「マレーシア」カテゴリーアーカイブ

ペナンで老舗茶商を探す2019(3)ペナン散策

8月6日(水)
ペナン散策

今朝も天気が良い。朝食後、張さんから連絡があり、今日の午前中、茶荘に行こうと誘われる。場所はまたしてもちょっと郊外。タクシーで来て、と言われたが、昨晩で十分に慣れたので、余裕を持って出掛けた。だがほぼ現地までやってきても、住所だけでは、なぜか上手くたどり着けず、やはり電話で場所を聞く羽目になる。

 

人和茶荘は、そんな道路沿いにこじんまりとした店舗があった。張さんも車でやって来て合流した。ここも市内中心部からは離れており、小売りというより卸がベースなのだろう。安渓人の劉さんは、1952年にペナン最大の茶商、龍泉で働き始め、25年間務めた。元々岳父が経営していた人和に1977年に参加して、岳父が引退後店を引き継いだという。

 

龍泉の時代は、マレー半島東海岸を担当しており、交通が不便だったので2日も掛けて行っていたらしい。お客はマレー系が多いので、テダレの原料となる紅茶粉を売るのが仕事で、福建茶などは扱わなかった。キャメロンハイランドのボーティーは輸出用で、国内ではあまり流通しかなったともいう。

 

劉さんは80歳を過ぎても元気で、自らお茶を淹れてくれる。そして昔話はとめどなく流れていく。以前は六堡茶がかなり飲まれていたが、今ではプーアル茶に変っているように、お客の方向性はどんどん変わっていく。果たしてどのようなお茶屋が必要なのか、いつまであるのか、将来はかなり不透明な状況と言わざるを得ない。

 

張さんとも別れて、またバスで戻ることにした。スマホ地図に示されたバス停で待っているとバスが来たので乗り込む。まあ宿の近くに行かなくても港には行くだろうから、これに乗って行く。バスはかなりくねくねと運行しており、どこへ行くのかさっぱり分からない。20分ぐらい乗っていると、昨晩張さんが教えてくれた古い茶荘の近くに出たので、そこで降りた。

 

この付近は古い建物が多く残っており、チャイナタウンという感じで歩いていても楽しい。その茶荘、ちょうど昼時で店に人がいなかったので外から眺めるだけにした。ちょうど無料のバスが来たので思い切って乗ってみた。ペナンには無料で乗れるバスが走っており、実はこれが便利で市民も利用している。

 

無料バスで宿へ帰ろうかと思ったが、途中にきれいな建物が見え、思わず降りてしまった。コロニアルスタイル、なかなかいい。この付近には博物館もあるというので探してみると、いいデザインの教会も見えてくる。その横にあるはずだった博物館は、改修工事で遠くに移転しており、残念ながら見ることは出来なかった。

 

宿まで歩いて帰り、お向かいにあるマレー料理屋に入り、ミー・ゴレンを注文する。とてもうまそうな鍋の音が響く。なぜかこういう時のドリンクはコーラを頼むことにしている。ミー・ゴレンは焼きそばではあるが、福建麺とはまた違った味わいがありよい。料金も安い。宿に帰って休息する。

 

実はこの宿、当初2泊しか予約していなかった。もう一泊延泊を申し出るとフロントで言われた料金はどう見ても高い。フロントからもネット予約の方が安いと言われたので、予約してみたのだが、何と一段上の部屋を予約してしまったようで、『部屋を移動して』と言われてしまう。面倒だったが、仕方なく荷物をまとめて新しい部屋に行くと、ビューもよいし、バスタブなどもあり、かなり良い部屋になっていて驚く。それほど料金が違うわけでもない、最初からここにすればよかった。

 

 

部屋が気に入ったせいもあり、夕方までゆったりと休む。日が西に傾いたころ、部屋を出て、ペナンの夕日を探しに行く。だが海岸沿いは建物が建っており、なかなかいいスポットが見つからない。かなり苦労してようやく陽が沈むのを眺めたが、特に印象的な風景にはならなかった。街を少し散策すると、美味しいそうな食堂があり、叉焼などを食べる。

 

8月7日(木)
ハジャイへ

今日はペナンを離れ、タイのハジャイへ行く。ゆっくり移動するため、12時のバスを予約しており、午前中は部屋で過ごした。やはり体力がなくなってきている。歩いて10分のコムタに荷物を引いて行く。タクシーに乗るほどでもないが、暑さは厳しい。

 

コムタにある旅行社に行き、バスを待つ。12時過ぎてやってきたのは小型バス。乗客はタイ人、華人など数名のみ。まあ予定通りに行けばバスを乗り換えることもなく、国境を越えてハジャイに着く。ところがこのバス、ペナン島内で、更に乗客を乗せるため走り回る。予約していた中国人乗客はバスと遭遇できずに、怒りの電話を入れてくる。何とか彼らの場所に行くと、キャンセルだと言って乗ってこない。

 

