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チェンマイ滞在記2023その2(1)1 チェンマイ宿探し

《チェンマイ滞在記2023その2(1)》  2023年9月24₋30日

いよいよチェンマイ滞在が始まった。まずは住むところを探し、体制を整えることが肝心だ。果たしてどんな生活になるのだろうか。

9月24日(日)チェンマイで家探し

チェンマイ空港には定刻前に到着した。荷物もすぐに出てきて、Boltを呼ぶとこれもすぐに来た。予約した宿まで10分で着く。バンコクとは違って、驚くほど効率的な街だ。気に入った。宿は4年ほど前に泊ったことがある昔の一流ホテル。日本の皇族の写真なども飾られているが、今や人影はない。部屋は広いが、古さは否めない。というわけでかなり安い料金になっており、有り難い。

前回滞在時にガイドをしてくれたケンサンが来てくれた。すぐに近所に家探しに出掛ける。本当に歩いて3分ぐらいのところに広いアパートがあった。中庭にはプールもあったが、部屋はかなり殺風景でちょっと躊躇する(因みに家賃は安い)。道路を渡って路地へ入ると、そこにも数軒の貸アパート(1か月単位)があった。その内の一軒に入ると、内装はきれいで家具も整っていたが、先ほどよりかなり高い。

そして3軒目。結構古いが一応整っており、何といっても家賃が安い。空き部屋が一つしかないというのも評価できる。小さいベランダもあり、窓から風景があるのも良い。エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、調理は出来ないが簡単な食器も付いている。まあいいかな、と思える水準だったので、今日のところはここまでとして、明日チェックアウト後、ここに来ることにした。

ケンサンと別れて、ニーマンの方へ歩く。明日からの生活に備えて周辺の見学をする。実はニーマンをちゃんと歩いたことはない。コロナ前、ここは中国人だらけと聞き、避けていた場所。一度だけチェンマイ大学近くの宿に泊まり、MAYAまで買い物に来たことはある。そして今年1月、ワンニーマンで開かれたティーカンファレンスで劇的な出会いがあり、今回のチェンマイ滞在が決まった場所でもある。

ワンニーマンの裏の方へ歩いて行くと、ちょうどよい食堂があったので、そこでイカチャーハンを食べた。これが旨い、そして安い。チェンマイはいい所だと思った瞬間だ。その付近にはタイ料理から洋食、更にはラーメン屋やカフェなど、何でもあるように見えた。これでチェンマイ滞在は安心だ。

かなり歩いて行くとマックの99バーツセットまであった。マックはやはり外国人向けと地元民向けで値段を分けている。そこからスアンドック門を回り、宿へ引き返すと、いい感じのお寺もある。夕暮れの寺で、まったりしてから戻る。これはチェンマイ生活、止められないかもしれない。

9月25日(月)新居へ

一泊したホテルは広い。そして眺めも良い。しかも料金はかなりお手頃。昔は高いホテルだったのだろうが、隣のショッピングモールも閉店してしまい、ちょっと寂しい雰囲気が漂う。朝はまたニーマン方面へ歩いて行き、ちょっとおしゃれなカフェに入り、朝ご飯を食べる。昔チェンマイに来ると朝食が安くて充実していた印象があったが、やはりカフェがすごく多いので、競争も激しいのかもしれない。

ソーセージにベーコン、目玉焼きにトースト、そして珈琲とオレンジジュースまでついて、150バーツは安い。しかも雰囲気はよく、長居したくなるような木の感じもある。白人さんが何人か来ており、アジア系女性も顔をのぞかせていた。ダラダラ、ボーっとした朝は何といっても幸せだ。

そして昼前に宿をチェックアウト。かなりの日差しの中、荷物を引いてアパートへ向かった。肩肘痛があるので、かなりゆっくり歩いたが、5分で到着する。最終的にもう一部屋見たが、昨日見た方が断然良いので、そこで契約する。掃除などの時間が必要とのことで。午後また来ることにした。

バンコク滞在記2023その3(4)ガチ東北料理はないバンコク

9月22日(土)シムカード

私はタイのシムカードを持っているが、それ以外に旅行用シムを時々買うので、どれがどれだか分らなくなってしまった。そこでYさんに協力を仰ぎ、一緒に近所のAISショップに行ってみた。その結果3つ持って来た全てのカードが旅行用で、探していた物は無くなっていることが発覚する。そこで再発行の依頼をした所『あなたのパスポート番号は登録と違うから発行できない』と言われてしまう。

