チェンマイ滞在記2024その7(6)カオスイからイタリアンまで

昼ご飯は結局フードコートで食べた。立派なフードコートだが、料金は普通のフードコートと変わらないのが良い。帽子はユニクロで買おうと思ったが、良いのが無く、1階のブースで100バーツで売っているのを買った。タイというところは立派なデパートでも、1階に雑多な店が並んでいるところもあり、面白い。ここでもクリスマス飾りが盛大に行われている。タイ人にとっての冬という特殊な感覚とクリスマスセールがうまく組み合わされているようだ。

夜は先日出会った旅行業のSさんと食事をした。お互いの家は近いので、その中間付近にある店が指定された。夜出歩かない、酒を飲まない私にとって、未知の領域である。夜7時過ぎ、広々とした吹き抜けの空間、お客はそれほど多くない。お客が増えるのは夜中近くになってかららしい。日本で言えば居酒屋で、料理の品数は多い。

Sさんは実は私の息子世代。我々の世代はある程度敷かれたレールの上を走っていれば安泰だったが、今やそうはいかない。社会システムの変化もあるが、多様性や自分らしさが求められ、そこに過度に嵌ると意外なほど厳しい社会ではなかろうか、と話していて思ってしまった。まあ、私も自分の好きなことをして生きて行こうと決め、それに従って自らレールを外れたので、今の若者でやる気があれば応援したいと思う。

12月5日(木)カオスイを食べる

朝出るのが遅くなり、昼近くなってダンバウを食べに行く。これも今年の食べ納め。腹一杯になったのだが、それから車を呼んで午後1時に、先日同級生夫妻とカオソイを食べに行く。カオソイドムアーンは私が最初にチェンマイでカオソイを食べた場所であり、店の雰囲気も含めて気に入っている。現オーナーのお母さんが始めた店らしい。若き日のお母さんと一緒に記念撮影した。華人経営だ。

車で夫妻の宿泊先近くの寺まで行き、彼らとはそこで別れた。何となく歩きたい気分であったので、堀の中をクルクル歩き、寺々を回り、それから外へ出てまた歩く。帰りに何となくマクドナルドへ寄ってしまったのは、なんだか不思議だ。いつもの安いセットを頬張りながら、チェンマイについて色々と考える。

12月6日(金)イタリアンで

いよいよ明日はチェンマイを離れるので、部屋にある物を整理して、買ったばかりのスーツケースに詰め込んだ。今回は意外と茶葉の量も少なく、相変わらず書かれた資料は皆無のため、思ったほどの分量にはなっていない。さすがに4か月も住んでいると、何となく離れ難い気分もあるが、一方ちょっとした解放感も漂う。

夕方ソンテウに乗って出かけた。夕飯は何とイタリアンだ。随分以前にヨーガ関係で会ったことがあるMさん。彼女は毎年バンコクとチェンマイで雑貨を仕入れたりしながら1か月ほど滞在しているのをFBで見ていたが、昨年はタイミングが合わず、今回ようやく久しぶりの再会となった。

彼女が指定したのがターペー門近くのイタリアンだった。ここはかなりの老舗で昨年も食べにきた。時間が早かったせいか、お客は殆どいない。暗くなると白人がワインなど飲んでいることだろう。パスタもピザも安定の味で美味しい。今回はこういう物をほぼ食べていないので、何とも有り難い。

チェンマイ滞在記2024その7(5)突然やってきた同級生

11月30日(土)突然やってきた同級生

そろそろチェンマイ撤退準備が始まる。思い残すことが無いように、食べたい物を食べにいく。今朝はターニン市場の牛筋麵に行ってしまった。50バーツで幸せになれる麺。言葉は通じないが、店の人には感謝したい。この市場も少しずつ店が無くなっているのが気がかりだ。チェンマイの食、それはまさにB級グルメ、そしてフルーツが安く食べられることだろう。

昼ごはんにパンをかじっていると突然メッセージを受け取った。大学の同級生からだったが、何と今チェンマイ空港に着いた、というのだ。彼女はアメリカ在住で最近は連絡も取っていなかったので驚いた。夕飯を食べることになったが、「いつも行っているようなカジュアルな店で」と言われたものの、アメリカ人のご主人も一緒だというので、ちょっと困ってしまう。何しろチェンマイ滞在は長いが、一人飯ばかりだから、気の利いた店を全く知らない。来るならもう少し早く言ってよ、と思ったが、自らの旅を考えると人のことは言えない。

