台南・高雄茶旅2023(3)台湾糖業と逍遥園

そこからDさんの案内で食事に向かう。最初に市場を通ると、そこにおいしそうな麺があったが、もっと美味しいものがあるというので通り過ぎる。そして辿り着いたのは、昨日歩いていた赤崁楼の横だった。午前11時頃だったが、その店はお客で溢れている。何とか席を確保して、並んでいるおかずから好きなものを選び、肉燥飯と一緒に食べる。内臓系が旨い。美味い店は地元の人が一番よく知っている。ここでDさんの近況や将来などについて聞く。

台湾糖業で

Dさんと別れ、駅まで歩き、荷物を取りだして台南駅から電車に乗る。今日は高雄に泊まる予定だが、折角なので途中で寄り道。橋頭駅で降りる。駅から遠くを眺めると煙突が見える。その方向に10分ほど歩くと、台湾糖業が見えてきた。特にチェックもなく、自由に中に入り、参観できる。

入るとすぐに古ぼけた建物が見える。これは日本時代の物だろう。その前には巨大な木とそこに作られた防空壕があり、歩いていると時空を越えそうな雰囲気が漂う。ちょっと行くと当時の廠長宿舎がきれいに整備されていて我に返る。この先は糖業博物館と書かれていたが、門番のおじさんに聞くと『ここからすべて博物館だよ』と教えてくれた。そして私が日本人だと分かると、実に親切に対応してくれて嬉しい。

少し歩くと立派な、オランダ風の建屋が見える。ここは事務所だったらしい。その前に胸像がある。台湾製糖初期から携わり、社長も務めた山本悌二郎のもので、台糖と三井の関連を思う。建屋内にも色々と展示があった。その外に観音像が見えたので近寄る。これがあの初代社長鈴木藤三郎が作ったものなのか。つい先日彼の出身地、静岡県森町で見たものと同じようだ。この辺に深いつながりが感じられる。

そこから工場の方へ向かう。今も現役なのだろうか、大きな設備が見られるが、人は誰もいない。その向こうの倉庫跡が整備されて、イベントなどに使われているようだ。敷地がかなり広いので、既に暑さにやられ、疲れが出て来る。さっきの煙突があり、その向こうには鉄道が敷かれている。往時はこれで砂糖が運ばれたのだろうか。

何とか一周回ってさっきのおじさんに挨拶する。『高雄へ行くなら、その先に駅があるよ』とこれまた親切に教えてくれた。敷地を出るとすぐに廟があり、その向こうにMRT橋頭糖廠駅があった。台鐵駅に戻るよりはだいぶ体力がセーブできた。高雄方面も詳しくないので、こんな交通手段があることに驚く。

高雄で

30分ほどきれいな電車に乗っていると、高雄駅に着いた。今日はこの付近に宿を取ったので、楽ちんだと思った。ところが高雄駅は改修中で、結構分かり難い。更に私の宿は駅の裏だったようで、更に分かり難い。何とか辿り着いたそこは、全く賑わいのない裏道。そして新しくできたらしいそのホテルのロビーは殺風景だったが、部屋はまあまあ。

まずは歩いて逍遥園に向かう。ここは日本時代末期、大谷光瑞が建てたもので、熱帯植物研究の基地だった。戦後は完全に埋もれ、近年解体の危機にあったが、何とか保存が決定し、ここに修復されたと聞いたので、見学に出向いた。旧市街地の一角にきれいに整備された場所が現れた。係員はいたが、見学は自由。参観者は多くはない。

和洋折衷の2階建て建物は1940年に作られた。その修復にどれだけのエネルギーが必要であったか、それをここでは展示している。勿論本願寺や光瑞についても語られている。実は私が知りたかったのは、光瑞が投資した茶について。唯一見付かったのは、光瑞の弟子の広瀬の写真かな。

フラフラ付近を歩いていると、何となく古い高雄にタイムスリップした気になる。私が初めてここへ来た約40年前、勿論随分変わっているが、関東煮や山本頭など、懐かしい文字も並んでいる。ただ賑わいという点では、残念ながら今は寂しい限り。全てが台北に回ってしまったのだろうか。

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