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バンコックの茶商を訪ねて2018(6)チュムポーンからホアヒンへ

10月18日(木)
チュムポーンで宿を変わる

今朝もいい天気だった。ホテルの簡単な朝食を食べ、部屋の窓から風景を眺めていた。今日はホテルを変わらなければならないので、泊る宿探しが目的の外出をした。道に出ると、何だかお祭りの行列、白装束の人々が船の模型などを引いて通り過ぎて行く。やはり華人の一団だ。この時期は各地でお祭りが開催されているのだろうか。

 

ちょっと細い路地に入ると、その先にきれいなホテルが見えた。庭も広く、ロビーも吹き抜けで気持ちがよい。料金も高くないので気に入ってチェックインした。部屋も今よりは快適で、ホテルを変えて正解だったと思えた。ただフロントの女性が英語は出来るのだが、タイ的なソフトは対応がなく、ちょっと残念だった。荷物を前のホテルに置いたままだったので、急いで取りに行く。

 

昼は新しいホテルのすぐ近くにあった飲茶屋に入る。先日スラッターニーで食べたのとシステムは同じだったが、何とここには肉骨茶があった。これは食べてみねばと注文すると、想像以上に濃厚で美味しかった。しかしオーナーは華人ではなく、ハジャイ辺りで修行して、ここに店を出したというのだ。タイ南部は何とも福建のにおいがするが、タイ人もそこに少し入り込んでいるのだろうか。

 

午後は恒例となった昼寝に勤しむ。そして夕日が沈むのを部屋の窓から眺めて、外へ出た。昨日見付けた夜市に向かっていくと、まだ明るいのにご飯を食べている人々がいたので、釣られてカオマンガイを食べてしまった。何のプレッシャーもなく、食べたいときに食べ、寝たいときに寝る生活、これは一つの理想だろうか。

 

10月19日(金)
ホアヒンへ

今日の朝は少し雲がかかっていた。ホテルの朝食はそれなりで、期待を下回った。昼に電車に乗るので、取り敢えず午前中は街の散策に当てる。教会なども見え、ここも昔は交易がかなりあったのだろうと想像するが、今は本当に静かな田舎町だ。いや沢木耕太郎が来た時もそうだったはずだ。

 

昼にホテルを出て駅へ。12:46に来るはずの電車はほぼ定刻に来た。ここからバンコックまでは約7時間らしい。乗り込むと指定席はほぼ満員で、何とか自分の席に辿り着く。外国人の姿も見え、意外と人気の路線なのかもしれない。席も心なしかゆったりとしている。でもスペシャルだったのはこの後。

 

何と車掌の女性が飛行機のCAの様にワゴンを推して登場し、何とランチを配ってくれた。周囲の人はもう食べ終わっているのか、私にだけくれた。でも食べたものか迷ってしまう。すると隣のおばさんが『美味しいから食べてみなさい』というようなタイ語で語りかけてきた。開けてみると、何と魚の煮つけと白いご飯。この魚、いわゆるサバの味噌煮の缶詰のような感じなのだが、それでも久しぶりで美味しく完食してしまう。確かにスペシャルだった。

 

列車はほぼ民家も何もない風景の中を走っていく。本当に開発も何もされていない場所が沢山ある。途中で海が見える所もあった。この路線は海岸沿いを一路バンコックに向かっているのだ。また車掌がドリンクとスナックを持って現れた。途中から乗った人は時間によってサービスが異なるようだ。ずっと乗っていればそのサービスを受け続けることができる。

 

3時間ちょっと乗っていると、フワッと言う感じでホアヒンに到着した。ちょっと慌てて荷物を下ろして下車する。ホームの端には立派な貴賓室が見える。皇族はここを使うのだろうか。さすが皇室の避暑地として開かれた街、だけのことはある。駅自体もかなりおしゃれな雰囲気が漂い悪くない。大勢の観光客が写真撮影に励んでいる。

 

ホアヒンで

天気は曇りで雨が降るかもしれないと感じ、早めに宿を決めようと思った。週末の観光地ということで、事前に一応ホテルが固まっている場所を確認していたが、最後はフィーリングで決めるつもりだった。駅前からフラフラ歩いていくと、いくつかホテルがあったが、どうもしっくりこない。そんな中、ふと見上げると、貸し部屋のような看板があった。ホアヒンだから欧米人の長期滞在もあるのだろう。

 

階段に近くづくと、1階に作られた小さなカフェの女性が声を掛けてくる。彼女がオーナーのようで、かなり広い部屋だが1000バーツでどうかと聞いてくる。取り敢えず見に行くと、その部屋は2ベッドルーム、どう見てもファミリータイプで100㎡以上ありそうなコンドミニアムだ。1人で泊ってもよいというので、面白いのでそこに決めた。エレベーターがないので、階段で3階はちょっと大変だが、まあ良い運動だ。

バンコックの茶商を訪ねて2018(5)チュムポーンへ

フラフラ歩いてホテルに戻ろうとしたその時、目に入ったレストランがあった。何だか蒸篭が積み上げられている。入ってみると、肉や野菜、シュウマイなどを自分で選び、蒸してもらって食べる。皿も小さいので一人飲茶でも大丈夫だ。これはいいといくつか注文して待つ。食べてみるととても本格的でうまい。お茶もあったので頼んでみたが、水が悪いので、美味しくは感じられない。

 

オーナーは華人で英語がうまいのでビックリ。更には日本人だと分かるととても親切にしてくれ、あれこれ説明もしてくれた。やはり日本人はここでは珍しい存在のようだ。かなりお客が入っているが、ほぼ地元の人だろう。喫茶店の代わりに使っている人もいるし、食堂としてくる人もいるようだ。

 

宿に帰り、休息する。それほど日差しが無くても、暑いのだ。窓の外を見ると天気は下り坂。軽く雨が来そうだと思い、昼寝していると夕方になってしまう。また外に出てひたすら歩く。特に見るべきものもないので、寺へ行ったが、本堂は開いておらず、おまけに犬に追い出された。仕方なく川沿いを眺める。そこには露店の食堂も出ていたので、夕飯はまだ日も暮れていない中、ここで叉焼入りの炒飯を食べることにした。これが意外とうまく、幸せになる。

 