ようやく半島側に渡り、高速道路を走ると快適。1時間ほどで国境に着く。国境には驚くほどに人がおらず、あっという間に出国し、少し移動して入国手続きを行い、何となくタイに入った。そこから更に1時間、合計4時間でハジャイまで行った。ここで一旦マレーシア旅は終了した。

 

ペナンで老舗茶商を探す2019(2)老舗茶荘と茶藝に巡り合う

そこから更に2㎞ほど歩いて、ついに老翁茶の店舗を探し当てた。看板を見る限り、ここが1929年創業だとは分かったが、例の資料にこの茶荘の名はなかった。中に入って聞いてみると、何と元の名前が資料にあった陳烈盛だと分かり、歓喜する。やはり残っていたのだ、こういう店が。置いてある茶道具や茶缶なども古めかしく、テンションが上がる。だがオーナーは不在で詳細は分からない。午後もう一度来て、と言われたので、一度宿に戻ることにした。

 

ただ流石ここから歩いて帰るのは辛い。私はGrabなどのアプリを使わないので、タクシーを呼ぶこともできない。近くにバス停があったのでみてみると、どうやら市内にはいけるようなのでバスを待つことにした。すると華人の年配女性が英語で『どこへ行くの?』と声を掛けてくれ、一緒にバスに乗った。

 

彼女はタイ生まれの華人で、5つ以上の言語を流ちょうに話せるらしい。聞いたら80歳近いというのに非常に元気で活発だ。これも華人パワーの1つだろうか。宿の近くでバスを下ろしてもらう。料金は1.4リンギ。バスに乗る時は行き先の距離により料金が違うので、行先が言えないと乗れないことを知る。

 

場所とバスルートが分かったので、午後はバスに乗って老翁茶へ向かう。店には3代目のオーナーがいて、暖かく迎えてくれた。そしてすぐに様々な資料を出して、見せてくれる。熱心に写真を撮っていると、あげるよ、と言って、茶商公会の本までくれた。更には奥に行き、元の茶荘名である張烈盛の看板も探して見せてくれた。

 

 

ここの一族は珍しく広東省から来た客家であった。お茶は安渓茶など中国茶を多く扱っており、現在も小袋に鉄観音茶などを詰めて販売していた。実はペナンでは老舗茶荘が後2つ、リストに載っていたが、残念ながら2つとも既に廃業しており、ここが一番古い茶荘になっているとの情報も得た。

 

お店を出て、またバスに乗る。途中にコムタという場所があり、そこがバスターミナルだと分かったので、降りてみる。ある意味で町の中心はここだった。私の次の目的地は、タイのハジャイになるので、そこへ向かうバスを探すと、意外と便利で安いのだと分かり、満足して歩いて宿へ帰る。

 

その途中、ちょうど食べたかった福建緬があったので、立ち寄って食べた。福建緬も汁ありとなしの2種類あるが、私は汁なしが好きだ。アイスレモンティーを加えても、8リンギほどで食べられるので、軽食にはお手頃でよい。取り敢えず宿へ帰り、今日の成果を見ながら、休む。

 

日が暮れた後、宿の隣にある、フードコート?へ出掛けてみる。規模がかなり大きく、多くの屋台が出ていて、食べ物の種類は豊富。外国人観光客などはここで食べる人が多いのかもしれない。私はサーモングリルとライスを注文した。ちょっと和食テイストで案外イケる味だった。

 

今晩はこれで終わらない。午前中に連絡した茶芸協会の人から連絡が入り、夜9時に会いたいというのだ。しかも場所はペナン市郊外。場所が分かりにくいので、ホテルのフロントに相談したが、『表に居るタクシーに乗って行け』と非常につれない返事で困る。仕方なく、タクシースタンドに行き、住所を見せると、ちょっと高い料金を吹っ掛けられた。

 

それならばと、他へ行くそぶりを見せると、慌てて料金を下げてきた。どう見ても暇なのだが、大丈夫だろうか。車はすぐに郊外に出た。夜道はどこを走っているのかさっぱり分からないが、今はスマホ地図で追えるのが何とも有り難い。20分ぐらい走ると目的地に着いたが、そこは郊外の大型住宅地で、その住所には辿り着かない。電話して、最後は迎えに来てもらう。

 

その家は、林さんの自宅だった。夜9時に、全く面識のない人の家に突然上がり込む、これ海外では普通ならあり得ない状況だと分かっていたが、そこは茶の繋がり。ズカズカと上がり込む。部屋には沢山の急須があるのが目に入る。2階に上がると、心地のよい空間でお茶を頂く。張さんと林さん、この二人が十数年前に設立された茶芸協会の主要メンバーで、茶芸について日々研究する場所がここであるらしい。

 

珍しい、年代物のお茶が沢山出てきた。茶器はよく見ると日本の茶碗が使われていたりする。茶碗の本来の意味を考える。茶芸というのは工夫が重要であり、またおしゃれだなと思うが、私とは別世界、とも感じる。マレーシアの茶の歴史についても、色々と話が出てきて大変参考になる。やはりお茶の繋がりは初対面でも何の違和感もなく話に入れるのがよい。

