福島の旅2025(1)郡山で安積疎水

《福島の旅2025》  2025年9月2₋6日

暑い、暑い東京に1か月以上も居座っていた。だが連日の35度越え、もう限界だった。どこでもいいから数日旅をしようと思った。ふと思いついたのが福島。東日本大震災発生からもうすぐ15年、通過することはあっても、滞在したのは会津若松ぐらいだった。まあ今回の主目的は移動することだから、目的地のアテは特にない。

9月2日(火)郡山へ

朝起きて何となく家を出て電車に乗る。新宿駅で湘南新宿ラインに乗ろうとしたが、電車が遅れているらしく、動いていない。ちょうど隣の埼京線が発車するので飛び乗る。本来は宇都宮まで直通の予定だったが、大宮止まりなのでどうするか。ネット検索すると赤羽で乗り換えないと(大宮でなく)宇都宮行き列車に遅れてしまうので、赤羽で急いで降りた。

赤羽でやってきた列車は小金井行だった。小金井が宇都宮の先だとなぜか思い込んでそれに乗ったが、小金井は小山の次の駅だったので、小山駅で再度乗り換えて宇都宮まで辿り着く。栃木で育ったのに、小金井の場所も忘れてしまっていたなんて、ちょっとショックだった。

ちょうど昼になっていた。昼過ぎになると黒磯以降方面行き列車が極端に少なくなるので、きちんと時間を管理して乗らないといけない。40分後に黒磯行きがあったので、宇都宮駅でランチを食べることにした。駅のホームに立ち食いそばがあったのを思い出したが、何と昨年閉店したとの張り紙があった。地方の立ち食いは危機的状況にある。

駅構内には食事できる場所はほぼないので、一度改札を出て、駅ビル内で餃子を食べた。焼き餃子一皿とご飯とみそ汁、漬物。まさに典型的な日本食だった。宇都宮はギョウザの街と言われるが、あまりにも店が多過ぎてどれが美味しいのかよく分からなくなっている。周囲の客はなぜか佐野ラーメンを食べている。佐野の近くで育ったが、一度も食べたことはない。そういえば佐野も足利も観光に行ったことすらほぼない。

黒磯より先Suicaは使えないので、まずは切符を買う必要がある。何とも面倒だが時間に余裕があるので苦にならない。宇都宮から宇都宮線で黒磯まで50分、そこからホームが変わるのでエレベーターに乗って移動。この辺までは意外と乗客が多い。25分乗ると新白河駅に着き、新幹線に乗らない人は、そのままホーム前方へ行くと電車が停まっており、それに乗り換える仕組み。最後はまた40分ほど揺られて郡山駅に着いた。

郡山駅は5年前、会津へ行く時乗り換えた。その際新幹線から在来線の乗り換えが上手くできずに、悩んだ思い出があるが、今回は切符を買ってあるからすんなりと出られた。まずは観光案内所へ向かい、周辺の地図を入手する。郡山で見るべきところを全く知らずに来ていたので、係の女性に「歴史的な場所」と問うとちょっと離れた2つの建物を教えてくれたが、どちらも改修中らしい。

まず駅付近に予約した宿に荷物を置いて、すぐに外へ出た。暑い東京と比べれば、風が優しく吹いていて、かなり暑さは和らいでいる。これなら歩けるな、と調子に乗り、歴史情報博物館を目指した。少し上りになり、その付近まで来ると雰囲気の良い公園があった。池があり、木々が茂って、きれいな日本庭園のようだ。何だか文化的な街だなと思って公園を歩いていると、そこに安積疎水関連の表示が見えた。

安積疎水といえば、明治の初めに大久保利通などが関わった一大事業だと思い出す。それは郡山だったのか。猪苗代湖から水を引くこの一大開拓は1882年に完成し、その時この公園でお祭り騒ぎをしたらしい。麗山の飛瀑という名称で、一部再現されているが、今はポンプの故障で滝は見られない。

ある日の台北日記2025その3(9)台北を離れる

SOGOから少し歩いてレトロカフェへ行く。台北には古い建物を利用したカフェが多くあるが、ここはかなり気合が入っており、落ち着いた空間で利用客も多い。ここでかなり忙しいHさんと会って、お話しする。彼女は最近活動の幅が広がっており、日本との往復もあり、時間があまりない中会ってくれたのは有難い。先日はわざわざお仕事の紹介も受けており、今後も何か一緒に出来ることがあればと思う。

そこから永康街まで歩いて日本人にも人気だと先日教えられたお菓子屋へ行き、悠遊卡でお土産(お茶会用お菓子)を買い込んだ。これで5000元の殆どを使ってしまったが、大満足。夕飯もまだほんの少しだけカードが使える(1回の上限は1500元のため)金額が残っていたが、最後ぐらいは牛肉麺を食べることにして、私の悠遊卡使用は終了とした。ただ私が大好きな麵屋はついに一度も開くことはなかった。

