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チェンマイ滞在記2024(3)旧知の人と再会して

確かに2時間後、飛行機は無事に飛んだ。飛んだら1時間でチェンマイに着く。この空港に混雑はなく、荷物もスムーズに出て来る。表ではSさんが待っていてくれ、あの懐かしい宿まで送ってくれた。何と荷物を車に積み込もうとしたら取っ手が壊れてしまったが、気にしない。4か月後のことはその時考えることにした。

宿もスムーズに入室でき、荷物を部屋に入れた。それからSさんが郊外の素敵かカフェに連れて行ってくれ、早めの夕飯を食べた。今やチェンマイには素敵なカフェがごまんとある。ここもワンニーマンに支店があるらしい。帰りにスーパーに寄ってもらい、必要な日用雑貨を買って帰る。

8月9日(金)旧知の人と再会して

実は昨日チェンマイ空港に降りた際、スマホを開けてFBを見たら、何と上海留学時代からの知り合い林さんも、チェンマイに来ていることが分かった。驚いてすぐに連絡を入れると、ホテルも我が宿のすぐ近くという偶然。今日の朝午前8時、有名店カオソイメーサイで再会した。この店は宿のすぐ近くではあるが、連日満員でしかも愛想が悪いので私は行くことがない。ただ開店と同時であれば客は多くないので、取り敢えずゆっくりと近況を報告し合いながら、食べた。

それから近所を散歩。林さんはチェンマイに興味を持ち、この辺のアパートの視察を始める。立派なホテルでも料金はそれほど高くない。あるマンションのロビーにはたくさんの本が置かれていたが、それはすべて日本語だったので驚いた。恐らくは以前ロングステイをしていた日本人が置いて行ったのだろうが、まさに日本人ロングステイヤーの痕跡だった。

昼前に昨日のSさんが車で来てくれ、林さんの希望でドイステープに登った。私は昨年も登ったが、お寺の階段で苦労した。ところが何とケーブルカーがあり、20バーツで上まで運んでくれた。驚きだった。天気も良く、景色も見事で、インスタ映えする写真も撮れて満足する。ただ昨年に比べると観光客が少ないと感じたのはタイミングのせいだろうか。

そこから私がわがままを言って、モン族村にも連れて行ってもらう。ソンテウでも行けるのだが、車があるとあっという間に着いてしまう。ただここは観光地化しようとして停滞した村という印象。観光客も少なく、土産物屋は開いているが、活気はない。上り坂をずっと行くと、滝があったが、何だかな。20バーツの入場料が可愛らしい。林さんはいくつもの店に釣り込まれ、民族衣装などを物色、買い込んでいる。こういう旅は私と全く無縁で新鮮だが。

そこから街に戻り、チェンマイ大学のキャンパスを通り抜けた。そしてまた郊外へ向かい、Sさんのお知り合いのカフェに着く。いい雰囲気の内装だ。そこにはちょうど食事をしていた人々がいたが、それは何と茶農家だった。しかも彼らは雲南回族(後で聞くとTea Galleryの一族だった)。

店主のKさんとお茶談義。白茶の話を出すとすぐに白牡丹が出て来る。さすが茶業者。彼女は世界各地を回って、色々なお茶を見てきており、この店にもかなりの種類の茶が置かれている。それから彼女が準備してくれた夕食を美味しく頂く。これはかなりのレベルで驚きの美味しさ。有難い。こんな夜は何とも嬉しい。

チェンマイ滞在記2024(2)ヤワラーで

Grabなどの車はいつ来るか分からないので、外で待っているとタクシーが来たので乗り込んだ。これが一番便利なのだが。しかもエンポリアムまで50バーツで行くからGrabよりかなり安い。プロンポーンには二つの用事があった。銀行の用事は呆気なく終了する(但しよく分からないコミッションを取られたが)。

もう一つはAIS。これまで使って格安パッケージが見付からないので困っていた。確かエムクオーティエにあったはずだと探し回ったがなかなか見つからない。去年行った場所が分からない、はやはりボケの進化か。ようやく見つけたが、何とVIP会員専用になっていて庶民の面倒は見てくれない。

庶民のAISは新しくできたモールの中にあった。そこはほぼお客がおらず、ゆっくり相談することが出来た。英語も何とか通じた。だが、私が欲していた格安パッケージはやはり無くなっており、しかもほぼ同じ内容のパッケージは1000バーツもするというので驚いた。突然こんなに値上げするのか。まあ、確かに今までが安すぎたとは言えるが、取り敢えず何も買わずに去る。

