ある日のバンコック日記2020(17)バンコックのランチ

2月29日(土)近現代史の会

今日は4年に一度の2月29日。8年前のこの日に母の葬儀を行ったことが思い出される。何しろ大雪が降っていたのだから、忘れられない。母からこの日を忘れるな、と言われているようだが、やはり4年に一度思い出す程度では、誠に申し訳ない。

今回は珍しく、日本人の集まりに参加することになっていた。時期的にどうかと思っていたが、Y先生のお誘いもあり、またテーマにも興味があったので行ってみることにした。待ち合わせまで時間があったので、久しぶりにプロンポーンにある洋食屋に入ってみた。11時半過ぎだというのに、結構混んでいて、相席と言われてビックリ。まあ単身赴任のおじさんなどがランチを求めてきたのだろう。メンチカレーを美味しく頂く。味噌汁が付いているのが如何にも洋食屋でよい。

Y先生に連れられて、日本人が主催している貸しスペースへ向かう。ここは2-3年前に一度、お茶会を開いた場所だった。比較的年齢層の高い方々が10数人集まってくる。今日のテーマは日本国憲法。講師の方が非常に丹念に調べた結果をきれいにまとめて発表され、とてもきめ細かい内容で正直驚いた。憲法論議はとかく改憲だ、擁護だ、アメリカの押し付けだと政治的な話しになりがちだが、元々歴史的にはどのような過程を経て作成されたのか、史実に基づいてもう一度きちんと整理するべきであり、その上でぎろんすべきであろう。大変勉強になった。

3月1日(日)東京マラソン

今朝は早く起きてみた。というのも、東京マラソンが開催されるので、そのレースの様子を知りたかったからだ。スマホを見てみると、FODというので、生中継するらしい。海外でもVPNをかませれば、視聴可能ということで、設定を試みた。基本的に東京オリンピックが7月に開幕する可能性はほぼないが、MGCの結果もイマイチだったので、代表権のかかったこの大会は見ておきたいという気持ちがあった。

案の定、一般参加の3万人のランナーは走ることが出来なかった。正直に言えば、各スポーツが自粛されていく中、この時期にマラソンなんてと思ったが、東京では応援自粛要請にもかかわらず、7万人以上の観客が沿道で応援していたというから、これには世界も驚いたことだろう。

最初は部屋で見ていたが、ネット環境が弱く、途切れがちで困った。途中から1階のロビーに行き、何とかレースを追うことができた。大迫は途中で一度遅れたが冷静だった。井上は最後までもたなかった。設楽は最初から調子が悪かったようだ。まあとにもかくにも、日本新記録でゴールにたどり着いた大迫はやはりすごい、彼こそが世界で戦える人材だと言わざるを得ない。

来週のびわこもあるが、男子はこれで決まりだろう。後はいつオリンピックが開かれるかにかかっている。個人的にはロンドンで可能ならば、会場を移してもよいと思っていたが、ヨーロッパも徐々に感染が広がっているようだから無理だろう。マラソンは東京オリンピックなのに札幌でやるのだから、ロンドンでもどこでもできるところでよいではないか。まずは選手のことを第一に考える、現実的な対応が欲しい。

何だか朝早く起きて、ちょっと興奮してホッとしたら、お腹が空いた。昼前に近所のマックに行ってみると、いつもの日曜日なら子供連れが沢山いる店内に客は全くいなかった。代わりにデリバリーの配達員が数人オーダーしており、受け取りを待っていた。いよいよバンコックでも外出自粛が本格化する感じだ。後から中国人が入って来て10人分ぐらいの大量オーダーをして、テイクアウトで店員と何か揉めていた。その後白人カップルがやってきたが、店内は本当に静かだった。私も食べたらさっさと立ち去る。

3月2日(月)ランチ会

1週間前にランチ会があり、それが意外と楽しかったので、今回もお茶会メンバー数人でランチを食べることになった。今回の場所はエカマイ、ということで、バスで向かうつもりだったが、そこはタイのバス。いつになって出発せず、つい我慢できなくなって、バイタクを拾って進む。だがバイタクはやけに早い。時間前に着きそうになったので途中で降りて、時間調整しながら歩いていたら、何と店を通り過ぎてしまった。

洋食屋さんで、ハンバーグセットを食べる。デザートにティラミスまで出てきて、美味しく頂く。ただ今回は主催者のMさんが都合により欠席となったこともあり、余り方向感のない話になってしまったようで申し訳ない。やはりお話会というのは、きちんとしたテーマがあった方が話しやすいようだし、質問などもしやすいのだろう。

ある日のバンコック日記2020(16)サトーンでフライトキャンセルして

2月27日(木)エアチャイナからサトーン散歩

元々3月5日に予約していた東京への帰国便。中国のエアチャイナの北京経由であり、今北京に入ることはどう考えても得策ではないので、フライトキャンセルの連絡をずっと待っていたが、成田便はキャンセルになったが、結局羽田行きは最後まで飛んでおり、こちらからキャンセルする羽目になってしまった。

旅行会社のYさんによれば、『すでに半分使ってしまったチケットを自己都合でキャンセルする場合、一般的には返金はないが、今回はコロナという特殊要因があるので、オフィスに行って相談してみたら』と言われたので、訪ねていくことにした。

シャワーのような雨が突然降ってきたが、ほどなく止んだ。最近雨も降っていなかったので、政府が人工的に降らせたんだろうか。雨が降っていないであればと、エアチャイナのバンコックオフィスへ行く気になった。サトーンの立派なビルに入っており、バイタクに乗ってそこまで行ってみた。オフィスビルなので、受付で入館証をもらい、機械を通して、エレベーターに乗る。まるでビジネスでの訪問のようで、何とも懐かしい。エレベーターも目的階以外には停まらないシステムで、まごまごする。

驚いたことにエアチャイのオフィスに、お客は誰もいなかった。暇そうな係員に事情を説明すると、『えー、なんでわざわざ来たの。皆ネットで申請するんだよ』と言いながら、コロコロと笑われた。確かに今の中国ならそうなのだろう。そして彼女はURLを教えてくれ、キャンセル事情にコロナの欄があるから、そこを選べば、いくらかの返金がある、と説明してくれた。

