チェンマイ滞在記2024その7(2)アカ族のタンブンで

日本語先生一家はこれから予約したコムローイ会場へ行くのだと言い、大型タクシーを呼んだが、予約できてもすぐにキャンセルされてしまい、何度か繰り返していた(もっといい条件のオファーがあればすぐに乗り換えるらしい)。この時期は、車を捕まえるのは本当に大変、まるでバンコクのようだ。車を待っているとAさんが呼んだバイクがサッと来て、彼女はサッと移動していく。格好いい。私はテクテク歩いて帰る。

11月17日(日)アカ族の村へ

朝突然昨日のHさんから「今日の昼、アカ族村でタンブンがある」とのお知らせが来た。え、どうしてその情報、昨日会った時に言わないの、などという野暮は言わない。早々にアカ族村に興味を持ったAさんにも連絡して、村へ向かうこととした。ところが、ロイカトーンの真っ最中で、ただでさえ車がひっ迫する中、チェンマイ郊外の村まで行ってくれる車は全然見付からない。

取り敢えずAさんが我が宿までバイタクでやってきて対策を練るが、埒が明かない。Hさんに連絡すると「メージョーまで来てくれれば迎えに行く」と言ってくれた。メージョーは大きな道路沿いになるので、Boltで何とか車を捕まえることに成功した。この作業に1時間以上を費やした。

何とかHさんと落ち合い、懐かしい村へ向かった。村の一つの家へ行くと、かなり大がかりに食事の準備が進んでいる。Hさんと入っていくとH夫人に「準備を手伝わないなら邪魔だから出て行って」と怒られてしまう。だがAさんはその合間を縫って、しれっと準備作業に加わっている。さすが料理研究家。いや、普通の料理研究家はここまでするだろうか。実地研修で積み上げたAさんの料理は一味違うことを私は知っている。

1時間ぐらいフラフラしていると料理が完成する。同時に牧師さんが教会の日曜ミサから移動してきて、この家でまた説教をしている。更にはなぜか歌を歌い始める。歌って踊れる牧師さん、凄い。確か彼とは昨年中国語で会話して記憶もあるが、今日は忙しいので話す時間はなかった。ところで今日は一体何の会なのだろうか。ロイカトーンとは関係ないと思うのだが。

食事は前回より辛くなかった。それは今日の料理の主担当がH夫人だったから、敢えて我々のために辛さを抑えてくれたのだという。何とも有難いことだ。豚肉野菜炒め、スープ、ラープと生野菜、もち米と共に食べると、どんどん食べられてしまう。少し食べるとまた料理が追加され、満腹になっても止まない。

帰りはHさんがチェンマイまで送ってくれた。途中で急にAさんが「モンスーンカフェに行きたい」というので、3人で立ち寄った。冷たいお茶と温かいお茶を2つ頼んで3人で十分に飲めるのは有難い。オーナーのケネスがちょうどやってきたので、ここ2週間の北タイ茶旅の成果を報告、彼から貴重な情報を得ることも出来た。

因みにこのカフェの反対にピン川が流れており、昨晩はそこで大勢が集まって灯篭流しを眺めていたらしい。突然お酒も入り、ケネスは眠そうな目をこすっていたが、今日もまたあるのだろうか。そういえばHさんも昨晩コムローイ祭り会場に足を運び、格安で入場して写真を撮りまくったという。車など足のない私にはどうすることも出来ない。まあ行きたいという願望も沸かない。

チェンマイ滞在記2024その7(1)ロイカトーンのチェンマイ

《チェンマイ滞在記2024(7)》  2024年11月15日‐20日 11月27日‐12月7日

11月15日(金)日本語が聞こえる街

茶旅ツアーから戻り、かなり疲れたので休養が必要だったが、朝からパンを買い、食事に出なければならない。家々には提灯が下がっていて、ロイカトーンという感じにはなっている。昨晩手の怪我のため、薬局に行った時に気づいたのだが、我が宿の路地付近を歩く親子連れ、若いカップル、普段は全く聞こえない日本語があちこちで聞こえて驚いた。

ロイカトーンの時だけ、日本人がチェンマイに来るということが分かる。1年に1度、この3日ほどの間だけ、同胞が沢山いるという、何とも不思議な光景だった。結構な料金を払って旅行会社に依頼して、コムローイ(天燈/ランタン)フェスティバルに参加する人々。チェンマイには勿論色々と魅力があると思うのだが、これは日本人の習性をうまく利用した旅行会社の策略なのだろうか。

昼ご飯は鶏麺を食べた。やっぱり鶏肉が柔らかくてうまい。何だか激闘の旅の疲れを癒すにはもってこいの麺だった。午後はSちゃんの連絡を待っていた。彼女に貴重な資料を渡しており、コピーして返してくれることになっていたが、こんな日にちゃんとコピーできるのか、そしてそれを返しに来られるのかちょっと心配した。

