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チェンマイ滞在記2023その2(3)3 バーンサッカーからパヤオのミアン

集落では、ルア族(自称はティン族?)の女性がミアンを小分けにしていた。ここでは今でも多くの家でミアン作りが行われているらしい。一台の車が止まり、若いタイ人女性がミアンを買っている。聞けばおばあちゃんへのお土産らしい。自分では酸っぱいから食べない、と舌を出す。

景色の良いカフェで昼ご飯を頂く。生葉のサラダが出て来る。食べやすい。主食は街でも食べられる普通の麺。山岳民族の食べ物が出て来るかと期待したが、今はどこでもそうなのだろう。下を見ると茶葉を買い付けに来た車が走っている。この道路の意味はこの村の歴史においてかなり大きい。

かなり下ったところに、車が沢山停まっている。中を見ると多くの若者で溢れている。そしてこのカフェから見る景色はまさに絶景。インスタ映えを求めてタイ人の若者が集まっている。ドリンクの料金もこの村としては高い設定だろう。観光にもかなり力を入れている。

運転手がアレンジしてくれた若者が待っていた。彼はホテルを運営しており、その中にはカフェもあった。そこで話を聞いたのだが、ミアンは700年ほど前、ルア族が既に作っていたという。その証拠として、寺の壁に描かれた絵にミアンを運ぶルア族が登場しているというのだが、果たしてこれはどうだろうか。これまで一度も山岳民族のミアンに出くわしておらず、ちょっと戸惑う。

ここではミアンよりは若者向けに生葉サラダとコーヒーを販売。健康茶として紅茶とファーン(シダの一種)をブレンドした茶も提供していた。コーヒーは数年前より自作を試みているが、当初は失敗も続き、かなり苦労しているらしい。それでも茶よりはコーヒー、というのが今の流れだろう。更にはコーヒーより(農業より)観光業かな、とも感じる。

もう一度山道を登り、標高1400mまでやってきた。ここにも10数年前に植えた茶樹があった。道路脇から林の中へ茶畑は続いている。かなりいい雰囲気の茶畑だが、どのような茶が作り出されるのだろうか。坂はかなり急であり、ちょっと下るだけでも足を滑らせそうだった。

夕方ブア郡に戻る。まだ陽があるうちに今日の宿に入った。郊外の新しくできたゲストハウス。運転手の家のすぐ近くで便利だからだろう。部屋の窓から田んぼが見える。今晩はお粥屋へ行く。お粥屋といってもまあ居酒屋だ。粥を食べながら好きなおかずを注文する。酒も飲めるが我々は昨晩のこともあり自重した。いや一人だけ自分で酒を持ち込んで輪を乱すアル中はいたが。ここの料理で面白かったのは、大きな火鍋に茶碗蒸しが入っていたこと。これは日本料理なのか。帰りがけにセブンに寄る。

10月17日(火)パヤオで

今日もまた爽やかに起き上がった。周囲は田んぼ、庭には花が咲いている。何とも言えない田舎な環境が素晴らしい。少し散歩してみたが、特に何もない。朝飯は麺を食べる。何とも普通な朝が良い。ここからパヤオ県バーンシーナパに移動する。元はバーンバーミアン(ミアンの森の村)という名前で如何にもミアンの産地だったが、現在では生葉はバーンサッカーから買ってくるらしい。ここもタイ人の村だった。

ミアンはその酸っぱさが重要であり、今回の東北3県ではほぼ塩を入れて酸っぱさを出していたが、ここでは別の葉っぱを混ぜて酸っぱさを出している。この村は10年ほど前、ロイヤルプロジェクトに指定され、茶業が一時盛り上がったが、今は下火となっていた。建設された茶工場は、今や企業の下請けとなっている。茶苗を扱う店も出来たらしいが、行ってみたら今年で廃業するという。

そこからバーンタムへ向かう。近所まで来たところでランチにまた麺を食べた。今回は汁なし麺にしてみる。少しは変化が必要だ。その先の市場へ寄ってみると、小分けのミアンが端の方に売られていた。もうこの辺でもミアンを口にする人は殆どいないのだろうか。そして村でミアンを作っている家を探す。ここは標高450mだが、既に村というより街に近く、集落という印象はない。ミアンを作っている家はもう2‐3軒しかない。

チェンマイ滞在記2023その2(3)2 プレー及びナーンのミアン

今回の車は最新型であり、後方座席は広く、4人でかなりゆったり快適。チェンマイからランパーンを抜けて約3時間、昼頃プレー県に到着した。まずは市内のお寺を参拝する。ワットチョームサワン、ここは前回私がプレーに来た時に気に入った場所。チーク材の見事な建築が良い。そして堂内も落ち着いた雰囲気で日本人にも馴染める。

