広東・厦門茶旅2019(7)厦門は休日ムード

厦門で

厦門には昨年11月、そして先月もやってきたので、かなり事情は分かっていた。厦門北駅は相当街から遠く不便なので、今日もわざわざ本数の少ない厦門駅行を選んで乗った。降りたら、後は歩いて、チェーンホテルにチェックインするだけだ。しかしこのホテル、前回も予約より当日の方が同じ部屋が安い。そしてそれを伝えると、ちゃんと安い方にしてくれる。これなら予約しない方がよいのでは、と思ってしまう。

 

バスに乗って王さんの工作室に向かう。先月も訪ねていたので、場所は分かっており、宿からバス一本で行けるので、かなり楽だった。彼は元々雑誌の記者だったのだが、お茶好きが高じて、何と本格的なお茶屋になろうとしていたので、驚いた。王さんは少しお茶を淹れてくれただけで、お茶の包装に余念がない。

 

私はここに置かれているお茶関連の本が見たくて来たのだから、特に問題ない。ここには相当昔出された本のコピーなどもあり、本当に貴重な資料が揃っているので、有り難い。今回は譲ってもらえる本があればと思いやってきたのだが、基本的に欲しいものは大体手に入れることができ、大満足。今後の調査に役立ちそうだ。

 

それから梅記の王さんのところへ行く。今日は海峡茶市場の方にいるというのでバスから地下鉄に乗り換えて向かう。確か2年前、ここを訪れた時は、未だ地下鉄工事中だったのを思い出す。確実に時は過ぎているが、王さんたちのプーアル茶の店は健在だった。ここで20年物の白茶を頂く。これはかなりうまかった。そして夕飯もご馳走になる。

 

宿に帰ってテレビを点けると、今回は卓球をやっている。深圳で行われているチャイナオープン。日本と中国の選手が大挙して出場している。ちょうど馬龍と丹羽の試合を生中継。その後は、何と伊藤美誠を特集している。中国にとっても、最大のライバルが日本だ、ということをかなり意識している証拠だ。

 

6月1日(土)
散策

今日中国は児童節の祝日。そして土曜日でもあり、パパたちは大忙しだ。私が会いたいと思っていた人々も、何かと忙しく、今日、明日は無理のようだったので、自らちょっと歩いてみることにした。昼前にいつもの店に行き、いつもの鴨肉20元の定食を食べる。このコスパはどうしても外せない。

 

そこからフラフラ歩いて、開元路へ向かう。ここは昨年も歩いてはいたが、先日香港で堯陽茶行の王さんが『1930年代に茶行を開いていたビルが開元路にまだ残っているよ』と言っていたので、確かめに来たのだ。ヒントは市場の横のビル、ということで、長いトンネルのような市場を抜けると、その四つ角に確かに古いビルがあった。勿論今は違う店が入っているのだが、ビルの横の壁を見てみると『王』という苗字が見えている。恐らくここだろう。他の大茶商のビルがほぼ消えている中で、ここは貴重な存在ではないのだろうか。

 

それから鎮邦路、中山路、水仙路と歩いていく。何度歩いてももう歴史的な物は発見できないのだが、この何とも迷路のような脇道に入るのもまた楽しい。大通りではひと際、小さい子供を連れたファミリーが多いと感じたのは、気のせいだろうか。何だかみんな楽しそうに見えるのだが、実情はどうだろうか。

 

地下鉄に乗って宿に帰る。この宿は地下鉄駅から近いという利点もある。駅を出るとショッピングモールがあり、そこでフルーツ盛り合わせをチョイスしてテイクアウトした。もう流石に食べ過ぎなので、セーブする。夜は今晩も卓球を見て過ごす。伊藤美誠と丁寧の試合は白熱している。昔『石川佳純の卓球はうまいが、体重が軽すぎるから勝てない』と言った中国の解説者が居たが、伊藤はどう見えているだろうか。

 

6月2日(日)
空港で

香港に始まった今回の旅も最終日となる。宿で朝食をとり、タクシーを呼んでもらって空港に向かった。これも何となくルーティーン化してきている。空港も2時間前にしか、チェックインカウンターが開かないことにも慣れていた。今日はぎりぎり2時間前に到着すると、既に乗客は中に入っており、長い列ができていた。

 

私の番が来ると、係員が『台湾から出国するチケットを見せて』というではないか。そんなこと、これまで一度も言われたことがない。実はすでに東京へ戻る便は予約済みであったが、何とGmailが見られるシムカードはほぼ使い切っており、画面が表示できない。係員は『空港のWi-Fiを使って』というのだが、それでは見られないと告げると、『提示できないなら、この場で購入してくれないと乗せられない』というではないか。

 

これには心底驚いてしまった。そしていつもは厦門航空だが今回乗るのが華信航空だったとようやく気が付いた。華信は中華航空の子会社となっており、元を正せば『台湾からの出国チケットルール』を昔から後生大事に守っているのは、中華だけなのだ。少なくとも中国においてチケットが提示出来ない今回のようなケースには特例があってもよいと思う。

 

だがこの件では常に乗客ともめているので、スタッフは誰一人として同情を示したりはしない。すべてこちらが悪いと言い張る。何かがおかしいこの制度、少なくとも90日ノービザの日本人に関しては、台湾政府に改善を求めたい。最後に奇跡的にGmailが開き、何事もなかったかのように搭乗ゲートへ向かった。

広東・厦門茶旅2019(6)潮汕工夫茶伝承人を訪ねて

5月30日(木)
潮汕工夫茶伝承人を訪ねて

翌朝、荷物をまとめた。ついに潮州を去る日が来てしまった。何とも名残惜しい。そして去る前に矢張り朝食。張さんも昨日の店が痛く気に入ったようで、2日連続で向かう。私にも全く異存はない。今朝はシラス粥に焼き魚、そして漬物。まるで和食の朝ご飯のようなあっさりした仕立てが実によい。もっと他の物にも手を出したかったが、さすがにそれもできず、次回に持ち越すこととなる。

 

荷物を積み込み、いざ出発。今日はどこへ行くのだろうか。張さんが言うには『潮汕工夫茶の歴史について知りたいのなら、伝承人である有名な鄭さんに聞くのがよい』ということで、彼女はここ2-3日、鄭さんを探していたようだが、ようやくある山にいることが判明して、そこへ追い掛けていくことになったのだ。これまたある意味で凄い旅だ。

 

