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北海でリゾート2014(5)南寧で疲れを癒す

高速鉄道で南寧へ

昼前にタクシーを呼んでもらい、マンションを離れた。何とも残念だったが、ここに根を張る訳にもいかず、Zさん達も数日後には北京の生活に戻ることになっていた。夏のバカンス、つかの間の緩い生活は終わりを告げた。Zさん、トニー、G君の家族には感謝してもしきれない。良い夏休みを提供してもらった。

 

タクシーは北海駅へ向かった。ここは街中にあり、遠くはない。駅は変な形をしており、駅舎の上はマンション、最近出来たらしい。切符は以前にZさんが予約してくれ、実は昨日ここに来て既に受け取っていたので、駅の様子は分かっていた。昔とは大違いだ。駅には大勢の人がおり、夏休みの終わりの混雑、と言った感じであった。高速鉄道が南寧を経由して、梧州まで繋がっていた。一昨年行った六堡茶の集積地、梧州。あの時高速鉄道の工事中であったが、既に繋がっていたか。それでも広州まではまだ時間が掛かるようだ。

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車内は満員、予約がなければとても乗れなかった。車窓から眺める風景は田舎。1時間40分後には南寧に着いてしまった。電車から降りると、凄く疲労していた。今朝の散歩がきつ過ぎたのだろうか。

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4.南寧

駅前ホテルへ

駅を出ると暑い。北海は日差しが強いとは言っても海からの風が吹く。しかしここ南寧は都会の大都市だ。暑くてたまらない。いつも泊まるホテルチェーンを探すつもりだったが、駅の周辺を見渡すと、こぎれいなホテルが見えたので、そこへ行ってみる。240元で泊まれるとのことだったので、迷わずチェックイン。そしてクーラーを掛けて昼寝をした。部屋も広くて快適だった。

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夕方になり、明後日の広州行チケットを買いに出た。先ずは駅へ行く。高速鉄道は広州までは行っていなかったので、普通の電車を探したが、意外と本数がなかった。しかも駅は人で溢れかえっており、疲れている体には堪えたので、早々に退散する。バスターミナルはどこにあるのか尋ねると、ここからは相当に遠いらしい。駅前にバスチケットを売る店があったが、店員があまりにも無愛想で止めた。どうするんだろう、広州行。

 

とにかく疲れてしまった。これは時々あることだが、どうにもやる気にならない。ネットは繋がるが、Googleに接続できない、とい理由もあるかもしれない。ここは休むしかない。ただ何もせず、ベッドに横たわるのみ。時間だけがゆっくり過ぎていく。辺りが暗くなってきた頃、少し腹が減ったので、夕飯でも食べようと外へ出る。地図は買ったものの、どこへ行ったらよいか分からない。適当に歩いてみると、古い街並みが残っていた。小さな店はいくつもあったが、敢えてファーストフード店のようなきれいな店に入る。20元ほどの定食を食い、また歩く。

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来年はアセアン統合の年、中国とアセアンを繋ぐ都市として位置づけられている南寧には『東盟』の文字が多く見られた。アセアン土産と称して果物などを売る店もある。ただ現実にはアセアン統合により南寧にどれほどの経済効果があるのだろうか。何とも分からない所である。

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8月27日(水)

バス旅行

翌朝も疲れは取れず、部屋でごろごろしていた。既に南寧は完全な休養地、これから行く広州に備えよう、という考えにまとまっていた。朝ごはんは付いていたので、食堂に行ってみると、『養生』ご飯と書かれ、お粥や芋などが並び。所謂一流ホテルの豪華な食事とは差別化を図っていた。泊り客の方も、朝から大量のごはんを食べる習慣から抜け出したいのだろう、と思われる。双方の利害は一致しているように見えた。

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午前中は部屋で旅行記を書いて過ごした。シャワーなど浴びると徐々に元気が出てきたようなので、昼前に外へ出る。普段は歩くのが仕事だが、今日はしんどいので、駅前からバスに乗る。長距離バスターミナルへ行ってみることにした。バスは旧市街のごちゃごちゃを抜け、新市街地へ。アセアン会議の開かれる会議場のあたりへ来ると、6年前に泊まったホテルなども見え、今回とはだいぶ違う地域だったことを再確認した。

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40分ほど乗り、バスターミナルへ着いた。ここも人が多い。広州行のバスは1時間に1本程あるが、料金は駅前のバスより高い。これはどういうことだろうか?ここも窓口前には長蛇の列。切符を買うのも大変そうだし、明日もう一度ここへ来るのも大変なので、断念した。

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来た時と同じバスに乗る。違うバスに乗りたかったが、駅前へ行くバスは1つしかなく、他の寄り道する気力もなかった。まあきままなバス旅行と思えばよい。駅前に着くと腹が減ったので、粥を食べる。7元。

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マックで

午後はこのホテルの延泊を決め、ごろごろ。想像以上に体力の回復が遅い。歳のせいだろうか。微睡みが嬉しい。あっという間に日が暮れてくる。日が暮れるとなぜか腹が減る。動いていなくても腹が減るのは、体力の回復を体が促しているせいだろうか。

 

駅前を歩いているとマックがあった。普段は入らないのだが、先日日本で肉の偽装事件があり、その影響が中国にも飛び火していると聞いていたので、入ってみる。確かにお客はいない。2階もあるというので、2種類のバーガーを頼んで2階へ行ってみる。何と一人の客もいなかった。マックの貸し切り、凄い。

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ところがオーダーした商品と違う物を出されたことに気が付く。下に降りて、カウンターに行き、それを質すと、『すみません、今取り替えます』というではないか。昔なら色々と理由をつけて取り替えないので、ここで戦いがあるのが普通なので、拍子抜けだ。だが、料金をあと5元くれという。まあ取り替えに応じたのでよいかと支払って、パッとメニューを見ると、その計算が違っていた。むしろ安くなるはずだ。

 

それを質すとまた『すみません、いまお返しします』というではないか。若い男性で如何にもひ弱という感じだが、同時にマックの置かれた状況を反映しているように見えた。既にアメリカでも若者はマックへ行かない、と言われている。今後中国ではどうだろうか?

