香港マカオ茶旅2024(4)消えゆく香港

宿で荷物を取り、もう一度バスに揺られて、フェリー乗り場へ取って返す。たいした時間でないからよい。買ったチケットの時間より2本速いフェリーがあり、それに簡単に乗れるのが香港式だ。ただフェリー自体の到着が遅れ、ちょっと時間はロスしたが、何とも懐かしい船旅となる。フェリー自体は特に変わっていないが、私が乗った船は遅い方だと気が付いた。

1時間半近くかかってようやく上環のターミナルに着く。実にスピーディな入境対応で有難い。出口を出ると、すっかり景色が変わっており、MTRの駅への道が分からなくなっていた。MTRも昔はここが始発だったのだが、現在は大勢の人がやってくる電車を待つ駅になってしまった。

たった一駅乗ってセントラルで下車。ここで今回の用事を済ませる。香港も色々と面倒になっていると感じる。そういえば、台風が近づいていた。既にシグナル1が出ており、明日は8になるだろうと言われると、何となくウキウキしてしまうのは昔の習慣だろうか。何しろ8が出れば会社は休みだったから。

目の前にマンダリンオリエンタルホテルがあったので、思わず入ってしまった。30年前シグナル8直前に帰宅する際は、いつもここのフルーツパウンドケーキを買ったものだ。2階にベーカーリーはあったが、フルーツは既にバナナに変わっている。これを聞いた年輩の店員に『よくご存じね』と言われたのは、ちょっと嬉しかった。

取り敢えず用事は終えたので、TST側の予約した宿へ向かった。昔からあるホテルだが、料金が昨年と比べたら半額だろうか。これも中国経済低迷の恩恵?と言っていいのか。かなり広い部屋で、かつ窓からの景色もあるのは嬉しい。これなら偶には香港へも来られるだろうか。

少し休んでから、またMTRに乗る。今晩はYさんと待ち合わせ。場所は初めて行く(いや、その昔は行った?)彩虹。駅を出ると、昔懐かしい香港の下町風景が現れる。そんな通りを歩いて行くと、古めかしい建物が見えてくる。今晩ご飯を食べる老舗食堂だ。遠くに高層ビルが見える中、平然としているようにみえる。この地域は開発から取り残されているが、いよいよ数年内には立ち退き、再建が始めるらしい。

昔は大賑わいだったというこの店、今日はなんだか空いている。景気低迷の煽りだろうか。クリスピーチキン、イカのフリッター、上湯野菜がテーブルの上に乗る。何とも嬉しい夕飯だ。1つずつの皿が大きいので、2人ではこれ以上食べられないのが残念だった。Yさんと近況を話しながら、ゆっくりと食べていく。もうこの風景は見られないかも、と思うと何とも悲しい。

9月5日(木)シグナル8発出

朝起きてテレビを点けるとシグルナ3になっている。しかも夕方には8が出るだろうと言っている。これは急がないと全てが止まってしまう。まずは今の宿を出て近所に引っ越した。さすが香港、昨日は安かったこの宿、今日は料金が跳ね上がっていた。仕方なく新しくできた宿へ荷物を預ける。今晩はここに籠城することになるだろう。

朝ご飯を近所で探し、パッと入る。50ドル近くする立派な朝飯セット。まあボリュームもあるので満足せざるを得ない。宿の料金は乱高下するが、物価は急には下がらない。MTRでまた香港島へ渡り、昨日の続きの所要を済ませる。そしてそのままトラムに乗り、上環へ回る。

福建茶行、5年前にミャンマー華商の調査で突然訪れた茶行。すると何と中に知り合いが座っていてびっくりしたという思い出がある。その時に会ったオーナーの楊さんと再会したが、私のことは覚えていなかった。それでも1950₋60年代の香港茶市場の様子を色々と話くれたのは、何とも有難い。台湾白茶、プーアル熟茶、六堡茶など、貴重な証言を得る。

ついでに近所の堯陽茶行にも立ち寄る。番頭さんと挨拶して、オーナーの王さんに色々と聞いてみたが、王さんが茶業の携わったのは遅かったので、昔のことはあまり知らないという。もうこういう歴史調査も限界が来ていると感じる。特に香港のようにビジネス第一の世界では歴史を辿るのは難しい。

香港マカオ茶旅2024(3)マカオ散策

これでマカオでのミッションを果たしたので、ここからは自由だ。バスに乗って林則徐記念館を目指した。蓮峯廟というかなり古い寺があり、その敷地内にあった。マカオ返還直前に建てられたこの記念館、やはり中国の息がかかっている。マカオでもアヘン貿易はかなりあっただろうから、この辺の歴史が中心だ。

