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ある日の台北日記2019その2(2)台北をフラフラ

3月29日(金)
静岡県事務所へ

私は昨年まで静岡県の茶雑誌に4年ほど、連載をしていた。お茶と言えば静岡だと思っていたが、お蔭で静岡だけでなく、日本全国を回り、色々な日本茶を見ることが出来たし、茶旅の報告までできて、とても感謝している。静岡県のために何かしないといけない、という気持ちはささやかながら持っている。

 

以前大学の先輩から台北にある静岡県事務所を紹介されたことがあったが、その時は埔里におり、台北に出てきたが時間が合わず、訪問しなかった。地方自治体がきちんと職員を派遣して業務に当たるのは、かなり大変なことだ。静岡は何故台湾に事務所を置いているのだろうか。

 

今年1月、台湾茶の歴史を簡単に話した折、ちょうど静岡県事務所の人が聞きに来ていたので、更に静岡と台湾茶の繋がりを強調してみた。静岡は日本一の茶産地であり、私などが何も言わなくても、繋がりは深いに決まっているが、歴史を掘り返すより、現在の発展が優先される面は仕方がないと思う。それに何より静岡の茶人材は多過ぎるほどいる。

 

今日はその事務所のNさんを訪ねた。事務所設立6周年になるという。色々と共通の知人の話が出たり、お茶のことを話したりしている内に、とんだ長居になってしまったのは申し訳ないことだったが、こちらとしては、『お茶を切り口に更に静岡をアピールする』のは悪いことではないし、茶業関係者を中心に、台湾人も日本時代に台湾に貢献した人の存在にはかなり興味が持たれる時代なので、茶業試験場を作った藤江勝太郎などをもう少し紹介してもよいのでは、と話した。

 

実は台湾には様々な形で静岡産の茶葉が流れてきている。今後は静岡茶を使ったフレーバーティーの店舗なども出店が予定されているようで、紹介するチャンスもありそうだ。またお茶を切り口にした静岡への茶旅も、台湾人なら受け入れそうな雰囲気があり、富士山、温泉、お茶などを組み合わせたプランは有効かも知れない。インバウンド資源は沢山ある静岡だが、新たな魅力を伝えるのは悪くないと思う。

 

3月31日(日)
小籠包から居酒屋へ

先日白酒を飲む会で出会ったYさんから、お茶についての質問を受ける。このYさんも前回のSさん同様、どこかで会ったことがあるかもしれないと思っていた人だった。結局人違いだと分かったのだが、某金融機関に全く同じ時期に同じ姓の人がいたので、勘違いしたのだった。それでもその人のことを思い出したのも30年ぶりだったので、何となくご縁を感じる。

 

ランチを食べようと言われて向かったのは、東門。宿泊先から歩いて行ける範囲。途中に大安森林公園が横たわっており、意外と遠く感じる。この公園の中を初めて通ってみた。森林公園という程木々はないものの、池などもあり、景色がよく、写真を撮る人や家族連れで賑わっていた。

 

Yさんは東門に住みながら、日本と台湾を行き来しているようだ。指定されたのは老舗の小籠包屋さん。ずいぶん昔に来たことがあるような店だった。東門、永康街といえば、日本人観光客が押し寄せる場所で、あまり寄り付かない。特に鼎泰豊の行列にはちょっとどうかと思っているが、ここはすんなりと入店できた。

 

よく見てみたが、日本人は我々二人しかいなかった。Yさんによれば、以前日本人は多く来ていたというのだが、もう飽きられてしまったのだろうか、それとももっと別の店に集中しているのだろうか。ここの小籠包は大き目で、元々の上海当たりの形に近く、それが台湾的な薄皮になっている。鶏ガラスープはあるのに、卵炒飯がメニューにないのは、小籠包が主食、という意味だろうか。

 

夜もまた歩いて出掛ける。帰国が決まってしまったSさんと会う。指定されたのは市民大道。私は昔の台北を結構知っているつもりが、その時、市民大道などという道はなかった。私が立っている復興南路辺りは、1990年代半ばに開通したらしい。上には首都高が通っており、渋滞はかなり解消されたのだろうか。

 

この付近には居酒屋が沢山あるので一度入って見たいというのがSさんの希望であり、私は入ったこともないので、フラフラ歩きながら店を物色してみる。確かにレトロ風からおしゃれ系まで、ここは日本かと思えるような様々な店が立ち並んでいた。お客も若者が多かった。

 

日本風の居酒屋に入っていくと、ほぼ満席で一番手前の席しか空いていない。ビールにホッケなどの魚やホタテを焼いてもらったが、思ったより料金は高く、これは日本で食べた方がよいと思う値段。ということは、日本を想定したサービスで台湾人向けに作られているということだ。台湾人にとって日本食はある程度高くても行く場所。当然ながら日本人は我々しかいない。やはり日本人は台湾では台湾料理を食べるのがコスパは良い、と理解した。

ある日の台北日記2019その2(1)白酒会に飛び入り参加して

《ある日の台北日記2019その2》  2019年3月27日-4月2日

今年2回目の台北臨時拠点。今回はちょっと眺めにフライトを取り、ここから色々と出掛けることにした。既に1週間後には香港、福建の旅が控えていた。果たして、お茶の歴史調査はどこまで進むのか、新展開はあるのか。

 

3月27日(水)
台北へ

今回は日系航空会社のマイレージを使って飛ぶことにした。サーチャージが非常に安いのが有り難い。原油価格って、そんなに変動しているのだろうか。最近そんなことにもまるで関心がなくなっている。羽田の昼便なので、家を出る時間に何となく余裕もあってよい。桜の散る道を通りながら駅へ向かう。

 

日系空港会社、正直食事などの機内サービスは少しずつ落ちてきているように思えてならない。これは他の人も偶に言っていること。私も台湾線では出来ればエバに乗りたい派だ。日系に乗って充実しているのは映画ぐらいだとの声も出ている。取り敢えず映画を見て過ごす。

 

松山空港は狭いので到着すると、実にスピーディに事が運び、すぐに外に出られるのは良い。そしてシムカードを買い、国内線へ移動した。前回はここで荷物をロッカーに預けて出掛けたが、今回はPCを使って、終わらせるべき作業をすることにしていたのだ。セブンで飲物を買って、電源がある席に着けば完璧。これで2-3時間は存分に作業可能だ。

 

