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台湾一周茶旅2016(8)運転手に台湾語で怒鳴られる

4. 鹿港
鹿港街歩き

 

終点でバスを降りたが、この辺が中心なのだろうか。食堂などは沢山あるが周囲にホテルも見えず、方角も分らず歩き出す。ちょっと行くと昔の旅社のようなところがあったが、やっているのかどうかもわからない。更に歩いて行くと似たような宿があり、フロントのおばさんが親切だったので、そこに宿を取る。1泊、800元。かなり狭い奥の部屋だったが、この建物自体は歴史的建造物だろう。ちょっと洋風の作りだが、中華風の雰囲気もある、面白い建物だった。

 

昼を過ぎていたので、おばさんにこの辺の名物を聞くと『あの斜め向かいの店の肉包で有名になったが、実は地元の人はあそこでは買わない』という。確かに見てみると、長蛇の列ができている。ガイドブックにも載っていた。私はおばさんに言われた、その近くの別の店で肉包を買って食べたが、これは肉汁がこぼれて旨かった。有名店のは食べていないので比較はできないが、行列は全くなかった。

 

鹿港は小さな街だった。少し歩いて行くと、九曲巷という、この街の名所である路地に入った。くねくねと小道が曲がっており、そこに古めかしいレンガ作りの家などが建っている。そして人々が今も住んでいる。暑かったせいか、それほど懐かしい気分には正直ならなかった。さっと抜けてしまう。

 

その先には市場があった。その周辺には色々な食べ物屋が出ており、先ほどの肉包だけでは足りなかった私は、更に食事を探した。何となく笑顔のおばさんがいたので、フラッとそこへ入る。午前中しかやっていないという店、麺線糊という独特の食べ物が出てきた。普通の麺線と変わりはないようだったが、これはうまいと一気にかき込む。おばさんがもう一杯食えというので、また明日と答えて去る。だがその斜め向かいの肉丸も捨てがたく、そこにも座って食べてしまう。

 

古市街という観光のための道があった。きれいに修繕されてしまった、こういう道はあまり好きではないが、ふらふら歩いて見ると、所々に古びたものがある。土産物屋を覗き込むと麺茶というのが目に入り、思わず立ち止まる。店のおじさんが待ってました、とばかりに紙コップに入れて飲ませてくれたが、これは勿論茶ではなく、麺の粉と砂糖やゴマを交ぜた食べ物?だった。何で茶なんてつけたんだろうか。

 

適当に歩いている。元の方に戻っていくと龍山寺という古刹もあり、古い木が植わっている。海は見えないかと思って歩いたが、文武廟などが出てくるものの、それらしきものはない。昔は鉄道駅もあったようだ。今も線路の一部が残り、駅舎もきれいに建てられていた。日本時代に台糖が輸送に使っていたらしい。

 

 

メインの中山路を歩けば、結構古めかしい建物が続いている。ここ鹿港はある意味で発展が止まってしまった街なので、このような建物が残っているともいえる。ただそれほど見る所も多くはないので、大抵は台中あたりからの日帰り観光の対象になっており、宿も少ないということだ。

 

疲れたので宿に帰り、テレビを点けると、なんと日本の大相撲中継が目に入る。この古ぼけた宿でもNHKが映るのか、さすが台湾だと感心した。夕飯はまた市場へ行き、沢山食べた。台湾の古い街というのは、基本的にB級グルメがうまい。私のような貧乏旅行者には有り難いが、混んでいて席の確保が難しい。

 

1119日(土)
彰化へ

 

翌朝は早めに目覚めたので、昨日行かなかったところを歩く。古市街を突き当りまで行くとさすが港町、海の神様、天后宮が見えてきた。1591年創建というから古い。大陸から媽祖様を直接迎えた台湾唯一の宮らしい。流石に立派なところだった。この辺を見ると、鹿港が往時、有力な港で対岸の福建との交易で栄えたことが見受けられるが、現在は港そのものが見られないので、何となく空虚な街という印象だ。

 

鹿港にもう用はないので、彰化に向かうことにして宿を出た。少し行くとバス停があり、いくつかのバスが来ることになっていた。だが何時に来るのか、今一つよくわからない。そうこうしているうちに、バスがやって来た。何人かが乗り込んだので私も乗り込み、運転手に『このバスは彰化に行きますか?』と中国語で確認した。

 

ところが、運転手は黙ったまま、手のしぐさで早く行けという態度を取った。これでは彰化へ行くのかどうか分からなかったので、再度聞いたところ、今度はものすごい勢いの台湾語で怒鳴り出したので、こちらが驚いた。勿論意味は分からない。更には私が手にしていた悠遊カードをひったくり、勝手に機械にかざしてしまった。こんな礼儀知らずの運転手は台湾でも、いやアジアでも初めてだったが、後ろの人も待っているので黙って座席に着いた。

 

彼は30代前半ぐらいだろうが、何か不満が溜まっていたのだろうか。それでも他の客にはそうではなかったので、私を大陸中国人と思ってそんな態度を取ったのだろうか。それにしてもひどい。余程彰化に着いたら、バス会社に突き出そうかと思ったが、面倒なので止めたが、台湾はいい人ばかり、と言った宣伝文句には明らかに反する例だった。台湾の負の部分を見る思いだった。

台湾一周茶旅2016(7)埔里から鹿港へ

宿に戻ると、ドイツ人がやって来た。台中でレンタカーを借りて、明日から梨山付近をうろつくというのだが、何と全く中国語はできない。漢字も読めない。それで運転できるのだろうか、心配になったが埔里まで来られたのだろうか大丈夫だろう。腹が減ったというので、さっきの温州雲吞屋に連れて行き、麺を注文してあげた。本当に大丈夫なのだろうか。麵屋のおばさんが、『あんたも食べていけ』というがさすがに無理だ。

 

すぐに夜はやってくる。今晩はWさんに勧められたどんぶり屋に行ってみた。バスターミナルのすぐ近くだ。店はきれいで中はお客、殆どが若者で満席だった。僅かに1つ席が空いており、何となく居心地悪く座る。焼魚定食がうまいというので頼んでみたが、なるほどという味。いつの間にか値上げしており、近辺の食堂からすると150元では高いと言える。もうちょっと落ち着いた雰囲気ならまた来るけど。

 

1117日(木)
バイクで茶園へ

 

昨晩Wさんと話している中で、魚池の茶農家へ行くなら、バイクで送ってあげると言われ、今日はお言葉に甘えて、出動してもらった。まずはサンドイッチで朝食を済ませる。それからおもむろに、バイクの後ろにまたがり、ヘルメットをかぶる。魚池に向かう道には広い国道があるが、今回は裏道から行くという。軽い登りが続く。車は殆ど走っていないのがよい。爽やかに風を感じる。