腹が減ったので八番ラーメンで作戦会議をする。ラーメンと餃子、それにメンチカツまで注文してうっ憤?を晴らす。なぜか外ではキムチを大量に売っている。そこからプロンポーンにあるAISの基幹店へ向かう。小さな店では修正できないというので大きな店へ行く。ところが週末ということもあり、また新型Iphoneの発売日と重なっていたらしく、お客さんで満員。

何とか並んで1時間近く待ってカウンターに辿り着くと、あっさり修正してくれ、しかも新しいプログラムを即日起動してくれた。何とも有難い。というか、簡単ならどこの店でもやって欲しい。そこからお馴染みのカスタード中村へ行って総菜パンをたくさん買い込む。久々にバイタクで宿に戻る。

9月23日(日)リベンジ

朝またフラフラ散歩する。先日行った飲茶をまた食べようと思って歩いていると、何とホルモン麺屋の前を通りかかる。いつも夕方しか行かないから気が付かなかったが、ここは朝からやっていた。結構客がいたが思わず入っていつもの麺を注文してしまった。朝からホルモン、とは思ったが、美味い物はちゃんと口に入り、そして胃に落ちていくものだ。幸せな朝だった。

昼までなでしこジャパンのサッカーを見る。ワールドカップでいい感じだったので、注目度も少しは上がっているだろう。次のオリンピック予選で負けてはリオ五輪の蒸し返しに終わるので、気を付けたいものだ。見終わるとすぐにMRTに乗って一昨日大雨で外に出られなかったところにリベンジ。今日雨は降っていない。

駅を出てすぐに横道に入る。その先は漢字の看板は並んでいたが、思っていたような中華街でもなかった。蘭州拉麺など中国料理屋がいくつか見えた。ただ我々が今探しているのはガチ東北料理。Yさんが食べたことがないというので、必死で探したが、どうしても見付からない。

かなり奥へ行き、更に道を曲がって突き進む。四川系はいくつもあるのだが、東北料理はない。ようやくそれらしい店を見付けて入ったが、料理人はタイ人で華語も通じない。それでも水餃子に土豆絲、干偏四季豆などを頼むと一応それなりの味だった。帰ろうとしたら、また雨が降り始め、Yさんと話しながら止むのを待った。

最終的に小雨になったところで、店を出てMRT駅まで戻る。途中の店では華語も通じたので聞いてみたが、恐らくここでは『地三鮮』は食べられないだろうと言われてガッカリ。これでバンコクでの私のアクティビティーは終了となった。夜はゆっくり休み、明日からのチェンマイに備える。

9月24日(月)チェンマイへ

朝ダラダラと起き上がる。今日はついにチェンマイへ移動する。残ったパンをかじり、荷物を整理して、ロビーで車を呼ぶ。だが月曜日の朝、なかなか捕まらない。ようやく捕まった車がやってきたのは、20分以上経っていた。しかしそこからが速かった。特に高速道路にも乗らず、黙々とした道を走ったが、僅か25分でドムアン空港まで着いてしまった。料金も安くて、有り難い。

チェックインも順調に終了し、時間が余る。いつものように食堂へ行き、ついに鴨麺とワンタンスープのセットを食べる。これで90バーツはお値打ちかなと思う。その後の荷物検査もあっさりと終わり、セブンでドリンクを調達して、いざ飛行機を待つ。特に遅れることもなく、フライトは極めて順調にチェンマイへ向けて飛び立った。機内はそれほど混んでおらず、ゆっくりできるのがタイライオンの良い所だ。

バンコク滞在記2023その3(3)雨季のバンコク

9月20日(木)お休み

何だか疲れが出てしまう。まだほぼ何もしていないのになぜだろう。午前中は完全休養に充てるつもりが、原稿書きに追われた。ランチはYさんといつもの食堂へ行き、いつもと同じ料理を食べる。一番安心感があり、また満足感が得られる。まあ今回バンコクに居るのは、この食事のためだったかもしれない。

午後はどこかへ出掛けようと思っていたが、何と雷雨となる。最近バンコクでは激しい雨が降り、道路が冠水するなど被害が出ていたが、私が来てからはそれが無かった。そして夜の予定も何となくキャンセルとなり、食事を考える。ちょうど雨が止んだので、タイヤ屋さんの麺でも食べようと出て行ったが、残念ながらやっておらず。それならと近くのマックに駆け込み、99バーツセットを頬張る。このセット、チェンマイでは見かけなかったので、ここで食べておく価値はある?

