香港で茶旅を語る2019(4)烏溪沙に初めて行く

4月5日(木)
馬鞍山から

香港最終日がやって来た。今朝は宿の周囲を少し散策する。近くには昔ながらの街市、市場があり、老人を中心に常連客が買い物している。それに今日は清明節の祝日にあたり、その老人を連れた子供や孫の姿も見られた。この市場ももし再開発計画でもあればなくなってしまうのかもしれない。今の香港の不動産価格の高さにはそんな危うさが感じられた。

 

荷物を持って駅へ向かう。3日前に来た時の逆を辿って歩く。今日は大圍駅から馬鞍山線に乗り、終点の烏溪沙駅まで行くことになっていた。この路線に乗るのは初めてで、ちょっとワクワクする。石硤尾から乗り、九龍塘ですぐに東鉄線に乗り換え、大圍でまたすぐ乗り換え。乗り継ぎは細かいが、距離的には凄く近くて驚く。また休日なので車両は空いている。結局約束の時間より20分も早く着いてしまう。烏溪沙駅は今のところ、この線の終点だが、今後西貢まで延長される可能性もあるのだとか。

 

そもそも私が住んでいた10数年前は、この駅すらなかったはずだから、香港は常に進化している。そしてこの駅付近が開発され、立派なマンションが駅に張り付いて建っている。私は30年以上香港に関わってきたが、こんなところがあるとは全く知らなかった。『香港は狭いので大体は分かる』などとはとても言えない。むしろ私は香港の何を知っているのだろうかと自問したくなってしまった。

 

ここには大学の後輩Kさんが住んでいた。烏溪沙は始発駅で、混雑もそれほどでもないので通勤には便利らしい。今日は清明節で街中は人が多いだろうと、ここで会う約束をしたが、新しい香港に出会えてとても良かった。駅に隣接したショッピングモールで飲茶した。早めの時間だったが、大勢の近隣住民が順番待ちしている。やはり祝日の午前中と言う感じだ。かなり食べたような気もしたが、料金は街中よりは安く感じられる。

 

思ったより早く席に着く。Kさんとは最近香港に来ると毎回必ず会って話しをする。何しろ私の茶旅の深い部分の知識を、言語学的、民俗学的、文化人類学的に埋めてくれる数少ない貴重な人だからだ。今回も昨日の福佬人や嶺南文化などについて、その定義、見解を聞き、また刺激を受けた。香港を含めた華南の歴史をもう少しきちんと知らないといけない、と痛感する。

 

烏溪沙駅から空港行バスが出ているというので、それに乗ろうとしたら、目の前でバスが行ってしまった。それでも20-30分に一本はあるので何とも便利だ。駅の周りを巡って時間を潰す。ちょうど不動産屋の前に広告が出ていたのでチラッと覗いていると、店員のおばさんが出てきて中国語で話し掛けてくる。日本人だと言うと、一生懸命英語を使ってくれる。

 

彼女の話だと、この辺の不動産も値上がりが続いており、それを見込んだ中国人がたくさん買い込んでいるらしい。価格は50-80㎡程度で、700万ー1200万香港ドル辺りが多い。東京はやはり安く感じられるだろうな、と思う。同時に海が見えるとか環境が良いとか言っても、一般日本人には手が出ない価格帯、中国からの資金流入の激しさを感じざるを得ない。

 

バスは乗った時は空いていたが、馬鞍山市内を回り、更には沙田市内にも寄り、乗客はどんどん増えていく。そして思ったよりもかなり時間が掛かっていた。相当に時間に余裕があったので問題はなかったが、香港の場合、料金と時間がほぼ並行しているので、27ドルという安さを見てみれば納得できる。約1時間半かかって、ようやく空港に到着した。

 

空港でもまだ集合時間に余裕があったので、ずっとPCをいじっていた。意外と集中できた。気が付くと、もう皆が集まっているではないか。今日はこれから昨日のお茶会メンバーの一部と一緒に武夷山に連れて行ってもらうことになっていた。昨日の主催者が茶工場を持っているというので、その見学ツアーだった。

 

厦門航空は週に数便、香港-武夷山直行便を飛ばしている。これに乗ればあっという間に武夷山まで行ける。かなりワクワク、楽しみだ。香港空港にはバスで一度移動する別ターミナル?があることに今回初めて気が付く。やはり色々と進化しているのだ。時間帯が悪いせいか、機内は空いており、ゆったりと過ごせる。武夷山に行くのは3年ぶりだが、果たして今回はどうなるのだろうか?

香港で茶旅を語る2019(3)普通話で茶旅を語る

4月4日(木)
普通話で茶旅を語る

今朝は冬粉とトーストを食べる。これにインスタントコーヒーと言えば、茶餐庁のメニューだろうか。我が4人部屋に何と日本人の若者がいた。彼は地元から香港直行便の第一便に乗ってやってきた。鉄道オタクでもあるようで、これから西九龍から深圳まで繋がった高速鉄道に乗りに行くというのだ。

 

だが中国は全く初めてで言葉も通じない。お金だけは何とかしたいと、スマホを取り出し、微信支付を設定したが、肝心の資金を入れることが出来ないと困っていた。そこで私が通訳して、隣の中国人の若者に入金をお願いしてみた。ところが何度やってもやはり入らない。表示には『この口座は身分証が未登録』と出ている。今中国で外国人が旅するのは本当に難しい。仕方なく彼はその辺に両替に出掛けていった。果たして彼は深圳で目的を達成しただろうか。

 

早めのお昼に出た。旧知の林さんとランチ。指定された地下鉄駅で待ち合わせて、上に出てすぐ近くの林さんお勧めの店に入る。そこは何と咖哩牛腩の店だったのでかなり驚いた。よほど食べたい念力が効いてしまったのだろうか。でもせっかくだし、嫌いでもないので、何も言わずに食べてみる。これはカレーがインド風か、サラサラ。咖哩牛腩にも実は色々な種類があることを知る。

 

林さんとは中国昔話などで、いくらでも話のネタがある。1970年頃に中国の空気を知っている人はそう沢山はいないのでとても参考になる。しかもキューバまで行き、スマホを無くした話まで出てくるから、実に面白い。物事は多角的に見ないといけない、とつくづく思う。

