台南・高雄茶旅2023(2)朝は画廊で

取り敢えず外へ出た。台南は4年ぶりで、駅前宿泊も何度もしているが、未だに道を覚えない。ホテル前の広い道をまっすぐ歩いてみる。腹が減ったので食堂を探すと意麺の文字が見える。乾意麺を注文するといい感じだ。台南に来たら、まずはこれを食べないと始まらない。

すぐ近くに赤崁楼があった。ここは1653年にオランダ人が創設、もとはプロビンティア城と言われ、鄭成功も拠点とした場所。今や台南観光の中心地だ。台南に初めて来た1984年には見学したと思うが、今はかなりきれいになっている。近所に天后宮などもあり、古き良き台南だった。

天后宮の横の細い路地を入っていくと、古い茶荘が見えた。その先に武廟がある。先日茶商公会で聞いたのがここの歴史。何とここには1818年に茶商の集まり(茶商組合の前身)が寄進した記録が壁に残っているというのだ。台湾最古の茶商はどこだ、という話を前に追いかけたことがあるが、1836年というのが一番古かった。この茶荘は今でも台南にあるが、それより以前に台湾には茶商がいた、しかも1つではないとなると歴史はどうなるのだろうか。

とぼとぼと駅まで戻る。駅の中は相変わらずレトロだが、改修中の足場などが何となく痛々しい。ここにステーションホテルが出来るのだろうか。我がホテルへ行き、チェックインして部屋に入る。それほど良い部屋でもなく、料金はそれなりだからコスパは良くない。唯一良いのはレトロな雰囲気だろうか。

少し休むと夕飯の時間となる。小雨が降り出したので近くで食べようと探すと、ちょうどよい雰囲気の食堂があった。外にメニューが出ていたので、それをゆっくりと眺めていると、おじさんが『早く注文しろよ』と華語で言い放つ。私は困ってしまい、華語がたどたどしくなる。すると奥さんが旦那に向かい『あんた、外国人が一生懸命中文で話そうとしているのになんてこと言うんだ』と怒ってくれた。何とも有難いのだが、何とも言えない気持ちになる。

台南名物?虱目魚魚肚湯と肉燥飯(南部では魯肉飯はない)を注文して席に着くと奥さんがやってきて『野菜も食べた方がいいよ』と言ってくれたので、追加注文する。ちょうど向こうのテーブルには日本人観光客がいて、楽しそうに日本語で話していたので、思い切って日本語で注文すればよかったな、と思ってしまう。

出てきた料理はとても美味しかったが、何となく後味が悪かった。だが会計をするとおじさんが『あっちの食べ物もうまいぞ。今度また食べに来てくれ』と笑顔でいうではないか。余程奥さんの忠告が効いたのだろうか。本人もかなりバツが悪かったのだろう。何となく晴れやかな気分にはなった。

5月24日(水)朝は画廊で

翌朝はゆっくり起き上がる。食欲に乏しく、部屋でゴロゴロする。朝8時半にチェックアウトして荷物を預けて、出掛ける。今日は台南在住のDさんと会う予定になっていたが、指定された場所は何と画廊だった。しかも画廊が開く前の時間、オーナーに日本語を教えているので、一緒にどうかという。

街の中心にあるその画廊は、かなり奥ゆかしい建物だった。日本的な窓枠、階段、中庭などもある。2階の一室で日本語の授業が始まる。Oさんとは8年ぶりだが、その時は蕎麦屋を開店しようとしていた。その後コロナ禍で蕎麦屋を辞めて、台湾の歴史本を翻訳して出版するなど活躍している。音楽なども行い、実に多趣味な人材だ。

Oさんの授業はかなり実践に即しており、今日はオーナーの娘も参加して、日本の話題を話している。彼女は京都が好きで住みたいらしい。かなり京都関連について勉強している。なんだか楽しく1時間話している内に授業は終了した。こういう授業であれば飽きないだろうな。

その後画廊内を見学する。台湾人の画家の絵が掛かっていたが、何と彼の先祖は西夏だというので驚く。私は潮州人を追いかけてみたが、台湾にはもっと様々な民族がいるということが分かり、益々興味が沸く。この画廊には日本人の作品が展示されることもあり、その作品は人気で、よく売れるという。こんなところにも繋がりがある。

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