取り敢えず先日大勢で行ったニーマンの店に行ってみたが、予約は出来ないという。席はありそうだったので、ここで到着を待つことにした。コロナ中に東京で会って以来の再会だが、Eさんは相変わらず元気だ。相対的にご主人は物静かで、如何にも大学教授だった。日本の民俗やファミリーヒストリーが研究対象らしく、まず聞くことを大切にしている。彼の同僚にあのローバト・ヘリア氏がいるという。

ご主人と私は日本語で、彼女とは英語で話しているのは何となく面白い。日本に長く滞在経験のあるご主人は、アジア系の食べ物も普通に食べられる。今回はビルマカレー?が良かったらしい。そして北タイの山岳民族などへも興味を持っている。今回は完全な休暇で観光しているだけのようだが、Grabの使い方など手慣れたもので、車を呼んで帰っていく。

12月3日(火)シャン料理を訪ねるも

帰国準備を進めているが、今回は4か月にいた割には、収穫が多くなかったと感じてしまう。そう、長くいればそれだけ多くの物が得られる、というのは、正しいとは言えない。北タイの茶業史で分かることは元々かなり限られており、そういう意味では、もうあまり掘り出せるものはないのかもしれない。来年もここに来る意味はあるだろうか、と正直考えてしまう。ただロングステイだと思えば良いか。

偶にはシャン料理が食べたいと思い、新規開拓に出向く。少し早めに行けば席もあるだろうと思い、歩いて行くと、何と11時半で食堂は満席だった。しかも見ればお客の大半が僧侶ではないか。確かに僧侶は午前中しか食事が出来ないから、この時間はかき入れ時。どうやら最近ミャンマー方面から逃れてくる若者が多いと聞いたが、まさかお坊さんになってタイへ来たのだろうか。

ミャンマー軍政府は、兵士不足から若者の徴兵を進めているらしい。その中で僧侶になった者の扱いはどうなっているのだろうか。チェンマイにシャン人が増えている。食堂を諦めて少し行くとそこには大きなミャンマー寺院があり、若い僧侶が歩いている。ここには僧房もあるので、庇護されているということだろうか。

チェンマイ滞在記2024その7(4)涼しくなったチェンマイ

11月27日(水)涼しくなったチェンマイ

マレーシア旅から帰ってきたら、何となく涼しいチェンマイ。確かに昨年1月の朝はかなり涼しかったから、もうそういう季節になった訳だ。といっても昨日の朝の雨のハジャイも決して暑くはなかった。むしろバンコクだけが異常に暑かった。涼しい方が気持ちは良いと言えるが、夜中に寒くてバスタオルを重ねて寝る。

何だか疲れも出てしまい、洗濯だけして部屋で休息した。洗濯物のちょっとひんやり。原稿やオンラインの準備もしなければならかったが、どうにも気力が沸かない。こういう時は温かいものを食べようと思い、たまに行く食堂へ急ぐ。スープがとても温かくてうまい。野菜炒めもうまい。かなり満足して帰り、重ね着してすぐに寝る。

11月29日(金)チェンマイのカフェで

何だか体がムズムズする。何か特に食べたい物でもあっただろうか。仕方なくMayaのフードコートで探してみた。そうだ、餃子だ。タイ語で焼き餃子はギョウザというらしい。今やフードコートの定番メニューにもなっていてタイ人も大好きのようだ。いつもの滷麺と一緒に食べるとなぜか更に美味しく感じられる。

Mayaの外へ出ると、噴水のところに突然トナカイが現れる。クリスマスツリーもセットされた。ワーカーが一生懸命やっている。まだ11月だが、既にチェンマイはクリスマスシーズンになったのだろうか。白人も多いこの地域では、以前からこんな感じなのだろうか。気が付けば、私は11月末にチェンマイにいたことはなく、こんなことも初体験だった。

宿に帰る途中、何故か入ったことのない横丁へ曲がる。何となく何かありそうだと予感したが、何とそこにはお寺があった。妙覚寺という漢字も見られたので、中国系の寺だが、寺というより、学校のような雰囲気がしていた。タイで信者を増やそうとしているのは、日本系の仏教団体だけではなさそうだ。

