茨城歴史旅2022(1)常陸太田 水戸徳川家墓所を訪ねる

《茨城歴史旅2022》  2022年11月14₋15日

バンコクから帰ってすぐ、また旅に出た。11月中旬の日本、しかも北関東の風は冷たい。それでもなぜか出掛けていく。

11月14日(月)常陸太田へ

前回水戸へ行ったのが2年前。あの時は博物館や偕楽園に行くはずが、何と原因不明の頭痛で逃げ帰った。そうだ、1年前も青春18きっぷでいわきに行く時、水戸を通過しているが、降りてはいない。今回はある人の歴史を追って茨城入りする。まずは水戸まで行くのに特急に乗ろうとネットで予約したが、何となくよく分からない。

少し早めに上野駅へ行き、緑の窓口で確認すると年配の職員が私のスマホを見て、『そこに置いて』と横柄な態度で指示(コロナ対策)する。そしてそれを取り上げて色々と見ているが、彼もスマホ予約について行けていないようで『多分大丈夫でしょう』と心もとない返事をする。確かに年配者にとって次々に繰り出されるネットITは苦手だろう。気持ちはよくわかる。でも駅員でしょう、もう国鉄の人は退場しましょう、と言いたい。

結局ときわ57号は殆どが空席で、確かに何の問題もなかった。1時間半で水戸駅に到着する。ここで乗り換えに少し時間があったので、別のホームにある駅そばで、名物から揚げ蕎麦を食べる。分かり難いホームにあるにもかかわらず、常連さんが次々入ってくる。そばに乗る唐揚げは、まあフライドチキンという大きさだった。駅には鉄道開業150周年のポスターが見えた。

12時過ぎの水郡線に乗る。二両列車は川を越えて、冬枯れの田舎風景をゆっくりと進む。上菅谷駅で向かいのホームの列車に乗り換え、合計30分で常陸太田駅に着いた。Suicaが使えたので、トラブルなく外へ出た。駅前からバスに乗ることになっていたが、どこで乗ればよいのだろうか。何と乗客もあまりいないこのバス停に向かって、数台のバスが重なってやってきた。思わず隣のおばあさんに聞くと『前のじゃないよ、後ろだよ』と親切に教えてくれ、何とかバスに乗り込んだ。

だが私が今日訪ねる水戸徳川家墓所については、おばあさんも、そして運転手でも、全く知らないというので、驚いてしまった。水戸徳川家と言えば、茨城では誰でも知っているものと勝手に思い込んでいたが、今や知られているのは水戸黄門様だけなのかもしれない。取り敢えず検索していたバス停まで行くことにする。バスは常陸太田の街を抜けて、郊外の畑に出る。

誰も下りない『里の宮』で下車するが、周辺には何もない。少し歩いて行くと、日は西に傾き、何だか子供の頃の栃木の風景がやけに重なってくる。栃木ならからっ風が強そうな時期だが、今日の常陸太田は日差しも柔らかく、気持ちの良い散歩となる。そして歩いて10分ちょっとで誰も知らない水戸徳川家墓所の前に来た。だが門は固く閉まっており、隙間から中を窺うしかない。墓地は高台にあり全く見えない。

実は事前の検索でも、入れないことは分かっていた。それでもここに来たのは門の写真を1枚撮る、たったそれだけの目的だった。門の横には墓所内の配置図が掲示されており、初代藩主徳川頼房(家康末男)から13代目までの墓があるようだ。あの有名な黄門は第2代である。だが私のお目当ては徳川家ではなく、そこに一人ポツンと名前が刻まれていた、朱瞬水という中国人だった。明朝再興に命を懸け、後に長崎に亡命した彼を光圀が水戸藩に招いた訳だが、それにしても藩主たちと同じ墓所に入る中国人とは。興味は尽きない。

少し回り道をして周囲を散策したが、特に何もない。1時間後のバスを待っていると、隣家の柿が熟れている。日に数本しかないバスに乗ると乗客はいない。帰りは少し余裕が出来たので、常陸太田の街を眺めると何ともレトロな建物がいくつも見えたので、思わず散策する。

鯨が丘という地名が見える。ここは日本武尊の東征時に丘が盛りあがって鯨のように見えたことからその名が付いたと書かれており、真偽は別としてその歴史は思ったより古い。更に平安時代から戦国まで、佐竹氏がここに城を築いていたというから、やはり歴史的な街なのだ。赤煉瓦の蔵や木造の趣のある建物を見ると、明治以降もそれなりの発展を見せたのだろうか。駅の横にも煉瓦のレトロな建物が建っていた。

水戸で

来た時と同じ鉄道で水戸まで戻る。何とものどかな風景、帰りは直通だった。駅前では黄門様と格さん助さんの像が迎えてくれる。お城の周囲を回りこむと、道路脇にひっそりと朱瞬水の像が建っている。駅から徒歩15分、実は2年前、お知り合いのKさんの家に招かれた際に暗闇でこの像を見たのがきっかけで今回の旅となったのだ。その時は写真も撮れなかったので、ゆっくりと撮る。瞬水の功績を称える文言が横に書かれている。水戸藩への影響力は絶大であったようだ。

