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偶には香港を旅する2017(3)香港も安くなってきた?!

格安な宿

フェリーを降りるとすぐにホテルに戻り、荷物を取り出して、今日から泊まるホテルに急ぐ。そこは全く初めてだったのでちょっと不安。ホテルからほど近いその場所を、住所通りに訪ねてみると、ブランドショップが入るビルの3階に受付があった。何となくゲストハウス風だ。フロントの女性は英語も普通話をでき、お客は欧米人も中国人もいた。部屋はこのビルにはなく、すぐ横のビルに行き直す。6階の一角を使用している。因みにここの経営でこの付近、数百室の部屋を抑えているらしい。意外と資本を掛けている。

 

完全な民泊形式だが、何しろ銅鑼湾の駅からもすぐで極めて便利。しかも料金は1泊400ドル以下だったから、それは人気もあるわ、と思う。部屋は勿論狭いが、窓もあり、狭いがバストイレ付きだ。Wi-Fiなども支障なく、不自由はない。香港のホテル代は高過ぎると決めてつけていたが、これなら何とか泊まれるので、次回からはもう少し泊まる機会を増やそうと思う。

 

今晩は昨日会えなかった、昔の知り合いHさんが、広東省から帰ってきたので会うことになった。場所は日本人クラブ。昨日も行ったのだが、移転してからレストランへ行くのは初めてだった。きれいなカウンターに座り、Hさんの知り合いの大将と話しながら、美味しい物を沢山頂いた。日本人クラブって、こんなだったっけ?と思うほど。ただカウンターに座るのは香港人ばかりで、自分を含めて日本の経済力の無さを嘆かざるを得ない。

 

3月12日(日)
先輩に会いに

今朝はゆっくり起きて、朝食も食べずに、バスに乗った。銅鑼湾からホンハムへ行くバスには乗りなれている。トンネルを潜れば一つ目のバス停なのだから簡単だ。だが最近はバス路線が増えたり、バス停の位置がいくつかに分かれたりして、分り難くなっていた。何とかホンハム駅に着くと、まだ待ち合わせ時間には早かったので、散歩に出た。

 

香港島側や尖沙咀のプロムナードからハーバーを眺めることは偶にあるが、ホンハムから眺めるのは初めてかもしれない。駅の方から階段を降りて行くと、立派なホテルなどがあり、更に行くと高級マンションが見える。この辺、今一体いくらするんだろうか。非常に環境の良い、静かな高級感が漂う。3月らしく、香港サイドには靄が立ち込め、よく見えない。

 

駅付近に戻り、待ち合わせのホテルでAさんと会った。もう20年も前にここ香港で同じ支店にいた、お世話になった方だ。今は別の会社に移り、出張で来ていた。私が香港へ来る直前に連絡があり、劇的な再会となる。ホテルで食事をご馳走になりながら、様々な話をした。もう会社勤めはできない私だが、相手をしてくれる先輩がいることはとても嬉しい。

 

Aさんは午後のフライトで台北へ行くというので、そのままチェックアウトして去っていった。何とも格好がよい。因みにこのホテル、立地も抜群でそれなりの会社が運営しているのに、それほど高い訳ではない。やはり香港のホテル代は依然と比べ、確実に下がってきていると言えるだろう。

 

私はフラフラとまたバスに乗り、銅鑼湾へ戻った。日曜日の銅鑼湾は人の波で溢れんばかり。ホンハムの静けさが懐かしくなるほどだ。馴染んだ場所でワンタンメンと温野菜を食べる。今やそれが似合っていると自分でも思える。ついでに港式ミルクティも飲んでみる。少しの苦みが悪くない。

 

新しいカフェ
宿に戻り、休息した。特に暑い訳ではないが、今や休息がないと一日中の活動は難しい。夕方の約束までベッドで寝ていた。4時前に外へ出たが、相変わらず人が多い。ちょうど選挙があるようで、選挙活動をしていて人が集まっている。だが歩いている人の多くは外国人であり、インドネシア系の女性が目立っている。

 

今日は大学の同級生S氏と同窓生の香港人Jさんと3人で会った。何となくこの組み合わせがよいということになり、過去何度が3人で会っている。S氏は大学で研究するための調査もあるが、家族が香港にいるので定期的に戻ってきている。通訳業のJさんは日本企業の動きなどについても詳しい。この二人から教わることも多い。

 

場所は銅鑼湾の山側、少し奥。最近はこの辺がおしゃれなスポットだと言われる。確かに気の利いた店が数軒ある。カフェに入る。本格的なコーヒーを出す店だ。その昔香港には喫茶店などなく、コーヒーが飲める場所は相当に限られていたが、スタバの登場以来、コーヒーチェーンで溢れかえり、ついにはそれに飽き足らない世代が、新しい形を示してきているようだった。話が長くなったのでクッキーも食べてみるが、これがまた意外と美味しい。カフェだけでなく、ティーの世界も変化しているだろうか。

 

夕飯は一人で食べた。食べ過ぎは良くないと思いながら、鴨肉飯を頬張る。香港に遊びに来た大陸客が一人か二人で簡単に食べるような店だったが、意外と美味しい。香港と言えば、昔はその辺の何気ない店がうまい、と言われてきたが、今やチェーン店ばかりで面白くないので、小さい店には頑張って欲しい。

偶には香港を旅する2017(2)長洲島でお爺さんに再会

地下鉄に乗り、金鐘へ向かう。昔の知り合いヘレンに連絡を取ると、ちょうど彼女が所属する財団でパーティーがあるから来ないかと誘われた。折角なので出向いてみると、大都会の喧騒とは別世界の場所がそこにあった。非常に驚く。久しぶりに香港社会の一面に触れた。

 

しかしヘレンは見当たらず、待っても来ないので、勝手に見学を始める。今日のパーティーは展示会のオープン記念。創作的な芸術の世界を歩いていると、向こうにヘレンが見える。周囲には数人の日本人がいた。香港人やイギリス人もいる。無国籍状態で会話が弾む。これはヘレンのなせる業だ。お茶の関係者を紹介してもらったのは有り難い。

 

夜は尖沙咀へ移動して、その昔香港で一緒に過ごした人たちと会食する。もう20年以上前の知り合いだが、彼らは未だに香港にいる。脱サラして起業に成功した、また現地採用として、長らく職を得ている、など、私は見れば、好きな香港に居られて、良い環境で生きているように見えるのだが、最近の激しい変化には、かなり厳しい面もあるようだった。

 

3月11日(土)
長洲島へ

今朝はゆっくりと起き、ゆっくりと朝食を食べた。土曜日ということか、朝食を食べている人々にもゆとりがある。香港は衰えたとはいえ、スピードが命の場所。1日半で結構疲れている自分を発見した。このホテルとは今日でおさらばということで、荷物をフロントに預けてチェックアウト。

 

MTRに乗ってセントラルへ向かう。そこからスターフェリー乗り場方面へ。観覧車が寂しそうに回っている。何となく活気のない香港。それはどこから来ているのだろうか、気のせいだろうか。今日は久しぶりに長洲島へ行くことになっている。あの5年前の衝撃的な訪問以降、ずっと温めてきた題材に一つのケリをつけに行くということだろうか。

 