それから反対側の古廟を見て、坂をだらだら上っていく。モンハの丘、と呼ばれ、アヘン戦争当時砦があった場所だ。この上からはマカオが良く見えたが、今は何もない。この下で1844年にアメリカと望厦条約(中国がイギリスと南京条約を結んだことに習う)が締結された歴史的場所でもある。20年前にマカオ歴史散歩をやった時に歩いているはずだが、何も思い出せない。

そこからバスに乗り、タイパ島に向かった。10数年ぶりだろうか。バスをちょっと乗り間違えて、目的地から少し離れた場所で降りたら、そこには教会があり、結婚写真を撮るカップルなどがいる。こんな場所もあるのかと、初めて知るが、観光客も多い。その先に昔行ったポルトガルレストランがあったはずだが、どうしても見つからず、迷子になる。

この付近は観光客が多くて疲れる。取り敢えず適当にポルトガルレストランと書いてある店に入ったら、ちゃんと1席だけ空いていた。面倒なのでセットランチを頼んだが、残念ながらそれほど美味しいとは思われなかった。アラカルトで頼めばよかったのかもしれないが、それだと昼から大盤振る舞いになるので止めた。店員が私に広東語で話し掛け、英語で返すと首を傾げていた。

その辺をフラフラしたが、疲れてしまい、またバスに乗る。橋を渡るとリスボアが見えたので思わず降りてしまう。私が1987年に初めてマカオに来た時、ここのカジノで訳も分からず『大小』をやってちょっと勝ったいい思い出がある。中に入ってみると、その昔とは雰囲気ががらりと変わり、観光客が行き交う場所になっている。その数もずいぶん減っているように見えたがどうだろうか。

ナタを売る店は相変わらず客でごった返しており、お気に入りのホートン図書館へも行ってみたが、残念ながらエアコンもなく、暑くて退散した。宿で休んでから夕方出てみるとちょっと涼しくなっている。麺でも食べようかと歩いていると、潮州系の魚蛋麵があった。ただなんとカレーも付いているのは、マカオ風に仕立てたということだろうか。

9月4日(水)香港へ

今日は香港への移動日。朝ちょっとだけ媽祖廟に寄りたかったのだが、何と道路工事で大渋滞が発生していた。仕方なく、反対側のバスに乗り、フェリー乗り場を確認しに行く。1990年代から2005年まで、一体何度このフェリー乗り場にやってきたことだろう。だが今や橋も出来て、タイパ島も大いに発展しており、このフェリー乗り場は何となく寂しい。バスも何だか遠くに停まってしまい、10分も歩いて何とか到着。折角なのでチケットを購入しておく。

帰りのバスも渋滞だったが、なんとか宿近くまで戻ると、ちょうど如何にも前世紀の遺物という感じの餐庁が出現した。ちょっと迷ったが、思い切って入ってみる。そこにいる客はおじさんのみ。朝から酒を飲んでいるグループすらある。店主も広東語で応対する。何とも懐かしい風景だった。

細い麺の焼きそばと点心を2つほど頼み、後は茶を飲んで過ごす。この点心と茶の組合せは絶妙(昔から食べなれているから)で、今や香港ではあまり見られない風景がマカオに乗っていることに涙する。ただ料金だけが数倍に跳ね上がっており、また基本的にマカオパタカで計算するのが祖国復帰後のマカオだった。

香港マカオ茶旅2024(2)マカオ英記茶荘を再訪する

何とか見慣れた通りでバスを降りたが、目指すホテルが全く見付からない。多少土地勘はあるのだが、なんだかおかしい。道路工事の影響だろうか。適当に歩いていると、あるはずのない所にホテルが忽然と現れて救われる。フロントの女性は最初から普通話を使い、パスポートを見せると『あんた、英語も出来るの、凄いね』という。きっと中国からの出稼ぎだろうが、愛想がよくて楽しい。

部屋は思ったより新しくきれいでよい。コロナ前はマカオのホテルも高騰していたが、今は中国の不景気のせいか、随分安くなったと感じる。有難い。そこから早めの夕飯を、と思い、昔行ったマカオレストランを探すがやはり見つからない。フラフラ歩いていると、十月五初街に出た。昔見た廟があり、明日行く予定の茶荘も健在のようだ。

その先をずっと歩くと、カレー屋があった。マカオ返還直前に出来た店で、実は結構有名らしいが、それほど客はいなかった。ここでも最初から普通話で話し掛けられ、鶏撈麺と凍寧茶を注文する。何となくアフリカンチキンと広東麺という組合せが好きだ。久しぶりに凍寧茶も香港を思い出させる。ただ料金はこれで日本円1300円を越える。やはり物価は高い。

日暮れ前のセナド広場に行くとさすがに観光客が多い。中秋節、如何にもここは中国だ。銀行で香港ドルを引き出そうとしたが、銀聯カードを使ったが出て来ない。理由は不明だが、機械に身分証をかざすところなどもある。懐かしい鉅記に入ると、蛋餅が売っており、つい買いこんでしまう。店の女性が『あんた、なかなか通だね』と言われてちょっと嬉しい。

