「タイ」カテゴリーアーカイブ

チェンマイ滞在記2023その2(5)3 ランパーンの疲れを癒すビルマ料理

チェンマイに戻る列車は午後5時半の一本しかない。バスターミナルを探してバスで帰れるか確認したくなる。駅からターミナルまでまたちょっと歩く。チェンマイ行は沢山出ていると思っていたが、窓口で聞いたら4時50分しかないという。列車より少し早いのでマシかとチケットを買って言われた場所で待っていた。

そろそろ時間だな、と思った頃、何と日本人から話し掛けられて驚いた。ここから1時間ぐらい行った山沿いの村に住んでいるとのことで、帰りの迎えを待っているという。茶畑のことなどで話が盛り上がってしまい、気づけばバスの時間は大分過ぎていた。しかしその間大型バスは全く来なかった。慌てて窓口へ行くと『なんで乗らなかったの』と怒られる。大型バスが来るものと待っていたが、私が乗るべきは目の前に停まっていたロットゥだった。

しかも次のロットゥは1時間後しかなく、日本人の方も迎えが来てしまい、一人取り残された。列車も行ってしまう時間でもうどうにもならない。近くのショッピングモールまで歩いて時間をつぶし、更に肉まんなどを買って食べて待つ。ようやくロットゥに乗った時には夕日がきれいだった。それから1時間半ほど走って、アーケードに着いた頃には周囲は完全に暗くなっていた。疲れ果てて車を呼んで帰る。

11月1日(水)ビルマ料理

昨日はランパーンでかなり疲れてしまい、今朝は起き上がれなかった。昼前に何とか外へ出て、飯を探す。何となく検索したら、ニーマンにとんかつ屋があるというので、そこへ向かった。ところが開店時間になっても店は開いていなかった。もう辞めてしまったのかもしれない。

仕方なくその周辺を見てみると、何とビルマ料理の文字を発見した。店を覗いてみると、実に旨そうな茄子と芋が煮込まれていたので、思わず席に座ってしまった。この店はミャンマー料理とタイ料理が両方あり、メニューも2つある。チキンマメカレーとラペソーを頼んでみる。やはり美味しい。値段もリーズナブル。これは瓢箪から駒、ということだろうか。

店で働いている人たちは英語も話し、ミャンマーから来ているようだ。白人のお客さんも来ており、この付近の人気店なのかもしれない。まあカレー中心で白人にも食べやすいのだろう。これからはこの店をご贔屓にしよう。そして次回は必ず、あの茄子と芋を食べてみようと思う。

店を出てその辺を散歩しようと思ったら、薬局があったので入ってみる。実は肘肩痛は快方に向かってはいるものの、まだ万全ではない。ここらでタイガーバームのシップでもしようと思い立ったのだが、この辺の薬局は中国人団体観光客の爆買い向けに設定されているのか、一袋の量がかなり多い。でも爆買いする人はあまり見かけないのだから、どういう商売をしているのか、ちょっと気になった。結局一番小さい袋を1つだけ買って帰る。

夜は軽く済まそうと思っていたが、ちょっと気になっていた露店の席に座った。ここは100バーツでステーキが食べられるというのだ。ポテトとパンとサラダ、そしてステーキがワンプレートで出て来る。食べているといつの間にか席がすべて埋まっていた。何となく、その昔の台湾の夜市を思い出しながら頂く。

チェンマイ滞在記2023その2(5)2 ランパーンを歩く

さて、駅前から寺までは相当距離がある。ソンテウのおじさんが近寄ってきたが、400バーツというので、一旦退けて、Grabなどで検索してみる。だが片道180バーツと出ていたので、ソンテウで行くことにした。車は郊外に向かう幹線道路を走った。交渉でもう一か所、寄ってもらうことにしていたので、まずはそちらへ向かう。

ナレースワン大王記念碑、という場所に着く。非常に新しい作りで歴史感はないが、英雄像が立っており、その周囲は鶏と象で囲まれているのが、如何にもという感じだ。検索してナレースワン大王の歴史を見ると、アユタヤ朝『救国の英雄』として、ラームカムヘーン、ラーマ5世と並び、「タイ三大王」に数えられている。説明書きは全てタイ語でよく分からず、ちょっと周りを散歩する。池の向こうは地質学院と書かれているが、この辺りで地質調査が行われているのだろうか。

そこから20分ほどで、目的地ワット・ルアタート・ランパーンルアンに到着した。思ったよりはるかに立派なお寺だった。駐車場のところに銀行のATMが3台もあったのは、お布施の用意のためだろうか。脇の方から入っていくと、敷地はかなり広く、本殿までは結構遠い。結局横から入ることになり、まずは裏へ回ると、展示館があった。タイ語だけなのでよく分からない。ただ展示品はかなり貴重な雰囲気がある。