 

夜も11時過ぎまで居座ってしまった。帰りは張さんの車で送ってもらった。彼らは本業を持っており、茶芸は趣味だと言い、連日遅くまで仕事をしたのち、お茶を飲むらしい。宿に付く前に、市内の茶荘の場所など、いくつか聞きながら行く。また明日は連れて行きたいところがあると言われ、その連絡を待つことになる。何の情報もなかったペナン、1日にして、これだけの進展を見せた。如何にも茶旅らしい。

ペナンで老舗茶商を探す2019(1)17年ぶりのペナン

《ペナン茶旅2019》  2019年8月4-7日

シンガポールから直接クアラルンプールに入らず、まずはペナン島に飛んだ。ペナン島に行ったのは、今から17年前の2002年以来になる。あの時は前年の911テロの影響で、ペナンのホテルはガラガラで、かなり安い料金で泊まれたので、1週間滞在した記憶があるが、正直あまりよく覚えていない。今回は老舗茶商を探す旅であり、これまでの旅行とは違うのだが、果たしてどうなるのだろうか。

 

8月4日(日)
ペナンで

シンガポールからペナンまでは1時間ちょっとと近い。また普通LCCでは食事は出ないのだが、私はいつも20㎏の荷物を預ける時に、座席指定とのパックで購入する。なぜか食事も含まれるので、それを食べる。今日はパンプキンライス(ベジ)だった。

 

空港に着くと、タラップを降りて歩いてターミナルに入る。かなりのローカル空港の雰囲気だ。荷物を取り出し、イミグレは簡単に通り抜けたが、シムカードの販売ブースが一か所しか見当たらず、列が出来ており手間取る。これから1か月間使うので、かなり容量の多い物を選ぶ。それでも台湾やタイよりは安い。両替はせず、ATMからリンギを引き出す。

 

空港バスに乗って市内へ行きたかったが、いつ出発するかも分からないと言われ、仕方なくタクシーを利用する。ブースで行先を言うと45リンギ取られる。これはマレーシアではかなりの料金だとは思ったが、これまた仕方がない。車はかなりのスピードで市内に向かい、40分後には予約していたホテルに着いた。

 

ホテルはかなり古く、サービスもそれほど良くはなかったが、街の中心だったので、散策には便利だった。取り敢えずまだ日も高いので、外へ出てみる。かなり暑いが、ペナンはいい感じの古い町並みがあり、歩いていても楽しい。近くの市場に入り、涼をとる。帰りにコインランドリーを見つけたので、一度宿に戻り、シンガポールで溜まった洗濯物を持って出向く。使い方がよく分からなかったが、華人のおじさんが簡単な華語で教えてくれた。料金は乾燥までつけて日本円300円程度、何とも有り難い料金設定だ。

 

洗濯の間、近所の店に入り、カヤトーストとお茶を頼む。ここは観光客も来るような有名店らしい。エアコンより扇風機の方が意外と涼しい。トーストも甘みがありおいしい。しばらく休んでから、洗濯物を取りに行った。これで当分洗濯の心配がないのは良い。実はマレーシアはコインランドリー天国だった。

 

夜は涼しくなっていたのでまた外へ出た。港の方まで歩いて行くと、途中に華人街があり、多くの古い建物が残っていた。更に行くとインド人街があり、ここはインドの匂い、雰囲気が漂っている。港からフェリーに乗れば、半島側に渡れるようだが今日は止めて、戻る。港付近は英国植民地色が強い。ペナンは色々な顔を持っている。腹が減ったので、屋台の焼きそばを食べる。これは相変わらず美味しい。

 

8月5日(月)
老舗茶商と茶藝

朝はホテルの朝食を、最上階の眺めの良い席で食べる。食事自体は普通だが、この景色はとても贅沢で、気分もよい。食後、外へ出た。スマホ地図で検索したところ、福建会館の場所が特定できたので、まずはそこへ行くことにした。何しろ老舗茶商の名前は、先日シンガポールでもらった資料に記載されているのだが、それがどこにあるのか、住所などは分からない。それを尋ねる方法として、福建会館には可能性があった。

 

会館は意外と遠く、歩いて20分もかかった。だがバス路線も分からず、ひたすら歩くしかない。ようやくたどり着くと、そこには孫文記念館があった。広東系の孫文の横に福建会館か。後でこちらの記念館も訪ねてみようか。会館のビルには新聞社が入っているようで、その5階に同郷会事務所がある。エレベーターが壊れており、階段を上がると息も上がる。

 

事務所にいた人に聞いてみた。曽さんはとても親切な人だったが、何と『私は福建人だが、お茶は飲まないよ』と言い放つ。これで望みは絶たれたかと思ったが、思い出したように『先日茶芸協会の人が訪ねてきたから、彼らに聞いてみれば』と言い、電話を入れてくれた。電話で話してみると、老舗茶荘はあるらしい。今晩彼らと会うことにして電話を切る。

 

