それからOさんの車で龍神方面に戻る。私はJRに乗って和歌山方面へ行きたいのだが、交通機関はなく、途中の道の駅で降ろしてもらって、紀伊田辺方面に向かうバスを待つことにした。道の駅なのでランチを食べようと入ってみると、牛丼が名物とのことで食べてみると確かに美味しい。隣では韓国人女子が食べている。外は雨だが、雰囲気は良い。道の向こうには熊野古道の文字があり、ヨーロッパ人女性がその道を上がっていく姿が見える。
バスは10分ほど遅れたが、なんとかやってきた。乗車できてホッとする。この車内も外国人が多い。日本人の地元住民はほぼ車移動なのだろう。田舎道を約1時間走って、紀伊田辺駅に到着。QR決済可能と言われていたが、実際には反応せず。こういうのは本当に困る。駅前に武蔵坊弁慶の像がある。南方熊楠の写真もある。この街にとても興味はあったのだが、今回はパスして電車に乗る。
途中一度乗り換えて、16時前に紀伊由良という駅に着く。ここに径山寺味噌、醤油とゆかりのある寺があり、一度訪ねてみたいと思っていた。駅から荷物を引きずり10分ほどで到着。ただ階段が多く難儀する。興国寺という禅寺。法灯国師という名前が見える。なかなか立派なお寺だったが、人気は全くない。径山寺味噌といえば、鎌倉初期の聖一国師を思い出す。近所には醤油を作る工場が見られた。
紀伊由良駅からまたJRに乗り、和歌山駅へ。和歌山は5ね年ぶりだろうか。今日予約した宿はここではなく、南海和歌山駅に近く、バスに乗る。この路線も初めてで分かり難かったが、何とか到着。南海の駅まで歩いて明日の予定を確認し、ついでにそこにあったとんかつ屋で夕飯を食べる。地元で有名なチェーン店らしく、味もサービスも良く、サクサク食べる。帰りに宿の近くで南方熊楠生誕地碑を発見。紀伊田辺の人だと思っていたが、生まれは和歌山市か。
6月16日(日)和歌山から大垣へ
さすがに疲れが出てきた。そして食べ過ぎでもあったので朝ご飯を抜いてゆっくり起動する。今朝は和歌山城の横からバスに乗り、県立図書館へ向かう。残念ながら探していた資料はあまり見付からず、早々に退散する。そのまま歩いて、郭家住宅を見学。といっても改修中で、外からちょっと覗くだけ。
代々紀州藩の御殿医であったという郭家はどうして和歌山へ来たのだろうか。家鳴り民の滅亡と関連があるのだろう。そして明治になり、この偽洋風建築の建物を建て、今は旧郭百甫医院として保存されている。それにしても和歌山だと中国系の人が根を張り、住み続けている感じがフィットしている。現在もご子孫が横に住んでいるようだ。
和歌山城まで戻ってきたので、ちょっとお城を見学しようとしたが、何と入り口で迷う。車の駐車場用入り口前で、入れるのかとみていると、横にいた女性も同じように迷っていた。話かけると中国人で、大阪の親戚の家に遊びに来たが、京都大阪は人が多過ぎるのでここまで一人で来たいという。
彼女と二人で城に入り、上まで登っていく。『最近大阪も特に中国人が増えている。親戚も中国から移住して、商売を始めた』などと中国人事情を説明してくれた。城に登るという彼女と上で別れて、一人で歴史資料館へ向かう。和歌山、紀州藩の歴史、茶道、そして孫文まで登場。松下幸之助と茶という展示もなかなか興味深い。