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静岡茶旅2024(4)百里園を探す

更に牧之原市の方へ向かう。平田寺という由緒正しそうなお寺に入る。ここになぜかヘリア商会が建てた英文の記念碑が残っているという。分かり難い場所だったが、茶場関連の碑の横に、英文の碑を何とか見つけた。謂れなど聞きたかったが、人がいないと思っていると突然頭の上からゴーンという鐘の音が響いてきた。帰れという合図と受け取り、日が暮れる中を退散した。帰りにとんかつをバクバク食べて宿まで送ってもらう。体力的にはかなり消耗した。

2月19日(月)百里園を探す

翌日は雨模様。朝掛川駅へ行き、天浜線に乗って森町を目指した。この線に乗るのは何年ぶりだろうか。相変わらず現金で切符を買い、一両列車に乗り込む。ゆらゆらと30分で遠州森に着く。ここでYさんにピックアップしてもらい、森町とはお別れして、浜松方面へ進む。

本日の目的地は、三方ヶ原の百里園。ここは以前から静岡の長老に『調べてみれば』と言われていた場所であり、車が無いとちょっと行きにくいのでYさんのサポートで訪問が実現した。牧之原同様、士族授産事業である百里園については、既に図書館でかなり資料を集めていたので、今日はその雰囲気を味わえればよい。

まずは三方ヶ原神社へ行ってみる。ここには開拓の碑が建っていた。それによれば横田保が百里園で茶業などを経営していたが、1903年に茶工場は閉鎖された。荒廃が心配されたが、地元有志が茶園の土地を購入したらしい。神社をよく探すと、当初開拓に従事した気賀林の顕彰碑も建っている。彼が初期の民間側代表者であり、その後横田に引き継がれた。

近所を歩くと、武家屋敷跡などの表示はあるが、住宅地で茶畑などは全くない。姫街道とも呼ばれた気賀林の屋敷のあった場所には小さな記念碑が建っているだけだった。この辺でなぜか雨がすごく強くなり、歩くのにも難渋した。一度神社に戻り、車に乗って百里園茶工場跡を探す。

その場所は今や葬儀屋さんになっていたが、説明板は設置されていた。そして道の反対側にはかなり大きな横田保顕彰碑が建っている。横田はウーロン茶や紅茶の製造も手掛け、百里園をかなり発展させたようだが、彼の死と共に茶工場は閉鎖されたらしい。明治時代、この辺は茶業で大いに栄えたことが分かる。

近くのお茶屋さんを訪ねてみた。横には茶畑があり、向こうには茶工場も見える。三方原茶という名称で中蒸し茶が売られていたが、その歴史について知ることは出来なかった。茶業組合の事務所へ行っても分かる人はおらず、百里園ははるか遠い存在だと分かる。折角なので三方ヶ原古戦場跡へ行ってみたが、そこは広大な市営墓地の端にあり、あの家康、最大の敗戦などと呼ばれている戦いが、ちょっと歴史の中で小さくなった。

ランチはさわやかでハンバーグを食べたいと行ってみたが、相変わらずの混雑。順番待ちの間に近所の神社などを訪ねてみる。この辺には明治5年に学校が作られたと書かれているから、相当早い時期であり、余程教育に熱心、資金的な余裕があったのだろうか、と思ってしまう。ハンバーグは相変わらずの美味しさ。

帰りはまた遠州森まで送ってもらい、30分ほど電車を待つ間、古めかしい駅舎をじっくりと眺める。掛川からは静岡まで行き、ちょうどバスが来たので新宿までそれに乗って戻る。相変わらず天気が悪く、今回は行きも帰りも富士山を拝めずに終わる。

静岡茶旅2024(3)紅茶フェスから伊久美、月岡へ

2月18日(日)紅茶フェスから歴史探索へ

朝ご飯も宿に付いている。ちょうど大学生の団体(野球部)が宿泊しており、食事場所は大混乱。その中を縫って何とか食べる。昨日のカレーに続き、野菜たっぷりの味噌汁が美味い。部屋は狭くてかなりくたびれてはいるが、なかなかいい宿だった。各宿には特徴というものがある。

9時半前にYさんが迎えに来てくれた。車で島田へ向かう。今日はここで地紅茶フェスが開かれるというので行ってみた。会場に着くと駐車場は何とか空いていたが、我々の後の車は停められない。会場に入ると予想をはるかに上回るお客さんが来ており、かなり窮屈な印象であった。開会式が行われていたが、中に入ってみることは難しい。