 

既にグーグルマップで正確な位置を見ていたので、田舎の住所表示のない道でもすぐにたどり着くことができるのは凄い。そこはきれいな庭がある農家だった。Mさんに紹介された王さんが迎えてくれる。王さんは2年前まで軍に所属しており、馬祖にも長く勤務したらしい。小柄で細身だが、体は強そうだ。最近故郷に戻って農業を継ぐことになった経緯はよくわからない。

 

裏を案内してもらうと、そこには茶畑がある。『ここはお客さんが来た時に見せるために茶樹を植えている』というが、なかなか良い風景だ。そしてガチョウが歩き回り、首を長くして啼く。お店に戻り、紅茶を頂く。ここは参入が少し遅かったため、紅玉よりも台茶8号を使った紅茶製造に特徴を出しているという。さっきのガチョウが生んだ卵も出てくる。何とも自然な雰囲気。

 

WさんはGHの仕事があり、先に帰ってしまったが、私は何と王さん一家のお昼に混ぜてもらった。ほぼ自家製の野菜、そしてさっきのガチョウなど、新鮮な料理が卓に沢山並び、皆で囲んで食べる。これは何とも嬉しい、幸せな、贅沢な時間だった。ご両親も日本に対する興味が強く、盛んに質問してきた。

 

午後は王さんの茶畑に連れて行ってもらう。魚池から埔里の方に行ったあたりの山の中にある。一時は檳榔の木ばかりだった傾斜地に茶樹が植わっている。既に今年の茶作りは終わり、西日を浴びて落ち着いた雰囲気である。元軍人らしく、実に誠実に茶作りに取り組んでいる王さんだった。

 

帰りは魚池のバス停まで送ってもらう。バスはすぐ来るだろうと思っていたが、午後の早い時間、バスはそれほど多くはなく、かつ埔里を通らずに台中に行くものもあり、ちょっと待つことになる。日差しは強いのだが、日陰に入ると風が意外と爽やかでよい。茶作りには風も重要な要素だろうか。

 

埔里に帰ると、こんな時間なのに洗濯を始める。GHにある洗濯機を使い、終わったら、近くのコインランドリーに持って行って、乾燥機にかけた。これならあっと言う間に洗濯が完了する。よく見ると街の至る所にコインランドリーがある。私のように夕方洗濯したい人々が次々に訪れている。ランドリーを使っている間に、横の店で夕飯を食べる。ここの排骨スープが何とも濃厚で私好みの味だった。

 

1118日(
鹿港へ

 

翌朝は早く起きて、PCなどを触って過ごす。旅をあまり続けると疲れがたまると分かっていても、埔里にもう用はないので、今日も出掛ける算段をしている。これまで行ったことのない場所がよいと思い、思い切って鹿港を目指すことにした。鹿港はその昔貿易で栄えたと聞いていたが、実際に行ったことはなかったので、楽しみ。

 

午前中にバスで台中駅まで出た。そこの旅行案内所で、鹿港行きバス乗り場を聞いたところ、この駅の裏手にあるというので行ってみた。ところがバス停が無い。その辺で聞いてみると、その内、バスは来るよ、と言われてしまう。でもバスはなかなか来ないので不安が募る。20分以上は待っただろうか、ようやくコースターのようなバスがやって来た。現金で95元を支払う。

 

しかしこのバスはそれから台中駅の反対側へ回り、そこをぐるっと一周して、客を拾っている。これなら、あそこで待たなくてもよかったのでは、とつい思ってしまう。しかもこのバスはその後高速道路で彰化の方へ行き、相当大回りしているようにみえる。田舎道を1時間以上かかって鹿港へ入った。きっともっと早いバスがあるに違いないと思ったが、まあゆっくり行くか。

台湾一周茶旅2016(6)港口茶から埔里まで

鄧さんの準備が整い、彼女の車に同乗して何とか出発したのは10時頃だった。バスではすごく時間が掛かると言われた(何と懇丁ビーチを回って向かうので)が、距離にすれば僅か10キロちょっとらしい。東門を出てまっすぐ進む。20分ぐらいで、茶山路という名前が見えてきた。港口茶の幟も立っていた。だが聞いていた住所を訪ねても返事がない。誰もいなかった、もぬけの殻。突然のことに私は途方に暮れた。

 

鄧さんも懸命に探してくれたが、いない者は仕方がない。道の並びに港口茶の幟を出しているところで聞いてみたが、『仕事にでも行ったんだろう』と言われてしまう。仕方なく、背後の丘に登ってみる。そこには正宗港口茶と書かれた、古びた小さな製茶場があり、更にその向こうへ行くと茶畑が見えた。茶畑は海に向かって伸びているが、今は茶作りの時期ではないようだ。いい風景が広がっている。この風景、何となく長崎県の彼杵の畑を思い出す。

 

 

そこの人に聞いていても、尋ね人の行方は知れなかった。完全に諦めて、先ほど訪ねたお茶屋さんに戻り、そこのおばさんに事情を話したところ、『港口茶の元祖はうちですよ』というではないか。そして奥から5代目の朱さんが出てきて、一気に話が弾んだ。相変わらずの茶旅だ。その経緯は既にコラムに書いたので、参照して欲しい。

 

静岡県茶業会議所月刊「茶」(20173月号)『台湾最南端の緑茶』

http://www.chatabi.net/colum/11293.html

 

 

港口茶については何となく分かったので、朱さんのもとを失礼する。鄧さんの車で、懇丁ビーチを回って戻ることになった。何とも天気が良いく、日差しがまぶしい。懇丁へ行く道沿いには何もなく、ただ自然が広がり、そして海が見えるだけの絶好のロケーション。車で来なければ、この雰囲気は味わえない。感謝、感謝。自転車で通り過ぎていく人も多い。

 

私が懇丁に来たのは1989年だから、今から27年も前。あの時はクリスマスで風が冷たく、寒かった記憶しかない。当然ながら、懇丁は大発展を遂げ、今では一大リゾート地となっていた。私が当時泊った最高級ホテルもまだ残っていたが、日本の資本ではなくなっているらしい。

 

若者向けのブティックホテルから、民宿、高級ホテルまでビーチ沿いは宿で一杯。そしておしゃれなレストランや土産物屋も並んでいるが平日なので人影はまばら。鄧さんはちょっと寄り道しようと言って、恒春に戻る道路沿いに車を停めた。そこには建築中の建物がある。『ここは知り合いが高級ホテルを作る予定で建てている』という。僅か6部屋だが、確かに高級感が漂う。新婚旅行にでも使うのだろうか。

 

