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ある日の台北日記2018その2(8)ベトナム華僑と会う

9月23日(日)
アフタヌーンティーをしながら

流石に朝4時に起きて空港まで行ったので、帰ってくると眠気が凄い。昼までは寝ることにした。起き上がって少しするともう出掛ける時間となった。今日はインドから来ている知り合いのOさんと会うことになっていた。Oさんとは数年前、バンコックのお茶会で知り合ったのだが、その後彼はいつの間にかインド、それもラダックに行く途中にあるマナリー付近に引っ越していて驚いた。しかも発酵関連のワークショップなどをやっており、二重に驚く。

 

ちょうど台北にいることが分かったので、彼の宿泊先に会いに行く。その前に小腹が空いたので、雲吞麺を食べる。偶に食べると美味しい。そして数年ぶりの再会。この宿の付近にはカフェなどもなく、探して歩き出す。今日は日曜なので、人はほとんど歩いていない。曇りで暑くもない。

 

話に夢中になっているといつの間にか南京路に出ていた。そこにちょっとおしゃれなカフェがあったので見てみると、何と紅茶館だったのだ。台北で紅茶専門店は極めて珍しいので入ってみる。このお店、1990年頃からあるようで、かなりの老舗だった。週末の午後ということで、家族連れが豪華なアフタヌーンティーを頼んでいる。男二人はちょっと浮いていたかもしれない。台北も普通にアフタヌーンティーを楽しむ時代が来たようだ。

 

インド紅茶とお菓子のセットを頼んでみたが、お菓子はかなり甘かった。最近の台湾人は甘い物を食べないと思っているが、これは伝統的な部類なのだろうか。Oさんは甘党だと言って食べていたが、私は全部は食べ切れない。紅茶は美味しいので、お菓子もいずれ甘さの調整が入るだろう。

 

Oさんはインドで味噌を作ったりして、発酵の研究をしているのだという。これはとても興味深い。マナリ―という街は是非訪れたいと思っていたので、出来るだけ早く訪問することにした。黒茶など、お茶でも発酵が絡むものもあるので、相互の情報交換は有意義だった。気が付けば4時間近く話し込んでいた。おまけに10日後にバンコックに行く予定だというと、そこでも一緒になることが分かり、ご縁を感じる。

 

9月25日(火)
ベトナム華僑と会う

実は今回台北に来てすぐに茶商公会で総幹事から一人の女性を紹介されていた。その人はベトナム華僑で、一族は茶業をしていたというので、ベトナム茶の歴史が分かるかもしれないと思い、連絡を取ったのだが、ちょうど都合が悪かったのか、その後連絡はなく、そのままになっていた。それが突然『いつ会うの?』というメッセージが飛び込んできて驚く。

 

明日には帰国すると言ったところ、では今日会いましょう、ということになり、急きょセッティングされた。こちらまで来て頂けるというので、取り敢えず大安駅近くの茗心坊で落ち合うことにした。彼女は店に入ってくるなり『いいお店ね』と言ってそのままお茶を飲み始めたので、ここで話を聞くことになってしまう。お店には迷惑な話だっただろう。

 

基本的に彼女、林さんは音楽家で、現在も音楽を教えている。茶業の歴史については殆ど知らないと言い、伯父さんが書いたという1冊の本を見せてくれた。本当はコピーしたかったが、初対面で預かる訳にもいかず、何より明日帰るので、致し方ない。断念した。彼女の家業ビジネスで何となく分かったことは、日本統治時代、福建に本拠があり、台湾から茶葉を東南アジアへ輸出する大手茶行であり、光復後は香港経由でベトナムに茶を輸出、そして解放後はホーチミンに逃れ、そこで彼女が生まれた、ということだった。

 

確かに資料にも名前がある茶行であり、興味深い。そして彼女も幼少期、ダラットの紅茶作りなどを見た記憶もあるということで、南ベトナムでのお茶の様子が少しわかった。ただそれもベトナム戦争終結とともに、また逃げ出すことになり、親族の一部はアメリカへ、彼女らは台湾に移住したのだという。勿論ここで茶業は完全に途絶えた。現在ホーチミンに行っても古いお茶屋が殆ど見られないのは、やはり戦争のせいだろう。

 

茗心坊の店主も姓は林であり、しかも同じ客家の出であることなども分り、この二人も突然繋がっていった。林さんは上海で手に入れたという、古い茶を持ち出し、この包装にあるマークはお宅のでしょう、と言ったので、本当に驚いてしまった。お茶と言うのはどこで繋がっているのか分からない。

 

今回台湾滞在もこうして終わった。毎回そうだが、とても実りが多く、また謎もどんどん深まっていき、嬉しいような、辛いような。ただまた11月には再訪するので、更に学びを深めていこう、そう思いながら、翌日成田行きのフライトに静かに乗り込んだ。

ある日の台北日記2018その2(7)和紅茶テースティング会

和紅茶テースティング会In台中

台中のトミー家の2階は講茶学院のスペースにもなっている。そこへ行くと準備は着々と進み、和紅茶も置かれている。まずは昼ごはんということで、スタッフ皆と弁当を食べる。如何にも台湾的ご飯でよい。ここで今回の通訳、エミリーと会う。彼女は神戸に留学経験があり、しかも台北のお茶屋の娘、ということで、通訳にはぴったりの人材だった。製茶公会のフレッダなども手伝いに来ている。

 

金曜日の午後にも拘らず、10数名の参加者を得て、会は始まった。Oさんから和紅茶について、一通りの説明を行い、その後、お茶の説明をしながら、まずは6種類のテースティング。ここに来ている人は、茶農家、茶商、そしてお茶好きばかりだから、質問も非常に細かくなる。テースティング会というのは、単に講師が話すセミナーと違って、皆が立ち上がって自由に動き、実物を飲みながらの話となることから、講師にも質問がしやすいという特徴があり、活発化するのだと知る。

 

前半はべにふうき品種を中心に、後半はそれ以外を6種類、鑑定方式で飲んでみた。途中の休憩時には虎屋の羊羹も出たが、やはり甘いという評価だった(思ったほど甘くなかったという意見もあり)。皆さんの率直な感想は、『日本にこんなに紅茶の種類があるとは思いもよらなかった』という物や『台湾の紅茶に似ているものが美味しかった』など言うことだった。