その後会場の各ブースに立ち寄り、お茶を試飲、購入した。お馴染みの茶農家さんたちがずらっと出ており、さすが静岡のフェスだと思われた。すれ違う人も知り合いが何人もいて、ご長老にもご挨拶できたのは良かった。最近の地紅茶サミットはどこでも大人気とは聞いていたが、和紅茶ブームは本当に来ているのだろうか。

午後はセミナーなどがあるようだが、早々に満席になっている。我々はお茶を買い込み、話をするべき人とは一通り話して、会場を後にした。だがこの辺に食事ができる場所はないらしい。結局すぐ近くのKADODEに行くと、そこにはフェスから流れた紅茶ファンが多く集まっていた。

KADODEに中に入ると、お茶の試飲などがあり、そちらに参加する。宮崎のKさん夫妻がいた。更にはカフェで緑茶バーガーを買って、共有スペースで何とか食べる。ここには一度来たことがあるが、こんなに人がいるんだ、と驚いてしまう今回。地方のイベントというのはなかなか難しいものだ。

そこから伊久美方面へ向かう。30分も走らずに伊久美に入ると、茶畑が見えてくる。すぐに坂本藤吉翁の顕彰碑を発見した。この人は江戸後期にこの地に宇治製法を導入した先駆者だが、初めは誰も賛成しなかったらしい。そして導入後すぐに彼は亡くなってしまったが、製法は残ったということだ。

その先まで行くと公会堂の建物がいい感じで残っている。ご近所の方に話しを聞くと、今は茶農家も減ってしまったようだが、坂本藤吉の名前は知られていた。更に西野平四郎の名前を出したが、この先は殆どが西野姓だよ、と教えてくれた。きっとご子孫がいるに違いないが、探すすべがない。近所のお墓があったが、確かに西野は多かった。

そこから車で約1時間。菊川市月岡にやってきた。ここは旧幕臣で初代静岡県知事の関口隆吉が住んでいた場所。茶畑がある横の少し高い場所に神社があり、その裏が邸宅だったようだ。関口の記念碑も建っている。『関口隆吉遺愛の地』とも書かれている。あの広辞苑を編纂した新村出は隆吉の次男で、ここで育ったらしい。奥さんは茶道家で子孫が茶室を建てていたとあるが、今はその影はない。

すぐ近くには関口家の旧菩提寺、洞月院には、顕彰碑が建っている。篆刻は勝海舟、河津桜がきれいに咲いている。牧之原開拓に尽力し、その能力から中央政府に乞われて各地を回り、最後は静岡で亡くなった関口。元々関口家は今川氏の重臣であり、あの家康の妻、築山殿を出した家と言われれば、なるほどと思ってしまう。

そこから相良の方へ走ってみる。途中に『相良油田』の看板をみえ、俄かに興味を持つ。相良油田といえば、森町の茶商、村松吉平が晩年その開発に熱心に取り組んでいた。ここは日本の太平洋側で唯一の油田だったとあり、明治初期に採掘が始まっていた。今のその採掘現場、小屋などが残っていた。その向こう側を見ると、公園がある。何とそこには相良油田の資料館や再現された採掘場などがあったが、展示は既に終了していて見ることが出来なかった。残念。

静岡茶旅2024(2)初めて久能山へ登る

2月17日(土)久能山へ

今日は朝チェックアウトして、荷物を置いて、駅の南にあるバス停に向かった。そこに着くとちょうどバスが来たので思わず乗り込んで終点まで進む。そこでバスを乗り換え、目的地に向かうはずだったが、ふと向こうを見ると海が広がっていた。思わず太平洋を仰ぎ、バスに乗らず歩いて行くことに決めた。

海岸に降りると、雲から光が少しだけ見えた。これはいい、と更に歩くと、ものすごい強風が吹いてきて、歩くのさえ困難になる。海岸線のところどころ分断され、何とか道路に這い上がっても途中が工事中で、歩を進めるのが困難で困る。なぜ私は海に出てしまったのだろう。大人しくバスを待てば、こんな苦労はなかったろうに、と後悔する。

30分ほど歩き、何とか久能山の手前まで来て、ついに後から来たバスに抜かれてしまった。何とか久能山下までやってきてGoogle Mapで見ると、東照宮まで徒歩4分と書かれている。ところが実際は、ものすごい数の階段があり、東照宮ははるか上を見上げなければならない。既にかなり歩いているので疲れを覚える中、ゆらゆらと石段を登る。中高校生は石段を駆け上がり、軽々と私を追い抜いて行く。それにしても急な坂で、この城を攻めるのは大変だろうと噛みしめる。