午後はちょっと歩いて遠出した。お堀の南側まで行と立派なホテルとカフェがあった。タイ料理研究家Aさんはその後生徒さんと一緒にタイ料理の旅をしたようだが、そのアレンジはチェンマイ在住日本人の若者がしたと聞き、紹介してもらって会ってみた。私も車は使うし、偶にはツアーもするので、便利な旅行会社があると有難いのだ。

このカフェ、なかなかおしゃれで、しかも静かで雰囲気が良い。Sさんは良くここでPCを持ち込んで仕事をしているらしい。いわゆるノマドワーカーである。私もそういう格好良い活動をしたいのだが、どうもカフェで文章を書くのは苦手だ。どうしても集中したい時だけ、ネットを切ってカフェで書くから、そのトラウマだろうか。

Sさんは、チェンマイにおいてはパック旅行ではなくマニアックな旅をアレンジしたいと旅行業を目指したらしい。そういう意味でお茶や山岳民族の旅にも興味があるという。ただその旅の内容は口で伝えても伝わらない可能性が高いので、来年一度一緒に行ってみようということになった。来年のチェンマイ再訪が少し楽しみになってきた。帰りはSさんのバイクの後ろに乗せてもらい、スーッと宿まで行く。

マレーシア茶及び食の旅(6)バンコクのプーアル茶荘へ

乗り慣れたタイライオン航空で1時間。あっと言う間にバンコクに到着した。日差しが強く暑い。南国ハジャイから来たのに、バテテしまいそうだ。ドムアン空港から久しぶりに電車を乗り継いでアソークまでやってきた。ちょっとターミナル21に寄ったら、とんかつ和幸が目に入ってしまい。思わず入店。チェンマイでは食べられないので仕方がない。

ロースかつ膳350バーツ、お茶30バーツ、諸諸で400バーツは越える。チェンマイでこんな贅沢な食事はとったことが無い。もうすぐ日本に帰るのに、と思いながら噛みしめる。以前は大行列だった和幸も、時間が早かったせいか、飽きられ始めているのか、お客はそれほど多くはなかった。日本に行って食べる人も増えたのではないか。

そこからBTSで郊外のサムローンまで行き、イエローラインに乗り換える。いつの間にか出来ていた路線、私は初めて乗る。駅は少し離れていたが、係員が親切に指をさして教えてくれた。コロナ後気が付いてみるとバンコクはBTSだらけになっている。この路線はずっと高架を走り、天気が良いので気分も良い。

30分ほど乗ると、目的地ケランタンに着いた。この名前、マレーシアの地名?もう一駅乗るとエアポートリンクに接続するから、帰りはここから帰ればよかった?次回のために記憶しておこう。駅前のモールに目的地の茶荘はあるというが、このモール自体が閑散としていて、ちょっと不思議。平日だからだろうか。

なぜマレーシアからここにやってきたのか。それはイポーの郭さんが紹介してくれたプーアル茶屋の張さんを訪ねるためだった。張さんは北タイの茶歴史にも詳しいと聞いていた。お店は20年ほど前にプーアル茶を商うために開いたという。タイとしてはかなり早い段階で開かれたプーアル茶荘ということだ。

そして何と張さんはメーサロンで育っていた。私がこれまで調べてきた北タイのプーアル茶関係者の名前もほぼ知っており、一部資料を見せてくれ、またメーサロンの親族から聞いたという話しも披露してくれた。ワーウイの最新プーアル茶事情はさすがプーアル茶屋さんだった。ずっと話していたかったが、もう1軒用事があり、泣く泣く別れた。

何と又イエローラインに乗り、元の路線でトンローまで戻った。そこで1件用事を済ませて、プロンポーンまで行き、パン屋で明日のパンを買う。ふと見るとそば屋が目に入り、そばとかつ丼のセットを食べてしまう。さっきとんかつ食べたばかりだが、もうどうにも止まらない。

よく見ると、何とその横にはあの福岡の名店、ウエストが店を出している。こちらでごぼう天うどんでも良かったなと、頭が完全に日本になる。さすがスクンビット、日本度が爆上りしてしまう。あまりに腹が一杯となり、アソークまで歩いてからMRT、エアポートリンクと乗り継ぐ。

ちょうど退勤時間と重なり、どちらもめちゃ込みでかなり疲れる。チェンマイにはない、必要のない体験となる。大都会バンコクはやはり疲れる。何とかスワナンプーム空港まで辿り着いたが、こんなことならさっきの張さんのところからは凄く近かったのに。今回はベトジェットでチェンマイへ帰る。何でこのフライトはドムアンから出ないのだろうか、と考えていると、夜景のチェンマイが見えてきた。既に感覚はホームタウン。

