ある日の埔里日記2017その2(4)武界のさくら

3月20日(月)
武界へ

 

今日はちょっとお休みしたいな、と思ったのだが、葉さんから『武界へ行きたいか?』と連絡があったので、『行きたい』と答えると、『じゃ、明日の朝』と言われ、7時には迎えが来てしまった。もう流れに乗るしかない。皆が暇なうちに連れて行ってもらえるところには連れて行ってもらうのがよい。葉さんの愛車は部品が壊れていたが、いつの間にか治っており、快適なドライブとなる。

 

途中で朝ご飯を5人分も買った。今日はどんな作業をするのだろうか。正直3月下旬になろうとしているが、まだ涼しい。車で1時間弱、海抜1400m、武界はそれほど有名な場所ではないが、実は高山茶の世界ではかなりいいお茶を作っている。近くにはキャンプ場などの看板が見える。最近はアウトドアのお客さんが多いらしい。きっと政府の補助が出ているに違いない。ティーツーリズムか。

 

葉さんが任されている茶園に到着した。工場の周辺に茶畑が広がっている。まずは工場内で朝ご飯を食べる。葉さんは車をバイクに乗り換え、すぐに茶園を走り回り、私は一人で大きな目玉焼きの入ったご飯を食べた。茶園は非常にきれいに整備されており、雄大な自然の風景にマッチしていた。葉さんは今年からこの茶園の管理を任され、有機肥料を増やし、現在大改造の真っ最中らしい。連日ここに通っている。

 

茶園では、雑草取りが行われていた。親戚の若者がしゃがみ込んで懸命に草をむしっていた。茶摘みの中心はベトナム人だが、彼らを草むしりで投入するわけには行かないらしい。葉さんのおじさんの一人が管理の手伝いをしていた。若者は彼の子供らしい。厳しく指導しているのはそのせいらしい。

 

私は草をむしるわけでもなく、作業を手伝う訳でもないので、すぐに暇になってしまった。葉さんが帰るのは午後3時頃と聞いており、それまで何をすればよいのだろうか。取り敢えず付近の散歩を始めた。まずは見える所から歩く。周辺にも茶畑が広がっており、数軒の茶工場が見える。作業している人が私の姿を見て、ちょっとビックリしている。

 

更に坂道を歩いていると、後ろから来た車が急に停まった。何だろうかとみていると、運転席から顔を出した若者から挨拶された。よく見ると、旧正月に訪ねた原住民茶作りメンバーの息子だった。茶園を視察中だというが、まさかここで会うとは!世の中は狭い、ということだろうか。それにしても私のことがよく分かったな。

 

慰霊碑のようなものが建っていたので近づいてみると、なんと日本語が書かれている。1970年代に日本人夫妻がここに住み、宗教活動?を行っていたらしい。1980年代に相次いで亡くなったが、その信者たちにより、碑が建てられたとある。工場に戻ると、昼の弁当が運ばれてきた。茶園に弁当を配送する商売があるのだろうか、それとも親戚あたりが運んできたのだろうか。とにかく絶景の茶園を眺めながら、弁当を頂くのは気持ちがよい。でも茶は全くでない。

 

ランチ後の散歩で下の方に歩いて行く。するとある所から、何となくさくらが咲いているのが見えた。更に進むと、何と茶畑の中に桜の木があり、花がきれいに咲いていた。こんな光景、初めてみた。誰がここにさくらを植えたのだろうか。誰一人いない場所で、咲き誇るさくらをゆっくり眺める贅沢。これは何かのご褒美だろうか。それにしても茶樹と桜、何とも不思議な組み合わせだった。皆に知らせたくてFBにすぐにアップしたら、かなり反響がある。

 

予定通り午後3時頃に山を下りることになった。気が付くと滞在時間は7時間にもなっていた。その間、葉さんは時々茶園を見回り、水をやる程度で特に作業はしていなかった。雑草はかなり取られた様だが、さすがに日中の作業は辛い。このような人海戦術では、将来は厳しいと言わざるを得ない。

 

午後4時過ぎには部屋に戻った。かなりの疲労感がある。それでも山を歩き回ったので、腹は減っていた。フラフラ外へ出ると、なぜか餃子が食べたくなる。こういう時は焼き餃子がよい。台湾でも餃子と言えば、水餃子か蒸し餃子が一般的だが、焼き餃子のチェーン店も存在する。どうも大きな店は2つあるようだが、私はその内の一つがお気に入りだ。

 

この店にはキムチ餃子などのキワモノもあるが、プレーンの餃子は至極美味しい。餃子は棒状で、北京など北を想起させる。台湾には国民党と共に渡って来た、多くの山東人、東北人がいるため、中国の北の食い物を食べることもできる。ワンタンスープも添えて、70元もあれば、腹一杯食べられるので、家族連れなどで常に賑わっている。

ある日の埔里日記2017その2(3)講茶学院

3月19日(日)
講茶学院

 

なんだか急に忙しくなる。昨晩新竹から埔里に帰ったのだが、今朝はまたバスで台中に向かう。今日は湯さんの講茶学院セミナーを特別に見学することになっていた。湯さんのお茶の知識を広めようという試みは、とても興味深い。一体どんなことをしているのだろうか。そしてどんな人が受講しているのだろうか。

 

台中駅に着いて、朝飯代わりに何か食べようかと思ったが、何とこの辺には本当に店がない。しかも日曜日の朝、非常に閑散としていて静かだ。仕方なく、会場まで約30分、ゆっくり歩いて向かう。途中川があり、何だか雰囲気のよさそうな喫茶店があり、古びた建物も点在していたが、結局何も食べず。

 