週末でもあり、上まで行くと観光客がかなりいた。河津桜がきれいに咲いている。狭い山の上にかなり建物が詰め込まれている感じだ。本宮まで行くと、ちょうど商工会の人々が集団で祈祷を受けていて、一般客は一部排除されていた。こういうのはどうなんだろうか。博物館もあるので見てみる。ビデオで日光東照宮との対象などを見ることは出来た。家康は久能山に埋められているという。ヨーロッパの珍しい時計もある。

ここからまた歩いて石段を下り、バスを探して乗るのはあまりにも大変だった。するとロープウエイの文字が目に入る。行ってみるとちょうど日本平に行くロープウエイが出る所で、700円払ってそれに乗り込む。私は高い所も嫌いだし、料金も高いのだが、脚がもう前に出ないので、それで行く。僅か数分で向こうへ渡る。ここから敵が攻めるのも無理だな、と感じる。

日本平、良く名前は聞くがここだったのか。観光客が蛇口をひねってみかんジュースを出していた。私はここには用事がないのでバスに乗り込む。バスが出るとすぐに公園のようなところに河津桜が咲いており、屋台が出ていた。更に行くと立派なホテルがあった。ここは見晴らしがよさそうだ。そこからバスは下っていき、40分ほどで静岡駅まで戻ってきた。

宿で荷物を取り、駅まで歩いて電車に乗る。これから掛川へ行く。もう慣れたルートだ。駅近くの宿にチェックインするが、静岡駅近くと同じ系列なのに、全く違う感じの宿(昔のビジネスホテル)に戸惑う。すぐに外へ出る。ちょっと歩くと立派な掛川城が目に入る。その近くには先日コラムを書いた山田治郎蔵の石碑が建っている。

報徳社の図書館の向かいに掛川市の図書館があり、そこで資料を探す。やはり掛川、お茶関連の書籍は1つに纏められていて、見付けやすい。掛川の郷土史関連もあり、有り難い。2時間ほど調べものしていると疲れが出てきたので、宿へ戻る。この宿にも無料のカレーが置いてあったので、それを頂き夕飯の代わりにする。このカレーが思いの外美味しく、好感度がかなり上がる。夜はゆっくりと休む。

静岡茶旅2024(1)図書館に2日通って

《静岡茶旅2024》  2024年2月15₋19日

マレーシアから帰国して、旧正月は大人しく東京で過ごした。そして今回は静岡へ。年に2回は来ているので新鮮味は薄いが、どんどん調べは深くなってきている。さて、今回はどんな出会いがあるだろうか。

2月15日(木)まずは図書館へ

何となく朝早いのは嫌だったので、ゆっくり家を出て渋谷からバスに乗る。この路線も2度ほど乗っているので、もう慣れていた。2月は快晴が多く、美しい富士山が期待できるはずだったが、まさかの小雨に見舞われ、寒い。相変わらずこのバスは30分遅れて静岡駅に到着した。小雨は降り続いている。

予約した宿へ行ったが、予約が無いという。チェーン店で駅近くに2軒あり、前回まではもう一軒に泊まっていたが、今回は別にしようと予約したはずだったのに、何故か前と同じ方を予約していた。こういうボケがだんだんきつくなると、旅が難しくなる。早めに、行けるうちに旅をしようと思う。

何だか腹も減らないので、宿に荷物を預けて、静鉄に乗り、図書館へ向かう。今回の主目的は図書館だったから(前回はなんと月末休館とかで利用できず)、真っ先に向かう。図書館近くの電光表示板に『美術館、レストラン開館』と出ていたが、『図書館 故障中』とあり、驚く。これは掲示板の故障でよかった。図書館内でいくつかのテーマを探しているとあっという間に数時間が過ぎてしまう。暗くなってからまた静鉄で戻る。

急に空腹を覚える。まあ昼も食べていないのだから当然ではあるが、それでも軽いそばなどにしたい。新静岡駅近くに数軒のそば屋があったが、何となく10分ほど歩いていつもの店へ行き、いつものようにかつ丼セットを頼む。安心安全の美味しさ。まだマレーシア旅の疲れを引きずっているようだ。

2月16日(金)今日も図書館へ

宿で朝ご飯を食べる。静岡おでんなど充実したメニューが並び、食後はコスタコーヒーが飲める。まあとにかくコスパは悪くない。静岡の物産も販売しており、缶詰のもつカレーが目を引く。今日もいい天気だ。また静鉄に乗りに行くが新静岡まで行かなくても一つ前の駅の方が宿から近いことを発見。