不安だったので、その場でスマホを操作すると、あっという間に完了する。10-15日で返金額などの連絡があると書かれている。これは良かった、有り難い。でもいくら返ってくるのだろうか(結果は何の連絡もなく、いきなり3週間後に総チケット代の半額より少し多い額がクレジットカードに戻されており、大満足))

折角なので、この付近を散歩してみた。確かこのビルの後ろには華人の墓があったことを思い出す。恐らく華人がバンコックにやって来た頃からある墓なのだろう。とすると、その頃、シーロムなどは野原だったのだろうか。そういえば近くにはヒンズー寺院もある。風水がよいからこの地が選ばれたはずだ。かなり立派な墓があるが、近づいていくと数匹の犬が吠えてくるので、それ以上近づかなかった。

もう一つ別の門があり、客家系との表示が見える。犬はいないので、墓の文字などを見ることもできた。潮州系が多いようだが、福建系もいる。客家かどうかは墓を見ただけでは判別できない。この周辺、表通りは現代的なビルがどんどん建っているが、裏側には墓があり、かなり古い教会もある。100年以上前の建物も保存されており、歴史を感じた。

夕方宿に戻ると、LINEが入ってくる。最近は色々と情報が必要だから、これは便利だ。その内容は『タイが緊張し始めた』ことを示していた。北海道に観光に行ったタイ人が帰国後、感染者だと分かり、大騒ぎ(北海道旅行を隠していた)になっているという。バンコックに来る日本人出張者のアポがキャンセルされ始めており、タイ人スタッフも出張者のみならず、日本帰りの駐在員を歓迎しないムードが漂う。

夜、日課となったNHKニュースを見る。何と突如安倍さんが全国の小中高校を一斉休校にすると発表して驚いた。確か昨日オリンピックは予定通りと言っていたではないか。そんな国がなぜ学校だけを閉鎖するのか。きちんとした説明もない。瀬戸際とか、正念場倒壊う言葉が飛び交う。しかも文科省も話を聞いていなかったようであり、現場は大混乱。日本という国が恐ろしく見えてきた。

そのままNHKを見ていたら、『世界は欲しいものにあふれている』という番組で、『タイのパン』特集を放送していた。さっきビックリニュースを見たかと思うと、今度はふんわりしたパンのお話しとは、NHKもなかなかやるな、この配置。バンコックにも美味しいそうなパンが沢山あることが紹介されており、さらにそこに日本のパンなども持ち込まれていく。

是非店に行って味わってみたい。そういえば、リトル-マーメイドがバンコックに進出しているが、何とあんパンが70バーツもして、ヤマザキパンの2倍だから、私にはとても手が出ない。日本のパンは高級品だが、タイのホワイトカラーはこれが消費できるようになってきている。

ある日のバンコック日記2020(15)ちょこっとヤワラー

そういえば、先日AISショップで買ったシムカード、1か月の期限が到来寸前だった。プロモーションということで1か月使い放題、僅か200バーツという格安だったが、今度買う時はどうなるのか心配だった。恐る恐るテスコのAISに出向いてみると、何とまた200バーツで1か月継続になった。空港で買うと1000バーツ出しても使い放題にはならないのに、いったいこれは何だろうか。

2月25日(火)ヤワラーへ

数日は、おとなしく宿で勉学にいそしむ。今回は勉強用の本は沢山持ってきており、プールで体を冷やしたのち、ゆっくりと本が読める環境もあるのは有難い。ただ時折中国人の若者などがけたたましく騒いでプールに入るのはいただけない。もう騒がしい中国人はいないと思っていたが、ずっとこちらに滞在している人がいるらしい。

昼ご飯後、久しぶりにヤワラーへ向かった。MRTは何となく空いており、ファランポーン駅も人が少なかった。今日はこれまでと少し違って、この駅の周辺、ヤワラーの中でも早めに発展した場所を訪ねてみる。マイトリッチ通り、余り歩いたことがない。直ぐに細長い古びたビルを発見。マンションと書かれている。100年は経っているだろうか。

その裏側、駅と運河を挟んだ向かい側にあるホテル、シークルンホテル(京華大旅社)が建っている。ここはレトロで立派な駅前ホテル。往時は有名人なども泊っていたらしいが、今や老朽化が激しく、取り敢えずOYOグループに吸収されてしまったらしい。中に入るともう少し色々と分かったのかもしれないが、何となく入る気に慣れず、通り過ぎてしまった。

マイトリッチ通りに戻ると、すぐに七聖媽廟がある。その横には斗母宮、これは一体なのだろう。更に歩くと、タイで最古のプロテスタント教会、マイトリッチ教会がある。華僑区礼拝堂と書かれているものの、やはりこれは潮州人のためにあるようで、礼拝は潮州語でも行われるらしい。商人の信者が多い教会なのかもしれない。中の建物はさほど古いとも思われないが、1935年と書かれている。

この付近には、古い建物を利用したカフェやゲストハウスが少しみられるが、ヤワラー通りと比べれば、本当に静かだ。ぐるっと回って、王さんの集友茶行でお茶を飲ませてもらった。ここでバンコック茶商公会の資料を得ようとしたのだが、既に公会は有名無実化しているようで、資料はない、と言われてしまった。

帰りに駅に寄ってみると、待合室では相変わらず大勢の人が列車を待っている。これで良いのだろうかと思うほど密集している。私も列車の旅がしたいと思い、バンコック近郊の路線を探すが、タイ語でよく分からない。駅から道路の向こうを見ると、ステーションホテルと書かれたて建物が見えた。あれは何だろうか。

夜NHKを見ていると、東北大学の押谷先生という人が出ていた。SARSの時にWHOで陣頭指揮を執っていた感染症の専門家だという。こういう実戦を経験した人の話は何とも説得力があってよい。ただ、ウイルス検査が進まないのは、日本には検査体制が出来ていないから、と言えない事情があるようで、何ともかわいそうな気がした。