会場は凄く立派なマンションの会議室。やはりきちんとしたセミナーは会場も重要かなと思う。参加者が続々と集まって来た。その数20名弱。台中近郊だけではなく、何と台北や高雄から早朝に車を飛ばしてきた参加者もいた。これは人気のプログラムなのだ。茶業関係者、と言ってもこれからお茶屋さんを開くとか、お茶愛好家とか、様々な人々が茶の基礎を学べる場なのだ。私の向かいに座った若者などはアメリカでお茶屋をやろうと目論んでいるという。すごい世界だな、台湾は。

 

講義の内容も、水の資質の話など、あまり語られない事柄も含まれており、有意義だった。勿論お茶の種類別の香りと味の判定など、プロでも難しい内容に取り組んでいた。講義と実技、ワイングラスを使ったテースティングなどが混ざっており、受講者を飽きさせない。台湾だけでなく、日本を含む世界の茶業の現状が紹介されるなど、基礎的な内容が極めて多岐に渡って網羅されており、勉強になる。

 

会場の外が急に騒がしくなる。何かと見てみると、お祭りのようで、被り物などをした人々が練り歩いている。すぐ近くにお宮があったので、そこから出てきたのだろうか。後で昼休みに外へ出ると、もう一度戻ってくる姿を、見ることができた。被り物はかなりデカい。そして神輿のようなものもやって来た。日曜日の静かな住宅街に、音楽も鳴り響いている。因みに講義が終わって帰る時もまだやっていた。一体何なんだろうか。

 

昼休み、参加者は思い思いに出て行き、ランチを取る。私は湯さんたちと一緒に弁当を頂いた。湯さんとアシスタント2人、チームワークもよい。こういうセミナーの開催になれている感じだ。食事が終わると、皆さんが帰ってきて、自己紹介方々、かなり具体的な交流(商売など)が繰り広げられる。

 

午後は更に実践的な授業が続く。透明な鑑定杯を使って、茶葉の様子、茶色を見る。そして茶の香りや味を自らの言葉で表現するなど、まるでワインのテースティングのようだ。確かにそうすることによって、1つずつの茶への印象が非常に強くなる。茶葉の基礎を知るには好都合と言える。

 

午前10時から午後5時過ぎまで、途中のランチ1時間を抜いて、6時間の講義を集中して聞くのは結構厳しい。最後にはテストまであり、今日の講義の復習までできるようになっている。1日でかなり知識が増えた感じがする。帰りはかなり疲れたので、湯さんの車で駅まで送ってもらい、そこからバスで埔里へ戻った。腹が減ったので、バス停近くの店で食事を済ませて部屋へ帰る。

 

部屋に着くとWさんから電話が掛かってくる。今からマコモダケの夜間栽培を見に行かないか、というお誘いだった。マコモダケは埔里の名産品であり、一度見てみたいと思っていたので、バイクで迎えに来てもらった。WさんのGHのお客さんも一人、バイクに乗ってやってきた。台湾には何度も来ており、今回はバイクを借りて思いっきり走るためにやってきたという。

 

マコモダケの畑は、何となく稲作の水田に似ている。ただ真っ暗な道を行くと、煌々と電気が点いている場所があった。そこが畑であり、驚く。かなり大規模な設備をつけている。マコモダケは夜、光を与えると成長するということらしいが、何だか可哀そうに思ってしまう。自然の日の光で成長してもらった方がよいのでは、などと思うのは、農業を知らない素人だからだろうか。

 

朝まで電気はついているらしいが、ずっと見学する必要はない。すぐ近くの地母廟に行ってみる。夜の廟はかなり煌びやかに見える。この寺は規模もすごく大きい。夜でもお参りに来ている人がいる。自転車に乗った子供が遊んでいるのが、台湾らしい。

ある日の埔里日記2017その2(2)沙坑茶会

再び東邦紅茶へ

午後は2月の初めに訪問して驚いた東邦紅茶を再度訪ねた。今回の原稿の主役となる会社なので、疑問点を確認しに行く。当然既に茶作りは始まっており、忙しい時期なのだが、郭さんは快く応じてくれた。いや、むしろ前回は茶葉がなかったので、臨場感がなかったが、今回は話にも迫力が増し、勿論いい写真も撮れた。

 

2階に上がるとすでに茶葉が萎凋槽に入れられていた。いい感じで萎びている葉もある。紅茶作り、という感じがよく出ていた。あのナイロンの萎凋棚の出番がないのがとても残念だ。今回は紅玉とシャンの2種類の茶葉が摘まれていた。この工場には自らの茶畑から来る葉、そして他所の茶畑から来る葉があるようだ。ちょうど茶作りは始まったばかり、これから長丁場になりそうだ。

 

事務所で、作り立ての茶を頂きながら、確認事項を1つずつ整理していく。今朝の黄先生の質問には『おばさん(長女)はアメリカに嫁いで60年になるが、今も元気だ』という。あとで黄先生にお伝えしなければなるまい。この郭家は実にグローバルな家だ。お爺さんは日本で教育を受け、その娘2人はアメリカ暮らし。当然日本にも親戚はいるはずだが、連絡は取られていないようだ。

 

ここまで話を聞いていくと、やはりどうしても茶畑が見てみたくなる。来週なら連れて行ってあげる、と言われたので、あの80年前に少三氏がタイとビルマの国境で発見したシャン種の木を見に行く約束をして、工場を後にした。それにしてもこの会社、歴史が実に面白い。

 

一度部屋に戻って先ほどの内容を整理してから、夕飯に出た。そろそろ同じような物ばかりになってしまうので、目新しい物を探す。すると、香港式の文字が見えた。鴨と叉焼と鶏の3点セット、私の大好物だ。スープは自分でとり、80元でたらふく食べられた。これは良い所を見つけたと喜んだが、何とその3日後には閉店し、店舗は貸出物件になってしまった。