 

北海でリゾート2014(4)華僑が逃げ帰った僑港

豚鶏鍋

2日間、炎天下を自転車で走った、それも1日35㎞。これは凄い衝撃だった。シャワーを浴びて、体をダラッとさせても、興奮?は収まらない。顔もかなり黒くなったと思われる。しかしトニーは元気だ。ランチを食べに外出しようという。何だかその元気さに押されて承諾した。

 

タクシーで街へ。着いたレストランには『豚鶏鍋』と書かれていた。これは確か深圳で以前食べたことがある、とても美味い鍋である。だが店に入ると店員にはやる気が見られず、お客もあまりいない。どんよりとした空気が流れている。どうなんだろう、これは。店長の男性が出てきて何とか注文を取る。

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鍋に豚の内臓、鳥肉、野菜、キノコ、豆腐などをふんだんに入れて煮込む。豚と鶏の両方を入れるところが良い。日本でも寄せ鍋などにあるようだが、私はこれが大好きだ。しかも内臓系、胡椒が効いている。大好物。サイクリングで腹が減っていたのか、疲れも忘れてバクバク食べる。スープもしこたま飲む。もう腹がパンパンになるまで食べ尽す。疲れはいつの間にか吹き飛んだ。

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タクシーを拾って帰ろうとしたが、昼下がりにタクシーは捕まらない。皆、お昼寝の時間だろうか。本当にゆったりとした時間が流れている。スープを飲み過ぎたので汗がしたたり落ちる。それでも何だか爽やか気分だ。何とかタクシーを捕まえて、マンションへ帰る。午後の日差しが強い。

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夕方までお昼寝。そして一人で散歩に出てみた。と言ってもマンションの敷地内。私は歩くのが仕事、とよく言っているのだが、ここ数日あまり歩いていなかったので、そろそろうずうずしていた。敷地内には池があり、夕暮れ時に人がベンチに座り、話したり、ぼーっとしたりしている。我々日本人は『ボーっとしていないで』とよく怒られるわけだが、よく考えてみれば、ボーっとすることはそれなりに重要ではないかという気がする。特にこのような場所に来ると『あまり色々と考えても仕方がない』と思えるようになり、頭を働かせることを停止したい気分になる。

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マンションの前の道に出るとダンプが轟音を立てて通り過ぎる。この道は既にガタガタになっている。土ぼこりも酷い。出来るだけ外を歩きたくない心境になる。折角いい空気があり、良い景観があるのに、台無しだ、とは思わないのだろうか。経済成長しているということは案外気が付かない、いや気が付いていても、他のことに紛れて時が過ぎていく。

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敷地内には何と映画館もある。それもシネコン?いくつかの映画が同時上映できるが、外からも見に来る人がいるのだろうか。Zさんによれば、『この映画館にはレイトショーもある。夜10時の会に行けば安いし、暇つぶしになる』らしい。そんなライフスタイル、如何にも南国だが、ここで流行るのだろうか。

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昼ごはんの食べ過ぎにより、夕飯は軽くしてもらう。何だかZさんには多大な迷惑だが、この生活リズムに慣れてくると離れがたいものがある。明日はこの地を離れるのかと思うと、残念でならない。

 

8月26日(火)

朝散歩

運動しているせいか、それとも夜が涼しいからか、ここにいるとよく眠れた。過度にPCを触らないこともいい影響を与えているのだろう。心地よい朝を迎える。今朝はサイクリングのお誘いが来る前に自分で散歩に出かけた。午前7時台、それほど暑くはない。目指すは僑港と呼ばれる30年前にベトナムから華僑が逃げてきた場所だ。

 

朝はダンプも走っていないので、マンションの前の道を歩きだす。ただまっすぐ歩いて行けば近くまで行けるはずだ。ただ予想外に日差しが強い。マンションは街から少し離れているので、ちょっと歩いても殆ど何もない。途中にごみ集積場があった。悪臭が漂っていた。北海はここ数年で急速に人口が増えていると聞く。ごみ処理のシステムは追い付いていないようで、街にごみが溜まってきている。

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かなり歩いてようやく僑港という表示が見えた。ここまでくればと安心したが、何とそこからがまた遠かった。自転車で来ればよかった後悔したが、やはり歩くのが仕事、仕方がない。しかも歩いても歩いても、華僑が戻ってきて住んだような痕跡は見つからない。確か6年前はベトナムチックな黄色い壁の家などがあったのだが、どうしたのだろう。

 

合計1時間も歩いて、着いたのは港だった。それも漁港。朝の漁から戻った舟、荷卸しが始まっていた。新鮮な魚が上がってきており、魚を買いに来た人々で市場はごった返していた。自分が目指してきた物とは違っていたが、なかなか活気のあるいい風景だと思った。観光客が来るような所でもなく、よそ者は邪魔ものだったようだが。

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華僑小学校があった。しかしそれ以外、華僑を感じる物はなかった。既に時が流れた。中越戦争で戻ってきた人々もすっかり中国の暮らしになってしまったということだろうか。先日もベトナムで反中デモが起き、数千人の中国人が逃げ戻ったと報道されたが、今は北海ではなく、海口に船は行くらしい。静かで穏やかな街、北海は静かなままだった。

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バスに乗りたかったが、マンションの方へ行くものはなく、勿論タクシーもいないので、帰りも黙々と歩いた。結局往復で2時間半もかかってしまった。部屋へ戻るとZさんが『麺を食べに行こう』と言い、また外へ出て、麺を食した。朝麺を食べる習慣が付きそうだ。

北海でリゾート2014(3)リゾートでサイクリング

8月24日(日)

サイクリング

今朝は7時に起きてサイクリングに行く。この家には4台のサイクリング用自転車があり、夫婦は日々サイクリングを楽しんでいる。私は勿論自転車には乗れるが、サイクリングなどしたことはなく、どうなるかドキドキ。靴を借り、靴下を2枚穿き、Tシャツ、短パンで出掛けた。2人はきちんとしたサイクリング用ユニフォームだった。

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サドルが高いこともあり、最初は不安定であったが、慣れてくると快適だった。マンションの前の道はデコボコで走り難かったが、その先の大きな道はスイスイ行った。途中で朝ごはんを食べるために桂林米粉の店に立ち寄る。2人はここの常連で店の人とも仲が良い。ただ私が日本人だと知ると、主人は『安倍は良くない』と言い出す。そしてこの街では昔日本軍の残虐行為があった、などと話し出す。この地では実際の戦闘などはあったのだろうか?