マレーシア茶及び食の旅(5)雨のハジャイ

ようやくチケットを入手して、いざマレーシア出国、と思ったが、どこからマレーシアを出国するのか分からない。何の表示もなく、そのまま外へ出てしまうと、ヒンズー寺院が見える。反対側に回ると、ホームに列車があるのが見えるのだが、鉄格子が嵌っており、ここから降りることは出来ない。そのまま眺めていると向こうから列車がホームに入ってきた。あれに乗るのだろうか。

結局ある程度の人がベンチに座っている場所が待合室。皆が手持無沙汰にひたすら待っている。だが時計だけが動いていき、人の動きは起こらない。何と発車時間の16:40になって初めて審査場行きのドアが開いた。審査は2度あるが簡単で、すぐにホームまで行けた。タイの陸路入国、以前は年間2回までという制限があったが、今はないんだよな。

そこには古びた列車が待っていた。ハジャイに行く乗客が続々と審査を終えて乗り込んでくると、ゆるゆると出発した。乗客はマレーシア人が多く、白人もいる。日本人の年配者も一人だけ見掛けた。日本人バックパッカーはもういない。列車が走ると窓から吹き込む風が爽やかだ。この風を浴びるために、私はここに居る。

40分後に列車はハジャイ駅に入った。ここは何度か乗り降りしているので、見慣れた光景だった。小雨が降る中、予約した宿へ向かった。メインの通りを歩いて行くと、麵屋が見える。昼ご飯を回避して腹が鳴っており、宿よりまずは麺となった。どう見ても華人経営の店で、豚肉麺を頂く。ハジャイもタイピンに負けずグルメな街だ。有難く満たされた。

宿は以前も泊ったことがある。可もなく不可もないが、料金はちょっと値上がりしている。まあ仕方がない。荷物を置いて再度外へ出たが、雨脚が強くなっており、遠くへは行けない。仕方なく、近所の店でカオマンガイを食べる。これはさすがにタイピンの海南鶏飯の方が美味いし、コスパも良い。もっと他の物も食べたかったが、やむを得ない。部屋に帰って雨音を聞きながら寝るだけだ。明日も早い。

11月26日(火)バンコクの茶荘

朝5時台に起床する。今日は朝一番のフライトでバンコクへ移動する。だが雨はまだ降っており、Grabで車を呼んでも見つからない。何とも困った。周囲を見渡してもソンテウも全くいない。何度か挑戦していると、なんとか車がやってきた。空港までは約30分。国内線だし、それほど慌てる必要もなかったが、万が一の場合は取り返しがつかないので、ちょっと焦ってしまった。

空港に着いてホッとしたが、周囲を見るとイスラム教徒ばかりが目に付く。やはりここは深南3県、チェンマイとは全く風景が異なる。少し時間があったので、あまり人がいない所まで行き、柱についていたコンセントで充電を開始した。するとそこにムスリム親子がやってきて隣で充電する。英語で声を掛けられ、少し会話した。何でもメッカ巡礼に行くらしい。幼い娘はスマホの動画に夢中になっており、移動を拒んでいた。巡礼しなくていいの?

マレーシア茶及び食の旅(4)タイピンから国境へ

宿のすぐ近くにベーカリーがあった。新しい店舗の脇に古びたドアの製パン工場が見え、そこには1918の文字がある。タイピンで最も古いパン屋かもしれない。ラスクのようなものを買い、宿に戻って紅茶を淹れて食べてみると美味しい。本当はまたどこかの食堂でブランチを食べようと思っていたのだが、これで満足してしまう。

お昼前後はクイーンズ駅伝を見て過ごす。鈴木亜由子が久しぶりにいい走りをしていて喜ばしい。見終わるとやはり何か食べたくなり、またフードコートへ。好きなスポーツを見て、腹が減った美食食堂へまっしぐら。こんな生活、幸せだな。汁なし撈麺を頼んだが、おばさんが「ワンタンも食べたら」というので、併せて頼むと、これがモチモチで美味い。まあ、とにかく何を食べても300円程度だから、気兼ねなく追加できるのが何とも嬉しい。