そこからアソークまで歩き、MRTに乗ってヤワラーを目指す。夕飯をMさんと食べるためだが、少し時間があったので、取り敢えずファランポーン駅で降りて、集友茶行へ向かった。何となく時間潰しのつもりだったが、ここで王さんから、プーアル茶に関する貴重な証言を得た。やはり何もないと思っても雑談しに行く必要性を強く感じる。そこへMさんも合流する。よくここが分かったなあ、と感心する。

そこからヤワラーを散歩する。さすがMさん、ヤワラーも良く知っている。客家会館から先に歩いて行くと、そこにあるはずだった、あのヤワラー一入り難いカフェ、が無くなっていた。とMさんに話していたら、道を曲がったところでMさんが『ここじゃない』という。見ると店はキレイに変わっていたが、あの目の鋭い常連さんたちは健在でこちらを向いていた。折角なので店に入り、ドリンクを飲んだ。なんだか不思議な空間だった。

そして夕飯は潮州料理。初めて行くその店は普通な感じで、特に老舗とも見えないが、魚生など潮州系料理がメニューに載っており、まだ陽があるうちからお客が飲み食いしていた。唐山魚片粥というのを頼んでみると、量は多かったが、味は抜群だった。次回はこれだけ食べに来ようかと思う。

8月8日(木)チェンマイへ

翌朝は荷物を纏めて宿を出る。Boltで車が出るまでの間、ちょうど来ておられたSさんと雑談する。もう70歳だそうだが、その元気はなぜか衰えを見せない。すごいな、と思うが、羨ましいとはなぜか思わない。私はもう旅も含めてゆっくりと過ごしたい気分だったのだろう。

車が来ればドムアン空港まで30分で行ける。今回は預け荷物のトラブルもなく、かなり余裕をもって搭乗ゲートに向かった。だが出発時間間際になっても、搭乗が開始される気配もなく、何と飛行機から搭乗員が下りてきてしまう。係員に聞いてみると、15分後というのだが、そんなはずはない。もう一人の係員は『機体トラブル』を認め、2時間待つように言う。昔なら『何とかしろ』などと言っていたかもしれないが、今やそんな元気もなく、ただただ外を眺めて過ごす。

チェンマイ滞在記2024(1)バンコクへ

《チェンマイ滞在記2024(1)》  2024年8月6‐12日

今年もタイ滞在のシーズンがやってきた。昨年と違い、今年はガッツリとチェンマイ4か月滞在を目論んでやってきた。取り敢えず既に予約済みのチケットでバンコクへ。そこからチェンマイへ移動していく。

8月6日(火)バンコクへ

今朝は早く起きた。そして早く家を出た。日本はもうすぐお盆休み。空港は結構混んでいるのだろうと心配して3時間前には到着した。ちょうどタイ航空のチェックインが始まったが、以前ほど乗客は多くない(といってもこのフライトはほぼ満席)。タイ人が多いのだが、彼らも日本の旅に慣れてきたのだろうか。

何より驚いたのが、保安検査場までの列。今年の初めまでは1時間は並んでいたような気がするのだが、今日は僅か10分で検査場へ。出国審査と合わせても20分で終了という早さ。これはちょっと早く来すぎたと反省するも意味はない。少なくとも日本人の海外旅行は確実に減っていることが分かる。

フライトはちょっと出発が遅れたようだが、おおむね順調だった。5時間以上のフライトはやはり疲れるのだが、日本映画とアニメを見ていると時間は過ぎていく。何となく眠くなると、隣のアラブ系のおじちゃんがトイレに立つので、眠りに入れないまま、過ぎていく。機内は暑くはないが、水分が欲しくなると一番後ろまで歩いて行き、ジュースを貰えるのが、レガシーのいい所だ。

結局予定時刻より前にバンコクに到着した。飛行機を降りると、何となく景色が違う。少し歩くと階段を降りる。ここはドムアン空港かと錯覚するが、妙にきれいだ。そして何とシャトルが登場した。これに乗るとあっという間に旧知のイミグレ前まで来てしまう。これまでは結構長い距離を歩いたので助かるが、スワナンプーム空港はいつの間に変わったのだろう。