バンコク滞在記2022その7(6)日本の観光業を憂う

11月7日(月)東京へ帰ると

ついに3か月に及ぶバンコク生活に別れを告げる日が来た。フライトは夜行便なので十分に時間はあるはずだったが、色々と溜まったものを整理するなどしていると、時はどんどん過ぎていく。朝はコムヤーン、昼は麺といつものラインナップを刻んだが、最後の夕飯は内臓麺を食べる気満々で出掛けた。だが悲しいかな、月曜日が定休日であることを知らず、意気消沈。結果部屋で残り物を食べて過ごす。

少し早めに宿をチェックアウトして、空港に向かう車を探す。昔は宿の人に頼んでいた車探しだが、今やそんな宿泊客は余程のご年配だけだろうか。皆スマホをいじってことを成している。私はGrabを頼りにしていたが、時間帯のせいか意外と高い。仕方なくもう一つのBoltを試してみると何と150バーツ以上安い。タイにも競争が起こり始めているのだろうか。

車はタクシーだったが、特に渋滞もなく、スムーズに空港に到着した。3か月前と比べて空港は人が多く、活気が戻っていた。東京行きのフライト、チェックインには長い列が出来ている。免税店なども以前は手持無沙汰だった店員が客の対応に追われている。何とも好ましい光景だ。

当初はそれほど混んでいないだろうと言われていたが、蓋を開けてみると、何と搭乗率は90%に近く、ほぼ満席。更にそのほとんどがタイ人観光客で驚いた。夜行便なので寝るだけだったが、意外や眠れない。仕方なく映画を見てみると、これが予想外に良い映画だった。ただ気付くのが遅く、最後まで見られなかったのは残念。三浦透子という女優が素晴らしい。

朝飯を機内で食べると、ほぼ定刻の7時に羽田に着いた。私の長い旅は終わったかに思われた。飛行機から出ると、突然前の方が大勢のスタッフが駆け寄ってきて、口々に『スマホ、アプリ』を叫んでいる。その一人に捕まり、慌ててスマホのVisit Japanアプリを開けて見せる。羽田ってこんなにネット環境よかったっけ、と思うほど簡単に開き、すぐに青いカードを渡された。それを持って入国審査近くに行くともう一度チェックがあり、そこをスルっと通ると、後は自動入国するだけだった。これは何のためにやっているのだろうか。そもそも1年以上前に打ったワクチンの証明が本当に役に立つのだろうか。単なる抑止力?なのか。

次に荷物を取り、税関申告ゲートに向かうと、係員が『Visit Japanアプリで税関申告したのか』と聞くので頷くと、『もう一度そちらの機械を通してから、自動ゲートへいけ』と言われ、唖然とする。それならゲートに並んだ方が速くない??実際この時は申告書を手書きして、ゲートに並んでパスポート出している人の方が多かった。

更に新宿までのバス切符を買おうとしたら、まだ7時20分ぐらいなのに、8時半過ぎまでバスはないという。てっきり日本もインバウンドが戻り、バスが満員で乗れないのだと思い、慌てて京急で帰る。この時間帯は通勤時間なので大きな荷物を持って乗るのは嫌だったが、思ったほどのラッシュもない。東京も変化しているのだろうか。家に帰ってから調べてみると、バスは何と始発が8時35分だった。理由は不明だが運転手不足ではないかとも言われている。

日本の観光業、ポストコロナに対応できるのだろうか。観光客が戻っても人手不足で対応できない日本、それが現実かもしれない。それに比べていち早く舵を切り、勢いを見せつけられたタイ。今や日本の対抗馬は中国ではなく、東南アジアではないかと思えてしまう、そんな今回の旅だった。

バンコク滞在記2022その7(5)サパンタクシンで食べ尽くす

それから散歩に出る。川沿いに寺があった。龍船寺という如何にも中国的な名前が付いていた。元々1648年建立とあるが、ラーマ3世時代に中国との貿易が盛んになり、船のモニュメントが作られ、寺の名前も変わったと書かれている。敷地は広く、川べりまである。そして船のモニュメントもある。

何だか船に乗りたくなってピアーに行くと、ICONSIAM行のボートがちょうど出る所だった。無料ということもあり、パッと飛び乗ってしまう。意外と大きなボートに観光客がどっと乗り込んでくる。このボートは対岸のモールへ向かうらしい。気持ちのよい川風に煽られながら、川面を眺めているとすぐに着いてしまった。

そこは立派なモールで、高島屋も入っていた。1階のフードコートでは沢山の観光客がタイ料理を頬張っている。思わず食べたくなったが、私はもう食べるものが決まっているので我慢する。何とスシローまで登場した。裏へ行くとMRTと繋がっており、ボートでなくても簡単に来られることが分かる。私は宿に戻るためボートにまた乗り込む。オリエンタルやシャングリラなどの有名ホテルが並んでいる。

ようやく部屋にチェックイン。何となく前回より狭い印象がある。夕方までゆっくりと休む。部屋の窓から見える夕日はチャオプラヤ河に映えて美しい。そうするとまた腹が減る。外へ出て何を食べようかと見ていると『鴨肉』の文字が目に入る。だがその屋台は既に閉まっていた。そこで私は隣の屋台へ行き『ダック』と怒鳴る。するとそこにいたおじさんが『ダックならあっちの店が旨いぞ』と言って連れて行ってくれた。

