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三重 亀山茶旅2024(2)幻の品種F4

実はYさんらは、このF4を使って紅茶などを製造しているのだが、F4は元々台湾の山茶で、戦前日本に導入され、静岡から三重に分譲されていた。最近台湾ではある種の山茶ブームが起きており、台湾の研究者からもF4の歴史に関心が寄せられていた。山茶について台湾での重要性が高まった背景には、中台関係が影響していると勝手に思っているが、どうだろうか。

結局三重茶の歴史を含めて、4時間以上話し込んでしまい、気が付くと周囲は暗くなり始めていた。Nさんが帰り、入れ替わりにスタッフさんらがやってきて、夕飯の準備が始まった。今晩はここで美味しい創作料理を食することが出来た。野菜は自ら育てていると言い、新鮮で甘い。

食後はお茶室に移り、お茶を飲みながら話を続けた。皆さんが帰って行くと疲れが出てしまい、すぐに部屋に行って布団に入ってしまう。古い家なので部屋は寒いかと思ったが、エアコン、ヒーターと電気毛布でとても暖かく、あっという間に寝入ってしまった。まあ一泊なのでPCも持ち込まず、こんな日があっても良い。

12月27日(金)幻の品種を求めて

朝は早く起きた。戸外はかなりの寒さで、散歩を控えた。それでも家を一周するだけでも楽しい。私の部屋はかなりこじんまり(暖房という観点では有難い)していたが、Oさんの部屋は一段上がったところに入り口があり、趣が全く異なる。中庭は四合院作りの庭のように見え、玄関もかなり広い。藍染をする部屋もある。天井の梁も太い。

朝ご飯は用意されていた物を温める。基本的にOさんがやってくれたが、初めての場所で勝手が分からず、右往左往する。お茶一杯飲むにも、電気ポットではないので、色々と探す羽目になるが、そういう環境もまた楽しい。何だかとてもゆったりとした気分で過ごす。ここはエアビーなどで予約するようだが、外国人に好まれそうな宿だ。

9時頃、関宿にあるYさんのお店を見学する。極めて素敵な内装だ。骨董なども集めており、興味のある人にとっては嬉しい参観だろう。裏の倉もまた開放されていて、かなり広い空間でお茶を飲んだり、話をしたりすることが可能だ。基本的にお客が来れば開けるというスタイルのようだ。

茶畑に向かうメンバーが集まった。何とその中に見知ったNさんがいたのには、本当に驚いた。彼は無類のお茶好きで、その歴史から現代まで、何でも吸収してやろうという意気込みがあり、あらゆる機会を捉えて参加し、知識を得ている。基本的に関西か関東にいると思っていたが、まさか三重で会うとは。もう一人の男性も茶旅活動に興味があるという。喜ばしい。

車で20分ほど行くと、べにふうきなどが整然と植えられている茶畑が出てきた。その脇に、ちょっと鬱蒼とした場所があった。そこに植えられていたのがF4という品種。葉が大きく、日本にある品種とは明らかに違っていた。この付近を10年ほど前、Yさんたちがきれいに整備して、茶葉を摘み始めたという。

更に林のようになっている場所にもF4は見られた。元々茶畑があった場所、茶が必要なくなり木を植えたが、F4は元気に育っている。だが、他の品種は枯れてしまい、そこに山茶の強さが感じられるという。耐寒性、日差しの必要度など、こういうあたりから色々と学べるようだ。暖かくなれば、この木の下でお茶を飲めるらしい。

三重 亀山茶旅2024(1)古い街並みの関宿

《三重茶旅2024》  2024年12月26日‐27日

お誘いがあって三重に行くことになった。こんな年末に旅をするのは久しぶりのような気がする。三重の亀山に行くのは3年ぶりだろうか。何が発見できるのか、楽しみだ。

12月26日(木)関宿へ

三重県亀山に森永紅茶を調べに行ったのは、2021年の秋、既に3年が経っていた。今回はその関連で知り合ったOさんのお誘いで、訪ねることになった。忙しいOさんが年末に時間があるというので、クリスマス後の日程が選ばれた。こんな時期に旅をするのは何年ぶりだろうか。ちょっと楽しみ。

朝早く起きて品川まで行き、新幹線に乗り込む。名古屋まで1時間半で到着するのは有難い。まずは朝ご飯を新幹線ホームのきしめん屋で食べることにしたが、かき揚げきしめんを自販機で購入しようとしてまごつく。何と朝8時台で売り切れとは思ってもみなかった。結局牛肉(卵入り)きしめん、800円を食べる。旨いのだが、朝から散財した気分だ。

