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ベトナム縦断茶旅2017(3)宿替えと国家図書館

帰りは方向が違う蔡君と別れ、一人でタクシーに乗り宿に戻った。特にアプリなどなくても支障はない。夜は大学同窓のNさんが来てくれ、近所の懐かしいベトナムレストランで美味しく食事をした。話を聞くとベトナムも色々と変化があるなと感じる。その中で日本の立ち位置はちょっと微妙だ。

 

11月10日(金)
宿替え

実は今の宿はとても気に入っていたのだが、ネット予約を2日しかしていなかった。一応泊まってみてから延泊を決める作戦だ。だが今回はそれが裏目に出た。いい宿は人気があり、埋まってしまう。この宿もそうだった。何度か聞いてみたが、どうしても満員で延泊は不可だという。

 

理由はハイシーズンだから。確かにハノイはそれほど暑くない、良い季節を迎えてはいた。因みにちょうど時を同じくして、トランプ大統領、習近平主席、安倍首相がAPECの会議でベトナムを訪れていた。その影響でもあるのかと思ったが、会議の場所はダナンだった。ただその後トランプはハノイ来るのだがやはり関係ないだろう。因みに私が先日成田に降りた時、トランプの娘が同時刻に到着した。その後私はソウルを経由したがちょうどその日にトランプはソウルから北京へ行った。何だか追いかけっこのようだ。

 

今日宿をうつらなければならいので、探しに出掛ける。この狭い路地にも数軒の宿があるので聞いてみたが、何と全て満室だという。驚くべきことだが週末が掛かっているからだろうか。ちょっと広い道へ出て最初に目に付いた宿に入ると、愛想のいいおじさんが英語で話してくれた。

 

『今日は空いてないが、明日から2泊は大丈夫だ!よければ今日だけ別の宿を紹介するから、合計3泊でどうだ』というオファーだった。ちょうど後3泊ハノイにいる。宿を探すのも面倒なのでその話に乗っかってみる。今日の宿は少し離れていると言い、おじさんがバイクで運んでくれた。その場所は昔も恐らく来たことがあるバックパッカーが一番多い通りだった。

 

宿のおばさんが『あと1時間したら部屋が使える』というので、まずは両替しようと銀行の場所を聞くと『ここで両替できる』と言っておしえてくれない。仕方なく自分で探しに行き、両替する。何とも不親切な宿だ。銀行も両替に慣れておらず、凄く時間が掛かる。レートもよいのかどうかは分からない。

 

それから周囲を散策した。道端では相変わらず低い椅子で茶を飲んでいる。ハノイの茶文化だ。この風景も段々少なくなってきている。若者は台湾系の貢茶などのチェーン店に行くらしい。暑いのにクーラーがないのはだめだというのだ。立派な教会もあった。結婚写真を撮るカップル、ベトナムで大流行りだ。

 

1時間後に宿にもどってみると『掃除が済んでいないからあと1時間後に来て』と言われる。さすがにそれはないだろう、というと、しぶしぶカギをくれる。4階まで上がるのにエレベーターはない。こちらは1泊25ドルもするので、前の宿の良さが分かる。まあ今日部屋が空いているということがこの宿の評価なのだ。掃除している部屋を確認して、すぐ下におり、元の宿へ帰った。

 

荷物を持って新しい宿に転居した。そこへ蔡君がやって来た。ランチを食べようと外へ出る。途中の店を覗くと、ブンチャーの文字が見えたので入ってみる。私の一番の好物だ。後で気付いたのだが、ハノイの街にはブンチャーの表示が格段に増えていた。何故かと思ったら、昨年オバマ前大統領がハノイを訪問した際、庶民的な店でブンチャーを食べたのが評判となり、店が急増したらしい。

 

飯を食って歩き出す。目指すのは国家図書館。ここからは遠くなので歩いて行く。だが蔡君は『食後の珈琲を飲むのがベトナムの習慣だ』と言い、カフェを探して入る。確かにどこにでもカフェがあり、多くの人が珈琲やお茶を飲んでいる。ちょっときれいな店に入ると、何とタイ式茶まで用意されていて驚く。ある意味、ベトナムはアセアンの急成長株、消費拡大を狙って各国企業がやってきている。

 

図書館は非常に環境の良い、フランス時代の建物であった。しかも今年がちょうど100周年の記念の年。フランス植民地時代のベトナムに関する知識は少ないので、この辺の設立経緯は分からないが、こういうところに歴史的な資料が沢山保管されていて欲しいものである。

 

蔡君もハノイに来て1週間、初めてここに来た。我々はよく分からずに、建物に入っていき、本のある場所を探した。4階まで上がると、閲覧室があり、本も置かれていたが、そこで閲覧している人の数が少ないのに驚いた。東京でも台北でも、週末の図書館と言えば、相当混んでおり、座る席など見つけにくいのが普通であるが、一般のベトナム人は本など見ないのだろうか。

 

本を閲覧しようとすると係に止められた。入口のところで登録した人のみ、閲覧が許されるというので、振出しに戻る。蔡君が登録しようとすると、登録料12万ドンを要求される。なるほど、だから人が少ないのだ。もし無料なら大勢の人が来てしまうのを防いでいる。蔡君は登録したが、一介の旅行者である私は遠慮して図書館を後にした。

ベトナム縦断茶旅2017(2)喃漢研究院、そしてカフェに閉じ込められ

2. ハノイ
深夜のミーティング

その宿は小さかった。ただ6階の部屋までエレベーターがあったので大いに助かった。夜12時過ぎなのに、宿の人は寝ずに待っていてくれた。そしてそこには蔡君の姿もあった。実は空港に着いた時、彼から連絡があり、宿で会おうと言われていた。確かに明日以降の予定を話す必要もあったので、夜遅いが顔を合わせることにした。

 

宿から10分ちょっと歩いたところにおしゃれなカフェがあった。そこには深夜にも関わらず、ハノイの若者たちが大勢屯していた。おじさんにはちょっと場違いな感じだが、蔡君もいるのでまあいいか。お茶のメニューを見ると、ベトナム茶か、リプトンティと書かれている。ベトナム茶とは緑茶を指し、リプトンは紅茶を指す。なかなか面白い。

 

蔡君と別れて、人通りの絶えた夜中の道を一人で宿へ戻る。ちょっと怖いし、道を間違えたら大変だと緊張する。でも今やスマホがあるから、何とでもなる。宿では私がカギを預けているので、先ほどの男性はまたもや私の帰りを待っていた。この宿1泊僅か17ドルなのによくやってくれるな。