ランチを食べようと思ったが、いいところがないというので、恒春に戻って、広東系の料理をまたたらふく食べた。それからバスターミナルへ送ってもらう。『高雄まで相乗りタクシーが安くて速い』と言われたが、あいにくお客もなく、タクシーもいなかったので、台湾好行バスに乗り込み、恒春を離れた。鄧さんには本当に世話になった。

 

バスは混んではいなかったのでゆったりと快適に過ごす。途中自然を売り物にした国定公園で停車したが、乗り降りする人はいなかった。高雄の左営駅まで僅か2時間ちょっとで到着した。これなら高雄空港に降り立って、そのまま懇丁へ行く外国人にも便利だろう。私は台中に向かって、高鐵に乗り込む。

 

台中までも1時間はかからない。本当に今の台湾は早くなったなと実感する。車窓から落ちる夕日が見える。高鐵台中駅から台鉄に乗り、台中駅前の先日の宿にチェックインした。今日は日本代表のサッカーの試合があるので見ようと思ったが、このホテルではそれを見ることができなかった。既にどこのホテルでは何が見られるのかがごちゃごちゃで分からなくなっている。それならあそこまで急ぐ必要もなかったと急に後悔するものの既に時遅し。腹が減ったので、麺を食べて寝る。

 

1116日(水)
4.埔里

 

翌朝はホテルの朝食を食べて、ゆっくりと出発した。今日は埔里へ向かう。南投客運ではなく、全航客運の方が近いので初めて乗る。基本的にはどれに乗っても料金も時間も同じだが、駅前、それもホテルの向かいから乗れるのが嬉しい。埔里まで1時間のバス旅。ちょっとワクワク。

 

埔里に着くと、前回も泊まったWさんのGHへ向かう。午前中から押しかけて申し訳ない。取り敢えず部屋に荷物を置いて、外へ出るともう昼ご飯を食べている。温州雲吞麺、これなぜか好きなんだよね。そして前回Yさんが落としてしまったメロンパン(私は小豆入り)も買って食べる。なんでこんなに食べるんだと自分でも思う。

 

 

今回埔里に来た目的は前回幻の茶園に案内してくれた葉さんを訪ね、もう一つの茶園(これも幻になる可能性ありということで)を案内してもらうつもりだった。だが、事前の意思の疎通がうまく行っておらず、既に冬茶の茶摘みは終了していた。これからそこへ行くことはできないという。ちょっと残念だったが、前回の幻の茶園、最後の冬茶を味わって満足した。更には『埔里はいいところだからちょっと長くいたいな』というと、何と上の部屋が1つ空いているから使ってもよいというではないか。早々に部屋を見学して、来年の拠点が決まってしまった。転んでもただでは起きない!

台湾一周茶旅2016(5)古い城門が残る恒春

列車は東海岸の海岸線とその1つ入った山沿いを走っていく。池上は今や池上弁当で有名、鹿野は先日訪ねた茶畑がある場所だった。3時に台東まで来ると、確かに団体が乗り込んできて、我々の席は無くなった。だが彼女はすぐに他の席を探して座る。『台湾って、こんなものよ』といとも簡単に言う。日本なら、そういう席の売り方はしないだろうが、その辺は前向きに『台湾の臨機応変』と呼ぶことにしたいと思う。

 

その後知本温泉の知本を出発すると次は私が降りる枋寮だった。ここまで1時間、列車は何処にも停まらないので、席を移動することもなかった。今回私が訪ねるのは恒春という場所、屏東にあると聞いていたので、屏東駅まで行くのかと思ったが、枋寮からバスに乗るのだと言われ、ちょっと慌てた。私は地図も見ずに、行先だけを指示され、よくわからずに進んでいるのだ。

 

枋寮駅前で聞くと、すぐそこから恒春へ行くバスが出ているという。恒春行というより、墾丁ビーチへ行く、というのが正しいだろう。墾丁は台湾最南端の観光地であり、そこへ行く人は多いが、鉄道は走っていないので、マイカーかバスになるのだ。バスは思ったより頻繁にあり。少し待つとやって来た。ただここから1時間もかかるらしい。ずいぶん遠いところまで行くんだな。

 

3. 恒春
バスがない

 

途中で海が見えた。夕日が落ちていく。完全に南国の風景だ。そして暗くなった頃に何とか恒春のバスターミナルへ着いた。恒春の街中では何か所にも停まり、降りる場所は分り難かった。バスを降りて、まずは小さなそのバスターミナルへ行き、明日のバスを確認した。訪ねる人から言われた通り、『満州郷の港口村へ行きたいんですが』と聞いたところ、『午前6:20ね』と言われてしまった。あまりに早いのでその次はと聞くと『午後4:20ね』というではないか。確かにバスはあるが、これは学校に行く生徒用のようだ。これではいけないのと同じだ。

 

どうしてよいか分からなかった。取り敢えず宿を探し、訪ね人に連絡して迎えに来てもらうなり、何か方策を考えなければならない。バスが走ってきた道を少し戻ると、こぎれいな宿があったので、そこへ入る。11300元と決して安くはないが、ある意味、観光地料金なのだろうか。結構若者が泊まっていたのでそう判断した。

 

そこで『港口村へ行きたいのだが、何か方法はないか』と聞いてみたが、『あそこは行き難いのよね、タクシーでも結構お金かかるし』との返事。ところが横にいた女性が『それなら私が連れて行ってあげようか』というではないか。それは有り難いと言ってみたが、フロントのおばさんはあまりいい顔をしなかった。

 

取り敢えず部屋に入るとこじんまりしたところだった。ビジネスホテルというより民宿という感じ。そこで明日訪ねる相手に電話をかけて、事情を話してみた。すると相手は『今から来ないか?今晩は暇だよ』というではないか。明日の昼間でも行けないかもしれないのに、これからどうやって訪ねていくというのだ。やはり彼女に頼って明日の10時に行くことにして電話を切った。

 

下へ降りて、夕飯を食べに行く。さっきの彼女にここの名物を聞くと、冬粉というので、それを食べた。春雨のようなものだが、あっさりしていて美味しい。ちょっと食べ過ぎが続いたのでちょうどよかった。食後は、街をぶらつく。何とこの街には昔の城壁が残っており、城門もあった。今晩は満月らしく、月を眺めている人が多かった。この街の印象は俄然よくなってきた。

 

1115日(火)
港口村へ

 

翌朝は快晴だった。朝食が付いているというので下に降りると、サンドイッチと豆乳が置いてあり、自由に取るというスタイルだった。まあ、これで十分だけど。彼女を探したが見つからない。フロントの女性は『まあ10時前には暇になるだろう』と言って、彼女が私を連れて行くことを許してくれた。彼女は今、掃除などの仕事をしているらしい。

