広東茶食旅(マカオ・珠海・順徳)2025(3)珠海 宝順洋行の買弁

辺境を抜けると懐かしい拱北口岸の建物を眺める。こんなにスムーズにここを越えたのは初めてだろうか。最後に越えたのは10年前だろうか。何となく広場で休む。そこから歩いてチェーンホテルへ向かうが、思ったより遠い。その間、実に多くの食堂があり、目移りしてしまう。

宿の会員になっているが、全てはアプリ。しばらく使っていなかったので何故か会員カードが出て来ない。既に失効したのかと思ったが、スタッフがすぐに復旧してくれ(私が中国シムを入れ直してパスワードをゲットできた)、安く予約も取れた。本当に中国はアプリ社会になっており、もうついて行けない。

腹が減ったので宿の外へ出たら、横にお粥屋があったので思わず入ってしまった。大腸、たまご、そして野菜を頼むと白粥が付いてくる。現金を出すとちゃんとお釣りをくれた。これはいいと食べ始めたが、野菜がかなりしょっぱい。まあ粥にはいいかと食べ続けたが、どうにも耐えられなくなり、食事は終了となる。それから近所を散策したが、公園まで行ったところで体調不良が襲ってきて、慌てて宿へ逃げ戻る。完全にお粥で体調を崩してしまったらしい。

部屋に戻り、取り敢えず寝る。何となく3カ月も海外に行っていなかったせいか、東京暮らしに疲れが出ていたのかもしれない。寝込んでしまい、気が付くともう夜になっていた。ご飯を食べる気もなく、ただひたすら静かにしていた。何のために珠海に来たのか、などとは考えず、とにかく休む。

3月12日(水)珠海 宝順洋行の買弁

翌朝は体調が回復していたが、念のため宿で粥だけ啜って朝食を済ます。外は雨模様。前途多難だ。少し小降りになったので車を呼んだ。どこへ行くというあてもなかったが、清真寺が珠海にもあると分かり、そこへ行ってみた。しかし寺院は見付からず、シャッターが閉まっているところに清真寺と書かれている。掃除している人に聞いても、よく分からない。その隣にはウイグル料理店があったが、こちらも時間が早くて開店していない。

何も得られず、フラフラ歩いていると、愚園と書かれた場所があった。レストラン街かと思って入ってみると、その奥は公園になっており、誰かの像があった。その説明書きを読んでビックリ。彼は徐潤、清末の実業家だった。そして彼もまた買弁から成り上がり、宝順洋行で茶貿易をしていた。その後は招商局に入り・・。あれ、先日マカオで見た鄭観応とほぼ同じ経歴ではないか。何と彼らは晩清の4大買弁と呼ばれていたらしい。

ここは徐潤の邸宅があった場所だったが、文革中に徹底的に破壊されたという。マカオの邸宅は残っていたが、こちらは政治の荒波を潜っている。今も立派な池はあるが、建物などは一部復元されただけで、林の中に遺跡のように建物の一部が木に寄りかかっている。この徐潤についても鄭と同様、ちょっと調べてみたい人物だ。

何だか突然のことに気分が晴れて歩きたくなる。かなり歩いて行くと将軍山に出た。何となく遺跡でもあるかと登り始めたら、ものすごく急な階段がいくつもあり、途中から引き返すことも出来ず、疲労困憊した。頂上付近に行っても景色すらよく見えない、最悪の山登りとなってしまった。別ルートで降りていくと体操していた女性が「あれ、山頂は雨が降ったの?」と笑っている。確かに私の衣服は汗でずぶぬれ状態だ。でもこんな気楽な会話は好ましい。珠海にいくつか丘があり、自然がある。ちょっと住んでみたい街だ。

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