とにかく日本は人の命より、パンデミックよりオリンピックなのだろう。同時に受け入れられる病院、ベッドに相当に限りがあることは、日本の医療体制はあまりにもぜい弱だ、ということを露呈しているのではないか。ただいまそれを言っても仕方がない、最善を尽くす、という姿勢が感じられた。

2月26日(水)K先生と

今日も午後はヤワラーの続きを歩こうとバスに乗っていた。するとK先生から『今から時間がある』と連絡があり、急にバスを降りた。なぜか今日は道路が混んでおり、ほとんど進んでいなかったが、降りた場所には屋台に毛の生えた食堂がいくつもあり、意外と美味しそうに見えたので、今度偵察することにして、MRTの駅に向かった。

相変らず会合場所はスクンビットのチョコ屋。場所が固定されているのが考えなくてとても良い。前回お会いしてからまだ数日も経っていない。まるで恋人のようだと冗談を言う。今日お会いしたのは、こちらから華人に関するある質問を投げたからだったのだが、その説明をメッセージでやるのは大変、ということで、口頭で説明をもらった訳だ。

更には前回話題に上がったミャンマー行きの情報も共有した。シャン州の中でも外国人は陸路で行けない場所もあることやソーボアの末裔情報など。ちょうどミャンマー茶の謎に関する原稿を書き上げたばかりで、そのなぞ解きをした気分ではあるが、果たして行けるのだろうか。今の時点でミャンマーには感染者はいないというが、中国人があれだけ入っていて、ゼロはないだろう。事態はどんどん悪い方向に走り始めている。

ある日のバンコック日記2020(14)チョコレート屋で盛り上がる

そんなことをやっていると約束の時間となり、出掛けた。ちょうど先日お会いしたK先生がパタヤから出てきているので、入手した本を渡そうと思ったのだ。フライトが遅れたら、空港で足止めされたら、と思いながらも、約束しておいてよかった。プロンポーン駅で待ち合わせ。

落ち着いた場所は、何と歩いて5分ぐらい行ったスクンビット沿いのチョコレート屋さん。ちょっと意外。しかもそこにはK先生より一回りお歳が上のY先生がおられ、紹介される。K先生には、ミャンマー、シャン州のソーボア関連の本をお渡しし、ひとしきりミャンマー話で盛り上がる。Y先生はタイ在住30年、タイの大学で教鞭をとられており、極めて人脈が広い。何と近現代史の会を主宰されており、歴史に対する知識も素晴らしい。このような出会いは非常に好ましい。

因みにこのチョコレート屋さん、ちょっと雰囲気がよく、周囲には日本人駐在夫人が何組かお茶を飲んで話し込んでいた。かなり高級チョコを売っているが、店内でコーヒーか紅茶を注文すると、美味しいチョコが2個ついてきて、100バーツ程度とお得なのだとか。確かにスタバでコーヒー飲むより余程合理的だ。

話に夢中になっていると、何と日が暮れてしまった。お茶だけと思っていたが、夕飯までご一緒することになる。ご飯は、エンポリアムの中にある大戸屋だったが、何と85歳になるY先生が、『みそかつがうまいよ』と言って、とんかつを食べていた。私ももし長生きしたら、何歳になってもとんかつを食べていたいと思う次第だ。

2月21日(金)ランチ+

バンコックにもコロナの足音が近づいてきていたが、まだそれを大きく実感するまでには至っていなかった。むしろ中国人の入国を止めない日本を危惧し、大都市封鎖がなされた中国にはいつ行けるのかと気を揉んでいた。そんな時にお茶会のMさんから、ランチのお誘いがあったので出掛けてみた。

指定されたレストランはスクンビットにあった。Googleに名前を入れたらすぐに場所が示されたので、安心して出掛けて行く。だがその場所に着いても、そのレストランは見つからない。多少ズレているのかと探し回ったが、どこにもない。仕方なく地図に示された店、雑貨店に入って聞いてみると、さすがスクンビット、日本人経営者が親切に教えてくれた。その場所は道の反対側、しかもビルの2階だから、道を歩いていても分かるはずはない。

皆さんをお待たせしてしまったが、何とか到着。ここは日本人がやっている有機野菜の販売所兼レストランだという。コンドミニアムの2階、プールサイドの席でご飯を頂く。ドリンクと今日の定食で200バーツだから、そう高い訳でもなく、ゆったりと食事することができた。

ここで皆さんと旅のお話をした。私のFBの『思い出』欄には、1年前はどんな投稿をしたかが表示されるので、それを見るだけでも色々と思い出すことがあり、中にはその旅をもっと知りたい、情報が欲しいという方もいた。行ったことがある場所が出てくれば話は更に盛り上がる。私の場合、有名観光地や評判のレストランに行くわけではないので、一般の皆さんのお役に立つ情報はないと思っていたが、意外と役立つものもあるのかもしれない。

そんな話をしていると、先日お会いしたK先生からメッセージが入る。何とこのすぐ近くに来ているから会わないか、という内容。まるで私の位置情報が伝わっているかのようなタイミングに驚く。やはりかなり深いご縁があると感じてしまい、ランチ終了後、また例のチョコレート屋を訪ねていく。

やはりここを根城にしておられる?Y先生もおられ、またもやチョコを食べながら、話しがどんどん展開する。K先生とは『一緒にミャンマーへ行こう』と盛り上がっていく。この勢いだと来月にも実現しそうだが、どうだろうか。次回の近現代史の会への参加も決まった。中国などの状況を見ていると、これから大変なことになりそうだが、楽しみも増えている。どうかこの楽しみを消さないでほしい。

夜になり、K先生はパタヤに帰って行き、私はY先生に伴われて、夕飯に出掛けた。今晩はY先生を訪ねて来られた大学の先生とご一緒するというので、人気のタイ料理屋へ向かった。7時半頃だったが、店は驚くほど満員で、日本人も多くいた。如何にも日本人などが食べられそうなタイ料理が出されている。大学の先生は観光学などがご専門で、タイにもその調査で来たらしい。

