ある日の台北日記2025その2(3)台湾プーアル茶の歴史

6月23日(月)藍老師と

朝は脚を引きずりながら第2市場へ向かう。前回気に入ったので朝ご飯を食べに来た。午前8時なら何軒かは既に営業しており、日本人観光客も食べていた。前回は台中人が愛する朝焼きそばを食べたが、今回は王道魯肉飯で攻めてみる。魯蛋が美味しい。行き帰りの道、お寺などちょっと興味深い場所がいくつかあったので、次回は少しゆっくりと回ってみようか。

宿をチェックアウトして、荷物を持って駅前からバスに乗る。ところがあまりにバスが色々とあってどれに乗ったらよいか迷ってしまう。最終的にはエイヤーと、目的地付近に行きそうなバスに乗ってしまったが、当然のようにルートを外れて行き、かなり焦る。だがいつの間にか目的地に到着してホッとする。

今日は昨年お話を聞いた藍先生を訪ねて、台湾畲族に関して纏めて寄稿した雑誌をお渡しした。藍先生は畲族だが、元々台湾畲族はお茶とは関係が無かったらしい。それがいつの間にかお茶専門家になり、今では中国などでも講演するなど、忙しく飛び回っているというから面白い。

当然話題は台湾茶の歴史になり、烏龍茶の発祥や鉄観音茶の定義、はては台湾山茶などに及ぶ。そこへ台中でペット飲料を作っている人が、先生に鑑定(意見を求める)を依頼するためやって来た。この飲料は既に台湾のコンビニで売られており、一本70元程度するので、ちょっと高級感?がある。当然茶葉にもこだわっている。次回は彼の茶工場に行ってみたいような気分になる。

奥さんが帰ってきて弁当を買って来てくれ、ご馳走になる。夏休みなのかお孫さんも来ていて忙しいらしい。帰りは先生が台中駅まで送ってくれたので助かった。そのまま自強号に乗って帰る。台北駅まで2時間15分、高鐵の手間と料金を考えるとリーズナブルな選択と言える。

6月24日(火)大稲埕でプーアル茶の歴史を聞く

何となく眉原山の疲れが残っている朝。また今日も大稲埕に向かった。昨年何度かご一緒したUさんと待ち合わせて、今日は意麺の店へ行く。10時半開店でぴったりに開く。一番乗りを果たす。近所の人が次々と入ってくる。乾意麺に赤いたれをかけて食べると旨い。クリアーな魚団子スープも良い。昔からある店、というのは、ほんのちょっとしたところに安定感がある。その後恒例のコンビニで食談義を聞く。

午後はすぐ近くの徳芳茶行へ行く。ここは昨年Mさんに紹介してもらった老舗お茶屋さん。だが今回の目的はここではなく、このお店の人に別の店を紹介してもらうことだった。そのお店では30年ほど前、プーアル茶をかなり商っていた、と聞いたので、その状況を教えてもらうために訪ねた。

しかし既に茶業も大きく変化しており、このお店でもプーアル茶ビジネスを推進していた兄弟の一人は既に亡くなっており、過去のことになっていた。しかも何となく「お前は、密輸の歴史でも聞きに来たのか」という気まずい雰囲気が漂う。台湾は基本的に中国からの茶葉の輸入を今も禁止しているが、黒茶類に関しては2004年に解禁しているという。

プーアル茶に関する台湾茶商の武勇伝など、巷ではかなり大々的に喧伝されており、「1980年代に雲南の奥地に初めて入り込み、古い倉庫から古いプーアル茶を掘り出した」などという話しを何度も聞いた気がする。香港でも同じような話を聞いていたが、これはどうやら伝説らしい。では本当の歴史はどうなっているのだろうか。

台湾茶商の中で何人かは、1980年頃、台湾でプーアル茶を作っていたというので、驚いた。これは1970年代に台湾に流れ込んだ広東料理と飲茶文化ではないか、と考えられる。ただこれはブームにならずにすぐに消えていく。やはり台湾人にはプーアル茶は合わなかったのだろう。10年後の1990年前後、ベトナムでプーアル茶を作っていたという話しも出てきて興味深い。

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