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北京寄り道散歩(5)銀行口座は解約できず

その後はケリーセンターへ行き、久しぶりにKさんに会う。Kさんは台湾茶芸の専門家であり、台湾で習ったその茶芸の優美さでは日本人でも指折りだった。が、今回会ってみると、『ワインに嵌った』とかで、ワインエキスパートなる資格を取ったそうだ。『お茶はもうやっていない』という。寂しいがこれも現実。将来はワインソムリエだろうか。こだわりの強い、とことんやり抜くKさんの気性からして『極めるだろうな』と思う。そのKさんも『来年子供が海外の大学へ行けば、自分も北京を離れるだろう』という。そう、どうしてもいる必要のある人だけが残る街、北京になるのだろう。

 

一度ホテルに戻り、荷物を置いてまたまた東直門へ向かう。今日は先日北海でお世話になったZさん主催の集まり。ところが前日になりZさんより『体調不良につき、明日は欠席』との連絡が入る。残念。まあ、残りのメンバーで楽しくやるか。東興楼、老舗っぽいがきれいな店舗だった。

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Zさんの代わりに会をし切るのは、先日福岡のお茶会にサプライズで参加してくれた丁未堂さん、版画家。私の茶旅ロゴを消しゴム判子で作ってくれた人でもある。Zさんが福岡移住を目論んでいる関係で九州関係者が集まった。そして何と欠席のはずのZさんがマスクをしてやってきた。『今日はあまりしゃべれない』とのことだったが、始まってしまえば、どんどんしゃべる。博多の美味い飯の話で盛り上がる。この店の料理も美味しかった。

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10月21日(火)

銀行で

北京最後の日、夜にはバンコックに帰れるので、敢えてネットにはこだわらず。荷物を纏めてチェックアウトして、大きな荷物はホテルに預けて、口座を保有する銀行に向かう。銀行は以前息子が通っていた大学近くにある。彼の学資をこの口座に入れて、キャッシュカードを渡し、彼が必要に応じて使ってのだが。彼は帰国前に何とそのカードをATMに吸い込まれてしまったらしい。慌てて銀行に泣きつくも、『名義人本人以外再発行できない』と冷たく言われ、そのまま口座を放置して帰国していた。

 

まあ、時間もあることだし、ちょっと寄ってみようという感じで銀行を探し当てた。地下鉄10号線から4号線に乗り換えたのでかなりの時間が掛かった。懐かしい場所に戻った感じだ。銀行に入りフロアーの人に事情を説明すると『再発行には1週間かかる』というので『口座を解約したい』というと、それもカードを貰ってからしかできないという。ここで引き下がる訳にはいかないので、自分が外国人で、すでに北京には住んでいない事情を切々と伝えると責任者の女性が出てきて、今晩のチケットを確認の上、『対応する』との返事をしてくれた。以前に比べて実に柔軟性のある対応だった。

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パスポートを出して、手続きを待っていると、彼女が『パスポート番号が違う』という。確かにこの口座は4年前に作ったもので、2年前にパスポートを切り替えているのでその旨伝えたが、『古いパスポートを持参しない限り手続できない』という。既に彼女とはかなり仲良くなっていたので、笑いながら『どうしてもできないか』と聞くと、『大使館で古いパスポートの人物があなただと証明できる書類を作ってもらえば対応可能』とまで折れてきた。だが今から大使館に行き、戻る時間はさすがにない。万事休す。

 

せめて残高だけでも知りたいというと、特別に処置してくれ、息子の記憶通りの残高を確認した。この額が非常に微妙で、『もう一度ここまで来て、また同じやり取りをしてまで取りたい額か』というと迷う水準である。まあ、まずは東京の家に古いパスポートが残っているかどうかを確認するのが先か。

 

お引き合わせ

それから地下鉄4号線に乗り、動物園駅で降りる。実は先日会ったTさんは中国の古い映画が好き、ということで、映画に詳しいWさんを紹介したところ、すぐに連絡を取り合い、今日の昼に会うことになったという。一方私は昔一緒に働いていたS君と元々ランチの約束をしており、この出会いには立ち会えないと思っていたが、彼がヨーロッパ出張から戻り切れず、キャンセルとなったことから、急遽ランチに参加することになった。

 

Wさんが勤める出版社まで歩いて行く。何だかこの辺りは昔の雰囲気を残しているが、それも徐々に再開発されてしまうのだろうか。Wさんと会うのは久しぶり。最近は色々と忙しいらしい。TさんもWさんの映画の知識には驚いていた。私から見ればTさんも相当に映画を見ているように思える。マニアである2人の会話にはほぼついていけない。何しろ私は映画を見ない人なのだから。食事はWさんの勤務先の食堂、そして食後のコーヒーも社内のサロン。こんな体験も面白い。

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帰りはTさんの車に便乗し、途中から地下鉄でホテルに戻る。ホテル前で大きな荷物を持ってタクシーを待ったが、なかなか来ない。先日の渋滞を想定して、早めに出たのだが、タクシーが見付かるとすぐに空港に着いてしまった。まあ、もう私の心はバンコックに飛んでいた。ああ、あの愛すべき私の北京はどこへ行ったんだ?次に来ることはあるのだろうか?心残りは銀行口座の解約だけ、というのが何とも悲しい。いや、まだ沢山の友人たちがここにいる。また来よう。

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北京寄り道散歩(4)朝7時にスタバに出勤したが

10月20日(月)

朝からスタバへ行くも

翌朝はWiFiが繋がり、VPNも機能する、昨日のスタバに朝7時に出勤した。というのはここのスタバが朝7時開店だったので、開店を待って入店したのだ。こんな体験は初めてだが、意外や既に数人がコーヒーを飲んでいた。土地柄、白人もいるし、中国人のサラリーマンもいた。

 

珈琲を買い、パンを買って席に着く。ネットは順調に立ち上がり、何の問題もなかったが、何とVPNは機能しなかった。『え、それじゃ話が違うじゃん、何のために早起きしてスタバに来たと思ってんだ』などとほざいてみても、何ら解決にはならなかった。1時間以上待って再度トライしたが無駄だった。今日は頑として受け付けない。昨日は週末で大使館に出勤する人がいなかったから?いや、大使館なら独自のサーバーでやっているはずだから、関係ないか。じゃあ何なんだ。

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完全に使えないと分かっていれば、諦めもつくが、こういう中途半端さには本当にイライラが募る。北京に住んでいたら、気が狂いそうになるのではないだろうか。周囲の人間は誰も叫び声をあげる訳でもなく、淡々とスマホに向き合っているが、これは微信か微博をやっているのだろう。中国人は完全に海外との接触を止め、中国国内でのコントロールに従っているように見える。確かにこれならストレスもない。