 

会が終わっても、しばらくは参加者が帰らずに質問したり、記念写真を撮っている。ようやくその波が収まると、近くのレストランに移動して小龍包などを食べる。ここは鼎泰豊にいた人が台中で開いた店ということで、鼎泰豊並みに美味しく、満足できる味。その後、トミーの車で台北へ移動した。何ともハードな日程だが、こればかりは如何ともしがたい。

 

9月22日(土)
和紅茶テースティング会In台北

翌日は朝ゆっくりして、10時にホテルに迎えに行く。そこから大稲埕まで歩いて行けたので、散歩がてら行く。お茶屋や埠頭を覗いていたが、『台北のオーガニック食品事情が知りたい』というので、急遽花博公園までタクシーに乗る。そこに自然食品を扱うお店があり、いくつか購入。

 

また同時に週末マーケットも開かれていたので、台湾各地から来た野菜や果物、お茶やコーヒーなどを見て回る。私もこんなところがあると初めて知る。お昼が近かったので、ついでに、そこのフードコートで麺を食べる。週末で家族連れがかなりたくさん来ており、驚いた。そこからMRTに乗り、今日の会場へ向かう。実はその会場のビルの下にも、Oさんが検索していたオーガニック系食堂があり、ビックリ。台北は急激にオーガニック食品、健康食品市場が拡大しているように見えた。

 

今日は土曜日、そして台北開催ということもあり、参加者は昨日よりさらに増えて30人近くになっていた。こんなに和紅茶に関心がある台湾人が多いとは本当に想像していなかった。これも日頃の講茶学院の活動の賜物だろう。そして昨日よりも、よりマニアックなお茶好きも来られ、また紅茶を輸入している茶業者、台湾紅茶を販売している人などが参加、益々細かい質問が飛び出していた。通訳のエミリーはさぞや大変だったのではないかと思う。

 

またOさんの美味しい和紅茶の淹れ方などにも関心が集まり、使っている茶器にも興味を示す人が多かった。日本の器に対するニーズも高い。食べ物と如何にペアリングするかなどは、台湾紅茶でも考えるべきことであり、単にスイーツと合わせるのではなく、高級和食などとのコラボ、という視点も参加者には刺激を与えたかもしれない。さすがこの道15年以上のOさん、経験豊富だ。

 

昨日同様会が終了しても、質問の輪は解けない。やはり和紅茶への関心は高い。というか、これまであまりにも知られてこなかったから、質問が多くなるということかもしれない。今後は講茶学院などを通じて、もう少し日本茶全般の知識を広めて欲しい。またOさんには来年もまた来て継続的に紹介して行って欲しい。

 

全てが終了して、何もしていない私でも気が抜けた。Oさんは慣れているとはいえ、異国で疲れただろう。今晩は北平料理の店へ行く。台湾では北京を都と認めないので、北平という。メインの北京ダックを久しぶりに食べる!美味しい。昔北京に住んでいた頃は年に何十回も食べていたのに。

 

最後にドリンクスタンドで緑茶飲料を買って飲んでみた。これも重要なマーケッティングだと思う。ただ分量が多くて飲み切れず、しかし台湾のMRTは車内で飲食禁止のため、ずっと持って歩くことになった。Oさんを送り届けて、帰宅の途に就く間に飲み干す。部屋ちょっと寝たが、翌朝はOさんが早朝便で帰国のため、午前5時にホテルに迎えに行き、空港まで送り届けた。トミーはそのまま台中へ、私は台北に戻った。怒涛の3日間は終わった。

ある日の台北日記2018その2(6)Oさんがやって来た

9月18日(火)
国家図書館

今日は以前よりお茶の歴史調べで協力してもらっている黄さんと会う予定になっていた。これまで寄稿した雑誌を渡すためだったが、黄さんから指定された場所が、何ともレトロな喫茶店で、ちょっと面白かった。蜜蜂珈琲という名で、行政院などに近く、記者などが取材の合間に立ち寄る場所だったらしい。そして役人や政治家も人と会うために利用するところで、その話の内容に聞き耳を立てている人もいるとか。今日もXX県の役人が選挙の話をひそひそとしていたとか。私には分からない世界だが、興味深い。

 

店のおばさんは私が日本人だと分かると日本語でお勧めランチを紹介してくれる。昔は日本人も沢山来たところなのだろう。私が知らなかっただけで有名なカフェということか。勧められるまま、宮爆鶏丁定食を頼む。何となく懐かしい味だ。食後のインスタントコーヒー、如何にも昔の台湾を思い出す。

 

黄さんと別れてU-bikeを探して、中正紀念堂まで走っていく。午後はここの前にある国家図書館で調べ物をすることにしていた。初めて来たので登録が必要だったが、簡単に終わる。悠游カードで入館できるらしい。当然ながらこの図書館もかなり大きいので、ざっと見てみる、という訳にはいかず、最初から目指すものを探しに行く。

 

それは1980年頃のある新聞の記事だった。ところがこれらは全てマイクロフィルムに収められており、特別の機械にフィルムを入れて1つずつ見なければならないことが分かり愕然となる。取り敢えず1つ借りてみたが、3か月分の新聞を見づらい機械を通してみるのは難行であり、1時間で断念した。この記事、とても重要なのだが、何とか検索できないものだろうか。

 

9月20日(木)
Oさんがやってきて

準備を進めてきた、和紅茶テースティング会のスタートが切られる。まずは和紅茶の第一人者であるOさんが佐賀から台北に到着する日となった。バスに乗って桃園空港まで迎えに出た。そうか、今や佐賀から桃園まで直行便が飛んでいる時代なんだ。タイガーエアは相当広い範囲をカバーしていて驚く。LCC、何とも有り難い。

 

ところがOさん、なかなか出てこない。佐賀の飛行場から連絡があったので、搭乗しているのは間違いないが、どうしてこんなに遅いのか。あのトレードマークの作務衣を怪しまれたのかなど、一緒に迎えに来たトミーとチャスターと話していると、ようやく姿が見えてホッとする。何と荷物超過となってしまったが、佐賀空港では支払いが出来ず、今支払っていたというのだから驚きだ。

 