9月3日(火)老舗茶荘へ

朝飯を探して外へ出てみる。まずは香港ドルを確保する必要があり、宿の横にあった両替所で持っていた人民元を変えてみる。最近マカオの料金表示はマカオパタカが多い。それをまた香港ドルに少し修正するのは面倒くさい。それでもマカオは香港ではない、という主張だろうか。

坂を上っていくと、食堂があった。何となくフラッとは入ってしまう。観光客が多いマカオ中心部で、ここは地元民もかなり来ている店。白粥と書かれていたが、滷肉拌腸粉に惹かれた。これは肉みそが実に美味い。この食べ方は潮州だろうか。粥と茶を入れても、それほど高くないのがよい。

そこから歩いて十月五初街へ。昨日も来たが、よく見てみると、まだ古い茶楼が残っている。ここで1960年代に六堡茶が飲まれていた、との記述を先日見ていたので、ちょっと感慨深い。その先にはその茶を供給したであろう、英記茶荘が見える。まだあってよかった、と中へ入ると、9年前に会った夫妻がいた。私は前回香港長洲島のお爺さんに言われて、ここのお爺さんに会いに来たのだが、お爺さんは何と昨年末95歳で亡くなっていた。

息子夫妻が店を引き継ぎ(9年前にはもう引き継いでいただろう)、今も昔ながらの商売をしていた。創業は1932年、この付近で唯一残っている老舗茶荘だ。息子にいくつか質問してみたが、前回のお爺さん同様、あまり明確な答えは得られなかった。正直茶の歴史についてはあまり興味がない、というのが本音ではなかろうか。

ただ白茶は政和産を以前から扱っていること、プーアル熟茶は散茶状態で雲南から仕入れて、マカオでも常連さんは散茶を買っていくことなどは分かった。以前は日本人客も多く買いに来ていたが、今やほとんど来ないともいう。私は前回買ってとても良かったプーアル散茶と壽眉を購入した。あまりたくさん買うと持って帰れないので少ししか買えなかったのは残念だった。

香港マカオ茶旅2024(1)香港空港からマカオへ

《香港マカオ茶旅2024》  2024年9月2日‐9月6日

チェンマイへ来て1か月。ちょっと外へ出てみようと思い、用事のある香港行チケットを取った。するとマカオの茶荘の歴史が知りたくなり、引き寄せられるように香港空港からマカオへ直行する。懐かしいマカオフェリーで香港へ上陸するも、これまた懐かしいシグナル8に遭遇し?さて、どうなる。

9月2日(月)チェンマイからマカオへ

朝起きるとすぐに朝食を食べに行く。今日は香港へ行く日なのだが、なぜかカオマンガイを食べている。いつものようにBoltで車を呼び、空港へ向かった。香港エクスプレス、今回私は予約間違いを起こしてしまい、多大な損害を被った。その一端はこの航空会社にも責任あると思うのだが、やはりボケの進行は深刻だった。そして香港は油断できない場所だったと改めて思い返して、地団太を踏む。

チェックインはスムーズで、香港・マカオのシムカードもAISで購入した。本当は中国・マカオのシムカードは既に買ってあったのだが、マカオから香港へ移る際にまた変更するのが面倒だったのだ。これで中国シムは期限が過ぎてしまうので、無駄になってしまったが、今やそんな頭も回らないので、シンプルに動くしかない。

フライトは順調で、座席は非常口。ここは有料席なのか、誰も座って来ないので、3席を独り占めした。ただでさえ普通より広いのでかなり快適な空の旅となる。でももし万が一のことがあったら、非常口は私が開けなければならない。そう思うと、初めてまじめに説明書を読み始めた。LCCは食事も何も出ないので静かな2時間半が過ぎる。

時差が1時間あるので、到着したらもう2時半だった。慣れ親しんだ香港の空港だが、今回はここで入国せず、マカオと書かれた方向に進んでいく。香港入境直前のところに、マカオ行きのバスとフェリーチケット売場があり、ここでパスポートを出すと、何と無料チケットをくれる。これはマカオの観光キャンペーンで、もし普通に買えば5000円ぐらいするらしいから、何とも嬉しい。

指示された場所を降りていくと、シャトルがやってきてバスターミナルまで連れて行ってくれる。今回私は預け荷物が無いので、ターミナルに着くと、すぐにバスまで直行して乗ることが出来た。何ともスピーディな展開に、久しぶりの香港を感じて、これまた嬉しくなってしまう。

バスには数人しか乗っていない。まあ平日の午後だからこんなものか。香港マカオ大橋なるものが出来ても、一度も渡ったことがなかったので、これはちょうどよい機会だった。橋は長く、単調な走行が続く。車もあまり走っていない。まあ香港空港からそのままマカオへ行けるのだから、文句は言うまい。