 

11月9日(木)
喃漢研究院へ

部屋の窓がないので雨が降っていることに気が付かなかった。ちょっと腹が減ったのでどうしようかと思っていたが、何と17ドルの宿にも朝食がついていた。いや宿によれば、『料金を値下げしたので本当は朝食なしのはずだが、Booking.comではまだ朝食が表示されているらしいので、食べていいよ』という。トーストと卵とバナナ、そしてお茶なのだが、それでもこの料金にしてはちゃんとしていて驚く。宿泊客も西洋人、中国人、華人など様々で面白い。

 

元々7時半頃と言っていたが、結局蔡君は9時過ぎにやって来た。雨はかなり強くなっている。路地から大通りへ出て車を拾うかと思いきや、スマホを取り出し『ハノイもアプリで呼ぶ』とタクシーを待った。だが皆が傘を差す中、なかなか車が見付からず、電話で位置を確認している。これでは外国人は言葉の問題から使えない。何とかやってきた車は小型車で、全くの自家用車。料金は中国と違って現金で払える。

 

雨のせいか道路は結構混んでいた。旧市街から少し離れた立派なビルの前で車を降りる。ここがベトナム社会科学院だった。中国と組織体系が同じなのはやはり社会主義国だ。だが中に入ろうとすると門番に止められ、なんと目的地はここではないと分かる。もう一度車を呼び、また乗り込む。数キロ離れた場所にあったそこには喃漢研究院という文字が書かれていた。ここがベトナムにおける中国系の研究所なのだ。

 

古びた建物の中に入ると、漢字で書かれた軸が沢山飾られていた。漢字が追放されている?ベトナムでは何とも奇妙な雰囲気ではある。2階に上がり、ある研究者の部屋に招かれる。彼は台湾に5年留学して博士をとった人であり、中国語は問題ない。これがベトナムの伝統的な緑茶だと言って、中国の急須で非常に濃いお茶を淹れてくれた。濃いのだが、ちょっと甘みがあり、悪くはない。

 

今回の私の目的はベトナム茶の歴史に関する資料集めだが、やはり彼も開口一番『資料は殆どない』と言い、僅かにあるベトナム語の資料を蔡君に見せている。『台湾とベトナムのお茶貿易の歴史ということなら、研究者はいるのではないか』とも聞いてみたが、歴史研究者は極めて少なく、貿易史をやる人などいない、一蹴されてしまった。

 

『1930年代に台湾から大量の茶がベトナムに輸出されたという資料が台湾側にはあるが?』と問うと、それはフランス植民地時代の話だから、恐らくその関係の資料があるとしてもパリではないか。フランス語が読めるなら探してみては、と言われて断念した。ベトナム人は現在とにかく目先の利益を考えており、歴史を顧みる余裕などないと言われれば、もうそれまでだ。

 

お昼は近所の麺屋に連れていってもらった。緑色した麺、ちょっとドロッとしたスープ、よくわからない魚、でもなぜかとても美味しい。店内が常に満員なのも頷ける。この麺の名前を失念してしまったのは残念だ。次回も是非食べてみたいのだが、どこにあるのだろうか。もう一度研究院に戻ったが、用事は済んでいたのですぐに失礼した。

 

カフェに閉じ込められる
午後は蔡君の知り合いのカフェへ行く。住宅街の一角にあるおしゃれなところだった。ちょうど数人が打ち合わせをしていた(後で聞くと彼らは茶業関係者だったので一緒に話せばよかったのにと言われ残念に思う)ので、2階に上がる。オーナーはまだ来ていないらしい。何となく疲れたのでリプトンティを飲みながら、まどろんでいた。それほど心地よい空間だった。

 

気が付くと1時間ほど経っており、階下の様子を見に行って驚いた。誰もいない上に店のドアは閉まっていた。そして何と外から鍵が掛けられており、出ることは出来ない。完全に閉じこめられてしまった。店員は我々の存在を忘れて帰ってしまったのだろうか。蔡君がオーナーに連絡を取るも、繋がらない。絶体絶命のピンチ!2階の窓からの脱出も難しい。

 

まあこうなってはジタバタしても仕方ない。軟禁されている訳でもないので、自由にまどろんで過ごす。結局オーナーはそれから2時間後にやってきて我々は解放された。いや本来の目的である彼の茶を味わった。ベトナム茶と言ってもタイグエン県の濃い緑茶だけでなく、北部では黒茶も作られており、また紅茶もあり、南部の高山茶まで幅広い。実に様々な種類を味わい、またオーナーの語るお茶の歴史を聞いて参考にした。

ベトナム縦断茶旅2017(1)ステーキを食べてながらハノイに着くも

《ベトナム縦断茶旅2017》  2017年11月8日-11月22日

 

2年ぶりにベトナムへ行こうと思った。その理由は2つ。1つは台湾拠点の私の周囲には驚くほど多くのベトナム人がいたことだ。数十万人とも言われる台湾在住ベトナム人、その国はどう変わっているのかを見たくなった。そういえば東京の奥さんが日本語を教えているのだが、そこに来る留学生もベトナム人が急増しているらしい。

 

もう一つは台湾で知り合った蔡君の存在だ。彼は台湾人とベトナム華僑との間に生まれたハーフであり、今大学院でベトナム文化、特に茶文化を研究している。その彼が6か月間ベトナムに滞在して研究するというので、ベトナム語が出来る彼を頼ってみようと思った次第だ。さて、結果はどうだったろうか。

 

11月8日(水)
1. ハノイまで
アシアナ航空で

今日は成田発の午後便に乗る。朝の通勤ラッシュを避けるためにはどうすればよいか、色々と考えたが、まずは各駅停車に乗ることにした。8時台でもやはりそれほど混んでいない。先月の台北行きより時間も遅いので、ゆっくり進む。空港に着くとちょうど11時、搭乗口近くで突然『ムンバイ行き』というアナウンスを聞き、なぜかどうしても行きたくなり、その場でPCを開いて、来年2月のムンバイ行チケットを予約してしまった。衝動買い、何とも珍しいことだ。

 

今日はアシアナ航空でインチョン経由ハノイへ向かう。実はベトナムへ行くならベトナム航空が一番安いと思っていたのだが、ネットで検索すると思うような安い価格が出て来ず、その次に安かったのがアシアナ航空だったのだ。韓国とベトナムは、経済的にも強い結びつきを持っており、相当に往来が多いと見え、便数も多い。