 

中国人と連絡を取る時もEメールなど出しても返事は来ない。『微信やってないと、連絡できない』などと言われてしまう。この統制感、半端ない。辛うじて携帯の短信が出来るので、何とか繋がることができるが、日本の携帯だとそれも出来ない?因みに今日会う予定の人と最終的な連絡ができていなかった。きっと向こうはメールを入れていると思うが、見ることが出来ない。その人の携帯番号も知らなかった。どうしようか?共通の友人を思い浮かべて朝から電話して、電話番号を聞き出し、事なきを得た。本当に困ったことだ、油断大敵。

 

諦めて帰ろうとすると、向こうから知った顔を歩いてきた。何と土曜日のセミナーで司会をしてくれたKさんだった。何という奇遇、ここで会うとは。ちょうど近くに用事のあった彼は、偶々時間潰しにここにやって来たらしい。事情を話すと『私のPCでやってみましょう、いつもはできるので』というので、もう一度店に入る。だが、ダメだった。Kさんは何度も首を捻り、トライしたが、VPNは機能せず、Googleは遥か彼方の遠い存在になっていた。『本当にイライラするし、研究上で必要な検索を掛けても、繋がらないことが多い。本来中国関係の研究をするなら北京がよいはずだが、行き先を真剣に考えなければいけない』とため息をつく。北京は本当に住み難い街になった。

 

それから知り合いの弁護士さんに会いに行く。途中に別のスタバがあったので、事情を話してコーヒーを買わずにネットを使わせてもらった。だがここではネットの接続自体が難しかった。『信号、不好』と言われたが、これではどうにもならない。

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弁護士事務所へ行き、秘書にそのことを話すと『うちのネットで繋いでみて』と言われたので、パスワードを入れると、何と高速で繋がり、VPNも機能した。これで今日の約束の場所を確認した。何で場所によってこんなに違うんだろうか?弁護士さんの中国法務最新事情もとても興味深かったが、できればここでずっとネットをやっていたい衝動にかられた。

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ランチは2倍に

昼は古巣の長富宮へ行く。お知り合いのSさんに会いに行ったのだが、ここではVPNは機能しないそうだ。如何にも古めかしいビルらしい。そしていつものように2階のさくらで食事をする。駐在中は本当によく通ったものだが、その時と比べると、質的にはむしろ落ちているのに、定食が20元ほど値上がりしている。更には為替の影響もあり、以前は日本円1000円程度で食べていたのが、今や2000円のランチになっている。これが今の日中の実態をよく表している。今ではSさんにご馳走にならないと食べられないほど高く感じる。

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そのせいか、以前は日本人駐在員がランチを食べている姿が目に付いたが、今ではほとんど見かけない。中国人のお客さんが、昼から刺身の船盛を食べ、日本酒を飲んでいたりする。子供連れでも豪勢な食事を取っている。本当に日本人の位置づけが変わっていると感じる。このビルに入居しているのは殆どが日本の会社なのだが、駐在している人が日本人から中国人に変わっている面もあるようだ。今回も昔から顔見知りの日系証券の所長と私の後任の所長が食事をしているのに出くわしたが、2人とも元々日本人ではない。そういえば私の相手のSさんも中国人だ。世の中はどんどん変わっていく。

北京寄り道散歩(3)表現できない違和感

スタバで李さんと

昼は過ぎていたが、何だか中途半端だった。今日の午後は休みのはずだったが、昨日のセミナーで東京から偶々里帰りしていた李さんと出会う。東京のある会で2度程会ったことがあり、私のお茶会にも来てくれたことがあるが最近はご無沙汰だったため、昨日突然目の前に現れた人が一瞬誰だか、分からなかった。その李さんから、『会いましょう』との誘いがあり、会うことになった。このようなご縁も面白い。

 

待ち合わせ場所を思い付かなかったので、ケンピンスキーホテルとした。少し早いが外へ出て軽くご飯でも食べようと思った。ちょっと歩くとスタバが見えたので、取り敢えず入ってみる。カフェラテを注文して席に着き、PCを立ち上げる。スタバはフリーWiFiだから良い。しかし驚いたことに、VPNが機能した。忽ちGoogleもFacebookも目に前に現れた。これは嬉しかった。明日の待ち合わせ場所や約束、メールの返信が自由に出来た。初めて北京で自由を謳歌した。この機会を逃してはいけない、李さんに連絡して、待ち合わせ場所を変更した。そしてサンドイッチを追加して、席でPCに熱中した。

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李さんとも色々な話をした。北京出身者の李さんでも、最近の北京にはかなり違和感があるようだ。ご家族の関係もあり、中国に戻るという選択肢はないようだ。しかし日本は本当に良い国だろうか。『日本はこれまでとても良い国であり、それが維持できれば今後もよい国だろう』というのが、結論ではなかったか。

 

また中国については『これ以上膨張することは難しい国。だから人々は海外へ逃げていく。これも古来からの慣わし。ただいつの時代にも逃げ出せない人々がいる。為政者と奴隷、これが中国の歴史的な基軸だ』とも。

 

日本で中国語を習い人がどんどん減っている。中国に旅行に来る人も最近ほとんど聞かない。ある意味で日本人は単純なのかもしれない。もっと強かに生きていかなければ、今後の東アジア情勢、アジア情勢、世界情勢に飲み込まれてしまうかもしれない。日本という国と日本人は一体ではない、と思うのだが、違うのだろうか。

 

旅好きの会

李さんと3時間も話してしまった。お土産にザボンをくれた。このザボン、冬の北京では毎日食べていた大好物。ホテルに持ち帰って剥いてみると、本当に良い香りがして、甘かった。そういえばバンコックでも常にザボンを売っている。北京とバンコック、共通点あるのだろうか。

 

そしてまた外へ出た。既に街は暗くなっている。バスに乗り東直門へ向かう。この区間をバスで走ったことはなかったが、仕事で通ったビル、マッサージに通ったビル、何度もレストラン、誰かが住んでいたマンション、と懐かしい風景が次々に出てきた。そして東直門のもの凄い人ごみ。北京はそれほど変わっていないのかもしれない。変わったのは私の心に方か?