図書館に行く坂道、今日はなぜか右側を登っていく。すると公園があり、その奥には古墳があると書かれていたので、歩いてみる。更にその先を見るとなんと『やぶきた原樹』の文字が見えるではないか。数年前、この原樹を探しに来たが見付からなかった。今日偶然にも見ることが出来て満足。それにしても囲いがされていて、ちょっとかわいそう。後ろには杉山彦三郎の顕彰碑などが建っていた。やはりこれからも日常に流されず、いつもと違うことをして、新たな発見をしよう。

昼を挟んで4時間ほど図書館で調べ物をした。ようやく目途が付き、図書館を出ると何だか歩きたい気分になる。近所に面白そうなお寺がある。そこから下っていくと、静鉄の線路があり、それに沿って歩くと、急に腹が減る。近くに格安鰻屋があったので入ってみる。さすがに午後3時に客はない。まあ質的にはそこそこだが、何といってもうなぎセットが1200円程度と確かに安い。

腹が一杯になったので、また歩く。30分ほど行くと護国神社があった。その敷地はかなり広い。きれいなさくらが咲いていた。河津桜だろう。各県にある護国神社は、どこも由緒正しい。そして静けさが漂う。立派な鳥居があり、池には鳥が遊ぶ。肌寒い中ではあるが、子持ちは良い。宿まで歩いて帰るともうクタクタ。夜は宿のカレーを食べて、大浴場に浸かって休む。

熊本・福岡茶旅2023(4) 博多の日本茶カフェ

外へ出るとかなり強い雨になっていた。歩けないので博多駅まで戻り、地下鉄に乗る。この路線、以前は見たことがない。コロナ中に開設された新路線。この線の開通によって、博多駅まで出るのが非常に便利になったとの声を聴いた。私はこれで渡辺通を目指す。今日は日本茶カフェでYさんと待ち合わせ。

ビルの2階、看板が無ければ通り過ぎてしまうようなところにそのカフェはあった。店主のIさんとは以前一度会ったことがある。そのカフェが最近人気だと聞き、訪ねてみたのだが、カウンターとテーブル合わせて8人を相手にIさんは一人でお茶を淹れている。それも冷たいお茶から淹れ方を変えて4煎ぐらいまで、様々な茶の魅力を見せ、解説してお客を楽しませている。

これは新しいスタイルの日本茶カフェだ。お客も台湾人が来ると、すぐに中国版のガイドブックなどを出してこの店のスタイル、システムを知らせて、あまり違和感なく対応している。これならお茶に興味のある外国人もやってくるのだろう。どうしても質問したければ、Google翻訳なども使える。お茶は静岡辺りの煎茶が多く、ちょっと意外だったが、自分が良いと思う茶を選んだ結果、というから、地域ではなくこだわりで選ぶ時代なのだろう。

2時間もお店にいた。お茶を飲んですっきりして宿へ戻ると腹が減る。近所にその昔行った店があったので、覗いてみるとおやじさんが一人で営業していた。ちょっと昭和感がある店なのか、フランス人カップルがかつ丼を食べていた。こんなところまでインバウンドはやってくるのか、と驚く。私もかつ丼とうどんのセットを食べて何となく昔を懐かしむ。

宿はちょっと面白い。部屋には洗面台しかなく、トイレは各階共用。最近トイレが近いのでちょっと心配したが、あまり人と会うこともない。シャワーは1階に行かないと浴びられない。1階のカフェ部分には本も置かれていて、コーヒーを飲む人、待ち合わせの人などがいる。スタッフは親切でよい。夜は大きめのベッドに横たわり、本を読んだり、テレビを見て過ごす。最近博多も宿代の値上がりが激しい中、駅にも近くちょっと助かる。

12月15日(金)東京へ

朝はさわやかに目覚め、外へ出た。目指すは以前小倉で行ったことがある「資さんうどん」。何と近くには以前訪ねた聖一国師ゆかりの承天寺などがあり、思わず寄り道。朝飯は肉うどんセットを食べて満足。どうも博多に来るとうどんばかり食べてしまうのは、やはり聖一国師のお陰だろうか。更に散歩を続けて、聖福寺界隈を歩く。何だか得した気分の朝。

午前に宿をチェックアウトしたが、フライトまで時間があったので、あまり歩いたことがなく地域に足が向く。さっき朝飯食べたのに、なぜか650円の定食に目を引かれ、早めのランチを食べる。チキ南メンチ定食、チキン南蛮とメンチカツのセットを頂く。コスパはいいのだが、何となくカレーのにおい?味?があるような。何と隣はインド料理屋で、しかも厨房を覗くとインド系の人が料理している。あれ、厨房を共有しているのだろうか。