 

LCCと違い、アシアナの機内はきれいでちょっと広かった。機内食も美味しく満足した。だが機内プログラムの音楽と映画はどうだろう。日本の物も中国の物も殆どなかった。基本的に韓流、完全な国策だ。コンテンツは強いのだろうが、ここまでやるか。まあ私は寝て過ごそう。フライトは2時間ちょっとでインチョンへ。

 

空港は相変わらず広かった。随分歩いてようやくトランジットのチェック場所へ着く。そこでもちょっと並んで潜り抜ける。やはりインチョンをハブにするのは、未だに続いているようだが、最近は北京や上海などの追い上げで、どの程度伸びているのだろうか。まあ東京などは全く勝てない感じだ。

 

夜のハノイ行きは少し遅れた。まあ仕方がないと待っているとよいことが起こる。何とビジネスクラスにアップグレードされたのだ。何年ぶりのことだろうか。旅行社によれば、アップグレードの基準はいくつかあるが、同条件ならチケットの値段が高い方が優先されるという。私は常に相当安いチケットしか買ってこなかったから、もうアップグレードなどないと思っていたので、何とも幸運だ。いや、もしや高いチケットを買ってしまったのだろうか。

 

ビジネスクラスのシートは広い。夜で辺りも薄暗いのですぐにでも寝落ちしそうになった。だが折角だから夕飯は食べようと思う。実は昨日、どうしてかはわからないが、急に『ステーキが食べたい』と口走っていた。まあ、偶にはそんなものを食べることがあるだろうかと思っていたのだが、何と今目の前にそのステーキが置かれている。夢はかなうものだな。

 

ビジネスクラスの客は殆ど韓国人、それも見た感じ、中小企業の社長などに見える。やはりベトナムへの商売のため、出張で乗っているのだろうか。日本のエアライン同様、そういう客へのCAの対応は実に細かい。私のような外国人に対しても親切ではあるが、英語がうまい訳でもなく、何となく国内線を感じさせる。

 

後は寝ていた。さすがに快適だ。出来れば帰りのフライトにしてくれれば、夜行便だから更に助かったのだが、などと贅沢は言っていられない。フライトは遅れた分だけ遅れ、何とかハノイ空港に到着した。イミグレでは何のチェックもされず(帰りの航空券を準備したのに)、すんなり出られた。スマホシムも夜11時でも簡単に買えた。この辺は極めて便利だ。

 

後は予約したホテルに行くだけだ。ハノイのタクシーではこれまでかなり気を使ってきている。今回も事前にネットで調べ、良いタクシー会社をピックアップしてあった。タクシー乗り場へ行くと客はおらず、タクシーは沢山いたが、その中からタクシーグループをコールすると、ちゃんと前に出てきてくれた。これで一安心と思ったが、以前とは何だかルートが違うような。

 

かなり不安となった。深夜の道だ。どうしてよいかわからない。このタクシーは大型で料金もどんどん上がってしまう。最終的には何とか目的地に着いたが、細い路地にある小さなホテルだった。運転手はお釣りを返そうとしないので、きちんと要求して取り戻す。何となくいや感じでハノイ滞在は始まった。

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(19)ベトナム茶道の心

ハノイ散歩

そしてどこかのホテルの2階でランチを食べる。ここもきれいだが、お客は殆どいない。お客がいないので、ツアー客を格安で連れて来る、という構図が見え見えである。基本的にはビュッフェスタイルで、料理が並んでいるが、それをとる人は誰もいない。従業員が暇そうに欠伸をしている。それでもなぜか我々にはセットメニューが用意されている。そして例のドリンクメニューが配られるが、昨晩と似たような料金体系になっており、もうだれ一人、手を出そうとはしない。皆この話には疲れてきている。責任者の説明に納得する人などいないのだ。食事はまずくはなかったが、その場の空気はお通夜のようだった。

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それからハノイの旧市街を散策した。古い教会が相変わらず、いい感じで建っている。道端では美味しそうな食べ物が売られ、一般庶民が楽しそうにランチしている。私もこちらに混ざって、B級グルメを堪能したい、と心からそう思った。樹齢100年は超えるだろうと思われる、如何にも雰囲気の良い木の下で食事がしたい!欲求不満が募ってしまう。

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何故か韓国料理のファーストフード店が紛れ込んでいる。韓国はベトナムでも強さを発揮しているが、韓流ブームの影響もあり、ベトナムの若者にはイメージが良いようだ。メニューを見ると、海苔巻なども売られている。今やアジアの日本料理屋の多くが韓国人経営とも言われている。

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漢字が書かれた門がある。中に入ると小さな廟である。ハノイは中国の影響を色濃く受けている。この廟もそんな時代を反映しているのかもしれない。現在では中国人を嫌っている人が多いと言われているが、既に生活に染み込んだものは、自国文化として取り込んでいる。中国を嫌う日本人も沢山いるようだが、日本も全く同じ状況ではないだろうか。

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ベトナムではバイクに乗る人がかなりいる。道路上の大気汚染は中国ほどではないが、かなりひどい。そこでマスクをして乗るのだが、若者、特に女の子は、キティちゃんの絵柄など、お洒落なマスクをしていて、目を引く。マスクは白、というイメージはここにはない。白だとすぐに汚れが目立ってしまうからだろう。面白い土産になると、買い込む人も。値段交渉をすると、言い値の70%引きに下がってしまう。やはり観光客向けの商売だった。

 

スオンさんの店で

疲れたのでガイドが行き付けのカフェに入る。コーヒーが2万ドン。若者が店の前の小さな椅子に座り、何をするでもなく、ボーっとしている。Tさんが『日本でも若者がこんな感じお茶を飲んでくれるといいんだが』とポツリ。『お孫さんに小さなカフェを開かせて、対面式で抹茶ラテなど売ってみては』と素人考えを披露する。

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過去2回訪れた文廟横にあるスオンさんの店へ行く。M先生とぜひ引き合わせたいと思っていたが、暑い中の散策が堪えたのか、先生はバスで休んでいるとのことで、残りのメンバーで行く。いつもながら古民家を使ったショップは雰囲気がとても良い。ベトナムを代表する茶人であるスオンさんも忙しい中、店にやって来て、我々を待っていてくれた。

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今回はお茶関係者が来ると伝えたせいか、ベトナム茶道について、一通り話してくれ、一部実際に披露もしてくれた。作法はゆったりとしており、日本に通じるものもあるように思われた。だが一番違っていたのは『お茶を飲む時はそれを作った人に感謝します』という言葉。日本の茶道では作り手に感謝することはないそうだから、これには一同感銘を受ける。ベトナムでも、このような茶道をたしなむ人はごく一部だろうが、その感覚は素晴らしい!