 

指定されたレストランは、私が帰任後に出来たシンガポール系の立派なビルの中。店内もきれいでレストランもきれいだった。ここで北京料理を食べる。私は好きな物を一品だけ注文し、後は皆さんに任せた。

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今日は昔開催した旅好きの会の大姉御Yさんを中心にした会。ライターのTさん、写真家のSさん、料理大好きKさんなど、気が付けば完全な女子会に一人ポツンと座っていた。まあ、お茶会などでも参加者の殆どが女性、ということはよくあるので気にはならない。しかも皆さん、気心が知れているので、楽しく過ごした。

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旅行会社を経営しているYさん、『2年前から日本人観光客は殆ど来ない。日本人を当てにした商売などとっくにできていない。既に中国人の海外旅行に絞って、しかも団体ではなく、個人旅行の手配をしている』と。行先は日本ばかりではなく、タイでもバリでもどこでも付いていく、そうだ。今年は中国人の海外旅行者数が1億人を越える(但し香港だけで2000万人以上で、大半はアジアだが)。日本への受け入ればかりが話題となるが、中国から全世界への手配、これは大きな市場だな。

 

日本人の若者が海外へ行かない、と言われて久しいが、私がアジアを歩いていると多くの若者と出会う。勿論バブル期などとは比べ物にならないだろうが、海外へ行きたい、行ってみたいという人は必ずいる。ただ昔は中国を目指す若者が多くいたが、今は少なくなり、東南アジアが増えているということかもしれない。

 

帰り際にある人が『そろそろ潮時かもしれない。ずっと北京に住むと思い込んでいたが、限界が来るような気がする。ただ急に日本へ帰っても適応できるか心配だ』と言ったのが印象に残る。中国では言葉にいい表せない何かが確実に存在し、我々の居心地を悪くしている。これからも中国から引き揚げる日本人が増えるのは避けられない。

北京寄り道散歩(2)視界不良な北京

10月18日(土)

バックパッカーの会

翌朝はゆっくりと起き上がる。朝からネットが繋がらず、旅行記を書いた。10時過ぎにはホテルを出てTさんの家へ行く。Tさんとは25年来の付き合い、今年彼が北京赴任を果たしたので、訪ねていく。有難いことに自宅に泊めてもらえるとのことで、1泊お願いした。取り敢えず、1泊分の荷物をかれの部屋へ運んだ。この家、昔から何人もの知り合いが住んでいる古い場所。懐かしい。

 

すぐに崇文門へ向かう。地下鉄1号線、2号線と乗り替え、何とか辿り着く。そこから指定のレストランまで、意外と探すのが難しかった。北京の道は基本的に碁盤の目、だったが、偶に曲がった道などがあると調子が狂ってしまう。また近いと思っても歩くと距離があるのが北京の特徴。

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ようやく見つけた店は紹興料理、懐かしい「咸亨酒店」。魯迅の小説、「孔乙己」の舞台になった咸亨酒店から店名が付けられた。紹興にある咸亨酒店は1894年に魯迅のオジサンが開業したとか。そういえば北京には「孔乙己」という名のレストランが3軒あり、よく通ったものだ。これまた懐かしい。

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個室が予約されていたが、何と定刻に誰も来ていなかった。今日は北京のバックパッカーの会に呼んで頂いたのだが、皆さん、レストランが見付からず迷っていたとか。え、それでバックパッカー?と思わず突っ込むと『実は今日のメンバーはちょっと旅好きなだけで本物のバックパッカーはいない』とのこと。え、何で?

 

この会は主催者のNさんが3年ほど前に結成したものだった。私が6年前に結成?した旅好きの会、こちらは本当にディープな人が集まり、中国全省制覇した程度の生半可な人は放り出されたほどだったが。この会は随分と大人しい。まあ、それでも和気藹々、楽しく食事をした。今や旅好きの会の熱気が異常だったとしか思えない。

 

セミナー

2時にはここを出て、タクシーに乗り建国門へ向かう。今日は日本人会主催のセミナーに参加する予定で、しかもお話をしなければならないため、遅刻はできない。会場は賽特百貨店裏の高級マンション内にある、隠れ家的なプライベートレストラン。ワインを飲みながらフレンチでも食べる、と言った素敵な空間だった。

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既に主催者が集まり、順調に準備が進んでいた。開演の3時前には会場の席が埋まり、人が溢れた。私の話はありきたりのつまらない物だったが、第2部があり、そこでは北京で有名な人たちのパネルディスカッションが行われた。この人々を目当てに多くの人が詰めかけた様だ。

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北京という街は政治都市であり、また文化都市でもある。上海の方が日本人は遥かに多く住んでいるが、文化的な行事なら北京の方が人は集まる。それでも最近は日本人の数が若干減り、特に家族連れが減る傾向にある。以前駐在していた頃とは事情が違ってきているようだ。

 

そのまま、夜の部に移行し、ビュッフェパーティとなった。会場には顔見知りの人が沢山来てくれ、楽しく談笑した。定員40名とのことだったが、有料にもかかわらず、満員だった。ベランダに出ると夜風が爽やかだった。昨日も会った張さん旦那が鉄観音と白茶を皆に振る舞っていた。ワインを飲んだ後に白茶、いい組み合わせだった。

 

Tさん宅

パーティーがお開きになり、Tさん宅へ戻る。Tさんも別の会の関係で外出しており、いいタイミングで帰ることが出来た。昔話に花が咲く。何故かネットは繋がらない。不思議なくらい、ネットには嫌われている。Tさんの部屋は実にさっぱりしていた。余計な物は何もない、という感じ。スーツケース2個ぐらいでやって来てそのまま住んでいる、のではないか。もうある程度歳なのだから、それがシンプルでよい。

 

ただ映画好きのTさん、DVDや関連書籍はかなりあった。今日も映画好きの会を開いていたらしい。旧満州関連の研究もしており、かなりディープな感じが漂う。来月北京で開かれるAPEC、急に6連休になるとかで、アジアのどこかへ旅をしたい、と言われたので、バンコックを勧めたが、最終的にはチケットの関係などでホーチミンへ行ったようだ。

 

10月19日(日)

ホテルで朝和食

翌朝は6時台に起きてしまった。Tさんは日課のスイミングへ。私はすることもなく、ボーっとしていた。窓から外を見ると、やはりボーっと霞んでいた。北京の大気汚染の深刻さが良く分かる。実は今日は年に1回の北京マラソンその日。こんな中を走る人がいるのだろうか、と思ったが、翌朝の新聞では『毒ガスマスクをしては知っているランナー』などが1面を飾っていた。マラソンも命がけだ。因みに日本人参加者に聞くと、『参加料が高額で、しかも飛行機代まで払って、走らないで買える』という選択肢はないそうだ。まさに命がけ。

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朝食は近くのホテルで食べる。普通の朝食ビュッフェを食べるつもりだったが、何と『和定食』なるものがあったので敢えて頼んでみた。ウエートレスは一瞬『え?』という顔をしたが、そのまま注文を通した。しかし周囲の人々がどんどん食事を取り、どんどん食べる中、我々のテーブルには一向に食事が来なかった。まあ、急ぐ旅でもないし、ということで雑談しながら待った。