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更に進むと7年前に来たことがある、90年代に開発された北海の別荘地を通った。7年前は廃墟に薄ぼんやりしたイメージだったが、今では戸建ての別荘がきれいに改装され、如何にも南国リゾートといった雰囲気を漂わせる。ヤシなどが街路樹として植えられているので余計雰囲気が出ている。午前中から人も結構歩いている。ビーチでは観光客がはしゃいでいる。中国では一生海を見ないで終わる人がまだまだ大勢いる。

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自転車を漕ぐのは実に久しぶりだ。Zさん夫妻はサイクリングが趣味、ということで、毎朝かなりの距離を漕いでいるらしい。当然スピードが違う。私を気遣ってゆっくり走っているのだろうが付いていくのがやっとだ。これはしんどい。おまけに日ざしがどんどん強くなる。汗がしたたり落ちる。

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橋が見えてきた。北海市内の高層ビルがよく見える。橋の周囲には何か植えられており、観光客が遊んでいる。バイクで来ている地元民も多い。更に行くと、広々とした道がある。走るにはよいのだが、なんとダンプがどんどんやってきて、砂塵を舞い上げる。これはたまらない。

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着いたところは、自然公園。北京の大手企業が大規模開発を行っており、ダンプが走る理由がわかった。マングローブなどを植えて、自然をアピールし、国家政策にも合う開発を行っているのだ。まだ出来ていないように見えたが、高い入場料を取っている。我々はゲート脇で休み、立ち去る。ここが折り返し地点だった。

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帰りは同じ道を戻るだけだが、暑さがこたえ、更には足がきつくなる。北海の港を横目に見ながら『昔よりだいぶ立派になったな、ここからベトナムへ行けるのかな』などと思う。ラストスパートは全くきかず、喘ぐようにマンションに戻る。往復35㎞、走ったらしい。シャワーを浴びるにも心臓がバクバクしていた。急激な運動は体にこたえる。

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その日の午後は完全休養。ネットは相変わらずよく切れてしまい、何もする気が起こらない。ただ窓から海を眺めるのみ。『海を眺める午後』。私より年上のトニーは全く元気で、午後はテニスに出かけた。何という体力。すごい。

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夕飯はパスタなどを頂く。トニーがワインを持ち出し、飲み始めた。ご相伴にあずかっていると急激な眠気が襲う。体力の消耗は想像以上だった。たまにはちゃんと運動する必要があることを実感。

 

8月25日(月)

サイクリング2

翌朝起き上がると意外と体が軽かった。トニーが『今日も走るか?』と聞いてきたので、無言で頷く。旅のポリシーとして、出来ることを言われたら、それに従う。今朝も同じいでたちで自転車に向かう。既に修行の気分が出ていた。先ずは近くの店で今日も麺を食う。やはり中国人は朝から麺を食うようだ。日本ではあまりない習慣のように思う。

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今日は昨日と反対側、山が見える方に向かう。『今日は昨日よりきついよ』と言われていたが、昨日の疲れはまだ筋肉には来ていなかったので、踏ん張って漕ぐ。自転車にも慣れてきたので、何とか付いて行けたが、途中から坂道が入り、全く付いて行けなくなる。ギアチェンジを指示され、色々とやってみたが、なかなか進まない。

 

お寺があった。いい天気に本殿が映えていたが、私には休息以外の何物でもなかった。足は相当にきつくなり、動かなくなったらどうしよう、といった不安が過り始めた。Zさんには『無理して漕がずに、自転車を押して登ればよい』と言われたが、それもきつい。寺を過ぎると更に急な斜面が出てきて、喘ぎ喘ぎ行く。

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頂上まで行かなかないうちに、車両通行が制限されており、何とか折り返しに着いた。それにしてもきつかった。海の見える景色は悪くなかったが、これを見るためにもう一度登れ、と言われても自転車は漕がないだろう。帰りは下り坂で楽だと思ったが、足が痛いので慎重に下りた。

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マンションの近くまで来ると足も軽くなっていた。北海の最高級マンションがあったので見学してみる。実に立派な造りだったが、売れ行きはさっぱりらしい。人影も殆どなく、人が住んでいる雰囲気もない。16,000/㎡の価格はこの地では高過ぎるらしい。作れば売れる時代は既に過ぎていた。特に豪華マンションは目立つので買い難そうだ。横にはゴルフ場も併設されており、良い感じなのだが。今日も往復35㎞、走ったらしい。

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北海でリゾート2014(2)これからも売れる不動産はある

2.北海

新区マンション

Zさんに案内されてマンションの敷地内へ。広々としたスペース、15階の部屋に上がると近くに海が見える。横にはゴルフ場もある。この景色、悪くない。部屋は4つあり、リビングも広い。実に快適そうなマンションだった。でもZさんは『これは夫が好きで買った物、私は高い所は苦手なのでちょっと』というではないか。何という贅沢。ただかく言う私も高所恐怖症、高い所ほど値段も高いので、安い低層階を選びたい心境ではある。

 

夕食はZさんが作ってくれた。材料は新鮮な貝やカニなど。豪華な食卓となった。『レストランで食べると結構高いが、食材を買ってきて家で作るととても安い。これが北海の特徴だ』そうだ。Zさんは日本滞在経験もあり、和食と中華を両方作れる上に、一工夫加えており、とても食べやすい。

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ご主人のトニーもテニスから帰って来て、食事に加わる。息子のG君もいる。初めて会ったのに、何だか昔から知っているような気分で夕飯を食べる。トニーは日本語ができないが、中国語と英語は出来るので、会話も弾む。ビールを飲みながら宗教の話をしたような気がする。G君は15歳にして日本語も中国語も、そして英語もできるので、素晴らしい。最近は5週間、アメリカのサマーコースに行っていたらしい。将来有望だ。

 