彼女はバイタクに乗って悠々と戻ってきた。すごい、さすが探検部。お腹が空いているというので、そのまま近所のタイ料理屋へ行き、夕飯を取る。ここのチャーハンもスープも美味しいと言って食べていたが、実は彼女は中国人なので、「これは中国料理じゃないの?」と当然すぎるリアクションだった。全くタイ料理と言われているものの多くは、中国由来と考えていいのではないか。

その後彼女はターペー門の方へ歩き出したので、付いて行った。お堀のあたりまで来ると、花火が上がり、かなりの人が出ていた。若者が多く、自ら花火を上げているので、ちょっと怖い。何だか10数年前の危険な北京、花火が飛び交う元宵節を思い出す。お坊さんも一緒に堀を眺めていたが、とても平和な光景ではない。そこで彼女とは別れ、宿へ帰った。私はどうも祭りというものに乗り切れない。この日の夜はさすがに若者が夜中まで騒いでいた。

11月16日(土)ロイカトーンのお客

Hさんから連絡が来た。お昼にロイカトーンでチェンマイに旅行に来た日本人の会食があるという。場所はニーマンだというので、出掛けることにした。ちょうど茶旅を一緒にしたAさんをH夫妻に紹介したいと思っていたので、Aさんも誘ってみる。宿から歩いて10分ちょっとでそのレストランに着いた。

そこは庭もあり、感じの良い場所。外国人客も多い。今日に限っては日本語も結構聞こえる。かなり込み合う中、H夫妻は席を14も押さえてくれていた。何とも有難い。メンバーはバンコクから来たSさん(先日チェンマイで知り合った)と奥さん(カレン族)、子供二人、そして日本語の先生をしている男性と日本から来たそのご家族計六人となっていた。

ここの名物はカレーだという。ビルマカレーと書かれていてコクがある。他の料理もまあ美味しく、しかもそれほど高くはない。日本語先生のお父さん、鹿児島から来たというが、我々と親しく話をしてくれ、楽しい。しかも気が付かない内にこの食事会の支払いまでしてくれた。息子がいるタイに来るのが何よりの楽しみのようだ。

北タイ茶旅2024その2(3)茶畑で転倒する

11月14日(木)茶畑で

朝はすっきりと目覚めた。Aさんは毎日朝5時に太極拳をやっていると言い、Sちゃんは早々に散歩に出たらしい。私もちょっと散歩してから朝ご飯にする。ご飯を食べているとオーナーが来たので「茶畑見学は可能か」と聞くと、連れて行くと言ってくれた。これまで約18年の付き合いになるが、いつも忙しい彼とはそれほど接触はなかった。今回はメーサロン茶業に昔話をしてくれた。息子たちが成長して少し余裕が出来たようだ。

彼らの茶畑に行くのは10年ぶりだった。だいぶ広くなったように思う。品種も増えている。急斜面のところもあり、茶摘みは大変ではないか。もう少し行くとアカ族が茶摘みをしていた。なかなかいい風景が広がっている、と喜んでいたその瞬間、私は足を滑らせて転倒してしまった。雨に濡れた茶畑、靴底に泥が溜まったいせいだろうか。

一瞬のことで何が行ったかは分からなかったが、すごい勢いで登り坂に叩きつけられた感じだった。ただ起き上がることは出来たし、眼鏡も壊れておらず、額を少し擦りむいた程度だった。いや左手を地面に着いた際、かなり皮がむけ、そこから血が見えていた。オーナーは応急処置が必要だと言い、すぐ宿に戻った。自ら治療してくれたが、さすが若い頃は軍人さんだ。

ここでオーナーと別れてマーケットで買い物、そして歴史を学ぶために泰北義民文史館にちょっと寄ってメーサロンを後にした。それから山を降りていき、昼過ぎにチェンライの街に入った。チェンライでランチを食べたいというのが、Aさんの希望だったので、その食堂を探したが、なかなか見つからず、暑い中をちょっと歩いた。

そこで麺を食べた。ただ名物の豚血湯は既に売り切れており、残念だった。それでも麺が緑豆で作られた特殊麺だったので、ちょっと珍しかった。この店は創業50年近くになるようで、ほんのちょっと漢字表記が見られ、華人経営だろうと想像できた。昼過ぎでお客はいなかった。次回は朝来ることにしよう。

そこからスイルンの店を探した。2週前メイラオの茶工場を訪問したが、今回はAさんがお茶を買いたいというので、市内の店を訪ねた。2階に上がると、何とジャルワン社長のお母さんがいた。初めて会ったが、気さくな人だった。ジャルワンもオフィスにいて出てきてくれた。玄米茶のティーバッグを買って帰る。

午後ちょっとだけシンハパークに寄った。ここは過去2度訪ねたことがあるが、久しぶりに来て見るとかなり変わっていた。茶畑は減ったように見える。観光客はかなりいて、カフェでお茶を飲んでいる人が多かった。日泰合弁の茶工場も健在で、今も煎茶を作っているようだった。