最後に博多塀のある楽水園を通り、宿で荷物をピックアップ。博多駅から地下鉄に乗れば、すぐに空港に着いてしまうのは、何とも有難い。今回は珍しく、スカイマークに乗る。チェックインカウンターが分からずまごまごする。今やカウンターへ行く人は多くはない。土産に明太子を買おうと思ったが、何となく止めてしまい、後で後悔する。

熊本・福岡茶旅2023(3)出水にあった栄西ゆかりの寺

12月13日(水)出水で

今朝も温泉に浸かりパンを食べてから、荷物を整える。Aさんが迎えに来てくれ、名残惜しいこの地を離れた。そして車で山越えして30分。鹿児島県に入っていた。出水市、そこには若者Kさんが待っていた。Aさんは用事で福岡へ行くというのでお別れ。今回は実にお世話になった。感謝しかない。Kさんは地域おこし協力隊に属しているが、茶業を目指しているという。

Kさんの車で感応禅寺という寺へやってきた。ここは栄西が開山ということで案内されたのだが、何とあの島津氏の初代から5代目までの墓がある、菩提寺だったのでびっくりした。いつもは静かなお寺らしいが、今日は暮れの大掃除の日だったようで、檀家さん総出で庭を掃き、本堂をきれいにしている。

そこには普段は見られない仏像があり、ちょうどお掃除で拝むことが出来、何とも感激。ただ栄西に関しても、特に資料は残されていないという。栄西がここにも茶を植えた可能性はあるということか、最近茶業者がこの周囲にお茶を植えて作っているという話もあった。まあ、何ともご縁だな。栄西はこの地にやってきたのだろうか。

続いて、出水茶業の歴史として知られる、小木原三楽翁が江戸後期に宇治製法を導入した場所へ向かう。今は説明板が作られており、その付近に少し茶畑が残されていた。ご近所の人に聞いてみると、昔は茶業が盛んだったらしいが、あまりよく分からない。やはり歴史は埋もれていく。

お昼をKさんと食べる。彼は以前有名なお茶ショップで働いており、奥さんの実家があるこちらに移住して茶業を目指していた。昔の品種を探して植えてみたとのことだったので、ちょっと調べのお手伝いをした。こういう人たちが出て来ると、茶業界も徐々に変わっていくだろうか。

駅まで送ってもらい、新幹線を待つ。駅周辺は歴史感を出しているが、お客さんは多いのだろうか。そこから僅かな時間で熊本駅まで行く。更に路面電車に乗り、宿へ。更にまた路面電車に乗り、県立図書館で調べ物をしていたら、日が暮れた。夕飯にいつものとんかつ屋へ行くと、何と台湾人が行列している。これに中国人と韓国人を合わせると実に9割が外国人客になっており、大いに驚く。これもTSMC効果だろうか。ポストコロナだな。まあとんかつは美味しく頂き、すぐに退散する。

12月14日(木)博多で日本茶

朝ご飯は宿で美味しく頂く。それからバスで武蔵塚公園へ行ってみる。ここは勿論宮本武蔵関連の場所。園内には武蔵の像が立っており、墓もある。武蔵に憧れ、西南戦争で亡くなった人物の碑まである。武蔵はなぜ晩年をこの地で過ごしたのだろうか。何度来ても熊本は興味深い。

宿へ戻り、熊本駅へ向かう。また新幹線に乗り博多へ。新幹線はつまらないが、とにかく速い。あっという間に博多に着く。そして予約した宿を探して歩く。今日の宿はちょっと不思議。書店ホテルというらしい。看板はほぼ出ておらず、1階はカフェなので、通り過ぎてしまう。フロントも外国人が担当(日本語で会話)。そしてエレベーターの前には本が置かれている。部屋にもある。ここに潜り込んで本を読み耽る、というコンセプトだろうか。

熊本・福岡茶旅2023(2)水俣の山中で

12月12日(火)水俣で

朝は明るくなると川の音で目覚めた。階段の軋みの音が何とも良い。また温泉にゆったりと浸かる。何だか疲れるが取れる。朝飯はパンが置かれており、適当に食べるらしい。みかんもあったので簡単に済ませる。それが健康的でよい。宿では宿泊客同士の交流もあり、和やかだ。

