メーソット旅2023(3)メーソット散策

次に向かったのは服のアウトレットショップ。子供たちはすぐに大きくなる。常に服を買う必要があり、安くて品質の良い服を売っているのでよく来るらしい。ここは縫製工場が直販している。見ると日曜日でも出勤した工員たちが働いている。大多数はミャンマー人で、宿舎に住み込みだという。タイもこのような労働者に支えられて、工場が成り立っている。汗水たらして働く人々、その横のクーラーの効いたカフェで美味しい飲み物を飲んでいるとちょっと複雑な気分になる。

それから車の修理場へ行く。車の修理点検もタイ側で行うという。ここの従業員もミャンマー人で会話はビルマ語だった。修理を待つ場所で、またドリンクを飲みながらゆっくりする。ガソリンはミャワディ側の方が安いとか、タイ側には新しい道路が出来たとか、そんな話を聞く。

午後2時頃になり、さすがにお腹が空いたので、やはり火鍋に行く。火鍋は昔からススが大好きであり、当然子供たちも大好きなようだ。もう食べ過ぎだと思っていても、何となく入ってしまうのが火鍋の特徴かもしれない。たらふく食べる。最後にマクロへ行く。ここでミャワディ側では手に入らない、または高い食材を大量に買い込み、車に積んで帰るのだ。そんなミャンマー人で店内は大混雑だった。

ここでタイムアップ。私のバスは夜8時半発だが、彼らの国境ゲートが先に閉まるので、その前に帰路に就く。今回も短い時間だったが、実に楽しく過ごした。疑似じいさんも堪能できてよかった。ホテルまで送ってもらい、そこで涙の別れとなる。彼らが去ると、ホテルに荷物を預け、付近の散策に出た。

この辺は旧市街地の趣があり、木造のものや洋風のものなど、建物が面白い。国境、交通の要衝だったこともあり、当然華人も多いので、廟なども見られる。ムスリムやヒンズー様式の寺も見られ、実に多彩だ。旧バスターミナルはすぐ近くだったが、今は近郊向けのみで寂れていた。私が乗るバスは空港脇の新ターミナルから出るため、そこまでテクテク歩いて行くことにした。

コロナ禍で一度閉まったホテルなどが復活してきているが、リノベーションしてオーナーも変わったようだ。中国資本の雰囲気がある。夕日が傾く中、そちらに向かって歩いて行くのは何となく楽しい。40分ぐらいかけてゆっくり歩くとあたりは暗くなる。ようやくターミナルに着いた。

バスは頻繁に来ており、何台も見送る。私のバスはバンコク行の最終。そうしないとバンコク到着が午前3時などとなり、向こうで動けなくなることを考慮したのだが、待っている時間はすごく長く感じられた。しかも予想通り大勢の人がいる。次々に様々な方面へ向かバスに乗り込む。私はタイ語も分からないため、乗り過ごさないよう注意を払っているので疲れる。

ようやく自分のバスが着て乗り込む。シートは快適で、申し分ない。最初は山道をかなり上り、バスはゆっくりと走った。途中に検問などもあるが、夜は真っ暗でよく見えない。過去に一度乗ったはずだが、全く記憶がない。寝入っていると途中でバスが停まる。専用休憩所に着いたので、降りて無料の麺を啜る。夜中にこんなものを食べて良いかなどとは考えない。無料だと手が出てしまう。

それから数時間、いつの間にかバンコク内に入り、時々人が下りていく。こんなところで降りてどうするのかと思っていると、ちゃんとバイタクが迎えに来ている。ついにモーチットのバスターミナルに着いたのは午前5時過ぎ。雨も降っている。街へ行くバスを見ると1台出て行くところだったので慌てて乗り込む。

BTS駅まで行くと既に明かりがついていたが、私が乗りたいMRTは6時からしか入口が開かない。仕方なくBTSに乗り、一度乗り換えてプロンポーンまで行く。ところが早過ぎて当てにしていたバイタクの姿はない。しかも雨が降っておりタクシーも捕まらない。その内小雨になったので、何と歩いて行くことにした。涼しい朝のバンコク、気持ちの良い散歩となる。最後にマックに寄り、ゆっくり朝マックを食べてから帰宅した。

メーソット旅2023(2)メーソットを眺める

メーソットで

車で今日泊まるホテルへ行く。この街ではかなり良いホテルらしい。プールが大きい。だがまだチェックインはできず、ドライブに出る。といっても行くところもないので、コロナ禍に開通したタイーミャンマー国境の橋を見に行く。最近までミャンマー国内の混乱により通行が制限されていたという立派な橋は、今は開通し、貨物を積んだトラックが列をなしている。ここは貨物専用で、人の往来は相変わらず従来の橋を使っている。

