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ある日の台北日記2025その3(9)台北を離れる

SOGOから少し歩いてレトロカフェへ行く。台北には古い建物を利用したカフェが多くあるが、ここはかなり気合が入っており、落ち着いた空間で利用客も多い。ここでかなり忙しいHさんと会って、お話しする。彼女は最近活動の幅が広がっており、日本との往復もあり、時間があまりない中会ってくれたのは有難い。先日はわざわざお仕事の紹介も受けており、今後も何か一緒に出来ることがあればと思う。

そこから永康街まで歩いて日本人にも人気だと先日教えられたお菓子屋へ行き、悠遊卡でお土産(お茶会用お菓子)を買い込んだ。これで5000元の殆どを使ってしまったが、大満足。夕飯もまだほんの少しだけカードが使える(1回の上限は1500元のため)金額が残っていたが、最後ぐらいは牛肉麺を食べることにして、私の悠遊卡使用は終了とした。ただ私が大好きな麵屋はついに一度も開くことはなかった。

7月23日(水)東京へ

台北最後の朝、雨を心配していたが降らなかった。最後は別の店のクラブサンドで〆た。台湾よ、さようなら、という気持ちで噛みしめる。ここ3年は台湾に来るのは年1回と決めているので、次はあっても来年だ。この店はセットにポテトが付いている。その塩加減が実に好きだ。

荷物を纏めて部屋を出てMRTで台北駅へ向かう。台北駅からは以前はバスに乗っていたが、最近は空港MRT。今回は初めて駅構内でチェックインして荷物を預けてみようと考えた。そのスペースに着くと、ほぼ人はいない。チェックインカウンターもあるが、Webチェックインが済んでいれば、最初から預け荷物の場所へ行く。そしていとも簡単に荷物預けが終了する。これなら次回からはここで預けて市内でランチを食べてから空港へ行こう(普段は桃園空港を使わないから必要ないか)。

空港線はいつもほぼ満員。早い列車だと40分ほどで空港駅に着く。実は今朝乗車する際も例の悠遊卡を使ってみた。ほんの少しお金が入っていると思い、足りない分は駅で精算するつもりだったが、駅員に尋ねてみると「そのカードはチャージできないので、そのまま通過して」というではないか。何と100元しか残っていなかったので、本来-60元を払うべきだが、それも不要だった。この一週間は何だか5000元悠遊卡に振り回された感があるが、出来れば来年も振り回されたいな。

空港手続きはスムーズで、時間はかなり余り英気を養う。天気は快晴で門出には良い。ところが搭乗時間に行ってみると、乗客が本当に少ない。確か「7月5日に日本で大災害」との話で大量のキャンセルが出たとは聞いていた(あれ、香港人のことか)が、既にそれから2週間経っても、まだ信じられているのだろうか。搭乗率は目測で20%程度、日本人がある程度乗っているので、台湾人客は本当に少ない。この夏休み時期にこれでは採算は厳しいだろう。

機内で映画の2本目(噂の永野芽衣主演)を見ていると成田に着いてしまった。今回の旅もお疲れさんと思っていたら、日本のシムカードが作動せずに、いきなりネット難民と化す。まあ慣れた道を帰るだけなので、何の問題もないが、一体何が起こっているのだろうか(暑さのせいか?)。東京でも色々とありそうな気がして怖い。

ある日の台北日記2025その3(8)ローカル食の食べ納め

7月20日(日)ローカル食の食べ納め

今日は何も予定が無かったので、とにかく荷物をバッグに押し込んでみた。かなりの量の茶葉をゲットしてしまった上に、これから買うお土産物を入れる空間も確保しないといけないので、意外と大変だった。腹も減ったので、取り敢えず大腸麺線を食べに行く。最終的に私の台湾料理はこれに行く着くのだ、と思いながら噛みしめる。

昼はどうしても排骨酥湯が食べたくなり、今回行っていなかった店まで歩いて行く。だが日曜日のお昼で混んでおり、席が空いていない。ちょっと付近を散策して戻ってみるとちょうど席が確保できたのは良かった。排骨酥湯の他、炒米粉と魯蛋を食べてかなり満足する。こういう何気ない店には、ずっと営業して欲しい。

夜はいよいよ「台北私のご飯」を食べ納める。魯肉飯、煮大根、臓物スープ、三枚肉と、オールキャストを並べて食べて大満足。しかもこの店、何と悠遊卡が使えた。灯台下暗し。これなら毎日ここで食べればよかった、ということか。部屋に戻ると参議院選挙の開票状況が報道されていた。いよいよ日本も混沌の時代(世紀末)に入っていく感じかな。既に信じられるものは何もない。