 

取り敢えずまた外へ出て、街を歩く。街の地図を見ると、何とこの街には東西南北全ての城門が現存していた。この4つを回れば、街歩きは完成だった。台湾でも珍しい現存する城壁都市だった。それにしても良くもきれいに残っているな、と思われる城壁もあり、上を一部歩くこともできた。古い石碑が残っている公園もあった。

 

映画『海角七号』(私は見ていないのでよくわからない)のロケ現場が何か所か表示されていた。この映画は台湾で大ヒットしたらしい。しかも主演女優は日本人だったというので、日本でも結構有名だ。それを当て込んで、街おこしをしたのかもしれない。若者の観光客が多いのはそのためだろうか。

 

だが私にとっての恒春と言えば、その昔何かで見た映画の舞台がここだったという記憶がある。題目は忘れてしまった。貧しさから家族のために台北へ出でて身を売って金を稼ぎ故郷に仕送りしていた女性が、故郷に戻ってみると白い目で見られるという、実に悲しい話だった。ヒロインが丘から海を眺める、それは懇丁だったのだろうか。

台湾一周茶旅2016(4)環境抜群の舞鶴

店に戻って、また沢山の茶が杯に入れられ、飲ませてもらう。紅茶だけでもなんでこんな種類があるのだろうかと思っていると、それは品種をブレンドしているものもあるからだった。原料の茶がよいのは勿論だが、それを如何に組み合わせるかで、更に美味しい物が出来るなら、それもありだな、と思えるようなお茶だった。

 

蜜香は紅茶だけでなく、緑茶や烏龍茶も作れるという。今一番値段が高いのが紅茶だから、いいお茶は紅茶で作るのだろうが、顧客のニーズに合わせて作るともいう。持ち込まれた生葉を見ると、ウンカが葉を少し噛んでいた。蜜香烏龍茶の味、ちょっと気にいったので購入してみる。

 

U夫妻はこれから花蓮へ行くというので、駅まで高さんの車で一緒に送って行く。その帰りに夕暮れ迫る茶畑を見に行った。高さんの茶畑はもっと高いところにあるそうなので、他者の畑だったが、もう暗くなろうとしているのに、茶摘みをしている人々が見える。明日は雨なのだろうか。それにしても、向こうに山が見え、いい景色の茶畑だった。

 

私はここに1泊することにした。夕飯はこの辺にはないと言われ、粘さんに連れられて、駅前にもう一度行った。何とここには日本飯屋があったのだ。興味本位で食べてみることになる。地元の人で店内は満員の盛況、ちょっと驚き。刺身や寿司、うどんなどかなりの種類のメニューが並んでいる。味はいわゆる日式ではあるが、それなりだ。車がないと移動できないので、粘さんには手数をかけてしまい申し訳ないが、いい経験となる。

 

夜は粘さんの妹が開いている民宿に泊まった。ここも表はお茶屋さんで、裏に宿泊施設があった。広い部屋だった。今朝は朝5時前に起きて疲れていたので、シャワーを浴びてすぐに寝入る。それにしても当たり前だが、静かなところだ。遠くで虫が鳴いている音しか聞こえない。

 

1114日(月)

 

翌朝は7時台に起きるとすでに日が出ていたので、散歩に行く。爽やかな朝だった。適当に歩いて行くと檳榔の木の間に茶畑が見えてきた。そしてすでに茶摘みをする人々の姿がそこにあった。この時期に、そんなに茶摘みをして茶を作るのだろうか。ここの茶はそんなに売れているのだろうか。

 

更に歩いて行くと道路脇にお茶屋さんが見えた。ちょっと洋風な作りが目を惹く。何となくその名前に見覚えがあった。そこは台北で陳先生が言っていた店だったので、朝早くにもかかわらず、入ってみた。掃除していた女性が『こんな早くにどうしたの』という感じで応対する。オーナーも出てきてちょっと挨拶をして、お茶を一杯頂き、去る。今回は時間切れだ。まあ、来られただけでもよかったか。

 

9時に高さんが迎えに来てくれ、店へ移動。後で気が付くと、宿にTシャツを1枚忘れてしまった。部屋が広すぎて窓際に干したのをすっかり忘れる。このTシャツ、スヌーピーなんだよな、ちょっと恥ずかしい。これは珍しく家族でユニクロに行った時に息子に合わせて買った物だった。

 

店では自家製のヨーグルトなどを振る舞ってくれ、美味しく頂いた。ただ今日は茶畑が見られるかと期待していたが、黄さんたちの茶畑は遠く、もし誰かの車で行ったとしても夕方までは戻らないと聞き、今回は残念ながら断念した。まあこちらが突然お願いしているので、都合が悪ければ仕方がない。これも茶旅。

 

店の隅の方になぜかコーヒーが置いてある。ここ瑞穂ではコーヒーも作られているようだ。説明書きには何と1930年に日本人、園田さんがこの地を開拓してコーヒーを植え、住田珈琲という会社を作ったとある。舞鶴コーヒーの由来だ。その後、粘さんのお姉さん(どうも双子らしい)が、残された珈琲の木からコーヒー生産を復活させたらしい。だからお茶屋さんにコーヒーが置かれている訳だ。このお姉さんも茶業の世界では有名な方だという。しかも9人姉妹の長女とか。粘家、面白そうだ。

 

ダラダラお茶を飲んでいると、近所の人が買いにきたり、少し離れたところから車でやってくる人などがあり、静かなこの界隈からするとちょっと意外な賑わいがある。電話で注文してくる人もいる。舞鶴の蜜香紅茶は今や有名ブランドなのだ、とはっきり認識した。今日の紅茶も昨日の物とは味が違う。粘さんは常に試飲を重ねている。

 

今日は南部へ移動する。時刻表を調べてもらうと本数がないので、午後一番で出なければならない。高さんが駅まで送りながら、昼ご飯に案内してくれた。忙しいのに何とも申し訳ない。その店も、ちょっと変わっており、この付近にはない、洋風な内装の素敵なところだった。名物だというステーキを頼むと量が凄い。スープとサラダも付いており、食べ切れないほどだった。

 

恒春へ

駅で切符を買う。13:20発の自強号、切符は買えたのだが、台東以降は席がないという。こんな切符もあるのか。大変お世話になった高さんとお別れして、ホームへ行く。すると、さっき店に来ていた女性たちがいるではないか。一人は地元の人で、何と私が14年前に泊まった紅葉温泉の人だった。もう一人は嘉義から遊びに来たという。席も近かったので、話をする。彼女は嘉義のオーガニック系レストランで働いているらしい。瑞穂から嘉義まで、ぐるっと台湾を半周して帰る。