 

林さんと別れて、近所で本屋を探す。奥様からのリクエストである、2019年版の香港街道地図を買いに行く。昔はその辺の新聞スタンドでも売っていたと思うのだが、今はこんな本を買う人などいない、という雰囲気が漂っている。確かに私ですら、もう香港の地図は買わない。全てスマホ地図で済ませている。奥様は毎年これを買い、コレクションしているようだが、いつまで出版されるのだろうか。

 

MTRに乗り、クントンに向かう。前回12月にも行った昔の繊維工場ビルを目指す。しかしなぜか道を反対に歩いてしまい迷う。この辺が老化現象の際たるものだ。一度通った持ちを忘れるはずがない、という思い込み。マズい!途中、今日開店の『紅茶』という名のレストラン?があったが、英語名は『Red Tea』と書かれており、妙に印象に残る。

 

ビルに到着して3階に上がる。今日の茶会の準備が進んでいる。更に上の階で画家の個展が開かれているというので見に行ってみる。カナダに渡った香港人が描いたもので、元は実業家らしい。日本にも何度も行っており、日本の風景もちょくちょく描いているという。

 

午後3時から5時まで2時間、私の茶旅のトピックスと、日本茶の簡単な歴史を紹介した。参加者は20名程度。こちらの会社の社内研修のようなものだから、と言われて参加したのだが、お茶好きの香港人、そして日本人を前にパワーポイントを使い、何と普通話で話し続けた。これまで多くのセミナーでお話ししてきたが、これだけ長い時間普通話だけを使い続けたのは初めてだろう。かなり緊張した。

 

そして何より驚いたのは、香港財界の大物である、83歳のこちらのオーナーも最初から最後まで参加され、途中からは色々お話ししてくれたことだった。お茶が好きだという熱意には驚く。福建出身で先祖は茶貿易に携わっていたというが、彼自身は繊維、不動産開発の成功者だ。彼の娘と息子も同席し、新茶、緑茶を特別に飲ませてもらい、なかなかない体験をさせてもらった。

 

何とか茶会は終了したが、お茶好きさんからの質問を沢山受けた。香港茶の歴史もいつか調べてみたいと思うようになる。会が終わると、今日の茶会をアレンジしてくれたTさん、そしてそのお知り合いのUさんと共に、今回私のTさんを紹介してくれた、20年来の知り合いであるNさんを訪ねて、お礼を言いに行った。

 

Nさんとは近年何度も会っているが、仕事の話も殆どしたことはなく、勿論仕事場に出向いたのも初めだった。彼はサラリーマンから独立して、今や香港日本人の成功者だ。そのアパレル会社の名前に『Tea』とあったので驚いたが、よく見たら『Team』だったので笑ってしまった。今の私には見るものすべてTeaに見えてしまい、反応してしまうのだ。もうバカの領域ではないかと自嘲するしかない。

 

夕飯はイタリアンに行った。イタリアにもよく行くTさんは店員のイタリア人にイタリア語を使っている。そう、香港とはこうだったんだ。東洋と西洋との接点、と言った雰囲気があったものだが、今や東洋、いや中国の影ばかりが見えてしまい、ちょっと残念だ。そういう私も視野は随分と狭くなっているのを肌で感じている。

香港で茶旅を語る2019(2)久しぶりの歴史散歩

歴史散歩

流石に横にマッチョ君がいたので眠れないかと思ったが、夜中にクーラーを切ったらよく眠れた。それほど暑い訳でもないので、ちょうどよかった。安いゲストハウスなのに、朝食まで付いている。1階に降りると、5種類から朝食を選ぶのだが、食事を渡すのはスタッフの手作業。この事件費の高い香港でなぜ?クロワッサンとインスタントコーヒーを外へ持ち出し、中庭で食べると何とも心地よい。

 

食べながら見ていると、ここには裏山があり、老人が登って行ったので良い散歩道があると確信した。食後そのまま私も登ってみたが、意に相違してその上り坂はかなり急で、高所恐怖症の私には辛いものだった。ところが老人たちはそこをスタスタと上って行くので驚いてしまう。天気も良くなり、暑さも感じる中、登りきるとホッとする。帰りの緩やかな道を探したが他に道はなく、とても良い景色を少し眺めた後、また元来た急な階段をおっかなびっくり降りて行く。これは相当に消耗した。

 

今日は九龍城に行く予定になっていた。いつもなら旺角からミニバスに乗っていくのだが、地図的に見えればどう見ても、ここからバスで行くのが近い。探してみると直接イケるバスもあるではないか。スマホに従ってバス停を見つけて待つ。ところがバスは予定時刻になっても来ない。こういう時は少々焦るし、他の方法に切り替えるかどうかの判断が難しい。

 

まだ時間的に余裕があったのでそのまま待っていると、20分後にようやくバスが来た。バスは途中からいつものコースを辿り、僅か20分で九龍城に到着した。Yさんとの待ち合わせ時間より早かった。取り敢えず待ち合わせ場所の茗香茶荘に向かう。ここでいつものようにお父さんから香港茶業の歴史について、具体的な話を聞く。今日は珍しくマイケルも上機嫌で色々と資料を出してくれ、非常に収穫のある訪問となった。最後にいつもの鉄観音茶を購入して終了。

 

Yさんも合流したので、まずは腹ごしらえ。突然どうしても食べたくなってしまった咖哩牛腩を清真牛肉館に食べに行く。まだ時間が早いので空いており、ゆったり。咖哩牛腩と肉汁たっぷりの牛肉餅がセットをオーダー。腹に最後まで詰め込み、久々の充実感を味わう。

 

食後は九龍城を散策。古い薬局を改造したおしゃれなカフェがある。歴史的建造物の保存の仕方は色々あると思うが、活用できるものはした方がよい。九龍城公園の中を少し歩く。魔窟と呼ばれた九龍城には1990年頃、取り壊しの話があった時でも、一度も中に入ろうとは思わなかった街だ。

 

公園の横には侯王古廟がある。最初に建てられたのは1730年頃というから、香港もその時代、既にこの辺りまで漢人が南下してきて住み着いていた、ということだろうか。以前来た時よりすっかりきれいになっており驚く。裏側には昔からある大きな岩がそのまま置かれているが、その後ろは高層マンションが建っており、今の香港らしい風景ともいえる。その向こうには墓地も見えている。