本堂付近に進むと、かなり古めかしい仏塔があり、一周する。本堂にはいい感じの仏像が並んでおり、壁には前日博物館で見た壁画がそのまま残っていた。この寺の歴史、古さが分かってくる。やはり由緒が違うのか、このお寺には参拝者が多い。どの辺がランナー文化なのかは、不勉強でよく分からず。再度勉強して出直すべし。最後に門から荘厳な階段を下りる。そこにはランパーン名物の馬車がお客を待っていた。

運転手を起こして車が走り出すと急に雨が降ってきた。それでも運転手は『この寺も見ていけ』と車を停めるので、途中ちょっと見学する。ランパーン駅まで戻ると雨は完全に上がっていた。ソンテウと別れて、一人歩き出す。駅前の道を行くと、漢字が目に付く。古廟などもあり、この付近は完全に華人の街だった。

その辺で普通のクイッティアオを食べて腹を満たすと、街歩きを始めた。ランパーンにはランナー文化が色濃く残っていると聞いたが、どこにあるのかよく分からず適当に歩く。途中の学校は完全に中国の支援を受けている。公園も中国系で整備されてきれいだ。100年前のお寺に行ってみると、何となくビルマ系の雰囲気だった。確かに街中に木造の古い建物はいくつか見られた。

フラフラ歩いていると、家から出てきたおじさんと目があった。何と向こうから英語で話し掛けてきた。恐らく華人だろうが、中国語を使うべきか迷い、そのままちょっと英語で話して別れた。町を一人で歩いている外国人は珍しかったのだろうか。もうちょっと話を突っ込んで聞けばよかったと後悔。

それからお寺にちょっと寄り、鉄道が近くを通る市場へ行ってみたが、もう終わっていた。その先に黒橋、と書かれた鉄橋?があり、鉄道公園になっていた。どうやらこの橋は第2次大戦中、日本軍が架けたらしい。突然現代史が出てきてビックリする。戦時中ここでは一体何が行われていたのだろうか。折角なので駅の方へ向かって線路沿いを歩くと、貨物列車がやってきて、気分が出る。

チェンマイ滞在記2023その2(5)1 ワット・ムーンサーンへ

《チェンマイ滞在記2023その4》  2023年10月30₋11月7日

10月30日(月)ワット・ムーンサーンへ

チェンマイ付近の歴史をもっと知りたい、とネット検索をしていると、インパール作戦の生き残り日本兵がチェンマイまで逃げてくると野戦病院があった、との記述に出会った。確かにミャンマー北部からタイへ脱出した、という話は、その昔シャン州のカローで『従軍看護師』の手紙を見せてもらった際、記述されていたので知っていたので、その野戦病院のあった場所を訪ねてみたくなる。

朝早く起きて、歩き出す。南門を抜けて行くと、そこは先日行ったシルバーテンプルだった。そのすぐ向こうに目的地、ワット・ムーンサーンに到着した。ただ門には英語表記などもなく、本当に着いたのか、不安になる。門の横にはスッタジットー美術館と書かれた精緻な建物があり、中には銀細工が置かれ、壁にはその歴史が銀で記されていた。

更に奥に入っていくと、日本兵戦没者慰霊碑があった。日の丸が見えたので分かった。その後ろの建物は資料館で、中には日本兵の遺品などもあるようだったが、朝8時前だったので、開いてはいなかった。その反対側にはランナー・タイヤイ様式の古い仏塔が見え、その向こうの大木と合わせて、日本兵のための野戦病院を見ていたのだな、となぜか感じてしまった。

そこからふらふらと横道を歩いて行く。前回滞在したい際に何度か行った粥屋まで30分ぐらい歩いて行ってみた。ところがいつの間にか人気店になっており、お客が外まで溢れていたので、残念ではあったがパスした。仕方なくお堀まで戻ると、前回の見慣れた街が登場する。懐かしいので歩いているとクラブサンドのある店があったので、そこで朝食を取る。その後馴染みの市場でフルーツを買い、チェンマイ最古の寺院、ワット・チェンマーンにお参りして帰る。

結構歩いて疲れてしまい、日中はずっと休息する。もうチェンマイに来てから1か月も過ぎ、疲れがピークに達しているようだ。夜も近所で済ませる。チャーハンのお供に、たまご豆腐のあんかけを頼むと、これが美味い。絶妙に疲れを癒してくれた。急に明日も出掛けようと思い立つ。