昼ご飯は道路沿いで臓物麺を食べた。そこから40分ほど車で行くと、ナークハー村へやってきた。ここで食べるお茶ミアンを作っている農家を訪ねて話を聞く。もうあまり作っていないらしい。むしろその横のお寺と木造の橋が観光地となっており、日曜日ということもあってか、家族連れや友人同士のタイ人が沢山やってきていた。農産物もフルーツやコーヒーへと変わっていく。お寺の前に牛のモニュメントがあったのは、昔ミアンなどの産物を運んだ名残らしい。

そこから2時間ほど移動して、今晩はナーンに泊まることになった。どんな山中の宿に泊まるのかと思っていると、何とも大型で新しい、プールまで付いているホテルに案内されて驚く。しかも結構タイ人の泊り客がいる。部屋もきれいでバルコニーまで付いており、これで600バーツは安い。

夕飯はナーン川沿いにある屋台?で食べる。すでに暗くなった外で、川からの風が気持ちよく吹いている。特に名物というものはなく、普通のタイ料理を頂く。何となく川が見えないのはなぜ?雨季は洪水にでもなるのだろうか。早めに宿に戻り、ゆっくりとシャワーを浴びて寝る。

10月16日(月)ナーンで

朝はさわやかに起きた。6時半には起き上がり、バルコニーからプールを眺めているとどうしても外へ出たくなる。私の旅は歩きが基本なのだが、今回は車移動が基本なので足がむず痒い。取り敢えずGoogleで検索すると、どうやら城壁が残っているらしいので、そちらを目指してみる。

ナーンの城壁は思ったより立派に残っていた。最近修復したのだろうか。ちょうど朝日が昇ってきて、何となく嬉しい朝となる。その向こうにあったお寺に寄ると、何とも言えないいい雰囲気。タイの地方都市のこんな感じが好きだ。あまり漢字なども見られず、華人の雰囲気はない。

8時に集合してジョークを食べに行く予定だったが、なんとガイドのケンサンが体調不良となり、運転手が我々を案内してくれた。まあ簡単な朝ご飯を食べるぐらいなら、言葉が出来なくとも何とかなる。ジョーク、美味し。一度ホテルに戻り、ケンサンをピックアップして出発。

車は一路ブア郡へ向かう。車中ではミアンを取り上げた番組のビデオが流れ、何となく気分が高まる。1時間もかからずにブア郡に到着。早々にミアンの製造現場を発見して、見学する。ここは運転手の地元だそうで、何とも心強く、有難い。ポリバケツの容器に沢山のミアンが詰まっている。蓋の上には漬物石がちゃんと乗っており、蓋を開けてもらうと、発酵の様子が良く見えた。

それから運転手の実家へ行く。かなり広い敷地に車が何台も停まっている。ここで突然車を交換した。今まで乗っていた快適な車はドアが一部壊れたらしい。今度は普通のランドクルーザーとなり、後ろのメンバー3人にはちょっと狭い。そこから街の方へ向かい、道路脇の雑貨屋へ行くと、ちゃんとクーラーボックスに仕舞われたミアンが小分けで売られていた。この辺はまだ老人がミアンを食べているという。

そこから車は坂を上り始めた。40分ぐらいで標高約1000mまで登る。道路脇には茶樹が見られる。それを指しながら『アミン』と言っているのが気になる。ここは10数年前、道路が開通した後に茶樹を植えたらしい。実は山の中に入っていくと樹齢100年単位の茶樹が沢山あるらしい。確かに雰囲気からして、古い茶がありそうな山だ。

チェンマイ滞在記2023その2(3)1 カオソイを食べてMonsoon Cafeへ

《チェンマイ滞在記2023その4》  2023年10月11₋23日

今回は5日間に渡って行われたミアンツアーを中心に書いてみる。チェンマイ滞在のハイライト旅だったが、かなり疲れた。

10月11日(水)チェンマイに戻る

ハノイからチェンマイに戻った。ハノイ往復、これは本当にお手軽な海外旅だった。それでも意外と疲れてしまい、ゆっくり休む。ただ疲れていても腹は減る。そんな時に有り難いのは近所の食堂の存在。ここは安定の味で、いつでも開いているのがよい。その昔食べたピータンバジル炒めと牛肉チャーハンを頂く。何とも落ち着く瞬間が巡ってきた。

10月13日(金)Monsoon Caféへ

何だかMonsoon Cafeへ行くことになったのだが、その前にチェンマイカオソイの有名店が近くにあるので寄ってみた。そこまでBoltで行くと、既視感がある。多分10年ほど前、カオソイの名店として連れて来られたところだ。ここは華人の雰囲気がかなり色濃く、はっきり記憶に残っている。

私がチェンマイに来た一つの理由、それがチェンマイのカオソイはなぜカレー味なのか、だった。以前ムスリムカオソイを食べてみたが、今回のラムドアンのカオソイとはかなり違っている。豚肉が入っているかどうかも大きな要素だが、更に味付けのココナッツミルクあたりに秘密がありそうだ。