腹がくちると散歩するしかない。時計台など古びた建物が並ぶエリアを歩いて行くと、郵便局など歴史的な雰囲気が漂う。さすがな150周年の街だ。また宿に帰り、今度は大相撲の千秋楽を見る。琴桜がやった!それにしても、日本のスポーツを見ながら、食べたい時に外へ出て、腹が満足すると散歩。夢の極楽生活かもしれない。年に1度ぐらいはこういう生活に浸りたい。

それでも夕方5時前にまた食べに出る。今度は何を食べようかと考えていると、ちょうど目の前に老舗茶室があった。まだ開いているようだったのでふらっと立ち寄る。メニューを見て、唐揚げ炒飯?を注文する。ここは創業から何年ぐらいやっているのだろうか。普通の炒飯に見えたが、意外に旨い。と思っていると、店を閉められ始めたので、慌てて外へ出た。この店は近所に2号店も出している。さすがに今日の食事はこれで終わりだ。

11月25日(月)タイピンからハジャイへ

タイピン最終日の朝、また何を食べようかとフラフラする。昨日の茶室の近所には、古びた茶楼があり、早起きの老人たちが集まっていた。擂茶などと魅力的な文字も見えたが、何故か気分が乗らない。フードコートで最後の一食を探していると、海鮮粥が見えた。これだと思い注文すると、かなり時間、ぐつぐつ粥を温めている。値段も13リンギとこれまでで一番高い。アツアツの粥は非常に旨かった。フードコートでの飲み物は原則中国茶。

天気が良かったので、湖の周りを半周した。今日は平日で観光客も減り、かなり気持ちの良い散歩だった。写真もきれいに撮れたような気がするして満足する。もう一度海南鶏飯を食べようかと思ったがさすがにその気力はなく、宿へ戻って休息する。チェックアウト時間の12時に宿を出てゆっくり歩く。

駅で何か食べようかと考えていたのだが、周辺の食堂を眺めてみても、ちょうど食べたい物に出くわさず、列車を待つこととなった。先日の係員に挨拶してホームで待ったが、列車は遅れていた。20分ほど遅れてやってきた列車に乗り込んだが、ほぼ満員。団体観光客が結構乗っていた。車窓の景色は基本的に変わらないが、途中で雨が降るなど、その雰囲気は時々変わる。結局2時間半以上かかって国境のパダンブサール駅に到着した。

時刻は15:40。実はハジャイ行きの列車は1日2便しかなく、午後は15:40分発しかない。とかなり焦って改札を抜けたが、何と時差が1時間あり、16:40出発だと分かる。係員に聞くとまずはハジャイ行きのチケットを買って、それから出入国審査となるらしい。ところがそのチケット売場に人がいない。確かに1日2便だから、係員も完全にダレている。僅か50バーツのチケットを買うために待つ。

マレーシア茶及び食の旅(3)イポーで飲茶、タイピンでフードコート

その飲茶屋はいい感じに建っていた。意外と奥行きがあり、老人を中心にした家族連れ客も多い。やはり週末の朝は家族・親族で飲茶か。何となく昔の香港を思い出す。何とか席を確保して周囲を見ていると、老板娘がやってきた。彼女は一瞬広東語を話したが、すぐに英語に切り替え、こちらが華語を使えると分かると、華語になった。店のオーナーは広東系だが、彼女の一家は福建省安渓の出だという。

私が安渓には何度も行ったというと喜んでくれ、珍しいお茶も出してくれた。「ここは基本的に広東語の世界なので、私もずっとアウエー状態で生きている」と小声で話したのは印象に残った。点心はかなり美味しく作られており、お茶ともマッチしていた。とてもいい朝食を食べることが出来て感謝。

それからチェックアウトギリギリまで宿の部屋で休む。この宿、眺めがよいし、フロントが最上階にあって、そのスペースも何となくスタイリッシュ。宿から駅までは歩いて10分程度だが、途中に歴史的建造物あり、モスクありで、なかなか楽しめる。到着した駅舎がまた歴史的なので、言うことはない。

列車は10数分遅れたが、無事到着。40分ちょっとでタイピン駅へ滑り込んだ。ここも今年1月に来ているので慣れている。と思ったら、何とチケットカウンターが開いていない。係員に聞いてみると何と「この駅では今は自販機でしか切符は売っていない」というではないか。え、1月は買えたのに、イポー駅でも問題なく買えると言っていたのに。実はタイピンへのチケットは郭さんがネットで予約してくれたので、難なく乗れたのだと初めて知る。