ランチに行く。街道沿いのきれいで、静かなレストランで、美味しいタイ料理を頂く。カズちゃんと会うのは3年ぶり。その時は赤ちゃんで、こちらの顔など覚えていないが、徐々に打ち解けていく。アイちゃんは常に意識しており、こちらの様子をチラチラと窺っているだけ。今日のメーソットは36度と暑い。

それから今度は第一国境へ行く。ここは以前歩いて何度か越えているので思い出深いが、日中の暑さのせいか歩いている人はほぼいない。車もあまり見られない。そして数年前と特に変化は感じられない。今回は残念ながらここを越えることはなく、メーソットで1泊してバンコクに戻る予定だ。因みに日帰りであれば、パスポートを預けて手数料を払えばミャワディ側に行けるようだ。

ホテルへ行き、チェックイン。広くてきれいで見晴らしも良い快適な部屋だ。今はこんなホテルが出来ている。午後4時ロビー集合というので行って見たが、誰もやってこない。きっと子供たちのことで遅れていると思い、少し離れたセブンまでドリンクを買いに行く。するとなんと一家はそこにいた。何で集合時間に来ないのかと聞いたら、『ミャンマー時間の4時』と言われ、唖然。そうだ、タイとミャンマーには30分の時差があることも忘れていた。スス一家は大量にお菓子などを買い込んでいる。

街の中心にあるロビンソンデパートへ行く。子供たちの目当てはここで遊ぶことだった。子供向けのゲームセンターは充実しており、多くの子供がはしゃいでいる。その中にはミャンマー側から来た人々もおり、知り合いとあいさつを交わしている。建物の外にはマーケットが出来ており、その周囲にはまた遊具がある。週末の夕方、多くの子供連れが遊んでいる。これがタイ式。

夕飯もロビンソンで火鍋かと思ったが、また別のレストランへ行く。駐車場は車で溢れている。家族連れが多い。ここでもエビやカニなどご馳走を頂く。コロナ禍のこの付近の様子などを聞いていると、カズちゃんは疲れて寝込んでいる。隣のテーブルでは子供の誕生会が開かれており、ちょっとうるさいのだが、構わずぐっすり寝ている。ホテルに戻ると私も疲れてすぐにぐっすり寝た。

3月12日(日)メーソット2日目

朝早くに目覚める。朝ご飯を待っていたが、一人で先に食べることになった。子供たちの用意もあるのだろう。どう見ても昨日食べ過ぎているので、今朝はパンとコーヒーで軽く済ませた。後で聞くと、スス一家は実にぐっすりと一晩を過ごしたらしい。何と彼らの住むミャワディはここ数か月ずっと停電で、暑い夜にクーラーも使えない状況が続いている。昨晩はホテルのクーラーを思いっきり浴びて幸せだったという。それで今回、私はメーソットへ行くというと、彼らも出てきて泊った訳だ。ミャンマーのそんな状況にちょっと暗い気持ちになる。

宿を出て、お寺へ行く。ここは以前もアイちゃんと来たことがある。何ともユニークなキャラクターが沢山置かれており、子供たちも楽しめる如何にもタイのお寺だ。カズちゃんとはすっかり打ち解けたが、アイちゃんはスマホを向けても、なかなか笑顔にならない。もうお歳頃、ということだろうか。それでも写真を撮られるのは嫌がらないので、嫌われてはいないらしい。ほんの少し英語で会話する。

メーソット旅2023(1)キャンセルされたフライト

《メーソット旅2023》  2023年3月11₋12日

バンコク滞在中に、行くべく所が1つあった。それはメーソット。1月にバンコクに来た時にすれ違ってしまったスス一家に会いたいと思っていたが、何となくミャンマーには入り辛い。そこで以前のようにメーソットまで行き、そこに来てもらい週末を過ごすというプランになった。

3月11日(土)キャンセルされたチケット

メーソットまでのフライトは一社独占だった。1日2往復。以前も乗ったことがあるので、何気なく予約をして、セブンで支払いをした。だが出発2日前になって、帰りの便だけ欠航となったと知らせが来た。このフライトをどうするのかを決めるためには、コールセンターへの電話しか手段がない。

当然電話は繋がらない。何とも面倒だ。以前ならすぐに癇癪を起していただろうが、今はそれを楽しむ感じでずっと待つ。30分ぐらいでオペレーターが出た。選択肢は3つ。①行きもキャンセルしてリファンドを受ける②帰りのフライトを変更する③帰りのキャンセルしてリファンド、行きだけ搭乗する。