7月21日(月)上海料理を

朝はまたクラブサンドを食う。よく飽きないな、とも言われるが、もうこれがあれば無敵だ。今回の滞在はもっとゆっくりになるはずだったのだが、ご縁が繋がり、何故かいつもより忙しく過ぎていく。次回はかなりゆったり目の日程で臨もう。いや年1回ではなく、2回にすれば季節も含めて、色々と広がるだろうか。昼は食べないつもりだったが、もう押さえが効かない。まだ食べていなかったドライカレーに手を出す。魚丸湯がフワフワで美味い。

小雨が降る中、夜は信義区へ向かう。ここも今回初めて来た。いくつもある新光三越のビル、何とか探し当てて登っていくと、昨年潮州料理を食べた店があった。そう、この辺にある店は皆高級店なのだ。今晩はAさんと上海料理を食べてみることにした。台湾で高級な上海料理を食べてことはなかったからちょうどよい。

平日の雨の夜だが、お客はかなり多い。何とか席は確保してメニューを眺める。落ち着いた雰囲気の店内。ここの小籠包は上海料理だろうか。回鍋肉にキャベツを使っているのは日本だけだと思っていたが、台湾も使うのか。しかもそれを皮で巻くとか。因みに日本で回鍋肉にキャベツを使ったのは陳建民氏。NHKの料理番組『きょうの料理』で「豚肉とキャベツのみそ炒め」として作り方を紹介したのが始まりとか。煮干絲は揚州の方が美味しかったかな。お茶もおしゃれだ。悠遊卡をここで使い切ろうと思っていたが、レストランでは使えなかった、残念。

7月22日(火)片付けながら

明日は東京へ戻るので、朝から荷物整理に忙しい。そうしているうちにメジャーリーグの試合が始まり、大谷翔平が先発、二刀流が再開された。この歴史的な場面を台湾のテレビで見られたのは、大きな一歩だった。昼過ぎにSOGOに行ってみる。昨晩使い切れなかった悠遊卡でお土産を買おうと思ったのだが、ちょうどよいものが無く困った。SOGOは二店舗あったのだが、2つのデパ地下を探したのだが。むしろ飲食店が充実している感じだった。

ある日の台北日記2025その3(7)淡水で歴史談義

一旦部屋に戻り、近所のチェーン店に入る。ここも入ったことが無いけど、悠遊卡が使えるので飛び込んでみた。注文は全てスマホでちょっと面倒。正直ファーストフードの台湾料理ということで、これならいつもの店に行けばよかったと後悔しきり。普段使っている店が、如何に優れているか(味と料金)を再認識する結果となった。

夜はもう一度東門永康街へ行く。台湾山茶について博士に確認するためだったのだが、思いの外、人が来ていて、山茶試飲会になってしまったのはちょっと残念。博士自身は山茶だけでなく、台湾茶の歴史全般に興味があるようで、様々な質問を投げかけてきて面白い。山茶についてはまだ分からないことだらけであり、もしやするとこれからも分からないのかもしれないが、日本人も絡んだ歴史的なお茶なので、情報収集など調査を続けて行きたいと思う。まあ今回は貴重なサンプルを飲むことが出来、満足する。

部屋に帰ると夕飯が中途半端だったため、そしてかなりお茶を飲んだため、大いに腹が減る。ただ時刻は夜11時。仕方なくセブンに行ってカップ麺を買う。カップ麺といってもこの牛肉麺は80元以上するので立派な夕飯だ。ただ食べてみると、牛肉の量が少なく、何か物足りないと感じてしまう。もう一度ちゃんとした牛肉麺をどこかで食べたい。

7月19日(土)淡水の出会い

昨晩は夜更かししたので朝が遅くなり、しかも腹も減らない。昼過ぎまで部屋の片づけなどをしていたが、いよいよ台北を離れる直前なので、今年は一度も食べていない麺屋へ行く。ここは私が台北に来た1か月半前から1度も開いていなかったが、昨日確認すると土曜日から再開と書かれていた。ところが行ってみると見事に期待は裏切られ、これまで通り閉まっている。仕方なく横の店で牛肉湯肉絲麺を食べるがやはりしっくりは来ない。

