熊本・福岡茶旅2023(3)出水にあった栄西ゆかりの寺

12月13日(水)出水で

今朝も温泉に浸かりパンを食べてから、荷物を整える。Aさんが迎えに来てくれ、名残惜しいこの地を離れた。そして車で山越えして30分。鹿児島県に入っていた。出水市、そこには若者Kさんが待っていた。Aさんは用事で福岡へ行くというのでお別れ。今回は実にお世話になった。感謝しかない。Kさんは地域おこし協力隊に属しているが、茶業を目指しているという。

Kさんの車で感応禅寺という寺へやってきた。ここは栄西が開山ということで案内されたのだが、何とあの島津氏の初代から5代目までの墓がある、菩提寺だったのでびっくりした。いつもは静かなお寺らしいが、今日は暮れの大掃除の日だったようで、檀家さん総出で庭を掃き、本堂をきれいにしている。

そこには普段は見られない仏像があり、ちょうどお掃除で拝むことが出来、何とも感激。ただ栄西に関しても、特に資料は残されていないという。栄西がここにも茶を植えた可能性はあるということか、最近茶業者がこの周囲にお茶を植えて作っているという話もあった。まあ、何ともご縁だな。栄西はこの地にやってきたのだろうか。

続いて、出水茶業の歴史として知られる、小木原三楽翁が江戸後期に宇治製法を導入した場所へ向かう。今は説明板が作られており、その付近に少し茶畑が残されていた。ご近所の人に聞いてみると、昔は茶業が盛んだったらしいが、あまりよく分からない。やはり歴史は埋もれていく。

お昼をKさんと食べる。彼は以前有名なお茶ショップで働いており、奥さんの実家があるこちらに移住して茶業を目指していた。昔の品種を探して植えてみたとのことだったので、ちょっと調べのお手伝いをした。こういう人たちが出て来ると、茶業界も徐々に変わっていくだろうか。

駅まで送ってもらい、新幹線を待つ。駅周辺は歴史感を出しているが、お客さんは多いのだろうか。そこから僅かな時間で熊本駅まで行く。更に路面電車に乗り、宿へ。更にまた路面電車に乗り、県立図書館で調べ物をしていたら、日が暮れた。夕飯にいつものとんかつ屋へ行くと、何と台湾人が行列している。これに中国人と韓国人を合わせると実に9割が外国人客になっており、大いに驚く。これもTSMC効果だろうか。ポストコロナだな。まあとんかつは美味しく頂き、すぐに退散する。

12月14日(木)博多で日本茶

朝ご飯は宿で美味しく頂く。それからバスで武蔵塚公園へ行ってみる。ここは勿論宮本武蔵関連の場所。園内には武蔵の像が立っており、墓もある。武蔵に憧れ、西南戦争で亡くなった人物の碑まである。武蔵はなぜ晩年をこの地で過ごしたのだろうか。何度来ても熊本は興味深い。

宿へ戻り、熊本駅へ向かう。また新幹線に乗り博多へ。新幹線はつまらないが、とにかく速い。あっという間に博多に着く。そして予約した宿を探して歩く。今日の宿はちょっと不思議。書店ホテルというらしい。看板はほぼ出ておらず、1階はカフェなので、通り過ぎてしまう。フロントも外国人が担当(日本語で会話)。そしてエレベーターの前には本が置かれている。部屋にもある。ここに潜り込んで本を読み耽る、というコンセプトだろうか。

熊本・福岡茶旅2023(2)水俣の山中で

12月12日(火)水俣で

朝は明るくなると川の音で目覚めた。階段の軋みの音が何とも良い。また温泉にゆったりと浸かる。何だか疲れるが取れる。朝飯はパンが置かれており、適当に食べるらしい。みかんもあったので簡単に済ませる。それが健康的でよい。宿では宿泊客同士の交流もあり、和やかだ。

散歩に出ると雨も上がっており、何とも気持ちが良い。この宿、明るくなって見てみると、かなり色々と飾りや置物があり、何とも風情がある。昔は立派な旅館だったのだろうか。6年前に今のオーナーが、いい温泉が出るのでもったいないと、借り受けて温泉重視で再開したらしい。

今日はまずは水俣図書館でお茶の歴史調査を開始する。以前も来たことがあったので簡単に済ませる。その後地元の銘菓、美貴もなかを買いに行く。餡がぎっしり詰まっていて美味しい。有名な店だが、店に行かないと買えないらく、地元民の行列が出来るという。隠れた銘菓、いいね。