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かなりの時間が掛かって出てきた物は、確かに和食であったが、器は和ではなかった。焼き魚、豆腐、サラダ、ご飯とみそ汁。なるほど。最初は箸も出て来なかった。なかなか面白い。食事代はご馳走になったので良く分からないが、恐らく今の円安もあり、2500円位したのではないだろうか。またビュッフェより少し安いのかもしれない。北京の物価が上がったのか、円安なのか、何だかちょっと寂しい。

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それから部屋に戻り、また話し込む。11時過ぎにお別れして、また先日のホテルに戻りチェックインした。兎に角周囲が濃い霧に包まれており、心が沈む。北京に駐在する、ずっと住むのも大変だ。

北京寄り道散歩(1)新しくなった茶城

《北京散歩2014》  2014年10月17日-10月21日

 

10月17日(金)

ホテルで

フフホトへ行った帰りに北京で寄り道した。13日に東京から呼和浩特へ行く途中に経由した北京空港は目の覚めるような青空、まさに『北京秋天』だったのだが、今日は若干暖かいせいか、空は霧が掛かっていた。おまけに空港からタクシーに乗ったが、すぐに渋滞に嵌り、なかなか進まない。北京は秋が一番いい季節だが、こんな感じなら、あまり来たくなくなる。

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今回予約したホテルは燕沙のすぐ近くの大使館街だった。前回泊まったホテルがよかったのだが、既に一杯で取れなかった。やはり北京の秋は混んでいる。そしていいホテルはすぐに埋まる。そしてこのホテル、ネットは問題なくつながるのだが、VPNは作動しなかった。フフホトのホテルはサクサク繋がったので期待していたが、やはり北京は厳しい。

 

今晩は当初の予定がキャンセルになり、特にすることがない。そういう時はお茶屋さんへ行けばよいということで、張さんに短信を入れてみた。するとすぐに電話が掛かってきて、『実は先週子供が生まれたばかりで店にはいない』というではないか。2月に会った時はまだ兆候もなかったのか。時の早さを感じる。よく聞くと店番は旦那がしていること、店自体が移動していることを知り、取り敢えず、店に向かう。

 

バスに乗ったが、乗り間違えて次の停留所で降りて、また乗り直す。こういう時に北京のバスはいい。何しろカードを使えば僅か0.4元だから。ところが次に来たバスはちょっときれいだなと思っていると、何と2倍の0.8元した。それでも他のアジアの都市と比べても安い。東京など200円もするのだから、驚くべき違いだ。但しさすがに財政負担に耐えられず、もうすぐ値上げらしい。

 

新しい茶城

いつものバス停で下車して、言われた通りのビルを探す。以前の建物のすぐ近くに新しい茶城が出来ていた。茶城と言っても、下は宝石屋などで、3階になる。以前の建物は1階が骨董家具と熱帯魚屋という素晴らしい取り合わせだったが、今回この2つは別の場所へ移動したようだ。

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店舗は当然ながらすごくきれいになっていた。張さんの店などは、ドアが自動になっており、外からは開けることが出来なくなっていた。外から眺められるように透明のガラスなのだが、中へ入るには店の人がボタンを押す必要がある。店はなんとなく広くなっていた。以前のビルにあった店も大半はこちらに移転してきている。お茶屋はそれになりに儲かる商売なのだろう。

 

張さんの旦那は昔から鉄観音茶に嵌っており、鉄観音以外はあまり飲まない。それが今回訪ねてみると『お客さんから教わって白茶の良さに気が付いた。これからは高級白茶を扱っていく』という。確かに世の中は白茶ブーム、だが、それでいいのだろうか。まあ、売れる物を売らないと商売にはならないし、客が欲しい物を用意しないとこれまた商売にはならない。彼もその辺をわきまえた様だ。

 

確かに出された白茶は味わいがあった。だが安い物でも500gで、2万円以上した。高い物は500gで7万円。それでも中国人の好き物は買っていくらしい。どうかしているんじゃないだろうか、この価格。まあお金持ちの常連さんばかりを相手にしていれば、それでも成り立つのだろう。それで引っ越しもできる訳だ。子供も2人に増えたし、頑張らねばならない。

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一人ご飯で

色々と話し込んでいる内に暗くなってしまい、引き上げる。このビルも6時閉店は変わらない。皆店を閉め、トイレに行き、出口へ急いでいた。外へ出ると、ちょっと涼しい。フフホトと北京、あまり気温は変わらない。ローソンが近くにできていた。本格的に進出か。

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バスに乗り、三元橋を過ぎたところで、下りる。ちょうど懐かしい日本料理屋の看板が目に入ったので、寄ってみた。金曜の夜だが、お客はまばら。ママが寄って来て、『明日のお昼は食べ放題だから是非来て』という。日本円にして1200円ほどで食べ放題、どんなものだろうか。それにしてもお客確保が難しい様子が見て取れた。

 

フフホトでは当然肉中心だったので、焼き魚定食にした。サラダに茶碗蒸し、そして漬物とフルーツが付いて、38元、値段も味も何ら変わっていなかったが、昔は安いなと感じたこの値段、今の円安で換算すると、750円ぐらいになっている。この品質ならむしろ高い、と言わざるを得ないが、他の店は値段を上げているだろうから、やはりこの店は値段相応なのだ。

 

トボトボと歩いてホテルに戻る。やはり何となく活気のない街、北京。これは単に空気のせいなのだろうか、それとも何か別の要因があるのだろうか。大使館街の夜は特に静かで寂しい。

 

北海でリゾート2014(6)南寧 掟破りの高速バス乗車

8月28日(木)

朝食を抜く

今朝は早めに起きたが、なぜか腹が空かない。折角朝食は付いているのだし、広州へ行くバスは8時間もかかると聞いているので、途中で食べられるかどうかも分からない。それでもどうしても食べたくないので、思い切って抜く。これはちょっとした賭けだが、体調が悪くなるより空腹の方がマシ、という判断。

 

8時台は混んでいるエレベーターもすんなりやって来て、チェックアウトも直ぐに済んでしまった。時間があるのでロビーでネットをして過ごす。このホテルは駅前ホテルであり、朝鉄道で着いたお客がチェックインしてきている。時間貸もしているので、4時間だけ寝る、という客もいるようだ。

 

8時45分には切符売り場に着いていた。オジサンも顔を覚えていて『広州だな、ちょっと待て』と。まあこれなら安心か。9時前に運転手を先頭に歩き始める。バスは駅前にはない。歩いているのは数人だけ。ミニバスだな、と直感。案の定、ミニバンに乗り込む。5人家族と男性一人と私。ところが運転手は実にのろのろと運転している。これは完全に時間調整だと分かる。