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ジャーナリストでもあるスオンさんは、PCに収めた画像でセレモニーの様子を上手に説明してくれた。お茶も渋いが良質な緑茶から、古茶樹を使ったプレミアムティー、更にはジャスミン茶なども飲ませてくれた。スオンさんがセレクトしたお茶、中には産地で茶農家と一緒に作ったお茶もあるようだった。予定の1時間半はあっという間に過ぎてしまい、M先生の待つバスに引き上げた。

 

夕方水上人形劇を見た。私は前に見たので不要だったが、これもセット。ガイドはチケットを買ってきてくれたが、一人10ドル徴収された。そんな料金ではなかったはずだと思い、チケットをもらうと、なんと5ドルという表示。一人から5ドルの手数料をとっている。きっと彼も安い給料で働かされ、チップや両替の手数料などで補うように言われているに違いない。そんな思いで人形劇を見ると、何とも味気ない物になってしまった。夕飯はまた立派なフレンチレストランで。大きな鶏肉を食べて腹一杯になる。ここでも一番安いお茶だけを飲む。ツアー旅行は食事が楽しみ、だったはずが、食事の時間が憂鬱になってしまったのは、誰のせい?私のせい?日本的団体行動にはやはり馴染まないのだろう。

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今晩の日本行きフライトは午前0時半。夕飯を食べ終わると、まだ午後8時台だったが、早々に空港に向かった。3時間半前でもチェックインできるベトナム航空。ガイドは早く仕事を終えたくて、仕方がない様子。それからの長い時間、我々は空港内で、土産物を買い、飲み物を飲み、転寝をして過ごした。驚いたことに、この夜行フライト、日本行きが名古屋、成田、大阪、福岡と4便も運航している。これは日本人の乗客が多いからではなく、ベトナム人や中国人、他のアジア人が乗っているという事実を再認識した。

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今回の旅では茶の木の源流を訪ね、植物学的、また民俗学的に見たお茶、という新しい切り口を学んだことはこれから茶旅を続ける上で、とても大きな収穫があったが、同時に日本の旅行業界の現状を大いに認識し、暗澹たる思いを抱いたのも、また真実である。飛行機は早朝成田に降りた立ち、旅は終了した。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(18)とんでもないツアーの仕組み

だが今回はビールだけではなく、ソフトドリンクも相当に高かったので気になった。コーラが4.4万ドン、市価の4倍以上ではないか。しかもこのメニューは紙1枚に日本語で書かれている。どう考えても怪しい。そこでやってきた若いウエートレスに何となく『英語か中国語のメニューはないのか』と聞いたところ、彼女は立派なメニューを持って戻ってきた。

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それを開いてみてビックリした。コーラは1.6万ドン、ビールでも4万ドン台だった。これは一体どうしたことか、と尋ねようとしたその時、マネージャーの女性がスッ飛んできて、『すみません、古いメニューを渡してしまいました。この日本語メニューが最新なんです』と英語で言う。だが、それでは中国語版の最新メニューを出せ、というと彼女も困ってしまった。

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ガイドはこの事態を静観していたが、『いや、この日本語版は団体用メニューなんです』と思わず口走ってしまう。どうして個人と団体で料金が違うんだ、というと、二人とも無口なってしまった。そして最終的に『今日は個人版の料金でよい』と言い出した。後でガイドは言うには、『あなたたちが払わなかった差額はあのメニューを渡してしまった若いウエートレスが弁償することになる』と。まるで我々が悪いかのような言い草にはさすがに腹が立った。楽しいはずの夕飯、何を食べたかもよく覚えていないし、完全に台無しになってしまった。

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翌日我々の要請により、このツアーの現地請負A社の責任者なる人物が説明にやってきたが『我々には一切の責任はない。全てレストランが勝手にやったことだ』と言い放ったのには、本当に驚き、そして呆れた。日本人だからちゃんとやれる、などと言うつもりはないが、団体旅行を請負い、レストランを選定したのは自分たちであるのに、そんな言い草がある通用すると思っているのだろうか。ガイドも団体から高い料金を請求している事実を認めているではないか。

 

結局その日本人がとった行動は、我々が日本へ帰国するため空港へ向かう直前に、押し付けるように1枚の紙を渡しただけ。それは英語で書かれたレストランのわび状だった。最後まで『楽しい旅を台無しにして申し訳ない』などという日本語は全く聞かれず、自分は悪くない、言い続けた。日本語ガイドの質の低下を嘆く前に、日本人の質の低下を嘆くべきであろう。

 

因みにこの件について、ある旅行関係者から『現在のパッケージツアーでは、レストランの食事料金をツアー会社が低料金で設定させ、その代りドリンクは別料金として工学を黙認して、補填させる仕組みをとっている』と丁寧に教えてくれた。もしこんなことが常にまかり通っているのなら、日本の旅行業界に未来はない、とはっきり断言してもよい。何もわからない、海外に不慣れな老人たちを騙して商売している、と言われても申し開きはできないはず。

 

これまでのように豊富な資金を使い、旅行社に利益を落としてくれる日本人など、いなくなるのはもはや時間の問題だ。70歳以下で普通にパソコンを操り、ネットにアクセスできる世代は、航空券やホテルは自分で取り、自分で旅行するようになってきている。ベトナムにいる日本人の中には、以前と同じやり方を繰り返し、進歩がない人が時々いて困る、とも聞いている。海外で日本人相手にプロ意識なく仕事ができる時代は過ぎているという認識がない。

 

11月2日(月)

翌朝はまたビュッフェでたらふく食べた。もうできるだけ元を取ってやろう?という気分である。このツアー、特に安い訳ではない。いや、むしろそれなりの料金を払っているのに、一人一部屋でもない。その上、こんなツアーオペレーターの度を越した対応には呆れるしかない。もう2度とツアーには参加しないという思い。その不満が食欲に見てしまったようだ。

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食後、大学の後輩で、ハノイ在住10年を超えるNさんがわざわざホテルまで会いに来てくれた。最近のベトナム経済の状況、不動産市況、そしてベトナム人の日本への渡航状況などについて、短時間に丁寧な解説をしてもらった。やはりベトナムの景気は良くないが、中国との関係改善もあり、観光客が持ち直し、投資も回復傾向。今後は少しずつ良くなってくるようだ。

