ある日の台北日記2025その3(1)6年ぶりに黄さんと会う

《ある日の台北日記2025その3》  2025年6月30日₋7月23日

6月30日(月)疲れをとるには

週末の台南旅は収穫が多かったが、その前週の山登りの疲れが抜けず、更に疲労感が増していた。そんな時は眠るのが一番だが、この暑さの中、年齢的には寝るのも大変だ。クーラーなど点けて寝ると風邪を引くし、点けないと暑さで起きてしまうという悪循環。こんな時は好きなものを食べるのも選択肢の一つだが、一番好きな牛肉湯肉絲麺を出す店は結局私が台北に来てから一度も開いておらず、食べることもままならない。ちょっとイライラする。

まあ仕方がないと言いながら、いつものクラブサンドを食べに行く。自分で言うのもなんだが、本当にこれが好きだな。店のおばさんも昔より丸くなり、何だか対応が柔軟になって来ていて、安定感がある。ドリンクを入れて70元は日本では考えられない値段だ。何とも有難く、拝みながら頂く。

ランチは気分を変えるために近所で見つけた炒飯専門店に炒飯を食べに行く。小さな店だが、午後1時過ぎに席があり、入って注文をした。ところがランチタイムで外帯の注文が殺到しており、テイクアウトに来る人でごった返していき、いつになっても私の炒飯はやって来ない。何と30分以上経ってようやく炒飯とお目見えしたが、既に食べる気を失くしており、味はよく分からない。因みにこの店は午前11時から午後2時までの3時間しか営業しないらしい。

午後もボーっと過ごす。なにもやる気になれないし、原稿などにも手が出ない。配信ドラマも途中で投げ出してしまうほど、集中力がない。今日は1年の半分が過ぎる日。季節の変わり目的な気分からか、どうにも落ち着かない。

7月1日(火)黄さんと湯さん

今日は6年ぶりに黄さんと会うことになった。黄さんは228事件で行方不明となった大茶商王添灯の孫にあたり、当時王添灯を書くに際して、王家の親族を何人も紹介頂くなど、大変手厚い支援をしてくれていた。お陰で王添灯関連の取材は台湾のみならず、大連や天津にまで広がったのは何とも懐かしい。

今年の3月初め、ふとNHKの番組を見ていたら、228事件関連で黄さんが登場したので驚いた。二二八記念館の改修や演劇活動など、かなり積極的に取り組んでいる様子が映し出されていた。随分ご無沙汰してしまったので、ご自宅付近のカフェで待ち合わせた。宿泊先からはバスで一本、距離的にもかなり近い。ところがそのカフェはやっておらず、戸惑っていると向こうから黄さんがひょっこり笑顔でやって来た。

別のカフェに落ち着く。この辺り昔は田畑で、その後開発業者がおしゃれな街づくりをしたということで、今でもカフェなどが多いエリアだという。インスタ映えを狙った写真を撮りに来ている若者などもいた。茶器やプレートで出てきたご飯も何となく映えを狙っている気がする。心地よいランチとなる。

黄さんから黄家と萬華の歴史の本を頂く。黄さんの実家は日本時代に台湾亀甲萬の総代理店をしていた家系で、そちらの関連資料などもあり、纏められたものだという。当然ながら日本と台湾の密接な関係は黄家にも表れている。戦後生まれの黄さんだが、幼い頃はお爺様が生きていて、日本式すき焼きなどを食べていたらしい。台湾食文化もこのような階級の人と一般人では全く違うのだろうか。

一度部屋に戻り、夕方今度は圓山へ行った。MRTを降りると懐かしい護国禅寺があった。ここは児玉源太郎時代に誘致された日本式寺院で、雰囲気もどう見ても日本そのものだった。そのまま保存されているのが素晴らしい。ただあまりに日差しが強く暑いので、ちょっと見学してすぐに退散する。

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