その店、新記はかなり混んでいたが、何とか席を見付けて座り込む。鴨肉焼肉飯を注文すると、これが実にうまい。さすが地元の人が教えてくれただけのことはある。そして常に客がいる理由もわかる。柔らかい肉とジューシーな汁、これはなかなか食べられない。いい物を教えてもらった。

そこから散歩でもと思って歩き出したが、またすぐ引っかかった。屋台の麺屋が旨そうなので、立ち止まり、結局ここでも食べてしまう。潮州系の麺に具沢山、何とも有難い。スープもあっさりの割には美味しい。ちょっと歩くだけでいくらでも食べたい物が見付けられるこの場所、これまでなぜ来なかったのだろうか。

夜8時過ぎに部屋に戻ってくると、突然大きな音が聞こえてきて驚く。何と河の上に花火が華麗に上がっていた。それも何発も何発も上がっていく。今日な何の日なのだろうかと訝るも、分からない。少なくとも観光客が戻ってきたことを知らせ、祝うものであるようには思う。先月はサッカープレミアリーグを遅くまで見たが、今夜は早寝した。

11月6日(日)サパンタクシンで食べ尽くす2

朝6時前にきっちりと目覚め、すぐに外へ出た。今回はホテルの朝食を頼まず、朝から食べまくる予定だった。まずは宿の横に向かう。午前しかやっていない『魚の胃袋スープ』を食す。6時過ぎでも既にお客がいる。席数が殆どないのだが、何とか座る。さすがに少し涼しい早朝にこれを食べると温まる。私が食べ終わる頃にはお客が何人も来て、テイクアウトしていた。

帰らずにそのまま次に行く。前回夜8時過ぎに食べたジョークを今回は朝食べる。店に客の姿は殆どなく、中国人グループの声だけが響く。だが空いたテーブルにはジョークの入った袋が山積み状態で、近所のおじさんとデリバリーのおにいさんがひしめき合う。食べている間も電話が鳴りやまない。この昭和感、悪くない。地元に愛さている証拠である。

それから満腹で思わず寝そうになる所を耐えて、オンライン講座に一生懸命に取り組んだ。それが終わると荷物を纏めてチェックアウト。だが帰る前にどうしても食べたい物があった。昨日の夕飯に食べた鴨肉、その時隣のおばさんが食べていた麺。鴨肉叉焼ワンタン麺。店に行くと当然満席だったが、奇跡的一席空いて滑り込む。この麺は期待に違わぬクオリティーで大満足。

それでも定宿に戻り、休んでいるとまだ麵が食べたくなり、付近で一番安いバンミー屋へ向かってしまう。僅か30バーツだが、クオリティー的にはかなり高い。今時バンコクで30バーツの麺が食べられるところなどほぼないだろう。何とも有難い場所だ。

バンコク滞在記2022その7(4)川を渡った名建築で昼食を

11月4日(金)名建築で昼食を

本日はUさんのお誘いで、プラアチットという場所へ向かった。初めて行く所、バスを一度乗り換えて何とか近所まで来ると、見覚えのある国立博物館、美術館などが見えてくる。目をクルクルさせている内に、降りる場所を間違えてしまい、バスは随分と先に進んでしまった。

バスを降りると、白人が大勢横道を入っていくのが見えたので、何があるのだろうかとついて行く。するとその道は予想もしていなかったほどおしゃれなレストランやホテルがいくつもあるではないか。そしてそこでは白人集団が優雅に朝食など食べてゆったり過ごしている。ここはどこなのだろう?カオサンのような貧乏旅行者街ではなく、オリエンタルに泊まるほど裕福ではない層がここに集まっているように見えた。韓国人は見かけたが、日本人は全くいない。次回はじっくり観察しに来よう。

それからチャオプラヤ河沿いをフラフラと歩く。公園になっているところもあり、何とも雰囲気が良い。この辺が白人観光客にウケるところだろう。プラスメンフォートというラーマ一世時代の白い砦跡が目立っている。天気が良いので川面も映える。河を行きかうボートに観光客が吸い込まれていく。

Uさんとプラアチットのボート乗り場で落ち合う。我々はどのボートに乗るのだろうかとみているとUさんはどこかに電話を掛けている。何と本日行くレストランは、対岸にあり、専用ボートを電話で呼んで渡してもらうというのだ。これはもう高級感あふれる演出だ。路線ボートの間を縫うように、そのボートはゆるゆると近づいてきて、我々を乗せるとスルっと対岸へ。

対岸には立派な建物と庭が見える。近くまで来るとそこがホテルであることが分かる。5分で到着。そこは確かに100年前の誰かの別荘だった。確認すると建造は1923年。建物の中に案内されると、何ともクラシックな空間が広がっており、そしてお客はいない夢のような場所だった。これぞ名建築で昼食を、に相応しい。