 

ベトナム茶協会

ベトナム最後の日、午前中はベトナム茶協会を訪問した。約束の時間より早く到着したので、そのビルの1階に入っているティーショップでお茶を見てみた。ここは茶協会の直営店、それなりの品質のものが買えるだろうと期待したが、試飲はないので、パッケージだけを頼りに緑茶を選んでみた。棚には紅茶や烏龍茶も並んでおり、蓮茶も合わせて、ベトナムでは多彩なお茶作りが行われていることがよく分かる。

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協会の会議室で、会長と面談した。ベトナム茶業の係数(輸出額や輸出先、種類別の生産量)などが欲しいと言ってみたが、『正確な数字は持っていない』などと、不可解な返事が多かった。そして『日本からベトナム茶業への投資を歓迎する』という発言が何度も出てきており、この協会が投資促進協会であったことを認識する。

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まるで中国共産党と同じスタイルだ。政府が作った協会の目的は、対外交流という名の外資導入、金儲け。純粋な研究目的の訪問にはほとんど興味を示さない。本当は会長もこんな話はしたくないのかもしれないが、今のご時世、そうも言っていられない、というところだろうか。とても残念だったが、これも今のベトナムの現状だろう。昔作られたと思われるパンフレットをもらって、早々に退散した。

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(17)強かに生きるベトナム

私の目を引いたのは、爆撃の様子やフランス人の捕虜などではなく、この時期、この付近に既に住んでいたモン族やヤオ族の動向だった。ベトナム軍に協力して、荷運びなど使役に耐えている様子が写真で展示されているが、実際はどうだったのだろうか。本当はどこにも支配されない自分たちの国を持ちたかったのではないか、などと勝手な妄想に取り付かれる。

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それからA1の丘、と呼ばれる場所に行った。ここはフランス軍の爆撃弾が直撃した場所。丘を緩やかに登っていくと、その穴が丘の上にぽっかり空いている。その横には地下司令部かなと思われる、地下道が開かれており、ここを目掛けて爆撃した様子が分かる。激戦地だった、ということだろうが、今やベトナムの若者が楽しそうに、それを眺め、記念写真を撮っている。時代は変わったのだ。

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ここの入り口には戦車が飾られており、ちょっとした展示館があった。そこには中国清朝時代の地図が掲げられており、その説明には『この地図には中国の最南端は海南島と明記されており、南沙諸島は明確に中国領ではない』と書かれていた。このあたり、現在問題なっている歴史をはっきりと主張している。きちんと主張しなければ、何をされるか分からない。ベトナムが過去に経験してきた歴史上の戦いは決してフランスだけではない。アメリカとのベトナム戦争もあれば、中国との1000年の長きに渡る戦いも当然含まれてくる。強かでなければ生きてはいけない。

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最後に街の真ん中にある『勝利の記念像の丘』にやってきた。ここの階段を見ただけで、なぜM先生らが、我々と別行動したか、すぐに分かった。この数百段ある階段を登るだけでも、相当の労力がいる。実際それほど日差しが強いわけでもない午後、我々は物凄い汗を掻きながら、一段一段よろよろと歩を進めた。何故ここを登らなければならないのか、と考えても始まらない。

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喘ぎながら上まで登ると、そこには勝利の像があった。周囲は全て見渡せるが、木々があり、クリアーではないところも多い。しかしそれ以外には何もない。ここでも入場料を取られたのにはちょっと驚く。この苦行の末に何故。それがベトナムのために戦ってきた人々の慰霊になるとはとても思えない。

 

空港はここから直ぐだった。しかも国内線なのに、2時間弱前には空港にやってきた。この辺もツアーの不便なところ。確かに遅刻して乗り遅れてはいけないが、こんな小さな空港で、何をしろというのだろうか。チェックインが始まったが、その対応スピードはかなり遅い。それでも時間はあり余っているので、気にはならなかったが、ガイドは何故か別室へ向かう。

 

何か問題があったのか、と心配になったが、出てきたガイドに聞くと『地酒を預け荷物に入れてよいか』と質問して、何と全て没収されたというのだ。えー、信じられない!あのシンホのホテルで作られた酒をポットボトルに入れて持ってきていたのだが、それを自ら申告するとは。彼は本当にガイドの経験があるのだろうか。国内線の飛行機に乗ったことはないのではないか。疑問が湧き上がる。今回の旅のストレスの一つは、これだったかもしれない。

 

日本語ガイドの質はアジアのどこへ行っても、低下していると感じることが多い。それは本人のせいもあるが、日本人観光客の減少、そして収入の減少が大きく響いている。彼と話しても『実は中国語の勉強をしている。中国人相手の方が遥かに儲かる』とつぶやいていた。日本人相手は儲からない、そう思われていることを当の日本人は気づいているだろうか。かつての金持ち日本人のイメージは完全に中国にとって代わられ、『妙にうるさいだけで、金には渋い』というレッテルが貼られそうだ。フライトは定刻に出発し、順調にハノイに着いた。

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8.ハノイ2

夕飯で事件

また前回と同じホテルにチェックインした。もう判で押したように同じ行程だ。実はハノイ在住10数年の日本人に聞くと、『知り合いのビジネスマンをこのホテルに泊めることはない』と言い出した。このホテルは古い上にベトナム人からも何故か評判が悪く、取引先のベトナムの会社へ行って、このホテルに泊まっているといえば、それだけで仕事がうまくいかないことさえあるらしい。まあ我々はそういう意味でビジネスをしているわけではないから、どうでもよいのだが、なぜ旅行会社がこのホテルを使うのかはとても良く分かった。

 

既に暗くなっており、夕飯に出掛けた。どこかのショッピングモールの2階にそのレストランはあった。中華料理だったが、広いスペースにお客は殆どいない。時間が早いのだろうか。何でこんなところに来たのだろうか。料理はコースで、どんどん運ばれてきて、選ぶことはできない。唯一選べるのが、ドリンク。日本人なら、『取り敢えずビール』となるのだろうが、ハノイでこれまで食べたレストラン同様、市価に比べてビールはずいぶん高い。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(16)アジアの厨房から

11月1日(日)