新幹線から在来線へ移動するとOさんと合流できた。JR亀山行に乗り込む。約1時間揺られて亀山駅に到着した。ここで降りるのかと思ったが、乗り換えて関駅へ向かう。亀山は関西なのか?関西線なので、京都のお茶、という宣伝が車両に描かれているのが目に付く。実は亀山でJR東海から西日本へ移行するらしい。何と列車に乗り込むとSuicaは使えないと言われて又まごつく。小銭を用意して待つ。

1駅乗ると関駅。なんかとても雰囲気のある駅だった。ここに今回お世話になるYさんが迎えに来てくれた。駅から歩ける範囲に古い町並みが残る関宿があった。それにしても、まるで時代劇のセットそのもの、という完璧さ。なぜこれほどの街並みがきれいに残っているのか、驚きだった。

明治の初めに創業した老舗お茶屋さんに入った。何だかいい感じのお店だった。古い茶樹の葉から作ったお茶やほうじ茶が美味しそうだった。このお店もここの景観に嵌っていてよい。他にも菓子屋、薬局など、100年そのままといった風情の家が並んでいる。電線は後ろに隠されて見えない。Yさんによれば「関は地元民が、観光誘致などにそれほど積極的ではなかった」ことなどにより、この風景が保たれているらしい。確かに平日の年末、歩いている人は少ない。

福蔵寺という寺があったが、そこには織田信孝の菩提所と書かれている。信孝は信長の3男だが、なぜこんなところに菩提所があるのだろうか。信長の死後、次男信雄は伊勢にいたと思うが、信孝はどこで死んだのか。時間が無くて、墓を探すことも出来ず、次回に持ち越しだ。

宝蔵寺という大きなお寺に歴史の道という碑があった。そこに会津屋というお店があり、昼ごはんを食べるために入った。ここは山菜おこわが美味しく、セットで出てきたそばも美味しい。そして建屋の雰囲気も抜群。いつも開いている訳ではないようで、ラッキーだった。でも何で会津屋という名前なのか、会津と関連があるのか。

歩いて今日の宿に戻ると、旧知のNさんが来てくれていた。この宿はYさんらが運営しており、元は実家であったらしい。リノベーションされており、広々とした平屋で、中庭もある。そこでOさん持参の貴重なチョコを食べ、お茶を頂きながら、三重の茶、そして幻の品種と言われるF4の歴史について、情報交換を始めた。

静岡川根森町茶旅2024(4)丸子で偲ぶ

村松家に伺う。前回訪問したのは新しい家が出来る前、確かコロナ中だった。今回新しい家でお線香をあげる。やはり思い出すのは二六さんが「多田元吉の足跡を訪ねて一度インドを旅したい」と言っていたこと。私も考えてはみたのだが、インドの山中で150年前の場所を探すのはなかなか難しい。

村松夫人はどうしているかと心配してきたのだが、ご近所や親せき、茶業関連の人など、次から次へと人がやってきて応対に忙しい。来年の春も取り敢えず茶作りを継続すると聞いてホッとする。お茶の話をゆっくりしようかと考えてやってきたが、その暇はなさそうなので、仏壇を拝んで早々にお暇して、またバス停を目指していく。

静岡には戻らず、藤枝に行く。バスはすぐに来たので乗り込んだが、乗客は多くはない。藤枝までは意外と時間がかかる。30分後、千才という場所でバスを降りた。大慶寺にある「久遠の松」を見に行った。日蓮上人ゆかりの黒松、樹齢750年ということで、確かに大木で見栄えがする。

そこから藤枝駅までフラフラ歩いて行く。この近くは旧東海道、茶町もあり、以前も来たことがあった。橋を渡ると、そこに田沼街道という文字が見える。田沼意次はここと彼の領地である相良を結んでいた、ということか。この辺の道は茶も運んでいたのだろうか。このあたりの歴史は興味ある領域だ。

ランチは駅近くのすし屋で食べた。IさんとNさんが同席してくれ、お茶話で盛り上がりを見せたが、時間が短く、タイや雲南の茶旅話までは至らなかったのは、残念だった。藤枝からJRに乗り、静岡へ帰った。何だかとても疲れてしまったのは、温かいと言っても冬の道をかなり歩いて体力を奪われたのだろうか。部屋で休み、大浴場で体を癒す。

