「中国」カテゴリーアーカイブ

中国最北端を行く(11)撫遠 バカうまの大鍋料理

烏蘇鎮

更にロシア国境にあるという街へ行ってみることに。ところが道は途中で雪に閉ざされていた。実は人は住んでいないのではないかと思われる。それでも鎮という行政単位がある、それが国境なのである。国境には人が住んでいる、村がある、ということが実効支配の有力な力となる。モンゴルでも見てきたが、人が住んでいる、住んでいるように見せることが重要なのである。

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そして歩哨のいる建物が見えたので、行ってみた。軍事施設に近づく、ということには相当の抵抗があったが、ここにも人影はない。ただ洗濯物が干されており、犬もいたので誰かが居住していることは確認できた。向かい側は烏蘇江を挟んでロシア領。最前線であり、氷で歩いて渡れる距離であるにしては、緊張感はない。

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そして更に南へ行くと寂しい漁村があった。船は凍った河に凍結されていた。あまり豊かとは思えない家が並んでおり、ここは村と言えるが、人影はない。そこへ老婆が幼い子供を連れて歩いてきた。宋さんが話しかけると、笑顔で答えてくれ、家に招き入れてくれた。その家は入るとすぐに居間、そして大きな鍋が設置された台所にもなっている。この鍋で何でも作るらしい。その横にはベッドがあり、そこで話を聞く。

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時事通信社 金融財政ビジネス(2014年3月27日号) コラム放眼日中「中ロ国境の街で」

http://www.chatabi.net/colum/482.html

 

そして河へ行く。厚い氷で閉ざされているが、一部穴が開いており、下が水を通っている。ここから魚を釣るのだろう。老婆の孫も魚を釣っているらしい。

 

農村で

戻る途中、別の鎮を通り過ぎた。農機具などがあり、少し興味を持って降りてみる。ちょうど歩いてきた農民を捕まえ、話を聞いた。農村の実態が少しつかめてきた。

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日本経済研究所月報コラム「アジアほっつき歩る記」第27回「中国 中ロ国境の街で」

http://www.chatabi.net/colum/1077.html

 

2月23日(日)

大鍋料理

今日はもうハルピンへ戻る日となっていた。列車は午後なので、昼は先日行けなかった大鍋料理を予約して行ってみた。外は日中でも零下20度程度と寒かったが、店に入ると暑かった。

 

それにしても豪快なこの料理。大鍋に汁を入れ、そこへ鶏を一羽ぶつ切りで入れている。そこへキノコ、豆腐、トウモロコシなどをぶち込み、ぐつぐつ煮込む。しかしこれがバカうま。大汗を掻きながら、ハフハフ言いながら食べる。メガネが曇る、デジカメも曇る。凄いエネルギーが部屋を流れている。

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あまりの暑さに、窓を開ける。すると零下10度台の冷気が流れ込み、何とも爽やかになる。そしてまた食欲が出る。どう考えても4人で食べるには多過ぎる量だと思っていたが、鍋のあらかたを食べてしまう。我々にもエネルギーが出た。汗でシャツを取り換えたい。急いでホテルに戻る。

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戻りの列車

ホテルをチェックアウトして出発。しかしこのホテル、本当に安くて快適だった。もし夏に来ればどうなのだろう。きっとお客で溢れているのだろう。そして料金も倍以上するかもしれない。

 

タクシーは1台では荷物が乗りきらず、2台に分乗した。駅まではすぐに着く。この駅、本当に真新しい。一昨年できたばかり。ようはこの線は2年前にここまで伸びてきたということだ。それまでの長い年月はこの最東端へ来るためには最寄駅からバス、ということだったろう。駅は天井が異常に高く、広々としている。

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Mさんは途中の佳木斯で降りて、そのまま出張となるということで、チケットの変更に向かった。昔はチケットを変更するのは大変な作業だったが、今ではすぐに出来るらしい。オンライン化のお蔭だ。

 

駅には地元の人々がハルピンや他の都市に行くため、集まってきている。家族で行く者、友達と行く者、楽しそうだ。中に尼さんがいた。周囲には大勢の女性たちがいる。信者だろう。口々に別れを惜しんでいる。最近農村にも宗教がどんどん入っている。今の中国では何かを信じない限り、とても生きていけない、ということだろうか。それにしてもこの果ての果てまでやってくる精神は凄い。

 

列車は先日と全く同じ型。今回は4人で乗り込み、個室を占拠。やはりこの方が気は楽だ。私は上の段に登り、荷物を詰める。上の奥には広いスペースがあり、かなりの荷物を入れることが出来る。列車内は暑いので、2つのコートをしまい込む。下ではすでに酒盛りが始まる。

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先日と全く同じルートの折り返しながら、Mさんが加わったことで、色々な話が聞けた。特にこの鉄道路線は戦前、日本人開拓民の開拓地と重なっており、また戦後の農場政策なども興味深い。

 

佳木斯到着は夜中の12時だったため、それまでずっと起きていて、話し込む。Mさんが寝過すことはないが、我々も見送りを決めていた。Mさんが下りてからもなかなか出発しない。時間は夜中の12時、佳木斯の知り合いが迎えに来るとのことだったが、さすが商社マン。私などは怖気づいてしまう。

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それから朝までの眠りは浅かった。恐らくはこれまで寝すぎていたせいだろう。すぐにオジサンが一人乗り込んできて、上の段に上る。我々に気を使い、電気も点けなかった。明け方、私の毛布を直してくれた。何だかほんわかした気分。そしてまた彼は静かに下りて行った。

 

