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明るくなった上海旅2015(4)茶城で出会った少数民族

夜は紹興料理へ

夜はまた豫園の近くに戻る。この付近はこれまであまり来たことがなく、ちょっと興味が湧く。駅の付近は大規模な再開発がなされているが、その先には昔懐かしい上海が広がっていた。どうしてここだけ残ったのだろうか。何か利権があるのだろうか。パジャマ姿で歯を磨く女性がいたり、路上でおしゃべりに励むおばあちゃんたち、庶民生活ががそこにはあった。

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そして今晩のレストランは孔乙己酒家。北京にも3店舗あった紹興料理の店の名前なのだが、北京と同系列の店なのか、関係ないのだろうか。北京の店には実に良く通ったことを思い出す。日本人には紹興料理の味がよくあっており、また紹興酒が好きな人も実に多いので、お客が来ると重宝した。この店でもメニューには懐かしい物が並ぶ。店にはなぜか日本人店員まで居て、そして日本人客が数組いた。日本人店員を雇い、日本人の集客を目指すなんて、最近の中国でもあるんだな。さすが上海、他の都市ではなかなか成り立たない。

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今晩は、上海特派員のS先輩と、昔北京で一緒だったMさんと3人で食べた。Sさんはマスコミの超ベテランで、最初に出会ったのは15年前の北京。そして今回長老として上海に戻ってきた。Mさんも15年前の北京で一緒だったので、この2人もどこかですれ違っていたはずだ。Mさんは現在元の会社から出向し、今は畑違いの仕事をしている。既に4年ぐらい上海にいるはずだ。大ベテランのお2人に上海事情を色々と教わる。確かに最近の上海は明るいらしい。ここでも『上海だけは特別。上海は中国とは呼べないかもしれない』などと聞く。S先輩にご馳走になってしまい、申し訳ない。

 

6月1日(月)

天山茶城で出会う

翌朝も朝ごはんで起こされたが、もう食べる気はせず、また寝てしまった。疲れている、ということだろうか。ゆっくり起き上がり、ネットを繋ぐ。VPNが機能しており、特に不便は感じられない。聞く所に寄れば、上海市内でもVPNが機能する場所とそうでない場所があるということだ。何がイライラするかというと、使いたい時に繋がらない、使えると思って使うと繋がらないということ。人間、我儘といえばそれまでだが、何とも面倒な国だ。

 

今日は午前中暇なので、お茶市場へ行こうと思う。このホテルから一番近い市場は昔何度か行った中山西路にある天山茶城だろう。トボトボ歩いていく。高層ビルの裏側には、まだまだ80-90年代に建てられたと思しき、古いアパートが建っている。自分が留学した頃は、建設ラッシュだったのだろうと感慨深い。洗濯物がベランダから大きくはみ出しているのが、懐かしい。

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茶城は午前の早い時間ということもあり、お客は殆どいなかった。そして何と改修工事中。騒音が響き渡る。これではお客も来ない。店側も全くやる気が感じられない。これは出直した方がよさそうだな、と思っていると、見慣れた看板に遭遇した。深圳茶葉世界でいつも行く台湾茶の店、子揚銘茶の支店があったのだ。本当に支店なのか、名前を使っているだけなのかと、恐る恐る入っていくと、若い女性がにこやかに出迎えてくれ、『座って』と言ってお茶を淹れだした。

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自分は深圳の店によく言っていると告げると『私はあなたのことを知っている』というではないか。何と彼女は2年前まで深圳の店にいて、そこから上海に移ってきたのだという。深圳の店には若い女性が何人かいたので、私には分からなかったようだ。申し訳ない。ということで、突然旧知の人に出会い、馴染の店のようにお茶を飲み始める。こんな出会いもありがたい。

 

なぜ彼女は上海に来たのか、と聞くと『中国南部、広東の人などは上海の気候が体に合わない。桃姐(深圳の店の重鎮女性)なども1週間しかいられなかった。湖南省出身の私は耐えられたので』と面白いことを言う。彼女は湖南省と貴州省の境の山中の出身で、トン族という少数民族なのだという。上海にはトン族の人も出稼ぎに来ているが、交流はなく、早く故郷に帰りたいと言う。彼女は広東省に出稼ぎに来て、工場で働き、売店で働いているところを、偶然台湾人オーナーに出会い、お茶屋さんで働くようになった。元々お茶とは無縁。

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だが、まずは黙々と働き、お金を貯めることに専念しているようだ。地方から出てきた女性たちも、普通は上海を誉め、憧れ、ずっと上海に住みたいというらしいが、彼女は明らかに違っていた。自らの故郷について語る時の懐かしそうな遠い目、現代の中国において、少数民族の置かれている立場について、再度考える機会が与えられた。中国は本当に多様だ。

 

茶城を出て、ホテルの方へ戻る。大きな通りには不動産屋さんが並ぶ。見るともなしに物件情報を見てみると、この付近の家は100㎡で500万元程度が相場のようだ。500万元といえば、日本円で1億円。つまり億ションがずらりと並んでいることになる。今や東京で億ションが並ぶ地域は数少ないだろうが、上海中心部は至る所で億ションが繁殖している。その質が1億円に値しているかどうかは全く別として、それが実態であることを認識すべきだろう。日本に旅行に来て爆買いする観光客の資金源が、こんなところにも垣間見られる。

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また銀行の定期預金金利がかなり低下していることも実感できた。1年前なら1年物の定期預金は3-3.5%以上の金利が付いていたが、今は基準が2.5%程度に下がり、景気減速に伴い、さらに低下すると見られている。私が見た広告では、何とか資金を留めようと、1年物3%まで金利を付ける、という金融機関もあるようだった。ちょっと前までは考えられなかった中国の金利自由化も、確実に進んでいるようだ。それにしてもなぜ上海株に資金が流れるのか、不動産はすでに高値頭打ち、金利の低下などから見ても必然の流れのように見える。

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明るくなった上海旅2015(3)微信は中国人の自信を深めた

その後ダラダラと過ごし、少し早めに豫園に行く。今日は上海駐在のHさんとランチをする予定になっていた。地下鉄に乗り、豫園に着くと、既に大勢の観光客が歩いていた。豫園といえば、私が留学した30年前も観光地ではあったが、どこにあるのかも分からないような、整備もされていない場所だった。それが90年代に入ると、きちんと整備され、いつの間にか巨大なショッピングモールができ、買い物客でごった返していた。私の知る昔の上海はここからも既に消え去っていた。それでもイスラム寺院、清真寺があり、古い仏教寺院もあり、裏道に入ると、庶民の生活も覗くことができ、ごく一部にその面影を残している。