ところが大家の葉さんから連絡があり、あと1時間ぐらいで一度家に帰るから、そこで鍵を渡すという。それはそれで有り難いので、30分ほど作業してからゆっくりと地下鉄に向かう。最寄り駅まですぐに到着し、荷物を引いて行き、無事に部屋に入れた。約2か月ぶりだが、既に何が置いてあるのかも思い出せないほど記憶力は低下しており、一度荷物を出して整理を開始する。忘れ物が沢山あることに気づき、愕然とする。

 

夜、腹が減るといつもの店へ向かう。そしていつもの定食と、大根スープで腹を満たす。これはお金の問題ではなく、台湾でなければできないことだ。いつも無愛想な店員たちは、今日も無愛想だったが、それはそれでよい。その変化の無さがよいと思えるのも、またよいのだ。

 

3月28日(木)
白酒会に飛び入りして

実は相当に疲れが溜まっていた。何しろ、島根の旅、そしてハバロフスクから四川の茶旅を経て、ほぼ休みなく移動してきた。アユルベーダ的にはやってはいけない移動であり、最近のダメージ回復力の無さは、相当に実感している。いわゆる疲れが取れない状態で、何もする気が起きないのだ。だがそろそろ提出しなければならないものもある。頑張ることを放棄した数年だったが、どうしたものだろうか。

 

とにかく疲れを取るためには寝るのが一番だと分かっていた。幸い涼しい台北では、何も考えずに熟睡できる環境があった。ただ一つの懸念は原稿の締め切りだったが、それも集中できないのであれば、まずは体調を整えることを優先する。熟睡の条件とはお茶をたくさん飲まないこと、利尿作用とカフェインを抑えることが必須だろう。夕方まで睡眠を繰り返して、目もすっきりしてきた。

 

いつものTさんに連絡したところ、ちょうど食事会があるから飛び入り参加したら、といわれ、気分転換も兼ねて出掛けることにした。場所が客家料理屋というのも、何となく気分が乗るお誘いだった。MRT古亭駅で降り、ちょっと横道に入ると、そこには古びた建物が建っていた。晉江茶堂というお店、以前一度来たことがあるような気がする。

 

店内もレトロな雰囲気でお客は超満員。私は台湾に長く住む日本人の皆さんと共に客家料理のコースを味わう。どれも安定の味で美味しい。ただこの会が白酒を飲む会だと知り、かなりの場違い感は拭えない。何しろ私は酒を飲まないのだから。皆さんは自ら持ち寄った酒を次々に開け、論評している。

 

ただお茶についても色々と参考になるお話が聞けて良かった。食事の最後に擂茶が出てきたのにはびっくりしたが、これも台湾客家の伝統文化との位置づけだから面白い。そして皆さんが『意外と美味しい』というので、なるほどとも感じる。大阪で擂茶の販売をしているMさんの顔が浮かぶ。

 

実は翌日になり、昨晩のメンバーの一人の名刺をしげしげと眺め、ちょっと思い当たることがあった。夕方まで考えて、その方にメールした。『30年前、XXとご関係がおありでしたか?』、すると答えはYesだった。ああ、Sさんは30年前、ある台湾の著名人に紹介してもらい、ご自宅でご飯をご馳走になったことがあったのだ。やはり台湾は狭い、そして私の記憶力はどんどん衰えている。因みに私より先輩のSさんも『全く覚えていない』というので、少し安心する。

ある日の台北日記2019その1(11)既成概念を取り払いたい

1月27日(日)
いつもの店で

今日はそろそろ米が食べたくなり、いつもの食堂に行く。そしていつもと同じものを頼もうとしたが、店に掛かっているメニューを見て驚く。これまでバラバラに単品を注文していたのだが、何と定食があるではないか。今回は定食を頼んでみる。だがなぜか別に野菜も頼んでしまい、定食と野菜がダブる。

 

今回分かったことは、兎に角台湾には定食の概念があるのだから、一人で食べるなら、定食があるかどうか、または出来るかどうかを確認すべきだということ。単品注文よりかなり安くなる上、量的にもちょうどよくなるはずだ。それが食べ過ぎ注意にも有効に働き、一石二鳥は間違えない。

 

台北生活にもかなり慣れてしまい、ルーティン化してしまっているという自覚がある。まだまだ知らないことだらけだから、もう少しチャレンジしてみる必要があると痛感する。今回はあと僅かで台北を去るし、旧正月が近いのであまり冒険は出来ないが、次に来訪時には今より大胆になろう。

 

1月28日(月)
サッカー

今日は明日のセミナーの準備をしていた。これまで台湾茶については、台湾紅茶、包種茶というように、各茶の歴史について調べたことをお話してきたが、明日は『台湾茶と日本の繋がり』がテーマだから、その一部を抜き出し、再構成する必要がある。しかも話の時間は僅か30分。一つのお茶について、90-120分話すことに慣れている者にとって、これは試練に違いない。コンテンツは豊富にあるが、何を伝えるかは意外と難しい。

 

そんなことをしていると、時間はどんどん経ってしまう。夜も更けてきた。気分転換にサッカーを見ることにする。UAEで行われているサッカーのアジアカップ。日本はここまで苦戦しながら何とか勝ち上がってきたという印象があったが、準決勝の相手は、アジア最強のイラン。ただずっとアジアサッカーをけん引してきたイランなのに、アジアカップ優勝は1976年を最後にない。しかも決勝にすら進んでいない。これは面白いデータだった。

 

まあ、難しい試合になるだろうと思って見ていたが、前半を互角に渡り合うと、何と後半、一瞬のスキを突いて半端ない大迫が先制する。そしてイランのリズムが崩れたところで、追加点を奪い、快勝してしまった。日本代表の試合で久々にスカッとするゲームだった。一瞬のスキ、これをモノにできるかどうかが勝敗の分かれ目だった。これはサッカー以外にも言えることだが、今の日本にはこのようなチャンスを生かせる雰囲気がないように思う。海外組はその辺が鍛えられているのだろうか。

 

1月29日(火)
セミナー

今日も引き続き、セミナー準備に追われる。短く伝えるべきものだけを伝えることは本当に難しい。しかも台湾に詳しい方々ばかりだとは思うが、茶に詳しい方はいないだろうから、余計に伝え方を考えなければならない。言い方を誤ると、妙な誤解を生み、炎上しかねない。

 