朝は天気だったが、ハルピンに近づくに従い、空気は悪くなった。都会が近い。あの青い空、涼やかな風、一面の白い世界はやはり幻だったのだろうか。

 

中国最北端を行く(10)撫遠 半年しか開かない国境

口岸見学

漠河もそうであったが、ここ撫遠にも地図というものが売っていない。元々小都市では地図は品切れ、というところは多いが、どうやらそればかりではないらしい。書店などを探し回ったが、どこにもないのである。何と書店には村上春樹の訳本はあるのだが。これは戦略上の理由かもしれない。

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撫遠は整然とした街並みに漠河とは完全に違って、ただの素朴な田舎町に見える。街中にはロシア語がかなりみられるが、ロシア人の姿はない。でもウオッカは売っていたのでN教授は大喜び。その店で聞くと『ロシア人はハバロフスクから船に乗ってくるが、今は河が凍結されており、船が来ないのでいない。ウオッカも彼らが運んでくるが、今は在庫を捌いている』とのこと。

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昼ご飯を適当に食べて、午後は口岸を見学。と言ってもホテルから河沿いにすぐ。近くには高級住宅の分譲などがあり、この辺りが夏は栄えているのだと分かる。確かに船がここに着けば便利この上ない。河沿いの道は広くて立派だ。

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勿論口岸は完全に閉鎖されていた。河が凍結して船が来ないのだから、通る人はいない。ある人曰く『この口岸は半年しか開かない世界でも珍しい場所だ』と。河に掛かっている桟橋も凍結を恐れて外されているので、一見しても良く分からない。

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凍った河では、魚釣りをする人がいる。また何か作業をしている人も見えるが、何だろうか。ホテルの部屋からも河が見え、そしてはるか向こうのロシアが見えるのだが、相変わらず何もないようだ。

 

羊腿

夜は気になっていた羊腿を食べに行く。羊腿とは読んで字のごとく、羊の腿。並んでいる羊の腿を1つ選んで、オーダー。2階の部屋へ行くと、焼肉屋のような煙を吸い込む装置の下に、羊腿をセットし、丸焼きの要領でぐるぐる回して焼く。周囲はかなり熱い。寒いここではちょうど良い。

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そして焼けてきたらナイフと串で肉を削ぎ落とし、食べる。これはアツアツで実に美味しい。4人であっという間に足を1つ食べてしまう。この料理は遊び的な要素もあり、みんなで食べると楽しい。キャンプファイアーを思い出す。

 

2月22日(土)

黒瞎子島

ここ撫遠郊外には黒瞎子島という島がある。日中にも島問題があるが、中ロにも島問題はあり、中ソ対立の60年代から解決に時間がかかった。この島問題は2005年には国境線が確定し、西半分は中国、東半分はロシアということですでに決着しているという。この島は黒龍江と烏蘇江の合流地点にあり、中国で最も早く朝日が見られる場所であるという。

 

我々は当然、その島へ行ってみようと思った。既に中国側から橋が通っているというので車で簡単に行けるらしい。それなら車でちょっと回ってみるだけでよい。だが、地元の人は反対した。それは『いまだに島には問題がある』『島に日本人が行くことに不測の事態の発生が懸念される』というものだった。

 

確かに過去にも日中関係が悪い時に、いつもは問題ない地域に張った日本人が拘束されたケースもある。今日がその日ではない、と言い切れない。しかも中国人に迷惑をかけることも出来ない。島に通じる橋の前まで行って引き返すことにした。

 

市内から黒瞎子島までは車で30分強、勿論他に殆ど車は走っていなかった。橋は既にできており、チェックポイントはあったが、誰もいなかった。これなら誰でも自由に行くことが出来る。周辺には何らかの拠点の整備が中断していた。冬は作業しないのだろう。

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掲示板を見ると『島へ行く者は登記が必要であり、費用を払ってバスに乗り、回る。自家用車又は徒歩での参観は禁止』となっていた。中国人と言えども自由には参加できないである。ましてや外国人には過敏になる。前を見ると誰もいない空間が広がっているのだが。国境との言うのは実に敏感な場所である。

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中国最北端を行く(9)撫遠 寂しい街の豪華なホテル

夕陽が傾く中、列車は動き出し、N教授は買い込んだビールを飲み始める。ハルピン郊外を列車はゆっくり走る。雪の残った田畑、工場などが次々と見えてくる。飛行機にはこのような景色がない。やはり列車の旅は良い。

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その内夕陽が急激に沈み始め、あっという間に闇になった。軟臥は他の車両と隔離されており、向こうから入ってこないように連結部分のドアには鍵をかけていた。車掌に頼んで鍵を開けて貰い食堂車を偵察したが、乗客は満員で廊下にも溢れており、勿論食堂車も満席だった。

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缶ビールを飲んでいたN教授が突然『コップがない』と言い出す。車内販売も来るので問題ないと思っていたが、何と紙コップすら積んでいない。ウオッカを飲むのにビンから直接飲むのは大変だ、と思っていると、器用なN教授はビールの空き缶を自分のナイフで切り、即席のコップを作った。これは凄い能力だ。

 

宋さんはもう一人の乗客と仲良くなり、乾き物を貰っていた。宋さんは人と仲良くなる、人に警戒心を与えない独特の能力がある。これも中国ではすごい才能であり、後にも様々な場面で何度も役立つのである。私は段々眠くなる。N教授はまだ飲んでいる。宋さんもそろそろ寝るというので、消灯。

 

2月21日(金)