Yさんが同行してくれるのは有り難かった。何しろお爺さんは広東語しか話さないので、通訳は必須だった。フェリーの料金は何となく少し値上がりしているようだ。まあ、5年前との比較をしても意味がないほど、香港の物価は上がっているのだ。土曜日ということもあり、乗客は多い。

 

長洲島に着くと、やはり多少はオシャレになっている。取り敢えずお爺さんは元気かどうか確かめに、ベビー服屋へ。この辺にも2週間ほど滞在したことがあるので妙に懐かしい。服屋に変化はなく、おばさんもそこにいて、顔を見るとすぐに思い出してくれた。そして『お爺さんは元気だが、少しボケて来たよ』と言いながら、午後ここで再会する段取りをしてくれた。何とも有り難い。

 

そこでまずは腹ごしらえと、港の方に戻る。海鮮が名物だが2人だと多いかなと歩いていると、その昔ここで体調が悪かった時に食べたお粥屋が見えた。どうしても食べたくなり、そこへ入る。1938年創業などと書いているがどうなんだろうか。粥は相変わらずに美味しい。我々が注文すると、もう店仕舞いだ。昼までしかやらない。安くてうまい、これが一番。

 

再び服屋に行ってみると、お爺さんは既に来ており、満面の笑顔で迎えてくれた。既に90歳になっているが、足が少し悪いだけで元気そうだ。彼がプーアルの熟茶製法を初期段階で考案したと5年前に聞いていた。その後中国でもその話が広まり、今では有名人になっている。早々に、プーアル茶に歴史について、色々と確認させてもらった。広東プーアルの元祖との関係などもよく分かった。やはり一部、記憶がはっきりしないところがあり、娘であるおばさんが聞き返したり、補足してくれたりしたが、いずれにしても貴重な、生の話には価値がある。

 

ただこういうインタビューというのは実に難しいものだ。お爺さんは生き証人だから、彼が言った言葉は事実になっていく。しかし時には記憶違いもあるだろうし、また元々の思い違いさえもあるかもしれない。これをどう生かして、真実に近づけるのか、また一体何が真実なのかを理解するのは至難の業だ。私はノンフィクション作家には絶対になれないな、と以前から思っている。

 

1時間半ほどお話を聞いて、記念写真を撮って、退散した。お爺さんは初めて会った時と全く同じな笑顔であった。今度はいつ会えるだろうか。それから島の中を少し散歩した。桜の花が咲いているか見に行ったり、Yさんの知り合いに教えてもらった開放日の学校に闖入したりもした。ふらふら歩いているとすぐに時間が経ってしまう。本当は他にも行くところがあったのだが、次の予定が決まり、急きょ島を離れたのは、ちょっと残念だった。

 

偶には香港を旅する2017(1)2年ぶりの香港泊

《偶には香港を旅する2017》

 

香港にはかつて通算10年も住んだのだが、最近は足が遠のいている。理由は至極簡単で、宿泊などの料金が高過ぎる、美味しいものが減ったような気がする、など。ただ流石に2年も香港に泊まっていないのはどうかとも思い、ある用事のオファーを受けて、行ってみることになった。尚昨年は10月、11月と2度、香港を経由して日本へ行っているが、いずれも宿泊していない。

 

3月9日(木)
ホテルまで

 

今回は久しぶりに羽田からANAの午前便に乗る。何とも出張の雰囲気が漂う。昔はいつもこんな出張をしていたのに、今や随分と心境が変わったものだ。出てきた機内食も美味しく感じられるのはなぜだろうか。でももうあの世界には戻りたくない、いや戻ることはできない。

 

香港空港には少し早めに着き、自動入国で簡単に手続きは済む。携帯のシムカードがないので、空港内で探す。中国人ばかりが並んでいたが、彼らはローミングの手続きだろうか。私は一番安い118ドルのシムを買う。7日間使えるようだが、私の滞在は6日間だからこれで問題ない。昨年の香港経由の旅では、このシムがなかったために、連絡などが出来ずに大変困ったものだ。

 

 

今回のホテルは銅鑼湾なので、空港バスで向かう。香港島行きのバスは相変わらず2種類あり、早い方だと40ドル、遅い方だと21ドル。香港とは本当にタイムイズマネーの場所である。ちょうどやって来た早い方のバスに乗る。前には韓国人の女性が楽しそうに乗っている。2階建ての上にはアラブ系の家族が乗り込んでいく。国際色も豊かだ。

 

1時間もかからずに銅鑼湾に到着した。今日と明日はちょっといいホテルに宿泊できる。このホテルは、ハーバーに面しており、20年前最初の香港駐在を終えて、去る時に泊まった思い出のホテルだった。勿論その時とはずいぶんと変わっている。部屋に携帯電話が備えてあり、自由に使うことができた。これならシムを買う必要はない。いいサービスだと思う。ただ最近取り壊しが決まったらしいので、今回の宿泊が最後となりそうだ。

 

チェーン茶餐庁
何となく外へ出る。そごうの裏あたりをフラフラすると、何と翠華という名前のレストランの看板が5分歩いて3軒も目に入る。これはいくらチェーン店でも異常と言わざるを得ない。と同時に、ちょっと入って偵察を試みる。その店は午後3時なのに、満員で一番端の席を辛うじて確保した。

 

後で聞くと、香港の茶餐庁では、下午茶という時間が安いのでこの時間は混んでいたらしい。私は何も考えずに、海南チキンライスをオーダーしてしまう。夕飯の会食があるにもかかわらず、やはりどうしても食べたくなってしまうのだ。まあ飛行機の機内食が軽かったから、と言い訳してすぐに平らげた。料金は決して安くはない。それでも流行るこの店は何だろうか。家賃が高騰して、資本力がないと店が出せないとは聞いているが、なぜこれほど人が集まるのか。

 

帰りがけにふと見ると、港式ミルクティの表記が目に入る。茶餐庁にはよくあるメニューだが、それがペットボトルに詰められ、冷蔵庫に入って冷やされている。何気なく、一本手に取り会計したら、何と28ドルもした。もう香港ではうかつに飲み物も買えないと改めて自覚した。

 

それから某銀行へ行く。昔住んでいた時からずっと口座があるのだが、先日インドへ行ってATMを利用しようとして使えなかったので、その確認にきたのだ。ATMで香港ドルを下ろしてみたが、やはりダメだった。窓口で聞くと『暗証番号でも忘れたのでは?』と言われたが、それはないと言い切った。最初は処理を渋っていたが、香港居住者ではないので、すぐに修正して欲しいと訴えると、何とか対応してくれた。これが中国などだと、梃子でも動かない。やはり香港にはまだ柔軟性がある。

 

夕方、以前何度が会ったKさんと久しぶりに落ち合った。もう数年会っていなかったのに、そして夕方の中途半端な時間なのに、快く面談に応じてくれた。彼とは旅好きという共通点があり、その辺で話がかなり合っていた。ホテルのカフェで話し始めると止まらなくなり、予定をオーバーしても話題が尽きなかった。こういう何気ない会話がいい。夜は打ち合わせで海鮮をご馳走になる。

 