メニューは、王朝時代別になっているのが面白い。全く分からないのでUさんにオーダーをお願いしたが、これまで見たことがないようなメニューもあるという。カレーやシチュー系のような欧風な物も出て来る。どれも上品な味で、これまで食べてきたタイ料理とは一味違う。お客がいないというのは、単に料金が高いということではなく、敷居が高い、ということだろうか。

係の話を聞くと、ここはホテルで、普通の予約サイトで予約できるという。対岸からボートで来る以外は推奨していないともいう(建物の裏にも道はあるらしいが)。出来れば一度は泊まってみたい。ここに来たら、まさに何もせずボーっとしているのがよさそうだ。

11月5日(土)サパンタクシンで食べ尽くす

いよいよ日本へ帰る日が近づいた。その前にやらなければならいオンライン講座。今回も前回と同じ宿を予約して臨む。料金は数百バーツ高くなっていたが、朝食を付けずに調整した。前回同様昼頃到着したら、チェックインは午後2時に、と言われる。これも観光客が増えた証拠かもしれない。

早々荷物を預けて外へ飛び出す。通りの人々の活気も更に高まっている。前回行けなかったカオカームーを食べに出向く。紹介された店は路地にあり、コロナ禍ではデリバリー専門で営業していたらしい。今日もお客の姿はあまりないが、デリバリーの人がひっきりなしに来て忙しそうだ。

メニューはタイ語しかないが、美味そうな豚足を指せばすべてが済む。柔らかくて、味付けも濃厚で良い。よく分からない甘いドリンクを飲みながら、頬張るのが良い。近所に数軒、カオカームーを出す店があるが、ここはきれいでよい。最近時間が掛かる割に儲からない、と作らなくなっている店が多いと聞くので、頑張って欲しい。

バンコク滞在記2022その7(3)タイ料理の歴史を知りたい

先月はベートンからマレーシア、そしてナラティワート、更にトラン、スラッタニーを旅してみたが、さっき万歩計を見てみると、何と1か月で240㎞も歩いていた。毎日8㎞歩いた計算になるが、さすがにそれはないような気がする。まあとにかくこれまでの最高記録だろう。めでたい。

今朝はバーミーでも食べようと近所に出掛けるも、残念ながら朝はやっていなかった。仕方なくその先のカオソイ屋に行くと、テーブルの上に猫が寝ころんでいた。首にメガホンのような物を付けられており、どこか痛めて動かせないのだろう。可哀そうではあるが、何ともユーモラスな姿だった。

11月2日(水)ヤワラー

本来は今日あたり、ロップリーに行っているはずだったが、先日の駅での切符騒動で萎えてしまい、バンコクで過ごしている。今朝もバスでヤワラーに向かった。意外と空いていて、早めに到着。ジョークにありつく。実は昨晩このお粥に入れるパートンコウとは何かを考えており、写真を撮りたいと思っていた。

パートンコウは中国では油条だろうが、なぜタイではこう呼ぶのだろう。お知り合いから『白糖糕』の潮州語訛りではないかと言われ、ハッとする。やはりタイの食べ物を理解するにはどうしても潮州語や福建語が必要のようだ。今日も屋外で美味しくジョークを食べる。

何となく散歩していると、お寺が見えた。会慶寺、1956年創建とある。立派な山門を潜ると、敷地は狭いが中にはさすがヤワラーと思わせる立派な仏像が安置されており、思わず拝む。後で聞いたら、この山門の下に、有名な焼売売りの老人がいるらしい。ただ昼からの営業で出会うことはなかった。次回を期す。

ふらふらしていると、関帝古廟に辿り着く。中は信者の華人で満ちており、入るのが躊躇われた。更に行くと2年半前に歩いた大本頭廟に行き着き、華人学校も健在だった。こうして時間をつぶしていたのは、本屋が9時に開くのを待っていたからだ。本屋に入ると2階で『何を探しているのか』と華語で聞かれたので、『タイの料理の歴史』と言ってみると、おじさんとおばさんが二人で色々と探してくれたが、残念ながらなかった。

宿に戻ってランチにバーミーを食べた。これも潮州語の肉麺から来ているらしいが、本日食べた麵はいつもの黄色い麵とはちょっと違っていて、緑色の平麺だった。こちらは潮州ではなく、福建系らしいと言われ、なるほど奥が深いと感嘆する。これまで食べ物を食べても、そこまで深く観察したことがなかった。いや、考えたこともなかった。

何だか世界が少し広がった気分となり、夕方近所の歩いたことがない場所を散策する。ここは市場の近くなので、食堂はいくつもあったが、これまで入ったことはなかった。思い切って入ると、そこは鴨肉の店。朝は点心も出しているようだ。肉の上から濃厚なタレを沢山かけるので、インスタ映えはしないが、味は確かだった。

11月3日(木)サラディーで

今朝もコムヤーンを食べて幸せ。それからバスでシーロムへ向かう。シーロム界隈、今回殆ど歩いていなかったので、BTSサラディーンからチョンノンシーまで歩いてみる。道には人が多いが、何となく以前の熱気は感じられない。チョンノンシー近く、昔行った遼寧餃子館などは健在だったが、味はどうだろうか。この付近は相変わらず華語が飛び交っており、大陸中国人の投資が多そうだ。