まだ日本から様々な理由でタイに来る日本人がいる。ただそろそろ、タイ人も日本が危ないと思い始めており、余り安易に日本から来るのは止めた方がよい。まあ日本では、いまだにオリンピックを予定通り開催などと寝言を堂々と言っているのだから仕方がないか。オリンピックが自国の状況だけで開催できると思っているのだろうか。世界から見放されていく日本。

ある日のバンコック日記2020(13)無人のスワナンプーム空港

《ある日のバンコック日記2020》  2020年2月19日-3月13日

2月19日(水)空港で

パクセーから乗ったラオス国際航空のフライトは、1時間でスワナンプーム空港に降り立った。果たしてすぐに降りられるのか、それとも機内に検疫官が乗り込んでくるのかと、緊張した。だが、皆何事もないように降りていく。ただタラップを降りて、バスでターミナルに向かった。

ターミナルに着いても、何の検疫もなかった。そのまま入国審査の前まで来たが、私が先頭を歩いており、前には一人の乗客もいなかったので、本当に驚いてしまった。そしていつもは長い列が出来ている外国パスポートの審査場にも、ただの一人もおらず、係員が欠伸をしていたおり、我々を見て急に動き出した。

いきなり入国審査台にパスポートを差し出す。これまでの渡航歴など、色々と聞かれると覚悟していると、係官は一言、『ウエルカム』と言って、スタンプを押した。恐らくタイ入国でウエルカムと言われたのは長い歴史の中で初めてだろう。勿論サーモグラフィーで検温はしていただろうが、結局何のチェックもなく、外へ出てしまって、完全に拍子抜けだった。

因みに荷物受け取りのターテーブル付近にも乗客の姿は殆どなかった。到着便の案内は沢山出ているのに、なぜ人がいないのか。他国から来た便は、どこか別の場所に隔離されているのだろうか。いずれにしても、ここまで人がいないスワナンプームを見たことはなく、正直怖くなってしまった。

タクシーに乗るのも何なので、地下まで行き、エアポートリンクに乗る。いつもは乗客で混んでいるチケット売り場にも人影がない。もうゴーストタウン状態だった。ホームに行くと、多少乗客がいて、ホッとする自分がいた。この時期でも白人旅行者が乗り込んでいるのには驚くが、立場的には私と同じで、東南アジアを回っているのだろうか。

MRTの乗客は若干少ない程度だったが、マスク率はかなり上がっていた。駅から宿まではバイタクに乗った。バイタクは濃厚接触とか、言われないのだろうか。そろそろ何でも気になってくる。それはやはりSARSを経験しているからだろうか。あの時は香港で2か月閉じ込められたから、印象は鮮明だ。とにかく人と接触しないことを叩きこまれたものだ。ただまだタイでは感染者も多くはなく、そこまで神経質になる必要は無さそうだ。

これから考えなければならないことがいくつかあった。3月5日に北京経由で東京に戻るフライトが予約されていたので、まずはこの便には乗らないことを決めた。今や中国経由で帰国したら、最悪隔離措置だ(日本はなぜか中国からの入国者を隔離していないが)。そして東京に戻るべきか、バンコックに残るべきか、はたまた第三国へ行くべきか、真剣に考え始める。

台湾からは『こっちの方が安全だから早く来たら』と言ってもらったが、茶の歴史関連の資料が東京にあるので、東京に取りに行く必要があり、台湾に直行できないので、現実的な選択肢ではなかった。何より日本への懸念が強まっている。各国は今後日本からの入国を制限されるだろう。そうなると旅をする者としては活動を大幅に制限されてしまうので、最も好ましくない。取り敢えずタイに留まって様子を見ることにした。

そうなると、3月に東京付近で予定されていたいくつかの講座を取り止めねばならない。既に1件は主催者よりキャンセルの連絡があったが、他の2つはやる気満々のようだ。残りの一つは自分が主催なので、早々に取りやめを通知する。やる気の2つも最後は『帰国しないので』と言って、こちらから中止してもらった。既に相当厳しい状況に陥っている海外をよそに、日本だけが別世界かな、と感じた瞬間であった。

更には、フライトのキャンセルなどを考慮し始める。エアチャイナは当然フライトキャンセルになる可能性があり、そのまま放置することにした。その方がキャンセル返還料をもらえそうだったからだ。その次に3月の台北行きをキャンセルする必要があったが、これも特典航空券だったので、そのままにしておいた。

更に台北からすぐに四川省成都へ行く便を押さえており、これはCtripで予約したので、キャンセルしようとしたが、何と中国の電話番号にパスワードが送られてくるというので、困ってしまった。ところが運のよいことに、いつも使っている中国シムカードも持参しており、何とかパスワードを取得してキャンセルに漕ぎつけた。返金は2週間後にアリペイに全額入金された。成都のホテルはすぐにキャンセルができ、即金でアリペイに返金された。やはりキャッシュレスの世界では、中国の方が便利だ。

パクセー茶旅2020(4) 老舗ホテルで夕日を

昨晩泊まった宿ではなく、新しく予約した宿で降ろしてもらった。ここは街の名前がついている老舗ホテル。1962年開業だというから、設備は古いだろうが、昨日の宿よりはだいぶマシだろうと昨晩料金を聞き、交渉して安くしてもらい、部屋まで予約しておいたのだ。部屋はさほど広くないが、コンパクトで良い。昨日は繋がりにくかったネットも何とか繋がるのは有難い。何よりクラシカルな作り、窓から街が一望できるのがよい。

昼ご飯を食べようと外へ出たが、かなり暑い。旅行社のパネルを見ると、ここからバスでタイだけではなく、ベトナム、ダナンなどへも行けることが分かる。いつもならノリでバスを使いたくなるのだが、今はコロナがあるので、密閉された空間を避けて、出来るだけ短時間で移動したい。ご飯は地元民しか行かない食堂を見つけ、麺をすすった。これはベトナム風で、安くて意外とイケる。

