熊本・福岡茶旅2023(2)水俣の山中で

12月12日(火)水俣で

朝は明るくなると川の音で目覚めた。階段の軋みの音が何とも良い。また温泉にゆったりと浸かる。何だか疲れるが取れる。朝飯はパンが置かれており、適当に食べるらしい。みかんもあったので簡単に済ませる。それが健康的でよい。宿では宿泊客同士の交流もあり、和やかだ。

散歩に出ると雨も上がっており、何とも気持ちが良い。この宿、明るくなって見てみると、かなり色々と飾りや置物があり、何とも風情がある。昔は立派な旅館だったのだろうか。6年前に今のオーナーが、いい温泉が出るのでもったいないと、借り受けて温泉重視で再開したらしい。

今日はまずは水俣図書館でお茶の歴史調査を開始する。以前も来たことがあったので簡単に済ませる。その後地元の銘菓、美貴もなかを買いに行く。餡がぎっしり詰まっていて美味しい。有名な店だが、店に行かないと買えないらく、地元民の行列が出来るという。隠れた銘菓、いいね。

水俣城跡をちょっと見る。相良氏が島津に攻められて落城したとある。関ケ原後は加藤清正の支城となったが、すぐに破却された。ここ水俣は国境、常に島津を警戒していたようだ。相良と島津の関係、それは江戸期の沖縄の茶に繋がっていく。なぜかお寺があり、そこに豆腐の行商が来ている。城付近の地名は陳内という。やはり国内だけでなく、中国などとの繋がりもあっただろうか。

車は徐々に山を登っていく。途中いい感じのヤマチャが見られ、思わず車を降りた。この茶葉でお茶を作ったら、美味しそうだと思う。Aさんも頷いている。林の中を分け入ると、そこには昭和3年に茶園が開拓された時の記念碑が建っている。今や完全に埋もれてしまった茶の歴史、実に興味深い。地元でこの歴史を発掘して欲しいなと思う。

標高約500m付近まで行くと、戦前にアメリカ帰りの入植者が茶の栽培を始めた場所があった。石飛という集落で、旧石器時代の遺跡も確認されている。ここに南畝(のうねん)正之助翁顕彰碑が建っている。お名前も独特だが、ここで一体どんな茶業が展開されたのだろうか。残念ながら戦時に茶業は衰退してしまったようで、戦後改めて入植したのがAさんのご先祖たちだということだ。さっき買ったもなかを持って、Aさんの家へ行く。この奥深い土地で丁寧な茶作りが行われている。なぜかイタリア人の若者が研修?している。お父さんから簡単にお話を聞く。

近くの家にシイタケを取りに行く。そこの方は猟師もやっており、最近は大忙しらしい。イノシシなどが沢山出るようだ。昼はラーメンを頂き、宿に戻った。午後は私がちょっと国産紅茶の歴史をお話しする会を開いて頂いたが、お役に立っただろうか。旧知のKさんもわざわざ聞きに来てくれた。この宿にこんなレトロな広間があるとは。これもまた楽しい。

ここ湯の鶴温泉を散歩してみる。この付近にもやはり平家の落人伝説があった。やや鄙びた感じの温泉街、細い川を挟んで両側に建つ温泉宿、その風情が如何にも昭和な日本だった。また温泉に浸かり、夜はまたおでんを頬張り、畳の部屋で寝る。これはなかなかいい生活だ、と強く意識して寝る。

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