「台湾」カテゴリーアーカイブ

ある日の台北日記2025その2(6)台南の客家村へ

あっと言う間に2時間ほどが過ぎ、帰りはかなりのスピードで戻った。温老師に長栄大学駅まで送ってもらい、そこから台南駅を目指した。汗だくになりながら駅前の宿に入る。ここも以前泊ったような気がするが、週末ということでかなり高い料金になっていた。ただそれでも東南アジアからの観光客が沢山来ていた。

急いでいたのは午後6時から食事会があったからだ。何と明日玉井にマンゴーを食べに行く(買いに行く)ために、香港から日本人が沢山来るというのだ。しかも彼らはXなどで発信している人々で、私も時々参考にしている投稿をしているらしい。Aさんも行くというので、私も参加させてもらった。

台南の老舗レストランに9名が集まり、コース料理を堪能した。蟹の乗った米糕、砂鍋鴨、大きなプリンなど、最近食べたことがないほど豪華な食事だった。やはり大勢で食べるのは偶には良い。またメンバーが個性的で、香港・台湾・日本で活躍している若手(私から見ると)で頼もしい。

6月29日(日)玉井でマンゴー

泊っていた部屋は広いが何もない。朝は日が差し込み、早めに起き上がる。すると何故か腹が減り、外へ出た。サバヒー粥の話題が出ていたので、ちょっと探しに行ってみる。だが朝7時でも既に結構暑い。さすがに台湾南部だ。何とか見つけた店はかなり有名な店らしいが、早めだったのかお客はまばらだ。お粥が170元というのはちょっと高いが、デカいサバヒーがドーンと乗っており満足感はある。そして何より美味しい。青菜炒めも付けて、昨晩に続いて豪華な朝飯となる。

汗をかきながら部屋まで戻って、約束の時間に下に向かうと、何とフロントで昨晩の女子3人組と出会った。彼女らは別のところに泊まっていたが、今晩Kさんだけがここに泊まるため、荷物を預けに来たという。よく聞いてみると昨日のメンバーも多くがここに泊まっていた。台南の週末は宿難民続出だろうか。

宿のすぐ前から玉井行のバスが出ていた。玉井にマンゴーを食べに行く人は週末だから多いかと思い、一生懸命バスに乗り込んで席を確保したが、乗客は途中で降りていく人が多かった。やはり基本は車だろう。途中のターミナルで何故かバスは20分も停まり、それでも1時間半ほどで玉井までやって来た。本来はここでマンゴー市場へ行くのだが、我々4人はAさんを先頭に更に奥地に向かうタクシーを探した。

田舎のタクシーはコンビニで呼ぶと初めて知ったが、結局捕まえられず、外を見るとちゃんとタクシーがいた。料金は交渉だったが、近いのですぐに纏まり、乗り込む。我々の行き先は客家村だったので、運転手は「そんなところ、何もないよ。他に観光地はあるよ」と誘ってきたが撥ねつけて村で降りた。

ここは台南郊外では珍しい客家村だとAさんは説明したが、その時向こうから男性がやってきて声を掛けてきた。その人を見たAさんは驚いている。何とネット上で村を説明していた人が目の前に現れたのだ。しかも普段は村に住んでいない人で、たまたまマンゴーを買いに寄ったというからかなりの幸運だ。

その人が邸内を案内してくれたが、衝撃的だったのは「つい最近まで自分たちが客家だとは思っていなかった」及び「自分の母親は外省人と客家を嫌っていたが、自分の嫁は外省人であり、更に母自身が客家だった」という話しだろうか。自らのルーツを隠してしまうことは、昨年探した畲族で学習済みではあるが、やはり当人にとってのショックは計り知れない。

ある日の台北日記2025その2(5)高雄六亀へ

午後は茶商公会に行き、いつものように色々と質問した。今回はプーアル茶の歴史がテーマだったので、それが分かりそうな茶商を紹介してもらい、また統計資料から、2004年に台湾へのプーアル茶輸入が解禁されたことを確認することも出来た。毎年総幹事にはお世話になりっぱなしで、何とも有難い。

帰りに歩いて台北駅の向こう側まで行く。なんだか15年前に行った牛肉麺屋に関する投稿を見たので、急に行きたくなってしまった。狭い路地を入っていくと確かに同じ場所にその店は存在し、午後5時なのに満員の盛況だった。何とか席を確保したが、暑さはかなりのもので、その中でも熱い牛肉麺を食べる。代金は2倍ぐらいになっていたが、変わらず美味しい味だった。汗だくで食べ尽くす。