イミグレの混雑を覚悟していたが、何と列は短く、僅か数分で通過。出て来る荷物を待つほど余裕があった。こんなのはコロナ初期以来だろうか。荷物を受け取り、すぐにタクシー乗り場からタクシーに乗る。何と速いことだろうか。予定よりだいぶん早く定宿に着き、チェックインしてまた外へ出る。

いつものパッタイ屋を目指して信号を渡ると、ちょうどタイヤ屋が目に入る。昼はタイヤ屋だが、夕方から麺を出す店に変わるのが面白い。昨年訪ねた時は、インスタ映えすると評判になっていて、お客が押し寄せて注文した麺を食べるのに30分以上かかってしまい、呆れた記憶がある。

だがやはりホイールが釣り下がる横で麺を啜るのは何となくレア感があり、嫌いではない。お爺さんと目が合い、座って行けというので、座ってしまった。既にインスタブームは消え去り、お客は数人だけだったが、なぜか麺を作り担当の娘さんとお母さんもどこかへ消えており、麺は出て来ない。ここの無料のお茶は色が濃い。ようやく食べ始めると具だくさんで、安くて美味しい。実に満足。帰りにいつものパン屋でブドウパンを買う。

8月7日(水)ヤワラーへ

朝はいつものコムヤーンを食べに行く。今回のバンコク滞在は極めて短いので、他の食べ物も検討したが、やはりコムヤーンになってしまう。11か月ぶりに食べたが、代金は55バーツで上がってはいない。バンコクの物価上昇も収まってきただろうか。午前中は部屋にいたが、昼前にちょっとひと悶着あり?何となくフラッと部屋を出てしまった。

チェンマイ滞在記2023その2(6)7 劇的な再会、そしてチェンマイを離れる

そこから何故かトボトボと歩いて、セントラルデパートまで行く。道は一本だが、思ったより遠くて疲れた。どうしても寒さ対策が不足と考え、再度ユニクロでパーカーなどを購入した。きっとどれだけあっても不安は解消できないが、ないよりかなりマシ、という感じだろうか。帰りがけにはちばんラーメンに寄り、久しぶりのラーメンを食べる。ちょっと体調が不安な時に一番いい食事だが、チェンマイでは食べる機会にあまり恵まれない。

ちょうど帰宅ラッシュ時に当たってしまい、初めてGrabもBoltも呼んでも来てくれなかった。仕方なく、さっき来た道を歩いて帰ることにした。少し行くと、日本領事館の看板が見えた。今後もお世話になることはないと思っているが、初めてその位置を確認する。夕日が落ちる中、ゆっくりと歩いたが、それでも足が痛くなる。もう明日はチェンマイを離れるのだから、夜は荷物の整理に勤しむ。

11月24日(金)

チェンマイを離れる直前 劇的再会

ついに2か月の滞在を終え、チェンマイ最終日を迎えた。部屋の片付けを完了し、残ったクッキーなどで朝食を取る。荷物のパッキングは意外と簡単で、どんどん進んでいく。そして昼にチェンマイ大学へ向かった。入院中だったPさんが復帰しているというので帰国前に挨拶に行った。色々な話が出来、元気そうでよかった。

夕方宿の人に精算を頼むとこれまた至極簡単に終わった。そして来年の予約も行ってしまった。来年はここでもっと長く過ごしたいと考えている。最後の晩餐はジョークだった。やはり体調が万全ではないため、体に優しい物を選ぶ。ボリュームたっぷり、美味しいジョークには本当に助けられた。

何と空港に向かう直前、ジュジュから連絡があり、彼女のお父さんと会うことが出来た。お母さんが腰痛で来られなかったのは残念だったが、まさかこのタイミングで話が聞けるとは何とも有難い。時間もないので、国民党軍の動きと、ワーウィの李さんの話などを掻い摘んで聞いてみた。当然ながらその辺の歴史は良く知っているので、明快な答えが聞けて喜ばしい。これでまた来年、更に調べを進めることが出来そうだ。奇跡的な再会に感謝する。

すぐに宿に戻り、荷物を整え部屋を出た。鍵は中に置いておけばよい、というのは何と有り難い。これで午後8時過ぎまで部屋が使えた。車を呼び、慣れた感じで空港へ向かう。夜の空港は初めてだったが、韓国のLCCの乗客が溢れていた。その横のエアチャイナへ行き、緊張のチェックイン。スタッフも何度も書類を確認していたが、何とかトランジットOKが出た。

