《広東茶食旅(広州・潮州・深圳)2025》(2)突然芳村茶市場を再訪

3月15日(土)また茶市場へ

昨日まで少し体調が心配だったが、昨晩の爆食で寧ろその心配が無くなった。今朝も朝から宿の朝食を食べていく。今日は天気が悪い予報なので、近所を散歩した。三元里抗英闘争記念公園に入ると、階段を上った先に大きな記念碑があった。抗日記念碑というのはよく見たが、1841年のアヘン戦争時に抗英活動があったというのは見た記憶がない。ちょっと興味を持ったので、三元里村を歩いてみる。

昨日ご飯を食べた店があった道の名は何と「抗英大街」だった。昨日歩いた細い路地も「抗英七巷」などと書かれている。そういえば30年位前の広州駅の北側って、ちょっとしたスラムのように地方から出てきた人々が重なり合っていた印象があるのだが、ここも関係あるのだろうか。今はとてもきれいになっているが。三元古廟というお寺には「平英団旧址」と書かれており、中を覗くと、抗英がどのように行われたのかの詳細な展示がある。

中国にとってアヘン戦争は近代最大の屈辱であり、またこのために150年以上に渡り、世界に後れを取ってしまった、その原因を作った戦いとの認識があり、この地域の人々にとって、抗日より前の時期に、英国に一矢報いたというのは殊の外重要なのであろう。愛国教育上では全国的には行われていないにしろ、広州ではきっと何かの活動があるのだろう。順徳のお寺で見た大砲が何となく思い出される。

部屋に戻り、洗濯をした。この宿は全店で洗濯・乾燥無料なのが良い。勿論洗剤なども常備されており、しかも機械は新しい。洗濯物を入れて30分後に戻ってみると、なんとスタッフが乾燥機に移し替えて、乾燥が始まっていた。聞くところでは、お願いすれば洗濯して部屋まで運んでくれるそうだ(こういうサービスが日本で好まれるかは人によると思うが、私的にはとても有り難い)。

実は昨晩知り合いのHさんから連絡があり、今度雲南のプーアル茶を見学に行くという。折角なので一緒に行かないか、と言われ、話を続けるうちに、その雲南の茶園主は広州茶葉市場に店を持っていることが分かり、急遽午後行ってみることになる。ところが外は予報通りの雨。取り敢えず車を呼んでみたら、料金表示は出てくるけれど、車は来ない。

そして「15元の保証金を払えば、車が来るよ」というメッセージが表示されたので、OKすると随分遠くから車が回って来た。強い雨の中、道路脇まで走って乗り込む。結構渋滞する中、何とか芳村へ入り、何と昨日と同じ茶城の前に着いた。しかもその後見てみたら、15元の保証金は即座に返却されていて驚いた。こんなサービス、日本には絶対にないな。

その店は茶城の顔ともいうべき、1階の中央にあり、すぐに見つかった。オーナーは雲南に行っていて不在だったが、店長という若い女性が対応してくれた。扱っている茶は氷島を中心にしたプーアル茶だったが、台湾のコンテスト入賞という看板もかかっている。聞けば昔は烏龍茶を作っており、その後プーアルに転じたらしい。オーナーは客家系とか。ちょっと興味が沸く。氷島プーアルは相変わらず甘い。

お茶を飲んでいたら雨が止んだので、歩いて地下鉄駅まで行き、何となく海珠広場まで行こうと思ったが、何と反対の車両に乗ってしまい、随分と遠回りした。それでも2号線に接続しており、1回乗り換えで到着した。この辺で昔よくご飯を食べたことを思い出したのだが、6年ぶりの広州は当然変わっており、よく分からない。

昨日張さんから広州に来たらやはり白切鶏は食べた方が良い、と言われたのだが、探すと意外に見つからない。古い建物が並ぶ道をどんどん歩いていき、最後に行き着いたのが、何と潮州系のお店。でも疲れて腹も減っていたので、そこで白切鶏を頼んで食べた。何となく寂しい夕飯になってしまったことは否めない。

《広東茶食旅(広州・潮州・深圳)2025》(1)懐かしの芳村茶市場へ

《広東茶食旅(広州・潮州・深圳)2025》  2025年3月14日‐22日

3月14日(金)広州茶市場で

三元里駅で降りる。地上へ上がると、ここがどこだかよく分からない。確か6年前もここに泊まったはずなのに、既視感が無い。百度地図で何とか宿へ辿り着く。フロントの男性が「あなたの部屋は窓が小さい。無料アップグレード券を使いましょう」と言って、とてもいい部屋に案内してくれた。広々として気持ちが良い。何とも有難い配慮。