6月28日(土)高雄六亀から台南

今朝は早起きして、台北駅へ向かった。週末台南にマンゴーを食べに行くというMさんの話に乗っかって、行ってみることにした。昨年紹介されて台南で会った温老師、あの時は劇的に屏東まで車で連れて行ってくれたが、今回連絡するとまた高鐵台南駅に迎えに来てくれるという。台南まで約2時間はほぼ眠っていた。乗り過ごさないでよかった。

温老師の車に乗り、向かった先は何と高雄県六亀だった。昨年の経験から台南から高雄県は想像以上に近いとは認識していたが、私は老師にどこへ行きたいかと聞かれた際、「老師とお話しできれば良い」と答えていた。すると老師の方から、「最近台湾山茶という名をよく聞くので一度飲んでみたい」ということで、老師自ら調べて訪問先を決めてくれた。私はただ乗っていればよく、その間に歴史について聞くチャンスを得たのだから、こんな幸いなことはない。

しかし車はすぐに停まった。義民爺亭と書かれた廟にお参りする。この付近では過去様々な戦い、争いが発生し、この地を守るために命を賭した義民が祀られているという。日本が台湾統治を始めた際も、ここは抗日拠点だったらしい。ただ温老師によれば、現在説明されている歴史はちょっと違うらしいが。そこから昨年連れて行ってもらった月世界を通り抜ける。気温はかなり上昇し、暑さが堪える。

途中で旗山という街に出た。ここはバナナの産地として有名。続いて橋を渡るとそこは美濃。ここは客家の里として名高い。車から見る眺めはかなりいい感じだったので、次回はゆっくり街歩きがしたい。更に川沿いを行く。途中の休憩所が改装中で、何も飲まず、食べずに進むことになる。

約2時間かかってようやく六亀に入り、更に田舎の方へ向かう。「藤枝」などという地名を見ると、オー、と思ってしまう。突然六亀山茶の文字が見えてきて、数軒の茶農家が店を構えていた。私は6年前に一度六亀へ来たことがあるが、その時と比べると六亀山茶の宣伝は行き届いているように思える。

温老師が探した店に入る。そこには30年前に鹿谷から移住して、茶作りをしている劉さんが待っていてくれた。まさかここで鹿谷の人と会えるとは。しかも彼は70年代に茶業改良場で研修した経験もあるというから驚きだ。移住したのは父親が木材関係の仕事で、この地に関わっていたかららしい。

劉さんから六亀山茶の説明を一通り聞いた。山茶で作った紅茶や緑茶が出てきたが、6年前のブヌン族の茶とはかなり違っており、美味しく感じられた。更には武夷種で烏龍茶を作ったり、何と山茶で黒茶を作っていたのには驚いた。劉さんの多彩さは改良場で鍛えられたのだろうか。

標高1000mを越える土壌で栽培された茶樹。南部とはいえ寒さもあり、同じ紅茶でも2月と4月に作ったものを飲み比べてみると、かなりの違いが確認できる。山茶、それも原生種となると、かなり自然交配が進み、味にも変化がありそうだ。この付近の気候に適した作り方を劉さんはしているのかもしれない。

ある日の台北日記2025その2(4)食品展と最後の肥前屋

夕方茶歴史の話しでお腹いっぱいのはずが、リアルに腹が減って来た。帰る前にその辺の店に飛び込み、また魯肉飯などを思いっきり頼み、思いっきり掻き込んだ。こんな生活していた大丈夫だろうか、と思ってしまうが、好奇心を満たすと腹は減るらしい。MRTに乗ると腹が重くて耐えられない。

6月25日(水)南港食品展

朝いつものクラブサンドを食べてから、南港に向かう。MRTモノレールにダラダラ乗っているとかなり時間がかかって何とか南港駅に着いた。今日から国際食品展が開催されていると聞き、ちょっと覗いてみることにしたのだ。会場はかなり広くて、どこで何をやっているのか把握できずに歩き始める。

最初は食品機械の展示階に迷い込む。何とか食品コーナーを経て、ドリンクコーナーまで辿り着く。11月に開催される茶展とは違い、ここは食品展。冷凍食品などの横には、ペット飲料やインスタントティーの展示が並んでおり、現在の茶と言えば、実はこちらがビジネス上は主流なのだと思い知らされる。我が大家も、かなり良い茶粉を使った商品を売り込んでいる。

最近の景気悪化及び微妙な中台関係により、中国企業の出店はほとんど見られなかった。私が思う茶業者の展示もほんの少ししかなく、何となく落ち着かない。その中で奮闘していたのがジョニー。彼のブースへ行き、お茶を飲ませてもらい、ようやくホッとする。彼のところのブランド価値はかなり上がっているとは思うのだが、このアウエー感の中で戦うのは大変だろう。