午後のスケジュールも詰まっているが、取り敢えずランチということで、空港内のフードコートに行くも満員盛況。仕方なく、洋風のレストランに入り、牛肉麺を食べる。ここでもやはり紅茶を頼むOさん、さすが。

 

そこから車を飛ばして、3時半頃に、苗栗頭份に着く。お茶を感じられる場所ということで、製茶機械の張さんにところに寄り、コンテスト受賞茶などを飲んでみる。Oさんはこれまで何度か台湾には来ているようだが、今回は特別の旅にしてもらいたいと思っている。それから以前緑茶の調べで行った茶農家も訪ねる。こちらは数年前から紅茶も作っており、製茶場や機械を見学し、Oさんも興味津々。

 

それから頭份でお気に入りの客家料理を頂き、その後台中に向かう。台中ではトミーの家に寄り、明日の会場の下見や簡単な打ち合わせを行う。それが済むと、遅くなっていたが、チャスターの車で埔里まで走った。折角台中まで来たので、明日午前中は魚池辺りの紅茶作りを見に行こうと思い、敢えて埔里に泊まった。埔里で予約されたのは、蒋介石像がある圓環付近のビジネスホテル。何だか部屋がとても広かった。

 

9月21日(金)
魚池と埔里の紅茶

翌朝は早めに起きて、ホテルのご飯を食べようと思ったが、食堂に人はいなかった。ようやく探して出された飯は何とハンバーガーとフルーツ。てっきりお粥でも出てくると思っていたOさんは面食らっただろうな。私も埔里でこういう所に泊まるのは初めてだが、お客がいないので、どこかで買って来たかのようだった。

 

それから魚池へ向かう。農会のすぐ前にある茶工場。若手の王さんのところにお邪魔した。ここは設備も最新でお金が掛かっており、いい紅茶が作られ始めている。ちょうど茶作りが見られたので、一通り見学する。何種類もの紅茶のテースティングが始まる。朝からかなりハードな展開だ。

 

帰ろうかとした時、向こうから老人がやって来た。王さんのお爺さんだ。実はこの方、以前お会いしているが、林口茶業伝習所の卒業生で、日本語も話せる。日本人が来るととても喜んでくれるので、一緒に写真を撮る。本当はお爺さんに聞きたいことが沢山あったのだが、今回はOさんのアテンドで時間が無く、残念。次回はいつ会えるだろうか。

 

続いて埔里に戻り、先日も訪れたばかりの東邦紅茶に行った。ここでこの会社を紹介しながら、歴史的な茶工場を見学する。Oさんが是非茶畑が見たいというので、埔里郊外のシャン種が植えられている茶畑に向かった。これは全く予定外の行動ではあったが、やはり茶畑に来るだけでOさんも私も何となく元気になってしまうのが、おかしい。Oさんは楽しそうに茶畑を逐一眺めていた。

 

ある日の台北日記2018その2(5)魚池から霧社へ

9月16日(日)
魚池で

今朝は早く起きた。久しぶりに古巣の魚池付近へ行くためだ。7時発のバスで台北を出発、日曜日で混んでいるかと思っていたが、非常に順調で3時間もかからずに埔里に入ってしまった。元々は日月潭へ行く予定だったのだが、何とこのバスは日月潭に何時に着くのか責任は持てないというので、全員がここで降りた。

 

何故今日はバスがそんなに時間が掛かるのか。それは昨夜李さんからの連絡で分かっていた。1年に一度の『日月潭万人水泳大会』が今朝から開催されており、交通規制が敷かれてしまっていたからだった。日月潭に行く道は一方通行となり、バスの終点までは湖を一周しないといけないのだ。当然大渋滞になっており、何時着くかは分からない、という話になる。

 

相当早く着いたこともあり、すぐに代わりのバスを探さないで、様子を見ることにした。埔里には行き付けの朝ご飯屋さんがあるので、そこでクラブサンドを食べて待った。店の人には私が台北に移ったことは伝えておらず、いつもの笑顔対応だったので、今回も言いそびれた。

 

今日は李さんに魚池を案内してもらおうと思っていた。日月潭には知り合いが泊まっていたのだが、迎えに行くことは出来ず、まず私がどこまで行けるのかを試してみる。結局埔里発のバスは魚池までしか行かないと分かり、それに乗って進む。魚池で降りると、李さんが迎えに来て、老茶廠まで行って、そこで日月潭から脱出する知り合いを待った。何とか落ち合い、まずは昼ご飯を食べに行く。地元の人が沢山食べているレストランがあった。鴨肉も、イカと野菜の炒め物も、そして地元のタケノコも、美味しいのだ。田舎を侮ってはいけない。いいものを食べている人が沢山いる。

 

李さんは知り合いの黄さんがもうすぐオープンするというカフェ?に連れて行ってくれた。これがまた、レトロ感あり、現代感もある不思議な空間だった。そこでまったりとお茶を頂く。紅茶は勿論、李さんが持ってきた高山茶などいくつもの茶を飲んでいると、もう動く気がなくなってしまう。それから茶作りをしている家があるというのでちょっとだけ寄って見学した。

 

夕方、本日宿泊予定の宿まで李さんに送ってもらった。そこは何とも可愛いペンション、という雰囲気だった。建物の中もゆったりしており、気持ちがよい。ただ茶葉は売っているものの、その名前とは違って茶作りは行っていなかった。暗くなる前に周辺を散歩した。小さな村で、付近に茶畑はない。ゆったりと家々があり、宿泊施設やお茶屋さんがあった。特に地図も持たなかったので曲がりくねった道を行くのはどうかと思ったが、無事に一周して宿に戻った。公道からも外れている落ち着きのある集落だった。

 

夜はまた李さんが迎えに来てくれ、先ほどの黄さんのカフェで夕飯をご馳走になった。この辺では行列ができる店でわざわざ買ってきてくれたという、蝦や肉、野菜などが揚げられているものが出され、恐縮しながら食べた。かなりのボリュームがあり、すぐに満腹になる。それからまたお茶を飲み始め、かなり遅くまで飲み続けた。

 