そこから歩いて5分ぐらいでカフェに着く。オーナーのケネスはFBを見る限り、ずっとヨーロッパに居るのだと思っていたが、連絡してみると既にチェンマイに戻っているというので、あいさつに出向いた。ここのカフェは常にまったりした印象があり、実に好感が持てる。最近のチェンマイのインスタ映えするカフェは何とも落ち着かない。

ケネスは前回同様よくしゃべった。茶の歴史について、彼はこの20年、相当に勉強を積んだのだろう。更に茶畑や森林へ行く、ビジネスをする、といった実践も踏んでおり、何だかすごみがあった。でも確かにこれまでの茶の歴史はどうしても中国的思考に引きずられているので、もう一度タイ側から検証することには大いに意義があると感じる。ただその検証を行う歴史的資料には乏しく、どこまでできるのは正直よく分からない。

彼のビジネスモデルもどんどん進化しているらしい。タイのお茶をヨーロッパで販売する、とは、これまでにない発想だろう。しかもその茶はタイの森林から生まれているのだから、そのコンセプトは受け入れられやすいだろう。茶業後発のタイだから、そういった工夫は大いに重要になる。

10月14日(土)ミアンツアー前夜祭

明日からいよいよミアンツアーが始まる。この企画は今年の2月にチェンマイに来た際、ミアン産地を回りたいとケンサンに話し所、『車は手配できるが必要経費はそれなりに掛かるよ、車の席は3つ空いているんだから、知り合いを誘ったらどうか』と提案され、募集したところ、ちょうど3人の参加者を得たというわけだ。

ただツアーといっても、現地集合現地解散。指定の宿までは自力で来てもらい、ツアーだけを一緒にするというもの。まあさすがに前日チェンマイ入りしたメンバーと結団式?をした方が良いかと思い、夕方ホテルに集合して、紹介された近所のタイレストランへ赴いた。適当にタイ料理を頼み、適当に飲み、適当に話す。とてもいい感じだったが、帰りは結構雨が降り出し、前途多難な船出となる。

10月15日(日)プレーへ

朝8時前にケンサンが迎えに来た。ホテルでメンバーをピックアップして、いざミアンツアーが始まった。しかしまずは朝飯からだ。チェンマイ市内のケンサンの知り合いの店、おかずを自由に選び、ご飯と共に頂くスタイル。ただ朝は麺が良いと思い、私はナムギョウを食べる。ソーメンにタレを掛けているようだが、かなり軽い。

チェンマイ滞在記2023その2(2)5 アジア大会を見て過ごす

午後はアジア大会の卓球などを見て過ごす。もうこうなると日本生活の日常とあまり変わらなくなっている。夕方腹が減ったので、近所を探索してみる。白人さんもよく見かける食堂に入ってみる。英語が上手い女性がオーダーを取ってテキパキ働く。ここにはなんとフュージョンと書かれたベトナム風バインミーが存在していたので、頼んでみる。とんかつとチーズをパンに挟んで、内臓ペーストを塗っている。これはベトナムにはないだろうな。

夜はゆっくりとアジア大会を見る。女子卓球では張本美和が光る。今後の日本女子をけん引するのだろう。バドミントン、日本勢は今一つ勢いがないな。そしてサッカー女子の日本対北朝鮮。なでしこ2軍でも勝ててしまう。今の日本サッカーは男女ともツキがあるのか、強くなったのか。

10月7日(土)アジア大会終盤

今朝はパンを買いに行ったついでに目の前の食堂に入った。朝は軽く鶏麺でも、と思ったのだが、何とここには麺はなく、カオマンガイの店だった。仕方なくカオマンガイを頼んだのだが、予想以上に旨くて、全部食べてしまった。やっぱりタイの鶏肉は美味いということだろうか。

昼はパンをかじりながら、アジア大会終盤を見る。卓球はどうしてみ中国に勝てないようだが、もう勝利するまでそう遠くはないという感じもする。しかしアジア大会をこんなにちゃんと見る機会は恐らくなかったと思う。この大会はオリンピックでも世界選手権でもないが、マイナー競技者にとって重要な大会だろう。またタイ国内でもタイ選手の活躍を中心にかなり見られているらしい。

夕方早めに外へ出て、チャーハンと空心菜を食べる。これは美味い。それからまた部屋でアジア大会サッカー男子。日韓戦だ。韓国はイガインまで登場しているが、日本は代表クラスの選手は全くいない。これってどうなんだろうか。選手層が厚い、ということだけだろうか。新種目、ブレイキングというも見たが、いよいよ競技というよりパフォーマンスの時代に入っている。

10月8日(日)雨季

朝は疲れたので、ダラダラ過ごす。昼前に外へ出て、気になっていた店に行く。そこはカオマンガイ屋?カオソイ屋?だがメニューにあるゴーヤースープが旨いと思われたので、カオマンガイと共に注文する。若い店員は英語を話す。店員ではなく、ここは華人の一族経営らしい。そしてスープは予想をはるかに上回る旨さ。やっぱり華人料理だろう、これは。