それからシムカードを購入。今回まさか北京に寄るとは思っておらず、シムを用意してこなかった。それでもAISのカードが使えるというので試してみることにする。出国審査には誰も並んでおらず、すぐに通過できたのは良かった。もうあとはフライトを待つばかりとなり、寂しさが増す。それにしても極寒の北京を思うと、身震いする。

チェンマイ滞在記2023その2(6)6 新しいカフェ

11月22日(水)ミアンと観光2

今日はSさんの授業が終わる頃、チェンマイ大学で待ち合わせた。語学系の校舎まで歩く。何しろチェンマイ大学のキャンパスは広い。私がいつも行く校舎からも随分と離れている。折角なので歩いて行ってみると、途中に懐かしい風景が広がる。以前の滞在で訳も分からず歩いていた道だった。その向こうにキャンパスが見え、そこが正門だと初めて知る。

そこから歩いて5分ほどで目的地に到着した。この校舎には孔子学院の文字が見える。通っている外国人も、普通話があちこちで聞こえ、中国系が多いように思われた。Sさんと合流し、更にお知り合いのタイ人の先生とも会い、彼の車でキャンパスを出た。それにしてもSさんは一体どれだけの人を知っているのだろう。

車は何とワンニーマンの近くに戻り、ガイヤーンやソムタムを食べた。こんな近くにいい店があるのを知り嬉しい。有名店らしく、外国人も含めて満席状態だった。そこからまた車に乗り、少し郊外のカフェへ行く。大きな木の下にカフェがある感じが良い。チェンマイは少し郊外に出れば自然が味わえる。

ここでコーヒー入りのレモネードを飲む。最近カフェも色々と工夫がある。そして観光学が専門の先生から色々と教えてもらう。ミアンについても『タークではミアンの消費が多く、砂糖を入れて食べる』など貴重な情報を得た。是非彼と一緒にタークへ行きたいが、何と来週彼はチェンマイを離れ、中部の大学に転勤するという。一期一会かな。

11月23日(木)新しいカフェへ

今朝は早めに目覚めたので、早めに散歩に出た。お堀の周辺を歩き、教えられたタイヤイ人(シャン人)のお寺へ向かう。私にとっては、どれがタイ人の寺で、どれがタイヤイ人の寺かなど、皆目見当がつかず、いつも通り過ぎていたところだった。中は意外に広く、古めかしい仏塔がなかなか良い。幼稚園が併設されており、朝から元気な声が聞こえてくる。

更に進み、ターペー門を曲がり、懐かしのカフェへ行く。ここは1年前の滞在でクラブサンドイッチを食べた店だった。看板のメニューを見ると、軒並み料金が値上げされており、クラブサンドイッチのモーニングも20バーツ上がっていた。まあ、居心地の良い店なのでよいが、何だか朝から散財した、という感覚だ。

チェンマイの朝は20度台でとても涼しく、いい気候だ。これから行く北京を検索してみると、零下の寒さ。何とか寒さを凌がなければと思いながら、散歩を続ける。チェンマイの街中もロイクラトーンの祭りの準備で徐々に盛り上がっている。私はその祭りの3日前にこの地を離れる。何で、とよく聞かれたが、実はあまり興味がないだけなのだ。

午後またお堀端を歩く。今度は宿にかなり近い。そこに、あのメーサローンビラの娘、ジュジュがカフェを開いたと聞き、訪ねてみた。彼女とは今回の滞在では会っていなかったが、着々と準備を進めていた。そのカフェは大通りからちょっと入ったスペースで、お茶を飲めるし、テイクアウトも出来るし、しかも茶葉も販売していた。

ここでお茶を淹れてもらって飲んでいると、シンガポールから来たというお茶好きが立ち寄り、自ら蓋碗で茶を淹れて味わっている。ジュジュも華語が普通にできるので会話もスムーズだ。メーサローンのお茶の味も随分向上しており、日本のコンテストにも出品して賞を取ったと聞くと、何となく嬉しくなる。

チェンマイ滞在記2023その2(6)5 ランプーンへ

11月20日(月)ミアンと観光

昼までグダグダ。外へ出ると日差しが強い。今日は気になっていたミャンマー系料理を食べに行く。おかずを適当に選び、ご飯と共に皿に乗せてもらい、一気に掻っ込むスタイルだ。スパイシーな物を避けると料理は限られるが、これで50バーツは安い。店員の少女は顔にタナカを塗っているので、ミャンマーから来たのは間違いない。