7月23日(水)東京へ

台北最後の朝、雨を心配していたが降らなかった。最後は別の店のクラブサンドで〆た。台湾よ、さようなら、という気持ちで噛みしめる。ここ3年は台湾に来るのは年1回と決めているので、次はあっても来年だ。この店はセットにポテトが付いている。その塩加減が実に好きだ。

荷物を纏めて部屋を出てMRTで台北駅へ向かう。台北駅からは以前はバスに乗っていたが、最近は空港MRT。今回は初めて駅構内でチェックインして荷物を預けてみようと考えた。そのスペースに着くと、ほぼ人はいない。チェックインカウンターもあるが、Webチェックインが済んでいれば、最初から預け荷物の場所へ行く。そしていとも簡単に荷物預けが終了する。これなら次回からはここで預けて市内でランチを食べてから空港へ行こう(普段は桃園空港を使わないから必要ないか)。

空港線はいつもほぼ満員。早い列車だと40分ほどで空港駅に着く。実は今朝乗車する際も例の悠遊卡を使ってみた。ほんの少しお金が入っていると思い、足りない分は駅で精算するつもりだったが、駅員に尋ねてみると「そのカードはチャージできないので、そのまま通過して」というではないか。何と100元しか残っていなかったので、本来-60元を払うべきだが、それも不要だった。この一週間は何だか5000元悠遊卡に振り回された感があるが、出来れば来年も振り回されたいな。

空港手続きはスムーズで、時間はかなり余り英気を養う。天気は快晴で門出には良い。ところが搭乗時間に行ってみると、乗客が本当に少ない。確か「7月5日に日本で大災害」との話で大量のキャンセルが出たとは聞いていた(あれ、香港人のことか)が、既にそれから2週間経っても、まだ信じられているのだろうか。搭乗率は目測で20%程度、日本人がある程度乗っているので、台湾人客は本当に少ない。この夏休み時期にこれでは採算は厳しいだろう。

機内で映画の2本目(噂の永野芽衣主演)を見ていると成田に着いてしまった。今回の旅もお疲れさんと思っていたら、日本のシムカードが作動せずに、いきなりネット難民と化す。まあ慣れた道を帰るだけなので、何の問題もないが、一体何が起こっているのだろうか(暑さのせいか?)。東京でも色々とありそうな気がして怖い。

ある日の台北日記2025その3(8)ローカル食の食べ納め

7月20日(日)ローカル食の食べ納め

今日は何も予定が無かったので、とにかく荷物をバッグに押し込んでみた。かなりの量の茶葉をゲットしてしまった上に、これから買うお土産物を入れる空間も確保しないといけないので、意外と大変だった。腹も減ったので、取り敢えず大腸麺線を食べに行く。最終的に私の台湾料理はこれに行く着くのだ、と思いながら噛みしめる。

昼はどうしても排骨酥湯が食べたくなり、今回行っていなかった店まで歩いて行く。だが日曜日のお昼で混んでおり、席が空いていない。ちょっと付近を散策して戻ってみるとちょうど席が確保できたのは良かった。排骨酥湯の他、炒米粉と魯蛋を食べてかなり満足する。こういう何気ない店には、ずっと営業して欲しい。

夜はいよいよ「台北私のご飯」を食べ納める。魯肉飯、煮大根、臓物スープ、三枚肉と、オールキャストを並べて食べて大満足。しかもこの店、何と悠遊卡が使えた。灯台下暗し。これなら毎日ここで食べればよかった、ということか。部屋に戻ると参議院選挙の開票状況が報道されていた。いよいよ日本も混沌の時代(世紀末)に入っていく感じかな。既に信じられるものは何もない。

7月21日(月)上海料理を

朝はまたクラブサンドを食う。よく飽きないな、とも言われるが、もうこれがあれば無敵だ。今回の滞在はもっとゆっくりになるはずだったのだが、ご縁が繋がり、何故かいつもより忙しく過ぎていく。次回はかなりゆったり目の日程で臨もう。いや年1回ではなく、2回にすれば季節も含めて、色々と広がるだろうか。昼は食べないつもりだったが、もう押さえが効かない。まだ食べていなかったドライカレーに手を出す。魚丸湯がフワフワで美味い。

小雨が降る中、夜は信義区へ向かう。ここも今回初めて来た。いくつもある新光三越のビル、何とか探し当てて登っていくと、昨年潮州料理を食べた店があった。そう、この辺にある店は皆高級店なのだ。今晩はAさんと上海料理を食べてみることにした。台湾で高級な上海料理を食べてことはなかったからちょうどよい。

