7月15日(火)台北帰着
桃園空港に着くと、人は多くなく、あっさりとイミグレを通過した。外へ出るとまずは既に儀式のようになっているラッキードローに挑む。何と苦節7回目の挑戦で、ついに当たった。係のお姐さんから日本語で「おめでとうございます」と言われ、5000元の入った悠遊卡を手渡される。喜びもつかの間、これを一体何に使うのかとの悩みが始まる。

まずはMRTで台北の宿泊先まで戻るのに180元使った。セブンで25元のあんパンを買った。え、こんなんで1週間に5000元使うのはしんどいぞ、と思ってしまうのは、やはり貧乏人だからだろうか。もしこんなことで眠れなかったらどうしようとも思ったが、それは杞憂に終わる。香港・広東の疲れでぐっすりと寝られた。

7月16日(水)いきなり基隆へ
朝ご飯を買いにセブンへ行く。いつもは高くて買えないサンドイッチを食べてみる。これも5000元の成せる業。まあ日本の方が美味しいが、代金はほぼ同じかな。午前10時に黄さんが宿泊先まで迎えに来てくれた。今日はなぜか基隆まで昼ご飯を食べに行くという。車はスイスイと進み、僅か40分ほどで基隆の街までやって来た。

まだ昼には早かったので、丘を登ることになった。なぜか大型マンションの駐車場に入っていく。なんとそこは通り道にもなっており、そのまま通り抜けると丘の上に出ていく基隆名所らしい。丘の上にKEELUNGと書かれた看板があるが、ここからは基隆が一望できるスポットだ。ただその脇で「同意罷免」という幟を持った男性がいた。黄さんがその男性に「お疲れ様」と声を掛けている。こんなところにまで政治闘争が持ち込まれている。



下におりてランチに行く。街の中心から少し離れた場所ながら、なぜか3軒並んで、咖哩沙茶炒麵の店がある。黄さんがいつも行くという真ん中の店はちょうどお休みだったので、手前の店に入ってみる。港町である基隆、咖哩は日本統治時代に日本から入ってきた物、沙茶は戦後潮州?から持ち込まれた物のようだが、この2つを合わせるとはどうだろうか。一説には基隆には炭坑などもあり、塩分高めの食事が好まれた、との背景が考えられるとか。


麺は日本のうどんのような太麺。カレーは正直ちょっと薄い感じだが、エビなど海鮮も入っており、それに沙茶を合わせて炒めると美味しい。他にも鶏唐揚げや炒大腸などもあり、十分満足できるランチとなる。基隆という街は、単に戦前日本との縁が深かっただけでなく、戦後も様々な歴史が含まれているようだ。


食後、黄さんが車で簡単に基隆を案内してくれた。その中で興味深いのが、戦後この街にいた沖縄人と朝鮮人の話し。実際に黄さんはここに今も住む沖縄・朝鮮系の人々に話しを聞いたことがあるという。港町には色々なところから色々な人々が色々な事情で集まってくることを再認識する。また和平島には400年前にやって来たスペイン人の遺構もあるとのこと、今後基隆に来る機会があれば、ゆっくりと歩いてみたい。

車で送ってもらい、無事部屋に戻る。昨日までの疲れも出ており、ボーっとして過ごす。夕方餃子が食べたくなり、一番近いチェーン店に行く(私が好きだった店舗は既に閉店)。早い時間なので、お客も少なく混乱はなかった。いつもより多めに餃子を頼み、またサイドデッシュにも手を出す。ここは悠遊卡で支払いが出来たので嬉しい。