約2時間走り、メーカチャンで前回会った曽老人を訪ねた。突然行ったが、老人は店にいて、歓迎してくれた。息子がお茶を淹れてくれたが、私はもう曽さんに確認したいことを聞き出すのに専念した。やはり1960年代、北タイではプーアル荒茶が作られており、バンコクで加工もされていたようだ。これを聞ければ今日は御の字。

Aさんはもち米を入れる籠を買いたいと言っていたが、街道沿いにそれらしい店が見えても、ドームは全く止まる気配がない。彼はとにかく早くチェンマイに帰りたいようだったが、Aさんも引かずに車を止めさせ、走って少し戻り、籠を探していた。なかなかいい物は見付からない。

チェンマイが近づくと渋滞が始まった。普通は渋滞などないチェンマイだが、明日と明後日ロイカトーン、年に一度の大きなお祭りなので、既に前夜祭的な人の動きが見えられた。Sちゃんのホテルに寄り、次に私は自分の宿で降りた。渋滞は続いており、いつもより30分以上時間がかかった。更にAさんの宿に辿り着くまで1時間かかったらしい。

今回は2泊3日、ちょっと時間的にきつかったが、いい旅だった。と思ったが、部屋でシャワーを浴びようとすると、何と頭が切れており、血で髪の毛が固まっていた。どうやら茶畑で倒れた際、頭を打ち、本人は平気だと思っていたが、実は頭がふらついていたようだ。今年2回目の死に損ない、まだ生きていてよいということか。

北タイ茶旅2024その2(2)ドイプーメンからメーサロンへ

夕飯は前回同様ラフ族の茶葉料理が中心。向こうにはフランスのお茶好きさんツアーがテースティングなどしており、オーナーのヨックが付き添っている。明日の朝はこのツアーと一緒に古茶樹を求めて山登りらしい。フランスのお茶好きもかなり気合が入っている。この宿で売っていた茶葉もいくつが売り切れていて買えなかった。食後は暗い中、ちょっと散歩に出たがすぐに引き返した。

11月13日(水)ドイプーメン、メーサロンで

朝起きて少しだけ散歩した。既に11月、前回よりも涼しくなっていた。Sちゃんも散歩していたようで、途中ですれ違った。それから朝ご飯の粥を食べていたが、Aさんは姿を現さない。何とまた別の朝市に行き、嫌いな犬を避けるため、かなり苦労していたらしい。料理の道を究めるのも険しい。

今回はすぐにドイプーメンを目指して山道を上がっていく。途中で大木が倒れたらしく、道が一部塞がっていたが、なんとか車が通れる幅を確保して、通り過ぎた。恐らくは9₋10月の雨の影響だろう。やはり山路は何があるか分からない。それでもさほど遅れずに村には到着した。

これまで何度かここへ来たが、今回訪ねた家はこれまでと違っていた。料理研究家が料理を見たいと言ったので、料理上手な女性の家になったのかもしれない。既に準備が始まっており、早々Aさんはその作業に加わった。我々はタマダーの茶をすすりながら、ダラダラしている。

するとSちゃんも活発に動き出した。何と彼女は大学時代に探検部に入っていたそうで、実は海外の秘境などへも足を踏み入れていたという。とすれば、ここは彼女にとっては願ってもない土地だ。生き生きと出歩き、写真を撮り始めた。Sちゃんのイメージが一変した瞬間だ。これではお父さん(知り合い)も心配するわけだ。

そして前回同様ドームの兄が住む場所へ登っていく。私はもう慣れたのだが、番犬が4匹ものすごい勢いで駆け下りてきて、犬嫌いのAさんを震え上がらせた。お茶を飲みながらプーアル茶などを見て過ごしたが、何と彼ら夫妻はもうすぐにビエンチャンに働きに行き、2₋3年は留守にするという。これはちょっと残念なお知らせだが、ビエンチャンに会いに行こう。

ランチのために先ほどの家に戻ると全てが出来上がり、帰りを待っていた。相変わらず美味しいご飯を食べて、満足。食後の運動として?茶摘みを少しして、鍋で炒青、ござの上で揉捻して、製茶体験も行った。茶畑の写真を撮りに行くと、フランス人団体が大勢歩いてくる。本当にフランス人はここが好きだな。

ドイプーメンを離れ、メーサロンへ向かう。今回はミアン村には行かないので、時間が余る。Sちゃんがお寺へ行きたいというと、ドームは自分の知っている寺に連れて行く。ちょっとした山の上で、向こう側に川を挟んでミャンマーが見える。その昔国民党の人々は山越えして、この付近からタイに入ったと聞く。お寺はかなり立派で見学に時間を要する。