普通は②を選択するのだが、何と搭乗できるフライトは5日先までないという。まさかそんなにメーソットに居るわけにはいかない。オペレーターは①の方向で話し始めたが、私は③を選択し、帰りはバスで帰ると言った。そこで問題なのがキャンセル分の払い戻し。クレジットカードで買っていれば、そこに戻すだけなのだが、セブンで支払ったため、振込先が必要になる。取り敢えず銀行口座を教えて電話を切った。

ところが翌日空港会社からメールが来ており、払い戻し口座を知らせろと聞いてきた。もう昨晩伝えたので無視していると、何と電話もかかってきて、払い戻し口座を教えろとしつこい。これは新手の詐欺かとも思い、途中で電話を切った。しかしその後払い戻される気配もない。一体どうなっているのだろうか。因みにチケット代は通常の国内線料金より高いので、残念だ。

Yさんにその話をすると、『帰りのバスを予約しないと』という。確かにフライトが欠航になればバスに乗る人もいるだろうから、現地に行ってバスチケットが無かったら大変だ。バスは夜行しかないが、これも仕方がない。予約は宿のタイ人にやってもらい、飛行機よりずっと安い料金になった。

メーソットまで

いつものようにドムアン空港には相当早く着いた。そしていつものように食堂で粥を啜ってから、荷物検査を通過したが、それでもかなり時間が余る。仕方なくボーっと離発着する飛行機を眺めていた。ところが出発時間20分前になっても、全くゲートが開く気配がない。いや、それより飛行機が来ていない。

これはおかしいと思い、掲示板に目をやると、何と私のフライトは何の知らせもなくゲート変更になっていた。慌てて移動すると、ちょうど搭乗が開始されており、間に合ってよかった。久しぶりの黄色い航空会社だが、以前ほど良いイメージはない。

フライトは完全に満員。チケット代も結構高いのに、何故か若者が沢山乗っている。しかもお世辞にも柄が良いとは言えない。隣に座ったにーちゃんはずっとゲームに興じている。手に持っているパスポートは中国だった。一体これはどういうことだろうか。中国人の若者がメーソットに何しに行くのだろうか。

フライトはあっと言う間に空港に着陸した。あの若いにーちゃんたちの姿もいつの間にか消えていた。だがススたちの到着が遅れたため、私だけがロビーに取り残された。空港はコロナ前に新しくなり、きれいで、冷房も効いているので問題はなかった。ようやく3年ぶりにアイちゃんやカズちゃんが迎えに来てくれ、ようやく感激の再会となった。

バンコク滞在記2023その2(4)

食後どこかでお茶でもしようと店を探す。ヤワラーで最も入りにくいカフェ?とある人が言ったお茶屋は今日も実に入りにくそうでパスした。その向こうにおしゃれない建物が見えたのでそちらに入ってみた。すると中の客がインド系で驚く。ここは一体どこなんだろう。すごくしゃれた雰囲気の店内に、次々と客がやってくる。後で聞くと、今売出し中のホテルだったようだ。因みにインド系観光客は昨年バンコクに来た時から相当目立っていたので、特に驚きはないが、若者でお金のある人が多く見受けられる。

ここでお互いのコロナ禍での生活などについて話す。インドもかなりひどかったようだが、今や何事もなかったように普通に戻っているらしい。私も一度アユルベーダドクターのところへ行きたいと思っているので、計画せねばなるまい。Tさんもヨーロッパから帰国し、今は京都に住んでいる。当たり前だが3年という月日はかなり長い。

皆さんと別れてMRTに乗り、先日行った王陽春へ行き、頼んでおいたお茶を取りに行く。やはり長女が対応してくれた。4代目候補が学校から帰ってくる時間かもしれないので、すぐに失礼した。ここのお茶は実に飲みやすいので、普段飲み用として好評だ。帰りに宿の近くまで来て、何故かエネルギーが切れた。初めて入る店で麺を食べたが、美味かった。どこで食べても安くてうまい、これがバンコクか。

3月17日(金)東京へ

何とか2か月分の荷物を纏めて宿を出る。思えば今回も意外と長かった。フライトは午後だが、念のため空港へは早くに向かった。前回チェンマイへ行く時、Grabで呼んだ車が全然来なくて困ったが、今回もやはり時間が掛かる。しかも何と私の位置情報が間違って送信されており、Yさんがタイ語で対応してくれ、難を逃れた。Yさんにも毎度毎度お世話をかけている。

車は高速を使い、30分ちょっとで空港に到着。チェックインカウンターで『ワクチン証明』と言われるのももう慣れたが、何をいまさらと、日本政府に不満の矛先が向く。結局昼間の時間帯は、税関検査も出国審査も言われるほど混んではおらず、また空港で大いに時間をつぶすこととなった。まあ喜ばしいことと言わざるを得ない。

満員の乗客を乗せた(その多くは花見のタイ人)フライトは順調だったが、それでも羽田到着は午後10時半。ここで降りるまで10分待たされた。すぐに外へ出てVisit Japanをかざして人込みを突き抜けて行く。終電の一本前に間に合うかと焦ったが、荷物が出てこない。その間に税関申告の電子手続きをして、何とか11時過ぎに荷物を受け取り、また走る。

やった、何とか電車に間に合ったと思ったが、何とそこには大勢の乗客がおり、乗り込めない外国人も多数いた。私は素早く一番前まで移動して何とか滑り込む。何度もドアが閉まらず、開閉が繰り返された後、列車静かにホームを離れた。積み残された外国人が遠くに見えた。日本って、こんな国だっけ?