夜また腹が減り、夕飯に出掛ける。お城のライトアップがきれいだ。ネットで検索した良さそうな店へ向かったが、なんと閉店していて困った。仕方なく、いつものそば屋へ行って、いつものかつ丼セットを頼んだところ、何とかつ丼が売り切れていた。また仕方なく天丼を頼んだが、これは意外とよかった。偶には違うものを頼んでみるというチャレンジは必要だ。夜のクリスマスイルミネーションもきれいだった。

12月18日(水)静岡で

今朝も思いっ切り朝食を食べてから出掛けた。静鉄に乗り、県立図書館へ向かう。もうこれも慣れた道だったが、いつもの新静岡駅ではなく、隣の日吉町から乗る方が近いと分かる。図書館では、もう調べるものは限られてしまい、以前のように長時間の滞在は不要だったのが寂しい。

昼前に静岡へ戻り、ランチを探した。ちょうど目の前に「中華飯店 新京」という看板を見付けて思わず入った。ほぼ満席だったが、何とか滑り込む。店はかなり年季が入っており、雰囲気は良い。新京という名前だから、当然餃子が中心の店だと思っていたが、チャーハン、ラーメンなどの町中華だった。ラーメンもチャーハンも極めて素朴な味でよかった。

帰りはバスにした。平日なので混んではいなかったが、一応ネット予約した。新静岡駅のバスターミナルが始発だというので、そちらに回ったが、乗車したのは私一人。私は予約時、静岡駅から乗車するとなっていたが、特に問題なく乗せてくれた。結局静岡駅他で乗った人も3人程度で、実にゆったりと帰った。途中のSAで富士山がきれいに見えるかと思ったが、雲に覆われていた。

静岡川根森町茶旅2024(3)森町から丸子へ

帰りに小國神社の境内を散策すると、既に紅葉シーズンではないが、ほのかに色づいた葉が残っており、何とも言えない風情を醸し出していた。参道は高い木で囲まれており、脇には昔の参道、土の道が続いている。こういうところにいると、何だか妙に落ち着く。それが元々の神社なのだろう。

次に向かったのは、藤江勝太郎さんのお墓。森町城下が良く見える場所にあった。以前は古いお墓があったように思うが、今は新しい墓に纏められている。その内に名士の墓として、案内板などが立つのだろうか。彼の茶業への貢献は大変大きいが、彼はそれを望んでいるだろうか。

町役場に行く。突然町長と面会すると言われ、ちょっと驚く。今の町長は台湾との関係の非常に理解のある方で、町長として台湾を訪問し、茶業改良場との相互交流も図って来られた。何とも素晴らしい、としか言いようがないのだが、森町茶業史が刊行されたのだから、この機会により一層森町茶業の歴史を全国及び世界に発信して頂きたいとお願いした。

最後に天宮神社を参拝した。こちらも由緒正しい、歴史ある神社。普段は入れない社殿にも入れて貰い、その木造建築を見学した。さすが歴史の街だなと感心する。Mさんの車で街を1日散策して、思いがけず多くの物を得た。駅まで送ってもらい、また一両列車に揺られて帰る。

掛川で宿に戻り荷物を取り、また駅へ引き返して静岡へ向かった。だいぶん腹が減っており、静岡駅で降りると、そのまま寿司屋に入ってサックと食べてから今日の宿へ向かう。定宿なので慣れており、すぐに大浴場へ行って疲れを癒し、そのまま寝入る。今日はちょっと疲れてしまったようだ。

12月17日(火)丸子で

定宿の朝ごはんはいつも通りだったが、昨日の掛川の宿のクオリティーには勝てない。同じチェーン店でも定宿はやはり、廉価版ということだろうか。まあ、朝から腹一杯食べて良いかという問題も出てきており、今後はクオリティーに重点を置くべきかもしれないが、宿代が払えるかが問題だ。

今朝はバスターミナルからバスに乗り、丸子に向かった。2か月前に亡くなった村松二六さんにお線香をあげに行くためだった。これまで丸子に行く時は村松夫人に車に乗せてもらっていたが、今日は自ら行こうとネット検索して、バスを探した。意外とバスの本数もあり、近くまで行けることが分かり安堵。

ちょうど一本早いバスに乗れた。40分ほどで丸子の街を抜けて、目的地に到着した。あの多田元吉も明治初期に、この道を通って静岡方面へ向かったのだろうか。バス停から10分ほど旧東海道を歩くと、長源寺というお寺があり、その一角に多田元吉翁記念碑や丸子紅茶発祥の地という碑が建てられている。