台湾一周茶旅2016(3)プユマ号で蜜香紅茶の世界へ

1800元で狭いが個室。最上階に広い浴場があるのは、ドーミインなど日本のビジネスホテルを真似たのだろうか。エレベーターに乗る段階で男女が分かれており、フロアーも別。若い女性に配慮した作りのようで、基本的に若者が泊まっていた。ということで部屋は冷房で寒いが調節できない!部屋にはベッドしかなく、PCを使うなら共有スペースで、トイレバスも共有ということだ。まあこの値段だから良しとしよう。1階にも広いスペースがあり、自販機が置かれ、飲み物やアイスも買えるようになっている。コンビニにすら行かなくてもよい体制だ。

 

明日は朝早く駅に行く必要があるので、取り敢えず予行演習で夜道を歩いて見た。大きな道をまっすぐ10分ぐらい歩くと着いた。取り敢えずこれで憂いは無くなる。板橋もそこそこに発展した街で、ショッピングモールもあり、台北までも遠くないので、ここに住むのもありかなと思う。駅は地下鉄駅から入り、台鐵の駅を探す。かなり広い。待ち合わせ場所を確認して戻る。

 

戻ってから上の階の浴場で風呂に浸かる。さすがに入っている者はいない。コインロッカーも完備され、完全に日本仕様だ。明日は早いので早々に寝ようとしたが、電気は完全に暗くならず、隣の部屋との仕切りも完全ではないので落ち着かない。明日起きられるかも心配になり、更に眠りは浅くなる。

 

1113日(日)
瑞穂へ

 

5時前に起きた。頭が朦朧としている。それでも荷物を整えて、部屋を出た。フロントに鍵を返して、荷物を引っ張って夜明け前の道を歩き出す。さすがに車は走っていない。思ったより早く駅に着く。今日はUさん夫妻と一緒に出掛けることになっていた。待ち合わせ場所のモスバーガーには既に2人に姿があった。早い!

 

6:49板橋発のプユマ号は定刻に出発した。台鉄で自強号の上を行く、最も速い列車と聞いた。車内も若干よいのだろうか。さすがに板橋では満員にはなっていないが、台北駅でどっと乗り込み、満員になる。この列車の切符、特に週末を取るのは難しいとのことで、今回はUさんにお願いして全てやってもらっていた。それから3時間、うとうとしている間に東海岸へ出て、いつの間にか花蓮を通り過ぎて、瑞穂に着いたのは10時前だった。

 

 

 

2. 瑞穂
蜜香紅茶へ

 

駅に着いたが、連絡していた迎えは来ていなかった。今回はUさんのお知り合いに紹介してもらい、蜜香紅茶の高さんのもとを訪ねることになっていた。連絡してみると、もう着いたのか、と言って慌てて奥さんが来てくれた。この奥さん、ただの奥さんではない。有名な評茶師の粘さんだ。

 

駅前には少しの建物があるばかりで、車はゆっくりと坂を上っていく。途中に急須のモニュメントが見えたので停まってもらった。ここが北回帰線の場所だという。急須には瑞穂蜜香紅茶と書かれていた。実は瑞穂に来たのは初めてではない。14年前、台湾一周温泉旅行をした際、紅葉温泉というところへ行くため、ここで降りて1泊したのだ。その時の様子はあまり覚えていないが、蜜香紅茶の名前を聞いた記憶がない。あの時は四季春の烏龍茶だったような気がする。そして茶業はもう難しい、儲からないから大陸へ出稼ぎに行くと言っていたようだったが、如何にして持ち直したのか。

 

粘さんの店に着く。きれいなお店だ。粘さんの一家は1960年代に彰化の方から移住してきたらしい。粘という姓は極めて珍しいが、聞けば満州族の末裔だとか。蒋介石と一緒に大陸から渡って来た外省人なのだ。彰化ではパイナップルを作っていたとか。1970年代に茶樹を植えはじめ、今では彼女の一族が、この地で茶業の先頭に立っている。興味深い。

 

話していると、日本人も時々来るという。MさんやKさんの名前が出てくる。昔からここの紅茶に注目していたようだ。蜜香紅茶は1998年に彼らによって開発されたという。ただこの名前は普遍性があり、商標登録はできなかったため、その後多くのところで使われているが、それを阻止することはできないのだともいう。だから品質を高め、他に負けないように努力するしかないと。最近日本でも東方美人と並んでよく聞く名前になっている。

 

ご主人の高さんも戻って来た。製茶などの技術的な話が始まる。店の隣に展示館があり、そこに茶業の歴史や茶の種類の展示が行われている。その向こうに製茶室がある。高さんは1980年代に茶業をスタートさせたという。この地区は勿論、全台湾でこの夫婦は既に有名人である。店の向かいを見ると、実に古びた舞鶴国民小学校があった。そう、ここは昔から舞鶴と呼ばれていた地域であった。因みに鶴岡村もあり、瑞穂も含めて日本の地名だな。

 

高さんにお昼に行こうと誘われる。天気の良い日は気持ちがよい。牧場と書かれた広い敷地へ着く。フレッシュミルクの火鍋、珍しい。店内は日曜日ということもあり家族連れで超満員、何とか席を確保する。牛乳と汁が鍋に入っており、そこに牛肉やキノコ、野菜などを入れて食べる。何となく楽しい。

台湾一周茶旅2016(2)急展開のお茶屋巡り

昨晩は永康街に出向く。料理人SさんとKさんの3人で食事をした。食事開始が遅くなり、Kさんが遅れてくると、8時台には閉店の時間になってしまった。話したりないので、どこかでお茶でも、色々と探したがなかなか手頃な場所がなかった。回留など茶館、茶荘がきれいに並んでいたが、どれも入る気になれなかった。結局チェーン店のカフェの地下でダラダラと話し続けた。台湾でも気楽に入れるお茶屋というのはないもんだな。

 

昨日FBをやっていたら、台北に転勤になっているSさんと連絡を取り、会うことになった。指定されたカフェは宿から歩いて行けそうだったので、歩く。結構日差しが強く、暑い。小さな公園の脇にそのカフェはあった。いいカフェは一杯あるのだ。Sさんの外の席に腰かけて、PCを打っていた。休日も仕事をしているのだ。

 

それにしても気持ちの良いカフェだ。ちょうど昼時で店内は満員だった。私は昼を食べていなかったので、おしゃれなセットを注文した。こんな食べ物、久しぶりだな。色々と話しているうちに、お茶の話もしてしまった。先日三峡にある旧三井の工場へ行こうとしたが、バスが分からなくて断念したというと、『それなら今から私のバイクで行こう』と言われてびっくり。少し型破りな駐在員、Sさんはバイク好き。それに乗っけてもらうことになった。