平日の雨の夜だが、お客はかなり多い。何とか席は確保してメニューを眺める。落ち着いた雰囲気の店内。ここの小籠包は上海料理だろうか。回鍋肉にキャベツを使っているのは日本だけだと思っていたが、台湾も使うのか。しかもそれを皮で巻くとか。因みに日本で回鍋肉にキャベツを使ったのは陳建民氏。NHKの料理番組『きょうの料理』で「豚肉とキャベツのみそ炒め」として作り方を紹介したのが始まりとか。煮干絲は揚州の方が美味しかったかな。お茶もおしゃれだ。悠遊卡をここで使い切ろうと思っていたが、レストランでは使えなかった、残念。

7月22日(火)片付けながら

明日は東京へ戻るので、朝から荷物整理に忙しい。そうしているうちにメジャーリーグの試合が始まり、大谷翔平が先発、二刀流が再開された。この歴史的な場面を台湾のテレビで見られたのは、大きな一歩だった。昼過ぎにSOGOに行ってみる。昨晩使い切れなかった悠遊卡でお土産を買おうと思ったのだが、ちょうどよいものが無く困った。SOGOは二店舗あったのだが、2つのデパ地下を探したのだが。むしろ飲食店が充実している感じだった。

ある日の台北日記2025その3(7)淡水で歴史談義

一旦部屋に戻り、近所のチェーン店に入る。ここも入ったことが無いけど、悠遊卡が使えるので飛び込んでみた。注文は全てスマホでちょっと面倒。正直ファーストフードの台湾料理ということで、これならいつもの店に行けばよかったと後悔しきり。普段使っている店が、如何に優れているか(味と料金)を再認識する結果となった。

夜はもう一度東門永康街へ行く。台湾山茶について博士に確認するためだったのだが、思いの外、人が来ていて、山茶試飲会になってしまったのはちょっと残念。博士自身は山茶だけでなく、台湾茶の歴史全般に興味があるようで、様々な質問を投げかけてきて面白い。山茶についてはまだ分からないことだらけであり、もしやするとこれからも分からないのかもしれないが、日本人も絡んだ歴史的なお茶なので、情報収集など調査を続けて行きたいと思う。まあ今回は貴重なサンプルを飲むことが出来、満足する。

部屋に帰ると夕飯が中途半端だったため、そしてかなりお茶を飲んだため、大いに腹が減る。ただ時刻は夜11時。仕方なくセブンに行ってカップ麺を買う。カップ麺といってもこの牛肉麺は80元以上するので立派な夕飯だ。ただ食べてみると、牛肉の量が少なく、何か物足りないと感じてしまう。もう一度ちゃんとした牛肉麺をどこかで食べたい。

7月19日(土)淡水の出会い

昨晩は夜更かししたので朝が遅くなり、しかも腹も減らない。昼過ぎまで部屋の片づけなどをしていたが、いよいよ台北を離れる直前なので、今年は一度も食べていない麺屋へ行く。ここは私が台北に来た1か月半前から1度も開いていなかったが、昨日確認すると土曜日から再開と書かれていた。ところが行ってみると見事に期待は裏切られ、これまで通り閉まっている。仕方なく横の店で牛肉湯肉絲麺を食べるがやはりしっくりは来ない。

午後3時ごろ部屋を出てMRTに乗り、淡水に向かう。今日は郭さんからの誘いで、人に会うことになっていた。なぜ淡水かと思ったら、郭さんは淡水の近くに住んでいた。駅で待ち合わせて淡水の街を歩く。観光客はそこそこいて賑やかだ。淡水は1860年以降貿易港として活躍するが、最近そのあたりの歴史的建造物がかなり整理されており、港付近も観光地となっていた。

夜5時からやっているというお店はかなりおしゃれだが、店主は歴史に詳しいと聞いていた。店の奥の座敷?に座り、夕飯にパスタを頼む。お茶もかなり凝っている。そこへ陳さんがやって来た。彼は某名家の出身であり、かつ自らの家の歴史を調べていて、合わせて台湾史、中国史にも詳しい。ただ彼の家が茶業に携わっていた期間は短く、資料はあまりないようだったのは残念。

食後は郭さんが持って来たお茶を飲む。店主も参加して歴史談義となる。店主は淡水の歴史などを調べており、その方面にかなり詳しい。彼の知り合いの研究者がまとめた淡水の貿易史の中に茶についても詳しく書かれているという。次回は時間を取ってゆっくり淡水に来て話を聞きたい。

帰りに淡水駅のすぐ近くに寄る。暗くてよく見えないし、当然入ることは出来なかったその建物。実はジョンドッドが淡水に来て最初に住んだ場所だというので驚いた。確かに彼は1860年代前半淡水に来たのだが、どこに泊まっていたのかなどは考えもしなかった。事務所兼倉庫兼住居だったのだろうか。これまた次回確認した内容だった。