3月10日(金)
翌朝は早めに起きて、朝食へ。久しぶりにホテルの立派な朝食をゆっくり味わう。毎日だと多過ぎるが、偶にだとあれこれと手が出てしまい、かなりの量を食べることになる。その後は部屋で日記などを書いて過ごす。このホテルは日本人用にと、煎茶のティバッグや浴衣などが支給されている。日本の新聞も入っており、1か月ぶりに新聞を読んでみたりもする。

 

それから今回メインの用事を済ませると、午後3時前になっていた。肩の荷が下りる。急いで上環の茶縁坊へ向かう。昨年の秋に安渓を訪ねた時は、連日の雨で秋茶がなかったのだが、その後禁を破って相当遅い時期に茶を作ったらしい。今回はそれを飲むために行ったのだが、むしろ他の茶が美味しいと思え、購入銘柄を変えた。

台湾茶縁の旅2014(12)香港 わずか10時間のトランジット滞在で

3月24日(月)

空港の牛肉麺

翌朝はバンコックへ戻るため、バスで空港へ。新館からバスターミナルまで、ちょうど本館と同じ距離ながら、なぜか疲れた。空港に着くと早過ぎたが、キャセイは1便早くするのに数千円の追加料金を取る、というので空港内で過ごす。

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イミグレに行かず、レストラン街へ。外れにお洒落なカフェがある。しかしみると牛肉麺もある、と書いてあるので頼んでみた。期待はしていなかったが、案外イケた。今回牛肉麺にありつく機会がなかったのでこれで良しとしよう。

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イミグレは相変わらず込んでいたが、フライトは大陸へ帰る中国人観光客、香港人、台湾人の混成部隊を乗せ、順調だった。これから10時間の香港トランジットだ。さてどうなるのか。

 

7.香港

香港の銀行

空港からは電車が一番早いが、バスの方が安いし、目的地である銀行の近くに到着するのでバスを選択。香港はこの辺のバリエーションが素晴らしく、お金のある人で急いでいる人と、お金のあまりない人、急いでいない人などに的確に対応している。日本は何でも一律だから、困る。

 

バスだけではなく香港は銀行もキチンと顧客を選別している。日本のように表面的にお客様は平等です、などとは言わない。誰が神様で誰が平民は認識して対応している。並ぶ列も違うし、スタッフの対応も違う。私は9年間務めた香港でそれを学んだが、当時日本の銀行は理解しなかった。

 

確かに日本的ではなかったかもしれないが、私はこのような方式が嫌いではない。外貨を下ろすのに一定金額まで手数料がかからない、など日本では考えにくい。あ、シティバンクが導入しているか。グローバルを掲げる銀行が、外貨両替や引き出し1つの対応に戸惑っているのは不思議でならない。

 

茶縁坊

そしていつものお茶屋、茶縁坊に寄る。この店とは13年の付き合いになる。昨年とうとうおばさんの実家である福建省安渓の茶畑まで行き、実家に泊めて貰った。その生活があまりに素晴らしかったので今年も行きたいと思い、その相談をした。

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昨年は『製茶の終わった頃来て』と言われ、ちょうど終わりの日に行き、雨だった。今年はどうしても製茶作業が見たくてお願いした。許可は出たがその条件は『製茶中は質問があっても決して話し掛けないこと』だった。あの真剣勝負の時、人に気を取られていると命取り、ということだろうか。勿論承諾して行くことにした。

 

それにしても相変わらず、ここのお茶は美味い。その理由は昨年見ていたので、余計に美味く感じる。この店が上環の片隅にあるのはとても残念な気がするが、だからこそ私にとってはオアシスみたいな場所。お客が沢山いても楽しい話も出来ない。

 

家和

茶縁坊の向かいには上環の街市ビルが建っており、その上の階には食堂街がある。その中に何と日本人がやっている和食屋がある。私は最近香港に行くと必ずここに立ち寄り、オーナーのKさんに挨拶し、食事をする。どう考えても今の香港の和食でこれほどちゃんとしていて、安い所はない。

 

店に行くと何と昔馴染みのOさんが座っていた。どうやら今晩仲間を集めてここで飲み会をするらしい。私のその末席に連なったが、もうすぐに空港へ戻らなければならないため、Kさんに頼んで適当な物を作ってもらい、それを掻き込んで退散した。魚の煮つけだったがおかずにはちょうどよく、気持よく食べた。

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そしてまたバスに乗り、空港へ戻った。昼の12時前に香港の空港に着き、夜10時の便でバンコックへ去った。本当はこんな旅は嫌だったが、それもこれも『安倍のミックス』とかいう政策のお蔭で円安になったせいだ、と思う。まあ、たまにはこんなやり方もありではないか。

《香港・華南・マカオ お茶散歩 2005》(3)

4.香港

(1)香港へ
お茶を一杯ザックに詰めてホテルをチェックアウト。直ぐ近くの日本料理屋に駆け込み、ランチ。ここは50元あれば大体の物は食べられる。メイン以外に小鉢2-3品付くのが嬉しい。味は日本並み、ウエートレスのサービスもしっかりしているので、日本人が穴場として訪れている。シンセンには日本料理屋が100軒はあると言われている。物凄く高級な店はなく、日本とかけ離れた日本料理もあるが、野菜や肉が香港と比べて非常に安いこともあり、非常にリーズナブルな店が多く、競争も激しい。

食後真っ直ぐ駅へ歩く。日差しが強い。シンセンの日差しは香港に比べて何故こんなに強いのか??海がなく、風が吹かないからであろうか。兎に角僅か数百メートルを歩くのに汗びっしょりとなる。駅前は昔と比べて格段にすっきりしている。地下鉄が出来ているので、途中で地下に潜り、何とか日差しを防いだ。

イミグレは相変わらずスムーズで直ぐに香港側へ。私は3ヶ月前まで香港に住んでいたのでIDカードを持っている。既に退去しているが果たして香港居民として扱われるのか??それともビジターの列に並ぶべきか??結局香港居民の窓口にIDカードを差し出すと何と問題もなく通ってしまった。私は未だに香港居民なのだ。もう一度香港居民に戻りたいな、と強く思う。その夢は叶えられるのであろうか??

KCRでもいつもと同様ファーストクラスに乗る。他のところでファーストクラスに乗ることはないので、ここぐらいはいいか??料金は500円のところが1000円になる程度。どんな日のどんな時間でも普通車両は混んでいるので、1両しかないファーストは実にありがたい。以前KCRは羅湖―ホンハムであったが、最近チムサッツイ東まで駅が伸びた。取り敢えず終点まで乗り、今夜お茶会が開かれる緑與茶芸館に向かう。安心して向かえる場所があるのは何よりありがたい。

香港も暑かった。ネーザンロード付近はかなりヒートアップしていた。大きなザックを背負って歩くのには負担が重い。ようやく目的地に辿り着くとホッとする。中に入るとオーナーの妹がいた。

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ちょっとぽっちゃりした彼女の瞳が大きく開かれて、『アレ?』という顔をする。そして歓迎の笑顔になる。これは嬉しい。この店でお茶会を20回ほど開いただろうか。彼女は英語が出来るのでよく連絡係をしてくれていた。PCを借りてネットでメールなどを検索。荷物を置かせてもらい、直ぐに外に出た。私にはまだミッションがあったのである。この店には夜戻ってくることになる。