9月17日(月)
霧社へ

気持ちよい朝を迎え、周囲を散歩する。鳥の鳴き声がいいが、天気が良すぎて気温はぐんぐん上昇し、歩いているうちに暑さを感じるほどになる。朝飯は宿が用意してくれる。トーストや卵の洋食だが、お茶はミルクティーが出る。さすが紅茶の産地だけのことはあるが、台湾紅茶はあまりミルクを入れないので、ちょっと意外。

 

トミーが車で迎えに来た。今日はこれから霧社、廬山温泉の高山茶の歴史を訪ねに行く。ここからなら車で1時間半もかからないからちょうどよい。廬山温泉に降りる手前の道路脇で停まり、そこの原住民、セデック族の農家と話す。彼が天仁銘茶と初めて契約して茶栽培を始めたのだ。1980年頃のことだったが、一時は凄い勢いで生産が伸びた高山茶も最近はより高い場所の茶畑に移動して、彼は高原野菜栽培に切り替えていた。

 

廬山温泉で長く、茶を作り、販売している店にも寄った。廬山温泉は最盛期、相当の賑わいを見せており、その時期は茶も飛ぶように売れたらしい。ただ近年の洪水、地震などで、政府から温泉閉鎖が言い渡され、多くが廃業、いくらか残った温泉宿もお客は少ない。それでも息子がここを継いだから、まだ店を開いているという。何となく寂しい。

 

霧社に行き、霧社事件関連の場所をいくつか見学した。日本人はやはりここへきて、考えるべきではなかろうか。帰る前に公道に面している陽光茶園という店に寄る。ここはトミーが小さい頃からの知り合いだという。97歳、武漢出身の陽さんが自らお茶を淹れてくれたのには驚いた。1985年ぐらいから、茶作りを始め、現在も子に引き継がれている。何だかお茶が美味しかった。

 

埔里まで降りてきて時間があったので、東邦紅茶の郭さんを久しぶりに訪ねた。埔里滞在中は何度も来た場所だが、今後は気楽に来られないので、貴重な機会となる。郭さんの紅茶作りの技術は日増しに上がっているようで、好ましい。トミーに台中駅まで送ってもらい、高鐵で桃園まで行き、桃園空港まで深夜便の客人を送る。

ある日の台北日記2018その2(4)台湾茶業のレジェンドに会う

9月13日(木)
レジェンドに会う

本日は製茶公会のご紹介で、台湾茶業のレジェンドに会うことになっていた。偶々東京から知り合いも来たので、まずは松山空港に迎えに行き、宿泊先の大稲埕にあるホテルまでタクシーで行き、この付近の茶の歴史散歩をした。この付近、何度来ても茶の歴史の香りがして、実に好ましい。

 

トミーと待ち合わせて、新店方面へ向かう。紹介は受けていたが、98歳の老人の家に日本人が一人で行くのは何かと不便があると思い、トミーにお願いしたところ、ちょうど台北に来る機会が有り、今回の訪問が実現した。トミーが連絡したら、ご本人は本宅ではなく、お嬢さんの家に泊まっているということで、当初の予定とは違うところへ向かった。こういうこともあるので、やはりトミーの存在は有り難い。

 

その老人は足が悪いということだったが、かなり元気な様子で出迎えてくれた。林復氏は、かつて福建省で福安農学校に通い、中国茶業界のレジェンド、張天福氏の指導を受けた一人。あの長く茶業改良場の場長を務めた台湾茶業の大貢献者、呉振鐸氏とは同級生で、同時期に台湾に渡って来たというからすごい。そして長く農林庁に奉職し、光復後の台湾茶業をけん引した一人であった。

 

最近は人に会うことも減ったという林氏、初めはこちらの質問に考え考え話していたが、30分もすると、様々なことを思い出されたようで、一気に話が加速した。林口伝習所のこと、アフリカのリビアまで行き、砂漠に茶樹を植えた苦労話、東部茶業の開発や70年代の茶葉コンテストの仕掛けなど、どんどん話が出てきて面白い。だがさすがに年代については、おぼろげな様子であったが、これは致し方ない。退職後に製茶公会の総幹事を15年も務めたというのもすごい。

 

福建から来た老人は台湾語を話すこともなく、分かりやすい北京語で応じてくれたのも助かった。アメリカから帰国中のお嬢さんの手助けも大きく、これまで疑問だった点がいくつも解けた。お疲れを考慮して、出来るだけ短い時間で済ませようと思っていたが、林氏の方が話したい、という様子もあり、結局1時間半以上、長居した。林氏が我々の訪問をとても歓迎してくれたことが何とも嬉しい。本を書くのは嫌いだったという林氏、書籍・文章の類はほぼ残っていないので、直接話が聞ける機会はとても貴重だった。

 

ちょっと興奮しながら、講茶学院台北オフィスに戻り、トミー姉にお茶を淹れてもらい、落ち着く。その後近くのお気に入り料理屋で夕飯を食べる。やはり美味い料理は旨い、と思う。普通はこれで帰るのだが、今晩は余勢を買って、久しぶりに双連の広方圓にまで繰り出し、湯さんとも話をした。かなり充実した1日が過ぎた。

 

9月14日(金)
ランチで

翌日はついにS氏がシェフを務めるお店に行く。S氏とは知り合ってもう何年にもなり、一度はお店へ行きます、と何度も行っていたにもかかわらず、常に彼が非番の時に別のレストランで会っていた。このままでは永遠に行けないのでは、と思っていたところ、今回ようやく機会が訪れた。

 

ランチはとても込んでいると聞いていたが、案の定、12時半前に行ったら、何人か待っていた。中山にあるこの店、とても瀟洒でよい雰囲気。ランチを楽しむ付近のOL?などで満員状態だった。15分ぐらい待ってようやく席に着く。こちらは和食の定食がメインの店、盛り付けも工夫されており、美味しく頂いた。料金は300元台と決して安い訳ではないが、これなら人気が出来るのも頷ける。S氏は当然ながらてんてこ舞い状態で、ゆっくり話をする時間はなかった。

 

比較的若い女性が多い客層の中で、私も浮いているかも、とは思っていたが、もっと違和感のある70歳代の人が一人でご飯を食べていた。よく見ると、何と一昨日会ったばかりの李さんではないか。先日は中山の交差点で遭遇し、また今日はここで会ってしまった。余程ご縁があると感じる。彼は日本が好きで先日も日本へ行ってきたばかりだったが、散歩がてら、ここで新聞を読みながら、一人で美味しい和食を楽しんでいたのだろう。何とも面白い出会いで、お互い一瞬唖然となる。このような偶然から、歴史は新たな一面を見せてくれるのかもしれない。

