ある日の台北日記2025その1(4)小楊からミャンマー街、沖縄料理まで

昼をどうしようかと考えていると目の前に餃子屋が出現。何といういいタイミング。速攻入って、速攻カレー餃子を注文する。スープと野菜を加え、立派なランチだ。そこからMRTで東門へ移動する。私にはあまり縁がない永康街を散策する。週末で結構人が多い。日本人の姿も見られる。

茶器やお菓子などを見た後、冶堂というお茶屋さんへ行った。ここはコロナ前に一度連れてきてもらったことがあり、その際に老板に鉄観音茶の歴史を聞きたいと思っていたのだが、先方が忙しくて実現せず、その後店の場所もあやふやになり、そのままになっていた。今日行ってみると、実に静かでよい雰囲気。いつか老板に会いたいと店員さんに告げていたら、ちょうど彼が入って来てご対面。後日詳しく話を聞くことになった。これもご縁か。

そこからMRTを乗り継ぎ、小楊の家に行った。2年ぶりだろうか。毎回入り口が分からない。そして5階まで階段で上がるのもかなりしんどくなってきている。昨日急に思い出した「15年前新店山中に連れて行ってもらい飲んだ四季春茶が香り過ぎていた」話を持ち出したら、その息子が作った今年のお茶を飲ませてくれた。小楊ともそんなに長い付き合いだったんだ、と気づく。

結局夕飯もご馳走になってしまった。白斬鶏が美味しい。中国広東では白切鶏と言っていると思うのだが、台湾の方が鶏に厚みがある。そういえば永康街で昔小楊が日本人に美味い料理をご馳走してくれたことも思い出された。お茶にうるさい人は大抵食べ物にもこだわりがある。今晩も美味しく頂く。

6月15日(日)ミャンマー街へ

台北に来て数日、かなり動き回っており、ちょっと疲れが出てきた。午前中は休息を取り、どうしても食べたかった大腸麺線を食べて、テンションを上げた。そして昨年も通ったミャンマー街へ向かう。そこでAさんと合流して、ミャンマー焼きそばを食べ、ミルクティーを飲み、話が弾む。

まあとにかく暑くて、さほど歩き回りもしなかったが、一部店舗が入れ替わったり、移転していたりと、それなりの変化が見られるミャンマー街。ミャンマー人の流入も増えてきているに違いない。どんなに暑くてもクーラーが効いていない屋外でミルクティーを啜りながら話をしているおじさんたちは強い。

6月16日(月)沖縄料理屋で

何とか週末を乗り切り、自らの台北生活が始まる。ちょっと疲れたので午前中は洗濯して、休息。NHK朝ドラ「あんぱん」は主人公が出征し、何と福州郊外に駐留という設定に。だがそこで話されていた言葉が「閩南語」だとか「台湾語話す人を集めたのか」など、その界隈が騒がしい。私の視点はお茶なので、露店に「水仙」の文字を見て喜んだが、「普洱茶」をみて、「1940年前後に雲南の茶である普洱が、福建の田舎で飲まれていたのか??」となってしまう。

昼は旧知のBさんと会う。場所は潮州路からちょっと入った沖縄料理屋。最近Bさんの根城らしい。オーナーは石垣島の人で音楽仲間とか。シェフは沖縄料理の他、日本の中華など作れるということだったが、今回は唐揚げ定食を食す。次回は是非冷やし中華を食べてみたい。

昨年に続いてBさんのラジオ番組へのお誘いがあった。毎週毎週番組を作るのは大変だろうなと思い、お役に立てるのなら、と、またお茶のお話をすることにした。今回は「台湾と三重の繋がり」にしようか。三重には日東紅茶や台湾山茶繋がりの話があり、ちょうどいま勉強中だ。

午後4時ごろまで、Bさんとよもやま話をしていた。それからバスに乗って大稲埕へ向かう。本で紹介されていた店を探していくと慈聖宮に出くわした。ここに並ぶ店の1つだった。午後4時過ぎなのに、お客は引っ切り無しに来ていた。私は名物猪脚麺線を注文して待つ。スープは白くてちょっと予想外。大蒜は効いている。猪脚はそのスープで茹でただけのようで、たれを調合して付けて食べると旨い。ただ脂身が多過ぎたせいか、そこまで美味しさが分からなかった。150元。

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