日が傾き始めた頃、メーサロンの手前まで来るとAさんがカフェでコーヒーを飲みたいという。こんな国境沿いでカフェなんて、と思っていたが、検索するとちゃんと出てくる。しかもそのカフェが意外としゃれていて驚く。料金は高くないので、何とも有難い。ここでしばしまったり。

日暮れが迫る頃、メーサロンの宿に着いた。ここは定宿なので勝手は分かっている。夕飯を食べようと食堂へ行くと、オーナー夫妻が現れ、旧交を温めた。更には初めて会う長男、次男も来ており、今晩は一家の集まりのようだった。烏骨鶏のスープやシイタケなどを美味しく頂く。

オーナーに明日茶工場を見せてとお願いすると何と「明日製茶はないが、今やっているので行こう」と言われ、突然車で工場へ向かった。実に久しぶりに製茶現場に遭遇してワクワク。Aさんは、このお茶屋をインスタでフォローしていると言い、大喜びだった。工場で試飲するお茶はまた格別だった。

北タイ茶旅2024その2(1)メーテンからファーンへ

11月12日(火)ファーンまで2

朝8時、車は出発した。Aさん、Sちゃんをそれぞれピックアップ。朝ご飯は前回同様のネイトマーケット付近かと思っていたら、突然車は郊外に出ていく。メーリム付近まで来て、一軒の食堂へ入る。そこにも美味しいジョークがあった。料理研究家のAさん、早々に興味を示して作り方を眺めている。オーナーは華人で、作り方はかなり丁寧だった。

前回はなぜか行かなかったメーテン。今回はドームに言って無理やり連れて行ってもらう。一体どんな所か、確認したかったというだけなのだが、興味津々。車は山道に入るが、意外と開けていた。それほど標高の高い所へは行かない。観光客向けの象のキャンプなどの施設が見える。

かなり奥へ入ると、何となく既視感のある風景が見えてくる。自転車に乗った白人とそのガイドが見えたが、確か10年ほど前に私も自転車に乗って茶畑へいった記憶がある。そうこうしている内に着いたのがアクサラという施設。この名前で思い出した。私は10年前確かにここへ来ている。

その時はリス族の村に泊まり、お茶ツアーに参加したのだが、そのリスロッジからアクサラガーデンまでやってきた。途中までは自転車を漕いだ。その後はトラックの荷台に自転車と共に乗り、自然の中を行く、如何にも白人が好みそうなアクテビティだった。更に茶園で茶摘みから製茶体験、最後はお茶を飲み、お菓子を食べたとという記憶がある。

今そこに建つと、建物はかなりきれいになり、茶畑は後方に押し下げられ、食事やティーを楽しむ空間、そしてお茶を買う売店が充実していた。我々もそこでお茶を飲んでみた。すると先ほどの白人2人を先導してきたガイドが見えた。何だか見覚えがあると思い、10年前の写真を取り出すと、何とあの時のガイドではないか。

思わず彼に声を掛けると、勿論彼は私を覚えてはいなかったが、突然「上を向いて歩こう」を日本語で歌ってくれ、再会を喜んだ。名前を聞くとチャーリーと答えており、それで思い出した。全く変わっていない、楽しいおじさんだった。今度機会があれば、また茶園に来てお世話になろう。

そこから2週間前も行ったチェンダオのラミンエステートへ向かった。ここで風景を眺めてから、あの豚足屋でランチと思っていたのだが、ドームは「それでは道順が逆だから行けない」と拒む。仕方なく、この標高1000m越えの山で普通のパッタイなどを食べてみることになる。

ラミンを後にして、山を下り、一路ファーンを目指した。前回は温泉・洞窟・テーマパークに寄り道したが、それはもういい。代わりにAさんが市場に寄りたい、というので、2時間ほど走って、モン族の市場を見付けて見学する。Aさんはタイ料理研究家だから、当然タイ野菜やスパイスなどに極めて詳しい。

中にはほうずきを売っており、これは美味しいと言って買っている。私は浅草ほうずき市以外でこれを見た記憶がなく、まさか食べるなんて考えもしなかった。因みに後で知り合いに聞いたら、中国の大連などでもほうずきを食べているという。どこか原産地なのだろうか、ちょっと気になる。

更にファーンの街に入ったところで、車を止めてまた市場に入る。ここは規模が大きく、迷子になる。Aさんと歩いていると、野菜の料理法などを教えてくれ、タイ語が読めない私にも興味が持てるような話をしてくれるので、市場が楽しくなる。こういう散歩はとても為になる。

ファーンの宿に着いたのは結局、夕日が落ちる午後5時半頃だった。少し休んでから食事を食べようと降りていくと、食堂に何かが置かれている。恐らくフランス人団体のために用意されたソムタムセット、自分たちで作るための材料だった。これを私は専門家Aさんにお願いして作ってもらった。何気なくトントンしていたように見えたAさんのソムタム。これまで食べたことが無いような美味しさで本当に驚いた。さすが料理人。

