北京・天津旅2024(3)冷え込む天津で広東鍋

降りたのは周鄧紀念館という駅。さすがに周恩来・鄧穎超夫妻の偉大な功績が通路に多数展示されている。地上に上がると5年ぶりのXさんが待っていてくれた。今回天津に来たのはXさんと会うためだった。まずはそこにあった水上公園を歩きながら、お互いの近況を報告し合う。更に公園内にある博物館で、天津の歴史を詳細に学ぶ。

天津は先日かなりの雪が降ったようで、公園内には雪が残っているが、今日の天気は抜群。そして北京より寒さを感じる。それは景気が低迷していることとも関連あるだろうか。Xさんの車で市内を少し走る。5年前、天津を茶旅した時、色々とお世話になったことを思い出す。当然ながら天津には歴史関連のスポットが多い。

お昼ご飯に行く。Xさん行きつけのカフェ、と思ったが、実に奥が深く、個室がいくつもあった。元々はXさんの学生も同席予定だったので個室を取ってあったが、インフルが流行っており、結局2人で広い個室を占領することとなる。このお店、コロナの時は大変だったようで、色々と工夫をして凌いだらしい。その結果生まれたのが広東系の鍋料理だったというから驚きだ。

この鍋、打辺炉はスープが絶品だった。まあ広東系はスープが命、というところがあるが、この鍋は広西のチワン族が起源とも言われているようで、少し独特だった。そこへ野菜やキノコをぶち込んで煮込む。最後に新鮮な鶏肉を入れれば、完璧な鍋が出来上がった。天津でこんな旨い物が食べられるとは思いもよらない幸せ。

Xさんとの付き合いは長いので、昔話や故人になった方の思い出話しでいくらでも続けられる。娘さんは今や大学を卒業して、京都で茶業関係の会社に勤めているらしい。チャンスがあれば京都に会いに行こうと思う。中国経済の話しはほんの少しだけ。非常に状況が良くないことだけは理解できた。これから中国はどちらの方向へ向かっていくのだろうか。Xさんも新たな展開を模索しているようだ。

話しは尽きなかったが、予約した高鉄の時間があったので、来た道を戻り、天津駅へ。帰りも至極順調で、何事もなく北京に帰還する。今回臨時入境の範囲に河北省と天津が含まれていたのは、実に幸運だった。まあ日本で見た報道でも天津経済は中国内でもかなり悪いと聞いていたが、それは事実のように見えた。

宿近くに戻り、コンビニを探したが、なかなか見つからない。日本のようにその辺に路面店があるというより、オフィスビルの中に入っているので、歩いていても見つからない。オフィスビルも昔とは随分イメージが変わっており、1階ロビーはおしゃれな空間が広がり、若者がネットで作業などをしている。

京城大廈は何とも懐かしい。昔仕事で何度もここへ来た。あの頃は燦然と輝く50階建てのビルだったが、今でも異彩を放っている。中に入りATMを探すと、創業者栄毅仁の像が暗闇に浮かび上がる。中国の変化を彼はどう見ているのだろうか。なぜかATMカードが使えなくなっていて焦る。宿へ帰るとアジアカップ、日本対イラク戦が生中継されている。こういうところが中国は素晴らしい。日本では中継すらままならないのだから。しかし負けては何もならない。

1月20日(土)魚祭りの夜

朝起きると急に銀行カードが心配になる。もしこれが使えないと大変面倒だと思い、銀行へ向かった。だが日曜日のオフィス街、支店は閉まっており、聞くことは出来なかった。仕方なく試しにもう一度ATMにカードを入れてみると、何と普通に作動したので、どっと疲れた。この辺が不安定な中国だ。

今日は昼に約束があるが、時間が出来たので、ちょっと南羅古巷へ行ってみた。ここは15年前の私のお気に入りの場所。だがその後観光地化が進み、今や胡同の面影もかなり変化してしまった。更にコロナ禍の影響もあり、記念館なども閉鎖され、道はきれいになり、説明板は充実してきているが、古き良き時代は過ぎ去っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です