ある日の台北日記2018その2(4)台湾茶業のレジェンドに会う

9月13日(木)
レジェンドに会う

本日は製茶公会のご紹介で、台湾茶業のレジェンドに会うことになっていた。偶々東京から知り合いも来たので、まずは松山空港に迎えに行き、宿泊先の大稲埕にあるホテルまでタクシーで行き、この付近の茶の歴史散歩をした。この付近、何度来ても茶の歴史の香りがして、実に好ましい。

 

トミーと待ち合わせて、新店方面へ向かう。紹介は受けていたが、98歳の老人の家に日本人が一人で行くのは何かと不便があると思い、トミーにお願いしたところ、ちょうど台北に来る機会が有り、今回の訪問が実現した。トミーが連絡したら、ご本人は本宅ではなく、お嬢さんの家に泊まっているということで、当初の予定とは違うところへ向かった。こういうこともあるので、やはりトミーの存在は有り難い。

 

その老人は足が悪いということだったが、かなり元気な様子で出迎えてくれた。林復氏は、かつて福建省で福安農学校に通い、中国茶業界のレジェンド、張天福氏の指導を受けた一人。あの長く茶業改良場の場長を務めた台湾茶業の大貢献者、呉振鐸氏とは同級生で、同時期に台湾に渡って来たというからすごい。そして長く農林庁に奉職し、光復後の台湾茶業をけん引した一人であった。

 

最近は人に会うことも減ったという林氏、初めはこちらの質問に考え考え話していたが、30分もすると、様々なことを思い出されたようで、一気に話が加速した。林口伝習所のこと、アフリカのリビアまで行き、砂漠に茶樹を植えた苦労話、東部茶業の開発や70年代の茶葉コンテストの仕掛けなど、どんどん話が出てきて面白い。だがさすがに年代については、おぼろげな様子であったが、これは致し方ない。退職後に製茶公会の総幹事を15年も務めたというのもすごい。

 

福建から来た老人は台湾語を話すこともなく、分かりやすい北京語で応じてくれたのも助かった。アメリカから帰国中のお嬢さんの手助けも大きく、これまで疑問だった点がいくつも解けた。お疲れを考慮して、出来るだけ短い時間で済ませようと思っていたが、林氏の方が話したい、という様子もあり、結局1時間半以上、長居した。林氏が我々の訪問をとても歓迎してくれたことが何とも嬉しい。本を書くのは嫌いだったという林氏、書籍・文章の類はほぼ残っていないので、直接話が聞ける機会はとても貴重だった。

 

ちょっと興奮しながら、講茶学院台北オフィスに戻り、トミー姉にお茶を淹れてもらい、落ち着く。その後近くのお気に入り料理屋で夕飯を食べる。やはり美味い料理は旨い、と思う。普通はこれで帰るのだが、今晩は余勢を買って、久しぶりに双連の広方圓にまで繰り出し、湯さんとも話をした。かなり充実した1日が過ぎた。

 

9月14日(金)
ランチで

翌日はついにS氏がシェフを務めるお店に行く。S氏とは知り合ってもう何年にもなり、一度はお店へ行きます、と何度も行っていたにもかかわらず、常に彼が非番の時に別のレストランで会っていた。このままでは永遠に行けないのでは、と思っていたところ、今回ようやく機会が訪れた。

 

ランチはとても込んでいると聞いていたが、案の定、12時半前に行ったら、何人か待っていた。中山にあるこの店、とても瀟洒でよい雰囲気。ランチを楽しむ付近のOL?などで満員状態だった。15分ぐらい待ってようやく席に着く。こちらは和食の定食がメインの店、盛り付けも工夫されており、美味しく頂いた。料金は300元台と決して安い訳ではないが、これなら人気が出来るのも頷ける。S氏は当然ながらてんてこ舞い状態で、ゆっくり話をする時間はなかった。

 

比較的若い女性が多い客層の中で、私も浮いているかも、とは思っていたが、もっと違和感のある70歳代の人が一人でご飯を食べていた。よく見ると、何と一昨日会ったばかりの李さんではないか。先日は中山の交差点で遭遇し、また今日はここで会ってしまった。余程ご縁があると感じる。彼は日本が好きで先日も日本へ行ってきたばかりだったが、散歩がてら、ここで新聞を読みながら、一人で美味しい和食を楽しんでいたのだろう。何とも面白い出会いで、お互い一瞬唖然となる。このような偶然から、歴史は新たな一面を見せてくれるのかもしれない。

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