水俣城跡をちょっと見る。相良氏が島津に攻められて落城したとある。関ケ原後は加藤清正の支城となったが、すぐに破却された。ここ水俣は国境、常に島津を警戒していたようだ。相良と島津の関係、それは江戸期の沖縄の茶に繋がっていく。なぜかお寺があり、そこに豆腐の行商が来ている。城付近の地名は陳内という。やはり国内だけでなく、中国などとの繋がりもあっただろうか。

車は徐々に山を登っていく。途中いい感じのヤマチャが見られ、思わず車を降りた。この茶葉でお茶を作ったら、美味しそうだと思う。Aさんも頷いている。林の中を分け入ると、そこには昭和3年に茶園が開拓された時の記念碑が建っている。今や完全に埋もれてしまった茶の歴史、実に興味深い。地元でこの歴史を発掘して欲しいなと思う。

標高約500m付近まで行くと、戦前にアメリカ帰りの入植者が茶の栽培を始めた場所があった。石飛という集落で、旧石器時代の遺跡も確認されている。ここに南畝(のうねん)正之助翁顕彰碑が建っている。お名前も独特だが、ここで一体どんな茶業が展開されたのだろうか。残念ながら戦時に茶業は衰退してしまったようで、戦後改めて入植したのがAさんのご先祖たちだということだ。さっき買ったもなかを持って、Aさんの家へ行く。この奥深い土地で丁寧な茶作りが行われている。なぜかイタリア人の若者が研修?している。お父さんから簡単にお話を聞く。

近くの家にシイタケを取りに行く。そこの方は猟師もやっており、最近は大忙しらしい。イノシシなどが沢山出るようだ。昼はラーメンを頂き、宿に戻った。午後は私がちょっと国産紅茶の歴史をお話しする会を開いて頂いたが、お役に立っただろうか。旧知のKさんもわざわざ聞きに来てくれた。この宿にこんなレトロな広間があるとは。これもまた楽しい。

ここ湯の鶴温泉を散歩してみる。この付近にもやはり平家の落人伝説があった。やや鄙びた感じの温泉街、細い川を挟んで両側に建つ温泉宿、その風情が如何にも昭和な日本だった。また温泉に浸かり、夜はまたおでんを頬張り、畳の部屋で寝る。これはなかなかいい生活だ、と強く意識して寝る。

熊本・福岡茶旅2023(1)山中でヤマチャを見る

《熊本・福岡茶旅2023》  2023年12月11₋15日

チェンマイから北京経由で東京に戻ると、何だか寒かった。零下の北京より東京が寒いはずはない、と思ったが、体調不良に見舞われ、4日ほど休息した。それから1週間して今年最後の旅、熊本へ向かった。

12月11日(月)水俣へ

羽田空港で熊本行きのフライトを待っていた。搭乗する飛行機を撮影しようと、一番端に移動して、何とか収めた。ふと振り返ると、何とそこにバドミントンの山口茜選手が座っていた。仲間と一緒にスマホゲームに興じていた。所属する再春館製薬は熊本にあるのだから帰る途中なのだろうか。同じチームの志田松山は世界選手権に出ているが、彼女は怪我のために離脱中。日本リーグの試合に帯同していたらしい。

そんなこんなで、ほぼ満席のフライトで熊本に着いた。出口には今回お世話になる、Aさんが迎えに来てくれた。同道するお仲間お二人も一緒だ。実はAさんも(奥さんも)バドミントン部だったそうで、山口選手が見たかったらしい(熊本に居ても会えるものではない)。もう少し待っていればよかったか。

車は小雨の中、ずんずんと進んでいく。1時間近く乗っていると、山道に入っていく。ちょっと上り始め、川が流れているとテンションが上がってくる。五家荘の標高1000mあたりで車は止まる。ここに峠のレストランがある。まずはランチを頂く。名物やまめそば、更におにぎりと辛子レンコン。外は霧雨が降る寒い日にこれは絶品だった。このお店の人も山仕事をしており、この付近の歴史などを聞いてみたかったが、時間もなく先に進む。

30分ほど山の中を走ると、そこに茶畑があるという。行ってみると、それは我々が想像する茶畑ではなく、ヤマチャの木が集められ、斜面の植えられている場所だった。ちょっと違うが、これは雲南やシャン州で見た茶畑の光景のようだった。基本的にこの辺の山の中には、所謂ヤマチャがたくさん生えており、最近利便性から一か所に纏めたらしい。山に入っていくと、足元がおぼつかなくなり、滑りそうだ。そんな山の中が心地よい。