すると曽さんは思い出したように『そういえば、老翁茶というのがあるよ』と言って、住所を調べてくれた。またタイムズスクエアーにもお茶があるぞ、と段々ノッてきた。スマホで見るとここからタイムズスクエアーは近いので、まずはそこまで歩くことにして別れた。やはり何らかの情報は得られるものだ。

 

タイムズスクエアー、香港などにもあるショッピングモールがペナンにもできていた。かなり広いスペースだが、朝早いせいかお客はおらず、エアコンだけがやけに効いた空間であった。2階に上ると、蔵茶と書かれた店があったので入ってみたが、そこに置かれていたのはプーアル茶だけ。まあ蔵茶がマレーシアまで来るわけもないか。

《奇想天外マレーシアの旅》(14)KL 大金持ちの一族だった陳さん

ここにも再会が

夜は大学の先輩Sさんと会うことに。Sさんとは北京駐在時代の13年前に一緒だったが、その後は音信が途絶えていた。2年ほど前Facebookでは再会を果たしたが、7月に突然バンコック出張を捕まえて、劇的に再会した。それからバンコックで2度程会っていた。『次回はKLかな』と言われ、日程を見たらちょうどこの日が重なっていた。

 

ホテルで待っていたが、仕事が遅くなり、夜8時を過ぎてブキッビンタンのホテルへ、と言われる。ホテルの場所もよく確認せずに出たら本当に迷う。モノレールからいくつもホテルが見えたのだが、どうして?

 

ようやく落ち合い、近くの中国料理屋へ。ところが中国料理なのに、従業員は中国語が話せない。灰皿をお願いしても爪楊枝を持ってくる。不思議に思っているとマネージャーが来て『悪気はないんだ、彼はミャンマー人だから』と言われて納得。ミャンマー人でも中華系なら言葉が通じるが純粋のミャンマー人なら仕方がない。それにしてもKLも人手不足、言葉が通じなくても雇わざるを得ない状況だ。

 

そしてSさんに今日会った陳さんのことを話した。陳さんが言っていた言葉を突然思い出す。『オジサンは日産や資生堂、ワコールなどの代理店もやっている』と。実はSさんは昔その中の会社に勤めていたのだ。『え、じゃあ、マレーシアの陳さん知っていますか?』と聞くと『知らない』という。おかしいな、嘘じゃないと思うけど。Sさんはちょっと考え、『それはタンさんじゃないのか?』と聞いてくる。そこで繋がった。福建語で陳はタンと発音するのだ。するとSさんは『それはマレーシアでも最大級の財閥グループだぞ』というではないか。え、本当?驚くしかない。その時、ショートメッセージが入った。陳さんから『明日も昼めし食わないか?』と。ようし、確かめてみよう。

 

10月10日(木)

陳さんアゲイン

翌朝は昨晩の食べ過ぎで朝食を断念、10時過ぎまでうだうだしてチェックアウト。陳さんの車が迎えに来たので、乗り込んだ。昨日と全く同じ軌道を通り、最後だけが違っていた。今日は陳さんのオフィスへ行った。だが受付で何といえばよいか分からず困る。陳さんの肩書なども知らないのだ。ようやく彼の居場所を突き止めた時は、この会社が非常に大きいことは分かった。会計士事務所、何と100名以上の会計士を擁していた。既に引退したとはいえ、彼はそこのオーナー。事業を番頭さんに任せているだけで、実質的には責任者なのだ。3階建ての3階部分の半分を自分の書斎として使っていた。お茶を淹れられる空間が広々と取られている。そこで年代物の六堡茶をご馳走になった。とてもいい空気が流れていた。

DSCN7237m

DSCN7214m DSCN7208m

 

ランチは昨日とは別の店に行く。昨日のバイク屋さんが来ていた。3人で軽く食事をした。そこへ陳さんのお客も合流した。これから重要な会議があるらしい。陳さんは『若いやつを一人つけるから車でどっか行って遊んでから帰れ』と言ってくれたので、お言葉に甘えた。

 

それから若者と2人でショッピングモールを2軒回った。雨が強く降ってきたので屋外には行けなかった。そしてセントラル駅まで送ってもらい、バスで空港へ。空港ではだいぶん時間があったが、無事エジプト航空に乗り、バンコックへ戻った。帰りのエジプト航空は意外と混んでいた。バンコックまでの格安路線ということらしい。

DSCN7243m

 

今回は茶畑に行くだけではなく、お茶屋の陳さんを訪ねるなど収穫があったが、初めてスリに遭ったのはショックが大きかった。これからの旅に影響が出ないとよいが。

《奇想天外マレーシアの旅》(13)KL 膨大なお茶を持つ陳さん

5. KL2

ホテルからKLCC

先ずはホテルだが、チャイナタウンで一番わかりやすそうな場所を探す。それはモノレールの駅の近くだと思い、荷物をひいて向かう。ネットで検索してあったそのホテル、フロントに聞くとちょっと高い。仕方なく、PCを取り出して目の前でネット予約した。データが届くまで少し待たされたが、そんな客は大勢いるのかボーイは頓着しない。

