3月11日(火)マカオ 宝順洋行の買弁
翌朝は快晴で散歩に出た。ネット検索で探した朝食屋が見付からない。遠くにマカオタワーが見えた。そこから何故か丘を登ってしまう。ずっと進んでいくとリラウ広場(亞婆井戸)という井戸がある公園に出る。ここはポルトガル人が最初に住み始めた地区の象徴的な井戸と言われているが、何とも気持ちの良い場所だ。そのすぐ近くに鄭家大屋という屋敷が見えたが、まだ開いていなかった。


その坂を下っていくと裏道へ出た。そこには活気があり、その昔を彷彿とさせる雰囲気が漂っていた。いい湯気が立っている食堂に想わず吸い込まれたが、店員は「ここで食べるの?」という顔をした。周囲は大声で広東語を話し、酒を飲んでいるおじさんばかりだったが、なぜかそこで食べたかった。勇気を振り絞って焼売と焼き豚を注文する。お茶も出てきたのでゆっくりと飲む。この店、近所の人は弁当を買う場所のようで、多くの総菜が並んでいた。


その周辺に観光客はいない、地元民溢れる場所だった。その先にはきれいな街市があり、その2階には店が並んでいる。ご飯は食べたのだが、ミルクティーは飲みたかったので注文した。香港ではこんな風にして淹れただろうか。店のおばさんが丁寧に教えてくれたが、美味しくは淹れられなかった。

そこからバスに乗り、媽祖閣へ向かった。地理が良く分かっておらず、僅か数駅で着いてしまった。ここには観光客が大勢来ていて、登りもきついので、途中で断念した。媽祖閣はマカオという地名に繋がる重要な場所だが、訪ねたのは20年ぶりだろうか。懐かしいというか、なんかポカンとしてしまう。

ポカンとしたまま、また歩き出した。緩やかな坂を上っていくと、何とさっきの井戸に出た。そしてさっきは開いていなかった華人屋敷の扉は開いていたので、思わず吸い込まれた。まさかマカオにこんなに大きな中国人の屋敷が残っているとは意外だった。広々とした空間、きちんと修繕された家屋、一体ここは誰の邸宅だったのだろうか。


それを知るには向かいにあった記念館に入る必要がある。鄭観応は清末民初の実業家・思想家。ただ私が何より目を引かれたのは、彼は宝順洋行の買弁からのし上がったということだ。当然茶貿易も行っていただろう。全く同じような買弁として、台湾茶の李春生がいるが、何か関連はあったろうか。その後鄭は招商局に入り、李鴻章との関係も深く、多くの事業を手掛け、財を成している。この邸宅は1869年に建てられたというから、招商局の前からかなり儲けていたということか。まあ、とにかく鄭観応については今後も調べてみたい。


そこからまた歩いているとマカオらしいきれいな教会があった。更に行くとついにセナド広場まで歩いてしまった。さすがに疲れが出る。宿に戻って少し休み、チェックアウトしてバス停に向かう。すぐにバスが来て、珠海とのボーダーまで運ばれていく。今やバスも地下駐車場に入り、そこから辺境へ向かう。

懐かしい門が見えた。そこは1987年初めてマカオに来た時に見た門だった。マカオ出境はいとも簡単だったが、中国側も思っていたよりはるかに人が少なかった。外国人ゲートは1つしか開いていない。ただその横に優先ゲートが開いていたのでそちらに回ったら、係員が「あなた、60歳以上なんだから、最初からここに並びなさい」と言われて驚いた。中国の定年は今も60歳なんだ、そして外国人も優先されるんだ、とふと思い至る。