ある日の台北日記2018その2(3)突然淡水へ

9月12日(水)
突然淡水へ

一昨日の夜、偶然出会った李さん。これはきっと何かのご縁だと思い、早々に連絡して、ご自宅を再訪した。李さんはあの大富豪、李春生の4代目、李家に関する資料は豊富に揃っている。前回お会いした時に聞けなかった話を更に聞き、特に洋行との関連について、色々と掘り出していた。

 

すると李さんが1冊の本を取り出した。その本には当時の洋行のことが書かれており、ぜひ欲しいと思った。李さんによれば、これは淡水の博物館が出版したものだから、そこへ行けば買えるのではないか、との話だった。以前台南、というか安平で洋行の支店跡のビルをいくつか見た覚えがある。確かに洋行は淡水も拠点に活動していたかもしれない。

 

そんな話をしていると、急に行きたくなり、李さんの家を出てMRTに飛び乗った。全く計画もなく、何の準備もなしに、淡水に向かった。とにかく目指すは淡水古跡博物館だ。乗った車両はなぜかミッキーマウスの絵が沢山描かれている。MRTで40分以上乗ると、ようやく淡水に着く。今日はいい天気でかなり暑い。ここは得意になったU-bikeを使おうと思ったが、なぜかカードをかざしても上手く行かず歩くことにした。

 

スマホ地図を見ながら歩いていくと15分位で、博物館の場所に着く。まずは海沿いの倉庫や洋館を見てみる。往時ここに税関が置かれ、貿易が行われていたようだ。それから紅毛城と書かれたところへ入り、ここが淡水古跡博物館か、と聞くと、そうだというので、チケットを買い、中に入る。すぐにショップがあったので、聞いてみたが、欲しい本は既に売切れだとか。ここが出版元なのに売切れであれば、もう手に入れる方法はない。

 

登っていくと、そこはまさに安平と同じような紅毛城があり、領事館などが置かれていた様子が分かる。オランダのこと、イギリス歴代総督の話なども興味深い。しかしここが博物館なのだろうか。何だか別にあるような気がして、歩き回るといつの間に外へ出てしまい、気が付くと真理大学という学校のキャンパスに迷い込んでいるではないか。

 

この大学の建物もかなり歴史的で魅力的。特に一角は相当に古い。徳記洋行が一時使用していた建物などが残っており、探し物を見つけた気分になる。だが目指す博物館はない。出入り口があったのでそこの人間に聞いてみてびっくり。『ここの全てが古跡博物館地区なのだ』というのだ。それは内輪では分かる話かもしれないが、外部の人間は博物館と言えば、博物館があると思ってしまうだろう。そういってみても、役人口調で全く埒はあかない。

 

結局分ったことは、ここから歩いて15分ぐらい先に、古跡博物館の管理事務所があるということだったので、仕方なくそこへ行ってみることにした。歩いていくと結構暑い。ちょっと不満がこみ上げてくる。そして目の前に現れたのは、博物館ではなく、何と名門淡水ゴルフ場だったので驚いた。30年近く前、ここで何度かプレーしたことがあるが、キャディは皆セミプロで、我々が使いたいクラブを使わせてくれないことで有名だった。

 

そのクラブハウスの向かいに、その管理事務所はあったが、何と半分は台湾ゴルフ史跡館になっていた。思わず入ってみてみると、懐かしい陳志忠など往年の名プレーヤーの紹介が続々出てきた。青木功など日本人プロの写真などもある。どうやら謝敏男などが寄贈したものを展示しているようだ。

 

入り口で警備員に『ここで出版された本が買いたい』というと親切にも聞いてくれ、係員が出てきて対応してくれた。少し待っているとその本を出してくれ、『これは既に売切れだが、わざわざ日本から来たので、同僚の分を1冊差し上げる』というではないか。これにはかなり恐縮してしまうが、折角なので頂戴した。こういうところが如何にも台湾だった。

 

帰りにゴルフ場の横にある清仏戦争後に作られた砦跡も見学した。何とここが最初に買ったチケットと共通で、入場できると知ったが、如何にもわかりにくい。特に何がある訳でもないが、周囲をぐるっと回ってみた。30年前も当然あったのだろうが、その頃こんな場所には全く気が付かなかった。歴史というのは興味を持って初めて気が付くことが多い。

 

そこから歩いて帰るのは辛いので、もう一度U-bikeにチャレンジしたら、今度は乗れた。どうもまだシステムはよく分かっていない。そのまま帰ろうかと思ったが、途中に洋行の店舗跡があったので、何か資料はないかと寄ってみる。そこはダグラス商会というイギリスの商社だったが、中にはほんの一部の資料しかなかった。聞いてみるとすでに手に入れた本にすべて載っているという。

 

更には教会が目に入ったので寄ってみる。ここと隣の診療所は、あのマッカイ牧師が1870年代、最初に建てたものだった。宣教師たちもまずは淡水を拠点に活動していたことが分かる。駅に戻ろうとすると、今度は地元の寺のお祭りに遭遇する。1日で何とも色々なものに出会うなと、我ながら感心する。

ある日の台北日記2018その2(2)王さんと1日

9月7日(金)
海南チキンを食べて

翌日は所用で交流協会へ。一応こちらの雑誌に連載させて頂いており、担当者も変わったと聞いたので、ご挨拶に伺う。この部署は旧知の仲であるBさんがいたポジションであり、皆さんその後輩に当たるということで、初対面でも話が弾む。更には半年前に既に会っていたKさんも参加してくれたので、実にスムーズだった。更には残りの午前中は図書室で資料を探す。読みたい本は沢山あるが、それを読んでいては、茶の歴史が進まない。残念。

 

ランチはその旧知のBさんと南京復興駅近くの海南チキンライス屋で待ち合わせた。ここはかなりの有名店で、ランチは早くから人が並ぶということで、早めに行ってみると11時半過ぎで行列が出来ている。私も最後尾に並ぶ。セットメニューがあったのでそれを頼む。内容は台湾式弁当の延長だ。