 

部屋は狭いが清潔でよい。ネットも繋がる。外の音もそれほど気にならない。このホテルはさすがに華人と思われる人々が多く泊まっている。シンガポールやインドネシアから来ている人もいるようだ。

DSCN7194m

 

夕方モノレールに乗り、KLCCへ。ある方の紹介でKL在住のHさんとお会いすることになっていた。この方は元インベストメントバンカーで鳴らし、小説のモデルにもなったという大物。私は日本のしがない金融機関の一員であったが、KLでこのような方を会えること自体がご縁を感じる。

 

KLCCはKLでも最も栄えている商業施設の1つ。夜のネオンが煌びやかで、山から下りてきた者には眩しすぎる。ユニクロ前で待ち合わせると、気さくなHさんが探し出してくれ、無事合流。階上のパブに入る。Hさんはロンドン勤務も長く、パブが似合う。ワンパイントのビールで乾杯した。

DSCN7200m

 

お話の中で、KLへロングステイした経緯や現在の状況などが見えてきたが、何よりも『日本の現状への嘆き、憂い』というものを強く感じた。日本から離れた場所で日本人二人が日本を嘆く、外にいるものにはよくわかるが、国内にいるとはっきり分からないことが多いのだろう。私には『日本のために何かしよう』などという気負いは全くないが、日本に向けて情報を発信することには何らかの意味があるように思われた。

 

10月9日(水)

朝飯

翌朝は目覚めもよく、外へ出る。ホテルの前にある食堂で海南チキンライスを頬張る。安くてなかなか良い。ローカルな雰囲気がたまらない。この食堂は食べるスペースが共通で、各屋台が食事を提供している。朝から麺を食べるのも悪くないと思い、既に明日のメニューを物色。

DSCN7201m

 

今日は陳さんに会う。彼とはひょんなご縁で、バンコックのポーラのお店で出会った。良いプーアールを持っているというので飲ませて貰っただけのご縁であるが、KLに行くと言ったら、『是非寄って』と言われたので連絡したのだ。

 

だが、KLに着いた初日にメッセージを入れると何と『今ブータンにいる』というではないか。これはダメだと諦めたが、7日頃戻ってくるというので、本日の面談が可能となった。彼の家がどの辺にあるのか分からない、と言ったら迎えに来てくれた。ちゃんとしたトヨタの新車、運転手付き。彼は何となくお金持ちだと思ってはいたが、どうなんだろうか?

 

車は北の方へ20分ほど走った。KL郊外という雰囲気。周辺に高い建物もなく、のどかな雰囲気。『この辺は全部、うちの一族の土地なんだ。あそことあそことあそこに、茶屋を出しているが全てうちの物。2階と3階にはプーアール茶がぎっしり詰まっているよ』と陳さんは笑いながら話す。『と言っても全てオジサンの物さ。うちのオジサン、92歳だけど、結構成功してね、お茶も好きで買い集めたんだ』とさりげなく言う。

DSCN7213m

 

店に入ると、沢山お茶が並んでおり、箱からはみ出しているお茶が何と『宜興紅茶』だったのには驚いた。これは昔宜興の急須を売る人々が陰で飲んでいたお茶。最近の紅茶ブームで脚光を浴びたらしい。『いや、先月宜興に行ったら、美味しかったので買い込んだ』とか。陳さんはお茶屋さんなんだ、やはり。

 

『お茶屋だけど、茶旅が好きでね、それは同じだよ』と私の方を見る。彼は元々ロンドンにも留学経験がある会計士。5年前にその職を引退して、旅に出ているようだ。『オジサンから暇ならお茶屋でもやれ』と言われて、やっているらしい。彼の一族が一体どれだけのお茶を持っているのか見当もつかない。

DSCN7223m

 

昼は近くのオープンレストランへ。既に仲間が3人待っている。美味しいそうな潮州料理が並ぶ。いつもこうやって仲間と飯を食い、気楽に過ごしているそうだ。理想的だ。一人は上海の復旦大学を出て上海で働いていた。彼だけが大変そう。後の2人はバイク屋などだが、既に息子に家督を譲っているとか。うーん、50代でこの生活、参考になる。

DSCN7233m

 

たっぷり2時間以上昼を食い、更にまた陳さんの店でお茶を飲んだ。そして車でホテルまで送ってもらう。何だか夢のような体験だった。面白い茶旅!