やはり山道を行き、高峰村という場所に行った。そこも周囲には何もない所だったが、茶畑が見え、茶工場があり、その中にお目当ての鄭恵豊氏がいた。彼は元々国営企業に勤めていたが、その茶の実力で独立し、今は何社もの茶作りのアドバイスをしているらしい。ここもそのうちの一社だという。ここで1時間ほど、その茶の歴史の話などを聞いた。さすがに現代史となると、話が生々しい。

 

お昼は街に降りていき、そこで食べた。またもやうまい。ここでは潮州名物のウナギが煮込まれて出てきた。海鮮系も多く、潮州料理のうまみがにじみ出ていた。食後は近くの茶荘に入り、そこで老板自慢のお茶を頂く。何だか眠気が出てくる。これは確かに極楽旅だ。ここでずっと休んでいたい。

 

何と鄭さん自ら我々を車に乗せて送ってくれるという。何とも有り難い。まずは張さんたちを潮汕駅に送る。彼女らの予約していた広州行き列車、ギリギリになったが、何とか間に合ったらしい。そこから鄭さんの自宅のある汕頭まで私も乗せてもらい、引き続き、質問を浴びせ、回答を得た。これはまた有意義な時間だった。

 

汕頭に着くと、すでに日も暮れており、予約したホテルまで送ってもらい、別れた。本当は明日も一緒に行動したかったが、鄭さんも久しぶりの自宅だというので遠慮した。紹介された汕頭のホテルはなかなか快適だった。取り敢えず外へ出て、駅に向かう。明日の厦門行きの高鉄チケットをゲットしておく必要がある。

 

汕頭に来るのも18年ぶりだが、特に高い建物もなく、非常に穏やかで、あまり変わっていない、という印象だった。潮州、汕頭、なぜここまで発展しなかったのだろうか。この2都市、お互いに競っていると聞いていたが、良い競争になっていなかったのだろうか。まあ、私個人としては、今の中国の中で、ここまで変化が乏しい街はむしろ貴重であり、懐かしむに足る。

 

駅は昨年改装されたばかりできれいであったが、駅の前は大きな道路に阻まれ、渡る所がないなど、インフラ面には問題があった。それでも駅には殆ど人もいなく、切符はすぐに買えて嬉しい。バスで帰ろうとしたが、こちらもよく分からず、結局歩いて戻る。途中の食堂で海鮮粥を食べて、何となく満足。

 

5月31日(金)
面倒な高速鉄道

朝ごはんはホテルで食べたが、料理は沢山あるのだが何とも味気ない。完全な潮州ロス状態に陥っている。これは早く脱却する必要がある。フロントでタクシーを呼んでもらい、乗り込むと、運転手が『どうして潮汕駅へ行かないんだ?』と聞いてくる。もう切符は買ってあると言うと、仕方ないな、と言い捨て走る。

 

駅にはすぐ着いたが、現金で払おうとすると『微信決済ではないのか、タクシーは誰が呼んだんだ?』と聞かれ、ホテルと答えると頭を抱える。ホテルが現金決済と言っていないので、現金は受け取れない仕組み?らしい。でもそれはこちらが困る。何と運転手はホテルへ戻るというので、勘弁してくれというと、ホテルまで戻る分もくれ、と表示以上の料金を要求。何とも良く分からない。

 

汕頭駅には、地下通路に降りるエスカレーターすらなく、何のために改装したのかと思う。皆重い荷物を持って階段を上り下りして疲れる。何と今回普通座席が売り切れていたので、一等車初めて乗ったが、座席が僅かに広いぐらいで特段良くというわけではない。でもたった一駅とはいえ、16元というのは極めて安い。ただ次の潮汕駅では、一等車両は出口から一番遠く、何の優先もないと知り、がっかり。おまけにエレベーターで降りたら、そこは出口に行けず、また荷物を持って、別の階段を探す始末。

 

更に私は切符を2枚持っていた。何故だ?私は乗り換えるのだから、改札を出る必要はないと思っていたが、中国は甘くない。列車が来るまでホームで待つことは許されておらず、一度特別改札を出て待合室へ行き、時間が来たらまた並び直して列車に乗るのだ。だから皆が潮汕駅を使えと言ったのだ。意味は分かったが、もう後の祭りだ。中国の高速鉄道は恐ろしく発展してきたが、ソフト面では不便なことが多い。それから1時間半ほどかけて、ようやく厦門駅に着いた。

広東・厦門茶旅2019(5)双髻娘山へ

5月29日(水)
双髻娘山へ

今朝も朝ごはんを求めて、古い街並みを歩く。張さんはグルメであり、グルメの周囲にはグルメの友人が集まる。彼らから様々なグルメ情報が入ってくるようで、その店を探しまくる。私は道端でお茶をすすっている老人や天秤棒で野菜を売る人などに興味を惹かれ、はぐれそうになる。

 

ようやく着いたその店は、観光客は絶対に行かないだろうと言うローカルな雰囲気。店のおばさんも『あなたたち、どこから来たの?』と聞くほど、地元民しか来ない。そこには焼き魚やつみれ、ゴーヤーなどが置かれており、好きな物を取る方式になっている。それにお粥、大腸のたっぷり入った粥は最高にうまい。これはもうしあわせに到達した域だ。私はここにずっと留まっていたいと思うようになっていた。

 

今日もまた車に乗って出かける。昨日鳳凰山へ行ってしまったのに、今日はどこへ行くのだろうか。また1時間ぐらいかけて堯平県と潮安県の境にある双髻娘山というところへ向かった。天気は小雨、そして待ち合わせ場所に責任者の劉さんが迎えに来てくれており、ここから先は細い急激な上り坂で、慣れていなければとても運転できないため、車を乗り換えて進む。生態公益林と名付けられた自然体系を守りながら、産業化していくプロジェクトのモデルになっているようだ。

 

海抜1000mのところに茶工場が作られており、ここで数年前より大学の研究と茶業を一体化させた実験的な茶が作られていた。科学的、無農薬、無化学肥料、高海抜などを売りに、茶の生産も軌道に乗ってきており、有機認定などの取り組みも行われている。これまでの鳳凰単叢をさらに進化させ、大きなブランドにしていこうという試みだと受け止めたが、果たしてどうなっていくだろうか。

 

周囲には樹齢100年を超える茶樹も植えられており、山の上に茶樹畑が広がっている。雑草がかなり生え、茶葉には蜘蛛の巣が掛かっており、その栽培法が分かる。天気が良ければ、ここを散歩していれば気持ちがよいだろう。また下までいい景色が見られるそうだが、本日はあいにくの雨。残念ながら、ほぼ視界がない状態で、景色は次回にお預けとなる。所々に大きな岩があり、そこで記念写真を撮り、足を滑らせないように注意しながら、工場に戻る。