チェンマイ滞在記2024その6(5)チェンマイのガチ中華

外に何とか席を確保していつものクイッティアオを注文したが、既に太麺は売り切れていると言われた。仕方なく細麺をお願いしたのだが、出てきた碗の中を見ると、ところどころに太麺が混ざっている。取り敢えず残っていた太麺を全部入れたな、という感じが何とも良い。これが日本なら、こんな中途半端はしないだろう。

夜も近所で済ませることにした。麺ばかり食べても何なので、と何とガパオライスを注文する。なぜ日本人はガパオライスが好きなのか、なぜ日本ではあんなに高いのか、と思う一品である。この店のガパオもその辺よりは少し高いが、それでも70バーツだ。日本の800円とはかなり違う。

11月9日(土)ガチ中華

何だか天気もイマイチで気分がさえない。もうすぐ第2回茶旅があるので、元気を出さねばならない。やはり気分を変えるには食事しかない。晴れていたので、少し歩いて行くと、中国料理の店が大型コンドの中にあるのを思い出した。一度も入ったことのない四川料理屋。中に入ると、何と全てが華語である。客はほぼ中国人で、スタッフもタイ華人だろうか。オーナーは四川人だと言っている。

久しぶりに回鍋肉を食べる。特に辛くはない、分厚い肉が入っていてご飯がすすむ。オーナー夫人と話していたら、日本人だと分かり、向こうがかなり驚いていた。そして宣伝宜しく、と如何にも中国人らしい対応が何となく好ましい。次回は何を食べようか。

恐らくチェンマイには数千人の中国人が暮らしているだろうから、所謂ガチ中華の店は沢山あるはずだが、私の眼にはなかなか入らない。確かにチェンマイに来て中国人と付き合おうと思ったこともないし、出会いもあまりない。ちょっと生活をリフレッシュするには、他国のお友達を作る必要もあるかもしれない。

11月11日(月)Aさん、Sちゃん登場

今日は11月11日。中国ではビックセールの日として有名だが、何だかあまり盛り上がってはいないらしい。まあ私にはあまり関係ないが。昼ごはんはいつものお弁当を頂き、テンションを上げていく。そして明日からの茶旅に参加する二人がチェンマイに到着したとの連絡があった。

Sちゃんはお知り合いの娘さん。高校生の頃に一度、そして今年久しぶりに京都で会っただけである。お茶好きということで誘ったところ、一人でやってきた。昼ごはんでもと思っていたが、一人で街歩きがしたい、ということで、放置した。若者の考えはよく分からないので、言うとおりするのが良い。

もう一人のタイ料理研究家Aさんは、何度もチェンマイに来ており、こちらも問題ない。午後は打ち合わせがあるとのことで、夕飯を3人で食べることにした。ちょっと早めにソンテウに乗り、ワーロット市場方面へ行く。1か月半前の洪水の時ほどではないがピン川の水位それなりに高い。周囲のお寺などをフラフラしていると、洪水の時に比べると観光客はかなり多い。

Aさんが予約してくれた店は6時で完全満席だった。チェンマイでは珍しい海鮮系ということもあるのだろう。場所が良いこともあるだろう。Aさんはここのシェフにほれ込み、料理研修を受けているらしい。確かに出てきた料理はいつものチェンマイとは全く異なり、味付けがいい。何だか久しぶりに2人以上で食べたので、更に美味しく感じられたかもしれない。

Sちゃんは若いのでナイトマーケットをちょっと見てから帰ると言い、結局ニーマンの宿まで歩いて帰ったらしい。Aさんと私は車を呼んで帰る。この年代も興味もバラバラの3人の旅、一体どうなるのだろうか。ちょっと楽しみ。

チェンマイ滞在記2024その6(4)疲れが溜まって

11月2日(土)チェンマイ食のはしご

何とか茶旅を終えて、ちょっとホッとしていた。朝起きると道路が濡れていたので雨が降ったのが分かった。パンを買い、久しぶりの場所でカオマンガイを食べた。ボーっとしているとMさんから連絡が入る。他の2人は昼のフライトでハノイへ行ってしまい、Mさんだけが残っていた。ガイヤーンが食べたいというので、有名な食堂で待ち合わせた。

ガイヤーンを食べながら話しをしている内に、やはりカオソイも食べたいということになり、Boltで川向うまで走った。昼過ぎだがお客は多かったが、何とか席があり、カオソイにありついた。現在のオーナーが名物だ、というので、フライドパンプキンも頼んだ。甘いおやつだな。Mさんのお宿は旧市街地の立派なホテルに移動しており、そこまで車で送って別れた。Boltの使い方が分かれば、買い物などに私は不要だろう。これで茶旅第1弾の責務は終了した。