DSCN7230m

《奇想天外マレーシアの旅》(12)キャメロンハイランド 運ちゃんの途中下車

10月8日(火)

タナラタ スタバでネット

翌朝もビュッフェを食べ、ホテルのシャトルバスに乗り込む。タナラタのバスターミナルへ行くためだが、KL行バスにはかなりの時間がある。それでもタクシーに乗る料金を節約してみた。今日は快晴、どうして昨日こうではなかったのかと恨んでみても始まらない。しかし良い天気だ。シャトルバスの運ちゃんも『この旅行社の前からバスに乗れ』と指示して下ろしてくれた。

 

タナラタの街には11年前も1泊したが、印象としてはさほど変わっていなかった。あの時はロッジに泊まり、夜が11度で凍えるほど寒かった、という印象しかない。今日は天気が良いせいか、山も空も隅々までクリアーで素晴らしい場所だと思う。

DSCN7176m

 

ただ荷物があるので自由に動き回ることはできない。スタバを見つけて、ここでネットをしながらバスを待った。スタバもゆったりとしており、スタッフも気持ちが良い。今は観光シーズンではないのか、外国人の姿もほとんど見えない。鮮やかな街を眺めながら。2時間ゆっくり原稿を書く。こういう時の効率は格段に良い。

DSCN7174m

 

KLへ

バスは予定時刻に旅行社の前に来た。これで一安心と乗り込む。殆ど人はいない。すると5分ほど走ったところに正式のバスターミナルがあり、乗客が乗り込んできた。ホテルの運ちゃんは事情に精通しており、私を旅行社の前に連れて行ったことが分かる。

 

そこからは山下りが始まった。一気に下っていく。イポーから来た道とは違うので反対側を下りている感じだ。実はそれほど長い時間は経っていなかったのかもしれない。ウトウトしている内にバスは平地を走り出す。

DSCN7189m

 

途中でバスが停まった。休憩場所とも思えない。運ちゃんだけが下りていく。便所にでも行ったのかと思っていると、ビニールの袋を下げて戻ってきた。中には飲み物が入っている。これが日本なら大変な問題になるのだろう。運転手が乗客をほっぽり出して私用で買い物をしているのだから。勿論ここで異議を唱える者などいない。私も何となく彼の行動が分かっていた。ドライブインは飲み物が高いのだ。観光客は良いが毎日利用する運転手としては節約したい気持になるだろう。もしやすると彼の気にいっている飲み物がないのかもしれない。彼の給料はいくらだろうなどと余計な詮索を始めそうだ。案の定すぐにドライブインがあり、休憩となる。

DSCN7191m

 

それから平地を走り続けた。快晴の空は気持ちがよく、マレーシアでの嫌な出来事は全て忘れられそうだった。そしてほぼ4時間でKLのバスターミナルへ到着。今回はチャイナタウン近くに着いた。

《奇想天外マレーシアの旅》(11)キャメロンハイランド 謎のイタリアン

10月7日(月)

サボテン園で癒されて

何だか目的は達したようだし、今日KLに戻るかどうか思案。だが天気がとても悪く、あまり動きたくない心境となり、延泊決定。優雅に朝食ビュッフェを食べると後はやることがない。そうだ、休息だ、休むのが一番、とは分かっていた。精神的にも疲れはてていた。

DSCN7168m

 

でも雨が止んだので出掛けてしまった。やはり何か歯車が合っていなかったのだろう。ホテルから少し行くと、観光客用の出店が並ぶ。いちごや高原野菜を売っている。そういえば最近この辺りでは華人が農業を行っていると聞いていたが、これのことだったのか。環境もよく、暑くもなく、そして収入の道があれば、農業に従事する人々も増えているのだろう。

DSCN7150m

DSCN7152m

 

サボテン園がある。何故こんなところにあるのかは分からないが、あのとげとげしいサボテンを見ていると何となく癒されるのが不思議。大きいのから小さいのまで、鉢の植えられた各種サボテン、マレーシアではブームなのだろうかと思うほど、大量に展示されている。勿論他の草花もあるが、サボテンが圧倒している。

DSCN7147m

 

昼ごはんは抜いて、ホテルでハイティセットを頼む。僅か15rでスコーンと紅茶が出て来る。誰もいないホテルロビーのカフェ、何だか寛げてよい。スコーンも予想以上に美味い、ジャムつけると、もっと美味い。紅茶もストレートで十分に飲める味。月曜日の雨の午後、なかなか良い雰囲気だったが、なぜか蚊が来て・・?

DSCN7160m

 

夕飯はイタリアン

そして午後は部屋でボーっと過ごした。ボーっとしているなぜか腹が空く。夕方フラフラ外へ出る。相変わらず食べる所は少ないが、イタリアンが目に入る。ここでイタリアン、などと私は思わない。食べたい時にそこにあれば入るのみ。

DSCN7166m

 

お客は誰もいなかった。セットメニューからグリルドチキンを探しだす。飲み物は紅茶だ。若いにいちゃんが注文を取っていたが愛想がよい。ふとカウンターを見ると、そこにはとてもかわいい女性が立っていた。どう見ても中華系だ。この店は誰がやっているのだろうか?店員二人は何と中国語で会話していた。一体どういう関係なのか?彼女はここの生まれなのか?

