マレーシア茶旅2024(6)イポーで六堡茶の歴史を学ぶ

1月31日(水)イポーで六堡茶の歴史を学ぶ

朝はまた宿で朝食。今日はマレー系のナシレマッを食す。普通に美味い。全部腹に収めてまた湖を散策。ちょうど反対側付近に動物園があった。地元民によれば『夜は真っ暗で何も見えないナイトサファリ』があるそうだ。その先を歩いて行くと、墓地があった。ここは第二次大戦中に亡くなった、マレーシア、オーストラリア、インドなどの兵士の墓が並んでいる。よく見ると年齢は若く、半分ぐらいは氏名不詳だった。戦った相手は日本軍であろう。

この付近は初期のタイピンでイギリス人などが居住した場所のようで、古い建物やクラブなどが残されている。更には教会なども見え、その先には立派な刑務所があった。その向かいにはもっと立派な博物館まである。1883年に作られたという博物館の展示は豊富で見応えがあった。実は刑務所はそれより早い1879年に出来ているというから、ちょっと面白い。

昨日もちょっと寄った嶺南古廟に今日は入ってみた。意外と色々なものがあった。そこから30分ぐらい歩いて戻る途中にフードコートがあり、美味そうな海南チキンライスを見掛けた。思わず座って食べると旨い。店員はマレー系の若い女性で英語が通じない。取り敢えず5リンギ札を渡したら、0.5リンギのお釣りをくれた。まさかと思ったが、僅か日本円130円だった。これなら毎日くるよ。

11時半頃柯さんが迎えに来てくれ、駅まで送ってくれた。何から何までお世話になった。そして鉄道に乗り、イポーを目指した。意外と乗客が多い。イポーまでは僅か40分だが、何となく列車の旅は良い。イポーには過去2回来ており、駅舎はレトロでとても懐かしい。ここに柯さんから連絡してもらった会長が車で迎えに来てくれていた。

彼はマレーシア六堡茶協会の会長だという。協会は昨年できたばかりらしい。やはりここ数年の六堡茶ブームを反映している。まずは昼ごはんとして、麵屋に連れて行ってくれた。イポーも美食の街であり、食べ物は何でもうまい。その後会長の執務室へ向かう。そこで貴重なお茶を飲みながらゆっくりと話した。その話の内容は驚きの連続であり、私の20年以上の茶旅人生で得られたものが、何の役に立つのかをはっきりと明示してくれた。大変有意義な午後だった。おまけに貴重な本を2冊もらい、感謝感激。

車でホテルに送ってもらった。初めは別のホテルを予約しようと思ったのだが、うまくいかず、結局前回泊まったところに落ち着く。だがなぜかネットが繋がらない。結局部屋を替わることで何とか切り抜けた。ホテル自体は落ち着けるいい感じなので、他を探さす必要がなく助かる。

この付近、意外と夕飯を食べる所に困った。昔の記憶で歩いて行くとレストランがあり、なんと夜も飲茶をやっていた。点心を3つほど頼み、お茶も持ってきてもらって、ちょっと変則な夕飯となる。ちゃんとした点心で実は美味しい。何だかゆったりとお茶を飲む。帰りは既に暗くなっており、足早に戻る。

2月1日(木)イポーをフラフラ

朝ご飯は宿で食べた。意外と混んでいる。外へ出て、どんどん郊外の方へ歩いて行く。街中はやはり漢字が目立つ。旨そうな店も途中に何軒か見掛けたので、こちらで食べればよかったと後悔する。橋を渡ると華人地区と思われるいい感じの通りがあった。だがそのすぐ横は何とインド系の店が並ぶ。なかなか複雑だが、その昔はやはり川を中心に貿易などが行われていたのだろう。

鉄道の線路も越えて辿り着いたのは日本人墓地。こちらもペナン同様鍵がかかっていて中には入れない。それでも墓石の文字はいくつか見える。やはり日本人女性の名前のようだ。からゆきさんはここにも来ていた。何といえばよいのだろうか、言葉が無い。向かいには立派なヒンズー寺院もある。

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