10月31日(火)ランパーンへ

今日は先日博物館の展示で見た、ランパーンの寺へ行ってみたいと思う。まずは近所でカオトームの朝食を頬張り、車を呼んでチェンマイ駅へ向かう。ランパーン行きの列車はこの時間だけ続けて2本ある。元々は遅い方の列車でよいと思っていたのだが、何と発車3分前に駅に着き、窓口で『ランパーン』と叫ぶと、『エアコン車の方がいいよ』と言われ、頷いた瞬間、駅員がタイ語で何かを放送した。何と私のために列車を止めてくれたので、驚きながら、小走りでホームまで行った。

乗り込むとすぐに出発した。指定席なので、何とかそこまで辿り着く。意外なほど乗客がいた。中にはこれに乗ってバンコクまで行く人もいるらしい(夜バンコクに着く)。ボロボロの車両ではなく、結構きれいな感じだった。これでもランパーンまで僅か50バーツだから安い。この30分後の列車は鈍行?で、遅い上ファンしかない。いや、エアコンはちょっと寒いのでファンの方が良かったかな。

途中は結構林の中を通り、トンネルもあった。まあ森林地帯を行く感じではなかったが、平原を行くでもない。1時間40分ほどでランパーン駅に着いた。鈍行だと2時間半かかるらしい。何とも古めかしい駅舎、駅前には機関車も置かれている。この街のシンボルは鳥のようだ。

チェンマイ滞在記2023その2(4)4 近所を散策

10月28日(土)ラムドアン2と博物館

久しぶりにお客さんがいない朝。ちょっと解放感が生まれ、30分も散歩に出た。今日は先日のゲーンハンレーの時に話しに出たゲーンホーという食べ物を食べてみたく検索した。何とあのカオソイラムドアンの2号店があり、そこにゲーンホーがあるとの情報が載っていたので、出掛けてみた。

外環道路に建つ立派なお店、あの古いラムドアン1号店とはかなり雰囲気が違う。朝9時頃だが、お客は殆どいない。ゲーンホーと言ってみると、初めは怪訝な顔をされたが何とか通じた。メニューには英語があり、Lanna Mix Curryと書かれている。食べてみるとカレー味の春雨炒めかな。元々家の残り物を放り込んで食べていたらしい。だからMixなのか。

そこからMayaの方へ歩いて行くと『中国城』と書かれた門がある。前から気になっていたのでそこを潜ってみたが、中には建物はあるが、殆ど店はなく、僅かに1軒レストランが見られるだけだった。恐らくはコロナ前、中国人観光客目当ての店を集めるつもりだったが、結局客が見込めず、空き家になっているようだ。

更に進むとチェンマイ博物館がある。ここは立派な国立博物館で前に来たことはあったが、折角なので見学する。毎回来るたびに、新しい発見があるのが良い。というか、当然ながらチェンマイやランナーについて知らなければ通り過ぎてしまう展示だが、今や大いに興味があるので、かなり長い時間眺めていた。特にランパーンに惹かれる。すぐにでも行こうと思い立つ。

Mayaに近づくとそこに立派な寺があった。ワット・ジェーヨッドと書かれており、敷地がかなり広い。散歩にちょうど良いので歩いてみると、かなりの由緒があり、空間が心地よく、何となく楽しい。大仏の前に座り、しばし心を休める。こんな空間が近くにあるとは知らなかった。これからも時々散歩しよう。

かなり歩いて帰りつく。久しぶりに充実した散歩となり、腹が減る。近所の店に入り、ブレックファーストを頼んでみる。トーストとベーコン、目玉焼き、コーヒーで85バーツはまあまあの値段かな。午後は疲れが出てゆっくりと休息する。

10月29日(日)マックとカレーで

朝散歩に出る。近所に『中国人歓迎』と中国語で書かれている看板を見るが、その店はいつ開いているのだろうか。その向かいにはなぜか日本風のお茶屋さんがある。ある人から『日本の抹茶が飲めるらしい』と聞いたが、どうだろうか。当然朝はやっていない。いつもの店の牛肉麺で腹を満たす。

午前中は全国大学女子駅伝を見て過ごす。やっぱり名城大が強いか。昼になり外へ出た。何だかとてもマックの気分だったが、ニーマンのマックにはサービスセットが無いので、わざわざチェンマイ大学医学部の横まで歩いて行く。ここにはお気に入りの99バーツセットがある。フィレオフィッシュを食べながら、ダラダラと過ごす。