午後はSさんの紹介で、元チェンマイ大学の観光学の先生と会った。ここもまたおしゃれなカフェだった。ミアンの話を持ち出すと、大変興味を持たれ、『観光の観点からもミアンの歴史を掘り起こし、現代に繋げることには意義がある。何しろミアンはランナー王朝を象徴する食べ物の一つだから』と言われ、勇気づけられた。確かに今やタイ人も知らないミアン、そしてその歴史について、それほど研究されていないのであれば、それは損失だろうと感じる。

夕方、今回チェンマイに来て最初に入った食堂の前を通りかかり、フラっと入ってしまった。チャーハンと空心菜炒め、何とシンプルな夕食だろう。そしてこういう食事が簡単にできる日も残りわずかとなり、少し悲しい気分になる。チェンマイに居ると次に踏み出す勇気が薄れていく。

11月21日(火)ランプーンへ

今日はSさんのアレンジで、チェンマイ郊外の旅へ向かう。車はSさんの知り合いのタイ人が運転してくれる。彼は留学経験があるようで、日本語を解するので有難い。向かった場所はランプーン郊外。実は私が検索して見付けた変なお寺へ行ってみることになっていた。北タイでは珍しいヒンズー寺院との触れ込みだったが。

車は1時間ちょっと走る。かなりの田舎へ来た感じ、更に坂を上ると入口が見えた。しかし中へ入ってビックリ。まるでテーマパークかと思うような、千手観音などの仏像などが並んでおり、思わず写真を撮る。ネットで話題だったのは、この風景だったのだ。お寺の本堂はどこにあるのか。

長い階段を上っていくと、そこにヒンズー寺院にしては少し奇妙な建物がある。その横には仏教の仏像も鎮座している。女人禁制の文字も見え、ここが仏教寺院であると判断できる。一応事務所で聞こうと思ったら、案内人の僧侶が来てくれ、室内を見学した。本堂はかなり広く、そこに多くの仏像が安置されている。聞けば20年前に出来た新しいお寺で、宗派といったものはなく、国際的に宗教の枠を超えた活動をしているとか。こういうのを新興宗教というのだろうか。

お寺を離れてランチへ。運転手君はランプーンの日系企業で働いていたこともあり、日本人に好まれるカオソイの店に連れて行ってくれた。確かにスパイシーではない、ラムヤイ入りカオソイで美味しく頂く。それにしても天気はいいし、外は気持ちが良い。ついでにランプーンをちょっと散歩することになる。ランプーンには以前2度ほど来たことがあるが、それはSさんの花園があったからだが、そのSさんももういない。

街中に入るのは初めてかもしれない。ワットパタタリプンチャイという古い、とても立派なお寺へ行くと、ロイクラトーンの飾りがきれいされている。お参りするタイ人も多くいる。いい天気の中に仏塔が映える。寺の前にはきれいな公園もセットされており、女性像が中心にある。

チェンマイ滞在記2023その2(6)4 アカ族の現代的な結婚式

そこから車で少し行くと教会の施設があった。今日はここで結婚式がある。既に施設の外にはたくさんの人が集まっており、奥さんとお母さんは、民族衣装を着たアカ族の親族を見付けて、抱き合ってすごく喜んでいる。今日は普段出歩かないお母さんのために、ここに来たのだとよく分かった。

それにしても現代的な雰囲気の結婚式で、山岳民族的な要素は少なかったと思う。当たり前だが、今の若者が好みそうな演出、式も日本の結婚式とそんな違和感がない。食事も所謂タイ中華で、民族色は特になかった。時間的も意外とあっさり終了する。これからは伝統的な村の結婚式ではなく、都会で式を挙げ、タイ人らと同じようになっていくのだろうと強く感じる。こういうのが『同化』ということだろうかと思ったが、まあそれでよいのかもしれない。外にアカ族の大ブランコがあり、子供たちが楽しそうに乗っていた。

チェンラーイの有名なカフェがあるというので、帰りに寄ってみる。入場料が60バーツ掛かるが、ドリンクを飲めばほぼ無料な感じ。何といっても植物がふんだんに植えられ、如何にもインスタ映えする演出のある園内。外国人を含めて実に多くの観光客が訪れていた。こういう観光スポットがどんどんできているタイ。帰りも3時間かかったが、チェンマイまで送ってもらったので、楽に戻り、あまり疲れはない。