約40分でマカオ側に辿り着く。イミグレに向かうと、向こうから出て来る人々が多い。昼間マカオでカジノにでも行って、香港に帰るのだろう。それに比べてマカオへ入国する人は少ない。なので、広い入境審査場も、パスポート保持者の列は1列だけだったが、すぐに通過した。

ここからどうやって市内へ行くのか分からなかったが、バスがあるようだ。ところが香港ドルの小銭が無いので、支払いが出来ない。コンビニに戻ってマカオパスなるものを購入したが、何と130ドルもする。デポが30ドルらしいが、これはどうやって返却されるのだろうか。説明などは当然何もない。

バスはリスボア方面へ行くらしいが、いきなり中国国境の横を通った。そうか、珠海にも行けるのだ。だが我々日本人はビザが無いと難しい。満員のバスはどこを走っているのかよく分からない。そして何だかGoogle Mapもちょっとおかしい。バス停などの表示が合わない。どうしてだろうか。

チェンマイ滞在記2024その3(4)チェンライ茶旅

8月30日(金)チェンライ茶旅

ついにこの日がやってきた。今日はドームの車でチェンライ方面へ行く。前回の温泉たまごの場所でのんびりしてから、メーカチャンという場所を通過した。その地名、何かあったぞ。そうだ、老舗茶荘があるはずだと探すと、その店は道路沿いにすぐに見つかった。店名に漢字があり、釜炒り茶などを売っている。

90歳近い創業者が生きているはずだと聞くと、何と隣の家にその人はいた。中国語で話し掛けるとちゃんと返事がある。この曽さんの人生が実に興味深い。潮州人で戦後バンコクに渡り、なんとあの三馬で焙煎師をしていたという。その後40年ほど前にここメーカチャンに移住して、紅茶作りを始めたというから驚きだ。今は引退して息子たちが別々に家業を継ぎ、訪ねた家ではあのタイ茶の粉を作って儲けていた。こんな出会い、考えられない茶縁。

そんなこんなで時間を使ってしまい、何と目的地には全然着かないことが分かって慌てる。チェンライ手前で山に入って行く。昨年も来たのでタカを括っていたのだが、意外や遠かった。予定時間より何と1時間近く遅刻してしまった。それでも老板は待っていてくれ、早々にプーアル茶の話が始まる。

今回のチェンマイ滞在の大きな目的がこのタイ北部で作られたプーアル茶の歴史解明にあった。最近は頭の回転も鈍くなり、なかなか点と線が繋がらない状態だったが、今日はどえらい線が繋がってしまい、我ながら驚く。この付近で作られたのはプーアル茶だけではなく、六堡茶もあったということか。

話し込んでいると昼になってしまい、次の約束に急ぐが必要があったが、ランチにと、麺が出てきた。雲南麺だろうか。この味が実に美味くて、何とお替りしてしまった。そしてまだまだ聞きたいことがあるので、10月末に再訪する約束をして、ようやく老李村を離れた。茶園は相変わらずきれいになっていた。

ここからチェンライ市内へ向かう。近道はドイチャーンの山越えだというので、それにトライするも、途中には水が溢れている場所があり、何とか通れたからよかったが、普通の車ではとても通過できない状況もあった。雨期の山はやはり怖い。元々2時に約束してが、3時過ぎに何とか市内に入り、店を探した。

天元茶行の女性社長と会うのは4年ぶりだった。店に来たのは初めてで、品ぞろえがどんどん増えているのに驚く。そして彼女自身、ビジネスを広げて忙しく、なんとこれからバンコクに飛ぶというので、30分だけ話を聞いた。彼女の一族は雲南回族であり、先ほどのプーアル茶作りの一部も回族が担っていた。だが彼女自身はその歴史を知らないといい、親戚に聞いてみる、ということで面談は終了した。

帰りは夕暮れの道を走り、道に慣れたドームの快走もあり、僅か3時間でチェンマイまで戻ってきた。今日一日で大いに収穫があったが、折角チェンライまで行ったのだが、もう2₋3日調べてみたかった、というのが正直なところだが、車が無いと何もできないので致し方ない。

8月31日(土)近所のラーメン屋で

昨日の日帰りは意外と体に堪えた。昼前に麺を食べに出た。近所にある麵屋だが、朝は開いておらず、昼は満員でなかなか食べる機会が無かった。今日は席があったので鶏肉麺を食べてみる。木の枠組みが使われているなど、老舗なのだろうか。家族経営、華人系だろう。スープが美味い。そして麺はほぼ50バーツだから人気なのはわかる気がする。