夕方また腹が減る。そう、いつでも腹は減るのだ。まだ行っていない店を開拓しようと歩いていると、和食屋が出現した。お客はタイ人一組しかいない。思い切って入ってみると、随分前からやっているようでメニューが古ぼけている。カツカレーがあったので注文する。85バーツで、ゴロゴロした芋の入ったカレーにカツが載っている。コスパは悪くない。

ちょっとしたら、日本の老人が二人別々に入ってきて、餃子やサラダを頼んでいる。この人たちは、あのロングステーヤーの生き残りだろうか。そしてこの料金だから食べに来ているのだろうか。そうであれば、この店自体も日本人のロングステイ全盛期を知る遺物ということだろうか。ちょっと悲しい気分で店を出る。

チェンマイ滞在記2023その2(4)3 ドイサケット温泉とベジレストラン

10月26日(木)ドイサケット温泉へ

翌日もTさんを迎えにホテルへ行った。元々の希望が、チェンマイの温泉に行きたいということであったので、行ってみることにした(私も行ったことがなかったのでちょうどよかった)。Boltで車を呼んだが、運転手は『ドイサケット温泉の往復にBoltが表示している料金で行く車はない』という。私もそうだろうと思っていたので、珍しく料金交渉をして、その車に乗って行く。運転手の人柄が信用できそうだったからだが、Grabなどは郊外へ行く料金設定をもう少しちゃんとやって欲しいとは思う。

車で小1時間走って、大きな道路から脇道に入り少し行くと温泉が見えてきた。もし路線バスやソンテウなど来ると、幹線道路のところで降ろされ、20分は歩くところだった。温泉は広々としており、温泉プールもあるようだった。我々は100バーツ払って個室風呂に入る。ここのお湯はかなり気持ちが良く、肌がすべすべしてくる。鼻歌も出そうな感じ。しかも窓から見える田園風景が何ともリラックスできる。

その後卵を買って温泉たまごを作って食べる。これも意外と楽しいがコツがいるようだ。平日の午前中でお客はほぼいなかったが、車でタイ人グループがやってきて、足湯をしたり、温泉たまご作りに歓声を上げていた。何とものどかで温かい午前中、これはかなり幸福感がある。

車で市内に戻り、ネット検索したベジタリアンレストランで降ろしてもらった。午後1時頃だったが、食事はもうなかった。いや、今日食堂がやっていたのかと思ってしまうほど、閑散としていた。仕方なく、そこで売られていた野菜などを見て、フルーツジュースを買って飲む。

そこからまた車に乗り、Mayaの地下へ行く。そこにもべジレストランがあるはずだったが、何故か今日は休みだった。きっとこれは何かの日なのだ。ちょうどタイティーの店があったので、そこでドリンクを買い、歩きながら周辺で店を探して入った。べジを謳ってはいたが、そこは華人系の店で、観光客向け、何でもありそうだった。パッタイや野菜炒めなどを食べて、本日の活動を終了した。

10月27日(金)嬉しい再会

Tさんと再会して楽しく過ごしていると、前回ラフ族の村に案内してくれたヨックから連絡が入り、急遽ランチを食べることとなった。場所はワンニーマンのおしゃれなレストラン。ここのご飯はとても味付けが良く、美味しい。そしてランチ時間は満員盛況、観光客も多いようだ。ヨックが『ゲーンハンレー、ラフ族は食べない』と言ったのがちょっと引っかかる。

前回ドイプーメンまで送迎してくれたウドムも途中から参加して、旅行業などについて、色々と話が弾む。そしてもう一度プーメンに行きたいという私の希望をヨックが考えると言ってくれた。何とも有難いことだ。私は先日Fさんから『あの村で食べた焼いた鶏肉は絶品』と言われたのが脳裏に焼き付いている。

それからウドムの車で送ってもらい、シャンレストランへ移動する。Tさんが待っていてくれたのだが、何とこの店も今日は休みだった。昨日からべジレストランは軒並み閉まっている。仕方なく、その近所の食堂を検索して行ってみる。もう3時近いのでお客もなく、べジとは言いながら、ここも白人観光客向けの食堂だった。フレッシュジュースを飲みながら2回目のランチを食べる。そしてTさんが乗ってみたいというソンテウを拾い、ゆるゆると帰る。

チェンマイ滞在記2023その2(4)2 ワット・ウーモーンから銀寺へ

10月25日(水)再びワット・ウーモーンへ

昨日のプラーオの旅で若干疲れが出た。ただ今日はお客さんが来ており、出掛ける。ヨーガ繋がりでインドからやってきたTさんは、何と我が宿から歩いて10分かからない所に泊まっていた。そのワンニーマンのすぐ近くのホテル、これまで全く気が付かなかった。少し道路から入っていることもあるが、まさかこんなところに、自然に包まれた空間があるとは想像できなかった。料金もそれほど高くないのは何とも不思議。