以前はここに茶工場があり、二六さんによる製茶体験などが行われていたのを思い出す。そして少し上っていくと多田元吉の墓がある。多田元吉は68歳で亡くなった。紅茶は勿論、日本茶全体に大きな貢献があるのだが、そこはあまり知られていないように思われ、残念だ。いつか「多田元吉と日本茶業」について、簡単に纏めてみたい。

静岡川根森町茶旅2024(2)森町の1日

金谷から掛川までJRに乗り、今晩の宿に辿り着く。腹が減ったので、すぐに外へ出て一番近い食堂で焼肉定食を食べた。この食堂で食べたのは数年ぶりだが、思ったより美味い。値段はちょっと高くなっていたが、店があるだけ有り難い。掛川の夜はかなり寂しい状態で、風も冷たい。宿には大浴場があるので、ゆっくり浸かって疲れを癒す。更にこの宿には夜泣きラーメンもあるので、つい食べてしまう。

12月16日(月)森町の1日

宿の朝ごはんは立派だった。いつもは結構高いこの宿、冬のせいかかなり安くなっていたので予約したのだが、十分満足できた。何だかコロナの頃の宿代を思い出す。部屋の窓から冬の掛川城がくっきり見えた。チェックアウトして、掛川駅へ向かう。天竜浜名湖鉄道の駅はJRの脇にひっそりとある。

既に学生の登校時間も過ぎ、乗客はほぼいなかった。列車の車両にはミツバチのキャラクターが描かれている。この付近ではハチミツも有名なのだろうか。30分乗ると森町に到着する。駅にMさんが迎えに来てくれ、早々活動が始まった。元々はMさんにちょっとご挨拶のつもりで来たのが、どうやらそうはなっていない。

まず訪ねたのはKさん。ちょうど今月、「森町茶業史」が10年の歳月をかけて完成し、出版されたのだが、その編集を行ったのが郷土史及び茶業史に詳しいKさんだった。Kさんとは以前から交流はあったが、さすがに本が完成してホッとしている様子が見られた。やはり大作業だったんだな、と感じる。Kさんの家は江戸時代から続く麹屋さんで、その本業も忙しいらしい。昨日学んだ殿岡家の話しもちょっと出て面白い。

続いて、森町の茶業組合の会長さんのところへ行く。8年前初めて森町を訪れた頃は、藤江勝太郎という名が出ることはなかった。だが今日は会長の口からその名が出てきて、嬉しい。実際に台湾も訪問したという。歴史は着実に掘り起こされていき、そして動いていると強く感じる。

ランチに森のレストランへ行く。大自然の中にある施設で自然薯の定食をご馳走になる。このエリアの開発にはその昔、Mさんも関わったとのことで、思い出深いようだ。午後は遠江一宮、小國神社へ行く。この神社はとにかく、雰囲気が良く、悠久の歴史を感じさせる荘厳さがある。

神社の祢宜さんにお話を聞いた。何とタイのシーラチャに分社を建てたというのだ。仏教などの宗教団体の海外進出はよく見かけるが、神社も海外進出の時代なのだろうか。しかもタイの大手財閥の要請だというからちょっとビックリ。華人系のこの財閥、その昔ちょっと付き合いがあって懐かしい。

この神社に「台湾サクラ」が植えられているというので、見学しに行く。神社の裏手にまだ幼い状態だった。このサクラは台湾から送られ、皇居の次に数か所に植えられたものの一つだという。タイだけではなく、今後は台湾との関係も視野に入れているようで、非常に興味深い。

神社の横に、お店がいくつかある。森町でも老舗のお茶屋さんがあり、ちょっと覗いてみる。この茶舗の歴史を知りたかったが、ご主人は不在だった。今はあまり知られていないが、森町は江戸から明治の重要な茶産地、森町茶業史で確認すれば、老舗茶商の歴史も分かるかもしれない。

静岡川根森町茶旅2024(1)川根の講演会へ

《静岡茶旅2024(2)》  2024年12月15日‐18日

チェンマイから戻って1週間。川根で講演会があると聞き、急遽静岡へ向かった。日本はそれほど寒くはないが、ちょっと疲れが溜まっている。

12月15日(日)川根で

静岡に行く場合、最近はバスが多い。ゆったりしていて楽なのが理由。ただ急いでいる場合はそうはいかない。今日は午前10時過ぎには、金谷駅に着かないといけない。仕方なく品川から新幹線に乗る。その前に品川駅のホームで朝食。立ち食いそば屋に入り、イカ天そばを食べる。これがなかなかイケる。