 

侯王古廟の斜向かいには、古めかしいレンガ造りの建物が見えた。ここもきれいに改装して、100年前の人々の暮らしを再現、展示する施設になっていた。潮仙飲食文化というコーナーもあり、お茶のことも語られている。ただ当時香港にどの程度、この潮仙文化があったのかには、若干疑問もなくはない。

 

九龍城はこれぐらいにして、バスに乗り、前回閉館していた香港歴史博物館に向かう。これもバス一本で行けたが、時間はかかった。本日は無料開放日でラッキー。展示物は多過ぎてとても1回では見切れない。今回特に目を引いたのは、福佬人という表現。これは台湾で『原住民でも、客家、外省人でもない閩南語を話す台湾在住者』を指す時、たまに見かける言葉だが、ここ香港には明確な福老人がおり、その文化があるとされている。

 

香港伝統文化に詳しいYさんと見ていると、長洲島のまんじゅう祭りなども、福佬文化だというので驚いてしまう。しかしそれでは香港の彼らは閩南語を話すのだろうか。客家と何らか区別するために使われた言葉で、昔は閩南語を使っていたか。潮州語と閩南語も6-7割は意味が分かると聞いており、その辺の違いを今後理解したいと思う。

 

また上の階には、昔の老舗茶行の様子がそのまま展示されており、これも驚く。照明が暗く、写真は撮り難い。1855年に香港で開業した陳春蘭茶荘、1996年に廃業したものをそっくり寄贈したらしい。この茶荘についても極めて興味があるが、今日はほぼ時間切れとなってしまったので、また訪ねてみたい。

 

そこから上環の茶縁坊に回って、高さんと雑談した。彼女も鉄観音茶の産地出身だが、鉄観音の産量は多くないという。またミャンマーの大茶商、張彩雲のことは、安渓大坪では誰もが知っているが、その娘が今も住んでいることは知らないという。歴史とは案外そんなものかもしれない。

 

夜は北角市場で、I夫妻と夕飯を食べる。I夫妻とは北京時代からのお知り合いだが、昨年12月は奥さんだけに会っており、Iさんとは数年ぶりか。今週はレスリーチャンの命日があったためか、レスリー映画が流れていたりする。その横では店員が器用にビールの栓を開け、喝さいを浴びる。古き良き食堂で、海鮮などを楽しむ。

香港で茶旅を語る2019(1)美荷楼に泊まる

《香港で茶旅を語る2019》  2019年4月2-5日

香港に行くのはせいぜい1年に1度、と思っていたが、昨年12月にご縁があり、今回お声が掛かったので、いそいそと出掛けていく。それにしても人生で初めてかな、中国語で長時間、お話をするのは。1か月ぐらい前から、かなり緊張している自分がいた。

 

4月2日(火)
香港へ

1か月ぐらい前に香港航空で台北から香港行きを予約した。先日ハバロフスクで人生初の予約姓名間違い事件を経験して、飛行機に乗るのにちょっと警戒心が生まれていた。今回も早めに予約を確認しようと思ったが、何と予約確認書が来ていない。そうなると突然不安になる。そうだ、あの時予約したつもりだったが、途中で止めてしまったのではないかと。

 

最近の物忘れのひどさは相当の状況に達している。自覚があるからこういうことになる。慌ててネット検索するとそのフライトはまだそれほど料金も変わらずに購入可能だった。再度購入しようと思ったが、その行為に既視感がある。念のため手帳を見てみると、4月2日の欄に予約番号が書かれているではないか。これで検索するとちゃんとこの便が出てくるが、そこには私の名前はない。

 

もう面倒なので、空港で確認することにした。桃園空港までいつものように行って見ると、香港航空のカウンターは本当に端っこにあり、まるで隔離されているように見えた。そこには既に長蛇の列が出来ており、この列に並んでいて、もし予約がない、という話になったら、買い直す時間もないかもしれない。よく見るとそこには自動チャックイン機が置かれていたので、それで試してみると、ちゃんと発券されるではないか。しかも荷物は全て機内に持ち込んでよいと言われ、小躍りして出国審査した。

 

香港航空だし、フライト時間も短いので、機内食はないと思って、空港内のバーガーキングで早めのランチを食べる。どうもここの食べ物はあまりすきにはなれない。機内に入ると、機材は最新鋭の大型でゆったりと座れる。そして何と普通に昼食まで出てきたが、腹一杯で喰い切れない。やはりLCCではないのだ。

 

香港に到着すると、荷物は手荷物だけなのですぐに外に出られ、とても良い。LCCだと必ず荷物を預ける羽目になるのでここでの時間ロスは意外と大きい。携帯屋に行き、『昨年12月に買ったシムカード、まだ使えるか』と聞くと、『トップアップすれば使える』というので、50ドル払って起動させる。これも意外と有り難い。

 

今回はいつもの銅鑼湾宿泊ではなく、深水埗という未知の場所に泊まる予定となっている。空港からどうやって行くのが良いか分からずに検索してみると、いくつものルートが出てくる。その中で空港バスに乗り、黄大仙まで行き、そこでMTRに乗り換えるルートを選択する。

 

本日は天気が良く、バスの窓から気持ちよい風景が広がっている。40分ぐらいで黄大仙に到着。久しぶりにお参りしたかったが、荷物もあるので断念して地下へ。ここから3駅で石硤尾に着く。深水埗駅に行くには更にMTRを乗り換えないといけないが、本日の宿泊先は石硤尾からも徒歩10分程度なので、こちらを選択する。

 

初めて降りる石硤尾では道に迷いそうになるが、スマホがあるので何とか歩ける。公団住宅のような団地が並ぶ一角、そこに美荷楼は建っていた。この付近が火事で焼けてしまった後、1954年に建造された、香港公団住宅の走りであり、今や歴史的建造物に指定されている。政府はそこを貸出、改修されてゲストハウスが経営されている。

 