ある日の台北日記2025その3(6)3度目の猫空と台紅

7月17日(木)3度目の猫空で

翌日は朝食を抜き、昼前にランチを探す。ここ数年全くご縁が無かったモスバーガーに入ってみる。これも悠遊卡のお陰だ。ところが入り慣れていないため、注文にまごついてしまい、目に付いた一番高い物を頼んでしまった。私はハンバーガーが食べたかったのに、何と出てきた物はライスバーガー。ポテトが大きくて嬉しかったが、余程別にハンバーガーを注文するかと思うほど。いやしかし、台湾モスは創業時からライスバーガーにはこだわっており、日本からコメが輸入できないと嘆いていたのを思い出して、噛みしめて食べた。

今日は昼過ぎから小楊と共に猫空へ行く予定になっていた。それがモスで食べていると突然、「今から動物園駅に来い」と言われたのでちょっと慌てて出掛ける。しかも12時半に、と言われたのに、12時過ぎには彼らは駅に着いたという。何をそんなに焦っているのか。実はこの日は台湾北部の防空演習が午後1時半からある。これが始まると30分間は全く動けないので、出発を早めたらしい。

駅で何とか落ち合い、タクシーに乗り込む。小楊が運転手に行き先を告げると、さっそく会話が始まる。あそこの茶荘はどうだとか、あそこの誰とは同級生だとか、そんな情報はあっと言う間に車内に流れてくるから面白い。僅か20分ほどの行程だが、到着する頃には彼らは旧知の仲になっている。

昔入口の前まで来たことがある六季春。数年前木柵鉄観音茶の歴史を学ぶ際、張迺妙の直系が茶作りをしている所と言われたが、ついに門を潜ることはなかった。残念ながら締め切りに間に合わなかったと記憶している。今回は小楊のお陰で初めて門を潜ったが、訪ねるべき4代目の張信鐘さんはいなかった。何と約束時間は午後2時、今は午後1時前なのだから仕方がない。

それでも5代目を継ぐ予定の息子がおり、お茶にありつく。演習のサイレンが鳴り響く頃、4代目も現れて、話が始まる。私は鉄観音茶の歴史についていくつか質問してみたが、信鐘氏は非常に朴訥な茶農家という風で、回答はほぼ「茶作りに一番重要なのは茶園管理だ」と私に告げてくる。確かに子孫だからといってその歴史が全て分かるわけではなく、寧ろ直系子孫として如何に伝統的な製法を守り抜くか、味や香りをキープするかが重要であることはよく理解できた。勿論彼は気難しい人、というのではなく、寧ろ誠実な人という印象が強かった。後は小楊と信鐘氏が色々と話し込んでおり、私は庭や台北市内を眺めていた。帰りは5代目が車で送ってくれたので楽ちんに帰り着く。

家まで歩く中、吉野家に寄る。ここも今回全く行く機会が無かったが、半端な時間に腹が減り、牛丼と鶏丼のハーフを食べる。まあ一言で言えば、吉野家の牛丼は日本で食べるべきなのだが、ここでも悠遊卡のお出ましにより、無料で食べられたので良しとする。本当に5000元は食べがいがある。

7月18日(金)永康街で

私の台北滞在時間は終わりが近づいているので、悠遊卡の使える店ばかり探すのは辞めて、いつもの店でクラブサンドを食べる。これが一番美味しく、間違いはない。午後はバスに乗って東門へ。昨年も訪ねた台湾紅茶の店で羅さんと会う。台湾紅茶(株)に関する歴史資料を掘り起こして、本格的にその歴史を検証していく作業が始まっていると聞き、何とも嬉しい限りだ。

羅家も客家であり、先代社長からは「うちの先祖は広東梅州から台湾に渡ったが、広東で茶作りをしていたと聞いたことはない」「客家擂茶は客家の文化ではない」と聞いており、今回梅州に客家茶を訪ねた話などをした。客家にも色々な地域の人々がおり、客家茶についても一概に決めつけられない、との思いを強くする。ここの店は台湾観光関連でコラボしており、何と悠遊卡で買い物ができた。これまでもらってばかりだったので、恥ずかしながら初めてお茶を買う。

ある日の台北日記2025その3(5)基隆の咖哩沙茶炒麵

7月15日(火)台北帰着

桃園空港に着くと、人は多くなく、あっさりとイミグレを通過した。外へ出るとまずは既に儀式のようになっているラッキードローに挑む。何と苦節7回目の挑戦で、ついに当たった。係のお姐さんから日本語で「おめでとうございます」と言われ、5000元の入った悠遊卡を手渡される。喜びもつかの間、これを一体何に使うのかとの悩みが始まる。

まずはMRTで台北の宿泊先まで戻るのに180元使った。セブンで25元のあんパンを買った。え、こんなんで1週間に5000元使うのはしんどいぞ、と思ってしまうのは、やはり貧乏人だからだろうか。もしこんなことで眠れなかったらどうしようとも思ったが、それは杞憂に終わる。香港・広東の疲れでぐっすりと寝られた。