アジアの厨房から

翌朝も快晴だった。朝食を食べていると、Uさんがスーッと奥の厨房に消えていった。また面白いことが始まりそうだと思い、後からこっそり着いていく。見ると、葉を採り除いた茎?枝?を釜で炒っていた。茎茶を作っている。更には昨日から作って置いていた茶葉をポットに入れて試飲を始めた。だがやはりどうしてもかなり渋いようで、顔をしかめている。

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するとそこにいた若い女性が、何かビンを持ってきた。既にUさんとかなり仲良くなっているようだ。見ていると彼女はその中のものを、お茶が入ったカップにタラリと垂らしていた。それはハチミツだった。この辺りでは、蜂を飼い、蜜を採っているらしい。自家製だ。

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そして渋いお茶に入れて飲むのだという。それならよく分かる。ベトナムの人も必ずしも渋いお茶がこの実とは限らない。確かに甘い蜜は有効だろう。ベトナムではこんな工夫が行われていると分かった。因みに彼女はバナナも持ってきて、お茶と一緒に食べろ、という。彼らは渋いお茶をそのまま飲むのではなく、当然ながら色々と対策をとっていたのだ。これは発見!

 

Uさんは自分でも『人の家やホテルの厨房に入るのが大好き』だというから、それならいっそのこと、この趣味?を使い、『アジアの厨房から』という企画で、どこへ行っても厨房に潜り込み、お茶を作り、そこで何かを発見してレポートすれば、これは読者の大いなる注目を集めるのではないかと思う。地元の人との交流、などと口では言うものの、真の交流ができる人が決して多くはない。UさんやSさんは、どんな人ともすぐ親しくなるという武器を持っており、これを活用すればきっと面白いことが起こる。いや、現に起こっている。

 

またモン族の家へ

そしてホテルをチェックアウトして、また車に乗る。今日はハノイへ帰る日だ。だがフライトは午後なので、午前中は道中にあったモン族の家へ立ち寄る。この家には珍しく一家全員が揃っていた。今日は農作業、休みだろうか。道路脇から少し上ったところにある家へ招き入れられた。

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中は薄暗い。Sさんは早々に家内を物色?いいナイフを見つけた。ご主人がそれを見て立派な鞘を持ってきた。きっと自家製だろう。実に格好いい!家の女の子にモン族の子供の衣装を着てもらった。とてもかわいい。これも全て手縫い。お母さんの作品だろう。本当の手作り、それは何にも増して暖かいように思う。

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外には竹などの材料が放置されている。農作業だけではなく、何かを作って生計の足しにしているのかもしれない。蜂を飼う箱も置かれている。Uさんは野菜などを担ぐ、籠が気にいったようで、自分でしょって記念撮影。何だか人の家に来てやりたい放題なような気もするが、それがまた交流を生んでいる。

 

この家を辞してまた車で進む。既に平地となっており、農作業する人々が見えた。何か長い草を刈り採っている。燃料になるのだろうか。向こうには水田も見えている。実にのどかに見える農作業だが、暑い中、毎日これを続けるのは大変なことだろう。実は道路脇で喧嘩している人々を見た。何かの拍子に日頃の不満が爆発する、ということは十分あり得る。

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7.ディエンビエンフー2

戦地跡観光

車は昼前にディエンビエンフーに入った。まずはランチということで、また同じレストランに入ろうとする。ツアーの場合、提携レストランに連れていくことに決まっており、旅人の自由は本当にない、ということがよく分かる。ガイドによれば『日本人が行けるような清潔なレストランはない』ということだが、果たしてそうだろうか。ところが、数日前に行ったレストランは、何と結婚披露宴が行われるとかで、その準備のため、使えなかった。

 

仕方なく、向かいのレストランに入る。ここも提携先なのだろうか。サイゴンビールを皆さんが頼んだので、一口飲んでみたが、なぜかとてもまずかった。食事もうーん、どうなんだろうか。急に外国人が来たからか、それともここがベトナム人のスタンダードなのか。横のテーブルで食べている炒飯は実に美味しそうに見えるのだが、それを食べさせて欲しい!

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午後は二手に分かれた。M先生など、前回もここに来たメンバーは郊外の立派なホテル?を見学に行った。我々初めてディエンビエンフーに来たメンバーは、取り敢えず、戦いの爪痕を辿ることにした。まずは戦争博物館へ。ここは箱モノ行政的で、モダンな建物だった。1.5万ドンの入場料を払って中へ。

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1954年、ベトナムは宗主国フランス相手に独立戦争を戦っていた。そしてこの地で勝利し、独立を決定づけたと言われている。まさに聖地だった。先ごろ亡くなったこの戦いの英雄、ボーエンザップ将軍やホーチミンの胸像が置かれており、戦いの経緯が克明に展示されている。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(15)ムンライという街で

6.ムンライ2

運転手の家

5日ぶりにムンライに帰ってきた。懐かしいような、ホッとしたような気分で、また同じリゾートホテルに投宿した。ホテル環境は抜群だが、ネット環境はここの方が良くない。まあ1泊だけなので、ゆったりした気分に浸る。

 

まだ外は明るいが、特にやることもないので、市場見学に出掛ける。前回は夕方入って来て、翌朝出掛けてしまったので、この村をゆっくり見ることはなかった。まあそれほど大きな村ではない。市場もそれほどの規模ではなく、しかも日が傾いている。野菜や魚を売る人々は既にやる気はなく、のんびりムード。魚だけが焼かれていて、いい匂いはしていたが。

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市場のゲートの所に、座り込んでいる女性がいた。何かを売っているのかと思ったが、商品は見えない。どうもやら目が悪いように見えた。横には息子だろうか、男の子がいた。彼は何となくこちらに目をやり、近づこうか、止めようか、と迷っているように見える。そして母親の手を引き、ユルユルとこちらにやってきた。気が付いた運転手がすぐに手を振って追い払った。彼らはそれ以上来なかった。後で聞いたところ、M先生は彼らにこっそり、何がしかのお金を渡したと聞く。

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実は運転手の1人はこの村の出身でタイ族だった。彼の家を訪ねることになる。行ってみるとかなり大きな家だった。彼の奥さんが幼い子供を抱っこして迎えてくれた。典型的な高床式の住居で、2階へ上がる。大きなテレビ、ソファーもあり、部屋もいくつもあった。部屋と部屋の間、真ん中あたりには神棚のようなものも置かれていた。また部屋が並んでいるところと反対に1つだけ部屋があった。嫁さんはこちらで寝るという。お母さんも出てきた。

 