午後3時ごろ部屋を出てMRTに乗り、淡水に向かう。今日は郭さんからの誘いで、人に会うことになっていた。なぜ淡水かと思ったら、郭さんは淡水の近くに住んでいた。駅で待ち合わせて淡水の街を歩く。観光客はそこそこいて賑やかだ。淡水は1860年以降貿易港として活躍するが、最近そのあたりの歴史的建造物がかなり整理されており、港付近も観光地となっていた。

夜5時からやっているというお店はかなりおしゃれだが、店主は歴史に詳しいと聞いていた。店の奥の座敷?に座り、夕飯にパスタを頼む。お茶もかなり凝っている。そこへ陳さんがやって来た。彼は某名家の出身であり、かつ自らの家の歴史を調べていて、合わせて台湾史、中国史にも詳しい。ただ彼の家が茶業に携わっていた期間は短く、資料はあまりないようだったのは残念。

食後は郭さんが持って来たお茶を飲む。店主も参加して歴史談義となる。店主は淡水の歴史などを調べており、その方面にかなり詳しい。彼の知り合いの研究者がまとめた淡水の貿易史の中に茶についても詳しく書かれているという。次回は時間を取ってゆっくり淡水に来て話を聞きたい。

帰りに淡水駅のすぐ近くに寄る。暗くてよく見えないし、当然入ることは出来なかったその建物。実はジョンドッドが淡水に来て最初に住んだ場所だというので驚いた。確かに彼は1860年代前半淡水に来たのだが、どこに泊まっていたのかなどは考えもしなかった。事務所兼倉庫兼住居だったのだろうか。これまた次回確認した内容だった。

ある日の台北日記2025その3(6)3度目の猫空と台紅

7月17日(木)3度目の猫空で

翌日は朝食を抜き、昼前にランチを探す。ここ数年全くご縁が無かったモスバーガーに入ってみる。これも悠遊卡のお陰だ。ところが入り慣れていないため、注文にまごついてしまい、目に付いた一番高い物を頼んでしまった。私はハンバーガーが食べたかったのに、何と出てきた物はライスバーガー。ポテトが大きくて嬉しかったが、余程別にハンバーガーを注文するかと思うほど。いやしかし、台湾モスは創業時からライスバーガーにはこだわっており、日本からコメが輸入できないと嘆いていたのを思い出して、噛みしめて食べた。

今日は昼過ぎから小楊と共に猫空へ行く予定になっていた。それがモスで食べていると突然、「今から動物園駅に来い」と言われたのでちょっと慌てて出掛ける。しかも12時半に、と言われたのに、12時過ぎには彼らは駅に着いたという。何をそんなに焦っているのか。実はこの日は台湾北部の防空演習が午後1時半からある。これが始まると30分間は全く動けないので、出発を早めたらしい。

駅で何とか落ち合い、タクシーに乗り込む。小楊が運転手に行き先を告げると、さっそく会話が始まる。あそこの茶荘はどうだとか、あそこの誰とは同級生だとか、そんな情報はあっと言う間に車内に流れてくるから面白い。僅か20分ほどの行程だが、到着する頃には彼らは旧知の仲になっている。

昔入口の前まで来たことがある六季春。数年前木柵鉄観音茶の歴史を学ぶ際、張迺妙の直系が茶作りをしている所と言われたが、ついに門を潜ることはなかった。残念ながら締め切りに間に合わなかったと記憶している。今回は小楊のお陰で初めて門を潜ったが、訪ねるべき4代目の張信鐘さんはいなかった。何と約束時間は午後2時、今は午後1時前なのだから仕方がない。

それでも5代目を継ぐ予定の息子がおり、お茶にありつく。演習のサイレンが鳴り響く頃、4代目も現れて、話が始まる。私は鉄観音茶の歴史についていくつか質問してみたが、信鐘氏は非常に朴訥な茶農家という風で、回答はほぼ「茶作りに一番重要なのは茶園管理だ」と私に告げてくる。確かに子孫だからといってその歴史が全て分かるわけではなく、寧ろ直系子孫として如何に伝統的な製法を守り抜くか、味や香りをキープするかが重要であることはよく理解できた。勿論彼は気難しい人、というのではなく、寧ろ誠実な人という印象が強かった。後は小楊と信鐘氏が色々と話し込んでおり、私は庭や台北市内を眺めていた。帰りは5代目が車で送ってくれたので楽ちんに帰り着く。

家まで歩く中、吉野家に寄る。ここも今回全く行く機会が無かったが、半端な時間に腹が減り、牛丼と鶏丼のハーフを食べる。まあ一言で言えば、吉野家の牛丼は日本で食べるべきなのだが、ここでも悠遊卡のお出ましにより、無料で食べられたので良しとする。本当に5000元は食べがいがある。