あっという間に日が暮れる。MRTで会場に向かう。会場はニニ八公園の向こう側だ。その場所から交差点を眺めて驚いた。ここは日本時代に辻利茶舗があったと言われている場所だろうか。勿論建物の前へ行ってもそのような表示はないのだが、今はスタバになっており、レトロな茶空間を演出しているように見えた。またこの周辺には、陸羽茶芸などもあり、老舗茶荘も目に入ってくる。突然日本時代に隆盛を極めた茶業が眼前に現れた感覚になる。

 

今晩は、お知り合いのTさんが最近発起した新しいロータリークラブでお話しした。もう年末も年末で、しかも正式会合でもないとのこと、一種の忘年会に呼んで頂いたようだ。会場も老舗上海料理屋さん。何となく懐かしい料理と新しい料理が並んでいる。会員もTさんのクラブとそれ以外の台北にある日本語ロータリークラブから、日本人と台湾人、20人近くが集まっていて、ちょっと緊張。

 

私はこれまで何度か言ってきたことがあった。『台湾紅茶の守護者として近年新井耕吉郎氏が顕彰されており、それは茶業界にとっては悪いことではないが、最後の紅茶支所長が顕彰されるのであれば、日本時代初期に苦労して茶業試験場を作った初代場長も顕彰すべきだろう』と。そしてこの2年間調べた、生家にも行った藤江勝太郎についても触れた。

 

三井の日東紅茶ももっとクローズアップされるべきだろう。1970年代の台湾煎茶の大量輸出、そして日本茶とのブレンドなどについても、静岡は沈黙したままだ。もう歴史なのだから、きちんと歴史を残した方がよい。ちょうど静岡の方もいたが、そんな歴史、誰も知らないのだ。それでよいのか。そんな話をした。中には関心を持って頂いた方もいたようで、今後色々と繋がっていくことに期待したい。

 

そして翌日、もう年末でこれ以上の活動は難しくなったので、松山空港から東京へ向かった。エバ航空で東京に向かい人も、何となくいつもより日本人観光客が多かった。機内安全ビデオが、とても斬新なダンスパフォーマンスになっていて驚いた。クリスハートの音楽でぐっすり寝入る。

ある日の台北日記2019その1(10)見るものから考えさせられる

1月25日(金)
国家電影中心で

疲れが溜まってきたが、腹もかなり溜まっているように思えた。食べ過ぎは体調を崩す。ということで、本日午前中は部屋で大人しくして、食べないことにした。だが、一度大きくなった胃袋を急に小さくすることは出来ない。腹は減ってしまうのだ。午後1時過ぎ、我慢できずに、近所に麺を食べに行く。

 

牛肉麺はちょっと重たいと思い、今日は牛肉湯肉糸麺を注文してみる。まあ、これは牛肉の代わりに豚肉の細切り?が入っていると思えばよいのだが、スープはしっかり味わえ、刀削麺も同じで料金は牛肉麺の3分の2で済むので、とてもお得だと分かる。貧乏な私は今後の通常食としてこれを活用しよう。

 

午後もゆっくりと資料整理などして過ごす。元々は出掛ける予定はなかったが、先日会った黄さんから、『黄さん製作のショートフィルム試写会』のお知らせをもらったので、気分転換に出掛けてみる。場所は導善寺駅の近く。駅を出て会場に向かうが、やはり?腹が減って来た。既に午後7時を過ぎており、これから試写会を見終わると9時は過ぎてしまうだろう。

 

目の前にあった、マクドナルドに足が向いてしまう。店内には注文できる機械がデーンと置かれている。私も試してみたかったが、決済などがよく分からなかったので、カウンターに進んでしまう。ハンバーガーセットを注文すると飲み物を聞かれる。咄嗟に温かい紅茶と口から出てくる。マックで紅茶なんて頼んだことない。出てきたのはデリマのティーバッグ。これは喜ぶべきことだろうか。まあ、台湾紅茶は出てこないだろうな。

 

今回の会場は国家電影中心。台湾映画を中心に沢山のDVDや資料が所蔵されており、会員になれば、借りてみることもできるらしい。映画好きなら、一度は行って見るのも面白い。その奥に立派なシアターがあり、既に多くの人が集まっていた。私は一番後ろに座って、事の成り行きを眺める。

 

黄さんが昨年まで、3回位中国新疆に行っていたのは聞いていた。鉄道オタクである彼は、新疆のSLを映像に残していた。そしてもうすぐ終焉を迎える鉄道とそこに生きる人々のストーリーを朴訥な感じに仕上げていた。正直こんな立派なものを作っているとは全く知らず、大いに驚く。

 

試写会に来ていたのは、一緒に新疆に行った彼の仲間が中心だ。鉄道好きが多く、色々な感想が聞かれたが、『最近は中国当局の監視が厳しく、新疆に行くことが出来ない』との不満の声が多く聞かれた。そのショートフィルムにはウイグル族はほとんど出てこないし、物語の主体は新中国後に、東北地方から移住した漢族だった。それでも『台湾人が今新疆に行けば、どんな疑いをかけられるか分からない』『取材先に迷惑はかけられない』など、ここでも中台関係が頭をもたげていた。

 

映像では夜走っている汽車が素晴らしくきれいに映し出されていたが、その汽笛はどこかすすり泣いているようにも聞こえた。私ももう数年、新疆には行けていない。ウイグル人との交流が難しいからだ。私や台湾人が気楽に新疆に行ける日はいつになったら来るのだろうか。

 

1月26日(土)
テニスと相撲

相変わらず涼しい日が続いている。週末は原則遠出しないので、今日もゆっくりと原稿を書いていた。ただうまく書けないことが多く、それがストレスとなり、また食欲が出てしまう。寒いからお茶を飲む量が増えることも一因かもしれない。何となく悪循環に陥っていると感じる。

 

昼を過ぎるとやはり腹が減る。とにかく米を食べるのは控えようと思い、今日は近所に鍋焼麺を食べに行く。ここの鍋焼麺は、蝦や魚介類を多く使い、出汁が取れていて美味しい。麺も揚げ麺を頼むと、とてもいい感じにスープを吸い込んでいる。接客も丁寧で好感が持てる。熱々のスープが体に沁みる。

 

夕方、テレビを点けると、大相撲中継があった。ここ台湾でもNHKを通して、相撲を見ている人が結構いる。先日の王さんなどは、昨年11月に初めて会った時に開口一番『稀勢の里、大丈夫かね?』と心配していたほどだった。台湾人にとっても相撲は日本を感じさせる特別なスポーツだろう。だが最近は不祥事が相次ぎ、横綱・大関の休場も相次いでいる。ある種の職場放棄ではないか、と思わせる時すらある。今場所も関脇が優勝を争い、アナウンサーは新しい勢力を待望しているが、こういう興行をずっと見ているのは正直辛い。