取り敢えずランチを食べるために外へ出た。さっきの駅とは反対方向に足が向く。何となく既視感がある道。その先の道の向こう側には明らかに見覚えのある門。そうだ、6年前もここを潜ってご飯を食べたのだ。そこへ行くと、検問があり電動バイクのチェックが厳しい。爆発があったのだろうか。

この道に食堂は沢山あった。何を食べようか迷っていると、何と6年前に食べた店が現れる。やはり人間は同じような店に入ってしまうものだ。そこで潮汕雑錦粥を食べてみる。これは美味い。確か香港の長洲島で食べた粥に近い。それからその辺の横道を入っていくと、徐々に薄暗くなり、まるで迷路に迷い込んだようになる。これはハノイでも体験した道だった。この類似性はなんだ。

ようやく路地を抜けだし、入ってきた門を出る。そのまま宿と反対方向に歩いて行くと、新しい駅が出来ていた。地下鉄11号線、これに乗れば芳村茶市場まで数駅で到着するという。世の中便利になったものだ。従来の芳村駅ではなく、一つ前の石囲塘駅で降りれば、メインの茶市場はすぐだ。因みに11号線は広州駅と広州東駅も路線に組み込まれているが、現時点では通過している。これが繋がれば非常に便利な線になるのだろう。

石囲塘駅から地上に上がれば、懐かしい茶市場が目に入る。ただ今日予約している張さんの店はここから少し離れた別の茶城に居るという。歩いて約10分、横断歩道を渡るとその茶城が見えてきた。指定されたところへ行ってみたが、何とその店ではなかった。保安のおじさんが、連れて行ってくれたのは3階。確かに6年前に来たことがあるように思えたが、何とそこにも人はいなかった。

何しろほぼお客が歩いていない茶城。保安のおじさんも暇なのか親切で又近寄ってきた。もう一度電話してみると、ようやく繋がり、張さんの居場所が分かった。ちょうど3階から2階に引っ越したところで混乱したようだ。まあ何とか6年ぶりの再会を果たす。6年前は広州、そして潮州へ連れて行ってくれ、茶産地及び潮州料理食い倒れツアーを主催してくれた人物だ。

この6年の間にはコロナ禍もあり、その環境は激変した。ちょうどお茶屋を始めたばかりでコロナに当たり、張さんは茶の歴史や文化にも興味があったのだが、それを深めていく余裕はなかったらしい。広州のインフラはかなりの改善を見せていたが、人々の生活は改善されているとは限らない。最近調べているプーアル茶の歴史など、実は6年前既に張さんとは随分深く話していたことを忘れていた。今日はこの辺のネタでお茶を飲みながらずっと話し続ける。

夜は張さんが潮州料理屋に連れて行ってくれた。少し雨が降っており、車が来るのに時間がかかる。街のど真ん中、川沿いのショッピングモールまで行く。そこにあるレストラン、オープンスペースに食材が並んでおり、如何にも潮州料理屋だ。張さんはサクサクオーダーしていく。彼女は特級調理師の娘であり、食にはことのほか詳しい。

野菜を煮込んだ上湯スープの野菜が実に柔らかい。滷味はほぼ完ぺきな出来。魚もちょうどよい蛋白さ。身がサラサラ口に入っていく。ニラの入った饅頭が美味い。気が付くとどんどん食べてしまい、腹が一杯になるが、それでも最後の麵までしっかりと食べてしまう。途中からは会話も忘れて、食べる食べる。帰りは張さんに送ってもらったが、金曜日の夜でなかなか車が来なかった。広州は何となく元気だ。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(7)順徳から地下鉄で広州へ

ちょうどそこに地下鉄駅があったので、折角なので練習を兼ねて一駅乗ってみることにした。ようは切符をどのように買うのか、身分証などが必要なのかの確認だったが、全くの杞憂。自販機で5元、10元札を入れるだけで簡単に買え、簡単に乗れた。ここでも現金使用に問題はなかった。一駅で降りて宿に戻る。

夕方ちょっと外へ出て夕飯にありつく。近所で煲仔飯を食べる。きれいなお店で、メニューがすごく多い。具材によってはかなり高いのだが、私はいつもの腊肉飯にする。おこげが香ばしくてそそられる。煲仔飯も広東料理の代表の1つと言われているが、順徳あたりが発祥なのだろうか。先日池袋で食べた時と、代金はほぼ同じ。夜は卓球を見て過ごす。

3月14日(金)広州へ

何だか疲れが出てきた。これまでそれほど大変な旅をしてきたわけでもないのに、老化が激しい。宿に付いている朝ご飯をゆっくり頂く。中国ではとにかくお粥だ。それでも牛腩を見付けて手を出し、思いっきり粥に入れてしまう。まあ食べられるうちは、まだ元気だということだろう。