午後は疲れてしまったので部屋で休んだ。今は疲れを貯めるのもよくない。ちょっとした風邪なども大事に至る可能性があるので、注意が必要だ。取り敢えず早めにバンコックに戻ろうと、明日のフライトを予約した。それでも簡単にタイ入国が出来るのだろうか。厳しいチェックがあるとか、外国人が入国拒否されたとのうわさが出ている。もう流れに任せるしかない。

夕方、このホテルの屋上に行ってみる。ここの屋上からメコン川に沈む夕日がよく見えると言われたので、夕日好きとしては眺めてみようと思ったのだ。まだ陽があるうちから白人たちがビールを飲みながら大声で話している。ハッピーアワーと書かれていたが、私は一人、アイスティーを飲みながら、陽が沈むのを待った。

段々陽は落ちていくが、メコンに沈む夕日、という雰囲気には残念ながらならない。なぜか昨晩も出会った中国人グループがやってきた。その後ろには日本人女性が一人でPCを打っている。午後6時頃、陽は沈んだが、お客たちは誰も帰らず、話し込んでいた。私は一人、部屋に戻った。

暗くなってから、軽くご飯を食べようと思い外へ出たが、やはりピンとくる食堂はない。思い出したのが宿のエレベーターの広告。クラブサンドイッチが食べられるとあったので、急に宿へ戻った。ところが1階のカフェは元々休業中だったようで、スタッフの姿すらない。

フロントに聞くと、たぶん屋上のレストランでサンドイッチを作ってくれるだろうというので、何と先ほど出てきた屋上にまた戻ってメニューを眺めた。ところがサンドイッチはなく、あるのはハンバーガーだけ。それでも面倒くさくなり、大きなバーガーを注文して、ポテトを頬張った。もう完全にバーとして機能しているので、酔っ払いも登場してうるさい。私は食べたらすぐに退散した。

2月19日(水)バンコックへ

翌朝は宿の朝ご飯を食べた。1階のカフェは、朝ご飯会場のみに使われていることが分かった。多くの人が食べており、席の確保が難しい。食事は何といってもパンが美味しい。オムレツも丁寧に作られておりとても良い。もう一泊したところだったが、今回の最大の目的はタイ入国だったので、急いでチェックアウトした。

ラオスではGrabが使えない。ホテルに車を頼むと高そうだし、このホテルの外にいる運ちゃんも吹っ掛けてきそうだし、と思っているうちに『まあ、時間もあるので、ゆっくり歩いていくか』となり、歩き出してしまった。途中までは数年前にも歩いた道で、何となく懐かしい。朝ごはん屋の湯気も好ましい。さっき食べたばかりなのに、また食べたくなる。

空港までほぼ直線で3㎞ちょっと。思えば先日ウボンで空港から宿まで歩いた距離とほぼ同じだ。今回は運動のため、旅に出たのだと分かる。もともと私の茶旅は『歩いてなんぼ』の旅だったはずだが、最近は少しサボっていたのかもしれない。旅の良い所は、適度な運動、気分転換、そして未知との遭遇だろうか。

空港は小さかった。入っていくとチェックインが始まっているが、並んでいる人は多くない。それでも乗客と係員が長い間話しているので列は進まない。やはり他国へ移動するのは難しいのか。だが私の番になるとあっという間にチケットが渡され、何の質問もなかった。

ここはビエンチャン行きの国内線も混在しており、そちらはかなり混んでいる様子だった。まだ時間があったので、空港内を歩いてみたが、特に何もなかった。仕方なく、出国審査に進んだが、何と普通の窓口でパスポートを提示してスタンプをもらう。その横の狭い通路を入ると、荷物検査があり、その向こうが待合室だ。

どうやら国際線も国内線も区別なく、待っている。中国人はいないようだ。バンコック行にはタイ人の他、白人がかなり乗っているが、彼らはどこへ行くのだろうか。日本人は私の他に出張者が一人だけかな。機内は半分以下の搭乗率であり、CAもマスク、手袋。一応簡単な食事は出た。さて、バンコックに無事入れるのだろうか。

パクセー茶旅2020(3)パークソンの茶畑

それから街中をゆっくり散策する。ウボンと比べると少し涼しい感じがするのは気のせいか。ワット・ルアンという大きな寺に入ってみる。かなり歴史がありそうだとみていると、なぜか日本人の団体が入ってきた。学術調査のついでに観光しているといった感じで、細かい所を見ている。ここのお墓にも漢字が刻まれており、華人もいることは分かる。

きれいな建物があった。中には小さな店がたくさん入っているが、お客は全くいない。昔の市場をここに押し込んだのだろうが、効果はあまりなかったようだ。教会も見える。この地には、華人の他、宣教師などもやってきたことだろう。そこから川沿いに出て友好橋を写真に収めようとしたが、うまく撮れないので、どんどん橋に近づいて行き、気が付くと橋の袂まで来ていた。

この橋、日本の資金でできたらしいが、建設したのは韓国の会社か。その名前が刻まれている。そして実際にこの橋を使っているのは、ラオ人の他はタイ人と中国人が多いらしい。これぞ国際貢献、と言って喜べるのだろうか。いずれにしてもパクセーはこの川で栄えた、とは分かる。近くには立派なホテルも建っている。夕陽がドンと落ちていく。

今度は内側に歩いて行くと、市場があり、夕飯の買い物をする人々がいた。宿の方へ戻ると、途中には中国系の廟などが見られたが、既に門は閉ざされていた。結構歩き回ってかなり疲れてしまった。夜外へ出るとすぐ近くにも立派な中華商会の建物があり、やはり華人が貿易していたのだと理解する。

夕飯は、昼を食べた隣のカフェへ入る。そしてシーフード炒めと書かれているのを、イカ炒めだけにしてもらい、たらふく食べた。隣に地元の華人と中国から来た中国人のグループが座った。周囲はちょっと気にしていたようだ。既に中国人団体観光は止まっているが、彼らは個人で来たのだろうか。それとも中国に帰れず、既に1月からここに留まっているのかもしれない。