五木村の方へ向かった。途中に立派な学校の校舎があったが、既に廃校になっているらしい。ほんの少し前まで人が結構住んでいたのだな、と分かるが、今やほぼ消えてしまった。山仕事が先細り、若者は都会へ出て行った。川沿いの斜面に茶畑が少し見えた。この辺でお茶を作っている人はいまだいるようだ。この付近には平家の落人伝説がかなり濃厚に残っている。四国から逃げてきたルートなども示されており、興味深い。

今日は天気が悪いのでここまで。道の駅でちょっと買い物をして、水俣方面へ向かう。暗くなった頃、今日の宿に着いた。細い川沿いに数軒宿が建っている如何にも温泉場という雰囲気だ。部屋も畳で何となく鄙びた感じが良い。温泉が出ているようで、入ってみると、これは誠に気持ちが良かった。かなりの効能が見込めそうなお湯だった。近隣の人たちが温泉に入りに来ている。

夕飯はみんなで向かいの小屋に入っておでんなどを食べる。実は宿の人たちが夜7時になると、この小屋を開き、宿泊客のために食事や酒を提供している。ジンジャーエールを飲みながら、だし巻き卵と焼きそばを食べて満足。後はずっとお茶の話をしてしまった。水俣のお茶の歴史はどんなだろうか。

極寒北京旅2023(4)寂しい茶城

北三環の北側にある茶城へ行く。昔馴染みのお茶屋さんがあったので顔を出してみたのだが、そこはかなり寂しい状況になっていた。午前中とはいえ、半分以上の店は閉まっていた。馴染みの店も移転して小さくなっていた。コロナがそんなに大変だったのかと聞いてみると『コロナ中はまだよかったが、今年は本当に景気が悪くて、お茶が売れない』と嘆いている。日本の報道でも中国経済の低迷は言われていたが、ここでそれを実感した。いや、思っていた以上に深刻なような気がした。

それでも馴染みというのは有難い。美味しいお茶を淹れてくれ、スマホアプリで食事を取って、ご飯を炊いて、もてなしてくれる。出会った頃に生まれた長男は今や高校生になっているという。月日の経つのは早いものだ、と思うと同時に、彼らの将来がちょっと不安になる。まあ日本も同じような状況ではあるので、大きなお世話というものか。

そこからバスに乗り、西直門へ向かった。交通カードがあるので思い切ってバスに乗れた。バス代は市内中心なら1元と地下鉄より安い。そのせいか、寒い中を老人が沢山乗っている。数日前に降った雪も解けておらず、道は滑りやすくなっていたが、何とか目的地まで辿り着く。まあ北京では昔からこうだったのだ。

西直門をちょっとフラフラすると、胡同と書かれた場所があったが、既にすっかりきれいになっていて、私が思う胡同ではなかった。駅のところには大きなショッピングモールがそびえており、これがどこにでもある日常風景となってしまっている。その中に入ると、なぜか日本のアニメキャラクターなどが登場して驚く。

待ち合わせに指定された書店へ行く。うわさでは聞いていたが、本屋へ入ると三島由紀夫や川端康成など、日本人の作品が目を引く。そしてこの本屋、奥にカフェが併設されており、多くの若者が本を読んでいる。友達とお茶しながらしゃべっている人などいない。店内に静寂が走る。これが今の北京か。

待ち合わせたが、とてもこのカフェでは話が出来ないので、別の店へ入る。こちらは、携帯で通話しているおじさんもいて、普通に話が出来る。Sさんとは以前1₋2度会ったことはあるが、それほど多く話をした記憶はない。先日ベトナムへ行き、以前北京に住んでいた方と会った時に名前が出たので、懐かしいと思い、連絡してみた。最近は新刊本も出版して、順調のようでよかった。色々と北京の内輪話も聞けて楽しかった。

帰りは2号線で東直門へ行き、そこからバスに乗る。バス停近くから見上げると、空が何ともいい感じだった。以前の北京はスモッグが酷かったが、今や空が澄んでいる。少し腹が減ったので、羊湯を飲んで温まる。しかしこの辺はどこもかしこもチェーン店ばかりで面白みはない。

