この寺は奥が深く、しかも私の部屋は一番奥の更に2階の端。入口から一番遠いと言ってよい。スーツケースを廊下で引きずらないように持ちながら行くとシンドイ。そして部屋は一人で使う畳部屋。広さに問題はないが、勿論鍵などはなく、プライバシーはない。しかもトイレは1階にしかないので、夜中は大変だ。ただ中庭はとても美しく、まさにインスタ映えの世界で、外国人もしきりに写真(動画)を撮っている。
実はこのお寺、何故か六文銭が目に付く。何と真田家の菩提寺、との表現もある。その辺を聞いてみると、『裏に真田信之の墓がある』というではないか。真田といえば関ケ原後、昌幸、信繁親子が幽閉された九度山とも近い。寺の建物の脇を入っていくと出口があり、その先は細い路地。そして反対側、向こう側は別のお寺の敷地らしく、注意書きが書かれている。その向こうに墓石が見える。確かに真田信正と信之の名がある。かなり立派な墓だった。ただここから外の道路へ出ることは出来ず、完全に囲まれていて、一般人は参拝できない。この辺は高野山の闇だろうか。
寺の部屋にあったパンフの説明によれば、『関ケ原後、真田昌幸、信繁親子は高野山に蟄居を命じられたが、妻子が居住できないため、寺が九度山に場所を与えた』とあり、『信繁は高野山と九度山を往復、この寺で得度した』のだそうだ。大阪の陣後、兄信之と寺は繋がり、真田家菩提寺、真田坊として六文銭の使用が許されたとある。
夕方5時の瞑想まで時間があるので散歩してみる。まずは明日バスに乗るバス停を確認する。金剛峯寺の脇を通り、比較的賑やかな通り出る。この辺も歩いているのは外国人。日本人はお店の人などが多いように見える。以前泊った時も歩いた道をずっと行く。何となく懐かしい。ビルマ関連の展示がある寺もあった。最後は元に戻り高野山の入り口、女人堂まで歩くと、かなり疲れる。
本堂へ行くと既に数人の年配外国人が椅子に座っていた。後から来た若者たちは、興味津々に前の方の床に座る。住職が流暢な英語で、瞑想の仕方を教え、呼吸法を伝授する。それから約40分、久しぶりに目を瞑ってジッとしていた。住職は早口の英語で法話をされ、『日本人には後で日本語やります』と言い、外国人は先に退出して夕飯に向かう。何と残ったのは、私と女性が一人だけ。
夕飯の場所へ行くと、既に皆が畳に座り、何とか箸を使って精進料理を食べている。高野豆腐やてんぷらなどが中心で品数はある。ご飯は自由にお替りでき、若者たちは恐る恐る御櫃に近づく。宿坊体験をエンジョイしているだろうか。もう一間では、VIP用に住職も交じって会話がされている。こちらに座るには特別料金を支払い、特別室に泊まる必要があるらしい。私の部屋は1泊100ドルちょっとだが、彼らはその3倍は払っているようだ。彼らの部屋には鍵がかかる。
食事が終わるとすぐに風呂に向かった。ここは6時半から入れるので、ちょうど始まった時間に行ったら、なんと住職が一人で浴びていた。ちょっと話し掛けると『外国人の宿泊が多いのは歓迎だが、本当でこれでいいのか』と少し悩んでいる様子が見られた。『宿泊代が日本人価格ではないと言われることも多く』とは、正直私も感じる所だ。風呂は数人が入れるのだが、寺の方から『早めに入った方が良い。外国人は風呂で長話などするので』とアドバイスを受けていた。色々と大変だな、宿坊。
部屋にはWi-Fiが飛んでおり、明日の処理などをしていると消灯時間の9時になる。皆さん、意外と真面目に就寝したようだが、隣のフランス人のいびきと寝言がうるさい。もうドミトリーなどにも泊まらないので、実に久しぶりに人の寝息を感じながら夜を過ごす。夜中に2回ほどトイレに起きたが、その度、誰かを起こしてしまうかも、とひやひやした。