中国最北端を行く(12)ハルピン PM2.5で空港閉鎖

2月24日(月)

6.ハルピン2

ハルピン街歩き

東駅から地下鉄に乗り、ホテルに戻る。これで3度目のチェックイン。さすがにもう慣れたが、毎回パスポートを出させてコピーを取るのは如何にも中国。少し疲れたので休息。予定されていたランチは先方の都合でキャンセルとなり、ホテル横のレストランへ。お客は殆どいなかったが、なぜか台湾人が昼から酒飲んで大声でじゃんけんしていた。

 

午後はハルピンの街へ。27年ぶりなので、ちょっと歩いて見たかった。先ずはハルピン駅へ。ここから27年前、満州里へ向かい列車に乗った。駅前は大工事中。勿論きれいにはなっていたが、面影は残っており、感激。そしてその時使用した待合室が、今年オープンして物議を醸した安重根記念館になっていたのには驚く。入ってみたかったが、月曜日は定休日で見学できず。

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駅前には旧大和ホテルの建物がそのまま残っていたが、今は使われていないようだ。旧日本領事館も残っている。ハルピンは開発が遅れているのか、歴史を大切にしているのか。日本時代の歴史を大切にするとは思いにくいので・・。ハルピンは日本以外にもロシアやヨーロッパの色彩を色濃く残している。ポーランド商人が建てた私邸が博物館になっていたりする。

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中央大街にも行ってみる。ここは完全に別の街になっており、今や観光スポット。お洒落なカフェやユニクロなどもあり、あまり感心しない。ここに宋さんお気に入りの湯包屋さんがあり、入ってみる。午後3時でもお客がおり、今でなければ席はないと言われる。ちょっと試食のつもりが1人1籠、とても美味しいのだが完全に満腹となり、動けない。

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27年前、唯一記憶があるロシア正教会へ。そこも周囲がとてもきれいになっており、ごちゃごちゃ感は一掃されていた。教会自体は古いまま、時計の針はかなり進んでしまったようだ。

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帰りはタクシーもなかなか捕まらず、苦労する。ハルピンでは最近夜繁華街ではタクシーは捕まらないと聞く。零下20度台、外で車を待つのは無謀ともいえる。我々は夕方4時台だったが、既に陽は傾き、十分に寒さを感じた。ハルピン最後の夜だったが、さっきの湯包が重すぎて、コーヒーを飲んで終わりにする。とにかく今回も食べ過ぎの毎日だった。

 

2月25日(火)

空港閉鎖

翌朝は少し霧が出ていたが、前は十分に見えた。宋さんにタクシーを予約してもらっており、余裕をもってホテルを出た。空港までの道も慣れたもの。これでハルピンともお別れか、と思っている内に空港に着いてしまった。チェックインは順調だった。今日はこのまま北京経由で東京に戻るのだが、預け荷物は北京で一度拾って、また国際線のチェックインをしなければならいと聞き、ちょっと嫌な予感が。

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北京行のエアチャイナはちょっと遅れていた。というか、全体的にフライトが遅れ出した。心配していたが、ほぼ定刻に搭乗となり、一安心。ところが飛行機が滑走路に近づき、さあ離陸、と思ったところ、動かなくなる。順番待ちだろうか。少しして動いたのでほっとしたところ、動いていく方向がちょっと違う。何と元に戻り始めた。そしてアナウンス『たった今、空港は閉鎖になった』と。えー?

 

外を見ると確かに前方が見えないほど、視界が悪い。これぞPM2.5の脅威か。飛行機から降ろされ、休息。いつ晴れるともわからない霧を眺める。N教授の東京行は、北京4時発、私は5時20分。現在は12時過ぎ。まだ余裕があった。そこへアナウンスがあり、『弁当を取りに来い』と。これは当分飛ばないと腹をくくり、弁当を食べ始めた。

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すると何と『急いで搭乗しろ』とのアナウンスも。どうなっているんだ、皆弁当を抱えて乗り込む。確かに搭乗しているので、これでまた安心。だが、飛行機はそこから一向に飛び立たない。結局午後2時ごろに離陸した。

 

ハルピン―北京間は約2時間。N教授の東京行には全く間に合わないが、私のフライトには何とか間に合う時間だ。やれやれ、と弁当をかっ込み、寝る。しかし最終的に北京に着陸したのは午後4時20分近かった。

 

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