翌朝は早く目が覚めた。というより、さすがに良くは眠れない。この列車の到着時刻は午前9時頃だからまだだいぶ時間はある。外は明るくなり、朝日が上がる。もう一人の同行者は夜中に下車したらしく、既に姿がない。朝ごはん用に買ったパンを食べるが、今一つ。

 

宋さんが周囲の乗客と話を始めた。さすがにみんな乗っていることに飽きてきて廊下に出ていた。中にハルピンで商売をしている女性がおり、撫遠まで買い出しに行くという。革製品を扱っているようだが、17時間もかけて買い出しに行くのだから余程儲かるのだろう。帰りも今日の午後の同じ列車で戻るらしい。それは疲れるわ。

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終点、撫遠が近づく。宋さんが地元の人に聞いてきたところ、駅前にはタクシーはいないので、ついでに乗せて行ってやる、という人が出てきた。駅に着くと本当にタクシーはなく、バスが一台待っているだけ。庶民はそのバスに殺到していく。我々が乗った面包車もかなりの年代物。一部の偉い人はいい車が迎えに来ていたが、この辺の経済状況が何となく分かる。

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5.撫遠

豪華な国境ホテル

車で20分ぐらい田舎道を走ると、急にきれいな大通りが見える。大きな河も見える。と、車は立派な建物の前に吸い込まれていく。ここがホテルだった。ロビーも広くて豪華。ところが料金を聞くと僅か200元ちょっと。あり得ない。全くのオフシーズンということなのだろうか。バスで来たMさんもすでに到着しており、合流。

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さて、部屋で少し眠ろうかと思ったが、急に1件面談が入る。このホテルに会いに来るという。彼は宋さんの伝手で会うことが出来たのだが、『自分と会ったことは伏せて欲しい』ということで、ここでは内容は書かない。ただこの国境の街、漠河とは異なり、ちょっと緊張感がある。何故だろうか。

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中国最北端を行く(8)ハルピン2 17時間の列車の旅へ

4.ハルピン2

東北料理は大皿

夕飯はN教授と2人で向かいへ。餃子屋の隣にもレストランがあったので行ってみる。そこは地下になっており、部屋が沢山並んでいたが、その奥に普通のスペースがあり、メニューはなく、自分で見て選ぶようになっている。これは漠河でもそうだったので、基本的に黒龍江省のレストランはこのような仕組みなのだろう。

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野菜や魚が並んでいたが、それほど沢山食えないので、涼皮と鶏野菜炒めを頼む。だがここは東北料理、皿が大きい。これが特徴なのだが、2人ではとても食べきれない。N教授がビールを3本飲んでいる間にお客は殆どいなくなり、店員も休憩モードに入った。ほとんどが若者。会計を頼んでも、担当がいないのか、なかなか持ってこない。若者たちは携帯に目をやり、人の話など聞いていない。全員がゲームをやっていた。

 

 

表に出ると電光掲示板に『点菜員、伝菜員、迎賓員』の募集が出ている。こんな区別があったのか。点菜員は注文を取る人。この役割が一番重要で、お客の要望を聞きながら、如何に高い物を食べさせるかを問われる。頭が良くて愛想がよい子が雇われるのだろう。実際我々を担当した子もそんな感じだった。

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伝菜員は料理を運ぶという一番簡単な仕事。きっと給料も高くはない。迎賓員は入口でお客を迎える係、容姿端麗が条件か。これだけ分業が進むと、給与条件も違ってきており、給与の安い子はゲームなどして憂さを晴らすのかもしれない。

 

2月20日(木)

スーパーと本屋

翌日午前中はハルピンに居るので、スーパーに買い物に。N教授が今晩からの列車の旅に是非ともウオッカを飲みたいということで出掛けたが、スーパーには売っていなかった。昔はハルピンならロシアの物が手に入るという感覚があったのだが。今は儲かる物、売れる物を中心に商売するということか。

 

ホテルのすぐ近くに新華書店があったので立ち寄る。黒竜江省の統計資料などをさがすN教授。毎回の光景だ。私も一緒に黒龍江省の歴史に関する本など探した。この本屋は入口が小さかったが奥行きはかなりあり、どこに本があるのか分かり難かった。

 

お昼は宋さんが同僚の大学教授を呼んでくれ、会食。この教授はロシア関係が専門で、色々な話が聞けた。今回我々が訪ねた漠河、これから行く撫遠は共に、中ロ国境にありながらも、両国関係が希薄な場所だとか。

 

極東におけるロシアは過度に中国を警戒しているので、両国関係は簡単には進まない。中国は現状ロシアから石油を輸入しているが、隙があればシベリアでの権益を伸ばしたい。ロシアもシベリア開発をしたいが、中国を使うと後が怖い。ロシア側はむしろ日本をうまく使って開発したいが、北方領土問題が絡んでくる。難しい状況で、進展がない。

 

地下鉄で東駅へ

午後ハルピン東駅に向かった。昔長距離列車は全てハルピン駅を起点にしていたが、最近はどこの都市でも同じように、東だ北だ西だ、と駅が分散している。我々がこれから向かう撫遠は中国最東端、ということか、列車は東から出る。

 

宋さんは節約を第一としている。これは私のとっては大変好ましいことだ。今回は昨年開通したばかりの地下鉄で行くという。その方がタクシーを拾う手間、渋滞を避け、しかも安いとか。地下鉄の駅までもホテルからそう遠くない。実に便利だ。

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駅は出来たばかりということできれいだし、またちょっとおしゃれな造りとなっている。鉄道駅の南駅から東駅までを結んでいる。切符の自動販売機は故障しており、係員から買う。4元。30分ぐらい乗っていると東駅に着いた。ここも比較的新しいのだろう。