ここでまた私のクレカ問題が再発した。JCBカードは持っていたが使えない。銀聯カードも使えない。どうするのかと思っていると、その背の高い係員が、マレー人のお客さんに声を掛け始めた。何人か目で応じる人がいて、その人のクレカで国境までの切符を買ってもらい、現金を渡して購入が完了した。係員に感謝すると「今日も朝から数人、あなたのようなお客がいて、自分のカードも残高不足だったので」と笑っていた。さすがマレーシア。

予約した宿は、歩いて10分ほど。前回の記憶が鮮明で、問題なく辿り着く。この宿の設備は古びており、昨日とはかなり違っている。ただフロントはとても親切で心地よい。部屋でサッカー天皇杯決勝を観戦する。それが終わって、さてご飯を食べようと思ったら、雨が降り出していた。

でも腹は減っている。少し小降りになったところを見計らって傘を持って走り出す。目指すは前回行ったフードコート、食べたいのは海南鶏飯。だが、時刻は午後3時。いくつかの店は既に閉店していた。海南鶏飯はお預けとなり、代わりにモヤシ鶏飯を食べる。これはこれで美味い。更にフードコート内をウロウロしていると、乾撈麺という文字に反応してしまう。しかしこれは美味かった。焼きそばとスープが絶妙だ。一気に2食を食べて腹が完全に膨らんだ。

また雨が強くなり、ボーっと雨宿りした。ここで働いている人々も手持無沙汰で座り込んでいる。意を決して傘をさして宿へ戻った。そしてまた配信で卓球を見ていた。夕方雨も上がり、また外へ出た。でももう満杯で食べることは出来ない。湖の周囲を少し歩いて腹ごなしを計ったが、無駄だった。本当にこの街は目的無く散歩するに適している。

11月24日(日)タイピンを満喫

朝起きるとすぐにフードコートに向かった。今朝は海南鶏飯の屋台が開いている。これは美味い。そして何より安い。1月より1リンギ値上がりしていたが、それでも僅か5.5リンギ。信じられない値段だ。これを朝食べると一日がハッピーになりそうだ。それから天気の良い中、街をフラフラ歩いた。

マレーシア茶及び食の旅(2)イポー 六堡茶の歴史

11月22日(金)イポー 六堡茶

早く寝たので早く起きた。夕飯も中途半端だったので腹が減っていた。外へ出るとすぐに朝飯が見付かる。麵屋など数軒の屋台が入った複合店で、とろみのついた滷板麺を食べた。これは朝から美味い。中国茶といえば、ちゃんと甘くない、温かい茶も出てきて良い。朝飯を探しに来た人々は、次々とテイクアウトして去っていく。

周囲をちょっと散策すると、KLセントラル付近は様々な顔を見せてくれる。特に多いのがインド系であり、ヒンズー寺院もいくつかある。朝飯屋ではカレー系の食事を取ることもできる。中国系寺院ももちろんあり、更にはタミルチャーチと書かれた教会も存在した。このエリアはかなり混沌としていて、もう少し知識があれば、非常に面白いと感じられるだろう。

宿をチェックアウトしてバスターミナルに向かう。早めに到着してバスが来るのを待ったが一向に現れない。10分ほど定刻を過ぎてようやく姿を現したので、ホッとした。イポーまでは約200㎞、高速道路なら早いはず、と思っていた。だが途中で給油したり、何となくなくのんびり走ったりと、さすがマレーシアのバス。結局3時間ちょっとでイポーに到着。

バスターミナルで待っていてくれた郭さんに拾ってもらい、まずはランチへ向かう。イポー名物もやしチキンの店は大行列だったので、広東の焼肉系に切り替える。これがまた美味いんだ。豚、鴨、鶏、全てに満足できる味だった。こういうのが簡単に食べられるのはさすが食の街、イポーということだろう。ご馳走してもらった郭さんには感謝しかない。

午後は郭さんのオフィスへ行き、古い六堡茶を頂きながら、六堡茶と北タイの繋がり、その歴史について、こちらが最近調べた内容を披露しながら、12年前香港で手に入れた資料のコピーを手渡した。北タイの茶葉(原料)が香港で加工され、マレーシアにやってきたのだろうか。更にはタイから直接やってきた茶葉はあっただろうか。実に興味深いテーマでの意見交換だった。

ただ今日の郭さんは少しそわそわしていた。実は2週間後に中国広西から六堡茶代表団がイポーにやってきて、大規模な交流会があるというのだ。中国のことだから急に決まったのだろう、郭さんはその準備に奔走しており、夕方車に乗ってその会場のチェックに出掛けた。私も宿まで送ってもらうついでに同行した。