夕方、もう一度出かける。ニーマンで何か食べようかと思って歩いていると、気になる看板が出ていた。ラーメン屋だった。タイ人経営だとは思うが、何となく日本的雰囲気もあるので、ちょっと覗いてみた。土曜日の夕方でお客が二組居たが、なんとどちらもロングステイの日本人年配者だった。『あの人病気らしいよ』とか『帰ってこないね』などの会話が聞こえてくる。ラーメンはシンプルで、餃子もそこそこ、代金も高くないのだが、何だか次に行こうとは思わない雰囲気で店を出た。日本語に嫌悪感でも出てきたのだろうか。

チェンマイ滞在記2024その3(3)食事のバリエーションが増えていく

8月26日(月)和食ランチとジョーク

何だか日はどんどん過ぎていく。それでいいのか、分からないが、ゆったりとした時間が流れているのは良い。今朝は朝パンを食べて11時前に先日の和食屋へ行く。昼はランチがあるらしい。しかも170バーツで、ドリンク無料。更に行ってみると一口カレーもセルフでよそえる。これは素晴らしいが、こんなに大盤振る舞いで大丈夫なのだろうか、経営は。豚肉味噌焼き、ちくわの磯部揚げ、トマト卵炒めが弁当箱に入っていた。何とも嬉しい昼ごはん。

今日は昼で満足してしまったが、夕方散歩に出た。お屋敷街にはリスが走り回っている。堀の方を巡っていると夕暮れが近づき、言い感じの景色が見られる。お寺の雰囲気も随分と変わる。堀沿いに歩いて行き、懐かしいお粥屋へ入った。本当は点心が食べたかったのだが、残念ながら夜はなかった。いつものジョークを啜る。夜の寺のライトアップがまた良い。これからは時々夜も散歩しよう。

8月27日(火)巨大なホテル

今朝はゆっくりして、昼ごはんにガイヤーンを食べに行った。ニーマンにあるこの店、白人さんたちも多く訪れており、満員盛況だ。最近は特にガイヤーンが食べたい、という気分にはならないのだが、煙が上がっているところに通り掛かると、何となく入ってしまうという悲しさ。まあ、旨いんだから文句はない。

食後は散歩を基本とする。ニーマン付近を歩いていたが、何となく堀の方向へ向かっていく。懐かしいヌードル屋があったので、次回は行ってみよう。その先に大きなホテルがあった。昨年知り合いの夫妻がここに泊まったのを思い出す。随分と立派なホテルだと外装から判断したが、料金はかなり安いらしい。

併設されていたショッピングモールが無くなり、表通りからも遮断され、一方大きな木々に囲まれており、夜ホテルに戻るのはちょっと怖いらしい。ホテルに入ってみるととても立派なロビーが待っていた。中国人観光客が泊っており、中国語が響いていたが、客は多くなさそうだ。この向こうには表通りに面した、昔の一流ホテルがあるのだが、この付近立地は悪くないと思うのだが、随分と落ち込んでいるようだ。

夕飯は近所の食堂に久しぶりに入る。ここも緊急時などに使うだけで、私の食事ルーティーンには入っていないが、偶に入っておこうと考えた。女性ばかりでやっており、白人さんも来ている店。タイ料理から、サンドイッチなどまでメニューは多い。今晩は魚フライサンドを食べてみる。私はマックで言えばフィレオフィッシュが好きなのだ。

8月28日(水)ラムカレー

今日も朝はパンをかじり、昼前に外出。近所には立派な邸宅だけが並ぶ地域があり、そこに住むタイ人女性は、道で会うと丁寧に挨拶してくれる。その付近を歩いていると、今日もリスが一生懸命走っていた。その向こうへ行くと、今度は猫が塀に登ってこちらを見ている。何とも豊かな光景だった。

これまで2度行って、2度とも閉まっていた食堂に再チャレンジし、ついにご飯にありついた。ここは外国人にもかなり評判が良い店。何といっても、一膳めし屋ではなく、カフェ風の作りが良い。食事は置いてあるものから選び、ご飯を添えてもらって食べる。2品選んで、スープは無料、75バーツは言い感じだ。料理も悪くない。やはりメニューが分かり難い場合、目の前にあるものを指すのは確実だ。

午後ネット検索していると、突然チェンマイのカレー屋に行き着いた。見てしまうとどうしても食べたくなってしまい、夕方早い時間にその店へ行く。ニーマンにあるので歩いて10分ほどで着く。いつも通っていた道だが、インドカレー屋だとは気が付かなかった。こういう検索をやらないので、一向に店を知らない。

お目当てはラムカレー。ネットに書かれていたのよりかなり料金が高くなっていたが初志貫徹。タイでラム肉を食べるのはあまり記憶がないのでチャレンジだ。確かに美味しいのだが、コスパとしてはどうだろうか。そして隣に座っていた3人組は何と日本人で、インドに浸りたい私には日本語は結構邪魔だった。