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観光客には中国中から来るお上りさん中国人が多いが、欧米人の姿もかなり目立つ。韓国人や台湾人の姿もちらほら見られたが、ほぼ全く見掛けないのが日本人観光客。僅かに出張に来たと思われる日本人男性が、中国人通訳と歩いていたのを見ただけだった。豫園に行くべきとは言わないが、ここでも日本人のプレゼンスの低下、中国への関心のなさを痛感し、危機感を覚えた。

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Hさんが予約してくれたのは、緑波廊。昔から豫園にある老舗の名店。エリザベス女王やクリントン元大統領などが訪れた写真が飾られるなど、政府御用達の大型レストランだったことが分かる。さぞや混んでいるかと思いきや、Hさんの予約のお陰か、スムーズに入店し、角のこじんまりした席に着き、ゆっくりと食事することができた。ランチとの時間とお茶の時間が分かれているせいかもしれない。伝統的な上海料理だったが、料理も思ったよりも美味しく、結構気に入ってしまった。

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レストラン内から、外の写真を撮る。この構図もなかなか良い。レトロな雰囲気を醸し出し、池も上手く組み合わされているように思う。結局今回も豫園そのものには行かなかった。豫園の前から湖心亭を眺めるだけだった。人が多過ぎる、用事がなければさっさと失礼することにした。

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微信は中国人の自信

次の予定は上海在住中国人との再会。彼女はいつもおしゃれなカフェを指定してくるのだが、今回も江蘇路駅近くの店に呼ばれた。ところが、場所が特定できない。指定された住所、ビルの名前まであっているのに、なぜたどり着けないのか。ビルの人に聞くと面倒くさそうに『あっちだ』と指で指すのだが、そこに行っても店はない。何故だろうか。その横の扉に気が付くのに随分と時間が掛かった。その扉を押すと、何と外に出てしまう。あれ?

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そこは裏の駐車場に繋がっていた。周辺をキョロキョロすると、若者がその先に歩いていく。ついていくと、そこにはおシャレなカフェが確かにあった。しかしこんなところにあるなんて、誰も分からないだろうと中へ入ると、2階は満員だった。どうして?隠れ家的カフェ?今の上海、分からない。そして待ち合わせの相手もまだ来ていない。何と彼女も初めてくるとかで、迷っていたらしい。スマホの地図で探してきても、ここは分からないだろう。

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お洒落な若者が集う店、大ぶりのマグカップに入ったコーヒーは美味しかった。店の空間もリラックスできた。コーヒーは1杯40元だから、日本円で800円もしたが、今の上海では高いとは言えないようだ。その支払いをクレジットカードでするのではなく、スマホでしている人がいた。待ち合わせた彼女に聞くと『とにかく今や中国人は微信です。微信をやればタクシーも呼べるし、支払いもそこからできる。あなたも微信をやらないと中国のことは分からないし、中国人と友達になることはできませんよ』と大いに警告された。そこまでホメるのか?

 

私も先日行った福州で、知り合った中国人が誰も名刺もくれず、すぐに微信友達になろうとすること、そうしないと一緒に撮った写真すら送ってもらえないことに少なからずショックを受けていたのだが、GoogleもFBも原則繋がらない今の中国において、微信は必須アイテムになったのであろう。今の中国人の中にはEメールの使い方が分からないという者もいるのだ。もう世間の新しい波には乗らない、と決めていた私。スマホすら持っていないが、それは中国では許されないことを改めて突き付けられた。仕方ない、スマホ、始めるか!

 

ところで一昨年会った彼女は『私もいつまで上海にいるか分からない。今は皆が中国から国外へ逃げ出したいと思っている』と語っており、その後実際イギリスにも行ったのだが、今回聞いてみると『上海なら中国に住んでもよいと思う。ここは今世界一便利な場所。他の都市はダメ、上海だけ。仕事もあるし』と何度も強調する。そこまでこの1年半で上海は変わったのか。確かに東京並の便利さを感じるし、大気汚染も思ったほどではない。これで政治的制約がなければ、と思うのは私だけか。それでも『習近平政権への評価はかなり高い』と彼女は自信をもっていう。日本では中国人の習政権への支持が高い、などという報道は見たことがないのだが。

 

そして『微信はすごい!Lineより優れている。そしてこれを開発したテンセントもすごい。上海以外で評価できる都市はテンセントを生み出した深圳だけ。他の中国はダメね』と微信とテンセントをべた褒めする。実はこんな意見を上海にいる間、何度となく中国人から聞いた。微信が中国人の自信を大いに深めた、必要は発明の母、ということなのだろうか。驚き!

 

明るくなった上海旅2015(2)物価が高い!

中山公園の宿

乗降客は少ないので、かなりスムーズに入国できた。1号楼ターミナルは何とも古びており、寂しい感じがした。今日の宿は地下鉄の中山公園近く。空港から地下鉄で乗り換えなしで行けると勘違いしていたが、1度乗り換える必要があった。空港1号楼駅は、ターミナルからかなり歩かなければならない。乗客で歩いている人は殆どいない。荷物を引き摺り、何とか駅までたどり着く。ところが中山公園へ行くにはルートが2つあり、どちらが良いか分からず、来た方の電車に乗る。するとそこへ、Hさんからメッセージが入り、後はナビしてもらう。

 

今や上海の地下鉄は東京都より走行距離が長く、路線もどんどん増えているので、路線図を見ても、簡単には理解できず、このナビは実に有難い。それでも2号線から4号線への乗り換えにはかなりの時間を要した。地下から地上へ上がるのに、荷物が多いので難儀した。上海も早めにできた地下鉄はあまり乗客に便利にはできていない。何とか中山公園駅に着くと、そこにはHさんが待っていてくれ、予約してくれたホテルまで連れて行ってくれた。

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Hさんとは29年前、上海の留学で一緒になってからの長い付き合い。奥さんとは先日京都と東京で会ったばかり。最近彼は香港に駐在していたこともあり、懐かしの上海で再会するのは10年ぶりか。彼の上海生活は合計で何年になったのだろうか。長い間彼が日本で働いているのを見たことがない。いや、もう日本で働くのは疲れるのだろう。中華圏で過ごしてしまうと、東京は息苦しい。

 