午後かなり強い雨が降っている。もうそろそろ雨季は終わると思っているのだが、最近は異常気象だから、どうなるだろうか。まあ天皇杯準決勝を見て楽しく過ごす。夕方雨が上がったので、近所で夕飯を食べる。前回マッサマンを食べた食堂で、今回はパスタを食べてみる。何だか意外に美味くて満足。チェンマイにはこういう店がいくつかあり、重宝する。

10月9日(月)ハノイへ

早朝目覚めると、ラグビーワールドカップの日本対アルゼンチン戦をやっている。今回の日本チームはなぜかちょっと覇気がないように思え、そのまま今大会を終了してしまった。ベスト8と言えばサッカーもそうだが、目標と現実はなかなかマッチしないものだ。ただラグビーは国籍に関わらず、色々な人々が代表になれて、技術も高まっており、全体としては楽しく見られる。

朝飯を食べようと外へ出る。気になっていた食堂の前を通ると、カオカームーが置かれていたので、それを注文してみる。なかなかの味付けで値段も安いので、今後はここで食べようと思っていたが、次に行った時は、もうこの店はなかった。チェンマイも世界的な不景気のあおりを受けて大変な状況になっているようにも思えた。

チェンマイ滞在記2023その2(2)4 鶏脚麺から蘭州拉麺へ

帰りに近所で車を降りる。昨日中華系を食べたことにより、もっと食べたくなってしまい、ネット検索すると、近所に評判の良い中国料理屋を発見した。そこは立派なコンドミニアムの中にあるとのことだったが、何と見付けることは出来なかった。どうやらすでにその店はなく、別の中国料理屋が開店準備をしている。この辺も店の入れ替わりが激しい。

仕方なくロビー付近で麺を食べることにした。鶏麺を注文すると『もうほとんど鶏肉はないが、鶏の手足入りスープでいいか』と聞かれたので、応諾した。大根がしみ込んだスープ。何だかとても懐かしさを感じながら、ゆっくり食べる。コラーゲンたっぷりだろうか。60バーツ。

午後は実に久しぶりの方がチェンマイに来たというので会いに行く。城壁の南側にあるホテルを探す。Grab運転手も迷う。この辺はあまり歩いたことがない。何とか探し当てると、そこにMさんがいた。Mさんとは10年ほど前、バンコクの会などでお会いしていたが、二人で会って話すのは初めてではないだろうか。

出張で来たというが、お歳は私より上で、そろそろ仕事をセーブしたいようだ。そしてどこかいい所があれば2₋3か月滞在も検討しており、チェンマイもその候補だった。私としてはただボーっとしている場所として適しているかは置いておいて、もし歴史や文化、民族などに興味があれば、ここはお勧めだとお話した。

夕方6時までずっと話し続けていると、そこへNさんが迎えに来てくれた。今晩はNさんと食事予定で、わざわざここまで来てくれた。MさんとNさんは一応業界も近いので、ご紹介した。それからNさんの車でレストランへ。ここは観光客用で、音楽もあり、実に煩い。私はテレビに映るアジア大会のバレーボールをじっと見つめる。ガイドのケンサンも合流して、更に賑やかになる。料理は豊富で食べやすいのだが、やはり何かが物足りない。夜は勝手に更けていく。

10月6日(金)ついに蘭州拉麺へ

何だか疲れたので、朝の散歩を休む。昼前にようやく外へ出て、前から気になっていたカフェへ向かう。朝食メニューにクロワッサンなどがあるのは普通だが、何故かとんかつやカレーも載っていて、しかもこれが安い。だが、先日は夕方ですべて売り切れ、その次はお休みと、全くありつけない。そして今日こそはと思って出てきたが、なんとスタッフが不在でやはりありつけない。何ともし難い食堂だ。

仕方なく、通りまで出て、ついに蘭州拉麺へ入った。改装中だった店がオープンしており、中はきれいだった。レジのお姐さんの華語が何ともたどたどしくて愛らしい。150バーツの牛肉麺を注文。多分バンコクより30バーツ安い。因みにこの店はチェーン店で、タイ全土に9店舗あるらしい。なぜか謎のゆで卵付き。麺そのものはごく普通なので、150バーツも出して食べるのは中国人位しかいないと思われる。

午後はアジア大会の卓球などを見て過ごす。もうこうなると日本生活の日常とあまり変わらなくなっている。夕方腹が減ったので、近所を探索してみる。白人さんもよく見かける食堂に入ってみる。英語が上手い女性がオーダーを取ってテキパキ働く。ここにはなんとフュージョンと書かれたベトナム風バインミーが存在していたので、頼んでみる。とんかつとチーズをパンに挟んで、内臓ペーストを塗っている。これはベトナムにはないだろうな。