今日は広州へ向かうのだが、その前に散歩に出た。昨日博物館に行く時、車で通りかかった川沿いの古い町並みが気になっていた。歩いてみると10分ちょっとで到着した。この辺りが100年前の順徳繁栄の源らしい。川の向こう側に古い家がずらっと並んでいたので、橋を渡ってみる。

既に住んでいる人は多くはないようだが、狭い路地に家々はキレイに残っており、一部は改修もされている。この敷地、川向うから見た時より、はるかに広いことが分かる。街の文化財として保存されているのだろうか。武帝廟があり、住人が静かに祈りを捧げているのは印象的だった。

そこから川沿いに進むと、第一埠頭が見えてきた。ここは観光地化しており、その先が我が宿がある観光街に繋がっている。この辺が昔の中心であることはよく分かる。もう少し何か食べてみたかったが、腹がそれを許さず、順徳美食の旅はここで終わりを告げた。後は部屋に戻り、荷物を整理して駅へ向かった。

宿のすぐ近くに大良鐘楼駅があった。広州までどうやって行こうかと検索したら、何と地下鉄を乗り継げば行けるという。何とも便利になったものだ。駅の自販機で切符を買おうと思ったが、広州駅までの料金が分からず案内所で聞くとすぐに教えてくれた。仏山市から広州市へ向かうのだが、通しで切符は買える。しかも僅か9元だった。

仏山地下鉄3号線に乗るときれいでよい。仏山には一体どれだけの地下鉄が走っているのか。4号線まで確認した時、途中の北滘公園で広州地下鉄7号線に乗り換えた。広州の路線がここまで伸びてきている。この駅では電車の両サイドのドアが開く。ここで双方が折り返すということか。次の駅名は「美的」、懐かしい企業名だった。

検索通り、7号線を石壁駅で降りて、2号線を待つ。ところが2号線は広州南駅始発であり、7号線の1つ前の駅でもある。案の定、やって来た2号線は大混雑。こんなことなら、南駅で降りて始発を待てば座れたのに、とだんだん欲が出てくる。そこから広州方面を向かうので乗客はどんどん増えてかなり疲れた。最終的に広州駅の1つ先、三元里まで合計約1時間半かかったが、無事に何とか広州に到着した。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(6)順徳散歩

昼過ぎに外へ出て、ご飯を探す。飲食店が多い道を歩いていると、陳村麺という文字が見え、何だろうと思っていると、老板娘が「これ美味しいよ、入って」というので、釣り込まれる。店は繁盛しており、まあ安心かな。牛腩蒸陳村麺を注文すると老板娘が「麺と一緒に魚皮も食べるといいよ」というので、「一人では多過ぎる」というと、「順徳名物魚皮はサラダみたいなものだから大丈夫」というので食べてみることに。

確かに魚の皮とピーナッツなどを混ぜて食べる、かなりあっさりした食べ物で美味しい。麺は想像通りボリュームがあったが、それでも何とか食べられてしまった。この老板娘、かなりの勧め上手、商売上手。他のお客にも巧みに色々と売り込んでいるが、決して嫌みが無く、素晴らしい接客と言える。最近こういう人を見かけることは日本でも中国でも少なくなった。

腹が一杯になり、散歩が必要だと痛感する。宿のはす向かいには、順徳慈善会という洋風の建物が立っていたが、その裏山に革命烈士記念碑があるというので、登ってみる。これがかなり急な坂道、階段の連続でバテル。息が上がった状態のまま記念碑の写真を撮ると、またすぐ下へ降りた。実は下に古そうな建物群が見えたので、気になってしまう。

そこはお寺だった。西山廟は明代創建で、元は関帝廟だった。桃園の誓いなど、関羽絡みのモニュメントも壁に付いている。境内には道光年間に作られたという大砲も飾られている。アヘン戦争などでこの地が戦乱に巻き込まれたことが想起される。恐らくはこの寺は文革で破壊され、改革開放後現在の姿になったのだろう。

何だかそのまま観光に行きたくなり、車を呼んだらすぐ近くにいた車がぐるりと周辺を回ってきたので、ちょっと驚く。恐らくナビの指示通りに運転しているのだろうが、客が見えているのに通り過ぎるのはどうだろうか。ルートを外れると会社から怒られるのかもしれないが。