宿は本当に駅の前、高層ビルのいくつかのフロアーを使っていた。元々は長期滞在者用であろうか、それともアパートとして建てられたのだろうか?大きな冷蔵庫やキッチンが付いており、広々としていた。これで380元/泊は以前なら安い、と感じるだろうが、何しろ1元=20円の時代、何を見ても高く感じてしまうのは、仕方がないところ。29階から見る景色は良いが、目の前では未だに開発が行われ、上海は止まってはない、ということが実感できた。モノレールのように高架を走る地下鉄の音も少し気になったが、学生時代、都電の線路脇で4年を過ごした私にはどうでもよい音だった。

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いきなり浦東へ

蘇州に駐在する大学の同級生S君と連絡したところ、たまたま今日は上海にいるというので、会いに行くことにした。指定された場所は聞いたこともない地下鉄の駅。塘橋駅というその駅は、4号線にひたすら乗り30分、何と浦東側にあった。地上に出ると、駅前には外資系の5つ星ホテルはあるし、ショッピングモールまであった。その後ろは高層の住宅街、上海は今や、中心部ならどこでも、このような光景を目にすることができる。この辺も家賃は高そうだ。

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S君に連れて行かれたのは、日本人が多く住むアパート。日本食品が沢山置かれているスーパーが併設されており、すれ違う住人も日本人ばかり。未だにこんな場所があるのか、と何となく懐かしくなる風景だった。そして地下には日本食レストランがあり、そこでS君たちは、合唱団の練習打ち上げを行っており、そこへ飛び入り参加した。学生時代から合唱をしていた彼は、今でも同好の士と共に、合唱を続けている。

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焼き魚やお好み焼きなど、食べ物は全く日本と変わらず、そばは特に美味かった。地下鉄が発達し、日本食が自由に食べられる都市、上海は今や日本と変わらないな、つくづく思う。ただ駐在員生活は、元高もあり、仕事のやり難さもあり、以前より厳しくなっているようだ。経費の関係は、住環境の問題で、家族を日本に返し、単身赴任している人も多いと聞く。

 

帰りはタクシーであっという間に中山公園に帰りつく。上海ではタクシーも捕まえにくいと聞いていたが、土曜日の夜、雨も降っていなければ、そう難しくはないようだった。道路も空いていた。ただタクシー代はどんどん高くなっており、物価全体は完全に東京より高い、と強く感じられる。

 

中山公園では先ほどのHさんが待っていてくれたので、近くのホテルでコーヒーを飲んだ。彼は開口一番『上海の景気はいいですよ、でも上海だけですよ。他の中国はかなり悪いです』という。私もわずか数時間しかいない上海ながら、なぜか『明るさ』を強く感じていた。何か『上海だけは特別だ』という言葉を突き付けられているように思われる。それは一体どこから来ているのだろうか。一昨年10月に来た時とは雰囲気がまるで違う。習近平政権の政策は、『新常態』だが、上海は確かに新しい常態に入ったようにも見える。その訳が知りたい。

 

5月31日(日)

豫園で

翌朝は7時に叩き起こされた。このホテルには朝食が付いているのだが、何と部屋に運ばれてくる。それが朝の7時に配られたのだ。決して贅沢な旅をしているわけではない私だが、正直この食事を食べるのはちょっと嫌だ、と思ってしまう代物だった。茹で卵は剥き難く、マントウは冷えて固かった。以前は下の階にある上島珈琲で食べていたそうだが、経費削減の結果だろうか。食事が付いているだけマシ、とはとても思えない。上海の食、という点では、安全面と共に課題が残っている。

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明るくなった上海旅2015(1)東方航空は長蛇の列

《明るくなった上海旅2015》  2015年5月30日‐6月2日

 

東京からバンコックへ帰る途中、上海へ寄ることにした。2013年の10月に行って以来、1年半以上訪れていなかった上海。既に上海は東京並、特に目新しいこともないだろうと思い、敢えて行かなかったのだが、何か変化があるだろうか。知り合いが何人も新たに上海駐在になったことも、行ってみようと思った要因である。因みにチケットは行きがバンコック⇒上海⇒那覇で、帰りは東京⇒上海⇒バンコックになっている。羽田⇒虹橋は何とも便利で有難い。

 

5月30日(土)

上海まで

今日は土曜日、午後発の羽田便なので電車も空いており、かなりリラックスして出掛ける。朝の成田便だと電車の遅れなどが気になるのだが、その心配がないと気が楽だ。だがいつも通り電車に乗り、2時間少し前に羽田空港に到着すると、様子が一変している。他の航空会社のカウンターはガラガラなのに、長蛇の列をなしているところがある。それが私の乗る、中国東方航空だと分かり愕然としたが、後の祭り。仕方なく列の最後尾に並び、粛々と順番を待つほかない。

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まあこれはちょうどいい機会だと割り切り、列をなしている中国人の動向や荷物をチェックすることにした。確かに話題の便座や炊飯器を購入している人が何人かいた。また何が入っているかは分からない大きな段ボール箱やスーツケースを持ち込んでいる人もいる。勿論高級デパートやラオックスの買い物袋を持つ人は多い。乗客は比較的若い世代が目に着く。そして異様なほど静かに列は進んでいく。勿論割り込みなどなく、大声を出している人もいない。携帯で話している人はなく、スマホに目をやっている人だけ。行列には慣れているのかもしれないが、文句を言う人は一人も見掛けない。日本人乗客は数えるほどしかいないのはとても残念だが、これが今の日中の現状であろう。日本人が中国へ行かなくなって久しいが、それは『日本人が中国が分からなくなる』ということを意味していおり、危険な兆候だ。

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45分後にチェックインカウンターに辿り着いた。係員は日本人で、処理スピードは決して遅くない。ではなぜこれだけの列ができてしまうのだろうか。恐らくは乗客のチェックインが一時期に集中しており、また荷物が多過ぎるのでその処理に手間取る、ということだろう。ギリギリに来てチェックインする客は少なく、出国審査後の免税店での買い物戦線への突入に備えていることが覗われる。しかしチェックインは2時間半前からしかできない。これを3時間前からにするとかなり待ち時間は緩和されると思うのだが、航空会社の人繰り、経費の問題であろうか。しかもフライトは2時間の間に二本有るので、余計に混みあう。

 

昼ご飯を食べていなかったので、コンビニでおにぎりを買う。ついでにコカコーラから発売された国産烏龍茶のペットボトル、『つむぎ』も購入してみる。ある程度予想はついていたが、まあ、おにぎりを流し込むにはちょうど良い飲料かもしれない。尚上の階には伊藤園のおしゃれな日本茶カフェが出来ていたが、料金が高いのか、暇がないのか、お客はあまりいなかった。