 

同時刻に全豪オープンの女子シングルス決勝も行われている。大阪なおみが順調に勝ち上がり、決勝でも勝って見事に優勝した。世界ランクも1位になるらしい。元々パワーのある選手だったが、急にこんなに正確なショットを打てるようになるのだろうか、と思うほどに成長しており、これなら現時点の世界ナンバーワンも頷ける内容だった。

 

久しぶりの日本出身横綱である稀勢の里の引退、そしてアメリカ育ちの日本人大阪なおみの世界ランク一位、世の中は急激に変化しているのだが、日本国内ではなぜか『日本人への拘り』『誰が日本人か論争』などが聞こえてきて、驚いてしまう。二重国籍も大いに結構だと思うのだが、なぜそんなに出自に拘るのだろうか。大関高安や小結御嶽海も母親はフィリピン人だと言うが、大相撲の世界もどんどん多様化してくるだろうに。

ある日の台北日記2019その1(9)豊原日帰り

1月23日(水)
呉三連紀念館

昨日王さんと話している中でも出てきたのだが、戦後台湾人たちが中国大陸から台湾へ引き上げる際には、大変な困難があった。天津の場合は、同郷会会長の呉三連という人物が相当の尽力をして、アメリカの船を引っ張ってきて、台湾人を乗せて帰った、という話が印象に残った。

 

この呉三連という人物、どこかで聞いたことがある名前だと思っていたら、台湾に戻った後、初代の台北市長に任じられた大物であった。そして亡くなった後も、呉三連基金会が彼の遺志を継ぎ、様々な歴史、文化支援を行っているという。彼と天津との繋がり、また当時のことなど、基金会に何かエピソードが残っているのではないかと思い、南京東路にあるオフィスに向かった。

 

ビルの11階に到着すると、そこは如何にも改修中だった。一応仮オフィスがあり、そこの人に聞くと、5月に再オープンするという。ここには元々図書館があり、多くの資料が保管されている。そして時々講演会なども開催され、歴史などについて学ぶ機会もあるという。黄さんから紹介されていた方を探し、話を聞く。

 

『実は呉三連の天津時代の資料はもともと少なく、更には資料の散逸もあり、現在では殆どわかっていない』というから、ちょっと驚いた。呉氏の自伝のようなものを見ても、あまり細かい内容は書かれていないようだ。やはり何か書きにくい、歴史に残しにくい内容があるのだろう。それはあの混乱の中でギリギリの交渉を行い、同胞を救ったからには人に言えない苦労はあったはずだ。

 

呉氏のインタビュー音源なども残されているというが、現在は改修工事の関係で、引っ張り出すことは難しい。『5月以降、再度連絡して欲しい』と言われる。この基金会、呉氏のことは勿論、それ以外の様々な資料が眠っている可能性がある。お茶に直接関係なくても、台湾の現代史は頭に入れておく必要があるので、再オープン後にゆっくり訪ねてみることにした。

 

部屋に帰るとテニスの全豪オープンが見られた。準々決勝で錦織圭とジョコビッチが試合をしていたが、錦織は序盤から明らかにスタミナ切れとなっており、2セット目に棄権してしまった。これまでフルセットの戦いが多かったこともあるとは思うが、やはり29歳、もう若くはない。大阪なおみは順調に勝ち進んでいる。

 

1月24日(木)
豊原日帰り

ホーチミンの張さんが旧正月で一時帰国したと連絡があった。昨年10月に会ったばかりだが、ちょっと会いたくなり、彼の故郷、豊原へ向かう。朝10時の自強号に乗ると、12時には豊原に着く。駅には張さんとお父さんが迎えに来てくれ、車で流行りの食堂に連れて行ってくれた。

 

そこは平日の昼間から、満員盛況で、週末は席がないという店だった。我々の席もすぐに相席となる。確かに蒸した鶏肉などが美味しい。今日は天気がよいが、鍋なども出ている。さすがに正月が近いからか、数人のグループで来て、わいわい食べている。地方都市にはこんな店が必ずある。

 

その後、街中に戻り、張さんも帰ると必ず行くという、泉芳茶荘へ向かう。私も何度も来ているが、ジョニーに連絡せずに、店を訪れたのは今回が初めてだ。お母さんも突然現れたので、驚いていたようだ。子供二人も正月休みで店に居り、思い切り走り回って遊んでいた。既に正月モード。更にはくるお客さんも皆常連さんで、年賀の挨拶の品を持ってやってくる。台湾の師走の光景なのだろうか。

 

そんな中、様々なお茶を飲みながら、話をする。私一人だとそこまでお茶に拘らないが、張さんはこだわるので、お母さんも色々なお茶を繰り出してくる。台湾各地の茶は勿論、中国茶、果てはハワイで作られたお茶まで出てきてビックリする。ここには本当に様々な茶が集まってくる。それが茶商の力なのかもしれない。

 

夕方、廟東市場へ出向く。ここの食べ物はなぜか他より美味しい。それは多くの人が認めているところであり、地元の張さんも当然のようにそこへ行く。肉圓と四神湯を注文する。うーん、やっぱりうまい。だがすぐに腹が一杯になってしまう。もう少し食べるかと言われたが、もう食べられない。

 

取り敢えず駅の方に向かって歩き出す。張さんが急に立ち止まり、一軒の店に入っていく。そこは張さん行きつけのパン屋だった。何だか珍しいものがあり、張さんは何個もまとめて買いこんでいる。ミルクパンとか、タケノコ・塩玉子パンとか、恐らくは張さんが豊原に帰ったら食べたい物なのだろう。勧められるまま、私も買って帰る。

 

予約した自強号までまだ時間があったので、駅のベンチに座り、茶の歴史について、色々と話し合う。何だか高校生みたいだが、こういう時の話の中に、色々と気づかせてくれる内容が含まれていて、貴重だ。1時間近くはあっという間に過ぎてしまい、タイムアップ。自強号に乗り、2時間かけて台北に帰る。

ある日の台北日記2019その1(8)皆が台湾を好きなのか

1月21日(月)
皆が台湾を好きな訳ではない

今朝も疲れが残っていた。歳をとると疲れが抜けない、と聞いていたが、確かに一度無理をすると、回復するのにかなりの時間を要するようになったと実感する。これはもう仕方のないことだから、いかに回復させるか、どのように休めば回復するのか、など考えながらやって行かねばならない。今日は久しぶりに鉄板サンドイッチを食べて、英気を養う。疲れは気持ちの問題も大きいと思うので、好きな物を食べ、気分をよくするのは良い。そして1時間ほど、当てもなく街を彷徨う。