今回の宿泊手配はTさんがしてくれたので、どんなところは分からない。GHだからやはり若者が多いようだ。部屋は何と、ドミトリー。しかも2段ベッドではなく、普通のツイン部屋だから、隣に知らない人が寝ている感じだ。私の隣人はマッチョ系アルゼンチン人で、韓国でモデルをしているらしい。彼が上半身裸でいると、一瞬ドキッとする?ツイン部屋2つにバストイレが1つ。室内、いや楼内全体はとても清潔だ。

 

部屋にはおじさんもいた。香港生まれで返還前にオーストラリアへ移住した人だった。香港の物価がこんなに高くなって驚いている。彼は一生懸命中国人の若者と普通話を話しているのが微笑ましい。お茶にも興味があるというので、オーストラリアの先住民、アボリジニが飲んでいたお茶について、ちょっと話が弾む。

 

美荷楼を見学する。こちらでは定期的に見学会もあるようだ。居心地のよさそうな中庭があり、建物内にはキッチン、ランドリーなどの設備も整っている。私にとって問題なのは、お茶を飲むのにわざわざキッチンまで来ないとお湯が得られないことぐらいだろうか。ドミトリーで満足できるなら、料金的にお勧めかも知れない。

 

深水埗駅の方へ出てみる。ここには電脳街があることは知っていたが、来たことは一度もなかった。私の目的は、中国大陸で使えるシムカードを購入すること。前回香港空港であまりにも高い大陸用シムカードを買わされた?ので、先日東京で会った香港人の林さんに、安い物を買ってきてもらったが、今回は自分で調達しようと出向いた。

 

シムを売る店は何軒かあったが、皆広東語でサクサク買っている。私も無理して広東語を使ってみたが、あまりにも下手で相手は理解できず、仕方なく英語に切り替える。10日間使えるシムが僅か50香港ドルとは確かに安い。ここではどこの国でも使えるシムを大量に売っていて興味深い。

人民中国2019 【中国与亚洲 通过茶叶探究华侨&华人的今昔】第一篇 缅甸大茶商 张彩云及其家族的历史(1)

【中国与亚洲 通过茶叶探究华侨&华人的今昔】

第一篇 缅甸大茶商 张彩云及其家族的历史(1)

在中国,有很多人出于各种原由而从广袤的土地上迁徙至亚洲各地。他们到底是怎样来到这些地方的?又是怎样在这些地方生存扎根的?这些华人华侨以及他们祖先的历史常常令人兴趣盎然,想要一探究竟。本次报道将通过茶叶来回顾他们的历史,和大家分享他们实际到过的地方和我的调研成果。

对缅甸华人茶商兴趣浓厚
我来到了缅甸最大的城市仰光。这是个让人倍感亲切的地方,也是我在2003年初次来到后又多次探访的心仪城市。以茶叶来说,这里有久负盛名的可食用茶叶—腌茶(茶叶沙拉),所以在这里我第一次意识到茶叶原本不是用来饮用的,而是用来吃的。

我来到这里的契机看似偶然,但也许是必然。中国福建省是茶叶的最大产地,我时常会去那里。前几天在铁观音发祥地安溪,我有幸见到了研究华侨史的陈克振先生,并获赠了先生的著作《安溪华侨志》。读后便知,这本书记载了众多从安溪走出去的华侨,他们在不同的地方,不同的领域内创造了财富。
其中就记载着约100年前迁至缅甸,靠茶叶生意收获成功的张彩云。这勾起了第一次听说缅甸华人茶商的我的兴趣。因为在亚洲各大城市里,都相应分布着华人华侨,他们努力地经营着各自的生意,但相对于新加坡、马来西亚、印度尼西亚的茶叶生意发展迅速,在缅甸从事茶叶生意的华侨却并不曾耳闻目见。
我想要调查了解张彩云,但除了手头的这本书,没有任何头绪。而且他已经于近30年前的1991年,以94岁的高龄去世。他的后代是否还身居仰光,现在以何为生,完全没有线索。

因此,我咨询了缅甸的熟人,他的朋友中有华人,在仰光帮我查到 “如果确定是福建籍,问一下宗祠应该会有收获”,并带来了意想不到的喜讯:“我们找到了他的儿子,要不要来见他?”这个消息让我激动不已,就这样早早地赶来了。

在此之前,我几乎没有意识到缅甸华人的存在。连哪里有中华街都不知道。只知道从我住宿的市中心酒店可以步行到那里。只不过那里没有中华门之类的牌楼,显然并不是景点。我到达了几乎位于中华街正中央,靠近港口,拥有着150多年历史的庆福宫。

并且,终于在这里见到了张彩云先生的三儿子张家荣先生。他虽然已经83岁,不再涉猎生意,但我们了解到以前他曾担任庆福宫的主理人,这座宗祠也和张彩云先生有着非同一般的关系。来宗祠的人们虽然都说着福建方言,但面对笔者,他们都以标准的普通话回应。

 

仰光的张彩云
张彩云是何许人也?他及其家族的历史非常传奇,不仅限于茶叶,简直可以说是一部中国与缅甸的近代史、华侨史,这不禁让我想要一探究竟。1899年,张彩云出生在福建省安溪大坪(闽南的茶叶产地)的一个茶农家庭,是家中的第四子,1916年,他迁居至哥哥们所在的缅甸,在缅甸孟邦首府毛淡棉帮忙生产、销售蔬菜水果。1921年,他回国在家乡结婚。那时,兄弟四人商量将故乡的茶叶运往南洋售卖,由此诞生了“张源美”这个茶叶生意招牌。1922年,第三子张彩男负责采购茶叶并运输,张彩云负责在缅甸的销售。

然而,最初一切进展得并不顺利。上世纪20年代,已经有以林奇苑为首的厦门大茶商开始在仰光大量售卖武夷茶,茶叶市场很难切入并占有一席之地。尽管如此,随着在各地,各个港口间穿行的茶叶销售,1930年,福建的土匪霸占了从武夷山到厦门的茶叶通道,武夷茶的海外出口被中断了,以此为契机,彩云兄弟几人的安溪茶一下子垄断了仰光市场。1931年,他们在仰光创立了茶叶批发市场,注册了张源美的商标–“白毛猴”。1932年,又在厦门建造了自营加工工厂和仓库,将茶叶供给做得稳如磐石。