歩き回っている内に腹が減る。そうするといい匂いの方に釣られていく。食品展なので、食べる物は沢山ある。お菓子類もあるが、台湾の名産品で試食できるものをいくつか食べてみる。私はB級グルメ専門なのだが、ファーストフード的な物にはあまり手を出さないので、ちょっと新鮮だった。

一度部屋に帰って疲れた体を休める。途中かなりの雨が降り、少し涼しくなる。夜は旧知のKさんと食事。私のリクエストで「小籠包と炒飯」をお願いしたので、久しぶりにその味を堪能することが出来た。Kさんとは昔話に話しが咲いたのだが、結構忘れていることも多く、頭を搔く場面が増えてきているのはなんとも気になる。

6月26日(木)茶歴史を探して

今日は李春生のご子孫を訪ねて林森北路付近へ向かう。昔の飲み屋街はすっかり変貌しており、ホテルや居酒屋などが増えている。その中にウナギの肥前屋を見付けて懐かしくなる。まずは李さんと会い、李春生と宝順洋行について質問する。その後李さんの方から、大正期の東京の住所が示され、現在のどこに当たるかをネット検索などで一緒に探した。

何とそこは現在の代官山付近であり、東京に移り住んだ李家の子孫の邸宅の場所だった。これまで色々と日本と台湾の繋がりを見てきたが、この付近に邸宅を持っていたお金持ち台湾人は何人かいたと思う。恐らくはその中で飛びぬけてお金があったのではないだろうか。婚姻関係なども今では考えられないものがあった。

2時間みっちり勉強して李家を辞した。既に時刻は12時とランチタイム。だめもとでさっきの肥前屋に行ってみると、何と全く行列が無い。コロナ前など11時でも大行列だったので、ちょっと驚きつつ中を覗くとすぐに席が確保できた。満席ではないがそこそこの入りではあった。

ここのうなぎは何年かぶりで食べたが美味しく感じられた。観光客は少なく、地元民のランチ風景だった。料金も特に高いとは感じられない。ところがその3日後、なんと何の前触れもなく肥前屋は閉店したとの報道が駆け巡って、心底驚いた。1988年に傾きかけた前店舗からお触れ出たいい匂いに惹かれて以来37年、その思い出は突然絶たれた。最後にウナギを食べられたのは、これこそ虫の知らせだったろうか。

ある日の台北日記2025その2(3)台湾プーアル茶の歴史

6月23日(月)藍老師と

朝は脚を引きずりながら第2市場へ向かう。前回気に入ったので朝ご飯を食べに来た。午前8時なら何軒かは既に営業しており、日本人観光客も食べていた。前回は台中人が愛する朝焼きそばを食べたが、今回は王道魯肉飯で攻めてみる。魯蛋が美味しい。行き帰りの道、お寺などちょっと興味深い場所がいくつかあったので、次回は少しゆっくりと回ってみようか。

宿をチェックアウトして、荷物を持って駅前からバスに乗る。ところがあまりにバスが色々とあってどれに乗ったらよいか迷ってしまう。最終的にはエイヤーと、目的地付近に行きそうなバスに乗ってしまったが、当然のようにルートを外れて行き、かなり焦る。だがいつの間にか目的地に到着してホッとする。

今日は昨年お話を聞いた藍先生を訪ねて、台湾畲族に関して纏めて寄稿した雑誌をお渡しした。藍先生は畲族だが、元々台湾畲族はお茶とは関係が無かったらしい。それがいつの間にかお茶専門家になり、今では中国などでも講演するなど、忙しく飛び回っているというから面白い。

当然話題は台湾茶の歴史になり、烏龍茶の発祥や鉄観音茶の定義、はては台湾山茶などに及ぶ。そこへ台中でペット飲料を作っている人が、先生に鑑定(意見を求める)を依頼するためやって来た。この飲料は既に台湾のコンビニで売られており、一本70元程度するので、ちょっと高級感?がある。当然茶葉にもこだわっている。次回は彼の茶工場に行ってみたいような気分になる。

奥さんが帰ってきて弁当を買って来てくれ、ご馳走になる。夏休みなのかお孫さんも来ていて忙しいらしい。帰りは先生が台中駅まで送ってくれたので助かった。そのまま自強号に乗って帰る。台北駅まで2時間15分、高鐵の手間と料金を考えるとリーズナブルな選択と言える。

6月24日(火)大稲埕でプーアル茶の歴史を聞く

何となく眉原山の疲れが残っている朝。また今日も大稲埕に向かった。昨年何度かご一緒したUさんと待ち合わせて、今日は意麺の店へ行く。10時半開店でぴったりに開く。一番乗りを果たす。近所の人が次々と入ってくる。乾意麺に赤いたれをかけて食べると旨い。クリアーな魚団子スープも良い。昔からある店、というのは、ほんのちょっとしたところに安定感がある。その後恒例のコンビニで食談義を聞く。