 

夜は広方圓に行く。ご無沙汰が続いているが、相変わらず湯さんは若々しい。ここで何回も待ち合わせをして食事に行ったKさん、4年半の台北生活にピリオドを打ち、日本に帰るというので、最後に会うことにしたのだ。いつもは会うとすぐに食事に行くのだが、今晩は湯さんと話が弾む。彼女がまだ仕事を決めていないというと、『一緒にやろうよ、色んなことできるよ』と励ましている姿は、やはり日本とは違う。サラリーマンとして仕事を考えるのではなく、ビジネスを中心に仕事を考える、これは大切なことだと思う。

 

話し込んでいるといつの間には夜の8時も過ぎてしまう。慌てて外に出たが、双連付近の店は結構閉まっていた。Kさんが残業後偶に行くという餃子屋が開いていたので、そこで食べた。しみじみ餃子を食べていると、『私はやっぱり台湾より、中国の北部(大連、天津滞在経験あり)が好きなんですよね』という。皆が皆台湾を好きな訳でもなく、中国の東北地方が良い人もいる、というのは、昨晩の火鍋でも実感した。ましてや旅行でちょっと来るのではなく、仕事をするのは台湾とて簡単ではない。彼女のこれからはどうなるのだろうか、ちょっと気になる。

 

1月22日(火)
王さんと再会

今朝も外に出る小雨が降っている。腹は減ったが傘を持っていなかったので、すぐ近所の店に飛び込む。実は前から気になっていたのだが、店構えが可愛らしくて、入りづらかったので、良い機会が与えられた訳だ。店内もどちらかというと女性指向の内装デザイン。若い夫婦がやっているようで、人当たりもよい。

 

圧力トースト、とは何だろうか。コーヒーと共に注文する。出てきたのはパンを2枚使って型にはめ、隙間を無くして、中にチーズやハムを入れたホットサンドだった。これはこれで美味しいのだが、ちょっと私のイメージとは異なる。小さい店でほぼ女性しか客がいないこともあり、場違い感が半端ない。

 

午後は雨も上がり、ニニ八紀念公園に向かう。ちょっと早めに来て、公園内にある台湾博物館を見学する。ここの前は何度も通っていたが、入ったことが一度もなかったのだ。この建物、実に重厚な作りで、重みがある。1915年に児玉源太郎、後藤新平を記念して作られたというから100年以上経っている。この二人の台湾における貢献がよくわかる。

 

館内は2階が修理中で閉鎖スペースが多い。廊下では日本時代の建物が残っている高雄の展示が行われている。3階では、日本時代に各産業において台湾で活躍した日本人が紹介されており、ちょっと勉強になる。特に民俗学、植物学に目が行ってしまうのは、今の勉強テーマの性だろうか。

 

この博物館、公園を出て道路の向かいに別館があった。そこは土地銀行の建物。何と広い金庫室に色々な展示があり、面白い。勿論銀行なので、金融関連の歴史が多く示されているのだが、ちゃんと茶葉貿易の金融についても解説されているから、やはりその時代、茶が一大輸出産業だったことを物語っている。辻利茶舗の旧店舗が写り込んだ写真まである。その上の階には恐竜がいたりして、纏まりはあまりないが、いい暇つぶしにはなる。

 

今日は昨年11月にお会いして、戦前の大連、天津の様子を聞いた王さんと再会する。12月に王さんの話をもとに、この二都市を歩き、戦前の様子を垣間見てきたので、その報告をするためにご連絡をしたわけだ。紹介してくれた黄さんに連絡しなかったのは、王さんが日本語で話すため、気を使ったのだが、黄さんに話を通さなかったから、紀念館の応接室を使うことが出来なかった。館の隣にカフェがあったので、そこで話をする。

 

王さんに今の大連、天津の写真を見せてみる。殆ど面影はないようだが、時々『ここは昔と変わらない』とか、『この付近はこうだった』という反応がある。既に戦後74年、当然大きく変わっている。王さんが住んでいた場所、店などはとうに歴史の中に埋もれてしまっている。それでも懐かしそうに写真を眺め、色々と思い出すことがあるようで、ぽつぽつと思い出が吐き出される。こういうやり取りが実に貴重な体験談を生むことになることを何となく知っている。

 

話が終わると王さんと分かれ、台北駅の方へ歩く。実は明後日突然豊原へ行くことになり、自強号の切符を事前に買う。窓口は混んでいるので、自販機で買ったのだが、思った時間の列車、何と指定席が取れていなかった。慌てて窓口へ行き、一本遅い列車の指定席を確保する。やはり窓口の方が早かったか。

 

そのついでに、駅の2階の食堂街で夕飯を食べようと店を物色した。日本食でもたまには食べようかと思っていると、何とカレー店ばかり4つが集まっている一角がある。思わず名古屋カレーの店でオムライス・カツカレー?を注文して食べてしまう。台湾って、こんなにカレーが好きだったのか。そういえば最近街中でもカレー屋が目につく。

ある日の台北日記2019その1(7)アートを見て、火鍋を食べて

1月19日(土)
アートを見て新鮮な気分に

昨晩台南から戻り、ちょっと疲れが出ていた。やはり4日で台湾一周、もう若くはない私にとっては、厳しい旅だったのかもしれない。朝は今一つ起き上がれない。そして台北はやはり涼しい。風邪でも引かないようにと余計慎重になる。台南での出来事をかなり引き摺っていたかもしれない。

 

昼過ぎに歩き出す。外に出るとかなり暖かいので、ゆっくり歩いていたら、Bさんとの待ち合わせにまさかの遅刻だ。今日はBさんの知り合いがキュレーターとして参加した現代アートを見に行くことになっていた。場所はある財団が建てた市内一等地の施設。台湾にもよく見ると色々な施設があるようだ。

 

この展示会は、台湾だけでなく、日本人やヨーロッパ人など数人のアーティストが、それぞれ独創的な作品を作り、共同で展示したものだった。なぜこれを作ったのか、これにはどんな意味があるのかな、などと思いながら見るのは、何とも新鮮な感覚を持つ。また各作家が幼少期の思い出を表現する作品もあり、各国、各人の個性がはじけていて、大変参考になる。偶にこのような作品に触れると、新たな思考を持てる気がした。