9月21日(金)晴れから雨へ

朝は天気が良かったので、いつも行くバンミーの店まで行ったが、残念ながらやっていなかった。そこで今度は反対に歩き出し、クロントイ市場の向こうまで行く。そこに先日バスから見えた蒸籠が積まれていた店があった。いくらか分からないが焼売と叉焼包を注文する。何と2つで50バーツ。こんなに安いなら明日も来るか、と思う。

クロントイ市場を久々に歩く。結構活気があり、お客はコロナ前と同じようだった。物価は何となく上がっているように見える。そこから宿へ帰り、また休息する。何だか休みが多い。ランチはまたYさんとパッタイの店へ行く。私はパッタイしか食べたことがなかったが、この店にはカオカームーがあると初めて知り、トライする。灯台下暗し。

午後はプロンポーンまで出る。Mさんとおしゃれなカフェで待ち合わせ。このお店、何と日本茶メニューがあり、玄米茶を注文する。煎茶と玄米茶が同じ料金というは日本では考えられない。しかも140バーツとはいささか高い。どれだけのタイ人がこれを頼むのだろうか。まあ、差し湯もしてくれて、ゆっくりお話しが出来たので、良しとしよう。

そこからBTSに乗り、アソークで乗り換える。プロンポーンでは雨模様だったが、アソークでは夕日が見えたので一安心したのだが、何と目的地ホイクワンに到着すると地上は大雨。待ち合わせていたYさんは出口の人ごみの中に立っていた。誰も外へ出られず、人はどんどん増えていく。決断の時が迫り、我々はここを撤退することとした。

ただ宿へ戻るにもこの雨では難しい。そこでMRTでアソークまで戻り、ターミナル21で夕飯を食べることにした。一番良いのはフードコートなのだが、当然のことながら席がない。雨もあるから空きそうもない。そこでふらふら歩き始めると、目の前に中華のSee Fahが現れた。ちょうど知り合いから、ここのクレーポットが美味しいと聞いていたので、思わず入ってしまった。

この店はチェーン店で、以前は近くのモールにも入っていたが、今はないので、かなり久しぶり。所謂なんちゃって中華系だと思い込んでいたが、そうではなく、1936年創業。潮州系がオーナーと思われる。確かに焼売は潮州系の形をしており、ラートナーもかなり旨い。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。

何とか雨が小降りなったが、タクシーは捕まらないので、バスで帰ることにしたが、なかなか来ない。道路はかなりの水が溜まっており、乗り降りするのも一苦労だった。更にバスを降りてほんの少し歩くのも大変。結局車で10分のところをバスと徒歩で1時間以上かかった。バンコクの雨季は本当に侮れない。

バンコク滞在記2023その3(2)老舗茶荘と老舗レストラン

午後バスに乗ってヤワラーへ向かった。ヤラワーの老舗茶荘林銘記は前回も訪ねたが、更に話を聞こうと出掛ける。ちょうど5代目のMaccoはその日だけ店にいるというので、ご縁を感じる。彼は一族についてかなり調べていたので、その辺を中心にその歴史の解明に取り組んだ。やはり興味深い話がいくつも出て来る。よく見ると隣の店は、あのタイ茶で有名な会社。聞いてみれば、やはり一族が経営していた。その先の林明記も同族だった。ヤワラーの歴史も少しずつ解明されていく。

帰りにヤワラーで鴨肉麺を食べる。昔よく行った店を探したが無くなっており、その横に新しい店が出来ていた。若い人がやっており、清潔感のある店だったが、英語も華語も通じなかった。料金も随分と高くなっており、観光客料金のようだった。帰りはまだ雨季のためか、雨模様となり、急ぎ足で帰る。

9月19日(水)昔の名店へ

午前中バスに乗り、シーロムへ向かった。ここからBTSに乗るため、サラディーン駅へ上がると、ローソンやヤマザキパンがお出迎えしてくれる。更にはエキナカスーパーまでできていて、ちょっと風景が変わっている。いよいよバンコクにも時間を惜しんで買い物する時代が来たのだろうか。

そこから川向うまで行く。川を渡ってすぐ、クルントンブリー駅で降りる。ここは10年位前に何度か来たことがあるが、実にご無沙汰だ。ここで後輩のUさんと待ち合わせた。バンコクの潮州料理探しをお願いしたのだ。ここからタクシーで10分ぐらい走っていく。随分と不便なところにあるのだな。

広い道からちょっと入った、こぎれいなアパート群のような場所にその店はあった。ただ隣は工事しており、営業しているのかと思うほど存在感が無かった。客もいなかった。ウォンリーと言えば、10数年以上前にバンコクに住んでいた人ならだれでも知っていると言われたスリオンの名店だったが、再開発でその場所を追われた後、ここに移ってきたらしい。店を懐かしむ人々もさすがに足が遠のくほどに遠かった。