午後はすぐ近くの徳芳茶行へ行く。ここは昨年Mさんに紹介してもらった老舗お茶屋さん。だが今回の目的はここではなく、このお店の人に別の店を紹介してもらうことだった。そのお店では30年ほど前、プーアル茶をかなり商っていた、と聞いたので、その状況を教えてもらうために訪ねた。

しかし既に茶業も大きく変化しており、このお店でもプーアル茶ビジネスを推進していた兄弟の一人は既に亡くなっており、過去のことになっていた。しかも何となく「お前は、密輸の歴史でも聞きに来たのか」という気まずい雰囲気が漂う。台湾は基本的に中国からの茶葉の輸入を今も禁止しているが、黒茶類に関しては2004年に解禁しているという。

プーアル茶に関する台湾茶商の武勇伝など、巷ではかなり大々的に喧伝されており、「1980年代に雲南の奥地に初めて入り込み、古い倉庫から古いプーアル茶を掘り出した」などという話しを何度も聞いた気がする。香港でも同じような話を聞いていたが、これはどうやら伝説らしい。では本当の歴史はどうなっているのだろうか。

台湾茶商の中で何人かは、1980年頃、台湾でプーアル茶を作っていたというので、驚いた。これは1970年代に台湾に流れ込んだ広東料理と飲茶文化ではないか、と考えられる。ただこれはブームにならずにすぐに消えていく。やはり台湾人にはプーアル茶は合わなかったのだろう。10年後の1990年前後、ベトナムでプーアル茶を作っていたという話しも出てきて興味深い。

ある日の台北日記2025その2(2)眉原山で台湾原生山茶を見る

そのわずか数年後の1935年、製茶試験場第5代場長谷村愛之助と魚池で紅茶作りを始めた持木壮造、そしてそのパートナーである廖阿霖らは、ここから(正確にはもう少し先の眉原部落)眉原山(バイバラ山)に生えている台湾原生山茶を目指して山登りを始めた。その時採取した標本が現在も台湾大学の保管されており、それを見た上で今回の山登りとなった。我々は梁さん(元茶業改良場)とスティーブ(魚池持木農場跡で紅茶作り)を加えて4人が集合。1台目の車で山を登り始めた。

30分ほど舗装された山道を行くと、そこからは徒歩。そして途中で山に分け入っていく。最初は道があったが、途中から徐々にその影が消えていく。何度もここにきているガイドの梁さんがいなければ、とても前には進めない。そしてついに台湾山茶の木に辿り着き、一同安堵して記念写真を撮る。

しかしそこからまだ先があった。しかも相当急な坂道が続き、最近降った雨の影響で道は滑りやすく、かなり危険だった。それでも前に進んでいくと、何とロープが用意されており、それを伝って這って登る場面すらあった。まさかこんなに厳しい山登りとは知らず、普通の靴で来てしまい、長靴を貸してもらっていなかったら、どうなっていたことだろうか。所々で素晴らしい風景が見られる場所があり、それが救いの旅だった。

そして歩き始めてから約1時間、標高1200mから1550mまで登って、何とか台湾山茶の林に入り込んだ。そこはもう幻想的な世界であり、疲れと同時に感動が体に心地よく触れてきた。そこへ陳さんが湯を沸かし、スティーブの紅茶が振舞われれば、もうこれまでの苦労は全て吹き飛ぶ。

眉原山に生えている茶樹は喬木であり、茶葉も大きい。山頂近くである現在地では、太陽の光がどれだけあたるかで、その生育状況に大きな違いが出る。中には既に倒れてしまった茶樹も見られる。林業研究所と共同で、ここで生育している茶樹は管理され、守られているが、大自然を前に人間は無力だと感じる雰囲気がある。

かなり体が休まり、心も整い、下山する。ところが当然ながら登る時より、降りる方が大変だ。滑らないように細心の注意を払えば、かなりの体力を要する。メンバーよりだいぶん年上のこともあり、置いていかれないように足を進めるが、一歩間違えば骨折は免れず、気を抜くことは出来ない。慣れた道のはずだが、登った時とはまるで違った風景になっている。

約1時間かかって車を停めている場所まで戻ることが出来たのは幸いだった。今日はずっと天気が良かったことも幸いしたと思う。清流部落で各車に戻り、最後に眉原部落まで行って山全体を眺めて解散した。下山さんの別荘がこの辺にあったように思ったが、見付けることは出来ず、そのまま台中まで帰って来た。

