ある日の台北日記2018その1(8)湾生回家、黄監督と会う

6月4日(月)
Aさんと

そろそろ日本へ行く準備をする時期になった。そこにちょうど台湾に来ているAさんから連絡があり、宿泊先の近くにある茗心坊で会いましょう、ということになった。午後2時に、と言ってところ、何とこの日は13:30-14:00に国防訓練があり、30分間は全ての通行が遮断されるため、14時半に変更となる。この訓練、もうそろそろ止めてもいいのでは、と思うのは私だけだろうか。

 

茗心坊の林さんとお茶を飲んで待っているとAさんがやって来た。彼はこの店の常連であり、林さんとも親しい。この店の中にある日本語訳の一部はAさん作成だったりもする。勿論お茶には詳しいので、林さんとはお茶談義になっている。私はボーっとお茶を飲んで聞いている。

 

林さんの編み出した独特の焙煎法、高密度焙煎で作られたお茶は、何杯でも飲むことができ、どことなく柔らかみが感じられる。そして急須から茶杯に注ぐ時に、きれいな水滴がしたたり落ちるのが凄い。皆がその鮮やかなお茶の写真を撮ろうとするが上手く撮れない。最近は取材される機会も多いと言い、中国からも来るそうだ。未来の台湾茶を考える林さんの考え方に賛同する人が徐々に増えているのだろう。

 

それから永康街まで歩いていく。MRTで2駅分だから、それほど遠い訳でもなく、二人で話しながら行くとすぐに着いてしまった。永康街は完全な観光地であり、そこにある幾つものお茶屋は、観光客向けにあるので、私のようなものが入っていくことはほぼない。だが今回連れて行ってもらった場所は、そんな喧騒から少し離れた、落ち着いたところだった。

 

店主はお茶の歴史にも詳しい、とのことだったが、ちょうど取材クルーが入っており、直接お話しする機会は得られなかった。ただここで飲ませてもらった鉄観音茶は、何だかいい感じだった。歩いて来られる場所なので、次回は是非店主にお話しを聞いてみたいと思う。

 

また歩いて茗心坊へ戻る。もう日が暮れている。林さんがご飯を食べに行こうと誘ってくれていた。タクシーで出掛ける。MRTで1駅分なので歩くのにはちょっと、ということだったのだろう。そごうのすぐ近く、テントのユニークな店で、海鮮蒸し鍋が名物だという。今台北ではこんなお店が流行っているのか、エビなどをたらふく食べて満足。ご馳走様。

 

6月5日(火)
映画監督と

明日台北を離れると3か月は戻ってこない予定だから、帰国前の最後の1日をどう過ごすか。ちょっと会って話してみたい人がいたので、連絡してみると、忙しい中、時間を作ってくれた。その人が日本でも話題となった『湾生回家』という映画を撮った黄銘正監督だった。

 

黄監督とは、『湾生回家』の出演者の誕生会で、先日台中で出会っていた。なぜか彼は私のところにやってきて、自ら挨拶してくれたので、こちらの活動を少し紹介したところ、興味を持ったようだった。会った場所は大稲埕のきれいなお茶屋さんだった。最近は1階の土産物屋だけではなく、2階にこういった茶館を併設するケースも増えているようだ。

 

黄監督は、極めて気さくな人で、思い描く映画監督とはかなり違っていた。映画を撮ることもあるが、CMや観光案内の撮影など、映像に関わることなら、何でもやっている、と率直に言う、業界人らしい若々しさもある。頭がとても柔らかい人なのだな、それは台湾的な柔らかさかもしれない。

 

私があの映画を見て最も感じてしまったこと、それは『占領者である日本人が、台湾にいい思い出があるのは理解できる(勿論子供たちに罪などないのだ)が、台湾を故郷だというのは、台湾人にとってはどうなんだろうか?』ということだった。これに対して監督は即座に『私は歴史を描くつもりはない。歴史は権力者が作るものだから。私が描きたかったものは、一人一人の人間の感情だった』ときっぱり答えてくれた。

 

そう、私などは、歴史というものに絡め捕られているだけなのかもしれない。もっと自由に考えるべきであり、いくら頭で考えても分らない真実が存在することなら、茶旅で何度も経験済みではないか。人間の望郷の念に、台湾人も日本人もない、ということだろうか。歴史を追求したい私と人間(の感情)を追求したい監督とでは、方向性は必ずしも同じではなかったが、何と結局とりとめのない話を続け、気が付いたら5時間も経っていた。監督には申し訳なく思いつつ、こういう機会が有るのが台湾だな、楽しいなと思ってしまう。

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