2月18日(火)パークソンの茶畑へ

翌朝は宿で簡単にご飯を食べてチェックアウトした。やはり隙間風がうるさくてよく眠れなかった。フロントの男が『どうしてチェックアウトするのか』と聞いてきたが、無言で支払いをした。外に出ると、そこには昨日予約した車の運転手が待っており、荷物を載せて出発した。

車はすぐに郊外へ出て、思っていたよりずっといい道をほぼまっすぐ走っていく。山を登っているという印象は全くなかったが、30分後に標高を計ると、100mから800mに上がっていたので、かなり驚いた。そして車は道路わきに入っていく。そこは茶園があるらしい。手前の小屋には簡易な製茶道具が置かれ、奥には確かにかなり古い茶樹が沢山植わっている。

運転手は何が楽しんだ、という顔をしていたが、とにかく茶畑を見ると嬉しくなってしまうのはどうにも止めることができない。思ったよりずっと広い茶畑なので、写真を撮りながら、ずんずん奥へ入っていく。茶樹の間隔は広く、昔の茶畑という雰囲気が漂う。但し直射日光が照りつける、平たい場所にあるので、茶樹の生育としてはどうなのだろうか。

建物の所に戻ると、運転手が女性と話していた。その女性がここのオーナーであり、製茶もしているとのことだった。運転手が通訳をしてくれて聞いたところでは、まだフランス統治下、お父さんがベトナムからやって来て、ここでフランス人の茶作りの手伝いをしていたらしい。

フランスが去った後、その茶園を受け継ぎ、ここで茶業を続けてきた。道路の向かいにはコーヒー園とドリアン畑も広げた。そして父親が亡くなる時、姉妹が相続をした。目の前の彼女が茶園を引き継ぎ、妹が残りをもらい受けたらしい。とにかくここの茶畑は80年以上の歴史があることが分かり、満足。

現在ここで作られている茶は、何と紅茶、烏龍茶、白茶の3種類だった。普通ならあの晩茶のような緑茶が作られるはずだが、どうやら観光客向けに販売するので、フランス人あたりの好きそうなメニューになっているのかもしれない。これ以上、技術的な話は、通訳もできないだろうからと止めた。そして茶を少量ずつ買って、ここを離れた。

更に道を行くと、大型バスが停まっていた。ここでは白人さんが沢山下りてきて、皆でコーヒーを飲みながらガイドの説明を聞いていた。そしてお土産にコーヒーを買っていく。まさにコーヒーツーリズムだ。お茶も同じような扱いだろうが、現在ではコーヒーの方が優勢だ。

もう一つの茶園に行った。こちらはきちんと手入れをしていないようにも見える。完全に平らな土地に茶樹が無造作に植えられている。日もだいぶ高くなり、とにかく暑い。これではいいお茶が出来る、という感じはしない。なぜか茶畑を牛が歩いており、危うく衝突するところだった。

もうこれ以上、ここにいる理由もなく、車は町に帰っていった。途中道路脇に、大きな工場が見えた。Dao Coffeeという有名ブランド。1991年創業のラオスでも有数の企業だという。昨日歩いていた友好橋の袂にも、きれいなカフェを開店させていた。コーヒーの他、茶も商っている。

パクセー茶旅2020(2)バスで国境を越え、パクセーへ

2月17日(月)パクセーへ

翌朝は早めに起きて、宿の朝食を食べた。思ったより多くの人が宿泊していたことが分かる。その中にはやけに偉そうにしているタイ人の爺さんもいた。大声で皆に話しかけているから街の有力者かもしれないが、朝の大声は耳に響く。料理は色々とあってなかなか良い。このホテルの料金が安いのはコロナのせいなのだろうか。

午前8時にはGrabで車を呼んで、急いでチェックアウトした。Grabがあるので、交通に困ることはなく、何とも有り難い。月曜日の朝だが特に渋滞もなく、すぐにターミナルに着いてしまった。昨日の切符売り場に行くと、かなりの席は埋まっていたが、私は予約してあったので、一番前の席を確保した。

9時過ぎにバスに乗り込み、出発を待ったが時刻を過ぎても発車しない。誰かが荷物でも運んでくるのだろう。特に急ぐ旅でもないので、ゆっくり構えていた。乗客は意外と白人が多い。子供連れまでいる。20分ほど遅れてバスは動き出す。街の郊外、特に見るべきものはなくウトウトしていたら、1時間半ほどで、ラオス国境に到着した。

特に車掌は指示もせず、皆勝手にタイのイミグレで出国手続きをする。そこからどう行けばよいか分からなかったが、タクシーの客引きや物売りのおばさんから情報を得て、地下道を通り、上に上がるとテントがあり、いきなり検温された。コロナ対策だ。それが済むと、向こうにラオス側のイミグレの建物が見えたので向かう。

窓口がどれか分からなかったので、前の人が出したところに私もパスポートを差し出してみた。すると向こうから『100バーツ』との声がかかる。なぜここで賄賂払うんじゃ、と思い、ノー、と言って見たら、パスポートを突っ返された。何と入国カードを書いていなかったことが判明。直ぐに用紙を探して提出したら、あっという間にスタンプをくれる。入国カード代筆が100バーツか。

その頃、白人たちはゆっくりと歩をラオスに進めていた。そして皆がアライバルビザの申請を行い、その許可をもって窓口の審査を受けるのだから、そんな直ぐに出来るわけない。あっという間に30分が過ぎたがまだバスすら来ない。そんな時、おばさんが『ラオスのシムカード、要らない?』というので、100バーツで買ってみた。おばさんが親切に使えるように挿入してくれた。これでパクセーに着いても安心だ。

バスが来たので乗り込んだが、白人たちが乗っても未だ出発しない。外へ出ようとすると車掌が入り口に座り込んで、邪魔している。誰かがどこかへ行ってしまうと探すのが大変なのだろう。確かこのバス、3時間でパクセーに着くとか言っていたが、もう3時間は過ぎていた。

結局バスは国境で2時間立ち往生した。最後に乗ってきたのは、恐らくはラオス人の若者たちだ。私の隣に乗っていた若者もやってきた。地元民なので、とっくに別の手段で出発したと思っていたのだが。何で彼らだけ検査が厳しいのか。それを説明してくれる人はここにはいない。