10月17日(水)
チュムポーンへ

翌朝もロビーで軽く食べて、チェックアウトした。今日は少し北上してチュムポーンへ行くことにしていた。昨日確認したところでは、バスターミナルの一番端から、ミニバスが出ていた。恐らく朝は便が多いと思い、9時前にホテルで呼んでもらったトゥクトゥクに乗って行ってみた。

 

そこに着くとミニバスは停まっており、私がチケットを買うと皆が乗り込み始め、すぐに出発となった。最後の一席だったようだ。もし少し遅れていたらかなり待たされたかもしれない。段々旅の勘が働いてきており、嬉しい。ミニバスはかなり窮屈なのでちょっと困るが、我慢する。

 

バスは舗装された道を快調に走っていく。途中で結構乗り降りがあったが、予定通りほぼ3時間、180㎞の道のりを経てチュムポーンの街に入った。すると皆がどんどん降りて行く。運転手が『お前はどこで降りるんだ?』と聞いているようだったので、スマホで検索して、それらしいホテルを指さすと、ちゃんとそこまで運んでくれて助かった。

 

昼間のホテルがガランとしていた。余程空いていると思い、『2泊』と告げると、何と『明日は満員だから出て行ってね』と言われて驚く。まあこの街は1泊でもよいので、取り敢えずチェックインした。部屋はガランと広いが何もない。まあ窓からの眺めは良い。外はビヤガーデンのようなものが見え、夜は煩いのかもしれない。

 

まずはチュムポーン駅に向かった。この街にいる理由はただ一つ。沢木耕太郎が深夜特急でこの街に降りたから、だけだった。しかも彼は夜中に宿が無くて困っていたはずだ。今や昔の話である。だから駅は必須アイテム。ちょっとおしゃれな駅舎に入ると、ちょうど電車が来る様子だった。そうだ、ここから次のホアヒンまでは電車に乗ろうと思い立つ。

 

駅で聞いてみると、この昼過ぎの列車はスペシャルらしい。何がスペシャルか分からないが、取り敢えず明後日のチケットを買った。これで明日の夜もここに泊まる必要が出てしまう。駅の周辺にはSLが展示されていたりはするが、昔の面影、は無さそうだった。ちょっと寂しい。

 

そのまま街を散歩するが何も見出せない。ちょっとウエスタンスタイルのレトロな変わったレストランがあったので、入ってみた。中は地元の客で満員だった。雰囲気は悪くないのだが、どうもあまりタイ人とはフィットしない。おまけに店員は忙しすぎて注文は忘れられ、いつになってもランチにありつけない。海鮮オムそば??を食べた後、ちょっと不愉快で店を出る。まあ田舎でよいサービスを求めたのが間違いだったのだ。

 

部屋に帰るとまた昼寝をしてしまう。まあ、タイ人も暑い時は昼寝して涼しくなると活動するのだから、それでよいと思う。夕暮れ時に窓から夕日が見えるのが良い。暗くなると外に出て食べ物を探す。何となくジャンクな気分になり、街中のケンタッキーに入ってしまう。ここのセットはお得だし、ドリンクもフリーだから、偶には良い。

 

そこから駅の方に向かうと屋台街があるのを発見する。木造の家の前に煌々と電気が点いている。子供が母親を手伝って懸命に働いている。何となく沢木耕太郎の世界に近いものを感じたので、こちらで食べればよかったと後悔したが、後の祭り。まあ明日の夜もあるか。駅前の派手なディスコが興を削ぐ。

バンコックの茶商を訪ねて2018(4)スラッターニーへ

10月15日(月)
スラッターニーへ

翌日は一応体調も回復し、定例のYさんとの珈琲でスタートできた。昼前にタクシーでまたドムアン空港に向かう。もうすぐ着いてしまうことには慣れてしまったが、それでも早めに着いてしまう。今日は初めて乗るライオンエア。勝手が分からず戸惑うが、まあ国内線の旅、問題はない。

 

スラッターニーという全く未知の街へ行く。そのワクワク感は良い。荷物検査を越えるとまだ時間があった。ふと見ると、何とラーメンの一風堂が店を出しているではないか。今日はご飯を食べていなかったので、思わずラーメンと餃子を頬張る。6月に福岡本店に食べに行ったが、味はほぼ同じで料金はこちらの方が若干安い。素晴らしい。

 

ライオンエアは特に問題はなかったが、何だかちょっと運転が荒い?ような気がした。着陸時の衝撃は結構あった。後日インドネシアで飛行機が墜落するなど、懸念がある。サービスは1時間のフライトではよく分からなかった。ああ、とにかく無事に着いたのは祝着至極だ。

 

スラッターニー、この街を訪れることを選んだ理由は特に何もない。ただ南部はハジャイに行ったことがあり、今回の日程上、バンコックに戻れる場所として一番南の街だったというだけだ。勿論何をする必要もない。見るべきものも知らない。こんな旅が最近は好きなのだ。

 

空港は地方らしく小さい。荷物もすぐに出てくる。さて、街にはどうやって行くのか。シャトルバスがあるというので、乗ってみることにした。100バーツ、これは異常に高い。タイの地方都市の空港関連の交通は本当に不便だ。わざと不便にしている利権があるのだろうが、もうそういう時代ではない。バスが出来たのも最近のことだという。

 

バスは満員になるまで出発しなかった。というよりフライトが少ないので、乗りたい人全員を収容したのかもしれない。バスは郊外の舗装道路を走り、20分ぐらいで街に入った。一体どこで降りるのが良いのかも分からず、周囲をキョロキョロしていたら、大きな通りの角にきれいなお堂が見えたので、そこで降りた。

 

そこからなぜか川沿いを歩かずに街中に切り込んだ。華人の雰囲気が満ちている。少し歩くと、ちょっと雰囲気の良い宿を見つけた。新しくオープンしたとかで、プロモーションしており、安くて、広くて、きれいなホテルに泊まることができた。机はあるかと聞くと、何と部屋には小さな書斎スペースまである。これも何かのお導きだろう。朝食はないが、ロビーには常に飲み物とクッキーが用意されていて、快適そうだった。

 

取り敢えずバスターミナルを目指して歩き始めた。すぐに川沿いに出た。この辺が最初に栄えた場所なのだろう。川の風景がやけにきれいだ。福建系の寺があり、やはりタイ南部の華人は福建系が中心なのだと確認した。それからさらに別の寺では、炎が上がり、華人のお祭りが行われていた。それはこの街の中心は華人だと言わんばかりの目立ちぶりだった。