 

実は旧正月を過ぎて戻ってきてみると、他にも閉店した店がいくつかあった。あのお気に入りにメロンアンパンの店も、4月には閉店すると、既に告知されている。どうやら家賃更新が正月明けにあり、2-3年で店が変わっていくらしい。あまり儲からなければ、またしんどければ辞めてしまう、いかにも台湾らしいスピード感だ。

 

3月18日(土)
沙坑茶会

今朝は早起きした。今日は新竹で開催される沙坑茶会に出席することになっている。この会は黄正敏さんの弟の許正清さんが会長、そして主催者の会。台湾中からお茶関係者が集まってくるというので、そのお仲間に入れてもらった。場所は車でないといけないので、バスで高鉄台中駅まで行き、そこで湯さんに拾ってもらい、同行した。

 

6時半に埔里を出て、7時20分に高鉄駅に着く。湯さんもちょうどやってきて、うまく合流出来た。そこから高速道路を走り、土曜日のため新竹付近の渋滞もなく、何と9時前には会場である、許さんの茶工場に到着してしまった。この工場のことは、6年前に黄さんから聞いていたが、よもや訪れる機会があるとは思っていなかった。

 

既に会場の設営はされていたが、規模は予想をはるかに上回るものだった。70-80人が参加する。そして何より、日本的なコーナーが設けられており、静岡から3名の方がゲストで来ていた。もう一人ロンドン在住のインド人、紅茶商人も来ていた。驚くほど国際的な会だった。

 

10時の開始と共に、日本の手もみが披露される。こちらの茶葉(肉厚で硬い)を使っての手もみはかなり大変そうだった。台湾人、特に茶農家の皆さんは興味津々で次々にAさんの指導の下、手もみに挑戦していた。言葉は通じなくても、身振り手振りで伝わるものだ。それからAさんから手もみについて紹介のスピーチがあった。インド人からインド茶事情の解説もあった。日本語や英語での通訳も行われた。

 

何よりも、多くの茶業関係者、それも幅広い人々が集っているのに驚いた。顔見知りの茶農家もいた。有名な台北の茶商もいた。豊原のジョニーも家族で来ていた。まさにお茶ファミリー集結といった感じだ。なかでも今回初めて会った葉先生は、台湾茶の歴史をもう一度見直す活動をしており、大変参考になった。『文山包種茶も凍頂烏龍茶も巷で言われているのは本当の歴史だろうか』といい、その論拠となる文献を拾い集め、世に問うている。

 

勿論これまでの歴史を信じてきた人、特にその歴史で売って来た茶商や地元民からの反発はかなり強く、悩みも多いようだ。そして彼が取り出した1枚の文献、それは日本統治時代に日本語で書かれたものであるが、彼は日本語世代ではないため、それを完全に理解するには至らないという。『台湾茶の歴史を精査するには日本語が必要である』として、今後協力関係を築いていく予定となる。これは何とも喜ばしいことである。

 

昼ごはんの弁当を食べると、許さんのお父さんが挨拶した。96歳でまだ元気だ。その後数十種類も並んだ茶葉のテースティングが始まる。台湾の冬茶、日本茶、インド茶が並んでおり、専門家らしく、皆真剣に議論している。日本の茶席では女性二人がお茶を点て、振る舞っている。こんな幅の広いお茶会、日本にあるだろうか。もしあれば好評を博することは間違いない。最後に客家独特にデザートが出てお開きとなる。何とも収穫の多い一日だった。

ある日の埔里日記2017その2(1)初めての台中空港

《ある日の埔里日記2017その2》

 

2月初めに一旦離れた埔里!すぐに戻るぞとばかり、3月中旬、香港より無理をして飛んでいく。そこまでする必要はあったのかと思うが、それが臨時拠点というものだろう。何より居心地がよい。今回は半月の滞在だ。

 

3月14日(火)
香港から台中空港へ

 

香港を飛び立った香港エクスプレスは、あっという間に台中に到着した。僅か1時間半ちょっとだったように思う。機内はきれいで、CAの対応もよく、フライトは申し分なかった。乗客は台湾に遊びに来る香港人が多く、台湾人も一部乗っていたが、外国人は見当たらなかった。まるで国内線だな。国際線で1万円ぐらいだから、これからも台中の香港エクスプレスは使えるような気がする。台中空港にはこれまで降りたこともなく、全くのノーマークだった。

 

空港が小さいので、すぐに入国手続きは終わり、荷物も出てきて有り難い。まずはスマホのシムカードを買う。これが買えなければ滞在に大いに支障がでる所だが、ちゃんと中華電信があり、問題なく15日間800元の物が買えた(30日で1000元だから割高だが仕方がない)。後は台中市内までどうやって行くかだが、これが意外と問題だ。バスが少ないのだ。30分に一本程度、それも飛行機の着陸に合わせて設定されているようだ。

 

乗り場は分り易かったが、30分待ってやっとバスが来た。しかしこのバス、空港バスではなく、普通の路線バスだから、荷物が大きいと一般乗客の迷惑になるのは目に見えている。なぜこんなに不便なんだろうか。まあ、あまりにお客が居なければバスも採算は取れないだろうが、せめて空港-駅の専用バスは欲しい。

 

空港は海の近くにあり、市内へ向かう道は下り坂でその高低差が分かるほど。案の定途中でお客がどんどん増え、車内は満員状態になる。乗客の方が旅行客の大きい荷物には慣れている感じだ。三越やそごうも通過して、何とも窮屈な環境で約1時間かけて、台中駅に着く。バス代は安いが何とかすべきだろう、この状況は。