チェンマイ滞在記2024その3(2)アカ族のタンブン

今回連れて行ってくれたのは、チェンマイ大学手前のレストラン。その昔はドイステープ帰りの外国人観光客で賑わったという老舗だった。だが土曜日でもお客は多くない。今や至る所におしゃれなカフェやレストランが出来ており、老舗は検索でも引っかからなくなっているのだろう。またチェンマイ大学へ向かう通りは土曜日の夕方大渋滞しており、これも一つの要因かもしれない。ただこの車もチェンマイ大学付近に出来た夜市に向かう渋滞のようだった。

メニューを見ると、サンドイッチなどの洋食系もあり、またタイ料理も多く載っている。タイ料理といっても華人系の料理が多く、結局日本人も欧米人も中国料理系が食べやすい、ということだろうと想像する。チャーハンや春巻きを頬張る。横にはパン屋が併設されており、ケーキやお菓子も売っている。懐かしいバタークリームが目を引き、思わず少し買って帰ることになる。

8月25日(日)アカ族のタンブン

朝ボーッとパンをかじっていた。今日は天気がいいな、と外を眺めていると突然Hさんから連絡が入る。『今からアカ族のタンブンがあるから来ませんか』と書かれており、ちょっと面食らう。私が知るアカ族はその多くがクリスチャンで、仏教徒の行うタンブンという言葉が相いれない。とにかく折角誘われたので、何事かと急いで出掛けることにする。

メージョー大学近くのアカ族村までBoltで行けるのかとても心配だったが、車はスイスイと進み、見覚えのある寺(週2回市場が開かれる)なども通り過ぎ、あっという間に寺の教会に到着した。前をちょうどHさんが歩いており、合流する。取り敢えず教会横の村のカフェでドリンクを飲む。何だか若い女子を中心に皆が集まっており、お客は多い。ドリンク代は安い。

そこからタンブンがあるという村人の家へ行く。そこでは何と、神父さんがミサを行っていた。これは日曜礼拝の続きをその家に移ってやっているらしい。外にも椅子が沢山置かれ、大勢の村人が話を聞きながら待っていた。今日のタンブンというのは、新車購入のお祓い、のようだった。これはタイのお寺でよく見かける風景だったが、この村はほぼクリスチャンなので、神父さんが代行しているという理解でよいのだろうか。この辺が地元の伝統信仰とキリスト教が混ざり合っている、ということなのか。

食事の時間がやってきた。テーブルに案内されると、数人が席に着く。向こうに座った若者が突然『アンニョンハセヨ』と言ってきた。彼は韓国に3年出稼ぎに行っていたらしい。振り向くと近くのゴルフ場でキャディの仕事を終えた女性が入ってきた。実は村人は色々な仕事を持っている。こういう場では村の様子が意外と見えて面白い。

食事は結構辛かったが、味は良くてご飯を一緒にバクバク食べてしまった。この日のために豚さんが天に召されたようだ。新鮮な茹でた野菜にタレをつけて食べると旨い。裏庭ではHさんの奥さんらが、豚の煮込みを作っている。これまでも山岳民族の食事を何度か頂いたが、なぜこんなに美味しいのだろうか。

食後Hさんが出掛けるというのでついて行く。車で向かった先は、何とメージョー大学近くのケーキ屋さん。奥さんの親戚の女性、今日が誕生日らしい。だがこのケーキ屋に売っているのは、ドラえもんなど描かれた子供用ばかり。それでもHさんはそれを買い、村に持ち帰ってさっきのカフェで彼女に渡している。大人の彼女だが、喜んで写真を撮っているのが良い。そこに奥さんが登場して『夜の誕生会のサプライズだったのに』と言って立ち去る。ここで私の滞在は終了となり、わざわざ車で送ってもらって、宿まで帰ってきた。

チェンマイ滞在記2024その3(1)近所のご飯

《チェンマイ滞在記2024(3)》  2024年8月23日‐9月1日

8月23日(金)カオスイとかつ丼

朝、香港行のフライトを予約したのだが、昼になってもコンファメーションが来ない。航空会社のサイトから直接予約したので間違いはないと思うのだが、どうなっているのか分からない。クレジットカードも新しくなったが、残念ながら決済ではねられてしまっている。全く状況が良くわからない。

昼に麺を食べに行く。宿のすぐ近くの有名店は連日長蛇の列で、今日など混乱からけんか?も起こっている。チェンマイカオスイ一杯食べるのに、こんなに並ぶ必要があるのか、と内心思いながら、その横をすり抜けて、近所のカオマンガイ屋へ向かう。先日ここで出会った日本人から『実はカオソイも旨いよ』と聞いていたので、一度食べてみることにした。

この店は美味しいと思うのだが、お客はそんなに多くはない。料金も変わらない。チェンマイカオソイは、見た目も良く、味も良い。観光客というのはどうしても有名店で食べた、ということが大事であり、インスタ映えするので仕方がないが、今や地元民の私にはここがちょうどよい。そしてここで出される無料のお茶が濃い。これは華人の特徴であり、何とも参考になって有難い。

