台湾一周茶旅2016(8)運転手に台湾語で怒鳴られる

4. 鹿港
鹿港街歩き

 

終点でバスを降りたが、この辺が中心なのだろうか。食堂などは沢山あるが周囲にホテルも見えず、方角も分らず歩き出す。ちょっと行くと昔の旅社のようなところがあったが、やっているのかどうかもわからない。更に歩いて行くと似たような宿があり、フロントのおばさんが親切だったので、そこに宿を取る。1泊、800元。かなり狭い奥の部屋だったが、この建物自体は歴史的建造物だろう。ちょっと洋風の作りだが、中華風の雰囲気もある、面白い建物だった。

 

昼を過ぎていたので、おばさんにこの辺の名物を聞くと『あの斜め向かいの店の肉包で有名になったが、実は地元の人はあそこでは買わない』という。確かに見てみると、長蛇の列ができている。ガイドブックにも載っていた。私はおばさんに言われた、その近くの別の店で肉包を買って食べたが、これは肉汁がこぼれて旨かった。有名店のは食べていないので比較はできないが、行列は全くなかった。

 

鹿港は小さな街だった。少し歩いて行くと、九曲巷という、この街の名所である路地に入った。くねくねと小道が曲がっており、そこに古めかしいレンガ作りの家などが建っている。そして人々が今も住んでいる。暑かったせいか、それほど懐かしい気分には正直ならなかった。さっと抜けてしまう。

 

その先には市場があった。その周辺には色々な食べ物屋が出ており、先ほどの肉包だけでは足りなかった私は、更に食事を探した。何となく笑顔のおばさんがいたので、フラッとそこへ入る。午前中しかやっていないという店、麺線糊という独特の食べ物が出てきた。普通の麺線と変わりはないようだったが、これはうまいと一気にかき込む。おばさんがもう一杯食えというので、また明日と答えて去る。だがその斜め向かいの肉丸も捨てがたく、そこにも座って食べてしまう。

 

古市街という観光のための道があった。きれいに修繕されてしまった、こういう道はあまり好きではないが、ふらふら歩いて見ると、所々に古びたものがある。土産物屋を覗き込むと麺茶というのが目に入り、思わず立ち止まる。店のおじさんが待ってました、とばかりに紙コップに入れて飲ませてくれたが、これは勿論茶ではなく、麺の粉と砂糖やゴマを交ぜた食べ物?だった。何で茶なんてつけたんだろうか。

 

適当に歩いている。元の方に戻っていくと龍山寺という古刹もあり、古い木が植わっている。海は見えないかと思って歩いたが、文武廟などが出てくるものの、それらしきものはない。昔は鉄道駅もあったようだ。今も線路の一部が残り、駅舎もきれいに建てられていた。日本時代に台糖が輸送に使っていたらしい。

 

 

メインの中山路を歩けば、結構古めかしい建物が続いている。ここ鹿港はある意味で発展が止まってしまった街なので、このような建物が残っているともいえる。ただそれほど見る所も多くはないので、大抵は台中あたりからの日帰り観光の対象になっており、宿も少ないということだ。

 

疲れたので宿に帰り、テレビを点けると、なんと日本の大相撲中継が目に入る。この古ぼけた宿でもNHKが映るのか、さすが台湾だと感心した。夕飯はまた市場へ行き、沢山食べた。台湾の古い街というのは、基本的にB級グルメがうまい。私のような貧乏旅行者には有り難いが、混んでいて席の確保が難しい。

 

1119日(土)
彰化へ

 

翌朝は早めに目覚めたので、昨日行かなかったところを歩く。古市街を突き当りまで行くとさすが港町、海の神様、天后宮が見えてきた。1591年創建というから古い。大陸から媽祖様を直接迎えた台湾唯一の宮らしい。流石に立派なところだった。この辺を見ると、鹿港が往時、有力な港で対岸の福建との交易で栄えたことが見受けられるが、現在は港そのものが見られないので、何となく空虚な街という印象だ。

 

鹿港にもう用はないので、彰化に向かうことにして宿を出た。少し行くとバス停があり、いくつかのバスが来ることになっていた。だが何時に来るのか、今一つよくわからない。そうこうしているうちに、バスがやって来た。何人かが乗り込んだので私も乗り込み、運転手に『このバスは彰化に行きますか?』と中国語で確認した。

 

ところが、運転手は黙ったまま、手のしぐさで早く行けという態度を取った。これでは彰化へ行くのかどうか分からなかったので、再度聞いたところ、今度はものすごい勢いの台湾語で怒鳴り出したので、こちらが驚いた。勿論意味は分からない。更には私が手にしていた悠遊カードをひったくり、勝手に機械にかざしてしまった。こんな礼儀知らずの運転手は台湾でも、いやアジアでも初めてだったが、後ろの人も待っているので黙って座席に着いた。

 

彼は30代前半ぐらいだろうが、何か不満が溜まっていたのだろうか。それでも他の客にはそうではなかったので、私を大陸中国人と思ってそんな態度を取ったのだろうか。それにしてもひどい。余程彰化に着いたら、バス会社に突き出そうかと思ったが、面倒なので止めたが、台湾はいい人ばかり、と言った宣伝文句には明らかに反する例だった。台湾の負の部分を見る思いだった。

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