 

そのまま車に乗り込み、下へ降りていく。堯平の街まで30分以上かかったか。そこで遅いお昼を取ることになった。自然の中で食べる、という感じで、何やら期待が持てる雰囲気だった。潮州の食は本当に期待を裏切らない。やはり地鶏の肉は歯ごたえがあり、皮がうまい。また地元で採れたイモととうもろこしを蒸かしており、これがまた甘い。既にここ数日、美味い物をたらふく食べて、お腹がパンパンなのに、頭はまた食べることを要求してくる。これって、何だか体の一部が壊れてしまったよう感覚に捕らわれる。

 

夕方宿にたどり着くと、すぐにシャワーに向かった。昨日浴びられなかったお湯、この時間なら出るのではないかと期待していたが、この期待も裏切られず、暖かいシャワーを浴びて、気分は爽快になっている。人間、お湯を浴びるとこんなにも元気になるものかと思うほど、疲れが吹っ飛んでいた。

 

夕方6時すぐには宿を出た。まだ昼ご飯を食べてから3時間ちょっとしか経っていないが、グルメの張さんにはそのようなことは関係ない。行きたい食堂が夜7時前には閉まることを知って、急いで飛び出したのだ。さすがにちょっとしか食べられないだろうと思っていたが、名物だと勧められると口にせざるを得ず、カボチャなど美味しいのでまた食べてしまう。何とここでもまた結構な量を食し、ついに腹が爆発?

 

食後、骨董屋などを冷かしながら散歩するも重たい腹は解消せず。今晩はとにかく失礼して部屋で休もうかと思っていたが、何と張さんはスタスタと茶館に入っていくではないか。『折角だから伝統的な茶館スタイルを体験しよう』ということで、テーブルに座り、お茶を淹れ始める。だが大きな舞台は暗く、茶館の出し物はまだ始まらないということで、この古い建物を散策することにした。

 

潮州は華僑の一大出生地であり、その多くが東南アジアへ移住している。その華僑と故郷を結ぶ便りや送金に関する書類が展示されているのは興味深い。この立派な洋風の建物自体が、そうした海外からの送金により建てられたものかもしれない。茶の流れについても何か資料はないかと探してみるも、何も出てこない。単叢は華僑に飲まれることはなかったのだろうか。

 

茶館の出し物は、歌と劇、そしてなぜか茶芸も入っていた。その昔の茶館で、茶を淹れることが芸になっていたとは思われず、かなり違和感はあるが、今風の分かりやすい演出だと思えばよいか。往時はもっと華やかで、やんやの喝采などもあったのだろうが、今はみな大人しく、茶をすすっている。

広東・厦門茶旅2019(4)烏岽山へ

5月28日(火)
烏岽山へ

朝起きると、『部屋に荷物をまとめておくように』と言われる。どうやら1晩でお引越しらしい。朝ごはんを近所に食べに行く。潮州の腸粉。先日広州でも食べたが、目の前で作ってくれ、熱々を食べる。広州の飲茶で食べる腸粉は白いが、こちらは卵が入っているのか、やや黄色くて、かなり大きい。

 

食事が終わると、車が迎えに来て、乗り込む。今日は鳳凰山へ向かうと聞いている。まあ、潮州まで来て、お茶を見に行くなら鳳凰山、烏岽山へ行くのはごく普通のルートだろう。途中車はなぜか池のようなところで停まる。ここは鳳凰ダムだった。そしてなぜか、このダム施設の見学が始まった。どうやら運転手は元々ここの関係者で、折角だから見て行こうということになったらしい。ダム設備には日本の会社が作ったもの(潮州に工場があった?)も使われているらしい。

 

それから車は山を登り、一軒の茶工場に入っていった。ここは張さんが知り合いから紹介された場所らしく、彼女も初対面で、ちょっとぎこちない対応になっていた。私は鳳凰単叢の歴史を知りたいと思うのだが、なかなかうまく話が進展しない。お茶は単叢を何種類も淹れてくれるが、正直に言うと、単叢は茶酔いになることがあり、余り沢山は飲めないのだ。

 

ところが間が悪いことに、突然大雨が降り出し、外は嵐のようになってしまい、出ることは出来なくなってしまう。ここで昼ご飯をご馳走になりながら(このおかずがまた美味くてご飯が進む)、雨が止むのを待った。ちょっと裏の方を覗いてみると、最新式の設備もある中、女性の皆さんが懸命に枝取りをしていた。

 

雨がほぼ上がったので、お暇して、更に登っていく。18年前も登ったはずだが、こんなにきれいな道ではなく、もっと細い、土の道のイメージだったが、どうだろうか。そしてお目当ての烏岽村に到着した。確か前回はここで樹齢800年の茶樹を見たように思うのだが、今は枯れてしまい?樹齢500年の木が、覆いに囲われていた。今や一大観光地なのだろうが、雨のせいか人はほとんどいない。

 

更に登っていき、村の中を走ってみたが、やはり18年前よりは家々が増え、明らかに豊かになっている。これも鳳凰単叢が有名になり、ブームを迎えた結果だろうか。昔のあの素朴な、茶農家がバイクで行き来する姿はもうないようだ。そう、18年前は村の家でお茶をご馳走になったが、そこの水が甘かったこと。今もそうなのだろうか。茶農家が摘んだばかりの葉を、翌日までに製茶してくれ、買って帰った思い出もある。世の中は大いに変化しているように思える。

 

今回は観光ではないので、車は天池などへは登らず、そのまま街まで降りてきた。そして何度も道を探している。おかしいな、と思っていると、ようやく下車して、細い路地を入っていく。本日の宿は、何と看板も出ていない民宿だった。鍵はオートロックで、宿は我々3人で使うことになっていた。

 

部屋も何となくオシャレな雰囲気で、昨日より格段に広い。荷物もちゃんとここに届けられていた。ただ何と、お湯が出なくて困った。聞くところによると、近所の住民が夜一斉に使うと、湯がなくなる(さらに水も乏しい)という。まさに普通の民家であり、その現状は昔とそれほど変わっていないということが分かる。

 

