11月14日(木)茶畑で
朝はすっきりと目覚めた。Aさんは毎日朝5時に太極拳をやっていると言い、Sちゃんは早々に散歩に出たらしい。私もちょっと散歩してから朝ご飯にする。ご飯を食べているとオーナーが来たので「茶畑見学は可能か」と聞くと、連れて行くと言ってくれた。これまで約18年の付き合いになるが、いつも忙しい彼とはそれほど接触はなかった。今回はメーサロン茶業に昔話をしてくれた。息子たちが成長して少し余裕が出来たようだ。

彼らの茶畑に行くのは10年ぶりだった。だいぶ広くなったように思う。品種も増えている。急斜面のところもあり、茶摘みは大変ではないか。もう少し行くとアカ族が茶摘みをしていた。なかなかいい風景が広がっている、と喜んでいたその瞬間、私は足を滑らせて転倒してしまった。雨に濡れた茶畑、靴底に泥が溜まったいせいだろうか。


一瞬のことで何が行ったかは分からなかったが、すごい勢いで登り坂に叩きつけられた感じだった。ただ起き上がることは出来たし、眼鏡も壊れておらず、額を少し擦りむいた程度だった。いや左手を地面に着いた際、かなり皮がむけ、そこから血が見えていた。オーナーは応急処置が必要だと言い、すぐ宿に戻った。自ら治療してくれたが、さすが若い頃は軍人さんだ。

ここでオーナーと別れてマーケットで買い物、そして歴史を学ぶために泰北義民文史館にちょっと寄ってメーサロンを後にした。それから山を降りていき、昼過ぎにチェンライの街に入った。チェンライでランチを食べたいというのが、Aさんの希望だったので、その食堂を探したが、なかなか見つからず、暑い中をちょっと歩いた。

そこで麺を食べた。ただ名物の豚血湯は既に売り切れており、残念だった。それでも麺が緑豆で作られた特殊麺だったので、ちょっと珍しかった。この店は創業50年近くになるようで、ほんのちょっと漢字表記が見られ、華人経営だろうと想像できた。昼過ぎでお客はいなかった。次回は朝来ることにしよう。


そこからスイルンの店を探した。2週前メイラオの茶工場を訪問したが、今回はAさんがお茶を買いたいというので、市内の店を訪ねた。2階に上がると、何とジャルワン社長のお母さんがいた。初めて会ったが、気さくな人だった。ジャルワンもオフィスにいて出てきてくれた。玄米茶のティーバッグを買って帰る。

午後ちょっとだけシンハパークに寄った。ここは過去2度訪ねたことがあるが、久しぶりに来て見るとかなり変わっていた。茶畑は減ったように見える。観光客はかなりいて、カフェでお茶を飲んでいる人が多かった。日泰合弁の茶工場も健在で、今も煎茶を作っているようだった。

約2時間走り、メーカチャンで前回会った曽老人を訪ねた。突然行ったが、老人は店にいて、歓迎してくれた。息子がお茶を淹れてくれたが、私はもう曽さんに確認したいことを聞き出すのに専念した。やはり1960年代、北タイではプーアル荒茶が作られており、バンコクで加工もされていたようだ。これを聞ければ今日は御の字。

Aさんはもち米を入れる籠を買いたいと言っていたが、街道沿いにそれらしい店が見えても、ドームは全く止まる気配がない。彼はとにかく早くチェンマイに帰りたいようだったが、Aさんも引かずに車を止めさせ、走って少し戻り、籠を探していた。なかなかいい物は見付からない。

チェンマイが近づくと渋滞が始まった。普通は渋滞などないチェンマイだが、明日と明後日ロイカトーン、年に一度の大きなお祭りなので、既に前夜祭的な人の動きが見えられた。Sちゃんのホテルに寄り、次に私は自分の宿で降りた。渋滞は続いており、いつもより30分以上時間がかかった。更にAさんの宿に辿り着くまで1時間かかったらしい。
今回は2泊3日、ちょっと時間的にきつかったが、いい旅だった。と思ったが、部屋でシャワーを浴びようとすると、何と頭が切れており、血で髪の毛が固まっていた。どうやら茶畑で倒れた際、頭を打ち、本人は平気だと思っていたが、実は頭がふらついていたようだ。今年2回目の死に損ない、まだ生きていてよいということか。