そこからまだパクセーまで50㎞ぐらいある。3時間で着く?全然話が違うが、これがアジア旅だろう。バスは順調に進み、パクセーの街に入る時、大きな川を越えた。これがメコン川か。するとこの大きな橋が日本の資金援助でできた友好橋か。そしてついに5時間弱かかってパクセーのバスターミナルに到着した。

バスを降りない人も多かった。これから街へ向かうのかもしれないが、私は尻が痛かったので、とにかくバスから降りた。トゥクトゥクおじさんたちが近づいてきたが、料金が高そうだったので、端にひっそりと立っていたおじさんに乗せてもらった。80バーツ、ここではタイバーツが普通に使える。

街中まで風に吹かれていくのはとても気持ちがよい。大きな街ではないが、川沿いは少し道が入り組んでおり、目指す宿に行くのに迷った。ホテルサイトでは高評価だった宿だったが、フロントの態度も今一つで、部屋も今一つ。料金もさほど安くはない。特に部屋の窓に隙間があり、風でかなりの音がするのには困った。これは早々に逃げ出そうと思う。

とても腹が減っていた。もう午後3時近い。さっき見たカフェが良さそうだったので、入ってみる。客は白人が多く、英語メニューがある。ラオスに来たらパンが食べたかったので、サンドイッチを注文。お茶もアイスグリーンティーにしてみた。これは甘いが意外と満足できる味だった。ラオキープを持っていなかったので、ATMで引き出して、支払ってみる。

旅行会社を探すと、すぐに見つかり、『明日茶畑へ行きたい』というと、簡単に車のチャーターが出来た。パクセーは白人も多くやって来る、観光地だったのだ。そして大きな滝などがあり、自然を見るツアーが多いようで、茶畑だけ行きたいというのはやはり変わった客だったらしい。

パクセー茶旅2020(1)ウボンラチャタニーで

《パクセー茶旅2020》  2020年2月16日-19日

3月初めまでバンコックを拠点に活動する予定だった。そして5年マルチのインドビザを用意し、コルカタ経由でアッサムに乗り込むつもりだったのだが、コロナウイルスの影響で急激に雲行きが怪しくなる。もしインド国内で隔離されたら、と思うと、インド行きに二の足を踏んでしまい、ビザを捨てて、ラオスに走ることにしてしまった。この判断が正しかったのかは、後に分るだろう。今回は行ったことがない南部ラオス、パクセーを目指す。

2月16日(日)ウボンへ

バンコックから直接パクセーに行ってもよかったのだが、それではやはりつまらない。今回は陸路で国境を越えようと思い、ラオス国境に近い街、ウボンラチャタニーまで飛行機で行って、そこに泊まることにした。実は2年前、コンケーンからウボンに行こうとしたことがあったが、バスの時間の関係でシーサケットに行ってしまい、結局ウボンだけ取り残してしまっていたのだ。

国内線に乗るべく、ドムアン空港を目指す。日曜日ということもあるが、MRTは空いていた。マスク姿が殆どだ。チャドチャックから空港バスに乗ると乗客は何と2人だけ。既にバックパッカーなどは随分と減っていることが分かる。ある意味でこれだけ人がいなければ安心かな。

ところがドムアンでは相変わらず乗客がかなりいた。マスクしていないのは、ほぼ白人というのが面白い。白人は感染症に敏感だとずっと思ってきたが、違うのだろうか。それともマスクが買えないのだろうか。飛行機に向かうバスも満員。機内はタイ人が多く、7割程度の乗客だった。

1時間でウボン空港に到着する。直ぐに外へ出ると、ここにも空港バスが出来ていたので乗ろうとして聞いたら、このバスは、お前が予約した宿にはいかない、と乗せてもらえなかった。タクシーに乗れと言われたが、何となく嫌で、そのまま歩き出してしまう。この空港、街とくっついているので、宿まで3㎞程度だった。ちょっと暑いが歩けないほどでもなく、街を散策しながらゆるゆると行く。

街はゆったりとしており、それほど大きくもない。宿までもう少しというところで腹が減ったので、食堂に入ってみた。そこには何ととんかつなどと書かれている。注文してみると,薄いカツに、不思議なソースが掛かっており、どんぶりでもなく皿に載ってくる。ライスの上には、目玉焼きが載る。完全な創作料理で面白い。

宿は結構立派で部屋も広い。料金は意外と安かったので、嬉しい。早速明日のパクセー行き情報を集めようとしたが、残念ながらフロントの女性たちはあまり英語が得意ではない。それでも一生懸命対応してくれ、何とか分かったのは、ここからかなり離れたバスターミナルから1日2本バスが出る、ということだけだった。

仕方なく、周辺を歩いて、旅行会社などを探すが、見つからない。大きな通りに出ると、ウボン国立博物館があったので、取り敢えず見学してみる。タイの博物館はどこもそうだが、ここも発掘された仏像の展示が中心。見学者は誰もいないので、係員も手持無沙汰でおしゃべりに夢中。

商店街があったが、日曜日のせいかほぼ閉まっていて人気がない。旅行社が一軒開いていたので、入ってみると何とか英語は通じたが、やはりバスの予約はターミナルへ行かないとできないと教えられる。その場所はBigCの近くだと聞く。そのまま川沿いに歩いて行くと、市場があったが、既にほぼ店じまいしており、のんびりした雰囲気。少し川を眺める。

橋の所へ行くと、ソンテウが停まっていたので、『BigC』と言ってみると、乗れ、と合図されたので乗ってみた。大通りをまっすぐ行けばBigCなのだが、ソンテウはくねくねと横道に入りながら、北に向かって行き、最後のBigCで停まった。地方都市のソンテウは10バーツだから安い。