日曜日の朝の新幹線。自由席でも意外と混んでいる。それでも2席並びの窓側に座り、富士山をゆっくり眺めながら向かう。新幹線はバスの2倍の料金だが、まあスピードとこの景色があればよいかと納得する。約1時間で静岡駅に着き、トイレに寄った後、JR在来線で金谷へ向かう。

金谷駅で降りて、大井川鉄道に移る。今回行く川根本町、以前は千頭まで鉄道が通っていたが、2022年秋の台風被害により、川根温泉笹間渡~千頭間が現在も不通になっており、復旧の目途は立っていないという。取り敢えず家山駅まで行き、知り合いのMさんに迎えに来てもらって、会場に向かうことになっていた。

帰りの列車の時間、ちょうどよいのが無いので、バスの時刻表を探したが見付からない。駅で聞いたら「バスのことは知らない」と素っ気ない。仕方なく観光案内所へ行くと、ここは無人。時刻表もなく、バス会社に電話を掛けるしかない。結局問い合わせると、午後のバスのいい時間はやはりない。

駅のホームに戻ると、団体さんが列車を待っている。駅の先端からは富士山が見える。列車は僅か1両。何とラッシュ時の電車のように混みあって出発する。隣の新金谷駅で少し止まり、トーマス号がすれ違っていく。それからゆっくりと列車は進み、40分ほどで家山に着いた。大井川鉄道に乗ったのは10年ぶりだろうか。以前は観光客向けと同時に地元民の足であったが、今や地元は顧みられない。

駅前には列車を降りた乗客が結構いた。皆さんバスで上に上がるらしい。Mさんが車で迎えに来てくれたので、私はそれに乗る。講演会場は千頭駅のすぐ近くらしいが、途中でランチを食べてから行く。会場である役場の横には、あの戦前茶業界の大物、中村円一郎の像が立っている。数年前にMさんに連れてきてもらった場所、懐かしい。

会場には既に沢山の人が来ていた。「殿岡家文書」への関心は高いらしい。今日の講演に関連した展示物も沢山置かれていて興味深い。この文書の検証は6年に渡って大学の先生らが行ってきたと言い、今日はその集大成の発表だという。殿岡家はこの地区の名家で、明治期には茶業もかなり行っていたらしい。今日の講演は、その茶業に直接触れるものは少ないが、文書から読み取れる茶の関わりなどが紹介され、また万博と茶についてもお話があった。

講演終了直前に抜け出した。帰りの列車に間に合わないのだ。Mさんに運転してもらったが、悪いことをした。列車が来る5分前に家山駅に着き、何とか乗り込んだ。帰りはそれほど混んではいなかった。車内の表示では、未だに千頭まで繋がっているようになっていて混乱する。

静岡・和歌山茶旅2024(7)大垣、名古屋に寄り道

腹が減ったので近くのラーメン屋に入る。日曜日の11時頃、地元のお客が結構いる。店員はベトナム人かな、色々と親切に教えてくれる。和歌山ラーメンを食べてみると旨い。6年ほどまで和歌山に来て食べた時は、ちょっと脂っこいかな、という印象だったが、ここのスープはあっさりしていて美味い。

宿に戻り、荷物を引いて、南海和歌山駅へ行く。ここから特急の無料座席に乗り、新今宮で環状線に乗り換えて、大阪からは新快速で米原、そこから東海道線で大垣までスムーズに進む。正直週末の大阪は人が多過ぎて疲れてしまう。やはり和歌山は良かった、と感じてしまうのはさっき出会った中国人女性と一緒だ。

今回の旅、本当は紀伊田辺から三重方面へ向かい、名古屋まで辿り着く作戦を考えたのだが、やはり残念ながら交通が不便で、思う時間に名古屋に辿り着けないと分かったので、降りたことがない大垣で1泊することに変更して、このようなルートを辿ることとなった。

大垣駅で降りて、駅前の宿に入る。部屋で少し休んでいたが、夕方腹が減り、何故かまたとんかつ屋さんへ向かってしまう。ここでは素直に味噌カツ定食を頂く。名古屋名物、味噌カツ、ここでも美味しい。3日ぐらいならとんかつを食べ続けられる自信は付いた、かな。