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イミグレを通過すると、まさに爆買いする中国人が何人かいた。中国人の特徴の一つは『税金を払わない』ことに異常なまでに執念を燃やすことだと常々思っているが、これもその一環だろう。それに釣られて、タイ人などもお菓子などをしこたま買い込んでいく。これを機内持ち込みするのか、と思うほどに買い、搭乗ゲートに向かう。後日日本のニュースで『機内持ち込み荷物が制限を越え、預け直しが続出、フライトが遅れる事態が多発している』とあったが、それはそうだろう。ただこの行動は中国人だけが悪いのではない。売上を増やしたい免税店側も、制限を越えていると分かっていても、制止できなかったはずだから。

 

機内は満席であり、家族連れ、出張者、友達同士、8割以上は中国人だった。皆日本での活動で疲れ果て、離陸するとすぐに寝込んでいる。そして機内食になるとパッと起きて、食べ終わるとまた寝てしまう。如何にも中国人らしい行動パターンだ。因みに機内食は魚と野菜の煮物、巻き寿司と卵焼き、そば、そしてどら焼きがデザートで出てきた。意外と豪華で驚く。以前の東方航空といえば、機内食がまずい、ことで有名だったが、少しずつ改善が進んでいる様子が伺われる。特にこの日本線に関しては、何故か昔からかなり力を入れている。

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出発は少し遅れたが、ほぼ定刻に虹橋空港に着いた。基本的に多少の遅れは当たり前、と言われた中国系航空会社としては優秀な成績だった。虹橋空港は1号楼と2号楼があるが、東方航空は1号楼を使っていた。こちらは20年以上前のターミナルで何とも古いが、何となく懐かしい感じがする。1996年に虹橋に降りた記憶が蘇る。1986-87年に上海に留学して以降、9年ほど行っていない内に、上海は劇的に変化していた。何もなかった浦東に高層ビルが建ち、虹橋空港も新しくなり、街の様子も10年で完全に変わっていた。車でどこを走っているのか全く分からなかった、という印象が強い。

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北京寄り道散歩(5)銀行口座は解約できず

その後はケリーセンターへ行き、久しぶりにKさんに会う。Kさんは台湾茶芸の専門家であり、台湾で習ったその茶芸の優美さでは日本人でも指折りだった。が、今回会ってみると、『ワインに嵌った』とかで、ワインエキスパートなる資格を取ったそうだ。『お茶はもうやっていない』という。寂しいがこれも現実。将来はワインソムリエだろうか。こだわりの強い、とことんやり抜くKさんの気性からして『極めるだろうな』と思う。そのKさんも『来年子供が海外の大学へ行けば、自分も北京を離れるだろう』という。そう、どうしてもいる必要のある人だけが残る街、北京になるのだろう。

 

一度ホテルに戻り、荷物を置いてまたまた東直門へ向かう。今日は先日北海でお世話になったZさん主催の集まり。ところが前日になりZさんより『体調不良につき、明日は欠席』との連絡が入る。残念。まあ、残りのメンバーで楽しくやるか。東興楼、老舗っぽいがきれいな店舗だった。

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Zさんの代わりに会をし切るのは、先日福岡のお茶会にサプライズで参加してくれた丁未堂さん、版画家。私の茶旅ロゴを消しゴム判子で作ってくれた人でもある。Zさんが福岡移住を目論んでいる関係で九州関係者が集まった。そして何と欠席のはずのZさんがマスクをしてやってきた。『今日はあまりしゃべれない』とのことだったが、始まってしまえば、どんどんしゃべる。博多の美味い飯の話で盛り上がる。この店の料理も美味しかった。

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10月21日(火)

銀行で

北京最後の日、夜にはバンコックに帰れるので、敢えてネットにはこだわらず。荷物を纏めてチェックアウトして、大きな荷物はホテルに預けて、口座を保有する銀行に向かう。銀行は以前息子が通っていた大学近くにある。彼の学資をこの口座に入れて、キャッシュカードを渡し、彼が必要に応じて使ってのだが。彼は帰国前に何とそのカードをATMに吸い込まれてしまったらしい。慌てて銀行に泣きつくも、『名義人本人以外再発行できない』と冷たく言われ、そのまま口座を放置して帰国していた。

 

まあ、時間もあることだし、ちょっと寄ってみようという感じで銀行を探し当てた。地下鉄10号線から4号線に乗り換えたのでかなりの時間が掛かった。懐かしい場所に戻った感じだ。銀行に入りフロアーの人に事情を説明すると『再発行には1週間かかる』というので『口座を解約したい』というと、それもカードを貰ってからしかできないという。ここで引き下がる訳にはいかないので、自分が外国人で、すでに北京には住んでいない事情を切々と伝えると責任者の女性が出てきて、今晩のチケットを確認の上、『対応する』との返事をしてくれた。以前に比べて実に柔軟性のある対応だった。

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パスポートを出して、手続きを待っていると、彼女が『パスポート番号が違う』という。確かにこの口座は4年前に作ったもので、2年前にパスポートを切り替えているのでその旨伝えたが、『古いパスポートを持参しない限り手続できない』という。既に彼女とはかなり仲良くなっていたので、笑いながら『どうしてもできないか』と聞くと、『大使館で古いパスポートの人物があなただと証明できる書類を作ってもらえば対応可能』とまで折れてきた。だが今から大使館に行き、戻る時間はさすがにない。万事休す。

 

せめて残高だけでも知りたいというと、特別に処置してくれ、息子の記憶通りの残高を確認した。この額が非常に微妙で、『もう一度ここまで来て、また同じやり取りをしてまで取りたい額か』というと迷う水準である。まあ、まずは東京の家に古いパスポートが残っているかどうかを確認するのが先か。

 

お引き合わせ

それから地下鉄4号線に乗り、動物園駅で降りる。実は先日会ったTさんは中国の古い映画が好き、ということで、映画に詳しいWさんを紹介したところ、すぐに連絡を取り合い、今日の昼に会うことになったという。一方私は昔一緒に働いていたS君と元々ランチの約束をしており、この出会いには立ち会えないと思っていたが、彼がヨーロッパ出張から戻り切れず、キャンセルとなったことから、急遽ランチに参加することになった。

 