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17時間の列車の旅

かなり余裕を持って出発したため、駅ではかなりの時間があった。我々は軟臥という一等寝台なので、専用の休息室があり、そこへ入る。そこには他の列車の乗客も含めて既にかなりの人がいたが、皆大きな荷物を席に置き、また3席分に1人が寝そべっており、座る場所が見付からない。すると駅員が大声で『荷物を卸せ、場所を空けろ、皆で座れ!』と命令口調で言う。日本の駅員なら至極丁寧に慇懃な態度を見せるだろうが、それでは誰も言うことを聞かない中国。このくらい言ってようやく席が空く。

 

外の混雑はこの部屋の比ではない。まるで26年前を彷彿とさせるような混み具合で、乗車のかなり前から長い列が出来ている。そして次々に列車が発車していく。それでも人は一向に減らない。

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いよいよ我々の番が来てホームへ人がなだれ込む。急がなくても席は決まっているのに、と思ったが、中には席の無い『無座』の切符を持っている人もいるのかもしれない。列車は27年前満州里へ行くために乗ったものとほぼ同じだった。緑の古ぼけた車両が何とも懐かしい。ただ中には一両が上下二段になっている車両もあり、そこが新しかった。

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我々の軟臥は4人部屋。実は参加表明が遅れたMさんはこの切符を手に入れられず、飛行機とバスを乗り継いで撫遠へ向かっている。ということは誰か知らない人が一人来るのである。その一人はオジサンだったが、上の段に登り、下りて来なかった。

 

中国最北端を行く(7)漠河 最北端の北極村へ

2月19日(水)

最北端の北極村へ

翌朝は宿泊客もいたようで、ビュッフェの朝食であった。と言っても出ている物は、粥とマントウ、トウモロコシなど。それでも広い宴会場で食べる方が部屋で食べるよりははるかに良い。

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そして今回の主目的である北極村へ向かう。北極村は漠河から60㎞離れたロシア国境の村。中国最北端の村という売り文句で、観光地化されていると聞き、どのようなものか見に行った。一昨年整ったという一直線の道。まさにこの村の為にできたようで、曲がりがない。雪が積もる両脇、きちんと雪かきされて快適なドライブだった。

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北極村はテーマパークではあるが、その面積は相当に広い。とても歩いては回れない。我々以外に何組か、中国人観光客が来ていたが、全て車で移動し、ポイントで降りて写真を撮る。札幌雪祭りのような雪のモニュメントがあり、黒龍江に沿って、置かれている。

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一番のポイントはやはり河向うにロシアを見ること。勿論河は一面氷ついており、向こう岸まで歩いて渡れる。河の中間近くまで行くと『この先国境線、旅行客は停まれ!』との表示があるが、時々その警告を無視して、線を越えて、向こう岸まで行く中国人がいるらしい。『この10年で10人ほどが撃ち殺されている』と説明されると、何といってよいか分からない。

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如何にも中国人らしい、ともいえるが、向こう岸には何もなく、誰もいないように見えるので、つい行ってしまう気持ちも分からなくはない。しかし実際にはロシア側には見えないように歩哨がいる。彼らはどこに潜んでいるのだろう、いつ中国が大量の人民を送り込んでくるか分からない、双方命がけだ。

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北極村は『中国でオーロラが見える場所』としても売り込んでいるらしい。冬はともかく夏は見ることが出来るのかと地元の人に聞いてみたが『生まれてこの方、殆ど見たことはない』という答え。オーロラを見ることはそう簡単ではないらしい。しかしそうなるとこの村を観光する意味はどこまであるのか、ちょっと疑問。

 

帰りに金山の跡にも行ってみる。ここは1860年頃金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こったところ。この時期は清国が弱体化し、ロシアに押されていた時代。金鉱により、人口が増え、国境の守りにもつながったらしい。李金庸という人物が顕彰されているので、彼がこの領土を守ったのかもしれない。この時期、山東あたりから多くの移民が出始めている。ここまで来たかどうか分からないが、とにかく人口の移動は重要な要素だと思われる。

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漠河、最後の昼飯。皆で美味しく食べる。小魚のフライが特に美味い。この北の果てで魚が美味いとは。やはり来て実際に見てみなければわからない。でも前回モンゴルに行った時もセレンゲで食べた魚の燻製はとても美味かった。刺身を食べようとしなければ、その土地ごとに、美味しい魚料理はあるということか。

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黒河経由でハルピンへ

そしてとうとうお別れが来た。ギリギリの時間に空港に行ったが、まだゲートは開いていなかった。基本的に便数が少ないので、みんなギリギリに来て乗る。まるでバスのようだ。飛行機へは歩いて向かい、タラップを上がる。漠河は僅か2泊3日だったが、何となく感慨深いものがある。

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フライトは着た時とは逆ルートで、黒河経由で戻る。行きは機内に閉じ込められたが、帰りは早く着き過ぎたようで、待合室へ。と言っても何があるわけではないが、ここで乗る乗客の到着を待っている。飛行機に戻る時、でっかい夕陽が沈んだ。

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ハルピンに戻ると、とっくに日は暮れており、夜になっていた。また3日前の道を同じホテルに戻る。ここに大きなスーツケースを預けて、起点として活用している。だが今日の部屋はなぜか狭かった。

 

中国最北端を行く(6)漠河 農林業の現状は厳しい

大火災のあった街

部屋で暖を取っていると、ドアがノックされ、朝食が届けられた。何と宿泊客が少ないため、朝食ビュッフェは開かれず、食事が部屋に届けられてきた。マントウに茹で卵、とにかく暖かいものを腹に入れたかったので、夢中で食べた。体力の消耗には食事も有効だ。