 

Sさんの家まで行き、ヘルメットを探してバイクに乗る。ところが、走って5分もしないうちに雨が降り出してきた。『田舎の山道で雨だとちょっと危険かな』ということになり、取り敢えず様子を見るため、高架下の花市に避難する。ここは台北でも有名な市場で多くの人が花や植木を買いに来ていた。

 

結局雨は小降りにはなったが、今回は行くのを断念した。じゃあ、何をして過ごすか。ふと周囲を見ると、何となく見覚えのある道だ。そうか、この近くに陳先生の店があった。ちょっと行ってみようかなというと、Sさんも行ってみたいというので、歩いて探し出す。10分ほど歩くことになったが、バイクはそこへ置いていく。

 

陳先生の店にはお茶好きの台湾人がたくさん集まってお茶を飲んでいた。そこへいきなり割り込んだ。『あんたは確か、前回鉄観音持ってきた日本人だな』と覚えていてくれた。今日はどう見ても商売のモードではない。あたりを見回すと、港口茶という文字が目に入る。これは何だ、と聞くと、何人かの台湾人が『これは台湾最南端の緑茶だが、しょっぱくてね』と、飲みたくないという意思表示をした。それにすごく興味を持つ。なんで台湾に緑茶があるの。しかも台湾人が好まない緑茶が。

 

結局陳先生に、港口茶と瑞穂のお茶農家を紹介してもらった。これからどこへ行こうかと悩んでいた私に光が差した。今回の茶旅は東部から南部へ行こう。そして東部の茶業の変化を見て、港口茶の謎も見ていこう。外へ出ると、Sさんが『なんか面白い世界があるんだね』というのでビックリした。お茶には興味がないと思っていたが、急に興味が沸いたらしい。

 

それならと、もう一つ、比較的近くの店を訪ねた。ここには10年以上前に一度来て、昨年も来たが店主が講義中で話せなかった場所だった。行ってみるとちょうどお客は居なかった。店主も『よく来た』と言ってくれたので、中へ入る。実はFB上でお互いの動きは時々見ているので、凄く久しぶりといった感覚はない。

 

このお店の林さんは元エンジニア。こだわりが強く、自ら焙煎技術を開発した。高密度焙煎、ちょうど焙煎中でいい香りがそこはかとなくする。また茶葉を固めてバスケットボールぐらいに丸めている。長期保存のため、このような形にして、欲しい人は1つずつ買って何年も保存するらしい。何だかお茶にもいろんな形が出てきた。焙煎好きな私はここのお茶が飲みやすい。Sさんも美味しいと言って、1つ買っていた。これから本格的にお茶にハマるかもしれない。

 

あっという間に日が暮れていた。バイクで宿に送ってくれるというので乗り込んだら、途中で夕飯を食べようということになり、熱炒でご馳走になってしまった。宿に戻ると既にチェックアウトした荷物を持って、地下鉄へ向かう。この宿、昨日は満室というのを何とか泊めてもらったが、今日は本当に満室だから、と追い出されていた。

 

明日は朝早くい板橋駅からプユマ号に乗るので、思い切って板橋に宿を予約してみた。地下鉄でもそう遠くないし、ちょうど良い機会だった。板橋の一つ前の駅で降りて、指定された住所へ向かった、それらしきホテルは見当たらない。どうみても民家だったが、その住所の呼び鈴を押すと『ここじゃない、住所はXXだ』と早口で言われ、怒られる。何と予約サイトの住所が間違っており、きっとこれまでも何人もの外国人がここのベルを押していたのだろう。

 

仕方なく電話してみるも、こちらも繋がらない。この予約サイト、世界的なものだと思っていたが、これはかなりひどい。さっきの早口の住所を思い出してみると、番号は近いがちょっとズレているのに気が付き、そこへ行ってみると、何と立派な宿があるではないか。フロントでそれを話したが、そうですか、という素っ気ないマニュアル対応だったが、感じは悪くない。

台湾一周茶旅2016(1)雨の基隆で体調が

【台湾一周茶旅2016】 20161110-20

 

豊原・台中・鹿谷茶旅の後、所用で4日間ほど深圳、そして香港へ行ってきた。中抜けである。そこから桃園空港に戻った私は、次の旅のために台北へやってきた。今回も相変わらずのご縁の旅となり、色々とご紹介を頂き、気が付けば、結局は台湾を一周する羽目になってしまった。嬉しい悲鳴!

 

1110日(木)
1. 台北(基隆)
台北のホテル

 

深圳からのフライトは夜の9時過ぎにランディングした。1週間前も入国しており、ルーティンは同じだったが、心配なのは、シムカードが買えるかどうか。走ってショップに行くと、9:4810時閉店に何とか間に合った。今回は10日間のシムを買う。これで通信問題は無くなったと思ったのだが、店員も急いでいたのだろうか。

 

バスで台北駅へ向かう。いつもの宿へ行くのには、台北駅まで行かなくても国賓大飯店で降りた方が速いのに気が付き、途中下車。私しか下りなかったので運転手は面倒くさそうだった。宿に辿り着くと予約がされていたので、チェックインはできたが、満室らしく、いつもの部屋よりいい部屋しか空いていなかった。

 

部屋にはベッドは3つもあり、デラックスだった。しかも明日は完全満室で宿泊延長はできないと通告されてしまう。確か9月に来た時、フロントの女性が『お客さんが減っていて』と愚痴をこぼされたので、いつでも空いているものと錯覚してしまった。どうしよう。まあ取り敢えず寝るしかないな。

 

1111日(金)
基隆へ

 

翌朝はかなりゆっくりと起き上がった。やはり中国大陸へ行くというのはいつでも疲れるものなのだ。昨日買った携帯シム、何となく作動していないようだ。困った。近くのショップへ行くと、何と開店は11時半となっている。少し離れた直営店へ行くと、さすがに開いていた。11時半開店なんて、どんな運営しているんだか。スマホを差し出すと係員がちょこちょこ触って繋がるようにしてくれた。

 

腹が減ったので、魯肉飯と肉羹を食べる。大陸での濃い目の飯に飽きたら、こういう物が有り難い。今日はちょっと天気が心配だったが、特に予定がなかったので、午後から基隆へ行ってみることにした。台北駅の自販機で切符を買い、電車を待つ。向かい側にはプユマ号が停車していた。これが台鉄で最も速い電車らしい。私もこれに乗って花蓮方面を行くことになっていたが、今日は反対側に来た普通電車に乗り込む。

 