散歩に出ると雨も上がっており、何とも気持ちが良い。この宿、明るくなって見てみると、かなり色々と飾りや置物があり、何とも風情がある。昔は立派な旅館だったのだろうか。6年前に今のオーナーが、いい温泉が出るのでもったいないと、借り受けて温泉重視で再開したらしい。

今日はまずは水俣図書館でお茶の歴史調査を開始する。以前も来たことがあったので簡単に済ませる。その後地元の銘菓、美貴もなかを買いに行く。餡がぎっしり詰まっていて美味しい。有名な店だが、店に行かないと買えないらく、地元民の行列が出来るという。隠れた銘菓、いいね。

水俣城跡をちょっと見る。相良氏が島津に攻められて落城したとある。関ケ原後は加藤清正の支城となったが、すぐに破却された。ここ水俣は国境、常に島津を警戒していたようだ。相良と島津の関係、それは江戸期の沖縄の茶に繋がっていく。なぜかお寺があり、そこに豆腐の行商が来ている。城付近の地名は陳内という。やはり国内だけでなく、中国などとの繋がりもあっただろうか。

車は徐々に山を登っていく。途中いい感じのヤマチャが見られ、思わず車を降りた。この茶葉でお茶を作ったら、美味しそうだと思う。Aさんも頷いている。林の中を分け入ると、そこには昭和3年に茶園が開拓された時の記念碑が建っている。今や完全に埋もれてしまった茶の歴史、実に興味深い。地元でこの歴史を発掘して欲しいなと思う。

標高約500m付近まで行くと、戦前にアメリカ帰りの入植者が茶の栽培を始めた場所があった。石飛という集落で、旧石器時代の遺跡も確認されている。ここに南畝(のうねん)正之助翁顕彰碑が建っている。お名前も独特だが、ここで一体どんな茶業が展開されたのだろうか。残念ながら戦時に茶業は衰退してしまったようで、戦後改めて入植したのがAさんのご先祖たちだということだ。さっき買ったもなかを持って、Aさんの家へ行く。この奥深い土地で丁寧な茶作りが行われている。なぜかイタリア人の若者が研修?している。お父さんから簡単にお話を聞く。

近くの家にシイタケを取りに行く。そこの方は猟師もやっており、最近は大忙しらしい。イノシシなどが沢山出るようだ。昼はラーメンを頂き、宿に戻った。午後は私がちょっと国産紅茶の歴史をお話しする会を開いて頂いたが、お役に立っただろうか。旧知のKさんもわざわざ聞きに来てくれた。この宿にこんなレトロな広間があるとは。これもまた楽しい。

ここ湯の鶴温泉を散歩してみる。この付近にもやはり平家の落人伝説があった。やや鄙びた感じの温泉街、細い川を挟んで両側に建つ温泉宿、その風情が如何にも昭和な日本だった。また温泉に浸かり、夜はまたおでんを頬張り、畳の部屋で寝る。これはなかなかいい生活だ、と強く意識して寝る。

熊本・福岡茶旅2023(1)山中でヤマチャを見る

《熊本・福岡茶旅2023》  2023年12月11₋15日

チェンマイから北京経由で東京に戻ると、何だか寒かった。零下の北京より東京が寒いはずはない、と思ったが、体調不良に見舞われ、4日ほど休息した。それから1週間して今年最後の旅、熊本へ向かった。

12月11日(月)水俣へ

羽田空港で熊本行きのフライトを待っていた。搭乗する飛行機を撮影しようと、一番端に移動して、何とか収めた。ふと振り返ると、何とそこにバドミントンの山口茜選手が座っていた。仲間と一緒にスマホゲームに興じていた。所属する再春館製薬は熊本にあるのだから帰る途中なのだろうか。同じチームの志田松山は世界選手権に出ているが、彼女は怪我のために離脱中。日本リーグの試合に帯同していたらしい。

そんなこんなで、ほぼ満席のフライトで熊本に着いた。出口には今回お世話になる、Aさんが迎えに来てくれた。同道するお仲間お二人も一緒だ。実はAさんも(奥さんも)バドミントン部だったそうで、山口選手が見たかったらしい(熊本に居ても会えるものではない)。もう少し待っていればよかったか。

車は小雨の中、ずんずんと進んでいく。1時間近く乗っていると、山道に入っていく。ちょっと上り始め、川が流れているとテンションが上がってくる。五家荘の標高1000mあたりで車は止まる。ここに峠のレストランがある。まずはランチを頂く。名物やまめそば、更におにぎりと辛子レンコン。外は霧雨が降る寒い日にこれは絶品だった。このお店の人も山仕事をしており、この付近の歴史などを聞いてみたかったが、時間もなく先に進む。