イポーの中心街に立派なホテルがあった。そこが会場であり、中国から数十人が来るので、その会場と宿泊準備は大規模だ。ホテルの女性マネージャーはいくつもの言語で話し、作業をどんどん進めて行く。そのテキパキさは、さすがマレーシア華人。イポーにも団体が来てイベントを開催することも結構あるのだろう。

予約した宿まで送ってもらい、郭さんと別れた。次はいつ会えるだろうか。宿はキレいでよかった。コンセントの問題もなかった。夕日がきれいに見えていたのだが、いざ夕飯に出ようとしたら、なんと激しい雨が降り出した。宿の1階にはコンビニが併設されていたので、そこで何か買おうと思ったが、サンドイッチやおにぎりは置かれておらず、カップ麺しかなかった。美食の街イポー、何だか急に寂しい夜となる。

11月23日(土)イポーからタイピンへ

翌朝はすっきり晴れていた。この宿は駅に近いという理由で泊ったのであり、周囲の土地勘はなかった。ネット検索すると歩いて数分のところに飲茶屋があるようだったので、歩いてみる。その付近は以前何度か歩いたこともあり、六堡茶の茶荘も訪ねたことがあったが、今日は週末でオーナーは不在だった。

マレーシア茶及び食の旅(1)困難続きのKL

《マレーシア茶及び食の旅》  2024年11月21日‐11月26日

チェンマイ滞在も僅かになった。行っておきたいところへ行くべきと思い、選んだのはマレーシア。六堡茶の謎を少しずつ考えていきたい。合わせて今回から食の要素を大幅に取り入れていきたいと思い、タイピンを目指す。

11月21日(木)KLの困難

朝車を呼んで空港へ向かう。運転手は英語が出来たので会話する。「先月家族でKLに行った」と言い、「来年は頑張って働いて家族を大阪に連れていきたい」と語る。私が「ペナンもいいよね」というと、「ペナンはプーケットと同じなので、タイ人は興味を持たない」ときっぱり。なるほど。

KLまでの直行便は約3時間。ウトウトしている内に到着する。マレーシア入国には事前にネットで入国カードの記入が必要となっており、それをしておけば日本人は自動ゲートから簡単に出られると聞いていたので、楽ちんと思っていたら、何と私のパスポートははねられてしまう。

係員に聞いても、「ダメなら列に並べ」と言われてしまい、いつもの長蛇の列に加わり、1時間弱かかって、入国する。何とも不思議なのは、機械には撥ねられてしまうのに、有人の入国審査の機械はちゃんと通過すること。それにしてもここで自動ゲートが通過できるかどうかは時間的にも精神的にも大きい。まずはシムカードを購入して気持ちを整える。

KLの空港内は広い。バス乗り場までの距離は相当に長い。ようやくたどり着いたが、チケット売場は1つしか開いておらず、長蛇の列。横を見ると自販機が数台並んでいるが、私は諸般の事情でクレジットカードを保持していないので、そこでは買えないようだ。係員にそれを伝えると、「窓口もキャッシュレス」というではないか。ではどうするんだ。何と係員は手作業でチケットを打ち出し、手数料を取って現金を受け取った。何だこりゃ。

バスに乗る際、今日の宿を思い出した。なぜか電話しろ、とメッセージが来ている。電話すると英語は通じたが、意味が分かり難い。先方もそう感じたようで、しきりにWhatsAppと言っている。私は普段このアプリを使わないので、分からないと答えて電話を切った。何となく面倒な予感がする。

バスは快適。途中でスマホを見ると、何と宿からWhatsAppにメッセージが来ていた。どうやって探したんだろうか。どうやらこの宿は普通のホテルではなく民泊。フロントはなく、何らかの方法で鍵を開けるのだが、その前に1泊分の保証金200リンギの入金が必要だという。

クレカがあれば簡単だったかもしれないが、それもなく、他は主にマレー人向け入金手段だったため、バスの中で窮してしまう。先方も一応外国人対応で保証金を取りに行く、と言ってくれたが、なんと翌日は11時にしか返しに行けないと言われ、万事休す。まさかの予約キャンセル、しかも返金不可。今後はホテル予約も慎重にしなければ損をする。