食後、Gmailが繋がらないと嘆く私の為にG君がVPNというソフトを設定してくれた。これがあれば何と繋ぐことができた。有難い。G君、15歳にして、私より何倍も役に立つ、頼もしい存在だ。『ただこのVPNはお試しの無料ですから後で使えなくなりますよ』と言われ、予備のVPNまで入れておいてくれた。素晴らしい。

 

そしてほとんどテレビを見ないというトニーが『一緒に見よう』と言ってテレビの前に座る。『中国 好声音』という番組だったと思う。とても人気があるそうで、トニーも『この番組だけは見るよ』という。イメージは昔あった『スター誕生』だろうか。一生懸命歌手を目指す人々にチャンスを与える番組、中国は豊かになったと言っても、まだまだ色々な境遇の人がいる。いや、高度成長期の日本と同じ現象が起きているということだろう。

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8月23日(土)

モデルルーム

夜中はそれほど暑くもなく、朝はゆっくり目覚めた。心地よい朝だった。午前9時前にシャワーを浴びると更に気持ちが良くなった。リビングの窓からは海が一望できる。ベランダに出てトニーと話しをする。朝ごはんはお粥だった。これはお腹に優しく有難い。ガチョウの卵で作った目玉焼きに鰹節が掛かっていた。Zさんは日本の良い所、美味しい所を色々と研究しているのだろう。面白い。食後、お土産にあげた静岡の釜炒り緑茶を飲む。本当に中国的な味がする。

 

それからこのマンション群のセールスオフィスへ行ってみる。ここは2010年に開発が始まり、1期の途中まで完成している。36階建てのマンションは海沿いに数棟建っており、現在建築中の所も多い。プールや公園、そして5年後には小学校まで作るらしい。ここに住む人は中国の東北地方を中心に北部からの投資が半分以上。ただ北部と言っても浙江省も四川省も北部に含まれるという説明が奇妙で面白い。空気が良く、人が少ないこの地には実際に移住して通年ここに住む人も増えている。基本的に退職者だが、なぜかその孫を連れてくる人もいるという。祖父母が孫を育て、両親は都会で働く、という図式は日本では考えにくい。

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モデルルームに行ってみる。現在は2LDK、約90㎡の部屋を売り出している。日本的に言えば63㎡程度の小さな部屋だが、価格は70-80万人民元と周囲の環境も考えればそれほど高くはない。目を惹くのは窓の所に腰を掛ける台が付いていること。これは日本では見られないが、先日台湾でも見かけた。中国人は窓際に座って話すのが好きなのだとか。これからもどんどん建っていくらしいこのマンション群。中国の不動産バブルは崩壊する、と日本では騒がれて何年も経つが、果たしてどうなのだろうか。『いい物件は売れ、粗悪な物件は売れない』という当たり前の状況になりつつあるということか。

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昼ごはん

昼はマンション内の小さな店で餃子を食べる。このマンションには中国らしく、個人経営の小さな店がいくつか出ている。日本ならこの立派なマンションに箔をつけるために高級レストランでも誘致しそうだが、ここでは趣向が異なる。この店の一家も東北地方から出てきて、餃子屋を開いている。

 

水餃子は美味かった。トニーは手の空いた店のおやじと世間話を始める。それがだんだん熱を帯びてきて止まらない。トニーはアメリカ生活が長いせいか、生まれつきの性格か、人と話すのが得意だ。誰とでもすぐに仲良くなれる。おやじはこれまでの苦労話をしているようで、じっと耳を傾けていた。

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午後はZさんが12年物の鉄観音を淹れてくれた。この家には立派な茶道具が置かれている。確かに濃厚な中にまろやかな味わいのある鉄観音茶だった。熱い日差しの午後に部屋でゆっくり寛ぎながら、美味い茶をすする、これもリゾートの醍醐味だろう。

 

夜は老街へ。昨日空港に来てくれたタクシーを呼び、旧市街地へ行く。どうも北海のタクシーはいい加減らしく、慣れた運転手を呼ぶのが良いらしい。旧市街地といっても今やきれいに整備されており、観光地化されており、多くの観光客が道を歩いていた。暗いのでわからなかったが、よく見ると両側の建物は1階が店、2階は住居のいわゆるショップハウスが多かったが、2階部分は相当古いまま残されていた。

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教会がある。戦前の古い店もある。驚いたことに丸一薬局というプレートが嵌っているところを見ると、なんと1936年にこの地で諜報活動をしていた中野順三という日本人がここで殺された、とある。こんなところにこの時代日本人がいたことが驚きであるが、よく考えてみれば、ここはベトナムとの国境であり、広東にも近く、要所だったことを裏付けている。1937年の盧溝橋事件のあとは、日本軍は広東へ進駐しており、その布石が打たれていたことになる。だがなぜこのプレートを嵌める必要があるのか、それがよくわからない。

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マンゴヨーグルトが美味しい、という店で休む。今や入口から中までどこもおしゃれで、若者がたむろしている。なんだかリゾート感覚が出てきた。表へ出ると、なぜか路上でサンマを焼いている。ローカル色もかなりある。その交錯した様子でちょっと楽しくなる。帰りは流しのタクシーを拾ったが、やはりメーターではなく、交渉だった。面倒だが仕方がない。

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北海でリゾート2014(1)中国ではGoogleが繋がらない

《広西散歩2014》  2014年8月22日-8月29日

 

ふとメールが舞い込んだ。『北海のマンションを買ったので夏休みに遊びに来ませんか?』、北海という地名に惹かれた。日本人は北海というと北海道の連想からどうしても北の方にある都市だと思ってしまうが、どっこいここは中国の南の端、ベトナム国境にあるのが面白い。

 

6年半前、A大のA教授達と初めて行動を共にした場所、そこが広西であり、北海も訪れていた。だが当時の北海は寂しい所、90年代にリゾート開発に失敗した街として紹介されていた。その街が変貌しているということだろうか?折角のお誘いでもあり、取り敢えず何も分からずに訪ねてみることにした。

 

8月22日(金)

1.北海まで

広州空港

北海に行くコースはいくつかあるが、今回は東京のお茶屋さんが広州に来るタイミングでもあり、バンコック-広州を選んだ。タイ航空のプロモーションがあると聞いていたが、ネットで買った方が安かった。何のためのプロモーションなのだろうか。

 