30分ほど山の中を走ると、そこに茶畑があるという。行ってみると、それは我々が想像する茶畑ではなく、ヤマチャの木が集められ、斜面の植えられている場所だった。ちょっと違うが、これは雲南やシャン州で見た茶畑の光景のようだった。基本的にこの辺の山の中には、所謂ヤマチャがたくさん生えており、最近利便性から一か所に纏めたらしい。山に入っていくと、足元がおぼつかなくなり、滑りそうだ。そんな山の中が心地よい。

五木村の方へ向かった。途中に立派な学校の校舎があったが、既に廃校になっているらしい。ほんの少し前まで人が結構住んでいたのだな、と分かるが、今やほぼ消えてしまった。山仕事が先細り、若者は都会へ出て行った。川沿いの斜面に茶畑が少し見えた。この辺でお茶を作っている人はいまだいるようだ。この付近には平家の落人伝説がかなり濃厚に残っている。四国から逃げてきたルートなども示されており、興味深い。

今日は天気が悪いのでここまで。道の駅でちょっと買い物をして、水俣方面へ向かう。暗くなった頃、今日の宿に着いた。細い川沿いに数軒宿が建っている如何にも温泉場という雰囲気だ。部屋も畳で何となく鄙びた感じが良い。温泉が出ているようで、入ってみると、これは誠に気持ちが良かった。かなりの効能が見込めそうなお湯だった。近隣の人たちが温泉に入りに来ている。

夕飯はみんなで向かいの小屋に入っておでんなどを食べる。実は宿の人たちが夜7時になると、この小屋を開き、宿泊客のために食事や酒を提供している。ジンジャーエールを飲みながら、だし巻き卵と焼きそばを食べて満足。後はずっとお茶の話をしてしまった。水俣のお茶の歴史はどんなだろうか。

静岡茶旅2023 その2(4)川根へ

K先生の車で金谷駅まで送ってもらい、JRで焼津に戻る。またSさんにピックアップしてもらい、Sさんのお寺へ向かう。ご住職でSさんのお父様のお話を聞く。曹洞宗大覺寺全珠院、日本一の千手観音を持つ由緒あるお寺だった。お寺とこの付近の歴史も極めて興味深いが、基礎知識が無いため、なかなか消化できない。とにかく歴史は古く、そして複雑に絡まっている。

夜は美味しいうなぎをご馳走になる。Sさんの妹さんとそのお子さんも参加する。何だかうなぎのフルコースを頂いたようで、満足この上ない。お話を聞いていると、日本のお寺というのはなかなか難しいものだと思う。それでも相応の歴史を有してきたということは、それに何らかの意味があるということだろう。帰り際、小雨が降り出す。

8月31日(木)川根へ

本日は東京へ帰る日。何となくMさんに会いたくなって川根へ行くことにした。Sさんが車を出して連れて行ってくれた。元々は金谷から大井川鉄道に乗るつもりだったが、何と先日の災害で、途中駅までしか運行していないらしい。まずはいつものような焼津に出勤し、そこから川根を目指す。意外と時間が掛かる。

何とか川根まで辿り着いたがMさんの家が分からない。8年前に一度お邪魔したが、道など全く覚えていない。最後は連絡して救出してもらう。M家でお茶を飲みながら、森薗さんの話などを聞いた。印雑や藤かおりなど、Mさんは10年も前から香り品種に取り組んでいた。今回飲んだ烏龍茶、ウンカが噛んでおり香りがすごかった。

茶畑も案内してもらい、おしんの畑(おしんのモデルになった人物がこの付近で茶畑をやっていた?)などの説明を受ける。Mさんはいつも実に色々な試みをしており、感心してしまう。取り敢えず現在の茶業界に一石を投じたいという気持ちが良く伝わる。もう10年も前に日本茶の歴史をライターに語っており、その取り組みの速さが注目される。

そこから静岡駅方面へ戻る途中、山道を走ってもらい、聖一国師生誕地を訪ねる。この前は国師のお墓を訪ねたが、そこはバスで行けた。今回の場所はバスでは難しそうだったのでお願いした。栃沢、『径山茶伝来の地』などと表示がある。浙江省径山へ行ったのはもう6年位前か。