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それにしても泊まっている人が殆どいない。何故こんなところにホテルを作ったのかと思ったが、このホテルは杭州で訪ねたことがあるホテル集団の所有だった。ここだけではなく、海南島などリゾート地に物件も持っていたが、この北の果てを投資先に選んだ理由は分からなかった。勿論夏はそれなりに人が来て、採算は合うのだろうが。

 

朝食後にホテルを出た。先ずは松苑と言われる公園に行く。ここには松林が茂っているだけだが、なぜ来たのだろうか。実はここに漠河の歴史が詰まっていた。1987年5月、大興安嶺一帯では大火災が発生し、何とここ漠河はこの松林を残して、街ごと全焼してしまったという惨事があった。

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何故この街が整然と作られているのか、その理由も良く分かる。古いものは全て焼けてしまったからなのだ。そして歴史の偶然か、まさにその火事の時、私はハルピンからロシア国境の満州里を目指して、鉄道に乗っていたのだ。車掌から火事の話を聞いても、正直ピンと来なかった。そんな大規模な火事がある、ということを日本しか知らない私には理解できなかったのだ。

 

その後宋さんの親戚のお世話で県庁を訪問。副県長さんと会う。まだ比較的若い官僚だが、中国では普通。日本が年寄り過ぎるんだ、と思う。しかもジャージ姿で親近感が持てる。勿論突然訪問したこちらが悪いのだが、それでも会ってくれるところが良い。

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この地域の産業は残念ながらあまりなく、ロシアとの往来も意外なほどないということが分かる。続いて商務局も訪ねたが、商務というものがあまりない。外資系企業を誘致するなどという発想もあまりないのだろう。ロシアとの貿易を聞いても、『ほとんどない。あるのは木材だけだがそれも・・』という感じ。書店に行っても統計資料すらない。

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昼は清真火鍋屋へ。これもあっさりしていて美味しかった。ただ真冬の漠河、野菜は決して多くはない。きくらげ、豆腐、などが入ってくる。スープの味は良く、寒い中ではとても温まる。

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農林業の現状

午後は昨日周囲だけ回った家具工場へ行く。宋さんの親戚のオジサン、なかなかの実力者で、案内を買って出てくれた。『大興安嶺神州北極木業』という会社の子会社が、この家具工場の名前。何だか大仰な名前だが、やはりこの辺の木材を使って家具を作る会社だった。

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オフィスは木目調の立派な造りだった。だが責任者に話を聞くと、『今年からこの辺の木を切ることは法律で禁止された。ロシアから材料を入れるのも苦労している。先行きは不透明だ』と暗い表情。確かに安い材料と加工賃でやってきた工場にとって、既にコストは高くなり過ぎなのだろう。

 

次にブルーベリー飲料工場へ。野生のブルーベリーを使っているということで、農業関係のMさんは興味津々。正直ブルーベリーが野生で生えていても、それを産業化するほどとれるとはとても思えない。だがこの工場では季節性の強い野生のブルーベリーを集め、飲料を作っているという。Mさんの商売から見えれば単位未満だし、安定性もないというが、野生のブルーベリーの質は高い。

 

ここではキノコを使った菌茶というのも作っていた。正直味は、うーん、であるが、様々な工夫はされている。生き残るには何でもしないといけない。漢方系飲料、健康には良いということだったが、その効果はいかほどか。

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また広い敷地には立派なログハウスがいくつも建っていた。夏の間泊りに来るお客の為に作ったらしいが、これはとてもよさそうに見えた。是非夏に来て泊まりたい。いや、冬でも室内が温かいのであれば、何もしなくても滞在していたいような雰囲気を持っていた。こちらの方がビジネスになるのでは?これも木材が調達できなければ作ることはできないということか。

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実は案内してくれたオジサンはこの付近で林業を行う林場と呼ばれる生産集団の責任者の一人だった。林場というのは、昔の人民公社のようなものか。この街の林業が変わっていくということは林場の役割が変わるということであり、そこでは働く人々の仕事に大きな影響があるということ。

 

この林場では、新たな試みとして、きくらげ栽培を始めていた。余っている土地の倉庫を使い、きくらげを育てている。きくらげなら室内栽培であり、温度管理などを行えば、育てられるらしい。とは言っても基本的には春から夏にかけて、外で作るようで、その枠組みが途中まで出来ていた。

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この事業は街の事業であり、500万元を投資して、きくらげやキノコを栽培し、林業からの転換を図るというもの。オジサンは責任者として、この事業に賭けるという。うまくいくことを願っている。夜はオジサンが地元料理に付き合ってくれた。親戚に大学教授がいる、というのは何かと便利。今後ハルピンで相談する相手が出来たと喜んでいた。

 

中国最北端を行く(5)漠河 零下37度 早朝死の彷徨 

3.漠河

客のいないホテル

車で市内へ。特に何もない道を行く。すぐに街に入った。街が異常にきれいで、街並みが揃っている。何だか不思議だ。この辺ではいいホテルだという金馬飯店に入る。確かにいいホテルだったが、人気は全くない。

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直ぐに昼飯へ。N教授が『魚が食べたい』というので、頼んでみたが、これがなかなか美味い。氷を割り、その下を泳ぐ魚を釣ってくるのだという。脂が乗っていた。熊の肉も出てきた。この辺でも珍しいらしい。豆腐も美味い。この北の果て、食事には問題がないことが良く分かってホッとした。辺境ではあるが、ここには少数民族はいない。ロシア人もいない。純粋な漢民族の街なのである。