6月17日(月)大垣から名古屋へ

今朝は宿で朝食を食べてから出掛ける。何となく大垣城へ。関ケ原の戦いでは、石田三成の本拠地だった場所。その敷地、天守閣をゆっくりと通り過ぎて、反対側の歴史資料館を見学する。ここで大垣の歴史を学ぶ。庭がきれいだった。そこから水路沿いに1㎞以上歩いて行くと『奥の細道 むすびの地』という表示がある。ここは芭蕉の奥の細道旅の終着地だった。至る所に芭蕉の句碑などが建っている。今でも俳句が盛んなのだろうか。

街の中を歩いていると本陣などの文字が沢山出てきた。ここは美濃路の大規模な宿場街だったらしい。今は、何となくゆったり、ひっそりとした佇まいがよい。ちょっと関ヶ原にも行ってみたかったが時間が無く、次回とした。大垣駅から電車に乗ると、30分ほどで名古屋駅に着いてしまう。その近さを実感する。

名古屋駅から乗り換えて千種駅で降りて、目的地まで歩く。茶心居さん、コロナ前まで何度もセミナーなどをさせて頂き、お世話になっていた。コロナ後私はオンラインに切り替えてしまい、こちらに伺う機会も無くなっていた。今回は折角なので連絡を取ると、以前支援して頂いていた方が集まってくれた。

ご飯は店主特製のカオマンガイとサラダ。非常にきれいにできており、本家タイを凌ぐ一品。食後には茶農家Sさんがお茶を淹れてくれ、ベトナム茶の話などで盛り上がる。そして久しぶりのIさんとも色々と話が出来た。世の中、知らない内に色々と変わっているんだな、と分かる。そういえば9年前の龍神村、このIさん、Sさんと一緒に行ったのだ。これもご縁だろうか。

あっという間に4時間以上が過ぎていき、Iさんの車で名古屋駅まで送ってもらった。帰り方を色々と考えていたのだが、ちょっと疲れてしまい、そのまま新幹線に乗ることにした。お昼もたらふく食べたのに、また腹が減りそうで、名古屋満載という名の駅弁を買い込む。天むす、エビフライ、アンスパ、名古屋コーチンの鶏飯という豪華なラインナップ。今回の旅もこの弁当のように盛沢山、色々とあったな、と思いながら噛みしめて食べる。

静岡・和歌山茶旅2024(6)紀伊田辺から和歌山市へ

それからOさんの車で龍神方面に戻る。私はJRに乗って和歌山方面へ行きたいのだが、交通機関はなく、途中の道の駅で降ろしてもらって、紀伊田辺方面に向かうバスを待つことにした。道の駅なのでランチを食べようと入ってみると、牛丼が名物とのことで食べてみると確かに美味しい。隣では韓国人女子が食べている。外は雨だが、雰囲気は良い。道の向こうには熊野古道の文字があり、ヨーロッパ人女性がその道を上がっていく姿が見える。

バスは10分ほど遅れたが、なんとかやってきた。乗車できてホッとする。この車内も外国人が多い。日本人の地元住民はほぼ車移動なのだろう。田舎道を約1時間走って、紀伊田辺駅に到着。QR決済可能と言われていたが、実際には反応せず。こういうのは本当に困る。駅前に武蔵坊弁慶の像がある。南方熊楠の写真もある。この街にとても興味はあったのだが、今回はパスして電車に乗る。

途中一度乗り換えて、16時前に紀伊由良という駅に着く。ここに径山寺味噌、醤油とゆかりのある寺があり、一度訪ねてみたいと思っていた。駅から荷物を引きずり10分ほどで到着。ただ階段が多く難儀する。興国寺という禅寺。法灯国師という名前が見える。なかなか立派なお寺だったが、人気は全くない。径山寺味噌といえば、鎌倉初期の聖一国師を思い出す。近所には醤油を作る工場が見られた。

紀伊由良駅からまたJRに乗り、和歌山駅へ。和歌山は5ね年ぶりだろうか。今日予約した宿はここではなく、南海和歌山駅に近く、バスに乗る。この路線も初めてで分かり難かったが、何とか到着。南海の駅まで歩いて明日の予定を確認し、ついでにそこにあったとんかつ屋で夕飯を食べる。地元で有名なチェーン店らしく、味もサービスも良く、サクサク食べる。帰りに宿の近くで南方熊楠生誕地碑を発見。紀伊田辺の人だと思っていたが、生まれは和歌山市か。

6月16日(日)和歌山から大垣へ

さすがに疲れが出てきた。そして食べ過ぎでもあったので朝ご飯を抜いてゆっくり起動する。今朝は和歌山城の横からバスに乗り、県立図書館へ向かう。残念ながら探していた資料はあまり見付からず、早々に退散する。そのまま歩いて、郭家住宅を見学。といっても改修中で、外からちょっと覗くだけ。