DSCN7165m

 

やってきたチキングリルを食べながらも、どうしても2人のことが気になってしまう。どうやって聞き出そうか、と考えていると、何と彼女はどこかへ行ってしまった。にいちゃんに何か聞こうとしたが、ちょうど客が来てしまった。この店の謎は全く解けないままに終わった。

《奇想天外マレーシアの旅》(10)キャメロンハイランド ボーティガーデン

ボーティガーデン

ようやくボーティガーデンに近づいた。茶畑の脇に小屋が並んでいた。そしてそのすぐ横にはヒンズー寺院があった。以前スリランカの茶畑に行った時も、同じ光景があった。そこではイギリス統治時代に南インドから連れて来られたタミル人が多く働いていた。タミル人はヒンズー教徒、それで寺院があった。ここもスリランカと同じ歴史があるのだろうか?

DSCN7090m

 

ガーデンの建物ははるか上に見えた。結構きつい坂を上る必要がある。まさに茶畑の合間を歩いて上がる感じ。車で来ている人々もここは足で上がらなければならない。既に午後も遅く、観光客がおりてきている。

DSCN7092m

 

実にモダンな建物が建っていた。11年前の記憶ではここには木の小屋があり、庭から茶畑を見ながらお茶が飲めたはずだったが、今はガラスで仕切られた屋内から眺めるようになっている。館内にはキャメロンハイランドとお茶の歴史が展示されている。ここにお茶が植えられたのは1920年代末のようだ。

DSCN7109m

 

工場の方に回ってみたが、既に工場見学ツアーは終了しており、閑散としていた。ちょうどオジサンがいたので話し掛けてみると、彼が工場の責任者だった。工場は自由に見てよいというオジサンにいくつか質問。その結果、ボーティーはマレーシアの茶葉生産量の半分以上を1社で賄っていること、以前は輸出中心だった紅茶も今では国内向けとなっており、マレーシア全体が茶葉の輸入国となっていること、そしてワーカーはタミル人ではなく、ヒンズー教のネパール人とイスラム教のバングラディシュ人が中心であることを教えてくれた。なるほど。工場は至ってシンプルで、如何にも紅茶工場の造り。

DSCN7106m

 

喫茶コーナーは明るい雰囲気で、マレー系の地元民が楽しそうにお茶を飲んでいた。これは11年前にはなかった光景。やはり紅茶が国内向けになったという話は本当だと思われた。ボーティーはかなり細かく茶葉を刻むが、それはそれで美味しいし、値段もそれほど高くはないので、良い。

DSCN7114m

 

茶畑を見ながらお茶を飲む、避暑地の観光としてはインドのダージリンなどを思い出させる。国内所得の向上により、マレー人の観光客が増えており、彼らが紅茶需要を押し上げているのだ。

DSCN7121m

 

4時半にはガーデン営業が終了。1時間ほどの滞在で、ホテルへ戻ることになる。ただ来た時はまだワクワク感もあったのだが、帰りは単に歩くだけで、結構つらい。おまけに雨も降りだした。こんな雨模様なのになぜか傘も忘れてきている。上り坂が余計きつくなる。こんなことなら最終のバスに乗っておくのだった、と後悔したが後の祭り。

DSCN7135m

 

道ではかなりの車が私を追い抜いて行った。皆帰っていくのだ。すると1台の車が停まり、運転手が『乗って行かないか』という合図をした。助手席には女性が乗っていたが、早々に後部座席に移った。頭にベールを被るマレー系だった。感謝して乗り込む。

DSCN7130m

 

彼らはKLから日帰りの旅に来ていた家族だった。『雨の中を一人で歩いていたので声を掛けた』といい、私が日本人だと名乗ると驚いた様子だった。外国人だから乗せたのではなく、困っていそうだから乗せた、ということが嬉しかった。そして彼らは私が想像していたような典型的な一家だった。ご主人は技術者で日本に研修に行ったこともあった。近年所得が向上し、生活に余裕が出来、国内旅行を楽しんでいた。紅茶もよく飲むという。

 

大きな通りまで出たので感謝して下りる。既に道は渋滞となっていた。日曜日の夕方、これから皆KLを目指して帰っていくのだろう。夜は何も食べずに早や目に就寝。

《奇想天外マレーシアの旅》(9)キャメロンハイランド ボーティ茶園への道

4. キャメロンハイランド

ジャパンセッティングの謎

小雨の降る中、ホテルへの道を歩く。この付近がキャメロンハイランドで一番高い所らしい。標高1800m?ホテルは広い敷地があり、辺りを見下ろす地形にある。なかなか立派なホテルである。

 

ロビーも広々としていてよい。予約していたのですんなりチェックインできると思っていたが、何やら様子が怪しい。また何かトラブルか、と身構える。するとフロントの女性が『これからジャパンセッティングをするので、少し時間がかる』と告げる。なんだそりゃ、ジャパンセッティング?やはり疲れていた私は『そんなもの、いらないからすぐにチェックインを』と食い下がるが、マネージャーのインド系女性が出てきて『これはホテルのルールだから』と譲らない。

DSCN7042m

 

結局20分ほど待たされて部屋へ。その頃には私もかなり怒っており、部屋へ入るなり、そのセッティングを観察した。しかし見つかったものと言えば①ウオシュレットタイプの便器②とてもへんてこな浴衣③日本茶ティーバック、3点のみ。①は元々部屋の備わったもので、②③をセットするのは1分も掛からない。これがサービスと言えるだろうか。それとも日本人客に好意を持っていて、分からないなりに一生懸命やった結果なのだろうか?