その付近にバスターミナルがあったので、この次に行く予定のチュムポーン行きのバスを探したが、見付からなかった。ターミナルの外のバス会社にも問い合わせたが、バンコック行などはあっても、途中のチュムポーン行きはないと言われる。どうなっているのだろうか。唯一あったのは350バーツもするミニバスだけ。どうするかは明日考えようと思う。

 

歩いていると夜市があった。働いている人にお年寄りが多いことが少し気になった。やはり若者は都会に行ってしまったのだろうか。体調はかなり回復していたが、食べ物には気を付けようと思い、近所で麺を食べて夕飯とした。家族でやっている小さな屋台なのだが、何となくほのぼのとした。美味しく食べられたので、体調は大丈夫ではないだろうか。ホテルのロビーでコーヒーを飲んでみたが、蚊が凄くて、すぐに退散した。

 

 

10月16日(火)
スラッターニー散策

朝、1階でインスタントコーヒーとクッキー、そしてバナナを食べた。朝飯はこれで十分だ。そのまま街の散歩に出た。昨日バスを降りたお堂に行ってみようと思ったが、まずは橋を越えて向こう岸に渡ってみる。歩いていくとのどかな風景が広がり、このまま歩いて行っても、街からどんどん離れてしまうので引き返した。

 

橋のすぐ近くには、また別の橋があり、川に沿って小さな島があった。そこはきれいに整備された公園になっており、タイの田舎町とは思えない優雅なスペースを構成していた。コ・ランプパークという名前らしい。人は殆どいないが、地元の老人がのどかに散歩している。

 

もう一度橋を渡り、白亜のきれいなお堂を見学する。ちょうど数人が懸命に掃除をしている、恐らくこれから誰か偉い人が参拝に訪れると言った雰囲気に満ち満ちていた。このお堂、チェンライにも似たようなものがあったように思う。文字が読めないので由来などは何も分からないが、見ているだけで幸せな気分になれる。

バンコックの茶商を訪ねて2018(3)ヤワラーに残る老舗茶行

10月12日(金)
再度ヤワラーへ

メーソットからドムアン空港へ降り立つと、かなり疲労感が漂っていた。やはり本調子ではない。ただ特に予定もなかったので、ゆっくり空港バスに乗り、地下鉄に乗り換えて同宿に戻った。基本的には3日ほど休養するつもりだった。その旨を伝えにYさんにところに行く。

 

ちょうど話がヤワラーの茶商になった。そうか、先日発見した茶荘の末裔が、『ヤワラーに福建出身の古い茶荘が残っている』と言って、電話までしてくれていた。折角だから彼には会いたいと思ったが、店の場所もよく分からない。するとYさんの会社のスタッフの一人が華人系で、中国語の住所をタイ語に訳して、その場所を示してくれた。

 

そこはファランポーン駅から近かった。電話を掛けると、『明日と明後日は休みだから月曜日に来い』と言われたが、月曜日はもういないかもしれないと思い、『今から行く』と答えてしまった。もう体調のことなど、すっかり忘れてしまい、慌てて宿を飛び出した。地下鉄でファランポーンまで出て、歩いていくとその店はすぐに分かった。

 

集友茶行、この名前も安渓商人の中に入っていた。まさかまだあるとは夢にも思わず、ちょっと興奮気味。中に入ると奥でオーナーの王さんが、お茶を淹れていた。ちょうど台湾人のお茶好き女性が飛び込んできて、3人で工夫式で淹れた鉄観音茶をお茶を飲みながら話をした。

 

この店は王さんのお父さんが若い頃、大いに繁盛したという。97歳のお父さんは健在で、今はバンコック郊外で娘家族と暮らしているという。恐らくはお父さんに聞けば、先日の建峰茶行のことも含めてバンコック茶業界のあらましが分かりそうだったが、それは叶わなかった。

 

それでも王さんから、ヤワラー付近の華人茶商の変遷など、貴重な話を幾つも聞いた。やはり無理しても来てよかった。伊藤園が80年代に出版した『福建烏龍茶』という本を持っていて驚いた。林奇苑の集合写真もこの店の中に保管されていた。あそことは親戚関係にあるのだという。どんどん謎が解けていく。

 

今やバンコックも華人の数が減り、茶を飲む人口も減少しているという。建峰のようにヤワラーを出ていく人も増えている。実は王さんも店はここにあるが、自宅はずっと前にバンナーに引っ越しているというのだ。ヤワラーは生活空間ではなくなってきているのだろうか。王さんの代がいなくなるとタイの華人も完全なタイ人になってしまいそうだ。

 

店を出ると急激に疲れが出てしまった。やはり無理だったのか。気持ちが切れてしまい、ほうほうの体で宿に戻る。その際、近くのパン屋でブドウパンなどを買い込んでみた。宿に帰ると、なぜか食べたくなり、むしゃむしゃ食べた。それからは食事も取らずずっと寝ていた。水分だけは買い込んでおり、とにかくひたすら休息する。これは病気ではなく、単なる疲れだと分かっていたので、その点は安心だった。

 

10月13日(土)
翌日朝起きても体調はすぐれなかった。取り敢えず溜まっていた洗濯物をいつものように1階に出しに行き、後はまた寝ている。そういえばミャンマーのモウラミュインにいた時もなぜかホテルでNHKが見られた。この宿も見られたので、ボーっとテレビ画面を見ていた。それでも少しも回復の兆しはなく、食事も全く頭になかった。

 

普通なら半日寝ていれば、腹が減って起き上がり、外で食べ物を求めるのだが、不思議なほどにその気配がない。洗濯物を回収しても、それ以上は何もしたくない。疲れているので、いつも受けるマッサージすら、その気分になれない。どうすればよいのかと考えているうちに日が暮れてしまう。また残りのパンをゆっくり食べて寝てしまう。また旅の過程である体の調整だろう。

 

10月14日(日)
不思議なことに眠れるのだが、食欲はない。そして熱もなければ、体の痛みもない。腹の調子も悪くない。こいつは何年に一度かという『動きたくない病』に掛かったらしい。全身の力が抜けており、いわゆるやる気がない状態だ。こんなことは久しぶりだが、ちょうど頑張る必要もないので放置していた。