30分ほど車に乗る。昨日降りた高鉄順徳駅をさらに越えて行ったから、かなり遠かった。そこは「碧江金楼」と呼ばれる大邸宅だった。ただ遠いこともあり、昨日の清暉園と同様の規模を誇る素晴らしい庭園もあったが、観光客の姿はまばらだった。ここも科挙合格者を出していたようで、教育の重要性が現れていた。メインの金楼、確かに2階の扉などはかなり金で覆われていたが、何となくしっくりこない雰囲気は何だったんだろう。

金楼を出て、大通りを端から端まで歩き、周囲を散策してみたが、観光地に人は殆どいなかった。店の人たちも手持無沙汰で、眠ったような場所だった。今の中国の観光地は二極分化しているのかもしれない。入口の門まで歩き、車を呼んだ。このまま宿に帰るのも何なので、地図で見付けた天后宮へ寄ってみた。ところが午後3時過ぎで門は既に閉まっていた。

横に古い建物があったのでそちらを見ていたら、横から天后宮に入れた。中では数人が集まって何か話していたので、静かに拝んで退散した。ここも明末に創建されたようだが、幾多の混乱の後、現在の姿になっているようだ。そこから歩いて宿まで帰るつもりが、チェーンホテルのもう一つ方に歩いて行ってしまったことに気が付いたが既に遅い。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(5)順徳は華人のふるさと

何となく疲れが出てしまい、部屋に戻って休息する。クーラーがかなり部屋を冷やしており、寒くて仕方がないが、どこを押したら止まるのかも分からない。電話するとすぐに係員が来て、ベッドの横を指す。古い設備を一部変えると、どこがどうなっているのかさっぱり分からない。

夜の早い時間に2階のレストランへ行く。シャワーを浴びて、今日はもう外へ出る気がなかった。お客はまだ誰も来ていない。一人でメニューを見ながら「順徳の名物はどれか?』とスタッフに聞いてみると「炒牛乳が美味しいよ」と教えてくれたが、さすがに牛乳を炒めるという文字に恐れをなして注文せず。

結局魚球と焼きそばを頼んだのだが、非常に美味しかった。そしてそれ以上頼もうとするとスタッフが「一人だと食べ切れないよ」と親切にアドバイスをくれる。こんなところが、売上重視ではなく、何となくよい。そしてお茶はプーアルを頼んだが、一体いくらするんだろうと気にしていると、何と僅か2元だった。一応それなりのホテルのレストランでこの料金は凄い。大満足の夕飯だった。

3月13日(木)順徳博物館で

昨晩はかなり早く寝たので、早めに起床。体調を考えて朝ご飯を抜こうかと考えたが、何となく回復基調だったので、朝粥を食べに行く。ホテル代に朝食が含まれていたので、ちょっと食べるつもりが、そこは広東、飲茶の点心があり、揚げ牛乳まであって、ついたくさん食べてしまう。

腹がくちたので、そのまま散歩に行く。近所に市場があり、人がかなりいる。ご飯が食べられる店は殆ど開いていなかったが、活気はある。その裏側に回ると、所謂老街が広がっており、古めの建物がずらっと並ぶ街並みが出現した。ここは観光客が歩く場所であるようで、老舗と書かれているが店は新しい。

一度宿に戻り、車を呼んで出掛ける。取り敢えず順徳を知るために博物館へ行ってみる。車は20分ほど走り、かなり郊外の新しい街?にやってくる。新しいオフィスや住宅がそこにあり、博物館もまた新しい。ただそこには地元中学生が社会科見学?に来ており、大混雑で中に入れない。そもそも登録とかどうするのか分からなかったので保安に聞いてみたら、そのまま通してくれた。無料。

すぐに目に付いた華人の歴史展示へ。順徳人は香港にも沢山いるが、もっと昔から海外移民していた様子が分かる。具体的にシンガポールなど東南アジアへ移民した人の歴史が細かく書かれていて面白い。ペナンの順徳会館は1838年設立となっているが、随分と早い。バンコク、スクンビットであった上海大酒楼も順徳人がオーナーだった。

更に目を惹いたのは、マダガスカル、モーリシャス、セーシェルなど、南洋、アフリカ沿岸の島々に渡った人々が多くいたことだ。モールシャスの南順会館は1819年設立というのは本当だろうか。また最近大注目のレユニオン島にも同郷会館があり、あの謎の焼売は順徳人がもたらした可能性もある。

そして香港には英領となって以降、多くの順徳人が移住し、李兆基(恒基兆業)、鄭裕[丹彡](新世界)など、香港で世界的な富豪になった人物・一族も輩出している。私としては個々の料理や料理人の紹介なども欲しかったが、それは意外と難しいのかもしれない。他の展示も沢山あったが、中学生がとてもうるさいのですごすごと退散した。