いつものように早目に空港に向かう。空港まではスムーズだったが、イミグレは夏休みの家族連れなどでかなり混んでいた。出国は普通タイ人と外国人で分かれるのだが、今日は外国人の方が溢れていたので、一緒になっていた。よくこれでタイ人から文句が出ないものだと感心する。

 

タイ航空の機内はほぼ満席。アフリカ系、中東系、インド系の人々の搭乗が多いのが目を惹く。広州には10万人を超えるアフリカ人が住んでいると先日報道されていたが、機内にもその雰囲気が出ていた。広州は中国雑貨の卸を取り仕切る街。何でも安い、と各国から人が集まってきている。これも中国のパワーの一つの象徴だろう。

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隣の席にインド系?パキスタン系の若者が3人座っていた。食事もスペシャルミール、ベジタリアンだろうか。横の若者の肘がちょくちょく当たってくる。かなり気になる。これもインド後遺症だろうか。彼らにとってこの程度の接触は何でもないことなのだろうが、文化の違いを感じる。

 

広州空港に到着。実はここから国内線で北海へ飛ぶのだが、広州の空港は1つしかないのか、国際と国内で分かれていないのかなど、全く気にしていなかった。もし上海のように2つあったら、完全に間に合わない。確認すると白雲空港で乗り換えられると分かりホッとする。白雲空港と言えば、1987年に桂林から降り立った時、夢かと思うほど先進的な空港だった。何しろメーターを付けたタクシーが夜の10時に列をなしていたのだから。これは当時の中国ではあり得ない光景だった。

 

一度入国手続きをして、国内線乗り継ぎカウンターへ。殆どの人が荷物を預けるだけ。私のようにここでチェックインするのは珍しいらしい。そこから2階へ上がり、荷物検査を受ける。珍しくIpadを発見され、チェックがかかる。これは日本以外では殆ど問題にならないのだが、日中は似ているのだろうか?

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そして室内を走る車に乗り、国内線ゲートへ。結構離れていることが分かる。自分で国内線ロビーへ歩いて行こうとすると大変だろう。国内線もかなり広かった。実は中国に勤務している時に1つのカードを貰っていた。中国内の主要空港でラウンジが使えた。今回も時間があるので使おうとしたが、『このカードは3時間前の予約が無ければ使えない』と言われてしまう。ほんの最近まで何の問題もなく使えていたこのカード、何か変化したのだろうか。そういえば習近平政権の腐敗汚職撲滅の一環で携帯会社などの空港・鉄道ラウンジが閉鎖になるとの記事を読んだことがある。これもその影響なのだろうか。

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そう思ってゲート脇の席に着き、PCを開いてWIFIに繋ぐ。今では中国の大体の空港で無料WIFIが繋がる。ここでも繋がりはしたが、異変があった。どうしてもGmailに接続が出来ない。Googleニュースを試してみたが、やはり繋がらない。Google関連には全くアクセスできなくなっていた。これには焦る。何しろ今は全てのメールをGmailで読んでいる。まあこの空港だけのことかとも思い、次に進む。

 

北海空港

北海行の南方航空に乗り込む。小さな機体だがほぼ満席。家族連れが目立ち、リゾートへ向かう感じが出ている。やはり北海はリゾート地として人気が出てきているのだろうか。飛行中、空がとてもきれいに見えた。乗客の殆どは中国人だが、彼らもウットリと空を眺めている。こんな青空、中国の大都市ではもうお目に掛かれないのかもしれない。

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1時間で空港着。実に小さな空港がそこにあった。それでもターミナルまでバスが出た。私は荷物を預けていなかったのですぐに外に出た。今回招いてくれたZさんがタクシーをアレンジしてくれていた。空港に南国の西日が差していた。車は殆ど誰も走っていない道をゆっくりと走る。きれいな街路樹が植わっている片側二車線の道に車がポツンポツン、これも大都市では今や考えられない光景。運転手は地元の人間で、『最近は北海に来る人が増えた』と喜び、『でも不動産価格も上がった』と嘆く。そして『先月数十年に一度の台風がやってきた。この辺の看板の90%は落ちてしまった。木々も相当に傷んでいる』と。よく見ると確かに街路樹の幹が横になっていたり、枝が折れていたり。ここにも自然災害があるんだ、と認識。

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途中車は6年半前には見たこともないような高層マンション群を抜けて、目的地に着いた。とても広々とした豪華マンションの入り口にZさんが立って待っていてくれた。このマンションも入口の外壁工事を行っており、園内に入る門は閉鎖されていた。

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中国最北端を行く(13)北京 中国のサービスは悪くない?

7.北京2

無料ホテルで1泊

急いで荷物を拾いに行ったが、なかなか出て来ない。こうなればまずはチェックインと、荷物をN教授にお願いし、1階上の国際線カウンターへ走った。ところが『荷物がないとチェックインさせない』と断られ、また戻る。何とか荷物を拾い、指定されたカウンターでチェックインしようとしたが、何とそこは間違ったカウンターで、時間を取られてしまう。

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ようやく最終決裁者のいるカウンターにたどり着いた時は既に午後4時40分、残念ながら『明日の朝』と言われてしまう。そして『ホテルはあっち』とボーイを指される。ボーイは我々をバス乗り場に案内すると、そこには大勢の待機者が待っていた。そしてバスでホテルへ。空港から20分ほどのそのホテルは結構きれい。2人部屋なら無料ということで、またN教授との相部屋が一日延びた。

 

ところで私のフライトはエアチャイナで明日の朝の便に既に変更されたが、N教授は日系航空会社。なぜかエアチャイナはホテルの面倒は見てくれたが、チケット変更は自分でやる必要がある。ちょうどこの航空会社の北京支店に大学の後輩がいたので、電話して変更を依頼、スムーズに済んだ。有難い。

 

ホテルでは夕飯が無料で提供された。ビュッフェ形式で決して高価なものではないが、腹一杯にはなる。日本ではこんなサービスは絶対ないだろう。ホテルもタダ、食事もタダ。これでよく会社が経営できるものだ。この費用も我々の航空代金に含まれているのだろう。