ゴーヤースープや内臓揚げ、豆腐など、どれも普通に美味しい。お粥を頼むと白がゆが出て来る。これって、タイの居酒屋、カオトーム屋のようなものだ。外の工事はうるさかったが、店の拡張工事らしい。帰りがけにオーナー夫妻に出会った。奥さんが簡単な日本語を話し、後は華語になる。やはり潮州系の一族だった。昔は日本人も良く来たよ、と懐かしそうだった。メニューには今でも日本語があった。

一旦宿まで引き上げると、今度はOさんが迎えに来てくれた。彼と向かったのは何と洋服屋さん。今度お嬢さんが結婚するそうで、日本で式を挙げる。新婦の父としての礼服を借りるに当たり、その寸法を測るように指示が出たらしい。それにしても何も買わなくても、丁寧に寸法を測ってくれる店の人、Oさんのご人徳だろうな。

それからフジスーパーへ向かう。これもいつもの定番行事だが、何と今日はOさんが自宅で料理を作ってくれるというので、その買い出しを兼ねていた。『今晩は何でもいいですね』と3回もOさんに念を押されたのは、このためだったのだ。自宅でOさんはポテトサラダとパスタを振舞ってくれた。料理の間、ずっとしゃべっていたので随分と時間が掛かったが、実に美味しく頂いた。私はとても人に振舞う料理は出来ない。

バンコク滞在記2023その3(1)バンコクに日常と非日常

《バンコク滞在記2023その3》  2023年9月17‐24日

今年3月半ばに離れたバンコク。半年してまた戻ってきた。今回からは短期滞在となり、主軸はチェンマイに移る。さて、バンコクでの過ごし方はどうするか。行きたいところは沢山あるが、どこを選択するのかちょっと迷う。

9月17日(月)バンコクに戻って

早朝バスタ新宿へ行き、羽田空港行バスに乗り込む。インド系の家族が乗り込んできて、何となく車内が狭くなったような気がした。リムジンバスはスムーズで時間通りに着くから有り難い。だが相変わらず羽田空港の保安検査場への行列は果てしない。昨年から比べれば多少改善されているようだが、それでも出国までに1時間ぐらいはかかる。あの絶望的な行軍はいつか終わりになるのだろうか。

タイ航空のフライトは40‐50分前に搭乗が始まっており、既に皆さん、乗り込んでいた。昔タイ人は時間にルーズだと思っていたが、やはり中国人同様、意外と早く搭乗している(勿論中には買い物に夢中でギリギリの人も見られるが)。機内では食事を食べて、映画を見て過ごすと、すぐにバンコクまで来てしまった。

空港は羽田と違い、思いの外混んではいなかった。入国まで20分ぐらいで荷物を拾ってすぐに外へ飛び出した。本当はBoltで車を呼びたかったが、何と捕まえた車から200バーツの追加請求を受けるなど、決して心地よいものではなく、下へ行って空港タクシーに乗り込んだ。

こちらもボッタくり覚悟で乗ったのだが、運転手は極めて丁寧な男性で、何とも心地よかった。ところが車が走り出すと、何と前方に設置されていたナビが壊れて、落ちてきてしまう。2‐3度直していたが、結局使えない。そうなると料金も表示されない。運転手はとても困ったという顔をしたが、本当のところは分からない。ただこんなところで放り出されれば困るのはこっちのほうなので、いつもの料金にプラスして渡すことで決着した。これは新手の詐欺なのだろうか。

定宿に着いてホッとした。いつもの係員が顔を出したが、なぜか料金を払えという。私は以前から予約を知り合いに頼んでいたので明日彼に払うというと、違うという。支払いの用意をしていなかったので、慌ててデビットカードを出したら、何と使えないという。同じ銀行のスマホアプリを差し出すとちゃんと使えた。一体なぜ?後日確認したら、前回もフロントで支払っていたというから、私のボケ具合も相当になっている。

いつものようにパンを買いに外へ出た。途中のショッピングモールで夕飯を探す。なぜか豚足麺が輝いている。その麵はママー。インスタント麺で豚足を頂くのは初めてかもしれない。そして意外なおいしさを新たに発見する。以前の日常が非日常になっていく感覚が面白い。

9月18日(火)ヤワラーの茶荘へ

朝はいつものコムヤーンで開ける。まあ取り敢えずバンコクに来たなと感じる瞬間。これも永遠に続く時間だろう。ランチはYさんが最近発見したという近所の食堂。私は散歩でよく通っていたが、あまりにローカルで言葉も通じそうにないので敬遠していた店だった。ここのチャーハンは普通に美味しい。

ランチ後に隣に出来ていたモダンなホテルを探索。ロビーのデザインも良く、絵なども飾られ、すごくおしゃれな空間だった。トイレもLGBTQに配慮した誰でもトイレ。中には椅子があったりして、相当広い。こんなところがバンコクの先端をいっているようで、若者中心に泊まり客は多く、盛況らしい。