11月28日(火)東京へ

北京最終日の朝。寒さの中、散歩に出る。風が強いと寒さが増す。三元橋付近はオフィス街なので、面白そうなところはない。ちょっと行くと北朝鮮レストランがあったぐらいか。早めに宿を出て、車を呼び、空港へ向かう。空港タクシーは100元近くかかったが、今回は時間的にも早いし、代金が50元代と半額近かった。やっぱりボラれたんだ。

チェックインも東京へ帰るだけなので至極簡単。緊張感はまるでない。今回は日系の航空会社で楽ちんと思ったが、まずは冷たいドリンクしか出て来ず、機内食は選択できず、最後にはこの寒いのにハーゲンダッツのアイスが出る。まるでお腹が痛くなってしまうようなラインナップに閉口した。まあ昔からそうだが、とうとう乗客の主体が中国人に移ってもサービスは変えない。素晴らしい持続性だった。私も心を穏やかに持続して機内で過ごした。

極寒北京旅2023(3)寒い日は鍋

11月26日(日)寒い日は鍋

昨日は久しぶりの北京で張りつめていたのか、疲れを感じなかったが、さすがにチェンマイからの移動とこの寒さでかなり長い時間寝た。そして朝飯は宿についていたので、昼前まで外へは出なかった。シャワーを浴びるのも、部屋は十分暖かいはずなのに、意外と寒い。これが北京の冬だなと何となく思い出す。

昼前に宿を出て近所を歩く。何だか立派なビルが沢山建っている。その反対側には小さな食堂が軒を連ねている。いい湯気が上がっているところもあるので、ちょっと食べたい気分になる。だが約束があった。Sさんが予約してくれたお店も、また石鍋だった。やはり冬の北京は鍋が定番、ということなのだ。しかもこの鍋、最近流行っていると言い、選んだ立派な魚をぶつ切りにして、鍋にぶち込む。確かにこれは旨い。そしてスープもいい感じだ。湯気が上がるパフォーマンスも人気のようだ。

Sさんとも久しぶりなので、話がどんどん進んでいく。最近の中国の話しから、仏教の話など、話題は多岐に渡り、止めどなく発展していく。気が付けば、周囲にいたお客は皆帰ってしまい、3時間も話し続けていた。2人ともおしゃべりなのは当然だが、コロナ禍の長い期間を経た上での会話だった。中国の店は、何時間居ても、出て行けとは言わない。

店を出て三元橋駅まで歩いて行く。意外と遠い。その上工事中で入口が分かり難い。そこから地下鉄で西単へ向かった。昨晩Iさんに交通カードをもらったので、今日からは切符を買う必要がなくなり、何とも快適になって嬉しい。西単には大きな本屋があり、以前も良く行っていた。だが行ってみると、図書大厦の中はかなり変わっており、おしゃれな本屋のようになっている。お茶関係専用コーナーも何とか見つけたが、最近の流行り、傾向をよく表していて、私が探している本はなかった。

宿近くまで戻ってくると、既に夜の帳が下りていた。月はほぼ満月。シンとした北京の夜だった。昼が食べ過ぎだったので軽く麺でも食べようと思い、山西刀削麺の店に入ったが、その量は南の物ではなかった。味はまあまあだったが、もっと美味しい所があったのでは、と思ってしまった。何となく物足りなくて、帰りに清真の売店で煎餅を焼いてもらい、持ち帰って食べる。何とも温かく、懐かしい。

11月27日(月)久しぶりに茶城へ行くと

今朝は天気が良いようだ。ダラダラしながら、朝ご飯を宿で食べる。まあここの食事はどこでも同じようなものなので、お粥とフルーツを中心に頂く。部屋に戻ろうとすると、何とお掃除ロボットが、私の後に来たおじさんについて動き、何とエレベーターにまで乗り込んできて驚く。何と可愛げのあるロボットだろうか。後で聞けば、これはお掃除だはなく、配送ロボットだったか。

朝ご飯を食べると出掛けることになっていた。バスで行くには面倒な場所。ついに車を呼んでみる。アプリも入れてみたが、ちゃんと起動しないので困ったが、フロントで聞くと、支払いアプリからそのまま呼べると聞き、やってみるとちゃんと車が来た。そして支払いは勝手に引かれるので、何も考えなくてよい。これは本当に楽だった。Grabの上をいっている。