チェンマイ滞在記2023その2(2)3 2日続けてTea Galleryへ 

10月4日(水)Tea Galleryへ

今朝はパンをかじってから、久しぶりのTea Galleryへ向かう。今年の頭に訪問した時はバイクを呼び、風が寒すぎたが、今回は肩肘の調子が悪く、さすがにバイクの後方に乗るには不安が大き過ぎたので、車を呼んだ。ターペー門から行くよりちょっと遠いが、BoltはGrabより安いので費用はバイクとトントンだった。

馬さんに無沙汰のあいさつなどしていると、彼女の方のビジネスは着々と進んでいると知らされる。そして来客も多く、かなり忙しい。それでも私の相手をしてくれるのは何とも有難い。ミアンの歴史調査を何とか進めたいが、その道はあるだろうかと相談する。それにしてもミアンとは一体なんであり、それは茶の起源ともかかわるのだろうか。そして北タイの文化、タイ人との関わりなどに思いが至る。

ただ帰るのはつまらないので、ターペー門で車を降りた。前回1か月滞在したこの付近の様子を見てみたが、工事中の建物や道路がある。そしてその先を左に曲がると、ミャンマー人がやっている中華料理屋が目に入る。前回1度だけ訪ねたことがあるが、そこの女性は完璧な華語を話し、台湾に長く住んでいたと言っていた。

実は彼女、シャン州出身ながらチェンマイに移住。更にそこから台湾へ渡り、10年以上を過ごしてまたチェンマイに戻ったのだという。彼女の作る料理は本格的とはちょっと違うのだが、なぜかとても美味しく、満足できる。水餃子と肉茄子でお腹が膨れた。しかし何といっても、彼女と華語で会話するのは楽しい。やはり台湾が恋しいのだろうか。

腹がくちると散歩する。見慣れたお寺の20バーツ麺も、その近くの牛肉麺も、そしてその裏のラーメン屋も健在だったが、何となく1月ほどの賑わいはない。これは今が雨季で観光客が少ないということで、説明できるのだろうか。中国人が来なくても、白人や韓国人で賑わっていたあの光景は何だったのだろうか。

午後ちょっと雨が降る。止むと夕焼けになる。雨が降った後はちょっと涼しい。今晩は麺を食べようと、近くの食堂へ入る。ここは雨が降っても少し遅くてもやっている、私にとってとても便利な食事の場。コロナ前は白人や日本人のお爺さんたちのたまり場のようになっていたが、今はその数は少ない。経営が心配される。

10月5日(木)再びTea Galleryへ

朝いつものように散歩する。そして五差路でいつものようないい匂いに巻き込まれ、吸い寄せられた。前回は試しに二本だけ買って歩きながら食べた串焼き。今日は耐えられず4本買い、更にはカオニヤオまで買ってしまった。それでも僅か29バーツ。本当に安い。焼いている人は煙にまみれて大変だ。部屋まで持って帰り、朝から幸せ。

10時前に昨日も来たTea Galleryへまた行く。馬さんから『明日は日本人学生が来るから、あなたも来たら』と誘われたので、よく分からないが行ってみることにした。既に山形大学農学部の学生数人、そしてチェンマイ大学の学生も数人来ていた。どうやら夏休みのプログラムで山形大の学生が短期間チェンマイ大に滞在しているらしい。

そして今の農学部はある意味最先端の場。発酵などの技術についても興味を持ち、ミアンの話、そしてそれを使った加工食品を学びに来ていた。私からは四国にも同様の茶があることを説明したが、どこまで響いただろうか。そして馬さんが雲南回族で、イスラム教徒だからハラール認証なども取得していることを話すと、そちらにはかなり興味を持っていた。面白い傾向だ。

チェンマイ滞在記2023その2(2)2 プラーオからチェンマイ大学へ

市場の見学が終わると、Kさん宅で朝ご飯。Kさん特製のスープとジョークをUさんも交えて頂く。このスープが堪らなく旨い。特製漬物もほぼ食べ切ってしまった。本当にKさんの料理は有難い。昨晩に続いて、リス族などについて、Uさんに教えてもらう。専門家がいることは何とも有難い。

そして一度宿に戻り、チェックアウトした。要はお金を払っていなかったのだ。すると向こうから白人さんがやってきた。何とドイツ人で、ここのコテージに長期滞在しているという。しかも職業は絵描き。この宿のために何枚か絵を描いていると言い、見せてくれた。同じ画家?であるKさんも興味津々で会話に加わる。

Kさん宅に戻り、シャインマスカットを食べながらダラダラと過ごし、昼過ぎに出た。奥さんと3人で街の食堂でお昼を食べる。ここには英語メニューなどはなく、私は感覚で、Kさんは翻訳アプリを駆使して、自分の食べたい物を注文する。町の食堂の料理は油が多めで、華人系の味がした。ご馳走様でした。