ある日の台北日記2023その6(4)バタバタの帰国

カフェの閉店までずっと話していた。暗くなっていたので、近所で夕飯を食べようということになり、いつもの食堂へ行ったが、その横の鴨肉屋が気になっており、入ってみる。何とほぼ満席で最後の一席に飛び込む。偶には美味いものを食べようと、店の人に聞いてみると、このおじさんが勧め上手。結構いい物を選べて大満足だった。一人ではなかなか入れない店、時には相棒が必要だ。

6月7日(水)昔の上司と

いよいよ明日は東京へ帰る。これまでこの部屋に3年半預けていた荷物をどれだけ持って帰れるのか。勿論葉さんは『荷物を早く持って帰って』などとは言わないのだが、私としてはコロナ禍のような不測の事態は今後も起こると考えなければならず、出来るだけ引き揚げておくようにしたい。その為にスーツケースまで買って、何とか押し込んでいくが、これまで貯めこんだ荷物は簡単には片付かない。

更には資料も出来るだけ持ち帰りたい。台北に来るのは来年になるので、それまでのストックも欲しい。何で2か月もいたのに、こんなに慌ただしいんだろう。急いで図書館に駆け込み、最後の収集に励む。そしてその近所でサンドイッチを食べたが、残念ながら私の好みではなかった。

実は昨晩突然、その昔サラリーマン時代の上司から連絡があった。何年も連絡していないのに、なぜ私が台北にいると分かったのだろうか。彼も半信半疑でメールしたらしい。これもまた運命だ。最後の晩はTさんと会うことになった。林森北路近くのホテルで落ち合い、懐かしの梅子に入る。

梅子、30年前は50回以上ここで食べた懐かしい店だ。Tさんとも出張などで来たのかもしれない。昔は圧倒的日本人客が多かったが、今は台湾人も多い。それでもウエートレスは流ちょうな日本語を話し、何とか最後の一席を確保して座る。そして懐かしい料理を注文して美味しく頂く。Tさんは私よりだいぶん年上だが、未だに現役で、出張できているというからすごい。ご馳走様でした。

6月8日(木)東京へ

朝から2つのスーツケースに詰めに詰め込んだ。本などがかなり重いので、預けられるか心配になる。そして最後の昼ごはん、やはり刀削麺を食べに行く。2か月前より随分と暑くなっており、初めてクーラーの効いた室内で食べる。まあどこで食べても美味しいが、涼しいのは有難い。

いよいよ部屋を出た。いつもはMRTで行くのだが、スーツケースが2個あるのでタクシーを拾う。初めてかな。何と15分で松山空港に到着する。早過ぎて空港ロビーに人影もまばらだ。チェックインはスムーズで、すぐに出国審査。ここもあまり人がいない。飛行機を待つ間もそれほど混んでいる様子はなかったが、フライト自体は満席だ。

フライトは30分ぐらい遅れて出発。機内では映画を見て過ごす。因みにエバ空港は安全の案内にもお茶が登場する。流石だ。機内食もまあまあ美味しい。結局30分遅れて羽田に到着したのだが、そこから預け荷物が何と1時間以上出てこない。しかも何の説明もない。ある人たちは地方へ帰る電車が無くなり、ホテルの手配を始める。台湾人もこの対応には不満そうだ。ずっと立って待っているのはやはり納得がいかない。

ようやく荷物を受け取り、空港バスに乗る。まだ10時だから余裕だが、もう少し遅ければ大変だ。羽田はやはり人員不足で手が回らないのではないかのだろうか。新宿に着くと雨が降っている。ここでタクシーに乗ればよかったのだが、何故か息子に連絡して駅まで傘を持ってきてもらった。結局二人で荷物を引き、濡れながら帰る。なんてことだろう。

ある日の台北日記2023その6(3)リアル茶金に会う

幹事役の杜さんは元銀行員。実は廖さんもその昔は銀行員ということで、そんな話でも盛り上がる。皆さん食事をしながら、思い思いに川柳を詠んでいる。私もご飯をお願いすると、懐かしい台湾の洋食が出てきた。帰りがけに日本人の若い女性から声を掛けられた。台湾大学に留学しており、歴史を学んでいるという。

彼女は何と浜松の出身で、『藤江勝太郎について調べてみたい』と言われたので、天地がひっくり返るほど驚いた。藤江勝太郎、5年前まで地元でもほぼ知られていない名前だったが、いつの間にか大学生がその名を口にするようになったとは、何とも感慨深い。歴史とは動いていくものなのだ。