今日の昼は野菜ソムリエAさんに会うため、懐かしのサラディーに向かった。このお店は私がバンコクで開いた最初のお茶会の会場だった。もう10年も昔のことだ。コロナ前後、Aさんはお店を閉めて、今は弟子がデリバリー専門でやっているが、Aさんの教室、食事会などでも使われている。

本日の目的は、タイ料理の歴史を知ることだった。Aさんに聞けば、何らかのヒントが得られるだろうと思い、出掛けた。ちょうどこの日はAさんが生徒さんと一緒にランチするというので飛び入り参加した。初めての方ばかりかと思っていたら、昔お茶会に参加してくれた人たちもおり、また私が日本で旅した場所の出身者もいた。

お料理は個性的で、ピザやパスタとタイ料理を組み合わせるなど、色々と面白いものが多かったが、1つずつの料理についてはよくわからなかった。肝心の料理の歴史については、『かなり難しい』という感触であり、やはりタイ語が出来ないと前には進みそうもない。華人の料理だけでも何とかならないだろうかと思うのだが、儘ならない。

バンコク滞在記2022その7(2)バンカチャオとタイスキの原点

バンカチャオへ

ところがポートの入り口で止められ、どこへ行くのかと聞かれる。残念ながら言葉が通じず、困っていたら、英語ができる人が出てきて、『あっちだ』と指をさす。そちらへ向かったが、敷地内は水浸しで、やはり見つからなかった。その人はずっと私の行動を見ていたようで、更に『そこじゃない、もっとあっちだ』とジェスチャーで教えてくれた。何と優しいことか。

そこを入っていくと、お寺があり、小さな店が並んでいる路地だった。抜けて行くと、突然川が現れ、そこから木製ボートに乗れた。1回10b。雨期で水かさは増しているが、天気が良かったこともあり、風が気持ちよい。ボートの人も何だか優しげで良い。外国人が自転車を持って乗ったりしている。対岸はどんな所なのだろうか。

這い上がると、そこに建物があり、自転車が沢山置かれていた。貸自転車で回るような場所らしい。自転車に乗ることが禁じられている?私は一人トボトボ歩いて行く。近くにある公園を目指したが、道を間違えたようでどんどん離れていく。ここはバンコク中心地からほぼ近い場所なのに、完全にタイの田舎の雰囲気がする。家は結構あるが、観光地と言った雰囲気でもない。確かにここなら、自転車で回るのが良い。

公園の裏から入ったら、大自然の中だった。バンコク都民憩いの場、という感じだろうか。白人さんのツアーも来ている。日本人らしき姿は全くない。日本人はバンコクに自然を求めてはいないだろう。公園の敷地はとても広い。ゆっくり歩いていたら1時間ぐらい経ってしまい、またピアーに戻ってボートで帰った。偶にはこんな散歩も良い。

10月31日(月)タイスキの原点を訪ねる

いつものようにランチを食べているとS氏が『今晩暇?』と聞いてきた。毎日暇です、と答えたところ、夕方MRTに乗った。降りた駅に出来たきれいなパン屋さんの写真を撮る。今やバンコクもおしゃれなパン屋の時代なのだ。そこからずっと歩いて行くと、今晩の目的地があった。

漢字で『金島』と書いているから、華人の店なのだろう。聞けば、ここがあのタイスキを最初に作った店だというのだ。タイスキと言えばコカレストランが有名で、現在ではMKが圧倒的なプレゼンスを持ち、タイの国民食とも言われる食べ物に成長している。だがこの店は昔ながらのやり方で、ここ一店舗のみで営業しているらしい。

いかにも華人の店という昔の雰囲気を保ち、注文を取りに来る女性も華人で年季が入っている。食べている客も華人の顔が目立ち、常連客も多いようだ。肉や魚介に独特の味付けがされており、それがこの店の特徴そのものとなっている。最初は少したんぱくな味かと思われたが、具を煮込むほどに、味わいが増していき、最後はスープを飲み干してしまうほど美味しかった。なるほど本来のタイスキとはこういうものか、と実感する。

11月1日(火)Visit Japan

昨晩の帰りは道がかなり混んでおり、タクシーで宿まで相当時間が掛かった。バンコクの脱コロナは完全に進んでいる。一方1週間後に戻る東京はどうなっているのだろうか。いまだに入国時にWeb登録が必要と言われ、My SOSなるアプリを眺めた。すると何と本日より新たにVisit Japanというアプリが導入され、私が帰国する時点では両者併用という、いかにも日本的な対応がとられていて戸惑う。

事前検疫(ファストトラック)だけのアプリから、「入国審査」、「税関申告」、「検疫(ファストトラック)」がWebでまとめて出来、スムーズな入国手続きを可能にするのだそうだ。しかしこれまで日本のアプリで『スムーズ』とか『利便性』とかいう言葉を見たことはなかった。案の定、登録までかなりの時間を要した。さて、これでスムーズな入国はできるのだろうか。不安が募る。