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途中で男性一人を下ろし、9時40分ごろ、郊外の道路脇に車が停まる。おばさんが一人で迎え、何とミニバンは去っていく。家族のお母さんは心配そうに『騙されてないよね』と聞いてくるが、中国人に分からないのにこちらも答えを持ち合わせていない。ただ待つのみ。出迎えのおばさんは色々と話しかけてくる。時間潰しのようだ。

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高速道路からバスに乗り込む

10時20分になり、バスが来るというので急いだ場所は、何と高速道路。本来通行人は入れない筈だが、なぜか金網に穴が開いており、上に上がれた。と言っても道なき道を行く。高速脇で待つこと数分、広州行のバスが来た。兎に角急いで乗り込む。が、前が詰まる。何とバスに乗るのに靴を脱いでいる。これは初めての経験だった。荷物も直ぐに積み込まれ、バスは何事もなかったように走り出す。

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バスの中は3列の2段ベッド、床はすべすべしており、靴を脱ぐ理由が分かる。我々は残っていたベッドを確保し、座る、いや寝ころぶ。これももしやすると初めての体験かもしれない。いきなり床にあるベッドに寝転び、窓から外を眺める。当然低い位置から見上げる形となり、空がよく見えた。青空だった。布団を掛けてクーラーを避け、快適に過ごす。

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快適なバスの旅は続く。車内にはスクリーンがいくつも備えられており、香港の古い映画をやっている。全て広東語である。多くは布団にくるまって寝ているのだが、お構いなしに大きな音で映画は続く。内容も香港に有りがちなヤクザの抗争物。2本もこれが続くと飽きてしまう。

 

3時間に一度は休憩があると思っていたが、途中で停車したのは一度だけ。運ちゃんのごはんの時間だけだった。そのサービスエリアはシャビーな感じで、ご飯を食べる気が起こらなかった。乗客の多くはスナックを買い、ボチボチ食べている。バスの旅ではあまり食べない、飲まないのが安全だ。

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それからはひたすら走り、同じような景色の中を停まることはなかった。夕方5時ごろ、ようやく広州へ入ったと思ったら、仏山と書かれている。一体どこへ行くのだろうか?広州のどこへ着くのかも確認していなかったで、ちょっと心配に。更には渋滞がひどくなり、バスが進まなくなる。何と予約したホテルからは『部屋は午後8時までしか確保しないから』と電話まで入る。俄かに慌ただしくなるが、一向に進まない。

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6時前についにバスターミナルへ着いた。だが運転手から聞いた『地下鉄に繋がっている所』とは名前が違っていたのでどうするか迷う。その時外を見上げると、何と高架に電車が走っているではないか。聞けばこの電車が地下鉄に繋がっているという。慌てて裸足でおり、荷物を確保した。広州までの道のりは実に遠かった。

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あとで聞いたところ、中国のバスではこの高速道路乗車が各地で行われているという。ただその理由が『出発時点の乗客数に対して税金が掛かるため、バス会社は違法な場所での乗車を行い、売り上げを隠す』らしい。中には規定数以上の乗客を乗せる場合にもこの手法が使われている、との証言がある。さすが中国、政策あれば対策あり、だが、安全面への配慮は是非お願いしたところだ。すきっ腹を抱えて広州へ。食は広州にあり、さてどうなるのだろうか。

北海でリゾート2014(5)南寧で疲れを癒す

高速鉄道で南寧へ

昼前にタクシーを呼んでもらい、マンションを離れた。何とも残念だったが、ここに根を張る訳にもいかず、Zさん達も数日後には北京の生活に戻ることになっていた。夏のバカンス、つかの間の緩い生活は終わりを告げた。Zさん、トニー、G君の家族には感謝してもしきれない。良い夏休みを提供してもらった。

 

タクシーは北海駅へ向かった。ここは街中にあり、遠くはない。駅は変な形をしており、駅舎の上はマンション、最近出来たらしい。切符は以前にZさんが予約してくれ、実は昨日ここに来て既に受け取っていたので、駅の様子は分かっていた。昔とは大違いだ。駅には大勢の人がおり、夏休みの終わりの混雑、と言った感じであった。高速鉄道が南寧を経由して、梧州まで繋がっていた。一昨年行った六堡茶の集積地、梧州。あの時高速鉄道の工事中であったが、既に繋がっていたか。それでも広州まではまだ時間が掛かるようだ。

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車内は満員、予約がなければとても乗れなかった。車窓から眺める風景は田舎。1時間40分後には南寧に着いてしまった。電車から降りると、凄く疲労していた。今朝の散歩がきつ過ぎたのだろうか。

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4.南寧

駅前ホテルへ

駅を出ると暑い。北海は日差しが強いとは言っても海からの風が吹く。しかしここ南寧は都会の大都市だ。暑くてたまらない。いつも泊まるホテルチェーンを探すつもりだったが、駅の周辺を見渡すと、こぎれいなホテルが見えたので、そこへ行ってみる。240元で泊まれるとのことだったので、迷わずチェックイン。そしてクーラーを掛けて昼寝をした。部屋も広くて快適だった。

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夕方になり、明後日の広州行チケットを買いに出た。先ずは駅へ行く。高速鉄道は広州までは行っていなかったので、普通の電車を探したが、意外と本数がなかった。しかも駅は人で溢れかえっており、疲れている体には堪えたので、早々に退散する。バスターミナルはどこにあるのか尋ねると、ここからは相当に遠いらしい。駅前にバスチケットを売る店があったが、店員があまりにも無愛想で止めた。どうするんだろう、広州行。

 

とにかく疲れてしまった。これは時々あることだが、どうにもやる気にならない。ネットは繋がるが、Googleに接続できない、とい理由もあるかもしれない。ここは休むしかない。ただ何もせず、ベッドに横たわるのみ。時間だけがゆっくり過ぎていく。辺りが暗くなってきた頃、少し腹が減ったので、夕飯でも食べようと外へ出る。地図は買ったものの、どこへ行ったらよいか分からない。適当に歩いてみると、古い街並みが残っていた。小さな店はいくつもあったが、敢えてファーストフード店のようなきれいな店に入る。20元ほどの定食を食い、また歩く。

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来年はアセアン統合の年、中国とアセアンを繋ぐ都市として位置づけられている南寧には『東盟』の文字が多く見られた。アセアン土産と称して果物などを売る店もある。ただ現実にはアセアン統合により南寧にどれほどの経済効果があるのだろうか。何とも分からない所である。

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8月27日(水)

バス旅行

翌朝も疲れは取れず、部屋でごろごろしていた。既に南寧は完全な休養地、これから行く広州に備えよう、という考えにまとまっていた。朝ごはんは付いていたので、食堂に行ってみると、『養生』ご飯と書かれ、お粥や芋などが並び。所謂一流ホテルの豪華な食事とは差別化を図っていた。泊り客の方も、朝から大量のごはんを食べる習慣から抜け出したいのだろう、と思われる。双方の利害は一致しているように見えた。