 

それから埔里行きのバスを待つ。空港には午後2時には着いていたのに、結局埔里に着いたのは午後5時過ぎていた。これでは桃園空港から来てもあまり変わらない。しかも空港で購入したスマホシムが起動せず、大家の葉さんにもメッセージが入れられない。仕方なく電話して、連絡を取った。埔里に着くと目の前に中華電信のショップがあるので、そこへ飛び込む。

 

どうやら、きちんと設定を変更せずに単にシムを差し込んだだけだったらしい。やはり台中空港は日本のスマホに慣れていなかった。しかも埔里のこのショップで治してもらったのは良いが、のちに東京に行くと、今度は日本のシムが起動しなくなってしまった。もう一度日本の設定をやり直す羽目になる。非常に面倒なので何とかして欲しい。

 

取り敢えず、荷物を引き摺って宿へ向かう。葉さんの奥さんから鍵を受け取り、懐かしの部屋に入る。そしてすぐに外へ出て、池上弁当を頬張る。何しろLCCでは食事は出ない。朝8時に食べてからずっと何も食べていなかったので、この弁当がこのほか、美味く感じられた。おまけに付いてくるヤクルトもうまい!その日は何だかえらく疲れたので、すぐに寝込んでしまう。

 

3月17日(金)
黄先生のサロンへ

それから2日ほど、部屋を掃除したり洗濯したり。そして原稿を書くため、資料を整理していた。交流協会の雑誌に台湾茶の歴史を連載する話が決まり、その確認作業に追われていた。食事も朝昼兼用は下の食堂で食べるほど。まあ、ここのおこわご飯は美味いので、何度でも食べられるが。そして何より、『ああ、帰って来たね』とおばさんに言ってもらえるのは嬉しい。

 

今日はWさんから電話があり、画家の黄先生のサロンへ行かないかと誘われた。1月にも一度お邪魔しているので、気晴らしも兼ねて、Wさんのバイクの後ろに乗り、伺うことにした。Wさんのお客さん(毎年1か月埔里に滞在)がサロンへ行くので、そのついでだった。このサロンは毎週金曜日の午前、在埔里の日本人も集まってくる。

 

黄先生は相変わらず80歳とは思えないほどお元気。私が先般、埔里の東邦紅茶の工場を訪ねたことを話し、お土産に紅茶を渡すと『ああ、あそこの長女は私と小学校の同級生だよ、今はどうしているのかな?』というではないか。確か郭少三氏には娘が3人いたと読んだ記憶があり、うち2人はアメリカに嫁に行ったようだが、この長女がそうなのだろうか。やはり埔里では東邦紅茶はとても有名な地元企業であったことも合わせて教わる。

 

帰りは一人でとぼとぼ。ちょうど腹が減ってきたので、その辺の店に飛び込む。焼きそばがあるというので頼んでみたが、これは焼きそばだろうか。柔らかく茹でたそばに、そぼろをのっけて、更に目玉焼きも足されている。台湾には中国大陸から様々な物が持ち込まれているが、焼きそばは来なかったのだろうか。そう思っていると、急に日本のソース焼きそばが食べたくなる。あれはやはり日本料理だろう。

偶には香港を旅する2017(4)中国通がいない香港の日本人

3月13日(月)
懐かしい人々に会う

 

今朝もゆっくり起き、そのままそごうへ。ここでLさんと待ち合わせしていた。Lさんとは1月に台北で会ったばかりだったが、やはり何となく香港に来たら会いたいなと思い、何とか時間を合わせてもらった。まだそごうもカフェも開いていない時間、我々は近くの屋台のような朝ご飯を食べる所に入り、港式ミルクティを啜りながら話をした。これが香港らしくて良い。

 

Lさんの中国昔話は、時として非常に参考になる。そして現在のビジネスの話や、各地のネットワークから出てくる人々の活動など、話題は全く尽きない。お互いが自分のネタを出し合っていると、1時間半など、まさにあっという間に過ぎてしまう。名残惜しいがMTRで移動した。

 

向かったのはフォートレスヒル!これもまた懐かしいところだ。25年も前に香港で一緒にビジネスしたIさんのオフィスを訪ねる。香港の家賃高騰で数年前に金鐘から移ってきたというが、それでも立派だ。香港だけでなく、中国、台湾、そして日本も視野に入れたビジネス展開をしている。

 

ランチをご馳走になる。近くのビル内のレストランは、サラリーマンたちで超満員。香港は景気が悪いという話もあるが、こういう光景を見ていると決して景気が悪いとは思われない。ただ夜も同じようにお客が入っているとも思えず、賃料の高騰もあり、経営は楽ではないのかもしれない。

 

Iさんは『今日は実に楽しかった。中国のディープな話をしたのは久しぶりだ。昔は中国通と言われた、中国の内情に詳しい人が香港にゴロゴロいたが、今では中国のことなど全く分からない人々が香港に来て仕事をしている。これでは日本企業の前途は暗いと言わざるを得ない』とコメントしていた。香港にいて中国が分からない、中国を避けてきた人々は昔から多くいたが、それでもここまで酷いとなると、大変なことだ。そして何かと言えば『中国はとんでもない』を繰り返されては道を誤るだろう。

 

食後、一度宿に戻り休息した。そして午後4時頃にセントラルへ向かう。北京の時に一緒だったYさんとスタバで会う。スタバではあるが、ティバナというお茶カフェも併設されている。ほぼコーヒー並の料金で紅茶が楽しめる。一部日本のほうじ茶なども入っているが、日本から来ているかどうかはわからない。ちょっとおしゃれな店内だ。