(2)上環
MTRで上環に向かう。上環には馴染みのお茶屋が数軒ある。香港での私の遊び場であった。週末はここに来ると気分が乗った。既に午後4時、兎に角注文をこなさないと??今回台湾の旅でお茶屋さんを紹介してくれたHさんより、『香港に行ったら林奇苑で白牡丹を買って来て欲しい』と言われていた。何故かは良く分からないが、白牡丹だそうだ。私はここではいつも一番安い黄金桂しか買わなかった。何故ならコストパフォーマンスが最も良いからである。

しかし白茶も予想外に安かった。この店の値段はやはり良心的と思われる。店に入るといつものおばさんが迎えてくれる。何が欲しい、と聞いて来る。白牡丹などと言っている内に今日は大旦那が登場した。『久しぶりだな』という笑顔で椅子を指す。白茶を入れてもらうと、これがなかなか良い。色は薄いが味がしっかりしている。うーん。これで100g 1000円もしない。ついでに自分の分も仕入れる。鉄観音の高級な茶も出してもらう。これまでは近所のオッサンとして来ていたのが、今日はお客さん扱いだ。

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地球の歩き方にも掲載されているこの店には日本人女性が多く訪れる。我々がお茶を飲んでいると丁度やって来た。座って一緒に飲まないかと大旦那が誘う。皆一様に遠慮するが、その内一杯だけと言う感じで、座る人が居る。日本人は試飲したら買わないといけないという先入観念を持っている。座った人は最初から何かを買うことに決めている。しかし大旦那が出す様々なお茶に引き寄せられ、思った物より一段上のお茶を買うことになる。それが商売というものであろう。そして私にはそれは難しい。

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林奇苑の向かいには尭陽茶行という店がある。台北で発見した店の本店である。ここのおじさんとも仲良しである。今日も何気なく店の前に立つと笑顔で『お茶を飲んでいけ』と言う。ここのお茶は焙煎が効いた鉄観音で、日本で言えばほうじ茶の様相がある。決して高級なイメージはないが、胃に優しい、老人向けのお茶である。この種のお茶が好きな人にはとても好評である。何しろ値段が安い。創業50年、福建省から出て来る前を入れれば100年は経っているとかで、かなりレトロなパッケージを使っており、それが又日本人には好評なのである。

もう一つ好評なのが茶器。何しろ安い。急須は1つ50ドル前後。工夫茶のセットは4つの茶杯が付いても50ドルしない。昔福建省で安く作った物ばかりだと言うが、それが又ちょっとレトロでいい感じなのである。台北のこぎれいない店と香港の茶問屋の天井の高い、奥行きが深い店とでは深さに雲泥の差がある。気が付くと既に6時。この店の閉店時間である。礼を言って店を出る。急いでチムサッツイへ戻る。

(3)お茶会
夜7時、いつもと同じようにお茶会が始まる。緑與茶芸館、この素晴らしい空間は健在である。外の喧騒が嘘のような静寂、落ち着きのあるインテリア、内装。ちょっと寒すぎる冷房。全てが変わっていない。赤ちゃん連れのYさんがやってくる。レギュラーメンバーのOさんはじめ数人は参加者が多いため、別テーブルに移動する。有り難い事に十数人が来てくれた。いつものように女性が多いが、スーツ姿の男性も居る。日本では今年からクールビズが始まり、ノーネクタイでよいが、逆に香港ではきちっとした服装をしている日本人は多い。因みに香港のテレビコマーシャルでは室温を25度に設定するよう呼びかけているが、恐らくは誰も聞いていない。

香港歴史散歩の会で幹事を引き継いでくれたMさんにも声をかけてもらった為、普段お茶会と縁のない人も来てくれた。これもまた嬉しい。歴史散歩の会は『香港に歴史はあるのか?』をテーマに、駐在していてもなかなか行く機会のない、真の香港を訪ねようと言う企画。最初は私一人で始め、徐々に賛同者が増え、現幹事の熱心さと美人講師Kさんの多大なるお陰を持って毎回多数の参加者が集う会にまで発展している。

このお茶会はそのもの中国茶のプロHさんが香港に来た際、Oさん、Tさんと4人でこの場所でお茶を飲んだのがきっかけで始まったもの。OさんとTさんはこの茶芸館主宰のお茶教室に参加していたのが縁。因みにOさん、Tさんともにアジアンポップスの大ファンであり、そちら方面では既にうちの家内とは繋がりを持っていた。やはり世間は狭い、そして悪いことは出来ない。

2週に一度木曜日の夜に開催しており、定着した。当初はフランス人がやって来て、英語で会が進行されると言うような異常事態もあったが、現在は日本人、または日本語の出来る人が参加している。参加者も多彩で毎回楽しい話が出る。また驚くほど色々な情報が集まる。この会のお陰で香港生活をエンジョイできたとも言える。

この会がそれなりの参加者を集められたのは、先ず費用が手頃であることが上げられる。この茶芸館、結構な費用が掛っているはずなのにお茶も食事も安い。1回当たり平均一人100ドル程度。これなら夕飯食べるのと変わらない。しかも場所が便利。当初はこの茶芸館を何とか盛り立てようとお茶会を企画した側面もあったのだが、どうやらオーナーはお金持ちの道楽でやっている様子。宣伝すると返って煩くなるとの指摘でひっそりとやっている。

また会の方針を『誰でもいつでも参加可』として、日本人的な会の雰囲気を出来るだけ排除した。事前に出欠を確認し、7時集合と言えば、きっちり時間を守ろうとする日本人。疲れを取る為の企画に返って疲れてしまう日本人、そういうことは辞めようと言うのが主旨。お陰で毎回誰が来る、何人来るというのが分からず、席が足りなくなることもあったし、殆ど誰もこないこともあった。それはそれでいいじゃないか、というのが自分では良いと思っていた。

茶芸館では台湾茶、大陸の鉄観音、岩茶、プーアールなど各種揃えており、その時々の幹事の気分でお茶を選んで勝手に飲むスタイルをとっている。人数が多いと入れ方も難しい。均等に行き渡るとも限らない。正規のお茶会であれば許されないことも皆さんの寛容な精神で進行して行く。オーナー夫人が台湾人と言うこともあり、台湾の小皿料理が並ぶ。これをつまみながらお茶を頂くのである。特にここの魯肉飯は絶品であり、台湾の良い味を再現している。今夜も〆に大量に頼んで、厨房をてんてこ舞いさせている。

元うちの会社の社員であった香港人Aさんもやって来た。彼女とは私の1回目の香港赴任時に一緒に働いたのだが、その後退職して日本に留学。現在は別の日系で働いている。雰囲気は日本人女性にしか見えない。日本語も上達している。偶然再会し、お茶会に参加してくれ、今ではここでお茶を習っている。これも『茶縁』であろうか。因みにここのお茶教室は広東語で行われる。彼女にとっては問題ないが、日本人にはチトきつい。

何とも楽しい夜を過ごすことが出来た。時間は既に10時を回り、解散する時間となったが、何とも名残惜しい。尚この茶芸館は家賃高騰で退去し、現在まで開かれていない。お茶会も茶芸館再開待ちでお休み状態である。(2006年7月29日に茶芸館は再開、お茶会も再開される予定)