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ここで1人の中国人女性と出会った。残留婦人を祖母に持つというその女性、今は日本に帰化している。日本人と同じように日本語を話し、何とN教授の大学のすぐそばで餃子屋をやっていたこともあった、と盛り上がる。我々だけが日本人らしく、別途ビールを注文して異彩を放つ。夜はぐっすり眠れる。やはり疲れているのだ。本来なら飛行機の遅延というアクシデント、だがN教授という連れがいると、安心できる。これは重要なことだった。

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2月26日(水)

羽田で荷物が壊れていた

翌朝は5時半に起きて、6時前にバスに乗り、空港へ。チェックインもスムーズで問題は何もない。北京の空気はハルピン並に悪いのだが、そこは科学技術か、北京では空港閉鎖などは起こらない。確かにPM2.5で首都空港閉鎖になっていたら、中国は大混乱になるだろう。

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フライトも順調で、定刻の午後1時には羽田に到着した。荷物を家に送り、午後3時のアポに向かおうとしたが、何とスーツケースが壊れていた。穴が2つも空いていたのだ。空港職員を呼ぶと、本当に丁寧に対応してくれ、修理は可能だと聞いたが携行品の保険に入っているので、書類を作ってもらい、申請することに。

 

翌日保険会社に電話すると『まずは治らない証明、または修理代見積もりを取るように』と言われ、唖然とした。再度エアチャイナに電話して修理を頼むと、問題なく応じてくれた。中国はサービスが悪いていうが、実は一部ではいいところもある、ということが今回良く分かった。

中国最北端を行く(12)ハルピン PM2.5で空港閉鎖

2月24日(月)

6.ハルピン2

ハルピン街歩き

東駅から地下鉄に乗り、ホテルに戻る。これで3度目のチェックイン。さすがにもう慣れたが、毎回パスポートを出させてコピーを取るのは如何にも中国。少し疲れたので休息。予定されていたランチは先方の都合でキャンセルとなり、ホテル横のレストランへ。お客は殆どいなかったが、なぜか台湾人が昼から酒飲んで大声でじゃんけんしていた。

 

午後はハルピンの街へ。27年ぶりなので、ちょっと歩いて見たかった。先ずはハルピン駅へ。ここから27年前、満州里へ向かい列車に乗った。駅前は大工事中。勿論きれいにはなっていたが、面影は残っており、感激。そしてその時使用した待合室が、今年オープンして物議を醸した安重根記念館になっていたのには驚く。入ってみたかったが、月曜日は定休日で見学できず。

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駅前には旧大和ホテルの建物がそのまま残っていたが、今は使われていないようだ。旧日本領事館も残っている。ハルピンは開発が遅れているのか、歴史を大切にしているのか。日本時代の歴史を大切にするとは思いにくいので・・。ハルピンは日本以外にもロシアやヨーロッパの色彩を色濃く残している。ポーランド商人が建てた私邸が博物館になっていたりする。

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中央大街にも行ってみる。ここは完全に別の街になっており、今や観光スポット。お洒落なカフェやユニクロなどもあり、あまり感心しない。ここに宋さんお気に入りの湯包屋さんがあり、入ってみる。午後3時でもお客がおり、今でなければ席はないと言われる。ちょっと試食のつもりが1人1籠、とても美味しいのだが完全に満腹となり、動けない。

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27年前、唯一記憶があるロシア正教会へ。そこも周囲がとてもきれいになっており、ごちゃごちゃ感は一掃されていた。教会自体は古いまま、時計の針はかなり進んでしまったようだ。

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帰りはタクシーもなかなか捕まらず、苦労する。ハルピンでは最近夜繁華街ではタクシーは捕まらないと聞く。零下20度台、外で車を待つのは無謀ともいえる。我々は夕方4時台だったが、既に陽は傾き、十分に寒さを感じた。ハルピン最後の夜だったが、さっきの湯包が重すぎて、コーヒーを飲んで終わりにする。とにかく今回も食べ過ぎの毎日だった。

 

2月25日(火)

空港閉鎖

翌朝は少し霧が出ていたが、前は十分に見えた。宋さんにタクシーを予約してもらっており、余裕をもってホテルを出た。空港までの道も慣れたもの。これでハルピンともお別れか、と思っている内に空港に着いてしまった。チェックインは順調だった。今日はこのまま北京経由で東京に戻るのだが、預け荷物は北京で一度拾って、また国際線のチェックインをしなければならいと聞き、ちょっと嫌な予感が。

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北京行のエアチャイナはちょっと遅れていた。というか、全体的にフライトが遅れ出した。心配していたが、ほぼ定刻に搭乗となり、一安心。ところが飛行機が滑走路に近づき、さあ離陸、と思ったところ、動かなくなる。順番待ちだろうか。少しして動いたのでほっとしたところ、動いていく方向がちょっと違う。何と元に戻り始めた。そしてアナウンス『たった今、空港は閉鎖になった』と。えー?

 

外を見ると確かに前方が見えないほど、視界が悪い。これぞPM2.5の脅威か。飛行機から降ろされ、休息。いつ晴れるともわからない霧を眺める。N教授の東京行は、北京4時発、私は5時20分。現在は12時過ぎ。まだ余裕があった。そこへアナウンスがあり、『弁当を取りに来い』と。これは当分飛ばないと腹をくくり、弁当を食べ始めた。

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すると何と『急いで搭乗しろ』とのアナウンスも。どうなっているんだ、皆弁当を抱えて乗り込む。確かに搭乗しているので、これでまた安心。だが、飛行機はそこから一向に飛び立たない。結局午後2時ごろに離陸した。

 

ハルピン―北京間は約2時間。N教授の東京行には全く間に合わないが、私のフライトには何とか間に合う時間だ。やれやれ、と弁当をかっ込み、寝る。しかし最終的に北京に着陸したのは午後4時20分近かった。

 

中国最北端を行く(11)撫遠 バカうまの大鍋料理

烏蘇鎮

更にロシア国境にあるという街へ行ってみることに。ところが道は途中で雪に閉ざされていた。実は人は住んでいないのではないかと思われる。それでも鎮という行政単位がある、それが国境なのである。国境には人が住んでいる、村がある、ということが実効支配の有力な力となる。モンゴルでも見てきたが、人が住んでいる、住んでいるように見せることが重要なのである。