彼のお父さんはトラックで荷物を運ぶ仕事をしているようだ。彼自身も数年前に車を買い、仕事があれば運転手をしているという。ランドクルーザーを買えるのだから、そしてこの家を建てられるのだから、それなりの財力がある。この財はどこからやってくるのだろうか。

 

Uさんがまた得意の抹茶を点てて皆さんに振る舞う。奥さんもお母さんも『美味しいです』と言いながら、この場から姿を消していた。やはりこの苦味は、苦手なのではないだろうか。ただ運転手の彼だけが、とても興味を持ち、Uさんの指導で、実際に茶筅を使ってお茶を立ててみた。その手つきの良いこと、まるですでにどこかで習っていたようにしか見えない。茶を点てる潜在的才能というがあるのだろうか。

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ホテルに戻ると夕暮れ時。前回はあまり見なかったのだが、ホテルの裏側にある、古い木造の建物を見た。私ならこちらに泊まってみたい、と思ったのだが、設備がとても古く、今はガイドなどしか泊まっていないという。つい最近手前に新しい棟を建てたことが分かる。旅行客の増加を見込んだのだろうか。前回M先生らが来た時は、ここのオーナーも来ており、親しく懇談したようだが、今回その姿は見えない。どう見てもオフシーズンなのだろう。

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新しい建物の屋上へ行くと、向こうに川が見え、そして遥か遠く、微かに水力発電所が見えた。送電線が川沿いを伝っている。ベトナムの電力供給は現在どうなっているのだろう。最近あまり停電という事態に遭遇しないのは、それなりに行き届いてきていることを示しているといえるのかもしれない。

 

部屋の前ではTさんがお茶を点て始めた。Y先生が庭に咲いていた小さな花を摘んできて、その脇に活けた。このようなちょっとした心遣いが風流だと感じられる。自然な心というのだろうか。一人一人お点前を頂き、心地よいひと時を過ごす。夜が少しずつ近づいてくる気配がした。

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夕飯はまたあの広い食堂で食べた。今日も我々しか客がいない。これまでの4日間と違って、味付けがより中国的になる。それを美味しいと感じるのは、やはり日本人だからだろうか。海外に出た日本人が日本食を食べられない時、中華を食べてホッとする心境に似ている。まあ最近は中華よりも韓国料理かもしれない。今や韓国料理もアジア中、大体どこにでもある。

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食後、お待ちかねのカラオケとなる。前回M先生たちは、ここでカラオケを大いに楽しんだと聞いていた。特に若手のO君が活躍したようで、彼も張り切っている。そしてカラオケセットの準備を始めたのだが、どうしても日本の歌が出てこない。今やカラオケも衛星配信だから、その通信に問題があるかと思ったが、ベトナム語の歌は出てくる。結局日本人客は来ないし、来てもカラオケなどやらないということで、契約を打ち切ったらしいと諦める。

 

それでも収まりがつかないO君、英語の歌を歌い出したが、慣れていないせいか、フラストレーションが溜まる。すると宴会部長のSさんは、素早くIpadを持ち込み、何やら操作している。何とIpadの中に、曲が入っており、これを見ながら歌うことが出来た。これには一同ビックリしたが、M先生も懐かしい歌を探して、歌い始めた。良く考えてみれば、今回のグループの年齢差は最大60歳。当然知っている歌も違ってくる。それをここベトナムで歌う。何だかとても面白い。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(14)可愛い子供たち

10月31日(土)

モン族の可愛い子供たち

ついにシンホ村を離れる朝が来た。このホテルには何と4泊もした。朝ごはんをいつもの定位置で食べていると、さすがに飽きてはいた。だが、何となく離れ難いのは、ここの従業員のおじさん、おばさん、お姐さんの、不思議な優しさ、素朴な気遣い、などに魅了されたからだろうか。

 

いつも1階のフロントに座っている若い女性、Sさんは彼女に洗濯物を頼み、乾かないな、と言いながら、一緒に笑っている。Sさんのように常にアクションを起こしていると、自然に周囲と打ち解けていく。彼女には幼い男の子がおり、すっかり顔なじみになった。だが彼はママに構ってもらう以外、大体一人で遊んでいる。何人かの子供たちが、ホテルの敷地内に入って来て、遊んでいる。それはそれで可愛いのだが、どうにも彼のことは気にかかっていた。

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そうこうしている内に、荷物をまとめ、出発した。名残惜しい!5日前に来た道をただ戻るだけだが、気分は大いに違っていた。天気も悪くない。途中で車を停めて、眼下に山並みの中に霧が立ち込める見事な景色を眺めながら、私がここに来た意味を改めて自分に問う。道にはいつ起こったのか、土砂崩れの跡も見える。自分の生きている意味を考えさせられる。

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時間はたっぷりあるので、途中でモン族の村に立ち寄る。子供たちが沢山出てきて、恐る恐るこちらを見ている。男の子は普通の格好だが、民族衣装を着ている女の子がいる。皆元気についてくる。彼らは学校へ行っているのだろうか?今日は土曜日で休みなのかもしれない。大人には休みがないようで、農作業で出て行ってしまって留守だった。農作業をする小屋にも人影はない。

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子供の中に顔はモン族なのに、髪の毛は金髪の女の子がいた。どうみてもハーフかなと思うのだが、どうしてこんな山の中にいるのだろうか。お父さんがフランス人で、わけあってお母さんの故郷に戻ったのだろうか。どう見ても余計な妄想が広がり始める。ベトナムには、様々な深い歴史がある。

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ランチで

それからまた車で移動した。ちょうど昼頃、道路脇のレストランに入った。見ていると、皆鍋を食べている。どうやらここは、新鮮な鶏肉を1羽鍋にぶち込む、豪快な鍋が売り物のようだ。ここでもSさんが鍋奉行として活躍、湯気の立つうまい鍋にあり付けた。何しろ4日間、ホテルの食事に飽き飽きしていたこともあり、ぷりぷりした鶏肉は実にうまいと感じた。

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このレストランにはWi-Fiもあると表示されていたが、パスワードを入れても全く反応しなかった。まあこの田舎でWi-Fiは望み過ぎかもしれない。食事が終わると、慣例に倣って席を移して、お茶を飲む。いつもの渋いお茶を飲んでいると、食事したテーブルに柿とみかんの入った袋を置き忘れたことを思い出す。だがそのテーブルに戻ってみたが、袋はなかった。

 

きっと片づけてしまったのかと思い、ウエートレスに聞いたが知らないという。おかみさんらしい人も知らないというが、厨房の方へ行くと、何とそこに柿がポツンと置かれているではないか。これは何だ、というと、やはり知らないという。だが袋も見つかったので、もう完全にこの人が私の柿をとった、ということが判明した。ではみかんはどうしたと聞くと、悪びれることもなく、『捨てた』と言い放った。さすがに驚いたが、何ともしようがない。

 

ガイドがやって来て『田舎ではよくあることですから』と取り成したが、本当に田舎では人のものを確認もせずにとってしまうのだろうか。それにしても『謝る』とか、『言い訳する』とか、いうこともない。『あー、見付かっちゃった』という雰囲気である。ちょっと憤慨して車に乗り込むと、ガイドが『お詫びのしるしです』と言って水を一本くれた。うーん?