そのロビーに入るとスタッフの対応が優しい。庭を眺めると、ブランコが見え、とても寛げそう。部屋はコテージだろうか。この環境は実に素晴らしい。Tさんが現れたので、近くのカフェへ移動する。そこはチェンマイ滞在2日目に行った場所で、ちょっと気に入っていたところ。Tさんはやはりベジタリアンだったが、ここのブレックファーストは種類が多く、何とか対応できた。

Tさんとはヨーガ、いやインド繋がり。バンコクのヨーガ合宿でも一緒だったことがあり、久しぶりにインド方面の話で盛り上がった(盛り上がったのは私だけか)。まさかチェンマイでインド話とは。やはりチェンマイは国際都市だな、と勝手に思う(ヨーガスタジオが沢山ある)。Tさんは今、インドで働いている。それだけでもすごいなと感心してしまう。

話しはかなり続いていたが、何と今日に限ってこのお店は1時で閉店だという。仕方なく外へ出た。Tさんに行きたいところを聞いたら、何と『ワット・ウーモーン』というので驚いた。そこは先日Kさんと行ったばかりだった。そんなに有名な場所だったのか。車を呼んで二人で行ってみた。前回は夕方、今回は昼間。昼間は日差しが強い。

何とこのお寺、前回はなかったが、20バーツの入場料を取っていて驚いた。前回同様城壁に入り、一応お参りする。その後更に奥に進むとかなり大きな池があった。その先には僧房(いや寺院か)があるようだったが、突然すごい勢いで犬が飛び出してきて吠えられたので、びっくりして逃げ出す。

池の周りを回ると、華人系の墓がある。この広い敷地内には色々な歴史が眠っているようで、タイのお寺は様々な顔を持っているなと感じる。老僧とすれ違うと英語で『どこから来たのか?』と聞かれた。日本と答えるとなぜかにっこりとして立ち去った。何とも不思議な空間、空気を味わう。帰りにこの寺が瞑想者を受け入れていると知り、その概要を聞きに行く。ここでもお坊さんが英語で丁寧に説明してくれた。一度ぐらい瞑想しに行かねばと常に思っているのだが、数日間誰とも話さない生活はやはり私には想像できない。

次にTさんが行きたいと言ったのが、銀寺。車で行くとすぐに着いた。やはりチェンマイはコンパクトでよい。確かに本堂はシルバーで覆われており、渋い感じ。チェンマイの銀閣寺、などとも書かれているが、京都の銀閣寺はシルバーだっけ?因みに女性は中には入れない。入場料は50バーツだが、冷たい水がもらえた。

そこから結構な時間をかけて歩いて帰った。途中にムエタイジムなどがあり、白人も数人参加していた。Tさんは夕飯を食べないようなので、ホテルで別れた。一度部屋に戻って休息し、その後夜は以前から興味のあったカレー屋へ向かう。ここはオタクの店かと思うような日本グッズが並んでいた。こんな店がタイには増えている。カレーはかなりの量があり、食べるのに苦労した。

チェンマイ滞在記2023その2(4)1 リス族の村の教会で

《チェンマイ滞在記2023その4》  2023年10月24₋10月29日

10月23日(月)再びプラーオへ

僅か3週間前に行ったばかりのプラーオへまた行くことになった。もう慣れたもので、バスターミナルまで歩いて行き、カオマンガイを食べてロットゥが来るのを待った。いつの間にはロットゥは来ており、すでにほぼ乗客が乗りこんだ後に行ったので、一緒に乗るはずの日本人がどこにいるか分からなかった。

途中でKさんに位置情報を入れて、前回同様2時間かからずにプラーオの街に入った。Kさんに迎えてもらい、家に寄る。その後市場を見学してからサムリ村へ移動した。Kさん宅のすぐ下に教会があった。今回はこの教会の改修完成記念の式典があるというのでやってきたわけだが、見ると前日から村の人々により準備が行われていた。リス族の村だがほぼ全員がキリスト教徒であり、教会の改修は悲願だったのだろう。

そこから坂道を登っていくと、上では食事の支度が進んでいた。ラープのようなものを包み、蒸しているのが面白い。今回はいつもの豚の他に牛も一頭捌いているのがちょっと不思議。実はキリスト教関係の儀式なので、牛豚を犠牲にする場面は見せられないと言われていた。クーラーボックスに入った牛の足が取り出されている。