少し休むと夜になり、夕飯に出かける。今日は地元の潮州料理ということだったが、やはり甘いたれの鴨肉、鹵水鵝片が抜群にうまい。スープ、魚、どれをとっても、比較的あっさりしているが素材のうま味を活かした料理に特色がある。するめや干し魚などをうまく使って、うま味を引き出している。私はこれまで『中国を旅してどこの料理が一番おいしかったか』と聞かれると『新疆ウイグル』と答えて顰蹙を買っていた?が、今後は潮州と答えるようにしよう。

 

食後は今日も散歩に出る。女性2人と旅していると、酒を飲むこともないので、大いに助かるが、買い物はなかなか止まない。目につくものがあると買い込み、量が多いと託送にしている。そんな中で、一軒の古いお茶屋が目に留まり、入ってみる。何だか古そうなお茶の缶もあり、興味津々。ここのオーナーは、元々国営工場に勤務していたが、30年前に今の店を開いたらしい。

 

潮州の茶の歴史について聞いてみると、奥から1冊の本が出てきた。かなり詳しく書かれており、何と張さんが交渉して、買い取ることに成功した。これがあれば、ある程度のことは分かるのではないか。ここのオーナーのお父さんもこの本の中に載っているという。鳳凰単叢はいつからあるのか、など、興味深いテーマだろう。今晩はこれを読みながら眠りに就く。

広東・厦門茶旅2019(3)芳村から潮州へ

527日(月)

芳村で

 

翌朝はご飯を食べると、ホテルを引き払い荷物を持って地下鉄に乗る。ラッシュ時間帯で、乗り換えもあり、ちょっと大変だったが、何とか乗り切り、芳村駅で下車。そしてそこから歩いて、茶葉市場方面へ向かう。かなり荷物が重く感じられる。張さんとの待ち合わせ場所に向かったはずだが、間違って着いてしまったのは、張さんの昔のオフィス。彼女が会を辞めたことは知っていたのに。今はどこにいるのだろうか。

 

 

 

結局電話して迎えに来てもらう。彼女は自らのオフィスを既に立ち上げ、活動を始めていた。これまでの古いやり方の茶葉販売を新しく変えたい、そんな活動だと理解した。折角着いたのに、すぐにまた出掛ける。タクシーが呼ばれたが、行先は芳村駅の向こう側、非常に近い場所だった。しかもここには以前来たことがある。そう、最初に張さんと会った時、予約してくれたホテルがある、インキュベーター向けオフィス群があるところだった。

 

 

 

その入り口付近に、瀟洒な建物がある。入口の前は竹で覆われていた。中に入ると広々としており、キレいな空間があった。器などがすごい数、置かれている。何と向こうの方には畳のスペースがあり、誰かが打ち合わせをしている。ここは一体何なのだろうか。老板はやはり潮州出身で、工夫茶の茶芸なども披露してくれる。『基本的に商売ではなく、趣味で集めている。その方が色々な人が古くてよいものを沢山もたらしてくれている』というではないか。

 

 

 

打合せしていた人を紹介されたが、何と大阪と神戸から来た華僑、しかも福清人だったので驚いた。ここには日本の物もたくさん集められているが、彼らのような人が持ち込んでいるのだろうか。それにしても、日本の茶道の道具が多い。やはり茶道をやっている人が亡くなり、その子孫には価値が分からず、骨董屋が集めて中国に流れていく、ということだろうか。

 

私が見たかったいくつもの、東南アジア各地の老舗茶荘の茶缶などが出てくる。錫製の茶缶は清代の物だろうか。先日訪ねた福建茶行の名前を見ることもできた。ここに居れば、いくらでも自分のおもちゃが出てくるような感じでワクワクする。もう少し勉強してから、もう一度訪ねてみたい場所だ。

 

 

 

昼時となり、老板とお客が食事に出るという。我々も一緒について行くことになった。車はどこからか郊外に出たような感じの場所に行く。そこはどう見ても田舎の村、こんなところにレストランがあるのか思うところだった。だが中に入るとお客で満員盛況。食にうるさい広州人が集まるのだから期待が持てると思ったが、期待以上の味付け、美味しさに思わず涙する。料理が来ると一口食べる間に皆が手を出し、すぐに無くなってしまう。それほどうまいということだ。久しぶりに満足感のある食事だった。

 

 

 

潮州へ

 

我々は広州南駅から高速鉄道に乗る時間が迫っていた。だが最後の最後まで食べた。そして急いで車を呼び、皆を残して失礼した。何とも申し訳ない話だが、効率は実に良い。南駅は遠かったが、何とか時間に間に合う。外国人である私はチケット取得に時間がかかると踏んで、昨日広州駅で取っておいたのが功を奏した。予約が別々のため、彼女らとは別の車両となる。

 

広州から潮州へは約2時間半かかる。そしてその時間以上に同じ広東省内なのに、文化や言語が異なる世界が待っている。そんなことを考えているといつの間にか着いている。だがそこは潮州駅ではなく、潮汕駅という名前だった。汕頭駅は別にあるのに、何故なのだろうか。この辺は複雑な事情がありそうだ。

 

 

 

駅には車の迎えがあり、30分ぐらいかけて、潮州の街に入る。潮州に来るのは2001年の春以来、実に18年ぶりであり、どこを見ても見覚えがない。何だか城壁の中に入り、路地に今日の宿があった。そこは今流行りの民宿であり、古い民家を改造して、宿泊施設にしていた。それはそれで雰囲気は良い。

 

 

 

すぐに夕飯の時間となる。潮州と言えば牛肉だそうで、牛肉のしゃぶしゃぶを食べる。確かにこれはうまかった。それよりも、張さんが実は非常にグルメであり、食へのこだわりが強いことに驚いた。聞けば、お父さんは湖北省で特級調理師だったというではないか。子供の頃から、その舌はお父さんに鍛えられたらしい。これは何とも頼もしい。

 

 

 

食後は、川沿いを散歩した。何と午後8時からは、ライトアップまであった。今や中国の多くの街で採用しているが、ここではお客さんが少なすぎだろう、経費はどうなっているのだろうかと思うほど、贅沢だった。特に1000年前に作られた浮橋が見事に浮かび上がり、かなりきれいだった。風も心地よく吹き、良い散歩となった。

 

 

広東・厦門茶旅2019(2)茶博で広州茶会の将来に出会う

5月26日(日)
お散歩

昨晩はずっとCCTVのスポーツチャンネルを見ていた。昔は世界の情報が何も入らなかった中国だが、スポーツに関しては、今や素晴らしい環境が整っている。各種目の世界大会は国営放送が無料で見せてくれるのは何とも有り難い。『世界バドミントン男女混合国別対抗戦2019 スディルマンカップ』を中国南寧でやっている。日本対インドネシア、日本は男女両エースが順当に勝ち、勝利。決勝の相手は中国になった。