電車はのどかに走っていく。乗客はさほど多くはなく、ゆったりと座れる。だが車内の冷房が寒い。体調が悪いのだろうか。基隆に行くのは何十年ぶりだろうか。全く覚えていないが、20年以上前だろう。前回この路線に乗ったのは2002年の九份行き以来ではなかろうか。何となく覚えのある駅もあるが、初めての感覚だ。

 

1時間で基隆駅に着いた。今回はガイドブックも何も持っていない。どこへ行けばよいかもわからないが、逆に気が向いたところへ行けばよいという気楽さがある。駅は工事中でちょっと不便だった。駅前には昔風の建物が建っているが、すごく古いという訳でもない。駅前を少し行くとすぐに港が見える。決して大きくはない、小さな入り江という感じだったが、きれいになっていた。老人が港を見ながら、休んでいるのが落ち着く。

 

その先の道に入りこむと、昔風の細い街が繋がっている。日本時代に呉服屋があったとか、食堂があったとか、そんな場所だ。更に行くと中正公園と書かれており、かなり急な階段を登る。息が切れる。何だかとても疲れてしまった。公園は高台にあり、基隆の港が一望できた。記念館など見る物が色々とあったようだが、更に登って行ってまた戻るのはとても面倒だったので引き返してしまった。

 

下に降りて街を歩くが何とも歩が進まない。かなりゆっくり港の周りを一周して、それから古い街の一角を歩き、なんとなく建物が懐かしいな、昔の港町の名残があるな、とは思いながらも、足が駅の方へ向いてしまった。パン屋でパンを買って、電車に乗り込む。何のために基隆に来たのか、全く意味が分からなくなってしまったが、小雨も降っている、ということで、退散する。電車が台北に近づくと、急に晴れ間が見える。そうだ、『雨の基隆』、年間200日以上は雨、と昔教わったな。

 

台北に戻ると急に元気が出てきた。やはり太陽があると体が回復するらしい。体は日の光を欲している。いつもなら馴染みのお茶屋さんに顔を出すのだが、最近どうも足が向かない。自分は茶葉を買わないで茶の歴史など聞きだすのだから、お茶屋さんにとって決して良い客ではない、邪魔してはいけない、と気持ちが出てきた。堯陽茶行、先日福建省安渓でも目撃し、香港の店にも顔を出したが、きれいな土産物店のようで、気楽に足を踏み入れられない。

 

1112日(土)
突然のお茶屋巡り

 

今朝は洗濯物が溜まっていたので、洗濯しようと思ったが、コインランドリーには洗剤がない。仕方なく洗剤を買いに行くのだが、コンビニでも大きな洗剤しか売っていない。こんな大きなものを持ち歩くのは嫌だ、とダイソウに探しに行ったが何と店は閉まっている。その横の似たような店で探すも小さなものは見付からず、それでも一番小さなものを買うとベトナム製だった。そんな時代か。

豊原・台中・鹿谷散歩2016(6)劇的な出会い

南投県のブースにはさすがに茶に関するものも多少あり、茶業改良場が展示を行っていた。茶業の歴史がかなり詳しく紹介されるという珍しい内容だったので、食い入るように見入る。Uさんはお知り合いの黄さんを見つけて、話し始める。黄さんは以前魚池の改良場にいたが、今は本場に転勤になっていた。

 

茶の歴史に詳しいので色々と聞いているうちに『実は5年前に魚池の改良場を訪ねたことがある。徐先生のご紹介であり、おまけに新井さんと一緒に働いていた楊さんまで紹介してもらった』と話すと、その後すぐに徐先生が亡くなって残念だった、と彼は言うのだ。どうしてそんなことがすぐにピンと来るのかと思っていると『実はあなたが来る前日徐先生から電話を受けたのは私だから』というではないか。当日は出張でいなかったが、彼が私のアレンジをしてくれていたのだと、初めて分かり、そのご縁に驚いた。Uさんも『なんだ、知り合いだったのか』とつぶやく。初めて会った知り合い、こういうことがたまに起きるから茶旅はやめられない。

 

さらに話していると、一昨日の中興大学での茶業検討会で、黄さんは陳場長のお供で私のすぐ後ろに座っていたことも分った。『参加者から日本人が来ているとはきいていたが、まさかあなただったとは』と向こうも驚いている。お茶のご縁とはそんなものかもしれないが、台湾茶業についても今度ゆっくり話を聞いてみたい。

 

黄さんは本当にいい人だった。試飲のブースの茶業者がランチに行ってしまうと、政府の偉い人なのに、自ら茶を振る舞っている。何とも気さくだ。更にUさんと私を誘い、奥さんも同伴して、ランチに連れて行ってくれた。後ろのブースに屋台が出ており、美味しそうな物を選んで買ってくれた。ぶらぶら歩いていると、野菜や果物も売られており、南投が農業県なのがよくわかる。茶を売っている人々もおり、黄さんには色々と声がかかる。皆が非常に仲良しなのが面白い。

 

黄さんと別れて帰路に就く。夕暮れ前、街を走っていると、『立派なケンタッキーがある』とUさんが声をあげる。寄りたければ寄ろうよ、と言ったものの、腹は満腹状態で食べ物は入らない。鹿谷にはこういう物がないという。確かに数日居るにはよいが、長居すると食事に飽きてしまうのだろう。

 

その夕食をどうしようかと、鹿谷に帰っても頭を悩ませる。洗濯物を取り込むと日が暮れたので、取り敢えず外に出る。ちょっと行くと、なんと日本のおでんの屋台のようなものがある。鹿谷関東煮というのれんまでかかっている。最近始めたという地元の台湾人が作っていた。恐る恐る覗き込むと、何とも美味しそうな大根が煮えていた。ちくわやつみれも取って、頬張る。味は台湾風であったが、それなりに美味しい。最後にサービスです、と言って出されたリンゴも、煮込まれていたが、これが意外や美味しいのでビックリ。疲れていたので、帰ってしばらくしてぐっすり寝込む。

 

117日(月)
桃園へ

 

翌朝はゆっくり起きる。そしてダラダラとお茶を飲んで過ごし、11時のバスで鹿谷を後にした。今回も最後までUさんには世話になった。バスはちょうど1時間で高鐵台中駅に着く。ここから、バスで桃園へ向かうのはちょっと不便なので、思い切って高鐵に乗る。高鐵料金はバスの2倍近くするので急いでいなければ安い方にするのだが、仕方がない。

 

高鐵は昼間でも結構混んでいる。自販機で切符を買えるのだが、1000元札を入れるとお釣りが全て50元硬貨で返ってくるという困ったことになるので、敢えて窓口へ並ぶ。高鐵は頻繁に出ているので、すぐに乗車できてしまう。高鐵桃園駅までは40分ぐらいだろうか。確かにバスより快適だ。