そして昨日の市場をもう一度見学した後、2時半のロットゥに乗り、チェンマイへ戻った。乗客は8割程度でゆったりと帰る。時間もやはり2時間はかからず、早めにバスターミナルへ入る。少し腹が減ったので、そこでカオマンガイを食べて、歩いて帰宅する。肩が少し痛いのだが、まあ何とかなっている。

部屋に戻ると、アジア大会の中継を見る。女子ソフトボール決勝、日本対中国。何と途中から、あの上野由紀子が登場した。15年前上野の413球で有名になってから今日まで現役を続けていたとは。中国チームもレジェンドを見る目は暖かい。結局上野は抑え、また優勝した。彼女には一体何が求められているのだろうか。恐ろしい。

10月3日(火)チェンマイ大学へ

2日ほど部屋を空けたので、朝から生活物資の調達に向かう。まずは回族牛肉麺を食べて、パンを買い、更にフルーツにも手を出す。もうほぼこのパターンで生活は潤いを持つ。特にフルーツをこんなに思い切って安い料金で食べることは日本では難しくなっており、有り難い。

宿から通りまで出る。そして通りを渡り、ソンテウを拾う。ここからチェンマイ大学へソンテウで向かうのは初めてだ。30バーツで難なく運ばれる。久しぶりに校門を通り、庭のようなキャンパスを歩いて行く。何となく懐かしい母校を歩くような気分となる。そして人文学部の近くになってきた。

今日会ったのは華人系研究の教授だったが、何だか部署が移動となっており、何と海外の大学交流などを担当していた。彼は英語も中国語も堪能なので、白羽の矢があったのだろうか。またここでも潮州人について、根掘り葉掘り聞いてしまった。どうしても知りたいが、どうしても全容がつかめない謎の人々。

面談が終了して、池の方へ歩いてみる。コロナ前、中国人が映画の聖地巡礼で沢山訪れていた場所だ。そこにおしゃれなカフェがあったのは前から気づいていたので、今回は思い切って入ってみる。アイスティーとパスタを注文して、外の席で一人寛ぐ。中国人客も何組かいたが、そこまで気にならない。ああ、いい雰囲気だ。帰りもまたソンテウを捕まえる。

午後は休息を取っていたが、夕方早い時間に腹が減る。ただ何故か遠くまで歩いて行く気力がなく、近所で気になっていた食堂に入ってみた。ネット上ではマッサマンカレーが旨いと書かれていたので、注文すると確かに食べやすい。コーラで流し込むと南国な感じが一層引き立つ。それにしてもこのカレー、どこから来たのだろうか。夜はまたアジア大会で過ごす。

チェンマイ滞在記2023その2(2)1 プラーオへ

《チェンマイ滞在記2023その2(2)》  2023年10月1₋8日

10月1日(日)プラーオへ

今朝は早起きして、オンライン報告会を実施。日本との時差2時間はやはりちょっと大変だ。10時過ぎに終了して、少し準備してすぐにバスターミナルへ向かう。出発30分前に着いたので、取り敢えず麺を啜る。そうしているともうロットゥが到着していて、皆さん乗り込んでいた。

今回は助手席に乗ったので前が良く見えて快適。ロットゥ自体は前回乗っているので特に不安はない。日曜日ながら、途中からはほぼ車も走っていない道を行く。ちょうど真ん中の滝のところで連絡を入れたが、その後のスピードが速く、計1時間40分ほどで、懐かしのプラーオの街に入った。

ターミナルで降りるとKさんが迎えに来てくれた。そしてすぐに市場へ向かい、晩御飯の材料の一部を買う。市場は閑散としていたが、(食べるための)虫などを売る店が増えており、2月に来た時とは、少し様子が変わっていた。そこからKさんの家へ行き、休息しながら、Kさんが描いている絵を見せてもらう。その絵には山岳民族が描かれており、何とも素晴らしい。料理や音楽も含め、Kさんの才能には脱帽だ。

そこから山の温泉に向かう。K夫人はリス族であり、彼女の村の近くに温泉がある。ここはリス族が作った温泉だと言い、入湯料金は一人僅か10バーツと格安。広々とした空間で源泉をぬるくしたお湯にゆったりと浸かれるのが何とも良い。普段は誰もいないらしいが、この日はリス族の女性たちが団体で訪れており、なんと混浴となる(勿論誰も裸になるわけではない)。温泉の効能などは誰が教えたのだろうか。因みに私の上半身裸の入浴写真をKさんが撮影してFBにアップ。多くの方から『随分と太りましたね』とコメントを頂く。

夕方、リス族研究者のUさんも加わり、Kさん宅で焼き鳥を食べながら歓談する。Uさんとは8か月ぶりだが、色々とあったようで、リス族研究はどこまで進んでいるのだろうか。K夫人が中国語で『今度サムリ村でイベントがある』と伝えてくれた。何だか興味を惹かれたので、それに参加すべく、またこちらを訪問する予定とした。Kさんは『折角だから見学ツアーを企画しよう』と言い出し、事態はここから予期せぬ方向に動いて行く。