そうこうしている内に、『こっちで夕飯を食べていけ』と声を掛けられ、いち早くご馳走を頂く。新鮮な豚肉が非常に美味い。Kさんの奥さんのお母さんが出てきて、歓迎の意を表してくれた。何だかとても暖かく、居心地が良い。その後Kさん宅に戻り、Kさんが用意してくれた焼き鳥にも手を出す。しかしKさん自身は用事があると言って、チェンマイへ行ってしまい、後の仕切りはUさんに委ねられた。そこへ村人から新鮮な牛肉の差し入りがあり、これは本当に美味かった。

今回のメンバーはチェンマイ在住の男性2人、留学中の女性1人、そして何と日本から著名なシンガー(昆虫好き)が参加。ちょうど雨も降り出して室内に移ると、彼は私でも知っている彼の持ち歌を歌ってくれた。するとなんとUさんがギターを弾いて、留学生が歌うという大胆な展開に。プロの前で歌うなどと思っていたが、実はかなり上手くてびっくり仰天。流石歌って踊れる大学院生!何とサプライズな夜となった。ただ雑魚寝ではなぜかあまり眠れなかった。

10月24日(火)教会の儀式

明るくなると起きて散歩に出た。既にメンバーの何人かは外に出ていた。昨日と同じ場所で朝早くから今日の昼の食事の用意が進んでいる。何とも好ましい光景だ。するとまた『朝ご飯はここで食え』と声が掛かり、朝からご馳走を頂く。食べ終わると薬缶からお茶が振舞われる。そうこうするうちに大勢のリス族が坂を下っていく。

式典は10時からと言われていたが、何だか早めに始まった。ここの神父(ベルギー人)が極めて流ちょうなリス語で挨拶したのには驚いた。その横には何と韓国から来た信者が3人ほど立っている。聞けば今回の改修費用はこの韓国の団体から出ているらしい。この山の中での宗教の国際性には何とも驚くばかりだ。今回特別に牛が犠牲になったのも彼らと関連があるのでは、と思ってしまった。

テープカットが終わり、皆が中に入った。神父の説教があり、その後はリス族信者による歌や踊りが続く。200人ぐらいが中におり、我々は遠慮して外からそれを眺めていた。1時間ぐらいで式典は終了し、食事となる。また坂の上のテントに戻り、ご馳走を頂く。何とも有難い限りだ。リス族の女性は日頃から民族衣装を着ているのだが、今日は若い子たちも着飾っている。

Kさんの車でプラーオに戻る。バスの時間まで、また市場を歩く。何とミアンを売っている人がいた。聞いてみたが、仲買人から購入しているようで、どこで作られているかは分からなかった。リス族など山岳民族は食べないが、タイ人は食べるらしい。その後ロットゥに留学生のNさんと乗り、チェンマイまで戻った。Nさんはもうすぐ1年の留学を終えて、帰国するそうだ。こんな経験は日本では絶対に出来ないだろう。

チェンマイ滞在記2023その2(3)6 カオトームと和食にありつく

午後は卓球を見ながら、たらたら過ごす。ツアーの疲れが出て、本当に自分が歳をとったと感じる。更にドラマを見ていると三重県が舞台であり、風景の茶畑が映りこんできて、何とも素晴らしいと思ってしまう。でもこれ漁港に家があるのでは、などとあれこれ三重を思い出す。

夕方になってバスターミナルにプラーオ行チケットを買いに行く。そのままシャン料理屋へ行き、納豆炒飯はないかと聞いてみたが、首を振られてしまった。ちょっと発酵させたキャベツの入ったチャーハンは美味かった。帰りは夕日がきれいで、近所の有名な寺でほっこりする。

10月21日(土)Kさん来訪

午前中は原稿を書いたり、報告会の準備に追われる。昼過ぎになってイサーンからやってきたKさんと落ち合う。場所はなんと昨日と同じシャン料理屋だった。なぜ私が昨日シャン料理屋へ行ったのか。それはKさんが『20年以上前にチェンマイで食べた納豆炒飯がまた食べたい』とFBに書き込んでいたからだったのだが、チェンマイの誰に聞いても、納豆炒飯などない、と言われてしまった。取り敢えずもう一度シャン料理屋へ行き、タイ語のできるKさんに確認してもらった。

案の定、納豆炒飯はなかった。仕方なく他のシャン料理を食べる。そして初対面のKさんと、色々とタイ話をしていると、いつの間にか夕方になってしまう。店を出て、Kさんが行きたいというお寺について行く。そこはチェンマイ市内の外れぐらいで遠くはなかったが、観光客が結構来ていて驚く。