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そして歩哨のいる建物が見えたので、行ってみた。軍事施設に近づく、ということには相当の抵抗があったが、ここにも人影はない。ただ洗濯物が干されており、犬もいたので誰かが居住していることは確認できた。向かい側は烏蘇江を挟んでロシア領。最前線であり、氷で歩いて渡れる距離であるにしては、緊張感はない。

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そして更に南へ行くと寂しい漁村があった。船は凍った河に凍結されていた。あまり豊かとは思えない家が並んでおり、ここは村と言えるが、人影はない。そこへ老婆が幼い子供を連れて歩いてきた。宋さんが話しかけると、笑顔で答えてくれ、家に招き入れてくれた。その家は入るとすぐに居間、そして大きな鍋が設置された台所にもなっている。この鍋で何でも作るらしい。その横にはベッドがあり、そこで話を聞く。

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時事通信社 金融財政ビジネス(2014年3月27日号) コラム放眼日中「中ロ国境の街で」

http://www.chatabi.net/colum/482.html

 

そして河へ行く。厚い氷で閉ざされているが、一部穴が開いており、下が水を通っている。ここから魚を釣るのだろう。老婆の孫も魚を釣っているらしい。

 

農村で

戻る途中、別の鎮を通り過ぎた。農機具などがあり、少し興味を持って降りてみる。ちょうど歩いてきた農民を捕まえ、話を聞いた。農村の実態が少しつかめてきた。

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日本経済研究所月報コラム「アジアほっつき歩る記」第27回「中国 中ロ国境の街で」

http://www.chatabi.net/colum/1077.html

 

2月23日(日)

大鍋料理

今日はもうハルピンへ戻る日となっていた。列車は午後なので、昼は先日行けなかった大鍋料理を予約して行ってみた。外は日中でも零下20度程度と寒かったが、店に入ると暑かった。

 

それにしても豪快なこの料理。大鍋に汁を入れ、そこへ鶏を一羽ぶつ切りで入れている。そこへキノコ、豆腐、トウモロコシなどをぶち込み、ぐつぐつ煮込む。しかしこれがバカうま。大汗を掻きながら、ハフハフ言いながら食べる。メガネが曇る、デジカメも曇る。凄いエネルギーが部屋を流れている。

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あまりの暑さに、窓を開ける。すると零下10度台の冷気が流れ込み、何とも爽やかになる。そしてまた食欲が出る。どう考えても4人で食べるには多過ぎる量だと思っていたが、鍋のあらかたを食べてしまう。我々にもエネルギーが出た。汗でシャツを取り換えたい。急いでホテルに戻る。

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戻りの列車

ホテルをチェックアウトして出発。しかしこのホテル、本当に安くて快適だった。もし夏に来ればどうなのだろう。きっとお客で溢れているのだろう。そして料金も倍以上するかもしれない。

 

タクシーは1台では荷物が乗りきらず、2台に分乗した。駅まではすぐに着く。この駅、本当に真新しい。一昨年できたばかり。ようはこの線は2年前にここまで伸びてきたということだ。それまでの長い年月はこの最東端へ来るためには最寄駅からバス、ということだったろう。駅は天井が異常に高く、広々としている。

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Mさんは途中の佳木斯で降りて、そのまま出張となるということで、チケットの変更に向かった。昔はチケットを変更するのは大変な作業だったが、今ではすぐに出来るらしい。オンライン化のお蔭だ。

 

駅には地元の人々がハルピンや他の都市に行くため、集まってきている。家族で行く者、友達と行く者、楽しそうだ。中に尼さんがいた。周囲には大勢の女性たちがいる。信者だろう。口々に別れを惜しんでいる。最近農村にも宗教がどんどん入っている。今の中国では何かを信じない限り、とても生きていけない、ということだろうか。それにしてもこの果ての果てまでやってくる精神は凄い。

 

列車は先日と全く同じ型。今回は4人で乗り込み、個室を占拠。やはりこの方が気は楽だ。私は上の段に登り、荷物を詰める。上の奥には広いスペースがあり、かなりの荷物を入れることが出来る。列車内は暑いので、2つのコートをしまい込む。下ではすでに酒盛りが始まる。

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先日と全く同じルートの折り返しながら、Mさんが加わったことで、色々な話が聞けた。特にこの鉄道路線は戦前、日本人開拓民の開拓地と重なっており、また戦後の農場政策なども興味深い。

 

佳木斯到着は夜中の12時だったため、それまでずっと起きていて、話し込む。Mさんが寝過すことはないが、我々も見送りを決めていた。Mさんが下りてからもなかなか出発しない。時間は夜中の12時、佳木斯の知り合いが迎えに来るとのことだったが、さすが商社マン。私などは怖気づいてしまう。

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それから朝までの眠りは浅かった。恐らくはこれまで寝すぎていたせいだろう。すぐにオジサンが一人乗り込んできて、上の段に上る。我々に気を使い、電気も点けなかった。明け方、私の毛布を直してくれた。何だかほんわかした気分。そしてまた彼は静かに下りて行った。

 

朝は天気だったが、ハルピンに近づくに従い、空気は悪くなった。都会が近い。あの青い空、涼やかな風、一面の白い世界はやはり幻だったのだろうか。

 

中国最北端を行く(10)撫遠 半年しか開かない国境

口岸見学

漠河もそうであったが、ここ撫遠にも地図というものが売っていない。元々小都市では地図は品切れ、というところは多いが、どうやらそればかりではないらしい。書店などを探し回ったが、どこにもないのである。何と書店には村上春樹の訳本はあるのだが。これは戦略上の理由かもしれない。

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撫遠は整然とした街並みに漠河とは完全に違って、ただの素朴な田舎町に見える。街中にはロシア語がかなりみられるが、ロシア人の姿はない。でもウオッカは売っていたのでN教授は大喜び。その店で聞くと『ロシア人はハバロフスクから船に乗ってくるが、今は河が凍結されており、船が来ないのでいない。ウオッカも彼らが運んでくるが、今は在庫を捌いている』とのこと。

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昼ご飯を適当に食べて、午後は口岸を見学。と言ってもホテルから河沿いにすぐ。近くには高級住宅の分譲などがあり、この辺りが夏は栄えているのだと分かる。確かに船がここに着けば便利この上ない。河沿いの道は広くて立派だ。