その列車は4分遅れて品川に着いた。すると予定していた山手線には乗れず、一本待つことになる。そうなると今度は新宿の乗り換えにも間に合わず、結局終電と同じになってしまった。それでも運よく乗れたからよいものの、もし終電と思って1本遅い電車に乗っていたら、途中までしか帰れなかっただろう。そして羽田空港の大勢の入国待ち外国人には終電などあり得ないのだろう。どうする外国人観光客?

バンコク滞在記2023その2(3)ヤワラーの潮州系茶荘

3月15日(水)近所で食べ納め

今朝は朝からコムヤーン。すぐそこにあると思うとあまり食べなくなっていたが、いざバンコクを離れるとなるとやはり食べたくなる。カオニャオとの相性がいい。おばさんも歳を取り、今は息子や娘?が店を切り盛りし始めている。もう少ししたら、孫と遊ぶおばあちゃんになっているかもしれない。

昼はYさんと最後のランチ。もう一つのカオマンガイ屋へ行く。ご飯がかなり濃厚で、鶏肉は柔らかい。ケチャップをかければチキンライスかとも思ってしまう。これで60バーツとなれば、やはり食べるだろう。狭い店内には客がひしめいていた。夕方通り掛かると、いつも鶏肉の残骸だけが残っていた理由が分かった。

夜も早めに近所のお気に入りへ。牛雑麺と言えばよいだろうか。ここは英語が通じてしまうので、彼らが中国語で何と言っているのかは知らない(漢字メニューはない)。まあとにかく濃厚スープといい味が出ている内臓があればよいだろう。隠れた名店、と評した人がいたがまさに。2人以上だと鍋を食べているので、いつか誰かと来て鍋を食いたい。

3月16日(木)ヤワラーで

今日は先日紹介を受けたヤワラーのお茶屋さんを訪ねる。超老舗で5代目だという。まずはMRTでファランポーンまで行き、そこから歩いていつもの店でジョークを食べる。これからジョークが食べられなくなるのは、何とも悲しい。今日も極めて天気が良いが、暑さも相当厳しい。

老舗茶荘に行って見るとそこは過去何度も行った店だった。確かにお母さんは華語を話していた。南港茶という文字に惹かれたこともある。だがこの店の歴史は分からなかった。5代目は30代の若者で、何と大阪で商売をしていたという親戚のおばさん(70代)も来ていた。日本を離れて10年ぐらい経つというが、日本語をよく覚えており、使いたいらしい。

5代目が淹れてくれた茶は何とタイティーだった。その理由を聞いて驚く。あの私が以前訪ねて記事も書いたタイティーの会社は、何とこの一族の人たちだったのだ。確かに苗字は林だ。古いガラスコップにこの一族に関連した企業が書かれていたが、その中にタイ人なら誰でも知るあのマークもあって驚く。私が以前書いた記事を見せると、皆が寄ってきて『親戚が写っているぞ、後ろの写真はうちのおじいちゃんじゃない』と言い出し、笑ってしまった。

この店、間口が狭いので小さな店と思っていたが、実は奥行きがかなりある。お母さんは奥に引っ込んで出てこない。さすが潮州系。商売にならないと分かると奥で別の作業をしている。確かに歴史だ、文化だと言っても、利益には直結しないことが多い。やはり商売というものは厳しいものだ。

あっという間に2時間が過ぎ、店を辞した。駅まで行き、待ち合わせのA師夫妻とTさんと合流。5年ぶりだろうか。一緒に先日紹介された潮州料理屋へ向かう。階段を上がり2階へ行くと、何と団体さんが大勢で食事をしていたが、すぐに終了し、我々だけが取り残され、急に静かになる。

オーナーは勿論潮州人だが、華語をこちらが使う前に英語で対応してくれた。肉は食べないが伝統的潮州料理が食べたいというといくつか選んでくれた。潮州料理は海鮮も有名だが、やはり肉を全く頼まないというと、色々と制限が出ることが良く分かった。工夫茶が出た後、鍋などを美味しく頂く。