そこから今度は南機場夜市の方へ向かう。昨年末の忘年会で知り合ったKさんからお誘いがあったので行ってみることにした。そこは四川料理と書かれた食堂。既に人が集まっており、その中には旧知のBさんや作家のKさんなどもいて驚く。Kさんのこれまでの台湾での活動の広さが良く分かった。

更には大変台湾料理に詳しいAさんやベジタリアンのIさんなどもいて、非常に有意義な夜を過ごした。今月日本に来る台湾人が、ベジタリアンであったり、牛肉を食べなかったりと、食事について色々とあるのだが、その解決法なども勉強になった。Aさんからは台湾語をはじめ、言語についても色々と教えてもらう。何とも有難い。帰り際、大雨となり難儀して帰宅する。

6月5日(月)スーツケースを買いに

今日は台北駅へ行った。駅付近は以前よく泊まっていたので、知っている店が多いと思っていたが、随分と様変わりしていて、馴染みの店が無くなっていた。ちょっとショックだが、コロナ禍もあり、それは仕方がないことだ。ただ周辺はやはり安い弁当屋などが多く残っており、その意味ではあまり変わっていない。何故か新しい、きれいな店に入った。蒸し鶏に特製ソースをかけて食べるのだが、まあまあ美味しい。

それから駅の地下街に行き、スーツケースを買う。前に行ったことがある店があったのだが、残念ながら閉まっていた。仕方なく、他を探していると、ちょうどよさそうな店があったので入る。聞いてみるともう20年もここで商売しているという。コロナ禍はお客が来なくて大変だったが、最近ようやく回復してきたようだ。まあ手ごろなケースが手に入ってよかった。

6月6日(火)歴史好きの若者と

朝起きると、サンドイッチが食べたくなり出掛けるも、お目当ての店は休業しており、結局今回ここでは一度しか食べずに終了となる。仕方なく近所をフラフラすると、意麺の店があった。しかも排骨羹がプラスされているので、思わず注文した。これは予想外の旨さ。最近予想外の旨さに出会うことが何度かあったが、もう少し早く見付けるべきだった。

午後、先日出会った留学生と会った。宿泊先の近所ではあるが、待ち合わせたカフェは全く知らない場所だった。確かに近所には若者向けのカフェは沢山あるのだが、おじさんが一人で入ることはないような雰囲気で、特に気にも留めていなかった。コーヒーも高くはない。

彼女が『藤江勝太郎を調べたい』と言ってくれたことが、とても嬉しかったので、話を聞いてみることにした。彼女は湾生などをかなり調査しており、先日来台した湾生にも同行していた。リアル茶金の廖さんについても、歴史を知りたいということで川柳会に参加していたらしい。藤江勝太郎とは台湾統治時代の設立された製茶試験場の初代場長。そして静岡県森町出身で、台湾茶業の基礎を築いた男だが、その存在はそれほど知られてはいない。

ある日の台北日記2023その6(2)旧三井倉庫の講演会

5月30日(火)蘭州拉麺

そろそろ台北を離れる準備が必要となってきた。まずはいつもの図書館へ行き、必要となる資料を探し出す。かなりの成果が上がったので、満足して終了し外へ出る。ランチを食べようと店を探すと、蘭州拉麺の看板を見かけたので入ってみる。先日高雄で食べた牛肉拉麺が美味しかったので、何となく惹かれたのだ。

看板に偽りありか。蘭州拉麺と書かれていたが、メニューにはそんなものはない。結局牛肉拉麺を食べることになる。台湾の牛肉麺は蘭州拉麺が発祥ということなのだろうか。しかしあの中国にある蘭州拉麺は台湾にはないのだろうか。牛肉をいつから食べているかも絡んで興味深いテーマではあるが、残念ながら解決の糸口は一向に見えない。

6月3日(土)旧三井倉庫で

本日は旧三井倉庫で講演会があるというので、行ってみる。先日鉄道博物館を見学したついでに1階だけちょこっと覗いてみたが、2階には上がれなかったので、ちょうどよい機会だだと思い、申し込んだ。この倉庫も100年前から三井紅茶が搬入されたのだろうか。そんなことを考えながら眺めるとちょっとワクワクする。

講演のテーマは『三峡茶業文化』であり、大いに興味あり。勿論三井の茶工場がここにあったことは重要なポイントの一つではあるが、台北郊外の茶の歴史、という、地域誌はあまり確認したことがないので、じっくりと聞いてみた。三峡茶業の歴史は1700年代に始まるとの話もあったが、果たしてどうだろうか。この手の話は凍頂烏龍茶の歴史などにもみられるので、見解が分かれる所だろう。