1時間でKLセントラル駅に着いたが、まずは明日のイポー行き列車のチケットを買わなければならない。駅で何とか売場を見付けたのだが、何と「明日午前は売り切れ」とつれない返事が来た。今日はとことんついていない。駅構内にあるバスターミナルへ移動して聞いてみると、午前は9時過ぎの一本しかないというので、そのチケットを購入。

さて宿が無い。ネットで探して近所のホテルを予約して向かうが、今日の今日で予約できるホテルの質は?既に午後4時を過ぎていたが、すぐにはチェックインできず。おまけに荷物の預かりも断られる。まあ仕方がない。近所で食事を探していたら、焼き豚が釣り下がっていたのでそこで食べる。12リンギ、まあまあ。夜もちょっと外へ出ようかと考えていたが、そこへ大雨が降ってきて出られない。諦めて部屋でネットを見て過ごす。今日は一体どんな日なんだ。

チェンマイ滞在記2024その7(3)体力の衰え、生きる意味

11月18日(月)コピー

先日Sちゃんに資料を貸したら、彼女はコピー屋を探してサクッとコピーしていたので、私も1冊コピーしようと、近所のコピー屋を探した。歩いていけるギリギリの場所に1か所発見したので、早々に歩いて行ってみる。お店が連なっているところではなく、ポツンとあったのでちょっと驚く。

中に入ると、ちゃんと英語も通じ、料金表なども貼られていた。Sちゃんはカラーコピーしたので、相当高かったらしいが、私は白黒でよいので、料金はそれ程高くはなく、お願いした。それにしてもこのペーパーレスの時代に、大量のコピーを請け負っているこのお店、一体何をコピーしているのだろうか。

コピーするのに時間がかかるので、一旦店を離れ、昼ご飯はニーマンの和食屋さんで済ませる。それから宿へ戻り、疲れを癒し、またその店まで歩いて行く。最近は歩くスピードもゆっくりとなり、Google Mapの表示通りの時間がかかる。体の劣化はかなり激しいと自覚している。

午後4時に無事コピーを受け取り、そのままMayaへ歩いて行く。長距離を歩いただけで、なぜか腹だけは減る。こういう時は体から危険信号が出ている証拠だ。八番らーめんで、早めの夕食として優しい麺を食べるのが一番固い。モール内の店ではすでにクリスマス飾りが始まっている。チェンマイ滞在も既に3カ月超。そろそろ本格的な疲れが見えてきていた。

11月19日(火)ガチ中華2

先日壊れたスーツケースの修理に失敗していた。そろそろ帰国のことを考えなければならない。もう新しいのを買うしかない。そう思って昨日Mayaを歩いていると、旅行鞄を売る店が、セールをしていたので、ちょっと見てサイズを確認しておいた。プラプラとMayaの方へ歩いて行くと、先日食べた四川料理屋の看板が目に入る。

辛い物が欲しくなる時は、体の危険信号と理解しているが、何となく店へ行ってしまった。辛い物を敢えて避けて、トマト卵麵を注文する。麺はツルツルしており、スルスルと喉を通過する。トマトと卵が辛い訳がない。大盛りサイズなので食べ過ぎ感はあるが、大変満足な一品だった。この店はフルーツ取り放題なので、スイカも一杯食べる。

Mayaへ行くと、昨日話を聞いたおじさんが待っていた。早々に選んでおいた超軽量級の大型バッグを購入する。おじさんは他にもいいのがあるよ、と言っていたが、そこは完全に無視。ただいざ会計しようとすると「会計係がいないのでちょっと待って」と言いながら、色々と商品説明をしてくれる。これまでタイでこんな対応を受けたことが無い。というか、このおじさんは英語が出来たから理解できただけなのだろうか。

ケースを引っ張って宿まで持ち帰る。午後はこれから行くマレーシアの六堡茶に関する資料を少し読んで、論点をまとめていく。だがどうしても所々抜けが発生してしまい、きちんと輪郭を掴むことが出来ない。これもまた老化の一環なのだろうか。以前はすっきりしていた頭が何となくぼやけてしまい、何を考えてもクリアーにまとまらず、同時にひらめきも起こらない。

これはもう妄想茶旅の終焉を意味するのだろうか。これからの旅、そして執筆はかなり苦しいものとなって行くだろうが、果たして耐えられるのか。いや耐える必要はなく、出来なければ辞めればいいという選択肢が残されているのだが、生きていく意味がどこにあるのかを少し考えなければならない。