 

Yさんは北京の後、香港にやってきて6年になるという。勿論会社も変わり、今は日系企業の現地採用で働いている。『年齢もある程度になり、技術も伴っていれば、駐在員より給与もよく、つまらない仕事はしなくてよいので、現地採用の方が余程マシだ』という。確かに日本の会社は仕事の分担がはっきりとしていない。契約により必要な仕事だけをしていればよい、という身分は理想的かもしれない。ただ職位が安泰とは言えないが。

 

次の約束に少し時間があったので、昔よく行ったセントラルの教会に行く。ここは駐在時代に心を休める場として、クリスチャンでもないのに、時々利用していた。こんな大都会の、オフィス街のすぐ上に、こんなに静かな場所があること、それ自体が素晴らしい。ただ教会の椅子に座っているだけで、心が落ち着き、怒りやざわめきが収まる。こういう場所を日本ではなかなか見つけることはできない。宗教には無縁ではあるが、それはやはり必要なのかな、と思ってしまう。

 

その後ちょうどトラムがやってきたので、上環の先まで乗ってみた。この乗り物、決して早くもないし、便利とも言い難いが、なぜか時々乗りたくなってしまう。便利ではないが、道を歩いていると目の前にやってくるから乗りやすい。2.3ドル、昔と変わらない。乗客も多くはないので座ってゆっくり市内見物。周囲はあまり変わっていないようだ。

 

セントラルの古い懐かしいビルに向かった。前回の香港駐在で一緒だったTさんと待ち合わせた。彼は2回目の赴任で、偉くなっており、車で山沿いの四川料理屋に招待された。香港現法の仕事は今やどこの会社も香港限定か、せいぜい広東省までのエリア。中国ビジネスの主流は上海や北京になってしまった。往時の香港の賑わいはかなり薄れたという。

 

四川料理は大変美味しかった。昔香港人は辛い物が食べられず、日本同様四川料理も辛くはなかったが、今や本場の味に近い物を食べている。いや、実際に食べているのは大陸から来た人々かもしれない。ウエートレスは英語も普通話も片言以上話す。年配のウエートレスが片言の日本語も話すのは、昔の名残か。

 

3月14日(火)
台中へ

今日はいよいよ香港を離れる日。早めに起きて、朝食を探す。トーストとミルクティとなる。店はそれほど混んでいない。皆テイクアウトしてオフィスで食べるのだろうか。宿のチェックアウトは少し面倒。荷物を持って部屋を出て、一度ビルも出て、先日のフロントまでまた荷物を持って上がり、鍵を返す。

 

銅鑼湾より空港バスに乗り、1時間で到着した。今回初めて香港エクスプレスというLCCに乗り、台中へ向かうことになっている。チェックインは順調だったが、気が付くと搭乗ゲートが突然変更になっており、ちょっと焦る。何だかいつもと違うゲート、バスに乗り飛行機へ。今回の香港の旅も慌ただしく終了。これが香港らしくて良い。

偶には香港を旅する2017(3)香港も安くなってきた?!

格安な宿

フェリーを降りるとすぐにホテルに戻り、荷物を取り出して、今日から泊まるホテルに急ぐ。そこは全く初めてだったのでちょっと不安。ホテルからほど近いその場所を、住所通りに訪ねてみると、ブランドショップが入るビルの3階に受付があった。何となくゲストハウス風だ。フロントの女性は英語も普通話をでき、お客は欧米人も中国人もいた。部屋はこのビルにはなく、すぐ横のビルに行き直す。6階の一角を使用している。因みにここの経営でこの付近、数百室の部屋を抑えているらしい。意外と資本を掛けている。

 

完全な民泊形式だが、何しろ銅鑼湾の駅からもすぐで極めて便利。しかも料金は1泊400ドル以下だったから、それは人気もあるわ、と思う。部屋は勿論狭いが、窓もあり、狭いがバストイレ付きだ。Wi-Fiなども支障なく、不自由はない。香港のホテル代は高過ぎると決めてつけていたが、これなら何とか泊まれるので、次回からはもう少し泊まる機会を増やそうと思う。

 

今晩は昨日会えなかった、昔の知り合いHさんが、広東省から帰ってきたので会うことになった。場所は日本人クラブ。昨日も行ったのだが、移転してからレストランへ行くのは初めてだった。きれいなカウンターに座り、Hさんの知り合いの大将と話しながら、美味しい物を沢山頂いた。日本人クラブって、こんなだったっけ?と思うほど。ただカウンターに座るのは香港人ばかりで、自分を含めて日本の経済力の無さを嘆かざるを得ない。

 

3月12日(日)
先輩に会いに

今朝はゆっくり起きて、朝食も食べずに、バスに乗った。銅鑼湾からホンハムへ行くバスには乗りなれている。トンネルを潜れば一つ目のバス停なのだから簡単だ。だが最近はバス路線が増えたり、バス停の位置がいくつかに分かれたりして、分り難くなっていた。何とかホンハム駅に着くと、まだ待ち合わせ時間には早かったので、散歩に出た。

 

香港島側や尖沙咀のプロムナードからハーバーを眺めることは偶にあるが、ホンハムから眺めるのは初めてかもしれない。駅の方から階段を降りて行くと、立派なホテルなどがあり、更に行くと高級マンションが見える。この辺、今一体いくらするんだろうか。非常に環境の良い、静かな高級感が漂う。3月らしく、香港サイドには靄が立ち込め、よく見えない。

 

駅付近に戻り、待ち合わせのホテルでAさんと会った。もう20年も前にここ香港で同じ支店にいた、お世話になった方だ。今は別の会社に移り、出張で来ていた。私が香港へ来る直前に連絡があり、劇的な再会となる。ホテルで食事をご馳走になりながら、様々な話をした。もう会社勤めはできない私だが、相手をしてくれる先輩がいることはとても嬉しい。