 

それでも明日はタイ南部に向かう予定なので、何とかしなければならない。まあ旅に出てしまえば、最低限には動けることは分かっていたが、出来ればもう少しシャキッとしたいところだ。さすがに何となく腹が減ってきたので、昼にテスコで買い物した際、フードコートで麺を食べてみた。マズくはなかったが、全部は食べられなかった。

夕方にはまた腹が減った。やはりこういう時は日本食が良いのかと思い、近くの大戸屋まで出向いてみた。午後5時過ぎに行っても家族連れが何組もいて驚く。本当にバンコックには日本食が根付いている。私は無謀にもカツ煮定食を注文し、ほぼ完食した。やはり好きなものは食べられるのかもしれない。

 

バンコックの茶商を訪ねて2018(2)バンコックの2大茶商をついに発見

途中にきれいな寺があり、これかなと思って入ってみたが、違っていた。そこのお坊さんに中国語を使ってみても全く反応がなかった。ただここにお参りに来ている華人は結構いるようで、漢字の写真付きのプレートは嵌っていた。我々が思うチャイナタウンからは、だいぶ離れてきたように思われた。

 

更に進んでいくと、狭い路地のようになっていく。その奥にその廟、清水祖祠があった。奥の割には意外と大きい。そこにいた女性に声を掛けると一人は流ちょうな標準語を話した。この付近にはやはり福建系が多いらしい。そしてこの廟はあの福建省安渓にあった清水岩寺の分家だと分かりハッとする。

 

この廟の横はもうチャオプラヤ川なのだ。100年以上前、この辺りでは活発な貿易が行われていたに違いない。そして福建華僑の人々はここにお参りに来たはずだ。ちょっと暑いがいい風が吹いている。そこのおばさんが、『コーヒーを飲むいい場所がある』と案内してくれたのが、近くの見事なお屋敷。

 

昔コメ貿易で財を成した潮州系一族が暮らしていたようで、古い建屋が建っているのだが、今は末裔がダイビングをやるため、庭の真ん中はプールという極めて特徴的な場所だった。2階に一族関連の展示が少しあるが、ここも川にほぼ隣接しており、往時は米の輸出を激しく行っていたと想像できる。2階で冷たいお茶を啜ると心地よい。タイ華人や白人が来ており、穴場の観光地と化している。

 

取り敢えず腹が減ったので、ヤワラーに戻り、飲茶を食べる。ちょっと暑かったこともあり、そこで休息方々、2時間以上もしゃべり続けた。その後Oさんとは別れ、Mさんともう一つの調べに出掛けた。前回ここに来た時、台北の有記茶荘のお茶を売っている、と言っていたところがあったが、今一つ言葉が通じなかったので、Mさんを通訳に確認に行く。

 

そこはやはり、王有記の店だと分かった。有記は2代目がバンコックで開業しており、その末裔かと思ったが、それもちょっと違うらしい。この店のオーナー、4代目は不在だということで詳しいことは分からないが、店の男性は『実は王有記はもう一つあるよ』というではないか。

 

その場所を彼は簡単に説明してくれ、遠くはない、と言ったので、何となくその方向へ歩き出した。ところがタイ語で確認していたMさんは『そんなに近い訳はない』と言い出し、周辺で聞き込みを始める。でも誰も知らない。仕方なく、唯一得た場所のキーワードを頼りに、トゥクトゥクに乗り込み向かう。かなり走った後、政府機関の前で停まる。

 

もうこの辺はヤワラーではないが、漢字の看板は多い。飛び込みでMさんが聞き込みすると、何と近くにあることが分かり、ついには発見に至る。そこにはきちんと漢字で王有記と書かれているではないか。店の女性に聞いたがよく分からない。そこに4代目店主の女性が帰ってきて中国語で話が聞けた。この店の前身は約100年前に開業した、まさに2代目有記だった。もう感激だ。

 

色々と話を聞いたが、取材された英語記事なども見せてもらい、理解を深めた。今は姉弟で経営しているというが、跡取りはいないので、今後がどうなるかはちょっと心配だ。ヤワラーのような観光地ではないので、中国人や台湾人観光客も期待できない。地元民はどんどん茶を飲まなくなっている。さて、どうなるのか。

 

そこでタクシーを拾った。午前中に訪ねて引っ越した人と連絡が着いたのだ。ただそこはヤワラーからは遥かに離れた場所だった。車に揺られて30分以上かかった。一体どこへ行ってしまうのだろう。着いたところは立派な中華レストランだった。そして2階に上がると、そこにリバービューの席がある。夕暮れのチャオプラヤを見ながら、美味しい広東料理を食べた。

 

ここのオーナーはどこにいるのか、ずっと待っていたが来なかったので、もう一度聞いてみると何と隣で食事をしていた女性だった。この人が我々の探していた建峰茶荘の末裔。茶荘を閉めてレストランを興したのかと思っていたが、一応今も茶荘は続けていると言い、1階に看板も置かれていた。ついにここまで辿り着いたか、と感激はひとしお。今回はこれで目的達成と喜んだが、更にここで次の手掛かりを得る。茶のご縁はどんどん繋がっていく。

 

10月5日(金)
ヤンゴンへ

翌朝もコーヒーを飲んでチェックアウト。タクシーでドムアン空港に向かう。今日も又道は極めてスムーズで、30分以内で空港に到着した。朝ご飯を食べていなかったので、周囲を見渡すと、和食の看板があったので入ってみた。だが出てきたのは和食というより、もどき。それでもまあ食べられるのでよい。サボテンがあった時代が懐かしい。

 

今日は珍しくエアアジアに乗る。最近はこれに乗る必要がなく、何となく敬遠していたが、今回は時間の関係で乗る。私が買ったチケットにはなぜかご飯をついており、私だけが食べることになって恥ずかしい。皆ヤンゴンへ行く時荷物は手荷物だけなのだろうか。1時間のフライトでは食べ物は要らない。

バンコックの茶商を訪ねて2018(1)リベンジのヤワラー探索

《バンコックの茶商を訪ねて2018》  2018年10月3-5日、12-15日、21-23日

僅か1か月ちょっと前に行ったばかりのバンコック。今回はビザ免除になったミャンマーに行くついでに、ほんのトランジットのつもりで飛んで行った。だが1か月前のヤワラー攻略戦の不完全燃焼を抱えたままでは終われない。ちょうどバンコック在住のMさんが、タイ語の部分をサポートしてくれることになり、ある資料を手掛かりに、再度ヤワラーに分け入ることとなった。