7月18日(金)永康街で

私の台北滞在時間は終わりが近づいているので、悠遊卡の使える店ばかり探すのは辞めて、いつもの店でクラブサンドを食べる。これが一番美味しく、間違いはない。午後はバスに乗って東門へ。昨年も訪ねた台湾紅茶の店で羅さんと会う。台湾紅茶(株)に関する歴史資料を掘り起こして、本格的にその歴史を検証していく作業が始まっていると聞き、何とも嬉しい限りだ。

羅家も客家であり、先代社長からは「うちの先祖は広東梅州から台湾に渡ったが、広東で茶作りをしていたと聞いたことはない」「客家擂茶は客家の文化ではない」と聞いており、今回梅州に客家茶を訪ねた話などをした。客家にも色々な地域の人々がおり、客家茶についても一概に決めつけられない、との思いを強くする。ここの店は台湾観光関連でコラボしており、何と悠遊卡で買い物ができた。これまでもらってばかりだったので、恥ずかしながら初めてお茶を買う。

ある日の台北日記2025その3(5)基隆の咖哩沙茶炒麵

7月15日(火)台北帰着

桃園空港に着くと、人は多くなく、あっさりとイミグレを通過した。外へ出るとまずは既に儀式のようになっているラッキードローに挑む。何と苦節7回目の挑戦で、ついに当たった。係のお姐さんから日本語で「おめでとうございます」と言われ、5000元の入った悠遊卡を手渡される。喜びもつかの間、これを一体何に使うのかとの悩みが始まる。

まずはMRTで台北の宿泊先まで戻るのに180元使った。セブンで25元のあんパンを買った。え、こんなんで1週間に5000元使うのはしんどいぞ、と思ってしまうのは、やはり貧乏人だからだろうか。もしこんなことで眠れなかったらどうしようとも思ったが、それは杞憂に終わる。香港・広東の疲れでぐっすりと寝られた。

7月16日(水)いきなり基隆へ

朝ご飯を買いにセブンへ行く。いつもは高くて買えないサンドイッチを食べてみる。これも5000元の成せる業。まあ日本の方が美味しいが、代金はほぼ同じかな。午前10時に黄さんが宿泊先まで迎えに来てくれた。今日はなぜか基隆まで昼ご飯を食べに行くという。車はスイスイと進み、僅か40分ほどで基隆の街までやって来た。

まだ昼には早かったので、丘を登ることになった。なぜか大型マンションの駐車場に入っていく。なんとそこは通り道にもなっており、そのまま通り抜けると丘の上に出ていく基隆名所らしい。丘の上にKEELUNGと書かれた看板があるが、ここからは基隆が一望できるスポットだ。ただその脇で「同意罷免」という幟を持った男性がいた。黄さんがその男性に「お疲れ様」と声を掛けている。こんなところにまで政治闘争が持ち込まれている。

下におりてランチに行く。街の中心から少し離れた場所ながら、なぜか3軒並んで、咖哩沙茶炒麵の店がある。黄さんがいつも行くという真ん中の店はちょうどお休みだったので、手前の店に入ってみる。港町である基隆、咖哩は日本統治時代に日本から入ってきた物、沙茶は戦後潮州?から持ち込まれた物のようだが、この2つを合わせるとはどうだろうか。一説には基隆には炭坑などもあり、塩分高めの食事が好まれた、との背景が考えられるとか。

麺は日本のうどんのような太麺。カレーは正直ちょっと薄い感じだが、エビなど海鮮も入っており、それに沙茶を合わせて炒めると美味しい。他にも鶏唐揚げや炒大腸などもあり、十分満足できるランチとなる。基隆という街は、単に戦前日本との縁が深かっただけでなく、戦後も様々な歴史が含まれているようだ。

食後、黄さんが車で簡単に基隆を案内してくれた。その中で興味深いのが、戦後この街にいた沖縄人と朝鮮人の話し。実際に黄さんはここに今も住む沖縄・朝鮮系の人々に話しを聞いたことがあるという。港町には色々なところから色々な人々が色々な事情で集まってくることを再認識する。また和平島には400年前にやって来たスペイン人の遺構もあるとのこと、今後基隆に来る機会があれば、ゆっくりと歩いてみたい。

車で送ってもらい、無事部屋に戻る。昨日までの疲れも出ており、ボーっとして過ごす。夕方餃子が食べたくなり、一番近いチェーン店に行く(私が好きだった店舗は既に閉店)。早い時間なので、お客も少なく混乱はなかった。いつもより多めに餃子を頼み、またサイドデッシュにも手を出す。ここは悠遊卡で支払いが出来たので嬉しい。