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勿論口岸は完全に閉鎖されていた。河が凍結して船が来ないのだから、通る人はいない。ある人曰く『この口岸は半年しか開かない世界でも珍しい場所だ』と。河に掛かっている桟橋も凍結を恐れて外されているので、一見しても良く分からない。

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凍った河では、魚釣りをする人がいる。また何か作業をしている人も見えるが、何だろうか。ホテルの部屋からも河が見え、そしてはるか向こうのロシアが見えるのだが、相変わらず何もないようだ。

 

羊腿

夜は気になっていた羊腿を食べに行く。羊腿とは読んで字のごとく、羊の腿。並んでいる羊の腿を1つ選んで、オーダー。2階の部屋へ行くと、焼肉屋のような煙を吸い込む装置の下に、羊腿をセットし、丸焼きの要領でぐるぐる回して焼く。周囲はかなり熱い。寒いここではちょうど良い。

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そして焼けてきたらナイフと串で肉を削ぎ落とし、食べる。これはアツアツで実に美味しい。4人であっという間に足を1つ食べてしまう。この料理は遊び的な要素もあり、みんなで食べると楽しい。キャンプファイアーを思い出す。

 

2月22日(土)

黒瞎子島

ここ撫遠郊外には黒瞎子島という島がある。日中にも島問題があるが、中ロにも島問題はあり、中ソ対立の60年代から解決に時間がかかった。この島問題は2005年には国境線が確定し、西半分は中国、東半分はロシアということですでに決着しているという。この島は黒龍江と烏蘇江の合流地点にあり、中国で最も早く朝日が見られる場所であるという。

 

我々は当然、その島へ行ってみようと思った。既に中国側から橋が通っているというので車で簡単に行けるらしい。それなら車でちょっと回ってみるだけでよい。だが、地元の人は反対した。それは『いまだに島には問題がある』『島に日本人が行くことに不測の事態の発生が懸念される』というものだった。

 

確かに過去にも日中関係が悪い時に、いつもは問題ない地域に張った日本人が拘束されたケースもある。今日がその日ではない、と言い切れない。しかも中国人に迷惑をかけることも出来ない。島に通じる橋の前まで行って引き返すことにした。

 

市内から黒瞎子島までは車で30分強、勿論他に殆ど車は走っていなかった。橋は既にできており、チェックポイントはあったが、誰もいなかった。これなら誰でも自由に行くことが出来る。周辺には何らかの拠点の整備が中断していた。冬は作業しないのだろう。

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掲示板を見ると『島へ行く者は登記が必要であり、費用を払ってバスに乗り、回る。自家用車又は徒歩での参観は禁止』となっていた。中国人と言えども自由には参加できないである。ましてや外国人には過敏になる。前を見ると誰もいない空間が広がっているのだが。国境との言うのは実に敏感な場所である。

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中国最北端を行く(9)撫遠 寂しい街の豪華なホテル

夕陽が傾く中、列車は動き出し、N教授は買い込んだビールを飲み始める。ハルピン郊外を列車はゆっくり走る。雪の残った田畑、工場などが次々と見えてくる。飛行機にはこのような景色がない。やはり列車の旅は良い。

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その内夕陽が急激に沈み始め、あっという間に闇になった。軟臥は他の車両と隔離されており、向こうから入ってこないように連結部分のドアには鍵をかけていた。車掌に頼んで鍵を開けて貰い食堂車を偵察したが、乗客は満員で廊下にも溢れており、勿論食堂車も満席だった。

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缶ビールを飲んでいたN教授が突然『コップがない』と言い出す。車内販売も来るので問題ないと思っていたが、何と紙コップすら積んでいない。ウオッカを飲むのにビンから直接飲むのは大変だ、と思っていると、器用なN教授はビールの空き缶を自分のナイフで切り、即席のコップを作った。これは凄い能力だ。

 

宋さんはもう一人の乗客と仲良くなり、乾き物を貰っていた。宋さんは人と仲良くなる、人に警戒心を与えない独特の能力がある。これも中国ではすごい才能であり、後にも様々な場面で何度も役立つのである。私は段々眠くなる。N教授はまだ飲んでいる。宋さんもそろそろ寝るというので、消灯。

 

2月21日(金)

翌朝は早く目が覚めた。というより、さすがに良くは眠れない。この列車の到着時刻は午前9時頃だからまだだいぶ時間はある。外は明るくなり、朝日が上がる。もう一人の同行者は夜中に下車したらしく、既に姿がない。朝ごはん用に買ったパンを食べるが、今一つ。

 

宋さんが周囲の乗客と話を始めた。さすがにみんな乗っていることに飽きてきて廊下に出ていた。中にハルピンで商売をしている女性がおり、撫遠まで買い出しに行くという。革製品を扱っているようだが、17時間もかけて買い出しに行くのだから余程儲かるのだろう。帰りも今日の午後の同じ列車で戻るらしい。それは疲れるわ。

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終点、撫遠が近づく。宋さんが地元の人に聞いてきたところ、駅前にはタクシーはいないので、ついでに乗せて行ってやる、という人が出てきた。駅に着くと本当にタクシーはなく、バスが一台待っているだけ。庶民はそのバスに殺到していく。我々が乗った面包車もかなりの年代物。一部の偉い人はいい車が迎えに来ていたが、この辺の経済状況が何となく分かる。

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5.撫遠

豪華な国境ホテル

車で20分ぐらい田舎道を走ると、急にきれいな大通りが見える。大きな河も見える。と、車は立派な建物の前に吸い込まれていく。ここがホテルだった。ロビーも広くて豪華。ところが料金を聞くと僅か200元ちょっと。あり得ない。全くのオフシーズンということなのだろうか。バスで来たMさんもすでに到着しており、合流。

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さて、部屋で少し眠ろうかと思ったが、急に1件面談が入る。このホテルに会いに来るという。彼は宋さんの伝手で会うことが出来たのだが、『自分と会ったことは伏せて欲しい』ということで、ここでは内容は書かない。ただこの国境の街、漠河とは異なり、ちょっと緊張感がある。何故だろうか。

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