Wさんが勤める出版社まで歩いて行く。何だかこの辺りは昔の雰囲気を残しているが、それも徐々に再開発されてしまうのだろうか。Wさんと会うのは久しぶり。最近は色々と忙しいらしい。TさんもWさんの映画の知識には驚いていた。私から見ればTさんも相当に映画を見ているように思える。マニアである2人の会話にはほぼついていけない。何しろ私は映画を見ない人なのだから。食事はWさんの勤務先の食堂、そして食後のコーヒーも社内のサロン。こんな体験も面白い。

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帰りはTさんの車に便乗し、途中から地下鉄でホテルに戻る。ホテル前で大きな荷物を持ってタクシーを待ったが、なかなか来ない。先日の渋滞を想定して、早めに出たのだが、タクシーが見付かるとすぐに空港に着いてしまった。まあ、もう私の心はバンコックに飛んでいた。ああ、あの愛すべき私の北京はどこへ行ったんだ?次に来ることはあるのだろうか?心残りは銀行口座の解約だけ、というのが何とも悲しい。いや、まだ沢山の友人たちがここにいる。また来よう。

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北京寄り道散歩(4)朝7時にスタバに出勤したが

10月20日(月)

朝からスタバへ行くも

翌朝はWiFiが繋がり、VPNも機能する、昨日のスタバに朝7時に出勤した。というのはここのスタバが朝7時開店だったので、開店を待って入店したのだ。こんな体験は初めてだが、意外や既に数人がコーヒーを飲んでいた。土地柄、白人もいるし、中国人のサラリーマンもいた。

 

珈琲を買い、パンを買って席に着く。ネットは順調に立ち上がり、何の問題もなかったが、何とVPNは機能しなかった。『え、それじゃ話が違うじゃん、何のために早起きしてスタバに来たと思ってんだ』などとほざいてみても、何ら解決にはならなかった。1時間以上待って再度トライしたが無駄だった。今日は頑として受け付けない。昨日は週末で大使館に出勤する人がいなかったから?いや、大使館なら独自のサーバーでやっているはずだから、関係ないか。じゃあ何なんだ。

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完全に使えないと分かっていれば、諦めもつくが、こういう中途半端さには本当にイライラが募る。北京に住んでいたら、気が狂いそうになるのではないだろうか。周囲の人間は誰も叫び声をあげる訳でもなく、淡々とスマホに向き合っているが、これは微信か微博をやっているのだろう。中国人は完全に海外との接触を止め、中国国内でのコントロールに従っているように見える。確かにこれならストレスもない。

 

中国人と連絡を取る時もEメールなど出しても返事は来ない。『微信やってないと、連絡できない』などと言われてしまう。この統制感、半端ない。辛うじて携帯の短信が出来るので、何とか繋がることができるが、日本の携帯だとそれも出来ない?因みに今日会う予定の人と最終的な連絡ができていなかった。きっと向こうはメールを入れていると思うが、見ることが出来ない。その人の携帯番号も知らなかった。どうしようか?共通の友人を思い浮かべて朝から電話して、電話番号を聞き出し、事なきを得た。本当に困ったことだ、油断大敵。

 

諦めて帰ろうとすると、向こうから知った顔を歩いてきた。何と土曜日のセミナーで司会をしてくれたKさんだった。何という奇遇、ここで会うとは。ちょうど近くに用事のあった彼は、偶々時間潰しにここにやって来たらしい。事情を話すと『私のPCでやってみましょう、いつもはできるので』というので、もう一度店に入る。だが、ダメだった。Kさんは何度も首を捻り、トライしたが、VPNは機能せず、Googleは遥か彼方の遠い存在になっていた。『本当にイライラするし、研究上で必要な検索を掛けても、繋がらないことが多い。本来中国関係の研究をするなら北京がよいはずだが、行き先を真剣に考えなければいけない』とため息をつく。北京は本当に住み難い街になった。

 

それから知り合いの弁護士さんに会いに行く。途中に別のスタバがあったので、事情を話してコーヒーを買わずにネットを使わせてもらった。だがここではネットの接続自体が難しかった。『信号、不好』と言われたが、これではどうにもならない。

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弁護士事務所へ行き、秘書にそのことを話すと『うちのネットで繋いでみて』と言われたので、パスワードを入れると、何と高速で繋がり、VPNも機能した。これで今日の約束の場所を確認した。何で場所によってこんなに違うんだろうか?弁護士さんの中国法務最新事情もとても興味深かったが、できればここでずっとネットをやっていたい衝動にかられた。

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ランチは2倍に

昼は古巣の長富宮へ行く。お知り合いのSさんに会いに行ったのだが、ここではVPNは機能しないそうだ。如何にも古めかしいビルらしい。そしていつものように2階のさくらで食事をする。駐在中は本当によく通ったものだが、その時と比べると、質的にはむしろ落ちているのに、定食が20元ほど値上がりしている。更には為替の影響もあり、以前は日本円1000円程度で食べていたのが、今や2000円のランチになっている。これが今の日中の実態をよく表している。今ではSさんにご馳走にならないと食べられないほど高く感じる。

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そのせいか、以前は日本人駐在員がランチを食べている姿が目に付いたが、今ではほとんど見かけない。中国人のお客さんが、昼から刺身の船盛を食べ、日本酒を飲んでいたりする。子供連れでも豪勢な食事を取っている。本当に日本人の位置づけが変わっていると感じる。このビルに入居しているのは殆どが日本の会社なのだが、駐在している人が日本人から中国人に変わっている面もあるようだ。今回も昔から顔見知りの日系証券の所長と私の後任の所長が食事をしているのに出くわしたが、2人とも元々日本人ではない。そういえば私の相手のSさんも中国人だ。世の中はどんどん変わっていく。

北京寄り道散歩(3)表現できない違和感

スタバで李さんと

昼は過ぎていたが、何だか中途半端だった。今日の午後は休みのはずだったが、昨日のセミナーで東京から偶々里帰りしていた李さんと出会う。東京のある会で2度程会ったことがあり、私のお茶会にも来てくれたことがあるが最近はご無沙汰だったため、昨日突然目の前に現れた人が一瞬誰だか、分からなかった。その李さんから、『会いましょう』との誘いがあり、会うことになった。このようなご縁も面白い。

 