バンコク滞在記2023その2(2)天ぷら食べて So Macha

3月9日(木)王陽春を再訪

今朝はYさんとコーヒーを飲んで、すぐに出かけた。行き先は花市場。バイタクでMRT駅まで行き、そこから地下鉄に乗ろうとしたら、何とまさかの『乗車禁止』の表示が出ている。だがもうタイ生活にも慣れているので、周囲の人間を観察すると、皆黙って待っている。タイ語のアナウンスが分からなくても何となく安心。結局やってきた車両には乗客が乗っており、何事もなかったかのように皆が乗り降りしている。

10時に昨年訪問した王陽春に行った。長女が店にいたので雑談していると、三女もやってきた。三女は最近台湾に行って、私の知り合いともコンタクトしており、台湾話で話が弾む。ただ昨年土産にもらったお茶が美味しかったので買いに来たのだが、残念ながら売り切れだった。

三女が近所のカフェでランチをご馳走してくれた。全く隠れ家的店で、知らないと入れない。だが大勢が既にご飯を食べており、後から来た人は席がなかった。料理はタイ風でも雰囲気はカフェ。私はタイティーを飲んだ。こんなところが今流行っているようだ。タイの若者、ヨーロッパ人も来ている。

一度宿に帰り静養。夕方また出掛ける。今晩は数年前にFB上では知っていたが、初対面というSさんとプラカノン駅で待ち合わせ。バスで向かうとすぐに着いてしまう。Sさん行きつけの天ぷら屋に連れて行ってもらう。日本人の大将が揚げている本格的な天ぷらをカウンターで頂く。こんなの実に久しぶり。釜めしも旨い。タイ人の若者も食べにきている。

Sさんとは元々ヨーガ関連で紹介された記憶があったのだが、北京や香港で駐在経験があるようで、共通の知り合いが何人もいる。そして共通に知り得る事項も多いので、そちらの話が大いに盛り上がる。更には天ぷらを揚げ終わった大将も中国に詳しく、話に参戦してきて、がぜん具体的なエピソードが乱入し、すごく不思議な時間を過ごした。珍しく面白い夜だった。

3月14日(火)スクンビットをフラフラ

今日は何だか午前中から出掛けたい気分となり、暑いなかバスに乗る。偶々来た電気バスに初めて乗る。乗り心地も良いしきれいだな、などと思っていると突然バスが路肩で停まる。バス停ではない。運転手が外に出たが、すぐに戻ってきた。車掌が何か言ったが、勿論私には分からない。

乗客が誰も動かなかったので、私もそのままジッとしていたが、5分経っても状況に変化がなく、バスを降りることにした。すると車掌がそれを遮る。更に運転手が合図を出して、乗客が皆降り始めた。車掌が後続車を見ていたので、このバスは故障で回復見込みがなく、後続車に拾ってもらうつもりだと分かる。皆乗り込み、勿論追加料金は取られない。

プラカノンで気分を変えてまたバスでプロンポーンに出た。そこで以前何度か食べたランチを食べたが以前ほど美味しいとは思わなかった。なぜだろうか。そこからスクンビット沿いに歩き、ソイ49あたりを入っていく。何だか昔懐かしい感じだった。その先に先日行ったおしゃれなカフェの1号店があったが、ガラス張りで外から丸見えで、何となく入らずに去る。

トンロー付近にある古めかしい教会にも行ってみる。だが中に入ることはできず写真もうまく撮れない。スクンビット沿いに戻るとすぐに立派なビルがある。その中にSo Machaという店があった。ここが先日会った静岡の茶業者さんの直営店。何となく近づくと、いい感じの笑顔の店員さんが、何と日本語を話す。

ゆず抹茶ソーダを頼むと、ちゃんと抹茶を点てて作ってくれる。思った以上に飲みやすい。マネージャーも加わり、色々と話も聞けて面白い。ここの抹茶は本物なので、海外のバイヤーが買い付けに来ることもあるらしい。確かに日本まで行かなくても買えるのであれば、そうなるかもしれない。勿論普通のタイ人がドリンクを買いに来て、リピーターになるケースも増えているとか。こういう取り組みは実にいいと思う。

バンコク滞在記2023その2(1)美味い広東料理がないバンコク

《バンコク滞在記2023その2》  2023年3月6₋17日

3月6日(月)バンコクに戻って

スワンナプーム空港に着いて、入国審査も比較的簡単に片付き、さっさとエアポートエクスプレスで宿へ帰った。何だかFB上では空港の混雑ぶりが連日挙げられているが、私に関してはほぼ何の問題も起きていない。ただ情報によって早く動いて、その結果かなり待つという不都合だけが生じている。