 

10月3日(水)
バンコックまで

久しぶりに早起きした。午前4時、長男はバイトから帰ってきていた。午前5時過ぎの電車に乗って成田空港を目指す。7時半前に成田空港に到着したが、この空港はまだ完全に起き上がってはいなかった。店は7時半から開くらしい。今回選んだベトナム航空はすぐにチェックイン出来た。

 

3年前に同じベトナム航空でハノイ行きに乗った時は、確か1時間以上並ぶ羽目になった。その悪夢から逃れただけでもよかった。とにかくベトナム航空は安い。ベトナム経由のバンコック往復が3万円台、当然乗る人は多いと思っていたが、嘘のように人がいない。早過ぎただけなのか。

 

なぜかUAのラウンジが使えるというので行ってみたが、何と午前8時開門だった。どういう連携になっているのだろうか。実はベトナム航空はスカイチームの一員でありながら、最近ANAが資本参加しているというねじれ現象を起こし、複雑な状態になっていた。国内ではべトジェットに追い上げられているとも言われ、内部事情は厳しいのかもしれない。

 

やはり満席にはなっておらず、ゆったりと座席に着いた。フライトは順調、安いけれどLCCではないので、立派な機内食も出る。ほぼ寝込んでいると5時間ちょっとでハノイ空港に着いた。ここで2時間トランジットして、そのままバンコックに向かう。空港はきれいだが、特に何もないので退屈。トイレから外がきれいに見えるのはちょっと驚き。外からも見えるのだろうか?

 

バンコック行のフライトは本当にガラガラだった。だが成田で既に発券されたチケットには窓側の座席が指定されていた。CAに『通路側でお願いしたんだけど』というと、ドアが閉まったら、どこへでもどうぞ、と言われる。最近は指定された座席にしか座ってはいけない、と言われることもあったので、有り難く移動した。また機内食が出る。食べる。これは完全な赤字路線だ。夕日がきれいだ。

 

午後6時にはバンコックに到着した。シムカードを購入すると、同じAISなのに、8月のドムアンより100バーツ高い。何故なのだろうか。訳が分からないが購入するしか選択肢はない。電車に乗って定宿に向かう。ベトナム経由で丸1日が暮れ、暗くなって宿に着く。

 

10月4日(木)
ヤワラーリベンジ

翌朝はいつものようにコーヒーを飲む。終わるとすぐにMRTに向かう。今日はヤワラー調査のリベンジを決行する。ファランポーン駅まで行き、そこからは歩いてワット・トライミットへ。バンコック在住のMさんとインド在住で以前バンコックにも住んでいたOさんとの待ち合わせ場所を、有名なお寺にしたつもりだったが、二人とも、『初めて来た』というので、かなりビックリした。在住者は観光地には行かないものか。確かに日本人観光客は多くはないかも。

 

取り敢えずの手掛かりは、手紙のレターヘッドに書かれた茶荘。中国語で住所が書かれていたが、タイ語で何と言うか分からない。そこを解決したMさん、スマホでその場所へ連れて行ってくれた。だがそこの門は固く閉まっている。隣の人にタイ語で聞いてもらうと、数年前に引っ越していた。そこで手掛かりは途切れた、かに見えたが、後で奇跡が起こることになる。やはりMさんとOさんの二人のタイ語力は相当に役立った。中国語にプラス現地語、これが華人調査の基本だと知る。

 

取り敢えず、前回福建会館で教えてもらった廟に行ってみることにした。歩き出してすぐに、正大と書かれたビルに出会った。正大といえば、タイの華人が設立した大企業、あのチャローンポカパーン集団の中国語名なのを思い出すが、なぜこの小さなビルにこの名前が付いているのか。念のため警備員に聞いてもらっていたところ、車から降りてきた男性が英語で話しかけてきた。

 

ここがなんとあの大企業の創業の地だったのだ。そしてその男性は、創業者の孫世代に当たる一族の人であり、非常に驚いた。タイでは有名企業だが、タイに住む日本人はこの漢字の企業名は知らない。私のような者が歩いて初めて発見できるということを知る。タイ語も必要だが、中国語も必要であり、しかも一定の知識があれば、歩きは俄然エキサイティングになる。3人ともノリノリになっていく。

タイ巡礼、そして茶旅2017(21)ヤワラ―をふらつくも

8月2日(水)
空港へ行くまで

やはり少し長くバスに乗り過ぎたのかもしれない。首のあたりに疲れがたまり、少し頭が重い。そんな朝を迎えた。8時頃何とか起き上がると、ちょうど電話が鳴る。Yさんが階下に到着した合図だ。いつものようにタイ情勢や旅行業界の様子などを聞いて、情報収集に努める。

 

その後いつものように宿の向かいにコムヤーンを食べに行く。これはもうここに泊まったらマストアイテムになっている。おばさんも特に愛想よくしてくれるわけでもないが、一応席は空けてくれ、そこで食べさせてはくれる。今や半年に1度ぐらいしか来ない客となり、常連客からは外されてしまっている。しかしコムヤーンとカオニャオで45バーツの幸せ。何とも有り難い。

 

午前中は今晩の夜行に備えて、完全休養として、部屋で過す。この宿ではNHKが見られるのだが、何とお昼のニュースの後の番組、ひるブラというのを見ていたら、先日行った富山県朝日町が登場、しかも我々が世話になったKさんが何と生出演していたので本当に驚いた。バンコックでこれが見られるとは、かなり奇跡的なことだろう。すぐにFBで伝えると先方も『まさか海外まで自分の映像が流れていたことに驚いた』とのことだった。NHK、恐るべし。

 

昼になると下へ降りていき、Yさんたちとランチを取るのも恒例となっている。Yさんのところのタイ人スタッフが、ちゃんと席を確保して、メニューを選んでくれるので何とも安心できる。3-4人で食べて一人60バーツ程度と激安、激ウマなのがよい。その後、Yさんのオフィスにコーヒーを持ち込んで飲むのだが、その値段が55バーツだから、物の価値が分からなくなる。

 