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午前中は部屋で旅行記を書いて過ごした。シャワーなど浴びると徐々に元気が出てきたようなので、昼前に外へ出る。普段は歩くのが仕事だが、今日はしんどいので、駅前からバスに乗る。長距離バスターミナルへ行ってみることにした。バスは旧市街のごちゃごちゃを抜け、新市街地へ。アセアン会議の開かれる会議場のあたりへ来ると、6年前に泊まったホテルなども見え、今回とはだいぶ違う地域だったことを再確認した。

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40分ほど乗り、バスターミナルへ着いた。ここも人が多い。広州行のバスは1時間に1本程あるが、料金は駅前のバスより高い。これはどういうことだろうか?ここも窓口前には長蛇の列。切符を買うのも大変そうだし、明日もう一度ここへ来るのも大変なので、断念した。

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来た時と同じバスに乗る。違うバスに乗りたかったが、駅前へ行くバスは1つしかなく、他の寄り道する気力もなかった。まあきままなバス旅行と思えばよい。駅前に着くと腹が減ったので、粥を食べる。7元。

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マックで

午後はこのホテルの延泊を決め、ごろごろ。想像以上に体力の回復が遅い。歳のせいだろうか。微睡みが嬉しい。あっという間に日が暮れてくる。日が暮れるとなぜか腹が減る。動いていなくても腹が減るのは、体力の回復を体が促しているせいだろうか。

 

駅前を歩いているとマックがあった。普段は入らないのだが、先日日本で肉の偽装事件があり、その影響が中国にも飛び火していると聞いていたので、入ってみる。確かにお客はいない。2階もあるというので、2種類のバーガーを頼んで2階へ行ってみる。何と一人の客もいなかった。マックの貸し切り、凄い。

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ところがオーダーした商品と違う物を出されたことに気が付く。下に降りて、カウンターに行き、それを質すと、『すみません、今取り替えます』というではないか。昔なら色々と理由をつけて取り替えないので、ここで戦いがあるのが普通なので、拍子抜けだ。だが、料金をあと5元くれという。まあ取り替えに応じたのでよいかと支払って、パッとメニューを見ると、その計算が違っていた。むしろ安くなるはずだ。

 

それを質すとまた『すみません、いまお返しします』というではないか。若い男性で如何にもひ弱という感じだが、同時にマックの置かれた状況を反映しているように見えた。既にアメリカでも若者はマックへ行かない、と言われている。今後中国ではどうだろうか?

 

北海でリゾート2014(4)華僑が逃げ帰った僑港

豚鶏鍋

2日間、炎天下を自転車で走った、それも1日35㎞。これは凄い衝撃だった。シャワーを浴びて、体をダラッとさせても、興奮?は収まらない。顔もかなり黒くなったと思われる。しかしトニーは元気だ。ランチを食べに外出しようという。何だかその元気さに押されて承諾した。

 

タクシーで街へ。着いたレストランには『豚鶏鍋』と書かれていた。これは確か深圳で以前食べたことがある、とても美味い鍋である。だが店に入ると店員にはやる気が見られず、お客もあまりいない。どんよりとした空気が流れている。どうなんだろう、これは。店長の男性が出てきて何とか注文を取る。

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鍋に豚の内臓、鳥肉、野菜、キノコ、豆腐などをふんだんに入れて煮込む。豚と鶏の両方を入れるところが良い。日本でも寄せ鍋などにあるようだが、私はこれが大好きだ。しかも内臓系、胡椒が効いている。大好物。サイクリングで腹が減っていたのか、疲れも忘れてバクバク食べる。スープもしこたま飲む。もう腹がパンパンになるまで食べ尽す。疲れはいつの間にか吹き飛んだ。

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タクシーを拾って帰ろうとしたが、昼下がりにタクシーは捕まらない。皆、お昼寝の時間だろうか。本当にゆったりとした時間が流れている。スープを飲み過ぎたので汗がしたたり落ちる。それでも何だか爽やか気分だ。何とかタクシーを捕まえて、マンションへ帰る。午後の日差しが強い。

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夕方までお昼寝。そして一人で散歩に出てみた。と言ってもマンションの敷地内。私は歩くのが仕事、とよく言っているのだが、ここ数日あまり歩いていなかったので、そろそろうずうずしていた。敷地内には池があり、夕暮れ時に人がベンチに座り、話したり、ぼーっとしたりしている。我々日本人は『ボーっとしていないで』とよく怒られるわけだが、よく考えてみれば、ボーっとすることはそれなりに重要ではないかという気がする。特にこのような場所に来ると『あまり色々と考えても仕方がない』と思えるようになり、頭を働かせることを停止したい気分になる。

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マンションの前の道に出るとダンプが轟音を立てて通り過ぎる。この道は既にガタガタになっている。土ぼこりも酷い。出来るだけ外を歩きたくない心境になる。折角いい空気があり、良い景観があるのに、台無しだ、とは思わないのだろうか。経済成長しているということは案外気が付かない、いや気が付いていても、他のことに紛れて時が過ぎていく。

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敷地内には何と映画館もある。それもシネコン?いくつかの映画が同時上映できるが、外からも見に来る人がいるのだろうか。Zさんによれば、『この映画館にはレイトショーもある。夜10時の会に行けば安いし、暇つぶしになる』らしい。そんなライフスタイル、如何にも南国だが、ここで流行るのだろうか。

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昼ごはんの食べ過ぎにより、夕飯は軽くしてもらう。何だかZさんには多大な迷惑だが、この生活リズムに慣れてくると離れがたいものがある。明日はこの地を離れるのかと思うと、残念でならない。

 

8月26日(火)

朝散歩

運動しているせいか、それとも夜が涼しいからか、ここにいるとよく眠れた。過度にPCを触らないこともいい影響を与えているのだろう。心地よい朝を迎える。今朝はサイクリングのお誘いが来る前に自分で散歩に出かけた。午前7時台、それほど暑くはない。目指すは僑港と呼ばれる30年前にベトナムから華僑が逃げてきた場所だ。

 

朝はダンプも走っていないので、マンションの前の道を歩きだす。ただまっすぐ歩いて行けば近くまで行けるはずだ。ただ予想外に日差しが強い。マンションは街から少し離れているので、ちょっと歩いても殆ど何もない。途中にごみ集積場があった。悪臭が漂っていた。北海はここ数年で急速に人口が増えていると聞く。ごみ処理のシステムは追い付いていないようで、街にごみが溜まってきている。