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食後、先ずは鉄道駅へ行った。ここは中国で一番北にある駅だという。一日1便が通るらしい。貨物駅としてそこそこ機能しているようだが、正直景色は寂しい。ここからロシアへ繋がっていれば貿易なども生まれるのだろうが、残念ながらこの先もう1つの駅で途絶えている。漠河の位置づけが、ロシアではなく、中国国内に向いていることを示している。

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家具工場突撃

石炭を積んでいる場所へも行ってみた。未だに石炭の採掘はあるが、価格が大幅に下落しているので、採算は合っていないように思われる。夕暮れ時、黒々とした石炭が積まれている光景は異様。雪も積もっており、下は凍っていて滑る。

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運転している宋さんの親戚に『この辺に企業はないか』と聞いてみたが、うーんと首を捻る。そして、そういえば、という顔で車を進める。車はランドクルーザーである。そして暗闇の中、工場の前に着いた。いきなり中へ入れろ、というと、警備員がどこかへ電話し、『既に工場は閉まっている。車で回るだけならよい』ということで、1周した。木材が積まれており、どうやら家具工場らしい。この辺で切り出された木材で家具を作る、ということか。

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夜はとても静かなホテルで熟睡する。そして翌朝の夜明け前を狙い、5時半に起床。いよいよこれまで体験したことのない、寒さの中に踏み出してみる。

 

2月18日(火)

零下37度 早朝死の彷徨

外へ出るとまだ暗い。そして思ったほど寒くはない。勿論ダウンの上にオーバーコート、下にはズボンの上にオーバーズボン、靴下を重ね履き、そして足先ホカロンも入れて完璧な服装だった。

 

『夜明け前が一番寒い』という言葉通り、息は白いを通り越して、メガネは曇って見えない。デジカメは最初の10分で電池が凍結、動かなくなる。大通りには結構人影があるが、どうやら全て観光目的の人だ。地元の人は敢えてこの時間に外出はしない。

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20分ぐらい歩いて行くと、かなり疲れてきた。Mさんからは何度も『20分歩いたら、戻るのにも20分かかることを計算して歩いてください。ハルピン氷祭りに来る日本人に何度言っても守らずにヘロヘロになる人がいます』と言われ、分かっているつもりでいた。それでも人間は、頭でわかっていても『もう少しは大丈夫』などと思ってしまうもの。

 

戻ろうと思った時には、既に頭の思考が止まりかけていた。今来た道をただ戻るだけなのに、ホテルの場所が分からなくなる。周囲の人は外から来た人で聞いても分からない。体はどんどん疲れてきて、頭はどんどん重くなる。道はシンプルなのに、間違ってしまう。N教授が言う方向が正しかったのだが、冷静な判断力もなくなっていた。

 

歩き疲れてホテルにたどり着いた時、既に50分が経過していた。完全に時間オーバーだった。私はまだよかったが、N教授は『もう少しで死ぬかと思った』と声も絶え絶えだった。特に足先がやられていた。急いで足先ホカロンをつけると、血の気が戻ってきた。北京でHさんに教わったこと、これがどれほど役に立ったことか。先達は必要、ということだ。

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デジカメも壊れたかと思ったが、暖かい部屋の中で徐々に回復してきた。完全に電池が固まってしまったようだ。人間もカメラも、これだけ寒いのは想定外だということ。改めて自然の怖さ、寒さの恐ろしさを体験してしまった。

中国最北端を行く(4)ハルピン プロペラ双発機で行く

2.ハルピン

アレンジなし 波乱の幕開け

ほぼ定刻にハルピンに着いた。ハルピンへ来るのは何と27年ぶりだ。当然空港のイメージも違っている。というか、そもそも全く記憶がない。空港には宋さんが迎えに来てくれた。宋さんは黒龍江大学で日本語を学び、その後日本にも滞在するなど、日本語は流暢だった。A大にも3か月滞在したご縁で、今回のアレンジをお願いしていた。

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車の中で今回の旅程の話になったが、何と宋さんは面談などのアレンジをN教授がするものと思っていた。完全な勘違いであった。だが私などは、アレンジが無くても行けばよいと思っているし、N教授も、何か手がかりでもあればいい、というスタンスだった。勿論宋さんはここから猛然とアレンジを始めた。でも地元ハルピンならまだしも、自分も行ったことがない場所のアポを取るのは大変だ。

 

ホテルは空港から30分ぐらいの、黒龍江大学の近く、宋さんの家の近くに取られていた。我々は明日から飛行機に乗って他の都市へ行くので、ここは都合がよい。ホテルはかなりきれい。今回は費用の関係でN教授と相部屋をお願いした。大変助かった。

 

飛行機で夕飯が出なかったため、近所に食べに行く。ホテルの向かいの餃子屋さん。東北の水餃子はいつ食べても美味い。この店のオーナーは最近日本に旅行に行ったとか。『何しろ日本はどこへ行ってもきれいで驚いた』と。現在の気温は零下15ぐらい。北京より10度以上低いが既に色々と着込んでおり、それほど寒く感じない。と言ってそれほど長く外を歩いたわけでもないが。

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2月17日(月)

空港へは旅行社の無料サービスで

今朝は漠河へ行くため、空港へ。ハルピンの天気は良いが、冬のせいか、空気はかなり悪い。石炭で暖を取っているのだろうか。昨年ハルピンでもPM2.5騒ぎが起こり、3日間ほど前が見えないほどの事態となり、学校閉鎖や交通機関の乱れがあったと聞く。もし今日飛行機が飛ばなかったら、どうなるのだろうか?