参加者は、歴史好きの一般台湾人と講師のお知り合いという感じだろうか。日本でも偶にこのような講演会があるのかもしれないが、台湾の場合は何だか和気藹々としていてよい。日本の場合、どうしても『私は知っている』といったマウントを取るような発言をする方がいるので、あまり好まないが、本日はそのようなことはなかった。

講演後は講師を囲んで、質問が飛び交っている。一方では呈茶が行われており、三峡茶が試飲されている。まあこのようなコラボは当然のことではあるが、一般の方々は歴史のお話しだけでは満足できないのだろう。2階の空間もかなりリノベーションされており、往時の雰囲気はない。

6月4日(日)リアル茶金に会う

朝ご飯はセブンに行って、初めておにぎりを買う。葱塩焼肉30元。思ったよりは食べられる。これからは時間がない時など、このおにぎりで過ごそうかと思ったが、もう帰国まで数日しかない。合わせていつも食べているあんパンを頬張る。伝統的な、安定的な味と値段は喜ばしい。

今日は何と台湾川柳会に行く。私は川柳とは全くの無縁だが、先日会ったHさんが『リアル茶金に会いたいなら川柳会ですよ』というので、その言葉通りに訪ねてみた。南京路のホテルの2階、月に1階開催されているというこの川柳会。台湾人と日本人が十数人集まっている(中には日本から来た人たちもいた)。その中に最年長96歳の廖さんがいた。

『茶金』とは一昨年台湾で放映されたテレビドラマで、主人公は戦前戦後、紅茶生産などで財を成した新竹北埔の客家一族。台湾史がきめ細かく描かれており、かなり好評だったと聞く。突然訪ねた訳だが、幹事役の紹介で廖さんから話を聞くことが出来た。

ある日の台北日記2023その6(1)台鐵弁当とうなぎ

《ある日の台北日記2023その6》  2023年5月26日-6月8日

5月26日(金)台鐵弁当

高雄から戻り、どっと疲れた。やはり暑いのだ。朝から外へ出る気にならず、部屋にあるものを食べて過ごす。それでも昼になれば腹が減り、また弁当屋で食事を取る。お目当ては味噌汁でお替りも自由だった。暑くても食欲が出ることは前向きに考えるべきだろう。

先日頼んだ名刺を取りに板橋へ向かう。もう慣れた道なので迷いはない。こんなに沢山名刺を持ったので配りたい気分になるが、実はもう配る機会はそれほどない。なんだか不思議だ、なぜ私は名刺を作ったのか。何となく持って安心したい、という気分だけだったのだろうか。

帰りに板橋駅の地下でパンを買った。水分以外はパンが一番だと思ったのだが、何とその反対側に台鐵弁当屋を見付けてしまう。先日台鐵に乗っても弁当を食べる機会はなかったので、やはり一度は食べようと列に並ぶ。弁当は2種類で、昔安い60元弁当はもうなかった。取り敢えず標準装備の鶏腿100元弁当を買って持って帰った。容器も以前の紙ではなく、プラスチックになっている。まあコロナもあったし、当然変化するよな。

5月28日(日)林森北路を歩く

最近週末よく出かける。今日はTさんのお誘いで、ランチに出向く。場所は林森北路と聞き、少し早く出て、周囲を散策した。ここはその昔は良く出没したエリアだが、現在はかなり変化した街になっている。飲み屋街を観光客が歩き、泊まる場所になっているので驚く。

Tさん指定の店は鰻屋さんだった。この辺でうなぎと言えば肥前屋。その前を通りかかると、相変わらず行列が出来ている。30年前の倒れそうな古い店が懐かしい。かなり暑いので、歩いている人は多くないが、ここだけは人がいる。最近は本当に飲み屋が減り、各国料理、ホテルなどに変身。

Tさんと、そのお知り合い一家と食事。彼らは今度北京に転勤になるというが、小さなお子さんがいて、何となく大変そうだなと思う。今北京、いや中国は昔とは全然違う。まず入国する時からして大変だ。ビザ取得も時間が掛かるかもしれない。現地でも慣れるまでは台北とは大違いだろう。うなぎセットを美味しく頂きながら、ちょっと昔話をする。

5月29日(月)肉巻

今日は先日高雄で訪ねた鄧先生の依頼で、茶商公会に彼の本を届けた。茶商公会には本当にお世話になっており、本を届けるぐらいはお安い御用だ。更に色々と情報を集めたかったが、既に台湾滞在期間も残りわずかだったので、今回はちょっとお礼を述べてすぐに帰った。