 

田舎の人だから、『外国人が怒っているのにどう対処したらよいのか分からなかった』という意味だろうか。ただもう一つ、分かったことは、この辺では、みかんは一般的なものだが、やはり柿は高価なものらしいということ。だから、おばさんもみかんは捨てて、高価な柿だけ残したのだろう。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(13)食事もお茶も雰囲気次第

おじさんの家を辞して、車に乗り、弁当を食べる場所を探した。あまり適当な場所はなかったので、道路脇の平らな場所で弁当を開くことになる。弁当の中身は分かっているのだが、外で食べると気分が全然違う。何となく部屋で食べるより、解放感があり、美味しく感じられる。食事には環境、雰囲気が大切だ、としみじみ。

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食後のお茶はどうするのか。朝からSさんは悩んでいた。そこで私が自分のバッグを探ってみたが、出てきたのは、何と日本のビジネスホテルに置かれているほうじ茶のティーバッグ。こんな物、お茶のプロの皆さんに出すのは失礼だ、と思っていると、Sさんが『これがいい』と言い出す。半信半疑で持っていく。Sさんはちゃんと厨房からお湯をポットに入れて持ってきている。プラスチックのコップすら用意している。そこへほうじ茶バッグを入れる。

 

食事中に皆さんに配ると『これはうまいなあ』という声が聞こえる。皆さん、お茶の専門家である。まさかこれが安いほうじ茶のティーバッグだとは言い出せなくなる。しかし自分で飲んでみても、何とも味わいがある。そうか、食事だけではなく、お茶も環境に左右されるものなのだ。そして長らく日本のお茶を飲んでいなかったので、その味が懐かしく思われる。このような状況下であれば、お茶の質など、大きな問題ではない。これは面白い実験だった。しかしこれがいいと選んだSさん、包丁の見立てだけではなく、商才もあるな。

 

格好いいおじいさん

午後、どのような経緯からか、ある家を訪問した。そこの集落の子供たちがみんなで遊んでいる姿が微笑ましい。するとUさんがバッグから何か取り出した。何と小さな独楽を持ってきていた。ちょっとやってみせると、子供たちの目が輝き、皆がやりたいと寄ってくる。私も何十年ぶりかで回してみた。上手くはできないが、独楽が回ると嬉しい。子供の頃を思い出す。

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この家にも対聯が貼ってある。ヤオ族の家であろうか。天井からとうもろこしが大量につりさげられていた。これは食べるのだろうか、家畜の餌なのだろうか。中からすごく絵になる、白髭を蓄えたおじいさんが登場した。ここは一体何なんだろうか。このおじいさん、近所でも評判のお茶好きだったようだ。早速お茶を淹れてくれる。あのタリエンシスの葉っぱが出てくる。

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これが近くに沢山植えられているようだ。家の裏を上って行くと、丘があり、そこにポツポツと植えられていた。お茶を大量生産しようという計画があったのかもしれないが、どうみても自家用になっている。おじいさんも『今の若者は茶など飲まない』と嘆いており、金になる作物に変わっていくだろうと、将来を悲観していた。まるでどこかの国の話のようだ。

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ホテルに戻ったが、まだ時間が早い。やることもないので、周辺をフラフラした。ここからライチョウという街までミニバスが出ているが、そのバスは韓国の現代製だった。若い女性が民族衣装を着て、バイクに乗りながら携帯で話している。バイクも中国製の安物から、ベトナム製造の日本ブランドに変わってきている。ベトナムの経済的な底上げは確実にある。

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市場へ入っていくと、Sさんが既に馴染となっているヤオ族のおばさんのところへ行く。Uさんが縫っている上着を見て気に入り、値段交渉に入った。おばさんはまけてあげる、とは決して言わず、逆に『このステッチを縫い付けると素敵でしょう』という身振りをした。確かにそれが良かったので、それを込みの料金として、実質値下げがなったものと安心していたが、その場で器用に縫い付けたおばさんは、ちゃんとそのステッチ代金も要求してきた。今更要らないとも言えず、結局おばさんの言い値になる。なかなかやるな、おばさん!

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市場の真ん中で、豚の丸焼きが始まり、皆の興味を引く。このようなパフォーマンスが美味しく感じさせるのだろう。市場の外でも串焼き屋が豪快に肉を焼いていた。腹は減っていないが、何だか食べたくなる。するとSさんが既に包まれていた物を買い込む。持ち帰って食べてみようというのだ。ついでに飲茶で出てくる腸粉のような食べ物も買う。これはうまそうだ!

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ホテルに帰り、皿などがないので、慣れ親しんだ厨房へ行く。おじさんが『何買ってきたんだ』という顔をして、覗き込む。品物を見ると、手際よく、必要な皿やフォークを出してくる。腸粉は、何と甘い味のデザートだった。これにはライムをかけるとうまいぞ、という感じで、奥からライムまで出してきた。

 

そして包まれていた物体を開けたが、それは肉などではなく、本当に謎の物体だった。するとおじさんは、これをつけて食べるといいよ、という感じで、酢や調味料を混ぜ合わせ、付けるためのたれを用意してくれた。この親切には、本当に驚いた。訳の分からない物を買ってきて、と言われても仕方ない中、何とかしてあげようというおじさんの心意気には感じるものがあった。しかし食べた物が何だったのか、最後まで分からなかった。おじさんとは言葉が通じない。

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今日も夕飯はホテルだが、それを簡単に済ませて、外の店で先ほど食べられなかった串焼きを食べ、ビールを飲もうという計画が密かに進行していた。さすがに明日はこの地を離れるので、最後ぐらいはいいだろう、という思いがあった。ところが、何と急に雨降り出した。それもシトシト降るのではなく、ザーザー降り。これは外へ行くなという天からの合図だっただろうか。

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