バンコク滞在記2022その7(1)ファランポーン駅とクイジャップ

《バンコク滞在記2022(7)》  2022年10月27₋11月7日

10月29日(土)ファランポーン駅で

先日スラッタニーから帰ったばかりだというのに、まだ旅に出たい気分だった。もう帰国まで時間もないので、1泊2日で行ける場所を探し、ロップリーと言う街に行ってみることにした。前回同様タイ国鉄に揺られてみようと思い、時刻表を調べ、ファランポーン駅に切符を買いに出かけた。土曜日なので、バスは快適に私を駅まで運んでくれた。

前回駅に来た時は、乗客は多くなさそうだったが、さすがに観光客を含めて、人の移動が戻ってきており、駅の窓口には人が結構並んでいた。外国人はマスクしている人は多くないが、タイ人はしっかり防御している姿が面白い。ようやく自分の順番が来たので『明後日の朝、ロップリー1枚』と英語で伝えてみたが、係員はエッという顔をしている。

そして『ロップリーは当日しか売れない』と言い出す。私が食い下がると『じゃあ取り敢えずやってみる』と言ってくれ、パスポート情報など機械入力をしてくれたがやはり切符は出てこなかった。どうやら近距離の切符は当日しか買えないらしい。だが知り合いから買えると聞いていたこともあり、ことの真偽を知るべく、インフォメーションデスクにも行って聞いてみる。

ところがそこに座っていた年配の女性は『そんなの買えるわけないじゃない』とこちらの話も聞かず、けんもほろろの対応だった。あまりに酷い態度だったので、『じゃあ、午前8時半の列車に乗るのに、当日何時に来ればよいのか』と聞くと、『ここは朝4時半からやっているから、出来るだけ早く来て買え』と言い張る。さすがに外国人窓口の人がこんな対応をしていたら、微笑みの国タイ王国の評判が落ちてしまわないか、こちらが心配になるほどだった。

結局何のためにファランポーンに行ったのかも分からず、次の用事のため、プロンポーンに向かう。まずは腹ごなしにと、時々行く和食屋で大好きなかつ煮定食を頂き、気分転換を図った。今日は土曜日だったが、意外にも満席ではなかった。ただお客はタイ人家族が多く、日本人は単身赴任のおじさんが数人いるだけ。

それからエンポリアムに入ると、ちょうど今日はハロウインのようで、小さな子供たちがイベントに参加すべく、思い思いの服装でフロアーを占拠。エスカレーターに乗るのも、一苦労だった。店員なども所々でハロウイン仕様の服装をしており、タイもいつの間にかクリスマス、ハロウインなどが定着しつつあるようだ。その後お知り合いに誘われた歴史関連の会に参加。参加者の中に、お茶の歴史を知っている方もいて、有意義な午後だった。

10月30日(日)クイジャップを食べに

昨晩Youtubeを見ていたら、どうしてもクイジャップが食べたくなり、またヤワラーを目指してバスに乗る。いつもはワットトライミット付近で降りるのだが、今回の店はヤワラーロードに面しているので、先まで乗って行く。店に着くと満員で行列が出来ている。さすがに有名店らしく、外国人も食べている。

10分ほど並んで待っていると、席が空き、注文する。クイジャップの他、待っている間に見てしまったチャーシューなども頼んでしまう。お客の多くは2人以上できているので、色々な物が食べられるのが腹立たしく、一人で満腹になるまで食べた。行列はずっと続いており、観光客が増えていて、なぜか中国人は立って何かを食べていた。

ヤワラー付近を少し散歩。中山街、サンペーン市場、日曜日の朝は人が多い。もう一食何か食べたかったが、腹も減らず、残念ながらバスに乗って帰ることに。しかしまだ午前中も早い。このまま帰るのも何なので、バスを終点まで乗って行く。そこは港。ここから小型ボートで対岸に渡れると聞いていたので、この機会に試してみることした。

トラン、スラッタニー旅2022(4)スラッタニー散策

仕方なくGrabタクシーを呼ぶと10分ほどしてやってきた。だが街中の予約した宿までは相当に距離があり、料金も180b程度した。この街は列車で着く街ではないらしい。以前来たと言ってもタクシーの窓から見る風景にとんと覚えがない。30分近く走ってようやく川沿いの見覚えのある通りに出て、何とか宿に着いた。

目の前に現れたのはきれいなホテル。そして名前にリバービューが付く。ところがフロントで『リバービューの部屋をお願い』したところ、『我がホテルにはリバービューのお部屋は1つもございません』だと??確かにリバーから少し離れており、方角的にも見え難い位置だ。まあ部屋がきれいだったのと、清々しいまでの返答に免じて、良しとしよう。

そうこうするうち、日が暮れてしまった。私は何の目的もなくスラッタニーへ来てしまっていた。だから取り敢えず腹を満たしたい。だが宿の周辺に食堂らしきものは見られない。街の通りの方へ歩くのも億劫だ。反対に少し歩くと、チキンがぶら下がっていた店があった。ガイヤーン、何でタイ南部でとは思いながらも急に食べたくなり、その屋台に毛の生えた店に入った。大盛のご飯を貰い、大量の鶏に思いっ切り食いつく。とても満足したが、何と隣は草むらで大量の蚊に刺されて、かゆくてたまらない。店主夫妻が英語を話したのは意外だった。

