《ある日の台北日記2025その2》 2025年6月21₋29日
6月21日(土)懐かしの埔里へ
朝早く起きた。今日は久しぶりに埔里に行く。既にバスチケットは買ってあったので時間に合わせていく。週末なのでターミナルは混んでいた。日月潭へ行く人も多いかと思ったが、満席でもなかった。もっと朝早く出る人が多かったのかもしれない。台北‐埔里路線は昔よく乗ったが、懐かしむ余裕もなく、寝落ち。

ほぼ予定通りにバスは走り、埔里郊外の信号で停まる。何だか向こうに見慣れない建物があるが、よく見ると何とTSUTAYAだったので驚いた。埔里にTSUTAYAが出来る時代になったのか。既に埔里を離れて7年になり、街並みは忘れ始めており、どこがどこか分からないまま、バスターミナルまで来てしまった。

そこで7年ぶりのIさんが待っていてくれた。Iさんは私の埔里拠点のすぐ近くに住んでいた日本人。昨年も会いに来たかったが、タイミングが合わず、ようやく会えた。だがIさんの車も知らない道を通っていく。何と私が埔里を離れた後、引っ越していた。私の埔里拠点がどうなっているのかを見ることは今回なかった。
Iさんの家はちょっと郊外にある感じだった。家でお茶を頂き、昔話に花を咲かせた。昼ご飯は近所で牛肉麺をご馳走になる。埔里の週末は観光客でかなり込み合うことを思い出した。特に何をすることもなく、ダラダラと昔話をするのは何となく心地よかった。あっと言う間に時間が過ぎてしまい、Iさん一家に送ってもらう形で台中へ向かった。埔里滞在はほんの少しに終わる。

台中駅近くに出来ていたららぽーとで買い物をするというので付いて行ってみた。館内はまるで日本、日本関連の店舗がずらっと並んでおり、地下のスーパーも日本から来ていた。埔里では買えないものがここでほぼ揃うということで、時々買い出しに来ているという。無いものは諦めるのだが、あるとなると買いたくなるのは人情。当然価格は日本の1.5倍から2倍はするが手が出てしまうらしい。台湾人はどれだけ買っているのだろう。


予約した台中駅前の宿に入った。週末はどこも料金が高くなっており、質と価格がマッチしていないのが台湾の宿だと感じる。日本のようにチェーン店の競争によるサービス向上はないようだ。まあそれでもここはまだ最低限のものはあるので良い。更には窓から旧台中駅が見えるのが気に入ってはいる。

夜は陳さんが来てくれ、駅の反対側のビル内でタイ料理。宿の近くの東南アジア料理とは全く違う雰囲気で、若者や家族連れが多く、満席の盛況。タイティーもおしゃれに提供されており、かなりアジアで浸透してきたことを窺わせる。店名が瓦城というのはちょっとドキッとするが、台湾では馴染みがあるのだろう。階下のスシローにはお客が沢山待っていた。


6月22日(日)眉原山で台湾原生山茶を見る
翌朝は早く起きる。7時には陳さんが迎えに来てくれ、車で昨日訪ねた埔里方面へ向かう。途中国姓の街を抜ける。ここはあの鄭成功ゆかりの名が付いているが、本当にここまで鄭成功は来たのだろうか。そこから少し走っていくと懐かしい風景が出てきた。そして着いた場所は何とあの川中島(現在は清流部落)だった。

日本で川中島といえば武田信玄、上杉謙信の激戦地として有名だが、こちらは1930年に発生した霧社事件後、生き残ったセデック族が移住させられた場所。随分前にこの地にセデック族の地を引く、下山操子さんを訪ねたことが思い出された。そういえば昨日会ったIさんの奥さんもセデック族だった。