陳さんがどこかへ連れて行ってくれるという。そこは日本時代に作られた放送局だった。なぜここに、と思っていると、その敷地内に石灯篭が見えた。近寄ってみると台中軽鉄という会社が昭和5年に神社に奉納したとある。なぜそれがここにあるかは不明だが、この会社の監査役として持木壮造の名前があり、灯篭にもその名が刻まれている。私は以前神社周辺を探したことがあったが、見つからなかったものだった。さすが陳さん。

部屋に戻るとどっと疲れが出た。ただ何故か腹も減っており、台中駅まで行って台鐵弁当を購入して、部屋に持ち帰り食べた。初めて台湾に来た40年前からよく食べている台鐵弁当には、何となくホッとするような、変わらぬ美味しさがある。それは今風にいう、普通に美味しい、ということだろうか。夜は疲れからよく眠れたが、翌朝から足の筋肉痛が始まり難儀する。

ある日の台北日記2025その2(1)懐かしの埔里へ

《ある日の台北日記2025その2》  2025年6月21₋29日

6月21日(土)懐かしの埔里へ

朝早く起きた。今日は久しぶりに埔里に行く。既にバスチケットは買ってあったので時間に合わせていく。週末なのでターミナルは混んでいた。日月潭へ行く人も多いかと思ったが、満席でもなかった。もっと朝早く出る人が多かったのかもしれない。台北‐埔里路線は昔よく乗ったが、懐かしむ余裕もなく、寝落ち。

ほぼ予定通りにバスは走り、埔里郊外の信号で停まる。何だか向こうに見慣れない建物があるが、よく見ると何とTSUTAYAだったので驚いた。埔里にTSUTAYAが出来る時代になったのか。既に埔里を離れて7年になり、街並みは忘れ始めており、どこがどこか分からないまま、バスターミナルまで来てしまった。

そこで7年ぶりのIさんが待っていてくれた。Iさんは私の埔里拠点のすぐ近くに住んでいた日本人。昨年も会いに来たかったが、タイミングが合わず、ようやく会えた。だがIさんの車も知らない道を通っていく。何と私が埔里を離れた後、引っ越していた。私の埔里拠点がどうなっているのかを見ることは今回なかった。

Iさんの家はちょっと郊外にある感じだった。家でお茶を頂き、昔話に花を咲かせた。昼ご飯は近所で牛肉麺をご馳走になる。埔里の週末は観光客でかなり込み合うことを思い出した。特に何をすることもなく、ダラダラと昔話をするのは何となく心地よかった。あっと言う間に時間が過ぎてしまい、Iさん一家に送ってもらう形で台中へ向かった。埔里滞在はほんの少しに終わる。

台中駅近くに出来ていたららぽーとで買い物をするというので付いて行ってみた。館内はまるで日本、日本関連の店舗がずらっと並んでおり、地下のスーパーも日本から来ていた。埔里では買えないものがここでほぼ揃うということで、時々買い出しに来ているという。無いものは諦めるのだが、あるとなると買いたくなるのは人情。当然価格は日本の1.5倍から2倍はするが手が出てしまうらしい。台湾人はどれだけ買っているのだろう。

予約した台中駅前の宿に入った。週末はどこも料金が高くなっており、質と価格がマッチしていないのが台湾の宿だと感じる。日本のようにチェーン店の競争によるサービス向上はないようだ。まあそれでもここはまだ最低限のものはあるので良い。更には窓から旧台中駅が見えるのが気に入ってはいる。

夜は陳さんが来てくれ、駅の反対側のビル内でタイ料理。宿の近くの東南アジア料理とは全く違う雰囲気で、若者や家族連れが多く、満席の盛況。タイティーもおしゃれに提供されており、かなりアジアで浸透してきたことを窺わせる。店名が瓦城というのはちょっとドキッとするが、台湾では馴染みがあるのだろう。階下のスシローにはお客が沢山待っていた。

6月22日(日)眉原山で台湾原生山茶を見る

翌朝は早く起きる。7時には陳さんが迎えに来てくれ、車で昨日訪ねた埔里方面へ向かう。途中国姓の街を抜ける。ここはあの鄭成功ゆかりの名が付いているが、本当にここまで鄭成功は来たのだろうか。そこから少し走っていくと懐かしい風景が出てきた。そして着いた場所は何とあの川中島(現在は清流部落)だった。

日本で川中島といえば武田信玄、上杉謙信の激戦地として有名だが、こちらは1930年に発生した霧社事件後、生き残ったセデック族が移住させられた場所。随分前にこの地にセデック族の地を引く、下山操子さんを訪ねたことが思い出された。そういえば昨日会ったIさんの奥さんもセデック族だった。

ある日の台北日記2025その1(7)猫空再び、陳先生から台湾山茶へ

6月20日(金)またも猫空へ

今日は黄さんと会う。待ち合わせ場所は新店。車で迎えに来てもらい、すぐに山道を行く。よく見ると一昨日喘ぎながら上った道ではないか。車だとこんなに速いのか、とボーゼンとなる。張さんの工房も過ぎて行き、かなりの高さで車は止まる。ここは7年前に黄さんに連れてきてもらった茶農家だった。