夜、Kさんが予約してくれた宿まで送ってもらった。ここは街の中心から2㎞ほど離れているだろうか。宿はコテージ風でよい。敷地内にはプールまである。道路脇には店があり、鍋など食っている人たちがいた。私はやることもなかったので、ちょっと散歩のつもりが街まで歩いてしまう。途中暗い夜道で犬に吠えられ苦戦する。夜8時、プラーオの街はほぼその1日を終えていた。

10月2日(月)朝市

朝6時前に目が覚めた。ちょっとスマホを見ていたら、急に停電になる。部屋の外へ出たら、既に明るくなっており、そのまま道路まで出てみる。すると道の向こうに広がる田んぼ、そのまた向こうに薄っすらと朝日が昇って行くのが見える。その陽がどんどん広がっていき、鮮やかになっていく。ああ、私にこれを見せるために停電になったんだな、と思うと、爽快な朝を感じる。Kさんが既に迎えに来てくれ、一緒に撮影する。

プラーオでは週に一度、月曜朝一が開かれるというので、出掛けてみる。思ったよりずっと広い敷地で市場が開かれていて驚く。野菜や果物から、服や雑貨、日用品は何でもここで調達できそうだ。ブドウの脇にシャインマスカットが売られている。普通のブドウの10倍の値段がするがとても美味しい。これは中国製だろうか。

チェンマイ滞在記2023その2(1)3 朝はムスリム、夜はインド

9月28日(木)朝はムスリム、夜はインド

今朝は珍しく雨が降っていた。朝飯はなしかと思っていたらちょうど止んでくれたので外へ出た。先日散歩していて気になっていた牛肉麺屋に行ってみる。気になった理由は作っている女性がヒジャブーを被っていたこと。雲南回族がやっている店らしい。牛肉は大きくてかなりいい肉のように思える。スープの味も良い。これで50バーツならまた来ようと思う。

それから先日発見したベーカリーでパンを買い、更に散歩しているとちょうどポメロを剥いているところに出くわしたので、思わず売ってくれと頼む。これだけの手間をかけて僅か40バーツとは、有り難いやら申し訳ないやら。ただ次に行ってみてももう売ってくれなかったので、あれは偶然だったのだろうか。

また雨が降り出し、部屋に閉じ込められた。夕方何とか脱出してみると、なんと大きな通りも水が溜まっており、通行にはかなりの不便をきたしている。こういうインフラはバンコクもそうだが、経済成長したタイの遅れている部分だろう。

ニーマン付近にインド料理屋があるというので、ちょっと覗いてみる。きれいな店舗を覗いていると、中からタイ人女性が出てきて、『食べていきなさいよ』というので、まだ4時台で誰もいない店で、ナンとカレーを頬張る。セットメニューは食べ切れないほどの量だったが、昼抜きだったので、食べてしまった。これではいくら散歩しても痩せることはない。夜は連日放送されているアジア大会を見る。

9月29日(金)ガイヤーン

朝起きるとラグビーワールドカップの日本戦を後追いで見た。今年は特に国際大会の放送が多くて何とも忙しい。ただ各テレビ局はただ大会が盛り上がればよいという感じで、ひたすらいい話ばかりをしているが、日本全体の実力は決して向上している訳でもなく、ただ期待だけを述べるのは無責任かと思った。勿論やっている選手は高い目標に向かっていくのは良いが、もっと冷静な解説(解説者が単なる応援者となっているケースも多過ぎる)を求めたい。

昼前にガイヤーンの店を発見した。いい感じの煙が上がっているのが何とも良い。おじさんに『美味い鶏食ってけよ』という感じで招き入れられたので、チキンハーフサイズを注文。そこにはチキンウイングやネックもあり、次回挑戦しようと思う。こういう店には白人さんも沢山来ている。彼らにとって分かりやすい食べ物ということだろう。もう遠くの有名店に行く必要はない。

夕方チャンプアックバスターミナルに出掛ける。今度行くチケットを買いに来た。もう慣れた場所なので迷うこともない。私も随分とチェンマイに慣れたなと感じる。歩いている道はまだ水たまりが多く、交通にも支障があり、中には車が動かなくなっているものまである。帰りに何気なくクイッテイアオを食べる。チェンマイに来てから単純なクイッテイアオを食べたのは初めてかもしれない。

9月30日(土)中秋節

タイでもバンコクなどでは中秋節に月餅を売り込む姿が近年みられるが。チェンマイでも売っている。これは華人が多いというより日本のクリスマスケーキのようなものだろう。SNSには中秋節メッセージが溢れ、私も中国、台湾、東南アジアの華人らにメッセージを送る。

今朝はどうしてもジョークが食べたくて、近所で見付けておいた店に入る。店主の顔立ちは華人。そして昼過ぎまではジョークや洋式朝食などを出す店だが、夕方からはピザをメインにした飲み屋になるらしい。この辺はいかにも潮州系がやりそうなことだ。肝心のジョークも合格点かな。