接下来1937年爆发了以卢沟桥事件为起因的抗日战争,东南亚各地的交通被切断,中国国内的茶叶供给也变得艰难起来。张家兄弟们大量买入了暴跌的茶叶,在香港和泉州设置了个体出口据点,将茶叶运到缅甸,并在1939年收购了武夷山赤石(这是万里茶道的真正起点)的大型茶叶工厂,开始生产自己的产品。通过这些举动,变危机为转机的张源美的“白毛猴”在缅甸确定了垄断地位。虽经历了无数坎坷,却仍然顽强地生存,张彩云这位典型的华人成功者,无论是战时还是战后,等待他的都是波澜壮阔的人生。

ある日の台北日記2019その2(2)台北をフラフラ

3月29日(金)
静岡県事務所へ

私は昨年まで静岡県の茶雑誌に4年ほど、連載をしていた。お茶と言えば静岡だと思っていたが、お蔭で静岡だけでなく、日本全国を回り、色々な日本茶を見ることが出来たし、茶旅の報告までできて、とても感謝している。静岡県のために何かしないといけない、という気持ちはささやかながら持っている。

 

以前大学の先輩から台北にある静岡県事務所を紹介されたことがあったが、その時は埔里におり、台北に出てきたが時間が合わず、訪問しなかった。地方自治体がきちんと職員を派遣して業務に当たるのは、かなり大変なことだ。静岡は何故台湾に事務所を置いているのだろうか。

 

今年1月、台湾茶の歴史を簡単に話した折、ちょうど静岡県事務所の人が聞きに来ていたので、更に静岡と台湾茶の繋がりを強調してみた。静岡は日本一の茶産地であり、私などが何も言わなくても、繋がりは深いに決まっているが、歴史を掘り返すより、現在の発展が優先される面は仕方がないと思う。それに何より静岡の茶人材は多過ぎるほどいる。

 

今日はその事務所のNさんを訪ねた。事務所設立6周年になるという。色々と共通の知人の話が出たり、お茶のことを話したりしている内に、とんだ長居になってしまったのは申し訳ないことだったが、こちらとしては、『お茶を切り口に更に静岡をアピールする』のは悪いことではないし、茶業関係者を中心に、台湾人も日本時代に台湾に貢献した人の存在にはかなり興味が持たれる時代なので、茶業試験場を作った藤江勝太郎などをもう少し紹介してもよいのでは、と話した。

 

実は台湾には様々な形で静岡産の茶葉が流れてきている。今後は静岡茶を使ったフレーバーティーの店舗なども出店が予定されているようで、紹介するチャンスもありそうだ。またお茶を切り口にした静岡への茶旅も、台湾人なら受け入れそうな雰囲気があり、富士山、温泉、お茶などを組み合わせたプランは有効かも知れない。インバウンド資源は沢山ある静岡だが、新たな魅力を伝えるのは悪くないと思う。

 

3月31日(日)
小籠包から居酒屋へ

先日白酒を飲む会で出会ったYさんから、お茶についての質問を受ける。このYさんも前回のSさん同様、どこかで会ったことがあるかもしれないと思っていた人だった。結局人違いだと分かったのだが、某金融機関に全く同じ時期に同じ姓の人がいたので、勘違いしたのだった。それでもその人のことを思い出したのも30年ぶりだったので、何となくご縁を感じる。

 

ランチを食べようと言われて向かったのは、東門。宿泊先から歩いて行ける範囲。途中に大安森林公園が横たわっており、意外と遠く感じる。この公園の中を初めて通ってみた。森林公園という程木々はないものの、池などもあり、景色がよく、写真を撮る人や家族連れで賑わっていた。

 

Yさんは東門に住みながら、日本と台湾を行き来しているようだ。指定されたのは老舗の小籠包屋さん。ずいぶん昔に来たことがあるような店だった。東門、永康街といえば、日本人観光客が押し寄せる場所で、あまり寄り付かない。特に鼎泰豊の行列にはちょっとどうかと思っているが、ここはすんなりと入店できた。

 

よく見てみたが、日本人は我々二人しかいなかった。Yさんによれば、以前日本人は多く来ていたというのだが、もう飽きられてしまったのだろうか、それとももっと別の店に集中しているのだろうか。ここの小籠包は大き目で、元々の上海当たりの形に近く、それが台湾的な薄皮になっている。鶏ガラスープはあるのに、卵炒飯がメニューにないのは、小籠包が主食、という意味だろうか。

 

夜もまた歩いて出掛ける。帰国が決まってしまったSさんと会う。指定されたのは市民大道。私は昔の台北を結構知っているつもりが、その時、市民大道などという道はなかった。私が立っている復興南路辺りは、1990年代半ばに開通したらしい。上には首都高が通っており、渋滞はかなり解消されたのだろうか。

 

この付近には居酒屋が沢山あるので一度入って見たいというのがSさんの希望であり、私は入ったこともないので、フラフラ歩きながら店を物色してみる。確かにレトロ風からおしゃれ系まで、ここは日本かと思えるような様々な店が立ち並んでいた。お客も若者が多かった。

 

日本風の居酒屋に入っていくと、ほぼ満席で一番手前の席しか空いていない。ビールにホッケなどの魚やホタテを焼いてもらったが、思ったより料金は高く、これは日本で食べた方がよいと思う値段。ということは、日本を想定したサービスで台湾人向けに作られているということだ。台湾人にとって日本食はある程度高くても行く場所。当然ながら日本人は我々しかいない。やはり日本人は台湾では台湾料理を食べるのがコスパは良い、と理解した。

ある日の台北日記2019その2(1)白酒会に飛び入り参加して

《ある日の台北日記2019その2》  2019年3月27日-4月2日

今年2回目の台北臨時拠点。今回はちょっと眺めにフライトを取り、ここから色々と出掛けることにした。既に1週間後には香港、福建の旅が控えていた。果たして、お茶の歴史調査はどこまで進むのか、新展開はあるのか。

 

3月27日(水)
台北へ

今回は日系航空会社のマイレージを使って飛ぶことにした。サーチャージが非常に安いのが有り難い。原油価格って、そんなに変動しているのだろうか。最近そんなことにもまるで関心がなくなっている。羽田の昼便なので、家を出る時間に何となく余裕もあってよい。桜の散る道を通りながら駅へ向かう。