ある日の台北日記2025その3(4)図書館から木柵へ

7月4日(金)図書館から木柵へ

今朝は東門へ行き、扁食乾麺を食べる。暑いのでちょうどよい。それからバスで光華商場へ向かう。今回USBメモリを持ってくるのを忘れてしまい、まずはこれを入手してから図書館へ行こうと考えた。光華商場はキレイなビルになっており、昔のごちゃごちゃした雰囲気はもうない。11時開店で開いている店は少なく、その中でUSBを探したが、私が欲しい簡単なメモリは見付からず苦労する。

何とかゲットしてMRTに乗り図書館へ向かった。昨年の地震で閉鎖された6階はまだ修復されていなかった。取り敢えず頼まれた調べ物をしようと1階へ行ったが、何と図書館カードを忘れてしまった。カウンターで解決策を聞こうとしたが、何と「館内ネットワークがダウンしており、使えません」というではないか。

仕方なく2階で新聞を見ようと思って行ったが、100年前の新聞のコピーは非常に読みにくく、参考にはならなかった。そこでどうしても調べたい用語だけを係員に頼んで調べてもらったが、思うような答えは得られなかった。その後ネットは回復したようだが、私には時間が無く、調査は後日となった。

ここからMRTを乗り継ぎ、更にはバスにも乗って木柵まで行った。逆に早く着きすぎたので、政治大学内をフラフラしてから、茶荘に向かった。先日猫空で炭焙煎を見学し、そのお茶を手に入れるために訪問した。老板も出てきてちょっと話をしたが、何となく忙しいようだったので、早々に退散した。

帰りがけに馴染みの店へ行き、食べたい物を食べたいだけ注文した。今回の滞在はかなり食べ過ぎだとは分かっていたが、どうしても食べてしまう。魯肉飯にシラスをかけ、大根スープ、キュウリをバクバク頂く。やはりこういうご飯が安定しており、また台湾らしくて、美味い。夜は陸上日本選手権を見る。

7月6日(日)日本選手権を見ながら

週末の午後は陸上日本選手権を見ていた。女子100mハードルはかなりの接戦で見応えがあった。田中希美も良かった。でも全体的に見ると、世界で戦うのはかなり厳しい。今年の世界陸上は東京開催だから、一人でも多くの日本人選手を出場させたいところだが、単に出るだけでは意味がないように思う。

広州炒飯を食べた。なぜ広州と付いているのか、基本は五目炒飯であり、そこにエビとハムが入っているのが広州だろうか。因みに広州炒麺という名前もあるが、何が入っているのだろうか。次回は試してみよう。肉羹も好きなメニューだが、食べる機会が無かった。広州炒飯の隣の店は昨年入ってイマイチだったが、いつの間にか店が変わっており、入ってみた。味はまあまあだった。

日曜日の夜は通常でも開いてみる店が減るのだが、何と台風が近づいており、天気が悪くなっていき、遠出は難しい状況となった。仕方なく一番近い麵屋へ行ったが、何と休みだった。その先に最近流行りの弁当屋があったので、買って帰った。キャベツがどっさり入っており、鶏肉が意外とおいしい。雨が強くなっていく。

7月7日(月)台風の中 香港へ

早朝は幸い雨が降っておらず、MRTで台北駅へ行き、そこから空港行に乗り換えて、桃園空港まで難なく着いた。空港は夏休みなのかかなり混んでおり、香港シムを買おうとしたがかなりの行列。しかもそのシムはかなり高くて買わずに通過する。荷物検査は日本に比べてスムーズでさほど時間はかからず、自動ゲートから直ぐに出国できた。

搭乗時間になると、雨風が相当に強くなり、出発が危ぶまれた。飛行機も動き出さず、一時はダメかと思ったが、何とは飛び立った。珍しく窓際の席に座り、外を眺めていたが、飛べばもう揺れもほぼない。僅か1時間ちょっとのフライト。一応ご飯は出たが、後は国内線のような感じで、ほぼ定刻に香港に到着した。