夕方また外へ出た。ニーマン方面へ向かう。ニーマン交差点からそう遠くない場所に和食の店があるというので、ちょっと覗いてみることにした。正直海外に居る時は、さほど和食が恋しくならない私だが、4か月も滞在となると、一応手軽な場所を押さえておきたいと思った。だが、Googleを頼りに歩いてみても、その場所に行き着かない。

非常にひっそりとその店はあった。海外の和食屋にありそうな雰囲気もない。早い時間でお客もほぼいない。ただメニューを見るとしっかりした日本語であり、料理も日本食(タイ式ではない)、という雰囲気が出ている。取り敢えず試しにかつ丼を食べてみる。何とドリンクは、緑茶や水などが無料で飲める。これはタイの屋台式であり、好感が持てる。

かつ丼はしっかりかつ丼だった。味噌汁も問題がない。これで160バーツなら安いと言えるだろう。店には日本人の姿は見えないが、奥にいるのだろうか。従業員のタイ人の愛想も良い。ロングステイのお爺さんが一人で食べていたり、タイ人親子が焼き魚を食べていたりと面白い。これは時々訪ねてしまうかもしれない。

8月24日(土)老舗へ

週末はお休みにしようと考えて、ゆっくりと起き上がる。ランチにダンバウ(タイ語はカオモック?)を食べに行く。自分がお美味しいと思えるものを手じかな場所で安い料金で食べられるのは何とも有難い。何とか調べ物を進め、文章の一つも書こうと思うのだが、どうしても気力が沸かず、進まない。更年期障害、というのだろうか。どんどん疲れを覚える。

香港行のフライト、予約が取れていないと思い、別サイトから別日で予約したら、あっという間に予約が完了した。だが何となく不安が過り、もう一度最初の航空会社に問い合わせたら、何と予約済みとの回答が来てしまう。こういうのはある意味の詐欺ではないかとも思うのだが、人生初のダブルブッキングに見舞われ、かなり落ち込む。

夕方Nさんが車で迎えに来てくれた。昨年からチェンマイに来ると時々会っているのだが、色々と忙しいようで、なかなか時間が合わなかった。チェンマイの事を教えてくれるので実に有り難い存在だが、あまり煩わさないようにしようと思う。チェンマイに住む人にとって、私のような存在は、迷惑な場合もあるだろう。

チェンマイ滞在記2024その2(5)メーチャムに原生種を探しに行く

どんどん田舎の山道を進んでいくが、茶樹は全くない。あるのはトウモロコシやキャベツの畑ばかり。途中に鄙びた村があるだけで人の気配もない。山の中に入っていくと、舗装されていない道路は雨季のために水が溜まり、まるでオフロード走行のようになる。それでもドームはプロのドライバーを自認してツッコんでいくから非常に怖い。

どれぐらい時間が経っただろうか。もう目的地目前という場所まで来ると、何と前方は完全に塞がれており、泥水で車のハンドル操作も危うい。通りかかった村人に聞くと、この先は車ではとても無理、と言われてしまい、5時間もかかってやってきたのに、ここで断念することになってしまった。すごすごと引き返していくと、バイクが通りかかり、もう一度聞くと、何ともう一本道はあるというではないか。

これ幸いとまた山登りを始めたが、やはり5㎞ほど行くと、前は通れない。無理やり車を突っ込ませたら、泥が跳ねあがり、窓を開けていた私は泥だらけになってしまう。そこにやってきた警備のおじさんも『無理だろう』と言って、来た道の方を指さす。万事休す、やはり雨季に山に来てはイケない。山を舐めてはいけない、と分かる。

景色の良い場所で写真を撮りながら、気を紛らわせる。この周辺はカレン族やモン族が住む地域らしく、モン族マーケットに寄ってフルーツを買ったりする。車はまさに泥だらけ、私の心も泥だらけ、となる。まあ乾季にもう一度チャレンジしようと話して、合計10時間の旅を終える。

8月22日(木)ミッドイヤーセール

何だか疲れが抜けない。メールを見ると、何と私のクレジットカードがカナダで不正使用されたらしい。幸い被害はなかったが、これは私が使用したものではない、とクレカ会社に届け出ると、その瞬間そのカードは停止されてしまい、新しいカード発行の手続きに入ってしまったらしい。何と海外に長期滞在していては新しいカードも受け取れないのだ。どうするんだ、これ。

まあ考えても仕方がない。またMayaまで歩いて行き、打滷麺を食べる。甘めの味が気分転換にはちょうど良い。チェンマイ空港到着時にバッグが壊れてしまったが、ここには良さそうなバッグも沢山売っているのでちょっと安心して買わずに帰る。