 

朝ごはんはホテルで食べる。前回からこのホテルチェーンの朝食券が付くようになり、取り敢えずあるものは食べる。まあどこへ行ってもほぼ同じメニューではあるが、良しとしよう。本当は今日午前中からKさんとお出かけの予定だったが、彼女の都合により、一人で十三行博物館に向かう。

 

この博物館、開館当時に一度来たことがあったが、その後色々と歴史調査が進む中、また確認の意味を込めて地下鉄に乗って訪ねてみる。パスポートを提示すれば無料というのも有難い。展示物はおそらくそれほど変わっていないと思われるが、所々に気になるものが置かれており、茶の歴史としての統計数字などもあり、また当時の茶の名称から気づくこともあり、種々勉強になる。さらっと1時間ほどで見終わったが、何と土砂降りの大雨に見舞われ、動くことが出来ず、もう一度館内を巡ることになったから、気が付くことが増えたようだ。

 

雨は通り雨で、止んだ。外に出て、歩いて沙面に向かう。ところが道を間違えて、沙面の向こう側まで歩いてしまう。最近のボケ具合は相当のものだ。別の橋を渡り、沙面に入る。旧横浜正金ビルはちょうど真ん中ぐらいにあった。その裏のビルは、ギャラリーのようになっており、誰でも参観できる。かなりレトロな雰囲気で、写真に収めている人もいたが、総じて人がいないのもまたよい。

 

何となく疲れてしまい、宿へ戻る。駅近くの店に入り、ランチをテイクアウトした。ホルモン系のスープがうまそうだ。勿論中国の物価は以前と比べると高くはなっているが、こういう食事を見ていると、まだまだコスパは悪くない。これを部屋に持ち帰り、ちょうど始まったバドミントン決勝の試合を見ながら、ゆっくり食べた。日本チームは戦力的には有利に思えたが、アウエーの中で思うような試合が出来ない。ついでに明日からの旅に備えて洗濯もする。

 

茶博
夕方再度出かける。今日は広州で開催されている茶博の最終日。会場近くの駅まで地下鉄に乗り、Kさんと待ち合わせて見に行く。会場前ではダフ屋が入場券を5元で販売している。もうすぐ終わるので投げ売り状態だった。会場に入っても、既に大かたの人は帰ってしまったのか、ゆっくり見学できた。

 

私には特に目的はないので、Kさんの後ろをついて歩く。湖南安化茶は作り方から伝統的な飲み方まで再現している。雲南の高山茶があり、先日行ったばかりの四川雅安の蔵茶も出てくる。そして六安茶のブースでピタッと足が止まる。現在の六安瓜片とは異なる、老六安茶とは何か。その歴史には非常に興味があり、私も聞き入る。

 

2階に上がっていくと、茶空間の展示会場がある。近年中国でも単にいい茶を飲むだけではなく、どんな器で飲むか、そしてどんな場所で、どんな雰囲気で飲むかが、問われ始めている。そんな設計を競っているようで、かなり力が入っており、驚くような空間が演出されていた。将来は日本の茶道のような、いや中国独特の茶空間が出現するだろうと思えた。

 

Kさんと会場下で夕飯を食べる。ちょっと落ち着いた空間があり、お茶を飲みながら、簡単なものが食べられるようになっていた。やはり広州、そのちょっとしたものが美味しい。何気ないものが美味しいのが本当に美味しい料理だと思う。食は広州にあり。ついでにお茶も美味しい。

 

茶博の終了した夜8時から、広州茶文化促進会の黄会長などを中心となって、『広州の茶文化をどのようにしていくのか』といったテーマで、シンポジウムのようなものが開かれ、私もKさんと一緒に参加した。Kさんは日本の代表、そして以前知り合ったコロンビア人のジェロも発言者として登壇した。

 

100名上の参加者、それも広州で名のある茶関係者が一堂に会する集まりであり、6-7人ずつ分かれてテーブルに座る。そこはお茶席になっており、各席主が工夫を凝らした設えをして、かなり良いお茶を持ち込み、いい雰囲気で淹れてくれる。私の席ではいい岩茶が出てきて嬉しい。

 

一方壇上では、何人もの発言があり、ディスカッションがあり、これだけの人間が広州にはいるのだと伝わってきた。そしてそれぞれが本当に広州の茶の将来を考えようとしている、これからを指向した集まりを目指していく様子がよく分かった。中国茶は本当に曲がり角に来ているな、と思われる。すでに角を曲がった?日本にはこんな真面目な集まり、あるのだろうか。

広東・厦門茶旅2019(1)深圳 茶葉世界

《広東・厦門茶旅2019》  2019年5月25日-6月2日

5月25日(土)
深圳で

香港から深圳にやってきた。今晩は広州に泊まる予定なのだが、広州へ行く方法はいくつもあった。ちょっと混んでいても、新しくできた高速鉄道で行くのが、旅人らしい振る舞い」だったかもしれない。ただ私は羅湖を通過した。その理由はズバリ、暇だったからだ。早めに広州に到着しても、予定がなかったのだ。

 

それともう一つ、最近深圳の茶葉市場に行った、香港在住のお知り合いIさんが、鳳凰単叢の李さんの店を訪ねた所、『最近全然来ないわね』というメッセージを頂戴したと伝えてきた。恐らく2年以上訪ねていないだろう。それなら暇なのだから寄り道して、羅湖から広州へ行けばよいと考えた。

 

イミグレは相変わらず外国人窓口が少なかったが、スピードは速かった。荷物検査は面倒だが何も問題はなかった。羅湖駅前にも特に変わった様子はなかった。茶葉世界も変わっているようには見えず、お客もまばらだった。ちょうど昼頃着いたら、李さんは弁当を食べていたので、場内を一周してみたが、店もそれほど変わってはおらず、やはり活気はない。

 

李さんも相変わらず単叢を売っている。ただ一時のブームが去り、商売は落ち着いているようだ(なぜか今日本人の間では単叢が流行っているらしいが)。李さん自身も『もうあくせく商売する気はしない。時々お客が来て、飽きない程度にできればよい』などと言っている。昔勤めていた頃の年金がもうすぐ入ってくるともいう。ご主人は既に退職して、悠々自適。ついに日本へも旅行に行ったらしい。

 