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宋さんが迎えに来てくれ、車で空港へ。この車、何とチケットを購入した会社よる送迎サービスだとか。これは有難い。旅行会社は普通の白タクを使い、客を送迎している。今回我々のチケットはかなり高かったため、このようなサービスが付いたのだろうか。

 

空港は乗客でごった返していた。我々が乗る航空会社の名前がすごい!OKエアーは聞いたことがない。何とかカウンターを見付けてチェックインする。まだ出発には時間があったので、レストランに入る。どこの空港でも同じだが、こういう場所の料金はべらぼうに高い。一人最低消費は58元。お茶一杯も58元。だがビールは30元しか取れないので、N教授に他にも頼むよう命令が下る。スイカの種、これも30元?すごい。

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そこへもう一人の参加者、ハルピン駐在のMさんが加わる。企業駐在員だが、N教授との関係もあり、今回自らの駐在する黒龍江省内ながらまだ行っていない場所なので参加したらしい。我々が行く場所は商社の駐在員でも行かないような場所だと分かり、益々興味が湧く。

 

プロペラ双発機で

いよいよ搭乗。まだ雪がかなり残る空港を歩く。今日乗る飛行機は50人乗りのプロペラ双発機。プロペラは久しぶりだ。座席は2人ずつ、荷物の収納スペースは狭い。CAのお姐さんも厚手のコートを着込んでいる。乗客はほぼ満員。皆どこへ行くのだろうか?

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空は快晴で青い。上空へ上がると気持ちほどの光と雲が広がる。そして下もよく見える。雪や氷がうっすら見える田畑。こんな風景がずっと続く。1時間後、黒河へ降りる。ここで半数以上の客が下りた。黒河はこの付近の中心都市、商売などもあるのだろう。私も降りてみたかったが、すぐに出発ということでタラップを降りることも写真を撮ることもできなかった。そしてまた客が乗り込んできた。黒河から漠河へ。観光だろうか?

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更に1時間強で漠河へ到着した。とうとう中国最北端へやってきた。天気は晴れ、眩しいほどに明るい。雪が光を跳ね返す。空港にはかなりの雪が残っている。空港には宋さんの親戚だという若者が待っていた。宋さんが若い頃、同じ地域に住んでいたらしい。30年ぶりだと言いながら『一目でわかったよ』と手を握る。ここからドラマが始まる。

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中国最北端を行く(3)北京 ウイグル料理を堪能

2月15日(土)

ウイグル料理

今日は朝から馬連道へ。馬連道といえば普通はお茶市場へ行くと思うのだが、実は違っていた。ここに新疆の兵団レストランがあるという。面白そうなので後輩のKと出掛けることに。ところが地下鉄で現地に向かっている途中、短信が入る。『体調が悪いので昼は勘弁を』ということで、一人で突撃。

 

北京も地下鉄が沢山出来てきたので、どれに乗ってよいか分からない。が、以前は地下鉄では行けなかった馬連道の近くまでは電車が通っている。地図で確認して行ってみたが、ちょっと乗り間違えて、かなり歩く羽目に。よく知らないと北京は広いので要注意だ。

 

兵団とは日本でいえば屯田兵。中国建国後、新疆に引き続き駐留した軍隊で、平時は農業などに従事する。新疆でのその規模はかなり大きく、ある街では街の行政と同じ規模であったりする。今や漢族の新疆政策にも関わっているかもしれない。

 

レストランは兵団大廈の1階にあった。そしてきれいであった。イメージはちょっと違う。兵団は北京に不動産を持っていたのだ。ただ店内には人影がなかった。時間が早過ぎてまだやっていなかったのだ。ウエートレスが一人いたので聞くと、座っていていいという。特に急いでいないが、一人で長居するような場所でもなさそうだったので、ラグメンを頼み、食べて出てきた。

 

休日なので開店前から人が来て、注文を開始。皆、串羊肉を頼み、美味しそうな料理を頬張っている。勿論一人で来ている者などいく、家族か友人とだった。子供たちもいる。楽しそうだ。確かに兵団のイメージとはちょっと違う。一応本格的な新疆料理として、この辺では有名なのだろう。

 

お茶でも見ようかと思って、メインビルに入る。ここは10年以上前に時々来た場所。今ではこのビル以外に6‐7の茶城があるらしい。それ以外にも周辺には沢山の茶荘があり、どこに入ってよいかも分からない。メインビルも殆どお客は歩いていない。今日まではまだ正月気分、中には店を閉めているところもある。

 

2月に紅茶の会でお話することを思い出し、正山小種を見て回る。このお茶はイギリスではラプサンスーチョンという名で今でもファンが多いが、中国人にはあまり好まれない。何故ならこの茶の特徴は、松の木で燻して作るため、その煙のにおいがきつい。そこで最近紅茶を飲むようになった中国人向けに、この燻製を弱くして茶を作っている。

 

この茶城を歩いていても、現在では中国人向け正山小種しか見つからない。何故ならこの方が売れるし、また作るのが簡単だからだ。現在の中国の茶作りでは無理して面倒はしない。ようやく匂いが強い茶を発見したが、値段はかなり高い。手間がかかっているので仕方がない。今はそんなものだ。

 

それから国貿3期まで戻り、マスコミ関係者S氏と会う。彼は精力的に活動しており、仕事の他、別の勉強、本の出版など、あまりの忙しさに疲れ果てていた。偶には気分転換もいいのでは、と夜の新疆料理会食に誘った。

 