11月19日(日)Sさん登場

先日静岡でお世話になったSさんがチェンマイにやってきた。彼女は旅行者ではなく、何と留学生として1年滞在予定だという。既に住居と車の手配を終え、さっそうと車を運転してやってきたので驚いた。誰とでも仲良くなれる、すぐにサポートしてくれる人が見付けられる、実に羨ましい人だった。

車でちょっと郊外へ行く。そこにはSさんがお世話になっている人の実家があり、そこで食事をした。その際、東京へ帰るフライトチケットの印刷をする必要性を思い出し、尋ねてみると、『この家で印刷すればよい』と言われ、プリンターを動かしてみるも、なぜかできなかった。ここからSさんの機動力が発揮され、大きな道路沿いにコピー屋があるとの情報で、その店へ行ってみたが、閉まっていた。

実はそのすぐ横にセラドン焼きの店があり、Sさんは常連であるかのように入っていき、印刷を頼んでいる。店員も親身になってくれたが、印刷は実現せず。その間セラドン焼きを眺めていたが、家で使いたいようなカップや皿が並んでおり、如何にも日本人好みだった。ガレージセールのようなお値打ち品もあった。

仕方なくセントラルデパートへ行く。ここにSさんの知り合いがやっている印刷ショップがあった。何という幅広いネットワーク、僅か30バーツでついに印刷が完了した。今はスマホ表示の時代、印刷は流行らないようだ。ついでにユニクロへ行き、極寒北京用にウルトラライトダウンなど冬服も買い込み、任務完了。

最後に自然に囲まれたおしゃれなカフェで、心地よい風に吹かれながらお茶を飲み、久しぶりに濃厚なチョコレートケーキを食べる。チェンマイに住んでいても、こういうカフェに入ることはない私。これもひとえにSさんのお陰。チェンマイに来てくれたことに感謝だ。もう少し早く来てくれればよかったのに。

チェンマイ滞在記2023その2(6)3 再びアカ族村へ

さあ、帰ろうと思ったが、車はまた別の山へ登っていく。コーヒーで有名なドイチャーンだった。ワーウィはコーヒーチェーンの名前に使われているのだが、実は一度もコーヒーの木を見なかった。全てはドイチャーンのコーヒーを使っているというのだが本当だろうか。取り敢えず上に登り景色の良いカフェでコーヒーを頂く。それからドイチャーン珈琲の工場へ行ってみる。何となくここは以前来た記憶があった。

更にドームは車を走らせ、夕日がとてもきれいな場所へ連れて行ってくれた。確かに天気も良く、インスタ映えしそうな別荘地帯だった。今タイではこういう場所に宿泊して写真を撮るのが流行っているらしく、若者が車やバイクでやってきていた。陽がとっぷりと落ちていく中を車は帰路に就く。途中のメーカチャンに老舗茶荘があったのだが、勿論既に閉まっていて、行くことは出来なかった。そこから約2時間、何とかチェンマイに帰り着く。ああ、疲れたが、楽しかった。

11月16日(木)再びアカ族村へ

昨日は日帰り旅で大いに疲れた。午前は休息してから、ランチに出て行く。ちょっと気になっていた店、そこにパスタのようなものがあったので入ってみた。するとセットメニューがあり、何だかオムライスととんかつのようなものが見えたので、それを指さす。僅か99バーツだったのでてっきり少量のセットだと思い込んでいたが、出てきてビックリ。これはとても食べ切れない、学生用のような量だ。それを無理して完食してしまう。もうこれは夕飯もいらない状況だった。

そんな午後、今日も出掛けていく。一度訪ねたアカ族の村へ向かう。前回はメージョー大学まで苦心してソンテウで行ったが、今回はBoltを呼んでみる。勿論ソンテウに比べれば料金は高いが、目的地まで難なく行ってくれるので、何とも有難い。村へ行くのではなく、メージョー大学の横で下車した。

そこにはHさんの奥さんがやっているカオソイ屋があった。午後3時頃でお客はいなかったが、久しぶりのHさん夫妻が迎えてくれた。更にプラーオからKさんも来られて、3人で隣のドリンク屋からドリンクを調達して話を始める。途中でカオソイが登場、スパイシーではなく、予想以上の美味しさで、先ほどの満腹を忘れてまた完食する。