DSCN7047m

DSCN7049m

DSCN7050m

 

雨はシトシト降っている。山の上で風も強い。ここは静かに部屋で休めということだろうか。1時間ほど茶を飲みながら過ごしたが、腹が減ってきた。今日は昼を食べていない。雨も何となく上がっていたので、外へ出る。本館の他に、コテージ風の建物もいくつもある。ここはリゾート地なのである。

 

周囲に殆ど食べる所はなかった。日曜日だが、雨の午後、お客もいないと店を閉じたところもあるようだ。1軒だけ、は入れそうな店があったので、入ると、若者がギターを弾いていた。中国語で話し掛けるとちゃんと返ってきた。ワンタン麺を頼む。若者と話していると『もし茶園に行くなら今日だね。明日は休みだから』との貴重な情報を得る。

DSCN7054m

 

ボーティー茶園への長い道のり

何故ここにホテルを取ったのか、それは地図で見る限り、ボーティー茶園まで歩いていえそうだったからだ。早々に若者の情報に基づいて夕方の山を歩き始める。国道にはきちんとボーティーの表示があったが、何とここから3.5㎞もあるという。まあ、何とかなるだろうと持ち前のいい加減さで歩く。

 

本当に山道だったが車は走れる。途中に洋館があり、この辺もイギリス人の別荘があったことが分かる。この辺りでヨーロッパン人女性とすれ違う。茶園までの道のりを聞くと『ずーっと向こう』と言われ、途方に暮れる。道は螺旋を描き、遠くに茶畑が見えた。

DSCN7064m

 

1時間以上歩いて、ようやく茶園に到着した。ちゃんとボーティーの表示がある。キレイな茶畑である。なだらかな斜面にへばりつく様に茶樹が植わっている。遠くを眺めると実に広大な敷地に、優雅に茶樹が植えられている。更に1㎞先に茶園センターがあるらしい。観光客は車でそこへ向かっていた。私も恐らく11年前に訪れた場所だ。疲れ果てていたが、進むしかない。

DSCN7070m

DSCN7074m

DSCN7071m

《奇想天外マレーシアの旅》(8)イポー 静かな落ち着いた街

10月6日(日)

静かな落ち着いた街

イポーの朝は何事もなかったかのような静けさに包まれていた。昨日の興奮からか、眠りは浅く、そのまま起きて、散歩に出る。この街は全体的にゆったりとしており、道も広く、高い建物もない。妙に落ち着く街並みだ。

DSCN7024m

イギリス植民地時代の建物も多く残り、中華的な建物も存在する。マレーシアで3番目に大きな街と聞いたが、そうは見えない。が、かつてはスズの生産で栄え、KLとペナンを結ぶ交通の要衝としても重要な位置にあった都市だ。キンタ川という川が真ん中を流れ、スズを運ぶために作られた鉄道駅もコロニアル風で歴史を感じさせるに十分な造りを持っている。

 DSCN7009m

DSCN7014m

1時間も歩いただろうか、久しぶりに気持ちの良い散歩となった。朝食はホテルで取ったが、外には飲茶屋などもあり、お茶を飲みながらゆっくり点心をつまめば良かったと後悔した。もっと言えば、今からこの街を去らなければならないことに大いに後悔した。

DSCN6997m

イポーからキャメロンハイランドへ行くには昨晩降りた郊外のバスターミナルのほか、街中のバスターミナルからバスが出ていた。11時のバスがあるのを確認して、荷物を引き摺り、ターミナルへ向かう。ところがなぜか雨が降ってきた。

 

横を見ると、東安会館という華人の同郷会が見える。ここで華人はどんな生活をしてきた、そしてしているのだろうか。道を間違えたのか、インド人街にも迷い込む。イポーは華人の街と聞いていたが、ここにもインド系がいる。マレーシアの多様性を垣間見る。

DSCN7025m

 

バスは11時ギリギリに入線。豪華バスだった。今日は日曜日、ほぼ満員の乗客を乗せ、出発した。すぐに山道に入る。昨日のバスの旅が長すぎたせいか、今日の2時間半はあっという間に過ぎる。山をかなり上ると、高原野菜のビニールハウスなどが見え、近づいてきていることが分かる。

DSCN7032m

DSCN7039m

 

このバスの終点はタナラタという街だが、私は途中のブリンチャンで降りなければならない。一体どこで降りればよいのだろうか。一人二人と下車する人が出てきたが、一向に分からない。すると突然『エクアトリアル』という文字が見えた。本日予約をしたホテルではないか。

DSCN7041m

 

慌てて下りようとすると、運転手が『こんな所では降りられない』と厳しい。だが幸いもう一人下りる人がいて、運転手も渋々ドアを開けた。私が荷物を取り出したいというと一層嫌な顔になったが、もう仕方がない。後ろを見ると、車が渋滞していた。これは申し訳ないことをした。