そんなことだから、ご主人も呼んで、一緒にご飯を食べようと誘ってくれる。私はこの店に何らの貢献もしていない。自分では単叢を飲むことはあまりなので、茶葉を買うことすらない。夜まで待って食事をしていると、広州へ行くのが遅くなることもあり、今回は丁重に辞退した。

 

もう一軒覗いてみた。台湾茶を売る店。ここは元々台湾人が経営しており、仲良くしていたが、数年前にそのオーナーがなくなり、店の従業員だった桃姐が店ごと引き継いでいた。阿里山の茶を主に商っている。結構いい焙煎具合の茶なので、意外と好きで、偶に飲んでいる。

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この店も、桃姐はいるものの、既に娘が結婚しており、その夫婦の代になっている感じだ。私などはお母さんの古いお客さん、という位置づけになっている。桃姐ももう商売の話などしなくなっている。ちょうど今から勉強に行くんだ、と言って去って行ってしまった。勉強の内容は何と『社会貢献』だというから驚く。中国、いや深圳はもう本当に一時代が終わり、次に時代に移行していると感じる。

 

広州へ
羅湖駅に戻り、広州行きの切符を買う。ここの行列もかなり短くなっており、有り難い。相変らず10分に一本は列車が出ており、日本の新幹線並みに乗車できる。いつものように広州東駅までの切符を買ったが、掲示板を見てみると、私が乗る次の列車は東駅を越えて広州駅まで行くらしい。

 

今日の宿泊先は広州駅の近くに取ったので、広州駅へ行きたい。だが勝手に次に列車に乗ることは出来ない。仕方なく乗り込んでから確認することにした。最初に掃除のおばさんが来たので聞いてみると、『このまま乗っていけば着くよ』という。次に来た車掌に聞くと『東駅でも広州駅でも料金は一緒だよ』というだけ。どうやって乗り換えればよいのだろうか。

 

結局終点の広州東駅で列車を降りて、駅で聞いてみる。ところが『ここはそれを教える担当ではない』などと言われ、詳細が分からない。改札口で聞くと『広州行きは当分来ないから地下鉄で行け』などという始末。もうすぐ列車が来ることを伝えて初めて確認して『1番ホームに急げ』などというのだ。もう呆れる。

 

何とかその列車に乗り込む。15分程度なので立っていく。地下鉄だと30分以上かかるのでかなりの節約だと思ったのだが、節約したのは乗車料金だけで、無駄な時間が多かった。というのは、広州駅に着いたものの、結局一駅地下鉄に乗るが早いと言われ、その一駅乗るために延々と歩き、切符の行列に並び、荷物検査を受けるのだ。バス路線を簡単に調べられるとよかったな。

 

宿は最近の定宿、チェーンホテル。なんと駅からすぐで有難い。おまけに週末のせいか、部屋をアップグレードしてくれ、かなり快適な空間となった。昨日の香港の宿とほぼ同じ料金で、部屋の広さは5倍、快適度は10倍にもなっている。冷蔵庫のドリンクも無料で飲める。

 

夕飯は近所を散策。何だか昔の広州が残っている一角があり、ちょっと迷子になりながら歩く。腸粉と米麺を食べて、大満足。やはり広州の食事は安くて美味しい。しかしよく見ると、小さな食堂が並んでいるのだが、潮汕料理という看板がかなり多い。この付近は潮汕人が多いのか、それとも潮汕料理がうまいからあるのか。私はこれから潮州へ行くので食べるのを控えた。

香港1泊茶旅2019(2)福建茶行で劇的に

結局自力で福建茶行を探して行って見る。看板が出ており場所はすぐに分かった。この店は以前前を通ったことがあるが、中に入る勇気がなかったところだ。今回は調べに必要なので勇気を振り絞って入ってみた。香港のお茶屋さん、一見さんには厳しい所もあるので、かなり緊張していった。奥の方でオーナーがお客さんと茶を飲んでいるのが見えた。

 

そこまで行って普通話で声を掛けた。オーナーより先に、お客の女性が飛び上がった。よく見たら、旧知のKさんではないか。彼女とは3月にも四川の旅を一緒にしている。しかし何でここにいるんだ。彼女の顔にも同じ意味合いが浮かんでいた。聞いてみたら、彼女はお茶関連のイベントで香港に来ており、たまたま香港の友人に連れられて、この店に立ち寄ったというのだ。そんな偶然、あるのだろうか。でもあったのだから驚くわけだ。

 

私はこの機会を十分に活用した。オーナーは日本女性が来ており上機嫌だったので、私に対してもとても優しかった。こちらは聞きたいことをどんどん質問した。Kさんはさぞや目を白黒させていたことだろう。Kさんたちは次の予定があると言って、お茶を買ってスッと去っていった。僅か20分ぐらいの出来事だった。

 

オーナーの楊さん(2代目)は上機嫌で、その後もお茶を淹れてくれ、色々な話をしてくれた。私自身の確認事項は張源美と福建茶行の関連だったが、どうやらさほど関係なく経営されていたらしいことが分かる。そして今に至るまで、東南アジアへの輸出は続けている。古い茶箱が歴史を物語っている。これから上環に来たら、この店にも寄ることにしよう。これもみな、Kさんとの出会いのお陰だろう。

 

ホンハムで
またMTRに乗ってTSTで降りる。そこからホンハムまで、ダラダラ歩いて向かう。今晩は久しぶりにIさんと会うことになっていたが、なんと彼は広州出張からちょうど戻ってくるところで、待ち合わせ場所はホンハム駅になった。広州からの直通列車に乗ってくるという。

 

駅で待っているとIさんが出てきたので、Iさんが知っているという駅近くの串焼き屋に向かった。ところがそこは大流行りで、待っている人々が沢山いた。まあ、金曜日の夜だし、日本食ブームの影響もあるのかもしれない。我々は近所の海南チキンライス屋に入り、なぜかハート形のライスの付いた、海南チキンを食べる。これもまた一興。

 

Iさんは旅行会社を経営しており、鉄道(乗り物)オタクでもあるので、旅関連の人として認識してきた。ところが今日話してみて意外な事実が分かった。彼は学生時代、中国現代文学を学んでおり、私は上海に留学した頃、すでに北京に留学していたらしい。学生時代、殆ど勉強しなかった私だが、強烈な印象を受けたのが中国人作家の劉賓雁だった。彼はその辺の作家を真面目に学んでいたというのだ。まさかこの話題でお互い理解できる、盛り上がれるとは思ってもいなかった。相当の驚きである。

 