境内には色々なものが置かれ、飾られている。そしてメインは城壁のような場所の中へ入り、そこをお参りすることだった。ろうそくが灯される中、仏像が数か所に置かれ、荘厳な雰囲気がある。Kさんは20年前、ここで壁の穴に置かれた無数の仏像を見たというのだが、残念ながら、それは無かった。この寺、本堂はどこにあるのかよく分からない。昔の寺は廃寺となり、廃墟と化しているらしい。

帰りにGrabを呼んで一緒に帰る。ただ配車アプリで、2人が乗って別々に降りるというオーダーの仕方が分からない。仕方なく車に乗り込み、宿の近くまで来たら、Kさんが運転手に声を掛けるという手法で切り抜けた。だがやはり不便なので、夜検索して、何とかアプリオーダーの方法を探した。夕飯は近所で珍しいパスタを頂く。

10月22日(日)和食にありつく

ミアンツアーの時になぜか食べられなかったカオトームが食べたいと思い、朝は近所の店へ行き『カオトーム』と叫ぶと、ちゃんと思った通りのカオトームが出てきた。今までは何だったのだろうか。私の発音がオカシイとは思えない。まあ、とにかく煮卵も入れて、美味しく頂く。

昼はガイヤーン屋へ向かう。前回食べたいと思ったチキンウイングを注文しようと思ったが、既に売り切れており、ネックもなく、チキンフットだけが残されていた。それをカオニャオで食べていたのだが、肉部分は極めて少なく、何とも寂しいランチとなり、心が落ち込んでしまった。

それを挽回するかのように、夜はNさんと食事。キッチンハッシュというから、洋食屋かと思っていたが、何とも立派なお屋敷にある和食屋だった。さしみ盛り合わせがとても迫力があり、久しぶりのかつ丼も実に旨かった。ここはチェンマイに住む駐在員などが使う場所らしい。確かに一人でフラッと来て食べるような感じは全くない。予約しないと席がないともいう。チェンマイはまだまだ奥が深い。

チェンマイ滞在記2023その2(3)5 メーテン茶旅、そして日常へ 

今日はミアンから離れるが、しかし茶旅を続けることになった。チェンマイ市内から30分ほどで行けるメーテンへ。私は10年ほど前にリス族の村へ行き、茶摘み体験などをしたことがあったので、その村へ行くものと思っていたが、ケンサンのリサーチ力はそれを上回っており、全く知らない山の中へ車は入っていった。

ただそこも観光茶園であり、茶畑を見ながら景色の良いカフェでお茶を飲んだり、お土産を買ったりする場所であった。しかし茶畑をよく見ると、左側は如何にも烏龍茶用の茶葉を栽培するきれいな畑であるのに対して、右側はごわごわした感じの茶樹が植わっていた。こちらはアッサム種であった。

帰り際にオーナーを見付けたので、少し質問してみたら、やはりアッサムは紅茶、きれいな畑は烏龍茶であった。烏龍茶の方は90年代に台湾の支援で茶作りが始まった。アッサムの方はヨーロッパ人が茶樹を管理して紅茶作りを行っていたが、コロナ禍もあり、いま売りに出しているところだと言っていた。タイの茶業の世界も色々と変化しているようだ。カフェでお茶を飲んだが、同時に食べたケーキは今一つの味。この辺を改善できれば、もっとお客が呼び、発展するだろう。

昼過ぎにチェンマイに戻った。タイシルクを見に行きたいとの要望があったので、私は車を降りて、後はケンサンに任せた。ランチを食べていなかったので、久しぶりに洋食ランチを食べて、部屋に戻り、ゆっくりと休んだ。流石に5日間他人と旅をするのはかなり疲れてしまった。やっぱり茶旅は一人が良い、と思ってしまったが、今回の旅が成り立ったのは、参加メンバーのお陰だから、感謝しないといけない。

ということで、最後の晩餐はメンバーの希望を入れて、近所の人気店に行くことにした。ここはミシュランで星を取ったとかで、タイ人を中心に白人も沢山やってくる。しかも予約は受け付けない。午後5時開店前に店へ行ったが、既に20人ほどが座って待っていた。店が意外と広かったので、何とか席を確保して夕飯にすぐにありつくことが出来た。ただその料理は、並んでまで食べるほどのものだったのかは、味音痴の私には分からない。

10月20日(金)通常の生活へ

ミアンツアーのメンバーは朝の内に各自帰っていった。今日からはまた普段の生活に戻れるのかと思うとホッとする。あまり遠くへ行きたくないと体が訴え、久しぶりにカオソイメーサイへ。カオソイは前回食べたので、今回はカノムチーン・ナムギョウを食べてみる。安いが美味しいかと問われればちょっと微妙かな。