ある日の台北日記2025その3(3)苗栗 宝元紀を見学する

今日訪ねるのは世界の靴王と呼ばれた宝成の老板が最近作ったという施設。彼はビジネスで儲けた資金をかなりプーアル茶収集に充てたと言い、その一部が公開されているというので出掛けてみた訳だ。駐車場から入り口を入ると、そこは日本的な庭になっており、既に広大な敷地であることが分かる。案内の人に聞いてみたら、11haの敷地の内、現在使用されているのは2haだけだと言っていたが、それでも歩いて行くとのその広さが実感できる。そこには日本から庭師を招いて作った本格的な日本庭園があり、一部は台湾的な庭との融合も試みられていて素晴らしい。お茶を飲める空間もあり、遠くに高速道路が見えた。

建物に入ると、そこでお茶が供された。お茶を淹れてくれた女性はトミーやジャッキーを見てすぐに分かったようだ。やはり茶業界の有名人と一緒にいると対応が違う。ここにはお茶関連の本や可愛い文具なども売れられており、何だか誠品みたいな空間になっていた。日本語の本もあり、私が見知ったものも並んでいて驚いた。

お茶の展示はこちらのブランドのプーアル茶だけ(しかも2004年以降のもののみ)であり、沢山収蔵されたという古いプーアルは見られなかったが、現在別の建物を改修中で、将来はそこに展示されるのかもしれない。世界の喫茶文化を展示するコーナーもあり、ここが茶文化の発信基地を目指していることも分かる。

隣の建物に食堂があり、そこでランチを食べる。ハンバーガーとパスタがあり、パスタを選択する。ドリンクはサービスで提供された。茶葉アイスもあり、サンプルを食べさせてもらったが、なかなか美味しい。ここでオーナーの蔡さんを見かけた。既に80歳を超えているとのことだったが、お元気そうだ。実は私は30年前この靴王とビジネス上で少しだけ関係があり、蔡さんを見るのはそれ以来で、ちょっと感慨深い。

更に別の建物には喫茶コーナーがあり、実においしそうなケーキが並んでいた。何と日本人パティシエが企画に関わっているという。実はここは京都に支店があり、相当深く京文化を学んでおり、日本をかなり意識して取り入れている。次回は京都のお店にも行ってみよう。2階はセミナールームになっており、何でも出来そうだ。

4時間ほど滞在して、この地を離れた。トミーと別れてジャッキーの車で先日も行った頭份のバスターミナルまで送ってもらい、バスに乗って台北に帰った。一度部屋に戻り休息。夜は永和の韓国街へ行ってみる。中興街というのが名称だが、戦後韓国系の人々(山東から韓国経由も)が台湾に渡り、ここに住み着いたらしい。韓国系の店、服やコスメなどがいくつか見られたが、ミャンマー街ほどの賑わいはない。

ここにある山東水餃子の店でチャジャンミョンを食べてみることにした。ここのチャジャンミョンは韓国、中国とはちょっと違うとは思ったが、どう違うかは分からない。水餃子とチキンも食べてみたが、あまり海外感が無かった。帰りにミャンマー人のドリンクスタンドで飲み物を買い、外で風に吹かれながら飲んだ。何となくヤンゴンを思い出す。

ある日の台北日記2025その3(2)ラジオ収録

今日は20年に付き合いになる人とこの近くのお茶屋で密会した。質問内容はずばりプーアル茶の台湾への輸入についてだった。ある意味で答えは簡単だった。基本的に巷で言われている台湾茶商が雲南山中に分け入り、古い倉庫からプーアル茶を掘り出したが、その茶が非常に美味かった、といった類は根本的に美しい物語だという。

実際彼女は1980年頃には香港茶商のプーアル茶台湾代理店をやっていたが(このこと自体も密輸)、当時は台湾におけるプーアル茶市場などほぼなく、誰も見向きもしなかったのが真実らしい。プーアル茶が盛り上がったのは21世紀に入ってからであり、政府も2004年には輸入を解禁しているが、それまでは様々な方法で台湾に持ち込まれてはいたが、その量には限りがあったらしい。

また雲南の倉庫にずっと眠っていたプーアル茶があったとしても、それはいいお茶にはなり難い。湿気や高い気温などの条件のある香港のような場所できちんと管理するから熟成が進むのだとも言い、『港倉』(香港の倉庫)に置かれたプーアル茶が良い茶であると言われる由縁はここにあるらしい。

話しをしていた店は台東の紅烏龍茶などを扱っていたが、その茶を飲ませてもらうとなかなか美味しい。来年は久しぶりに台東方面を目指してみようかと思いながら、今日聞いた話を反芻していく。そして腹が減ったので、ついに近所の行きつけの店へ行き、思いっきり注文して満足するまで食べた。満腹は幸せ、だ。