 

展示館の外に出ると、そこには高雄の軍から借りてきたという、大砲が設置されていた。その上には大砲に支えられた?部屋があり、中に入ると、ソファーがある。そこに座っていると僅かに揺れが感じられ、台湾の独立は、そして我々の平和は武器によって支えられている、というメッセージを強く感じた。この作品が日本人によって作られたものとは、ちょっと意外であった。

 

昼ご飯を食べようと近くの有名食堂に行ったが、土曜日でもあり、長い行列が出来ていた。2人とも行列してまで食べるタイプではないので、他を当たることになる。ちょっと歩くと、馬祖乾麺という看板が見える。珍しいので入ってみると結構お客がいる。名物黒麻麺、というのを頼んでみる。まあ黒胡麻ペーストを混ぜて食べる麺か。以前馬祖に行ったことがあるが、こんな麺、あったのだろうか。確かあの時は食堂がなく、あっても早く閉まるので困った思い出しかない。

 

まだ時間があったので、どこかでお茶を飲もうと探し回るが、適当なカフェが見付からない。以前あったところもいつの間にか閉店していたりで、移り変わりが早い。いつもなら歩いていれば簡単に見つかるカフェが、敢えて見付けようとすると見付からないのは実に腹立たしい。

 

Bさんがスマホで検索して、ちょっと離れたカフェを見つけ出し、行って見た。そこは小さなスペースだったが、本格的なカフェで、バリスターの店長?がじっくりコーヒーを淹れていた。先日行った芝山のカフェほどではないが、十分にいい料金を取っている。それでも後から若者が入ってきて、店は満員盛況だ。台湾では現在間違いなくコーヒーブーム、ちょっとしたスペースで気軽にカフェを開き、自らの腕を試している若者も多いようだ。我々は若くはないが、そこに交じって30年前の若い頃の話をした。帰りはまた歩いて行く。

 

1月20日(日)
東北火鍋を堪能する

何とも涼しい日が続いている。昨晩遅くに、広東系の蝋焼定食を食べて腹が一杯になり、翌朝は絶食?した。食べ過ぎは体調を悪くすることが十分に分かっていた。部屋で大人しく、旅行記を書き、資料を眺めて過ごす。こういう時間が私には必要なのだ。もう若くはないのだから。

 

夕方、それでも出掛けた。小雨が降り、寒い夕暮れだった。MRTに乗り、指定された食堂を目指す。今日は後輩のSさんといつも茶旅でお世話になっている黄さん夫妻と4人で火鍋を食べることになっていた。台湾にも沢山の火鍋はあるが、これから行くところは中国の東北人がやっている本格的な店だと聞いていた。Sさんはその昔、長春に留学経験があり、そこにはこだわりもある。

 

店の前に行くと、寒いのに外まで客が溢れていた。午後5時半の予約が取れない店なのだ。これは期待が持てる。店内では、あの懐かしい先が尖った煙突を持つ鍋が煙を吹いている。涮羊肉、まさにそれだった。たれも自分たちで配合して作るように専用テーブルに置かれている。

 

先ず出てきたのが、地三鮮。これは北の料理の定番で、台湾では普通は見ない。水煮肉も登場する。これは四川料理だが、北京では定番品だ。そして羊肉が出てきて、しゃぶしゃぶが始まると、夢中で食べてしまった。寒いだとか、疲れたとか、全て吹き飛んだ。恐るべき威力を持つ。Sさんには感謝しかない。

 

2時間制ということで、多くの客が待っているので外へ出た。満足した。その後デザートを食べに行く。豆花、これも色々とバリエーションがあってよい。寒いから暖かい豆花を注文する。そして政治から文化まで、様々な話題で話は尽きず、何と閉店まで話し込む。帰りも小雨が降っていたが、体は暖かかった。

ある日の台北日記2019その1(6)台南の災難

1月18日(金)
台南の災難

台南の災難?はまだ続く。今日は国立歴史博物館へ行こうと思い、早々にホテルをチェックアウトして、駅前のバス停に向かう。博物館行きのバスは一本しかなく、それは南駅から出ると書かれていたが、南駅とは駅の南側なのだろうか。分からないのでホテルの前へ行くと北駅との表示がある。聞いてみると、何と南駅と北駅は道路一本挟んでいるだけでほぼ同じ場所にあった。なんでこんな表示にするんだ、と言っても誰も取り合ってくれないだろう。

 

こんなことならもう少しゆっくりホテルを出ればよかった後悔しても、仕方がない。バス停に座ってボーっとしていると、8時発と時刻表に書かれているそのバスが、何と10分も前にやってきた。駅前で時間調整するのだろうと、ノロノロしていると、バスはすぐにドアを閉めようとするので、慌てて乗り込む。まさか10分前に出発するなんて、あり得ない。しかも次のバスは1時間半後なのだから、もし私は8時を目指してきていたら、全く乗れていなかったことになる。どうなっているんだ、台南。

 

バスは混んでいたが座れた。市内を抜ける頃にはほぼお客はいなくなり、ゆったり。そして40分後には博物館に到着する。博物館のバス停もなぜか2つあり、どちらで降りたらよいかなどは誰も教えてくれない。皆が降りた方で降りる。だが博物館は9時から開館なので、外で待たねばならない。

 

9時になって入場しようとすると、市内の中学生だろうか、数百人が社会科見学?で博物館に押し入って来た。真面目に見学する生徒もいるが、多くはアソビ気分で、大声を出して、走り回る者までいる。折角台湾の歴史をトータルに展示していてくれて、興味深いところだが、ゆっくり考えながら見ることもできない。取り敢えずお茶関連、日本時代関連の一部をさらって見て、早々に退散する。

 

ただ退散すると言ってもバスはすぐには来ない。ちょっと庭を散歩してから、降りたところとは別のバス停に行きバスを待つが誰も待っている人などいない。本当に来るのだろうかと心配になった頃、ようやくやってきて私は拾われ、昼前には台南駅前に戻って来た。途中バスには学生が大勢乗ってきた。学校は半日なのだろうか。

 

駅前から少し歩く。腹が減ったので適当に食堂に入ったところ、そこは4人掛けのテーブル席が10以上あったが、お客は4テーブルしかいなかった。私は入り口の席をベテラン店員に指定され、そこに座りメニューを見ていた。そこへもう一人客が入ってきたので、店員は私との相席を指示する。更にもう一人来た時、店員は私に向かって『お客さんが座るから荷物をどけて』というではないか。さすが驚いて『他にも一杯席は空いているだろう』というと、お客の方がスタスタと別の席に座った。店員はとても嫌な顔をしていたが、こんな扱い、台湾で受けたことはない。食べた物の味も忘れてしまった。