周囲を歩いても面白くなさそうだったので、車で宿へ戻り、荷物を纏めて宿を変更した。近所にあった新しい宿はチェーンホテルの定宿なので、何があるか、どこにあるかなどほぼ分かっている。室内は機能的で、昨日の宿よりかなり現代風。ただ何となく、昔風を懐かしむ気持ちもある。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(4)珠海から順徳へ

何とか山を下りて、そこで車を呼ぶ。取り敢えず辺境へ戻って広場を歩くと、鄧小平の言葉が掲げられていた。珠海も4つの経済特区の1つだったが、深圳ほどは発展しなかった。今の私にとってはホッとする場所だが、ここに住む人々にとってはどうだろうか。その横に珠海駅と書かれた建物がある。行ってみると、何と高鉄の駅だった。

だが切符売場は自販機ばかりで身分証が無いので買えない。聞いてみると外側に窓口があることが分かり、そこへ行って並んだ。昔のような混雑はなく、すぐに順徳行きの切符が買えた。後は部屋に戻り荷物を取ってここへ戻るだけだったが、少し腹も減った。珠海名物はあまりなさそうだったので、気になっていた広西の螺蛳粉を食べてみる。タニシが入っているらしいが、あまり感じられない。少しスパイシーだが十分に旨い。体調も問題はない。

荷物を引きずって駅に戻った。高鉄に乗るには中国人は身分証をかざせば機械を通れるが、パスポートの人は人工入口を通らなければならない。ただ人は多くなく、すんなり入る。更に改札口でも同じことだが、老人のための端のゲートは人工なので問題ない。しかもよく見ていると、機械の真ん中の方にはパスポートでも通れる、との表示が見えたが、どうなんだろうか。

車内は、何と1両の後ろの方に席が無く(臨時の予備席のみ)、荷物が沢山置けそうだ。こういう設備に慣れていると、日本の新幹線は本当に狭くて荷物が置けないと感じるだろう。席は窓側だと思っていたが、そこは窓のない窓側。まあ1時間なので特に問題はないが、周囲の景色を写真に撮るのは難しい。

田舎を走り抜け、高鉄は順徳駅に着いた。ここは中国によくある高鉄駅で、周囲には何もない。出口に白タクが沢山いたが、それを無視して車を呼ぶ。本当に人が少ないので、すぐに見つかる。途中までは田んぼの横を走り、それから街中へ入る。何となく昔の中国旅を思い出す。

今日の宿は敢えてチェーンホテルではなく、香港系老舗ホテルにした。何しろ安いのだ。よくあるパターンだが、30数年前に作られ、既に老朽化は進んでいるが、部屋は広く、眺めがよく、居心地は悪くない。フロントの年配女性もちゃんと英語を話し、サービスも悪くない。何となく昔の香港を思い出す。以前は日本人も良く泊まったのだろう。

その部屋の窓から周囲を見ていると、古い建物が目に入ってくる。ああ、ここが清暉園か、ということは、順徳旧市街の中心に私はいるのだとようやく認識する。取り敢えず下に降りて清暉園を覗いてみる。門のところへ行くと、中国でよくある微信登録が必要だと書かれており、ちょっと面倒だなと思う。だがよく見てみると、「65歳以上は無料、60₋64歳は半額なので窓口へ」とあるではないか。

保安員に聞いてみると、ここは出口で、入り口は向こうだと言われ、行ってみると荷物検査後、さっき見えた切符売場へ。確かにパスポートを見せると半額の切符をくれた。中国の定年は今も男60歳、女55歳が標準らしいが、この60₋64歳の微妙な扱いは経過措置なのだろうか。そういえば珠海に入る時もそう言われたな。

清暉園は清代に栄えた龍家の広大な邸宅だった。観光客もかなりおり、順徳一の観光地のようだった。蘇州などでも見た、池を拝し、石山を築く豪華な庭園、そして立派な建築物。この地域で最も財を成した一族に相応しい邸宅だった。龍家は科挙合格者を多く出し、状元も輩出している。ここには日本の絵馬のような、試験合格を祈った御札が沢山下がっていた。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(3)珠海 宝順洋行の買弁

辺境を抜けると懐かしい拱北口岸の建物を眺める。こんなにスムーズにここを越えたのは初めてだろうか。最後に越えたのは10年前だろうか。何となく広場で休む。そこから歩いてチェーンホテルへ向かうが、思ったより遠い。その間、実に多くの食堂があり、目移りしてしまう。

宿の会員になっているが、全てはアプリ。しばらく使っていなかったので何故か会員カードが出て来ない。既に失効したのかと思ったが、スタッフがすぐに復旧してくれ(私が中国シムを入れ直してパスワードをゲットできた)、安く予約も取れた。本当に中国はアプリ社会になっており、もうついて行けない。