夕暮れ時、近くの市場へ出掛けた。お寺の境内を使ったかなり大きな市場で驚いた。野菜や果物、総菜から服や靴、果てはペットまで何でも売っている。我々は今晩のご飯として、Hさんお勧めの、エビのかき揚げなど何品かを買い込んで帰る。Hさんの家に着くと、それを食べながら、また話を続けるが、明日は早朝4時半起きということで、シャワーを浴びて早々に寝入る。

11月17日(金)アカ族の結婚式にチェンラーイへ

翌朝は4時過ぎには目覚めた。勿論辺りは真っ暗だ。5時には家を出発。奥さんのお母さんも乗っている。我々男三人は、仲良く後ろで揺られていく。すぐにセブンに寄り、ドリンクを調達すると、その後はまっすぐにチェンラーイを目指す。この道は一昨日走った道だったが、ノンストップで進む。

午前8時にはチェンラーイ市内の少し先まで走って、車は止まった。今日は天気が曇っており、20度ほどしかなく、肌寒いと感じるほどだった。朝ご飯として、クイッティアオを頂く。温かくて実にうまい。この麺屋もアカ族経営で親戚のようだった。幼い女の子は既に結婚式に行く服装ではしゃいでいる。なぜか店から向こうに大きな大仏が見える。

チェンマイ滞在記2023その2(6)2 ドイワーウィへ

11月15日(水)ドイワーウィへ

今日は先日のドームにお願いして、ワーウィに連れて行ってもらうことにした。ここも国民党残党の村の一つ。そして珈琲チェーン店で有名?だが、烏龍茶作りも行われていると聞いていた。朝迎えに来てもらい、車に乗り、チェンラーイ方面へ向かう。1時間半ぐらい行くと、道路脇に温泉がある。

この温泉には寄ったことがあるが、私がトイレに行っている間に、ドームは卵を買い、温泉たまごを作り始めていた。周囲にはかなりの観光客が来ており、朝のこの時間は多くのツアーがここに寄り道することを知る。ドームは何と20個もの卵を茹でていた。実は温泉は道路脇だけではなく、奥にも続いていることを発見。横にはミニアンコールワット。

チェンマイから3時間ほど行くと、山に登る道に入る。そのあたりに大きな池があり、極めて景色が良いので、写真を撮る。メイスワイダム、と書かれている。メイスワイも時々聞く地名だったが、茶畑はあるだろうか。きれいな花は咲いている。そこから20分ほど登っていくと、突然茶工場が現れた。表には茶葉が干されている。そして中では製茶機械が勢いよく回っている。台湾辺りで見かけた製茶作業だった。

ここで製茶を見学するのかと思ったが、また車に乗り30分、ようやくワーウィ村に入った。万偉というのが中国語名のようだ。村の入り口には高級中学(高校)もあるから、かなり大きな村なのだろう。だが車は村には止まらず、更に4㎞ほど登っていく。そこにもう一つの老李村があった。

そこはリゾートホテルといった感じで、広い庭があり、花が咲き乱れていた。更に進むと、一面の茶畑を見下ろすことが出来、何やら文字も見えている。茶畑の横にはコテージもあり、まさに観光茶園だった。標高は約900m。そこで昼ごはんに、豚足や烏骨鶏スープを頼むと、気分はもう完全に雲南になってしまった。腹一杯食べて満足する。

デザートに美味しいバナナを食べていると、ここの老板が帰ってきた。早速お茶を飲みながら、お話を聞く。お茶は烏龍茶ではなく、何とプーアル茶だった。老板の李開明さんによれば、あの幻のタイ北部のプーアル茶、鴻泰昌の権利を2000年代に引き継いだというから、驚いた。李さんが三代目と名乗っている。

李さんの父は国民党軍と共にタイにやってきたが、1960年代の初めには軍を離脱して、古くからアッサム種が多く生えている茶房と呼ばれる地域だったワーウィに拠点を置き、1962年に明利茶業を設立。烏龍茶などより随分早く、プーアル茶の原料などを作っていたというから、興味深い。

もっと話を聞きたかったが、別のお客さんが来てしまい、ドームと一緒に茶畑を回って写真を撮ると、次回の再会を期して今回は退散することにした。それからこの近くに住むドームの同級生を訪ねると、その家の裏にも大葉種の茶樹が植わっており、確かにこの地域は古い茶の世界があったことを示していた。