部屋をチェックアウトして荷物を預け、出掛ける。今日はヤワラ―に昔の茶廠の痕跡を探しに行くことにした。冷房の効いた4番バスに乗れば一本で行けるのは知っていたが、何と乗り場が変わっているので、ちょっと驚く。何しろ言葉ができないのだから、こういうのは意外と困る。何とか乗り込んでチャイナタウン、ヤワラ―へ向かった。

 

ヤワラ―には何度も来ているのだが、どうも苦手だ。何しろ潮州系、客家系の街で普通話も通じにくいし、商売優先で話も聞きにくいのだ。だが今回もIさんからの無理強いがあり、重い腰を上げた。数十年前にバンコックにあった茶工場、茶商について知りたいというのだが、電話番号簿でも引けばという、そんな簡単な話ではなかった。

 

取り敢えず目に付いたお茶屋に入り、おばさんに『こんな名前のお茶屋が昔あったのを知らないか』と聞いてみるも首を振るばかり。その次の店も同じで、仕方なく、現在のヤワラ―で最大級のお店、三馬印へ行ってみた。だが何とここでも普通話すら通じない。何とか英語で対応してもらったが、何もヒントは出て来なかった。

 

更にふらふら歩いて見たが、どうにもならない。中国語よりむしろタイ語ができる人と一緒に歩かないと何もできないと知る。最後の店先にちょっと変わった名前を発見!『台湾南港茶』とは何ぞや。思わずこれを購入して、店のおばさんに聞いてみると『ああ、それは台湾のお茶じゃないよ』と軽くいなされてしまう。『じゃあ、なんで台湾って付いてんの』と聞いても、もう答えは返ってこなかった。

 

またバスに乗り、途中で地下鉄に乗り換えて、何とか宿に辿り着く。かなり暑くて疲れたので、宿のマッサージで時間を調整しようと考えたのだが、何と先客があり、『明日来てね』とつれない返事。私に明日はないのだ、と言いたいが、そのタイ語が分からない。それなら近所で探そうと、ウロウロし始めるが、なかなか見つからない。

 

ようやくかなり離れた場所で1軒、発見して中に入る。お客はいなかったので、すぐに足を揉んでもらう。『あっちが混んでいたの?』と聞かれ、ちょっと変だなと思っていると、何と斜向かいに日本人がマッサージ屋を開いたというのだ。私もそこを訪ねた客だと思ったらしい。次回はそちらへ行ってみようか。

 

少し早かったが空港へ向かった。地下鉄も結構混んでいたが、乗り換えたエアポートリンクは激混みだった。ちょうど退勤時間と重なり、空港へ向かう人、家に帰る人で長蛇の列となっていた。2台、乗れずに見送るという恐ろしい状況。本当に早めに出てきてよかった。ようやく乗れた3台目も超満員で身動きできず。途中で人がおり、何とか座れて助かった。空港では夕飯を食い、ネットをやって、ダラダラ過ごす。

 

夜10時のフライトはちょっと遅れてテイクオフした。何となく寝付けずに朝を迎えた。6時前の朝日はきれいだった。定刻にランディングして、家路を急ぐ。明日の夜からは世界陸上テレビ観戦のため、ロンドン時間で過すことになっている。時差ボケ解消が急務だった。もうこの旅を振り返る余裕はない。

タイ巡礼、そして茶旅2017(20)一路南下してバンコックへ

ようやく宿に帰って遅めの朝食を頂く。ここもやはりビュッフェではなく、アラカルトのチョイスだが、サラダやフルーツなどは自分で取りに行くスタイル。この辺にも華僑ビジネスっぽさが出ているかな。美味しく頂き、その後は疲れた体を休めるため、シャワーを浴び、部屋で休息する。これが何とも心地よい。

 

昼前に動き出し、取り敢えず軽く麺を食べる。そのまま日差しが強い中、歩き出す。ホテルの部屋から見えた寺を目指してみる。その途中にあった寺では信者向けの講話が行われているようで、本堂には入れない。かなり熱心な信者が暑い中、扇風機の風に吹かれながら講話を聴いている。

 

その先にお目当ての寺があったが、特に見るべきものもなく、あまりの暑さに退散し、夕方まで部屋で休憩した。そして意を決して再度出動。歩いて行くが、夕方で日差しが弱い。着いたところはワット・スワンタンという名前らしい。敷地はかなり広く、ここの建物はすっきりしていてよい。それから満を持して?もう一度昨日は小坊主が掃除していて入れなかった寺へ向かう。この寺は、何とも白が効いていて、建物にキレがあり美しい。

 

夕飯を探したが、適当な物がなく、結局いつものカオマンガイになる。何とも古めかしい建物で営業しており、地元民が引っ切り無しにやってくる。女子高校生も学校帰りに食べている。暗くなると部屋に戻り、シャワーを浴びると眠たくなり、ぐっすりと寝入る。この旅もいよいよ終わりに近づいているが、その感慨などはない。

 

8月1日(火)
バンコックへ

今朝も早起きした。6時半の朝食開始と共に食堂へ行き、慣れた感じで朝食を食べた。そして8時のバスに乗るために7時半には宿をチェックアウトし、宿で予約した車に乗り、橋ターミナルへ向かった。あんなに近いのに100バーツも掛かるなんて、やはり華人経営だ、などというつもりはない。

 

本当に時間通りに事が運ぶと、待ち時間が長くなる。その上8時発だというのに、そして始発だというに、なぜか予約したバスは来ないのだ。何か間違いがあったのかと思い、オフィスに聞くも『ウエイト』と言われるだけで埒が明かない。他の会社のバスが行ってしまうとかなり心配になる。

 

結局15分遅れでバスが来てすぐに乗り込み、出発した。座席は一番前で前に広い空間があり荷物を置けたので便利だった。お菓子と水も配られたが、取り敢えず寝ることにした。まだ先は長いのだ。それから元来た道を戻っていく。プレーに停まり、ランパーンの手前で南下した。一番前の席は外がよく見えるのがよい。

 

5時間ほど乗ったところで休憩があった。何とこのサービスエリアはこのバス会社専用のもので、麺でもご飯でも一食は無料で食べられるという。乗車中はあまりものを食べない私だが、無料となるとつい手が出てしまうのはちょっと卑しい。軽く麺を取る。ここは巨大な場所で、体育館のようだ。土産物も売っているし、スナックも買える。バス料金の安さから考えても、日本ではできないサービスだな、と思う。