代々紀州藩の御殿医であったという郭家はどうして和歌山へ来たのだろうか。家鳴り民の滅亡と関連があるのだろう。そして明治になり、この偽洋風建築の建物を建て、今は旧郭百甫医院として保存されている。それにしても和歌山だと中国系の人が根を張り、住み続けている感じがフィットしている。現在もご子孫が横に住んでいるようだ。

和歌山城まで戻ってきたので、ちょっとお城を見学しようとしたが、何と入り口で迷う。車の駐車場用入り口前で、入れるのかとみていると、横にいた女性も同じように迷っていた。話かけると中国人で、大阪の親戚の家に遊びに来たが、京都大阪は人が多過ぎるのでここまで一人で来たいという。

彼女と二人で城に入り、上まで登っていく。『最近大阪も特に中国人が増えている。親戚も中国から移住して、商売を始めた』などと中国人事情を説明してくれた。城に登るという彼女と上で別れて、一人で歴史資料館へ向かう。和歌山、紀州藩の歴史、茶道、そして孫文まで登場。松下幸之助と茶という展示もなかなか興味深い。

静岡・和歌山茶旅2024(5)龍神村のいい温泉からなっちゃんの茶畑へ

そこから喫茶店へ行った。ここも9年前に来た記憶がある。龍神茶の歴史が分かる方にお引き合わせいただき、聞いてみたが、やはり龍神茶については分からないことばかりらしい。我々は中国の晒青緑茶との関連を調べているのだが、どうやらこの茶はその昔から伝統的に作られているようで、渡来の茶かどうかは判別しがたい。和歌山には徐福伝説などもあり、何となく渡来だといいな、と思っていた自分がいた。

Mさんの家を通り掛かると天誅倉という文字が見えた。幕末の天誅組との関連が想起される。ここでMさん作成の龍神茶を頂いた。実は9年前はお金を出せばどこかで買えた龍神茶、今では自家用以外殆どないらしく、道の駅でも売っていないそうだ。そういえば9年前に訪ねた茶農家さんもお父さんが亡くなり、今では高齢の奥さんが細々続けていると聞く。

最後にOさんのお店へ行く。すでに閉鎖されている中、豆腐作りの機械などを見せてもらう。話を聞いていると龍神の豆腐の歴史と茶の歴史、重なることが実に多く、その深い意味が少しずつ解けていく。こちらで作られた豆腐を食べさせてもらったが、何とも言えない深みがある。これはOさんの努力の結晶だろうか。

バスを降りた宿まで送ってもらう。部屋に入ると昨日とは別世界。広い部屋に快適な空間。勿論防音もある。すぐに夕飯会場へ行くと、そこには料理がふんだんに盛られており、ビュッフェ形式でいくらでも食べられる。如何にも修行が足りないな、と思いながらも、鮎やローストビーフなどを美味しく頂く。昨日は外国人だらけの中、今日は外国人が一人もいない中、ご飯を食べる不思議な感覚。

その後ゆったりと休んでから大浴場で湯を浴びる。ずっと居たいような感覚に捕らわれるほどいい湯だった。『日本三大美人の湯』は私には関係ないが、なめらかないい湯は何とも有難い。宿坊は修行の場であり、修行のためにお金を払ったが、今日は自分の楽しみのために払った感じ。9年前は龍神温泉別館に素泊まりしたのだが、こちらの宿の方が良い。今晩は昨日眠れなかった分を取り戻すほど熟睡した。

6月15日(土)熊野本宮へ

翌朝も快適に目覚めた。まずは温泉に入る。誰もいな朝風呂は実に心地よい。朝ご飯もビュッフェ。何と茶粥があったので食べてみたが、これは龍神茶ではなく、ほうじ茶を使っていた。この宿でも以前は地元民が持ち込んだ龍神茶を売っていたが、今は持ち込みが殆どなく、龍神茶で茶粥を焚くことも出来ないという。

Oさんが迎えに来てくれ、龍神村とお別れ。今日は熊野本宮を目指す。Oさんが知り合いの茶農家に連れて行ってくれた。実は彼は引っ越し間際でとても忙しい上に、何と隣人が亡くなり、その葬儀の手配などもしていたようで、大変申し訳なかった。1時間ほどで茶畑に到着。