 

Aさんは午後のフライトで台北へ行くというので、そのままチェックアウトして去っていった。何とも格好がよい。因みにこのホテル、立地も抜群でそれなりの会社が運営しているのに、それほど高い訳ではない。やはり香港のホテル代は依然と比べ、確実に下がってきていると言えるだろう。

 

私はフラフラとまたバスに乗り、銅鑼湾へ戻った。日曜日の銅鑼湾は人の波で溢れんばかり。ホンハムの静けさが懐かしくなるほどだ。馴染んだ場所でワンタンメンと温野菜を食べる。今やそれが似合っていると自分でも思える。ついでに港式ミルクティも飲んでみる。少しの苦みが悪くない。

 

新しいカフェ
宿に戻り、休息した。特に暑い訳ではないが、今や休息がないと一日中の活動は難しい。夕方の約束までベッドで寝ていた。4時前に外へ出たが、相変わらず人が多い。ちょうど選挙があるようで、選挙活動をしていて人が集まっている。だが歩いている人の多くは外国人であり、インドネシア系の女性が目立っている。

 

今日は大学の同級生S氏と同窓生の香港人Jさんと3人で会った。何となくこの組み合わせがよいということになり、過去何度が3人で会っている。S氏は大学で研究するための調査もあるが、家族が香港にいるので定期的に戻ってきている。通訳業のJさんは日本企業の動きなどについても詳しい。この二人から教わることも多い。

 

場所は銅鑼湾の山側、少し奥。最近はこの辺がおしゃれなスポットだと言われる。確かに気の利いた店が数軒ある。カフェに入る。本格的なコーヒーを出す店だ。その昔香港には喫茶店などなく、コーヒーが飲める場所は相当に限られていたが、スタバの登場以来、コーヒーチェーンで溢れかえり、ついにはそれに飽き足らない世代が、新しい形を示してきているようだった。話が長くなったのでクッキーも食べてみるが、これがまた意外と美味しい。カフェだけでなく、ティーの世界も変化しているだろうか。

 

夕飯は一人で食べた。食べ過ぎは良くないと思いながら、鴨肉飯を頬張る。香港に遊びに来た大陸客が一人か二人で簡単に食べるような店だったが、意外と美味しい。香港と言えば、昔はその辺の何気ない店がうまい、と言われてきたが、今やチェーン店ばかりで面白くないので、小さい店には頑張って欲しい。

偶には香港を旅する2017(2)長洲島でお爺さんに再会

地下鉄に乗り、金鐘へ向かう。昔の知り合いヘレンに連絡を取ると、ちょうど彼女が所属する財団でパーティーがあるから来ないかと誘われた。折角なので出向いてみると、大都会の喧騒とは別世界の場所がそこにあった。非常に驚く。久しぶりに香港社会の一面に触れた。

 

しかしヘレンは見当たらず、待っても来ないので、勝手に見学を始める。今日のパーティーは展示会のオープン記念。創作的な芸術の世界を歩いていると、向こうにヘレンが見える。周囲には数人の日本人がいた。香港人やイギリス人もいる。無国籍状態で会話が弾む。これはヘレンのなせる業だ。お茶の関係者を紹介してもらったのは有り難い。

 

夜は尖沙咀へ移動して、その昔香港で一緒に過ごした人たちと会食する。もう20年以上前の知り合いだが、彼らは未だに香港にいる。脱サラして起業に成功した、また現地採用として、長らく職を得ている、など、私は見れば、好きな香港に居られて、良い環境で生きているように見えるのだが、最近の激しい変化には、かなり厳しい面もあるようだった。

 

3月11日(土)
長洲島へ

今朝はゆっくりと起き、ゆっくりと朝食を食べた。土曜日ということか、朝食を食べている人々にもゆとりがある。香港は衰えたとはいえ、スピードが命の場所。1日半で結構疲れている自分を発見した。このホテルとは今日でおさらばということで、荷物をフロントに預けてチェックアウト。

 

MTRに乗ってセントラルへ向かう。そこからスターフェリー乗り場方面へ。観覧車が寂しそうに回っている。何となく活気のない香港。それはどこから来ているのだろうか、気のせいだろうか。今日は久しぶりに長洲島へ行くことになっている。あの5年前の衝撃的な訪問以降、ずっと温めてきた題材に一つのケリをつけに行くということだろうか。

 

Yさんが同行してくれるのは有り難かった。何しろお爺さんは広東語しか話さないので、通訳は必須だった。フェリーの料金は何となく少し値上がりしているようだ。まあ、5年前との比較をしても意味がないほど、香港の物価は上がっているのだ。土曜日ということもあり、乗客は多い。

 

長洲島に着くと、やはり多少はオシャレになっている。取り敢えずお爺さんは元気かどうか確かめに、ベビー服屋へ。この辺にも2週間ほど滞在したことがあるので妙に懐かしい。服屋に変化はなく、おばさんもそこにいて、顔を見るとすぐに思い出してくれた。そして『お爺さんは元気だが、少しボケて来たよ』と言いながら、午後ここで再会する段取りをしてくれた。何とも有り難い。

 

そこでまずは腹ごしらえと、港の方に戻る。海鮮が名物だが2人だと多いかなと歩いていると、その昔ここで体調が悪かった時に食べたお粥屋が見えた。どうしても食べたくなり、そこへ入る。1938年創業などと書いているがどうなんだろうか。粥は相変わらずに美味しい。我々が注文すると、もう店仕舞いだ。昼までしかやらない。安くてうまい、これが一番。