7月16日(水)いきなり基隆へ

朝ご飯を買いにセブンへ行く。いつもは高くて買えないサンドイッチを食べてみる。これも5000元の成せる業。まあ日本の方が美味しいが、代金はほぼ同じかな。午前10時に黄さんが宿泊先まで迎えに来てくれた。今日はなぜか基隆まで昼ご飯を食べに行くという。車はスイスイと進み、僅か40分ほどで基隆の街までやって来た。

まだ昼には早かったので、丘を登ることになった。なぜか大型マンションの駐車場に入っていく。なんとそこは通り道にもなっており、そのまま通り抜けると丘の上に出ていく基隆名所らしい。丘の上にKEELUNGと書かれた看板があるが、ここからは基隆が一望できるスポットだ。ただその脇で「同意罷免」という幟を持った男性がいた。黄さんがその男性に「お疲れ様」と声を掛けている。こんなところにまで政治闘争が持ち込まれている。

下におりてランチに行く。街の中心から少し離れた場所ながら、なぜか3軒並んで、咖哩沙茶炒麵の店がある。黄さんがいつも行くという真ん中の店はちょうどお休みだったので、手前の店に入ってみる。港町である基隆、咖哩は日本統治時代に日本から入ってきた物、沙茶は戦後潮州?から持ち込まれた物のようだが、この2つを合わせるとはどうだろうか。一説には基隆には炭坑などもあり、塩分高めの食事が好まれた、との背景が考えられるとか。

麺は日本のうどんのような太麺。カレーは正直ちょっと薄い感じだが、エビなど海鮮も入っており、それに沙茶を合わせて炒めると美味しい。他にも鶏唐揚げや炒大腸などもあり、十分満足できるランチとなる。基隆という街は、単に戦前日本との縁が深かっただけでなく、戦後も様々な歴史が含まれているようだ。

食後、黄さんが車で簡単に基隆を案内してくれた。その中で興味深いのが、戦後この街にいた沖縄人と朝鮮人の話し。実際に黄さんはここに今も住む沖縄・朝鮮系の人々に話しを聞いたことがあるという。港町には色々なところから色々な人々が色々な事情で集まってくることを再認識する。また和平島には400年前にやって来たスペイン人の遺構もあるとのこと、今後基隆に来る機会があれば、ゆっくりと歩いてみたい。

車で送ってもらい、無事部屋に戻る。昨日までの疲れも出ており、ボーっとして過ごす。夕方餃子が食べたくなり、一番近いチェーン店に行く(私が好きだった店舗は既に閉店)。早い時間なので、お客も少なく混乱はなかった。いつもより多めに餃子を頼み、またサイドデッシュにも手を出す。ここは悠遊卡で支払いが出来たので嬉しい。

広東客家茶旅2025(10)中環と深水埗

そういえば、長洲島にはもう一つ行き先がある。それは大判焼きと手巻き寿司のお店だ。ここのYさん夫妻には昔お世話になったが、ご主人は昨年亡くなったと聞かされたのでご挨拶に行こうと思ったが、ちょうど店舗が移転していて、開いていなかった。港沿いのいい場所に移っているので、ご商売はい上手くいっているのだろう。そんなことを考えながら、またフェリーに乗り、セントラルへ戻った。

埠頭からどうやって帰るのか。目の前にバス停があったので、そこに立っているとバスが来たので乗ってみた。このバスは湾仔へ行くのは間違いなかったが、何と埠頭横のバスターミナルで10分以上休憩すると運転手が言ったので、バスを降りて歩いてMTR駅を目指した。ビル内は涼しくて快適。この屋内外の激しい温度差が香港なのだ。金鐘駅から歩いて宿に帰る。

あまりに疲れたので、部屋で休息する。夕方6時に宿を出たところ、ちょうど目の前にバスが来たので乗り込む。今晩は中環と上環の間で食事をする予定だが、バスだとちょうどよい所に停まる。歩いていると懐かしい本屋や茶荘などに出会う。そして懐かしいレストランも目に入る。まあ10年も住んでいたのだから懐かしい場所はそれなりにある。

ご飯はOさんと食べた。昨年約束していたのだが、台風に直撃され、シグナル8発令で延期になっていた。今回は老舗レストランだったが、お客はほぼ中国人だった。ローストダックやポークなどが美味しい。でも皿が大きく、いくつも頼むことは出来なかったのは残念。広東料理といっても量が多い店もあるんだ。

帰りはトラムに乗ってみた。何となくいつも乗りたい乗り物だ。最近は半島側に泊まることも多く、なかなか乗る機会がなかったが、目の前を走って来ては乗らざるを得ない。観光客の中には日本人もいて日本語が聞こえてきたのは良い。今年は香港映画が当たって、久しぶりの香港ブームが来ているらしい。夜のトラムはやはりシックだ。