待ち合わせ場所を思い付かなかったので、ケンピンスキーホテルとした。少し早いが外へ出て軽くご飯でも食べようと思った。ちょっと歩くとスタバが見えたので、取り敢えず入ってみる。カフェラテを注文して席に着き、PCを立ち上げる。スタバはフリーWiFiだから良い。しかし驚いたことに、VPNが機能した。忽ちGoogleもFacebookも目に前に現れた。これは嬉しかった。明日の待ち合わせ場所や約束、メールの返信が自由に出来た。初めて北京で自由を謳歌した。この機会を逃してはいけない、李さんに連絡して、待ち合わせ場所を変更した。そしてサンドイッチを追加して、席でPCに熱中した。

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李さんとも色々な話をした。北京出身者の李さんでも、最近の北京にはかなり違和感があるようだ。ご家族の関係もあり、中国に戻るという選択肢はないようだ。しかし日本は本当に良い国だろうか。『日本はこれまでとても良い国であり、それが維持できれば今後もよい国だろう』というのが、結論ではなかったか。

 

また中国については『これ以上膨張することは難しい国。だから人々は海外へ逃げていく。これも古来からの慣わし。ただいつの時代にも逃げ出せない人々がいる。為政者と奴隷、これが中国の歴史的な基軸だ』とも。

 

日本で中国語を習い人がどんどん減っている。中国に旅行に来る人も最近ほとんど聞かない。ある意味で日本人は単純なのかもしれない。もっと強かに生きていかなければ、今後の東アジア情勢、アジア情勢、世界情勢に飲み込まれてしまうかもしれない。日本という国と日本人は一体ではない、と思うのだが、違うのだろうか。

 

旅好きの会

李さんと3時間も話してしまった。お土産にザボンをくれた。このザボン、冬の北京では毎日食べていた大好物。ホテルに持ち帰って剥いてみると、本当に良い香りがして、甘かった。そういえばバンコックでも常にザボンを売っている。北京とバンコック、共通点あるのだろうか。

 

そしてまた外へ出た。既に街は暗くなっている。バスに乗り東直門へ向かう。この区間をバスで走ったことはなかったが、仕事で通ったビル、マッサージに通ったビル、何度もレストラン、誰かが住んでいたマンション、と懐かしい風景が次々に出てきた。そして東直門のもの凄い人ごみ。北京はそれほど変わっていないのかもしれない。変わったのは私の心に方か?

 

指定されたレストランは、私が帰任後に出来たシンガポール系の立派なビルの中。店内もきれいでレストランもきれいだった。ここで北京料理を食べる。私は好きな物を一品だけ注文し、後は皆さんに任せた。

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今日は昔開催した旅好きの会の大姉御Yさんを中心にした会。ライターのTさん、写真家のSさん、料理大好きKさんなど、気が付けば完全な女子会に一人ポツンと座っていた。まあ、お茶会などでも参加者の殆どが女性、ということはよくあるので気にはならない。しかも皆さん、気心が知れているので、楽しく過ごした。

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旅行会社を経営しているYさん、『2年前から日本人観光客は殆ど来ない。日本人を当てにした商売などとっくにできていない。既に中国人の海外旅行に絞って、しかも団体ではなく、個人旅行の手配をしている』と。行先は日本ばかりではなく、タイでもバリでもどこでも付いていく、そうだ。今年は中国人の海外旅行者数が1億人を越える(但し香港だけで2000万人以上で、大半はアジアだが)。日本への受け入ればかりが話題となるが、中国から全世界への手配、これは大きな市場だな。

 

日本人の若者が海外へ行かない、と言われて久しいが、私がアジアを歩いていると多くの若者と出会う。勿論バブル期などとは比べ物にならないだろうが、海外へ行きたい、行ってみたいという人は必ずいる。ただ昔は中国を目指す若者が多くいたが、今は少なくなり、東南アジアが増えているということかもしれない。

 

帰り際にある人が『そろそろ潮時かもしれない。ずっと北京に住むと思い込んでいたが、限界が来るような気がする。ただ急に日本へ帰っても適応できるか心配だ』と言ったのが印象に残る。中国では言葉にいい表せない何かが確実に存在し、我々の居心地を悪くしている。これからも中国から引き揚げる日本人が増えるのは避けられない。

北京寄り道散歩(2)視界不良な北京

10月18日(土)

バックパッカーの会

翌朝はゆっくりと起き上がる。朝からネットが繋がらず、旅行記を書いた。10時過ぎにはホテルを出てTさんの家へ行く。Tさんとは25年来の付き合い、今年彼が北京赴任を果たしたので、訪ねていく。有難いことに自宅に泊めてもらえるとのことで、1泊お願いした。取り敢えず、1泊分の荷物をかれの部屋へ運んだ。この家、昔から何人もの知り合いが住んでいる古い場所。懐かしい。

 

すぐに崇文門へ向かう。地下鉄1号線、2号線と乗り替え、何とか辿り着く。そこから指定のレストランまで、意外と探すのが難しかった。北京の道は基本的に碁盤の目、だったが、偶に曲がった道などがあると調子が狂ってしまう。また近いと思っても歩くと距離があるのが北京の特徴。

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ようやく見つけた店は紹興料理、懐かしい「咸亨酒店」。魯迅の小説、「孔乙己」の舞台になった咸亨酒店から店名が付けられた。紹興にある咸亨酒店は1894年に魯迅のオジサンが開業したとか。そういえば北京には「孔乙己」という名のレストランが3軒あり、よく通ったものだ。これまた懐かしい。

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個室が予約されていたが、何と定刻に誰も来ていなかった。今日は北京のバックパッカーの会に呼んで頂いたのだが、皆さん、レストランが見付からず迷っていたとか。え、それでバックパッカー?と思わず突っ込むと『実は今日のメンバーはちょっと旅好きなだけで本物のバックパッカーはいない』とのこと。え、何で?