極寒北京旅2023(2)懐かしい北京

取り敢えず空港タクシーに乗る。本当はアプリで呼びたかったが、待ち合わせが難しいと聞いていたので、仕方なく乗る。年配の女性運転手だったが、訛りが酷くて半分も分からなかった。真っ暗な中、車は何となくいつもと違う道を進んでいるような気がする。コロナで4年ぶりの入国だから景色も変わっただろうか。予約した宿に着くと、料金は100元近くなっており、更に運転手はチップをくれてせがむ。もうこういう時代遅れな運転手は空港ぐらいしか商売できないのだろう。

宿に入ると、『昨日は金曜日で本当に満室だったので、まだ部屋の準備が出来ていない。午前9時にもう一度来て欲しい』と言われる。日本だったら午後3時に来てくれだから、やはり中国のサービスは良い。荷物を預けてカフェにでも行って待つことにしようと外へ出た。まだ零下6度の表示、夜明け前の街だが、何故かそれほど寒さを感じない。

懐かしい亮馬橋までやってきた。この辺にマックがあるのだが、何となく地下鉄に乗りたくなり、駅へ降りていく。自販機で切符を買おうとしたが、何と身分証をかざさないと買うことが出来ない。仕方なく窓口を探して買う。駅名を言わないといけないので、思いつくまま国貿と言ってしまう。北京市民はQRコードで乗車しているらしい。

さすがに土曜日の午前7時前。地下鉄は空いていた。老人が多い気がしたが、彼らはほぼマスクをしていた。コロナに加えてインフルも流行しているとの話があったが、チェンマイでマスクをしなかった私はそのままにしていた。国貿で降りて、中国大飯店のロビーを通り、懐かしいその辺の道を歩いてみた。勿論ビルは変わっていないが、店などは大きく変わったように思われる。

歩いていると少し寒さを感じてきたので、急いでマックに入った。朝食セットとして、お粥とマフィンがあったので、それを注文してゆっくりと食べた。ダラダラしていると宿に戻る時間となり、また地下鉄に乗って戻る。何と小雪が降り出した午前9時過ぎ、無事にチェックインして部屋に入り、とにかく疲れたので寝ることにした。

11時半に部屋を出てまた亮馬橋方面へ向かう。燕沙から歩き、光明飯店まで。25年の昔毎日のように歩いた道だった。勿論今や立派なビルが並んでいるが、その道自体それほど変化はない。光明飯店は当時オフィスがあった場所であり、私が中国を学んだ辛く厳しい学校だった。3階に行ってみると、全く雰囲気は変わっていたが、建物の構造は一緒なので、何となく懐かしい。

地下1階に何軒かの日本料理屋が入っている。その中の一軒でTさんと会った。そこにはMさんも同席していた。この店はTさん経営であるが、コロナ禍を潜り抜けるのはさぞや大変だっただろう。そんな話やら、旅の話しやらを長々としてしまった。立派な天丼もご馳走になった。

夕方の北京は風も出てきて、寒くなっていた。また地下鉄に乗り、10号線、1号線、4号線と乗り継いで、西四駅で地上に上がると、既に暮れかかっていた。何だか懐かしい北京の下町風景が蘇る。高層ビルやきれいなショッピングモールではなく、20₋30年前の古き良き北京がそこにはあった。

今晩はKさん、Iさんと砂鍋居で食事となった。この店に来たのは10数年ぶりだろうか。以前から西側にはあまり来ないので随分とご無沙汰した。砂鍋白肉など美味い食べ物がいくつも出てきて嬉しい。やはりこの濃い味付けが無性に食べたくなる時があるのだ。白菜と辛し、ナス炒め等、何気ない物が特に美味いと感じられるのは、少し感傷的になっていたからだろう。

Kさんはコロナ禍の4年ほど、北京から動かなかったようで、さすが北京好きとは思ったが、その実は相当大変だっただろう。Iさんはコロナ禍に北京に復帰していたので、これはちょっと驚いた。私は南方人なので、決して北京が好きだとは言わないが、北京に良い所がいくつもあるのは知っている。帰りはKさんに車を呼んでもらい、宿へ戻る。

極寒北京旅2023(1)緊張の北京入国

《北京2023》  2023年11月25₋28日

チェンマイからどのルートで帰ろうかと検討した。バンコク経由を避けると、北京経由が浮上した。しかも中国に行くにはビザ取得が必要になった中、何故かトランジット入国という制度があることを知り、試してみることにした。しかし30度を越えるチェンマイから零下の北京へ(日本を出る時は想定していなかったので冬服は持っていなかった)。果たして入国できるのか、そして寒さに耐えられるのか。