地図で見るとすぐのはずだったが、ターミナルまでは実はかなり距離があった。テクテク歩く。郊外のバイパス道を何とか渡り、ようやくたどり着く。私はウボンで何しているんだろうか。パクセー行のバスは午前9時半と午後3時の2本、料金は200バーツ。午前便を予約したかったが、当日しか売らないと言いながら、座席表に私の名前を書き込んでくれたので、安心してまたソンテウで戻る。

まだ陽が高かったので、もう少し散歩を続ける。大きな教会が見えたので、ちょっと眺めていると、シスターが子供たちに声を掛け、何か話している。その親しげな様子は好ましい。私にも英語で声を掛けてくれた。

国境の街だから、貿易などに携わる華人は沢山いると思うのだが、華人廟も見つからないし、漢字の看板もさほどない。華人は一体どこへ消えたのだろうか。夜は何とか見つけた華人経営の店で麺をすすったが、言葉は英語だった。

ある日のバンコック日記2020(12)ヤワラーを歩き回る

2月12日(水)ヤワラーの奥へ

今日も午後散策へ出掛ける。MRTでファランポーンの次の新駅、ワットマンコーンで降りる。この駅の前にワットマンコーン(蓮光寺)がある。ここは中国的に商売繁盛などにご利益があると言われており、いつも多くの人が訪れている。その並びには例の王有記があるが、道路の向かい側から見るとその建物の上にも看板があった。

今日は進路をヤワラー通りの方へ取る。駅の横から両側に店が並ぶ細い道を抜ければ行けるのだが、敢えて一つ先の大きな道を行く。途中に大きな廟もあったが、ヤワラー通りの角にひっそりと建つ小さな廟に惹かれる。更に川の方に向かってずっと歩いて行くと、ようやく立派な建物の培英学校に辿り着く。

培英学校はちょうど100年前、1920年に潮州人が資金を出し合い設立した華人学校。その裏には、バンコックにおける潮州系廟の総本山ともいわれる大本頭公廟がドカンとある。その脇から路地に入っていくと、薄暗い。そうだ、80年代の都市伝説『ヤワラーに一度入ったら出て来られない』という雰囲気が漂う。そこにもほのかな灯が見え、廟が存在している。如何にもチャイナタウンの奥地だ。

明るい所へ出てくると、客家総会の入り口が見えた。その間口はかなり狭いが、中に入ると広い敷地に立派な建物が建っており、如何にも目立たないように生きる客家を象徴している。その建物の最上階には100年以上前に作られた関帝廟が置かれており、商売繁盛を願って、管理人が管理していた。

道に戻るといくつもの小さな廟を見かけた。どこも参拝者がいて、廟は華人にとって極めて重要な場所だとよく分かる。MRT駅のあるチャルンクルン通りまで戻り、広肇会館に入ってみる。ここはその名の通り、広東系の総本山。手前に仏像などは安置された廟があるが、裏は同郷会館になっている。140年前に別荘の名で建てられたという。広東系の影が薄いバンコックで、ここは異彩を放っている。

道を斜めに歩いてみる。呂帝廟がある。ここは1899年に建てられた客家最大の廟であり、道教寺院でもある。当時2大派閥があった客家を一つにまとめたのがこの廟だとも言われている。客家は当時から自らを客家と認識していたのだろうか。30年ほど前に火災で焼け、再建されたとある。中には薬を扱う場所もあり、薬局(医者)の役目も果たしていた。

その向こうには報徳善堂と書かれた大きな会館が見える。ここがタイでよく見る慈善団体、救急隊の本部だった。その向かいには100年以上前に報徳堂によって建てられた廟があり、多くの参拝者が拝んでいた。更に行くと南海観音宮がある。小さな廟だが、凛としている。ここも客家廟だそうだ。

帰る前に細い路地を歩いてみる。ふと人が横にそれた。そこにも古い廟があった。龍尾古廟、ここはバンコックの中国寺院としてはもっと古いらしい。華人商人たちがその昔から商売繁盛を願って祈る場所、潮州系廟だった。

K先生と

一度宿に戻り、ゆっくり休息した。夜また出掛ける。先日お訪ねしたOさんが『私にぴったりの人を紹介する』と言ってくれ、その方のご本まで貸してくれた。それがK先生。華人廟の歴史などを書かれていて、これまで見たことがない角度から調査されている。何より今の私の活動にドンピシャな内容で、さっそくこの本を使って歩いているわけだ。

そのK先生とお会いして更にビックリ。特に華人研究を主にしているわけではなく、世界中の面白いと思うものを実地で調べ上げ、本にしているというのだ。これはもう話が弾まないわけはない。私は茶の歴史しかやらないが、K先生は何でも知っている文化人類学者だった。隣でOさんがあきれ顔で会話を聞いている。

そこで今私が一番疑問に思っていることを素直にぶつけてみた。正直分かるわけがないと思っていたが『チェンライ、チェンマイの雲南回族がチンギスハンの子孫だといっているが?』と聞いてみると、『それはね・・』とすらすら話し出すではないか。一生解けないかと思っていた疑問、目の前でそのヒントがどんどん出てくる。そしてそれに関する本も書いてあるよ、というから、これはまさに奇跡の出会いだった。

2月13日(木)うまい炒飯と客家

今日はどうしても炒飯が食べたくなり、近所の食堂へ向かう。他の店と違い、ここの海鮮チャーハンがなぜか絶妙にうまい。一体何を入れているのだろうか。完全に癖になってしまった。ここはパッポンカリーもうまいのだ。何か秘伝のたれでもあるのではないか。

夕方、出掛ける。同級生のOさんと会う。今日は態々奥さんにも来てもらって話を聞く。何しろ奥さんはマレーシア華僑で、しかも客家系だというのだ。家庭内でも多言語を話すマレーシアの言語事情、客家としての意識の変化など、様々な話が聞けてとても有意義だった。

その後3人で、中国系食堂へ行った。いつもは満員だというのだが、お客はまばら。これもコロナの影響だろうか。オーナーがビール飲みながら夕飯をゆっくり食べている。新華僑、それも東北人がやっているのだから、餃子がうまい。でも麻婆豆腐はちょっとね。なんだか急にマレーシア中華が食べたくなる夜。