夜パンを買いに行くついでに、ご飯を探す。急に豚足が食べたくなったが、遠くまで行く気はなく、近所のフードコートに立ち寄る。インスタント麺に、豚足、内臓、高菜、煮卵が入ったセット、何とも旨い。これで65バーツなら、今度からこれを食べようと思う一品。

3月7日(火)ご近所の食事で

何となくベトナム疲れが出た朝。いつものようにYさんとコーヒーを飲み、ベトナム茶旅報告をする。それから部屋でゆっくりと茶を飲みながらボーっとする。こういう時間も必要だ。それでもすぐに次の旅を考えてしまうのは習性として仕方がない。メーソット行のフライトを予約して、セブンで支払う。

昼はYさんお気に入りのカオマンガイ屋へ向かう。ラマ4通りなので、ちょっと不便だが、一度はチャレンジしようと出掛ける。店の前にはお客が溢れていたが、何とか席を確保して、カオマンガイを注文した。給食の食器のような更に見事なカオマンガイが載っている。これはいいと、あっという間に平らげる。満腹、満足。

午後もフラフラ過ごす。夜6時頃、軽く麵でも食べようと思い、いつものタイヤの店へ行き、麺を注文したのだが、お母さんは完全にテンパっている。店は客であふれ、テイクアウト客が外で列をなしている。一体これはどうしたことか。ついにタイヤの横で麺を啜るのがインスタ映えということで、Youtuberが宣伝でもしたのだろうか。本当に驚いたことにいつもは5分以内に出て来る麺にありついたのは、何と30分後だった。それでも中に入れるものをちゃんと聞いてくれるのは素晴らしい。

3月8日(水)広東料理を探して

今日もダラダラ過ごす。昼にYさんといつもの食堂へ行き、いつものメニューを食べる。私はこれが一番幸せな形だとは思うのだが、Yさんは先日の広東焼きそばが忘れられないらしい。仕方がないので、バンコクに美味しい広東料理屋は存在するのか、というテーマで探すことにする。

午後Mさんと会う。場所は双方の中間にあるオンヌット。オンヌット、以前はよく通過したが、ほぼ降りたことはない地域。バスで向かうとそれほど遠くはない。そのBTS駅の向かいにショッピングモールがあり、そこのカフェにMさんがいた。このモール、意外と日系の店なども入っている。Mさん曰く、スクンビットで一番東の日系エリアだとか。

相変わらずMさんから潮州語とタイ料理などの有益情報を聞き出す。最近は潮州系の勉強も進んできたので、さらに熱が入ってしまう。カオマンガイやカオカームーと潮州語はどの程度関連しているのか。実に興味深い。結局カフェで3時間も話し込んでしまい、最後には体が冷え切った。

この辺に広東料理屋はないかとMさんが検索すると、駅の反対側に広州という名の店があるというので行って見た。そのすぐ脇には私が10年ほど前に2‐3度行った美味い麺屋がある。ここも広東系なのだろうか。そしてレストランに入ったが、まだ5時過ぎで客はほぼいない。店員も華人系かもしれないが、タイ語しか話さないし、やる気は感じられない。

ぶら下がっていたダックの味付けはまあまあだったが、野菜炒めは特に特徴もなく、焼きそばに至ってはかなり残念な感じだった。ここは広州生鍋と書かれており、周囲の客はほぼ鍋を頼んでいた。いずれにしても、『広州』を名乗っている店でさえ、美味い焼きそばにはありつけないのがバンコクだと思い知らされる。

ハノイ茶旅2023 その2(3)Grabで空港へ

因みにお店の方は、ベトナム人の若者を中心に、かなり繁盛しており、ベトナムの新しい茶文化が根付きつつあることを感じた。ベトナムと言えば路上のお茶であり、それがおしゃれで冷房が効いたカフェに転じていき、更には茶文化を語る場にまでなってきている。勿論まだごく一部だが、スオンさんの店が引き継がれたのを見ても、良い方向に来ていると思う。

ご縁により、一緒に夕飯を食べに行くことになる。近くの食堂だが、オーナー夫妻と子供の3人でバイク1台、私は蔡君の後ろに乗せてもらい向かう。そこは宿から直ぐ近く。見るからにおいしそうな鶏肉が置かれていたが、名物鶏飯はもう一椀しか残っていなかったので、何と年長者の私が頂くことになった。誠に恐縮だったが実に旨い飯だった。おまけにチキンフォーまで注文してもらい、至福の時を過ごす。ご馳走様。

3月6日(月)ハノイを去る

ハノイ最後の朝。もう駅の大音響で起きることもなくなった。毎日食べた宿の朝食、お粥が忘れられない。空港に向かうまでに時間があったので、最後の散歩に出る。ハノイ駅の前の道は、やはり地下鉄工事中だった。この付近もかなり古い建物が残っているが、電車が通れば様変わりするだろう。

