北タイ茶旅2024その1(3)ドイプーメンからドラーンへ

赤ラフの村から黒ラフの村へ移動。教会が見えてくる。少し上るとお茶を飲むスペースが見えた。その前には太陽光パネル。これで電気を賄おうという考えらしい。ところがドームの弟、ジョンがスイッチを入れても電気は来なかったので、お茶も出て来なかった。ここから見えるエリアで茶工場の拡張が行われている。ジョンはヤリ手の経営者だ。コーヒーとお茶の商いを広げていた。

更に上に登っていく。今回は彼らの一番上の兄にも会いたいとお願いしていた。かなり上った場所に大きな家があった。そこに長兄が住んでいた。彼は1970年代、台湾に留学し、何と鹿谷で2年烏龍茶製造の勉強をしたというから驚いた。既に亡くなった次兄も一緒だった。その後村へ帰り、茶作りに励んでいた。勿論華語も上手い。

2008年頃、台湾から来て1年に一度来て茶を作っていた師匠からプーアル茶の作り方を習って作ってみたこともある。包み紙には自分でブランド名を印刷したらしい。因みにその紙は何となく和紙に似ている。この地域、ヘロインを和紙で包んでいたとの記述を見たことがある。尚この付近は雨季に特に雨が多く湿度が高いため、プーアル茶の保存には適さないという。麓の方にプーアル用の倉庫が建てられているらしい。

今ではフランス人がホームステイし、ゲストの料理は彼が作っているという。次回は是非味わってみたいものだ。大きな犬が何匹も彼らを守っており、私は怖くて近づけない。先ほどの母屋まで戻ると、囲炉裏付近からいい匂いが漂ってくる。竹筒ご飯、焼き鳥、竹筒に入った豚肉、そして焼き芋など、どれも美味である。まあ、これを食べるためにわざわざ上ってきたようなものだ。

若者が自家製のコーヒーを淹れてくれる。それから皆で茶畑を見学し、茶摘みの写真を撮る。だがまた母屋に引き戻される。前回も会ったおじさんが、竹で籠を作る技術を見せてくれる。これらが全て茶ツアーに含まれているので、先方としては全てやらざるを得ないし、こちらも付き合わざるを得ない。まあ何となく楽しい時間ではある。

プーメンを越えて反対側へ車は走っているようだ。実にさわやかな午後だった。1時間半ほど走って、ようやく山間の村に着いた。ドイラーンというタイヤイの村で、ミャンマー国境に近かった。ずっと国境沿いを走ってきたらしい。タイヤイというのはシャン族のことで、大きな括りではここもタイ人系の村。ミャンマー側から渡ってきた人々が住んでいた。

もうこの村の雰囲気は完全にシャン州だった。人々の顔も更に日本人に近い。訪ねた茶の仲買人の家の奥さんなど、明るい日本人と言っても良い。23年前ミャンマー側から渡ってきて旦那と結婚したという。この家の納屋には茶葉が沢山詰まっていた。これを用途別に売り捌くのが仕事なのだろう。

旦那が近所の家に連れて行ってくれた。ミアンを作っているという。昨年でミアンは見飽きたが、覗いてみると、どうも様子が違う。この村で生葉を集めて、ちょっと蒸して、すぐにどこかへ販売してしまうらしい。これでは漬物茶ではない。勿論漬ける葉もあるようだが、どうやら行先はタークと聞こえた。

タークなら、ミアンに砂糖やココナッツを入れて食べるとも聞いたので、生葉状態でタークへ行き、そこで砂糖などを加えて漬けるのでは、と想像する。またそこからミャンマーへ売られるものあるだろうか。村を離れる際、ちょうど漬物樽に乗っている男性を見た。恐らくミアンを作っているのだ。各家で製造工程は異なるのかもしれない。

そこから車で約1時間、夕日が落ちて行く中、山路を行き、ドイメーサロンに入った。2年ぶりだろうか。ただいつもと反対の道から来たので途中までどこを走っているのかさえ、全く分からなかった。今日来た道が、メーサロン‐ファーンを繋ぐ道、その昔茶業者が茶葉を運んだ道だったのだろう。

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