腹が減ったので宿の外へ出たら、横にお粥屋があったので思わず入ってしまった。大腸、たまご、そして野菜を頼むと白粥が付いてくる。現金を出すとちゃんとお釣りをくれた。これはいいと食べ始めたが、野菜がかなりしょっぱい。まあ粥にはいいかと食べ続けたが、どうにも耐えられなくなり、食事は終了となる。それから近所を散策したが、公園まで行ったところで体調不良が襲ってきて、慌てて宿へ逃げ戻る。完全にお粥で体調を崩してしまったらしい。

部屋に戻り、取り敢えず寝る。何となく3カ月も海外に行っていなかったせいか、東京暮らしに疲れが出ていたのかもしれない。寝込んでしまい、気が付くともう夜になっていた。ご飯を食べる気もなく、ただひたすら静かにしていた。何のために珠海に来たのか、などとは考えず、とにかく休む。

3月12日(水)珠海 宝順洋行の買弁

翌朝は体調が回復していたが、念のため宿で粥だけ啜って朝食を済ます。外は雨模様。前途多難だ。少し小降りになったので車を呼んだ。どこへ行くというあてもなかったが、清真寺が珠海にもあると分かり、そこへ行ってみた。しかし寺院は見付からず、シャッターが閉まっているところに清真寺と書かれている。掃除している人に聞いても、よく分からない。その隣にはウイグル料理店があったが、こちらも時間が早くて開店していない。

何も得られず、フラフラ歩いていると、愚園と書かれた場所があった。レストラン街かと思って入ってみると、その奥は公園になっており、誰かの像があった。その説明書きを読んでビックリ。彼は徐潤、清末の実業家だった。そして彼もまた買弁から成り上がり、宝順洋行で茶貿易をしていた。その後は招商局に入り・・。あれ、先日マカオで見た鄭観応とほぼ同じ経歴ではないか。何と彼らは晩清の4大買弁と呼ばれていたらしい。

ここは徐潤の邸宅があった場所だったが、文革中に徹底的に破壊されたという。マカオの邸宅は残っていたが、こちらは政治の荒波を潜っている。今も立派な池はあるが、建物などは一部復元されただけで、林の中に遺跡のように建物の一部が木に寄りかかっている。この徐潤についても鄭と同様、ちょっと調べてみたい人物だ。

何だか突然のことに気分が晴れて歩きたくなる。かなり歩いて行くと将軍山に出た。何となく遺跡でもあるかと登り始めたら、ものすごく急な階段がいくつもあり、途中から引き返すことも出来ず、疲労困憊した。頂上付近に行っても景色すらよく見えない、最悪の山登りとなってしまった。別ルートで降りていくと体操していた女性が「あれ、山頂は雨が降ったの?」と笑っている。確かに私の衣服は汗でずぶぬれ状態だ。でもこんな気楽な会話は好ましい。珠海にいくつか丘があり、自然がある。ちょっと住んでみたい街だ。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(2)マカオ 宝順洋行の買弁

3月11日(火)マカオ 宝順洋行の買弁

翌朝は快晴で散歩に出た。ネット検索で探した朝食屋が見付からない。遠くにマカオタワーが見えた。そこから何故か丘を登ってしまう。ずっと進んでいくとリラウ広場(亞婆井戸)という井戸がある公園に出る。ここはポルトガル人が最初に住み始めた地区の象徴的な井戸と言われているが、何とも気持ちの良い場所だ。そのすぐ近くに鄭家大屋という屋敷が見えたが、まだ開いていなかった。

その坂を下っていくと裏道へ出た。そこには活気があり、その昔を彷彿とさせる雰囲気が漂っていた。いい湯気が立っている食堂に想わず吸い込まれたが、店員は「ここで食べるの?」という顔をした。周囲は大声で広東語を話し、酒を飲んでいるおじさんばかりだったが、なぜかそこで食べたかった。勇気を振り絞って焼売と焼き豚を注文する。お茶も出てきたのでゆっくりと飲む。この店、近所の人は弁当を買う場所のようで、多くの総菜が並んでいた。

その周辺に観光客はいない、地元民溢れる場所だった。その先にはきれいな街市があり、その2階には店が並んでいる。ご飯は食べたのだが、ミルクティーは飲みたかったので注文した。香港ではこんな風にして淹れただろうか。店のおばさんが丁寧に教えてくれたが、美味しくは淹れられなかった。