その夜はタクシーで以前私が住んでいたフラットへ。そこには私の業務上の後任Uさんが独りで住んでいたので、泊めて貰った。決してホテル代をケチったのではなく、どうなっているか見に行ったのである。ここから眺めるビクトリアハーバーの夜景は健在であった。4年もの間、自分は随分と贅沢な暮らしをしてきたのだと言うことが実感できた。今の東京の生活と比べて全てが伸びやかである。

7月20日(水)
(4)茶縁坊
翌朝出勤するUさんに付いて、MTRで会社へ。8時には日本人は全員出社している。7時45分にフラットを出ると8時に到着してしまう。何とも贅沢。一通り挨拶した頃、ローカルスタッフがやってくる。2回合計9年も勤務した場所である。ローカルとも顔なじみ。ランチを一緒に食べないか、などと誘ってくれる人もいる。しかし私には行く所がある。茶縁坊である。昨日時間がなくて行くことが出来なかった。荷物を置いて早速出掛ける。

上環までMTR、そして階段を上がるとハリウッドロードに出る。この辺りで朝9時から開いているお茶屋はここしかない。店をやっている人の誠実さが伝わる。お客が来ても来なくても、毎日全く同じスタイルで仕事をする。平凡のようで大切な営みに映る。行くとおばさんが笑顔で迎えてくれる。お互いの近況もそこそこにお茶を飲み始める。6月に出来たばかりの鉄観音春茶はなかなかいける。ここのおじさんの絶妙の焙煎技術に支えられて、支持するお客は多い。

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店内に置いてある茶器は少しずつ変えている。お客に飽きられない最低限の対応はしている。しかしこの店は茶器を売ろうという気はない。それが証拠にシンセンから仕入れてきて、殆ど変わらない値段で売っている。これでは儲けが無いだろうが、これも顧客サービスと考えている節がある。茶器はおじさんと息子が荷物を担いで国境を越えている。費用の節約を行い、顧客に還元する、これは目指すべき商売の姿かもしれない。

何だかんだと話していると2時間ほど過ぎてしまった。この店にいると簡単に時間が経ってしまう。とてもリラックスできる。日本にこんな店が欲しい。精神衛生上どうしても必要な場所である。日本人は一般に自分の好きな場所を持っていないのでは??いや、持っていても、その場所で過ごす時間がない。

5.マカオ2
(1)新中央飯店
香港を離れた。いつも乗りなれたフェリーに乗り、1時間。簡単にマカオに着く。平日の昼間にマカオに行く人は少ないだろうと高を括っていたら、何と中国人の団体が大半を占拠。出てはいけない甲板に出るは、酒を飲んで大騒ぎするは、で散々である。中国人旅行者で経済が成り立っているとはいえ、さすがに注意すべきではなかろうか。昔の日本人団体もこんな感じだったのだろうか??

マカオに泊る事はあまり無かったので、どこに泊るべきか悩む。そして歴史的な建物として、セナド広場の直ぐ近くにある新中央飯店を選ぶ。中央飯店は第二次大戦中、戦争を避けて逃れてきた金持ちの中国人、ヨーロッパ人が宿泊しており、ダンスホールがあり、カジノも2フロアーあったという。外では餓死者が出る中、全くの治外法権状態で、世の中と関係ない世界が繰り広げられていた。

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そして何と言っても、この物の無い時代に毎晩ステーキを食べていたことは、驚嘆に値する。人々は町の子供が攫われているとして、人肉を食していたと信じていたようだ。実際にそんなことがあったら恐ろしいことではあるが、恐らくは真実なのであろう。

戦後はマカオの凋落の象徴のようにこのホテルも落ちて行き、1999年のマカオ返還時には全くの安ホテルになっていた。よくまだ残っているという感じである。場所は一等地、しかしボロボロの姿を何故晒しているのであろうか??何かの報いとしか思えない。入り口を入るとレトロな雰囲気が漂う。レセプションで値段を聞くと180元とか。一体どんな部屋なのか?10階まで上がる。エレベーターが凄い。今停まっても何の不思議も無い旧式。10階の廊下もあまりにボロボロでビックリ。部屋も内装がボロボロでベットも何とか寝られる程度の清潔さ。これだけ酷い部屋に泊るのは生まれて初めてであろう。

着いて来たおばさんがこの部屋でよいかと聞く。他に部屋は無いのかと聞き返すと、『全て同じだよ、昔とね』と言われてしまう。このおばさんは戦後このホテルの全てを見てきたのかもしれない。歴史の生き証人はあまり語らず、出て行ってしまった。何故かこのホテルに泊ることにした。

(2)春雨坊
マカオにはお茶ネタがあまり無い。マカオの人はどんなお茶を飲んでいるのか、以前聞いてみたことがあったが、あまり特徴的な答えは無かった。老人は自分の出身地の茶を飲んでいるようだが、若者は飲茶などでも全く拘っていない。

そんな中でタイパ島に春雨坊という名のお茶屋があるので、行って見る。以前1度行ったときには時間が無くて店をちょっと覗いた程度。2度目はお茶の買出しとかで店が閉まっていた。3度目の正直である。

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タイパ島では慣れたミニバスで行く。最初はどこへ行くのか分からなかったこのミニバスもマカオ歴史散歩で使い続けた結果、大体どこへ行くか、どこに行くにはどれが良いか分かる様になっていた。このノウハウを維持できないのが口惜しい。

春雨坊は開いていた。そして1回目と同じようにオーナーと思しきおじさんがいた。店内の雰囲気はまずまずよい。マカオの喧騒を考えれば素晴らしい空間ともいえる。英語も北京語も堪能な人であったが、お茶について2-3質問すると、答えは素っ気無い。写真を撮らせてほしいと言う要請にも全く応じない。

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ここはお茶が飲めるスペースがあるので、お茶でも飲んでいきたかったが、どうやら観光客向けの対応しか考えていないらしく、私のような者がいるのは迷惑だという雰囲気が流れる。残念ながら店を去る。やはりマカオにはお茶文化は育たないのだろうか??この店は香港人をターゲットにしているのか、それとも本当に無知な観光客のみを対象としているのか??不思議である。

7月21日(木)
(3)朝食
昨夜は疲れていたせいもあり、また目ぼしいものが見つけられなかったせいもあり、はたまた新中央飯店のかび臭さに耐える為の手段も考慮して、夕飯も食わずにビールを飲んでさっさと寝てしまった。マカオに泊る人間としては異例なことではないか??香港人に話せば『バカ、勿体無い。夜通しギャンブルだ!!』などの罵声を浴びそうである。翌朝は当然早く起きた。7時には服を着替えた。既に夏の日差しが感じられたが、まだ涼しい。ホテルの前からバスに乗る。目指すはレトロな朝飯。50年前の香港、マカオの飲茶(いや早茶)を食べる為に紅市場に向かう。

市場の横にマカオで唯一残った龍花楼というレストランがある。前回訪ねた時は午後2時半で既に営業は終了していた。まさに早茶である。店の店員は気軽に写真撮影を許可してくれた。きっと私のようなお客が多いのであろう。慣れた対応であった。