部屋に戻って歯を磨いていると、何故か洗面台の水の流れが良くない。何度か試してみると、完全に詰まってしまったので、1階のオフィスに行き、おばさんにその旨伝えたが、最初は『夜警備員が来たら修理させる』という。それでは困るとお願いすると、しぶしぶやってきて洗面台をチェックして、『これはちゃんと直さなければ』と言い、工具を持って再度やってきた。

寧ろお願いしたこちらが『おばさんに治せるのだろうか』と心配したが、実に慣れた手つきで、工具を操り、セメントで固めてパイプを交換する。そして『このパイプは明日の朝まで水を流すな』と言って帰っていく。やはり長年アパート経営をしている人は違うな、と思わず頷く。華人経営だから、無駄な出費も好まないところはよい。

チェンマイ滞在記2023その2(3)4 再びクンラオ村へ

2泊3日のミアンツアーはここで終了し、1時間半ほどかけてチェンマイに戻った。一度解散した後、夜は偶々チェンマイに来ていたFさん夫妻と合流して、夕飯に行く。元々行きたいレストランがあったのだが、そこは予約ができない人気店。ケンサンに相談したところ、連れて行ってくれたのは、地元料理店。若者が行くとっても安い店で皆さんちょっとビックリ。ただ同級生のFさんはビールが安いと喜んでいた。何だか珍しい料理もあり、酒を飲む人にとってはいいつまみもあり、それはそれで面白かった。

10月18日(水)クンラオ村

チェンマイの宿泊先はやはり寛げる。昨晩帰宅して、今朝又出て行くのだが、それでも良い。今朝はチェンマイ名物のカオソイが食べたいという声があり、カオソイラムドアンへ行く。何とケンサンはここの息子と小学校の同級生だったらしい。小学生で偶にここへ来て、カオソイを食べていたというからすごい。

私はつい数日前に久しぶりに来ていたので、特に感慨はなかったが、他の皆さんは色々と感じる所があったかもしれない。相変わらず、チェンマイカオソイはなぜカレー味なのか、という謎は全く解けない。因みにこの店、日本のアニメにも登場していた。チェンマーソーセージが美味そう。

そこから1時間車に乗り、2月にも行ったクンラオ村をまた訪ねた。確かに前回行った中では、ここが一番参考になる。今回はケンサンが事前に連絡を入れておいてくれたので、村で唯一ミアンを作っているポンさん夫妻が暖かく出迎えてくれた。そしてかなり詳細な説明をしてくれた。ちょうど村で葬儀があるようで、数百個のミアンの注文があったようだ。未だに冠婚葬祭にミアンが使われていることが分かる。

ポンさんと別れて、また茶園を見に行く。坂が意外と急で難渋する。それから村にあるコーヒー屋に寄ってみる。前回も人がいなかったが、今回もまたいなかったので、何も買えなかった。そして前回のようにバーミアンを経由して行くかと思いきや、時間の関係でショットカットして、メーカンポーンへ移動する。ランチを食べていなかったので途中の食堂でチャーハンを食べる。この食堂もロイヤルプロジェクト関連だった。

登っていくと相変わらず観光客が多い。その上の滝を見に行くと、前回の乾季と違い、雨季のためか、水量が多く、その豪快な雰囲気に驚く。古茶樹を見に行く暇もなく(足元が滑って危険)、村を離れてチェンマイを目指すが、渋滞もあって約束に遅れた。Tea Galleryに着くとすぐに馬さんの説明が英語で始まる。今回は女性ばかりの訪問者ということか、化粧品の話なども出てきて驚く。ミアンの活用法は実に様々だった。

それからリンピンスーパーに行き、Kombuchaなどをお土産に買う。確かにお土産を買う暇もなく、ミアンを追いかけてきたので、これは良かった。更にそろそろタイの食事にも飽きただろうと、その夜は潮州系中国料理屋へ向かった。チェンマイでは有名な店で、蒸し鶏や揚げ魚、焼きそばなど、日本人に合う味付けで美味しく感じられ、好評だった。昨晩の安い料理の分を吐き出す大盤振る舞いだった。

10月19日(木)メーテン

今日はツアー最終日。ケンサンに『朝ご飯はカオトーム』とお願いしたが、何と又お粥屋に連れて来られてしまう。タイでは普通ジョークとカオトームは区別されており、朝ご飯のカオトームと言えばすぐにあの雑炊と伝わると思ったのが間違いのようだった。沢山出ているおかずを取り、白粥が出てきた。まあタイ最後の朝飯としては悪くないだろう。