そこからバスに乗り、媽祖閣へ向かった。地理が良く分かっておらず、僅か数駅で着いてしまった。ここには観光客が大勢来ていて、登りもきついので、途中で断念した。媽祖閣はマカオという地名に繋がる重要な場所だが、訪ねたのは20年ぶりだろうか。懐かしいというか、なんかポカンとしてしまう。

ポカンとしたまま、また歩き出した。緩やかな坂を上っていくと、何とさっきの井戸に出た。そしてさっきは開いていなかった華人屋敷の扉は開いていたので、思わず吸い込まれた。まさかマカオにこんなに大きな中国人の屋敷が残っているとは意外だった。広々とした空間、きちんと修繕された家屋、一体ここは誰の邸宅だったのだろうか。

それを知るには向かいにあった記念館に入る必要がある。鄭観応は清末民初の実業家・思想家。ただ私が何より目を引かれたのは、彼は宝順洋行の買弁からのし上がったということだ。当然茶貿易も行っていただろう。全く同じような買弁として、台湾茶の李春生がいるが、何か関連はあったろうか。その後鄭は招商局に入り、李鴻章との関係も深く、多くの事業を手掛け、財を成している。この邸宅は1869年に建てられたというから、招商局の前からかなり儲けていたということか。まあ、とにかく鄭観応については今後も調べてみたい。

そこからまた歩いているとマカオらしいきれいな教会があった。更に行くとついにセナド広場まで歩いてしまった。さすがに疲れが出る。宿に戻って少し休み、チェックアウトしてバス停に向かう。すぐにバスが来て、珠海とのボーダーまで運ばれていく。今やバスも地下駐車場に入り、そこから辺境へ向かう。

懐かしい門が見えた。そこは1987年初めてマカオに来た時に見た門だった。マカオ出境はいとも簡単だったが、中国側も思っていたよりはるかに人が少なかった。外国人ゲートは1つしか開いていない。ただその横に優先ゲートが開いていたのでそちらに回ったら、係員が「あなた、60歳以上なんだから、最初からここに並びなさい」と言われて驚いた。中国の定年は今も60歳なんだ、そして外国人も優先されるんだ、とふと思い至る。

広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(1)初めてのマカオ航空でマカオ空港へ

《広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025》  2025年3月10日‐14日

中国行きにビザが不要となったので、2025年の旅の主要テーマは必然的に中国になった。おまけに最近は茶の歴史をそろそろ引退し、食の歴史に転換したいと考えるようになっている。天津飯は天津にあるのか、と同様に、広東麺は広東にあるのか、など、ちょっと気になるテーマを持って広東へ向かう。

3月10日(月)マカオ航空でマカオへ

折角自由に広東に入れるので、どこから入ろうかと検索してみたら、ちょうどマカオ航空の成田‐マカオ線が目に入った。これまでマカオに空港があることは知っていたが、使ったことはないし、マカオ航空など考えてもしなかった。料金も手ごろなので、久しぶりに成田に向かった。

電車で安くいくには本八幡から京成八幡で乗り換えるのだが、この2つの駅の中間に日高屋がある。最近はほぼ行かないのだが、急に食べたくなることもある。五目あんかけラーメンと餃子のセットを注文したが、ある意味で今回の広東行きの目的の一つはこのあんかけ麺(広東麺)が広東にあるのか、という謎解きにあるので、まずは東京で食べる。

成田空港は久しぶりで慣れが無い。更にマカオ航空は初めてだったので早めに到着したが、何とチェックイン開始は2時間前からだったので、時間を持て余して店などを見て回る。2時間前にカウンター付近に行くと大混雑。だが係員からANAメンバーですか、と声を掛けられ、ちょっといいカードを持っていたら、すぐに横からチェックインさせてくれ、ANAと提携しているとのことで、マイルも付いた。税関も優先レーンを通り、初めて行くラウンジには人があまりおらず、ゆったりと過ごした。

飛行機は中型機で、8割程度の乗客だった。その多くはマカオパスポートを持っていたが、広東語ではなく普通話を話す人が多いと感じられた。日本人は多くはないが、子供を連れた日本人女性がいたので、珠海あたりの駐在家族かとみた。機内サービスは悪くなく、何と今時新聞が配られたので、思わずもらった。フライトは5時間近くかかり、夜のマカオに降りた。

マカオ空港に初めて降りた。日本人母子はすぐに中国方面のルートへ向かった。私は普通に入境に並んだが、進むスピードは速くスムーズに入れた。ここから路線バスに乗ろうとしたが、乗り場が見つからず、聞いてみたら、リズボア行きのバスに乗ればと言われたので、そちらに向かった。すると上の方を電車が走っているではないか。なんだ軌道車もあったのか。更にはカジノ行きのバスは無料で運んでくれたが、途中で一度乗り換え、その乗り換えが意外と大変だった。乗客は広東語を話す中国人が多い。マカオ空港から市内は意外と遠い。