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階段を上がると懐かしい空間が広がる。高い天井、大きな扇風機、背もたれのある4人掛けの椅子、テーブルの上には年季の入った茶器。朝は鳥籠を持った老人が大勢い訪れるのであろう。しかし今は午後2時半、席に座ったものの店員は誰もこない。今回こそはと言う思いがあった。しかし思いはなかなか叶わないものである。バスを降りると目の前の建物には竹の足場が築かれていた。何と改装中であった。入り口には『40日間改修』の張り紙がある。残念。

仕方なく辺りを歩く。細い道を入ると屋外で飲茶を楽しんでいる人々がいた。鳥かごも掛けられていた。本当の庶民の朝食風景なのであろう。さすがの私もこの中に分け入り、点心を食べる勇気はない。それ程他者を寄せ付けないコミュニティーが感じられる。

思い直してリスボアホテル近くへ。細い路地を入るとナタ(エッグタルト)で有名なマーガレットカフェがある。朝からちゃんと開いている。店の中は狭いので屋外の椅子に座り、朝食を楽しむ。

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ポルトガル領であったマカオはパンが美味い。このカフェのパンもよい。思わず砂糖たっぷりのデニッシュを手にする。コールドレモネードも甘い。ナタも頼んでしまう。朝から甘い物だらけになる。空港に向かう直前であったので、東京へお土産としてナタを買う。持ち運びが不便だが、9日間も留守にしたのだから、仕方が無い。

 

 ホテルをチェックアウトして、タクシーで直ぐに空港へ。この数日間が夢のように過ぎていった。香港駐在を終えて僅か3ヶ月。センチメンタルジャーニーには早過ぎる。まだ生々しい生活感がそこにはあった。これからは毎年1度はこんな旅をしようと思う。

 

 

 

 

 

《香港・華南・マカオ お茶散歩 2005》(2)

3.シンセン

(1)シンセンへ
Hさんとの昼食後、珠海をあとにする。バスでシンセンに行こうと思ったが、ホテルの従業員に『バスだと2時間半は掛かりますよ。』と言われてフェリーにしてしまう。九州港から蛇口行きフェリーは1時間に1本以上出ている。便利である。

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約1時間で蛇口に着く。久しぶりの蛇口は前にも増してコンテナが多くなっていた。コンテナ船も多く見受けられる。中国経済が急速に伸びている様子がフェリーの中からでも見て取れる。蛇口港には沢山の人が溢れていた。流石に勢いがある。出口でシンセンのホテル予約を斡旋していた。料金表だけ貰ってタクシーに乗り込む。

白タクの運ちゃんを振り切ってタクシー乗り場のタクシーへ。途中渋滞がある。平日の午後3-4時は結構混んでいたな、と昔を思い出す。結局フェリーでも2時間以上掛かって、羅湖駅前に到着。次回はバスを試してみよう。

ホテルを選ぶのは面倒なので茶葉世界の横にある新都飯店へ。この辺のホテルでもシンセンだから500元程度だと思っていたが、受付で研修生のバッチを付けた女性が出て来て1泊800元だという。しかしここで怯んでは中国旅行は出来ない。20年前は部屋を確保する交渉だったが、今は値段交渉で気も楽である。ああだ、こうだ、と言っているうちに何とか520元になった。蛇口の料金表は 価格交渉に大いに役に立った。

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(2)茶葉世界 武夷茶荘

シンセン茶葉世界。香港駐在中の2001年10月頃、初めて訪れて以降月に1度ペースで遊びに来ていた場所である。遊びに来た、という表現がまさにピッタリ。最初は恐る恐る入ったのだが、馴染みが出来るとそこに入り浸り、入り浸る店が増えていくと滞在時間が長くなった。1軒あたり1-2時間いるのであるから、一日仕事である。

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既に何度も色々な所に書いているので、敢えてここでは触れないが、店選びはフィーリングである。ここだな、と思ったところに入るだけ。大通りから階段を上がって2階へ。最初に目に付いたのは入り口付近の小さな店。それがこの世界との接点となった紅美の店。

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今日も行ってみると紅美はいなかった。全く知らない女性が座っていた。向こうも不思議そうに見ていたが、名前を出すと『ああー』という感じで走り出す。少しするとこの店のオーナー黄さんが登場した。前は居ないことが多かったが、どうしたのだろうか??

 

武夷山の岩茶が出る。この店は武夷山茶葉研究所の出先であったが、数年前に研究所は香港人に売却されたため、現在は違う所から仕入れて営業を続けている。最近の傾向を聞くと、『軽めのお茶』との答え。試しに大紅袍を飲ませてもらうと、確かに軽い。岩茶といえば、その独特の味わい、少し苦い、そして重いイメージがあるが、これはその独自性が感じられない。しかし味は美味い。これはどういうことであろうか。

典型的な岩茶、肉桂も飲む。こちらはあの岩茶独特の風味がある。日本人が飲むとすれば先程の大紅袍の方が好まれるかもしれない。一般的に日本人は緑茶に近い味を好む。一方大陸の人々は焙煎の効いた濃い目のお茶が好きなのである。

ところが最近大陸でも台湾茶などが入って来て、こちらの方が更に美味い、と思われるようになってきている。商業ベースで考えれば、消費者が美味しいと感じるお茶を作ることが重要であり、岩茶の伝統を守ることは二の次であろう。軽火で仕上げた美味しいお茶は、比較的高級な茶葉を使用していることもあり、人気となっている。因みに値段は5倍違う。

帰国後開いた試飲会では『この大紅袍は岩茶ではない。全体的な傾向ではあるが、特徴が無くなって来ており、どのお茶も同じに感じる。』などの厳しい意見も出たが、返って『肉桂が非常にリーズナブルな値段』であるなどの感想も寄せられた。今後岩茶がどうなっていくのか、要注意である。

(3)龍井堂

私が毎日会社で飲んでいるお茶は中国緑茶、龍井茶である。何故か?朝は目覚めが良い、そして便利だからである。当然ながら大量に消費する。本来高級茶であるので、偶に飲めばよいのだが、そうはいかない。一日1リットルは最低飲むので茶葉の使用量も半端でない。

香港に住んでいる時は無くなればここに来て買えばよかったが、日本に戻ってはそうも行かない。今回はいつも飲むお茶を確保することが目的。龍井堂はそこにある。店の前に行くとお客がいた。オバサンは中で愛想良くしていたが、私の顔を見ると驚いたように手招きする。そしてお客を追い出してしまった。いいんだろうか?

よく来た、よく来たと言いながら、落花生を差し出す。先ずは何か出さないといられないのだろう。田舎のオバサンという感じが好ましい。こういう歓迎の仕方には何となくは恥ずかしいものの感激してしまう。来てよかったと思う。

商売は相変わらず順調だと言う。シンガポールから大量のオーダーが入るらしい。恐らくはレストラン用の安い商品だろうが、100kg単位で売れれば、満更でもない。龍井茶を飲むお客とはどんな人達なのだろうか??日本人は緑茶好きであるから飲むだろうが、大陸の人はどうだろう。最近は中国国内でもブランド商品の販売が多く、売れ行きもよいという。

人々の往来が活発になり、収入も増えてくると、中国中の商品、特に有名ブランドへのニーズは高まる。日本人は一般の中国人が皆烏龍茶を飲んでいると誤解しているが、実際には8割方は緑茶を飲んでいる。その緑茶の代表格が龍井であるから、茶の世界ではトップブランドである。

しかも観光地である杭州に産地があるとなれば、観光客目当てでボロイ商売をしようという人間は必ず現れる。結局外国人だけでなく、他の地方から来た中国人も質の悪い龍井を法外な値段で掴まされる。知らない人間は龍井村に足を踏み入れるな、ということになる。実に不幸なことである。私も最近は一度も村を訪ねず、外で信用ある人々から買っている。

司馬遼太郎は『街道をゆくー江南の道』で龍井村を訪ねている。そこにはひたすら茶ことだけを考える若い女性村長の話が出て来る。お茶以外のことは分からないといった素朴な農民の態度が今は無くなっているのだろうか??