Hさんから連絡があり、夕方出かける。Hさんの車で向かったのは、コンベンションセンターだった。ここでミッドイヤーセールをやっているというのでやってきた。食べ物や服のブースなど、数多くの出店があるが、平日の夕方だからか、お客はそれほど多くはない。観光客が来るような場所でもない。面白いのは豚がいたこと。餌を買って豚にあげるらしい。その横では金魚すくいが行われている。その向こうのウサギはどうするんだろう。激しく雨が降ってきたので、皆帰れず困っている。

何とか車に乗り込み、Maya付近まで戻る。どこか夕飯を食べられる場所を聞かれたが、紹介できるようなレストランを知らない。突然先日知り合いから送られてきた中国料理屋を思い出し、行ってみることになる。何と雨の中、お客は我々しかいなくて、ちょっと心配になった。

だがその料理の味はなかなかのもので、代金もリーズナブル。その昔チェンマイ在住日本人が良く来ていたような雰囲気で、何だか味付けは潮州料理っぽい雰囲気がある。聞けば40年ほど前はバンコクで店を開いていたとか。今は静かにチェンマイで営業している。見るとお婆さんの顔は完全に華人だった。

チェンマイ滞在記2024その2(4)Tea Galleryへ

8月19日(月)Tea Galleryへ

昨日と同じ道を歩き、トップスマーケットに寄る。ジュースが安かったので買ったのだが、現金支払いの場所が少ない。機械操作はタイ語で難しい。困ったものだと思っていたら、お姐さんが手招きしてくれ、何とか支払いを済ませる。周辺を散歩するとのどかな光景が広がっていた。

昨日訪ねた宿は係員がいなかったが、今日行ってみたら案内してくれた。部屋は2種類しかなく、家具のきれいさ、内装のリノベーションなどで分かれているようだった。基本的に広くてよいのだが、安い方の部屋には机もなく、ちょっとダメだな。道路に面していない部屋は、遠くにお寺が見えていい雰囲気だった。係の若い女性は英語をちゃんと話していたが、実は現在YouTubeで日本語も勉強しているという。この宿には日本からマッサージ師の資格を取りに来る日本人も泊まるらしい。1泊から泊まれるので使い勝手は良いかもしれない。

夕方Tea Galleryの馬さんに連絡したら、今なら空いていると言われ、急いでBoltを呼んでオフィスに向かった。彼女もどんどん忙しくなっているようで、明日はバンコクへ行くらしい。以前はミアンの歴史で大変お世話になったが、今回はプーアル茶の歴史の話を持ち込んだ。恐らく雲南回族はプーアルの歴史に関連があるはずだ、と言ってみたが、あまりピンとは来ていない様子。それでも親戚などに聞いてみると言ってくれた。何か出て来ないだろうか?楽しみだ。

宿へ帰ろうとBoltで車を探すも全く捕まらない。夕方5時台はそんなものかもしれない。バイタクを呼んだが、何と20分かかるという。その間、周囲を散策すると、古いお屋敷があることが分かった。かなりの規模なのだが、一体誰の屋敷だろうか。今も誰か住んでいるのだろうか。バイタクの待ち合わせ場所は、体育館。そこはバドミントンの文字が見える。今やタイのバドミントン界は世界的にかなり強い。若者の育成が上手くいっているのだろうか。

バイタクでターペー門まで走る。運転手はスピードを出さなかったので助かった。体に力を入れるのは今ちょっと苦手だ。折角なので、近所でカレーを食べることにした。昨年も来た店、創業70年の老舗だったが、お客は全くいなかった。チェンマイで一番美味いカレー、と書かれていたが、中は生姜だらけ。あれ、これが一番美味いカレーだっけ、とちょっと拍子抜け。

そこから懐かしい街を歩いて行く。1年半ほど前、1か月住んだこの付近。色々と思い出すことはある。他にも食べたい店がいくつかあったが、既に満腹で、散歩に専念する。日が暮れて、寺がライトアップされ、夜のチェンマイが出現する。私は酒も飲まないので、夜は出歩かないが、偶にはこういうチェンマイもいい物だと思いながら、ついに歩いて宿まで辿り着く。

8月20日(火)メーチャムに原生種を探しに行く

今朝はドームの誘いで朝から出掛ける。チェンマイ郊外で茶樹の原生種が新たに発見されたというニュースが流れていたので、それを見に行こうというのだ。従来この付近にはアッサミカやタリエンシスはあるはずだが、シネンシスの古茶樹があるとは聞いたことがなく、興味を抱く。

一体どっちの方へ行くのだろう。車はドイインタノーン方面へ向かっている。インタノーンはタイ最高峰の山。一度は行ってみたいと思っていたが、今回はその脇をすり抜けていく感じ。そして山越えを果たして、意外にも3時間かかってメーチャムという街に到着する。ここで一旦休息。何とここから山道を50㎞入ったところに茶樹はあるらしい。