7月2日(水)ラジオ収録

暑さがきつくなってきた。食欲は依然あるが、気分を変えたくて、昨年時々いった食堂へ行ってみる。だが10時からだと思っていた開店は何と11時。暑さの中、ちょっとガッカリしていたら店員さんが「何が食べたいの」と言って作ってくれた。こういうのが如何にも昔の台湾らしく、何とも有難い。折角なので食べたことが無い、ワンタン撈麺を頼んでみる。予想外に少しスープが入ってきたが、美味しく頂く。

今日はBさんがやっているラジオ番組への出演の日だった。過去2回ほど訪ねているラジオ局だが、今回は暑さもあったので、宿泊先から直行できるバスにしてみた。バス停に行くとすぐにそのバスが来たので、思ったより少し早くラジオ局付近に着いてしまった。手前には忠烈祠があったので、懐かしさからちょっと寄ってみる。台北駐在時には故宮博物院とセットで何度来たことだろうか。この暑い中でも衛兵はちゃんと立っていてエライ。

ラジオ局では昨年とほぼ同じように、リラックスしてお話ししてしまう。ちょっと緊張感が無さすぎでは、と思ってしまったが、さすがに慣れているBさんのリードは素晴らしく、すぐに時間は過ぎてしまった。果たしてどれだけ伝えるべきことが伝えられただろうか。かなり危うい内容だが、これも実力、仕方がない。どんな話をしても腹だけは減る。帰りに双醤麺を食べて腹を満たしたが、心は何となく満たない。

7月3日(木)苗栗の宝元紀

今朝は先日久しぶりに会ったジャッキーから誘われて苗栗へ行く。彼は家族が台北にいるので朝車で宿泊先に迎えに来てくれ、そのまま苗栗三義に向かった。朝は台北を出るあたりでさすがに多少の渋滞があったが、その先は車もスイスイと進み、約2時間で三義までやって来た。何と台中から茶旅の相棒トミーも合流した。

ある日の台北日記2025その3(1)6年ぶりに黄さんと会う

《ある日の台北日記2025その3》  2025年6月30日₋7月23日

6月30日(月)疲れをとるには

週末の台南旅は収穫が多かったが、その前週の山登りの疲れが抜けず、更に疲労感が増していた。そんな時は眠るのが一番だが、この暑さの中、年齢的には寝るのも大変だ。クーラーなど点けて寝ると風邪を引くし、点けないと暑さで起きてしまうという悪循環。こんな時は好きなものを食べるのも選択肢の一つだが、一番好きな牛肉湯肉絲麺を出す店は結局私が台北に来てから一度も開いておらず、食べることもままならない。ちょっとイライラする。

まあ仕方がないと言いながら、いつものクラブサンドを食べに行く。自分で言うのもなんだが、本当にこれが好きだな。店のおばさんも昔より丸くなり、何だか対応が柔軟になって来ていて、安定感がある。ドリンクを入れて70元は日本では考えられない値段だ。何とも有難く、拝みながら頂く。

ランチは気分を変えるために近所で見つけた炒飯専門店に炒飯を食べに行く。小さな店だが、午後1時過ぎに席があり、入って注文をした。ところがランチタイムで外帯の注文が殺到しており、テイクアウトに来る人でごった返していき、いつになっても私の炒飯はやって来ない。何と30分以上経ってようやく炒飯とお目見えしたが、既に食べる気を失くしており、味はよく分からない。因みにこの店は午前11時から午後2時までの3時間しか営業しないらしい。

午後もボーっと過ごす。なにもやる気になれないし、原稿などにも手が出ない。配信ドラマも途中で投げ出してしまうほど、集中力がない。今日は1年の半分が過ぎる日。季節の変わり目的な気分からか、どうにも落ち着かない。

7月1日(火)黄さんと湯さん

今日は6年ぶりに黄さんと会うことになった。黄さんは228事件で行方不明となった大茶商王添灯の孫にあたり、当時王添灯を書くに際して、王家の親族を何人も紹介頂くなど、大変手厚い支援をしてくれていた。お陰で王添灯関連の取材は台湾のみならず、大連や天津にまで広がったのは何とも懐かしい。

今年の3月初め、ふとNHKの番組を見ていたら、228事件関連で黄さんが登場したので驚いた。二二八記念館の改修や演劇活動など、かなり積極的に取り組んでいる様子が映し出されていた。随分ご無沙汰してしまったので、ご自宅付近のカフェで待ち合わせた。宿泊先からはバスで一本、距離的にもかなり近い。ところがそのカフェはやっておらず、戸惑っていると向こうから黄さんがひょっこり笑顔でやって来た。