今年は天候不順で龍井茶も生産が遅れたらしい。所謂明前茶はどのくらい採れたのだろうか?オバサンは多くは無いとボソッと言う。私は有名な明前茶よりその一つ後の雨前茶を買う事にしている。その方が美味しいし、値段も安いからだ。何でも初物を有り難がるのは如何なものか??今回も大量に龍井茶を買い込む。これで会社生活を少しでも潤いのあるものにしなければ??

(4)その他

その後馴染みの台湾茶の店、子揚銘茶で許小姐とお話しした。最近台湾茶はよく売れるという。ようやく大陸中国人も本当のお茶の味が分かるようなった、ということであろうか??それとも一時の流行であろうか??個人のお茶の嗜好はそんなに簡単に変わるとも思えない。

許小姐は若いだけあって、可愛らしい物には直ぐに飛びつく。宜興の急須と同じ材質、紫砂で作った犬の置物に毎日お茶をかけ、歯ブラシで汚れを落としている。私も彼女から教わり家でお茶をかけているが、こまめに汚れを落とさない為、可哀想なくらい汚い犬になっている。最近我が家のお茶会に来る人にこの犬が好評で中には欲しいと言う人もいるほどだ。

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そういえば、この店のオーナーである台湾人から記念に蛙の置物を貰った。犬と同じで毎日お茶をかけるのだが、台湾人は三本足の蛙が大好きで、金運が強まると信じている。何と口の所には小銭が挟まれており、毎日この銭を三回回して『マネー、カムカム』と唱えるように言われた。そんな話は信用できないと思ったが、試しにやっていると確かにそこそこのお金が何故か巡って来た。実に不思議な蛙は今も家の玄関に飾られている。最近良いことがないので、再度『マネー、カムカム』をやらないといけない。

鳳凰単叢を売る鳳凰海源に李さんを訪ねる。『相変わらずよ』といつもと同じ姿勢で椅子に座り淡々と語る。本当に何も変化がないのか??周りの店の人々も特に変わっていない。子供達が走り回る。この空間に毎日座り続けていることは果たして幸せか?それとも不幸か?

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単叢の認知度は決して高くない。広東省に青茶があると言ってもあまり理解されない。日本でも一時的なブームはあったようだが、日々飲んでいる人はごく僅か。李さんはこのお茶の良さ、フルーティな香りの高さ、爽やかな味わいを分かってほしいと言う。私も是非サポートしたいが、このお茶は日本人には強すぎるような気がする。毎日飲むにはちょっと辛い。

(5)夕飯
既に結構な時間が過ぎていた。ホテルに戻り、どうしようかと考えて、後輩のK君に電話してみた。K君は忙しい中、夕飯を一緒に食べてくれると言う。有り難い事なのでホテルで彼を待つ。

K君は以前日本で雑誌記者をしていたが、数年前に一念発起??してシンセンに来て、雑誌を創刊した苦労人。我々などと違い、実に日中双方に様々な人脈を持ち、豊かな発想を持っている。香港駐在中は何度かシンセンで世話になっている。

あるホテルの中にある日本食レストランに行く。しゃぶしゃぶ食べ放題だという。腹一杯食べても日本円で1000円ぐらい。ビールも安いからご馳走しても大船に乗ってもらえる料金。シンセンの物価は兎に角安い。香港とは雲泥の差である。だから香港人が大挙シンセンの不動産を購入し、週末をここで過ごすわけである。珠海より交通費が安いので人気は高い。

感心したのはそこの女性従業員が実に礼儀正しく、また日本語が上手いことであった。K君によれば、最近シンセンでは優秀な従業員の引き抜き、引止めが企業の重要課題となっている。特に日本料理屋が増加しており、日本語の出来る従業員の賃金はどんどん上がっているようだ。

しかし香港で愛想の無い従業員のいる店で高い料金を払うより、ここで実に気持ちよく食事が出来ることは嬉しい。いや、香港ではなく、日本の従業員の愛想の無さ、融通の利かなさ、には正直イヤになっていたのが本音。競争原理が働いているといえばそれまでだが、今の日本では競争原理も働き難い。どうしたものであるか??

7月19日(火)
(6)紅美
翌朝の目覚めはあまり良くなかった。昨夜しゃぶしゃぶを食べながら延々とビールを飲んだせいだろうか??それとも旅の疲れだろうか??5日目に入った。珠海の朝は爽やかな海が感じられて良いが、シンセンの朝は騒音と埃に塗れていて、中国を感じさせる。

9時過ぎに茶葉世界を訪ねた。昨日戻って来た武夷茶荘の紅美は様子がおかしかった。何故か彼女は武夷茶荘の向かいの小さな店に座っていた。そこは彼女と初めて会った場所であった。どうなっているのか??彼女が小声で言う。実質的に独立したと。何だか複雑な事情があるようだ。兎に角明日午前、ここではなく三島中心で会おうと言う。三島中心にはもう一つの卸市場がある。

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紅美に伴われて三島中心へ。ここも茶葉の卸問屋がワンフロアーに並んでいる。しかしこちらを訪ねるお客は少ない。その奥の方に彼女の店はあった。結構広い。鉄観音が中心の品揃え。さすがに武夷茶荘を意識して地元からの茶葉の調達を控えている。やはり同郷で独立して商売していくのは、かなり難しいのだろう。

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彼女とは長い付き合いである。これからも応援していきたい。取り敢えず今回は各店で購入した茶葉を集めて彼女に送って貰うことにした。その後も電話一本で茶葉を日本まで送ってもらえる関係である。これは貴重。岩茶もちゃんと調達して送ってくれる。

茶葉世界は常に変動している。年に数軒、いや十数軒は店が入れ替わる。流行り廃りもあるだろうし、何らか無理をして店仕舞となる所もある。最近目立つのは後に入ってくる店をやる人間がお茶の世界と無関係なケースが増えていることであろう。昔は茶の産地の出身者、ようは茶葉を売り歩く為に出てきた人々が多かったが、近頃は趣味でお茶を始めて商売としてしまう人が出て来た訳だ。しかしこれは長く続かないから入替が激しくなる。

茶葉の質の変化も大きい。愛飲家の嗜好に答えると言う理由で、何となく軽いお茶が多くなった。焙煎の効いたしっかりしたお茶ではなく、生の香りを生かした軽いお茶が作られる。

紅美とは今後も良い関係が作れるだろう。彼女には頑張ってもらいたい。しかし商業主義でなければ生き残れない厳しい世界で彼女は独自の商売を展開できるのか?ちょっと心配ではある。

 

《香港・華南・マカオ お茶散歩 2005》(1)

1. マカオ (1)マカオ空港

今回台北に行こうとフライトを調べた際、台北経由マカオ行きという文字が目に入る。今まで香港―台北線は何度も乗ったが、マカオ線に乗ったことが無い。マカオ空港にも降りた事が無い。是非行こう、ということでフライトを押さえた。

台風が上陸する直前に飛行機は中正国際空港を何とか飛び立った。因みに翌日には台風は台湾に大きな被害を及ぼしたようだ。一瞬でも遅れていたら私も巻き込まれていたに違いない。エバエアーの機内は満席。夏休みということで家族連れが多い。おじいちゃん、おばあちゃん、奥さん、子供の組み合わせが目に付く。大陸で働くお父さんの所へ皆で出掛けるといったところか?