11月25日(土)緊張の北京入国

ちょうど北京時間午前零時、エアチャイナはチェンマイ空港を飛び立った。お客はたぶん半分もいなかった。やはり中国人観光客が戻っていない、は本当だったということか。離陸前、CAがあたふたとやってきた。何と私の通路の反対側の席で雨漏りが発生した模様だ。どうやら乗客が荷物に液体を入れており、それが漏れたらしい。

私はもう眠くて仕方がない。飛び上がるとそのまま寝てしまった。2時間ぐらい経ってトイレに起きると、既に食事は配られ、皆食べ終わっていた。フライト時間はわずか4時間ちょっと、1時間前になると機内が明るくなる、するとCAが飛んできて『あなた、ご飯食べなかったでしょう?今食べる?』と聞いてくる。

それを断ったが、2分後にはもう一人がまたやってきて食事を勧める。更には男性がやってきて『大丈夫ですか?北京は零下8度ですよ』と声を掛けてきた。こういうおせっかいはある意味ではうっとうしいのだが、決して嫌いではない。某国航空会社のルール重視のサービスよりは余程好感が持てる。

午前4時に北京空港に到着した。チェンマイの夜との気温差は約35度。空港内はしんと静まり返えっていたが、寒さはあまり感じない(ウルトラライトダウンの下にヒートテックなどを重ね着している)。とにかくトランジット入国の許可をもらわなければならないが、その表示があるものの、場所が分からず、入国審査場まで行ってしまう。実のその前を右に行ったところにちゃんとしたカウンターがあったのだが、気が付かない。

カウンターにはヨーロッパ系の観光客が数人並んでいた。既にこの入国方法は144時間ルールとして、知られているようだ。一人一人意外と時間が掛かる。よく見ると私の前には日本人もいたが、何と宿泊先を答えられずに、バッグの中を懸命に探している。私の番が近づき、緊張が高まる。

20分ぐらいで私の番が来た。東京行きのチケットとパスポートを渡すと、『北京の滞在先は』と聞かれ、スマホアプリで予約画面を提示したが、予約だけで支払いがまだだった。『なぜ支払わないのか』と聞かれたので喉元まで『入国できるか分からないから』と出かったが飲み込み、支払いを行う。ところが支払いが出来ない。これには焦ったが、その後何とか出来て、無事に臨時入境証シールが貼られた。

そこから入国審査に進み、午前6時前には無事北京の地を踏んだ。まずは預け荷物を回収したが、完全に1つだけポツンと放置されていた。外へ出たが、荷物も大きく、電車に乗る勇気もない。飲み物が欲しくてローソンを見付けて、ポカリスエットを買って飲んだ。ようやくホッとした。

周囲を見渡すと以前は沢山あった銀行の両替所が一つも見当たらない。インフォメーションで聞いてみると、何とこの入国フロアーには両替所は全くなく、1階上の出国フロアーに僅かにあるだけだという。これは中国国内では現金がほぼ使えない状態であり、中国人が海外へ行く場合の両替だけが必要だと暗に言われているようなものだった。

チェンマイ滞在記2023その2(6)7 劇的な再会、そしてチェンマイを離れる

そこから何故かトボトボと歩いて、セントラルデパートまで行く。道は一本だが、思ったより遠くて疲れた。どうしても寒さ対策が不足と考え、再度ユニクロでパーカーなどを購入した。きっとどれだけあっても不安は解消できないが、ないよりかなりマシ、という感じだろうか。帰りがけにはちばんラーメンに寄り、久しぶりのラーメンを食べる。ちょっと体調が不安な時に一番いい食事だが、チェンマイでは食べる機会にあまり恵まれない。

ちょうど帰宅ラッシュ時に当たってしまい、初めてGrabもBoltも呼んでも来てくれなかった。仕方なく、さっき来た道を歩いて帰ることにした。少し行くと、日本領事館の看板が見えた。今後もお世話になることはないと思っているが、初めてその位置を確認する。夕日が落ちる中、ゆっくりと歩いたが、それでも足が痛くなる。もう明日はチェンマイを離れるのだから、夜は荷物の整理に勤しむ。

11月24日(金)

チェンマイを離れる直前 劇的再会

ついに2か月の滞在を終え、チェンマイ最終日を迎えた。部屋の片付けを完了し、残ったクッキーなどで朝食を取る。荷物のパッキングは意外と簡単で、どんどん進んでいく。そして昼にチェンマイ大学へ向かった。入院中だったPさんが復帰しているというので帰国前に挨拶に行った。色々な話が出来、元気そうでよかった。