食堂が寒すぎて、そこを出て、その昔ヤオハンがあった舟形のショッピングセンターまで歩いた。今はイオンなのだろうか。懐かしいというか、何というか。海まで出て夜景を眺める。知らないうちにこの辺にもMTRの駅が出来ており、それに乗って帰る。便利なったんだな、とちょっと寂しい。

 

5月25日(土)
深圳へ

狭いながらもよく眠れた。翌朝は10時前にサムスイポーへ向かった。昨晩買えなかった、中国用シムカードを購入するためだった。これがないと中国で生きていけないから必須だ。帰りにうまそうにご飯を食べている人がいたので、道端で朝食をとる。インスタント麺にソーセージと目玉焼きを入れる。やはりこの辺はジャンクだが安い。悪くない。

 

ホテルをチェックアウトして、太子駅付近で銀行を探したが私の用事がある所はATMしかなく、九龍塘まで出て、ショッピングモール内の銀行で用事を済ませた。何とパスポートが切れてから手続きをしていなかったので、カード使用が止められており、新しいカードが発行された。

 

そこから昔なじみのMTR東線で、深圳を目指した。偶には良いかと一等車に乗る。意外と混んでいて驚く。むしろ普通車の方がよかっただろうか。料金も昔に比べて結構高くなっていた。深圳のイミグレはいつものように混んではいたが、それほど待たずに境は越えた。さて果たしてこれからどうなるのだろうか。

香港1泊茶旅2019(1)上環で下調べも

《香港1泊茶旅2019》  2019年5月24-25日

とても久しぶりに広東省の潮州に行くことになっていた。同行してくれるのは広州在住の張さんだったので、当然潮州の現地集合だと思っていたところ、何となく広州に来て欲しい、という雰囲気が漂う。まあ、それでも良いので、広州に行くことにしたが、ちょうど気になる茶荘が香港にあったので、まずそちらを目指す。香港は先月も訪問していたので何と2か月連続。こんなことは滅多にない。まあ1泊のショートトリップ。

 

5月24日(金)
中華航空で

香港へ行くため、桃園空港に向かう。いつものバスに乗る。今日のフライトは中華航空。中華に乗るのは何十年ぶりではないだろうか。基本的に日本線はスターアライアンスかLCCに乗るので中華の選択肢はなかった。何となく料金が高い、イメージがよくないというのもあったかもしれない。だが今回香港片道で検索したところ、一番安くて時間的に便利だったのが中華だったことは意外だった。

 

桃園空港の到着が意外と早く、搭乗まで時間があった。どこで時間を潰そうかと考えたが、取り敢えず搭乗口付近まで行こうと歩いていると、初めて見る空間に遭遇する。そこはラウンジのようにも見るが、誰もが使える無料の空間であり、知られていないのか、ほぼ人がいない。薄暗いところにテーブルがあり、充電も可能と理想的な環境。おかげで落ち着いて旅日記を書くことができ、満足。

 

中華の機内は当たり前だが、きれいで、映画を見ることもでき、美味しいとは言えないが機内食もチャンと出てくる。機内誌を見ると、何と紅茶関連の歴史を記した記事まで出ており、嬉しくなる。これでLCCより料金が安いとはどういうことだろうか。最近LCCの香港エクスプレスをキャセイが買収したとのニュースを見たが、そういうことが影響しているのだろうか。いずれにしても、有難い話だ。

 

1時間半のフライトで香港空港に着く。イミグレは簡単に通過。LCCではないので、キャリーバッグを預けずに済んでおり(LCCは重量制限が厳しく荷物を預けるが、香港空港の荷物待ちは非常に時間がかかる)、そのまま外へ出られるのもとても有り難い。先月来た時に買ったシムカードが使えるかを確認。50ドルのチャージで使えると分かり、チャージする。このシムの仕組み、初めて分かった。半年でシム自体は失効する。

 

先月はバスで黄大仙に向かったが、今回の宿は太子なので、TST行バスに乗る。さすがにTST行きは利用客が多く混んでおり、久しぶりに2階席に座る。40分ほどで最寄りのバス停で降りる。そこは広東省各都市行きのバスが出発するところで、大勢の人が荷物を持って待っていた。私も明日の広東行き、ここからバスに乗れば楽だな、と思ってしまう。

 

太子で
小雨の降る中、歩いてホテルへ向かう。この付近は、繊維問屋などが多く見られ、随分と昔の香港の雰囲気が残っている。ただそこで働いている労働者は、バングラ、パキスタン系、中東系など、とても香港の路上を歩いているようには見えない。いやこれが今の香港の現状をよく表している一つの光景だろう。

 

歩いて何とか、予約したホテルに着いた。先月はサムスイポーのドミトリーに泊まったが、今回検索してみると、そこの料金は倍以上に跳ね上がっており、それならば、と別のホテルの個室を予約した。そこはロビーもあり、フロントは英語を使い、きちんとしていたが、部屋は非常に小さく、殆どがベッドで占められていた。辛うじて窓から外は見えた。一応隣にバスルームもあったが、シャワーを浴びても体を捻ることが出来ず、体を洗うのには相当苦労した。

 

狭い部屋に居ても仕方がないので、取り敢えず外へ出た。MTR太子駅まで歩いていく。途中に飲茶屋があったので、フラッと入り粥を注文した。ついでに茶も頼んでみた。出てきたのはかなり焙煎の効いた水仙か。一体茶代はいくらだろうかと思っていたが、何と僅か3ドルだった。今もこんなところがあるんだなと感心する。これぞ本当の香港飲茶だ。

 

上環で
MTRで上環へ出た。今回の香港訪問の目的、それは茶荘を一つ訪ねることだけだった。だが初めての店は敷居が高い。まずは周辺情報を集めようと、茶縁坊の高さんの所へ行く。彼女も福建省安渓出身だから、同業者のことは知っていると思っていたが、全く知らないと言われ愕然。まあ高さんの大坪と西坪は同じ安渓と言っても離れているから仕方がないか。因みに高さんは今年の春、珍しく大坪に帰らなかったらしい。ついに張さんの鉄観音茶も見られなくなるのだろうか。

 

次に向かったのは、近くの堯陽茶行。こちらは西坪の出身だから、訪ねる予定の福建茶行を紹介してくれるだろうと思っていったのだが、馴染みの王さんに聞くとなんとこちらも、『あることは知っているが付き合いはない』と寂しい答え。同業者なのに、そんなものなのだろうか。折角なのでオーナーの三代目王さんに『1930年代に厦門から香港にお店を移したと言うが、その後厦門はどうなったのか』などの質問をした。厦門の建物はいまだに残っているとの答えだったので、今度厦門に行って確かめてみよう。