クアンスーと言う名の大きな寺にも入った。他に比べて漢字が多く見られたが、寺の成り立ちなどは全く分からない。ただ華人がお参りしているように見えたので、ハノイにも僅かながら華人が残っているでは、と思ってしまう。だが真相は全く分からないまま、ハノイを去ることになった。寺の境内にバイクを停めている。そういえば、昔に比べるとハノイのバイクはかなり減ったのではないか。

午前10時前、宿をチェックアウトしてGrabを呼ぶ。すぐに捕まったので安心していたが、車はいつになっても来ない。というか、スマホ上では目の前にいるはずなのに、そのナンバーと車種はここにない状況。すると若者が近づいてきて、いきなりスマホを見せて、『あなたですね』と聞いてくる。確かに私がオーダーしたのだが、ナンバーなどが違うので実に怪しい。

それでもそんなに悪い人には見えなかったので車に乗り込む。すると運転しながらまたスマホを見せる。そこには中国語翻訳で『Grabのオーダーをキャンセルして欲しい』と書かれていてちょっと迷う。ここでGrabと切れてしまうと、もし何かあった場合面倒だ。だがその時Grabから『車は来たか』と質問が来た。確かにこのまま放置するとオーダーした私としても具合が悪い。

結局決断してGrabをキャンセル。まあ何事もなく30分後には空港に到着。何と支払いはGrabの手数料が差し引かれ、割安になっていて、運転手共々にっこり。Grabは車と契約しているのではなく、運転手と契約しているのだと分かるが、急に車自体が変わるのはやはり困るな、とは思う。

空港に入ると、それほど人はいない。預け荷物もないので簡単にチェックインも済み、出国もあっと言う間に終了した。暇なので土産物を見ると、コーヒーと並んでお茶もかなり売られている。結局今回は殆どお茶を買わなかったが、空港でも買うのもなんだと思い、次回に回した。

空港内を歩いていると、昔夜行便に乗る時、この辺で食事をしたとか、ここで飲み物を買ったなどが急に思い出されてくる。やはりそれほど変わっていないということか。まあハノイの旧市街もそれほど変わってはいなかったのだが、ノイバイ空港は拡張工事をしているのか、横に大きな工事スペースが見えた。次回来る時は大きく変わっているかもしれない。そんなことを考えていると搭乗時間となる。フライトは順調で、牛肉フォーを食べているとバンコクはすぐだった。

ハノイ茶旅2023 その2(2)思い掛けない再会

夜までゆっくり休んでいたが、あまり腹も減らない。まあ何かちょっと食べておこうと外へ出ると、ちょうどバインミーが見えた。しかしそこで皆が食べていたのはバインミーとスープのセット。あまりに美味しそうだったので思わず注文して座り込む。出てきたスープは牛筋が入っているようで、まるで洋食のオックステールスープのように濃厚で美味かった。

バインミーを一つしか頼まなかったので、寧ろ胃が刺激され、別にサンドイッチまで注文して、テイクアウトしてしまった。でもやはりベトナムに来たらこれを食べないと、と言うことで宿にて美味しく頂く。因みに料金は6年前と比べると1.5倍にはなっていた。

3月5日(日)思い掛けない場所で再会

やはり疲れたのか、昨晩はよく眠れた。揺れないベッドは有難い。何とか這い出し、宿の朝食の粥は食べた。そして昼前まで、いつものオンラインセミナーを部屋から行った。さすがにWifiの弱さが心配だったが、サポーターのKさんに色々と工夫してもらい、無事に乗り切れた。これでどこからでもできるという妙な自信が付く。

昼にちょっと外へ出た。ふらふら歩いて路地に入ると、そこにいたおばさんから『ブンチャー』と声が掛かり、思わず立ち止まる。しかし路地に座っているおばさん、どうやってブンチャーを出すのだろうかと興味が沸き、注文してみる。するとどこからか麺が出てきて、どこからか焼肉が出てきて、保温していたスープまで登場、あっという間にお手軽ブンチャーが出来上がる。これで3万ドンは安いのかな。

ハノイ駅の裏側に出た。ここは昔のハノイ駅だったのだろうか。正面入り口は立派で中には切符売場が見えたが、鍵がかかっていて入れない。ここから宿へ駅を突き抜けようとしたが、それも出来なかった。ふと駅の前を見ると茶葉を売っているところがあったので、声を掛けた。だが言葉は通じない。何とかタイグエンの緑茶が欲しいと理解してもらった頃、英語ができる人がやってきて一件落着。まあ何となく面白かった。