折角なのでまた金春発で別のメニューを食べようと行ってみたが、何と月曜日定休を忘れていた。さて、どうするかと歩いていると、旧円環付近に老舗がいくつかあった。その中でどうしても食べたくなったのが、肉巻。それに魯肉飯、肉羹、鴨蛋を並べて食べまくる。もう台湾が残り少ないので、許して欲しい。

それにしてもこの肉巻、実に美味い。タレが独特だ。この店は60年以上の歴史があるようで、思い出してみれば10年以上前に、ここで食事をしていた。日本のガイドブックにも載っているのか、日本人が日本語で注文しても、店員は難なく捌いている。何というべきか。

帰りに中山駅に行くと、地下通路に誠品書店があるので、そこで涼みながら、本を眺める。細長い、広い店内に日本関連の本が目に付く。ドラッグストアーに寄ると、広告の女優さんの多くも日本人のように見えた。今や当たり前になっているが、台湾には日本が溢れている。夜はまた炒羊肉を食べる。

ある日の台北日記2023その5(3)名刺を作る

5月22日(月)名刺を作る

実は台湾に来てから予想外のことが起きていた。持ってきた名刺がほぼ底をついたのだ。最近は名刺を出すことも少なくなり、新しく作ろうなどとは思っていなかったが、Tさんの会に何度か参加し、そこにやってくる多数の企業人は必ず名刺を出すので60₋70枚を配ったことになる。

折角なので台湾で名刺を作ろうと知り合いのTさんに聞いてみると『板橋にいい所があるよ』と教えてくれたので行ってみることにした。MRTを乗り継いで板橋駅へ。数年ぶりだろうか。何だか全く知らない駅へ来たようで、出口の位置さえ分からない。何とか地上へ出たが逆側だったので、大回りして向かう。

Googleを使って細い道を行き、その店に辿り着いた。入っていくと珍しそうな顔で若い男女がこちらを見る。印刷屋というより、普通のオフィスだ。名詞というと、『どうしてここに?』と聞かれたので『日本人の友達に紹介されて』と言ったら、それだけでにっこり。後で聞いたら、ここに来る外国人はTさんしかいないらしい。

今使っている名刺を取り出してこれと同じ物を、とお願いすると、紙質を確認され、フォントが全く同じではない、と念を押された。取り敢えずあればよいので、と答え、金額を聞くと50元という。え、50元?50枚?思わず聞き返すほど安かった。100枚、50元、ただ200枚から受付。それでも100元なのですぐにお願いした。

LINEを交換して、後の連絡はLINEで行う。実際1時間後には見本が送られてきて、それにOKすると翌日には出来上がったと連絡がある。日本でこんな早くてシンプルなサービスはあるのだろうか。取りに行った時、別バージョンをさらに200枚注文した。これで当分、いや一生名刺はいらないかな。

折角なので駅近くでランチを探したが、何故か適当なところが見付からない。板橋名物があると思えない。意麺の看板に思わず反応して入ってしまった。もうすぐ台南にも行くというのになぜ。まあそこそこ美味しいので良かったが、きっと検索などすれば、板橋お勧めランチがあっただろうに。

そこからMRTを乗り継いで松山空港へ行く。先月台北に来た時に利用した航空会社のマイルが付いていなかったので確認しに行く。搭乗したエバ航空のカウンターはちょうど羽田行のチェックイン時間で混雑していたが、係員はちゃんと対応してくれた。だがなぜマイルが付いていないのかは解明できない。

続いてマイレージカードを持つ日系会社へ回る。そこでもスタッフが日本語で対応してくれたが、なかなか分からない。そしてスタッフが色々と調べてくれた結果、何と私が乗ったフライトのクラスレベルが低すぎて、マイル対象外だというのだ。これには正直驚いた。コロナ前は東京‐台北往復航空券は安ければ3万円、高くても5万円以内であり、マイルもある程度ついていた。今回の料金は約8万円。それでマイルが付かないのか。もうマイルは飛行機に乗って貯めるものではないとはっきり理解した。

何となくモヤモヤしていたので、近所の床屋に寄った。私が昭和の床屋と呼んでいるところだ。ところが同じ通りに2軒あり、3年ぶりで何と店を間違えてしまったらしい。それでもサービスも料金も変わらない。コロナ禍ではどうしていたのだろうか、これで食って行けるのかとこちらが心配するほど。まあ髪を切り、頭を洗ってもらうとかなりすっきりした。

夜はまたもやTさんの集いへ。今回は香港関係者が集まっており、会場も広東料理屋で飯も旨い。ただ個室利用は最低1万元だったらしく、10人の参加者に1000元ずつの割り当てがあった。日本円にすると大したことはないが、屋台暮らしにはちょっと堪える。そろそろこういう会はもういいかな。