 

それからまたバスに揺られて南下する。交通の十字路のような場所に標識があったが、昆明1460㎞、ヤンゴン607㎞、ビエンチャン509㎞、ダナン1010㎞というのを見ると、まさにここがアジアンハイウエー、東南アジアの交差点だということがよくわかる。ヤンゴンやビエンチャンがそんなに近いとは驚きだ。それにしても中国の南下政策はどうなるだろうか。今度この辺を拠点に4つの都市に行ってみるのも面白いかもしれない。

 

後はただただ南下を続けた。知らない地名が多く、バスターミナルにも停まらないのでよくわからなかった。一応バスは10時間でバンコックに着くとのことだったが、暗くなる頃には、当然のように渋滞が待っており、何時着くとも知れない状況となっていた。ただそれも見慣れたドムアン空港付近まで来ると後は何とかなり、約12時間かかって午後8時に北ターミナルに戻って来た。今回の旅の初めに夜の北ターミナルを出てから18日が経っていた。

 

11. バンコック2
定宿へ

それからは以前と同じ、バスと地下鉄を乗り継ぎ、今回は定宿へ帰還した。約1時間で到着した。正直疲れてはいたが、慣れたところへ戻ると、何となくホッとする。案内された部屋は以前と違っており、その設備もかなり良くなっていた。電気ポットが導入されたのは何とも有り難い。そして懸案だったWi-Fiも繋がったようだ。これで普通のホテル並みになったと言えるだろう。努力したんだな。

 

腹が減った。午後9時を回っていたが、宿のすぐ近くの屋台が開いていたので、そこに座る。スキヘーンとご飯で十分にお腹いっぱいになる。結構辛かったので疲れた胃腸には堪えたかもしれない。それをコーラで優しく癒す?如何にもタイ流の食事の仕方だ。私もようやくタイ人に少し近づいたかもしれない。

タイ巡礼、そして茶旅2017(19)よそ者に優しいナーン

10. ナーン
ナーンの宿

ナーンのバスターミナルは街から少し外れたところにあった。その周囲にはホテルがあるようには見えなかったので、取り敢えずバイタクを拾い、街中を目指す。予想通りお寺の間を縫うようにバイクは走っていく。そして街の真ん中のホテルの前で停まった。ここはこれまでと違って、そんなに古い感じではなかった。

 

1泊1000バーツとポンと言われ、一瞬他を探そうかと思ったが、面倒だからやめた。部屋は極めて簡素、そういえばフロントは華人系だったから、そういう経営なのだろう。タイ人のようなゆったりとは根本的に違うのだ。それにしてみれば、ホテルの建物の作りがちょっと不思議。中にかなりの空洞があり、無駄なスペースが多い。

 

外へ出ると小雨。隣には木造の雰囲気のよさそうな宿があり、こちらに変えようかと思ったが、ネットで見る限り宿代は2倍以上するので止めた。取り敢えず雨が上がったので外を散歩する。少し歩くとちょうどいい感じのお寺があったので中へ入り拝む。仏塔の形がよい。

 

既に昼を大きく過ぎており、ご飯を食べる場所が見付からない。ツーリストインフォメーションで聞いた方向へ進むと博物館らしきものが見えてきた。場所がよくわからずまごついたのだが、広い敷地の中にあるかなり古い洋館だった。ただ館内は改修中のようで展示物はほぼ見られなかった。残念。ほんの少しの写真などもタイ語しか表記がなく、意味は不明。唯一あったのがブラックアイボリーと書かれた不思議な像だった。

 

ようやく麺屋を見付けて飛び込む。優しい感じのおばさんが『日本から来たのか?』と英語で聞いてきたのにはちょっと驚く。ここの麺、大根や卵、内臓系などの具がいい。一気に汗が噴き出すと、扇風機を回してくれた。何となくホッとする空間だった。この近くにもゲストハウスがあるようだった。こちらへ越してこようかなと思うほど、のどかだった。何となくここの人は外国人慣れしているように思える。

 

フアクワンという中国系の寺が見えた。1500年代に出来た寺だという。中では新車のお祓い?をしてもらう信者がいた。日本は神頼みだが、ここではすべてが仏頼みなのだ。本堂に入るとすると、年老いた僧が2階を指して、皆が寝ている、という感じのジェスチャーをしたので上がらず退散した。

 

そのすぐ向こうにクリーム色の寺があった。何とも南国風な寺だった。ここに安置された数体の仏像はなかなかいい感じで長く座っていたかったが、ちょうど坊さんが掃除に来て邪魔そうだったので退散する。ワット・ミンムアンという大きな寺にも行ったが、ここも小坊主たちが掃除をしていた。午後のこんな時間が掃除タイムなのだろうか。

 

その道路沿いにバナナクレープを売る屋台があり、思わず買ってしまった。実に甘いのだが、疲れている体には心地よい。天気もすごくよくなって汗が出ていた。その後ナーンで一番有名なワット・プミンを訪ねる。堂に安置されている仏像は四面体。何となくすべての顔が違い、信者はそれぞれの好みで拝んでいるように見える。外では夜市の準備が始まっている。この付近が観光スポットらしい。

 

最後にもう一つ大きな寺に入ると、そこでは掃除をさぼっている小坊主と目が合う。中に一人だけきちんと箒を動かしている者がおり、好感が持てる。彼は一体何のために箒で掃いているのだろうか。ふとそんな思いに駆られるほど、熱心に掃いていた。夕暮れが近づき、宿に戻る。

 

暗くなると腹が減る。外へ出ると自然に市場に突き当たる。そのすぐ近くにパッタイの屋台が出ていた。おばさんたちがやっている。そこでパッタイを注文したが、言葉が通じていないのに、ちゃんと会話しているような心地よい雰囲気があり、好感が持てる。『おもてなし』とは本来このような物だろう。パッタイもイケる。夜を軽めに食べると寝心地もよい。

 

7月31日(月)
ナーン散歩

翌朝は相当早く起きた。暑くならないうちに郊外の寺まで行ってみるようと試みだ。宿からは3㎞以上ありそうだったが、交通手段がないので仕方がない。大きな道路沿いに歩いて行くと、何となく寺に導かれているようだ。前を托鉢僧が歩いているのもよい。ワット・プラチャ・チャエハーンに着いた頃には日も高くなり、薄っすら汗をかいていた。

