中壢台中茶旅2023(1)中壢のミャンマー人村へ

《中壢台中茶旅2023》  2023年6月1日-2日

今年の台湾滞在の最後に中壢に行く。そしてなんと翌日は日帰りで台中へ向かう。何となく慌ただしくなったが、とても重要な情報を得て、非常に貴重な面談を果たした。やはり大切なことは動くことだ。

6月1日(木)ミャンマー人村へ

今朝は雨が降っていた。待ち合わせ場所である台北駅へ何とか向かった。中壢行きのバス停はすぐそこだが、雨が強すぎて行くのを躊躇する。同行してくれるTさんは駅舎内のマックで朝ご飯を買っている。時間が来たので雨の中を走り抜け、バス停に着くとちょうどバスが来る。時刻表より少し早いが乗り込むとすぐに出て行く。この辺のいい加減さがバスにはある。

バスで約1時間走ると、中壢のバスターミナルに着いた。ここからバスを乗り換えて、目的地、龍岡へ向かう。私一人ならバスの乗り換えも迷っただろうが、Tさんが一緒なので、実にスムーズに進行する。4年前に来た中壢、最初は見たことがある風景であったが、その内全く知らない所へ向かっていく。

20分ほど乗って、忠貞というバス停で降りる。そこは台湾ならどこにでもありそうな田舎町。すぐに路地に入ると市場に繋がっている。野菜などが売られており、その先にTさんお目当てのナーン屋さん?があったのだが、残念ながら今日は閉まっていて食べられなかった。この店に清真の文字が見えた。

その先には中華民国の国旗が無数にひるがえっている。国旗屋と書かれたその店は、本当は何屋なんだろうか。この辺から、この街が普通ではないと思い始める。そこから径に入ると、イスラム教会、龍岡清真寺が見えてくる。その規模はかなり大きく、回族が多く住んでいることを窺わせる。

当初は1960年代に建てられたというこの寺、当日は中に入ることは叶わなかったが、かなり立派な造りとなっている。現在の形になったのは1980年代だろうか。そして説明書きにも、1954年にタイ・ミャンマー北部から移動していた国民党系の人々について書かれており、ここも所謂ミャンマー人村の一つだと分かる。近所にはタイ・ミャンマー雑貨を売る店がいくつかある。

それから異域故事館を訪ねる。ここは見るべきということでTさんが予約していてくれた。タイから戻った人が立ち上げた展示館で、多くの資料があるらしい。時間になると予約した人々が集まり、ガイドが華語で説明しながら、展示を見て回る。オーナーが収集した数々の武具や写真が目を引く。

約30分見学する。ガイドも我々が日本人なので興味を持って、ここへ来た理由を訪ねてくる。残念ながら茶に関する展示はなかったが、タイ北部と国民党の繋がりを台湾側から見る機会を得たことは収穫だった。この国民党兵士の帰還に関しては、往時もかなりの温度差があったのだろうと感じる。

お昼は名物米干を食べに行く。かなり混んでいるが、何とか席を確保。米干とは『インディカ米を磨いて、ペースト状にして鉄板に載せて蒸す。出来上がったら、太い麺のようにカット』と書かれているが正直よく分からない。豚肉、豚レバー、卵が入っているのが定番。スープはあっさりしている。なぜこれが雲南にあるのか、今度タイ北部へ行って探してみよう。

最後に雲南文化公園へ行く。『魅惑の金三角』という文字が躍っているが、そこは老人がボーッと座っている、実に静かな公園だった。米干節などイベントの際は賑わうらしい。公園内には国民党軍の苦難の歴史なども展示されているが、普段は見る人もいないようだ。既に70年前の歴史となっている。

バスで中壢駅に戻った。何となく話し足りないので、カフェを探して入る。台湾のカフェはどこも実に独創的で、若者が丁寧にコーヒーを淹れている。そして接客も笑顔で好感が持てる。ここでTさんとまた歴史話を繰り広げてしまい、気が付くと辺りは夕方になっている。慌てて台北行きのバスに乗り込むも、台北駅には行かないようで、Tさんに教えてもらい、何とか最寄りバス停で降りた。

6月2日(金)鹿谷へ

翌日もまた出掛ける。今朝は高鐵で台中に向かう。7時台の高鐵に乗るのは今回が3回目。もう慣れたものだ。高鐵台中で下車して、すぐにバスに向かう。ここから鹿谷まで行くバスは渓頭行きで人気があり、コロナ前は乗車できないこともあった路線。今回はどうかと聞いてみると、今停まっているバスに乗れ、と指示があり、急いで駆け込むと、最後の一席が一番後ろに残されていた。やはりもうコロナは過ぎ、路線は完全に回復しているようだ。

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