実は先日散歩していて、きれいな白い仏塔を見た。だがどうやってそこへ辿り着けるのか、道が分からなかった。今日はちゃんと探そうと、食事の後歩き回る。何と私が見ていたのは裏側で、通りに面したところに入り口があり、かなりの規模の寺だということが分かった。中に入り、静かな朝をエンジョイする。

昼はまたニーマン方面へ向かう。裏通りの角に麺屋があった。ここは完全な華人系で、メニューに中国語も日本語もある。先日ホーチミンで食べた臓物系麺を想像して注文したが、残念ながらそんな味ではなかった。やはり単なる観光客向けの店は少し残念かもしれない。それでもお客は沢山来ている。勿論料金も少し高い。帰りに週末で人が多い、ワンニーマンをすり抜け、静かな我が家に辿り着き、ホッとする。

チェンマイ滞在記2023その2(1)2 生活を整える

取り敢えず日用品を買おうと、MAYAに向かった。ここの地下にスーパーがあるので、何でもそろう。一番必要だった電気ポットも安く手に入った。バスタオルなど今日必要なものだけを買ってアパートに戻り、無事入居した。帰りに広い道路脇で牛が飼われているのを見て、さすがチェンマイ、と思ってしまった。因みにMAYAの交差点は昔から渋滞するが、歩行者用ボタンは手を触れる必要がなくなり、手を振るだけで信号が変わる。これもコロナの影響だろうか。

更に水とドリンクを買って部屋に戻ると、ケンサンがやってきた。昨日できなかったツアーの相談のためだった。近所を歩くと、この辺では有名なカオソイメーサイという店に人だかりができていた。その横の可愛いカフェで打ち合わせした。おじさん2人には似つかわしくない場所ながら、来月のミアンツアーは決行されることになった。

ケンサンと別れるとまたニーマン方面へ行く。そしてなぜか昨日と同じ食堂で別メニューを食べている。他にも店など一杯あるのに、と自分でも思うのだが、何だか止められないのはなぜだろうか。ただこの店で、蚊に刺されたので、明日からは別を探そう。

9月26日(火)近所の散歩で発見

朝起きると快晴だった。8時に部屋を出て散歩する。昨日見たカオソイメーサイは8時に開店。お客はまだいなかったので取り敢えず食べてみる。うーん、普通のカオソイだ。料金も安い。ミシュランを取ったからお客が来ているようだが、おやじさんもほぼ愛想が無く、何だかなーと思う。

そこからサンティタム周辺を散策すると、徒歩10分で実に有り難い下町を発見した。朝から豚肉を焼く香ばしいにおいに足が止まり、コンビニより安いスーパーも見つかった。更には懸案だったパン屋まであって感激。思わずパンを買い込んで帰る。昼間はそのパンをかじりながら、既に次の旅の計画を練る。

夕方また散歩する。昼間はかなり暑いが夕方は涼しい風が吹いて気持ちよいチェンマイ。比較的近所にミャンマー領事館やシンガポール学校、そして雲南会館まである。やはりコンパクトシティー、チェンマイはどこへ行くにも便利だ。更にはワットモークローリーという、何ともいい雰囲気の寺まであった。何と有り難いことか。

夕方5時半に開くというスキヘーンの店へ行くと、既に大勢の人が食べている。何とか席があったので、私もちょっと食べてみる。なるほどうまい。そして安い。帰る頃には10人以上が席の空くのを待っていた。チャンプアック門を北上すると、前回説明を受けた古い塔があった。ここチェンマイの歴史、何とか頭に入れたい。

9月27日(水)更に近所散歩

今朝は先日見掛けて気になった麺屋へ行く。バタフライピーという植物を使って鮮やかな色を出すヌードルを作っているという。タイ語ではアンチャン、というから、アンチャンヌードルだった。ポークをトッピングして、美味しく頂く。チェンマイの料理にはかなり工夫が凝らされていて面白い。オーナーは流ちょうな英語を話した。

MAYAの方へ向かうと、蘭州拉麺があった。何だかタイ全土に展開しているらしい。MAYAの向かい側は何となく日本街を形成しており、何と忠犬ハチ公まで作ってしまっている。そしてその横にはちびまる子ちゃんがちょこんと座っている。さらにインパクトのある店、『みさえ』。どう見ても飲み屋の名前にしか見えないが、日本食料品店だった。ここで麦茶を買う。ただ入れる容器が無く、リンピンに探していく。

午後は帰国のフライトを予約する。何と北京経由として、144時間トランジットで入国することを思いつき、フライトを予約してしまった。さて、一体どうなるのだろうか?冬服を持っていないことに後から気付いたが、もう遅い。賽は投げられた。夕方夕飯を探してさまよう。食べたい物が写真で出ていたので入った店は、まさかの麺屋で、他の物はないようだ。何となく騙された気分ではあるが、大人しく麺を食べて帰る。