 

日系空港会社、正直食事などの機内サービスは少しずつ落ちてきているように思えてならない。これは他の人も偶に言っていること。私も台湾線では出来ればエバに乗りたい派だ。日系に乗って充実しているのは映画ぐらいだとの声も出ている。取り敢えず映画を見て過ごす。

 

松山空港は狭いので到着すると、実にスピーディに事が運び、すぐに外に出られるのは良い。そしてシムカードを買い、国内線へ移動した。前回はここで荷物をロッカーに預けて出掛けたが、今回はPCを使って、終わらせるべき作業をすることにしていたのだ。セブンで飲物を買って、電源がある席に着けば完璧。これで2-3時間は存分に作業可能だ。

 

ところが大家の葉さんから連絡があり、あと1時間ぐらいで一度家に帰るから、そこで鍵を渡すという。それはそれで有り難いので、30分ほど作業してからゆっくりと地下鉄に向かう。最寄り駅まですぐに到着し、荷物を引いて行き、無事に部屋に入れた。約2か月ぶりだが、既に何が置いてあるのかも思い出せないほど記憶力は低下しており、一度荷物を出して整理を開始する。忘れ物が沢山あることに気づき、愕然とする。

 

夜、腹が減るといつもの店へ向かう。そしていつもの定食と、大根スープで腹を満たす。これはお金の問題ではなく、台湾でなければできないことだ。いつも無愛想な店員たちは、今日も無愛想だったが、それはそれでよい。その変化の無さがよいと思えるのも、またよいのだ。

 

3月28日(木)
白酒会に飛び入りして

実は相当に疲れが溜まっていた。何しろ、島根の旅、そしてハバロフスクから四川の茶旅を経て、ほぼ休みなく移動してきた。アユルベーダ的にはやってはいけない移動であり、最近のダメージ回復力の無さは、相当に実感している。いわゆる疲れが取れない状態で、何もする気が起きないのだ。だがそろそろ提出しなければならないものもある。頑張ることを放棄した数年だったが、どうしたものだろうか。

 

とにかく疲れを取るためには寝るのが一番だと分かっていた。幸い涼しい台北では、何も考えずに熟睡できる環境があった。ただ一つの懸念は原稿の締め切りだったが、それも集中できないのであれば、まずは体調を整えることを優先する。熟睡の条件とはお茶をたくさん飲まないこと、利尿作用とカフェインを抑えることが必須だろう。夕方まで睡眠を繰り返して、目もすっきりしてきた。

 

いつものTさんに連絡したところ、ちょうど食事会があるから飛び入り参加したら、といわれ、気分転換も兼ねて出掛けることにした。場所が客家料理屋というのも、何となく気分が乗るお誘いだった。MRT古亭駅で降り、ちょっと横道に入ると、そこには古びた建物が建っていた。晉江茶堂というお店、以前一度来たことがあるような気がする。

 

店内もレトロな雰囲気でお客は超満員。私は台湾に長く住む日本人の皆さんと共に客家料理のコースを味わう。どれも安定の味で美味しい。ただこの会が白酒を飲む会だと知り、かなりの場違い感は拭えない。何しろ私は酒を飲まないのだから。皆さんは自ら持ち寄った酒を次々に開け、論評している。

 

ただお茶についても色々と参考になるお話が聞けて良かった。食事の最後に擂茶が出てきたのにはびっくりしたが、これも台湾客家の伝統文化との位置づけだから面白い。そして皆さんが『意外と美味しい』というので、なるほどとも感じる。大阪で擂茶の販売をしているMさんの顔が浮かぶ。

 

実は翌日になり、昨晩のメンバーの一人の名刺をしげしげと眺め、ちょっと思い当たることがあった。夕方まで考えて、その方にメールした。『30年前、XXとご関係がおありでしたか?』、すると答えはYesだった。ああ、Sさんは30年前、ある台湾の著名人に紹介してもらい、ご自宅でご飯をご馳走になったことがあったのだ。やはり台湾は狭い、そして私の記憶力はどんどん衰えている。因みに私より先輩のSさんも『全く覚えていない』というので、少し安心する。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(8)成都散策

3月25日(月)
四川を去る

翌朝早く、Mさんは北京へと帰っていった。私のフライトは午後3時半なので、午前中は暇だった。実は今回、ロシアから持ち越した課題があった。銀聯カードが使えなくなっていることに気が付いていたが、銀行に行く暇がなかったので、まずはその処理をしようと考えた。

 

その銀行はホテルから2㎞弱あったが、歩いて行くことにした。成都の街を歩くことがあまりなかったからだ。大きな通りを歩いていると、やはり昔とは違い、きれいで大きなビルが多い。それでも上海などよりは随分と落ち着いて見えるのはこの街の特性といえるだろうか。

 

銀行での処理は予想外に時間の掛かるものだった。そしてあまりにも不可解な理由でカードが止められたことに納得は行かなかった。やはり中国はどんなに支払いアプリが進歩しても、人の進歩が追い付かないところだと痛感する。それにいわゆる管理強化が加わると、もう何が何だか分からない。

 

銀行を出て地下鉄に乗る時も、よく見るとチケットの自販機に支払方法が4つも表示されている。よほど支付宝を使って切符を買ってみようかと思ったが、スマホを開けて、支付宝を選び、その金額を入れてパスワードを入れるとは、何と面倒な作業だろう。Suicaなら一発なのにと思いながら、しわを伸ばして現金を突っ込む。本当に中国は便利になったのだろうか。いや勿論以前より便利だが、驚くほど進化したかというと正直疑問だ。

 

地下鉄で錦江飯店にやって来た。32年前、あの暗い夜道をバスに乗り、ここまで来たことが懐かしい。当時成都には外国人が泊まれる宿は少なくて、錦江飯店にチェックインできるとホッとしたものだ。同時にここの朝食でパンを食べると、辛い物を食べなくてよいので何よりも有難かったのを鮮明に記憶している。

 

現在のホテルは外から見ると同じようだが、中は凄くきれいに改装されている。これで500元ぐらいであれば、一晩泊ってみてもよかったかもしれない。恐らく水回りなどに問題があるか、部屋はきれいではないのかもしれない。とにかく敷地内を一周すると、いくつか新しい建物も出来ており、なかなか面白い。