 

私はかなり海南チキンライスが好きな方で、既に食べ始めてから30年以上は経ち、食べた場所もマレーシア、シンガポールは勿論、香港や日本など数か国には及ぶ。タイはカオマンガイと言って、海南チキンの廉価版(マレーシアにも安いのはある)だと認識しているが、今回のこれもどちらかと言えば、カオマンガイの雰囲気が漂う。台湾人がマレーシアあたりで修行して戻ったということだが、若干台湾的になっているのはやむを得ない。

 

 

それから近所のカフェに入る。この辺はおしゃれな雰囲気で、一杯のラテは海南チキンよりずっと高い。お客が沢山入っている訳でもなく、どのように経営しているのか、とこちらが心配になってしまう。取り留めのない話をしているうちに、何と雨が降ってきて、しかもかなり強い。結局このカフェに2時間以上雨宿りしてから、家路に着く。こういう時はU-bikeが使えず、困る。

 

仕方なくMRTに乗って帰ると、最寄り駅の大きな看板に気が付く。バドミントン女子の世界ランク一位、戴資頴を使った広告だったが、これがかなり格好良い。バドミントンは長らく中国選手がトップだったが、最近は様相が一変。タイ、インド、スペイン、そして日本選手もトップ10に入る混戦ぶりだが、彼女はこの2年間、ほぼトップを維持している。台湾も最近はスポーツで目立つ選手が出てきており、喜ばしい。

 

夜は麺が食べたいと、近くを散策して探す。古そうな店なのだが、若者が経営しているのか、または意見を取り入れているのか、パスタのようなものを出す店があった。台湾人も基本的に柔らか麺を好むのだが、そこに掛かっているソースは相当に辛いので、ビックリした。台湾の若者は刺激を求めているのだろうか。

 

9月10日(月)
茶商公会を訪ねて

土日は休息、これは埔里時代からの鉄則?だった。それはバスなどで出掛ける際、観光地であるため異常に混んでいるからであり、台北のように何時も混んでいるところでは当てはまらないのだが、何となく習慣化しているのが、自分でも面白い。

 

月曜日は朝から茶商公会に行ってみる。こちらでも数か月前、何人かの茶商の末裔をご紹介頂き、その後色々と話が聞けており、かなりお世話になった。今日はその報告と、そこにある資料の閲覧のために、やって来たのだ。游総幹事も非常に親切で、更に色々と教えてもらう。

 

特に茶商公会の日本時代の歴史、これはあまり資料がないということだったが、既に徐先生らが整理して、1冊の本が出ていた。実はその本、前回ここで見た時に王さんが私の分も購入してくれ、何と今日、その本を持ってきてくれたのだ。これでこの時代の公会の動きがかなり鮮明になって来た。おまけに公会にもその原本が残っているものもあって、ちょっと感激した。

 

王さんが昼ご飯に連れて行ってくれた。迪化街を北上し、乾物屋などの商店が途切れたあたりに、その店はあった。何人か並んで待っていたが、彼女は構わず並び、まずはオーダーをした。地元民が並んでいる店、ということで有名らしい。つられて観光客も並ぶとか。魚丸麺、内臓系も美味しい。王さん、ご馳走様。

 

それからまた王さんに連れられて大稲埕水門近くの王錦珍茶行に行く。ここでは以前お父さんから歴史の話を聞いたのだが、今日は若い3代目が対応してくれる。彼はかなり優秀で、Webデザイナーをやりながら、茶業を継ぐ準備をしている。既に日本茶アドバイザーまで取得済み。日本語もある程度出来、東京ドームに仲間と野球に行くほどだ。

 

その彼が淹れてくれたのが、高山茶とコーヒーを交ぜたもの。絶対美味しくないと思ったが、何と珈琲の強い香りの中でも高山茶の澄んだ香りがちゃんと出ていて驚く。コーヒーは彼が丁寧に淹れている。どこでこんなものを学んだのかと聞くと、やはり日本だという。日本には色々なものがあるのだが、私の気が付かないだけで、彼らの方が余程よくしている。

 

一度家に戻ったが、夜もまた王さんの誘いで宴会に向かった。中山北路の交差点で信号待ちしていると、いきなり声を掛けられた。以前会った茶商の末裔、李さんだった。こんな偶然あるのだろうか。それから指定のレストランへ行くと実に立派だった。オーナーは茶業者だという。来ていた人は静岡から3人、そして元徳記洋行に勤めていた台湾人がいたので、思わず色々と聞いてしまった。食事も大変美味しく、宴会は盛況だった。このオーナー、今度ゆっくり話を聞きたいが、忙しそうだな。

ある日の台北日記2018その2(1)久しぶりに台北へ

《ある日の台北日記2018その2》  2018年9月5日-26日

6月以来、3か月ぶりに台湾に行く。既に第2の故郷的な雰囲気で、行くというのか、戻るというのか、かなり微妙な段階に来ている。今回は高山茶を中心に、茶商の歴史などもさらに深めてみたいと思っている。そして今回は和紅茶のイベントにも参加。一体どんな反応となるのやら。本格的に臨時拠点を台北に移行して、益々忙しくなる。

 

9月5日(水)
台北へ

今回の台北行きは半年前にエバエアーのプロモーションで予約したものだった。もう今や、台北行きの安いチケットはなかなか手に入らないので困る。この夏、日本には最近何回も台風がやってきていた。私ももし1日早い便だったら、飛行機は飛んでいなかっただろう。LCCを予約していたら冷や冷やものだった。意外と運のよい自分に感謝する。

 

朝早めに起きると、既に台風は遥か彼方にあり、フライト情報を見ても遅延はなかった。ところが成田スカイアクセスに乗ると、空港行のはずの電車が突然押上行きに変更され、しかも何の案内もないという杜撰な状況に出会った。出張のおじさんは怒りまくり、外国人などは混乱していた。これでおもてなし、となど言えるのだろうか。オリンピックが心配だ。

 

成田からの午後便は、満席にはなっていなかった。ただ一番前の席にあかちゃん連れの台湾人若夫婦が2組並んでいたので、機内はちょっと賑やかだったが、勿論誰も文句をいう人などいない。CAを含めて、皆が笑顔で赤ちゃんをあやしている。乗客はやはり台湾人が多い。