何とかリスボアまで辿り着き、直前に予約した古いホテルにチェックインした。部屋は広くてよいのだが、機能性はあまりない。とにかく腹が減ったのだが、元気もない。見るとホテルの前に昔よく行ったポルトガル料理屋があるではないか。午後9時過ぎで客はいなかったが入ってみた。やる気のない従業員が面倒くさそうに対応してくれた。ここのスープは美味しかった記憶があるが、今日はそれほどとは感じない。料金だけは20年前の数倍になっているが、サービスはがた落ちだった。勿論カジノなどへは行かず、すぐに寝た。

静岡茶旅2025(4)静岡を散歩する

宿に荷物を置いて、県立図書館へ向かう。ただ既に沼津で調べはほぼ付いており、何となく気の抜けた滞在となってしまった。宿に戻ったが、いつもと同じホテルチェーンに泊ったのに、色々と勝手が違って驚く。あまりチェーンの意味がないようだ。しかも外国人の団体客を受け入れているため、大混雑、大混乱なロビーとなっている。

夕飯もまた町中華に向かう。安くてうまい、という評判を基に行ってみると、古めかしく、確かに安いので常連さんが沢山来ているが、料理の提供がやたらと遅い。しかもカウンターの目の前で年配者が一生懸命鍋を振っているので文句も言えないが、さすがに30分経っても出て来ないのにはびっくりした。隣のおじさんはずっと本を読んでいたが、料理が来ても顔を上げず、明らかに怒っていて怖かった。お姐さんたちも気を使ってくれ、漬物を沢山くれたが、料理の味は覚えていない。多分天津丼には味が無いのだろう。

2月17日(月)静岡で

本当は今日図書館へ行くつもりだったが、また休館日を選んでしまった。もうどうにもならない。取り敢えず外国人を押しのけて朝ご飯を食べる。それから荷物を整理して、外へ出る。天気も良いので散歩することにした。宿の近くを歩いて行くと、府中宿と書かれている。久能山への道もある。華陽院というお寺には、家康の祖母と五女の墓があった。その他家臣の墓もある。

フラフラしていると床屋が見えた。髪は伸びていたが、床屋へ行っていなかったので、興味本位でそこへ入っていく。1780円という金額も魅力的か。だが若い店員の対応はちょっとお粗末だった。きっと気分の悪いことでもあったのだろう。まあ様子を眺めているとそれほど雑でもないので、順番を待つ。

来ているのは老人ばかり。65歳以上は散髪の上、髭剃り、シャンプーも入れて1780円だからであろう。私も久しぶりに髭を当たってもらい、何となく気持ちは良い。ただ年齢を正直に伝えたので2080円だった。ここは有名な全国チェーンだと後で知る。すぐ近所の床屋は60歳以上で散髪のみ1100円と出ていた。これからは地方散髪巡りも面白いかもしれない。

そのまま散歩を続けた。浅間通りという昔ながらの通りを歩くと中間ぐらいのところに、新しい山田長政像が出来ている。なぜここにあるのかは分からない。その向かいには名前だけ知っている、お茶の旅を演出する旅行会社があった。静岡おでんなどの文字も見られ、ちょっとお腹が減ってくる。そのまま駅の方へ歩いて行くと東海道中膝栗毛を書いた十返舎一九の家跡がある。山田も1十返も静岡の生まれなのに、日タイ貿易にも膝栗毛にも茶が出て来ないのはなぜだろうか。

駅を越えて老舗中華店を探した。1963年と書かれている店にはちょっと行列が出来ていたが、サラリーマンたちはすぐに中に吸収されたので、一緒に入ってみた。かなり混んでいたが相席で確保。ついに広東麺を注文する。ここにはちゃんぽん麵もあるが、どうなんだろうか。広東麺は八宝菜をラーメンの上にかけたようなもので、広東にはあるかどうかわからない。

宿で荷物受け取り、今回はJR在来線で帰る。何だか三島で降りて立ち食いそばを食べたかったが、残念ながら腹が一杯で通り過ぎた。小田原でもそばを食べなかった。ちょうどよい時間に最寄り駅で停まるロマンスカーが無かったので、急行で帰る。千歳船橋まで来て、また腹が減り、久しぶりに丸亀製麺に入ってみる。何とうどんが丼ぶりに入ってきたが、汁はサーバーから自分で出すのだと聞き、ちょっと食べる気が失せた。何だか日本がおかしくなった気分であるが、これもまたご時世だろうか。