実はここの茶畑には3年前も来ている。当時88歳だったUさんを訪ね、釜炒り番茶を見せて頂いていた。その際『最近若者が隣の茶畑を継いだ』という話が出ていたのだが、それが今日紹介されたなっちゃんだった。まだ20歳代、きゃしゃな雰囲気だが、芯は強そうだ。おじいさんとおばあさんの茶業を引き継ぎ、天日干し釜炒り茶や煎茶、紅茶作りにもチャレンジしている。好奇心が旺盛で、勉強に励んでいるともいう。Oさんなど支援したいと思っている人々が多い。外国人のアシスタントもいる。

茶畑の中でお茶を入れて貰い、ゴクンと飲んだ。決して豪華ではないが、何やら風景が絵になり、お茶も美味しい。もう顧みられなくって久しい天日干し釜炒り茶。龍神村では消えていくしかないが、なっちゃんに継承して残して欲しいとは思う。ただ実収が伴うかどうかだろうな。

静岡・和歌山茶旅2024(4)龍神村へ

6月14日(金)龍神村で

朝は5時過ぎには目覚めた。というか、あまりよく眠れなかった。既に明るくなっていたので、外を眺めてお茶を飲む。6時には朝のお務めが始まる。前日同様、住職の英語が響き、我々はまた後から朝食会場へ向かった。朝ご飯は豆腐の他、海苔や漬物など、昔の日本の朝食だった。それから午前9時のチェックアウトまで、庭を眺めていた。殆どの宿泊客はあっという間にチェックアウトして見えなくなったが、ごく1部は連泊するようで、英語ガイドが迎えに来るなど、熱心だった。

9時過ぎに荷物を引きずり、街へ向かった。バスは9時55分発なので、その辺をぶらぶらしていたが、荷物が邪魔なので、早めにバス停に行った。するとすでにそこには数人の外国人がバスを待っており、日本人のおばちゃんに『ここで待っていれば、熊野本宮へ行けるか』などと聞いている。私と同じバスに乗るのはやはり全て外国人だった。横にいたオランダ人の若い女性は2か月日本を旅しており、仏教に興味があるという。

バスは何とかやってきて、高野山駅から乗っていた数人と合わせて13人が乗り込んだ。中国人カップルの2人以外は皆ヨーロッパ人だった。奥の院を抜けると、一路下りに入る。約1時間で護摩壇山に着くと、もう一台のバスが待っており、熊野方面から来た乗客を入れ替えて出発する。若い車掌と話していると『とにかくコロナ前から外国人が多かったが、コロナ後日本人は殆ど来なくなり、今日もあなた一人ですよ』と寂しそうに話す。そしてなんとか英語を使って乗客を捌いて行く。

聖地巡礼バスは、熊野に向けて再び出発した。そこから35分、私の目的地、龍神村に着いた。と言っても、ここには温泉宿だけがあり、周囲は大自然。そして何とここで40分ほどの休憩が入るというので、私はここで下車して、荷物を宿にチェックイン。再度外へ出ると、さっきのオランダ女性が車掌と話している。聞けば彼女、アクセサリーデザイナーのようで、この周辺の木に関心がある。何でもこの辺はチェーンソーアートが有名だとか。

バスが行ってしまう頃、今回お世話になるOさんが迎えに来てくれ、村の中にあるカフェでランチを頂く。何だかほっこりしたご飯で美味しい。Oさんはお客さんと挨拶しているが、その様子がかなり好ましい。彼は18年前この地に来て伝統的な豆腐作りを始めた人だが、既に完全に地元民になっており、好かれている。ただ近々ここを離れて新たな挑戦をする予定だと聞き、私が急遽やってきたわけだ。

そしてここでもう一人のサポーターにバトンが渡された。Mさんはここに移住してきて長い。今はキャンプ場などを運営されているというが、同時に龍神村の歴史、お茶にも関心が深く、10数年前から龍神ハートというグループで活動されていた。私がここを訪ねた9年前も確か龍神ハートの方に案内されたのをふと思い出す。

Mさんが連れて行ってくれたのは、丹生ノ川という場所。丹生と聞くだけでテンションが上がってしまう。四国愛媛にもあった丹生。確か島根にもあった地名だろうか。水銀と関係があるとも聞いたが、茶との関連を是非追求したい。ここに1本だけ大きな葉の茶の木が残っていた。確かに普通とは違う。後で聞くと、コウロ種ではないかという。このような茶樹はどこから来たのか、中国から渡ってきた可能性はないのか、実に気になる所だ。