 

桃園空港に着くと、いつもなら国光号で台北駅へ向かうが、今回から拠点が台北になり、宿泊先にほど近い場所に長栄のバスが停まることが分かり、そちらに乗ってみる。何とエバエアーに乗ってきた人には割引まであった。やはりたまには環境を変えてみないと、見えてこないものが沢山あると感じる。

 

やはり葉さんはまだ帰っていなかったので、鍵がなく、近くの茗心坊で帰りを待つことになる。林さんには申し訳ないが、ここで美味しいお茶を飲み、お茶の知識を仕入れられるなら、待つのも悪くない。林さんから日本語訳を頼まれたので、ちょっとやってみた。こんな関係が続けばいいと思う。

 

葉さんは遅くなるので、階上に住む彼女の同級生が鍵を渡してくれて中に入った。腹が減ったので、外へ出て太い麺を食べる。台北が始まったな、と言う感じがする。これはにおいのせいだろうか。東京よりは若干暑いので、汗が出る。部屋に戻るとなぜか疲れが出ている。まだ名古屋の旅からすぐだったからだろうか。よく眠れる。

 

9月6日(木)
製茶公会へ

翌朝は早くに目が覚めた。台北は曇りでそれほど暑くはない。圓環近くの製茶公会に向かう。圓環、それはかなり懐かしい響き。34年前、初めて台北に来た時、泊った大旅社がこの付近であり、宿の主人が日本人の若者が来た、というので、屋台でご馳走してくれたのが忘れられない。その時の賑わいが凄かったことも記憶している。今は全てが消え、丸い公園になっている。

 

そうだ、これからは台北滞在が長くなるのだから、U-Bikeに登録しておこう。ちょうどそこにあったので、悠遊カードを使って登録する。後で使ってみると確かに便利だ。特にMRTから離れているところへ行く時など、これを使うと行動範囲が広がる。私の旅は歩きが基本だが、歳も取ってきたので自転車との併用にしようかと思う。

 

製茶公会では黄顧問と範総幹事が待っていてくれた。実は5月頃月刊茶に書いた私のコラムを製茶公会が翻訳して、私が知らないうちに自らの雑誌に載せていてくれたのだ。それを読んだ黄顧問から、お褒めのメールを頂き、恐縮してしまう。私は黄顧問に聞きたいことが山ほどあったので、早速公会を訪ねたわけだ。

 

そこで公会から、台湾茶の歴史上、重要と思われる人物を数人紹介してもらったのは、非常に役立った。台湾茶輸出の歴史だけではなく、特に内需への転換、そして現在までの歩みは、当然一体となっているので、この辺をじっくり勉強する必要があると思われた。まずは黄顧問から2時間話しを聞き、その基礎を理解した。更にランチまでご馳走になり、その時間も聞き続けた。聞けばそれだけ色々な話が出てくるので、尽きることはなかった。

 

帰りはU-bikeで宿泊先まで帰ってみた。40分ぐらいかけてゆっくり走ったが、最近この筋肉を使うことはなく、足は相当に疲れた。更には暑さもあり、ぐったりとなってしまう。日頃運動不足は悪いことではない、と思っているのだが、実際に運動してみると、その不足は大いに堪える。

ある日の台北日記2018その1(8)湾生回家、黄監督と会う

6月4日(月)
Aさんと

そろそろ日本へ行く準備をする時期になった。そこにちょうど台湾に来ているAさんから連絡があり、宿泊先の近くにある茗心坊で会いましょう、ということになった。午後2時に、と言ってところ、何とこの日は13:30-14:00に国防訓練があり、30分間は全ての通行が遮断されるため、14時半に変更となる。この訓練、もうそろそろ止めてもいいのでは、と思うのは私だけだろうか。

 

茗心坊の林さんとお茶を飲んで待っているとAさんがやって来た。彼はこの店の常連であり、林さんとも親しい。この店の中にある日本語訳の一部はAさん作成だったりもする。勿論お茶には詳しいので、林さんとはお茶談義になっている。私はボーっとお茶を飲んで聞いている。

 

林さんの編み出した独特の焙煎法、高密度焙煎で作られたお茶は、何杯でも飲むことができ、どことなく柔らかみが感じられる。そして急須から茶杯に注ぐ時に、きれいな水滴がしたたり落ちるのが凄い。皆がその鮮やかなお茶の写真を撮ろうとするが上手く撮れない。最近は取材される機会も多いと言い、中国からも来るそうだ。未来の台湾茶を考える林さんの考え方に賛同する人が徐々に増えているのだろう。

 

それから永康街まで歩いていく。MRTで2駅分だから、それほど遠い訳でもなく、二人で話しながら行くとすぐに着いてしまった。永康街は完全な観光地であり、そこにある幾つものお茶屋は、観光客向けにあるので、私のようなものが入っていくことはほぼない。だが今回連れて行ってもらった場所は、そんな喧騒から少し離れた、落ち着いたところだった。

 

店主はお茶の歴史にも詳しい、とのことだったが、ちょうど取材クルーが入っており、直接お話しする機会は得られなかった。ただここで飲ませてもらった鉄観音茶は、何だかいい感じだった。歩いて来られる場所なので、次回は是非店主にお話しを聞いてみたいと思う。

 

また歩いて茗心坊へ戻る。もう日が暮れている。林さんがご飯を食べに行こうと誘ってくれていた。タクシーで出掛ける。MRTで1駅分なので歩くのにはちょっと、ということだったのだろう。そごうのすぐ近く、テントのユニークな店で、海鮮蒸し鍋が名物だという。今台北ではこんなお店が流行っているのか、エビなどをたらふく食べて満足。ご馳走様。

 

6月5日(火)
映画監督と

明日台北を離れると3か月は戻ってこない予定だから、帰国前の最後の1日をどう過ごすか。ちょっと会って話してみたい人がいたので、連絡してみると、忙しい中、時間を作ってくれた。その人が日本でも話題となった『湾生回家』という映画を撮った黄銘正監督だった。

 

黄監督とは、『湾生回家』の出演者の誕生会で、先日台中で出会っていた。なぜか彼は私のところにやってきて、自ら挨拶してくれたので、こちらの活動を少し紹介したところ、興味を持ったようだった。会った場所は大稲埕のきれいなお茶屋さんだった。最近は1階の土産物屋だけではなく、2階にこういった茶館を併設するケースも増えているようだ。