7月15日(火)香港から台北へ

ついに長旅最終日。今朝は暑いので会展駅まで歩いてMTRに乗り、金鐘で乗り換えて、深水埗の鴨寮街まで行く。中国シムなどの購入が目的だったが、時間が早過ぎて店はどこも閉まっていた。仕方ないと朝ご飯を探すと一軒店が開き、無事にシムを購入した。そして近くの茶餐庁に入り、茄濃湯とトースト、たまご、そしてミルクティーを頼む。何となく完璧な香港式朝食。特にふにゃふにゃのマカロニがたくさん入った茄濃湯は美味い。

急いで宿まで帰り、チェックアウトして湾仔の三六九飯店へ急ぐ。香港最後の食事は旧知のFさんと。Fさんは香港駐在3回目らしく、わざわざこの店を予約してくれた。実は先日の夜、この店がまだあることを確認したが、満席で、かつ一人では入り難いなと思っていたところで、まさに渡りに船のお誘いだった。

11時半に落ち合うとお客はまばらだったが、12時にはほぼ満席の大盛況。老舗上海料理屋ではあるが、好物の揚げたイカ、葱油麺、そして雪菜スープなど色々な料理が並んでいた。Fさんと昔話をしていると、忘れていた思い出がどんどん蘇ってきて面白い。偶にこういう会話があると、少し脳が活性化するようで楽しい。

宿で荷物を取り出してMTRで中環駅へ行き、そこから荷物を引いて香港駅へ移動し、エアポートエクスプレスで空港へ向かった。いつもならバスで行くのだが、バスを待つ間も汗まみれになるだろうと思い、今回は奮発した。預け荷物が無いとチェックインカウンターへ行く必要もなく、出境も簡単なので時間を持て余す。行きの台風騒ぎとは違い、帰りは全てが順調で台北まで帰り着く。機内食はちょっと不思議な鶏肉飯だった。

広東客家茶旅2025(9)上環から長洲島へ

コンベンションセンター駅(会展駅)は本当にあった。そこから地上に上がり、センターの脇を通ると宿に到達した。香港は常に進化している。この宿は初めて来たが、狭いものの意外ときれい。ハーバーも少し見えて快適。以前は料金もかなり高かったろうが、今はそれほどでもない。ちょうどテレビで女子サッカーが始まったのでそれを見ていたら暗くなってしまった。

夜9時頃宿を出て夕飯を探す。湾仔でご飯を食べるなんて何十年ぶりだろうか。25年前、1か月ほど付近のホテルに滞在したことを思い出す。何となく昔からあるレストランも目に入る。夜9時でも結構賑わっているのは中国人観光客のお陰。今では普通話も普通に聞こえてくる。

一軒のレストランへ入ったが、広東語ではなく普通話で話している。これが香港の変化だろうか。ガチョウが有名の店だったが既に売り切れ。鶏と豚肉ご飯を頼み、凍檸茶で流し込むのは何とも良い。食べ物だけは昔の香港を想い出させてくれる。MTR湾仔駅付近は賑やかだが、宿のあたりは非常に静か。

7月14日(月)久々の長洲島

翌朝は目覚めて窓の外を見ると、もやったハーバーがある。これも香港らしい風景だ。外へ出てMTR湾仔ではなく、金鐘駅まで歩く。こちらも10分ちょっとと便利だが、朝からかなり暑い。明都酒楼という看板が見える。ここはワゴンで点心を出す店だったが、もうすぐ閉店と聞いている。上環まで乗っていき、懐かしい街を歩く。お茶屋はまだ開いていない時間だ。ちょっと朝ご飯でもと思ったが、昔よく行ったお粥屋は観光客に占拠され、おまけに暑くて食べる気にもならない。

少し上って懐かしのキャットストリートを歩く。骨董街で、25年ほど前通った界隈だ。老舗の茶餐庁があったので、何十年ぶりかで入ってみた。少しきれいにはなっているが、雰囲気はあまり変わらない。そして後継ぎと思われる男性が丁寧に英語で接客してくれたのは嬉しい。思わずキチンチョップまで注文して豪勢な朝食となる。代金はオクトパスで払える。こういう店は残って欲しいな。

そこからセントラルの埠頭へ。歩くとかなり距離があったが、懐かしい風景が広がり、どんどん進む。そして懐かしい長洲島行きフェリーに乗る。10年以上前、ラマ島、ランタオ島(ディスカバリーベイ)にも住み、この埠頭をいつも使っていた。長洲島は8年ぶりだろうか。