猫空は基本的に張姓が多いのだが、ここの老板は林さん。でもやはり張家と関連があるらしい。正宗鉄観音は勿論のこと、最近は安渓の黄金桂品種で烏龍茶などを作っているという。黄金桂で鉄観音製法と首をかしげたが、まあ物珍しさにその紅茶版を買ってみる。ある意味で滅茶苦茶だが、面白いからよいか。

鉄観音茶がどんどん軽くなっている実態については、コンテストにおける改良場の審査員の好みによるのだという。勿論好みは誰にでもあるだろうが、私的には改良場がその方向性を打ち出す場がコンテストであり、その入賞茶が台湾茶の方向性を示しているのだと思っていた。果たしてどうだろうか。

山を快適に降りて、木柵へ戻る。ここで美味しいガチョウを頂く。同じ通りに2軒のガチョウ屋が見えたが、何でも離婚した夫婦が別々に店を出しているのだとか。味は基本一緒だろうか。まあとにかくガチョウ肉は美味しい。黄さんに大いにご馳走になってしまったが、何とも贅沢なランチだった。

黄さんの車で宿泊先近くまで送ってもらい、久しぶりに意翔村を訪ねる。陳先生に会うのは6年ぶり。最近は店が開いていない、先生が店にいない、という状態が続いており、今回は知り合いに連絡してもらって店に向かったが、それでも店のシャッターは閉まっていた。帰りかけたところ、ちょうど暑い中先生が歩いてきた。お元気そうで何よりだ。

そこから2時間半、10数種類のお茶を飲みながら、私は茶歴史の質問を繰り返し、先生はどんどん答えていく。なるほど参考になる、という回答をいくつももらい、励みになる。台湾プーアル茶の歴史、何となく面白い。訪ねるべき店をいくつか教えてもらったので、話を聞いてみよう。急に雷雨に見舞われたが、すぐに止み、お暇する。

帰りに近所でようやく牛肉湯肉絲麺にありつく。一番馴染みの店はずっと閉まったまま、また内輪もめが始まったか。隣の店で先日牛肉湯麺を注文し、具がほぼ入っていなくてかなり落胆したので、今日は肉がちゃんと入っているだけで良しとしよう。本当は一押しの店のスープの味が懐かしい。

夜永康街へ行く。実は台湾山茶についてセミナーをやるという話しが突然持ち上がり、その流れで三重のF4紅茶が手に入らないかとYさんに連絡したら、何と台北にいた。そこで急遽お茶会に参加することになる。しかもそこには山茶研究者の汪博士までいて、これは一石三鳥ぐらいの驚きだった。

台湾山茶を飲みながら博士の山茶の歴史談義を聞くのは何とも贅沢だ。眉原山、六亀、そして台湾山茶の定義など、ちょっと参加のつもりがあっという間に3時間ほどお茶を飲み続けた。YさんからF4紅茶の生産予定も聞けたので大満足で帰る。今晩は色々な意味で興奮が重なり、眠れる夜となった。茶縁が取り持つ、いい夜だった。

ある日の台北日記2025その1(6)猫空 茶の香り

建物の中には多くのお客がいた。鉄観音茶の焙煎が行われている建物の横にお客がお茶を飲むスペースがあり、皆が焙煎仕立ての茶を味わっている。ここは現在一般開放していないということで、親族や知人が集結していた。お茶だけではなく、お菓子や焼売などを食べながら話が弾む。特に旬のたけのこを生で食べており、その美味しさは抜群だった。お茶も鉄観音以外に、佛手や水仙などで作られた茶が今までにないほど香っていて驚いた。こんなところでいつまでもお茶を飲んでいたい。

焙煎現場はほんのちょっと見ただけだった。基本的に作業の邪魔になるからだが、私は6年前にじっくり見せてもらっていたので、今回は張さんへの挨拶だけが目的だった。お客さんがお茶を買い、更には新鮮なタケノコを買って帰って行く。私は張さんの計らいで、タケノコ農家の親戚の人に下まで送ってもらい、山で遭難することはなかった。あのタケノコはもう25年も有機栽培されており、朝とれた実に新鮮なものだった。猫空付近の自然環境も素晴らしい。

夕飯は近所の広東系食堂で広州フイ飯を食す。あんかけ炒飯はここからきているのだろうか、という謎には全く迫れないが、思ったより美味しい。この店には広州焼きそばもあるようなので、今度試してみたい。それにしてもやはり炒飯の量はかなり多く、食べ終わると腹が一杯で困る。日本の町中華の、日本的分量は本当に有り難い。