 

そこから川沿いに歩いてみた。薄暗い夜の川しか記憶はなかったが、今や市民の憩いの場と言う感じだろうか。ちょっと暖かくなり、風がさわやかで歩きやすい。途中で道を曲がると、先日歩いた錦里辺りに出てくる。このように歩くと地理が少し理解できるが、やはり全体像はよく分からない。

 

バスに乗って帰ろうとしたが、ホテルまで直接行けるバスは見当たらない。仕方なく地下鉄駅まで歩いて行くと腹が減る。その辺で店を探したら、何だかチベット僧が何人も歩いているではないか。よく見ると付近にチベット寺院があるようだ。彼らの現在の境遇はどうなんだろうか。

 

小さな食堂に入る。帰る前にどうしても回鍋肉が食べたくなって注文したつもりだったが、 出てきたのは炒飯だった。何とその名も回鍋炒飯、ところがこれが意外とイケる。肉の油が炒飯に沁み込んで美味い。辛さも全くなく、思わず笑顔になる。これで10元か、コスパも抜群だ。

 

地下鉄でホテルに帰る。駅を出るとパイナップル売りのおじさんがいた。突然興味を持ち『甘いか』と聞くと、ぶっきらぼうに『当たり前だ』というので買ってみると、本当に甘かった。これも8元で、腹一杯になるまで食べた。私にはやはりこんな旅が合っているに違いない。

 

午後1時に居心地の良いホテルをチェックアウトして、タクシーを呼んでもらう。待っている間、本を読むスペースに座ったが、隣でおじさんがタバコをスパスパ。この空間でそれはないでしょう、と思ったが、タクシーが来たので、何も言わないで外へ出た。何とすぐに高速になり、僅か15分で空港に着いてしまった。

 

国際線の方はそれほど混んでいないだろうと思っていたが、今は成都から東南アジアへ向かう便なども多く、意外と混んでいる。出国時に外国人の列に並ぶ人も予想外に多い。そして本日乗る、エアチャイナの成田行きは、恐らくはさくらの花見に行く中国人団体観光客でほぼ満席だった。席の隣の女性はガイドさんで、何と26人分の入国書類を一人で書いて、皆に配り、事細かに説明している。

 

無事に成田に着いたが、雨が降っていた。翌日見ると、桜の花は一部にしか見られない。それでも花が見られただけでもよいと思い、早々に台北に向かった。今回の四川の旅、従来の茶旅とはまた違ったアプローチで、なかなか行けない茶産地や歴史を旅した。今度はゆっくり一人で四川を回ってみたいと思う。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(7)突然彭州へ

3月24日(日)
突然彭州へ

久しぶりに一人で寝たのと、朝ご飯を食べなかったことにより、今朝は身体がすっきりしていた。9時に陳さんが車で迎えに来てくれ、Mさんと共に今日の旅が始まった。成都市内を抜けて高速道路を走る。北西に約1時間、彭州市に至る。そこから田舎道をまた1時間ほど行って、目的地に着いた。

 

そこはきれいな観光茶園のようだった。一体ここはどこだろうか。宝山村とある。迎えてくれたここの責任者、徐さんは茶師で、やはり福建省武夷山から招聘されて、ここで数年前に茶作りを始めたらしい。きれいな建物も、中にある最新設備の製茶機械も、福建の投資家が準備した。『正直この地は歴史的な場所ではあるが、近年茶業はあまり盛んではなかった。我々が再度茶業を始めるためにここに来た』という。

 

裏山に登ると、そこには茶畑が広がっていた。『ここは60年ぐらい前に、茶樹が多く植えられたが、その後放棄された場所。それを数年前に借り受け、茶作りが始まった』という。ということは、ここは中国でよく見かける、政府に指示で茶樹を植え、その後の混乱で捨てられた土地だった。その茶樹も数年の管理で見違えるように復活した。

 

実は昨晩この辺りには雪が降っていた。『本当は向かい側の龍門山系に入れば、樹齢100年を越える茶樹が沢山植わっているのだが、そこはとても滑りやすく、残念ながら今日行くことは出来ない』とも言われてしまう。やはり茶旅だ。そんな簡単に目的地に行ける訳がない。確か昨日陳さんの雑誌で見た、梯子を掛けて茶葉を摘む様子、あの茶樹が見られないのは残念だが、仕方がない。この葉っぱで徐さんは紅茶を作っているという。

 

昼ごはんを食べに行く。ここも誰かが投資して、きれいに整備された場所。野菜も鶏も地元産でこりゃ美味い。その横にはかなり古い建物があり、茶館として使われていた。近くには中国のどこにでもある老街が観光化されている。この地は古くは2000年前の書物にも出てくる要衝の地、茶処であり、唐代の陸羽も茶経にこの地について書き残しているというが、今はその面影はない。

 

実は彭州市は北海道の石狩市と姉妹都市だ、と地元の古老が教えてくれた。きっかけは30年以上前にこの地の若者の農業実習を石狩市が受け入れたご縁だという。全く性格の違う都市が結びつく、こんなこともあるのだな。近年この地はほうれん草の産地だとも言い、1990年代には日本に盛んに輸出していた歴史もあるというのは何とも意外な話だ。

 

午後は寺に行くという。丹景山にある金華寺。幹線道路から山道に車が突っ込み、ちょっと行くと、階段が見えた。その手前の駐車場から、道なき道を突然歩き始めたので驚く。どこへ行くのかと思っていると、そこには古い石碑のようなものが建っていた。『これは唐代にここで出家した新羅の王子の墓だ』というではないか。何の話だ、それは。

 

階段まで戻り、登り始めるときつい。先日の蒙頂山最古の茶園ほどではないが、既に膝を痛めていたので、上がるのは大変だった。何と陳さんは車で上がっていたので、ちょっと恨む?喘ぎながら寺の門に到達した時は、もう死にそうだった。しかもそこで終わりではなく、そこが寺の始まりだった。

 