 

この会は主催者のNさんが3年ほど前に結成したものだった。私が6年前に結成?した旅好きの会、こちらは本当にディープな人が集まり、中国全省制覇した程度の生半可な人は放り出されたほどだったが。この会は随分と大人しい。まあ、それでも和気藹々、楽しく食事をした。今や旅好きの会の熱気が異常だったとしか思えない。

 

セミナー

2時にはここを出て、タクシーに乗り建国門へ向かう。今日は日本人会主催のセミナーに参加する予定で、しかもお話をしなければならないため、遅刻はできない。会場は賽特百貨店裏の高級マンション内にある、隠れ家的なプライベートレストラン。ワインを飲みながらフレンチでも食べる、と言った素敵な空間だった。

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既に主催者が集まり、順調に準備が進んでいた。開演の3時前には会場の席が埋まり、人が溢れた。私の話はありきたりのつまらない物だったが、第2部があり、そこでは北京で有名な人たちのパネルディスカッションが行われた。この人々を目当てに多くの人が詰めかけた様だ。

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北京という街は政治都市であり、また文化都市でもある。上海の方が日本人は遥かに多く住んでいるが、文化的な行事なら北京の方が人は集まる。それでも最近は日本人の数が若干減り、特に家族連れが減る傾向にある。以前駐在していた頃とは事情が違ってきているようだ。

 

そのまま、夜の部に移行し、ビュッフェパーティとなった。会場には顔見知りの人が沢山来てくれ、楽しく談笑した。定員40名とのことだったが、有料にもかかわらず、満員だった。ベランダに出ると夜風が爽やかだった。昨日も会った張さん旦那が鉄観音と白茶を皆に振る舞っていた。ワインを飲んだ後に白茶、いい組み合わせだった。

 

Tさん宅

パーティーがお開きになり、Tさん宅へ戻る。Tさんも別の会の関係で外出しており、いいタイミングで帰ることが出来た。昔話に花が咲く。何故かネットは繋がらない。不思議なくらい、ネットには嫌われている。Tさんの部屋は実にさっぱりしていた。余計な物は何もない、という感じ。スーツケース2個ぐらいでやって来てそのまま住んでいる、のではないか。もうある程度歳なのだから、それがシンプルでよい。

 

ただ映画好きのTさん、DVDや関連書籍はかなりあった。今日も映画好きの会を開いていたらしい。旧満州関連の研究もしており、かなりディープな感じが漂う。来月北京で開かれるAPEC、急に6連休になるとかで、アジアのどこかへ旅をしたい、と言われたので、バンコックを勧めたが、最終的にはチケットの関係などでホーチミンへ行ったようだ。

 

10月19日(日)

ホテルで朝和食

翌朝は6時台に起きてしまった。Tさんは日課のスイミングへ。私はすることもなく、ボーっとしていた。窓から外を見ると、やはりボーっと霞んでいた。北京の大気汚染の深刻さが良く分かる。実は今日は年に1回の北京マラソンその日。こんな中を走る人がいるのだろうか、と思ったが、翌朝の新聞では『毒ガスマスクをしては知っているランナー』などが1面を飾っていた。マラソンも命がけだ。因みに日本人参加者に聞くと、『参加料が高額で、しかも飛行機代まで払って、走らないで買える』という選択肢はないそうだ。まさに命がけ。

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朝食は近くのホテルで食べる。普通の朝食ビュッフェを食べるつもりだったが、何と『和定食』なるものがあったので敢えて頼んでみた。ウエートレスは一瞬『え?』という顔をしたが、そのまま注文を通した。しかし周囲の人々がどんどん食事を取り、どんどん食べる中、我々のテーブルには一向に食事が来なかった。まあ、急ぐ旅でもないし、ということで雑談しながら待った。

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かなりの時間が掛かって出てきた物は、確かに和食であったが、器は和ではなかった。焼き魚、豆腐、サラダ、ご飯とみそ汁。なるほど。最初は箸も出て来なかった。なかなか面白い。食事代はご馳走になったので良く分からないが、恐らく今の円安もあり、2500円位したのではないだろうか。またビュッフェより少し安いのかもしれない。北京の物価が上がったのか、円安なのか、何だかちょっと寂しい。

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それから部屋に戻り、また話し込む。11時過ぎにお別れして、また先日のホテルに戻りチェックインした。兎に角周囲が濃い霧に包まれており、心が沈む。北京に駐在する、ずっと住むのも大変だ。

北京寄り道散歩(1)新しくなった茶城

《北京散歩2014》  2014年10月17日-10月21日

 

10月17日(金)

ホテルで

フフホトへ行った帰りに北京で寄り道した。13日に東京から呼和浩特へ行く途中に経由した北京空港は目の覚めるような青空、まさに『北京秋天』だったのだが、今日は若干暖かいせいか、空は霧が掛かっていた。おまけに空港からタクシーに乗ったが、すぐに渋滞に嵌り、なかなか進まない。北京は秋が一番いい季節だが、こんな感じなら、あまり来たくなくなる。

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今回予約したホテルは燕沙のすぐ近くの大使館街だった。前回泊まったホテルがよかったのだが、既に一杯で取れなかった。やはり北京の秋は混んでいる。そしていいホテルはすぐに埋まる。そしてこのホテル、ネットは問題なくつながるのだが、VPNは作動しなかった。フフホトのホテルはサクサク繋がったので期待していたが、やはり北京は厳しい。

 

今晩は当初の予定がキャンセルになり、特にすることがない。そういう時はお茶屋さんへ行けばよいということで、張さんに短信を入れてみた。するとすぐに電話が掛かってきて、『実は先週子供が生まれたばかりで店にはいない』というではないか。2月に会った時はまだ兆候もなかったのか。時の早さを感じる。よく聞くと店番は旦那がしていること、店自体が移動していることを知り、取り敢えず、店に向かう。

 

バスに乗ったが、乗り間違えて次の停留所で降りて、また乗り直す。こういう時に北京のバスはいい。何しろカードを使えば僅か0.4元だから。ところが次に来たバスはちょっときれいだなと思っていると、何と2倍の0.8元した。それでも他のアジアの都市と比べても安い。東京など200円もするのだから、驚くべき違いだ。但しさすがに財政負担に耐えられず、もうすぐ値上げらしい。

 

新しい茶城

いつものバス停で下車して、言われた通りのビルを探す。以前の建物のすぐ近くに新しい茶城が出来ていた。茶城と言っても、下は宝石屋などで、3階になる。以前の建物は1階が骨董家具と熱帯魚屋という素晴らしい取り合わせだったが、今回この2つは別の場所へ移動したようだ。

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店舗は当然ながらすごくきれいになっていた。張さんの店などは、ドアが自動になっており、外からは開けることが出来なくなっていた。外から眺められるように透明のガラスなのだが、中へ入るには店の人がボタンを押す必要がある。店はなんとなく広くなっていた。以前のビルにあった店も大半はこちらに移転してきている。お茶屋はそれになりに儲かる商売なのだろう。

 

張さんの旦那は昔から鉄観音茶に嵌っており、鉄観音以外はあまり飲まない。それが今回訪ねてみると『お客さんから教わって白茶の良さに気が付いた。これからは高級白茶を扱っていく』という。確かに世の中は白茶ブーム、だが、それでいいのだろうか。まあ、売れる物を売らないと商売にはならないし、客が欲しい物を用意しないとこれまた商売にはならない。彼もその辺をわきまえた様だ。