午後3時、お知り合いのIさんと茶荘で待ち合わせ。その時間に行って見るとそこにいたのはIさんではなく、旧知の台湾人蔡君だった。彼とは6年前ハノイで会ったのが最後であったが、彼はその後又ハノイに留学し、博士課程でIさんと一緒になったというご縁だった。彼はベトナムの茶文化や歴史も研究しており、ベトナム語も堪能なので有難い存在だ。

Iさんもやってきて、蔡君の持ってきたお茶を飲みながら歴史談義が始まる。Iさんは現在華人を研究していると言い、ベトナム華人、ハノイの華人街などについていくつも質問させてもらった。これから華人関連をやるなら、やはりちゃんと研究している人の意見を取り入れ、茶旅を進めたいと思った。

そしてこのお店、オーナーがやってきて分かったのだが、何と私が10年ほど前に2‐3度お邪魔してベトナム茶の歴史を尋ねたスオンさんの店だった。数年前に現在のオーナー(スオンさんの姪)が店を引き継ぎ、改装したため、かなり新しくなり、雰囲気も変わっていたが、何となくその面影があった。しかもオーナー夫妻は現在中国語を習っており、その先生は何と蔡君だというから驚く。

ハノイ茶旅2023 その2(1)ハノイに華人の痕跡を探すも

《ハノイ茶旅2023 その2》  2023年3月4₋6日

3月4日(土)ハノイ街歩き

ラオカイから無事に戻った朝。また駅の横のホテルに入り、そこでNさんと別れた。今回Nさんには本当にお世話になり、実に実りある旅が出来た。持つべきものはやはり友(特にアレンジ力があり、語学に堪能)である。早朝ながらホテルは何の問題もなくチェックインできたのだが、朝ご飯を食べていいかと聞くと、『ちょっと待て、確認する』と言ったきり、何の返事もない。

こちらはひと眠りしたいので、また降りて行って『いいよね』と念押しして食事を始める。まあ確かに普通朝6時にチェックインとか、あり得ない世界かもしれないが、私はミャンマーで経験済みだったので違和感はない。いや、ここは鉄道ホテルだから、本来それに対応すべきだろう。そういえば部屋は道路側から反対側に替わったので、音は随分と和らいだ。そこで少し仮眠をとる。

昼前に起き上がり、旧市街地に散歩に出掛けた。ハノイには昔はかなりの華人がいたが、1970年代末の中越戦争前に殆どの華人が退去したとのことで、現在ハノイにはチャイナタウンはない(ホーチミンにはショロンがある)。それでちょっと歩いてみて、少しでも華人の痕跡を探してみたくなる。

ホアンキエム湖まで20分ほど歩いて、そこを起点に北にハンガン通りを歩いて行く。植民地時代の建物だろうか、ほんのチラチラ漢字表記が見えるが、今や観光客が行き交う通りになっている。そこからハンボー通りに進む。元々広東系が多かったといい、その歴史もかなり古い。布屋や雑貨屋などが多く並んでいる。骨董屋で工夫茶のセットを見たが、それほど古いものはない。

ランオン通りにやってくると、昔の店舗の名残がそこかしこに見えた。基本的にベトナムは漢字禁止とも聞いていたので、これはそのまま放置して黙認されているのだろうか。漢方薬屋などが今も営業している。そんな中に埋もれるように福建会館があった。現在は小学校で中には入れない。ここが今回唯一見付けた同郷会館跡だったが、普通のベトナム人にとっては何の意味もない場所なのだろう。周囲はバイクで埋め尽くされていた。

少し腹が減った。見ていると腸粉を蒸している店があり、そこに粥と書かれているような文字があった。そして鍋を探して指をさすと何とか粥が食べられた。肉まんも一つ加えた。お茶が欲しいと思っていると、向こうで茶碗に何か入れていたので、私にも頂戴と言うと手を振って断られる。なんとそれは腸粉に掛けるタレだった。言葉が通じないのは何とも愉快だ。

それからどこの道だか分からないが、適当に歩いてみる。立派な門を入ると奥にお屋敷があったが、そこは恐らく数家族が住んでいるだろう。中国でも見られたが、金持ちから取り上げた家を人民で分けたようだ。その金持ちはほぼ間違いなく華人だっただろう。近所には立派な寺もあった。

更にずっと歩いて行くと、レーニン像がある公園まで出た。ここまで来たらホーチミン廟にも寄ってみる。その周辺はフランス時代の建物、教会などが色濃く残り、また仏教寺院などもある風景区。外国人はまだ少ないとはいえ、カフェでコーヒーなどを飲みながら、寛いでいる。私は湖を突っ切り、仏塔がある寺へ行ったが、ちょうど時間が悪く閉まっていた。仕方なくまたフラフラと歩いて宿まで戻る。