ある日の台北日記2018その2(1)久しぶりに台北へ

《ある日の台北日記2018その2》  2018年9月5日-26日

6月以来、3か月ぶりに台湾に行く。既に第2の故郷的な雰囲気で、行くというのか、戻るというのか、かなり微妙な段階に来ている。今回は高山茶を中心に、茶商の歴史などもさらに深めてみたいと思っている。そして今回は和紅茶のイベントにも参加。一体どんな反応となるのやら。本格的に臨時拠点を台北に移行して、益々忙しくなる。

 

9月5日(水)
台北へ

今回の台北行きは半年前にエバエアーのプロモーションで予約したものだった。もう今や、台北行きの安いチケットはなかなか手に入らないので困る。この夏、日本には最近何回も台風がやってきていた。私ももし1日早い便だったら、飛行機は飛んでいなかっただろう。LCCを予約していたら冷や冷やものだった。意外と運のよい自分に感謝する。

 

朝早めに起きると、既に台風は遥か彼方にあり、フライト情報を見ても遅延はなかった。ところが成田スカイアクセスに乗ると、空港行のはずの電車が突然押上行きに変更され、しかも何の案内もないという杜撰な状況に出会った。出張のおじさんは怒りまくり、外国人などは混乱していた。これでおもてなし、となど言えるのだろうか。オリンピックが心配だ。

 

成田からの午後便は、満席にはなっていなかった。ただ一番前の席にあかちゃん連れの台湾人若夫婦が2組並んでいたので、機内はちょっと賑やかだったが、勿論誰も文句をいう人などいない。CAを含めて、皆が笑顔で赤ちゃんをあやしている。乗客はやはり台湾人が多い。

 

桃園空港に着くと、いつもなら国光号で台北駅へ向かうが、今回から拠点が台北になり、宿泊先にほど近い場所に長栄のバスが停まることが分かり、そちらに乗ってみる。何とエバエアーに乗ってきた人には割引まであった。やはりたまには環境を変えてみないと、見えてこないものが沢山あると感じる。

 

やはり葉さんはまだ帰っていなかったので、鍵がなく、近くの茗心坊で帰りを待つことになる。林さんには申し訳ないが、ここで美味しいお茶を飲み、お茶の知識を仕入れられるなら、待つのも悪くない。林さんから日本語訳を頼まれたので、ちょっとやってみた。こんな関係が続けばいいと思う。

 

葉さんは遅くなるので、階上に住む彼女の同級生が鍵を渡してくれて中に入った。腹が減ったので、外へ出て太い麺を食べる。台北が始まったな、と言う感じがする。これはにおいのせいだろうか。東京よりは若干暑いので、汗が出る。部屋に戻るとなぜか疲れが出ている。まだ名古屋の旅からすぐだったからだろうか。よく眠れる。

 

9月6日(木)
製茶公会へ

翌朝は早くに目が覚めた。台北は曇りでそれほど暑くはない。圓環近くの製茶公会に向かう。圓環、それはかなり懐かしい響き。34年前、初めて台北に来た時、泊った大旅社がこの付近であり、宿の主人が日本人の若者が来た、というので、屋台でご馳走してくれたのが忘れられない。その時の賑わいが凄かったことも記憶している。今は全てが消え、丸い公園になっている。

 

そうだ、これからは台北滞在が長くなるのだから、U-Bikeに登録しておこう。ちょうどそこにあったので、悠遊カードを使って登録する。後で使ってみると確かに便利だ。特にMRTから離れているところへ行く時など、これを使うと行動範囲が広がる。私の旅は歩きが基本だが、歳も取ってきたので自転車との併用にしようかと思う。

 

製茶公会では黄顧問と範総幹事が待っていてくれた。実は5月頃月刊茶に書いた私のコラムを製茶公会が翻訳して、私が知らないうちに自らの雑誌に載せていてくれたのだ。それを読んだ黄顧問から、お褒めのメールを頂き、恐縮してしまう。私は黄顧問に聞きたいことが山ほどあったので、早速公会を訪ねたわけだ。

 

そこで公会から、台湾茶の歴史上、重要と思われる人物を数人紹介してもらったのは、非常に役立った。台湾茶輸出の歴史だけではなく、特に内需への転換、そして現在までの歩みは、当然一体となっているので、この辺をじっくり勉強する必要があると思われた。まずは黄顧問から2時間話しを聞き、その基礎を理解した。更にランチまでご馳走になり、その時間も聞き続けた。聞けばそれだけ色々な話が出てくるので、尽きることはなかった。

 

帰りはU-bikeで宿泊先まで帰ってみた。40分ぐらいかけてゆっくり走ったが、最近この筋肉を使うことはなく、足は相当に疲れた。更には暑さもあり、ぐったりとなってしまう。日頃運動不足は悪いことではない、と思っているのだが、実際に運動してみると、その不足は大いに堪える。

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