夜は西二環路外の新疆レストランで、同窓生と会食。そこに有名ライターC氏も合流、更には道に迷いながらS氏も到着。皆で美味しい新疆料理を堪能した。昼間のうっ憤を晴らした形だ。このレストランもお客にウイグル人はいなかった。

 

2月16日(日)

文革運転手

今日はハルピンへ向かう日。午前中は原稿整理などをして過ごし、昼は昔馴染みのOさんと食事。彼女とは留学時代からの腐れ縁だが、その息子レオが大きくなっているのにビックリ。まあ5年も経てば当たり前か。ずっと中国にいるレオだが、中華料理よりはハンバーガーなどがいいらしい。そこはアメリカンとのハーフ、それもいいか。

 

ホテルへ戻り、タクシーで空港へ。市場の前から拾ったのだが、運転手がとても親切。運転席の横のライセンスを見ると、名前は『文革』。やはり1966年の生まれだという。彼は言う、『生まれた年から色々なことがあった。そしてタクシーの運転手になったが、いいことはあまりない。それでも生きているからまあいいか』。さすが文革氏、言うことが違う。

 

空港でN教授と落ち合った。そしていよいよハルピンへ。エアチャイナを予約したつもりだったが、搭乗してみると、大連航空と書いてある。エアチャイナの系列なのだろう。ただサービスは違っている。食事は出ずに、パンだけが出た。

中国最北端を行く(2)北京 動かなくなったPC

ホッカイロ

夜は雲南料理のお店へ行く。カメラウーマンのSさん、ライター兼編集のHさん、胡同に住むライターTさんと一緒に食事をした。このメンバーは、実はある雑誌に寄稿している仲間で繋がっている。これも面白い。

 

私がこれから厳冬の黒龍江省へ行くというと、Hさんが『私も以前取材で漠河に行ったことがある。零下40度の中、トナカイを見に行って寒かった』という。えー、こんなところに私がこれから行こうとしている場所を知っている人がいた。さすが多彩なメンバーだ。実は昨日の夜、この漠河について初めて検索した。すると『現在の気温零下41度』とあるではないか。寒いとは思っていたが、想像を絶する。そして私は、それに対する服を持っていない。

 

Tさんは友人にもらったというオーバーコートをわざわざ持ってきてくれた。これをダウンの上から着るとよいらしい。そしてズボンはスキーに行くオーバーズボンの購入が必要だという。実は私はスキーをしたことがなく、全く思いも付かなかった。なるほど。

 

そしてHさんは『ガードすべきは足の先』と。食事後、セブンイレブンに連れて行ってくれ、足先を温めるホカロンを購入した。勿論通常のホカロンも合わせて購入。今や北京でも簡単にホッカイロが手に入る。素晴らしい!今晩の会合が無ければ、漠河で私はどうなっていただろうか?必要な人は必ず現れる、私の座右の銘?

 

2月14日(金)

PC壊れる?

朝起きてPCを立ち上げようとしたが、うんともすんとも言わない。電源も入っている。何故だ?ここで壊れたら、黒龍江省はどうなる?頭に色々なことが過る。どう見ても北京で直さなければならない。2₋3の友人に電話してみたが、とにかくどこかに持ち込み、チェックしてもらうことだ、となる。

 

そして思い出した。北京で日本人相手にPC修理をやっている会社があったことを。どこにあるんだっけ?と考えてみたら、なんとなんと、今泊まっているところから見えるところにオフィスがあるではないか。これは『そこへ持ち込め』という啓示に他ならない。

 

いくらぐらいかかるだろう、そもそも治るのだろうか、などと考えながら9時過ぎに行ってみる。受付の女性は日本語を話したが、私の症状を見てすぐに専門の人を呼んだ。彼は私のPCをちょっと見て、すぐに装着されたバッテリーを取り出し、また入れた。すると何のことはない、ちゃんと立ち上がるではないか。

 

日本人の女性が『たまにあるんですよ。フリーズですかね』と笑いながら言う。そしてお代は要らないとも。全てが杞憂だった。だが知らなければ何も解決できない世界。彼女に聞いてみると『最近間違いなく北京の在住日本人は減っている。そして企業からの受注も減りつつある』と。中国でのビジネス、皆厳しいことが分かる。環境のせい?反日?それとも?

 

秀水

何事もなかったようにホテルにPCを置き、秀水に向かう。ここは15年前屋外の露店商が並ぶ場所だったが、その後ビルの中に露店を押し込めた。特に偽ブランドで有名。日本人は眉をひそめるが、安くて何でも揃う、という点では便利この上ない。いつも多くの外国人、特に値段交渉の厳しい韓国人と甘い欧米人が来ている。

 

1つずつは実に小さな店が何百軒も連なっており、売り込み競争も激しい。若い女性の売り子が歩いているとどんどん声を掛けて来る。どの店が良いかはフィーリング、というか、彼らの底値さえ大体分かれば、どこでも大差はない。先ずは欲しい商品を見つけ出し、大体の値段を理解した上で適正な料金で買う、ということになる。

 

オーバーズボンは北京でもあまり履かないらしく、なかなか見つからない。何とか見つけると、薄目と厚目がある。零下40度というと厚目を勧められたが、果たして履く機会があるのだろうか。念のためにひとつ購入。それと帽子は必須。これも1つ購入。

 

ランチは建外SOHOへ。日本食レストランオーナーTさんの店で食事。この店、以前は日本の中華屋さんが入っていたが、そこを居ぬきで借り、結構成功しているらしい。素晴らしい!だが我々の話題は北京でもなく、中国でもない。マレーシアなど東南アジア。北京10年で飽きてきたTさんにとってアジアは次の大きなフィールド。さて、どうなるだろうか?