ある日の台北日記2019その2(13)台北高等学校

5月21日(月)
国家図書館で

今回は滞在が長いようで、台北から中国へ行くなどの予定が控えており、ゆったり構えている暇はなく、平日になると動き出す。まず今日は中正紀念堂の前にある国家図書館へ向かう。ここには以前一度だけ、古い新聞の調べで来たことはあったが、本格的に蔵書などを見る機会はなかった。

 

U-bikeに乗ると、さわやかに行き着くことができる。すでに入館証も作られていたので、簡単に入館する。そして館内PCで本を探したいのだが、ここのPC、なぜか日本語打てない?仕方なく、カウンターの人に頼んで探してもらった。多少の材料は見つかったが、核心的な問題に触れる本は少ない。今回私が見たかった新聞もここにはなかった。

 

そんな中、学生の修士、博士論文も沢山収蔵されていることを知り、こちらを丹念に当たり始める。同時に書庫に眠る論文も出してもらうように申請を行った。ところが、まるで日本の図書館のように?申請後1時間半も待たないとその論文を手にすることは出来ないと言われ、1時間半後に行ってみると『なぜかその論文、見付からないんですよ?』という始末。さすがにこれはまずいのではないだろうか。恐らくは人手も削減され、予算も限られているのだろうけれど、国家図書館なんだからなあ、と思いながら、お暇した。

 

5月22日(火)
資料探しで台北高校

昨日に引き続いて、朝から資料探しの旅。今日はまず師範大学へ行ってみる。この大学、名前は30年前からよく聞いていたが、一度も来たことがなかった。昔の企業派遣留学生は午前中師範大学で授業を受け、午後はTLIで個人レッスンに通うというのが一つのコースだったと思うが、私は既に上海で留学を終えており、同じ年齢の人たちが楽しそうに勉強している(上海ではあまり授業に行かず、旅ばかりしていた)姿は羨ましくもあったので、あえて来るのを避けていたのかもしれない。

 

門を入るとすぐそこに図書館棟があった。身分証(パスポート)を預ければ簡単に中に入れた。親切にも『日本人ですか?ここの8階には台北高校関連の展示室がありますよ』と教えられ、覗きに行くこととなる。一体どれだけの日本人がここに見学に訪れるのだろうか。8階まで登ると、建物の中央は空洞で、なかなかきれいな景色が見え、そして勉強している学生の姿も見える。

 

台北高等学校(その後身が現在の師範大学)と言えば、日本時代の1922年に設立された、台湾における唯一の高校で、ここを卒業しないと内地の帝国大学には進めない、と言われた学校だったと記憶している。李登輝元総統などの出身校だ。展示室は広くはなく、誰も見学している人もいなかったが、内容はかなり詰まっていた。

 

現在活躍中のタレント、ジョン・カビラ、川平慈英の父である川平朝清氏も台北生まれでここの卒業生。朝清が使用したノートなども展示されており、とても興味深い。他にも日本にゆかりの深い邱永漢や王育徳などの写真が飾られている。どちらもお会いしたことがある名前であり、何とも多彩だ。

 

教授陣も3分の2は東京帝大卒(歴代校長は全て)という、優秀な若手が送り込まれてきていた様子が窺われる。万葉集の研究で名高い犬養孝もおり、また子供の頃読んだ『次郎物語』の作者、下村湖人はここで学生のストライキに遭遇したという。

 

勿論光復後の台湾を支えた、立派な起業家になった卒業生も多くいる。私が今回注目したのは辜振甫氏。私は30年前、彼のグループ企業にお世話になり、2年程台北で過ごしたのだが、その中で1度直接お会いしていることも関係しているかもしれないが、何といっても光復前後に茶業を行っていたという歴史に興味があった。

 

この展示室には彼の一生に関する本が置かれていたが、鍵がかかっていて中味を見ることは出来なかった。彼のような台湾を代表する大物(日本でいう経団連会長を何十年も務め、最後は両岸海峡基金会のトップとして中国と対峙した)に資料がないはずはない。ここの図書館で、この本を見ることは出来なかったが、代わりにこの大学の卒業生の書いた論文は参考になった。本当に様々な研究をしている人がいるものだ、と今更ながら感心する。

 

辜振甫氏についてもう少し知りたいと思い、台湾大学に向かった。彼は台北高校から台湾大学に進んだ。ネット検索したところ、学内に辜振甫記念図書館があるというから、そこに資料があるだろうと思い、出掛けてみたわけだ。ところがそのきれいな図書館、名前は付いているのだが、それは遺族からの寄付で建てられたもので、決して彼に関する資料があるわけではなかった。なるほど、そんなものかもしれないが、ではどこに資料はあるのだろうか。

 

5月23日(水)
王将を覗いて

餃子の王将が台北に出店したらしいと聞いた。統一時代百貨は自転車ですぐなのもあり、また天気も悪くなかったので、ちょっと散歩がてら、覗きに行ってみた。地下2階の飲食街の奥にその店はあった。かなり広い店舗だが、夕方5時代だからか、お客は殆どいなかった。メニューを見ると、本格中華のような料理が並んでおり、簡単な餃子定食などはなかったので、かなり残念だった。

 

店員に聞いてみると『ここは日本とは違うんです』という。餃子の王将は中国大連に進出したが、すぐに撤退。その同じ年に高雄に店を出したらしい。当然中国での失敗を念頭に、きちんとした調査を踏まえて出てきたのだろう。そして満を持しての台北進出だから、私がとやかく言う必要はない。ランチにはセットメニューもあるようだが、一介の日本のおじさんとしては、餃子や回鍋肉定食が欲しい。

 

王将を諦めて、横にあったとんかつ屋に吸い込まれた。ここは5時代なのに、もうお客がかなりいる。とんかつ定食を頼むと、サラダが沢山出てくる、漬物が数種類出てくる、そしてさらっと揚がった美味しいとんかつが出てきた。これで日本円1000円ちょっとなら、これは満足できる料金と言えるのではないだろうか。

 

台北の日本食店は激戦である。ニーズは多いが競争相手も多い。少し油断するとすぐにお客を奪われる。そんな中で王将はどんなお客を描いているのだろうか。日本の中華、という、ある意味の日本料理で勝負できるのだろうか。焼き餃子なら、大手チェーン店が半額ぐらいで提供している。まあ、対象が日本人のおじさんでないことは確かだな。