 

黄監督は、極めて気さくな人で、思い描く映画監督とはかなり違っていた。映画を撮ることもあるが、CMや観光案内の撮影など、映像に関わることなら、何でもやっている、と率直に言う、業界人らしい若々しさもある。頭がとても柔らかい人なのだな、それは台湾的な柔らかさかもしれない。

 

私があの映画を見て最も感じてしまったこと、それは『占領者である日本人が、台湾にいい思い出があるのは理解できる(勿論子供たちに罪などないのだ)が、台湾を故郷だというのは、台湾人にとってはどうなんだろうか?』ということだった。これに対して監督は即座に『私は歴史を描くつもりはない。歴史は権力者が作るものだから。私が描きたかったものは、一人一人の人間の感情だった』ときっぱり答えてくれた。

 

そう、私などは、歴史というものに絡め捕られているだけなのかもしれない。もっと自由に考えるべきであり、いくら頭で考えても分らない真実が存在することなら、茶旅で何度も経験済みではないか。人間の望郷の念に、台湾人も日本人もない、ということだろうか。歴史を追求したい私と人間(の感情)を追求したい監督とでは、方向性は必ずしも同じではなかったが、何と結局とりとめのない話を続け、気が付いたら5時間も経っていた。監督には申し訳なく思いつつ、こういう機会が有るのが台湾だな、楽しいなと思ってしまう。

ある日の台北日記2018その1(7)日帰り埔里&歴史談義

6月1日(金)
埔里日帰り

今朝は埔里に残した荷物を引き取りに行くため、朝7時のバス、国光号に乗った。もう慣れたこのバスだが、これが最後かもしれないと思うと、ちょっと切ない。だがバスは私の思いなど気にも留めずに、極めて順調に走っていく。そして何と10時前には埔里のバスターミナルに入ってしまった。

 

今日は恒例の黄先生のサロンの日だが、少し時間が余ってしまったので、いつもの店でクラブサンドイッチを頬張ることにした。店に行くと、『久しぶり』という声すらなく、ごく普通の対応だった。クラブサンドもいつもと同様の美味さ。何ら変わらない日常がそこにあった。結局埔里から転居したことを言えずに立ち去る。

 

取り敢えず元宿泊先に立ち寄り、荷物を取りに来たことを告げたが、こちらも特に反応なし。午後2時頃取りに来ると言い残して立ち去る。横でいつものようにIさん夫妻が車で待っていてくれ、黄先生のサロンに向かう。サロンには我々とYさんが来られただけで、和やかに世間話をする。

 

11時半になるとこのメンバーで食事に出かける。私の送別会をしてくれるというので、何とも有り難い。とても送別してもらう程、埔里にはいなかったし、埔里の住人と言う感じはなかったはずなので、恐縮だがとても嬉しい。食事はホテルのビュッフェで、どんどん食べてしまい、腹が膨れた。

 

さて、午後はお世話になった図書館にでも挨拶に行こうと思ってデザートを食べていると、急に携帯が鳴る。何と葉さんからで、『急に用事が出来て出掛けるから、荷物をすぐに取りに来てほしい』というのだ。最後までこんなものだな、やはり。こちらが迷惑をかけているので、それを了承し、Iさんに送ってもらう。

 

荷物は持ち切れず、一部不要なものは残してしまった。1年半、その内の何か月かを過ごしただけなのに、十分に荷物が増えている。何とか持ち出し、大きな荷物を抱えてバスターミナルへ向かう。もう寄り道は出来ないが、予約したチケットは午後3時だ。聞いてみるとちょうど1時半のバスが来ており、空きがあるので乗ってよいという。

 

実にあっけなく埔里訪問は終了してしまい、3時間後にはきっちり台北についてしまった。大きな荷物を抱えてきたせいか、少し疲労感を覚え、横になる。夜はTさん、Sさんと西門の方で食事をした。海鮮料理屋だったが、この付近夜遅くまでやっているところがあまりないと聞いてちょっと驚いた。私の埔里からの戻りを心配して、午後8時スタートにしてもらったのだが、ちょっと申し訳なかった。それにしても夜、西門から川の方へ歩いていくのは暗い。

 

6月2日(土)
歴史談義の果てに

そろそろ今回の台湾滞在も終わりに近づいている。週末は動かないことをモットーにしているので、ごく近所の小楊の家を訪ねることにした。本当に徒歩10分以内にこんな人がいるのは望ましい。3月に劇的に再会したばかりだったが、また行ってみたくなる家なのである。

 

ここにはいいお茶が沢山あり、いい雰囲気の中で茶が飲める。それに前回発見したことだが、小楊夫妻は茶の歴史にも造詣が深い。ネットに書いてあるような歴史ではなく、意外な歴史を語ってくれたので、その辺も聞いて見たくなった。ただ今日はどの急須が良いか、という話が先行する。私は急須にはあまり興味はないが、それでもその形に惚れてしまう物もある。

 

私が台湾鉄観音茶の歴史について聞いた時だった。木柵の張家、鉄観音を持ち込んだと言われているが、小楊は『あそこの4代目は友達だから紹介してもいい』と言いながら、『だが台湾鉄観音はあそこで始まった訳ではない』ともいう。思わず、私の口癖である『それ本当か?』が飛び出した時、『俺が嘘を言うはずがないだろう』というので、『それならその歴史が書かれている文献などを教えて欲しい』と言ってしまった。

 

彼は本当に不機嫌になってしまい、会話が途絶えた。確かにその辺に書かれている歴史なら、既に発掘され、語られている可能性がある。彼が話している歴史には証拠はない、というものも多いのだが、その歴史のヒントを聞きたくて来ているのに、とんだ発言をしてしまった。

 

私はもう何年も歴史調査をしているのに、どうもやり方が上手くないな、と感じてしまうことが多い。肝心な歴史は言い伝えなどの中に潜んでいる可能性があるというのに。後悔先に立たず、彼のくれたヒントを、この先自分で探していくことにしよう。何となく気まずい雰囲気の中で帰宅する。次回ここに来る時は何らかの報告ができるようにしよう。