6月19日(木)慈聖宮で排骨湯

朝起きると体が反応してしまい、外へ出た。今日もまた大稲埕に向かっている自分がいる。ある人々が「隙あらばミャンマー街」と言いながらそこに入り浸るように、私も「時間があれば大稲埕」になってきている。MRTを大橋頭駅で降りるとそこは慣れ親しんだフィールドだ。

そして2日前に来たばかりの慈聖宮の屋台街へ向かった。ただ時間が早過ぎて開いている店は多くはない。今日のお目当て排骨湯の店、1軒はお休み、もう一軒も10時開始だというので付近を散歩して待つ。10時に行ってみると既に何人かのお客が来ていたが、店の人が「この人は30分も待っているのよ」と優先してくれ、嬉しい。排骨湯、キャベツ炒め、魯蛋、そして魯肉飯は半分の量でオーダー。何とも優しい味で非常に満足する。特に排骨湯の味が良い。この店は50年以上前から営業しており、老板娘は最初から日々ここに立っているというから驚きだ。

そこからバスで台北駅に出て、週末に行くバスチケットを購入した。バスは台北駅行きと書かれていても停車位置が大きく異なることを知る。結構バスターミナルまでかなり歩いて疲れた。途中地下を通ると、日本食街のような場所があったが、全てがチェー店であり、現在の飲食業が何となくわかる。腹一杯で何も食べずに帰る。

夕方また外へ。久しく食べていなかった弁当屋で夕飯。おかず三品を選び、メインを1つ、スープは自由によそい、今日は90元。毎年10元は上がっているが、近所の弁当屋はやめてしまっており、やっているだけも有り難い。近所の住民も安いのでよく来て食べているが、いつまで営業してくれるのだろう。夜9時には恒例のゴミ出しに初参戦。楽しい。

ある日の台北日記2025その1(5)鉄観音茶の歴史

6月17日(火)鉄観音茶の歴史

朝から暑かったが、何となく腹が減り、朝ご飯を探した。近所に永和豆漿があるのだが、何故か一度も入ったことが無かった。大勢の人が並んでいたが、思い切って覗いてみると何となく席があったので、そこで若者が食べていた小籠包と冷たい豆漿を注文してみる。外は決して涼しくはなかったが、暑さもそれほど感じられず、皮の厚みがある小籠包が意外や美味しく感じられた。偶には昔の店の味を確認してみる必要がある。

部屋に帰るとドジャースの大谷が先発していた。660日のぶりの二刀流復活、これは本当にすごいことだと思うが、それを難なくやり遂げてしまうため、見ている方もそのすごさがイマイチわからない。いきなり160㎞の速球を投げていて、すごみはある。今回は1回のみで終わってしまったが、また見てみたいものだ。

昼過ぎにバスに乗って東門へ。東門市場がどこにあるのか分からなかったが、そこにある米粉湯の有名店に向かう。場所が分かり難い上、何と2軒が並んでいるので、どちらがどちらかは初めてでは分からない。空いている方に取り敢えず座り、米粉湯と大腸、そして油豆腐を注文する。米粉湯だけではさして味はないのだが、大腸にタレを付けて、少し米粉湯の上に乗せると実に美味い。サクッと食べるにはとても良い。お客もパラパラと続いてきている。

永康街の先日行ったお茶屋さんを再訪。今日は老板にじっくりと鉄観音茶の話を聞く。老板は茶業歴約40年とのことで、ちょうどその頃から台湾茶の内需が始まり、鉄観音茶も見直されるようになったらしい。ただ台湾鉄観音茶の基準はあいまいで、使用品種を問わないのは、中国の「鉄観音品種のみを鉄観音茶という」とは大いに異なる。また鉄観音製法についても、焙煎や発酵について、以前とは異なって来ていて、今や何が鉄観音か分からなくなってきているようにも思えたが、どうだろうか。

夜は旧知のS夫妻と食事。台南系の店なのか、意麺やタウナギなどがある。そしてメインは沙茶鍋。このスープが看板メニューで実に美味い。何杯もお代わりする。しかしこの沙茶鍋は元々どこの食べ物なのだろうか。まあ美味しいのだから固いことは言わずに黙って食べる。途中からMさんも加わり、よく食べて、よく話した。楽しい夜だった。

6月18日(水)猫空を歩く

今日は午前中お休みして、昼から活動を開始。MRTで萬芳を向かう。そこからバスで猫空を目指す。ミニバスの本数は少ないので乗り損ねてはいけないとかなり早くから待っていたが、結局乗客はほぼいなかった。山道を走り、終点までやってくるとちょっと雨の気配がして、焦る。ここから緩やかな上り坂を約20分散歩するとで目的地に着くはずだった。途中にはベトナム系の寺などはあったが、基本的に山路。