夕方宿の人に精算を頼むとこれまた至極簡単に終わった。そして来年の予約も行ってしまった。来年はここでもっと長く過ごしたいと考えている。最後の晩餐はジョークだった。やはり体調が万全ではないため、体に優しい物を選ぶ。ボリュームたっぷり、美味しいジョークには本当に助けられた。

何と空港に向かう直前、ジュジュから連絡があり、彼女のお父さんと会うことが出来た。お母さんが腰痛で来られなかったのは残念だったが、まさかこのタイミングで話が聞けるとは何とも有難い。時間もないので、国民党軍の動きと、ワーウィの李さんの話などを掻い摘んで聞いてみた。当然ながらその辺の歴史は良く知っているので、明快な答えが聞けて喜ばしい。これでまた来年、更に調べを進めることが出来そうだ。奇跡的な再会に感謝する。

すぐに宿に戻り、荷物を整え部屋を出た。鍵は中に置いておけばよい、というのは何と有り難い。これで午後8時過ぎまで部屋が使えた。車を呼び、慣れた感じで空港へ向かう。夜の空港は初めてだったが、韓国のLCCの乗客が溢れていた。その横のエアチャイナへ行き、緊張のチェックイン。スタッフも何度も書類を確認していたが、何とかトランジットOKが出た。

それからシムカードを購入。今回まさか北京に寄るとは思っておらず、シムを用意してこなかった。それでもAISのカードが使えるというので試してみることにする。出国審査には誰も並んでおらず、すぐに通過できたのは良かった。もうあとはフライトを待つばかりとなり、寂しさが増す。それにしても極寒の北京を思うと、身震いする。

チェンマイ滞在記2023その2(6)6 新しいカフェ

11月22日(水)ミアンと観光2

今日はSさんの授業が終わる頃、チェンマイ大学で待ち合わせた。語学系の校舎まで歩く。何しろチェンマイ大学のキャンパスは広い。私がいつも行く校舎からも随分と離れている。折角なので歩いて行ってみると、途中に懐かしい風景が広がる。以前の滞在で訳も分からず歩いていた道だった。その向こうにキャンパスが見え、そこが正門だと初めて知る。

そこから歩いて5分ほどで目的地に到着した。この校舎には孔子学院の文字が見える。通っている外国人も、普通話があちこちで聞こえ、中国系が多いように思われた。Sさんと合流し、更にお知り合いのタイ人の先生とも会い、彼の車でキャンパスを出た。それにしてもSさんは一体どれだけの人を知っているのだろう。

車は何とワンニーマンの近くに戻り、ガイヤーンやソムタムを食べた。こんな近くにいい店があるのを知り嬉しい。有名店らしく、外国人も含めて満席状態だった。そこからまた車に乗り、少し郊外のカフェへ行く。大きな木の下にカフェがある感じが良い。チェンマイは少し郊外に出れば自然が味わえる。

ここでコーヒー入りのレモネードを飲む。最近カフェも色々と工夫がある。そして観光学が専門の先生から色々と教えてもらう。ミアンについても『タークではミアンの消費が多く、砂糖を入れて食べる』など貴重な情報を得た。是非彼と一緒にタークへ行きたいが、何と来週彼はチェンマイを離れ、中部の大学に転勤するという。一期一会かな。

11月23日(木)新しいカフェへ

今朝は早めに目覚めたので、早めに散歩に出た。お堀の周辺を歩き、教えられたタイヤイ人(シャン人)のお寺へ向かう。私にとっては、どれがタイ人の寺で、どれがタイヤイ人の寺かなど、皆目見当がつかず、いつも通り過ぎていたところだった。中は意外に広く、古めかしい仏塔がなかなか良い。幼稚園が併設されており、朝から元気な声が聞こえてくる。

更に進み、ターペー門を曲がり、懐かしのカフェへ行く。ここは1年前の滞在でクラブサンドイッチを食べた店だった。看板のメニューを見ると、軒並み料金が値上げされており、クラブサンドイッチのモーニングも20バーツ上がっていた。まあ、居心地の良い店なのでよいが、何だか朝から散財した、という感覚だ。