1時間半ほどでマカオに到着。海に突き出した滑走路、こじんまりしたターミナルビル、どこか田舎の空港に降り立った気分。天気は快晴で暑い。台北の強い風が懐かしい。イミグレもシンプル。ここには香港人レーンは無かったが、マカオ人レーンも直ぐに開放され、スムーズ。

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因みにこの空港は発着が非常に少ないものと思っていたが、日中は15分に1本程度のフライトがある。多くは大陸各都市、台湾線であることからまさに台湾人の大陸ゲートウエーとなっていることが分かる。台湾人向けの国境までのバスアレンジ、広東省側のバスアレンジも全て整っているようだ。

空港を出るとタクシーに乗り、一路国境へ。橋を渡り半島へ。15分で珠海の国境に到着。これは早い。台湾人ビジネスマンはこのようにして台湾から広東省へ入ってくるようだ。昔台湾人に言われたことがある。『国境で夜台湾語で話し掛けられても振り向いてはいけない。中国人強盗グループは台湾人が多額の現金を持って往来していることを知っているので狙われる。』送金の自由が無い世界、税金を逃れたい台湾人、ここには日本の普通のビジネスマンには分からない凄い世界がある。

2.珠海 (1)マッサージ

香港駐在中何度か珠海に来た。ゴルフがメインであったが、マッサージが安いので愛用していた。今回もホテルの高いマカオを敬遠して直ぐに珠海に入り、台北で食べ過ぎた腹を回復させるために夕食を抜いてマッサージに出掛ける。海を見ながらマッサージを受ける。日本では考えられないリラックスした雰囲気でマッサージが受けられる場所がある。残念ながら当日は夜で海が良く見えなかったが、それでも十分満足する。そして何より料金が安いのである。1時間30元、全身マッサージも同じである。

マッサージ師は20-25歳の女性が多い。初めは工場に働きに来たが何らかの理由でそこを辞めて来た子が多い。こちらの方が給料が多いのかと思いきや何と彼女らの取り分は1時間9元である。つまり3割。1回の食事代が弁当6元で、もしバスに乗って通勤すれば往復2元。勤務は普通14時間。とすると1日にお客が一人で1時間だったとすると1食しか食べられない。それで着いたお客には必ず2時間以上マッサージしないとやっていけないので懸命にお願いするのである。

中国の究極の資本主義がここにある。貧しいものからは徹底的に搾取する。よそ者も排除する。その中を田舎から出て来た者は懸命に働く。働き手の代わりはいくらでもいる。もし誰かが病気をしたり困難に陥ったら同郷の者が助ける。こうして地縁、血縁社会が広がる。実に厳しい現実であり、私のようなひ弱なものにはとても生き抜けない社会がそこに存在する。

7月18日(月)
 (2)早茶

珠海で最高級のホテルの1つ、GDホテルの窓から朝の海を見る。少し煙っているのは靄であろうか?向こうにはマカオがしっかり見える。このホテルは実に快適であり、テレビも日本のNHK BSの他、BSフジまで見られるので香港時代に2-3度泊まっている。料金も400元以下で実にリーズナブルなホテルである。

朝ご飯は食べない私であるが、お茶を飲みに行こうと思い、昨日のマッサージ屋の横の『常順来』というレストランに入る。香港では広東語で飲茶というが、大陸では一般的に早茶という。

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お茶を飲みながら点心を食べる朝ご飯である。日本人はどうしても飲茶(お茶を飲む)なのにシュウマイや餃子を食べることだと思っている。しかも一日中やっていると思い込み、夕飯に食べたいなどと無理を言う人もいる。どうしてなのだろうか?漢字を見れば『茶を飲む』という意味が分かりそうなものであるが??

常順来では、いいお茶を頼むと服務員がお茶を淹れに来てくれる。今回は少し濃い目の水仙を選択。1人であるからお粥(ピータンと痩せ肉)とシュウマイを食べる。朝から既に暑いので汗をかきかき食べる。

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お姐さんがお茶を持ってきて淹れる。淹れ方が上手いので聞いてみると近くの茶芸館で働いていたという。辞めた理由は同僚が2-3人しかいなくてつまらなかったという。確かにここは大きなレストランであるから同僚は沢山いる。お茶の技術も発揮できる。

このお姐さんに彼女の前の職場を聞いたところ、旅遊大飯店という名のホテルだということで行って見ることにする。何か良い場所が発見できるのではないだろうか?ところが実際行ってみるとその茶芸館は改装中であった。あるいは閉店したのかもしれない。彼女はそれを予測して転職したのか?この辺の移り変わりは激しい。

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(3)翠湖(珠海賓館内)
気を取り直して珠海賓館内の茶芸館へ。このホテルは1982年開業の老舗で最近まで高級ホテルとされていた。鄧小平、江沢民などの国家指導者は珠海訪問の際はここを訪れている。私も1997年に珠海を訪れた際、タクシーの運転手に珠海一のホテルとしてここへ連れて来てもらったことがある。当時の珠海は今より遥かに長閑で国有企業の昼休みは2-3時間あったのでは?

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このホテルにある茶芸館、翠湖には以前珠海在住のHさんと来たことがある。その静かさが気に入っていた。尚Hさんとはこの後昼ご飯を一緒に食べた。珠海の日本食レストランのランチは50元で腹一杯食べられるのが嬉しい。(香港では倍はするので以前良く来ていた)

平日の10時半であるが、店内には数組の客があり、まだ早茶を楽しんでいた。これが広東省流。遊んでいる、ただ食べているかと思えばそこで商談が成立したりしている。広東人にとって早茶は実に大切なものだと以前聞いたことがある。

碧羅春、この蘇州郊外の緑茶は果樹の下に茶樹が生えているという珍しいお茶であるが、何しろ美味しい茶葉になかなかお目に掛からない。以前蘇州まで行って茶葉を探したが、どうしてもいいものが見つからなかった。たった一度お茶の先生が持っていた茶葉だけが凄く美味しかったので、私の中では幻のお茶である。

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碧羅春を頼む。55元、マッサージ2時間分である。お姐さんが自分の仕事だと言い張り、お茶を淹れてくれる。予想外に美味しかった。思わず茶葉を見るため、急須の中を覗く。するとお姐さんが何か問題があるのかとすかさずやってくる。2煎目はお姐さんの目を盗んで??自分で淹れてみる。確かに美味い。何故だろうか?暑い中ではやはり緑茶が美味しく感じるだろうか?久しぶりに気分が良かった。そしてこの店の雰囲気は実に良かった。静寂は中国では本当に貴重なものである。