30分で島に着く。埠頭を出るまでは、目的地の方向に自信が無かったが、出たらすぐに分かった。やはり2週間でもここに住んでいたのは大きい。だが最後の位置は不確かだった。それでも何とか福華茶荘に辿り着く。ここは13年前、「長洲島でプーアル茶を作っていたお爺さんを探せ」という無茶ぶりにめげず、辿り着いた場所だった。

中に入ると女性が私の顔を見て「おー」と言って寄って来た。8年ぶりでも一目で思い出してくれたのは、本当に嬉しい。ご主人も含めて再会を喜んだ。店は元々ベビー服屋の中でお茶を売っている感じだったが、今回行ってみるとベビー服は無くなり、完全な茶荘になっていた。そして盧鑄勛氏の生前の写真が飾られていた。

盧鑄勛氏は戦後ここでプーアル熟茶を作り始め、その後アジア各地でも作った伝説の人物。私は3-4回会っているが、残念ながら5年前に亡くなった。一度お悔やみに来たかったのだが、コロナもあって今日になってしまった。お墓参りにも是非行きたかったが、お墓は山の上にあるとのこと、この暑いのにとても連れてはいけない、と言われ、後日涼しくなってから行くことになった。ちょっとお茶を買って失礼した。

帰る前にどうしても食べたい物があった。この暑いのに「粥」。港近くの食堂は屋根はあるが屋外で、扇風機は回っているが、暑さをしのぐには少し足りない。食べている人も僅かで、しかも多くが焼きそば。そんな中でもお粥を食べる。汗が噴き出しても、やっぱり旨い。凍檸茶をすすりながら、何とか完食する。達成感があるが、すぐにスーパーに潜り込んで涼を取る。

広東客家茶旅2025(8)魚生から茶葉世界、そしてKCRで湾仔へ

車に1時間乗り、河源市内に戻る。今朝チェックアウトした宿にまたチェックインする。全く同じ部屋にまた入る。安定感が良い。夜は陳さんが魚生を食べに連れて行ってくれた。潮汕地区では生の魚を食べると知っていたが、まさか客家地区でも食べるとは驚きだった。勿論あちらは海の魚、こちらは川魚の違いはある。

店はかなり繁盛しており、地元民が普通に刺身を食べている様子が分かる。我々のテーブルにもすごい量の魚(一匹分)が乗せられる。魚は非常にしまっている。そこに生姜やピーナッツ、ゴマなどをかけ、最後に茶油を垂らして食べると旨い。勿論醤油とわさびで食べても良いというので、驚くほどの量を食べてしまった。これは良い経験だった。

7月13日(日)深圳経由香港へ

河源最後の朝。宿でご飯を食べてから散歩に出た。ここに来てからずっと陳さんにお世話になっており、最後は一人で歩きたかった。街中なので大きな公園を目指した。朝は幾分爽やかだった。公園はかなり広く、朝からマイクで歌っている人々がいた。多くの塑像が置かれているのが目を惹く。

宿に帰る前にコンビニに寄った。何気なく店に入り、ポカリを持ってレジへ行ったが、誰もいなかった。レジ台には自動レジが置かれていたので、何とか微信で決済した。さあ、宿へ帰ろうとドアを押したが開かない。何度やってもダメ。狭い店中を探したが店員はどこにもいない。どうすればよいか分からず焦ったが、自動レジに呼び出し機能があり、ちゃんと人が話し始めた。何と店を出るには微信でQRコードをスキャンする必要があったのだ。まさかこんな仕掛けとは思わず、本当に焦ってしまった。無人店舗、店のドアに注意書き位貼って欲しい。

宿を出て車を呼び、駅へ行く。もう慣れたもので何の心配もなく高鉄に乗れる。深圳北駅まで約1時間。行きは直通だったが、帰りは羅湖に寄るため、ここで下車する。深圳の地下鉄網は発展し過ぎて、どれに乗るか迷う。何とか乗り換えて羅湖まで30分ほどかかる。腹は減っていないので、そのまま茶葉世界に入っていく。

鳳凰単叢の李さんとの約束時間には少し早かった。ちょっとフラフラしていたら、何と旧知の春桃と出会った。台湾茶の店はもう息子夫婦に譲ったと聞いていたが、この日は店に彼女しかなかったので、昔話をした。ところが私が梅州、河源で客家茶の歴史を見てきたというと彼女は「私の祖籍は河源。私の一族はそこから江西に移動した客家」というではないか。知り合ってから25年も経っているのに、実は何も知らなかった。次回チャンスがあれば、彼女の故郷へ行ってみたい。

李さんの店へ行き、鳳凰単叢を購入する。3月に一度来て持って帰った宋種という単叢がとても評判がよく、また買いに来たわけだ。ちょうど常連客がやってきて、お茶を飲みながら一緒に話をした。お茶だけでなく、日本への興味も相当あるようで、話があちこちに飛んでいく。その合間を縫って何とかお茶を購入したのだが、その支払いに支付宝を使ったところ、香港に渡ってから、支払いが出来ていないと連絡があり焦る。それでも何とか支払いが出来て信用を保てた。これも微信のお陰だった。