そこから一応ワーウィの街中を車で走ってみる。やはり漢字がそこかしこで見られる。セブンイレブンもあるので、ある程度の規模の街だといえるだろうが、戸数は思ったほどない。やはり他の山岳地帯同様、都会へ出てしまったのだろうか。帰り道の途中にパゴダが見えたので行ってみる。何と途中でアカ族が茶摘みをしていた。本当に賃金が安いと嘆いている。パゴダはかなり立派だが、なぜここに建っているのかなどは不明。

チェンマイ滞在記2023その2(6)1 Hさんがやってきて

《チェンマイ滞在記2023その2》  2023年11月12₋11月24日

11月13日(月)Hさんがやってきた

ホーチミンから戻った翌朝、いつものようにパンを買い、フルーツを買って宿に戻ると、もう疲れてしまい、後はダラダラと過ごす。最近はちょっと旅に出ると疲れてしまう。茶旅も限界が近づいていることを自覚し始めている。昼間は暑いので、今後の予定を手配するなど、屋内で過ごす。

夕方外へ出て、ソンテウを拾う。ターペー門まで行くので問題はない。ちょっと早く着いたので、そこにあったアウトドアの店に入る。もうすぐ極寒の北京へ行かねばならず、その準備を開始する必要に迫られていた。だが私の希望にちょうど沿うような服は残念ながら見つからない。

すぐ近くのホテルで、静岡からやってきたSさん、いや旧姓Hさんと再会した。彼女は休暇を取って一人でチェンマイにやってきた。実は私がチェンマイにいることを知らずに、色々とアレンジをしていたようで、後から日程を聞き、取り敢えず会うことになった。まあお茶関係の人なので、いくつか紹介したいところはある。

今晩は彼女の希望もあり、近くのシャン料理屋へ行くことになった。一応食べるお茶、ラペソーもあるので、ミャンマーに入れない今、チェンマイで体験してもらおうというものだ。ただ初めてタイに来た彼女にとっては、少し辛過ぎたようで、あまり食は進まなかった。残念。

折角なのでと、車を呼んで、ナイトバザールを覗いてみる。私も6年ぶりになるので興味津々だったが、昔の賑わいは感じられない。そして売っているものは相変わらずかなり安い。お茶を売る店はかなり増えているように見えるが、果たして売れているのだろうか。何となくアイスを食べて帰る。

11月14日(火)Hさんとぶらぶら

今日もHさんと出掛ける予定になっており、ソンテウを拾った。だがソンテウは堀の周囲を回らず、道を外れたので驚いた。ワーロット市場辺りまで行き、人を下ろして、またターペー方面に向かったので、途中で降りて、10年ほど前泊ったことがある宿がやっているかチェックした。そこはそのままあったが、日本人が今も経営しているのかは分からなかった。

昨日のホテルでHさんをピックアップして、Monsoon Cafeへ向かった。ケネスは1時間だけ時間があるとのことだったが、結局昼ごはんまでご馳走してくれ、大いに語ってくれた。Hさんは英語ができるので、直接色々な話になって、面白かったのではないだろうか。ミアンをお土産にくれるとまで言い出したから、いい出会いだっただろう。最後は現在建造中の川沿い博物館まで見せてくれた。

そしてケネスが車を出して、Tea Galleryまで送ってくれた。ケネスは向こうでイタリア人のジョンと何か話している。こちらは馬さんとミアンの歴史などについて話を進めていく。Hさんはまた英語で色々と聞いている。私は相変わらず、冷たいKombuchaを飲みながら、話を聞いている。

Hさんをホテルに送り、一度宿へ帰る。夜またHさんと約束したので、今回は美味しいタイ料理を食べようと、早めにワンニーマンの有名店を目指す。だが既に人が並んでおり、予約もできないらしい。少しその辺ぶらぶらしてまた店に戻ると、『今なら席があるけど』と言われたので、約束時間より30分早かったが席に座り、Hさんに連絡してきてもらった。

トムカーガイや焼き鳥などを注文する。やはりそれなりに旨い。辛い物は苦手の人でも十分に食べられる優しい味だ。食後はMayaの地下でお茶などを見ながら、買い物に付き合う。こういうスーパーのチェックは意外と重要だ。それからHさんがホテルをこの付近に移していたので、そこまで送っていく。やはり今の観光客はニーマン付近に泊まるのだろう。横道はホテルだらけだった。