 

再び服屋に行ってみると、お爺さんは既に来ており、満面の笑顔で迎えてくれた。既に90歳になっているが、足が少し悪いだけで元気そうだ。彼がプーアルの熟茶製法を初期段階で考案したと5年前に聞いていた。その後中国でもその話が広まり、今では有名人になっている。早々に、プーアル茶に歴史について、色々と確認させてもらった。広東プーアルの元祖との関係などもよく分かった。やはり一部、記憶がはっきりしないところがあり、娘であるおばさんが聞き返したり、補足してくれたりしたが、いずれにしても貴重な、生の話には価値がある。

 

ただこういうインタビューというのは実に難しいものだ。お爺さんは生き証人だから、彼が言った言葉は事実になっていく。しかし時には記憶違いもあるだろうし、また元々の思い違いさえもあるかもしれない。これをどう生かして、真実に近づけるのか、また一体何が真実なのかを理解するのは至難の業だ。私はノンフィクション作家には絶対になれないな、と以前から思っている。

 

1時間半ほどお話を聞いて、記念写真を撮って、退散した。お爺さんは初めて会った時と全く同じな笑顔であった。今度はいつ会えるだろうか。それから島の中を少し散歩した。桜の花が咲いているか見に行ったり、Yさんの知り合いに教えてもらった開放日の学校に闖入したりもした。ふらふら歩いているとすぐに時間が経ってしまう。本当は他にも行くところがあったのだが、次の予定が決まり、急きょ島を離れたのは、ちょっと残念だった。

 

偶には香港を旅する2017(1)2年ぶりの香港泊

《偶には香港を旅する2017》

 

香港にはかつて通算10年も住んだのだが、最近は足が遠のいている。理由は至極簡単で、宿泊などの料金が高過ぎる、美味しいものが減ったような気がする、など。ただ流石に2年も香港に泊まっていないのはどうかとも思い、ある用事のオファーを受けて、行ってみることになった。尚昨年は10月、11月と2度、香港を経由して日本へ行っているが、いずれも宿泊していない。

 

3月9日(木)
ホテルまで

 

今回は久しぶりに羽田からANAの午前便に乗る。何とも出張の雰囲気が漂う。昔はいつもこんな出張をしていたのに、今や随分と心境が変わったものだ。出てきた機内食も美味しく感じられるのはなぜだろうか。でももうあの世界には戻りたくない、いや戻ることはできない。

 

香港空港には少し早めに着き、自動入国で簡単に手続きは済む。携帯のシムカードがないので、空港内で探す。中国人ばかりが並んでいたが、彼らはローミングの手続きだろうか。私は一番安い118ドルのシムを買う。7日間使えるようだが、私の滞在は6日間だからこれで問題ない。昨年の香港経由の旅では、このシムがなかったために、連絡などが出来ずに大変困ったものだ。

 

 

今回のホテルは銅鑼湾なので、空港バスで向かう。香港島行きのバスは相変わらず2種類あり、早い方だと40ドル、遅い方だと21ドル。香港とは本当にタイムイズマネーの場所である。ちょうどやって来た早い方のバスに乗る。前には韓国人の女性が楽しそうに乗っている。2階建ての上にはアラブ系の家族が乗り込んでいく。国際色も豊かだ。

 

1時間もかからずに銅鑼湾に到着した。今日と明日はちょっといいホテルに宿泊できる。このホテルは、ハーバーに面しており、20年前最初の香港駐在を終えて、去る時に泊まった思い出のホテルだった。勿論その時とはずいぶんと変わっている。部屋に携帯電話が備えてあり、自由に使うことができた。これならシムを買う必要はない。いいサービスだと思う。ただ最近取り壊しが決まったらしいので、今回の宿泊が最後となりそうだ。

 

チェーン茶餐庁
何となく外へ出る。そごうの裏あたりをフラフラすると、何と翠華という名前のレストランの看板が5分歩いて3軒も目に入る。これはいくらチェーン店でも異常と言わざるを得ない。と同時に、ちょっと入って偵察を試みる。その店は午後3時なのに、満員で一番端の席を辛うじて確保した。

 

後で聞くと、香港の茶餐庁では、下午茶という時間が安いのでこの時間は混んでいたらしい。私は何も考えずに、海南チキンライスをオーダーしてしまう。夕飯の会食があるにもかかわらず、やはりどうしても食べたくなってしまうのだ。まあ飛行機の機内食が軽かったから、と言い訳してすぐに平らげた。料金は決して安くはない。それでも流行るこの店は何だろうか。家賃が高騰して、資本力がないと店が出せないとは聞いているが、なぜこれほど人が集まるのか。

 

帰りがけにふと見ると、港式ミルクティの表記が目に入る。茶餐庁にはよくあるメニューだが、それがペットボトルに詰められ、冷蔵庫に入って冷やされている。何気なく、一本手に取り会計したら、何と28ドルもした。もう香港ではうかつに飲み物も買えないと改めて自覚した。

 

それから某銀行へ行く。昔住んでいた時からずっと口座があるのだが、先日インドへ行ってATMを利用しようとして使えなかったので、その確認にきたのだ。ATMで香港ドルを下ろしてみたが、やはりダメだった。窓口で聞くと『暗証番号でも忘れたのでは?』と言われたが、それはないと言い切った。最初は処理を渋っていたが、香港居住者ではないので、すぐに修正して欲しいと訴えると、何とか対応してくれた。これが中国などだと、梃子でも動かない。やはり香港にはまだ柔軟性がある。

 