11月4日(月)スーツケースの修理は

日曜日はゆっくりとお休みした。やはり疲れはかなり出ていた。今日は何かしなければ、と思い立ち、懸案だったスーツケースの修理に行くことにした。ネット上で簡単に修理が出来ると書かれていたので、取り敢えず持ち込んでみた。場所は空港のすぐ近くで、Boltを読んで100バーツ程度で行けた。

何とかその店を見付けて、スーツケースの壊れた部分を見せると、その瞬間『ああ、これは簡単に直らないね。部品もないからバンコクまで送って2₋3週間かかるが、それでも直らないと言われかねない』という厳しい評価が下ってしまった。仕方なく、また車を呼んで宿へケースを持ってすごすごと引き返す。これは意外と無駄な出費となる。

何となく腹立たしい気分になってしまい、昼めしをがっつり食べたい欲求にかられた。こんな時はダンバウだと、いつもの店に行き大盛りを注文して、がつがつ食べて気を紛らわせた。こんな感じになるのは久しぶりだった。これもやはり疲れのせいだろうか。午後はゆっくり休んで早く寝る。

11月5日(火)やることは溜まるが

チェンマイ滞在も3カ月が過ぎようとしている。既に色々と茶旅もしたし、人から話も聞いていたのだが、何故か纏めようという気力が起こらない。最近は疲れを感じるケースも多く、折角乾季になり、雨の心配も無くなったのに、自分で洗濯する以外は、イマイチ積極性も生まれない。

それでも何とか新規開拓をしようと思い、ネット検索で出てきた近所のムーピン屋を訪ねてみた。焼き豚は好きなので簡単に食べようと思ったが、結局カイダオのセットを注文してしまう。店はキレイだが、ニーマン付近なのに英語はあまり通じないのが不思議だ。料金はニーマン的で、量は多くない。

夕飯はあまり歩く気にならず、隣の食堂で食べた。ここは緊急時に食べる用にいつもはあまり行かない。チャーハンを頼んだのだが、何となくご飯が美味しくない。疲れが溜まっているせいか、最近ご飯が美味しいと思えない日もある。いくらチェンマイの環境が良いと言っても、3カ月もいれば、飽きてくるのだろうか。

11月7日(木)雨が降る

乾季に入って一安心と思っていたら、最近は雨が降る。気温も低く、タイ人は上着を着ている人が増えた。私はいまだ短パンだが、涼しいと感じることが多い。昨日からバミー、カオソイなど麺ばかり食べているのも涼しいからだろうか。今日の昼もまた麺の店に行く。ここは美味いからいつもお客が多い。

北タイ茶旅2024その1(5)ワーウイ、メイラオ

メーサロンを離れ、ワーウイに向かった。いつもと反対側から、全く通ったことのない道を1時間ほど行く。何だかとてもいい天気で、景色が良い。思ったより早めに宿に着いた。今晩の宿泊者は我々だけのようだ。アカ族だろうか、可愛らしい娘たちが荷物を運んでくれる。部屋は古いが、眺めは悪くない。何より人がいないので、静かだ。

食事前に少し散歩して、それから茶園を眺めながら、この宿と茶業について、メンバーに説明した。というのも、あるじの李さんは雲南へ行っていて不在なので、先週聞いた話をこちらか伝えるしかない。HHさんが持参したコーヒーを淹れてくれ、皆で飲みながら風に吹かれる。いい感じだ。

夕飯は先週来た時、既に注文済みだった。昨日に続き烏骨鶏スープを飲んだが、少し涼しい夜にはこれが何とも沁みる。豚足も旨い。野菜も新鮮だ。広い食事場所で我々だけしかいない中、無駄話に花が咲く。夜はとても静かで、早めに就寝した。やっぱり疲れが出たのだろうか。

11月1日(金)ワーウイ、メイラオ

朝は早く起きて、近所を散歩した。既に日は高く昇り、ちょっと暑さを感じるぐらいにいい天気だった。これだけ人がいない場所を歩くのは久しぶりかもしれない。宿と反対側にも茶畑を発見する。朝ご飯は昨日に続き、色々と出てきたので、ことごとく食べてしまう。メロンが美味しい。

食後オーナー夫人がプーアル茶を淹れてくれたが、これまで李さんとは歴史の話しばかりをしていたので、彼女の淹れるプーアル茶、とても新鮮だった。しかも貴重なお茶がいくつか出てきて、皆さん興味津々となる。プーアルにおける雲南と北タイの繋がり、更に考えてみる必要があるのかもしれない。

茶工場も見学する。先週も見たのだが、その付近にも一部古茶樹が残っていた。工場内でプーアル茶の包装が行われていた。1つずつ丁寧に包んでいる。古い製茶機械を象で運んだ話など、何度聞いてもこの地の大変さが分かる。もっと奥の方にはかなり古い茶樹もあるようなので、次回は訪ねてみたい。