 

そんなことがあり、心の動揺からか、目的地に着けず、道に迷う。そしてフラフラと、昔何度か歩いた懐かしい場所を転々とした。そして最後に公会堂に辿り着く。目的の場所はこの裏にあった。池があり、木々が茂る安らかなところ。そこに昨年王育徳紀念館が建てられたと聞いていたので訪ねてみた。

 

王育徳氏は台南出身で、国民党の弾圧を逃れて日本に亡命、東大で学び、大学で台湾語などを教えていた人だ。実は私も大学3年の時に、興味本位で王先生の授業を取ったが、北京語すらままならない中、台湾語の難しさを恐れて、3回しか授業に行かずに放棄してしまった苦い思い出がある。それ以来、私にとって台湾語は鬼門となっている。

 

今日改めてここに展示されている物を見ると、王先生は単なる教師ではなかった訳だが、当時の私にはその人物の重要性など分かるはずもない。私が卒業した年に先生は亡くなってしまい、その死亡記事を見て初めて、王先生の別の一面を知った。以来33年、ずっと気になる人だったが、台湾の民主化や軍属問題などに真摯に取り組んでいた姿を見て、もう少し先生の話が聞きたかった、と勝手に思うのである。展示品の中にはあの頃授業で使っていた教科書など、懐かしい品々も見え、ここに来てよかったと思った。

 

ちょっと余韻に浸るため、また歩く。ロータリーがあり、そこにニニ八事件で犠牲になった台南の弁護士、湯徳章氏の胸像があると聞いたので、見に行ってみた。ところが像はあるのだが、その周囲は乱雑で、ちょっとビックリ。王先生には申し訳ないが、今回の台南訪問は、なぜか悪いイメージばかりが先行してしまった。

 

駅前に戻り、ホテルに預けた荷物を取り出し、駅に向かった。本当はもう少し台南を見て回るつもりだったが、これだけ災難?が重なれば、早く離れた方がよいと本能が訴えていた。台北行きの自強号の切符も買えたので、敢えて高鐵には乗らず、ゆっくりと眠りながら4時間かけて台北に戻った。

ある日の台北日記2019その1(5)東台湾の旅 鹿野で

1月17日(木)
鹿野にて

朝ちょっと早く目覚める。今日は鹿野一帯を訪ねるのだが、お茶と関係ない場所に行く余裕はないだろうと思い、一人で宿を抜け出し、鹿野神社を参拝する。実は鹿野にも3年近く前に一度来たことがあり、その際、日本移民100周年記念で再建された真新しい神社を見ていたのだ。鹿野の街は日本時代にきれいに区割りされて開拓されたため、道に迷うこともない。雨も上がっており、散歩にはちょうどよい。古い建物がチラホラ見える。

 

朝ご飯はリビングで頂く。大きな肉まんとサラダ、フルーツ。健康的な朝飯だ。平日なのに満室だったようで、他のグループも食べていて、賑やか。台湾も60代、リタイア世代が元気で旅している光景をよく見かける。トミー達、若者には少し物足りない食事だったかもしれない。

 

今日はまず、トミーの知り合い、博雅斎という茶荘?骨董屋?に伺う。ここは紅烏龍茶などを作り、販売しているという。ご主人が、お父さんが残したという本を見せてくれた。驚いたことに日本時代の写真が沢山入った、『東台湾展望』というこの地域に関するものだった。当時お茶はなく、お茶の歴史ではないが、相当に興味深い写真が多く、しばし見入る。それにしても昨晩もそう思ったが、紅烏龍茶は数年前よりかなり美味しくなっていると感じる。

 

車で高台に上がる。福鹿山、日本語の『高台』をそのまま使っているところが面白い。ここからは鹿野が一望でき、きれいに区割りされた街もよく分かる。こういうところが、『日本は凄い』と台湾人が思うところだろう。気球を飛ばす場所もあるが、今はお客さんがいないのか、何もやってはいない。

 

続いて、紅茶産業文化館に向かう。ここも数年前にちょっと訪れた。そのとき案内してくれた3代目が覚えていてくれた。だが歴史となるとお父さん、2代目が登場し、かなり細かな歴史について、説明してくれた。鹿野に移住して、茶業を始めたのは1960年代だから、瑞穂よりは早い。こちらも新竹から移住した客家だった。文化館の後ろには古い機会が残る茶工場があり、歴史を感じさせた。

 

お昼は地元民が行くレストランに連れて行ってもらい、お腹いっぱい食べた。地元の野菜や鶏は実にうまい。食べるなと思っても自然と手が伸びてしまうのを抑えることは出来ない。困ったものだ、体が重い。

 

午後は茶業改良場台東分場に行く予定になっていたが、時間調整が必要となり、コーヒーを飲むため、何と刑務所へ。その中にカフェが併設されており、地元産のコーヒーが提供されていた。刑務所内に入れるだけで、ちょっと驚く。刑務所の管理棟はちょっとおしゃれな洋風で更にビックリ。コーヒーは普通に美味い。

 

更には刑務所内には茶畑まであった。こちらは特別に入れて頂いた訳だが、作業が行われている中、自由に写真を撮らせてもらった。この茶畑で採れる茶葉も紅烏龍の原料になるのだという。野菜など色々なものが植えられており、これも作業の一環という。日本にはこのような刑務所、あるのだろうか。

 

改良場の分場にも以前偶然にも来たことがあり、その時の場長にはお世話になった。ちょうど場長は交代しており、新任が文山から来ていた。台東の茶の歴史を知りたいというと、すぐに改良場内の検討会の資料をくれ、色々と説明もしてくれた。何とも有り難いことで、今回の旅はある意味でここに来れば完結したのかもしれない。

 

話しているうちに新場長は宜蘭の方で、文山の前は魚池にいたと分かる。その時、突然ひらめいた。7年前、私が初めて魚池分場を訪ねた時、対応してくれたのは、この簫さんだったのだと。何よりも、新井耕吉郎さんと一緒に働いた最後の台湾人、楊さんのところに連れて行ってくれたのも簫さんだった。何という再会だろうか。さすがにお互い驚くが、お茶の世界ではよくあることだ。

 