日曜日の夕方、羅湖には香港へ帰る人々が多くいた。それでも以前に比べれば入出境はそれほど混んではいなかった。それでも香港側の羅湖駅には乗車を待つ人が大勢いたので、今回は奮発して頭等車に乗り込み、何とか席を確保した。次の上水駅では頭等も立っている人がかなり出た。やはり週末は混んでいる。

慣れ親しんでいるKCR(現在はMTR)だが、今日の宿がある湾仔へ行くにはどこで乗り換えるのか思い出せず、GoogleMapに頼る。すると思いもかけないルートが出てきた。何とこのまま乗っていれば湾仔に着き、予約した宿まで駅から歩いて数分だというのだ。調べてみると湾仔のコンベンションセンターに駅が出来ていて、羅湖からホンハム、そしてハーバーを渡って湾仔、金鐘が終点となっていた。これには驚くしかない。

広東客家茶旅2025(7)龍川 桂林茶の産地へ

昨晩張会長が話してくれた茶亭。今も現存している場所に案内された。そこは田畑の続く道の先にあった。この道自体が歴史を感じさせる石を敷き詰めた道であり、その昔は旅人がここを通っていたという。そこにある茶亭とは、旅人が一服する場所であり、休息を取り、茶を振舞われた。往時は何百という茶亭があったらしいが、今は歴史遺跡としていくつかが残されていた。中は意外と広く、湯を沸かした場所もあった。夏休みで帰省していた若夫婦と子供たちが遊んでいたが、これは何とも絵になる風景だった。茶亭は日本の四国の茶堂(お接待の場)を思い起こさせる。またお接待といえば「奉茶」と繋がるだろうか。

佗城の街中はいい感じに古びていて、中国のどこの街にある老街とは異なり、昔のままであった。陳さんの知り合いの店を訪ねると、以前街のリーダーだったという男性が色々と話をしてくれた。この近くの桂林という村でかなり茶が作られているという。いつでもどこでも濃い緑茶は飲まれている。今回は地元新聞の記者が同行しており、かなり細かい話をヒアリングしていた。

その桂林村へ向かった。また小雨が降り出したが、何とか到着。そこには77歳の欧陽老師が待っていてくれ、まずはランチを食べる。田舎の食堂と侮るなかれ。トマトスープは濃厚な味わいがある。豆腐冬瓜豚肉鍋は極めて滋味深い。ここの地鶏も肉と骨がきっちり付いており、歯ごたえがすごい。飯を頼まず、おかずだけをひたすら食べ、大いに満足する。

そこから山道を狭い道を走り、義都鎮へ入った。本当に昔ながらののどかな村であり、斜面の所々に茶樹があった。欧陽老師が老茶樹を指さして、斜面をどんどん上っていく。雨がかなり強くなり嵐のようになる中、我々も続いて登ったが、途中からかなり危険な状態となる。それでも這って登り切り、何とか記念写真に納まる。喬木、樹齢200₋300年らしい。

そこから降りるのはもっと大変だったが、皆さんの助けを借りて、何とか降りきる。村人の家に入ると、何ともいい雰囲気の木のテーブルがあり、村人と共に濃いお茶をだらだらと飲む。全て手作りの家具。雨で涼しくなった室内には、なんとなく温もりがあった。標高はそれほど高くないが、冬は寒いだろうか。

更に近くの茶工場を見学する。新しい機器を入れ、規模を拡大して、桂林嶅顶峰茶を製造している。そして皺老板と欧陽老師に連れられて山道を車で登っていく。かなり高い山、標高1000mあたりに茶畑が広がっていた。ただ強烈な雨が降り出して、車から出ることも出来なくなる。これは台風の影響だろうか。

少し小雨になったところを見計らって、建物内に入る。ここは山の上の小さな茶工場。製茶はほぼ全て手作業で行われるという。聞いてみると、ここのお茶も昔から釜炒りであり、晒青緑茶はない。茶畑を見て売ると老板が茶樹の下の土を掘り起こし、「茶樹に適した土。福建の岩茶のような場所」との説明がある。更には霧がすごく、雲霧茶とも呼ばれている。確かにこの風景は素晴らしいが、この急斜面の茶摘みは相当大変だろう。

雨が止み、下山する。山の上はかなり涼しかったが、いや寒かったが、村は暖かかった。帰り際に欧陽老師の家に寄り、その茶工場を見学する。こじんまりした手作り感が素晴らしい。77歳になっても様々なお茶を学び、作り、それを伝えている様子に感動する。村から出る所に、急須のモニュメントがあり、桂林茶を売り出そうとする行政の様子も見て取れた。