そこから少し下るとワーウイの街がある。今回はそのモスクを訪ねてみた。予想以上に大きくて立派なモスクだった。ここは国民党の村、恐らく相当数の雲南回族が住んでいるのだろう。モスク前の道路は25年ほど前、台湾の支援で作られたとある。2000年前後から、国民党村と台湾の関係が新たな時代を迎え、そして回族の寄付などでモスクもきれいになっている。この村も発展方向にあるとは言い難いが、セブンイレブンも出来、高級中学もあることから、相応の街にはなっている。

そして山を降りていく。前回チェンライへ向かう時は、ドイチャーンの山越えを選択したが、今回も同じ道を行く。そしてなんと同じ場所で水が溢れていた。ランドクルーザーなので何とか通過した。結局2時間近くかかって、今回の最終目的地、メイラオにあるスイルンに到着する。

ここは4年前に一度Grabタクシーで来たことがあるが、あまり覚えていない。ちょうど昼時間で従業員は休憩中。工場は動いていなかった。店の方へ入るとジャルワンが迎えてくれ、早々に茶歴史の話が始まってしまった。その間、同行者3人はゆっくりとお茶を飲んでいたようだ。

その後皆でお茶を飲みながら話した。ここに来た理由、それは「回族」と私が何度説明しても、普通の日本人にはピンとこないので、実際にヒジャブを被った茶業者に会った方が良いと考えたからだった。回族の北タイにおける茶業については、なかなかその歴史が掴めないが、今後も地道にやっていくしかない。

この旅も終わり、チェンマイへ戻ることになった。この道は何度も通っているが、今回もまたドームが途中で温泉たまごを作り出し、皆に配っていた。結局3時間ほどでチェンマイ市内に帰り着き、各ホテルに送迎された。私と近所に泊った2人はニーマンのレストランでお疲れ様会をタイ料理で行い、全日程を終了した。

北タイ茶旅2024その1(4)メーサロンのワンプッタン

今晩の宿は芙蓉宮(ワンプッタン)にお願いした。ところが連絡を取っていた、知り合いユーピンの姿はない。知らないうちに結婚してバンコクに住んでいたとは。兄のナコーンを紹介され、チェックインした。部屋は茶畑に面した広々としており、かなりゆったり感がある。ただ既に日が暮れて、前が見えない。

急いで夕飯となった。この付近もキノコや新鮮な野菜などが名物。そして烏骨鶏スープは体に染みる。今日はもう腹一杯、と思っていたが、更にご飯が進んでしまう。食後はナコーンが茶を淹れながら、話をしてくれた。有機栽培の茶は、なかなか味わいがある。静岡で賞も取っている。彼のお父さんに話しを聞いたのはもう7年前だろうか。この地で烏龍茶生産を始めた最初の一人だった。軟枝烏龍で作る茶が面白い。白茶や東方美人にも目が行く。今夜は眠れるだろうか。

10月31日(木)メーサロンからワーウイへ

朝はすっきり目覚めた。お茶を淹れて、ベランダで飲んでみる。何だかとても澄んだ気持ちになれてよい。朝ご飯を食べに行くと、なんとも盛りだくさんで驚く。ドームはパンを焼き、カオトームと目玉焼きを頬張る。さすがに多過ぎるだろうとは思ったが、何とも嬉しい朝となる。

ナコーンの案内で、反対側に建てた施設と茶畑を見学する。急須のモニュメント、18年前私はあれを目指して茶畑見学をしたが、あれはワンプッタンが作ったものだった。その下に、今や、観光客向けのカフェ、インスタポイント、そして宿泊施設まで出来ており、観光客が集まる場所となっていた。

ナコーンはかなり詳細に茶畑の様子や製茶について説明してくれた。有機への取り組みなど、父親時代からの変化も面白い。育てやすい金萱より、軟枝烏龍を重視する対応、白茶への取り組みなど、気合が入っていると感じられる。カフェは飲みやすい飲料も販売しており、今後の発展が期待される。コテージのような部屋は、茶畑の中にある感じで、ベランダはいい感じになっており、思わず寝転がりたい気分になる。

そこからもう一度泊まっていた場所に戻り、買い物タイム。酸梅などが美味しいと皆が求めていく。そして芙蓉宮と別れて、ドームの車は少しわき道に入った。ここに35年住んでいる台湾人製茶師がいるというので、訪ねてみる。規模の大きな茶工場と自宅があった。蘆さんは35年前にここへきて、烏龍茶生産に関わった人物。特に101の人と結婚して、その生産に従事していたが、今は自分の茶工場を運営している。

何と彼は埔里の生まれで、父親は東邦紅茶に務めていたというから、急に身近に感じられた。今回は突然の訪問で、次の予定もあったのであまり話は聞けなかったが、次回はちゃんと聞き取りしたいと思う人だった。確か以前噂で聞いた人物が彼だったように思う。北タイ烏龍茶の有名人。

