直思っていなかっただけに喜ばしい。彼のトゥクトゥクに乗り込み、市内へ。当然ながらそれほど変わっていない。

今日の宿はクローマーゲストハウス。ここのオーナーNさんとは前回お目に掛かり、そのご縁で泊まることにした。10ドルで広い個室に入れてもらい、お湯のシャワーもある。ネットは共同スペースまでPCを持っていけばフリーで繋がる。快適なネット環境だ。

西バライ湖

サレンが『どこへ行きたいか』と聞く。確かに10か月前に来たばかりだし、特に行くべきところはない。そこで突然思い出したのが、一昨日の晩の飲み会。旅行関係者が多いオフィスの飲み会だから、やはりどうしても話題が旅になる。私が『今度の旅はシェムリアップだ』と告げると、それなら『湖へ行け、そこで鶏を丸ごと焼いているぞ、あれは美味い』という声が掛かった。鶏肉は嫌いではないし、行ってみるか。

行って見るかと言っても、地名など分からない。サレンに話すと多分あそこだ、と納得顔。付いて行くことにする。市内をちょっと外れたあたりに、何だか立派な建物がある。最近出来たというショッピングモールとマンション。しかし人影はなく、店も殆ど空いていない。『韓国人客が時々来るだけ』とサレンも素っ気ない。不動産投資の失敗なのだろうか。

郊外に出た。貯水タンクと思われるタンクに日の丸があった。日本の援助で作られたのだろう。その下には『大正小学校』と漢字で書かれていた。奥に学校があった。ここも日本の援助だろう。本当に日本はカンボジアに多額の援助をしてきた。問題はその援助が一般住民の為になっているのかどうか。

既に日が傾いている。30分ほどで目的地に着いた。大きな湖だ。人工湖だそうだが、説明を読むと11世紀に完成したとある。西バライ、東西8㎞、南北2.2㎞、クメール王国時代に作られている。ここはあのアンコールワットを中心にしたクメール王国の水源だったのだ。壮大だ、当然ながらあれだけの巨大都市を賄う水は多量でなければならない。


   

少し歩いて行くとアキユ寺院という表示があり、見ると崩れ落ちた寺院が現れた。こじんまりしているが、昔はいい感じだったかと思わせる作り。大きな木が往時を偲ばせる。ここは湖を祭るのだろうか。

夕陽が落ちていく。人々は思い思いに眺めている。お店では確かに魚や鳥を串にさし、グルグル回して焼いている。美味しそうだ。5ドルで1羽買って二人で食べる。塩とレモンを付けて食べると本当に美味である。アンコールビールもちょっと飲み、気分が乗ってくる。夜はさぞや賑やかなんだろうと思っていると、何と皆帰り始め、我々は取り残される。夜は真っ暗なのだそうだ。

我々もいそいそと引き上げる。サレンに街の真ん中に送ってもらい、一人で散歩する。外国人が多い一角はどうにも馴染めない。直ぐにGHの方へ戻る。途中に小さな市場があり、その中で麺を売っていたので、食べる。相変わらずこういうものが一番美味いと感じる。

12月18日(日) 散歩

夜は良く眠れた。12月のシェムリアップは爽やかな朝。思わず散歩に出る。この街の中心はそれ程広くはない。日曜日ということもあり、人通りは少ない。近くにコンビニがあった。見るとやはりフリーWifiだ。今やカンボジアには有線ネットはない。後発だけに全てが無線だ。そしてそれがコンビニにあり、若者がPCを持ち込んで使っている。Facebookやゲームを楽しんでいる。

 

欧米人もPCを使っている。日本には逆にこのようなサービスはない。ネットカフェもない。東京を歩く外国人はネット難民になる。それが日本人にはわからない。6イレブンなどと言う名のコンビニもある。日本が浸透している感じがする。

 

朝ごはんはGHの料金に含まれていた。フランスパンにハムを挟んだサンドイッチ。シンプルでよい。GHの前にはベトナムでバンミーと呼ばれるサンドイッチを売っている。美味しそうだ。道路沿いには中国人観光客がバスを待っている。彼らは朝早くから激しく動き回る。いくつ観光したかが、全てだ。