奥に入っていくと、お坊さんたちが何かしている。その中には、韓国の茶雑誌の社長も混ざっていた。先ほどの新羅の王子の話から、韓国との縁を感じ、やってきたという。見ていたのは、何と王子の遺骨だというではないか。先ほど見た墓から掘り出されたものらしい。急な展開にちょっとまごつく。しかし王子は何故こんな山奥に来たのだろうか。国に後継問題でもあったのだろうか。

 

寺院内でお茶を頂く。お坊さんがお茶を淹れてくれるのだが、このお茶、紅茶を煮出している。渋みなどはない。徐さんのお茶を使っているらしい。ここには市の観光局の人も来ており、今年中に韓国人社長と今年中に何らかのイベントをする話が進んでいた。さすが韓国、日本はこういうのはなかなか出来ないな。

 

今日の集まりの意味がようやく分かり、我々二人の日本人はお邪魔だった?と悟る。因みにこの寺には見るべきものが沢山あったようだが、殆ど見ないで帰ることになった。例えば寺院内の柱には龍が施されており、これは皇帝だけに許されるしるしだと言われた。ここは皇帝が建てた寺院なのだろうか。

 

陳さんの車で成都市内に戻る。午前中は曇りや小雨だったが、帰り道で晴れてきたのは何とも恨めしいが、これも仕方がないことだ。夕日が車の窓に反射してまぶしい。日曜日の游がンで市内はやはり渋滞だ。ホテルの近くで軽く夕飯ということで、魚麺を食べる。これは今流行りらしく、大勢のお客が入っていた。何とか席を確保して、大型どんぶりの麺を頂く。スープが特にうまい。また完食してしまい、腹がくちる。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(6)本当の茶旅が始まる?

3月23日(土)
本当の茶旅が始まる?

ついに茶旅行最終日。今日ご一行は成都から成田へ帰る。そのフライトは午後なので、朝は雅安の博物館を訪れる。あまり期待はしていなかったが、ここには文成公主から始まる茶関連の歴史がかなり展示されており、旅の纏めてしては一見の価値はあった。今回はお茶の歴史に殆ど踏み込んでおらず、不完全燃焼だったので有り難い。

 

更には茶馬古道や蔵茶の歴史に関する本も何冊か売っており、既にパンパンのカバンにも拘らず、また買い込んでしまう。私が昨年北京で買った四川茶に関する本は、ここの元館長が作者だったらしい。だからここの展示が比較的詳細なのだと理解した。清代の大商人の歴史など、もう少し突っ込んで知りたいところだ。

 

高速道路をひた走り、2時間ほどで成都まで戻ってきたが、街中で渋滞に遭う。本当は空港近くで軽くお昼を食べるはずだったが、折角だから老舗の陳麻婆豆腐で、本場の辛い物を食べる事に切り替わっていた。渋滞でロスして時間があまりない。取り敢えず店に入り、席には着いたものの、ちょうどイベントなどと重なり、思ったようなスピードで料理は出て来ず、全部出てこないうちに時間切れ。八宝茶の切れのあるパフォーマンスが見られただけでも良しとするか。実はガイドは前日店側に昼のメニューを連絡していたが、厨房には伝わっておらず、残念な結果に終わる。

 

渋滞は続いたが、何とか出発1時間半前に空港に到着。空港に着くまで、ガイドは一人ずつの名前を呼び、その思い出を語っている。私は鉈先生との漫才コンビの相方、として記憶されている。そして最後に『今日の日よ、さようなら、また会う日まで』と歌った。日本語ガイドの需要は本当に少なく、また次回彼女に会えるのか、ちょっと心配だ。

 

皆さんはチェックインカウンターに並ぶ。北京に帰るフライトがキャンセルとなり、夜便を取り直したMさんと私はそこでお別れし、街に戻ることにした。私はホテルを予約しており、Mさんの検索により地下鉄が早そうだというので、空港から初めて地下鉄に乗る。今や中国の地下鉄はどこもきれいだ。1度乗り換えたが、意外と近い。そこは最近泊まり歩いているチェーン店だが、部屋は広く快適そうだった。

 

それから魏さんに紹介されたお茶屋さんに出向く。ホテルから近道(地下道?)を行けば歩いて10分もかからない。そこは小さなお茶屋さんだったが、オーナーの陳さんは何と福建人で雑誌の編集などもやっており、自らも茶産地に出向いて、取材を重ねている人だった。現場を踏んだ彼の話には説得力があり、とても参考になる。因みにお茶屋の方は奥さんに任せて、本人は年に数か月は中国各地を飛び回っているのだという。茶旅の先達だ。

 

陳さんが鉄観音茶の歴史を話しながら、工夫茶のセットで古い鉄観音茶を淹れてくれた。それをじっと見つめていたMさんは『この人のお茶の淹れ方、なんて丁寧なんだろうか』と感心している。後で彼の経歴を見て頷くMさん。陳さんは国家級高級茶芸師でもあった。お茶を丁寧に淹れる、とても新鮮な言葉だった。私の最近の興味は歴史だけなので、人の口元は見ても手元を見ることはない。

 

陳さんと色々と話していると突然、『実は明日彭州へ行く予定だが、良かったら一緒に行かないか』という喜ばしいお誘いがあった。明日はもう一軒お茶屋を訪ねるつもりだったが、そこは次回にお願いして、すぐに同行することにした。何しろ彭州は約2000年前から茶があったという記載がある場所だと記憶しており、四川茶の歴史上では重要な場所だと思ったからだ。それを聞いたMさんも迷いに迷った末、何と先ほど取り直した今晩のフライトをまたキャンセルして、明日一緒に行くことになった。これぞ茶旅だろう。

 

明日の再会を約して店を出た。ホテルに戻り、突然泊まることになったMさんもチェックインする。まあこれまでいくつか泊まったが、成都のここが一番広々としており、何だか寛げる。料金はそれなりだが、余計なことを考えなくてよい。おまけにゴールド会員に昇格したらしい。何かいいこと、あるのだろうか。

 

夕飯は近所に食べに行った。フロントでは『道を渡れば色々あるよ』と教えられたが、そんなに色々な選択肢はなかった。食堂に入ると、一皿が大きいので二人では食べ切れないように思う。これまで食べ過ぎなので、抑えたかったが、出てくるとまた食べてしまうのは、何とも悲しい。胃袋が大きくなっていた。