10月27日(木)スラッタニー散歩

朝ご飯が無かったので、外へ出て探す。宿から直ぐのところに、小さな食堂が2₋3軒あった。ちょっと覗き込むと、何とジョークが作られていた。しかもジョークの上から団子スープのような物を掛け、半熟卵と高菜漬けも載っていた。これは思ったよりはるかに美味く、大満足。なぜか飲み物は甘いミルクティというのもタイらしい朝だった。

いい天気なので、そこから散歩に出た。すぐ近くにコーランプーパークという小島が公園になっているところを歩く。なかなか自然な雰囲気でよい場所だったが、特に見るべきものはない。歩いている内に数年前にここを散歩したことを急に思い出す。次に橋を渡ると、白いきれいなお寺が見えたので、遠方からちょっと眺める。

そのまま川沿いを歩いて行けば、華人廟などに着くだろうと歩き始めたが、なかなか見えてこない。途中には鯨のモニュメントなどがある。因みに川沿いの看板に中国領事館の注意書きがあったのは、やはりこの付近にも中国人観光客が沢山来るのだろうかと、ふと疑問に思う。最後はトイレに行きたくなり宿へ引き返した。

宿で少し休み、12時にチェックアウトして、またGrabタクシーを呼ぶ。昔は空港バスなどあったはずだが、ホテルのフロントは『バスなど知らない』というので仕方なく、Grabにした。空港は昨日の駅より更に遠く、1時間弱かかり、料金も相当かかった。何でこんなに遠いのだろうか。途中で雨も降りだす。

空港にはかなり早く着いたので、色々と眺めてみた。到着便から降りてくる乗客には欧米人も多く、リゾート島へ向かう人々の中継地がこの空港だと分かる。ここからバスとフェリーで思い思いの島へ行くらしい。出迎えの旅行業者も多く、チケットもここで買える。次回は島へでも行ってみようか。

チェックインカウンター、荷物検査ともかなり混んでおり、もうコロナの時代は終わり、観光事業が蘇ってきたことを告げていた。お気に入りのタイライオン航空に乗り、1時間ちょっとで無事にドムアン空港に戻る。空港ではきれいな夕日が出ており、気分良くバンコクの宿へ帰った。

トラン、スラッタニー旅2022(3)トラン散策2、そして鉄道旅

10月26日(水)トラン散策2

翌朝も昨日の早茶屋へ行った。店が気に入ったこともあるが、この店では点心だけでなく、 ジョークが旨いとの情報を得たからだ。食べてみると確かにめちゃくちゃ味付けが良く(米つぶし少な目)絶品だった。更にトランの名物焼き豚(豚の丸焼き)も頼めば出してくれるので、一つの店で色々と食べられ、大満足できる。特に豚肉はジューシーでうまい。点心と合わせて食うと、何となく香港を思い出してしまう。

食後はまた散歩に出る。特に目的地もなかったので、ちょっと郊外にあるシーナカリーン公園まで30分ぐらい歩いて行く。かなり広々とした公園に、市民がジョギングしたり、散歩したりしていて、とても気持ちが良い。そういえばここにも時計台があった。帰りに宿の近くの線路でバンコクからやってきた電車に遭遇した。鉄道員のおじさんが踏切で旗を振る。これから電車に乗るので何となく気分が盛り上がる。

宿に戻ると2階に立派なプールがあることを発見した。だがそこへ行ってみると、何と子供たちが潜水の練習をしているではないか。これはホテルとのタイアップ企画らしい。付き添いの大人たちが暇そうに眺めている。ホテル側も客を増やすため、色々と対策を練っている。12時にチェックアウトして駅へ歩いて行く。途中鳥かごを売る店が何軒かあった。そんなに需要があるのだろうか。

スラッタニーへ

電車の時間より1時間前に駅に着く。本来はランチを食べてから乗るつもりだったが、体調も考量(食べ過ぎ)して、食べないことにした。すると時間が余るが仕方なく、ホームで大人しく、タイ人乗客の動きを観察して過ごす。駅員に聞いたら乗るべき電車はディレー?だという。タイ国鉄、これまた仕方がない。

1時間ほどホームで待っていると、いろいろなタイ人が来る。乗車するより見送りの方が多いらしい。皆思い思いにお話ししながら待っている。まあ待つのもまた楽しいのかな。そう思っていると意外に早く列車が来てほぼ定刻出発となった。慌てて自分が乗るべき二等車両を探して乗り込む。貨物車両に荷物が沢山積まれていく。駅員がベルを鳴らして見送ってくれる。

座席はゆったりしており、エアコンはなく、扇風機が回っているだけが、窓から吹く風が気持ちよい。乗客も多くはなく、緩い時間が過ぎていき、完全に我を忘れて、いい気分になる。さっき汗で濡れたTシャツを車内で干したが、風で結構乾く。2等は座席が柔らかくてよい。3等の方そうな座席には若い軍人さんが沢山乗っていた。