話が弾んでしまい、広大な試験茶園を見る余裕もなく、分場を後にした。何しろこれから私は台南へ、彼らは台中まで帰るのだから大変だ。台湾一周、最近の言い方では2泊3日の環島、はかなりきつい。午後4時半に鹿野を出て、台東から屏東を回り、高雄を経て台南へ。暗い道を4時間ほどかかっただろうか。

 

台南駅前で降ろしてもらい、今日の宿へ一人で向かう。前回も泊まった駅前ホテル。何と窓なしの部屋なら、1泊2000円もしない。夕飯を食べていなかったので腹が減ったが、駅付近にはご飯を食べられるところがなかった。仕方なく、モスバーガーに入る。疲れていたので1階の席に座ろうとすると、掃除するから2階へ行けと言われ、2階で30分待ったが注文したものは出てこない。

 

掃除している若いスタッフに聞いたら、彼は掃除に夢中で商品をデリバリーしていなかった。腹も減っていたので、ちょっとムカつく。その帰り、怒ると腹が減るらしく、セブンでサンドイッチを買い、温めてくれと告げたが、スタッフの若者は自分のおにぎりに夢中で、サンドイッチを2分も温めてしまい、パンはへなへなになってしまった。これは台湾の問題か、それとも若者の問題か、いや私の運が悪いだけだろうか。

ある日の台北日記2019その1(4)東台湾の旅 瑞穂で

1月16日(水)
瑞穂で

夜中に雨が降っていた。朝、道路は濡れていたが、雨が上がったのは助かった。午前8時過ぎには鍵を置いて宿を出て、近所で朝ご飯。ハンバーガーを頬張る。それから舞鶴台地を登る。茶畑が見えてきたので、記念撮影。北回帰線の記念碑もあるので、そこにも立ち寄り、撮影。

 

2年ほど前に一度訪ねた嘉茗茶園を再訪する。ここは蜜香紅茶を発明した高さん、粘さん夫妻のお店。お嬢さんも結婚後、花蓮から戻ってきて、茶作り、販売を手伝っていた。トミーはここの農会に招かれ、講演したことがあるとのことで、先生の扱いを受ける。蜜香紅茶の歴史、そしてここ舞鶴茶の歴史について話しを聞く。

 

まあ、どちらかというと、話は蜜香紅茶の作り方、そして各茶のテースティング、如何にして販売するかと言ったマーケッティング戦略などの方に行ってしまうのは仕方がないことか。更には先日NHKの番組に取材され、放映されたビデオを見せられ、簡単な翻訳をする羽目にもなる。いいお茶を作るだけではなく、如何に売るかが、やはり焦点だと言える。

 

昼ごはんは高さんとお嬢さんが付き合ってくれ、地元のレストランに行く。レストランのお客さんも誰かは必ず高さんを知っている。彼は地元の有名人である。ここの料理はちょっと独特で、料理にフルーツのキウイが入っていたりして、とても面白い。美味しく頂く。ご馳走様でした。

 

午後は、葉さんの実家、富源茶荘に向かう。ここも過去2回ほど来ているので、葉さんの兄嫁などはすぐに私を認識してくれた。お母さんとも挨拶、お父さんは恐らくお昼寝の最中だろう。お兄さんも急いで会合から戻ってきて、話をしてくれた。この舞鶴台地に最初に茶を持ち込んだのは、ここの葉家であることは、昨年台中で会った、元農林庁で東部開発に携わった張さんも言っていたので、間違いはないだろう。1973年頃のことだ。

 

だがお兄さんによれば、『実は茶畑は日本時代からあったと聞いている』というではないか。それはどこにあったのか。一緒にその末裔を訪ねた。その店は何と北回帰線記念碑の横にあり、観光バスが停まると、観光客に土産物を売っており、忙しくしていた。一段落したところで話を聞くと、お爺さんが1940年頃茶樹を植えたらしい。ただそれが実る前に戦争になり、茶業は進まなかったという。

 

むしろここで面白かったのは、どのようにして、ここに移民してきたかという話だった。こちらの黄さんのお爺さんは新竹の出で、日本時代に新天地を求めて、兄弟一家で東部を目指したらしい。だが台北で仕事が見付かった者はそこに定住し、花蓮で見つかった者もそこに住み、残った者がここまでやってきたというのだ。だから今でも各地に親戚がいる。如何にも客家的な精神、興味深い。

 

最後に念のため、鶴岡紅茶を売るっているという場所に向かった。鶴岡紅茶も瑞穂の茶の歴史には必ず登場する。光復後、茶業が上手く行かずに、銀行が差し押さえ、その管理下で茶が作られたというユニークな歴史がある。だが最近は、あるお坊さんがこの紅茶を復活させ、宣伝していると聞いていた。

 

そこには、古い製茶機械などがあるということだったが、『製茶師がいないのでそれは見せられない』と言われる。鶴岡紅茶の歴史を聞いてみても、しきりに茶を勧められ、鶴岡紅茶を日本にも宣伝して欲しい、と担当の女性が言うので、ちょっと困ってしまった。ここは本当にお寺?お坊さんが経営しているのだろうか。そしてその歴史を尊重しているのだろうか。甚だ疑問な対応を受けて、すぐに立ち去る。

 

これで瑞穂の調査は終了。そのまま今晩の宿泊先、鹿野に移動した。約1時間半で到着。昨日に比べれば楽だ。今日の民宿はかなりきれいな作りで、居心地もよさそうだ。聞けば、今台湾人が東部に来ると、政府から補助が出るので安く泊まれるらしい。観光振興策、東部振興策だろうか。残念ながら外国人は対象外だそうだ。

 

ここに来る途中、茶工場の看板が出ていた。トミー達は知り合いであるここに行きたかったようで、すぐに連絡して訪問した。ここのオーナー林さんは、茶業を始めて僅か十数年。だが紅烏龍の品質向上、画期的な工場経営などが高く評価され、昨年神農賞を受賞した兵だ。確かにきれいな工場があり、生産は順調のように見えるが、話しぶりはかなり謙虚だった。

 

夕飯は林さんに連れられて、他のお客さんも一緒に牛肉麺を食べに行く。ここの料理人は台北で修行して戻った人で。味は本格的だった。夕飯だから大椀を頼め、と言われて頼んでみたが、あまりの大きさにビビってしまった。それでも美味しいので、ついに最後まで食べつくす。最近の食欲は一体どうなっているのだろうか。その後宿に戻り、シャワーを浴びてから寝る。トミー達は宿の向かいにも知り合いがいるらしく、夜遅くまでお茶を飲んでいたらしい。