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かなり歩いてようやく僑港という表示が見えた。ここまでくればと安心したが、何とそこからがまた遠かった。自転車で来ればよかった後悔したが、やはり歩くのが仕事、仕方がない。しかも歩いても歩いても、華僑が戻ってきて住んだような痕跡は見つからない。確か6年前はベトナムチックな黄色い壁の家などがあったのだが、どうしたのだろう。

 

合計1時間も歩いて、着いたのは港だった。それも漁港。朝の漁から戻った舟、荷卸しが始まっていた。新鮮な魚が上がってきており、魚を買いに来た人々で市場はごった返していた。自分が目指してきた物とは違っていたが、なかなか活気のあるいい風景だと思った。観光客が来るような所でもなく、よそ者は邪魔ものだったようだが。

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華僑小学校があった。しかしそれ以外、華僑を感じる物はなかった。既に時が流れた。中越戦争で戻ってきた人々もすっかり中国の暮らしになってしまったということだろうか。先日もベトナムで反中デモが起き、数千人の中国人が逃げ戻ったと報道されたが、今は北海ではなく、海口に船は行くらしい。静かで穏やかな街、北海は静かなままだった。

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バスに乗りたかったが、マンションの方へ行くものはなく、勿論タクシーもいないので、帰りも黙々と歩いた。結局往復で2時間半もかかってしまった。部屋へ戻るとZさんが『麺を食べに行こう』と言い、また外へ出て、麺を食した。朝麺を食べる習慣が付きそうだ。

北海でリゾート2014(3)リゾートでサイクリング

8月24日(日)

サイクリング

今朝は7時に起きてサイクリングに行く。この家には4台のサイクリング用自転車があり、夫婦は日々サイクリングを楽しんでいる。私は勿論自転車には乗れるが、サイクリングなどしたことはなく、どうなるかドキドキ。靴を借り、靴下を2枚穿き、Tシャツ、短パンで出掛けた。2人はきちんとしたサイクリング用ユニフォームだった。

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サドルが高いこともあり、最初は不安定であったが、慣れてくると快適だった。マンションの前の道はデコボコで走り難かったが、その先の大きな道はスイスイ行った。途中で朝ごはんを食べるために桂林米粉の店に立ち寄る。2人はここの常連で店の人とも仲が良い。ただ私が日本人だと知ると、主人は『安倍は良くない』と言い出す。そしてこの街では昔日本軍の残虐行為があった、などと話し出す。この地では実際の戦闘などはあったのだろうか?

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更に進むと7年前に来たことがある、90年代に開発された北海の別荘地を通った。7年前は廃墟に薄ぼんやりしたイメージだったが、今では戸建ての別荘がきれいに改装され、如何にも南国リゾートといった雰囲気を漂わせる。ヤシなどが街路樹として植えられているので余計雰囲気が出ている。午前中から人も結構歩いている。ビーチでは観光客がはしゃいでいる。中国では一生海を見ないで終わる人がまだまだ大勢いる。

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自転車を漕ぐのは実に久しぶりだ。Zさん夫妻はサイクリングが趣味、ということで、毎朝かなりの距離を漕いでいるらしい。当然スピードが違う。私を気遣ってゆっくり走っているのだろうが付いていくのがやっとだ。これはしんどい。おまけに日ざしがどんどん強くなる。汗がしたたり落ちる。

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橋が見えてきた。北海市内の高層ビルがよく見える。橋の周囲には何か植えられており、観光客が遊んでいる。バイクで来ている地元民も多い。更に行くと、広々とした道がある。走るにはよいのだが、なんとダンプがどんどんやってきて、砂塵を舞い上げる。これはたまらない。

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着いたところは、自然公園。北京の大手企業が大規模開発を行っており、ダンプが走る理由がわかった。マングローブなどを植えて、自然をアピールし、国家政策にも合う開発を行っているのだ。まだ出来ていないように見えたが、高い入場料を取っている。我々はゲート脇で休み、立ち去る。ここが折り返し地点だった。

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帰りは同じ道を戻るだけだが、暑さがこたえ、更には足がきつくなる。北海の港を横目に見ながら『昔よりだいぶ立派になったな、ここからベトナムへ行けるのかな』などと思う。ラストスパートは全くきかず、喘ぐようにマンションに戻る。往復35㎞、走ったらしい。シャワーを浴びるにも心臓がバクバクしていた。急激な運動は体にこたえる。

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その日の午後は完全休養。ネットは相変わらずよく切れてしまい、何もする気が起こらない。ただ窓から海を眺めるのみ。『海を眺める午後』。私より年上のトニーは全く元気で、午後はテニスに出かけた。何という体力。すごい。

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夕飯はパスタなどを頂く。トニーがワインを持ち出し、飲み始めた。ご相伴にあずかっていると急激な眠気が襲う。体力の消耗は想像以上だった。たまにはちゃんと運動する必要があることを実感。

 

8月25日(月)

サイクリング2

翌朝起き上がると意外と体が軽かった。トニーが『今日も走るか?』と聞いてきたので、無言で頷く。旅のポリシーとして、出来ることを言われたら、それに従う。今朝も同じいでたちで自転車に向かう。既に修行の気分が出ていた。先ずは近くの店で今日も麺を食う。やはり中国人は朝から麺を食うようだ。日本ではあまりない習慣のように思う。

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今日は昨日と反対側、山が見える方に向かう。『今日は昨日よりきついよ』と言われていたが、昨日の疲れはまだ筋肉には来ていなかったので、踏ん張って漕ぐ。自転車にも慣れてきたので、何とか付いて行けたが、途中から坂道が入り、全く付いて行けなくなる。ギアチェンジを指示され、色々とやってみたが、なかなか進まない。

 

お寺があった。いい天気に本殿が映えていたが、私には休息以外の何物でもなかった。足は相当にきつくなり、動かなくなったらどうしよう、といった不安が過り始めた。Zさんには『無理して漕がずに、自転車を押して登ればよい』と言われたが、それもきつい。寺を過ぎると更に急な斜面が出てきて、喘ぎ喘ぎ行く。

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頂上まで行かなかないうちに、車両通行が制限されており、何とか折り返しに着いた。それにしてもきつかった。海の見える景色は悪くなかったが、これを見るためにもう一度登れ、と言われても自転車は漕がないだろう。帰りは下り坂で楽だと思ったが、足が痛いので慎重に下りた。

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マンションの近くまで来ると足も軽くなっていた。北海の最高級マンションがあったので見学してみる。実に立派な造りだったが、売れ行きはさっぱりらしい。人影も殆どなく、人が住んでいる雰囲気もない。16,000/㎡の価格はこの地では高過ぎるらしい。作れば売れる時代は既に過ぎていた。特に豪華マンションは目立つので買い難そうだ。横にはゴルフ場も併設されており、良い感じなのだが。今日も往復35㎞、走ったらしい。