今回の目的地、スラッタニーまで10以上の駅に、各駅で停まる。コロナ前はもう少しあったはずの列車本数は、今はバンコクまで1日2便しかなく、選択肢は極めて狭い。乗客にとって車掌が切符のチェックに来た以外は全くフリーだ。どこの駅も線路を跨いで乗客は自由に乗り降りしている。田舎の風景がずっと続いていたが、途中パラパラと雨が降ったり、バンコクに近づくにつれてだんだん暗くなっていく。

4時間弱でスラッタニー駅に到着し、列車の旅は終わった。さすがに乗る客は多いが、降りた者は多くはない。実は4年ほど前スラッタニーに来たことがあったが、その時なバスで到着したため、列車の駅の場所も良く分からない。駅舎はかなり小さい。駅の周辺を見てもバスなどが走って様子はなく、近所にあったタクシースタンドで聞いても、観光客向けに高い料金を言ってくるだけで乗せる気もない。

トラン、スラッタニー旅2022(2)トランを散策する

10月25日(火)トラン散策

翌朝は狙っていた近所の早茶屋へ向かう。完全な華人経営(元は旅行会社もやっていた)であり、お客も華人の顔をしているが、店員はタイ人が多く、華語を使う場面はない。点心は魚のすりみなど実にうまし。華人オーナーに話し掛けようとしたら向こうから英語が飛んできた。

食後散歩していると大きなタイ寺があり、その向かいに天福宮の文字が見えた。中に入ると管理人が出てきて、きれいな華語を話す。100年以上前に移民してきたらしいが、祖先がどこから来たのか、自らの原籍を知らないという。ここは福建系ではないのだろうか。それでも華人(年配者)はこの地でちゃんと華語を学んでいたことが分かる。今の若者は全てタイ語で話してしまうようだ。

ここから大観音が見えたので、登って行ってみる。途中道を間違えそうになったが、車に乗った華人女性が英語で道を教えてくれた。更に細い道に入ると自転車に乗った華人の老人とすれ違う。彼も普通に華語を話したので聞いてみると、姓は黄、ヤラー県生まれの潮州系で、薬屋を開くために商売に適したここに移住して数十年も経つらしい。

トランの華人勢力は広東系、福建系、潮州系の順番だと黄さんは言う。100年以上前貿易で栄えた街で、ペナン、プーケット方面から来た華人が多く住んでいる。黄さんが若い頃は華人学校で皆が華語を学んでいたが、今はバラバラになっているため、華語を話す人は確実に減っているとか。

大観音まで登る。誰が建てたのか、説明もなくよく分からない。そして特に寺があるわけでなく、人も常駐していない。ただただ街の(華人の)シンボルのように小高い丘に建っている。近所に天后廟があったので寄ってみたが、華人でなくタイ人管理人一家が廟を守っていたのは意外だった。タイ語が分からないため、その経緯などを聞くことは叶わなかった。この付近には犬が多く、吠えられるので早々に退散した。

宿まで戻ってくると隣にいい雰囲気の建物が見えた。近づくと何とホテルとして使われている。次回トランに来る機会があればここに泊まってみたい。今日の昼は昨日失敗したホッキンミーにありついた。これは濃厚なスープともちもち麺の組み合わせで確かに美味い。観光できていたタイ人若者も迷わず頼んでいた。ペナンで以前食べたのとよく似ている。50bで満足。

食後フラフラと歩いて行くと、チュワン首相生家というのがあった。チュワン・リークパイ(中国語: 呂基文)は、1938年にこの地で生まれた華人であり、タイの首相(第27・30代)にまでなった人物である。現在も政治家を続けており、ある意味でトランを象徴する人ともいえる。実は私にホッキンミーの店を教えてくれたのも、バンコクに住むチュアン一族の一人であった。

形ばかりの警護門があるが、中に入ると誰もいないので、説明を受けることもできなかった。どれが家なのか、敷地が広大でよくわからない。奥の方まで庭が続いており、小さな池もある。温室などもある。何だかトイレがとてもおしゃれだ。それから街をゆっくり歩いて宿へ帰る。途中に大きな寺などを見る。

午後はまた激しい雨が降る。スコールというべきだろうか。しかし2日続けて夕飯に行かないのも詰らないと思い、宿で傘を借りて出掛ける。マッサマンカレーも名物だと聞き、ネットで調べた店を探す。ところがその情報が正しいのかどうか、かなり歩くもなかなか見つからない。Google検索もできないので諦めかけたその時、奇跡的に目の前に現れる。ちょうど雨も上がった。

ここはイスラム教徒の経営だった。マッサマンと言うと何とか通じる。取り敢えずチキンを注文。美味しそうなカレーにきゅうりが付け合わせで付いてくる。ここではきゅうりを一緒に食べないのは反則らしい。調理場を覗くとチキンだけでなく、魚や煮卵など美味しそうなものが並んでいたので、思わず皆注文して合わせて食べる。

ちょっとスパイシーだが実に美味しく、日本人に合うお味だ。応対してくれたのは高校生ぐらいの女の子。英語ができるので、少しお話したところ、日本人がこの店に来るのは珍しいらしく、とても喜んでくれた。最後に支払いをしたら、お釣りが無いと言って、隣の店に走っていく姿が何とも愛らしい。