 

ここでバスに乗り換えるのだが、来る時もそうだったように、空港行バスは常に混んでいた。というより、バスの座席数が少なすぎる。大きな荷物を抱えて乗り込むためか、立って乗車することはできない規則のようだ。バスが来ても少し列が短くなるだけで、すぐに行ってしまう。係員も人数を数えて切符を売っている。30元。かなり非効率だ。

 

バスが来たがまた切符を売ってもらえないかと諦めていると、何とか1席あり、乗り込むことができた。乗ってしまえば、15分位で空港に着く。しかし急いでいる、特に出発が迫っていれば、焦るだろうな。空港に入ると、ちょっとしたトラブルに見舞われる。不満が残ったが、仕方がない。ネットでチケットを買うと、確認できないこともあり、怖い。台湾でもこんなことがあるんだな、気を付けなければと自らを反省する。

 

時間がかなりあったので、上の階にあるモスバーガーで時間を潰した。ここは電源もあり、Wi-Fiも通じるし、そんなに混んでいないので、暇つぶしにはちょうど良い。PCを立ち上げ、原稿などを真剣に書いていると、あっという間に時間が経ち、危うく乗りそこなう時間になりそうだった。急いで出国審査に向かう。これから急きょ、深圳へ飛ぶのだが、そこでは何が待っているのだろうか。出国審査よりも、荷物検査に時間が掛かっている。この辺は日本と並んで丁寧な台湾であった。

豊原・台中・鹿谷散歩2016(5)鹿谷から南投へ

4. 鹿谷
鹿谷茶散歩

 

バスを降りると、そこには包装屋さんがあった。Uさんはそこで茶を飲みながら待っていてくれた。そこへ元鹿谷農会長の林さんが散歩で通りかかり合流した。いきなりここでこの秋のお茶談義が始まるのが流石鹿谷。包装屋のご主人は、わざわざ自分で焙煎したという茶を飲ませてくれたが、これが実に濃厚?で、味わい深く、私の好みだった。余程分けて欲しいと言いたかったが、そのチャンスに恵まれずに、ここを去る。鹿谷は誰がどんなお茶を持っているか分らないから、侮れない。

 

次に連れて行ってもらったのは、張さんのところ。ちょうど焙煎中で、忙しそうだったが、相手をしてくれた。私はよく知らなかったが、彼は元改良場にも勤務し、茶作りのプロとしても有名な人だった。日本では10年ぐらい前に今生無悔、という名のブランドのお茶を出していたらしい。確かにここのお茶も味わいが深くて好みだ。昔風の味がする。彼に質問をすると色々と紙に書いてくれたのだが、実はよくわからなかった。茶業はやはり奥が深い。

 

昼ご飯を食べようとバイクを進めたが、これはというところがなかった。折角だから新しいところにトライしようと、新しくできたラーメン屋さんに入ったが、味はよく覚えていない。鹿谷も少しずつきれいなお店が増えてきたことは事実だ。もう少しバリエーションがあると嬉しいところだろう。

 

午後はバイクで山の方へ向かう。何でも台湾大学の管理している茶畑があるというので行ってみた。そこは今宿泊可能な施設となっており、週末は観光客で賑わうのだという。今日は土曜日なので、ぼちぼちマイカーで上がってきたお客が来始めていた。製茶室があるようだったが立ち入り禁止だと止められた。

 

山の斜面に沢山の茶樹が植わっていた。ここは台湾大学の実験場なのだろうが、ある意味でもう役割は終わっているのかもしれない。この茶樹園の脇の道の奥に、日本統治時代に植えられたアッサム種の茶樹があると聞いたので、見に行ってみた。確かにかなり高くなっている喬木である。ただ全体的に入場料を払ってまで見る価値はなさそうだった。

 

帰りにもう一軒お茶屋さんに寄ってみたが、ここは珍しいお茶が集まる場所だという。茶葉は単純に製茶するだけでなく、焙煎を掛ける等、色々と加工が必要な場合がある。その辺がよくわかっていれば非常に勉強になるのだろうが、どうも関心が薄いのでうろ覚えである。折角行くのだから、勉強する姿勢を見せるべきだな。いや姿勢ではなく、実際に勉強しなければ。

 

今回はUさんが泊まっているところに転がり込んだ。その辺に茶葉が無造作に置かれており、茶の味見をすることもできる。夕飯に出掛けるのも一緒なので楽だ。有り難い。魯肉飯とおかずを食べて、満足する。夜は昨今のお茶談義で過ぎていく。これもまた贅沢な時間というべきだろう。

 

116日(日)
南投へ

 

朝起きると爽快だった。天気も良い。朝ご飯はハンバーガーと豆乳を買いに出る。こういう朝飯が好ましい。近所のお客で賑わっている。今日は特にやることもないので、南投市へ行ってみることになった。時間はたっぷりあるので、何とここで洗濯させてもらう。旅の間に1度でも洗濯できると随分と違うものだ。ちゃんと干すところもあるので、雨でも降らない限り、これで大丈夫だ。ちょっとお茶を飲んで出掛けることに。

 

そこへ昨日の張さんがやって来た。何か届け物があったようだが、何と私にもお茶を頂いた。これはサプライズだった。是非日本に帰って皆さんで飲みますと伝えた。その後エコ茶会でこの茶を飲んでみてびっくり。すごい果実の香りがあり、飲んだ人から大好評となる。是非売って欲しいとも言われたが、私はお茶屋ではないのでそれができないのは残念だった。

 

Uさんのバイクの後ろに乗り、一路坂を駆け下った。結構怖いと思うところもあったが、バイクはどんどん進んでいく。南投の街に行くのはこれが初めてではないかと思う。前回日月潭から埔里へはいったが、それも車だった。街を抜けて橋を渡ると、南投の農業博覧会の会場が見えてきた。嘉義や新竹など台湾各地区がブースを出している大掛かりなイベントだった。

 

我々は取り敢えず、南投のブースに入る。農業博覧会というだけあって、農産品の展示が多い。後で他のブースを回っても、台湾にはこんなに農産物が豊富だったかと驚くほどに、様々な物があった。牧畜業などもあり、フレッシュなミルクも牛肉も作られている、フルーツもどんどん甘くなり、以前は日本に来て買っていたリンゴなども本格的にこちらで栽培されている。

 

この博覧会は、特に今日のような週末は家族連れが遊びに来るのに絶好のイベントとなっている。ちょっとした遊ぶスペースがあり、美味しいものがあり、子供向けの飾りも多いのがそれを物語っている。日本でも各地区で行われているとは思うが、このように大規模に、そしてたくさんの地域が連携して参加するイベントこそが必要ではないだろうか。