夕方、以前何度が会ったKさんと久しぶりに落ち合った。もう数年会っていなかったのに、そして夕方の中途半端な時間なのに、快く面談に応じてくれた。彼とは旅好きという共通点があり、その辺で話がかなり合っていた。ホテルのカフェで話し始めると止まらなくなり、予定をオーバーしても話題が尽きなかった。こういう何気ない会話がいい。夜は打ち合わせで海鮮をご馳走になる。

 

3月10日(金)
翌朝は早めに起きて、朝食へ。久しぶりにホテルの立派な朝食をゆっくり味わう。毎日だと多過ぎるが、偶にだとあれこれと手が出てしまい、かなりの量を食べることになる。その後は部屋で日記などを書いて過ごす。このホテルは日本人用にと、煎茶のティバッグや浴衣などが支給されている。日本の新聞も入っており、1か月ぶりに新聞を読んでみたりもする。

 

それから今回メインの用事を済ませると、午後3時前になっていた。肩の荷が下りる。急いで上環の茶縁坊へ向かう。昨年の秋に安渓を訪ねた時は、連日の雨で秋茶がなかったのだが、その後禁を破って相当遅い時期に茶を作ったらしい。今回はそれを飲むために行ったのだが、むしろ他の茶が美味しいと思え、購入銘柄を変えた。

ある日の埔里日記2017(21)台北にて

2月8日(水)
台北で

取り敢えず埔里としばしのお別れとなる。部屋に荷物を残しているのですぐに帰ってくるつもりだが、ちょっと寂しい。バスターミナルまでの道のりも、2つもの大きな荷物を持っているのに、なぜか早く感じられる。9時10分発の国光号に乗り、一路台北へ向かう。バスは順調に走行し、12時過ぎには台北駅に着いてしまった。

 

駅から歩いて定宿へ向かう。10分で到着して、チェックイン。腹が減ったので外へ出てランチ。すぐ近くの串カツ屋に入り、ランチのカツどんを注文する。何故明日日本へ行くのに、かつ丼を食べているのか、自分でもわからない。でも今食べたいと思った物を食べているだけだから、それでよい。

 

食後の散歩、いつも歩いている道ではあるが、久しぶりに南京東路を渡ってみた。林森公園、かつてはなかった公園が今はある。昔この公園のある一帯には、バラック小屋が多数立ち並び、香港から出張に来て、CDなどを売る店に良く立ち寄ったのが、懐かしい。もう20年以上前の話だ。

 

この公園、日本時代は墓地だったらしい。三板橋墓地。第3代総督、乃木希典の母親が葬られたとある。その後共同墓地化され、第7代総督、明石元二郎は在任中福岡で没したが、その遺骨は故人の遺志により台湾に持ち帰られ、ここに埋葬されたらしい。その時の鳥居が紆余曲折の末、今ここに建っている。明石と言えば、日露戦争時の諜報活動、特にロシア革命への支援などで有名な人物だが、台湾総督が最後の任務となった。

 

林森公園から中山北路の方へ小道を歩いて行く。こんなところにと思うほど、意外にも古い家が残されている。民家として使われているものもあれば、改装してカフェなどを開いているところもある。場所的には便利であるし、ホテルオークラの裏と言えば、何となく人が集まるのだろうか。

 

その後、先日台中で会った蔡さんに誘われて、葉さんという女性のもとへ行く。彼女は雲南省の山中などに自ら行き、磁力の強い、本物の茶葉を集めているという。お茶を飲むというより、薬としての効き目を重視しているようだ。実際にお茶を飲んで、その後力が入るかどうかなどの実験を行うと、見事に茶葉によって違うことが分かる。

 

何とも不思議な話だが、これは土の持つ力などの影響によるらしい。今や台湾には真に磁力を発揮できるような場所、昔から自然に茶が生えているような場所はない、といい、飲むべき茶葉はないと言い切る。台湾で山茶など、原生の茶樹があると言われる場所でも、実体は人の手が入っているという。

 

蔡さんの知り合いの学生もちょうど来ていたが、彼の目的な『風邪を引いたので、それを治すお茶』を飲むことだった。葉さんの茶はいわゆる漢方薬のように煎じて飲んでいる。煎じるための壺も特別な土で作っているという。飲ませてもらうとかなり濃い。お茶というより、薬であれば納得できるものだった。何とも不思議な体験をした。頭の中では全く理解できていない。

 

夜はその昔北京で一緒だったHさんと会う。彼と最後に会ったのは、3年前だろうか。場所は蘇州だった。その時生まれた赤ちゃんが三歳になっている。奥さんは、17年前北京でお茶を習った時の同期なのだ。何とも懐かしい。彼は蘇州からそのまま、台北に赴任となったらしい。しかも前任者は大学の後輩、Fさん。何とも奇妙な繋がりであるが、中国関係者にはよくある話だ。雲南の鍋をつつきながら、思い出話に花が咲く。こんなことも久しぶりだった。

 

2月9日(木)
今朝は早く起きて、MRTに乗り、国立図書館へ向かう。中和にある別館には、日本時代の資料が眠っているので、それを覗きに行った。何と9時の開館前に行列ができているのにはびっくり。だが6階まで上がると、人はいない。前回も親切に案内してくれた女性が今回も色々と助けてくれて、検索が進む。何とプリントはせずに自分のUSBに日本時代の新聞記事を入れることができる。すごい!

 

宿にとって帰って、チェックアウトして、空港に向かう。駅前からバスに乗り、桃園空港へのお馴染みのコースだ。もうすぐMRT空港線が開通すると言われて何年経つだろうか。今度こそ3月に開通するというが、にわかには信じられない。エバ空港は今日も快適で、予定時間より早く成田に着いた。ここから1000円バスで東京駅へ行けば、旅も終わりだ。