 

この寺は規模が大きい。そしてきれいな仏塔がそびえている、特徴のある寺だった。寺は塀で囲まれていたが、開いているところがあり、そこから滑り込む。付近は公園のようになっており、敷地は相当に広い。仏塔の前でじっと眺めた後、またテクテクと宿の方へ戻っていく。

 

ナーンはラオスの国境に比較的近いせいか、漢字の看板が多く見られる。華人が中国からこの地までやってきて住み着いたことがよくわかる。何となく外から来た人間に寛容なのはこのせいかもしれない。宿泊先もそうだが、商売をしている家が多い。OTOPの店があり、開いていたので入ってみる。茶が売られていたので、取り敢えず買ってみる。何しろタイの茶産地は、チェンライ、チェンマイとここナーンの3県しかないのだ。今回はその3県を制覇したのだ。

タイ巡礼、そして茶旅2017(18)プレー寺巡り

7月29日(土)
プレーでゆっくりお寺巡り

翌朝は相当早くに目覚める。朝食はホテルで取ったが、やはりお客は少なく、寂しいビュフェだった。まあ、私はお粥があれば満足だから文句はない。ホテルのすぐ近くに有名なお寺があると聞き、出掛けてみた。確かに近かったが、そこには貴金属の売り買いをする市が立っており、日曜日の朝から賑わいを見せていた。まさに門前市だ。

 

ワット・ジョムサバーン、このお寺は素晴らしかった。1850年代に創建されたが、その後イギリス商人の支援もあり、1930年代にビルマ式を導入して、木造の立派なお寺が出来たという。石段のところにいるおばさんに一礼して上がると、本堂は天井が高い。そこは何となく日本の寺のようであり、懐かしい感じがして、何かに包まれたようにしばし動かずに仏像を見つめた。

 

朝のさわやかな風が吹き抜ける中、本堂にじっと座っていたが、それに飽きると外へ出る。仏塔が見えたので近づくと、その中に小さな仏像が見えた。ちょうどお参りに来た女性がそこへ入り、熱心に祈っている。私も祈りたかったが、邪魔はしたくなかったので、明日の朝またここへ来ることに決めた。余裕のある旅はこんなことができるからよい。

 

それからはす向かいに見えた寺にも入ってみた。こちらはド派手で対照的だ。しかもユーモラスな坊さんの大きな像があり、また頭がいくつも伸びる観音像、そしてポケモンのピカチューまで置かれており、とても寺とは思えない。学校が併設されていたが、まるでテーマパークかと思う。

 

昨日と同じ道を通り、市内中心部へ。途中でトイレに行きたくなり、近くの寺に入ったが、何と全てのトイレに鍵が掛かっており、おまけに犬に吠えたてられ、あえなく退散。立派な建物の敷地にも入ってみたが、どうやら政府機関のようで警備が厳重で逃げ出す。もう我慢の限界かと思った頃に、公園があり、何とか用を足した。

 

ワット・ポースワンという寺は実に鮮やかな白い仏塔が並んでおり、気持ちがよいほどだった。ここも廃寺を富豪が修復したという。裏には立派な涅槃仏もあり、ちょっと心洗われる感じがする。本堂に入ろうとしたが、ちょうど坊さんが読経中だったので控えた。天気が良いせいか、白い色が目に沁みる。

 

そのすぐ近くにボンブリハウスという古い家があった。1897年建造というから100年を越え、往時の富豪の生活が見られる。テレビドラマのロケでもよく使われるらしい。庭も相当に広く、優雅できちんと管理されていた。ここは入場料がいるのだが、おばさんが一人で管理しているのか、最初は誰もいなかった。

 

するとそこへ幼い女の子が二人現れ、タイ語で何か聞いてきたが、答えられなかった。彼女たちも残念そうだ。そこへ母親が来たが彼女も英語はできない。ただ分かったことは、もしタイ語が分かるなら、この子たちがガイドする、ということで、ちょうど後から来た客には生き生きとガイドしていた。すっかり感心しながら、見学した。重要な場所にはなぜか中国語が書かれていたので一部は理解できた。

 

最後にワット・プラノーンというお寺へ行く。ここが一番有名らしく、観光バスも停まっていた。800年代の創建となっているから古い。この街の守り寺かもしれない。ここには室内に立派な涅槃仏が安置されていた。それを見終わると川沿いにフラフラと歩いてホテルに戻った。結構疲れたので夕方までゆっくりと休む。

 

夕方、街と反対の方に歩いて見たが、道路があるだけで面白くない。夕日がずんずん落ちていくだけ。街に戻ると市場があり、いい匂いのコムヤーンが出来上がっていたので、思わず買い込む。ホテルの部屋で食べるはずが、歩きながら少しずつ食べているうちに無くなってしまうという意外な展開。昼ごはん食べなかったから、腹が減ったのだろう。お腹にコーラを注いで満腹。その夜もよく歩いたので疲れてよく眠れる。

 

7月30日(日)
再び寺へ

朝6時に起きて、昨日の寺へ向かう。今日もいい天気だ。誰もいない本堂に入り、しばし祈り座っていたら、周囲に機織り機があるのに気が付いた。そう、プレーは昔織物の町として栄えたらしい。今は街中を見てあまり見られなくなっていたが、この寺では自らはたを織っているのだろうか。

 

タイの街を歩いていて気が付くことがある、それはどこの街でも警察署まで何キロあるかという道路標示が必ずあり、そこには英語も必ず書かれていることだ。そんなに皆が、そして外国人が警察に用事があるとも思えないのだが、なぜこの表示はあるのだろうか。単なる興味本位だが、ちょっと気になる。

 

ついに客が少なくて今日はブッフェが取りやめとなっていた。朝粥を食べて、部屋で休息。12時前、ゆっくりとチェックアウトして、バスターミナルへ向かう。最後の訪問地、ナーンへ向けて出発だ。バスターミナルに近いということは本当に便利なことだ。ロットゥがここでも定期便としてあり、数十バーツで行けるのがよい。また2時間ちょっとの旅となる。途中で若者が急にコンビに寄りたいと言い出し、ATMでお金をおろしていたのがご愛敬だった。