山の中ののどかな集落という感じの場所には、茶畑もあり、生誕地の石碑も立っている。『幻の茶 伝説の彩』などという看板も立っている。最近は聖一国師の伝説も注目されているのだろうか。まあ彼が中国から持ち帰った茶を栃沢に植えた、というのは色々無理がある、というのが専門家のお話ではあるが、どうだろうか。国師が持ち帰ったものとしては、うどんやそば、味噌などの方が有名かもしれない。

車で静岡駅まで送ってもらい、Sさんと別れた。今回は彼女のお陰でいつもより沢山の場所へ行くことが出来た。感謝しかない。取り敢えず昼ご飯を食べていなかったのでエキナカで寿司を頬張る。それから京王バスのチケットを買い、午後早い時間ながら東京へ戻る。実は本当は県立図書館で調べものする予定だったが、なんと月末休館日で叶わなかった。

バスは半分も乗客はおらず、ゆったりと座っていく。順調に走行し、途中の休憩所では、夕暮れの富士山を拝んだ。新宿駅まで僅か3時間半で到着。なんだかんだで新幹線に乗るのとそれほど変わらない。料金は半額だから、これからはこちらを主に利用しようか。

静岡茶旅2023 その2(3)焼津から金谷へ

その後歴史民俗資料館を再訪して、その資料を再度眺める。その脇に蓮華寺という由緒ある寺があったので、ついでに覗いてみる。ここは家康ゆかりの寺だというが、静岡には家康ゆかりの場所は多過ぎて、今回の大河ドラマでも取り上げられることはないだろうという。家康の死因は本当に天ぷらだったのだろうか。

Mさんと別れて、森の石松の墓に詣でる。6年ぶりだが、何となく変わった感じがする。説明書きが増えたのか、囲いが出来たのか。まあ森町と言えば森の石松、伝説の人物だが茶との関わりもあり、無視できない存在だ。博徒が往来していた街なら、それなりに栄えていた証拠にもなる。大洞院はかなり古びた建物で、その風情が何となくよい。静岡の宿まで車で送ってもらい、この日は疲れたので大浴場に入り、宿のカレーを食べて寝てしまう。やはり久々の旅は疲れる。

8月30日(水)焼津から金谷へ

朝静岡駅へ行くと女子高校生が公衆電話で電話を掛けていた。スマホ携帯禁止なのかな。今日も焼津へ。もう通勤電車気分だ。駅の南口を降りると、そこにはなぜか小泉八雲の記念碑がある。読んでみると晩年八雲はこの地が気に入り、東京帝国大学講師となってからの数年間、頻繁に訪れていた。ここに移住することも考えたがその前に亡くなったらしい。

今日は焼津市の歴史民俗資料館で焼津茶のお勉強。先日訪問した製茶会社のT社長夫妻、3日連続のTさんも参加する。実は茶業関係者でももう焼津茶の歴史はよくわからなくなっているらしい。ご担当から焼津市誌などを中心に色々と教えて頂く。更には資料館内をご案内頂き、中世の城から意外と多くの出土品が出ているのに驚く。その中には茶碗など茶道具もあり、今川氏の影響が強く感じられた。焼津はヤマトタケルから始まり、戦国時代まで極めて重要な要所だったことを知る。

横には小泉八雲記念館もあったが、時間の関係で次回に回し、車で焼津港近くまで送ってもらう。ここでK先生と待ち合わせていた。K先生とはイベントなどで何度かお会いしているが、二人で会うのは初めてだった。時々ツイッターにコメントを頂いたり、前回県立図書館ですれ違ったりしていたので、一度ゆっくりお話しを聞くこととなった。

その食堂で焼き魚を食べる。確か水曜日は問屋が休みとかで、刺身類はない感じ。それでも美味しい魚を食べ、楽しい歴史話を聞いていると、何だか嬉しくなる。K先生はお茶の専門ではないが、行きがかり上かなりお茶の歴史もやっており、またお茶以外の角度からの豊富な歴史知識、深い洞察を伺えるので、何とも有難い存在だった。

それから先生の車で、茶の都ミュージアムへ向かう。そのルートを見ていると何となくいつもJRでぶつ切りに通っている茶の歴史がはっきりと見えるような気がした。私の茶歴史は鉄道駅中心であり、静岡の地理が分かっていないと痛感する。空港の近くを通ると、牧之原の広さも実感する。

ミュージアムで、まずは図書室に入れてもらい、先生と一緒に資料を探す。取り敢えずここに何があるのか確認するのが目的だった。私の知り合いのHさん、いやSさんとも色々とお話しする。それから展示室を見学した。世界のお茶が紹介されており、充実した内容となっている。私ももう少し幅を広げて世界のお茶を見るべきかもしれないと思う。