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北海でリゾート2014(2)これからも売れる不動産はある

2.北海

新区マンション

Zさんに案内されてマンションの敷地内へ。広々としたスペース、15階の部屋に上がると近くに海が見える。横にはゴルフ場もある。この景色、悪くない。部屋は4つあり、リビングも広い。実に快適そうなマンションだった。でもZさんは『これは夫が好きで買った物、私は高い所は苦手なのでちょっと』というではないか。何という贅沢。ただかく言う私も高所恐怖症、高い所ほど値段も高いので、安い低層階を選びたい心境ではある。

 

夕食はZさんが作ってくれた。材料は新鮮な貝やカニなど。豪華な食卓となった。『レストランで食べると結構高いが、食材を買ってきて家で作るととても安い。これが北海の特徴だ』そうだ。Zさんは日本滞在経験もあり、和食と中華を両方作れる上に、一工夫加えており、とても食べやすい。

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ご主人のトニーもテニスから帰って来て、食事に加わる。息子のG君もいる。初めて会ったのに、何だか昔から知っているような気分で夕飯を食べる。トニーは日本語ができないが、中国語と英語は出来るので、会話も弾む。ビールを飲みながら宗教の話をしたような気がする。G君は15歳にして日本語も中国語も、そして英語もできるので、素晴らしい。最近は5週間、アメリカのサマーコースに行っていたらしい。将来有望だ。

 

食後、Gmailが繋がらないと嘆く私の為にG君がVPNというソフトを設定してくれた。これがあれば何と繋ぐことができた。有難い。G君、15歳にして、私より何倍も役に立つ、頼もしい存在だ。『ただこのVPNはお試しの無料ですから後で使えなくなりますよ』と言われ、予備のVPNまで入れておいてくれた。素晴らしい。

 

そしてほとんどテレビを見ないというトニーが『一緒に見よう』と言ってテレビの前に座る。『中国 好声音』という番組だったと思う。とても人気があるそうで、トニーも『この番組だけは見るよ』という。イメージは昔あった『スター誕生』だろうか。一生懸命歌手を目指す人々にチャンスを与える番組、中国は豊かになったと言っても、まだまだ色々な境遇の人がいる。いや、高度成長期の日本と同じ現象が起きているということだろう。

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8月23日(土)

モデルルーム

夜中はそれほど暑くもなく、朝はゆっくり目覚めた。心地よい朝だった。午前9時前にシャワーを浴びると更に気持ちが良くなった。リビングの窓からは海が一望できる。ベランダに出てトニーと話しをする。朝ごはんはお粥だった。これはお腹に優しく有難い。ガチョウの卵で作った目玉焼きに鰹節が掛かっていた。Zさんは日本の良い所、美味しい所を色々と研究しているのだろう。面白い。食後、お土産にあげた静岡の釜炒り緑茶を飲む。本当に中国的な味がする。

 

それからこのマンション群のセールスオフィスへ行ってみる。ここは2010年に開発が始まり、1期の途中まで完成している。36階建てのマンションは海沿いに数棟建っており、現在建築中の所も多い。プールや公園、そして5年後には小学校まで作るらしい。ここに住む人は中国の東北地方を中心に北部からの投資が半分以上。ただ北部と言っても浙江省も四川省も北部に含まれるという説明が奇妙で面白い。空気が良く、人が少ないこの地には実際に移住して通年ここに住む人も増えている。基本的に退職者だが、なぜかその孫を連れてくる人もいるという。祖父母が孫を育て、両親は都会で働く、という図式は日本では考えにくい。

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モデルルームに行ってみる。現在は2LDK、約90㎡の部屋を売り出している。日本的に言えば63㎡程度の小さな部屋だが、価格は70-80万人民元と周囲の環境も考えればそれほど高くはない。目を惹くのは窓の所に腰を掛ける台が付いていること。これは日本では見られないが、先日台湾でも見かけた。中国人は窓際に座って話すのが好きなのだとか。これからもどんどん建っていくらしいこのマンション群。中国の不動産バブルは崩壊する、と日本では騒がれて何年も経つが、果たしてどうなのだろうか。『いい物件は売れ、粗悪な物件は売れない』という当たり前の状況になりつつあるということか。

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昼ごはん

昼はマンション内の小さな店で餃子を食べる。このマンションには中国らしく、個人経営の小さな店がいくつか出ている。日本ならこの立派なマンションに箔をつけるために高級レストランでも誘致しそうだが、ここでは趣向が異なる。この店の一家も東北地方から出てきて、餃子屋を開いている。

 

水餃子は美味かった。トニーは手の空いた店のおやじと世間話を始める。それがだんだん熱を帯びてきて止まらない。トニーはアメリカ生活が長いせいか、生まれつきの性格か、人と話すのが得意だ。誰とでもすぐに仲良くなれる。おやじはこれまでの苦労話をしているようで、じっと耳を傾けていた。

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午後はZさんが12年物の鉄観音を淹れてくれた。この家には立派な茶道具が置かれている。確かに濃厚な中にまろやかな味わいのある鉄観音茶だった。熱い日差しの午後に部屋でゆっくり寛ぎながら、美味い茶をすする、これもリゾートの醍醐味だろう。

 

夜は老街へ。昨日空港に来てくれたタクシーを呼び、旧市街地へ行く。どうも北海のタクシーはいい加減らしく、慣れた運転手を呼ぶのが良いらしい。旧市街地といっても今やきれいに整備されており、観光地化されており、多くの観光客が道を歩いていた。暗いのでわからなかったが、よく見ると両側の建物は1階が店、2階は住居のいわゆるショップハウスが多かったが、2階部分は相当古いまま残されていた。

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教会がある。戦前の古い店もある。驚いたことに丸一薬局というプレートが嵌っているところを見ると、なんと1936年にこの地で諜報活動をしていた中野順三という日本人がここで殺された、とある。こんなところにこの時代日本人がいたことが驚きであるが、よく考えてみれば、ここはベトナムとの国境であり、広東にも近く、要所だったことを裏付けている。1937年の盧溝橋事件のあとは、日本軍は広東へ進駐しており、その布石が打たれていたことになる。だがなぜこのプレートを嵌める必要があるのか、それがよくわからない。

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マンゴヨーグルトが美味しい、という店で休む。今や入口から中までどこもおしゃれで、若者がたむろしている。なんだかリゾート感覚が出てきた。表へ出ると、なぜか路上でサンマを焼いている。ローカル色もかなりある。その交錯した様子でちょっと楽しくなる。帰りは流しのタクシーを拾ったが、やはりメーターではなく、交渉だった。面倒だが仕方がない。

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