 

確かに出された白茶は味わいがあった。だが安い物でも500gで、2万円以上した。高い物は500gで7万円。それでも中国人の好き物は買っていくらしい。どうかしているんじゃないだろうか、この価格。まあお金持ちの常連さんばかりを相手にしていれば、それでも成り立つのだろう。それで引っ越しもできる訳だ。子供も2人に増えたし、頑張らねばならない。

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一人ご飯で

色々と話し込んでいる内に暗くなってしまい、引き上げる。このビルも6時閉店は変わらない。皆店を閉め、トイレに行き、出口へ急いでいた。外へ出ると、ちょっと涼しい。フフホトと北京、あまり気温は変わらない。ローソンが近くにできていた。本格的に進出か。

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バスに乗り、三元橋を過ぎたところで、下りる。ちょうど懐かしい日本料理屋の看板が目に入ったので、寄ってみた。金曜の夜だが、お客はまばら。ママが寄って来て、『明日のお昼は食べ放題だから是非来て』という。日本円にして1200円ほどで食べ放題、どんなものだろうか。それにしてもお客確保が難しい様子が見て取れた。

 

フフホトでは当然肉中心だったので、焼き魚定食にした。サラダに茶碗蒸し、そして漬物とフルーツが付いて、38元、値段も味も何ら変わっていなかったが、昔は安いなと感じたこの値段、今の円安で換算すると、750円ぐらいになっている。この品質ならむしろ高い、と言わざるを得ないが、他の店は値段を上げているだろうから、やはりこの店は値段相応なのだ。

 

トボトボと歩いてホテルに戻る。やはり何となく活気のない街、北京。これは単に空気のせいなのだろうか、それとも何か別の要因があるのだろうか。大使館街の夜は特に静かで寂しい。

 

北海でリゾート2014(6)南寧 掟破りの高速バス乗車

8月28日(木)

朝食を抜く

今朝は早めに起きたが、なぜか腹が空かない。折角朝食は付いているのだし、広州へ行くバスは8時間もかかると聞いているので、途中で食べられるかどうかも分からない。それでもどうしても食べたくないので、思い切って抜く。これはちょっとした賭けだが、体調が悪くなるより空腹の方がマシ、という判断。

 

8時台は混んでいるエレベーターもすんなりやって来て、チェックアウトも直ぐに済んでしまった。時間があるのでロビーでネットをして過ごす。このホテルは駅前ホテルであり、朝鉄道で着いたお客がチェックインしてきている。時間貸もしているので、4時間だけ寝る、という客もいるようだ。

 

8時45分には切符売り場に着いていた。オジサンも顔を覚えていて『広州だな、ちょっと待て』と。まあこれなら安心か。9時前に運転手を先頭に歩き始める。バスは駅前にはない。歩いているのは数人だけ。ミニバスだな、と直感。案の定、ミニバンに乗り込む。5人家族と男性一人と私。ところが運転手は実にのろのろと運転している。これは完全に時間調整だと分かる。

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途中で男性一人を下ろし、9時40分ごろ、郊外の道路脇に車が停まる。おばさんが一人で迎え、何とミニバンは去っていく。家族のお母さんは心配そうに『騙されてないよね』と聞いてくるが、中国人に分からないのにこちらも答えを持ち合わせていない。ただ待つのみ。出迎えのおばさんは色々と話しかけてくる。時間潰しのようだ。

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高速道路からバスに乗り込む

10時20分になり、バスが来るというので急いだ場所は、何と高速道路。本来通行人は入れない筈だが、なぜか金網に穴が開いており、上に上がれた。と言っても道なき道を行く。高速脇で待つこと数分、広州行のバスが来た。兎に角急いで乗り込む。が、前が詰まる。何とバスに乗るのに靴を脱いでいる。これは初めての経験だった。荷物も直ぐに積み込まれ、バスは何事もなかったように走り出す。

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バスの中は3列の2段ベッド、床はすべすべしており、靴を脱ぐ理由が分かる。我々は残っていたベッドを確保し、座る、いや寝ころぶ。これももしやすると初めての体験かもしれない。いきなり床にあるベッドに寝転び、窓から外を眺める。当然低い位置から見上げる形となり、空がよく見えた。青空だった。布団を掛けてクーラーを避け、快適に過ごす。

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快適なバスの旅は続く。車内にはスクリーンがいくつも備えられており、香港の古い映画をやっている。全て広東語である。多くは布団にくるまって寝ているのだが、お構いなしに大きな音で映画は続く。内容も香港に有りがちなヤクザの抗争物。2本もこれが続くと飽きてしまう。

 

3時間に一度は休憩があると思っていたが、途中で停車したのは一度だけ。運ちゃんのごはんの時間だけだった。そのサービスエリアはシャビーな感じで、ご飯を食べる気が起こらなかった。乗客の多くはスナックを買い、ボチボチ食べている。バスの旅ではあまり食べない、飲まないのが安全だ。

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それからはひたすら走り、同じような景色の中を停まることはなかった。夕方5時ごろ、ようやく広州へ入ったと思ったら、仏山と書かれている。一体どこへ行くのだろうか?広州のどこへ着くのかも確認していなかったで、ちょっと心配に。更には渋滞がひどくなり、バスが進まなくなる。何と予約したホテルからは『部屋は午後8時までしか確保しないから』と電話まで入る。俄かに慌ただしくなるが、一向に進まない。

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6時前についにバスターミナルへ着いた。だが運転手から聞いた『地下鉄に繋がっている所』とは名前が違っていたのでどうするか迷う。その時外を見上げると、何と高架に電車が走っているではないか。聞けばこの電車が地下鉄に繋がっているという。慌てて裸足でおり、荷物を確保した。広州までの道のりは実に遠かった。

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あとで聞いたところ、中国のバスではこの高速道路乗車が各地で行われているという。ただその理由が『出発時点の乗客数に対して税金が掛かるため、バス会社は違法な場所での乗車を行い、売り上げを隠す』らしい。中には規定数以上の乗客を乗せる場合にもこの手法が使われている、との証言がある。さすが中国、政策あれば対策あり、だが、安全面への配慮は是非お願いしたところだ。すきっ腹を抱えて広州へ。食は広州にあり、さてどうなるのだろうか。