別のカフェに落ち着く。この辺り昔は田畑で、その後開発業者がおしゃれな街づくりをしたということで、今でもカフェなどが多いエリアだという。インスタ映えを狙った写真を撮りに来ている若者などもいた。茶器やプレートで出てきたご飯も何となく映えを狙っている気がする。心地よいランチとなる。

黄さんから黄家と萬華の歴史の本を頂く。黄さんの実家は日本時代に台湾亀甲萬の総代理店をしていた家系で、そちらの関連資料などもあり、纏められたものだという。当然ながら日本と台湾の密接な関係は黄家にも表れている。戦後生まれの黄さんだが、幼い頃はお爺様が生きていて、日本式すき焼きなどを食べていたらしい。台湾食文化もこのような階級の人と一般人では全く違うのだろうか。

一度部屋に戻り、夕方今度は圓山へ行った。MRTを降りると懐かしい護国禅寺があった。ここは児玉源太郎時代に誘致された日本式寺院で、雰囲気もどう見ても日本そのものだった。そのまま保存されているのが素晴らしい。ただあまりに日差しが強く暑いので、ちょっと見学してすぐに退散する。

ある日の台北日記2025その2(7)玉井のマンゴー市場で

客家であることを証明する方法は色々あるのだろうが、その中に敷地に半月池がある、というのがあるらしい。これは他の客家地域でも聞いたことがあるが、この邸宅も一番前に半月池があったのは面白い。また集落内にある井戸も立派で、そこで洗濯などをするために井戸の周囲に洗い場が確保されているのはAさんの研究課題だ。

案内してくれた人の同級生のカフェへ行った。そこでマンゴーかき氷を食べた。何という美味しさだろうか。勿論マンゴーの新鮮さ、甘さはあるのだが、氷にはちみつなどがかかっていて、この味が何とも凄い。なぜ人々がここにマンゴーを食べに来るのか、その理由がよく分かる。私は35年前の台北在住時代にかき氷に中り、それがトラウマとなってこれまで一度も手を出したことはなかったが、今回大いに認識を改めた。

そういえば、木の幹になるブドウ、樹葡萄があり、それをとって食べたら、これまた美味しかった。埔里で見て以来だろうか。ずっとこの村に居たかったが、他のメンバーがマンゴー市場に到着したとの報を受け、退散することとなる。タクシーを呼ぼうとしたらカフェの奥さんが車で送ってくれ、来年も来てね、という。何ともほっこりした会話に癒される。

マンゴー市場の規模は想像以上だった。メンバーを探すのに手間取るほど。昨晩のメンバーに加え、更に数人が香港から来ており、ちょうどかき氷を食べようとしていた。私はもうお腹いっぱいで食べなかったが、こちらでも実に多くの人がマンゴーかき氷を食べている。何でそこまでマンゴーが好きなのか、と思っていたが、やはり美味しければ食べるだろう。

そこから農会ビルにある食堂でランチを食べようとしたが、ここもお客で大混雑。お目当てのマンゴーカレーは既に売り切れ(というか、米自体も売り切れていた)で、メンバーが買える物を確保してくれた唐揚げなどにありついた。そしてまた市場に戻り、値段交渉を繰り広げ、マンゴーを買っていく。マンゴーって、こんなにいろんな種類があり、味も違うことを初めて知る。香港組はマンゴー持ち込み自由だが、日本組は持ち込めないため、ここで食べるしかない。明暗くっきり。すごい熱気で最後まで粘って買っている人もいた。

かなり疲労したので帰ることにした。元々は歴史博物館へも寄りたかったが、今回その気力はなく、バスに揺られて眠った。同行者数人も同じバスに乗ったが、何とマンゴー箱買いして、そのままバスに乗り込み、周囲もちょっと驚いていた。うち二人はそのまま高雄空港へ行き、箱を持ったまま飛行機に乗るらしい。今回が8回目という人はもう慣れた感じで、何とも面白い。

1時間半で台南駅まで戻り、そのまま箱を持った二人と台鐵のホームへ行く。彼らは自強号で高雄へ、私は区間車で高鐵駅へ行く。ちょうど雨が降り出し、別れた。高鐵駅についてもまだ時間があったので、高鐵弁当を買ってみる。結構並んでおり、人気なんだな、と思う。120元は普通の台鐵弁当80元よりかなり高い。が、高鐵駅で売っている台鐵弁当はもっと高いことが分かり、安堵して?食べる。夕日を眺めながらうつらうつら台北へ戻る。