ようやく指定された住所まで来たが、訪ねるべき山荘はない。電話してみると、なんと送られてきた住所が間違っており、そこから1㎞先だと言われて歩き出す。ところがその1㎞はかなり急な坂であり、距離も1㎞ではなかった。結局約50分かけて目的地に着いた時はもう汗だくで息が上がっていた。

ある日の台北日記2025その1(4)小楊からミャンマー街、沖縄料理まで

昼をどうしようかと考えていると目の前に餃子屋が出現。何といういいタイミング。速攻入って、速攻カレー餃子を注文する。スープと野菜を加え、立派なランチだ。そこからMRTで東門へ移動する。私にはあまり縁がない永康街を散策する。週末で結構人が多い。日本人の姿も見られる。

茶器やお菓子などを見た後、冶堂というお茶屋さんへ行った。ここはコロナ前に一度連れてきてもらったことがあり、その際に老板に鉄観音茶の歴史を聞きたいと思っていたのだが、先方が忙しくて実現せず、その後店の場所もあやふやになり、そのままになっていた。今日行ってみると、実に静かでよい雰囲気。いつか老板に会いたいと店員さんに告げていたら、ちょうど彼が入って来てご対面。後日詳しく話を聞くことになった。これもご縁か。

そこからMRTを乗り継ぎ、小楊の家に行った。2年ぶりだろうか。毎回入り口が分からない。そして5階まで階段で上がるのもかなりしんどくなってきている。昨日急に思い出した「15年前新店山中に連れて行ってもらい飲んだ四季春茶が香り過ぎていた」話を持ち出したら、その息子が作った今年のお茶を飲ませてくれた。小楊ともそんなに長い付き合いだったんだ、と気づく。

結局夕飯もご馳走になってしまった。白斬鶏が美味しい。中国広東では白切鶏と言っていると思うのだが、台湾の方が鶏に厚みがある。そういえば永康街で昔小楊が日本人に美味い料理をご馳走してくれたことも思い出された。お茶にうるさい人は大抵食べ物にもこだわりがある。今晩も美味しく頂く。

6月15日(日)ミャンマー街へ

台北に来て数日、かなり動き回っており、ちょっと疲れが出てきた。午前中は休息を取り、どうしても食べたかった大腸麺線を食べて、テンションを上げた。そして昨年も通ったミャンマー街へ向かう。そこでAさんと合流して、ミャンマー焼きそばを食べ、ミルクティーを飲み、話が弾む。

まあとにかく暑くて、さほど歩き回りもしなかったが、一部店舗が入れ替わったり、移転していたりと、それなりの変化が見られるミャンマー街。ミャンマー人の流入も増えてきているに違いない。どんなに暑くてもクーラーが効いていない屋外でミルクティーを啜りながら話をしているおじさんたちは強い。

6月16日(月)沖縄料理屋で

何とか週末を乗り切り、自らの台北生活が始まる。ちょっと疲れたので午前中は洗濯して、休息。NHK朝ドラ「あんぱん」は主人公が出征し、何と福州郊外に駐留という設定に。だがそこで話されていた言葉が「閩南語」だとか「台湾語話す人を集めたのか」など、その界隈が騒がしい。私の視点はお茶なので、露店に「水仙」の文字を見て喜んだが、「普洱茶」をみて、「1940年前後に雲南の茶である普洱が、福建の田舎で飲まれていたのか??」となってしまう。

昼は旧知のBさんと会う。場所は潮州路からちょっと入った沖縄料理屋。最近Bさんの根城らしい。オーナーは石垣島の人で音楽仲間とか。シェフは沖縄料理の他、日本の中華など作れるということだったが、今回は唐揚げ定食を食す。次回は是非冷やし中華を食べてみたい。

昨年に続いてBさんのラジオ番組へのお誘いがあった。毎週毎週番組を作るのは大変だろうなと思い、お役に立てるのなら、と、またお茶のお話をすることにした。今回は「台湾と三重の繋がり」にしようか。三重には日東紅茶や台湾山茶繋がりの話があり、ちょうどいま勉強中だ。

午後4時ごろまで、Bさんとよもやま話をしていた。それからバスに乗って大稲埕へ向かう。本で紹介されていた店を探していくと慈聖宮に出くわした。ここに並ぶ店の1つだった。午後4時過ぎなのに、お客は引っ切り無しに来ていた。私は名物猪脚麺線を注文して待つ。スープは白くてちょっと予想外。大蒜は効いている。猪脚はそのスープで茹でただけのようで、たれを調合して付けて食べると旨い。ただ脂身が多過ぎたせいか、そこまで美味しさが分からなかった。150元。