取り敢えず軽く昼ご飯を食べることにした。何しろ朝が多過ぎて腹は減っていない。適当に入った雲南食堂、私は巴巴絲を頂く。まあパッタイだな。この店の女性は普通に華語を話していたが、何と男性は日本語を話した。昔日本に留学して、バンコクでも日本人社長の下で働いていたという。しいたけ栽培と聞いたので、以前日本人が従事していた事業の一つだろうと思われる。その関係でこの地に来て、そのままここに居るらしい。

泰北義民文史館にも寄る。私は何度も来ているが、皆さんには一応ここの歴史を紹介するべきと思って訪ねた。華語で団体に向けに説明している。展示はかなり多いが、基礎知識が無いと、何を書いているか分からないだろうと思う。台湾側でもある程度調べているので、簡単なことは説明出来るようになった。おじさんがこちらにやってきて、蒋介石の本などを見せてくれる。日本人だというと驚かれる。

北タイ茶旅2024その1(3)ドイプーメンからドラーンへ

赤ラフの村から黒ラフの村へ移動。教会が見えてくる。少し上るとお茶を飲むスペースが見えた。その前には太陽光パネル。これで電気を賄おうという考えらしい。ところがドームの弟、ジョンがスイッチを入れても電気は来なかったので、お茶も出て来なかった。ここから見えるエリアで茶工場の拡張が行われている。ジョンはヤリ手の経営者だ。コーヒーとお茶の商いを広げていた。

更に上に登っていく。今回は彼らの一番上の兄にも会いたいとお願いしていた。かなり上った場所に大きな家があった。そこに長兄が住んでいた。彼は1970年代、台湾に留学し、何と鹿谷で2年烏龍茶製造の勉強をしたというから驚いた。既に亡くなった次兄も一緒だった。その後村へ帰り、茶作りに励んでいた。勿論華語も上手い。

2008年頃、台湾から来て1年に一度来て茶を作っていた師匠からプーアル茶の作り方を習って作ってみたこともある。包み紙には自分でブランド名を印刷したらしい。因みにその紙は何となく和紙に似ている。この地域、ヘロインを和紙で包んでいたとの記述を見たことがある。尚この付近は雨季に特に雨が多く湿度が高いため、プーアル茶の保存には適さないという。麓の方にプーアル用の倉庫が建てられているらしい。

今ではフランス人がホームステイし、ゲストの料理は彼が作っているという。次回は是非味わってみたいものだ。大きな犬が何匹も彼らを守っており、私は怖くて近づけない。先ほどの母屋まで戻ると、囲炉裏付近からいい匂いが漂ってくる。竹筒ご飯、焼き鳥、竹筒に入った豚肉、そして焼き芋など、どれも美味である。まあ、これを食べるためにわざわざ上ってきたようなものだ。

若者が自家製のコーヒーを淹れてくれる。それから皆で茶畑を見学し、茶摘みの写真を撮る。だがまた母屋に引き戻される。前回も会ったおじさんが、竹で籠を作る技術を見せてくれる。これらが全て茶ツアーに含まれているので、先方としては全てやらざるを得ないし、こちらも付き合わざるを得ない。まあ何となく楽しい時間ではある。

プーメンを越えて反対側へ車は走っているようだ。実にさわやかな午後だった。1時間半ほど走って、ようやく山間の村に着いた。ドイラーンというタイヤイの村で、ミャンマー国境に近かった。ずっと国境沿いを走ってきたらしい。タイヤイというのはシャン族のことで、大きな括りではここもタイ人系の村。ミャンマー側から渡ってきた人々が住んでいた。

もうこの村の雰囲気は完全にシャン州だった。人々の顔も更に日本人に近い。訪ねた茶の仲買人の家の奥さんなど、明るい日本人と言っても良い。23年前ミャンマー側から渡ってきて旦那と結婚したという。この家の納屋には茶葉が沢山詰まっていた。これを用途別に売り捌くのが仕事なのだろう。

旦那が近所の家に連れて行ってくれた。ミアンを作っているという。昨年でミアンは見飽きたが、覗いてみると、どうも様子が違う。この村で生葉を集めて、ちょっと蒸して、すぐにどこかへ販売してしまうらしい。これでは漬物茶ではない。勿論漬ける葉もあるようだが、どうやら行先はタークと聞こえた。

タークなら、ミアンに砂糖やココナッツを入れて食べるとも聞いたので、生葉状態でタークへ行き、そこで砂糖などを加えて漬けるのでは、と想像する。またそこからミャンマーへ売られるものあるだろうか。村を離れる際、ちょうど漬物樽に乗っている男性を見た。恐らくミアンを作っているのだ。各家で製造工程は異なるのかもしれない。

そこから車で約1時間、夕日が落ちて行く中、山路を行き、ドイメーサロンに入った。2年ぶりだろうか。ただいつもと反対の道から来たので途中までどこを走っているのかさえ、全く分からなかった。今日来た道が、メーサロン‐ファーンを繋ぐ道、その昔茶業者が茶葉を運んだ道だったのだろう。