チェンマイの朝は20度台でとても涼しく、いい気候だ。これから行く北京を検索してみると、零下の寒さ。何とか寒さを凌がなければと思いながら、散歩を続ける。チェンマイの街中もロイクラトーンの祭りの準備で徐々に盛り上がっている。私はその祭りの3日前にこの地を離れる。何で、とよく聞かれたが、実はあまり興味がないだけなのだ。

午後またお堀端を歩く。今度は宿にかなり近い。そこに、あのメーサローンビラの娘、ジュジュがカフェを開いたと聞き、訪ねてみた。彼女とは今回の滞在では会っていなかったが、着々と準備を進めていた。そのカフェは大通りからちょっと入ったスペースで、お茶を飲めるし、テイクアウトも出来るし、しかも茶葉も販売していた。

ここでお茶を淹れてもらって飲んでいると、シンガポールから来たというお茶好きが立ち寄り、自ら蓋碗で茶を淹れて味わっている。ジュジュも華語が普通にできるので会話もスムーズだ。メーサローンのお茶の味も随分向上しており、日本のコンテストにも出品して賞を取ったと聞くと、何となく嬉しくなる。

チェンマイ滞在記2023その2(6)5 ランプーンへ

11月20日(月)ミアンと観光

昼までグダグダ。外へ出ると日差しが強い。今日は気になっていたミャンマー系料理を食べに行く。おかずを適当に選び、ご飯と共に皿に乗せてもらい、一気に掻っ込むスタイルだ。スパイシーな物を避けると料理は限られるが、これで50バーツは安い。店員の少女は顔にタナカを塗っているので、ミャンマーから来たのは間違いない。

午後はSさんの紹介で、元チェンマイ大学の観光学の先生と会った。ここもまたおしゃれなカフェだった。ミアンの話を持ち出すと、大変興味を持たれ、『観光の観点からもミアンの歴史を掘り起こし、現代に繋げることには意義がある。何しろミアンはランナー王朝を象徴する食べ物の一つだから』と言われ、勇気づけられた。確かに今やタイ人も知らないミアン、そしてその歴史について、それほど研究されていないのであれば、それは損失だろうと感じる。

夕方、今回チェンマイに来て最初に入った食堂の前を通りかかり、フラっと入ってしまった。チャーハンと空心菜炒め、何とシンプルな夕食だろう。そしてこういう食事が簡単にできる日も残りわずかとなり、少し悲しい気分になる。チェンマイに居ると次に踏み出す勇気が薄れていく。

11月21日(火)ランプーンへ

今日はSさんのアレンジで、チェンマイ郊外の旅へ向かう。車はSさんの知り合いのタイ人が運転してくれる。彼は留学経験があるようで、日本語を解するので有難い。向かった場所はランプーン郊外。実は私が検索して見付けた変なお寺へ行ってみることになっていた。北タイでは珍しいヒンズー寺院との触れ込みだったが。

車は1時間ちょっと走る。かなりの田舎へ来た感じ、更に坂を上ると入口が見えた。しかし中へ入ってビックリ。まるでテーマパークかと思うような、千手観音などの仏像などが並んでおり、思わず写真を撮る。ネットで話題だったのは、この風景だったのだ。お寺の本堂はどこにあるのか。

長い階段を上っていくと、そこにヒンズー寺院にしては少し奇妙な建物がある。その横には仏教の仏像も鎮座している。女人禁制の文字も見え、ここが仏教寺院であると判断できる。一応事務所で聞こうと思ったら、案内人の僧侶が来てくれ、室内を見学した。本堂はかなり広く、そこに多くの仏像が安置されている。聞けば20年前に出来た新しいお寺で、宗派といったものはなく、国際的に宗教の枠を超えた活動をしているとか。こういうのを新興宗教というのだろうか。

お寺を離れてランチへ。運転手君はランプーンの日系企業で働いていたこともあり、日本人に好まれるカオソイの店に連れて行ってくれた。確かにスパイシーではない、ラムヤイ入りカオソイで美味しく頂く。それにしても天気はいいし、外は気持ちが良い。ついでにランプーンをちょっと散歩することになる。ランプーンには以前2度ほど来たことがあるが、それはSさんの花園があったからだが、そのSさんももういない。

街中に入るのは初めてかもしれない。ワットパタタリプンチャイという古い、とても立派なお寺へ行くと、ロイクラトーンの飾りがきれいされている。お参りするタイ人も多くいる。いい天気の中に仏塔が映える。寺の前にはきれいな公園もセットされており、女性像が中心にある。